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聖命樹の大地2
作:KCA




3.魔性の求婚



光 は 闇 の 憧 れ 闇 は 光 の 哀 し み
闇 は 光 を 飲 み 込 み 光 は 闇 を 制 す
運 命 に 裂 か れ し 二 つ の 魂 も し 巡
り 逢 わ ば
古 え の 覇 王 の 力 そ の 手 に す る 事
も 可 な り …


「フフフ…もうすぐだ、もうすぐ」
何処とも知れぬ深い闇の中で、微かな笑いを含んだ声が呟く。
「おいで、私の可愛い小鳥。もうすぐこの手に捕えてあげる」
甘く切ないかすれ声には、男女いずれを問わず、妖しい欲情−そして同時に底知れ
ぬ戦慄を抱かせる響きが滲んでいる。
「待っておいで、愛しい娘。必ず貴女を手に入れよう」

「この城の傭兵募集所はどこだい?」
城門の前の詰所で、ついうたた寝していた門番は、突然声を掛けられて、吃驚して
飛び起きた。
「はいはい、起きてます。居眠りなんぞしてません。誰も不審な奴は通って…」
寝呆けて上司からどやされたのかと、勘違いした門番の目に、不細工な中年の上司
とは似ても似つかぬ美しい少女の顔が映った。
「あ…はぁ、これは…?」
ようやく目が覚めたものの、状況の突飛さに、未だ初老の門番は何を言われたのか
理解していない。と、その時、
「聞こえなかったのかい、オッさん?この城じゃあ、傭兵はどこで雇ってくれるか
って尋いてんだ」
景気のいい声が少女の後ろから聞こえ、長身の若者がぬっと姿を現した。
「(ゴホン)何だお主、傭兵か?」
若者のいでたちを上から下までじろじろと見回すと、門番はフンと鼻を鳴らした。
「まぁ、合格点だな。募集所はこの奥のすぐ左側、東中門の脇にあるよ」
「そうかい、邪魔したな。こいつは手間賃だ」
若者−エイドスが親指で銅貨を一枚はじくと、宙を飛んだ銅貨はピッタリ門番の鼻
先に落ちて来た。
「おっと…」
つかみ損ねて慌てて拾い上げる門番を尻目に、二人は外門をくぐった。
「いい城だな。見栄えも中々だが、それよりも外敵の侵入に対して、合理的な気の
回し方がしてある」
「…」
感心したように呟くエイドスの方を振り向きもせずに、ティファは目指す傭兵募集
所へとズンズン進んで行く。
「−おい、なぁ、ティファ。俺、何か怒らせるような事したか?」
「−別に」
「じゃあ、何でそんなに不機嫌なんだよ?」
「…さあ。」
(自分の胸に手を当てて考えてみろよな。)
ティファはいささかげんなりしていた。
確かに、エイドスが旅の同行者となる事を暗黙の内に了解はしたが− だからと言
って、始終のべつ間も無しに喋べりかけられ、まとわりつかれるとは思ってもみなか
った。
とにかく調子が良くて軽いのだ。
ある時は十年来の気安い友人のように振舞ったかと思うと、またある時は自分の恋
人にでも対するかのように馴れ馴れしい。
この三年間友人らしい友人を作らなかったティファにとって、世慣れたエイドスの
存在は、それなりに心強い事もあったが、どちらかと言うと鬱陶しい面が強い。
「おい、コラ、貴様ら。この城に何の用だ」
不意に背後から呼び止められて二人が振り返ると、そこには誇張抜きでまさに「見
上げるような」大男が立っていた。
ひたすらデカい。かなり長身のエイドスよりもさらに軽く頭半分は上背が有るのに
加えて、その全身を大量の筋肉が覆っているのだから、彼との体重差は二倍以上にな
るだろう。まして、ティファと比べれば、完全に大人と子供だ。
「怪しげな奴らだな− お前は傭兵に応募しに来たのか?」
髭面から発せられる野太い声には、中々の貫禄と迫力が満ちている。
鷲の紋章が入ったプレイトメイルを着ているからには、一応この国の騎士なのだろ
うが、どちらかと言うと、熊の毛皮を着て斧を担いだ野蛮人の方が似合っている。
「そうだ。募集所はこちらの方だろうか?」
エイドスの平易な−彼にしては丁寧な方なのだが−口のきき方が、どうやら巨漢騎
士の気に障ったらしい。
「はっ、女連れの傭兵だと?如何にも訳有りですって言っているようなものではな
いか。そんな胡散臭い奴は、この城にいらん。それとも、その娘の方は女中にでもな
るのか?」
それまでずっと黙っていたティファが、ここで初めて口を開いた。
「私も戦士だ」
一瞬目が点になった騎士は、次の瞬間、大口を開けて豪快に笑い出す。
「はぁっはっはっ− こいつはいいや。気の利いた冗談だ。おい、お嬢ちゃん、そ
の剣は野菜でも切るのに使うのかい?それとも、猫の子一匹ぐらいは仕止められるの
かな?」
(うわー ティファの奴、「お嬢ちゃん」と呼ばれるのを一番嫌がるんだよなぁ…

そっとエイドスが様子を窺うと、案の定、彼女の目が真剣になっている。
(こりゃ、駄目だな)
「試してみるか?」
何っ?と聞き返す間も無く、巨漢の懐に入り込んだティファの剣が一閃し、同時に
サッと跳びすさって巨漢の間合の外に出る。
「おまえ、今何を…」
した、と続ける前に、巨漢の騎士の洋袴がずり落ちて、毛むくじゃらの脛が剥き出
しになる。
「貴様ァーッ!」
真っ赤になった巨漢の顔は怒りと屈辱がない混ぜになったためだろう。
腰から吊した段平を、ズンバラリンという擬音付きで引き抜く。
「どうする、ティファ。交替するか?」
「いらないよ。この手合のデクノボーの扱いには慣れてる」
ノンビリとした会話が、またさらに巨漢を刺激する。
「おやめなさい!」
突然、城の中門の方から、凛とした声が飛んで来た。
門の中から足を踏み出し、姿を見せたのは、黒衣の少女だった。十七、八歳位だろ
うか。高く結い上げられたた黒髪と、同じ色の瞳が印象的だ。遠目にもわかるその美
しさと高貴さに、見る者は魅了されずにはいられまいが、同時に、黒で揃えられた装
いはどこか凶々しい予感を感じさせる。
「ひ、姫様…申し訳ありません。ですが、この者共が私めを−」
途端に巨漢の態度が急変する。
「挑発したのは貴方の方でしょう、アネデル卿。しかも、か弱い女性に向かって剣
を抜くとは−」
「か弱いねぇ…」
エイドスは小声で呟いてチラとティファの方を見る。
「ともかく、これ以上の狼藉は許しません。早々に立ち去りなさい」
どうやらこの城の姫君らしい少女は、侍女を両横に従えて三人の方へ歩み寄りなが
ら、ピシャリと決めつける。
巨漢は可哀相な位ションボリとうなだれてスゴスゴ立ち去った。
「無礼者は消え失せましたわ、戦士の方々。アネデル卿は普段はそれなりに良い人
物なのですが、どうも他人を軽く見る癖が−」
そこまで言って、姫君はふと言葉を切った。
「あの…貴女と以前にお会いした事があるかしら?」
小首を傾げてティファの方を見る様は大変可愛らしが、実はエイドス、そしてティ
ファ自身も全く同じ疑問が頭に浮かんでいたのだ。
ドコカデミタコトガアル…
「アッ!」
つかの間の沈黙の後、エイドスが最初に気付いた。
似ているのである。
片方が艶やかなぬばたまの黒髪を後ろでまとめているのに対し、もう片方は蜂蜜色
の髪を無造作に肩に流している。また、一方がこの国の民特有の金色味を帯びた小麦
色の肌であり、他方は道中陽に灼けてなお白い肌をしている、という違いがあるので
第一印象こそ全く異なるが、顔の造作や背格好は細部に至るまで驚く程そっくりなの
だ。
すぐに、二人の少女もその事に気付く。
「貴女は−」
二人同時にハモった声も、微妙なトーンの違いを除けば、よく似ている。
色を反転させる鏡にでも映したかのような顔と顔、瞳と瞳がしばらく見つめ合う。
やがて、姫君は頭をはっきりさせるかのように、二三度首を振ってから、やや改ま
った口調で彼らに話しかけた。
「世の中には不思議な、と言うか珍しい事もあるものですわね。ついて来て下さい
。貴女を兄に引き会わせてみたくなりました」
「姫様、それは…」
侍女の一人は難色を示したが、姫がやんわりと押し切る。
「構いません。この方達に邪気は感じられませんし。そちらの殿方も御一緒にどう
ぞ」
先に立って中門の方へときびすを返す。
一方ティファは比較的落ち着いており(何しろよく似た姉を持つものだから)、ま
だ信じられないといった面持ちのエイドスの肩をポンと叩いて、姫に続いて歩き出す

