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浪漫館の魔女

前編


作:BOXER 6

 

街外れに浪漫館という骨董屋があった。名前は浪漫館だが取り扱っている品物は一風変わっており、それは呪術用の人形とか護符、魔法陣を記した布などであり、世界の密教を紹介した本やどうせ偽物だろうが魔導書、果ては謎のケモノのミイラまでと、とにかく怪しげな物ばかり置いてある。

一般人なら店に入るのもためらうといったところだがオカルトが好きな中学1年生の如月誠はこの店が気に入っていて、今日もサッカー部の練習を上がるとこの店にやってきて古書コーナーで立ち読みをしていた。いつもは40歳ぐらいの女主人が店番をしているだが今日はその姿がなかった。

(不用心だな。店の商品を盗まれても知らないぞ。)

誠はいつまでも現れない女主人を不思議に思い、店の奥を覗き込むと何やら光が漏れてくるのを見つけた。悪いとは思ったが好奇心を押さえきれずにソロリソロリと入っていくと廊下の一番奥のドアが開いておりその隙間から光が射していた。漏れている光は部屋を照らす明かりとはあきらかに異質の光に見える。

薄暗い廊下を足音を立てないように慎重に歩いてドアの前まで行き、恐る恐る開けてみると驚くべき光景が誠の目に飛び込んできた。建物の構造からそこには部屋があるはずだったがドアの向こうに広がっていたのは見たことのない形の草が繁った草原だった。

誠は呆気に取られていたがしばらくして心が落ち着くと今度は向こうに行ってみたいという好奇心と欲望が沸き起こってきた。そしてゴクリと唾を飲み込み、向こうの草原に一歩足を踏み入れた瞬間、見えない力によって誠は弾き飛ばされ廊下の壁に叩き付けられた。

痛む体を起こしてドアを見ると、先程まで奥に見えていた美しい景色は消え失せ、雨雲のようなものがバチバチと輝きながら渦を巻いている。

騒ぎを聞き付けて例の女主人が飛んできた。

「こんなところでなにをやっているんだ!」

大声で誠を怒鳴りつけたあと、ドアの様子をみると顔色が変わった。

「まさか、この扉の向こうに足を踏み入れたのか。」

「そうだ」と答えると女主人は胸ぐらを掴み今にも殴りかかりそうな勢いで誠を罵倒した。そうこうしているうちにドアの中の嵐は収まりそして漆黒の闇に包まれた。

「まったく、とんでもないことをしてくれたもんだ。」

少し冷静になった女主人は静かな口調で言葉を続ける。

「やれやれ、こうなった以上お前さんに責任を取ってもらうしかないようだね。」

「責任?」

「こんなところで話し込んでもしょうがない。とにかく応接間においで。」

 

応接間に誠を通し、ソファーに座った女主人はおもむろに話し始めた。

女主人の名は杏奈といった。杏奈は本物の魔法使いだという。さっきのドアの向こうに見えていたのが魔法界であり杏奈の故郷である。そして誠が踏み込んだために結界が張られ魔法界への扉が閉ざされてしまったことを告げた。

「それじゃ張られた結界をどうしたら破れるの。僕にできることなら何でもやるよ。」

自分の非を認めた誠は慌てて協力を申し出る。

「今すぐできることならとっくにお前に教えてる。あの結界は反応した者の魔力でしか破ることはできない。」

「そんな…。」

「方法はある。誠、お前が一人前の魔法使いになって自分自身の魔力で結界を打ち破れ。」

「僕が魔法使いに?」

「だが一朝一夕では侵入防御結界を破れるような魔力は身に付かん。だから私の側について魔法使いとしての腕を磨け。」

「…うん、わかった。僕、魔法使いになるよ。大魔法使いになって杏奈の故郷への扉を開けてみせる。」

「やる気が出たみたいだね。それじゃお前を魔法使いにするための準備をしてくるから、しばらくここで待っているんだ。」

そう言い残すと杏奈は応接間から出て行った。

残された誠は魔法使いになれると聞いて内心喜んでいた。

(面白いことになってきたぞ。魔法というぐらいだからきっと万能なんだろうな。空が飛べて、いつでもお金を生み出せて、そして可愛い女の子を意のままに操れるとか…。)

