F(エフ)

文 West

第2話 Funny time(それなりに楽しい時間)

 次の日の、舞の家の玄関。
「色々とお世話になりました」
 黒の手提げ紐の付いた、お店のロゴの部分を除くと全体に白っぽい丈夫な紙袋を手に、あたしは舞とおばさまを前にぺこりと頭を下げた。今日は月に2回ある土曜休みの一つなので、朝からゆっくり出来た。
 昨日の夜、舞に渡された水色の表紙の小さなノートがその中には入っていた。バッグか何かに入れられればその方がよかったのだけど、怒りのあまり後先考えずに家を飛び出して来たせいで、着替えさえただの一枚も持って来ていない。
 今身に付けている斜めにストライプの入ったシャツワンピースは舞に借りたものだ。昨日着てきたものは下着から何から全部スーパーのビニール袋にくるまれ、やはり紙袋にと入れられている。
 おばさまはそれを指差して
「ホントにいいの、マキちゃん? よければ舞のと一緒に洗ってあげるのに」
「いいえ。大した量じゃないし、それに家でいつも自分で洗濯してますから」
 おばさまの事だ、義務感ばかり言っているのでは無いと思った。しかし約束も無く一方的に押し掛けて、その上そういった好意に甘えるのは少し図々しい気がした。
「聞いた? 舞もマキちゃんを見習ってせめて洗濯機の使い方くらいいい加減覚えたら? お料理の方は取りあえず言わないから」
 同じ年なのにどうしてこうも出来が違うのかしら、そう言って彼女の方を振り向いたため息まじりのおばさまに、舞は露骨に迷惑そうな顔で
「・・あーあ、マキを泊めるといつもこうなんだから。食事の支度、言われもしないのに勝手に手伝っちゃうし」
 唇をへの字に曲げ、肘を上げた状態で指を頭の後ろで組んだ。
「どうせあたしはデキが良くないってば」
 ついでにそっぽも向いている。
「ゴ、ゴメン」
「何謝ってんの? 別にマキ悪くないじゃないよ」
 あっけらかんと告げた彼女は視線を前に戻す。そして指を解いた。
 言葉を失ったあたしを見て楽しそうに笑っている。あたしはまたもや自分が彼女のおもちゃにされた事に気付いた。
「ママ、そのうち何とかなると思うから、今日のところは見逃して。ね?」
 前で拝み合わせた手に、武器である憎めない笑顔。いつもの事でもあり、おばさまもとうとう諦めた様子だ。
 からかわれた悔しさは今も残っているが、この顔を向けられるとおばさま同様怒る気になれなかった。
「ホントに・・・こういう所誰に似たのかしら」
 すっとあたしの方を向いて
「マキちゃん。こんな子だけど、これからも呆れずに指導してやってね」
 丁寧に頭を下げて来た。
「そんな、あたしの方こそ。それじゃお世話になりました」
 同様に深々とお辞儀をしたあたしは再度泊めてもらった事へのお礼の言葉を最後に、舞の家を後にした。

 ニャーオ。
 猫の甘えたような鳴き声が門から10メートルくらいのところまで帰って来たあたしを出迎えた。声の主は塀の上から軽やかに道路に降り立ち、そのままあたし目掛けて走ってじゃれついて来る。
「ただいま、レオン」
 姿勢を屈め、頭をあたしの足に擦り付けているレオンの喉を撫ぜてやった。白と少し茶色っぽい黒で縞模様に彩られた綺麗な逆三角形の顔が魅力の彼は、気持ち良さげに目を細めた。
 直にいかにも気持ち良さげなゴロゴロという響きが耳をくすぐった。
「お帰り」
 突然、声が降って来る。一瞬母親かとも思ったが、男の子の声だった。
 見れば175センチくらいのすらりとした体型に相応しいハンサム顔がこちらを向いている。有原伊吹クンで、ほっとした表情で彼はあたしを見ていた。
「レオン、ご主人様が戻って来て良かったな」
 伊吹クンが穏やかな表情でレオンを眺めた。レオンの方もニャオンと彼に対しても愛想を振り撒いた。
 あまり他人に懐かないタイプのレオンが家の人間以外とこんなに早く仲良くなるなんて前代未聞である。
「・・・ただいま」
 レオンがこんなに懐いた訳だし、伊吹クン自身は決して嫌な人間じゃないと思う。しかし彼の顔を見た途端、昨日の一件が頭の中で一気に蘇り、少し険のある口調の返事となって口から飛び出した。
 それに気付いた彼の表情が刷毛で塗り変えるように急速に曇って行った。あたしがまだ怒っていると判断したに違いない。
 そ知らぬ振りで無言のまま彼の側を通り過ぎようとするあたし。
「昨日はゴメン。僕のせいで・・・」
 萎れた声を聞いただけで今の彼が俯いたきりなのが理解できた。
 急に湧いた罪悪感から冷静になって考えれば、彼だって被害者なのだ。なのに顔を見せるなり少しばかり不機嫌な態度を取り過ぎたかなと反省した。
「いいよ、有原クンが悪いわけじゃないもの。有原クンこそ今まで男の子を許嫁にされて迷惑だったでしょ」
 足を止めたあたしは今までの罪滅ぼしも兼ねてにっこり笑い掛けた。
「あ? ううん、僕は」
 どういうものか彼は顔を紅く染めていた。
「え?」
「・・・た、大した事じゃないんだ。それより早く入ろう。おばさん達が何かさっきから待っているみたいだから」
 そう言ってさっさとドアの奥に引っ込んでしまった。彼の挙動に首は傾げるが、それよりママ達がどういうつもりであたしを待っているのか気になった。
 昨日の夜もただの一度もママは舞の家に電話を掛けて来ていない。自分でも直情的だと思うあたしの頭が冷えるのを待っていたのだと思う。
 実際その手は効果的で、必ずしも舞と練った復讐計画のせいばかりでなくあたしの怒りは昨日の夕方の事を思えば多少収まって来ていた。
 この、友人達にもそうだと言われるさばさばした性格が、余計ママに言いようにされる一因だとは知っていた。だけど、こればかりは生まれつきなのだ。今更どうしようもない。
「やれやれ、うちのお姫様はやっと帰って来た。あまり遅くになるようなら電話しようと思ったけど、この分なら何とか間に合いそうね」
