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魔剣物語 〜レディ・ガーディアン〜
作:ゴールドアーム




 第一部 大いなる始まりの章。


 「うおおりゃあっ!」
 「右が手薄だぞ!」
 「覚悟!」
 「帝国に姫を渡すな!」
 「だからといって姫を手にかけるというのか、痴れ者があっ」
 「ぐはっ!」

 人の叫びと剣戟の響きが、豪華な馬車を中心に轟いていた。
馬車を守るは十名余り、しかし寄せ手はその三倍であった。よく防いではいるもの
の、このまま数で押されれば、馬車の中の人物の命運は決まったも同然である。
 殺されるか、かどわかされるか。
 どちらにしても、それは中の人物の望むところではあるまい。
 (何としてでも、姫は護りぬく!)
 護り手側の中で最も若い少年……エリンは、剣を握る手に力を込めなおすと、向かってくる賊に躍りかかっていった。
 発端は、よくある話であった。
 中央に覇を唱える「帝国」の辺境に境を接する小国が有った。
 小さいといっても帝国と比較しての話であって、国としては十分な力を持っている。このたびその国の姫君に、帝国への留学話が持ち上がった。費用から宿舎にいたるまで全て帝国側が負担する招待留学である。表向きいい話にみえるが、何のことはない、一種の人質である。当然の如く、重臣達からは反対の声が多数上がった。
 しかし国王は、開明的かつきちんとものの見えている人であった。国同士の思惑を離れて見れば姫には決して悪い話ではなく、またここで帝国に牙をむいても百害あって一利なしである。また帝国側もそれを見越して三年間の留学という形で話を持ち掛けている。断れば国際社会で悪者になるのはこちらであった。受けておけば帝国も今以上に圧力をかけては来まい。これを利用するようなことをすれば逆に帝国の評判が落ちる。そう判断した国王は、国粋主義的な重臣達の反対を切って捨てて、承諾の返事をした。
 しかし世の中には自分達の主張を通すことが全てで、そんな細かい駆け引きなど分からない馬鹿が沢山いるのが常である。結果姫君の一行は、事もあろうに自国内の街道で、明らかに山賊の振りをしているのがバレバレの騎士達に襲われる羽目になっていた。



 「ちくしょう、こいつら、何考えてんだ!」
 上がりそうになる息を必死で整えながら、僕は鋼の嵐を捌いていた。僕の父さんは王国親衛隊長、母さんは後宮警備隊長と、どっちも王国有数の剣の使い手だ。幸い、僕にもその血は伝わってたらしく、小さい頃から仕込まれたせいもあって、何とか戦えている。
 だけど、多勢に無勢という言葉もある。いくらなんでも相手が多すぎた。
 そのうち、とうとう守護の輪の一角が崩れた。敵はここぞとばかりに、一気に馬車に迫る。
 「させるか!」
 一番近いところにいた僕が取り敢えず割ってはいる。が、それとて一瞬の時間稼ぎだった。みんなの気が姫の乗る馬車に向いた隙を襲撃者たちは見逃さなかった。あれほど堅固だった陣が、瞬時に崩壊する。僕の目には、自分一人に向かってくる、生き残った襲撃者達が殊のほか大きく映っていた。
 緊張と死の予感に汗ばむ手を上着の裾で拭う。と、その手に固いものが触れた。
 (もし万が一、姫に絶体絶命の危機が迫ったら、それをお抜き。但し、一度抜いたら、あなたは後戻りの出来ない道を選ぶことになる。だから自分の危機ぐらいじゃ抜くんじゃないよ。あくまでも他人のため、その人のために自分の全てを捨て、死よりも辛い道を選ぶ度胸も無しには抜いちゃダメ。いいかげんな気持ちで抜いたら、報いは自分にふりかかるからね)
 出発の日の朝、母は僕に、そう言って一振りの短刀を手渡した。黄金と宝石のあしらわれた、装飾品としても価値のありそうなものであった。しかしそのわりに異様に軽く、実際内懐に付けていたことも、こうして触れるまですっかり忘れていた。
 明らかに何らかの魔力を秘めた短刀である。
 (賭けて、みるか?)
 迫る剣の嵐をかわし、間合いを取る。懐に手を入れ、短刀を掴む。
 (いいのだろうか?)
 まだ、迷いはあった。が、視界の端に馬車を取り囲む襲撃者と、切られて悲鳴を上げる御者の姿が映った途端、そんなもんはすべてぶっ飛んだ。
 「てめぇら、姫になにしやがる!!」
 何が起こっても構うもんか、とばかりに、僕は短剣を抜き放った。
 その瞬間、周囲は爆発的な光に包まれ、意識が遠くなるのを感じた。
 全身を覆っていた鎧が、弾け飛ぶ。
 光が、体にまとわり付く。
 そこまでが、限界だった。


 「とーさん、かーさん、ここが、おしろ?」
 全身が溶けていくような感覚に包まれていくなか、僕の目の前には懐かしい情景が浮かんでいた。
 「そうだよ。おとうさんとおかあさんが働いてるところさ」
 「母さんはもちょっと奥だけどね。ほら、こっちきな」
 あれは5、6歳の頃。初めて城に連れていってもらったときのこと。
 お城は遊びがいのある場所であった。庭を走りまわり、塀によじ登り、時にはお兄さん達に追いかけまわされて、いつしか着いたところに、彼女はいた。
 綺麗な服を着ていたものの、どこかふくれっつらで、太りぎみの、ころころした女の子だった。
 「だれだ、おまえ?」
 「そっちこそ、だれよ」
 「……おまえ、ころころしてんな」
 「な、なによ、やせっぽち!」
 それが二人の初めての会話だった。その後は今となっては余り思い出したくはない。しっかり二人は喧嘩を始めて、大人達が来たときは、二人揃ってわんわん泣いていたのだから。
 その日はお互いに興奮しすぎていて叱ってもダメだろうとそのまま引っぺがされ、翌日目が覚めると同時に母に散々お尻をぶたれた。いわく、女の子と喧嘩するとは何事だ。男のほうが強いのが当たり前なんだから、男は女を守るもんだと散々怒鳴りつけられた。
 そしてまたお城へ連れていかれ(それは連行されと言ったほうがよかったかもしれない)、そこで再び彼女と出会った。
 彼女の顔は、まだ少し赤かった。僕のほうはもう何ともないのに、である。
 その時、初めて母の言ったことが判った気がした。
 「……ごめん」
 自然と言葉が出た。同時に頭が下がる。
 「いいの。こっちこそ、ごめんなさい」
 顔を上げると、やっぱりころころした彼女が、僕のことをじっと見ていた。
 「あの……」
 そして彼女は言葉を続ける。
 「仲直りのしるしに、遊ばない?」
 僕は思いっきり頷いた。