「ほら、行くよ。」
勿論、エイドスも慌てて後を追った。

「ほう、これはまた…」
サマルガンの若き王・ザカリエルは目を見張った。彼の妹が連れて来た少女の顔を
改めてしげしげと眺め、妹姫の方を振り返る。
「お前と瓜二つと言ってもよいようだね、ウズィエラ」
「でしょう?お兄さま」
彼のすぐ隣りに腰掛けたウズィエラ姫が、大きく頷く。
執務室等の公共の場ではなく、私室の一つなので、ザカリエルも礼装とは異なる、
割にくだけた服装をしており、一見するとただの騎士か、貴族の若様に見えない事も
ない。
ソファに腰掛けて談笑しあう貴公子と淑女−中々絵になる光景だ。
いかにも仲の良さそうに見える兄妹だが、ティファはそんな二人にどこか不自然な
感情のもつれがあるのを微妙に読み取る事が出来た−それが何なのかまではわからな
かったけれど。
「…で、俺達をここへ連れて来たのは、どういう用件なんです?まさか、ティファ
の顔見せだけって訳じゃあないでしょう」
居心地悪げにソファの上で身じろぎしながら、エイドスが尋ねる。どうやらこうい
う場所に来るのはあまり好きではないらしい。
彼の無礼な物言いを咎めもせず、若き王は立ち上がり、自らの手で開け放されてい
た窓を閉めた。それだけで、ごく僅かながら室内に緊張感が増す。
「ああ、その通り。君達はかなりの腕利きのようだ− それに私の推察が当たって
いるならば、そちらのレディは魔法、それも正統な神殿魔術が扱えるのではないかね
?」
顔を見合わせるティファとエイドス。
「何故それを?」
ティファの問いは暗に国王の言葉を肯定していた。
「私も、即位前にはル・オラハムの神殿で神官の修行を積んだ事がある。常人と術
師の‘気’の違いくらいは区別出来る積もりだよ。それはともかく…」
再び正面の椅子に腰を下ろすと、多少声のトーンを落として、
「仕事を頼みたい。内容は警護。報酬はそちらの言い値を考えよう−無論、それ相
応の働きはして貰うが。その他の条件も出来るだけそちらと合わせよう。どうだ、引
き受けてくれるかね?」
ザカリエル王の申し出は、一見これ以上無いほど美味しそうな話だったが、ティフ
ァ達とて昨日今日この稼業を始めた訳ではない。「うまい話には裏がある」の鉄則は
、身に染みてわかっていた。
「…詳しい仕事の内容がわからなければ、お返事出来兼ねますね、陛下」
ティファができるだけ丁寧な口調で探りを入れる。しかし、そんな用心など不要だ
ったようだ。
「ふむ、それももっともだな。いいだろう。ただし、これから話す事は他言無用だ
ぞ」
「陛下!よろしいのですか?こんな素姓の知れぬゴロツキ共に…」
どうも聞き覚えのある声だなと思えば、案の定、先程一悶着あったデカブツの騎士
である。確か姫が「アネデル卿」とか呼んでいた人物だ。王の私室に出入りを許され
ているとは、意外に高い地位にあったらしい。
「構わないだろう。妹の「邪気感知」にも反応は無かったらしいし、私の目から見
ても信頼して良さそうだ」
ふーん、エラく高く買われたもんだな。
エイドスは嫌な予感がした。
「かい摘まんで説明すれば、ウズィエラ姫− 私の妹が狙われている。とは言って
も、この場合「狙う」とは「攫う」、つまり妹を妻にしようとしているいう意味だが
。相手は魔者、それも極めて強力な手合いだ。相手が人であるなら我が国の兵士だけ
でも十分に事足りるが、人ならざる者が対手とあっては千人の兵より一人の術師の方
が心強い」
「どうして、国王が守ってあげないんですかね?神官の修行を積んでるんでしょー
が」
「エイドス!失礼だよ!」
「構わん−確かに君の言う通りだ、若き傭兵。私も出来る限りの手段は打ってきた
。城全体に結界を張り、剣や弓矢に破魔の呪文を込め、妹には強力な禁忌をかけた。
だが…それだけでは不足なのだよ」
「何故です?そんなにも手強い敵なんですか?」
「それもある。しかし−巫女のレディはお気付きのようだね。そう、私の学んだの
は太陽神ル・オラハムの魔術だ。日のある間は強力この上ないが、太陽が沈めば効果
は殆ど無くなる」
「そして、魔者が好んで跳梁するの夜が主…ですか?」
王は寂しげに頷いた。
「夜の魔者を打ち払うには、少なくともル・オラハム以外の神−出来れば、ティー
タ・グラムの守護を受けた術師の力が必要だ」
一国の王でありながら、己が妹すら自らの手で守れないとは…
自分の力不足を認めるのは、ザカリエル王には辛そうだった。
ウズィエラ姫が心配げに寄り添う。一瞬、王は身を固くしたようにと見えたが、す
ぐに妹の頭を愛おしげに撫でる。
「この娘を奴らに渡す訳にはゆかぬ。王としても、兄としても、そして− 」
ウズィエラ姫は何かを期待して一瞬目を輝かせた。だが、ザカリエルは気付かずそ
こで言葉を切り、傭兵二人の方を振り返る。
「重ねて聞くが、引き受けてくれるか?」
「魔者がらみなら、俺よりテイファが専門だな−俺はティファの意見に従うぜ」
(えぇい、簡単に言ってくれるなぁ、この無責任男)
一ヶ月共に旅をして、こういう性格だとはわかってはいたが、少々腹が立つ。もっ
とも、その怒りがかなりお門違いだとは、ティファにもわかっていた。彼はただ選択
権をこちらに委ねただけなのだから。
(半人前の巫女と魔法に無知な傭兵、それに昼しか能力が使えない神官のトリオか
ぁ。本来なら無謀なんてもんじゃないんだけど…)
そう、本来なら、考える要もなく断わっている仕事だが−
(このお姫様の顔を見た後じゃなぁ…)
単に自分と似ているというだけではない。
この娘が魔者の花嫁になるなど、一面識しかないティファレトにさえ−精神的に多
分に少年のそれが残っているせいか−あまり想像したくない気持ちにさせられるのだ

