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 昼間のうだるような暑さが少しだけ「まし」になった、七月の夕暮れ時。
 住宅街の路地を、二つの影――二人の少年が、カバンを手に肩を並べてとぼとぼと歩いていた。
 いや、この場合 “肩を並べて” という表現はいささか当てはまらないかもしれない。
 何故なら一方の少年の背丈は、もうひとりの、それこそ胸元ぐらいまでしかないのだから……

「――うっ……うっ……ううう――っ…………」
「あ〜もういい加減泣き止めよ……未練がまし過ぎるぞ蒼也(そうや)っ」
「だ、だって、リョウ先輩〜っ…………」

 「蒼也」と呼ばれた背の低い方の少年は、さっきからずっとうつむいて、ぐずぐずと泣き続けている。
 それを横目に歩く背の高い方の少年は、空いた方の手を襟元にやり、制服のネクタイの結び目を指で引っぱりながらため息をついた。
 高一の木之本(きのもと)蒼也と、高二の阿鷺 涼(あさぎ・りょう)。この二人、凸凹先輩後輩コンビとして学校ではわりと有名だったりする。
「……だから向こうは要するに “遊び” だったってわけだろ? なら、こっちも遊びだって割り切っちまえ――」
「…………」
 くちびるを噛みしめてさらにうつむくその横顔に、涼は一瞬、言葉を途切れさせた。「……ったく、惚れっぽいのもたいがいにしろよな」
「ううっ……で、でも――」
「気にすんなっ。忘れろって。うちの女子どもは男見る目がないんだよっ」
「…………」
 えらそうに断定口調で言い切るそんな先輩も、実は「カノジョいない歴=実年齢」を更新中なのだが(笑)。
 華奢で小柄で女顔……蒼也はよくまわりの女子たちにその容姿を騒がれたりするのだが、線が細くて押しが弱そうな印象があるためか、あくまでも「可愛い」系キャラ―― “愛でる” 対象であっても、交際の対象としては全く見られていない。

『性格はいいけど、なんかもの足りない』
『付き合ってもおとなし過ぎて、退屈しそう――』

 だけど生真面目な蒼也は、女子たちに「つまみ食い」感覚で声をかけられても、いつも本気になってしまう。そしてなけなしの勇気を払って「告白」して玉砕し、そのたびに落ち込んでしまうのだ。
 涼は友人として先輩として、そんな蒼也をその都度なぐさめ、はげまし、応援し続けてきたのだが――
「もう……だめだよ…………僕……」
 今回ばかりは、いつも以上にこたえているようだ。もうじき夏休みだというのに……

『ごめんね〜、はじめっからそんなつもりなかったし……だって木之本くんって――』
『え……?』

 ――そりゃまあ、「妹みたいに思ってた」なんて面と向かって言われりゃ、男としてはヘコむよな……

 そう嘆息しつつ、涼はちらりと蒼也の横顔をうかがう。
 両手でカバンを下げ、肩を落としてうつむくその姿は、まあ、確かに頼りなさげというか、男らしくないというか、ぶかぶかなワイシャツとズボン──これより小さいサイズがないのか、あるいは成長することを願って大きめのサイズを着せられているのか──より、女子のセーラー服とプリーツスカートが似合うというか…………じゃなくてっ!!
「…………」
 男の娘(こ)好きな、頭に “腐” の付く女子たちが影で盛り上げてそうな考えに、ぶるぶるぶるっと頭を振る。
「と……とにかく、だ。今さらいじいじしたってしょうがないだろっ。男ならすっぱり――」
「女でいいよ、もう……」
「…………」
 まるでこちらの思考?を読んだかのように、うつむいたまま力なくつぶやく蒼也。涼は落ち着かなく視線をあちこちにさまよわせた。
 「何バカなことを」「元気出せよ」「いつまでもくよくよすんな」etcetc……様々なはげましやなぐさめの言葉が脳内検索されるが――

「あ、えっと、そ、そ……んじゃ、も――もし、蒼也が女になったら……」

 その口をついて出たのは、びみょ〜に頭悪そうなセリフだった。「そ、そんときは……お、オレのカノジョにして、やる、よ――」
「…………」

 ――す、すべった……か?

 ため息をつきながらさらに肩を落とす後輩に、涼はいろいろな意味でいたたまれなくなった。




― アンデスメロンは、アンデス原産じゃない。の続き 青の章 ―

オクラホマミキサーは、

プロレス技の名前じゃない。

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−1−

 涼と蒼也、ふたりの出会いは小学校入学以前にさかのぼる。
 幼い頃、涼の通う幼稚園の年中組に、父親の仕事の都合で引っ越してきた蒼也が入園してきたのがきっかけだった。
 当時、年長組をシメて、そこでぶいぶいいわせて(……笑)いた涼は、廊下をおどおどと歩いてきた転入初日の蒼也の前に立ちふさがると、手を両の腰に当ててふんぞり返り、おもむろにこう言った。

「おいおまえ、おまえかわいいから、おおきくなったらおれのおよめさんにしてやる」
「え……?」

 俺サマ園児、一世一代の勘違い。

 蒼也の顔が真っ赤になり、たまたまそばを通りかかった保育士さんが盛大に吹き出して、その時の涼は「おれ、なにかへんなこといったか?」という目つきでそんな二人をにらみつけた……とか。
 まあ、それが縁で仲良くなった(というか、女の子と間違えたことにバツの悪さを感じた涼が、照れくささも合わせて一方的に世話を焼きだした)彼らなのだが、小学校に上がってしばらくすると、今度は涼の方が両親の離婚が原因で引っ越してしまい、そして月日が流れ、高校で先輩後輩として再会したというわけなのだ。

「ったく、ああいう内気なところはあの頃からちっとも変わってねーからな、蒼也の奴――」

 夜。Tシャツに短パンというラフな格好でベッドの上で胡座をかき、だらしなく壁にもたれ、涼は誰言うことなくひとりそうつぶやいた。
 耳に差したiP〇dのイヤホンから流れてくる、ゆったりした癒し系のインストゥルメンタルを聴くともなしに聴きながら、ぼーっとした表情を浮かべる。
「ほっとけないよなぁ……やっぱ」
 帰宅部な涼にとって、自分を「先輩」と慕ってくる蒼也は、唯一無二の大切な “後輩” である。
 だからそんな彼が女の子に「オモチャ」扱いされて振られ続け、毎回毎回情けなく泣いているのを見ていられないのだ。

 ――ああいうのをちょっとでも肩代わりしてやることができれば、いいんだけどなあ……

 「腐れ縁」と言うなかれ。涼としては、いっこ上の「先輩」として、いつなんどきでも蒼也の力になってやりたいと思っている。
 ……とはいうものの彼自身、親しい女子がいるわけでもないし、ましてや新しいカノジョを紹介してやるなんてこともできない。せいぜいあっちこっちに引っぱり回して、うじうじ思い悩ませないようにしてやるだけだ。
 今回は「重傷」だから、はたしてそれだけで立ち直ってくれるかどうか心配だが。
 とりあえず明日はカラオケにでも連れていって、バカ騒ぎして気を紛らわせてやろう……そうぼんやりと考えながら、涼は床についた。



 同じ頃、自宅の風呂の湯船に口元まで浸かり、蒼也はひとり、もの思いにふけっていた。
 狭いユニットバスの中で身体を折り曲げ、膝を抱え込む。

 ――リョウ先輩に、また迷惑かけちゃったな……

 あれからずっとベソをかき続けていた自分を家まで送ってくれて、玄関で別れ際に「もっといいカノジョ見つけて、あいつらみんな見返してやれっ」とはげましてくれた先輩。
 また目の奥から涙が出てきそうになる。蒼也はそれを振り払うかのように、ばしゃばしゃと湯船で顔を洗った。
 気が弱いのは、今にはじまったことじゃない。
 中学の頃は、ひどくいじめられたこともなかったが、常に「いじられ」役――オモチャにされるポジションだった。
 家の事情でたったひとり、みんなとは違う別の高校を受験して合格しても、それから解放される安堵感より、新しい学校でも同じ目にあうのではないかという不安の方が勝っていた。
 だけど高校に入学して涼に再会した瞬間、心にのしかかっていたそんな重苦しい緊張感が一気に吹きとんだような気がした。

『……蒼也? 蒼也じゃないか?』
『え……? り、リョウ……さん?』

 気付いてくれて……声をかけてくれて嬉しかった。その笑顔が、固く緊張していた心を解きほぐしてくれた。
「ああいう世話好きで心配性なところは、ちっちゃい頃から全然変わってないんだよな、リョウ先輩……」
 だから、そんな先輩を安心させようと……少しは強くなったところを見せようとして――
「…………何やってんだろ、僕……」
 むしろかえって世話かけているんじゃないのか? ……まあ、たぶん先輩は「迷惑」だなんてこれっぽっちも思ってないんだろうけど。
 そんな空回りの思いにとらわれて、ますます自分が嫌になる。
「…………」
 先輩に憧れて、先輩みたいになりたくて……でも、先輩みたいに男らしくない自分。
 洗い場の鏡に映った自分の顔を見つめる。小柄で華奢で童顔で、まるで――

『女でいいよ、もう……』
『そ、そんときは……お、オレのカノジョにして、やる、よ――』

「…………」
 ぶくぶくぶく……蒼也は顔を赤らめて、湯船の中に沈んでいった。



 草木も眠る、丑三つミッドナイト。
 ひと気の途絶えた真っ暗な住宅街の路地の上を、青く輝く光の球がひとつ、ふわふわと漂っていた。
 大きさはソフトボールくらい。それは明滅を繰り返しながら、ゆらゆらと、まるで道に迷ったかのようにあてもなく宙を彷徨い続ける――

 ……その動きが、突然ぴたっと止まった。

 次の瞬間、青い光球は弾かれたように高く舞い上がると、そばにあったマンションの窓ガラスをすり抜けて、中に入り込んだ。
 しばらくすると、部屋の窓から青い光が漏れ出し……そしてそれは凪(な)いだ水面に投げ込まれた小石が起こした波紋のように、周囲へと広がっていった――