 (あんなこともあったな……)
 まどろみにも似た気だるさの中、僕は昔を懐かしんだ。と、その目の前に、新たな光景が浮かぶ。
 (あれは……)

 「エリン、あれとって」
 「いいよ、任せとけ、チェリー」
 10歳ぐらいの少年が、同じくらいの少女の頼みを受けて木に登っていくところであった。
 少年は僕……エリン。そして少女は……チェリー。この国の第二王女、ティエルダーナ姫。
 でも僕は彼女をずっとチェリーと呼んでいた。
 あの時以来、僕達は親友だった。何年か前から、僕は剣の修行、彼女は色々な勉強であう時間は減っていたけど、そんな事は気にならなかった。彼女は他人というより、実の妹みたいな感じだったし、彼女も僕をお兄さん扱いしていた。
 「最近いろんな家の女の子が、『御学友』とかいって来るけど、何であんなに他人行儀にしなくちゃいけないのかしら。せめてまわりに大人のいないときくらい、楽にすればいいのに、二人っきりのときに、私が『もっと楽にしましょ』っていっても、『はい、姫様』なんていう風に、すっごく緊張しちゃってて。あれじゃ友達になんかなれないわよ」
 僕が木の上から取ってきた木の実にかぶりつきながら、そんな愚痴をこぼす。本当なら姫様と呼ばれる人は、人前でものをかぶりついたり愚痴をこぼしてはいけないものだ、ということを、僕はぼんやりと判ってはいた。でも、彼女はそれ以前に僕の友達だ。ころころしてたのがすらりになっても、やっぱり友達だ。
 そして……

 また、景色は変わった。

 「どうしたの、またヒルダさんと喧嘩してたみたいだけど」
 「だって、あなたと会っちゃダメって言うんだもん」
 そこにいるのは13、4か。元服一歩手前といった感じの少年少女。少年はきゃしゃではあったが、背も伸び、立ち居振る舞いに剣士のそれが感じられるようになっている。そして少女は、もっと劇的に変化していた。大して変わらなかった体形は、やわらかく丸みを帯び、特に胸の辺りが、明らかに少年とは違うものになっている。
 気の早い貴族なら、もう結婚の相手が決まっている年頃なのだ。
 「ヒルダったらね、心配しているのよ。私があなたと結婚したいって言い出すんじゃないかって」
 「外面はともかく、中では結構おてんばだもんね、チェリーは」
 「あー、ひっどーい。そんな言い方はないでしょ」
 ふくれる彼女。ちなみにヒルダと言うのは彼女付きの筆頭女官である。
 「そりゃあさ、いい年頃の男女がこうやって逢い引き同然のことしてりゃ疑うのも判るけど、私だってちゃんと王族の義務くらいわきまえてるのに」
 「うん。僕もよく言われるけどね。玉の輿狙ってるのかって。んなわけないのに」
 「でも……」
 少し暗くなる彼女。
 「来年からは、そうも言えなくなるね」
 「うん。成人して会うのは、流石に問題になるしね」
 「でも、私達はずっとずっと友達よ」
 「もちろんだよ」

 ゆっくりとまどろみは消え、全身に感覚が戻ってくる。辺りを覆い尽していた光が、だんだんと弱くなる。
 そして、情景が、また、変わる。

 あれはチェリーの出発当日。
 しばらくぶりに、彼女の顔を見た。
 変わったかと思ったら、全然変わってない。
 僕の知ってるチェリーだ。
 二人きりならもっと嬉しかったけど、何故か隣に母上がいる。
 まあ、母上は彼女のいる後宮の最高警備責任者だから、いても当たり前だが、こうして二人のを呼び出すようなことはついぞ無かった。
 「悪いわね、姫様、エリン」
 そう言って、母は僕らを見る。
 「いよいよこれから出発で、姫様は馬車の人、不肖の息子はその警護って時に呼び出しちゃってね」
 「私は構いませんが……何ですの、カイリおば様」
 姫の疑問に、カイリおば 様……母は一振りの短刀を差し出した。
 「あら、これは確か、あなたが母上と一緒にこの国に持ってきたという……」
 「そ、お妃様の護衛をしてたときに持ってた短刀さね。今の私にはもう持っている必要がないから、コイツに譲ろうと思いまして」
 といいつつ、母は僕の頭を小突く。母は元々、この国にお輿入れしてきたお妃様の護衛官の一人で、お妃様と一緒にこの国に居座ってしまった人だ。今でもお妃様、そして王様の信頼は絶大だ。
 「で、そのために、これに祝福をして欲しいんですよ。これは元々姫のような人を守るための御守り刀でして、守られる人物の祝福を受けて、初めて力を発揮するんです」
 「まあ、ずいぶん由緒あるものなんですね。で、祝福といいますと、何をすればよろしいのかしら」
 「なに、簡単です。その鞘のところにはまってる赤い宝石に、くちづけしてくださればよろしいんです。で、念のために聞いときますけど、この馬鹿と一線を越えたりはしてませんよね」
 「「してません!」」
 母のいきなりの言葉に、僕とチェリーの言葉は見事にハモってしまった。そんな僕達を見て、母は悪びれもせずかんらかんらと高笑いをして言葉を続けた。
 「はは、まあそうだとは思ってたけど。なら結構。じゃ、祝福を、姫」
 「はあ……」
 何かまだ聞きたそうではあったが、チェリーは短刀の宝石に、そっと唇を当てた。
 と。
 その宝石から見る間に色が抜け、ルビーのように赤かった石は、まるで水晶のようになってしまった。
 「あら」
 ちょっとびっくりしたように、チェリーは短刀を眺めた。
 「はいOKOK。じゃ、これ、はい」
 母は彼女の手から短刀を取り上げると、それを僕に渡した。
 「もし万が一、姫に絶体絶命の危機が迫ったら、それをお抜き。但し、一度抜いたら、あなたは後戻りの出来ない道を選ぶことになる。だから自分の危機ぐらいじゃ抜くんじゃないよ。あくまでも他人のため、その人のために自分の全てを捨て、死よりも辛い道を選ぶ度胸も無しには抜いちゃダメ。いいかげんな気持ちで抜いたら、報いは自分にふりかかるからね」
 「うん……わかった」
 言い様のない母の迫力に押され、僕は大きく頷いた。
 「ま、平穏に生きたかったら、抜くんじゃないよ」
 そう言い残して、母はその場を離れた。
 後に残るは、僕とチェリーの二人。
 「気、利かせてくれたのかな?」
 チェリーは、そう呟いた。


