戻る

聖命樹の大地
    ビショップ     ポーン
1.巫女と傭兵
作:KCA / タイトル画:2bit





0.プロローグ

快い微風がそよぐ穏やかな午後だった。
雲一つ無い夏の青空と、多少、緑があちこちに見られ、砂漠というほどは荒れていない平原──だが、その地平線の彼方から、今、砂煙と共にポツンと小さな点が近づいて来ようとしていた。
かなり遠目の利く者なら、それが旅装束姿の人間であることがわかったであろう。
麻布のフード付きマントを纏った人物が、全速力で東の方へ駆けてくるのだ──まるで、何かに追われるように。
彼を追っている「何か」は、すぐに視界に入って来た。
三千クビド近いこの距離からでも、それとわかる巨大な影。直立肉食竜だ。中でも、最も大型で凶暴と言われる赤竜の類いである。
旅人は精一杯の速さで逃げていたが、いかんせん、竜との歩幅の差は大きく、あと百拍も走らない内に、追いつかれるのは目に見えていた。 事実、赤竜が一歩踏み出すごとに両者の間隔は確実に縮まっている。
しかし、旅人は絶望した風もなく、真っすぐ、こちらの岩山がある方へと向かっていた。 成程、山間に入り込めば、確かにまだ逃げ切る望みはある。
ところが、何を思ったのか旅人は、岩山の間、二つの大岩の壁が天に向かって並び立ち、足下に僅か二クビド──肩幅より少し広い程の道しか通っていない場所まで来ると、突然立ち止まり、竜が追って来る方へくるりと向き直ったのだ。
腰に吊した直剣を抜いて右手で構える。
剣を扱う手付きはかなり手慣れた様子だが、その華奢な体で自分の五倍はありそうな赤竜と、果たしてどう戦うというのか。第一、その剣自体、巨大な竜に対しては町娘の針にも等しい。
考える程もなく、竜が次第に近付いて来た。獲物を目の前に歓喜の咆をあげる。
旅人を捕まえようと伸ばした前肢は、しかし、後一息というところで届かない。
岩壁の入口──隙間と言った方が良さそうな割れ目の幅が狭過ぎて、巨体の竜には入って来れないのだ。
猛り狂って、何とか自分の体を押し込もうと暴れるが、流石に岩山の頑丈さには歯が立たず、僅かに石の破片が壁面からこぼれ落ちるだけであった。
差し入れた前肢を必死に伸ばし、懸命に獲物を捕まえようとあがく様は、猿が細長い筒から果物を取ろうと、四苦八苦しているようで、滑稽ですらあった。
と、それまで注意深く鉤爪の生えた竜の前肢を避けていた旅人が、いきなり右手の壁面──いや、そこに沿って岩山の上方へと張り渡された、一本の綱に剣を抜いて斬りつけた。 鮮やかな切口を見せて太い綱は両断され、次の瞬間、案の定岩山の上から、二抱えはある岩塊が幾つも、地響きを立てながら転がって来ると、見事に竜の頭部を直撃した。
Unghyaaaaaaaaa・・・・・・!!
もうもうたる土埃の中、物凄い悲鳴をあげて竜はうずくまる。
「やったか?」
砂埃に汚れた亜麻色のフードをはねのける。その下から現れた顔は、紛れもなく未だ年若い女性──いや、少女のものだった。
彫りの深い顔立ち。陽光を浴びてきらめく黒い瞳に、ツンと尖った小造りな鼻。緊張のためか固く引き結ばれた唇は、だが鮮やかな桜色で、そこに浮かぶ微笑を是非見てみたいと他人に思わせる。そして、スッキリと伸びた首筋を覆う、背中まで垂れた見事な輝きを誇る黄金色の髪──ややキツめながらも、きわめつけの少女だ。
思わず駆け寄ろうとした少女の前で、しかし竜は、足元をふらつかせながらも立ち上がった。人間なら、頭蓋骨陥没で即死していてもおかしくない重傷だというのに、流石は百獣の長たる竜のはしくれ、驚異的な生命力だ。
「ちっ!」
舌打ちした少女は、すかさず左手に剣を持ちかえると、右手で宙に複雑な印章(シジル)を描き出した。同時に口中で不可解な言葉を唱える。現在この地方で用いられている言語とは明らかに異なる、既に滅びた国の公用語──「力ある言葉」だ。
「オム・カラローシェ・ジェラローシェ、エルラマ・ハッシャ、ユンガ・ルーシェ…」
彼女の人差指にボウッと赤い光点が灯ったかと思うと、瞬時にして両腕に余るほどの光球に成長した。
そのまま少女は光球を剣の切っ先へと「移す」。
「ヌンッ!」
そのまま両手で、大上段に振りかぶった直剣を、真っ直ぐに赤竜の方へ向かって打ち下ろした。
剣先に宿った光は、一瞬さらにその赤味を増したかのように見え、一体どのような仕組からか一条の光線と化して、十数歩離れた所でのたうつ竜の眉間を見事に貫いた。
「──!」
声にならない悲鳴をあげて、ドウッと竜が崩折れる。
今度こそ本当に動かなくなった赤竜の死骸を前に、少女は、ようやくホウッと緊張を解き、額ににじんだ汗を右手の甲で拭った。

「ふうん、アレがそうか…」
少女は気付いていなかったが、この時、岩山の上から一部始終をつぶさに観察していた者がいた。
「お告げだの、夢占だのに振り回されるのは好かんが…あれほどの別品が相手ともなれば話は別だな──いいだろう。つき合わせてもらうぞ、我が「運命の導き手」!」


