バージン・デイズ

 

by MAKORIN

 

(1)

 

「おい、麻里奈」

「あ、臼井くん、なあに?」

「翔一、今日も休んでるんだって?」

「うん」

「学校休みだして、2週間くらいだよな」

御影翔一は、浅野麻里奈のボーイフレンド。ふたりは、犀星高校2年D組。

啓太は、A組。入学以来、翔一のバスケなかまだ。

麻里奈も啓太も、翔一のことをずっと心配している。

翔一は、五月の中ごろから学校に来ていない。

風邪を引いて具合がとても悪い、ということだった。

この時期に風邪をひくなんて、不思議な気がした。

見舞いにいく、と言うと、うつるといけないから、来なくていい、

と翔一にいわれて、麻里奈はムッとした。

パパの病院に来てくれたら、きっと治るのに・・・

麻里奈の父は、この町で2番目に大きい浅野病院の院長先生だ。

欠席が2週目に入ったとき、翔一が電話に出なくなった。

麻里奈や啓太が見舞いの電話をかけると、母親がでて、こじらせて、長引いている、と答えた。

「心配してもらってありがとう、もうすぐよくなって、学校にいけるようになるから・・・」

「おれ、見舞いに行きたいけど、試合まえで、無理なんだ。麻里奈、帰りに寄ってみてくれないか」

「わかった、そうするよ」

翔一のことが気になって、授業中もほとんど身が入らない状態が続いていたし、本当に風邪なんだろうか、もしかしたら、もっと重い病気なんじゃあ・・・

ますます心配になってきて、翔一の家に押しかけていくことにした。

麻里奈は校門を出ると、自分の家と反対の方向に歩き出した。

途中、モノンクルで翔一が大好きなフルーツタルトを買った。

 

「こんにちは」

信子さんの返事が返ってこなかった。

家の中は静まり返っている。

(信子さん、買い物に出かけたのかな・・・)

いつものように、あがりこんだ。

ここの家族は、母親のことを「信子さん」と呼んでいる。

はじめてこの家に遊びにきたときに、麻里奈が「おばさま」と呼んだら、

信子さんから「おばさまはないわ」といわれ、翔一を真似て「信子さん」と呼んでいる。

麻里奈はダイニングのテーブルに、もってきた菓子箱を置く。

(信子さんが帰ってきたら、紅茶をいれて、一緒に食べよう)

翔一の部屋と、短大に通っている姉の綾美の部屋が2階にあるのだが、もの音一つしない。

(翔一くん、眠ってるのかな・・・眠ってるんだったら、起こしちゃ、いけないな・・・)

足音を立てないように、階段をあがる。

家中がシーンと静まり返っていて、麻里奈の足音だけが、聞こえる。

 

翔一の部屋のドアをそーっと開ける。

麻里奈は、ハッと息を呑んだ。

窓際にある翔一の机に向かって女の子が座っていた。

その子がゆっくりと麻里奈の方を振り返って、目を大きく見開いた。

突然の侵入者に、ギョッとした表情になった。

麻里奈と同じ年頃の子だ。

この家に何度も来ているけれど、麻里奈が一度も会ったことのない子だった。

(この子、だれ・・・?)

肩までまっすぐ伸びた黒い艶やかな髪が、窓から差し込む明かりにきらきら輝いている。

ちょっと悲しそうな表情をしているけど、とってもかわいらしい子・・・

女の子は、ピンクのネグリジェを着ていた。

不安な眼差しを麻里奈に向けている。

青ざめて、からだの具合が悪そう・・・

麻里奈の中をいろんな、複雑な思いが駆け巡る。

翔一くんを見舞いに来たつもりだったのに・・・

翔一くんはいなくて、ネグリジェすがたの見知らぬ女の子がいる。

「翔一くん、どこですか・・・」

女の子にたずねたとき、麻里奈はその子が手にしているものを見た。

麻里奈と翔一が、春休みにディズニーランドで撮った写真。

それが、女の子の手の中で2つに引き裂かれていた。

麻里奈の目に驚きと、そしてたぶん怒りが溢れ、逃げるように廊下に出た。

涙が溢れてきた。階段を駆け下りようとした。

「麻里奈、待って!」

麻里奈は、ギョッとして足を止める。

女の子が、自分を呼び止めた。

「麻里奈、待って!」

振り向くと、戸口のところにあの子が立っていた。

「待って、麻里奈・・・待って」

その子の目にも大粒の涙が溢れている。

「あなた、だれ?・・・だれなの?・・・どうして私の名前、知ってるの?」

女の子の両目から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。

「ぼく、翔一だよ、翔一なんだ・・・」

「・・・」

何がなんだかわからなかった。

目の前にいるのは、どう見ても女の子で、顔つきには翔一に似たところはないみたいだし、

声も、女の子のもの・・・

「ふ、ふざけないで・・・私、あんたなんか知らないから・・・」

「こっちに来て・・・」

「いやよ!」

「こっちに来て・・・お願い・・・麻里奈、こっちに来て・・・」

大粒の涙をこぼしながら、すがるように呼びかける女の子に、麻里奈は従った。

麻里奈は、壁際のソファに座る。

女の子は翔一のベッドに腰をおろす。

さっきまで寝ていたのか、上掛けは半分めくれている。

女の子は、うつむいたまま、じっとしている。

ピンクのネグリジェのもものあたりに、涙がこぼれ落ちて、染みができる。

何か話したそうなのだけれど、なかなか切り出せない様子だ。

麻里奈は、不安な気持ちを落ち着かせようとして、部屋の中を見回した。

胸がどきどきしている。

見慣れた翔一の部屋だ。何もかも・・・

・・・?

なんか、ちがう

なにが・・・?

・・・翔一くんの・・・男の子の臭いが・・・しない

女の子は、ゆっくりと顔を上げて、麻里奈を見た。

気持ちが落ち着いたのか、涙が止まっている。

「麻里奈・・・ぼく、翔一なんだ・・・信じられないだろうけど、ほんとに、ぼく、翔一なんだ・・・」

「どうして・・・!」

「ぼく、女に変わってしまったんだ・・・」

「信じらんない!」

「ぼくもさ・・・」

「ほ、ほんとに、翔一くんなの・・・?」

「ほんとうよ」

背後から、信子さんの声がした。

「信子さん・・・ほんとうですか・・・?」

「麻里奈ちゃん、本当なの・・・翔一、女の子になってしまったの」

「ママ、麻里奈には、ぼくが話す」

「そうね、そうなさい」

麻里奈は、ベッドに腰掛けている女の子が、信子さんに似ていることに、気がついた。

女の子をじっと見つめた。

(信子さんが私と同じ年頃のころは、きっとこの子のような顔立ちだったんだ・・・)

信子さんが出て行って、部屋は静まり返った。

 

(2)

 