 走馬灯のような想いのラッシュは、そこで途絶えた。
 (今のは、一体……)
 そう思うのと同時に、周囲を覆っていた光は急速に弱まり、辺りがはっきりと見渡せるようになった。全身の感覚も戻ってくる。
 が。
 (なんだ……全身に、力が漲ってる。体が……軽い!)
 戻ってきた視界に映る光景は、何も変わっていないのに、えらく鮮明に僕の目に飛び込んできた。
 襲撃者達が、こちらをみたまま、ぽかんと口を開けているのが、はっきりと見える。何故か、全員明らかに隙だらけだった。
 (勝てる!)
 明らかな、勝機であった。僕はためらうことなく、近くにいた男に切りかかっていった。
 (すごい! まるで自分の体じゃないみたいだ!)
 一歩踏み出した瞬間、全身が軽やかに動くのを僕は感じた。指先の一本一歩まで神経が張り詰めているかのように、思い通りに体が動く。
 さらに、その速さ、力強さ、全てが桁違いだった。練習用のロバが早飛脚用の駿馬になったが如く、一気に襲撃者との間合いが詰まった。
 手に握られた短刀は、いつの間にか光の刀身を持つ長刀に変じている。一番近くにいた男が、その最初の犠牲者となった。
 (ひとつ!)
 切れ味も信じられなかった。人間どころか、甲胄までが何の手応えもなく両断される。
 その凄まじさに、襲撃者達は凍り付いた。
 同時に、彼らの運命も決まった。
 沸き上がる怒りに、僕は身を任せた。


 我に返ると、あたりには自分と馬車だけになっていた。残念ながら、お付きの人達は、馬車の回りで円を描くように死んでいた。
 間に合わなかったんだ。
 ちょっと鼻につんと来たけど、それを何とか押さえこむ。まず、チェリーの無事を確かめないと。
 「姫、大丈夫ですか?」
 何か喉が痛いのを我慢して声をかけると、震えてはいたが、紛れもない彼女の声がした。
 「エリン……? もう大丈夫なの?」
 「はい。こちらも全滅してしまいましたけど……」
 彼の返事を待たずに、馬車の扉が開いた。
 「エリン!」
 まるで転がり落ちるように、馬車から飛び降りる。ほんとにつまずきかけて、たたらを踏んだ後、彼女は僕のほうを見た。
 その時の顔を何と行ったらいいのだろうか。呆けたような、驚いたような……。
 何故か一瞬硬直した襲撃者達のように、ぽかんと大きく口を開けて、目だけがこちらを見ている。
 僕は何と言ったらいいか判らずに、思わず呟いてしまった。
 「チェリー……どうしたの?」
 「や……やっぱり……エリン……なの?」
 彼女は、僕の『チェリー』の一言が耳に入った途端一瞬ふらっと倒れかけたが、そこをふんばって持ち直すと、いきなり馬車に頭を突っ込んで、ごそごそなにかを捜しはじめた。
 「チェ……」
 「はい、これ見て。百聞は一件にしかずよ」
 僕の掛けようとした声をさえぎって、彼女は僕の目の前に大きな板のようなものを突き出した。
 芸術的な彫刻を施された木枠に、光を弾いて輝くものがはまっている。
 それは確か留学の祝いにと帝国から送られた、彼の国でも最先端の工芸品、硝子鏡であった。金属鏡とは比べ物にならない映りの良さに姫がすっかり気に入って、片時も手放さないと母が言っていた品だ。
 「これをみりゃ帝国に逆らおうったって無駄だってのが、古い石頭にはわかんないんだよね」
 そのことを母はしきりに愚痴っていたものだ。が、取り合えずそれは関係がない。
 僕は何でまたと思いつつ、いわれるままに鏡の中を覗いた。
 ……。
 硬直するのは、僕のほうであった。
 そこには、見慣れるというほどではないが、間違いなく見知っている僕の顔が無かった。
 いや、よくよく見れば、確かに僕のような気もする。細かい目とか鼻とかの部分だけを比べれば、確かに僕かもしれない。だけど、その配置や造形が、微妙に異なっていた。全体的に少しふっくらした感じになり、輪郭も丸くなって、頬骨やあごの角張った部分が消えている。鼻筋の辺りも、少し違う。
 なのに。
 たったそれだけなのに。
 鏡に映っているのは、物凄く可愛い女の子だったのだ。
 「な、なんだ?」
 思わずよろめいて、一歩後ろに下がる。すると鏡の中の像は、顔のアップからバストショットに変化した。
 (…………)
 もう、言葉も出なかった。
 全身をぴったり覆う薄い布地で出来た鎧下の上に、細かいメッシュになった金属網。そしてその上に、胸や腕、背中(見えないが、多分そうだろう)などの急所をガードする金属板。人の動きを考えてデザインされているその鎧は、おそらくかなりの防御力を誇るであろう。ただ、色彩が派手すぎた。まるでカーニバルの衣装のように各金属片が赤や黄、青などに塗り分けられ、鎧下の白や金属メッシュの黒とあいまって、独特の統一美をかもし出している。それだけでも頭が痛かったが、その鎧を纏う上半身に、くっきりと盛り上がった胸が止めを刺した。鎧の形状のせいか、暴れまわっても揺れたりはしない。おかげであんだけ動きまわったのに、自分の胸が膨らんでいたことに、僕はちっとも気がつかなかった。
 こうなると僕の身に何が起こったかは明白であった。彼女の前で恥ずかしかったが、そっと股間の当りに触れてみた。
 やっぱり、それらしき感触はなかった。
 「なんじゃああ……っ、げほっ」
 驚きの余り絶叫してしまったが、暴れまくったせいで喉が嗄れていたのか、派手に咳き込んでしまった。声もがらがらである。
 (きっとこの喉が治ると、声も女の子みたいなんだろうなあ)
 そう思ったのが限界であった。あんな物凄い動きをした反動か、それとも精神的な疲労かは判らなかったが、精根尽き果てた僕の心は、ここでぷっつりと切れた。


