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華代ちゃんシリーズ

「ぴ〜」

作:inax


※ 「華代ちゃん」シリーズの詳細については、以下の公式ページを参照にしてください。

http://www7.plala.or.jp/mashiroyou/kayo_chan00.html




 こんにちは。初めまして。私は真城華代と申します。

 最近は本当に心の寂しい人ばかり。そんなみなさんの為に私は活動しています。まだまだ未熟ですけれども、たまたま私が通りかかりましたとき、お悩みなどございましたら是非ともお申し付け下さい。私に出来る範囲で依頼人の方のお悩みを露散させてご覧に入れましょう。どうぞお気軽にお申し付け下さいませ。

 報酬ですか? いえ、お金は頂いておりません。お客様が満足頂ければ、それが何よりの報酬でございます。

 さて、今回のお客様は……




***




 ぴーごろごろ、ぐるぐるきゅー

 真夏の朝、もはや高く上った太陽が強い日差しを浴びせている。通勤通学客でギュウ詰めのクーラーの良く効いた電車の中に、そんな小さなサウンドが響いた。電車の立てる大きな走行音のために、先ほどの音が聞こえた乗客はほとんど居なかっただろう。しかし、僕のおなかのしくりとする小さな痛みはそれが幻聴ではないことを物語っていた。

「またか……」

 僕はつぶやいた。そう僕は胃腸が強いほうではない。いや、むしろ弱い部類に入るだろう。冷たい牛乳を少々飲んだだけで、あるいは夜寝るときにちょっとばかりおなかを冷やしただけで、サツマイモをちょっぴり食べ過ぎただけで、たったそれだけで、僕のおなかはすぐにテロ活動を開始するのが常だった。

 今朝の僕の行動を振り返ってみよう。ちょっぴり寝坊した僕は恒例の朝のトイレを省略し、牛乳を飲んでトーストを一枚くわえてから駅への道を急いだ。今日は僕の高校の期末テストの初日、遅刻するわけにはいかなかったのだ。初日の試験日程は苦手な数学と英語が重なっていた。どちらの教科も中間テストの成績が思わしくなかったから、昨日は夜遅くまで勉強をしていた。そうそう、昨日の夕食はゲン担ぎだって言って母さんがとんかつを出してくれたんだ。以上のことを総合して考える。昨日の夕食は消化に悪い油モノ。極度の寝不足。朝トイレに行っていない。冷たい牛乳。トーストが胃に入ったことによる胃腸のぜん動運動の開始。胃腸の弱い僕がその悪条件を乗り越えられるはずが無かった。完全な戦略ミスである。しかし、犯してしまったミスは仕方が無い。これからの行動でカバーすればいいのだ。

 これからの行動の指針を立てるのに必要なのは現状の確認だ。敵を知り、己を知れば百戦危うからずだ。僕の家の最寄駅から学校までは各駅停車の電車で30分の道のりだ。途中に駅は10個ほど。約3分間隔で次の駅に止まる。今4つ目の駅を出たばかりだからあと15分強かかるな……。ここまで把握した時点で、僕のおなかのサウンドは眠たげなバラードからアップテンポのジャズへと移ってきていた。非常にまずい兆候である。僕のおなかのリズムには――勝手に名づけたのだが――バラード、ジャズ、サンバの3つの山があり、周期的におなかの収縮を促すのだ。もちろん後のリズムほど収縮は強くなる。ちなみに、いまだかつてサンバのリズムに耐えられたことは一度も無い。

 まずい、とても学校に着くまでは持ちこたえられそうも無い。ではどうするのか。途中で降りるしかない。幸いなことに日ごろの胃腸弱者としての訓練の賜物で、僕は通学路線の各駅のトイレの配置は全て頭の中のデータベースに格納されていた。あの駅のトイレは跨線橋を渡らなくてはいけないとか、この駅はホームの端っこにあるから行きにくいとか、電車を降りてからのトイレへの道のりを最低限に押さえる上でトイレの配置は非常に重要なのだ。次の駅はターミナル駅であり、人の乗り降りが激しい。そのような中を痛むおなかを抱えながら移動できるだろうか? いや、そんなことをできるわけがない。さらに、ターミナル駅のトイレは数は多いが利用者も多いので、ラッシュ時には長蛇の列になっているのが通例である。トイレの混雑度で言えば、小駅のほうが有利なのだ。僕は2つ後の小駅にねらいを定めた。トイレは跨線橋の上の駅舎にあるが、そのくらいまでならなんとか耐える事は可能だろう。

「H島〜、H島です。S線、I線、H線はお乗換えです」

 駅の場内アナウンスがターミナル駅への到着を告げた。乗客が入れ替わり、僕も人波に 押されてあちらこちら移動せざるを得ない。小刻みな運動はおなかにとっては大敵なのだ。や、やめてくれ。僕のおなかはジャズのリズムを刻んでいるんだ! おじさん、僕のおなかやおしりをかばんでつつかないでくれ!