5月の連休が明けてすぐ、ぼくは信子さんと四国に行った。

「叔父さんのお葬式に行ったんだよね」

信子さんは、ぼくは行かなくってもいい、って言った。

だけど、グーおじさんとぼくには、二人だけの秘密の約束があったんだ。

それで、父さんはシンガポールに出張していたので、信子さんとぼくと、二人で四国にいったんだ。

父さんが生まれたところは、四国の山の中、ずっとずっと奥の小さな村で、

平家の落ち武者たちが作った、っていう言い伝えがあるところなんだ。

愛媛の空港から、とちゅう山道になって、村まで、3時間もかかるところなんだ。

ぼくたちは、夜遅くなって着いた。

本家のおばあちゃん、翔一、よく来てくれたね、って、本当に喜んでくれて、

信子さんも、ぼくを連れて来てよかった、って。

おばあちゃんが、疲れたろうから、もうおやすみ、って言ってくれたんだけど、

ぼく、グーおじさんの蔵に入ってみたい、って。

それもそうだね、おまえはグーおじさんが、いちばんかわいがった子だったからねえ、って

おばあちゃんが言って、それで、ぼくは、グーおじさんの蔵に入った。

「そこに行きたかったんだ・・・」

そう。

グーおじさんの蔵は、生活する場所で、そして、図書室みたいな場所だった。

そこは、ぼくにはとっても不思議で、魅力的な場所だった。

本が、たくさんあった。日本語のものもずいぶんあったけど、

外国のものがもっと多くて、英語の本もあったけど、

見たこともない字で書いてある本もたくさんあった。

グーおじさんは、ぼくがまだずっと小さかったころから、蔵の中に入れてくれた。

ぼくは、棚に並んでいる本を、読めるはずもないのに、開いて遊んでいたそうだ。

不思議なイラストがいっぱい載っている本を見つけ出しては、

何時間も、じっと見ていたらしい。

 

小学校に入ってから、しばらく四国に行かなかったけど、

中2のときに、家族みんなで行って、夏休みを過ごした。

蔵にはいると、ずっと小さかったころ、そこで過ごした時間がもどってきて、

本棚に詰まっている本がぼくを呼んでいる、そんな気がした。

1週間くらい、四国にいたんだけど、ずっとグーおじさんの蔵の中で過ごした。

夢中になって、いろんな本を眺めてた。

読めない文字で書いてあるのに、イラストを見ているだけで楽しくて、

時間がたつのも忘れて、夢中になったよ。

グーおじさんの蔵は、世界中の知識がいっぱい詰まってる場所だった。

グーおじさんは、家族だけじゃなく、村の人たちにも、勉強家、っていうか、

読書家っていうか、尊敬されてたんだ。きっと、そうなるわけがあったと思う。

グーおじさんがすごい人だってこと、ぼくにはわからなくて、ただの優しいおじさんだった。

ただ、ぼくだけは、特別扱いだったんだ。何でも許してくれた。そのことには気がついていた。

 

麻里奈は、自分は翔一だ、という、目の前にいる女の子の話を黙って聞いていた。

聞こえてくるのは、紛れもない女の子の声だけど、

信子さんに、翔一なのよ、といわれてから、半信半疑の気持ちになって、

それから話を聞いているうちに、疑う気持ちが薄れてきていた。

信子さんが入ってきた。

「麻里奈ちゃん、帰りが遅くなると、おうちの人、心配するわ。

翔一の話を聴いてあげてほしいんだけど、麻里奈ちゃんのおうちに、

ご迷惑をかけるといけないから」

でも、翔一くんの話は、まだ終わっていない。

どうして、翔一くんが女の子に変わってしまったのか、まだわからない。

翔一くんも、きっと自分にはわかってほしくて、話し出したんだ・・・

「信子さん、電話貸してください。遅くなるって、ママに言いますから・・・」

 

麻里奈の母は、翔一くんのご家族に、ご迷惑にならないようにね、と言った。

麻里奈は翔一の部屋に戻らずに、信子さんを手伝って、夕食の食卓を整えた。

「麻里奈ちゃん、来てくれてありがとう。

私たち、やっとあの子が女の子に変わること、受け止められるようになったの。

もちろん、あの子がいちばん苦しんでるけど・・・

私たち、どうしたらいいかわからなくって・・・

でも、人様に相談するわけにはいかなくって・・・

からだの変化は、まだ進行中なの。

何度か、激しく変わるときがあって、そのときはとても苦しむの。

でも、どうしてあげることもできない・・・・・・

まだ、完全に女の子になってるわけじゃないの。

途中の段階、ってところかな。

・・・麻里奈ちゃんには叱られるかもしれない・・・

あの子ね、自分に女の子の名前をつけるって・・・麻奈ってつけたのよ・・・

あなたのなまえから・・・あの子の気持ち、わかってやって、許してやって・・・」

信子さんの目には涙が浮かんでいた。麻里奈の目にも大粒の涙が溢れた。

「さ、用意ができたわ。あの子、呼んできてくれる?」

 

麻里奈は、翔一の部屋に上がっていった。

「ありがとう、いま信子さんから聞いた・・・

翔一くんのこと、麻奈って呼んでいい?」

麻里奈の目の前にいる女の子は、大きな目を涙で潤ませて、こっくりとうなずいた。

「麻奈・・・」

麻里奈は、麻奈を抱きしめていた。

(翔一くん、私より15センチも背が高かったのに、私とほとんどかわらない。

からだの変化がいろんなところで起こってるんだ・・・)

 

食事中、麻奈はあまり口をきかなかった。食欲がなさそうだった。

「からだの変化が始まってから、体調がよくないの。

でも、変化がおさまったら、よくなりそうな気がする、って麻奈が自分で言うの。

始まったばかりのころは、もっとつらそうだった。2週間たって、ずいぶんよくなったのよ」

信子さんは、学校のことをどうするか、ご近所のことをどうするか、

あれこれ問題を抱えている、といった。時間をかけて、解決するわ、といった。

「あとかたづけはいいわ、麻奈の話を聞いてあげてちょうだい」

 

(3)

 

「中2の夏休みにグーおじさんの蔵で過ごしたとき、

わたし、本棚の隅っこに、新聞紙にくるんで、隠すようにしてある包みを見つけた」

麻里奈が、麻奈、と呼び始めて、「ぼく」が「わたし」に代わっていた。

 