1.白き女神の巫女

「えーっ、駆け落ちィ?」
ファダートは、慌てて弟の口を押さえた。
「シーッ!声が大きい。父さん達に聞こえたらどうすんの。」
自分も決して小さいとは言えぬ声で、弟をたしなめてから、ファダートは肩を落した。
「…そうか、父さんや母さん、それにアンタがいるもんね。」
はぁっ、と深い溜息をつく。
このセフィロトの地を支配する、一対の夫婦神──主神の名はケテル・ゲブラ、主女神の名はケセド・ビナー。その妻神の方、美と愛の守り主、麗しく慈悲深き「白光の女神」ケセド・ビナーに仕える巫女が、4年に1度、この国中から10人選ばれる。
聖都であるゼフロスの大神殿に集められた巫女候補達は、そこで女神自身から直々に、様々な智恵や知識を教えられるのだ。
2年から3年の修行を終えた新米巫女達は、やがて各地の神殿に散っていく。信仰に厚いこの国では、巫女に選ばれるだけでも幸運とされ、まして、主女神の巫女は主神の神官と並んで、大いに信頼と尊敬を集めていた。
もっとも、彼女達は皆聡明で美しいが、通常生涯結婚することは許されない。そこで、ファダートの溜息が出てくる訳である。
「2、3年の修行ってのはいいのよ。」
ファダートは自慢の癖の無い金髪をいじりながら、独り言のように呟いた。
「大神殿では、多くの珍しい出来事を見聞できるでしょうし、失われた秘法の幾つかさえ、学ぶ事ができると聞くわ。それは、こんな辺境の村に住んでいては、どちらも適うはずのない事ですものね。でも…」
「コクマーさん程の価値は無いってわけ?」
柄にもなく姉が照れるのを見て、ティファレトは首を捻った。
(うーん、姉貴が女らしく見える。変だ。)
男勝りで評判のファダートに恋人が現れた事は、彼女が巫女に選ばれた事と並び、この村で近年稀に見る謎だと、ティファレトは密かに思っていた。
何しろ姉は、物心つくかつかないかぐらいから、一つ違いの弟を木剣持って追いかけ回し、村の学校に上がる五歳の頃には、すっかり近所のガキ大将になっているような、とんでもないじゃじゃ馬だったからだ。
最近でこそ両親の前では多少お淑やかに振舞っているが、陰では今でもこっそり弟に剣の相手を務めさせている、花も恥じらう十六の乙女とは、とても思えない少女だ。
しかし、コクマーといる時だけは姉も可愛らしいと、正直言って認めないわけにはいかなかった。元々、顔立ち自体は、若い頃近隣一の美女と言われた母の血を受け継いで決して悪くないのだ。(もっとも、その豪快な性格は冒険者の経験を持つ父親譲りだろうが。)
ただ、その気になれば、村中の男を負かす腕前を持つ姉が選んだのが、実の弟の自分と同じく、温和で学究肌のコクマーだった事には、当初意外な感じがしたものだ。
(まぁ、今になってみれば、二人が如何に似合いの恋人同士かはわかるけどね。)
「来年の今頃は、二人で一緒になろうって決めてたのよ。」
弟の沈黙にもめげずに、姉は喋り続けた。
「でも、まさかと思っていたあたしが巫女に選ばれちゃったでしょう? だから、これはもう駆け落ちするしかないって思ったんだけどね…」
再び、深い溜息を漏らす。
「何でやっちまわないのさ? 姉さんらしくもない──コクマー義兄さんが反対してんの?」
「それもあるけど──もし、あたしがこのまま駆け落ちして、巫女になるのを拒んだら、どうなると思う?」
逆に姉に問い返されて、ティファレトは首をひねった。
「そりゃあ、新しい巫女が選ばれて…」
「甘いわね。」
ファダートは弟の言葉を遮った。
「巫女の指名は、主女神殿の巫女頭様が直々に行われるのよ。それが、巫女に選ばれた娘が一人いなくなったからといって、次の代わりをそう安々と捜せると思う?」
ようやくティファレトにも、姉の言いたい事が呑み込めてきた。
「──って事は、親父の面目丸潰れってだけじゃなく…」
ファダートは陰気な顔で頷いた。
「良くて村八分。最悪の場合、残った両家の者が皆、不敬罪で牢屋行きって事も考えられるわね。」
「そ、そんなァ──」
姉弟の家は村一番の地主であり、代々村長も務める、この地方の小豪族と言ってもいい家柄だ。この家が潰れる事は、単に本人や家族だけの問題ではなかった。
コクマーの方にしても、今でこそさほど豊かとは言えないが、かつては准騎士の位を受けた事もある家系である。学業優秀なのも血筋らしく、代々の当主は都に留学して、皆それなりの成績を修めている。
恐る恐るティファレトが、姉の決断を尋ねようとした時、
「そうだわ!」
唐突にファダートが立ち上がった。先程までの陰鬱な雰囲気が吹き飛び、瞳が生き生きと輝いている。
ティファレトは嫌な予感がした。姉がこういう目をする時は、極めて物騒な事を考えているに違いない。しかも、その尻拭いをさせられるのは、いつも自分なのだ。
逃げ出す機会を伺っている弟の様子に、気付いているのかいないのか、ファダートは右手でティファレトの肩をぐいっと掴んで引き寄せた。
「ちょっと、耳貸して。」
村外れの林の中で他に人などいないのに、辺りをはばかり声を潜める様子が、滑稽を通り越してかえって真剣だった。
ボショボショボショ‥‥‥
「──そんなのムリだよ!2年も上手くいくはずないって!」
ファダートの耳打ちした言葉に、抗議の声をあげるティファレトだが、例によって口でも腕ずくでも姉に勝てるはずがなく、不承不承頷かざるを得ない所が気の毒だった。



「メイリア…メイリアはいませんか?」
薄い紗の天幕の向こうから、若い女性のものと思しき声が響いた。普通に話しているだけなのに、聴く者をうっとりとさせずにはいられない、陳腐な表現だがまさに銀の鈴をふるわすような音色だ。
大理石の柱の陰から、メイリアと呼ばれた女性が姿を見せる。
この女もまだ若い。十九──二十歳にはなっていないだろう。すらりとした体付き、艶やかな金髪碧眼。まずまずの美女と言って良かった。
「あの娘──ファダートは、どこにいるのですか?」
天幕の向こうの声が、大理石の石段で跪くメイリアに、穏やかに尋ねた。
「はい。ファダートなら、つい先刻、午後の祈りが終わると同時に書庫に籠ったようですが…」
「おや、それはそれは…勉強熱心な娘なのですね。」
「はい、それは確かに──」
メイリアは、他にも何か言いたいことがありそうだったが、咄嗟に口をつぐむ。
その微妙な間合を察したのか、「声」が、からかうような口調で促す。
「あの娘について、問題でもあるのですか、メイリア巫女頭?」
猶も一瞬躊躇した後、メイリアは思い切って「声」に打ち明けた。
「問題と言う程ではありませんが──あの娘は少し神経質というか、あまり仲間の者と親しくしようとしません。特に、水浴の時なども、決して他の者に肌をさらそうとしませんし…」
「内気ということなのかしら。そうは見えないけど…とにかく、私の方からそれとなく注意してみましょう。それはそうと、あの娘に教えてやりたい魔法があるので、御苦労だけど、呼んで来てちょうだいな。」
「仰せのままに、ケセド・ビナー様。」


「…「それ故、この種の爆裂系呪文を用いる時は、周囲の地形・地盤等に十分注意しなければならない。特に、満足な障壁も張れない者が室内で使用するなど、自殺行為に他ならないのである──」」
「ファダート、ファダァート!」
自分を呼ぶ声に、少女はピクッと肩を震わせ、真聖文字で書かれた書物を閉じると立ち上がった。急いで扉を開く。
「巫女頭様──お呼びでしょうか?」
所狭しと書物が並べられた書庫の一角で、そこだけが陽光に照らされているかのように、静かだが明るい雰囲気を周囲に漂わせていた。
小さな木の机とそれに見合う質素な椅子はともかく、椅子の背に掛けられた絹の肩布や手製のクッション、卓上の飾り燭台などは、若い女性の好みを反映して華やかな印象を周囲に与える。
それに何と言っても、書庫にいた少女本人が、見る者を「ほうっ」と唸らせずにはいられないだけの魅力を秘めていた。
肩の辺りで切り揃えられた金髪は、少しくすんだ茶色がかっており、黄金色というより明るい栗色に見える。黒曜石のきらめきを放つ瞳と、柔らかなパールピンクの唇が絶妙のコントラストを作り出し、それに優雅な顎のラインが彩りを添える。肌の色白さは天性のものだろうが、すんなりと伸びた肢体は、この少女が極めて健康的な育ち方をしてきた事を表している。
残念ながら、胸や腰の線は、まだあまり女らしいとは言えないが、十五、六歳という年齢を考えれば、それも仕方のない事であろう。
「女神様がお呼びです。すぐに祭壇の方へお伺いしなさい。…また、顔布を外してますね。ショールはともかく、ベールは神殿内でも出来る限り着けておくように。」
「はい、申し訳ありません。」
素直に頷くファダートを見て、メイリアも
(確かに、いい娘なんだけどね…)
と、不承不承認める。
「では、私は女神様の所へ。」
一礼して、書庫を出て行きかけた少女の背に向かって巫女頭は付け加える。
「ああ、それから…」
くるりとファダートは振り向いた。
「昼頃、出入りの職人が、貴女の作ったタペストリーを誉めていました。「いい仕事がしてある」と。」
パッと少女の顔が赤くなった。
「あ、ありがとうございます。」
バタバタと駆けていく後姿を眺めながら、メイリアはどうしてあの娘が女神のお気に入りなのか、わかるような気がした。