 ぴぴぴっ、ぴぴぴっ、ぴぴぴっ……

 目ざまし時計の電子音と、ブラインドの隙間から差し込む朝日に、意識がゆっくりと引き戻されていく。
「…………」
 どちらかというと朝は弱い方だが、今朝はいつにも増して頭がすっきりしない。
 それでも身体を起こし、布団の上でしばし、ぼーっと座り込む。
「…………」
 どれくらいそうしていただろう。
 のそのそとベッドから立ち上がり、部屋のドアを開ける。
「あら、おはよう」
「ん……」
 ぺたぺたぺた……と足音を立てながら、キッチンにいた母親の横を通り抜け、風呂の脱衣場を兼ねた洗面所に入ると、歯を磨いて顔を洗う。
 長い髪がなんかうっとうしい。片手でそれを払いのけ――
「……?」
 かすかな違和感とともに顔を上げて、正面の鏡を見る。
 ふっくらした頬、すっきりした鼻筋と顎の線、ぱっちりした目、細い眉――
「…………」
 鏡に映った自分の顔をしばし見つめ、何事もなかったかのようにもう一度、洗面台に視線を落とし……

……ええっ!?」

 弾かれたように再び顔を上げ、鏡の中の自分の姿に目を大きく見開く。
 そのまま両頬、次いで頭に手をやり、その手を目の前に持ってきて手のひらと手の甲を交互に見つめ、胸元を押し上げる二つの膨らみをかき抱くように押さえた。
 着崩れたキャミソールの胸元からちらりと見える可愛いらしい鎖骨の窪みと、そこから下に向かって描かれたなだらかなカーブ。
 長い髪が、首筋をくすぐる。
「…………」
 ごくり……と唾を飲みこみ、へその下へと手をやって――
 ……………………

「う……うぅわああああああああああああああ〜っ!! なっ、ないいいいい〜っ!?」

 甲高い悲鳴が、狭い洗面所に響きわたった。
「ち、ちょっとどうしたのっ!? 朝っぱらから大声出してっ!?」
「かっ……か、母、さ、んっ――」
 悲鳴を聞きつけ洗面所のドアを開けた母親の目にとび込んできたのは、左手で胸の膨らみを、右手で股間を押さえ、長い髪を振り乱して引きつった表情をこちらに向けてくる「少女」の姿だった。
「お、俺……俺、お、お、お、おん、おん、女……女に――女になってるうううううっ!!」
「…………」
 一瞬、目を点にして言葉を飲み込んだ母親だったが、肩を落としてため息をつくと、呆れ返ったような口調で言い返した。
「……朝っぱらから何寝ぼけたこと言ってるの? あんた元から女でしょ? 涼子(りょうこ)っ」
「へ? りょう……こ?」
 今度は少女の目が点になる。母親はそんな彼女につかつかと歩み寄ると、そのお尻を軽くはたいた。
「ひゃんっ! ……っ!?」
 くすぐったさが背筋を駆け上がり、口からとび出した可愛らしい声に驚きと困惑、恥ずかしさとがない交ぜになって、顔を赤らめ身をすくませる。
「ほらっ、いつまでも寝ぼけてないで、さっさと着替えてらっしゃいっ」
 そんな「彼女」を尻目に、母親はぱたぱたとスリッパを鳴らしてキッチンに戻っていった。



「この娘(こ)、……俺?」  机の上にあった生徒証には、部屋の壁にハンガーで掛けられた制服――セーラー服を着た、“今の” 自分の顔写真と名前が記されていた。
「あ、阿鷺……涼、子? う、うそだろ……」
 ショックでよろめきながら自分の部屋に戻った少女……と化した涼は、崩れ落ちるようにベッドの上に座り込んだ。
「…………」
 宙に視線をさまよわせ、「茫然自失」といった表情をその顔に浮かべる。
 昨日の晩、寝る直前は確かに……いやいや物心ついてから、今までず〜っと自分は間違いなく “男” だった。
 髪の毛も短かったし、筋骨隆々とまでは言わないが、腕や脚はそれなりに筋肉質で締まっていた。胸にもこんなふわんふわんしたものはついてなくて、股間にはぐいーんでぱおーんしたものがちゃんとぶら下がっていた……はず。
「…………」
 フラットになったへそ下をぴっちり覆う、薄いピンク色の下着――もちろん女物。
 ゴムの部分を引っ張り、おそるおそるその中を覗き込む……
「――!!」
 顔を赤らめ、涼は見てはいけないものを見てしまったかのようにあわてて上へ目をそらした。
 丸みを帯びてふっくら柔らかくなった身体つき、細くなった手首足首、腰まである長い髪、つるつるすべすべしたきめの細かい肌。
 そして毎朝自己主張していた長年の相 “棒” は、きれいさっぱりなくなっていた。代わりにそこにあるのは、淡い茂みに隠された一筋の──
「…………」
 涼はベッドから立ち上がると、顔を真っ赤にしたまま周囲を落ち着きなく歩き回り、次いで部屋中の戸棚や引き出しを片っ端から開け始めた。
 家具やその配置は全く変わっていない。だけどクローゼットの中身は全て女物の衣服に置き換わっていて、タンスの引き出しの中にはショーツやブラジャー、キャミソール、タンクトップなどがきれいに畳まれて並んでいた。
 さっきの母親の態度も合わせると、今の自分は単に姿形(性別!)が変わっただけではなく、「女の子の阿鷺涼子」としての過去を持ち、ここに存在しているらしい。
「う……あ――」
 目にとび込んでくるカラフルな布地の列に頭がクラクラし、あわてて引き出しを閉める……無理だ。今すぐにこの「現実」と向き合うなんてできそうにない。
「いったい何が、どうなって……」

 1.母親が言うように自分は元々女で、ずっと「男になってた」リアルな夢を見ていた。
 2.意識(と記憶)だけが、パラレルワールドへすっとばされた。
 3.バーチャルリアリティかなんか。
 4.〇ョッカーの仕業(爆)。

 ……どれも微妙に違う気がする。
 母親も一枚噛んだ壮大なドッキリ? とも思ったが、何処の誰がわざわざ自分を選んでそんなことをするのだ? そもそもたった一晩で身体を完全な女性に作り替えるなんて、それこそテレビの特撮ものに出てくる悪の秘密組織にだって無理だ。
 涼は再びベッドの上に力なく腰を落とし、虚ろな視線で天井を見上げた。
「あはは〜、確か仮面〇イダー1号って、改造手術に一週間かかってるんだよな……でも、あれから40年近く経ってるからもっと手際よくなってるかもしれないし、それに性転換手術なら怪人造るよりもっと簡単…………じゃねーだろっ、俺ぇっ!!」
 ショックで頭のどこかの配線が、変になっているらしい。
「…………」
 完全な女性――そう、ベッドの枕元にある小引き出しに入っていた生理用品が必要な身体だということである(爆)。

 ――お、落ち着け……落ち着け俺っ。そうだ落ち着いて……落ち着いて素数を数えるんだっ!!

 取り乱しそうな時は素数を数えて落ち着くのだと、偉い神父さんが言っていた……らしい。
「そうだ素数だ、素数、素数……あ……う、えっと……えっと、ぜ―― 0、1、2、3、5、7……じゃなくてっ――」
 ちなみに0と1は素数ではない(笑)。
 ついでに日本人は数を数えるとき、他の数字は日本語読みしていても、どうして0だけを「ゼロ」と英語で言うのだろうか?
 頭の片隅で、ちらりとそんなことを考える。

 …………すいません現実逃避してました。

「涼子〜っ! 何してるのっ!? さっさとしないと蒼也くんが来ちゃうわよっ」
「えっ!? あっ、やばっ……!」

 開けっ放しのドアの向こう――キッチンの方から聞こえてきた母親の声に、涼は反射的に立ち上がり、あわててパジャマを脱ぎ始めた。
 今、何か耳(意識)に引っかかったような気がしたが、何故だかそれ以上に「急がないと」という気持ちが勝(まさ)っていた。
 引き出しから履いているショーツと同色のブラジャーを取り出して胸に当て、背中に手を回し、次いでハンガーにかかっていた制服のスカートに脚を通して腰で留め、ブラウスを頭からかぶり……
「――って、な……なんで自然にブラしてセーラー服着てるんだよっ、俺ぇっ!?」
 胸元のリボンを結びかけたところで我に返り、涼はすっとんきょうな声を上げ、次いで顔を真っ赤にした。
 どうやら女の子としての生活習慣も、ちゃんと “身について” いるようだ。
 むき出しになった自分の脚にどぎまぎする……脛毛が一本も生えてない、むっちりすべすべしたふともも。
「…………」
 涼はすがりつくようにドアに寄りかかり、よろめきながら部屋の外に出た。制服のスカートがひらひら頼りなくて、落ち着かない。
 壁に手をつき、ふらふらしながらも足を動かして、朝食の席に着く。
 目の前にあるいつもと変わらない朝のメニューに、何故かほっとする……
「早く食べちゃいなさい、涼子」
「あ、ああ……い――いただきます……」
 「涼子」と呼ばれることに違和感と戸惑いと恥ずかしさをおぼえながら、涼はトーストにかぶりついた。
 サニーサイドアップのベーコンエッグ、サラダ代わりのトマトとヨーグルトバナナ。それらがおなかに入ると、少し気持ちが落ち着いて?きた。
「あ――あのさ、母さん……」
「……何?」
「あ――え、えっと……」
 真向かいから見返してきた母親に、一瞬口ごもってしまう。「え、えっと……その――」
「……?」
「その、えっと……な、なんて言うか……その……」
「……」
「その……お――俺、男だった……よ、ね……」
「…………」
 おずおずと遠慮がちにそう問いかけると、案の定、母親の目が半眼になった。
「全く、少しは女の子らしくなってきたと思ってたら……高二にもなって『男の子になりたい』なんてマンガみたいなこと言ってんじゃないわよ、涼子っ」
「いや……、その……」
 異性になってみたい。それは思春期――第二次性徴期の子どもによくある、異性への関心の高まりからくる感情(空想)である。
 あ〜女手ひとつで育てたのが間違いだったのかしら……そうつぶやき、母親はわざとらしく溜息をついて立ち上がった。
「それとオレっ娘(こ)はいい加減やめなさいっ。いつか蒼也くんに愛想つかされちゃうわよっ」
……!!」
 空になったお皿とガラス鉢を重ねて持ち、キッチンへと踵(きびす)を返した母親の一言に、涼はフォークを手にしたまま目を点にして固まった。