なんか、エッチな本かもしれない、って、どきどきして・・・

開けてみたかったんだけど、でも、そんなことしたら、

グーおじさん、きっとわたしのこと怒るかもしれない、って・・・

そしたら、蔵の中に入れてもらえなくなるかもしれない、って・・・

そんな気がして、ちょうど信子さん、お墓参りに行くわよ、って、呼びにきて・・・

それで、そのときは忘れてしまったんだけど

東京に帰る日に、グーおじさん、わたしを蔵に呼んだの。

「俺が死んだら、この蔵の中のものは、みんなおまえのものんだ」

グーおじさんは、真剣な顔をしてた。

「おまえには、この宝ものの値打ちを、わかってもらえそうだからな」

あの新聞紙でくるんだ包みを見せた。

「俺が死んで、まだ本棚にこれが残っていたら、必ず棺桶に入れて、俺と一緒に焼いてくれ。

中にはいっているものは、世界中にたった一冊しかないという、古い書物だ。

中世の聖書の写本というものもおるが、俺にはわからん。

だが、どうやら、危険な書物のようだ。人目にさらしちゃいかん本なんだ。

もし、ここになかったら、心配せんでいい。

たのんだぞ。カならず焼いてしまうんだ。

このことは、だれにも言うな。俺とおまえだけの秘密だ」

 

翔一、いや、麻奈はぐったり肩を落とした。

「疲れた?」

「・・・」

「続きは、あしたでもいいよ」

麻奈の全身に疲労の色が現れていた。

麻里奈は、麻奈をベッドに寝かせる。

「ごめんね、麻里奈・・・とっても疲れた・・・わたし、眠い・・・」

「いいわ、また、あした、来る」

麻奈は、こっくりうなずいた。

ありがとう、と消え入りそうな声で言って、そのまま眠り込んだ。

麻奈は、すぐ寝息を立て始めた。

麻里奈は、足音を立てないように気をつけて、廊下に出た。

 

(4)

 

翔一は、蔵の中にいた。

明かりをつける。

シーン、と静まりかえって、耳の奥でジーンという音がする。

グーおじさんが示した場所に、それはあのときのままの姿でそこにあった。

古い新聞紙の匂いがした。

思っていたより重さがあった。

翔一は、蔵の中にもう少しいたい、と思ったけれど、

疲れているので休みたい、とも思った。

明かりを消して、外に出た。

扉を閉めると、母屋のほのかな明かりだけが見え、あたりは闇の静寂に包まれていた。

見上げると、星空が広がって、吸い込まれていきそうな気がした。

それは、この村が山の奥深くにあって、空気が澄み切っていることの証であった。

 

「おう、何か見つけてきたかい?」

おばあちゃんが優しい眼差しを向けて尋ねる。

「うん・・・」

「翔一、勝手に持ち出しちゃ、だめよ」

「いいんだよ、信子さん。

ここにいる者には、もう、話してあることなんじゃが、ふたりにも話しておこう。

グー兄さんは、遺言を残しとってね。ちゃーちゃん、見せておやり」

信子は、封書の中から取り出した書面に目を通した。

「そこに書いておるじゃろ。あの子は、蔵の中にあるものをみんな、

翔一に渡すようにな。じゃから、その包みは、翔一のものなんじゃよ」

信子は、蔵の中に膨大な書物があることは知っていたから、

翔一が譲られるといっても、受け取りようがない、と答えた。

東京には、しまっておく場所がありません。

「信子さん、心配することはありません。蔵の中身が翔一君のもの、

ということは、蔵も翔一君のもの、ということです。」

「でも、儀助おじさん・・・」

儀助おじさんというのは、この家の当主、おばあちゃんの長男で、

翔一の父、頼義の兄にあたる人だ。

「信子さん、この遺言は、グー兄さんの意志じゃが、

それは、すなわち、わしら御影家の意志、ちゅうことです。

それにのう、わしらだけの意志でもないんじゃ」

信子が訝る。

「信子さん、グー兄さんの遺言は、この村のもの全員に伝えてある。そうせんと、村の衆に納得してもらえんじゃろう。うちの者だけじゃない。村中の者がグー兄さんの遺言に従うと決めてしもうておるんじゃ。

グー兄さんが翔一君をいちばんかわいがっておったのを、知らんものはおらん。

みんな喜んでおるんじゃ。だから、遺言に従わないわけにはいかん」

「翔ちゃんが、いつでも使えるように、虫が喰わんごと、あたしがちゃんと気を配りますからの」

ちゃーちゃんが、ニコニコしながら付け加えた。

 

(5)

 

翔一は、包みを棺桶に入れなかった。グーおじさんの遺志に従わなかった。

包みは、東京に持ち帰った。

その夜、11時を回ったころ、翔一は包みを開いた。

思ったより小型の本だったが、相当古い本のようだ。

表紙に、金色の文字が埋め込まれるようにして書いてあったが、印刷してあるようには見えない。

文字は、翔一が知っているローマ字なのだけれど、英語ではなさそうだ。

表紙をめくると、天使たちがタイトルを囲むようにして舞っている色鮮やかなイラストが、現れた。

グーおじさんは、写本といっていたけれど、翔一は、その意味がわかった。

印刷した本ではない。手書きした厚手の紙を、本の形に綴じたものだ。

世界にたった1冊しかない本・・・

段落ごとに色がかえてあって、文字だけのページも、美しい。

翔一は引きずり込まれるようにして、1ページ1ページ捲っていった。

本の終わりに近づいたあたりで、ページ全体を使って描いてある、

男性の裸体像のイラストが現れた。

その裸体像は、写実的な、立体的なものだった。

均整がとれた、美しい筋肉質の全裸の男性像。

次のページは、前のページとほとんど同じ図柄の男性像だった。

だが、少しちがうところがある。

腕や脚、いやからだ全体の筋肉がたくましさを失って、

からだの線が全体的にやわらかく、少し丸みを帯びている。

そして次のページを捲り、さらに次のページを捲る。

1枚目の男性像が、だんだん女性化していく様子が描かれているのが、すぐにわかった。

男性器が萎んでいくのと反比例するように、乳房が次第に膨らんでいく。

5枚目で、女性の完成した裸身像が現れた。

翔一は、ダビデがビーナスに変身していく過程を見た気がした。

いったい、何の本なんだろう・・・

最後のページを開くと、そこには何かわけのわからない模様が描かれていた。

なんの意味もない模様のようだった。

しかし、吸い込まれていくような、不思議な図柄だった。

模様の中央の部分に文字が書いてあるのに気づいて、目を凝らしたとき、意識を失った。

 

意識を取り戻して、時計を見ると、午前3時を指していた。

どれくらい眠ったのかなあ

翔一は、本を元通り新聞紙で包むと、机の一番下の引き出しの奥、エッチ本の下にしまい込んだ。

 

(6)

 

午前の授業中に、フゥッと意識が途切れるような気持ちに何度か襲われた。

「めまいがして、気分が悪いので、早退します。」

「御影が早退なんて、珍しいなあ。顔色がよくないから、早く帰って、休め。

帰り道、気をつけるんだぞ」

担任の金峪徳治が、あまり心配もしていない様子で言った。

「バスケ部の部長には、俺から言っといてやる」

 