「か弱い」という言葉は当てはまらない、寧ろどちらかと言うとお転婆なイメージ
の方が強いが、それでも、この姫君を見た男なら、いや、女でも、「守ってやりたい
」と思うに違いなかった。
硬質な美貌のどこと無く人を寄せつけない雰囲気があるティファとは、正反対の柔
らかな空気を持っているのだ。
それを羨ましいと思わないと言えば嘘になるだろう。だけれど…
「−報酬は一日二千。仕事が終わるまでの宿と食事その他一切はそちら持ち。条件
としては、そんな所ですね。加えてさらに一つ、ある情報が欲しいのです」
「何だね、その情報とは?」
「王家の方なら御存知でしょう。かの伝説の六神器の一つ、天界より奪われこの地
の何処かに封印されたと言う破邪の剣−覇王剣マイシェラの在り処を」
元々、この情報を手に入れるために傭兵として城に入ろうとしたのだ。ダルシアの
港町で、この国にその剣があるという話は聞いたものの、シラミ潰しにするにはいさ
さか広過ぎる大きさだ。
だが、返ってきた言葉は余りに意外なものだった。
「その事なら、私などよりも寧ろ、当の魔王に尋ねてみてはどうかな?」
どうやら、当たり籤−もしかするととんでもない貧乏籤−を引き当てたようだ。

「どういう積もりなんだ、ティファ?」
彼らのために与えられた城の中の一室で、エイドスから問い詰められ、ティファは
怪訝そうな顔で彼の方を見返した。
「私に判断を任せたんじゃなかったのか?」
「ああ、その通りさ。しかし、それはお前がこの依頼を断わるだろうと思ったから
だぜ。大金と引き換えにするにしても、リスクが余りに大きいぞ、この仕事」
珍しく真剣な顔をしているエイドスを見て、ティファは、ふとからかってみたくな
った。
「嫌なら、あんただけ降りてもいいよ。別に一緒にやってくれと頼んだ訳じゃなし
− 」
そんな事が彼に出来ないのを承知で言う。
「バカ野郎、危険な仕事なら、なおさらお前さんを一人に出来るもんか!」
その言葉には二通りのニュアンスが込められていた。
「仲間」としての彼の思いやりは有難かったが、「男」が「女」に寄せる「保護欲
」の類いは、今の所ティフアにとってかなり迷惑なものだ。
もっとも、エイドスの方もその事はよく心得ていて、普段はそんな気配を微塵も見
せないが、ふとしたはずみに想いがこぼれてしまうのは、やはり仕方がない。
(そういや、こいつ、どうして私についてくんのかなぁー。やっぱり、ナニが目当
てなんだろうか?)
それだけではないと思いたかった。ティファは−口にはださないが−今では結構こ
の傭兵が気に入っていたから。
「ごめん。でも、どうしてもその魔王とやらに尋ねたい事があるんだ」
エイドスには、詳しい事情はまだ教えていなかった。ただ「捜し物がある」としか

もし話せば、このお節介な傭兵は最後まで手伝おうとするに違いない。そこまで巻
き込んでいいものか…いまひとつ決心がついていないのだ。
「やれやれ、仕様がないなぁ」
あきらめたように首を振り、エイドスは苦笑を見せる。
「それじゃあ、あの王様に俺の武器に魔法でもかけて貰って来るぜ。いざって時に
敵を「切れない」なんてゾッとしないからな」
既に王の部屋への通行証は受け取ってあったものの、エイドスの態度はあまりに不
遜、どんなに良く言っても軽薄に過ぎた。
気軽に立ち上がり、長剣一本携えて部屋を出ていく。
残されたティファは溜息を一つ漏らし、寝台の上にひっくり返った。まだ日が高い
内に、少しでも眠っておかねばならない。
しかし、ウトウトしかかる暇も無く、女官が彼女を呼びにやって来た。
「姫様がティファレト殿に御用がお有りだそうです」
先程よりも、なお一層深い溜息をついて、ティファはベッドから降り、ウズィエラ
姫付きの侍女らしい女官の後に従って歩き出した。

「まァ、よく来て下さったわ、ティファ…わたしも、ティファとお呼びしてよろし
いかしら?」
可愛くウズィエラ姫に上目づかいに覗き込まれて、思わずティファはドギマギした