「そ……そーだっ、な、なんで――」

 なんでさっきから蒼也の名前が出てくんだよっ……と言おうとしたその言葉を遮るかように、玄関でチャイムの音が響いた。


−2−

「おはようございますっ、涼子先輩」
「…………」
 玄関先で待っていた後輩の笑顔を、涼――涼子は思わずワニ目で見返してしまった。「お前もその名前で俺を呼ぶのかよ、蒼也……」
「えっ? ど、どうかしたんですか?」
「……何でもない」
 俺は男だ――と主張して、こいつにまで可哀相な子(笑)を見るような目で見られたくない。
 きょとんとした表情を浮かべる蒼也に、涼子は顔を赤らめてそっぽを向き、そそくさとマンションの廊下を歩き出した。
「あ、待ってくださいよ涼子先輩〜っ」
 蒼也はあわててそのあとを追いかけ、扉が閉まりかけたエレベーターに滑り込んだ。
「…………」
 がくんっ――と床がかすかに揺れて、ケージが下降する。
 涼子は自分のセーラー服姿を隠すように学生カバンを胸元にぎゅっと抱きかかえ、無言で内扉をにらみつけた。
 しかし、その意識は隣に並んで立つ蒼也の方に向きっぱなしだった。

 ――な、なんでまた今日に限って、わざわざ朝っぱらから家まで迎えに来んだよ蒼也の奴っ。今まで一度もこんなこと……

「――!!」
 ま……まさか、これも俺が女になったせい!? 女の俺は、毎日蒼也に迎えに来てもらってるって「設定」なのか?
 カバンを抱く腕に、無意識に力が入る。
 ちらり――と、視線だけを動かして隣をうかがう。
 自分の肩の高さにある蒼也の頭。身長差がほとんど変わっていないことに、何故かほっとする……
「…………」
 目が合った。
 思わず見つめてしまった。
 にっこりと微笑まれた。
 頬が熱くなった。
「う、あ――」
 涼子は顔を赤らめたまま、口元をひくつかせた。
 ちんっ――と音がして、エレベーターが一階に到着した。
「…………」
 照れ隠し……というかバツの悪さに、涼子は蒼也の顔からあわてて目をそらすと、開いた扉から外へ出た。
 マンションの玄関(エントランス)の壁に何故か背の高い鏡――姿見があって、そんな彼もとい彼女の姿を真っ正面から映していた。
「……あ」

 長い髪がぼっさぼさ――

「…………」
 今朝、驚天動地の出来事(一晩寝たら女になってた!)で完全にテンパってしまっていたところに、いきなり蒼也が家に迎えに来たものだから、髪の毛のことまで気が回らなかった……らしい。

 ──か、かっこわりぃ…………

 なんだか知らないけど、妙に気恥ずかしさがこみ上げてくる。でもそれは、セーラー服を着ているとか、そういうのじゃなくて――
「涼子先輩……?」
「!! ……ち、ちょっとあっち向いてろっ、蒼也っ」
「え? ど、どうしたんですか急に?」
「いいからさっさとあっち向けっ!! いいって言うまでこっち見るなっ!!」
 さっき以上に、顔が赤くなる。
 心配そうに顔をうかがってくる後輩を怒鳴りつけながら、手櫛で髪を整えようと悪戦苦闘する涼子だった。



 さしたる会話もなく登校したふたりは、玄関の下足場で分かれて各々のクラスに向かう。
 自分の教室の前で立ち止まり、涼子は一瞬、中に入るのを躊躇してしまった。
「……ううっ」
 蒼也と別れてひとりきりになると、今更ながら自分が女物の下着――ブラジャーとショーツを身に着けていることを、その上にセーラー服を纏ってスカートを履いていることを意識してしまい、身体の芯をぎゅっと締めつけられるような羞恥にとらわれてしまう。
 思わずふとももをすり合わせ、知らず知らずにカバンを両手で前に持って猫背気味に……恥ずかしそうな内向きの姿勢になっていく。
 自分の仕種が、さりげに女の子らしくなっていってるような気がしなくもない。
「…………」阿鷺涼子、制服姿
「じろじろ見るなよっ! おいっ」

 ――ええいっ、ままよ……っ!

 意を決して扉に手をかけ、いきおいよく開く。
 思ったより大きな音がして、教室の中にいたクラスメイトたちが一瞬静まり返り、その視線が一斉にこちらへと向いた。
「う……、お――おはよう……」
 涼子は軽くたじろぎながらもそう声をかけ、おっかなびっくり歩を進める。
「おすっ」
「おはよっ」
 いつもと同じように挨拶が返ってくる。それと同時に、教室に賑やかさが戻ってきた。
 教室のあちこちで雑談に興じるクラスメイトたち。誰も女子生徒になった彼――彼女の存在に怪訝な表情を浮かべたりはしない。
 そんな彼らの間を通って、涼子は窓際から二列目後方にある自分の席にカバンを置いた。
「……あ」
 椅子に座ると、お尻のあたりがひやりとした。
 涼子はあわてて立ち上がり、皺になりかけたプリーツをなでつけて、ゆっくりと座り直した。

 ――う、うちの女子の制服のスカートって、こんなに短かったか……?

 まさに、身をもって知る……であった。
「……よう、阿鷺っ」
「うわぁっ!」
 思わずまた腰を浮かしかける。
 涼子にいきなり話しかけてきたのは、(男の時に)クラスの中で気が合ってよくつるんでいる男子生徒のひとりだった。
「な、何だよ急に大声出して。ほらっ、前に借りてたCD返しとくぞ」
「あ、ああ……」
 気の抜けたような口調で答えて、手渡されたCDケースに目を落とす。

 『ちょんまげ大作戦 〜TV時代劇主題歌・テーマ音楽集〜

「…………」
 まさかこのタイミングで返されるとは、思ってもなかった(笑)。
「へ〜っ、阿鷺ちゃんもそういうの聴くんだ」
「うっ……い、いいだろ別に――」
 別の男子が話に割り込んできた。「ちゃん」付けで呼ばれて背筋のあたりが痒くなる。
 とはいうものの、昨日まで――男の時と変わらず接してくる彼らに、ほっとする涼子……だったが、
「涼〜子っ、おっはよっ!」
「うきゃああっ!? ま――まなべぇっ?」
 背後から、いきなり女子のひとりに抱きつかれて目を白黒させた。「……って、ちよっ、おまっ、むむ胸押しつけるな背中にぐりぐりするなっ! あ、こらっ、伊丹っ! 芹沢っ! なんでイタい子見るような目つきで距離とってんだっ!? 三浦も何半笑い浮かべて…………ちょっ、待てっ、お前らっ、……うわああひとりにしないでくれええええっ!!」
 女の子同士のちょっと?過激なスキンシップ。男子たちが引いてしまうのも無理はない。
「あう……」
 手を伸ばしたまま固まる涼子。どうやら対人関係は、完全に元のままというわけではないらしい。
 涼子の首根っこに抱きついてきた女子生徒は、クラスメイトの真鍋佳乃(まなべ・よしの)。クラスに必ず一人はいる世話好きな女子で、同じ中学の出身である。
 もっとも三年間いっしょのクラスだったのだが、変に男女差を意識する思春期前半の御多聞に洩れず、当時はほとんど接点がなかった。
 同じ高校に進学してからは、多少は言葉を交わすようになったのだが、さほど親しい間柄ではない――