 もみくちゃにされながらも電車の中で僕は耐えた。電車が目的の駅のホームに滑り込むと、僕は人ごみを掻き分けながらホームに降り立った。しかし、おなかのリズムはもはやサンバになろうとしていたのだ! 気を抜いてはいけない、ここからが本当の勝負だ。僕は油のようなねちっこい汗を出し、サンバのリズムと戦いながら、一歩、また一歩と踏みしめながらトイレへの階段を上った。胃腸弱を知らない幸せな人は、走ればすぐだろう、というかもしれない。しかし、サンバ状態では少しの刺激が命取りになる。おしりに刺激を与えないよう、ゆっくり、しかし着実に歩を進める必要があるのだ。

 そのとき! 僕の視界はついにトイレを捕らえた。神々しいばかりにかがやく(ように見えた)トイレの入り口は僕を待っていたのだ! ああ、神様、僕に本日のトイレをお与え下さいましてありがとうございます。 トイレの紙……いや神に感謝しつつ男子トイレの門をくぐった。





 神は居なかった……

 男子トイレに2つある個室は全て埋まっていたのだった。しかもサラリーマン風のおじさんが2人も並んでいる。上手が居たのだ。この時間のトイレは出勤中にもよおしてしまったおじさんたちが集中するのだ。このおじさんたちもターミナル駅の混雑を避けてこの駅に来たに違いは無い。そういう人が2人も居れば小駅の個室などあっという間に埋まってしまう。仕事のストレスで過敏性大腸炎になってしまったおじさん達には哀悼の意を表したいが、僕にもそこまでの余裕は無いのだった。

 もう、だめだ。僕は絶望した。このまま漏らしてしまえば楽になる……。

 人間、死を覚悟したときには人生が走馬灯のようにフラッシュバックすると言われている。僕の頭の中には、小学校1年生のときに初めてのお使いの帰りにしてしまった始めてのおもらし、3年生のときに「先生、トイレに行きたいです」が言えずにやってしまったこと……。そんなことばかり思い出してどうなるんだ?

 回想は続く。以前同じクラスだった胃弱の美智子ちゃんとの会話を思い出した。

「朝の女子トイレはそれほど混雑しないのよ。個室の量は多いし、OLさんたちは朝から駅の汚いトイレに入りたくないからじゃないかな」

(!)

 僕は悪魔の計画を思いついてしまった。いや、これをやってしまったら悪魔というよりももはや変態さんであろう。しかし、今の僕にはもはや正常な判断力は皆無といってよかった。腰を落とした「対衝撃姿勢」を保ったままじりじりと後退を始める。

 じりじり……

 男子トイレを抜け、目指すところは、もちろん向かい側の女子トイレである。きょろきょろと周りを見渡し、こちらを見ている人がいないことを確認し、さらに女子トイレの中をちらりとのぞき見る。
(ああ、これで僕も変態さんだよ……さようなら、今までの僕)
 中には……だれも……いないな。僕は一番近い個室へ向かってダッシュした。



ぶりっ、どかっ、すこぽん、どきゅっ、ぴー
(以下自粛)




 こうして僕のピンチは終わりを告げたのだった……

 そう、これで終わればよかったのである。しかし、そうそううまくいかないのが世の定め。個室の外からは大声で話す女性の声が響いてきた。

「今日は暑いザマスねぇ」
「そうよねぇ、オクサマ〜」
「お宅の旦那さんは良く稼ぐからいいわねぇ。うちのヤドロクなんかろくに働かないからエアコンさえ入れられないくらいザマスのよ」
「そうよねぇ」

 ……まずい。非常にまずい。僕が個室に入っている間にオクサマ方が洗面所で井戸端会議を始めてしまったのだ。このままでは試験に遅刻してしまう! ど、どうしよう……。

「おにいちゃん、大丈夫?」

「うわっ、君だれ? っていうか、なんでそんなところからのぞいてるの?」

 僕が見上げると、隣の個室との間の壁の上から小学生くらいの女の子がのぞいているじゃぁありませんか。

「なにか悩みがありませんか? 私が解決してさしあげますよ」

 そう言って彼女はちいさな紙切れを僕に手渡した。

「いや、僕はもうおしりは拭いちゃったから紙は要らないんだけど」

「もうお兄ちゃんたら、ちゃんと読んでよ」


「ココロとカラダの悩み、お受けいたします   真城 華代」


「僕には悩みなんて無いよ! ここから無事に外に出たいだけなんだ。もうすぐ試験が始まっちゃう……」

「ここから堂々と出られればいいんですね。そんなの簡単ですよ。それ!」

 いったい何なんだ!? そう思ったその時、僕の全身にむずむずとする感覚が走った。

「あ・あ・あ……」

 見る間に学生服の胸の部分が盛り上がっていった。それに応じて僕の胸にも、締め付けられるような感覚が走った。腰はくびれ、学生服のズボンはずり落ちそうになる。もともと毛の量は少ない手足だったが、今は輪をかけてつるつるになっていた。

「体だけじゃだめよね。そ〜れ」

 掛け声とともに僕のズボンは形を変えていく。二つの筒が一つになり、足元からひゅるりと風が吹き込んでくる。ワイシャツにつけたネクタイは臙脂色のリボンに姿を変えていた。

 ボクは通学カバンの中から手鏡を取り出した(こんなもの、入れた覚えは無いのに……)。鏡の中に居たのはボクの学校のブレザーを身に付けた一人の少女だった。ボクは思った、この格好で学校に行っても試験は受けさせてもらえないんじゃないかな〜って。






 今回の依頼も実に簡単でした。女子トイレから堂々と出て行くのには女の子になるのがいちばん簡単ですよね。それに、これからはすいている女子トイレを使えるんですからもう朝のトイレに悩まされることはありませんよね。
 また何か困った事があったら何なりとお申し付け下さい。今度はあなたの街にお邪魔するかも知れません。それではまた。







***


 一ヵ月後、ボクは某イベント会場に居た。なんと、女の子になってから腸弱は治ってしまったんだよ♪ (その代わり便秘になってしまったんだけどね♪) だから遠出のイベントなんかも大丈夫さ。あ、でもさっきの喫茶店でちょっと紅茶を飲みすぎちゃったかな? トイレ、トイレ。

 眼前に広がる女子トイレの長蛇の列はイベント会場の外まで続いているかのようだ……ボクは叫ばざるを得なかった。

「華代ちゃ〜んっ、助けてよぅ〜」







おわり


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