(フーッ、危ない、危ない。なるべく、巫女頭の機嫌を損ねないようにしなくちゃ。)
石造りの廊下を歩きながら、亜麻色の髪の少女は、内心冷汗ものだった。
鼻の下に布っきれがぶら下がっているのは、本を読むのに邪魔で仕方がないから、ベール──正式にはタリムと言う──を外していたのだが、うっかり、「巫女はみだりに肌をさらすべからず」という戒律を忘れていたのはマズかった。
(だけど、それならこんな衣装作らなきゃいいのに…)
丁度水浴の場まで来ていたので、水を貯めた桶に自分の姿を映してみる。
上下が一体になったボディスーツタイプの下着の上に、スタンドカラーで袖無しのブラウスとサッシュベルト。肘までの長さの手袋をはめ、膝丈の編み上げサンダルを履いてはいるが、剥き出しの二の腕や肩、薄絹の巻きスカートから透けて見える太腿が、かえって艶かしい。
無論、規定通りに肩布を羽織り被り物を着ければ、少なくとも肌の露出している部分は殆ど無くなる訳だが、どちらもスカートと同じく透き通る素材で出来ているため、隠すと言うより、魅きつける方に寧ろ効果がありそうだ。
「おや、見慣れない娘だな。新入りか?」
突然、背後から声を掛けられ、ファダートは飛び上がるほど驚いた。
いつの間にか傍らに、若い──おそらくは二十代後半位の男性が立っている。
黒い髪をやや短目に刈り込み、同じく黒い──ファダートよりもさらに一層深く玄い瞳をした、かなりのハンサムだ。
「どなたです?ここは、神殿の中でも巫女だけが立ち入れる奥殿。殿方は速やかに…」
「ハーッ、ハッハッハッ…」
ファダートが言い終えるよりも早く、偉丈夫は大声で笑い出した。
「確かに、一般の信者は愚か、主神殿付の神官と言えど、男はここに入る事を許されはしまい。だが、わしは特別だ。」
如何にも可笑しそうに細められていた瞳に、一瞬鋭い威厳が横切る。男の後ろに、彼の本当の姿が、影となって写し出されたように思うのは、気のせいでは無かった。
「!あ、あなた様は…」
「フフフ…そう、この神殿の主の連れ合い。神々と人を統べる王の中の王にして、天空の支配者。わしこそが主神ケテル・ゲブラである。」
芝居じみた言葉使いだったが、咄嗟にファダートは二三歩跳び下がって膝を折る。
「お、お許し下さい。新参の未熟者ゆえ、主神様の御尊顔も存じ上げず、大変失礼な真似を致しました」
「よい。巫女としての務めに忠実なのは、寧ろ、褒めるべきことだ」
主神は鷹揚に頷いてみせた。
「それにしても…」
主神(正しくはその現身)は、首を捻った。
「新たに巫女見習いが来て、早半年も経つというに、わしがお前の事を知らぬというのは奇妙だな」
「あの…私は元来内気なほうですし、またあまり目立ちませぬので、お目に止まらなかったのでありましょう」
おずおずと答えるファダートを、先程までとは微妙に異なる── そう、まるで品定めでもしているかのような目付きで、主神は眺め回した。
「…いや、お前が人目を魅かぬはずはあるまい。名は、何という?」
「はい、ファダート…と申します」
「ほう、それではお前が噂の女神のお気に入りか?」
ますます、しげしげと見つめられて、ファダートは居心地悪げに身じろぎした。
「あの…女神様のお呼びですので、もう、御前を失礼しても構わないでしょうか?」
思いきって切り出してみると、意外に主神はあっさり許してくれたが、彼の目付きが、どうもファダートは気にかかった。
そう言えば聞いたことがある。天空では並ぶ者無き全能の主神も、地上に降りた時は、かなり好色な一人の男性だと。
(冗談じゃない。いくら神様とは言え、男に抱かれるなんて、まっぴら!)
その日、折角、念願の高等呪文を女神様から教えて貰ったのに、ファダートは、あまり素直に喜べなかった。

彼女の予感は的中した。それも最悪の形で。
その日の夜、見張りの神殿騎士(勿論、女戦士である)を除いて、誰もが寝静まったはずの真夜中。
昼間の出来事が気がかりで、中々寝付けなかったファダートが、漸くウトウトと浅い眠りに入った頃。彼女は、夢現の中で、自分を呼ぶ‘声’がするのを聞いた。
その‘声’は甘く優しく、しかし、抗い難い強制力をもって、ファダートの体を半ば眠ったまま突き動かした。
初秋の三日月の下、フワッとした夜着一枚の少女が、ヒタヒタと裸足のまま石畳をさ迷い歩く。傍目には幻想的な光景と写っただろう。
ふと我に返った時、ファダートは、昼間、主神と出会った水浴場の前に佇んでいた。
「ほう、わしの誘導が解けたか。大した精神力だ。ますます、気に入ったぞ」
振り向いて見るまでもなかった。
「ケテル・ゲブラ様…」
月光を浴びて佇む主神の姿は、異様なまでの美しさと迫力を秘めていた。
全身から磁気にも似た生気が溢れ出している。それに魅きつけられない女性は、まず、いないと断言してよかろう。
「聞く所によれば、お前はこの神殿でも既に有数の魔法の使い手だと言うではないか」
一歩一歩近づきながら、主神の声は次第に甘い囁き声へと変わっていく。
「わしは頭の良い女が好きだ。そして、それ以上に── 」
すぐそばまで主神がやって来ても、ファダートは身動き一つしない── いや、出来ないのだ。
「…美しい者を愛する」
そっと、ファダートの頷を人差指で持ち上げると、その眼を覗き込む。
今までとは比べものにならない、強烈な「誘い」が、ファダートの心を無理矢理縛り付け、快い闇に引きずり込んでいく。
彼女が「堕ちる」事を確信しているのか、ゆっくりと主神は少女の瑞々しい唇を自らのそれで奪った。
そのまま、たおやかな少女の身体を抱きすくめようとする。
「!」
あり得べからざる事だった。
ややぎこちない仕草ながらも、少女は敢然と主神の抱擁を振りほどいてみせたのだ。
「馬鹿な!並の女が、わしの眼光に逆らえるはずがない!」
思わず驚愕の叫びを漏らしたケテル・ゲブラは、突然何を思い付いたのか、カッと目を見開いた。
「まさか、貴様…」
素早く少女に飛びかかる。まだ完全に体の自由を取り戻していないファダートは、簡単にその手に捕らえられた。
彼女の白い首筋の下の稚い胸元を引っつかむと、主神は荒々しく夜着を引き裂いた。
ファダートは咄嗟に襟元をかき合わせるが、既に遅かった。
「やはり…!貴様、主女神の神殿に男が紛れ込んで何をしている!」