 中に入った途端に、そのママのいかにも待ちくたびれた声が狭い玄関にこだまする。どこに出掛けるのか、普段は塗らない色のルージュを唇に乗せていた。
 有原クンの言った事は正しかった。しかし、間に合うってどういう事だろう。
 既に身支度を整えているママは廊下の奥の方、丁度テレビでニュースでもやっているのか、アナウンサーらしき男性の声の洩れ聞こえる居間の辺りを向いて
「彰彦さん! マキが帰って来たから出掛けるわよー」
 突然テレビの音が途絶え、休みだと言うのにワイシャツにネクタイを着込んだパパがこっちに歩いて来た。。
 どうしてママがそうもしびれを切らしていたか理解できた。そう言えばパパとママが前回デートしてから、もう1ヶ月近くになる。
 結婚して14年、今でも夫婦仲の良い二人は月に1回どこかのレストランを予約してこうやって2人だけの食事を楽しんでいた。レストランだから多少は時間的な融通が利くだろうが、それでもその間店側は客を入れられなくなる。痛手だ。
 ママにとっては店の経営面の心配などでなく、別の理由があるだろうが。
「お帰り、真木」
「ただいま」
 世代が違うだけに、パパは背の高さだけで言えば有原クンよりも少し小さい。けれど若い頃テニスでさんざん鍛えた身体は特に右腕と腿が太く、今でも週に1回は市営コートで汗を流している為か、一向にお腹の出始める様子も無かった。
 舞や理紅達は“マキのパパ、いつ見てもカッコいいね。うちのと取り替えたい”と口を揃えていた。見た目がいいだけでなく、いつも落ち着いていて頼り甲斐のある、自慢のパパだ。
「何してるの、彰彦さん。不良娘は放っておいて、早く出掛けるわよ!」
 ママのイライラした声が飛んだ。ママからすればパパとの月に一度の甘い時間が1秒でも削られる事が我慢ならないのだ。
 それにしてもと思った。不良娘というのは幾ら何でもひどいんじゃないだろうか。
 大体昨日あたしが家を飛び出したのだって、断りも無しに婚約者をママが決めていたからだ。
 下を向いて膨れてしまう。
 その時、頭部に誰かの掌の感触を感じた。
 温かな温もり、触れているだけで安心感の増す骨の太い大きな手。
「パパ」
 顔を上げたあたしに、パパが頷いた。
 あたしがまだ小さかった頃からの習慣で、こうやってご機嫌斜めの時はパパがそっとあたしの頭を撫でてくれる。近所の男の子達に混じって遊んで怪我をした時、いつまでもお転婆さんだからこんな事になるのよとママに叱られ落ち込むあたしを、夜に仕事から帰って来たパパはやはりこうやって慰めてくれた。
 いつも落ち着いていて頼り甲斐のあるパパは、まだ自分を女と思っている頃はまさに“理想の男性”だった。小さな女の子にありがちな、「大きくなったらパパと結婚する」という台詞を、あたしもしょっちゅう口にしていたらしい。
 さすがに男だと知った現在では仮に結婚できたとしてもパパ相手にそんな気は起こさないと思える。とはいえ、恋に似たその時分の淡い感情は今も心の片隅に消えずに残っているようで、だからこうして撫でてもらうのだけは決して嫌いじゃなかった。
「それじゃ、夕方くらいに帰って来るから。マキ、昼はあんたが何か伊吹くんに作ってあげるのよ」
 睨むようにママは念を押した。明確な言葉にはしないが、仮にもフィアンセなんだからという意思が目からありありと見て取れた。
 話す間もママの手は休む事無く靴を足に嵌めていた。余所行きのルージュといい、こういう時のママは幾ら恐い表情をしていてもそのいそいそぶりが可愛く見える。
 言動がしっかりしているというよりはきつめで、一見完全に現実派に見えるママだけど、中身はかなりのロマンチストだ。結婚がいいものだと頭から信じ切っている彼女は、事実世間の大多数の夫婦に比べても決して引けを取らない幸福な家庭を営んでいた。パパの包容力のお陰だとあたしは考えている。
 そう考えるとママの機嫌の為には毎日でもデートに連れ出して欲しいものだけど、以前パパにそう勧めた時「マキ、こういうのは1ヶ月に一度だからいいんだよ」という返事を彼は笑いながら返して来た。どういう意味なのか、当時まだ小学生だったあたしは理解しかねた。
 確かなのはママはパパがいれば幸せだという事だ。ママはきっと、あたしと親友の息子である有原クンもそういった関係になれると信じているんだろう。
 パパは、パパはどうなんだろう。たった1人の息子をママにこんな風に育てられて、普通なら悲しくなったり怒ったりはしても不思議はない。余程娘が欲しかったのか、それともパートナーのやる事だからと静観していたんだろうか。
「伊吹くん、8時からずっと外で待っていてくれたんだから」
 あたしはびっくりして彼の方を振り向いた。
「うそ! だって・・・もう11時過ぎ」
 思わず自分の腕の時計で確認する。彼は外にいた時と同じように再び顔を紅くして
「僕、コンビニで何か買ってきますから」
「伊吹くん?」
 ママの困惑を無視して、言うが早いかドアを開けて外に早足で飛び出して行く。
 庭で出迎えてくれた事といい、有原クンはまたもやあたしの事を気遣ってくれているらしい。憎まれ口ばかり叩いているクラスの男子にはいないタイプだ。
 おまけにあたしが男の子だと知っても全く態度を変えていない。有原クンが婚約の事まで耳にしていたかどうか知らないけど、
(これだけ優しい人だもの。もしあたしが本当に女の子に生まれていたら、彼がフィアンセだって事も素直に喜んでいたかもしれないな・・・)
「預かった育ち盛りの男の子にそんなものばかり食べさせてちゃ、私が未晶に申し訳無いわ。ほら、何してんの、マキ」
 ママが慌ててあたしの背を押した。
 ここで逆らったところで例の柊家家訓が飛び出すだけだ。それにあたしの事を色々心配してくれる有原クンの為に食事を用意するのは正直なところそんなに嫌な作業でもなかった。
 そんな事を口にすればそれこそママが調子付いてその後どんな目に遭わされるか知れたものではないので、当然態度には出さなかったが。