 目を開けると、辺りが暗かった。全身に、何かが乗っかっている感じがする。首をひねってみると、薄闇と月明かりの中に、山ほどのドレスやら下着やらが体の上に乗っかっている。隣を見ると、ほんのわずかの距離に、チェリーが同じように寝ていた。
 (……?)
 起き上がろうとすると、全身になんともいえないちくちくした痛みが走る。裸の上に毛糸のセーターを着たみたいな感じであった。手を上げてみると、あの変な鎧はどこかへ消えており、まるでぼろきれみたいなキルトの鎧下が、辛うじてへばりついていた。ずたぼろだが、間違いなく僕が着ていたものだ。
 何がなんだか判らないが、とにかく起きなくてはと、僕は上半身を起こした。
 たゆん。
 胸の辺りに、何ともいいがたい動きが生じた。ぼろのキルトが擦れ、痛さと痒がゆさの混じった感じが胸の当りに広がる。
 僕はしばし動きが止まり……気を取り直して辺りを見た。
 頭のあった辺りに例の短刀が置いてあった。よく見ると、透明になっていたはずの石が、今は淡いピンクになっている。
 それを手に取ろうとしたとき、体をひねったらぼろかった鎧下から、布地の裂ける音がした。おまけにそれを見計らったかのように、一陣の風が吹きぬける。あっという間に全身に鳥肌が立ち、僕は盛大なくしゃみをする羽目になった。
 「ふぇっくしょん!」
 「……あ、起きた?」
 くしゃみの音を聞いたのか、僕の隣でチェリーがもそもそと起き上がった。
 「あ、チェリ……ぶぁっくしょん!」
 「だいじょぶ? 寒いでしょ、その格好じゃ」
 僕は黙ってかぶりを振った。山中の夜中に服も着ないでいたら、寒いのは当たり前だ。
 取り合えずその辺りに散らばった服……チェリーの服のようだが……をかき集め、抱くようにする。
 その瞬間、胸の当りで何かがひしゃげるような感じがして、また一瞬動きが止まってしまった。
 「駄目よ、それじゃ。きちんとした服を着ないと」
 チェリーは衣装の中から目ざとく毛皮の防寒着を見つけだすと、それをくるっと纏い、馬車の後ろのほうへ歩いていった。
 「うんしょっと」
 後ろに括りつけられていたトランクを一つ、どうにか引きずりおろして蓋を開いた。
 「あ、やっぱりこれだ。え〜と、これと、これと、これでいいかな?」
 彼女は暗い中、何やら幾つかの服を引っ張りだしてきた。
 「はい、これ」
 そう言って彼女が差し出したのは、どうやらメイドさんのものと思われる、服と下着一式であった。
 「サイズが合いそうなのはそれくらいだし、それにメイドの服は寒いお城で作業が出来るように、保温がしっかりしてるのよ」
 「これを……ぼくが?」
 「そうよ。何でかは知らないけど、エリン、女の子になっちゃったんでしょ。だったらちゃんと女の子用の服じゃないと駄目よ」
 「……うん」
 なんとなく彼女の勢いに押し切られ、僕はそこに出された女性向けの下着を手に取った。胸当てを見、そして下を見下ろす。視界は、膨れた肌色によって遮られていた。
 改めて、自分の体が変わってしまったことを実感した。
 そんな事を考えていたら、また風が出てきた。もどかしい手つきながらも、何とか身に着ける。位置を合わせるのは、チェリーが手伝ってくれた。
 「はい、こうやって、しっかり合わせないとだめよ」
 「チェリー、ちょっときついんだけど」
 そういった瞬間、何故か一瞬彼女は僕のことを睨んで、さり気なく視線を外した。
 「まあ、本当は専門の仕立て屋さんが、きちんと体に合わせて作るもんだから仕方ないわ。ちょっと我慢してね」
 僕は黙って頷き、下履きのほうに手を伸ばした。
 足を通そうとしたとき、何ともいえない喪失感が吹きぬけた。が、意を決して、僕は下履きをずりあげた。
 下腹部が、ぴったりと布地に包まれる。股間のあの座りの悪さを感じないのが、何とも空しかった。が、何故かそれとは違う充実感が全身を満たす。よくわかんないけど、悪い気はしなかった。
 だが、余韻に浸る間はなかった。
 「はい、次はこれを頭から被って……次はこれを穿くの。くるくるって巻き上げる感じでね。そしたらこの服。ここをこうやって、ここを通して、ここを締めて……」
 僕は女性の服が、随分とややこしいものであるのを実感した。
 それでも、何とか形にはなったようだ。寒さも、あんまり感じない。
 そうなると、急に現実に目が向いた。
 夜間の山中だ。火を熾して暖を取らないと、今の時期、間違いなく凍え死ぬ。
 それによく考えてみると、周辺は死体の山だ。さっきチェリーが今僕の来ている服を取ってきたときも、少なくとも幾つか死体を乗り越えているはずだ。それを考えるとちょっと怖い。
 普通の姫君なら失神していて当然の状況なのだ。
 けど今は生き延びるほうが先だ。出来ればここから移動したいが、夜間に見知らぬ道、特に山道を行くのは危険すぎる。死体の山は嫌だが、迂闊に歩いて崖から落ちたりするのはもっと嫌だ。となる火を熾さねばならない。寒さもあるが、この死体の血の匂いに、山の獣が惹かれないとも限らない。この時間になっても襲撃の気配がないことからすれば可能性は低いが、有り得ないわけではないのだ。火さえ熾しておけば、その手のものは近寄ってはこない。