 ……だが、それはあくまで男の「涼」だった時の話。

「あ〜っ? 中学の頃からの大親友を名字で呼ばわる奴の言葉なんかき〜け〜な〜い〜な〜っ♪」
「……ぎ、ギブギブっ! チョークチョークっ!!」
 おっぱいぐりぐりからスリーパーホールドへと移行した佳乃の二の腕を、涼子はさかんに叩いてアピールする。
「この〜っ、おぜうさまヅラのくせしてデカちちでオレっ娘っ! 狙ってるのかっ? 狙ってるのかああああぁ〜!?」
「ぐええっ……ろっ、ロープロープロープぅっ!!」
 今度は机をばしばし叩く。
「――とまあ冗談はさておいて」
「じ、じ、じ、冗談で人を締め落とそうとするなああっ!!」
 いきなりなスキンシップ?に、心臓がばくばくする。
 身を離して舌を出す佳乃に、涼子は胸の前で両腕を交差させて肩をかき抱き、顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「もぉ〜っ、涼子ってばいつもと違ってノリ悪いよぉ」
「…………」
 身をよじって、佳乃をにらみつける涼子。
 “女の子同士” になったためか、二人の関係もより親密なものに置き換わっていた……こんな風に遠慮なくふざけ合い、じゃれ合えるくらいに。
 いつの間にか席のまわりに他の女子たちが何人も集まってきて、男子たち―― “昨日までの” 友人たちはその外側から、ちらちら様子をうかがっている。
 彼らとの関係が細くなったような気がして、涼子は少し寂しさと心細さをおぼえた。
「もしかして……蒼也くんと喧嘩でもした?」
……!!」
 顔を覗き込んできた佳乃にそう言われて、さらに心臓の鼓動が跳ね上がる。「だっ、だっ、だっ、だっだだだだ誰がっ!? 誰と……っ!?」
「そんなわけないじゃん。蒼也くんってば涼子ひと筋だし」
 おたおたする涼子の横から、別の女子が口を挟んできた。
「そーよねー。アタシがふざけて『蒼也くんつきあって〜ん』とか言ってもさー、マジな顔で『ごめんなさい』してきたしー」
 ちよっと派手目な感じの女子が手をヒラヒラさせ、軽薄そうな口調でそれに答えた。彼女は涼子――涼の記憶の中では、蒼也をこっぴどく振った一人なのだが……
「……い、いやっ、そのっ、ち――ちょっと待てちょっとっ。なんでっ、そのっ……だから、その、お……俺と蒼也は……そんな関係じゃ――」
「あ〜もうっ、まだそんなこと言うかこのオレっ娘は〜っ」
「あんだけ四六時中くっついてて、それでも『単なる幼なじみ』だって言い続ける気?」
「そこまで往生際悪いと逆に嫌味になるわよっ、涼子」
「あ〜あ、アタシも木之本くんみたいなカワイイ系の彼氏、欲しいなぁ」
「だったら涼子みたく、幼稚園の頃からツバつけとかなきゃ」
 顔を真っ赤にした涼子を取り囲み、その頬を指でつついたり引っ張ったりしながら、女子たちは口々にそう言い合う。
「あ……だから……そ、その――」
 頭の上をとび交う黄色い声に、ますます身を縮める。
 多少のやっかみも混じってはいるだろうが、彼女たちは基本的に「冷やかされて照れる」涼子をネタに盛り上がっているだけである。
「ま、いまさら照れ隠しで否定したりしても、あんたと蒼也くんは凸凹カップルってことでみんなに共通認識されてる、ってわけよっ♪」
「き、共通……認識っ、て──」
 佳乃の言葉に、口をぱくぱくさせる涼子。
 そう、今朝、自分を迎えに来てくれた時に気付くべきだったのかもしれない。
 いや、分かっていたのに、無意識に気付かないふりをしていたのかもしれない。
 自分と蒼也との関係が……男同士の先輩後輩の関係が、「年下の彼氏と年上の彼女」の関係に置き換わっていることに。



 だが、思いあぐねている暇などなかった。
 何故なら、「突然女の子」な彼――彼女には、越えなければならない試練(笑)のハードルがいくつもあったからだ。

「うう……どうしよう……」

 休み時間、涼子は引きつった表情を浮かべ、女子トイレの前で躊躇(ちゅうちょ)していた。
 さすがに「漏れる漏れる〜っ」と叫びながら大股で男子トイレに駆け込み、そこにいた男子たちに悲鳴を上げさせる、なんてマンガみたいなことはやらなかったが……

 ――は、入っていいのか? 確かに今は女なんだし、こっちで用を足すのが当たり前というか…………でも……

「…………」
 内股になり、スカートの上からまっ平らになった股間を押さえる涼子。
 “今の” 身体にぴったり合っているはずなのに、セーラー服のひらひらすーすーした感触がくすぐったいというか落ち着かないというか……
「ちょっと涼子〜っ、あんた何ド〇クエのモブキャラみたいに同じ場所で行ったり来たりしてんのよ?」
「うっ、まな――よ、佳……乃っ!?」
 次の瞬間、涼子は女子トイレの中に連れ込まれていた。
 淡いピンク色の壁、ずらりと並んだ個室のドア。もちろん朝顔――小用便器など影も形もない。
「……て、えっ? えっ? えっ?」
「何してんの? さっさとしないとチャイム鳴っちゃうよ」
 きょろきょろとあたりを見回して戸惑う涼子を尻目に、佳乃はそう言うと、さっさと個室のひとつに入ってしまった。
「あ……うぅぅ……」
 洗面所の鏡に映る自分の――髪の長い少女の姿。不安そうな、おどおどした表情を浮かべている。
 場違いなところに迷い込んでしまったという、気まずい思いが込み上げてきた。
 しかし、入ってしまったんだから仕方がない(?)。涼子は覚悟を決めて隣の個室に入った。
「…………」
 隅にあった、男子トイレにはない三角コーナー。そのふたを押し上げて、白っぽい何かがはみ出しているのにギョッとする。
 いつか自分もこれのお世話になるのか? ベッドの引き出しにも入ってたし……そう思うと暗澹たる気分になる。

 …………俺、男だったはずなのに……

「はああ……」
 洋式便器だったのは幸いかもしれない。涼子はスカートのホックを外そうとして、「そっか、ズボンじゃないからいちいち下げなくていいんだ……」と思い直し、履いていたショーツを膝のあたりまで引き下ろすと、お尻の方のスカートをたくし上げて便座に座った。
 脚に垂れないようにふとももをわずかに離して、男だった時と同じように股間へ意識を向ける。
 …………………………………………
 ……………………
 …………
「…………やっぱり……ないんだ……」
 今さらだが、昨日までぶらさがっていた「アレ」を介さず流れ落ちるおしっこの感触に、ぽつりと力なくつぶやく。
「…………」
 膝のあたりで丸まっている小さな布切れ――ショーツが嫌でも目に入る。何気に可愛らしいそれを今までずっと身につけて過ごしていたのかと思うと、ぞくっとした悪寒めいたくすぐったさと恥ずかしさがないまぜになったような、なんとも言えない居心地の悪さをおぼえてしまう。
 とはいうものの……
 涼子はショーツを引き上げようとした手を止め、戸惑ったように指先をさまよわせ、溜め息とともにのろのろとトイレットペーパーを巻き取ると、その顔になんとも言えない複雑な表情を浮かべた。

 ……拭くのか……あ、“あそこ” を――

 女の子の「それ」になった股間をおそるおそるぬぐって、そこから伝わってきた感覚に、びくっと肩を震わせる。
「うぅ……っ」
 次の瞬間、涼子はじわりと瞳を潤ませ、泣きそうになった。
 つーか、少し泣いた(……)。



 四時間目は、体育だった。

「……し、仕方ないよな…………うん、ふ……不可抗力、だ――」

 涼子は自分に言い聞かせるように小声でそうつぶやきながら、佳乃たちに連れられて女子更衣室へ足を踏み入れた。
 トイレの時と同様に、ためらう素振りを見せつつも……その表情は微妙ににやけている(笑)。
 そう、「女子更衣室」。今の自分は女なのだから、そこへ堂々と、悠然と、胸を張って臆することなく正面からおおっぴらに入ることができるのだ。

 すなわち、女子の着替え(下着姿)をゼロ距離から見放題っ(ちゅどどどおおおお〜んっ!!)

 こっちはいきなり女の子になって苦労(?)してるんだ。だったらひとつくらい「役得」あってもいいじゃないか――などと言いわけ気味に胸中で思いつつ、いざ、禁断の花園へ…………

「…………」

 そこに、色とりどりの下着に身を包んだ女の子たちが、きゃぴきゃぴおしゃべりに興じながら着替えている――という光景はなかった。
 もちろん着替え中なのだから、下着姿の女の子もいるにはいる。だが、彼女たちはそんな自分の姿を人前にさらすのを惜しむように、てきぱきと体操服を身につけていく。

 ――そ、そうだよな……授業もあるんだし、ぐずぐず時間かけて着替えてるわけないか……

 期待?を裏切られた涼子は落胆のため息をつき、のろのろと空いたロッカーの前に立った。
 体操服の入った巾着袋を下に置き、次いでおそるおそる腰のホックをはずすと、履いていたスカートがすとんと落ちて、足元の床に円を描いた。
 何度もためらいながら制服のブラウスを脱いでロッカーの中に放り込み、ふと横を見ると、女子のひとりがスカートの内側に短パンを履き、それから腰のホックをはずしているのに気付く。
「あ……」
 そっか、女子ってああやって着替えるんだ……と思った次の瞬間、自分(だけ)がしっかり下着姿だということに気づく。
「う、わ……」
 涼子は顔を真っ赤にして身を縮め、袋からあわてて体操服を引っ張りだそうとした、が――

 むにゅっ――! 「……ってうっきゃああっ!!」

 背中越しにいきなりブラの上から胸を鷲づかみにされ、頭のてっぺんから甲高い声を上げてとび上がった。
「な、な、なななっ……なんばぁしょっとぉっ!!」
 反射的に胸を隠し、放射能が出るほどに顔を赤面させて後ろを振り向く。
「なんばしょっとって……恒例の身体検査よっ。身体検査っ♪」
「…………」
 しれっとした口調で答える佳乃の顔を、涼子はワニ目でにらみつけた。「……き、着替えのたびに胸揉んで『身体検査』って、おまえは何処ぞの傍若無人ヒロインか――ってうひきゃああああああああっ!!」
 背後に回った別の女子にも胸を「むにっ♪」とつかまれ、奇声を上げてその場にへたり込む。
「うわ……涼子の胸、前より大きくなってる……」
「「……!!」」
 自分の手のひらと座ったままの涼子(の胸)を見比べる彼女のそのつぶやきに、更衣室中の空気が凍りついた。
「……そう……そうなの。“また” 大きくなってるの──」
「…………」
 静寂の中、地の底から響いてくるような佳乃の声が響く。
「あの日あの時、『ふたりで仲良く最後まで一緒にいこうね♪』って約束したのに…………あたしを見捨てて先にいっちゃうんだ、涼子……」
「おいおい……」

 マラソン大会の「最後まで一緒に」は、日本で二番目に守られることのない約束なのである。
 え? 一番? そりゃもちろん選挙の時のマニフェ――(ぴーっ♪)

 笑みを浮かべて(でも目は笑っていない)にじり寄ってくる佳乃に気圧され、涼子は座り込んだまま両手足であとずさる。
「ほんと……これ見よがしにゆっくり着替えてたし」
「おまけにわざわざ下着姿まで見せつけるんだから、これはもう確信犯よね〜っ」
 まわりの女子たちも口々にそんなことを言いながら包囲をせばめてくる……が、こっちは口調とは裏腹に目が思いっきり笑っていた(笑)。
「いやその……ち、違うっ、誤解だ誤解……っ!」
 がたっ――と音がして、背中がロッカーに当たる。……万事休す。