「要は、あんたがボロ出さなきゃいいのよ。そうすりゃ、あたしはコクマーと一緒に逃げられるし、あんたはあんたで、主女神殿で好きな本を好きなだけ読めるわ」
「そんなァ、見つかるに決まってるだろ!胸は無いし、その…股間だって違うんだから。」
「それは大丈夫なのよ。主女神殿の巫女は戒律で元々肌を人前にさらさないから、衣装もそれに合わせたタイプのものだし、第一、女ばっかりの神殿の巫女にる男が混じってるなんて、誰も思う訳ないじゃない。あんた、あたしに似て割りと美人だしさ。成人前だから、髪も伸ばしたまま切ってないでしょ」
「大胆過ぎるんだよ!もしバレたらどうすんだよ。」
いささか押され気味のティファレトの最後の抵抗も、あっさり一蹴される。
「あんたさえドジ踏まなきゃ、大丈夫よ。それに── 」
何の根拠もなく断言すると、ファダートは、ニヤッと意地の悪い笑い方をした。
「去年の村祭りの舞台で女役やって、結構ノッてたじゃない」
「姉貴ぃ、言ってる事がメチャクチャだよ…」
(こういう人なんだ、昔っから…)
「とにかく、後は任せたわよ」
とっくに反論する気力を失っているティファレトに、姉は駄目押しの一言を入れた。


ファダート── と偽っていたティファレトは、主神の怒りの前に今や絶体絶命の危地追い込まれていた。
「ケ、ケテル・ゲブラ様、これには」
「言い訳など聞かぬ。大方、妻にその奇麗な顔を見染められて、わしの目を盗んで間男しておったのであろう。フン、大したお気に入りだな!」
完全な誤解だった。確かに、ティファレトの素質を見込んで、女神は、いにしえの秘法・奥義とされている魔法の幾つかを、度々自ら教えてくれたが、殆どは薄幕越しの口伝のみ。難しい動作を伴う法の時だけ、姿を見せたに過ぎず、ティファレトはこの半年間で、片手に余るほどしか主女神の御顔を拝見していないのだ。
まして、女と偽っているバレぬよう、同僚の巫女達とさえ身近な接触は避けてきたのだ。こともあろうに女神様とそのような関係など、成り立つはずが無かった。
「八つ裂きにしても飽きたらんが、ただ殺しはせぬ。その代わり── 」
主神は思わず背筋が凍るような笑みを浮かべた。端正な容貌だけに、一層凄みがある。
「貴様に、男として最大の屈辱を与えてやろう。」
言い終わるよりも早く主神の右掌に緑色の光球が膨れ上がり、次の瞬間、光球を突き破ってライムグリーンの光線が一直線にティファレト目がけて襲い掛かった。
「くっ…」
咄嗟に、習い覚えたばかりの魔法防御の陣を張るが、最強の神の力の前に如何に素質があるとはいえ素人同然のヒヨッ子が張った障壁なぞ、易々と貫かれる。
全身の細胞が煮えたぎるような激痛の中、ティファレトは、意識を失わぬよう自分の精神に「タガ」をはめるのがやっとだった。
何秒くらいたったのか、おそらくは十数えるか数えないかの間だろうが、本人には永遠にも思える苦痛の後、緑光は始まった時と同じ唐突さで途切れた。
いつの間にか床に倒れ伏し、のたうち回っていたティファレトは、ようやくボンヤリと目を開け視線だけで周囲を見回した。
三歩程離れた場所に主神が胸の前で腕組みをして立っているのがわかったが、まだ自力で起き上がる気にはなれなかった。
確か、緑色の光は変化の魔法だったはず…醜く変貌したであろう己れの姿など出来れば見たくはなかった。
ひょっとしたら、既に「人間」ですらないかもしれないのだ。
だが、何も見ずに床に横たわっている事も許されるはずがなく、気力を振り絞ってティファレトは床に両手を突き、上半身を起こしてみた。細胞変化の副作用か、体に全く力が入らない。
ゆっくりと主神の立っている方へ首を巡らせたが、無表情なまま主神は何も言わない。
水を汲んだ桶の所までのろのろと這い進むと、ティファレトは恐る恐る自分の顔を映してみた。
やや蒼ざめ、頼りなげには見えるが、いつも見慣れたいつもの容貌がそこにあった。
両手を見る。男にしては色白で、形の良い爪としなやかな指を持つ自分の手だ。
ティファレトは安堵しかけたが、今度は全く別の不安に取り憑かれた。主神はひょっとして、僕の外見ではなく肉体の機能を狂わせたのかもしれない。例えば歩行能力とか…
急いで夜衣のスカートを捲りあげると、足はちゃんとあったし、疲れきってはいたが、太腿から爪先までまともに動いてくれた。
(だとしたら、一体主神は僕にどんな術をかけたのだろう?)
それを機に思い切って立ち上がりながら、ティファレトは首を傾げた。
主神は相変わらず無言のままだったが、心なしか唇に微笑が浮かんでいるようだった。
彼の視線を辿り、自分の胸元に目を落としたティファレトは、ハッと息を呑んだ。
主神に引き裂かれた夜着の破れ目から覗く二つの丸みを帯びた膨らみ── それは、紛れもなく女性だけが持つはずの「乳房」に違いなかったからだ。
「ほう…」
今や、はっきりと嘲りの表情を隠そうともせずに、主神が唇を歪めた。
「成程、確かに女と偽るだけの事はある。その美貌、女と化しても不自然などころか、かえって絶世の美女と言っても差し支えないな」
その瞳に不穏な影がよぎる。
「このまま奴隷にでもおとしめる積もりだったが、気が変わった。天神宮に連れ帰り、わしの側妾(そばめ)にしてくれる。これだけの美人を見過ごすのはいささか…」
主神の眼光の放つ圧力に耐え切れず、ティファレトは目を背け、胸元を隠したままじりじりと後ずさるが、目前の男神から逃れる術は無い。
「あなた達、一体そこで何をしているのです!」
まさにその時、主神の後方に人の背程の大きさの光球が現れ、眩ゆい白光を放った。
凛とした声は、球の中から聞こえてきたようだ。すぐに、光は女性の姿を取る。
「女神様!」
主神の注意が背後に向けられた隙を突いてティファレトは駆け出し、彼の脇をすり抜けて主女神の側に逃げ込んだ。
「まァ、また貴男ですのね!こんないたい気な娘にまで手を出して…少しは神として、いえ、男として恥を知りなさい、恥を!」
この世のものとは思えない(事実そうなのだが)銀髪碧眼の美女が、カッと柳眉を逆立てて怒る様には、とてつもない迫力と威厳があった。
「ま、待ってくれ、わしは── そやつは…」
「言い訳は聞きません」
先刻の主神が言った言葉を、そのまま主女神は彼に叩きつけた。「神々の王」も妻の前では形無しである。
「可哀相に、こんなにおびえているじゃありませんか…即刻、この神殿から立ち去りなさい」
「何だと、わしは神々の中の王、何よりもそなたの夫なのだぞ!」
「ならば私は神々の女王、そして、貴男の妻である前に一個の女神──この神殿の主です。私の目の届く範囲で狼藉は許しません」
毅然とした態度を崩さぬ主女神に、かなわぬと諦めたのか主神は、もう一度ティファレトを一睨みすると、フッとその姿を消した。
やがてその気配も完全に消え去ってから、女神は傍らのティファレトを振り返る。
「話を聞きましょう。ついてらっしゃい」