 だが、その火を熾そうにも、焚き付けがなかった。まず目が行ったのが、チェリーの乗っている馬車だった。馬車と言っても馬がいなければただの荷車だ。ばらして薪にするのも、難しくはない。が、雨風を凌げることと荷物のことを考えるとこれをばらして燃やすわけにも行かない。
 どうやらここまで来る途中に抜けてきた林まで戻って、薪になりそうな木をを拾ってくるしかなさそうだった。
 「ね、チェリー」
 僕は暗闇の中、僕に寄り添っている彼女に、そっと呼び掛けた。
 「このままじゃ僕達二人とも凍死する羽目になる。薪を拾ってくるから、少し馬車の中で待っててくれる? 風が当らない分だけ暖かいよ」
 「いや」
 が、返ってきたのは存外に強い否定であった。
 「え、でも……」
 「いや。ここにいて」
 「それじゃ二人とも……」
 「死んでもいいからここにいて!」
 無茶苦茶だった。それじゃ本当に朝までにはお陀仏だ。
 「あのさ、チェリー、そんなにかかるわけじゃないし……」
 「いやなものはいや!」
 駄目だ、手が付けられない。けど、ここで凍死したらそれこそここで死体になったみんなに申し訳が立たない。僕は意を決して、強い言葉を口に出した。
 「今はそんな事言ってるときじゃないんだ。薪を取ってこないと二人とも」
 「ばかっ!」
 僕の言葉は、結局最後まで言えなかった。彼女に、思いっきり力の入った平手打ちを喰らってしまったからだ。
 僕は痛む頬を押さえながら、あっけに取られて彼女のほうを見た。
 その時、初めて気がついた。
 月明かりを後光にしょった彼女の全身が、細かく震えていることに。
 「エリン、あ、あたしが、こ、こんなとこ、怖くないとでも、お、思ってんの!」
 力が入りすぎてか、声もどもりぎみだ。
 「ば、馬車の中で、じっと震えてたときも、あ、あたし、怖くて外を見れなかったのよ! もし外を覗いて、エリンが切られちゃう所を見ちゃったらって思うと、どうしても外見らんなかったのよ! だ、だから、周りの音が静かになって、どうなったのかなって思ったとき、エリンにしか言えない感じで、『姫、大丈夫ですか』って言われたとき、どれだけほっとしたと思うのよ! よかったって、慌てて外出てみたら、そこにいたのが見たことないような女の人で、びっくりしたけど実はそれがエリンで、訳わかんないけど、エリンが生きてたって判って、どんだけよかったって思ったと思ってって……、ああん、もう、とにかくエリンがいるから、あたし何とか頑張れたのよ! だからヤダ! あたしを一人にしないで! もう目の届かないところに行かないで! もう……」
 彼女は一気にそれだけ喋ると、絶対に逃がさないとばかりに、僕にしがみついてきた。
 「いかないでよう……」
 そっから先は、ほとんど涙声だった。しがみつかれた全身から、怯える心がひしひしと伝わってくる。
 僕は自分の迂闊さを呪った。チェリーが普通の女の子より気丈だなんて、とんでもない間違いだ。確かに彼女はおてんばで姫君らしくない面も持ち合わせていたけれど、それでも無数の刺客に襲われて平然としてなんていられない、普通の女の子だ。そんな普通の彼女は、僕のためにって思うことで、何とか平衡を保っていたんだ。
 それを僕は、気付かなかったとはいえ、その支えを蹴っ飛ばすような真似をしてしまった。
 猛烈に、後悔の念が襲ってきた。今更彼女を置いて何処かにはいけない。
 だが、それでも現実は揺らがない。獣のほうは大丈夫そうだが、寒さはそうはいかない。いくら服を着込んでも、限度がある。山の夜は、信じられないくらい冷えるときがあるし、そうでなくても、雨でも降ったらそれだけでアウトだ。となると……
 (!)
 そこまで考えていたとき、僕は暖を取る方法を思い出した。だがこれは、思いっきり恥ずかしい。そう、人肌で暖め合うって方法だ。でも他に方法もない。
 「あー、姫」
 僕はどきどきしすぎて、とてもチェリーをいつもみたいに名前で呼べなかった。彼女は僕のそんな様子に、泣くのを忘れて顔を上げた。
 「どしたの、エリン」
 「あの、その……大変言いにくいんですが……」
 「なあに?」
 「このままですと、二人とも朝までに良くて風邪、下手をすれば凍死してしまいます。そこで、その……寒さを逃れるには、その、二人で肌を合わせて、その上でその辺の服やら毛皮やらを被らないと……あ、もちろん馬車の中で……」
 動揺する僕を見て、彼女は余裕を取り戻したのか、にっこり微笑んで僕に言った。
 「あ、そういうことね。いいわよ、もちろん」
 「で、でも」
 「だって、今は女同士じゃない。なら、問題ないでしょ」
 「そういう問題じゃないような気が……」
 「いいの」
 「姫……」
 「とにかく、さっさと手伝う!」
 いつの間にか、すっかり調子が戻っている彼女であった。僕はいわれるままに、大きめで布がたっぷりした服を集めて馬車に運びこんだ。