 とにかくあたしは有原クンを追って走り出した。
 門を曲がった所で彼の後姿に追い付く。
「有原クン」
 背後から呼び掛けた彼の身体がぴくっと震え、そおっと振り向いた。
「マキちゃん・・・」
 当然彼はあたしがママに言われ、渋々やって来たと思っていた。
「心配しなくても有原クンの分も作るつもりだったからさ。帰ろ」
 あたしは彼の手を引っ張った。
「でも・・・やっぱり」
 彼は家に向かってはなかなか足を動かそうとしなかった。昨日の大爆発がこういう結果を生んだのだと思うと、あたしだって完全に被害者であるものの、またもや罪悪感に襲われた。
「1人分作るのも、2人分にするのも手間としては大して変わらないよ。とにかく、コンビニ弁当なんか食べてちゃ身体に悪いのはママの言う通りだよ。ほらっ、早く。ね?」
 隙を見て彼がまた家とは反対方向に歩き出そうとしたので、先程よりも腕の力をこめる。何とか彼の誤解を解こうと、精一杯の微笑みを彼に浴びせた。
 だが、抵抗感の方は緩むどころか大きくなっていた。細く見えて彼は随分腕の力があるようだ。向こうでもてていただけあって、やはり運動神経の出来も悪くないらしい。
 一方、あたしは長期に渡るホルモン投与のせいで筋力が本来の男の子の状態からは落ちている。このままじゃ負けてしまいそうだ。
「ごめん・・・僕がこの街に来たりしなければ」
 意地と意地のぶつかり合いの中、視線を伏せた彼の口からふと飛び出した謝罪の言葉。それとは対照的に自分の眉がゆっくり吊り上っていくのが判る。
 根が優しい彼だけに自分を責める気持ちは理解出来ないでも無い。しかしこうやって何度も聞かされると、そしてこの街に来た事自体が間違いのように言われると、聞いていてあたしは同情心どころか、段々腹が立って来た。
 ここは彼の住んでいたビルの多い都会ではないかもしれないけれど、自分なりに気に入っている街だった。そこに来たのが間違いだったと言われるのは、相手にそういうつもりが無いと知っていても自分の大事なものが貶されたような気にさせられた。
 こうなったら、意地でも連れ返って手製の料理を食べさせてやろうと思った。そしてママに仕込まれた腕でもって、この街に来て良かったと言わせてやるんだ。
 昨日いきなり家出を敢行した時もそうだったけど、あたしは気が小さいくせに怒りが大きくなると普段からすれば考えも付かない行動に及ぶタイプだ。そしてその時に取った行動を冷静さを取り戻してから後悔する事が多い。
 今回、絶対彼に自分の料理を食べさせると決めたあたしは、今度は全身の筋肉をそこに手繰り寄せるような感じで力を腕に集め、彼の身体ごとぐいっと引き寄せる要領で力をこめる。
「マ、マキちゃん」
 それだけの腕力をあたしが出せると思っていなかったらしい彼が引き摺られるようにしながら、びっくりした顔であたしを見る。
「・・・」
 その時は彼に料理を口にさせる事しか頭に無かったあたしは、黙ったまま、気付いた時には唖然となっている彼を再び家の中まで引っ張り込んでいた。

 ママ達と入れ違いに家に入るなり、冷蔵庫の中をくまなく調べた。
 その間も有原クンは何か手伝う事は無いかとあたしの周りをうろうろしている様子だった。どうも彼はタダで人の好意に甘える事が出来ない性格らしい。
 学校の調理実習を見ていても料理は同じ班の女子に任せ、自分は味付けか、下手すれば試食専門に回る男の子の方が圧倒的に多い。その中で進んで手伝おうとする彼のようなタイプは貴重だ。
 しかし、今はまだ料理を作れる段階に無い。助けてくれようとする気持ちはありがたいし、性格そのものは図々しいよりずっといいが、現在の状況では邪魔なだけだ。
「ほらっ、お客様は大人しく椅子に座ってて」
「で、でも・・・」
「いいから」
 無理やり台所の椅子に押し込めるように案内して、あたしは再び材料の調査を始めた。「肉は豚が残ってるし、ウィンナーもあるからいいとして、問題は野菜ね。もう昼まで時間が無いから、手早くできそうなものがいいし・・・。取りあえずキャベツとピーマン、ニンジンがあるからこれで何とかするか」
 決して豊富とはいえないが、何とか素材が揃いそうでホッとした。今から材料を集めに行っていたら、出来上がる頃には1時を回ってしまう。あたし1人ならそれでも問題ないが、さすがに食べ盛りのお客さんを待たせるのは可能な限り避けたい。
「ピ、ピーマン?」
 途端に引きつった顔で有原クンがあたしを見ていた。
「嫌いなの?」
「え? う、うん。そんなところかな」
 どうもはっきりしない。男の子って結構負けず嫌いなところがあるから、食べられない食べ物がある事を恥ずかしく思っているのだろうか。
 あたしはまな板の側に並べた野菜を眺める。
 キャベツとニンジンがあれば料理は出来ない事も無い。キャベツだけでは栄養に欠けるが、ニンジンは赤くても緑黄食野菜の仲間だ。
 その時、まだ紙袋に入ったままのノートの存在を思い出した。目の前で舞が書いたから、最初の1、2ページの内容ぐらい読まなくても大体頭の中に入っていた。
 彼女の提案の中に“嫌いなものを食べさせよう”という一行があった。
「・・・どうしても食べられないの?」
「え」
 恐らくはすんなりメニューから外してもらえると期待していたのだろう。有原クンがまじまじとあたしを見ていた。
「ほら。細かく刻めば大丈夫とか、餃子の具としてなら何とか食べられるとか。そういうのでもダメ?」
 例を出して試しに聞いてみる。どういった調理方法でも受け付けないというのであれば、この作戦は没にするつもりだった。
 あたしだって自分の嫌いなものを無理やり口に放り込まれたりしたら嫌だもの。
 意地悪は何も食べ物でしか実行出来ない訳じゃない。その証拠に舞は生徒手帳サイズの小さなノートとはいえ、5ページ以上に渡ってあたしでも実行できそうな手段をしっかり記してくれていた。