「…それでは、あなたは、姉である本物のファダートの身代わりとして来たと言うのですね」
結界の張られたケセド・ビナーの私室で、女神が手ずから入れてくれた香茶のカップを両手に支え持ちながら、ティファレトはコクンと頷いた。
「はい。確かに無茶なのは分かってましたけど、姉を恋人と永久に引き裂くのは忍びなくて…」
「愚かな事を── 聞いていなかったのですか?巫女に選ばれた娘は、確かにここへ来て二年間修行する事を義務づけられていますが、必ずしも巫女にならなければならない訳ではないのです」
「エッ!?」
「修行させるのは、言わば学問を学ぶ機会を与えている訳で、二年目の終わりに改めて巫女になる意志の有無を確認します。そのまま村に帰って一介の呪法師となっても、少しも差し支え有りません。実際、年に一人か二人は必ずそういう娘がいますよ」
ガーンという派手な擬音付きで、ティファレトの頭の中で鐘が鳴った。
「じゃ、じゃあ、僕が身代わりになる必要は…」
「全く有りませんね。お姉さんも、二年位結婚を我慢出来ないはずはないでしょうから。第一、」
女神は言葉を切ると、クックッと笑った。
「修行を真面目にやらなければ、巫女の資格なぞ与えられないのですよ。もっとも、ここの主たる私が言うべき言葉ではありませんが」
それから、やや表情を改め、未だ「衝撃の事実」にボーッとしているティファレトに尋ねた。
「それで、一体あなたはこれからどうする積もりなのですか?」
はっと、我に帰るティファレト…だが、そこまで考えているはずがない。
「どう…と、おっしやいますと?」
「例えば、」
チラッとテイファレトの全身を見回し、
「このまま、ここに残って修行を続けますか?幸いあなたには稀に見る適性がありますし、名実共に「女」になったのですから、あなたが巫女になる事にもはや何の支障も有りませんよ」
冗談じゃない。テイファレトはフルフルと、首を横に振った。
「そうですか。では、少し面倒な事になりますね」
女神は少し考え込んでいる。
「主神には私からよく話してみますが、どんな理由があったにせよ、あなたが神を偽ったことは事実なのですから、只であなたに掛けられた術を解く事は出来ません。しかし、その様子だと、あなたは男に戻りたいのでしょう?」
「当然です!」
「それでは、条件付きで──という事になりますか。あなたに一つ使命を課しましょう。その使命を見事果たす事が出来た時、貴女を元の姿に戻してあげます。使命の内容については…そうですね、術をかけた主神と話し合って決めるとしましょう。」

数日後、取りあえず普段通りの生活に戻っていたティファレトに、主女神から思いがけない「使命」が言い渡された。
「神器を一つ見つけなさい」
神代の昔に作られて、今は大天使となりし古代の聖戦士が用いたという、伝説の六つの武具── 天界から失われて久しいこれらの一つでもよいから見つけてみろというのだ。
「…それが無理だと思うのなら、もう一つ、別の条件もあります」
ほっとしたのもつかの間、主神が考えついたというその「条件」は、内容としてはごく簡単なものだったが、実際に為し遂げるとなると、これ程難しいものはないと言える代物だった。
如何にも一筋縄ではいかない主神らしい。こうなったら何年かかろうとやるしかない。使命を果たすまで主都外追放というオマケまで付けられては、ティファレトも覚悟を決めるしかなかった。
それでも女神は、「約束」の印としてティファレトの髪を、その姉と同じ──いや、それよりもさらに見事な金髪へと変えてくれた。
主女神の巫女として一人前と認められた者に贈られる女神の祝福──真摯な祈りに必ず応えてくれるという加護の証だ。加えてティファレトの場合は、使命を果たせば男に戻すという約定の意味もあった。
「もう、行くのですか?」
「はい、巫女頭様。色々とお世話をかけて、申し訳ございません。この様な旅支度まで揃えて頂いて…」
女神は詳しい事情を伏せて、「主神の機嫌を損ねたため、その代償としてある試練を科された」とだけ、巫女頭に説明していた。そのため、新米巫女の「不運」にいたく同情した先輩達は出来る限りの便宜を計ってくれたのだ。
「そのような事は気にしなくても良いのです。それより、一日も早く使命を果たして無事に帰ってらっしゃい。わたくし達は貴女の幸運を祈って待っていますよ」
巫女頭以下数名がわざわざ見送りまでしてくれる。
「最後に一つ、女神様から伝言です。
「己れの半身に気を付けなさい。この旅の途中で必ず貴女はそれと出会い、そして運命が変わるはずです。」
と」
「──運命が?」
この時の言葉を後にティファレトは思い出し、それに気をとめなかったのを後々悔む事になる。
ともあれ、ティファの── そしてさらに多くの人々の運命の輪までもが、この日を境に回り始めたのである。



2.辺境の道連れ

荒原の一角の小さな町── その目抜き通りでもやや端の方にある店の表に、優に一抱えはある赤竜の首が無造作に放り出された。
薬問屋の看板を掲げた店の主人は、チラリと竜の首を見、それから、しげしげと売り手の風体を眺めてから、小狡そうに目を細めた。
(外衣に長靴と剣…ふん、流浪者か。)
「…そうさなぁ、大体五百デリラってとこかね。」
「何だって?そいつは安い!北方じゃ、竜の首は最低でも千デリラにはなると聞いたぞ!」
慌てて喰ってかかる旅人の外衣のフードがはらりと落ち、その見事な金髪が現わになった。
若い…おそらくはまだ十代であるだろう女性──いや、少女だ。
砂埃に汚れ、照り付ける日差しにうっすらと日焼けした色こそ見られたものの、十二分以上に鑑賞に堪える顔立ちをしていた。
相手が女だと見て、店主の態度がますます横柄なものとなった。
「おまけして五百五十デリラだ。これ以上は銅貨一枚出せんね。嫌ならいいんだよ。他所へ行っとくれ」
意地悪く、こう言い足した。
「──もっとも、竜の首なんて代物を扱っているのは、この町じゃあウチぐらいのもんだけどね」
完全に少女を舐め切っている。
「クッ…」
唇を噛んだ少女に、店主は一転して猫撫で声をかける。
「それより…どうだい、ウチの従兄が百クビドばかり向こうで、居酒屋兼安宿をやってるんだけどね。酒場の踊子が足りないってボヤいてるんだよ。お嬢ちゃんなら、月に五百や六百は軽いよ」
店主の口振りからして、踊るためだけの「踊子」でないのは明らかだった。
「なっ…」
思わず、助平そうな中年のオヤジを一発殴ってやろうと身構えた少女だったが、振りかざした拳は、背後から力強い手によって引き止められる。
「エッ!?」
咄嗟に振り向いた少女の目には、余程長身なのであろう、その人物の首から顎くらいまでしか見えない。鋼の胸甲を着けた男性としかわからなかった。
「五百五十じゃあ、確かに安すぎるぜ。ここいらじゃ竜首を二千デリラで買っても、儲けはそこそこ出るだろう」
少女の右手首を握ったまま、男が口添えしてくれたのはいいが、聞き覚えのない声だった。誰だろうと訝しむ。
「まァ、嫌ならそこらの骨董屋にでも持ってくさ。向こうも赤竜なら喜んで買ってくれるだろうよ」
店主は流石に鼻白む。
「ま、待ってくれ、誰も買わないとは言っていない」
「じゃあ、二千で決まりだな」
「そいつはちょっと…」
「買うよな?」
男の眼光と言外に滲み出る迫力に気押されて、店主は渋々頷いた。
「…二千デリラだ」
「よォし、乗った」
男はようやく少女の手首を放し、三クビト近くはありそうな竜の首を軽々と右手一本でぶら下げ、店主に差し出す。軽量化の魔法は既に切れている頃だから、子牛ほどの重さがあるはずだ。それほどの馬鹿力の持ち主には見えないのだが…
案の定、中年の店主は一人では支えきれず、店の奥から息子らしい人物の名前を呼んで、二人がかりでやっと奥へ運び込んだ。
戻って来た時には、今度は銀貨のたっぷり詰まった袋を手にしていた。
「クソッ、持ってけ、泥棒!」
「フフン…ボヤくな、ボヤくな。上手く加工すりゃ、この三倍の金が手に入るんだろうが」
「それもそうだな。元手がかかったんだ。せいぜい稼がせてもらうか」
先程の殺気が嘘のような軽いやりとりを店主と交した後、男はくるりと振り返り、呆気に取られていた少女の肩をポンッと叩いて、銀貨の袋を握らせる。
「ほら、せっかく軍資金が入ったんだ。先ずは酒場で祝杯といこうぜ」

