F(エフ)

文 West

第1話 Found Out(発覚)

 賑やかな昼休み。
 目の前に置かれた給食のパンを口に運ぶのもそこそこに、ティーン雑誌の占いのページをみんなで囲んで、きゃあきゃあ騒いでいる。
 互いに机をくっ付けあった仲良しグループの中で、真面目に黙々と食事をしているのはあたしだけだ。そのあたしの顔に押し付けられるようにして、占いのページが目の前に現れた。
 こんなのくだらないと思っても、近くにあるとついつい内容に目を通してしまう。
 さて、水瓶座はと。
“愛情運がこれ以上ないというくらいに最高。彼氏のいる人は一層の進展が、いない人はほぼ理想に近い人との出会いあり。金運は引き続き悪く、お金を落とさないよう注意”
 バサッと投げるように本を置いた。
 ・・・見るんじゃなかった。
 自分のつまらない好奇心にちょっぴり後悔したあたし、再び黒パンをかじろうとして複数の意味ありげな視線に気付く。
 みんなにやにや笑っている。
「マキ、良かったね〜」
「・・・なにが?」
 彼女達の胸の内は読めているけど、惚けて聞き返した。
「彼氏よ。運命の出会いがあるって」
「理想の間違いでしょ」
 あたしはプリンを口の中に入れた。冷たいふよふよとした塊が喉を滑り落ちて行く。
 うーん、美味しい。
 見ればまともにデザートまで到達したのはあたし一人だ。ひどい子になるとまだパンにマーガリンすら塗ってなかった。
 けど、考えてみればいつもそうだから、塗らないのが彼女の好みなんだろう。
「どっちだっていいじゃん。どんな人か紹介してね」
「まだ、出会ってもいないのに? 大体こんなの当たんないよ」
 あたしは占い師のプロフィール欄を眺めた。12年前の6月に旅行先のバチカン市国で突如占いの才能に目覚めたって? いかにもわざとらしい。
 占い自体もそうだけれど、こんな怪しげなプロフィールを面白がって乗せる編集部も充分問題だと思う。
「けどさー、これ結構当たるって評判なんだよ」
 本の持ち主の舞が色の白い頬を風船のように膨らませて、頑固に主張する。
 当たると言う評判を耳にしただけで、いつもは読まない本をコンビニで買って来たと言った。この事からも判るように、舞ときたらかなりのミーハーだ。
 ただ、あたしが舞に腹を立てたのはこんなくだらない占いを紹介した事だけが理由じゃない。あたしに、運命だの、理想だの、そんなのあり得ない事を知っている唯一の存在が彼女だからだ。。
 あたしは舞をきつく睨んでやった。神経が鉄パイプのように図太く出来ている彼女はもちろんこんな事ぐらいでこたえやしない。
 プリンを食べ終えたあたしは、全部空になった容器をトレイで運ぶことで、無理やりこの話題から逃げ出す事に決めた。
 あたしは幸運な事にまだその時は気付いていなかった。占いどおり今週が人生の中で最高の愛情運、言いかえれば人生最大の不幸の始まりだって事に。