 どきどきどきどき。
 僕の心臓は、爆発寸前であった。
 口では何とでも言えたが、僕の心の中に、彼女を異性としてみる部分が有ったのは否定できない。どんなに気の置けない兄と妹でも、年頃の妹が下着も付けずに目の前を歩いたら、そんな気持ちがもたげてくるのを押さえることは出来まい。
 ましてや今自分が抱きしめているのは、はっきり言ってメタメタに好きな女の子なのだ。決して恋人に出来ない女の子だからこそ、自分の気持ちを抑えつけ、彼女の良き友、良き兄であろうとしたが、こうして抱きしめた瞬間、全ては崩壊してしまった。僕は彼女を愛している。妹以上の存在として。
 この変身も、そう思えば天の助けだった。多分男のままだったら、理性が持たない。泣き叫ぶ彼女を押し倒して思いを遂げてしまう自分が容易に想像できる。そこまで行かないにしても、股間の昂ぶりを察知されて恥ずかしい思いをする心配もない。
 それに、こうして女の姿で彼女を抱きしめていると、何ともいえない安らぎに満たされるような感じがする。服の上から抱き合ったことは何度もあったけど、そのときは女の子ってやわらかいんだ、という程度の感慨しか持たなかった。歳のせいもあったとはいえ、ときめきは感じたけどそれ以上ではなかった。
 でも今のやわらかい女の子の体で同じ様にやわらかい女の子の体を抱きしめていると、やわらかさとやわらかさが溶け合って、ぴったりと一つになるような感じがする。僕は女性がスキンシップをするとき、何故あんなにべたべた抱き合ったりくっついたりするのか判った気がした。男同士と違って、触り合うと気持ちいいのだ。
 なんてことを考えていると、胸のところから姫の声がした。
 「エリン……起きてる?」
 僕がもう寝ていると思ったのか、声は随分密やかだった。
 「起きてますよ」
 「あ……じゃあね、ちょっと聞いててくれる?」
 「はい」
 そう答えると彼女は、僕の胸の谷間に顔を埋めながら、そっと話しはじめた。
 「ごめんね、エリン。これ……あたしのせいよね」
 「そんなことないよ」
 僕は答える。
 「チェリーが謝ることなんか、何もない。何もないんだ」
 「でも、ごめん。あたしって、とっても悪い子だ」
 「?」
 僕は訳が判らなかった。そんな僕の戸惑いを無視して、彼女は言葉を続けた。
 「だってあたし、エリンがこんなになっちゃったのに、酷いことになっちゃったのに、それなのにあたし、嬉しいんだもん。喜んでるんだもん」
 「え……?」
 僕の惑いは更に増加した。更に加えて、何故か顔がほてり、心臓のどきどきは更にヒートアップしていた。
 「だって、触れるんだもん。抱き合えるんだもん。エリンが女の子になったんだから、別にこうしたっていいんだって思っちゃうんだもん!」
 「チェ、チェリー!」
 僕の心臓は、もう爆発寸前だった。
 「でもそれってとってもずるいのよ! あたし、とってもずるい。口ではいろいろ言ったって、ヒルダにそんな事ないって言ったって、ほんとはエリンのこと大好きなんだもん。夜中にエリンのこと考えて、いけないことしちゃったりしてるんだもん」
 その言葉を聞いて、僕の心臓は冗談じゃなく止まりかかった。心臓が痙攣するっていうのは初めての体験だ。けど自分の言葉に興奮しちゃったのか、チェリーの暴走はとどまるどころか一層激しさを増してきた。
 「そうよ! ほんとうならあたし、男の子のエリンに、好きですって言わなきゃいけないのに。男の子のエリンに抱かれてなきゃいけないのに、なのに、なのに、エリンには会おうと思えば会えたのに、嘘なんかつかなきゃいいのに、なのに嘘ばっかりついて、お友達でいましょうなんて奇麗事ばっかり言って、ほんとうはエリンにあんなことされたりこんなことされたりしたいって思ってるくせに、エリンの前ではそんな事ありませんなんて顔しちゃって」
 「チェ、チェリー〜〜」
 「なのに、なのに! エリンが女の子になっちゃったら、真っ先に浮かんだのが、もう我慢しなくっていいんだ、女の子同士なんだから、くっついてたって、さわりっこしたって、一緒にお風呂入ったりベッドで寝たりしたっていいんだって、そんな事なんだもん。これって、酷いよね。エリンは男なのに、それがいきなり女になっちゃったのに、いいことじゃないのに、なのに、喜ぶなんて、嬉しいのが我慢できないなんて、最低よね。あたし、エリンのこと好きだなんて言ったって、こんなの違うよ。あたし、エリンのことなんか、何も考えてない。あたし、自分が楽になりたいだけだ。いい気持ちになりたいだけだ。こんなんじゃ、エリンに好きだなんていってもらう資格ないよ。こんなの、エリンに失礼だよ!」