薬屋の従兄が経営するという酒場に入り、男が勝手に注文した蜜酒のグラス二つの内の一つに口をつけると、ようやく少女は茫然の境地から醒め、かなりキツい視線で目の前の男性を見据えた。
「──余計な真似だったけど、一応礼は言っておく。少なくとも、私より高価く売れた事だけは確かだから」
椅子に座って初めて、少女はその男の顔をまともに見ることが出来た。先刻までは思いがけない展開に気を取られてそれどころではなかったのだ。
少女も決して女にしては背の低い方ではないが、男はおそらく彼女よりも七デビド──優に頭一つ分は高かった。
最初に目につくのは斜めに背負った両手持長剣──もっとも今は椅子の横に立てているが──だ。実用本位でありながら決して安物ではない鞘に納められているし、使いこまれた柄の作りも割と上等で、持ち主がそれに重きを置いている事がわかる。加えて、擦り切れた外衣の下からは薄汚れた鋼鎧と粗末な洋袴、頑丈そうな長靴が覗いている。どうやら流れ者の傭兵らしかった。
背丈や格好の割に威圧感が無いのは、かなり痩せぎすなせいだろう。勿論ひ弱な印象を与える程ではなく、寧ろ若い狼のような精悍さに満ち溢れている。着衣と合わせたかの様に目も髪も灰色だが、南方系の血が混じっているのか、肌はかなり浅黒い。
「礼なら、もう少し形のあるもので示して欲しいね」
「幾らか寄越せと?」
「二百デリラ──売り上げの一割ぐらい、仲介料にくれたってバチは当たらないと思うがなぁ」
「…わかった」
素直に少女が袋から銀貨を取り出して卓の上に置くと、突然男は笑い出した。
「──ほら、それだ」
「?」
「あんた少々人が良過ぎるんだよ」
男は酒を一気に飲み干し、わざと意地汚くプハーッと息を吐いた。
「手っ取り早く言えば、あんまりにも金に執着心が無いんだ。見た所、その格好じゃあお金が有り余って仕方がないって御身分でもなかろう?だったらもう少し金に汚くなきゃ、この世の中上手く渡ってけないぜ」
器用に片眼をつぶる。年齢に似合わぬ悪戯っ子のような表情だ。
「世間知らずのお嬢様にゃあ、見えないがなぁ」
お節介な奴めと思いながらも、言ってる事はもっともなので少女は不要領に頷き、銀貨を袋にしまおうとする。
「おっと、そいつは頂いておこう。折角くれるってんならな」
椅子の背にもたれ、行儀悪くギィギィ鳴らしていた男の手が、素早く卓上の銀貨をかっさらう。
「…金を大事にしろって、言ったんじゃなかったっけ?」
少女が睨みつけても、男は平然とうそぶく。
「そうさ。だから、俺自身が身をもってお手本を示してやったってワケ」
給仕女を呼び止めると、今飲んでいるのよりは、大分上等な酒を二杯頼む。
「おごりだ。もっとも、元々の金の出所はあんただけどな」
からかうように透明なグラスを掲げて、少女を透かし見る。
「名前は?」
「え?」
「乾杯するのに名前がなくては不便だろう?それとも、「お嬢さん」と呼んで欲しいのかい?」
「よしてくれ」
少女は顔をしかめた。
「ティファでいい」
「ティファ…ティファリア(麗しき乙女)か?俺はエイドス。一匹狼と言やぁ聞こえはいいが、単に今まで相棒が見つからなかっただけだ。よろしくな」
元より、ティファには毛頭よろしくなんかする積もりは無いが、取りあえずここで何を言っても無駄のようだ。僅か四半刻の会話からも、その事は十分伺えた。
届いた果実酒のグラスを口に運びながら、ティファはこっそり溜め息をついた。