「……ゴカイもフナムシもあるか〜っ、このデカちちオレっ娘があああああ〜っ!!」
「ひいいっ……ひっ──にぎゃあぁああああっ!! ふえぇぇゃぅひゃぁぁぁぁ〜っ!!」

 どうやら教室だけでなく、更衣室でもオモチャにされる運命(さだめ)らしい。
 手の甲にフォークをぶっ刺された某這いよる邪神娘のような悲鳴(CV:阿〇佳奈)を上げて、涼子は一斉に襲いかかってきた?女子たちの波にのみ込まれていった……

「ところで涼子、本筋とは全く関係ないけど、『ナンバーショット』って片仮名で書いたら特撮ヒーローが持ってる武器の名前っぽいよねっ」
「ほんとに全く関係ないよな……」



 そして放課後──

 両手でカバンを胸元にかき抱き、身をすくめてそそくさと教室を出ようとした涼子は、廊下の向こうから駆け寄ってきた蒼也に呼び止められた。
「涼子先輩っ、おまたせしましたっ」
「あ、ああ……」
 一瞬びくっと肩を震わせ、あーそういや今までだって、時間が合えば一緒に帰ってたよな……と胸中でつぶやく。
 何、過剰に意識してんだか……涼子は自嘲めいた溜め息をひとつついて肩の力を抜くと、カバンを持ち直した。
「じゃあ、帰りましょう」
「お、おう……」
 涼子と蒼也はそのままふたりで肩を並べ、下足場へと向かった。
 靴を履き替え、玄関を出て校舎をあとにする。
 その間、朝の分も取り返すかのように、蒼也は涼子にあれこれと話しかけ続けた。
 今日自分のクラスであった出来事、定期テストの結果、甲子園への切符を手にした野球部のこと、etc、etc──だけど涼子は蒼也の言葉に適当に相槌を打ちながら、全く別のことを考えていた。
「……な、なあ、蒼也──」
 校門を出たところで立ち止まり、彼女はぽつりと問いかけた。
「はい?」
「あ、あのさ……お、お前さ、き──昨日のこと、お、覚えてるか?」
「昨日……?」
 きょとんとした表情で、涼子を見つめ返す蒼也。そして軽く首をかしげる。「……何かありましたっけ? 涼子先輩」
「…………」
 涼子はその顔を見つめ……つい、と目をそらした。
「……いや、なんでもない」
「??」
 やはり自分が女の「涼子」になったことで、蒼也との関係が変化し、昨日の話──蒼也がこっぴどく振られたという話が “なかったこと” にされているのか……
「涼子先輩、今日はやっぱり変ですよ?」
「……えっ?」
 向き直ると、蒼也が心配そうな顔をして、涼子を見上げていた。
 下校する他の生徒たちが、そんなふたりの様子をちらちらとうかがいながら、その横を通り過ぎていく。
「だって……朝からなんかおどおどしたような感じだったし、さっきからずっと生返事だし、今もなんだか元気なさそうだし、それに──あたっ!」
「──たくっ、そっ、蒼也のくせに、おっ俺の心配するなんて……百億万年早いってのっ!!」
 情けないのか恥ずかしいのか……後輩に心配かけさせた自分自身へのいらだち? それとも心配してもらえたのが嬉しい?
 なんかごちゃごちゃして……こんがらがって……そんなもやもやした気持ちを誤魔化そうと、つい “いつもの” 調子で蒼也の頭を軽く小突いてしまい、涼子は同時にきまりの悪さをおぼえてその手を口元にもっていくと、気まずそうに視線をはずした。
 だけど蒼也は頭をさすりながら、にっこりと微笑んだ。
「あははっ、やっといつもの涼子先輩に戻った」
「なっ──」
 思わずその顔を見返す。
 目が合った。
 顔がみるみる火照っていくのが、自分でもわかった──
「う……あ、え──」
 胸のどきどきを振り払うように、涼子は頬を赤らめたままそっぽを向く。
 そして、うわずった声を張り上げた。「──ええいっ、い……今から駅前のゲーセンに遊びに行くぞっ! つっ、ついてこいっ、蒼也っ!」
「えっ? あ……ち、ちょっと待ってくださいよ涼子先輩〜っ」
 返事も聞かずに大股で歩きだす涼子。蒼也はあわててそのあとを追いかけた。

 でも……と、涼子はふと思う。
 蒼也の奴って、こんな顔して笑うんだな…………


−3−

 とかなんとかあれこれあって一週間が過ぎ、涼子たちの学校は夏休みになった。

「ったく……これからいったいどーなっちまうんだよ、俺――」

 夜。Tシャツにショーツというあられもない格好でベッドの上で胡座をかき、だらしなく壁にもたれ、涼子は誰言うことなくひとりそうつぶやいた。
 耳に差したiP〇dのイヤホンから流れてくるボーカロイドの歌声を聴くともなしに聴きながら、ぼーっとした表情を浮かべる。

 ……あれから何度、同じ言葉を口にしたことだろう?

 初めのうちは「もしかしたら明日、目がさめたら元(男)に戻ってるかもしれない」と、根拠もなく期待?を持っていたりもしてたのだが、今は男に戻りたいと思いつつも、「このまま一生女のままかもしれない」といったあきらめ……達観した心境の方が強くなりだしている。
 朝、起きた時に胸とあそこを確認するのも、半ば惰性でやっているようなもの。そして同時に女の子――「涼子」としての自分に、急速になじんでいってるような気もする。
 男としての記憶(人格)と、女の子としての日常のずれ。それがひとつひとつ埋まってきているのだろうか……トイレや風呂、着替えなど、最初は男女の違いにうろたえたりドキドキしたりしていたのだが、いつしか不器用ながらもこなせるようになってきているし、ちょっとしたものの見方や感じ方、仕種や考え方もだんだん「女の子寄り」になってきていることに気づいて驚いたり、背筋が寒くなったりすることもある。涼子ちゃん、魅惑の下着姿♪
「こらっ、本文と全然違うぞっ!」
 例えばブラジャー。“なりたて” の頃は圧迫感や気恥ずかしさもあって、家に帰ると速攻で脱ぎ捨てていたのだが、いつしか逆に着けていないと落ち着かなくなっていたりする。
 長くて持て余していた髪の毛にも、すっかり慣れてしまった。
 男の頃は無頓着に近かった身だしなみにも気をつかうようになってきたし、佳乃たちのおしゃべりに付き合っているうちに、服やアクセサリーにも興味をおぼえるようになってきた。
 今日も外出先ですれ違った女の子が着ていたお嬢様風のサマードレスを、頭の中で自分に着せてみたりして……その直後にはたと我に返り、赤くなってうろたえたり(笑)。
「…………」
 もちろん、人間関係も変化している。
 クラスの男子たちとは、男だった頃と表面上はなんら変わりがないようにも見える……が、やはり「黙っていれば美少女」の涼子には言えない話題もあったりして、そんな時は “溝” を感じてしまうこともある(「オレっ娘萌え〜っ♪」とかほざいてくねくねする男子の頭を緑色の便所スリッパで思いっきり張り倒してしまったのも、まずかったらしい)。
 一方、女子の中では「くすぐり(スキンシップ)に弱い、純情照れ屋なオレっ娘」という、よくわからないキャラ付けをされ、態(てい)のいいおちょくられ(いじられ)役に収まっている。彼女たちに言わせると、普段の男口調と、胸を揉まれたり背筋をなぞられたり、年下の彼氏――蒼也のことを話題にされたりした時のパニくりぶりのギャップが「かわいい」のだとか。

「はあぁ――」

 悩ましげなため息をつくと、涼子は部屋の天井を見上げた。
「蒼也の奴、今頃何してるのかな……」
 無意識にぽつりとつぶやき……次の瞬間、彼女ははっと気付いて顔を赤らめ、両手を頭の上でばたばた振り回した。「な、な、な……何口走ってんだ俺っ!? これじゃ、まるで……まるで――」

 ……まるで彼氏のことを考えてもの思いにふけっている、女の子みたいじゃないか――

「…………」
 両手を下ろし、涼子はベッドの上にごろりと大の字――仰向けになった。
 涼が「涼子」になって一番大きく変わったのは、もちろん蒼也との関係……それに加えて蒼也自身が時折、積極性というか頼もしさというか、男の子らしい意志の強さを垣間見せるようになったことだ。
 毎朝、家に迎えに来てくれるのも、すっかりデフォルト(日常)になってしまった。
 相変わらず中学生――下手すると小学生に間違えられそうな見た目だし、いつも金魚のナニヤラみたく涼子の後ろにくっついているのは変わらないのだが、以前の気の弱そうな態度や今にも泣き出しそうな表情なんかは影をひそめ、照れたような、それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべることが多くなった。
 そして、そんな蒼也の変化を好ましく思っている自分自身に赤面したり、ひとりニヤニヤしたり、でれでれしたり……

……!?」

 両腕で枕を抱え込み、ベッドの上でごろごろ身悶え?している自分に気付く(笑)。
「…………」
 涼子は顔をさらに赤くすると、がばっと身を起こし、Tシャツ越しにどきどき高鳴る胸をそっと押さえた。
 蒼也の笑顔が脳裏に浮かぶ。身体の芯が、まるで熱でも持っているかのように疼き始める──

「んっ……んあっ…………あっ…………」

 いつの間にか壁に寄りかかり、胸の膨らみを揉みしだいていた。
 ぴんっ──と立ったその先っちょを指で軽くつまむと、身体の奥にあった疼きが背筋を駆け上がっていく。
「んんっ……んぁ……んっ──」
 半開きのくちびるから漏れる、切ない喘ぎ声。
「んん……っ、あ…………」
 思わず声を押し殺すと、疼きが再び身体の奥へと集まり、そこからじんわりと全身に広がっていく──