(チェッ、何なんだ…相手は同性−少なくとも今は−で、しかも自分と同じ顔をし
てるんだぞ)
自分にはナルシストの気があったのかと、真剣に悩むティファ。
そんな事にはお構いなしに、姫は傍らに控える侍女達に命じる。
「それじゃあ、ティファの着替えを手伝ってあげて」
「畏まりました」
話が見えない内にティファは、たちまち五人の侍女達に取り囲まれ、服を脱がされ
る。
「ちょ、ちょっと、何の真似です、これは?大体何の用で僕− 私を呼んだんです
か?」
五人ががりとはいえ、か弱き少女ばかりだ、その気になれば振り払えない事も無か
ったが、逆にそのか弱さがティファに抵抗をためらわせていた。
(下手に暴れて、怪我でもされたら、イヤだからなぁ…)
程無く、最後の下着まで取られると、ティファは生まれたままの−もっとも彼女の
場合、生まれた時は彼だったのだから、この表現は正しくないが−姿で豪華なカーペ
ットの上に立っていた。
「他人を無理矢理裸にして、一体何しようってんです?」
恥ずかしさよりも腹立たしい気持ちの方が先にたって、かなりぶっきらぼうな口調
になったティファの問いにも臆せず、ウズィエラ姫はコケティッシュにウィンクして
みせる。
「ンフ…内緒。とにかく、着替えてみれば分かるわ」
諦めて、今日三度目の溜息をつくティファ。
「こちらへ− 」
やや年長の侍女に手を取られて部屋の奥の扉を開けると、そこは石畳が剥き出しの
床で、凝った造りの浴槽が運び込まれていた。
ただし、その中に湛えられているのは湯ではなく、何か得体の知れない赤茶色の液
体だ。
「この中に入れっていうの?」
「はい。首までよくお浸かり下さい」
ドロリとした液は一見血を思わせたが、漂ってくる匂いは、殊の外香り良い。おそ
らく、薬草を煮立したものなのだろう。
(まァ、まさか毒じゃあるまいし)
意を決してそろそろと片足ずつ浴槽に入れ、やがて首から上を除く全身を液体の中
に浸す。
人肌より少し温かい程度に保たれた温度が心地良かった。
「目と口を閉じてください」
先程の女官の指示に従う。こうなったら、とことん付き合ってやろうと、半ば開き
直ったのだ。
首筋、そして顔全体を刷毛のようなものが何度も往復する感触があった。特に顔中
を念入りに這い回る。
(化粧でもしてるのかな?)
「次は髪の毛ですね−まだ目は開けないで下さい」
その言葉と共に、自分の髪が別の冷たい液に浸けられるのが感じられた。
「はい、もう結構です。湯舟からお上がり下さい」
五六分も経って、ようやく「お許し」が出る頃には、既にティファは半分居眠りし
かけていた。
「…んん、あの、もう目を開けてもいいのかな?でないと、浴槽の縁に蹴つまずき
そうで…」
侍女が答えるより早く、
「そーね、折角だから暫くそのままでいて頂戴な。着替え終わったら、吃驚させた
いから」
と、ウズィエラ姫の声が、カーテンの向こうから聞こえてくる。
「はいはい、仰せのままに…」
目をつぶったまま、縁に引っ掛からないよう注意して湯舟から上がったティファを
、四本の手が二枚のタオルで丁寧に拭いてくれた。
(お姫様ってのは日頃から、こんな風に何でも他人にやって貰ってるのかねぇ)
ともあれ、楽な事は確かだ。
髪が乾ききるのを待たずに、着付けが始まった。自分の体を他人のいいように扱わ
れるのは、まるで人形にでもなったようで居心地悪かったが、どこか人任せの気楽さ
があった。
最後に、頭の上からふわっとワンピースらしい服をかぶせられ、首と袖を通し、リ
ボンを結んで細部を整えると完成らしかった。
「どうぞ、もう目を開けても構いませんよ」
ゆっくりとティファは瞼を開いた。
しばらくは部屋の明るさに目が眩むが、すぐに視力を取り戻す。
目の前にウスィエラ姫が立っていた。いつの間に着替えたのか、深紅のドレスに身
を包んでいる。
「どう、仕上がりはお気に召して?」
「どうって、言われても…」
戸惑いながら答えようとして、ティファは突然、姫の声が自分の真後ろから聞こえ
ている事に気が付いた。
驚いて振り返ると、やはりそこにはウズィエラ姫が、先程と変わらぬ服装で佇んで
いる。
「??」
(すると、さっき見えたのは…)
ティファは恐る恐る前に向き直った。
闇色の髪。金色がかった褐色の肌。黒曜石の瞳。整った目鼻立ち。スラリとした体
付き…背後の姫と、寸分違わぬ女性が、目の前に立っていた− そう、姿見の中に。

侍女達が香茶を運んで来ると、テーブルの上に並べた。
「念のためにお聞きしておきたいんですけれど− 」
自分の体をあちこち見回しながら、ティファが尋ねる。
「この色はちゃんと消せるのでしょうね?」
「ご心配なく。ちょっと熱目のお湯で洗えば、きれいに落ちます。それより、予想
以上ですね、ここまで似ているなんて。これなら上手くいくかもしれないわ」
「何がです?」
髪の長さと服装以外は、全く同じ姿の少女が話している所を見れば、知らない者な
ら、きっと双児の姉妹だと思うに違いない。
黒衣の少女は悪戯っぽい表情で、紅衣の少女の耳元に何事かを囁く。紅衣の少女は
顔をしかめた。うんざりした声を漏らす。
「えー、また、ですかぁ?」

「今日は何時になく大人しいのね、エラ」
やや年嵩の貴婦人が、ニコニコと微笑む。
「えっ?そ、そうですか?少し疲れているのかもしれません」
王太后の言葉に、何食わぬ顔をして取り繕うウズィエラ姫− いや、ティファレト

「そうなの?えらく丁寧な言葉遣いをするから…また何かザカリエルを困らせる様
な事をしているのではなくて?そういう時だけは神妙にしているんですからね、おま
えって娘は」
王太后の何気ない一言にも、ティファは冷や汗をかき通しだ。何しろ、相手は姫の
実の母親なのだ。何時バレてもおかしくない。
(恨みますよ、姫…)
ウズィエラ姫はティファに、この格好で母を欺き通せるか試してみないかと、そそ
のかしたのだ。心の中で愚痴る。
(全く…どうして僕は、こう人の「身代わり」をやらされる事が多いのかねぇ…)
それが自分の人の好さ故だとは、気付いていないティファだった。
それでも、どうにかこうにか一緒にお茶を飲み終えて、姫君の部屋に帰り着いた時
には、すっかり精神的に疲労しきっていた。
「御苦労様」
「あぁー、疲れたぁ。姫様、二度とこんなお遊びにはつきあいませんからね」
王妹に対する礼儀も忘れて、ティファはソファにへたり込んだ。
「あら、単なるお遊びじゃないのよ」
プクッと軽く頬を膨らませて抗議する、ウズィエラ。言葉遣いも、すっかりティフ
ァに気を許したのか、友人に対するそれになっている。
「お母様を騙し通せないようじゃぁ、いざって言う時に魔者を欺くなんて事は出来
ないでしょう?」
(成程、やっぱしそれが狙いか…)
何の事はない。ティファを影武者に仕立て上げる積もりらしい。
確かに、魔者と正面から戦うのなら、半人前の術師−一応正式な巫女の資格を持つ
とは言え−を雇うよりは、高名な神官か巫女を呼んだ方が効果があるだろう。
「要するに、私に姫様の代役をやれと?最初からそれが目的だったんですね?」
「勿論、それだけではないわ」
あっけらかんとウズィエラ姫は答えた。
「並の戦士以上に腕が立ちそうだからこそ、こんな危険な役割も振るんじゃないの
。」
こんな風に頼りにされても、あまり素直に喜べない。
姫にせがまれるまま、しばらく旅の話などを披露してから、ティファは席を立った

「取りあえず、今日の所は元の格好に戻らせて頂きます。代役の件については、国
王陛下と一度よく話し合ってから決めましょう。」
ちなみに、ティファが染料を落とすために使わされたお湯は、「ちょっと熱い」な
んてものではなかった。