ベッドで横になっていると、信子さんが買い物から帰ってきた。

「どうしたの? 翔一が早退するなんて。鬼の霍乱かしらね。」

「うん・・・」

「熱が少しあるわね。お医者さんに診てもらう?」

「ううん・・・大丈夫だよ・・・」

「お昼。なにがいい?」

「いまは、何も食べたくない・・・」

「ふうん・・・大丈夫かしらね。思春期性何とかかしらね?」

 

信子に言われて、パジャマに着替え、ベッドにはいる。

信子が、部屋を出て行くときにはもう、寝息を立てていた。

旅行の疲れかしらね、と呟きながら、信子は下に降りていった。

 

翔一は夢を見ていた。

たくましい筋肉を持った健康な男が、からだ全体がやわらかい曲線でできている

美しい女に変身していく様子を描いた、あの連続した5枚の絵を夢の中で見ていた。

そして最後のページの不思議な模様が現れたとき、翔一は不安に襲われ、

全身に締めつけられるような痛みを感じた。

ウゥッ、という自分の唸り声で目が覚めた。全身にびっしょりと汗をかいて、

パジャマが湿っている。息が荒くなっていた。

 

トイレから戻ると、湿って気持ちが悪いパジャマを着替え、ベッドにもぐりこむ。

信子が夕食を持ってあがってくるまで、ぐっすりと眠り込んだ。

シンガポールから戻った父が、様子を見に顔を出した。

珍しく、早く帰ってきた、姉の綾美も、様子を見に来た。

「さっきより熱が上がったみたいね・・・大丈夫かな・・・」

「大丈夫だよ・・・信子さん・・・」

半分ほど口をつけただけで、翔一は横になった。

「パジャマ、取り替えてあげる」

 

午前零時を過ぎたころ、廊下の反対側の部屋で寝ていた綾美が、翔一の唸り声で目が覚めた。

「ウウッ・・・ウゥゥッ・・・ウ、ウウゥゥ・・・」

綾美は、両親を起こしに、階下の二人の寝室に駆け下りた。

「パパ、ママ、翔一が・・・翔一が・・・」

 

翔一は、ベッドの上で上掛けを跳ね除け、全身を蝦のように曲げて、痛みに苦しんでいた。

「いたい・・・いたいよう・・・いたいよう・・・」

からだ中に汗をびっしょりかいている。

「あぁ・・・いたい・・・いたい・・・!」

「救急車を呼ぶぞ!」

「ま・・・まって・・・まって・・・パパ! 救急車、呼ばないで!」

「どうしてだ!」

「呼ばないで!・・・おねがい!・・・呼んじゃ、だめ!」

「翔一、どうして?どうしてなの?」

「だめ! 呼んじゃ、だめだ! パパ、ママ、呼ばないで・・・」

「翔ちゃん、なに言ってるの! こんなに苦しんでるのに…!」

「わかってるんだ・・・なぜこんなことになったのか、わかってるんだ・・・

だから、救急車、呼んじゃ、だめ!・・・おねがい! 呼ばないで!

呼ばないで! お願いだから・・・」

「わかった・・・わかったよ、翔一、呼ばないから。おまえの言うとおりにするから」

「みんな、そばにいて! そばにいて」

「わかった、わかったよ、みんな、ここにいる、おまえのそばにいるから・・・」

翔一は、父の手をしっかり握り締めて、うつろな目を母と姉に向けている。

「わけは・・・わかってるんだ・・・・・・せ、説明するから・・・聞いて!」

「ああ、聞いてるよ、聞いてるとも・・・」

「パパ、どうしたらいい? どうしたらいいの?」

「この子が言うとおりにしよう」

「そんな・・・ひどい! ひどいじゃない! こんなに苦しんでるのに!」

翔一の荒い息が少し収まった。

「タオル、取ってくる」

「ママ、行かないで! ここにいて!」

「わかった、いっしょにいるわ。ずっとそばにいるから」

信子は、タンスの引き出しからタオルを取り出して、翔一の汗を拭いた。

「パパ、ママ、綾美・・・こうなったわけ、わかってるんだ・・・

痛いのがやんだら、話すから・・・それまで、待って・・・」

3人は、約束する、と強い意思を表すようにうなずいた。

翔一の顔にほっとした表情が浮かんだ。

 

(7)

 

翔一は、自分のからだに何が起こっているのか、わかっていた。

あの本のイラストのように、翔一のからだが、男から女に変わり始めたのだ。

からだ中の骨と筋肉が、内臓が、めりめりと軋み音をたてている。

グーおじさんが、3年前の夏、翔一にたくした遺言に従わなかった罰、厳しくて激しい罰だった。

(ぼくは、女のからだに変わっていく・・・助けて・・・グーおじさん・・・助けて・・・)

 

「なんだかわからん・・・わからんが、この子の意志に従おう。

後になって、おまえたちに恨まれることになるかも知れん・・・

でもね、なんだかわからんが、こいつが必死になっていってるんだ・・・

俺は・・・俺は聞いてやろうと思う・・・」

「わかったわ・・・あなたのおっしゃるとおりにします」

綾美も、目に涙をためながら、お父さんの言うとおりにします、と答えた。

 

3人は、その晩を、翔一のそばで過ごした。

激痛が襲ってくるたびに、父はしっかり手を握ってやり、母は腰をさすってやった。

「わたしたちがついているから、綾美、おまえはおやすみ」

「ううん、わたし、そばにいてやりたいの」

何度かパジャマを取り替えてやるうちに、3人は、翔一のからだつきが

少しだけ変化していることに気が付いた。

全体に少し小さくなって、そして、丸みを帯びている。

腕や足の筋肉が、少し落ちたようだ。

痛みが小康状態になると、翔一は深い眠りに落ちた。

しばらくすると、再び激痛に襲われる。

次の激痛までの時間が次第に延びていき、夜が白みかけるころ、どうやら治まった様子で、

ソファでうたたねしている綾美を、ようやく自分の部屋に行かせた。

「なにがおこったのかしら・・・」

「翔一が、話してくれるよ」

「あなたも少し休むといいわ。少しは休んでおかないと、仕事に差し支えるわ」

「じゃあ、そうさてもらおう。何かあったら、起こしてくれ」

 

夫と娘を送り出したあと、信子はキッチンのテーブルで、吸い込まれるように眠り込んだ。

時計を見ると10時を過ぎていた。

「翔一、気分はどう? 熱が少しあるみたいね。」

パジャマの上着を着替えさえようとして、信子は翔一の胸の異変に気がついた。

まるで、ふくらみはじめた乳房のように、はれている。

「ママ、ぼくの話を聞いて」

 