 ──お……俺、いったい……何を…………

 手の指が勝手にうごめく。……いや違う。心の奥底が欲して、求めているのだ。
「んぁ……んっ、…………そ──蒼、也あぁ……」
 頭の中の冷静な部分が、さっきから「やばい」と警鐘を鳴らし続けている。
 だけど涼子は、邪魔なTシャツとショーツをもどかしげに脱ぎ捨てると、甘い吐息とともにゆっくりとベッドの上へ倒れ込んだ…………



 数日後──

 ざわめきの向こうから、祭り囃子が聞こえてくる。
 まだ宵の口にもかかわらず、夜店が立ち並ぶ参道はすでに人でいっぱいだ。
「…………」
 鳥居のそばで人待ちげにたたずむ蒼也の姿を見つけた。
 サイズが大きめのTシャツと、ゆったりした薄茶色のカーゴパンツ、足元はソールの厚い黒のサンダル──本人は精一杯しゃれたつもりなのだろうが、服に着られている感じがして妙にほほえましく、可愛らしく見える。
 くすっと口元をほころばせ、次いで胸に手を当てて大きく息をつくと、涼子はゆっくりと彼に近づいていった。
 背筋を伸ばし、軽く顎を引いて、小さな歩幅であわてずに。
 毎年この時期に行われる、神社の夏祭り……家の玄関や通り、商店街のそこかしこに提灯がぶら下げられ、お祭りムードを盛り上げる。
涼子ちゃん、浴衣姿
「そーか可愛いか……そーかそーか♪」
「……待ったか? 蒼也」
「あ、涼子先ぱ──」

 振り向いた蒼也の目が次の瞬間、丸くなった。
「……ん?」
 涼子はわざときょとんとした顔をして、いたずらっぽく小首をかしげた。
 相手のリアクションを楽しむかのような、そのしぐさ。
 ちなみに昨日、「一緒に祭りに行こうか」と誘ったのは……実は涼子の方だったりする――
「どうかしたか? 蒼也」
「あ──いや、その、可愛いなって…………あっ」
 顔を赤らめてそう言いかけ、あわてて言葉を途切れさせる蒼也。「え――えっと、その……」
 涼子が最近、「可愛い」とか「きれい」とか言われるのをあまり喜ばないようになったことを思い出したのだ。
 だけど彼女はあたふたしだしたそんな蒼也を見つめ、にやり──と笑みを浮かべると、
「ふふん、そーか可愛いか……そーかそーか♪」
「……え?」
 黒に近い紺色の地に、赤と薄紫の花模様を散らした浴衣。
 身につけたそれを見せびらかすように、涼子は履いていた下駄を鳴らし、その場でくるりとターンしてみせた。
 リボンでまとめた長い黒髪が、さらさらとなびいて流れる。
 帯は薄いピンク。手には団扇と、若草色の巾着袋。
 それらを後ろ手に持ち直し、涼子は少しだけ前かがみ気味になって、小悪魔めいた笑顔のまま蒼也の目を見つめた。
「へへっ……さっ、行こうぜ、蒼也っ」
「あ……は、はいっ」
 ぽや〜っとした表情を浮かべて見つめ返してくる蒼也をうながすと、涼子は浴衣の裾を気にしつつ、大勢の人でにぎわう参道へと歩きだした。



 宵宮(宵祭り)であるもかかわらず、思ったより人の出が多かった。
 いつもは閑散としている参道も、子どもたちが遊ぶ境内の公園も、出店の屋台が並ぶと全く違った場所に見える。
 ざわめきの中、涼子と蒼也は人込みではぐれないよう寄り添ってそぞろ歩き、出店をあちこちのぞき見ていく。
 金魚すくい、ヨーヨー釣り、射的、輪投げ、一口カステラ焼きにリンゴあめ──
 涼子は団扇を背中の帯の結び目に差し、代わりに綿あめを手にしていた。
 慣れない浴衣で歩き方がゆっくりになっているのに、蒼也がさりげなく合わせてくれているのがなんか嬉しい。
「でも珍しいですね、涼子先輩がそんなの食べるなんて」
「そうか? 甘いものは結構好きだぞ」

 ──まあ、確かにいつもだったらたこ焼きとか焼きそばとか、「腹にたまる」系のもの買ってるよな……

 実は男の頃からなにげに甘党だったりする涼子。今は女の子なんだから、こんなのもいいかな──と思ったのだ。
 アニメキャラの絵が描かれた袋はさすがに恥ずかしいので、遠慮したが。
「蒼也も買えばよかったのに」
「い、いいですよ、綿あめなんか……」
 そう答えると、蒼也は手にしたラムネのビンを口にした。

 カチン──! 「……あ?」

 中のビー玉(ラムネ玉)をくぼみに引っかけ損ねて、飲み口が塞がってしまったらしい。あわてて指で押し込もうとする。
「あはははっ」
 涼子は笑い声を上げると、ふと何か思いついたような表情を浮かべ、巾着袋の紐を手首に巻き付けて、空いた手で綿あめを少しつまみ取ると、
「蒼也っ」
「はい?」
「……あーん♪」
「!?」
 いきなり鼻先に突きつけられた?綿あめの切れ端に、蒼也は目を白黒させ、次いで顔を真っ赤にした。
 涼子は口元をにまっとさせて、そんな蒼也の目をじっと見つめた。
「あ……えっ、と──」
 恥ずかしさも相まって、思わず躊躇(ちゅうちょ)してしまう蒼也。
 ど、どうしよう……? 恥ずかしいけど、嬉しくないかって言われればそうじゃないし……それに、ここで食べなきゃ涼子先輩の方がもっと恥ずかしいだろうし、でも──
 そんな戸惑いを見せると、涼子は顔から笑みを消して、ぽつりとつぶやいた。
「や、やっぱ……似合わない、よな──」
「え……っ?」
 見ると、涼子もまた顔を真っ赤にしてうつむいていた。「だ、だって俺……ちっとも女らしくないだろ? 一人称は『俺』だし、男言葉だし、階段二段とばしで下着見せるし、スカートの上から尻掻くし、肘上げて弁当かき込むし、便所スリッパでツッコミ入れるし、男子のエロトークに口挟んだりするし──」
 声がだんだん尻すぼみになっていく。
 自分で言ってて、なんだか情けなくなってきた……

「でも僕は、そんな涼子先輩──涼子さんが……大好きですっ」

 涼子が「えっ?」と顔を上げると、蒼也が綿あめを口にくわえて、顔を赤らめつつも微笑んでいた。
 自分の頬が……いや、顔全体が限界を越えて、オーバーヒートしていくのがはっきりとわかった。
「えっ、あっ、そ──その……あ〜っ、もうっ、い…………行くぞっ! 蒼也っ」
「わっ! ち、ちょっと、涼子先輩っ!?」
 今さらながらに自分のやったことが恥ずかしくなってきたのか、それとも周囲の「あ〜バカップルバカップル」という生暖かい視線に耐えられなくなってきたのか……
 涼子はあわてて蒼也の手をつかむと、肩を怒らせ、浴衣の裾がめくれ上がるのにもかかわらず、大股で早足に歩きだした。



 とっぷりと日が暮れて、篝火に照らされた本殿前の仮設舞台では、奉納神楽が始まっていた。
 笙や篳篥(ひちりき)、琵琶、鼓の幽玄な調べに合わせて、千早姿の巫女が四人、五十鈴と榊を手に静々と舞を舞う。
 花簪(はなかんざし)が揺れ、松明の光を受けて金冠がきらきらときらめく。
「きれいだな……」
「そうですね、涼子先輩」
 涼子と蒼也は肩を並べ、見物人の最前列でそれを眺めていた。
 祭りの雰囲気に酔っているのかもしれない。
 無意識のつぶやきに返事されて、涼子はずっと蒼也と手をつなぎっぱなしだったことに気付いた。
 あわてて放そうとするが、何故か指が動かない。むしろ逆に力が入ってしまう。
 違う、放したくないんだ……
「…………」

 ──ど、どうするつもりなんだよ俺っ? このまま女として、蒼也と……その…………

 握り返してきた蒼也の手のぬくもりにどきどきして、考えがまとまらない。
 自分より背が低くて、華奢で女顔で、いまいち頼りなくて……でも、笑顔が素敵な年下の彼氏。
 そうだ……他の男となんかまっぴらごめんだが、こいつとなら──
 だけど十七年間の男としての記憶と人格が、それを認めることを頑なに阻む。
 それに、突然女になったのだから、もしかすると、いつか突然男に戻るかもしれない。
 だとしたら今の自分のこの思いは、いったいどこにいくのだろう? どうなってしまうのだろう? そもそも自分は元に――男に戻ることを望んでいたはず……なのに──

 ――ったくっ! なんでこんな非常識なシチュに悩まなきゃならないんだよっ!? ……ええいっ、責任者、いるなら出てこいっ!!

 
どごん――っ!! 「……!」「……!?」「……!?!?」

 いつの間にか無人になっていた舞台の中央に、突然四角い穴──「奈落」が開いた。
 なんでそんな仕掛けが……と思う間もなく、そこから何者かがひとり、迫(せ)りに乗ってゆっくりとせり上がってきた。
「…………」
 その場にいた全員の目が点になった。
 舞台の下から両腕を広げて現れたのは、「お客様は神様です」な某大物歌手が着ていたようなど派手な刺繍を施された着流しを身につけた、無駄に威圧感のある大男──否、筋肉の固まりだった。

 丸太のような四肢――
 鎧の如き胸筋――
 盛り上がった肩の肉に埋没した首――
 エラの張ったバタ臭い顔、味付け海苔みたいな眉毛、落ちくぼんだ三白眼――

 唖然とした周囲の視線を完全にシカトし、彼は手にしたマイクを口に当て、おもむろに言った。

「三番っ、女美川武尊っ! 『前略、道の上より』っ。・・・であああ〜るっ!!」

 ……何故に一世風靡セピアっ!?


