九龍幻想譚

作:Tarota


まさかこんな目に会うとは思わなかった。
それがまぁよくあるトラブル事例だとはいえだ。
俺はこの夏、大学の休みを利用して、香港を起点に中国を渡り歩く計画を立てていた。
その為に冬と春の休みを潰して資金稼ぎに没頭したのだ。
それが、出発点のこの香港でこんな目に会うとはね…
まぁ、簡単にいうとアレだ。
空港から団体さんの流れに逆らって、電車に乗って香港の中心部に出る。
そこで手ごろな安宿を見つけて荷物を降ろし、早速、街中にぶらりと出向く。
と、ここまではいいだろう。
ところが、平和な日本にいる感覚で、かばんの中にうっかり、パスポートと現金を置いてきたのが運の尽き。
慌てて戻ったときには、すでに持ち去られた後だった。
使い慣れない英語を駆使して、なんとか宿に抗議はした…
でも、基本的にこういう所は個人の管理責任に任されてるからね。自分の身は自分で守れとさ。
すぐに警察を呼んでも良かったんだが、あれこれ取り調べられた上に、すぐに強制送還なんてなったら、何のために香港まで来たのか解からなくなってしまう。
せいぜい、今夜一晩くらいは、香港の街並みを楽しみたいじゃないか。幸い香港は眠らない街と呼ばれてるしな。
まぁ、朝になったら大使館にでも出かけるさ。

ねっとりと、肌に絡みつくような湿気の中を泳ぐように、香港の街を歩きだす。
背の高い建物の合間の細い道を人々が足早に駆け抜けていく。頭上の空間は看板によって埋め尽くされている。広い空間を憎んでいるような感じさえ受ける。
香港は、大陸の先端である九龍半島を中心とした大陸側と、香港島・ランタオ島を中心としたいくつかの島々から成っている。俺が今歩いているのは、九龍半島のメインストリートであるネイザンロードから2本くらい横にずれた細い路地の上。昼間は閑散としているが、夜になると露店が立ち並び、観光客やら地元民やらでごった返すようになそんな通りの路上だ。
すでに、あちこちの路上レストランに立ち寄っては、酒と料理をしこたま腹へ収めていた。それでもまだまだ飲むつもりだ。夜はまだまだ長い。
ネオンサインと人と屋台と、とにかく色々な物でごった煮の中を、俺は当てもなく彷徨い続けていった。


どこをどう歩いたのかもうよく解からなかった。方向感覚も距離感覚も麻痺しているので、ここがホテルの側なのか、それとも離れた場所なのか解からなかった。
気が付いたら、その空き地に横たわって、呆然と月を眺めていたのだ。
霞がかった満月に近い月だ。朧月と呼ぶにふさわしい。ぼんやりとした月を、ぼんやりと眺めていると、どこか幻想の世界に迷い込んだような錯角を受ける。
ごろりと横を向くと、視界にテントが映った。
いつの間にか大きなテントが張られ、中から人々のざわめきが聞こえる。
初めからそこにあったのか、それとも忽然と今そこに現れたのか解からなかった。
そういえば、こういった空き地では、庶民の喜びそうな劇などの見世物小屋が立ち並ぶと、ガイドで読んだような気がする。
よろよろと立ち上がると、誘われるようにテントに足が向かう。何もせずただ横になっていたかった筈なのだが、そのテントには何か惹きつけられるものがあった。まるで運命の糸に手繰り寄せられるように、一歩一歩足が勝手に動いていく。
入り口で特に金を請求される訳でもなく、すんなりと中に入る事ができた。そうだ、オヒネリみたいに、気に入ったらお金を投げ入れるシステムだと聞いた憶えがある。

テントの中は意外な広さがあった。立ち見とは言え、すでに40〜50人の観客はいると思えたが、まだゆとりがあった。
舞台の上ではすでに見世物が始まっていた。それはマジックショーであった。さながら香港大魔術といったところであろうか?
中国服を着た老魔術師が、大きな鉄の輪をつけたり外したり、自由自在に操っている。
確かあの鉄の輪はチャイナリングとか言ったな。なるほど。意味もなく関心してしまう。
それにしても、周りの観客はどこか奇妙だった。拍手もするし、笑いもする。それなのに存在感が希薄なのだ。確かにそこにいるのに、いないような、そんな感じだ。
舞台の上の魔術は進み、老魔術師が帽子から様々なものを取り出した。しかも、よくあるシルクハットではなく、中華の丸い小さな帽子からだ。
手品の事は詳しくは解からないが、小さい分だけこちらの方が難しいのではないだろうか? それから次々と用意された小道具による魔術が披露されていく。どれも見事な腕前だ。俺は次第に、老魔術師の魔術に引き込まれていった。