ウズィエラ姫とティファが、仲良く(?)じゃれ合っている頃、国王の執務室の丁
度裏にあたる場所の隠し小部屋に、エイドスはザカリエル王と共に籠っていた。
ザカリエルは東南に向かって造られた祭壇の前で、先程から一心に呪言を唱え続け
ている。本来退屈でしかないはずのこの儀式も、部屋中に満ちたピリッとした緊張感
が、欠伸一つ漏らす事を許さない厳粛な雰囲気に仕上げていた。
変わらぬ光景を保っていた室内に変化の兆しが見えた。
「ムッ…」
祭壇の上に置かれた、規格外の長さを持つ長剣。その刀身が小さく振動し、光り始
めたのだ。
カタカタカタ…
微かな音を発しながら、その光はますます強まる。やがて、眩しさの余り直視する
のが適わなくなった頃。
「カッ!」
目にも止まらぬ−言葉の綾だ。剣の手錬れのエイドスには、十分その動きを見切れ
た−動作で、素早くザカリエルはその光を呪縛し、剣の中に「縛り」つける。
「ふぅ…これでいいだろう。一月やそこいらは、この長剣は光を封じた「 聖な
る剣」 の役目を果たすはずだ。」
「これで、魔者を斬れるって訳か。」
「うむ…だが、油断はしないように。「 斬れる」 と言っても、刃物で人を切
り裂くようにはいかぬはずだし、相手が剣の間合に入って戦ってくれるとは限らない
のだから。」
「承知してますよ、王様− 時に、あなた、独身なんでしょう?」
エイドスの余りに唐突な質問に意表を突かれて、ザカリエル王は危うく手に取った
剣を落としかける。
「あ、危ねぇなぁ。いくら鞘に入ってても、足の上に落としたら怪我しますぜ、王
様。」 「そう思うのなら、驚かせないで欲しいものだな。どこからそんな質問が湧
いてくるのかね?」
エイドスの相変わらずの無作法な口のきき方を咎めないのは、中々豪気である。
「別に…ただ、ティファを見る目付きが少々気になったんでね。」
ほうっ…と、ザカリエルは意外そうに目を見張る。
「あのレディは君の恋人かね?」
(「淑女」、ねぇ…)
レディという言葉に苦笑を禁じ得ないエイドス。
「そうなればいいとは思ってますがね。」
「では、私にもまだ権利はある訳だ…冗談だよ。」
ニコッと笑うと、王は一層若く見えた。ひょっとしたら、エイドスと同年代−20歳
を幾つも過ぎていない位なのかもしれない。 一国を背負うと言う重責から、普段は
若者らしい表情を見せる事は出来ないのだろう。反面、その気負いこそが彼の若さを
証明しているのだが。
「余りに妹と似ているので、多少気になっただけだ。さて、」
すぐに元のクソ真面目な顔に戻って威厳を取り繕う。
「じきに日が傾く。今までの周期から言って、今夜は十六夜だから大丈夫だとは思
うが、一応警戒しておくに越した事はないだろう。日暮れ前に、部屋に呼びにやるの
で、指示された位置に付きたまえ。」
「仰せのままに− なんてね。」
おどけた口振りながら、どこで覚えたのか、日頃の崩れた態度が嘘のような作法通
りの騎士の礼をして、エイドスは隠し部屋を出て行った。