信子は、翔一の話がすぐには信じられなかった。

グーおじさんの本のせいで、からだが女の子に変わってしまう、という。

確かに、胸のふくらみは、乳房の始まりに見えなくもない。

「ぼくの全身を見て」

翔一はベッドから起き上がると、後ろ向きになって、全裸になった。

信子は、ハッ、と息を飲んだ。

からだ全体が、たくましさを失って、丸みを帯びている。

女の子のからだとはいえなくても、ゆうべ、パジャマを取り替えたときの

翔一のからだとは、明らかに違っていた。

「ここも、見て」

向き直ってからだの正面を見せたとき、信子は頭の中がまっしろになった。

ペニスが、親指ほどに小さくなっていた。

「ほんとうに、女の子のからだになるの?」

「うん・・・」

 

信子の説明に、父と姉は驚いた。信じがたい話であった。

しかし、翔一の身に、現実に起こっていることでもあった。

「パパは、おまえのために、なんでもするから」

「綾美、死ぬまでずっと翔くんの味方だからね」

 

(8)

 

数日、小康状態が続いた。少しずつ変化が進んでいるのだろうけど、

あの夜のような激しい変化に襲われることがなかった。

家族全員がひとつになり、事態をどう乗り越えていくか思案し、話し合った。

翔一の説明では、変化はまだ始まったばかりで、多分、女の子のからだが

『完成』するまでには、しばらくかかりそうだった。

学校には、病気のため、しばらく欠席する、と連絡した。

ご近所の目があるけれど、翔一は当分のあいだ外出できるどころの話ではないから、

当分はごまかせるかもしれない。

結局、しばらく様子を見ながら、状況に対応していくことになった。

 

翔一は、トイレに行くほかは、ベッドに横たわっていた。

からだのどこもかしこもが鬱陶しくて、じっとしていたかった。

日に日に乳房がふくらみを増し、ペニスが小さくなり、

ほんの数日前まで着ていたパジャマが、からだに合わなくなった。

ウエストが女の子のようにくびれだし、パジャマのズボンを穿いても、すとんと落ちてしまう。

これから、どうなるんだろう。ぼくのからだは・・・

女性に変身することからは、逃げられそうにない。

それに、きもちも女のこのように変わっていってる・・・

からだつきだけでなく、言葉づかいまでも、

まるで自然なことであるかのように、女性化が進んでいた。

運命として受け入れるしかない、というあきらめの気持ちが、

激しい痛みに繰り返し襲われたあの夜から、翔一をとらえていた。

 

1週間ほどたった、ある日の午後、再び激痛が襲った。

信子は一人で対処しなければならなかった。

あの晩と同じように、翔一は間歇的に襲ってくる激痛にもだえ苦しんだ。

またひとまわりからだが小さくなり、乳房が膨らんで、頬も丸みを帯びて、

翔一の面影を残しながら、女の子へさらに大きく変化した。

もう、翔一のパジャマは着られなくなった。

 

激痛に襲われると、パジャマのズボンのゴムが翔一を締め付けて、痛みが増すようだった。

信子は、自分のネグリジェを持ってきて、着るように勧めた。

翔一は、泣きそうな顔をして、いやだ、と叫んだ。

女の子のからだにかわっていくのはしかたがない。

でも、女性用の衣服を着ることになるなんて・・・耐えられない。

「ごめんね、翔一。ママね、これのほうが少しは楽になるんじゃないかって思って・・・

翔一の気持ち、考えられなくて、ごめんね・・・」

 

「ママ、ママが言うとおりにする」

「ママのだと、小さそうだから、新しいの、買ってきてあげる、それまで、ママのを着ていてね」

翔一は、信子の淡いクリーム色のネグリジェを着た。

どこもからだを締めつけるところがなくて、ママが考えたとおり、楽になった。

(ママには、ぼくの姿は、どんな風に見えてるんだろう・・・)

翔一は、ずっと鏡を見ていない。

トイレの横には洗面台があるのだけれど、怖くて鏡をのぞけない。

「やっぱり小さいわね。綾美が帰ってきたら、ママ、デパートにいって買ってくるわ」

 

その夜、ママが買ってきた、純白のネグリジェを着て、眠りについた。

ママからの借りものではない、自分のネグリジェ・・・

 

(8)

 

変化は進行した。家族の目にはっきりとわかる速度で。

2週間のあいだに、髪の毛が伸びて、肩にかかるまでになった。黒くて艶やかな髪。

外見は、すっかり女の子に変わった。

その日も、微熱が残り、からだ全体に鬱陶しい感じが続いていたが、

だいぶ気分がよくて、起き上がることにした。

さらに小柄になったからだにあうようにと、綾美が買ってきた、ピンクの

ネグリジェを着て、机の前に座った。

グーおじさんのお通夜の晩から今日までのことを思い出しながら、ぼんやりしていた。

机に立てかけた写真たてが目に止まった。

春休みに、麻里奈とならんでディズニーランドで写した写真。

二人は、カメラに向かって楽しそうに笑っている。

麻里奈、どうしてるかな・・・心配してるだろうな・・・でも、二度と会えない・・・!

悲しみが込み上げる。

写真をホルダーから抜き出して、つらい思い出とお別れしよう、という気持ちで、

2つに引き裂いた。

人のけはいがして、振り返ると、麻里奈が立っていた。

 

信子は、麻里奈を家に送り届けて、家に戻った。

台所では、綾美が洗い片づけをしていた。

夫は、食卓で新聞を広げている。

「世間に隠しとおすのは難しいな。あの子が、生きていくためにも、なんとかしなくちゃな」

「どうすればいいのかしら」

「あの子が世間との軋轢を乗り越えてゆくのに、どんな手助けができるかなあ」

「ついこのあいだまで、バスケやってた子が、実は女の子でしたなんて、説明つかないよ」

「ううん・・・」

「パパ、四国のおばあちゃんに相談してみたら・・・?」

「そうだな、報告したほうがいいだろうな」

「おばあちゃんには、言っとかなきゃ」

「グー兄さんにお線香上げてないからな、それもかねていってくるよ」

 

その夜、3度目の激痛が、麻奈を襲った。

麻奈の下腹部で、激しい変化が起こっていた。

何かを挿し込まれて、かき回されているような責め苦を味わっていた。

「ママ・・・ママ・・・おなかが痛い・・・いたい・・・」

そこを抱え込むようにからだを丸めて、ベッドの上でもだえ苦しんでいた。

外見がすっかり女の子にかわってしまった麻奈の苦しむ様子に、

家族3人は、少しでも痛みを分かち合えたら、と願いながら、見守っていた。

(かわいそうに・・・かわいそうに・・・なんでこの子がこんなに苦しまなくちゃならないんだ・・・)

からだを縮こまらせて悶えている麻奈の姿は、まるで幼い子が痛めつけられているように見えた。

2時間もすると、苦しみが終わり、ぐったりとしたまま、麻奈は眠ってしまった。

父親は部屋から出て行き、信子と綾美でじっとりと汗ばんだ麻奈のからだを拭いてやり、

ネグリジェを着替えさせた。

 