それらが終わると、舞台の袖から短剣を何本も手にはさんだ、プロポーションの美しい女性が現れた。おそらく魔術師の助手なのであろう。
真っ赤なチャイナドレスを身にまとったその女性が、悠然と舞台を横断する。歩くたびに大きな胸が揺れ、スリットからは綺麗な足を覗かせている。俺はその女性の美しさに暫く見とれていた。
助手を伴った手品は、お馴染みのナイフ投げだった。
壁に固定された助手に向かって、ナイフが一本二本と投げられる。見事に体すれすれに突き刺さる。さらに、後ろ向きや、回転しながらといった曲投げも披露する。
俺は大きな拍手を送った。

それから、助手を使った手品が幾つか続いた後、おもむろに老魔術師が言った。
「次の演目には、ご観衆の皆様の中の誰かに協力して貰いたい」
聴き取れないような早口の広東語で喋っていたが、何故か俺には日本語で聞こえた。いや聞こえたというよりも、脳に直接響いてくるような感じだ。
「では、今から鳩を放ちますので、この鳩が止まった方にお願いしたい」
助手が籠の中から鳩を取り出し、空中に放つ。
老魔術師が鳩の行方を追いながら、観客を見渡す。と、不意に俺と目が合った。
次の瞬間、鳩が俺の肩に止まっていた。
「お客さん、お願いできますか」
真っ直ぐに俺を見据えたまま老魔術師が言った。
気が付くと俺は頷いていた。
まぁ、良い記念になるだろうからな。
舞台に上がると、老魔術師が近づいて来て小声で俺に話し掛けてきた。
「あなたは、日本から来た人ですね」
「!?」
「香港では災難に会いましたね。でも、それだけでこの地を嫌いにならないで下さい」
「あなたは一体?」
「これから起きる出来事は、香港での良い思い出になることでしょう」
あれこれ聞きたい事はあったが、それを口にする前に、魔術の舞台に到着してしまったようだ。

円形の台が2つ用意されており、客席から向かって右にあの美しい助手が立っていた。左の台に同じように、客の方を向かされて立たされる。隣の美女がこちらをチラッと見て微笑んだ。その笑顔はとても魅力的だった。
彼女に見惚れている間に、手品の準備が整ったようだ。
老魔術師が大きな輪を取り出す。輪には、長い布がついていた。
それを空中に放り投げると、輪についた筒状の布がひらひらと舞い上がる。
ひとつ、ふたつと、次に次に輪を投げると、老魔術師の頭上に布の滝が生まれる。
不意に、その内の2つが軌道を外れ、1つは隣の美女に、もう一つが、俺の頭上に飛来してきた。
俺達をピンに見立てた輪投げなのだろうか?お見事、輪は確かに俺の体を通過した。それに続き、筒状の布によって視界が覆われる。
輪が地面に落ち、視界が晴れると、途端に客席から拍手があがった。

何が起きたのか解からないでいると、老魔術師が等身大の鏡を持ってきて、俺の姿を見せてくれた。 そこには、チャイナドレスを着せられた俺が映っていた。
酷く不恰好だった。無骨な自分の体にチャイナは似合わない。よく見ると、助手の着ていたドレスと同じ物のようである。それにしてもよくサイズが合ったものだ。
視線を下にずらしてみると、確かにチャイナを着ている。試しに生地に触ってみると、滑らかな布の感触がする。
足をこするってみると、脛毛がこすれる嫌な感触がした。
ふと、隣をみると、台の上に立っている女性の服装も変わっていた。
汚れたTシャツが、メロンのような膨らみにより隆起し、魅惑的な曲線を描いており、短パンからは、甘い香りを放っているようなむちっとした脚が剥き出しになっていた。
それは、さっきまでの俺の服装であった。つまり、服装を入れ換えたという訳だな。

こんな事をさせて何になるのだろうか?と考えていると、不意にまた視界が布で覆われた。 視界が晴れると、また拍手が沸き起こる。
急いで鏡を確認すると、ドレスの先から覗く靴が、それまでのスニーカーから黒く小さな靴に変わっていた。しかも素足で、足首も細い。
慌てて自分の足を動かしてみると、スリットから覗いたのは、むっちりとした魅惑的な太腿だ。脛下に覆われた太い自分の脚はそこにはなく、細く毛の生えていない女の脚にすげ変わっていたのだった。
足を擦り合わせてみると、もう脛下のこすれる嫌な感覚はなく、滑々した肌が触れ合うのが感じられる。
もしやと思い隣を見ると、その通り、女性の足が、さっきまでの自分の脛下の濃い汚らしい足にすり替わっていた。