4.妖騎士の夜訪



「…来たよ。」
紗の幕の陰で呼吸を整えながら、胡座の姿勢で瞑目して印を組んでいたティ
ファが、パチッと目を開いた。
「本当か?まだ薄闇時が終わってない時間だぜ。」
エイドスが小声で疑問を呈する。
「逢魔ケ刻って言うでしょ?小物ならともかく、ある程度実力のある魔者に
とっては、寧ろこの時間帯の方が力を出し易いんだよ。」
ウズィエラ姫の部屋の壁に密かに作られた隠し小部屋−王の部屋のそれと違
い、二人が入っただけで狭く感じられる程の広さだから、「窪み」と言った方
が正確だが−に、陰から姫を衛るため、待機しているのだ。
姫のすぐそばには兄のザカリエル王が付き添い、その周りを親衛隊の精鋭達
五人が固めている。
五人の中には、城門の所で二人に絡んできた巨漢の騎士・ラスターも混じっ
ていた。驚いた事に、あれでも親衛副長らしい。
一見いつもと変わらぬ布陣を見せて、敵を油断させようという訳だ。つまり、
大袈裟に言えば、二人を除くこの部屋の全員が大掛かりな囮の役目を果たすの
である。
「相手の出方にもよるけど−」
ティファはまた考え込んだ。
「下手すれば、あっちの騎士達は一人残らず無駄死にするな。」
「どうしてわかるんだ?」
不思議そうなエイドスに、ティファは珍しく気弱な笑みを見せる。
「姿を現す前から、これだけ威圧感のある妖気が感じられるんだもの。出来
れば今からでも逃げ出したいくらいだ。」
物理的にも心理的にも、そんな事は不可能だったが−
「これはこれは、皆さん、お揃いで…」
十六夜のこうこうと輝く月を背にして、東に面した窓に、人影−人ならぬ者
を、こう呼んでもよいのかわからぬが−が、馬の嘶きと共に姿を見せる。
逆光の中に浮かび上がった者は、夜空を駆ける蒼ざめた馬に跨っていた。
「我が君の花嫁を、盛大にお見送りになられるのかな?それとも、未だ飽か
ずして、又あの虚しい茶番を繰り返されるお積もりか?」
妖魅相手に閉めても無駄、寧ろ誘いにでもなればとの判断から開け放たれた
ままの窓枠に、無造作に腰を下ろしているそれは、若い男の容姿をしていた。
軽くウェーブしたやや長目の朱鷺色の髪、恐い程に整った目鼻立ち、ピッタ
リとした淡い色合の衣装に包まれたすらりとした体付き− 決して人にはあり
得ぬ真紅色の瞳と、口元からちらりと覗く牙さえなければ、誰も彼を魔者と思
わず、世の女達の半ば近くがこの男の魅力の前にひれ伏すだろう。
いや、例え魔者とわかっていていても、禁断の思慕に身を委ねる女性も多い
に違いない。それ位、目の前の「青年」は美しかった。
基本的に、魔者の容姿−少なくとも人前に現すそれは、魔者の能力に比例
して美しくなる傾向がある。それだけでも、この美貌の妖魅の実力が、只なら
ぬものと推し量る事が出来よう。
「デュヴェラック…奴の右腕たるお主が自ら出て来るとは、いよいよ手駒が
切れてきた証拠かな?」
「陛下!」
親衛隊の面々の制止を振り切って、ザカリエル王は一歩進み出た。
神官の資格を持つ彼は、この中にいる誰よりも強く、美しき魔者デュヴェラ
ックの妖気を感じているはずなのに、微塵も臆する所が無い。
昼間の間にありったけの光を溜めておいた己が剣を右手に抜き放ち、左手に
は真銀製の円形盾を構えている。
親衛隊から選ばれた五人の武器も、王のそれには及ばないものの、それなり
に破魔の力を持つ逸品ばかりだ。
相手が並の魔者なら、十分以上の装備と言えたであろう。しかし−
「おやおや、懲りない人達ですねぇ。」
窓枠に腰掛けたまま、デュヴェラックはフッと気障な笑みを浮かべた。心底
楽しそうな− 故に一層、見る者を戦慄させずにはおかない、氷の微笑を。
「この辺りで一つ、キツくお灸を据えておくのも良いかもしれませんね。」
大儀そうに床に降り立つと、バサリと右眼に垂れ掛かっていた前髪を払う。
瞬間、垣間見えた右の瞳から異様な眼光が発せられ、彼を取り巻こうと動き
かけていた親衛隊の騎士達を、その場に金縛りにする。
「グォッ…クッ…」
「改めて自己紹介させて頂きます、この国の王よ。我が名はデュヴェラック。
貴殿がおっしゃった通り、あのお方の右腕として、配下の魔者を束ねる存在で
す。以後、お見知りおきを…」
馬鹿丁寧な口調が、この場合、かえって屈辱的なものを感じさせる。ザカリ
エル王は挑発には乗らず、すげなく突っ撥ねた。
「下らぬ戯れ言はよして貰おう。さっさとかかって来たらどうだ。」
「やれやれ、花嫁の兄君たる貴殿には、なるべく傷を付けないであげようと
思いましたのに…」
徐々に、デュヴェラックの言葉遣いが変化し始める。
「仕方がない。人の王といえど、たまには身の程をわきまえるという事を学
ぶべきですね。」
ぐらりと、部屋全体が、揺れたかの様に感じられた。
眼前の妖魅から立ち昇る妖気が、今や全開となってザカリエル王に吹きつけ
てきたのだ。
「くっ…」
先程の眼光同様、直接的には何も損害は受けなかったものの、地獄の業火に
も似た凶々しい気は、王の気力を少なからず蝕む。
後方で姫を守っている侍女達が、妖気にあてられてバタバタと倒れていくの
が分かった。
「ウズィエラ!」
「わたしは大丈夫です。それより兄様、油断なさらないで!」
気丈にも保ちこたえた妹の言葉に奮い立ち、再びザカリエル王は剣に全気力
を注ぎ込む。
「フムフム、大した気の勢いだ。手下の妖魅共が悉く仕損じたのも無理はな
い。」
ちょっと感心したようにデュヴェラックは独り言ちたが、その余裕は全く失
われていない。
「しかし、私を相手にするのには−」
「十年早いってのか、このオカマ野郎!」
「!?」
首筋に背後から刃を突き付けられて、デュヴェラックは心底驚いた。
いつの間に回り込んだのか、鉛色の鎧を着た若い男が彼の後方を取ってい
たのだ。
「バカな、私に気配を感じさせないだと!!」
剣を突き付けられているという事実自体には、左程臆する風はなく、デュ
ヴェラックは他の事でプライドを傷つけられたようだ。
身にまとう妖気の「壁」が、一段と激しく揺らめく。それはもはや、物理的
な力となって周囲の者を弾き飛ばし、近寄る事すら許さぬはずなのだが…
「あばよ。」
それ程力を入れたとも思えぬのに、エイドスの長剣はそのままデュヴェラッ
クの首にズブズブとめり込み、あっけなく斬り落としていた。
「何だァ、大きな口を叩いて格好つけてた割りには、大した事無かったじゃ
んか、こいつ。」
エイドスが緊張を解いた瞬間−
「危ない、エイドス!」
デュヴェラックの首無し死体が驚く程正確に右手を斜めに振り下ろし、エイ
ドスの頭を吹っ飛ばさんとする。
「ガッ…」
辛うじて直撃は避けたものの、かすった中指に鎖骨を砕かれ、エイドスは呻
いた。
「くそぅ、何てぇ馬鹿力だ…バケモノめ…」
咄嗟に床の上に転がってその追撃を逃れたエイドスは、それでも強がりを言
って見せたが、額には苦痛かそれとも恐怖のためか、汗が滲んでいる。
立ち上がり、長剣を左手に持ち代えるのも辛そうだ。
「今更何を…退がりなさい、エイドス。後は私に任せて。」
ウズィエラ姫を庇う様に立ちはだかっていたティファが、ズイと進み出た。
「気を付けろ!デュヴェラックは首無騎士。首を切ったぐらいで死にはし
ない。」
「そういう事は、もっと早く言って欲しかったぜ、王様。」
ティファと入れ替わり、ウズィエラ姫の前に詰めたエイドスが文句を言った。
「ぶうたれる元気があるなら、大丈夫だな。エイドス、姫を頼んだよ。」
武技では傭兵に劣る自分が、首無騎士の様な高位の妖魅に剣で勝てるとは思
えない。
ならば−
ティファは剣を抜かずに、両手で胸の前に‘印’を結んだ。
「環氷縛鎖!」
呪文と共にティファの両手から白い靄の様なものが吹き出し、デュヴェラッ
クの首の無い身体にまとわり付く。
その足下に転がったデュヴェラックの首が軽い驚愕を表わす。
「冷凍系のワンワード・スペルとは珍しい。しかし、我ら不死族はもとより
体温を持たぬ身。これしきの低温ではダメージは受けませんよ。」
「知ってるさ。」
ティファは澄ました顔で答えた。
「でも、動けなくすれば十分だからね。」
「!」
いつの間にか幾つかの紐状にまとまった靄は、氷の鎖となってデュヴェラッ
クの体を縛り上げ、その動きを拘束している。
「小癪な!」
首無騎士が全身の力を振り絞って束縛を打ち破るのを、ティファは待っては
いない。
「…殺意よ、闘気よ、有限なる者の器を奪え− 裂腑断骨刃!」
宙に描き出された印章から、不可視の力が放たれ、デュラハンの身体から四
肢が切り落とされる。
「やったか?」
「まだまだ…陛下、親衛隊を退がらせて下さい。」
「あ、ああ…」
手早くザカリエルが硬直したままの騎士達の呪縛を解き、部屋の向こうへ移
るよう指示する。
「成功するか分からないけど…」
高位の不死族を滅ぼすためには、完全にその肉体を消滅させなければならな
い。
瞑目したティファは口中で呪文を唱える。
「− 陽光の中でも、闇に在りても…」
今度こそ、デュヴェラックは完全に意表を突かれたようだった。
「ゲェッ、その呪文は…!」
慌ててデュヴェラックの首が、壁際まで転がっていった。
それには構わず、ティファは呪文を続けて完成させる。
「…火竜王よ、我が招喚に応えて焼き尽くせ− 烈火半球封陣〓」
ティファの手からは…何も発生しなかった。
「失敗?」
「いや、見ろ!」
一瞬の間を置いて、デュラハンが立つ位置を中心にして、床の上に直径3ク
ビド位の真紅の円が形成される。次の瞬間、紅円はそれ自体を切り口とする赤
い半球となってデュヴェラックの体を包み込んだ。その中で真っ赤に燃え盛る
焔− 半球の中の温度はおそらく数千度に達するだろう。魔者の肉体は塵一つ
残さないに違いない。それでいて、外側に全く熱は伝わって来ないのだから、
恐ろしく密度の高い術である。
「おのれ…よくも…」
紳士ぶった仮面を剥ぎ落としたデュヴェラックの表情は、陰惨の一言に尽き
た。なまじ色男なだけに、かえって凄味がある。
「何言ってやがる。首だけじゃあ、ロクに動く事も出来んだろうが。噛みつ
くのが関の山だな。」
エイドスの嘲りに、デュヴェラックは何を思い付いたのか、ニヤァッと笑っ
て見せた。
「その通り。しかし、噛みつく事が出来れば十分です。」
フワリと浮かび上がったデュヴェラックの頭部は、ティファとザカリエルを
避けて、真っ直ぐにエイドスの方へと飛んで来た。
「何のっ!」
左手一本で長大な剣を振るうエイドス。しかし、彼に向かって来たのは、ど
うやらフェイントらしかった。
エイドスの剣が触れる直前、妖魅の首はストンと自分から真下に落ちた。そ
のまま彼の足下をゴロゴロと転がり抜け、気絶したままの侍女の一人の前まで
来ると、何と彼女の首筋にその牙を突き立てたのだ!
「しまった!」
「シェレイラ!」
「シェル…!」
意識を取戻し絶叫する暇もなく、彼女の頸は、デュヴェラックの鋭い牙に
よって噛み切られていた。
「きゃあっ!」
流石に気丈なウズィエラ姫も、身近な者の惨死光景には目を背ける。
「何のつもりだ!?」
ティファ、エイドス、ザカリエルの三人も含めてその場にいた者全員が、
すぐにはデュヴェラックの意図を見抜けず、そのため対応が遅れる。
「つまり− 」
唇の周りを真っ赤に染めた生首が、妖しく笑う。
「こういう事さァ!」
まだドクドクと血が吹き出している侍女の死体。彼自身が喰いちぎったその
頸の部分に自分の首の切断面をピタリと合わせる。
「王女は貰った!!」
今度ばかりは立ちすくんで動けないウズィエラに、妖魅は細い腕を伸ばした。
バヂッ!
彼女のすぐ手前で蒼白い火花が飛ぶ。
「ちっ、禁忌か。」
解除している暇はない。すかさず身を翻し、デュヴェラックは窓に走り寄る。
「逃がすか!」
ティファの投げつける短剣を後ろも見ずにスイとかわして、デュヴェラック
は振り返った。
「フム、いい体だ。女の身にしては中々動作が素早いし、首との相性も好い。
気に入った。貰っていきます。」
言い終えるよりも早く、窓から宙に身を躍らせる。
「落ちる!」と思いきや、デュヴェラック− シェレイラの肉体は、主に忠
実な蒼い馬の背に跨っていた。いつの間にか、骨だけの身体で宙を駆ける死霊
馬が窓の外に待機していたのだ。
白いドレスが風にはためき、場違いに艶かしい脚線が覗く。
「今夜の所は引き上げます。ですが、焼き尽された体のお礼は必ずしますよ。
特にそのお嬢さんには念入りにね。」
そのまま、徐々に高みへと妖馬を駆り、瞬く間にその姿は闇の中へと消えて
いく。
それを目の当たりにしながらも、城の者達は引き止める手段を持っていなか
った。