−4−

 涼子や蒼也、そして舞台のまわりにいた人間のお脳をフリーズさせたまま、ひとしきり「そいやっ!」した白塁学園高校元祖ロボTRY部終身名誉部長、女美川武尊――人呼んで「筋肉ダルマ」。
 曲の最後に何故か「神技・ひとりE×ILE(笑)」を決めると、彼は仮設舞台の真ん中で仁王立ちになり、得体の知れないぷれっしゃあにあとずさりかけた涼子の顔をじっと見つめた。
 そして──

「見ぃつけたのであああ〜るっ、少女化少年よおおおおぉぉぉぉっ!!」

「な……っ!?」
 思わず声を裏返らせる涼子。……こ──こいつ、俺が男だったってことを……知ってる?
 同時に身体が、がたがたと小刻みに震えだす。
 流浪の果て?にめぐり会った二人目の少女化少年――涼子の顔をにらみ続けていた筋肉ダルマは、その口の端に不敵な笑み(といってもいつものビルター笑いだが)を浮かべると、

「この出会い……乙女座の私にはっ、センチメンタリズムな運命を感じられずにはいられないっ!」

 だから結局何が言いたいんだグラハム・○ーカーっ!!(違)

「い、いやっ……」
 歯の根が合わない。
 足がすくんで震えが止まらない。

「ふんぬっ!! ふんぬはんぬっ!! ・・・だあありゃっしゃあああああっ!!」

 某桜吹雪の遊び人兼北町奉行様のように片袖を脱ぎ、肩から腕にかけての筋肉をこれ見よがしに見せつけて一歩一歩近づいてくる正体不明(爆)の巨漢に、涼子は根源破滅的な恐怖をおぼえて顔を引きつらせ、涙目になり、しかしその場を一歩も動けずにいた。
 頭ではわかっている……だけど少女の身体は、ただただ目の前の筋肉におびえてすくむばかり──
 だがその時、蒼也が涼子の前に背中を向けて立ち、彼女を守るように両腕を大きく横に広げた。
「涼子先輩に…………涼子さんに近づくなぁっ!!」
「ぬう……っ!」
 ぴたりと歩みを止め、舞台の上から鬼瓦のような形相で蒼也を見下ろす筋肉ダルマ。
 蒼也もまなじりを上げ、一歩も引かない気迫をみなぎらせて筋肉ダルマの顔を見返す。

「蒼也……お前──」

 負けてなかった……少なくとも涼子にはそう見えた。
 自分より背の低い蒼也の背中が、何故かたくましく、頼もしく思えた。
「…………」
「…………」
「…………」
「……………………」
 無言のにらみ合いがしばし続き、筋肉ダルマはふっ──と表情を緩めた。
「男の意地だな……であああ〜るっ」
 ぽつりとそうつぶやき、踵を返すと、彼は舞台の中央へと戻った。
 がこんっ! と音がして、その巨体を乗せた迫りが下へと沈んでいく。

「罪を憎んでっ、少女化少年を憎まずっ。・・・であああ〜るっ!」

 その姿が見えなくなってしばらくして、涼子はふらりとよろめき、蒼也の背中にもたれかかった。
「り、涼子──せんぱ……」
 顔を赤らめて振り向く蒼也。
 だが、涼子は彼の肩に身体を預けたまま、惚けたような表情で、お約束のひと言をつぶやいた。
「……な、なんだったんだ? いったい──」



 祭り囃子と喧騒の中、筋肉ダルマは人波をかき分け(というか、その無駄に溢れる威圧感にまわりがびびって道を空けているのだが)、夜店の並ぶ参道を大股で悠然と歩く。
 その顔に、満足そうな笑み(といってもいつものビルター笑いだが)が浮かんだ。
「今回は少女化少年を男に戻すことができなかったがっ、代わりに新たな男魂(おとこん)の炎をひとつ、燃え上がらせたことでよしとするのであああ〜るっ!」
 勝手に自己完結しているが、とにかくそういうことらしい。
 ちなみに「今回は」と言ってるが、前回のことは、どうやら例によってお脳の中からきれいさっぱりきっちりデリートされているようだ。

 ……何? 時系列が変? あ〜ちょっとそこはスルーしといて(笑)。

 だが、そんな彼の背後の人込みの中に、小柄な人影がひとつ、音もなく浮かび上がった。
 それは白のワンピースに身を包んだ小学生くらいの少女──超常の(自称)セールスレディ真城華代。現在は筋肉ダルマのお悩み……と彼女が勝手に解釈している「女子限定のロボTRY競技会に出場したい」をきっちりきっぱり解決すべく、彼を追いかけているのであった。
(当の筋肉ダルマはそんなことなど、とっくに忘却の彼方へやってしまっているが……)
 もちろんその解決方法は例によって「女の子にしちゃえ♪」なのだが、しかしその顔にはいつもの「華代ちゃんスマイル」はなく、その双眸には冷徹にして非情な、獲物を見つめる狩人のような光があった。
 右手にはめた指貫(ゆびぬき)のドライバーズグローブを無言で締め直し、その指を屈伸させるように何度も握って開く。
 紫色の、シースルーの羽織をワンピースの上から身にまとう。その背中には、「『華代ちゃんシリーズ』と『華代ちゃんシリーズ番外編』の詳細については、公式ページ(http://www7.plala.or.jp/mashiroyou/kayo_chan00.htmlhttp://www7.plala.or.jp/mashiroyou/kayo_chan02.htm)を参照してください」ではなく、縦にただ一行、「南無阿弥陀仏」と金糸で描かれていた。

 ……そうっ! これがっ! これがっ! これが真城華代っ、仕事人モードだッ!!

 ぱらら〜っ♪ ぱ〜らっぱっぱ〜らっぱぱっ、ぱららぁ〜〜っ♪(←平○昌晃サウンド)

 前回、遠距離からの「お悩み解決」に失敗してプールの藻屑(笑)と化した華代ちゃん。
 今回は至近距離──ゼロ距離から筋肉ダルマの身体に直接 “力” をぶち込んで「お悩み解決」を完遂させようと、さっきから夜店の影で出待ちしていたのである。
 その証拠に、たこ焼きの青海苔が口の端に──
「あ……」
 思わず素に戻り、口元をごしごしぬぐうと、彼女は再び表情を消してシリアス度を高めた。
 チャンスは一度……呼吸を合わせ、タイミングをはかる。
 感覚が研ぎ澄まされ、思考がクリアになっていく…………

 ……今っ!

 人波が途切れたその瞬間、華代ちゃんは動いた。
 一気に間合いを詰め、その右手に気を溜め、無防備な背中に必殺の一撃を繰り出す……

「おや、こんなところにおハガキが……であああ〜る」
……え?」

 何の脈絡もなく、唐突に身をかがめる筋肉ダルマ。
 勢い余った華代ちゃんはその背中を飛び越し、たまたま目の前を横切ろうとした小太りな男性(38歳独身、職業は派遣社員、趣味はネトゲと美少女フィギュア収集、若干のロリ癖あり)にそのまま思いっきり「必殺」してしまう──

 ぱらら〜っ♪ ぱ〜らっぱっぱ〜らっぱぱっ、ぱららぁ〜〜っ♪ …………ごきゅりっ!!



必殺シリーズ恒例、レントゲン写真(笑)



「う……っ、うぉあああああああぁ〜〜っ!!」

 悲鳴と同時に、メタモルフォーゼが始まった。
 股間にぶら下がっていた男性のシンボルが体内へとめり込んでいき、両腰とお尻がきゅっと持ち上がると、ウェストが細く絞り込まれ、下腹部の脂肪が押し上げられるように胸へ移動してふたつの膨らみと化し、むっちりとした四肢と猫背気味の背筋ががしなやかに伸びて視線が高くなり、肩幅が狭まって身体のラインが柔らかな丸みを帯び、脚が内股になってふとももがすり合わされ、下膨れの頬が縮んですっきりとした小顔に変わり、目はぱっちりと大きく、鼻筋や耳の形もそれに合わせて整っていき、脂ぎった肌は白くしっとりなめらかなものに、ぼさぼさだった髪の毛は艶やかに伸びてウェーブのかかったセミロングに――

「うあ、あ……ああっ、……あ、こ──声、が……っ!?」

 戸惑うその声もまた、いつの間にか高く澄んだもの……女性のものへと変化し、置き替わる。
 さらに着ていた服が水飴のようにどろりと溶け、その内側の下着も身体に見合ったもの──ブラジャーとショーツに変わって、胸の膨らみを固定し、フラットになった股間をぴったりと覆い隠し、汗臭いカラーシャツとバミューダパンツはクリーム色のブラウスと涼しげな薄緑色のサロペットスカートに、安物のビーチサンダルは小さくなった足に合った、お洒落なミュールに形を変えた。