(10)

 

朝の食卓の準備をはじめたところに、麻奈が降りてきた。

「パパ、ママ、綾美、おはよう」

3人は麻奈を見つめた。

「そんなに、じろじろ見ないで」

「大丈夫か?」

「うん、大丈夫。おなかがすいた。一緒に食べて、いい?」

「もちろんさ」

「いま、したくするから」

「だいぶ、気分、よさそうだな」

「かおいろ、いいよね」

「ああ、本当だ。このまま、痛むのが終わるといいな」

「4人そろって朝ご飯食べるの、ずいぶん久しぶりみたい」

 

信子は、夫と娘を玄関先に見送ると、台所に戻った。

「ママ、心配かけたけど、多分、終わったんだと思う」

「終わった、って?」

「終わったの。からだじゅう、どこもみんな、女の子になったんだと思う」

熱が消えてしまったみたいだし、からだのどこにも、鬱陶しい感じがなくなった、と麻奈は説明した。

「だから、終わったと思うの」

「よかった・・本当によかった・・・ママ、うれしい・・・」

信子はテーブル越しに麻奈の手をしっかり握り、ぽろぽろと涙をこぼした。

麻奈の大きな両目からも、涙が溢れ出た。

信子は、泣き笑いを浮かべて言った。

「ママ、一人息子を失ったけど、こんなかわいい女の子ができた・・・」

「ありがとう、ママ」

麻奈は、何度も言おうと思ったが、とうとう口にできなかった。

昨夜の激痛の果てに、麻奈は外見だけでなく、体の奥の部分も女性のものに変わっていた。

今朝、トイレに行ったときに、確かめた。

きのうまでかすかに残っていた男性器があとかたもなく消えていた。

そこには、ふっくらとやわらかい女性器が出来上がっていた。

 

「シャワー、浴びていい?」

「いいわよ。熱いお湯を浴びたら、気持ちが晴れるわ」

麻奈は脱衣籠にネグリジェを入れると、浴室に入った。

鏡が目に入った。

一瞬、足が止まる。

(怖い・・・)

足がすくむ。

自分の全身を見るのが怖い、麻奈は目を閉じてしまった。

この2週間あまり、自分のからだの部分部分が変化していくのを、見てはいた。

指、手、腕、足

どの部分も、少しずつ小さくなっていって、女の子らしい、華奢な愛らしいものに変わっていた。

乳房はふくらみを増し、ウエストはくびれ、お尻はふっくらとなって、

肌も柔らかな、すべすべとしたものに変わっている。

でも、鏡に映してみることは、怖くてできなかった。

2階の洗面所の鏡に顔をうつすこともなかった。

「ママ・・・ママ・・・来て・・・こわい・・・」

信子は、鏡のまえでふるえている麻奈を抱きしめた。

「ママ・・・こわい・・・鏡を見るのがこわい・・・」

信子は、麻奈をしっかり抱きしめて、ふるえがおさまるのを待った。

「麻奈、だいじょうぶ・・・ママがいるから、こわくないわ・・・」

かつて自分を信子さんと呼んでいたたくましい息子が、

いま、甘えて、ママと呼ぶ娘に変わっている。そういう麻奈がいとおしく、

麻奈の運命を思うとせつなくて、しっかりと抱きしめた。

「ママがいっしょにいるわ。麻奈、とってもかわいらしい女の子になってるのよ。

目を開けてご覧なさい。」

麻奈は、おそるおそる目を開けた。

鏡の中に、ママに付き添われるようにして、全裸の女の子が立っている。

鏡の中の女の子と視線がであったとき、これが自分の今のすがたなんだ・・・と納得した。

翔一の面影はなかった。からだつきは、まったくの別人だった。

いつのまにか肩まで伸びた髪が、首筋に沿って背中のほうに流れていた。

ぴんと張って突き出している乳房がまぶしかった。

 

(11)

 

ママのバスローブを着せてもらった。

それから、パパとママの寝室へ行き、ドレッサーの前で、髪を乾かしてもらった。

鏡に映った母娘の顔は、よく似ていた。ママが、背後から麻奈を抱きしめ、うなじにキスをした。

鏡に映った互いの目を見つめ合った。二人の顔に喜びが溢れている。

「麻奈のお洋服、買いに行かなきゃね」

「人目につくよ」

「それが心配ね・・・お向かいの松野さん、ちかごろ、翔一君、お見かけしませんねって」

「綾美に買ってきてもらおうか」

「そうね、それもいいけど、お買い物、自分でしたほうがいいわね」

「なんだか、気持ちも、すっかり女の子になったみたいな気がするんだけど」

「でも、ゆうべ麻里奈ちゃんと話してるとき、男の子みたいなところ、あったわよ」

 

「これ、はきなさい」

ママが、ブルーのパンティをさしだした。

「ママのだけど、一度しか穿いてないから」

ママの年ごろのひとむきの、おしゃれなパンティ。麻奈は、顔が赤くなった。

「麻奈、女の子になったんだから、男の下着つけるわけにはいかないわ」

「うん、わかってるんだけど・・・でも、やっぱり恥ずかしい」

「麻奈の下着、まだ何も買ってないの。痛みが出てるとき、パンツのゴムがあたってるだけで、麻奈、痛がったから。今日は、これをはいておきなさい。」

麻奈は、バスローブのひもを緩めると、ママのパンティをはいた。

ママのパンティは、すべすべして、肌触りがとてもよかった。

 

(12)

 

麻里奈は、午前の授業中、麻奈のことばかり考えていた。

(翔一くんに戻ることって、ないのかなあ・・・もどらないんだろうなあ・・・

翔一くん、ディズニーランドでうつした写真、破ってたもの)

同じ写真が、麻里奈の部屋にもある。ゆうべは、それを見ながら、泣いていた。なみだが、とまらなかった。

昼食を食べ終わったころ、携帯が鳴った。

「麻里奈、きのうは、ありがとう」

「翔・・・麻奈!」

思ってもいなかった電話に、麻里奈は嬉しくなって、大きな声を出していた。

同級生たちの注意を引いてしまって、しまった、と首をすくめる。

「からだの調子、どう?」

「ありがとう、もう、だいじょうぶ」

「きょう、行っていい?」

「うん・・・おねがいがあるんだけど・・・」

麻里奈は、ことわられるのかと思って、がっかりした。

「洋服、買いに行きたいんだけど、つきあってくれない?」

「エェッ! もちろん、いいよ」

 