 じっと彼の返答を待つ。
「食べようと思えば食べられない事もないんだけど・・・」
 しばらくしてから、彼はまたもや奥歯に何か挟まったような物言いをした。ここまでの優柔不断ぶりはやはり優し過ぎる性格から来るのだろうか。
「決まりね。その代わりと言っては何だけど、小さめに切って上げるから」
 あたしは努めて明るく告げた。すぐさま引きつった笑みを浮かべ、懇願の目であたしを見つめる有原クン。
 あたしは気付かぬ振りで、今度は冷蔵庫の側にある引き出しが何段か着いている透明な棚を調べる。お目当ては炒め物には欠かせない調味料だ。
 といっても何も特別なものを使うのではなく、すぐに“炒飯の素”と書かれた銀色の包みを見つけ出す。
「よし、あった。待っててね、すぐ用意するから」
 御飯は今朝炊いたのがまだ残っているはずだった。それでも一応確認は済ませておく。 材料と時間から今日の昼は肉と野菜の炒め物に決定した。キュッと気合と共にエプロンの腰紐を締め、調理を開始する。
 ピーマンを食べさせる気になったのは、何も意地悪したいだけの為じゃない。炒め物の場合、多少なりとも萎びるし油の膜で本来の味が薄れるから、嫌いな野菜でも意外にあっさりと口に出来るものだ。
 実際、調理法による食べられる・食べられないの差異はあくまであたしの場合だが結構あった。
 食べられるなら、どういう手段であれ食べてしまう方がいい。何であれ好き嫌いは健康を壊す元には違いないのだ。特に相手が野菜の場合。
 ストトトト・・・。
 固いニンジンは火が通るのに時間が掛かる。その為、軽快なリズムで包丁を動かしてそのニンジンから刻んで行く。
 長細い短冊状に変わった赤い野菜で出来た小高い山がやがてまな板のあちこちに隆起していた。それを包丁の刃でスライドさせて一角に集める。
 次に油の用意だ。サラダオイルの入れ物を手に取ったあたしはキッチンタオルに中身を含ませ、黒いフライパンの全体に薄くひこうとした。
 すると
「マキちゃん」
「・・・ん?」
 コンロの火をカチリと起こしながら、急いで応対した。
「その・・・何か手伝わせて欲しいんだ。ただ座ってるの退屈で」
 本当にお客らしくふんぞり返っている事が出来ない人だ。呆れると共に、内心吹き出してもいた。
「・・・しょうがないなぁ。じゃ、ピーマンでも切っててくれる? 自分で切れば大きさも決め易いでしょ」
 喉を込み上げる笑いと必死に闘いつつ、あたしは彼に流し台の下から出した別の包丁を渡す。
 確かにひどい優柔不断だし変に遠慮深いけど、それってある意味彼の持つ温かさの裏返しだ。
 結構もてたらしいところを見ると、彼の郷里の女の子達ももしかして有原クンのそういった所が気に入っているのかも。油が暖まるのを待っている間、キャベツを刻みながらそんな事を考えた。
 切ったニンジンをフライパンに流し込んだ途端、ジューッと小気味いい音が生まれた。そして立ち昇った湯気と共に辺りに充満する。
 一安心したので、何気なしに隣の有原クンの方を眺めた。彼は険しい顔で未だピーマンと睨み合いを続けていた。
 “可能なら、嫌いな物を自分で料理させると効果倍増”、ノートにハートマーク付きでそう付け加えられていたのを思い出す。
「・・・どうしたの? 自分で切るのが無理ならあたしやるけど」
「あ、ううん。大丈夫だよ」
 微かなため息が聞こえたかと思うと、すぐさま包丁の響きが部屋を流れ始める。
 見る間にピーマンが粒の揃った小さな欠片に分かれていた。
「有原クン、すごい上手。家でも料理するの」
「母親のいない時にちょっとだけ」
 有原クンは額に浮き出た脂汗を拭った。舞のアドバイス通り、彼の精神的なダメージは相当のようだ。
(・・・身体にいいのは間違い無いんだし、しょうがないよね)
 あたしは自分に言い聞かせる。それに、もしもだけど、これで彼のピーマン嫌いが改善されればそれはそれで意味があるのだ。
 それには少しでも美味しい炒め物を作らなくちゃ、そう思って気合を入れ直した。

 ジュー。
 フライパンの中の野菜は一番の難物のニンジンも含め、大方炒まりつつあった。豚肉を入れ、ついでに炒飯の素を振りかけた。
 焦げ付かないよう絶え間無く食材を移動していると、有原クンがガラス戸棚から皿を取り出して脇に置いてくれた。
「ありがとう」
 豚肉に完全に火が通ったのを確認してから、コンロのツマミを右一杯まで捻る。
 中身を菜箸で皿に移し替える際、ふと有原クンの方を見た。良く気の付く彼はいつ布巾を濡らしたのか今度はテーブルをそれで拭いてくれているようだ。
 最近は女の子でも御飯が炊けるのとか、カップラーメンを作ったりするのを料理と称する子達が増えつつあった。
 2週間ぐらい前だけど、クラスの子達が数人でケーキを作ったというので話を聞いてみた。そしたら何と買って来たスポンジケーキに生クリームとチョコ、それに缶のフルーツでデコレーションしただけのものだった。
 もしあたしが同じ物を作ってケーキだと称したら、間違い無くママに締め殺されるだろう。
 そういった女の子達が多くなってくれば来る程、料理が出来て、あくまで予想だけど勉強も運動も得意で、おまけに外見もカッコいいと来てる彼はただでさえ超優良物件扱いを受ける。多少優柔不断なあったところで女子の間で取り合いになるのは間違い無いところだ。
 まして、その優柔不断ですら可愛く思えちゃうタイプなのだ。最終的にはファンクラブが結成されて、抜け駆けを禁止する形になるだろうと思った。
 ・・・あたしが心配する筋合いの事じゃないけど。
 盛り付けも済んで、テーブルに皿を持っていこうとしたあたしは、いい加減席に着いているだろうと思った有原クンの姿が無い事で目を大きくした。
 当の有原クンはいつの間にか炊飯ジャーの方に移動していた。手には当然茶碗を持っている。