などといった、まったく状況を考えない何とも不謹慎な妄想を働かせていた。

1時間程経ってから杏奈は応接間に戻ってきて、手に持っていたお椀のような器を誠の前に置いた。

「さあ、それを全部お飲み。」

器には深緑色のドロッとした液体が入っている。

「でも、これって。」

見た目のグロテスクさにさすがに誠も躊躇する。

「毒なんか入っていないよ。大体お前に死なれて二度と魔法界への扉が開かなくなったら、困るのは私だ。」

「……」

「それを飲まなければ魔法使いにはなれないんだから。さあ早く。」

魔法使いになるためと聞かされて決心がついた誠は器を掴み、中の液体をググッと一気に飲み干した。

しばらくすると体の中、特に下腹部あたりに何かが燃えているような感覚が襲ってきた。それと同時に目に見えない力で押しつぶされるような圧迫感が体全体を包む。

「うっ、うぁあっ。」

誠はソファーに座っていられなくなりドサリと床に倒れ込んだ。床の上で体を丸めゼーゼーと苦しそうに喘いでいる誠を冷ややかな眼差しで杏奈は見下ろしている。

10分ほどたっただろうか。誠の体を包んでいた不可思議な圧迫感が霧が晴れるように引いていった。そして体の中心で何かが燃えているような感覚もいつのまにか無くなっている。

「うまくいったようだね。さあ立ってごらん。」

「や、やっぱり毒じゃなかったのか。」

杏奈に文句を言いながら、やっとの思いで立ち上がった誠は体全体がキュッと引き締まったような感じがしていた。それにどうやら髪の毛が肩にかかるくらいに伸びているようだ。自分の体に何が起こったのか皆目見当がつかない。

「それじゃ生まれ変わった体に合った服に着替えようか。」

杏奈がパンパンと手を二回叩くと、誠が着ていた詰襟の学ランが光に包まれ白のワンピースに変わった。

「な、なんだよ、これっ!」

「魔法が使えるのは女だけだ。だからお前を女にした。」

「ええっー!」

「魔法使いは女。そんなもの常識だ。」

「魔法界の常識なんて僕が知るわけ無いだろ!元に戻してくれ。」

「駄目だ。お前には一人前の魔女になって結界を破ってもらわねばならない。」

予想もしなかった展開に誠は目の前が真っ暗になった。

「大体、魔法が使えるのは女だけというのはどういうことだよ。魔法界の男どもっていったい何なんだ。」

「魔法界の男は一切魔法を使うことができない。その代わり女に愛情を注ぐことによってその女の魔力を高める事が出来る。」

「なんだって? ラブラブパワーが魔力の源なのか。」

「それはちょっと違うな。元々魔力は女の中に存在する。その魔力を発動させるために極めて有効なのが男から女への熱い思いだ。男の愛情はいわば触媒みたいなものだな。」

「愛情なんていう、量を測ることが出来ないような、いい加減なもので魔力の大小が決まるのか?」

「本来、こちらの世界の人間のもつ概念では魔法の成り立ちについては到底理解するのは無理なんだよ。これでも出来るかぎりこの世界に合わせた形容で説明しているんだからな。」

「それじゃなにか?言い寄る男が多いほど大魔法使いとでもいうのか。」

「強大な魔力を得るにはいくつもやり方があるが、取り巻きの男を沢山揃えるというのも一つの手だな。ある意味それが一番簡単な方法といえる。」

「そんなの滅茶苦茶だぁ。」

「だからお前も早く愛情を注いでくれる男を見つけて、目一杯可愛がってもらえるようになれ。そうすれば自然と魔力も高まるだろうよ。」

「ええっ、それって僕に男相手の恋をしろっていうことか!?」

「まあ、平たく言えばそうなるな。」

「そんなの無理だ。恋愛の相手が男なんて、考えただけで気持ち悪くなる。」

「男どもの愛情を触媒にしないことには、結界を打ち破る魔力を身に付けるまで何年かかるかわからんぞ。」

「知るかそんなこと!」

「とにかく今日からこの家に住むんだ。家族を含めた周りの人間については心配するな。今夜中に記憶操作の魔法をかけておいてやる。そうそう名前の音は同じで、表記だけ真実の真に和琴の琴としたらいい。それだけで女らしい名前になるだろ。」

「勝手に決めるな。いいかげんにしろよ。」

「まったく乱暴な言葉遣いだね。女の子がそんな喋り方しちゃ駄目だ。」

杏奈はソファーから立ち上がると真琴の頬を両手で包み込みグイッと顔を近づけ瞳を覗き込んだ。

「私の目をよく見るんだ。もうお前は視線をはずす事はできない。どうだ吸い込まれていくみたいだろう。」

「あっ、あぁ…。」

「お前はとても気持ちいい眠りの世界に落ちてゆく。そして私の言葉に素直に従うようになる。」

「素直ないい子だね。さあ、よくお聞き。これからお前は……。」

耳元で杏奈が何か話しかけているがよくわからない。意識が朦朧として思考が停止してしまったかのようだ。ただうっとりとした今まで体験したことのない気持ちよさに包まれているのは確かだった。