「取りあえず、ウズィエラ姫を守るという目的だけは達した訳だが、あの侍
女には気の毒な事をしたな。」
夜明け近く、王の私室の一つに集まったティファ、エイドス、ウズィエラ、
そして部屋の主・ザカリエル王と親衛隊長は、香茶のカップを前に、改めて今
夜の敵の事を話し合っていた。
「兄様、その言い方は余り実感がこもっていませんわ!」
ウズィエラ姫が口を尖らせて兄王に抗議した。彼女にとっては、友人を見殺
しにしたに等しいのだから、その罪悪感もあってか、自然と声がキツくなる。
「すみません、あの時私が一緒に奴の首も燃やしていれば…」
ティファが唇を噛んだ。
「それを言うなら俺も同罪さ。飛んで来た時に上手く叩き斬っておけば、あ
いつも無事には済まなかったはずだしな。」
「その通りだ。恥ずかしながら、かく言う私自身、君達二人がいなければ、
命すら危うかったのだからな。」
ザカリエル王の口振りも沈みがちだ。
「しかし、実際問題として、シェレイラ殿を殺されたのみならず彼女の体ま
で奪われたのは、ちと厄介ですぞ。」
親衛隊長の言葉に顔を見合わせるティファとエイドス。
「どういう事です?」
「あの部屋でウズィエラを守っていた女官達は、実は全員何らかの訓練を受
けた者ばかりであったのだ。あのシェレイラは女忍者、ペリルとアビナスは女
戦士、そしてこのサムリマは−」
と、カップを運んで来た赤毛の娘を指差す。
「呪法師だ。」
巫女や神官の様に神殿での正規の魔法訓練を受けてはいないが、民間で伝え
られた様々な呪法を行使する者達を、通常「呪法師」と呼んでいる。
「申し訳ごさいません。あの様な場面に於いて呪法の心得のあるわたくしま
でもが気を失うとは…」
頭を深く下げるサムリマの目には、悔し涙が滲んでいた。この国の闇の部分
と戦うには、少女はまだ余りにも若過ぎるのだ。せいぜい十六歳という所だろ
う。か細い体に悲壮な責任感が目一杯漂っている。
「まぁまぁ、そう自分を責めないで− ところで、陛下、厄介とはどういう
意味なんですか?」
先刻までの立場とは逆転して、慰める側に回ったティファが気まずい雰囲気
を避けて、話題を戻す。
「ウム。あのデュヴェラックとか言う首無騎士は、元来強力な妖術使いでは
あるが、体術に関しては、騎士とは名ばかり、魔者特有の豪力を除くと明らか
に三流と言い得る奴なのだ。こちらに奴に匹敵する魔力の持ち主がいて、破魔
の武器を持つ手練れ揃っていれば、対抗出来ない相手ではない− いや、なか
ったと言うべきか。もし、彼奴が、新たに得たシェレイラの身に備わる忍びの
技を駆使出来るとしたら、付け入る隙が減る事は確実だからな。」
「そうか、だから− 」
折れた鎖骨をティファの治癒呪文で治して貰いながら、エイドスが口を挟ん
だ。
「あの時、ティファの短剣をあんなに的確にかわせたのか…こりゃ吸血鬼相
手にした時より、下手すりゃ鬱陶しいなぁ。」
「願わくば、彼奴が女の体を嫌がって、別の体に乗り換えてくれるのを祈る
ばかりだな。もっとも、その相手が剣の名手だったりしたら、同じ事だが…」
溜息をつくザカリエル王の横顔を、先程から何か言いたげにウズィエラ姫が
じっと見つめているのに、ティファは気付いた。
「?」
(何か、どこか変なんだよね、この二人。どこがどうって言えないけど…)
「しかし、いずれにせよ、このままではキリが無い。朝食の席で対策を練り
直すとして、諸君らはひとまず部屋に退がって休みたまえ。間もなく夜明けだ。
朝迄位は、私が妹と一緒にいる事にしよう。君達二人共何と言っても消耗して
いるだろうし、ボグゥエル隊長にも通常の任務があるはずだ。昼間の内にたっ
ぷり休養を取っておいてくれ。」
(一晩に二回は敵さんも無理…かな。)
ティファとエイドスは有難くザカリエルの申し出に甘えさせて貰う事にした。
特にティファは、立て続けに呪文を使ったせいで、すっかり精神が疲弊してい
る。十分な睡眠が必要だった。
(うー、眠い眠い眠い…オッと、そう言えば代役の件について、言うのを忘
れたな。)
部屋に戻る渡廊下で、その事を思い出す。
(まァいいや、姫様が陛下に話すだろうし…フワァーッ…)
「御苦労さん。折角の雇い主の折角の好意なんだから、取りあえず今は、あ
れこれ悩まずにきちんと眠っておけよ。」
意外に細やかな思いやりを見せたエイドスが、ティファの部屋と向かい合わ
せの位置に当てがわれた自室に入ろうとするのを、ティファは呼び止める。
「ちょっと待った、エイドス。うちの部屋に来てくれないか。」
「ん?ああ、別にいいけど。」
先に立って部屋に入った彼は、一つしかない椅子を当然のような顔をして占
領する。
女扱いに長けているのか、下手なのか分からん奴だ。
「で、何の用だい?夜這の相談なら喜んで応じさせて頂くけど?」
エイドスの軽口には取り合わず、扉をきっちり閉めると、ティファレトは寝
台の上に腰掛けて、心持ち上目使いにエイドスの顔を見つめた。考えようによ
ってはかなりアブナい体勢だが、当然の事ながらティファにその自覚はない。
「− あんた、昔何やってたんだ?」
「何って…見りゃあ分かるだろ。今と変わらない、流れの傭兵さ。」
「嘘だね。」
間髪を入れずにティファが否定する。
「さっき自分で、吸血鬼や死霊といった連中と何度も戦ったって言ってたじ
ゃないか。確かに首無騎士に対しても少しも恐れていなかったし…」
ティファの思わぬ突っ込みに、エイドスは珍しくちょっと困ったような顔を
見せた。
「そりゃあ、まァ…今度みたいな護衛の仕事も何度か引き受けた事はあるか
らな。魔者と一戦交えた経験も、無い訳じゃあない。」
彼らしくもない、奥歯に物が挟まったような口振りに、ティファは鼻を鳴ら
す。
「フフン、でも、私が「死霊」と言っても否定しなかったね− それどころ
か、魔者と戦った事があるだって?エイドス、やっぱりあんた只の傭兵じゃ
あないんでしょう?」
いつもからかわれている反動か、やたらに容赦がない。
しかしながら、彼女の言ってる事も尤もで、聖職者や呪法師以外の者が妖魅
に関わる事は滅多に無い。それも、魔獣・魔物ならいざ知らず、高等な魔者と
もなれば尚更である。
如何に腕利きであろうと、剣の力だけでは、奴等は倒せないのだから。
しかし、そうすると−
「これで何度目かは忘れたけれど、もう一遍聞くよ。あんた一体何者なん
だい?」
不自然な程の静寂が、部屋中に満ちる。
「…ティファレト、お前さん、今度の仕事を降りる気はないか?」
ややあってエイドスの口から出た言葉は、だが、ティファの疑問を完全に無
視したものだった。
「なっ…私は、あんたの素姓を…」
「いいから、聞け!まだ早過ぎるんだよ、「影」と出会うのは。もしこのま
ま姫君の護衛を続ければ、お前さんにとって取り返しのつかない事態に落ち込
みかねんのだぞ!」
畳み掛けるように一気にそこまで言うと、エイドスは口調を和らげた。
いらぬ事まで喋ってしまったという風に目を背ける。
「もう夜が明ける。とりあえず眠れ。明日も一日ハードになりそうだからな。」
一連の理解不能な言葉に混乱しきっていたティファは、しばらくその言葉を
理解出来なかった。
「…て、護衛を続けるの?」
「どうせ、これだけ言ったって、降りるつもりは無いんだろう?
昨日今日の付き合いじゃねぇんだぜ。それくらいわかるさ。じゃあな、お寝み」
ドアを開きながら答えるエイドスは、既にいつもの脳天気男に戻っていた。
バタンと扉が閉まり、足音は向いの部屋へと消える。
(そうだな、取りあえず寝よう…考えるのは起きてからでも出来る。)
ティファはのろのろと腰帯を解き、剣を枕の下に差し入れると、ブーツを脱
いで上掛けの中に潜り込んだ。
つかの間忘れていた疲労が、睡魔と化して彼女を襲う。
エイドスの言葉の意味は殆どわからなかったが、それでも彼がどうやら自分
の味方らしいという事は納得出来た。おそらく嘘をついてないだろう事も。
そして何故か、その事が分かっただけでも随分とティファは気が楽になった
のだ。
明日からの相棒との関係に何か変化が起こりそうな予感を感じながら、ティ
ファの意識は深い眠りの中に落ちていった。