 奥さんが台所で立ち回る旦那を表現する言葉にゴキブリ亭主というのがあるけど、今の彼はまさにその状態じゃないだろうか。
「もうっ、そんな事くらいあたしやるから。有原クンだってお腹すいてるんでしょ?」
 奪い取るようにして有原クンの手から茶碗と、それから杓文字を移動させた。間髪入れずに彼の広い背中をテーブルに向かって懸命に押していく。
 気を使ってくれるのは嬉しいけど、幾らかは歓迎の意もあって手料理を食べさせようとしてるのに、このままじゃあたしのやるべき事がどんどん消えていってしまいそうだ。
「そうなんだけど、できれば一緒に食事した方がいいと思う」
 渋々席に座らされた有原クン。優柔不断だとばかり思ってたのに、あたしが目の前に置いたおかずに全く箸を付けない。あたしが隣の椅子に腰掛けるまで空腹のまま頑張る気らしい。
「・・・しょうがないか」
 空いたフライパンに油をひき直して、ウィンナーを焼くのは諦めた。冷蔵庫からは代わりに焼肉のタレを取りだし、テーブルに置いた。
「ソースもあるからお好みで付けてね」
 有原クンに食べてもらう為に、あたしも椅子にと腰掛けた。
「いただきまーす」
 彼が用意したタレには手を伸ばしそうに無い為、先に使わせてもらった。
 自分で言うのもなんだけど、本当に美味しそうな香りが目の前の料理からは漂っていた。
 これなら苦手なピーマンだって割と抵抗無く食べてもらえそうだ。
 とうとう有原クンがそのままで炒め物に箸を付けた。何もかけない派らしい。
 炒飯の素が効いているから一応そのままでも味はあった。タレを付ける方があたしの場合、好みだけど。
「美味しい?」
「うん。さすがに上手だね」
 思わず顔を覗き込むように見たあたしを、ちょっとだけ照れた様子で出迎える。
 誉めてくれるのは嬉しいけど、何かを我慢しているような汗が額に現れ始めているのが気になった。
「・・・お世辞は必要ないからね。ピ−マンだけよけるか、それかこちらにくれればあたし食べるから」
 どうしてもダメならそれは仕方ない事なのだ。
 皿を一旦こちらに引き寄せようとした途端に、またもや彼の抵抗に遭う。
「大丈夫。ホントは苦手じゃないはずなんだから」
 あたしにというよりは自分に言い聞かせるよう呟いた彼は、何を思ったのかピーマンばかり拾い始めた。
「平気・・・平気なはずなんだ」
「ちょっと、有原クン!」
 幾ら嫌いな物を目の前から早く片付けたいのか知らないけど、これは行き過ぎだ。
 その証拠に無理ににっこりを続ける彼の端正な容貌が短時間で蒼く変わって来ている。 あたしは自分の唇を噛んでいた。不純な目的の為に苦手の食べ物なんか無理に勧めたせいだ。
 ゴメン、有原クン。
「急いで吐き出させなきゃ」
 無我夢中で彼の背中を激しく叩く。
「ちょっと、マキちゃん・・・そんなにしたら・・・飛び出すじゃないか」
「いいじゃない。その方が有原クンも早く楽になるよ」
「良くないよ。僕にとってはずっと好きだった子の初めての手料理なんだ。絶対に吐き出さない」
 ぴたっとあたしの手が止まる。
 あたし、今・・・何を聞いたの?
 頬の辺りが熱くなり、心臓がドキドキいい始めている。
 一方、有原クンもきっとそれで張っていた緊張の糸がぶちんと切れたのだと思う。
 一気に頬を真っ赤に塗られた彼。そして彼の全身も次々現れる小さな赤い点状の膨らみで急速に埋め尽くされて行った。

 日当たり良く、テレビもその気になれば見られる恐らく家中で一番快適な空間、居間。そこへ何故か水とタオルを入れた洗面器を持って行く。
 電灯も点いていない中、真昼間から敷かれた布団の上では、ようやく気分の良くなったらしい有原クンが申し訳無そうに上体を起こしていた。
 半袖から突き出た腕を見る限りじんましんの方もすっかり収まったようだった。取りあえずあたしは胸を撫で下ろす。
「ゴメン、心配かけて」
「・・・」
 何も言わず、タオルを水を逃がしすぎないよう絞って渡した。
 大人しく彼はそれを額に当てていた。
 少なからずしょげているのが、一向にあたしと視線を合わせようとしないところから見て取れた。無様な姿を目撃された上で、まさかあんな形で告白する破目になるとは彼だってきっと思ってなかっただろう。
 一見無視とも取れるあたしの態度によって、その落ち込みぶりがひどくなったように映った。
 けれども、あんな騒ぎの後ではあたしだってどう応対していいか判らなかった。
 互いに掛ける言葉の見つからない時間が続く。
 その時、電話が鳴った。
 出口の無い重苦しい雰囲気から束の間でも抜け出せると、あからさまにホッとした顔で立ち上がってやって来た。
「はい、柊です」
「やっほー、マキ。そっちはどう?」
「え、舞?」
 意外な相手にぽかんと口を開けた。たった数時間前に別れたはずの舞が、一体何の用なんだろう。
「あはっ。マキの事だから、まだ嫌いなものも聞き出せずにぐずぐずしてるんじゃないかなーと思って励ましの電話をね。どう? 少しは例の彼の調査が進んだ?」
「・・・」
 あたしは受話器を耳に当てたまま、台所へと入って行く。3メートル近いコードが付いているので、その気になれば椅子に座っての会話くらい可能だ。
「マキ? どうかしたの?」
 あたしが全く口を開かないので、スピーカーからは舞のちょっとだけびっくりした声が流れた。
「舞、もうやめよう」
 腰を下ろしたあたしは声を落として呟く。ここからならあまり大声を出さない限り、居間で寝ている有原クンの耳に届く事は無い。
 それでもその後も小声であたしは話し続けた。きっと彼に対する罪悪感がそうさせたのだと思う。
「マキ? 本当にどうしちゃったの?」
「やめよう、もういいよ。あたし、自力で何とかするから」
「・・・婚約者の彼と何かあったの?」
 言葉に詰まった。鋭い舞に元より隠し事なんか出来るはずが無い。