「あ、あああ……お──オレ、お、お、女に…………あ──あれ? ……え? 何? …………あ、あら? えっと──」

 二十代後半くらいのすらりとした清楚で優しげな感じの女性へと変貌した彼──彼女は、次の瞬間目を瞬かせると、頬に手をやって小首を軽くかしげた。
「……あらやだ、わたしったら、何ぼ〜っとしてたのかしら?」
 同時にざわめきが戻り、その場にいた人たちは一時停止を解除されたビデオのように……何事もなかったかのように再び歩き出す。
 そして彼女?は、我に返って手を引き抜きあたふたする華代ちゃんを見つめて、にっこりと微笑んだ。
「どうしたの華代ちゃん? そんなにあわてて」
「は? はい……っ!?」
 突然親しげに自分の名前を呼ばれて、思わず某特命係の警部さんみたいなイントネーションで応じる華代ちゃん。
 目の前の女性?はそんな彼女の手を優しく握りしめると、そのままゆっくりと歩きだした。
 急に手を引かれた華代ちゃんは、「わわっ!?」と脚をもつれさせる。
「もうすっかり遅くなっちゃったね。……そろそろママと一緒にお家に帰りましょ♪」
「……え? ……ま――ママぁっ!?」
 いきなり明後日の向こうへと突き抜けるようなその展開に、さしもの華代ちゃんもすっとんきょうな声を上げて目を点にする。
 やはりコントロールがまだ完全に回復していないのか、それとも変な具合に入れ過ぎてしまったのか……彼女の「力」を目一杯注ぎ込まれたその男性は、なぜか華代ちゃんの “ママ” ──母親にと、その存在が完全に書き換えられていた。
「ち、ちょちょちょっ……ちょっと待ってぇっ!」
 あわててつかまれた手を振りほどき、華代ちゃんは彼女?の前に回り込んだ。が──
……えええっ!?」
 いつの間にかその格好は、ワンピース(と紫シースルーの羽織)から白地に金魚柄の浴衣に変わっていた。
 手には水風船のヨーヨー、頭にはプリ○ュアのお面……どうやら彼女自身も気付かないうちに、自分の起こした因果律の変更に巻き込まれてしまったらしい。
「おおお落ち着け落ち着け落ち着けわたしっ……わたしは真城華代、ココロとカラダのお悩みを解決するセールスレディ、いえいえお金は頂いておりません、お客様が満足頂ければそれが何よりの報酬で、今度はあなたの街にお邪魔するかも──ってわああああっ!! これ言ったらお話が終わってしまうううっ!!」
 想定外の出来事にパニくってしまう華代ちゃん。頭抱えてイアイア状態(笑)。
 やれやれ……といった調子で手を腰に当ててため息をつくと、小太り男性(38歳独身、以下略)転じた華代ちゃんママ?は、その顔に優しげな笑顔を浮かべてうなずいた。
「もうっ、仕方ないわね。……じゃあ、おみやげに一口カステラ焼き買ってあげるからっ」
「……ホント? それじゃあリンゴあめとチョコバナナも──じゃなくて……って、わわっ! ちょっ、ちょっと、そんなに引っ張らないでよママっ……て違うううっ!! だからそのっ……わ、わかったちゃんとついていくからその手放して…………って、あ〜んっ、なんでこうなるの〜っ!? …………」

 美人で優しい母親?に手を引かれ、華代ちゃんは悲鳴(笑)を上げながら、祭りで賑わう人込みの中へと消えていった。
 そして──

「……ふむふむっ、しかしその程度のお悩みなどっ、わたしのこの筋肉をもってすれば──って、むうう……何かあったのか? であああ〜るっ」

 道に(何故か)落ちてた匿名希望の人生相談ハガキをつい読みふけっていた筋肉ダルマは、顔を上げてきょろきょろとあたりを見回した。


(つづく……?)




 MONDOです。

 「筋肉ダルマVS華代ちゃん」第3ラウンドですが、今回は前回以上に「お前ら何しに来たんだ」感の強いものとなってしまいました。
 いかがでしたでしょうか? まあ、何の脈絡もなく湧いて出て、これといったこともせずに、決着もつけないまま退場するのがこの連作における二人のデフォなので。(^^;
 でもよくよく考えてみたら筋肉ダルマと華代ちゃん、直接顔突き合わせて対決?しているのは最初の一回目だけなんですよね。今回なんかほとんど華代ちゃんのひとり相撲……というか「自爆」ですし。
 というわけで、次回は一千万人に増殖して襲いかかってくる華代ちゃんズに、「ザ・ワン」として覚醒した筋肉ダルマが最後の戦いを挑みます。
 ……嘘です。まだ何も考えてません(笑)。

 今回の華代玉(きさらぎさん命名)の被害者もとい主人公の涼子ですが、「可愛い年下の男の子を意識しちゃう、気の強い?TSっ娘」というキャラクターです。しかもオレっ娘(爆)。
 『文庫』の他作品では、ライターマンさんの『新米魔法少女は恋をする?』の主人公、綾子ちゃんなんかがそうですね。あと、城弾さんの『戦乙女セーラ』に登場するブレイザさんとか。そんな彼女たちを意識しながら書いていたのですが、愛すべきキャラになっていればと思います。
 はたして涼子と蒼也の二人は、「綾子ちゃん×辰己くん」や「ブレイザさん×森本くん」のようなカップルになったのでしょうか? それはこのあとのエピローグ?を読んでいただくとして……

 残るは緑と紫のふたつ。これまた違ったTSっ娘&ストーリーで書ければと思います。
 というわけで、次回「緑の章 サンダーバードは、コマドリじゃない。(仮題)でお会い……できればいいなあ。(^^)

2010.9.5 「仮面ライダーW」の最終回に登場した敵怪人が全員、出だしっからザコ臭ぷんぷんだったのに吹いてしまった MONDO































 八月、阪神甲子園球場――
 地方大会を勝ち上がってきた球児たちに混じって、涼子たちの高校の野球部もここへと駒を進めてきた。
 高校野球、夏の甲子園……正式には「全国高等学校野球選手権大会」。
 抜けるような青空の元、涼子は今、アルプススタンドの応援席にいる。もちろん母校の試合を応援するためだ。
 ただし……

「なんで俺が……こんな格好を──」

 ブルーと白に塗り分けられたノースリーブに、裾にラインの入ったミニのプリーツスカート、両手にポンポン。
 そう、彼女はチアガールとして応援団に参加して(本人曰く、「させられて」)いるのである。
「ほらっ、何ため息なんかついてんのよっ? スマイルスマイルっ!」
 二回表。相手チームの攻撃なので、チアとブラバン──ブラスバンドは待機中。
 涼子が立っている段の斜め下の座席から、佳乃がメガホン片手に振り返り、にやにや笑みを浮かべて声をかけてきた。
「…………」
 こめかみに、ぴきっ──と井桁マークが浮かび上がる。「……な・に・がっスマイルスマイルだああああっ!!」
チアガール姿の涼子ちゃん
「これって結構、楽しいかも♪」「きゃーっ!」
 ミニスカートをひるがえらせて(もちろんアンスコ装備済み)一足飛びに階段を駆け下りると、涼子はポンポンをつけたまま、両の握り拳で佳乃の頭をぐりぐり挟み込んだ。
 なんのことはない。あの夏祭りで蒼也に「あ〜ん」していたのを彼女にケータイのカメラで盗撮され、後日それをネタに、部員不足だったチア部に無理矢理入部させられて…………現在に至る(笑)。
「ちょっと阿鷺さんっ、ふざけてないでちゃんと持ち場についてっ!」
 チア部の部長が腰に手を当てて、下の段からにらんできた。
「そっ、そーそー、それに…………蒼也くんも見てるよ」
……!!」
 腕の中でもがく佳乃の言葉に、涼子は顔を真っ赤にしてとび上がると、あわてて元いた場所へと駆け戻った。
 視界の隅で彼女と部長が互いにぐっぢょぶな親指を立てているのを見て、お前らあとで絶対泣かしちゃる……と(できもしないのに)心に固く誓う。
「んー? なんか言った? 涼子っ」
 佳乃がまた振り返り、声をかけてきた。
「な、なんも言わねーよっ!(こ……こいつ、エスパーかなんかか?) そっ、それよか蒼也をダシにするなっ」
「あははははっ、照れない照れない♪」
「く……っ」
 涼子がチア部に(不本意ながらも)入部したことを知ると、蒼也もあとを追いかけるように、自らブラバン部に入部届けを出し、応援団のメンバーになった。
 もっとも急だったため楽器には触らせてもらえず、演奏する曲の名前やイラストが描かれたボードを見せる係や、水分補給用の「かち割り」を配るなどの雑用を任されていた。
 今も小柄な身体でちょこまかと、アルプススタンドの応援団席を一生懸命走り回っている……

「あ……」

 目が合った。
 思わず見つめてしまった。
 笑顔を浮かべて、手を振ってきた。
 顔を赤らめながらも、にっこり微笑んで手を振り返す──

 夏祭りのあの時──謎の巨漢(笑)の背中を見送って?からこっち、何故だか涼子の脳裏には「もう二度と男には戻れない」といった確信にも似た思いがずっと残り続けている。
 男の自分に未練はない……と言えば嘘になる。相変わらずオレっ娘で男言葉だし、ちっとも女らしくないし(……と、少なくとも自分自身はそう思っている。佳乃たちに言わせればそうでもないらしいのだが)、クラスの男子たちが群れてわいわいバカやっているのを遠目に見て、少し淋しくなることもあったりする。
 だけど今は、蒼也との仲を「凸凹カップル」などと冷やかされても、恥ずかしくはあるが抵抗感はない。
 蒼也の笑顔が素敵なことを、そして、いざとなったらとっても男らしいことを知ってしまったから。
 こうやって二人一緒に応援団になれたのだから、実はチアガールにされたのも悪くないとさえ……しかし、佳乃にそのことを知られるのも癪なので、口が裂けても黙ってるつもりだ。
(佳乃曰く、「髪型ポニーテールにしてニーソ履いて、気合入れまくってる時点でバレバレだって〜の♪」)

 そうだ、俺もあいつに「恋して」いるんだ……

 だから「涼子」として、これからも蒼也と一緒に歩いていこう。万が一、元に──男に戻ってしまったら、その時はその時だ。
 何も変わらない、変わっていない……変わったとしても、それもまた “自分” なのだから。

 スリーアウトを取り、守備についていた選手たちがベンチに帰ってきた。
 ブラバンの面々が楽器をかまえ、涼子たちチアガールもそれぞれの持ち場でポンポンを両腰に当て、背筋を伸ばす。
 蒼也が最前列でグラウンドに背を向け、ロゴの描かれたボードを高々と頭上に掲げた。
 次の演奏曲は──
「ん……? 『リンダ』? ……リンダリンダ?」
 涼子は小首をかしげた。そんなのうちのレパートリーにあったっけ……?



 ブルーハーツじゃなくて……山本リンダの『狙いうち』、だった──



(おしまい)

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