 もう支離滅裂たった。最後のほうは完全に涙声になっている。言いたいことは何とか判るけど、よく考えればこれは同性の友達にこぼす愚痴であって、少なくとも僕ことエリンに聞かせる話じゃないような気がする。でも僕の心に浮かんでいたのは、そんな理屈なんかどうでもいいいとおしさだった。何と言うか、その、可愛くって可愛くって仕方がない。男のときとは、全然違う感覚だ。
 「いいの」
 自然と、その言葉が口に出ていた。
 「僕も、チェリーのこと、好きだよ。でも、どうしたって、恋人同士にはなれなかったんだ。だったら、何かの縁で女同士、親友になるのも、悪くないんじゃない?」
 「いいの? あたしのこと、嫌いになんないの?」
 「んなわけないじゃない」
 それを聞いて安心したのか、彼女は小さく頷くと、そのまま僕の胸へもたれ掛かってきた。と思うとあっという間に寝息を立てている。
 僕も何故か満たされた気持ちで、掛け布代わりの毛皮を直すと、彼女のぬくもりを感じつつ、眠りに落ちていった。



 目を開けると、周りが明るかった。チェリーは、僕の胸の中で、まだ寝ている。
ほっとしたその時、僕は異変を感じた。
 物音が、人の気配がしている。それもかなり沢山。
 僕はそっとチェリーを脇に寝かせて、片隅においてあった例の短刀を握り締めた。
 そっと馬車の窓から外をうかがう。その途端、僕はひっくり返りそうになった。
 「か、か、母……」
 「しいっ!」
 窓の外……いや、窓からもろに中を覗いている人物がいた。見慣れたその人物は、唇に指を立て、僕に黙るように指示していた。
 「こら、馬鹿息子、あ、今は娘か。とにかくちょっと黙ってな。あたりには事情の判ってない親衛隊の面々が一杯いるんだ。いいかい、あたしが何言っても驚かず、そうです、って感じに頷いてるんだよ。そっちの知りたいことは後でみんな教えてやるから、絶対余計な口きくなよ。いいね」
 何がなんだか判らなかったが、どうやら母が親衛隊の人達を率いてここに来たらしい。と、僕の傍らで、チェリーが「う〜ん」と小さな声を上げていた。今の騒ぎで目が覚めたらしい。
 「姫、おめざめですか?」
 窓の外から母さんが声をかける。その声でチェリーは完全に目が覚めたみたいだった。
 「おはよう……あれ、カイリおば様、なんでここに?」
 「詳しい話しは後。着替えられる?」
 「一応は、出来ますけど、ただ……」
 「ただ?」
 「人前に出られる服が、ありません。荷台のトランクの中にまだ有ったと思いますけど……」
 「あ、これは失礼。じゃあ、ちょっと待っててください」
 そう言うと母さんは、後ろを振り向いて大声で叫んだ。
 「皆の者、姫は無事で、今お目覚めになられた!」
 おおっ! という歓声があたりに上がる。
 「ただ、姫はまだ皆の前に姿を表せる状態ではない。お召し変えと身繕いをなさるから、男どもはしばらく遠くに行くように。埋葬は大丈夫だな!」
 「はい、大丈夫です。今は血の痕をならしていただけです」
 「よし、ならばこちらが呼ぶまで一時この場から散開! いいな、覗いたら容赦無く股間のモノをぶった切るかんね!」
 「わかりましたあ!」
 かけ声とともに、周囲の人の気配が潮が引くように遠ざかっていった。
 それから少しして、母の声がした。
 「いいよ、出てきて。早いとこ着替えなさい」
 僕達は、そっと馬車から降りた。見ると、あたりに転がっていた死体が一つもない。よく見ると、ちょっと離れたところで変に土が盛り上がっている。どうやらもう埋めてしまったらしい。
 チェリーは馬車の後ろのトランクの一つを指差し、母さんがひょいと片手でそれをおろす。相変わらずの馬鹿力だ。彼女はたどたどしくもトランクを開けると、中から略式の礼装を取り出した。この手の礼装は下着から決まっているのか、ちゃんと胸当てやら下履きまで揃っていた。
 「コラ、アンタもさっさとなんか着る。若い娘がいつまでも真っ裸でいるんじゃない」
 母さんにせかされて、慌てて僕も着替えを始めた。といっても今の僕に着かたが判るのは、昨日のメイド服しかない。取り合えずそれを何とか着ると、母さんは必死に笑いを堪えていた。
 「な、なにがおかしいんだよ」
 「い、いやさ、別に男物でもよかったのに、何でわざわざそんなの着るかねって」
 「あ……」
 言われてみればそうであった。
 「まあいいわ。その方が話しを合わせやすいからね」
 「話?」
 「そうだよ、あんた、自分のことなんていうつもりだい? 姫を守ったとなれば、それなりに身元を追求されるよ。悪い意味じゃないにしても」
 「そ、それは、困る」
 僕は近衛隊従士のエリンです、訳あって女になりました……なんて言えるわけがない。
 「だからね、あんたはあたしの子飼いの手のもので、姫の影供としてつけておいたってことにする。エリンに似てるって言われたら、遠くはあるがあたしに血が繋がっているって言えばいい。火急の危機ゆえ表に出てしまったが、本来あっちゃいけないことだから、余計なことは言わないでくれって言う風に話を持ってくからね、その気で合わせろよ」
 僕はその用意周到な言い訳にあっけに取られてしまった。
 「母さん……」
 「何だい」
 「よく、そんな悪知恵が出るね」
 返ってきたのは、拳骨であった。