 ここで電話を切っても、きっと話すまで何度となく掛けて来る。観念したあたしは、今日起こった事を一部始終伝えた。
 舞はふんふんとあたしの話に相槌を打っていた。しかし、一見考え無しに見える応対の奥で、ちょっとした名探偵なみの頭脳を働かせているから恐い。
「なるほど。マキは素敵な婚約者さんにすっかり身も心もほだされちゃったってワケなんだ。おめでとう、式はいつにする?」
「ほ、ほだされたって・・・あのねー。ちょっとやり過ぎかなと思っただけじゃない」
 居間には有原クンがいるのも忘れ、大声で叫んだ。
「それをほだされてると言うと思うんだけどなぁ。ちょっと辞書でも引いてみようか」
「・・・舞っ」
 いつもながらの彼女の冗談に腹を立てるあたし。
 電話の向こうでひとしきり笑いこけた彼女は急に真剣な口調になって
「ま、あたしとしてはどっちでもいいんだけどね、マキはそれでいいの? 彼の奥さんとしてやって行く覚悟あるの?」
「え」
「ここで彼の思いをどういう形であれ受け入れる事は、この先マキが男の子に戻れるどころか、女の子としての恋さえ他の人としちゃいけない事に繋がっちゃうんだよ。今のマキにそこまでの覚悟あるとはあたし、思えないんだけどな」
「!」
 放たれた言葉がさっきまで使っていた包丁のようにあたしの心に突き刺さる。
 あたしは口をぱくぱく動かす事さえ出来ずにいた。
 舞は一呼吸置いてから、容赦無く続ける。
「もし一時的な感情だけだったら、そんなの、相手の男の子にだって失礼だよ。動物と同じでエサを与えたのなら、最後まで面倒見なきゃ。彼を2重に傷付けるつもり?」
 全く返す言葉が見つからなかった。彼女の言う通りだ。
 だけど、だけど・・・それじゃどうすればいいんだろう。
 どうしたって今のあたしでは男の子の恋人そのものが受け入れられそうもなかった。
 それならとママに反発するって言っても、親掛かりの状態では効果的な反撃なんか望めそうも無かった。だからこそ、舞の提案した計画にも乗ったのだ。
 途方に暮れていると、舞が急に優しい声に変わって
「受け入れられないなら、それでいいじゃない。何も今すぐに答えを出す必要、ないんだからさ」
「・・・舞?」
「マキが男の子だと知っても、態度を変えないでいられる人なんだよね、彼。きっと、マキがこの先どういう答えを出しても、最後は笑って受け入れてくれるよ」
「そうかな」
 半信半疑で答えながらも、内心舞の言った事が正しい気になった。
 会った事も無かったあたしの事をずっと好きだったと言った有原クン。
 もしかしたら、変に遠慮深かったのだって、いつでもあたしの側を離れられるようにする為の彼なりの精一杯努力だったのかもしれない。
「そうそう。だから、マキも答えを急ぐのは止めてさ、もう少しこの状況を楽しんでみたら?」
 あたしは嫌な予感がした。顔も見えない舞の意味深な笑顔が頭に描かれる。
「・・・もしかして、まだ有原クン相手に意地悪しろって言いたいの?」
「意地悪と思わなきゃいいんだって。あくまでスキンシップみたいなもんだから。ス・キ・ン・シップ」
 わざとらしく語句のあちこちで切って発音してみせた後、何度となく耳にした遠慮の無い笑い声がスピーカー越しに広がり始める。このままいくと、またまた舞のペースにはまってしまいそうだ。
 ここらで一旦気を引き締めないと。
「どっちだろうと、あたしはっ」
 あたしとしては随分ビシッと意思表明したつもりだ。
 それをあっさり舞は一蹴する。
「話は最後まで聞かなくちゃ。彼と気まずいままはマキだってイヤなんでしょう?」
 知られたくなかった気持ちをズバリと突かれ、思わず口を噤む。
 自分でも矛盾していると思う。有原クンを婚約者として見られない事が原因となってそういう事態に陥ったのに、彼のしょんぼりした姿を実際見るのは嫌なのだ。
 勿論、これから一つ屋根の下で生活するのだから、仲が悪いよりは仲良しの方がいいに決まっていた。けれど、ホントにそれだけなんだろうか。
「彼の元気が出て、おまけにちょっぴり意地悪も出来ちゃう名案があるんだけどな」
 少しだけ張り巡らせたバリアーにひびが入る。
 ところで、いつから意地悪はおまけになったんだろう。
「・・・そんな手がホントにあるなら嬉しくて仕方ないけどね」
 わざと皮肉めいた口調で言ってのける。彼の落ち込んだ原因の一端が他でもない自分にある以上、あたしの気持ちと彼の気持ち、両方を優先するのは無理だと思う。
「簡単よ。食べ物のいざこざは同じ食べ物で収めるのが一番」
 舞が自信たっぷりにくすくす笑いながら教えてくれた手段、それは聞かされたあたしが受話器を落っことさずに済んだのが不思議なくらいの内容だった。

 連雀通り、午後3時。
 この辺りは雑誌でも取り上げられた事のある美味しい店や、比較的安くて可愛い服屋が多く立ち並んでいた。その為、土曜日の今日も女の子達の姿で賑わっている。
 この市の正式な繁華街は徒歩で30分くらいの別の場所にあるが、規模も家から歩いて5分のここと同程度だし、何より今日はお目当ての店が存在した。
 “ケーキハウス ポンパドゥール”
 掛かっている木彫りの看板からして、手作り感漂う店だ。雰囲気がいいだけではなく、味の方も近隣の住人達の折り紙付きで、あたしも時々は舞達に連れて来られる形で利用していた。
 土曜の午後とあって、店の中は人でいっぱいだ。
『いい? 男の子は大抵甘いものが苦手でしょ? だから女の子ばかりが利用する店で、例えばケーキを食べさせるの。普通は座っているだけでいたたまれなくなるだろうから、効果もそれなりに高いと思う』
 その後で舞は付け加えた。『誤解されなければ、だけどね。もっとも、舞の場合はその方が好都合かもしれないけど』
 電話口では彼女は笑ってばかりでその意味を説明してくれずじまいだった。それが何か、ここに来た途端にあっさり判明した。
 確かに男の子の単純な数は少ない。しかし、その彼らは必ずどれかの女の子とセットになっている。