またもや視界が布で覆われる。
今度は腕が変わっていた。袖口から覗くのは、肩幅の狭い、細く柔らかそうな腕である。
どういう訳か手の部分は元のままだったので、酷く不釣合いだった。
大きな手で、か細い自分の肩をそっと抱いて見る。細く柔らかい肩を掴む感覚よりも、自分の肩が暖かく大きな手で包み込まれる感覚の方が心地良かった。
隣の女性を見ると、太い腕に出来る力こぶしを、細い指で愛しそうになぞっていた。その滑らかな指も俺のものと変えてくれ!と、いつの間にかそう切望していた。

次に変わったのはウエストだった。
ドレスを圧迫するようなその存在は消え、細くくびれたものに変わった。
願いが叶えられたのか、手もようやく変わった。白魚なような指をじっと動かしてみる。滑らかな指先で触れる物全てが新鮮だった。

その次に変わったのはお尻だった。
ウエストから腰にかけての女性らしいラインが完璧に出来上がる。これで下半身全てが入れ替わったことになる。
そういえば、妙な興奮感でいきりたっていたモノまでも消え去ってしまったようだ。
変わりに、隣の女性の短パンが膨れ上がり、恥ずかしそうにうつむいている。

それから、胸部が変わった。
はちきれそうなその膨らみが胸にずしっと乗っかってきた。そっと触れると、確かに触られた感じが伝わってくる。これで胴体のパーツは全部入れ替わってしまった。
自分の顔が美しい女性の体の上に収まっていて、反対に隣には、美しい女性の顔が逞しい男の体に乗っている状態となった。

そしていよいよ、最後の布が覆い被さる。
長い髪が頬を撫でるのが実感できた。
鏡に映った姿はもう自分ではなく、全て彼女のパーツでできていた。
いまの自分は、この美しい女性なのだ。
横をむくと、さっきまでの自分の姿をした彼女が立っていた。
どちらからともいえず手を取ると、観客の方を向いて挨拶をした。
一際大きな拍手が巻き起こる。

それから俺は、老魔術師の助手として、閉幕まで舞台で忙しく働いた。
歩いているだけで揺れる大きな胸も、ひらひらと足にまとわりつくチャイナドレスも、お辞儀するたびに顔にかかり の香りを残す長い髪も、観客の好奇な視線も、全てが快感だった。
時折、大きな拍手を送ってくれるのは、観客席に戻った俺の体をもつ、彼女だった。彼女は時折、珍しそうに俺の…いや自分の体を撫で回していた。それを目にする度になんだか恥ずかしい気がした。
そうして、あっという間に閉幕の時間を迎えた。最後の挨拶のときには、俺の体も舞台に呼ばれ一緒に大きな声援を浴びた。
そのとき、彼女はいきなり俺に抱きつくと、キスをしてきた。
自分とのキス!?
気持ち悪い筈なのに、気持ち良かった。胸がキュッとなった。だから、今度はこっちからキスを返した。
甘酸っぱい味がする。
そこで、不意に意識が途切れた。


瞼を貫く白い光で目がさめた。
気が付くと、朝日を浴びて、空き地に寝ていた。
慌てて体を確かめると、いつもの自分の体であった。
周りを見渡すと、奇術小屋があった場所に古い廟が建っていた。
ガンガンと痛む頭を持ち上げ、のろのろと立ち上がると、そっと廟に近づいてみる。
古くからこの地の主役だったことは明らかだ。
つまり、この空き地は元々、そのお堂の為の空間であったのだ。
あの出来事は夢だったのだろうか。
お堂の中を覗いてぎょっとなった。中にあの老魔術師がいたのだ。
しかし、それは錯角であった。よく見ればそれはただの粗末な石像であり、まったく似てはいなかった。
俺はその本尊を拝むと、異国の朝の路地へと消えていった。
<FIN>


★あとがき

どうも、Tarotaです。
読んでお解りの通り、八重洲さんの「奇術」が土台となって書かれております。
あれより遥かに幻想的な感じは落ちますが…。やはり、文章力不足な様です。
土台として書かれたというか、書いていく内に似てきたというか…
まぁ、私の本来の目的は「香港を舞台に主人公にチャイナドレスを着させる」という点に主眼が置かれており、あとから「幻想的な雰囲気」「パーツ交換による入れ替わり」という要素で急に書きたくなり、今のような形になったものです。
エロチック度は大幅アップしているのに、直接的な表現はほとんど無く、フェチっぽい作品になってしまったかもしれません。


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