パチンと目の前で指を鳴らされ、真琴は我に返った。何が起こったのか理解できずに周りをキョロキョロと見回していると、いきなり杏奈がバッと真琴のスカートをまくり上げた。

「キャッ。な、なにするのよ、杏奈!」

慌ててスカートを押さえた仕草と口から出た言葉がまるっきり女の子だったので真琴自身が驚いた。

「フム。ま、そんなところでいいでしょ。お前も観念して女の子らしくすることだね。」

呆気に取られている真琴に向かって杏奈が言い放つ。

「とりあえずシャワーでも浴びてきたらどうだ。頭を冷やせば少しは自分の状況を整理できるだろう。そのあいだにお前の使う部屋を準備しておくから。」

怒る気力が完全に失せた真琴はポツリと杏奈に訊ねる。

「…あの、もう家には帰れないの…。」

「大体、その女の姿で家に帰ってどうするんだい、あきらめるんだね。まあ13歳なら親離れしてもいい歳だ。」

いよいよここで生活するしかないようだ。今の真琴には選択の余地はなかった。

 

結局、杏奈の提案を受けシャワーを浴びることにした真琴は浴室の脱衣所にやってきた。そして手がつりそうになりながらやっとの思いで背中のファスナーを下ろしワンピースを脱ぐと、ご丁寧に下着まで女物に変わっていたことに気付く。何かやるせない気持ちになりながら、スリップ、ブラジャー、パンティと脱いでゆき一糸まとわぬ姿になった後、横の壁にかかっている姿見に新しい自分の姿を映し出してみると、そこには息を呑むような美しさの13歳の少女の裸体があった。適度なくびれを見せている腰、少しボリュームがあり柔らかな曲線に包まれたお尻、ぬけるような白い肌、そしてほんのわずかにふくらんで小さな丘を形成し始めた胸。誠も華奢ではあったがやはり本物の女の子の体とは別物であった。

(僕、本当に女の子になっちゃったんだ。)

誠は宝石のように美しい少女の姿に生まれ変わったのだが、それは自分の意志に反しての変身だったためになんとも複雑な思いで姿見に映る自分の裸体をいつまでも見つめていた。

浴室から戻ってくると杏奈が意地悪そうに問いかける。

「ずいぶん長かったね。じっくりと自分の裸でも眺めていたのか?」

痛いところを突かれ、真琴はムキになって「そんなことはない」と言い返した。

その夜は杏奈が作った食事をしながら、今後のことについての取り決めをすることになった。

「掃除、洗濯、炊事、その他生活するためにやらなきゃならない事はすべて半分ずつだ。そうそう週末は浪漫館の店番もやるんだよ。色々な人間に出会うことで人を見る目が養えるし、自分自身も磨かれるところがあるからね。」

「炊事なんて杏奈が魔法でチョイチョイと料理を出してくれればいいのに。」

「食事の用意なんかにわざわざ魔法は使えない。大体、料理の一つも出来ないことには、なにかと困るだろう。ま、花嫁修業の一環だと思って頑張るんだね。」

「は、花嫁修業ぉ〜。」

「情けない声を上げるんじゃないよ。別にどうしても結婚しろとまでは言わないから。」

「当たり前だ。誰が男となんか結婚するか!」

「ふふっ、結婚はしなくてもいいけど、多くの男から愛される魅力的な女になるんだよ。」

「男に愛されるという事自体が嫌なんだけど。」

「まぁどのみち1週間や2週間で結界を破れる魔力が身に付くはずも無いし、その件はゆっくりといきましょうか。」

「杏奈、一つ聞いていい?」

「なんだ?」

「杏奈の他に魔法界の人間はこっちの世界にいないの? 」

「この国にはたぶんいないね。少なくとも私は、近くに魔法界の人間が住んでいるなんて聞いたことがない。」

杏奈はフゥと大きく深呼吸をしてから、さらに話を続けた。

「ここは煤煙や車の排気ガスで空気は汚い。いらいらする騒音にあふれている。毎日どこかで人が殺されてる。魔法界の人間にとって無魔界は魅力のない所だよ。」

「ムマカイ?」

「魔法の無い世界という意味だ。こっちの世界を魔法界の人間はそう呼んでいる。お前だってジャングルの奥地で電気もガスも水道も無い生活をしている少数民族に対して、興味はあっても一緒に生活したいとは思わないだろう? 魔法界から見た無魔界もそういう感じなんだ。」