 そしてペア形成の法則は当然あたしと有原クンにも当てはまる。つまり、傍から見ればあたし達はデート中の中学生カップル以外の何者でもなかった。
 有原クン自身もその事に気付いているらしく、彼氏扱いを受ける事に戸惑ってはいても表情の方はどんよりしていた家を出る前と比べて別人のようだ。
 しかし何か別のものもその中には入り混じっているように思えるのは気のせいなんだろうか。
「・・・何が好都合よ」
 気恥ずかしさとまたもや一杯食わされた怒りで頬を赤く染める。
「いらっしゃいませ」
 女子大生くらいだろうか。オレンジのゴムで縛った髪を尻尾のように揺らしつつ、ウェイトレスの1人が軽快な足取りでやって来た。
「2人ですけど、席ありますか」
 平常心に戻って尋ねる。
 店に入った時からハンサムな連れのお陰であたし達は注目の的だ。彼氏のいない女の子達が寄せてくる羨望の視線と敵意は相変わらずだとしても、取りあえずは早くどこかに身を落ち着けたい。
 しかし
「ごめんなさい。今丁度満席で」
 やっぱり・・・。
 改めて店の中を一望しなくとも、カウンターの側に並べられた椅子、4人掛けあるいは2人掛けのテーブルなど、どれもこれも女の子達で埋まっているのは入って来た時に確認済みだ。
「お待ちになりますか」
「ちょっと考えさせて下さい」
 店を変えてもいいが、この界隈で味と値段でここに勝る所は他に知らない。
 どうしようか・・・。
「すみません。お勘定お願いします」
「あ、はい」
 急いでウェイトレスは声の方を振り向いた。
 20代前半の女性2人が共にバッグを持ってそこに立っていた。
 店の窓際に陣取っていたらしく、埋まっていた筈の席の一角にさっきまでは無かった丁度2人掛けテーブル1個分のスペースが生じていた。
「それではお席の方、ご案内します」
 レジを打ちに行ったままのさっきのウェイトレスの代わりにやって来たのは、あたしと殆ど年齢の変わらなそうな、空色のフレンチスリーブのワンピースを着たおとなしめの女の子だった。さっきの女性もそうだが、店の名前が刺繍で入ったエプロンを前に付けていた。
 彼女に案内され、空いたばかりの窓際へと移動する。
 ここからは商店街の賑わいぶりを部分的だが眺める事が出来た。特殊なガラスか風景全体が微妙にぼやけ、そのせいで自分達が次第に別空間にいるような錯覚に陥る設計になっている。
 ちょっとだけ幻想的な眺めを楽しんでから、やにわにバッグから貴重品だけを取り出して、テーブルの上にこれみよがしに置いた。ケーキを選びに行っている間に別の人が座っていたりしたら、笑い話にもならないからだ。
 有原クンを連れ、カウンター側に設置されているデコレーションケースに寄り付く。
 ミルフィーユやレアチーズ、イチゴショートに変わったものではカステラ生地のケーキまで、定番メニューは割と豊富だった。
 舞達の付き添いで来た普段ならさっさと好きなイチゴショートを頼む所だけど、さすがにあの甘さは男の有原クンには食べづらいと思い、ずらりと並んだケーキをガラス越しにくまなく探って行った。
 数分後。
「どう? 食べたそうなものがあった?」
 頼むものが普段決まっている分、どんなケーキが男の子向けなのか結局良く判らなかった。仕方なく有原クン自身に尋ねたものの、
「うーん・・・どれも美味しそうだよね」
 誘ったあたしに気を使ってくれているらしいが、おかげで態度がはっきりしない。彼は気付いてないみたいだけど、甘いものはちょっとと書いてある顔の方がずっと正直だ。
 黙ってため息を洩らすあたし。彼のそういうところ、今ではあたしも諦め気味だった。
 どうしようか考えていたところ、あの殆ど年の変わらないだろう女の子が別の客の注文らしい茶色のケーキを乗せたトレイを手に通りかかった。
 迷った末に聞く事にする。食べる人が自分で選ぶのがベストとはいえ、有原クンに任せておくと冗談でなくいつ決まるか判断できそうもない。
「男の子でも食べるのに抵抗無いようなケーキってありませんか」
「えーと・・・そうだ! ならスペシャルケーキはいかがですか」
「あ、今日特別メニューの日?」
 聞くなりあたしは顔を綻ばせた。基本的にメニューが一定なここのシェフ兼店長の女性が時々腕を振るって作るちょっと変わったケーキはいつにも増して美味しいと評判で、確実にその日のうちに完売する事で有名だ。
 あまりここに来ないあたしの場合、あり付けた事そのものが初めてだ。
「“夏の予感”と言って、出始めたばかりのグレープフルーツやキウウィフルーツなどを使ってます。さっぱりした味わいですから、男性の方にはお勧めだと思います」
 言われてそのスペシャルケーキをケースの中で探す。見つけたケーキは透明なゼラチンの膜で固められたキウウィフルーツがスポンジケーキの表面に鮮やかなエメラルドの輪を描いていた。
「あ、もちろん女性にも」
 どうやら忘れていたらしい彼女は足らなかった文句を急いで付け足した。
 きっと宣伝は得意じゃないのだろう。調子外れの様子が、かえって味の信憑性を高めてくれた。
 何度もケーキを眺めるうちに食べたくなって来た。
「・・・じゃ、それを3個、後イチゴショートを1個お願いします」
「はい。それでお飲み物の方はどうされますか?」
「あたしは紅茶だけど・・・」
 隣の有原クンの方を見る。
「コーヒーがいい? それとも紅茶?」
「どっちでもいいかなぁ」
「・・・それじゃ紅茶2つで」
「かしこまりました。お茶っぱの指定が無いとダージリンになりますが、構いませんか」
「ええ」
   紅茶は好きだが、普段家で飲んでるのはティーパックだ。当然銘柄にこだわりも無い。
「わかりました。後で一緒にお席の方に持って行きますね」
 おっとりした風からはびっくりするような早足でカウンターの向こうに廻った彼女、あたし達のお目当てのケーキを4切れ、ケースから皿に移し替えている。