あれから二年もの歳月が流れていた。
故国を出た時、僅か十六歳にも満たなかった彼…いや彼女も、今では十八歳──本物の女性なら、そろそろ結婚を考えてもいい年頃になっている。
勿論、ティファ──ティファレトには、そんな気は更々無い。第一、この身体で、誰とどう結婚すると言うのだ?
男となんかはふるふる御免だし、女に言い寄っても冗談か、せいぜい同性愛者だと思われるのが関の山だ。
しかし、ティファレトには主女神との「約束」が有った。
「試練」を果たせば元の肉体に戻して貰える──言い換えれば、それを果たさない限りは男には戻れないって事だ。
それにしても──と、ティファはその条件のひとつを思い出し、久し振りに主神に対する悪態を(勿論心の中で)つく。 並の状態だって、「そんなモン」を見つけるってのは結構難しいのに、この身体でなんて…大体元はと言えば、姉のファダートの我儘から始まったのだから、あの二人が責任を取るべきだ。人の苦労も知らないで…
(やめた、やめた。愚痴ってても仕様がない。身から出た錆なんだから)
神を──それも、主神と主女神を欺いたのは紛れもない事実、本来なら死罪を与えられても文句は言えない立場なのだ。
(もっとも死んだら文句言う事も出来ないけどね)
スタスタと大股で足早に歩いていく所は男の身ごなしそのものだが、遠目にも鮮やかな金髪や整った顔立ち、すらりと優美な体つきなどは、道往く人々の視線を引き付けずにはいられない。
実際、質素な旅暮しにも関わらず、この二年間でティファの容貌はさらにその美しさを増している。
身長も成長期のためか二デビド足らず伸びて、もう並の女性よりはかなり高くなっていた。(それでも、同じ年頃の少年達に比べれば多少低いと言わねばならないが。)
しかし、並外れた美貌や華奢だが要所要所は女らしく丸味を帯びた肉体を持っている割に、「彼女」は少しも女っぽくなかった。
妖精族と比してもひけを取らぬ美しさ──だが、例えどんな女たらしでも、ティファを口説く事には二の足を踏むに違いあるまい。
ありていに言ってその魂── 気質そのものは外見と全く異なり、少年のままであるため、にじみ出る雰囲気が無意識の内に男達に敬遠されるのかもしれない。
ティファレトにとっては寧ろ、道中「男に言い寄られる」などというおぞましい経験をせずに済むのだから、好都合には違いない。
そうでなくても、「美少女」の一人旅なんぞには苦労がつきまとうのだから。
例えば、日々の糧を得る方法一つにしてもそうだ──
「おい、傭兵。何処までついて来る気なんだ、鬱陶しい…」
「何だ、やっぱり気付いてたのか」
悪びれる風もなく、路地の陰からつい先刻別れたばかりの男が姿を見せる。
「しかし、「おい、傭兵」 はないだろう?お前さんは一応俺より年下で、仮にも女なんだから」
フンと鼻を鳴らして、ティファはエイドスの言葉を一蹴する。
「生憎自分より尊敬出来る人物でない限り、目上とか先輩といえども特別扱いはしない事にしている」
「か、かあいくねー女だなぁ…」
可愛いと言われて喜ぶ男がいるもんか。
「まだ質問の答えを聞いてないぞ、傭兵」
「傭兵はやめてくれ。俺にゃあ、これでもエイドスって立派な名前があるんだからな、お嬢ちゃん」
「エイドス!」
「はいはい。えーと、どこまでと言われれば…とりあえすはお前さんと目的地は一緒だって答えとこうか」
「私が何処に行くつもり知ってるのか?」
ティファは驚き半分、疑い半分といった目を向ける。
「いや、全然。でも、当分は俺、お前さんについてく事に決めたから」
「勝手に決めるな!」
「まぁまぁ、「 旅は道連れ、夜の情けは人の為ならず」 とも言うし…」
いい加減な事を言いながら、ティファをなだめるように両手を上げて近付いて来たエイドスが、不意に彼女の耳元で囁いた。
「後ろの木蔭に三人、右手の小路に二人、尾けて来てる。心当たりは?」
ギクリと顎を引いたティファを見て、
「有るんだな…」
やれやれと、溜息をつく。
確かに二三の心当たりなら、有り過ぎる程有った。
何気なくエイドスはティファの肩を抱く様にして、彼女を後方から庇う位置に立った。 傍目には口説き文句を囁いている様に見える姿勢で、提案する。
「もうちょい先に、木立ちに囲まれた広場が有る。そこでケリをつけよう」
ティファも仕方無く頷く。どういう訳か、この男が敵とグルだとは考えなかった。
意外と整っている癖に、妙にとぼけた人懐っこい男の顔が、警戒心を全く引き起こさなかったせいだろう。
そう考えて自分を納得させる。
これ位の大きさの町ならどこにでもある主双神の祠の前まで来ると、二人は足を止めた。 素早く体の向きを変え、祠の方を背にして後ろの五人を待ち構える。
途中から導かれている事に気が付いていたのだろう。悪びれもせず、五人の屈強な男達が、通りにつながる狭い路地からヌッと姿を現した。
「巫女ティファレトだな?」
先頭の男が話しかけてきた── 質問というよりは確認だ。五人の中で一番小柄だが、他の四人の筋肉バカタイプとは明らかに異なる知性の色が見える。
「違う…と言っても無駄か。如何にも、私がティファだ」
少女は軽く肩を竦めた。
「大体想像はつくが、用件は何だ?」
黒いマントに身を包んだリーダーが答える。
「我が神の名に於いて──汝を粛正する!」
彼の後ろにいた四人がサッと散らばって、二人を取り囲んだ。右手に新月刀を正眼に構え、左手は衣の中に隠されている。チラッと金属の輝きが覗く所から見て、大方短剣でも握っているのだろう。
構えを見ただけで、男達の腕前が中々のものだとわかった。少なくとも、そこいらにいるチンピラ兵士が数人がかりでも倒せないのは明白だ。
「今ならまだ間に合う。逃げろ、エイドス」
ティファの忠告が聞こえているだろうに、エイドスは四方から発せられる殺気をどこ吹く風と受け流している。剣も背中の鞘に入ったままだ。
「なぁに、気にするこたァないさ。俺が自分から巻き込んでくれと言ってるん…だからッ!」
言葉が終わる前に、エイドスの前方にいた男が脳天から胸まで縦一文字に血を噴き出しながら倒れた。
見れば、エイドスの右手に抜き身の長剣が握られて刀身を一筋の紅に染めている。一体いつ抜いたのかすらわからぬ、凄まじい居合斬りの手法だった。
「なっ?後、四人だろ」
ティファレトは呆れて声も出ない。
力はともかく、速さではそれなりに自信を持っていた私の目にも止まらないとは──
だが、感心している暇は無かった。仲間の死にいきり立った三人の男達が、息もつかせぬ猛攻を仕掛けて来たのだ。
左右からリーチの違う二本の刃物が次々に繰り出され、油断していると足元に蹴りを叩き込まれる。この無駄のない戦法は──
「こいつら、ひょっとして「 砂漠の蠍団」 の奴らか?」
エイドスが二人の暗殺者を相手にしながら喚いた。四本の刀を一本の長剣であしらうという離れ業をなんとかやり遂げている。
鋭い音と共に新月刀が宙に舞い、片方に深傷を負わせる。残りは一人ずつ。
「ほう、思わぬ強力な助っ人がいたか。しかし…」
そう言うと、やや離れた位置にいるリーダーは両手で印を結び、怪しげな呪文を唱える。 その途端、ティファは急に体が重くなったように感じた── いや、正確には自分の体力の方が落ちたのだと気付く。
たまらず、ティファレトは膝を折る。一瞬注意が逸れた隙を突いて、暗殺者の一人が袈裟掛けに切り込んできた。
(殺られる!)
思わず目をつぶったティファは、頬に落ちる生暖かい感触に恐る恐る目を開けた。
目の前の男は刀を振りかぶって踏み込んで来た姿勢のままで立っていた。
違うのは、彼の左胸からまるで装飾の様に剣の切っ先が生えている事だけ…
死んだ男の首の横から、ヒョイッとエイドスの顔が覗いた。
「へへっ、貸しにしとくぜ」
言うより早く、長剣は死体の胸から抜けている。
支えを失って、暗殺者の死体はティファの上にとゆっくり倒れてきた。
脱力の法をかけられているティファに避ける術は無い。まともに死体の下敷きになった。
「バカヤロー、場所考えろ!」
と、叫んでみせたのは、半分助けられた事の照れ隠しだ。
ようやく男の体の下から這い出して立ち上がると、七クビト程向こうでエイドスと黒服のリーダーとが対峙していた。
「馬鹿な…何故だ?何故貴様は動ける?私の術で普段の十分の一の力に落ちているはずなのに── 」
「生憎だったな。十分の一だろうが、百分の一だろうが、この俺にゃ、そんなチャチな魔法はきかないんだ…よっ!」
横一文字に薙ぎ払われた剣をフワリと飛んでかわした黒服の男は、素早く先程とは別の印を組んだ。
「万物に宿りし重さの精霊よ…」
(あれは── 「力場重豪圧潰」!)
「駄目だ、逃げろ、エイドス!」
忽ちエイドスの周りに円筒形の陽炎の如き歪みが生じる。内部では通常の百倍近い重力が、掛かっているはずなのだ。
しかし、当の本人は至って涼しげな顔を見せている。
「ふん、屁でもない」
無造作に力場の壁を抜けて来たかと思うと、信じられない光景に未だ己が目を疑っている男の胸に、あっさりと長剣を突き刺した。
途端に男の表情が無様に崩れる。
「何故だ、なぜ…」
体の痛みよりも、己れの術を破られた事の衝撃に引きつりながら、男は息絶えた。
「済んだぜ。」
ポンと肩を叩かれるまでは、見ていたティファでさえもしばらく呆然としていた。
「どうだい、中々役に立つ相棒だろう?」
エイドスの馴れ馴れしい口調で我に返ったティファは、じろりとエイドスを睨みつけた。 「命の恩人に対する割には、あんまり友好的な目付きじゃないなぁ」
のほほんと呟くエイドスの言葉を無視して、極めて端的な疑問をぶつける。
「エイドス、あんた一体何者だ?」
「ただの風来坊の傭兵── じゃあダメか?」
「駄目!大体何であの術を掛けられて平気なんだ?あんたも魔法の心得があるのか?それとも── ひょっとしてあんた人間じゃないのか?」
呪文の無効化── 魔力中和は、決して人の身では習得の能わない特殊な技術の一つだ。
やれやれという風に首を振るエイドス。
「来いよ、立ち話もなんだ。宿を捜そう…つっても、馴染の所があるんだが」
「同じ宿に泊まれと言うのか?」
「別に一つの部屋だって言ってる訳じゃないぜ── 」
ニヤけた顔を見せる。
「もっとも、俺はそうしてくれた方が嬉しいけどな」
「はぐらかさないで、答えろよ!」
わざとらしく溜息をついたエイドスは、
「お前さん、本当に言葉遣い悪いねえ。まぁ、ティファが俺の事を相棒と認めてくれるんなら、話すよ」
と、ごく理に適った提案をする。確かに自分の秘密を見ず知らずの相手に打ち明けねばならぬ謂れはない。
しばらく躊躇していたティファだが、結局持ち前の好奇心には勝てず、ついに折れた。
「当分の間だけだぞ」