約束の時間に、小田急の駅前のロータリーで待っていると、

信子さんが運転する車が麻里奈にスーッと寄ってきた。

このまちの、同級生が集まる場所は、まずいから、都心に出るわ、

と信子さんが行って、後部座席に麻里奈と麻奈を乗せて発進する。

麻奈は、見覚えのある服を着ていた。

「これ、綾美さんの?」

「そう。綾美、最初はどれでも好きなの着ていい、って言ってたんだけど、

結局なんだかんだ言って、これだけOKになって、これだったら、麻奈にくれるって」

「似合ってるよ・・・学校、どうするの?」

「いま、考えてるとこ。わたし、もと御影翔一、いま麻奈です、なんて、言えないもん」

「麻奈、転校する、なんて言わないよね」

「その件は、いまはおいときましょうね。きょうは麻奈の洋服と靴を買うのです」

「わかりました、信子さん」

「麻里奈ちゃん、この子ったら、私のこと、ママって呼んでるの」

「ヘエ、ね、どうして?」

「うふふ」

 

都心のデパートで、真っ先に下着売り場に行った。

麻奈はブラジャーをつけていない。

パンティは、ママので間に合わせても、ブラジャーは、ママのも、綾美のも

サイズが合わなかった。

ノーブラの胸が揺れて、通りすがりの人目を引いた。

店員さんにきちんとはかってもらって、サイズを決める。

「こちらへどうぞ」

店員に案内されて試着室にはいる。

「上、脱いでくださいね。」

「エッ?」

「きちんとはかったほうが、いいですよ」

ブラウスを脱いだ。

店員さんは、メジャーを当てて、麻奈の胸のサイズを測った。

「やだ、麻奈ッたら、わたしのよりおっきい!」

店員さんがくすっと笑った。

麻里奈が、白とピンクと2枚を選んだ。

パンティを選ぶとき、麻奈は突然恥ずかしくなって、

ママたちにまかせる、といって、下着売り場から逃げ出した。

麻里奈は、突然男の子の気持ちに戻った麻奈がおかしかった。

信子さんが、麻里奈の耳もとで、あの子、ときどき翔一の気持ちに戻るの、とささやいた。

スカートや、ブラウスや、ワンピースや、サマーセーターや、

あれこれ見て回りながら、信子さんは、どんどん買っていった。

麻奈の身につけるものは、みんな買うつもりらしい。

麻里奈が信子さん、もうもてないよう、というと、一度車に戻ることになった。

それからもう一度買い物をして、レストランで食事をして、麻里奈を送り届け、家に帰り着いた。

夕べの話の続き、できなかったけど、また、今度ね・・・

 

(13)

 

パパも綾美もあきれ顔をしたが、麻奈が身につけるものは、下着1枚ないのだから、

トランクルームいっぱいに詰め込んだ、山のような買い物袋を、

麻奈の部屋に運び上げるのを手伝ってくれた。

 

「翔一の服、どうする?」

「とっておくわ。みんな思い出がいっぱい詰まったものばかりだもの」

「みんなとっておくことないよ、ほんとは、全部すてようって考えてたんだ。

翔一はもういない。ここにいるのはわたし、麻奈よ」

「ごめんなさい、麻奈。それはそうだけど・・・」

「ママの好きにしていいけど、でも、麻奈は、麻奈として生きることに決めたんだから」

「・・・あ、かわいい!」

「綾美、やめて。はずかしいじゃない!」

綾美が、デパートの包みを開けて、麻奈の下着を引っ張り出した。

「うらやましいい・・・わたし、こんないっぱい買ってもらったこと、なあい!」

「綾美、おとこに変身しなさい。そしたら、いっぱい買ってもらえるよ」

「あなたたち、ばかなこと言ってないで、さっさと片づけなさい」

「おとこに変身したら、この部屋の服、ぜーんぶあげます!」

「2人とも、やめてちょうだい!」

クロゼットにかかっている翔一の服をかたづけて、麻奈の服をかける。

引き出しにおさまっていた男物の下着のかわりに、

かわいらしい、カラフルな女の子用の下着がおさまる。

「わぁ、かわいいパンティ!」

白いレースの縁飾りがついた、かわいらしい赤いパンティを、綾美が広げる。

「麻里奈がえらんだの!」

「ふうん、そうなんだ」

「あなたたちにやらせとくと、いつまでかかっても、おわらないわね」

女3人でわいわいいながら、遅くまでかかって、ようやくかたづいた。

ひとりになった麻奈は、壁のポスターをじっと見つめていた。

マイケル・ジョーダン

からだの痛みが小康状態のときに、このポスターを眺めていると、

バスケをやる日は2度とこないんだ、というせつない思いがこみ上げてきて、何度も涙を流した。

立ち上がると、ゆっくりそのポスターをはがし、小さく折りたたんだ。

ママが戻ってきた。

「家具も、カーテンもとりかえようね。麻奈の部屋らしく変えましょう」

ブラジャーのつけ方を教えてくれた。

両手を背中にまわしてホックを留めるのが、ちょっときつかった。

ママが、肩ひもを調節してくれた。

「きつくない?」

麻奈は、初めてブラジャーを着けるのがとってもはずかしかった。

こっくり、うなずく。

「よかった、ぴったりね。麻奈は、おちちが大きいから毎日、ちゃんとつけるのよ。

つけなかったら、ダラーンて、垂れ下がっちゃうわよ。

それから、ママのパンティ、かえして」

麻奈はスカートをおろし、ママのパンティを脱いだ。

「麻里奈ちゃんが、いろんなパンティ、選んでくれたから、好きなのをはくといいわ」

「ママ、ありがとう」

ママが出て行くと、麻奈は、ブラジャーとおそろいのピンクのパンティをはいた。

鏡にうつして見たい、と思った。

あした、シャワーを使うときに・・・

 

(14)

 

「きょうの最終便で、四国に行ってくるよ。」

「どうして?」

「麻奈、おまえのこと、おばあちゃんに相談に乗ってもらおうと思うんだ。

グー兄さんにお線香も上げてこようと思う」

「わたしも、つれてって!」

パパは、麻奈の目をじっと見て、考えている様子だった。

「そうしよう。羽田を19時発の便だ。」

「わたしが麻奈を空港まで送るわ」

「じゃあ、チェックインカウンターのところで待ち合わせしよう」

「松山に着くのはずいぶん遅くなるけど、今夜じゅうに村まで行くの? 心配だわ」

「いや、今夜はホテルに泊まって、明日の朝でるよ」

 

翌朝、レンタカーでホテルを出た二人は、10時前に村の本家についた。

麻奈のことは、前もって話しておかなかった。頼義が女の子をつれているのを、

本家のひとたちはいぶかしがって、ちゃーちゃんは不快な顔をした。

でも、不思議なことに、おばあちゃんは、麻奈を見るとすぐに、翔一も来たのかい、と言った。

家族のものは、みんなびっくりし、立ちすくんだ。

「さあ、さあ、おあがり、よく来たねえ」

儀助さんも、ちゃーちゃんも、呆然とした表情で、頼義と麻奈の後につづいて母屋にはいる。

 