「勝手に頼んじゃったけど良かった? 」
 席に戻って来たあたし達。
 どうやらオブジェの役目も果たしているすらりとした花瓶が迎えてくれた。
「ピーマンのような事は無いから、大丈夫」
 夕暮れ近くの日差しがチェック模様のテーブルクロスに柔らかく当たっている。
 にも関わらず、そう言った有原クンの表情にまた幾分、周囲の状況からは不似合いな翳が差していた。
 あたしは思い切って聞いてみる。
「ね、アレルギーを持ってる事、どうして先に伝えてくれなかったの」
 はっきりと顔色が変わった。あたしの目から急速に視線が逸れていく。
「・・・・言わなきゃいけないかな」
「無理にとは言わないけどね」
 知られたくないのは見当が付いていた。そうでなければ看病をする際に話してくれたはずだからだ。
 どうしても今聞いておかなきゃならないと思った。
「・・・その・・・恥だと思ったから」
「恥って・・・食べ物の好き嫌いはしょうがないと思うよ。実際、あたしにだって苦手な物あるし」
「マキちゃんが?」
「何。あたしに嫌いな食べ物があるの、そんなに意外?」
 あたしの場合、海藻系に苦手な物が多い。ワカメや昆布など、有名どころは問題無いものの、サラダにしか使われないような妙に色の濃くてぬめった物になると、見ただけで嫌悪感が湧いた。
「い、いや・・・」
 一旦は不思議そうにあたしを見ていた彼の顔がまたあらぬ方を向いてしまう。
 あたし1人が相手を見つめ続けている状況が何か嫌になり、彼の視線とは別の方角へ顔を背けた。
 そこにケーキが運ばれて来た。
 さっきのウェイトレスがびっくりした目であたし達を見ていた。仲良くケーキを食べに来る2人がいつケンカを始めたのかと思ったらしい。
「ケーキ、来たよ。ここのはおすすめだから食べてみて」
 いつまでもこうしていても仕方が無い。あたしは有原クンに勧めるだけ勧め、自分はスプーンを手に、ケーキの一角を削り取った。
 ただの透明なゼリーだと思ったのは実はグレープフルーツの果汁と果肉をふんだんに絞り込んだものだった。心地良い酸っぱさとスポンジケーキの甘さが、それ程甘くもなく酸っぱくも無いキウウィフルーツを間に挟んで丁度良いバランスを作っていた。
「・・・ホントに美味しいや」
 遅れて手を付けた彼の方も、ケーキの味そのものは気に入ったようだ。最初はおっかなびっくりだったのが、口に運ぶ手付きが次第に自然になって来る。
「うわー、あの男の子、ポイント高い。でも売約済みなんだよね」
「多分ね。向かいの子が彼女でしょ」
「確かに可愛いけど、あのくらい他にもいそうだよね。よし、がんばって奪っちゃおうかな」
 近くのテーブルでは時折こちらの様子を窺がいながら女の子が2人、聞こえよがしに囁き合っていた。
 これだけのルックスだ。彼女と誤解されるような状況に陥った以上、それなりに敵意を浴びせられるのは理解出来た。
 それでも多少は愚痴も口を突いて出る。
「やんなっちゃうな。カップルばかりで」
「・・・やっぱり諦めるしかないのかな」
 女の子達の会話の方へとすっかり注意の逸れていたあたしは有原クンの手の動きが一旦止まっていた事に気付かなかった。
 声に驚いて反射的に視線を戻した時には既に、彼は先程よりもややピッチを上げて黙々とスプーンを動かしていた。
「欲しい?」
「え?」
 彼はびっくりすると同時に何故か顔を赤らめた。
 あたしは下を指差して
「ケーキよ、ケーキ。気に入ったんならもう1個頼むといいよ。ここのはホント、美味しいから」
「あ、ケーキね・・・」
 やがて安心と落胆のどこかない交ぜになった笑みに変わる。
「?」
「た、大した事じゃないよ。その・・・早くここを出なくちゃいけないかなって思ったから」
 不思議そうに見つめるあたしから彼は赤くなっていた顔を背けた。時々ちらちら周りの様子を眺めては、大きくため息を吐いている。
 その様子を見て、彼もカップル扱いを受ける事に抵抗感を感じているのだとあたしは思った。
 暫く思案してから、あたしはウェイトレスの1人を呼んだ。今度やって来たのは店に入って来た時に会った大学生風の女の子の方だ。
 1個は殆どお腹に消えつつあったので、彼女に残りの2個をテイクアウトしたい意思を伝えた。
 皿を持って彼女がカウンターの奥に走って行く。
 有原クンがテーブル越しに呟く。
「ゴメン。別にマキちゃんを急がせるつもりは無かったんだ」
「有原クンのせいじゃないよ。別にここで幾つ食べてもいんだけど、今晩のおかずが入らなくならないようにだけはしなくちゃと思っただけ。せっかくの大ごちそうだし、腕を奮うつもりでいるんだから」
「ふーん、そうなんだ・・・」
 自分には関係ないという様子で外を眺めた。昼の事もあるし、あたしが用意すると聞いてひょっとしたらコンビニでお弁当でも買って来る可能性だって遠慮深い彼の場合あり得た。
 念の為、どういう意味か伝えておく。
「食材だってこれから2人で買いにいくつもりなんだから。今度こそちゃんと好きなものを選んでよね」
「僕が?」
 あたしは首を縦に振った。
「昨日はゴメンね。おわびに今日の晩御飯は有原クンの歓迎会も兼ねているから」
「!」
 有原クンが大きく目を広げ、口がぽかんと開いたままになる。しきりに耳のあちこちを触っていて、自分の耳なのにたった今聞いた内容が信じられない様子だ。
 一方、あたしはといえば、あまりに彼が素直にびっくりした顔を見せたせいか、知らない内に頬が熱を帯びて来ていた。
 確かに勝手に婚約者を用意され、しかもそれが男の子だった事は今でも快くは思っていなかった。当然だと思う。
 しかし、そういう事を除けば決して有原クンは嫌いなタイプじゃなかった。要は出会い方が悪過ぎただけなのだ。


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