「じゃあ、なぜ杏奈一人だけこっちに来たの?」

「さぁてどうしてだろう。この世界の訳のわからない熱気と活力がなんとなく気に入ってね。こちらに移り住むと言ったときは、回りの者から変人呼ばわりされたよ。さあ今日はもうお休み。明日も学校があるんだから。」

「ええっ、学校に行かなきゃならないの?」

「あたりまえだ。お前、中学生だろ。学校に行かないでどうする。」

 

真琴は正直なところ女子生徒として学校になんて行きたくなかったが、杏奈に周りの人間は記憶操作してあるから安心しろと言われてやむなく登校することとなった。もちろん女子の制服である紺色のセーラー服に身を包んでである。

(杏奈に強く言われるとどうしても拒否できないよ。普通にしゃべれば女言葉になるのもそうだし、僕って杏奈にいいように操られているような気がする…。)

あれこれ考えているうちに学校に着いたので階段を登り自分の教室に向かう。教室の前までくると真琴は一旦立ち止まり、スウッーと深呼吸をした後に思いきって扉を開けた。そして心臓が破裂しそうなくらいドキドキしながら自分の席に向かうと、昨日まではほとんど話したことのない女子が挨拶をしてくれた。

「まこちゃんおはよう。」

「えっ、あっ。お、おはよう。」

真琴はぎこちなく挨拶を返すと席についた。

(そうか、僕はまこちゃんと呼ばれているのか。うわーまるで地雷源を歩いているようだよぉ。こんなことになるんだったら、杏奈に如月真琴はどういう設定の女の子なのか詳しく聞いておけばよかった。)

それにしても教室全体の雰囲気が妙によそよそしく感じる。いつもだったらすぐに寄ってくる同じサッカー部の貴之なんか目も合わせない。

よそよそしい雰囲気に感じられたのは、昨日まで話しかけてきていた男子が距離を取ったためだった。そのかわりに今度は女子が気軽に声をかけてきた。そして誘われるままに昼食を中庭の芝生で食べることになった。

真琴をランチ仲間として誘ってくれたのはクラス委員の川上小百合のグループだった。別に転校生という設定ではなかったので食事中に真琴の身上をねほりはほり聞かれることはなく「うん」とか「ええ」とかで話に合わせていると後は女の子達の方から勝手におしゃべりをしてくれたので助かった。だが無事ランチタイムも終了しそうな時に小百合が屈託の無い笑顔で放った鬼のごとき指摘が真琴を奈落の底に叩き落した。

「まこちゃんがサンドイッチなんて珍しいね。いつも手の込んだ可愛いお弁当作ってくるのに。」

(なにぃー、これでも朝の5時に杏奈に叩き起こされて必死で作ったんだぞ。手抜き見たいに言うなぁ!弁当を作ったのは今日が生まれて初めてなんだ!)

明日はさらなる力作を作らねばならないのかと思うと真琴は泣きたくなってきた。

ちょっとだけ期待していた体育の時の女子更衣室の様子も味気ないものだった。バストの大きさがどうのとか付けてる下着が可愛いなんて会話は聞こえてこないし、ましてや胸の触りっこなんて誰一人やっていない。みんな出来る限り下着姿でいる時間を短くしたいようで事務的にサッサと着替えているだけである。男どもの妄想なんていい加減なものだと真琴は思った。

ようやく6時間目が終わり、そそくさと校門を出ようとすると、グラウンド整備と用具の準備をおこなう一年生のサッカー部員たちの姿が目に止まった。本来ならその中に誠の姿があるはずだった。

(二年の坂本の奴、自分のドリブルがヘタなのにグラウンドのコンディションのせいにするからな。ちゃんと小石を拾っとかないとまたドヤされるぞ。)

真琴はそんなことを思いながら、いつもと変わらぬ様子のサッカー部員たちを見ていると、如月誠の存在がこの世から消え去ったということを強く感じて、胸が痛んだ。

 