「さてと…それじゃ聞かせて貰おうかな」
表通りでも少し外れた位置にある、決して汚くはないが、あまりボラれもしないだろうという程度の宿に、二人は腰を落ち着けた。
自分で言った通りエイドスはこの「杏苑亭」の主人と顔馴染らしく、暫しの交渉で開いている中でも一番上等な部屋を一つ、一人分の値段で確保してしまった。
寝台が二つ有るという事で、ティファは渋々納得したのだが、妙に宿の主人の冷やかすような笑いが気になった。
「?…何の事だ?話を聞かせて貰うのは私の方じゃないか」
「チッチッチッ…」
エイドスは気取った仕草で突き付けた人差指を振ってみせる。
「元はと言えば、お前さんが妙な連中に絡まれたからだろうが。一体全体どういう訳で、純情可憐な美少女が、かの悪名高き「砂漠の蠍団」に追われる破目になったんだい?」
「その事か…」
ティファは露骨に顔をしかめる。
「──まぁ、あんたにだけ話をさせるのは不公平だからな。簡単に言えば…」

「砂漠の蠍団」は本来、星の女神グラム・ガザノアの星神殿に属する下部組織である。
神殿の下部組織は、その祀る神によっても機能は様々である。例えば主神ケテル・ゲブラの下部組織「エマノンの眼」は各地の貴族達の動向を監視し、背教者を摘発する諜報機関の色彩が濃い。逆に、月女神ティータ・グラムの「朧夜の輪」等は、信者同士の友好や学識を深めるための同好会的な集まりと言える。
「砂漠の蠍団」の場合、目的は二つある。一つは他の組織と同様、「反逆者の粛正」。そしてもう一つはズバリ、「新しい巫女の調達」であった。
夜の女神ティータ・グラムの従属神であるグラム・ガザノアは、別名を「快楽の女神」とも言われる。その事を忘れ、城塞都市ベヒムでガザノアの神殿を参詣したのが、ティファの運のツキだった。
一般信者向けの祭壇の前に膝まずき、正式な祈礼を行っていると、突然ガザノア神殿の巫女達に声を掛けられたのだ。
巫女達は祈礼を知るティファに興味を持ち、はずみでティファがケセド・ビナーの巫女であった事を話すと、急に親切になって夕食に招待してくれたのである。
同じ巫女としての親近感かと、単純に思い込んだティファが馬鹿だった。
相手が二三歳年上でかなりの美人であった事も、男性のメンタリティを持つティファを油断させていたのかもしれない。
夕食が終わる前に一服盛られたティファは眠り込み、その夜の内に夢明香を嗅がされた状態で、ガザノア女神の巫女となる儀式を受けさせられてしまったのである。
元来夢明香は、金持ちが聞き分けのない妻や愛人を自分の意のままにするために用いる情動麻痺薬である。この香を嗅いだ者は一切の感情が麻痺して自発的意志を無くし、催眠術にかけられたかの様に周囲の言うがままの行動を取ってしまうのである。
しかも、どこか人形めいた動きになる催眠術と異なって、夢明香は「自分がそうする事を望んでいる」かの様に思い込ませてしまう事が出来るのだ。
半ば夢うつつのままティファは巫女の儀礼用衣装を着せられ、一般の信者は立入禁止の奥殿で儀式を受けた。巫女頭の「問い」に応えてティファの口から「誓い」の言葉が繰り返される。
そして、すぐ翌日には未だ香が効いている間に初めての「奉仕」に出されたのだ。
ガザノアの巫女の「奉仕」とは── それは全てこの巫女の衣装が物語っている。
一辺が中指程の三角形の黒い革布を二つ、同じく黒の革紐で繋ぎあわせただけの胸当て。腿の付根も同じ位の大きさの三角革で覆うだけだ。
その上から、殆ど透き通っている白の薄絹を一枚、体に巻きつけてドレスとし、両腕両脚には銀の輪を何個もはめてある。
髪はわざと無造作に垂らし、その上にドレスと同じ素材のベールを被る。
そう、その衣装は完全に「見る」事と「脱がす」事を考えて作られていた。「快楽の女神」の巫女とは、神殿付きの高級娼婦に他ならないのだ。道理で夢明香の扱いなんぞに長けているはずである。
幸い、儀式の翌朝には暁光の加護によってティファは自我を取戻し、そのお蔭で迫ってくる「客」(多分有力な信者なのだろう)の股間を蹴り潰して逃げる事が出来たのだが… 事情はどうあれ、一度誓約を立てた以上、神殿側はこれを「裏切り」と見なし、半年に一度位のペースで刺客を差し向けてくるのだ。
無論、ティファはこんな詳しい話はしなかった。単に「ガザノア神殿で巫女達にハメられて、無理に誓約を立てさせられたのだが、逃げ出したので裏切り者扱いされている」と告げただけだ。
それでも、エイドスは大体の事情は察したようだった。お馴染のニヤニヤ笑いがそれを物語っている。
「あそこは結構エゲツない事するそうだからなぁー。若い娘にとっちゃ、フブリスの穴より危ない所だって言うし」
「今度はあんたの番だよ、エイドス」
「はて、何の事か…」
わざとらしくトボケようとしたエイドスはティファの迫力ある視線に負けて折れた。
「わかったって。別に隠す程の事じゃない── 護符だよ」
「何だって?」
「だから護符だって。御守り。俺が身に着けている護符に埋めこまれた魔晶珠が、俺に向けられた魔力の大半を吸収し、無力化してくれるんだ」
「魔晶珠って言えば…」
ティファは眉を寄せた。
「ひょっとしてクリスタルオーブの事か?ちょっと待て、あれは爪の先程の小物でも、軽く三万デリラはするんだぞ!それに何処でも買える代物じゃないし」
「へぇ、意外に詳しいんだな。だけれど、俺はこれを買った訳じゃないんだぜ。ある人に貰った…と言っていいのかな」
「ふん…盗んだの間違いじゃないのか」
ティファは頬杖を突きながら、彼を横目で胡散臭げに眺め回した。
「そりゃ、そういう事にしといてもいいけどね。でも、一つだけそれでは言い逃れ出来ない事があるよ」
「── 何だ?」
「魔晶珠の働き。あれが発動するのは、一定の修行を積んだ者か、特殊な血の継承を受けた者に限られるはずなんだ」
パッと立ち上がって、エイドスに真正面から向き直り、指を突きつけた。
「あんた、一体何者なんだ?」
奇しくも、広場での質問と同じ台詞だった。
対するエイドスも全く同じ答えを返す。
「ただの風来坊だよ。今はまだね」
悪戯っぽく片目をつぶる。
「プラス、お前さんの相棒兼命の恩人でもある」
とびっきり憎たらしいが、決して本気で憎めない表情だった。
(こいつ…いつか本当の事を白状させてやる── )
らしくもなく熱くなって、そう考えるティファは、当分この傭兵と一緒に旅を続けると、既にすっかり決め付けている自分に気付いてはいなかった。

「ところでレディ、当面の目的地は?」
気取った口調で尋ねてくるエイドスの問いに、一瞬遠い眼差しで答えを捜すティファ。
「…北だ。そこに私の求めるものがあるという…」

戻る

□ 感想はこちらに □