 「大したもんよねぇ。よくもまあ」
 馬車は再び動きだしていた。新たに十名の、腕利きの親衛隊員が、周りを護衛している。さすがに付き人は間に合わなかったが、これも次の宿場で待機しているという。
 今、馬車には僕とチェリー、そして母さんの三人が乗っていた。
 「カイリおば様って、詐欺師の才能もあったんですか?」
 「そんな事ないけどね。ま、いわゆる腹芸って奴よ」
 たった一人、姫と共に生き残った自分に、当然親衛隊の人達の目が集中した。母さんはそれを、
 『あたしが万が一に備えて用意しといた、姫の影供だよ、この娘は。この事は王も王妃も承知のことだ。けどまさかこうもあっさりと表に出す羽目になるとは思わなかった。ま、出ちまったもんは仕方ない。とりあえずこの子はあたしの娘で、姫の身の回りの世話と護衛を兼ねて一緒に留学させることにした、ってことにでもしておく。名前もエリンでいいだろ。皆も知ってるうちの息子の名前だけど、この名前は男女どっちでも使うしね。その方が咄嗟のときに間違えないですむ』
 なんていう台詞をそれこそ当然といった感じて喋りまくり、あっさりと僕を姫の最終防衛線に仕立てあげてしまった。
 「そう言えば母さん、何でここに? それに、知ってんだろ。僕の変身の理由」
 「まあね、結構長い話だよ。よーく聞きな。あ、ここにいるのは単純なこと。襲撃計画が内部告発でばれたのよ。首謀者の家人の一人が、恐れをなして知らせてくれたのね。で、ひーこりゃヤバいと思って、泡喰って出撃したんだわ。けど、あんた達のほうはお前もいたし、どうやっても間に合わないと思ってたから、先に首謀者側を叩き潰してたのさ」
 「それで、一日遅れたわけなのですね」
 「そ。本当はこの任務、父さんがやるはずだったんだけど、あんたがあれを抜いてるとややこしいことになるから、あたしが変わりに来たのさ」
 「で、かあさん」
 僕は話がずれそうになるのを強引に引き戻した。
 「説明してくれる、これ」
 「仕方ないねぇ」
 母さんは何故か大きくため息をつくと、僕に向かって何か意味ありげな微笑みを浮かべた。
 「聞かなきゃ収まんないだろうから教えたげるよ。それはね、レディ・ガーディアンって言う、由緒ある魔剣さ。主たる姫を必ず護りぬく力を秘めた、守護の魔剣。祝福を与えた処女が主となり、主に好意を持つ若者が始めて剣を抜いたとき、盟約が結ばれる。剣を抜いたものには絶大な力が宿り、姫を守る騎士となる」
 「それは判るけど、何で女になっちゃうんだよ」
 「私も不思議ですわ」
 僕達の疑問を、母さんはふふんと鼻で笑った。
 「この先嫌でも判るけど、理由は三つさ。一つ、姫の護衛は女性でなければならない。男じゃ風呂や寝所にはいるわけにはいかんだろ。でも刺客はそういう所こそ狙ってくる」
 僕と彼女は、揃って頷いた。
 「二つ、これは剣の魔力の問題だ。この剣の加護は、戦の精と一角獣の霊力を練りあげて作られてる。戦の精が戦闘力を、一角獣の力が治癒能力を司っているのさ。だからいくら戦っても疲れないし、毒も呪いも効きやしない。更に一角獣には呼び声に答える力がある。つまり姫の騎士は、主が呼べは距離を飛び越えて即座に主を守ることが出来る」
 「それって、つまり」
 「あたしが、『助けて、エリン!』って言うと、どこからともなくエリンが現れるってことですか?」
 「そ。一度試しておいた方がいい。ふいにやられると、結構焦るからね。一度やればまあ平気さ」
 「で、それと女性化と、何の関係が?」
 「鈍い子だね。神話学の講義、聴いたことないのかい?」
 「ないよ」
 「あ、じゃ分からんか」
 そう言うと母さんは、少し居住まいを直した。
 「ちゃんと教えとくんだったかね。戦の精は女の子の精霊でね。男の魂に勇気を与える力があるんだが、この剣の魔力はもっと強く、精霊と同化しちまうのさ。そうすると精霊の力に引かれて、肉体が女性化しちまう。更に、一角獣の霊力は、女性にしか効かない。つまりこの魔剣の能力は、男性の魂を持つ女性でないと全力が発揮できないってことになるのさ。で、制約が多い分、力も凄いというわけ」
 聞いてみれば納得の行く話であった。が、一つだけ腑に落ちないことがあった。
 「けど、母さん。そこまでする必要があるの? 使い手を女にしてまで」
 「それが三つ目の理由さね」
 母さんはにやりと笑った。
 「三つ目の理由。それは姫に悪い虫をつけないためさ。姫がカッコイイ騎士に惚れ込んじまうのは、今も昔も変わんないってこと。実際はこれが一番の理由なのかもね。姫の身は心配だが、命懸けで姫を守れる男は、一歩間違うと姫を奪う男になりかねんってね。解放条件が、それをよ〜く表してるよ」
 ぼくは思わずずっこけた。
 「つまり……親馬鹿?」
 「そ。虫のいい、ね。ちなみに剣の盟約は、姫が騎士の守護を必要としなくなったとき……つまり結婚して夫の保護下に入ったときに解ける。具体的には、姫が愛する男に抱かれて、処女を散らしたときに解けるんだよ」
 それを聞いて、チェリーは真っ赤に、僕は真っ青になった。そんな僕らを見て、母さんはからからと笑った。
 「よくできてるよ。騎士に守られている限り、姫は暴力で処女を散らされることはない。だから姫が相手の男を愛さない限り、盟約は敗れない。つまり姫を騎士に取られる心配は、絶対にない。安心して姫を任せることが出来る、ってこと」
 「ず……ずっこい!」
 僕は思わず怒鳴っていた。
 「それじゃ僕は、いいように利用されてるようなもんじゃないか」
 「そんな事はないさ」
 母さんは、僕を宥めるように言った。
 「言葉で聞くとそう感じるけどね。やって見れば判るさ。どんな男より充実した人生を送れることは、間違いないからね。なに、女だって、悪くはないよ」
 「母さんは気楽に言うけどね」
 いきなり女にされた僕の気持ちが判るわけないだろ、と、僕が言葉を続けようとしたときだった。いきなりチェリーが、凄く蒼ざめた表情を浮かべながら二人の会話に割り込んできた。
 「あの、カイリおば様、さっきっからの話からすると……」
 「ん、なあに」
 「おば様は、母上の護衛官として、この国に来たのですよね……」
 「うん、知っての通りよ」
 「それって、ひょっとして、カイリおば様は、母の『騎士』だったってことですか」
 「そうよ」
 僕も一気に血の気が引いてしまった。それって、つまり……
 「母さんは……」
 「なんだい?」
 「元、男ぉ!!!」
 「そ。こうして経験者が語ってるんだ。あんたも安心して暫くは女の子でいなさい」
 「ちょっと待ってよ!」
 はっきり言って訳が判んなくなってきた。目の前がくらくらする。
 「それ、父さんは」
 「知ってるよ、もちろん。ていうか、父さんがいたから、母さんは女として生きる決心をしたんだしね。盟約の解けるとき、騎士は自らの性を選ぶことが出来る。男に戻るか、女になりきるか、決められなければ二つの性を自由に行き来することも出来るし、騎士のままでいることも出来る。ただその状態の間は子供が作れないから、子供が欲しけりゃどっちかに決めるしかないけどね。騎士の勤めに対する、報酬の一部さ。騎士の盟約期間は千差万別だからね、男に戻ったほうが都合のいい場合もあるし、今更男に戻れなくなってるときもある。そのためのおまけさ。母さんの場合は、結構期間が長かったし、それに父さんに惚れちゃったしね。男に未練はなかったよ」
 そういう母さんの顔は、心底幸せそうだった。でも僕はそんな事を感じることさえできなかった。
 母さんが元男、母さんが元男、母さんが元男母さんが元男…………
 そのことだけが、頭の中をぐるぐる回っていた。
 「おば様、エリン、大丈夫かしら」
 「やっぱ、ちょっと衝撃的な話だったかね」
 「あたしだってびっくりしましたよ」
 「実際はそんなにおおげさなことじゃないんだけどね。ま、仲良くね。あ、いいわすれてたけど、こんな事の後だし、帝国まで私達が今までの護衛の代わりに付くことになったから。暫くは一緒よ。この馬鹿息子というか娘にも、姫様に恥をかかせない程度の女のたしなみを覚えさせないとね。手伝っていただけます?」
 「ええ、喜んで」
 僕はそれを聞いて、そのまんま気が遠くなってしまった。
 前途は多難そうだ。
 薄れ行く意識の中、何故か僕が見知らぬ男とくちずけを交わしている姿が見えた。
 僕は慌てて蹴散らそうとしたが、そうする前に意識が深遠に呑み込まれていた。



                    第一部 



おまけ1 第二部予告編

 あれから数ヶ月。エリンと姫は帝国の全寮制高等学院でお勉強中。でもエリンくんには戸惑いの連続。

 「女の子って、何考えてんだ〜!!!!」

 打ち砕かれる幻想の向こうに待っているのは禁断の花園か惑乱の世界か。
 いよいよ萌え萌えモード突入の第二部、乱れ咲く妖花の章にこう御期待!

おまけ2 キャライメージ

 エリンくん
 主人公の彼、キャライメージですが……
 外見はもろ、天上ウテナ。彼女のイメージが基本型です。

 チェリー
 実は特定イメージ無し、というかうまいモデルがいない。
 強いて言うなら、エアリス+ティファかな?
 母さんことカイリおば様
 ベースはDrりょーこ・榊(わかるかな?)性格はモデルより遥かに常識人ですが。
 ただしより正確には、筆者の源イメージキャラの一人。ちょっと蓮っ葉なお姉さん系の汎用キャラです。
 実際、僕の話には大抵一人はこういう人がいる。

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