「ただいまぁ。」

「やぁおかえり。どうだ、乙女心をときめかすかっこいい男はいたか?」

「いるわけないだろう。昨日まで一緒に馬鹿やっていた友達ばかりなんだから。だいたい僕はそんな目で男連中を見ていないよ。」

杏奈の催眠暗示により真琴は普通に喋ると女言葉になってしまうのだが、女言葉だと誠としてのアイデンティティが失われるような感じがするので杏奈が相手の時だけは本人にとって違和感バリバリながら無理して男言葉を使っている。そして真琴は二階の部屋に戻ると、制服のままベッドに倒れ込み大きな枕に顔を埋めた。

(ああー、疲れたぁー。なんで僕がこんな目にあわなけりゃいけないんだ。)

真琴はいろいろと勝手の違う女の子の生活に合わせる事にクタクタになっていた。なにかヘマをやって如月真琴の中身が男であることがバレてしまわないかと、今日一日ずっと気を張りつめて過ごしてきたのだった。杏奈の記憶操作魔法は完璧であり肉体的には完全な女の子なので、冷静になって考えればバレるどころか真琴自身が打ち明けても誰一人信じることはないのだが…。

真琴は杏奈と夜ごはんを食べながら今日一日の学校での出来事について色々と話をした。いかに自分が苦労をして女の子を演じてきたかを聞いて欲しかったのだが、杏奈は「別に演技せずに普通にしてればいい」とつれない返事をよこして真琴をがっかりさせた。

「聞いたところ学校生活の方も特に問題は無さそうだし、それなら明日からでも魔法の練習を始めるとするか。」

「あの…、やっぱり魔法のバトンか何かを持って、へんてこなダンスを踊りながら呪文を唱えなきゃならないの?」

杏奈はやれやれといった表情で溜息をついた。

「お前はテレビの見過ぎだよ。そんなことやる必要はない。」

「ああよかった。」

「大体、取り決められた呪文などは無いからね。」

「えっ、呪文は無いの?」

「基本的には頭の中で念じればいい。精神集中のために念じたことを言葉に出して言ってみるというのはあるかもしれないが、人それぞれだ。」

「ふーん。」

「まあ、ほうきに乗って空を飛ぶ魔法ぐらいならすぐに身に付けられるだろうよ。」

「空を飛べるの? 本当!?」

飛行魔法と言われて、もう真琴はおめめキラキラの夢見る魔法少女モードになっている。

「物理運動の制御は一番簡単な部類の魔法なんだ。物質変換系とかの方がよっぽど難しい。」

「そっかぁー、大空を飛び回るようになれるんだぁ。」

真琴は自分がむりやり女の子に変えられた事も忘れ”やっぱり空飛ぶ魔女なら三角帽子が必要だよね”などと呑気な事を考えている。

「人の目に触れるから昼間は使えないし、お前さんが思っているほど便利な魔法じゃないよ。」

「でも凄いことだよ。空を飛べるなんて。」

「飛行魔法ぐらいで満足されたんじゃ結界を打ち破れる日がくるのはいつのことやら…。お前にはもっともっと高いところを目指してもらわねばならん。」

「うん。精一杯頑張って杏奈が望んでいるぐらいにまで魔力を高めてみせるよ。」

「魔力を高めるか…。ところで真琴、ファーストキスはもう済ませたのか。」

「えっ。」

「なんだお前、女の子とキスしたことがなかったのか。」

返す言葉に詰まった真琴を見て杏奈は図星だと察した。

「それはよかったねぇ。男と女じゃファーストキスの重みが違うからな。魔力の大幅アップのチャンスが残されているわけだ。」

「なんだよ、それは。」

「魔力ってのはキスを経験すると2倍、処女を捧げると4倍になるというのが普通だよ。」

「それって根拠のない通説だろう!」

「その体に慣れるにしたがって、自然と男の子のことが好きになるよ。」

「それは絶対にない!」

「ま、記念すべきその瞬間が訪れるまでせいぜい基礎の魔力を高めておくんだね。」

「男とキスなんかするもんか。そんなことするくらいならレズに走ってやる。」

憤慨する真琴の姿を見て、杏奈は面白そうに笑顔を浮かべているだけだった。

部屋に戻ってきても食事の時の杏奈の言葉が頭の中をグルグル回っていた。

(このままいくと僕は完全に女の子になっちゃうのかな? それって僕が女の子としてファーストキスをして、そ、そして男の人と最後までいっちゃうってこと? そんなの嫌だぁー。僕の男としての人生を返してくれー。)

元男の子である美少女の心の叫びが月明かりに照らされた星空に消えていった。新米魔法使いである如月真琴の波乱と刺激に満ちた生活は始まったばかりである。

 


 

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