ティファとエイドスの睨み合いが一段落ついた頃、城のもう一つの部屋でも、
ちょっとした言い争いが展開されていた。
「こら、エラ、子供じゃないんだから離れなさい。」
「だって…一人で眠るの怖いんですもの。」
「独りじゃないだろ、私がここにいる。」
親衛隊の精鋭達が扉の外を固める中、ザカリエル王自らが、妹姫ウズィエ
ラの不寝番を務めようと姫の傍らで椅子に腰掛けているのだ。
反対はあった。というより、周りの者の殆どが反対したと言った方が正しい。
王の身を気遣う者、妖魅の脅威を説く者、外聞を気にする者…反応は様々で
あったが、その全てを、王はたった一つの言葉で退けてしまったのだ。
即ち−
「女一人護れぬ男に王たる資格はない。」
砂漠の国サマルガンの建国王ルスハールが、魔神に攫われた王妃を助けに行
く時に残したと伝えられる文句であった。
「じゃあ、約束よ。ずっとここに居てね、兄様。」
床に入ったウズィエラが差し出す右手を、両の掌でそっと包み込んで、ザカ
リエルは優しく答えた。
「わかったよ、エラ。約束する…私の愛しい天使− 」
最後の言葉は、誰にも聞こえぬよう口の中で呟く。
安心しきったように眠る異母妹の無邪気な寝顔を見つめながら、青年王は
溜息をついた。
(王の資格か− ふふ…国よりも自分の想いを優先させる私こそ、国王失
格なのかもしれぬな。)
せめて従妹か…或いは、いっその事、何の関わりもないただの町娘であっ
てくれたならと、埒もない事を考える。
そう、紛れもなく、この二十三歳の若者は、目の前の少女を愛していた−
それも兄が妹に抱くべき愛情の範疇を越えて。
この想いに気が付いたのは、いつの事だったろう?
幼い頃から、ややもすれば両親との絆以上に、二人の異母兄妹は仲が良か
った。
十六歳の頃、彼が神官としての勉強のためにこの街を離れ、遠く陽神殿の
在るオラハ・リオムまで留学に行く時、ウズィエラは寂しがってべソをかい
ていたものだ。
その記憶があったせいか、三年後、一通りの資格を得て帰って来ると、出
迎えたエラがすっかり変わっていた事にひどく驚かされた。
三年の月日は、甘えん坊の女の子を十四歳の小さな貴婦人に成長させる。
(そうだ、あの時からだ。まだ幼さの抜けきらない美少女− けれども、
その年に似合わぬ大人びた瞳を覗き込んだ時に、私は自らの心の翼を奪われ
てしまったのだ。)
あれから四年− 一時たりと、この胸に秘めた想いを忘れてはいない。
けれども…
「んん…お兄…さま− 」
寝返りをうつウズィエラの手から、ゆっくりと己れの手を引き剥がす。
いくら愛していても、私は獣にはなれない。片親だけと言えど、同じ血を
引く妹をこの手に抱く事は、例え我が身我が心が裂かれようとも、許す事は
出来なかった。
この胸の内を知られる事さえ、注意深く避けてきた彼である。
こうして、手を伸ばせば届く− それ所か、簡単に己が意を遂げられる位
置に身を置き続ける事は、彼にとって拷問に等しかった。
(だが、護ってみせる。例え、いつかは手放さねばならぬ珠だとしても、
その日が来るまでは私の掌中で大切に、大切に…)
自らの感慨に捕らわれていたザカリエルは、壁の方を向いたウズィエラの
眼の端に、一雫の涙がとまっている事に気付かなかった。
(兄様の…バカ…)
様々な人の情念を呑み込んだまま夜は去り、間もなく朝が来ようとしていた。

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