頼義は、この2週間あまりの出来事を、詳しく話した。

ちゃーちゃんは何度も涙をぬぐいながら聞いていた。

話の最後に、頼義は、翔一が、麻奈として生きていけるよう、どうぞお知恵を貸してください、

と両手を畳についてふかぶかと頭を下げた。

聞き終えて、儀助もちゃーちゃんも、ため息を漏らした。

おばあちゃんは、そうかい、そうかい、大変なことでしたのう、と何度も何度もうなずいた。

「儀助、お昼を済ませたら、村のおもだった人たちを集めておくれ」

 

村長さん、助役の宇品さん、澄建寺の住職さん、医者の石槌先生が、顔をそろえた。

おばあちゃんが、二人がこの村に来たわけを手短に話した。

「翔一君も、頼義さんも、大変じゃったのう」

「なんとかせんとのう」

何時間かかかって、細かいところまでつめて、結局結論が出たのは、夕闇が迫るころだった。

石槌先生が診断書を作って、翔一がこの村で転地療養をすることにする。

それから、頼義は、四国の親戚の娘、御影麻奈を預かって、東京の学校に通わせる。

村長と住職が、麻奈の戸籍は何とかする、という。

「非合法なことじゃが、みなの力で、何とかやり遂げましょう」

「このことは、わしらだけの秘密じゃ。絶対に口外してはなりませんぞ」

「それこそ、グー兄さんへのご恩返しというもんじゃ」

「供養にもなろう」

 

(15)

 

御影翔一は、学校に一度も姿を見せないまま、四国の山奥の村に行ってしまった。

信子は、麻奈と毎日買い物に出かけた。

麻奈が女の子になるための教育をした。

近所の人と顔を合わせると、翔一が四国で療養すること、この子は、四国の親戚から預かったことなどを説明した。

家事を手伝いながら、炊事、洗濯、掃除などを憶えていった。

麻奈には、その一つ一つが新鮮で、楽しかった。

麻里奈は、麻奈を外出に誘った。

遊びに誘い出しては、麻奈に女の子としての常識を教えた。それを面白がっていた。

 

麻里奈の両親には、信子が出向いて、麻奈をどうぞよろしくお願いします、と挨拶した。

「翔一君は、大変ですな。しかし、転地先は、水も空気もきれいだというお話ですから、

きっとよくなりますよ・・・可愛らしいお嬢さんですな」

麻奈は、その夜は、浅野の家で夕食をご馳走になり、

結局そのまま麻里奈の部屋に泊めてもらうことになった。

麻里奈の妹の紗里奈を交えて、3人で夜遅くまでおしゃべりをした。

麻奈は、女の子としての基本的な知識を欠いている。

見当はずれのことを言っては、紗里奈を笑わせた。

麻里奈は、東京に出てきたばかりの麻奈をからかうなんて、失礼よ、と妹に腹を立てた。

麻奈は、麻里奈のパジャマに着替えた。麻奈も麻里奈も、頬が紅潮する。

1つのベッドに寝ることになった。

「麻奈、わたし、ずっとあなたのそばにいる・・・」

「・・・」

二人はキスをして、眠りについた。

夜が白みかけたころ、まどろみのとき、麻奈は、お尻のあたりにぬめりを感じた。

そっと指を当ててみると、血がついていた。

「麻里奈・・・麻里奈・・・起きて・・・」

耳もとでささやいた。

ほぁ、というかわいいあくびをして、麻里奈が目を覚ます。

「麻奈、どうしたの?」

「わたし・・・アレみたい・・・」

「あれって?」

「せ・い・り・・・」

「せいり?・・・せいりって・・・あの生理?」

「たぶん・・・」

「はじめてなの?」

「うん・・・」

「だいじょうぶ、こわがらないで。どうするか、おしえてあげるから」

経血が、パンティを通してパジャマとシーツを汚していた。

「麻里奈・・・ごめんね・・・」

「心配しないで・・・こんなこと、よくあることなんだから・・・」

「ほんとに?」

「ほんとよ。麻里奈も失敗すること、あるんだから。それに、うちのママには、

わたしが汚したって言うから、ほんとに心配しないで・・・」

「わかった・・・ありがとう、麻里奈」

「パジャマとパンティ、着がえて」

麻里奈が、替わりのパジャマを出してくれる。

「パンティ、余分にもってきてないの・・・・」

「あ、ゆうべお風呂にはいったあと、はきかえたんだね。じゃ、わたしのかしてあげる」

「ごめんね」

麻里奈は、生理用ナプキンを麻奈に見せる。

「ナプキンのここのところにテープはってあるでしょう・・・これをはがすの・・・

ここの粘着テープみたいなとこ、パンティにくっつける・・・わかる?」

「うん・・・」

「たぶん、この辺の場所でいいと思うんだけど・・・私はこの辺なの」

麻奈は、パンティをはきかえる。

「ありがとう」

「なんでもきいてね」

 

「ママ」

「なあに?」

「けさ、生理がはじまった」

「え?」

「生理がはじまったの」

信子は、この子が、からだの中まですっかり女性に変身してしまったことに、当惑した。

翔一が、目の前にいる女の子に変わっていく経過を、ずっと自分の目で見つめてきたのに、

やはり、どこかで、男の子にもどってくれたら・・・という気持ちが残っていた。

この子が、子供をうめるからだに成長したことが、信子に複雑な感情を起こさせていた。

自分用に買い置きしてあるナプキンの包みを麻奈に渡した。

 

(16)

 

深夜、麻奈は、グーおじさんの本を開く。

一度は蔵の書架に戻そうと考えて、四国まで持っていったのを、東京に持ち帰った。

家族にこの本が秘めている魔力とでも言うべきものについて説明したとき、綾美は『呪いの本』とさえ呼んだのだが、父も母も焼いてしまいましょう、といった。

麻奈は、いつか、解読できるかもしれない、謎が解けるかもしれない、といって、3人を説得した。四国の人たちも、麻奈の考えを了承したのである。

例の男から女へ変身していく過程を描いた5枚のイラストを、もしかして、逆の順に眺めたら、女から男に戻れるのではないか知らん、と考えて、1度試みてみたものの、何の変化も起こらなかった。

麻奈として、女として生きていく決心はできているつもりなのだが、時に、真夜中、一人ぼっちでいると、翔一に戻れたら・・・と考えることもあった。

女のからだに慣れていくに連れ、麻奈はしだいに活発になっていた。生きていく力が、からだ中に湧き上がるような実感があった。スポーツをやってみたい、と思った。

あのころのように、バスケがやれたら・・・

啓太たちはどうしているんだろう・・・

そんな願望が、夜中に本を開かせるのかもしれない。

いつか、呪いがとける日が来るかも・・・

それとも・・・

 

 

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