 5時間目は体育だった。
 半そでの運動用シャツに袖を通したあたしは、動きやすさを試すように2、3回両手を振った。隣の子がびっくりして体を横に逸らすのを見て、ゴメンと明るく謝る。
 思いっきり腕を動かすにはブラが少し邪魔だけど、これは胸がある以上どうしようもない。
 横で着替えていた舞がふと振り向いた。視線の先にあたしの胸がある。
「マキ」
「ん?」
「大きくなったね」
「・・・邪魔だけどね」
 ここ数ヶ月で胸はAの75まで急成長を遂げた。真っ平らだった頃は何も付けずに走りまわっていられ、あたしにとってはその方が都合が良かったのだけれど、周りの子達は何故かやたらに自分自身の大きさを気にするようになった。
 ジャージのズボンに適度に日焼けした足を通す。ママに聞いた話ではこの学校も前は単に男の子達を喜ばせるだけのブルマーが義務付けられていたらしい。
 パープルを基調とした中にすっと白っぽい緑のラインが入ったデザインはどこかのスポーツクラブのような雰囲気を思わせ、生徒間での評判は良い。
 着替え終わった子達からそれぞれ仲良しずつの小人数の塊となって更衣室を飛び出して行く。あたしも早く運動場で飛びまわりたいのだけど、残念ながら友人達の準備の方がまだのようだ。
 その一人の理紅がまだ下着姿のままで近寄ってきた。
「マキって体育の時はホント、生き生きしてるね」
「そりゃ、そうだよ。ガンガンアタック打ちまくるから、ボールよろしく」
 あたしは片腕を曲げてガッツポーズを作って見せた。
 今までは練習ばかりだったバレーボールだけど、今日からやっと試合になる。しかもなるべく男女の分け隔てをしないという校長先生の方針に基づき、男女混成らしい。
 女子ばかりでもそれはそれで楽しいけれど、こっちが手加減をしなきゃならない分少しイライラも溜まる。
 あたし、柊真木。南森中学の1年で、断然得意科目は体育。
 でも他の科目も別に苦手と言う訳ではなくて、単に体育ほど夢中になれない、それだけだったりする。
 成績は自分で言うのもなんだけど、かなり上の方だ。だからテスト前になると仲の良い子達が大挙してノートを覗きに来る。問題の解き方を聞かれるのだって珍しくない。
 友達の間での評判はズバリ“殆ど悩みのない楽観的でサバサバした性格”。良く男子に話しかけられるけど、性格と、身長が高めな事もあって恋愛対象とはあまり見られないタイプだ。
 ただ、悩みが無いというのだけはちょっと幾ら何でもひどいものがある。あたしにだって人には話せない重大な悩み事ぐらいあるのだ。
「マキ、終わったよぉ」
 すっかり運動できる服装に変わった理紅があたしの袖を掴んで、そして引っ張った。
 舞と3人で運動場に出る。そこでは男子達がめいめいボール入れからボールを取り出して、残り僅かな休み時間をパスやサーブの練習がてら遊んでいた。
 そのうちの一人があたしの姿を見付けて近付いてくる。背の高さはあたしよりちょっと高いくらいなものの、体付きは向こうの方がずっとがっしりしていた。
 藤川恵介。あたしは単に“恵介”と呼んでいる。
「よ、マキ。今日も女らしからぬ殺人スパイクに期待してるからな」
 恵介はにやりと笑った。彼とは小学校以来の遊び友達だ。
 あたしも「まかせて」と笑みを返す。
「藤川クン、そういう事ばかり言うからマキにもてなくなっちゃうのよ」
「な」
「ば、ばか!」
 恵介とあたしは同時に顔を引きつらせた。二人して急に会話に割り込んできた舞を睨む。
「あれ? 違った?」
 舞はそら惚けるようなにこにこ顔であたし達の慌て振りを楽しんでいた。
「当たり前だろ! 何でこんな色気が無いやつ・・・」
 恵介は頬を赤らめていた。きっと舞のタチの悪い冗談に怒っているんだろう。
「そうだよ。あたし達の間にあるのはれっきとした友情なんだから」
「・・・だよな」
 恵介の声のトーンが急に下がった。何故だか下を向いている。
 その理由が舞には見当が付くらしく、落ち込んだように見える恵介の様子を見てはくすくす笑っている。
 リンゴーン。始業を告げる鐘の音が校庭にも鳴り響いた。
「ほらっ、そこの3人! 喋ってないで早く集合しろ!」
 体育の米田先生の怒号が聞こえた。
 慌てて出来ている列に混じったあたしは、苦手な会話から解放された事でホッとしていた。
 あたしは男の子と恋をする気は無い。イコール、恵介はあたしの友人というだけで、恋愛対象とはならない。言ってしまえば、ただそれだけの事なんだけど。

「行けー。マッチポイントだっ」
 理紅の後ろを振り向いてまでの声援に、頷いたあたしは軽くボールを垂直に投げ上げていた。ほぼ落ち始めに近いタイミングで、投げ上げたのとは反対側の掌がボールの後ろを叩いた。
 白い流れるような筋がネットを越えて、相手のコートに突き刺さる。側には必死で飛び付こうとした相手チームの選手が転がっていた。
 笛と共に審判の手が高々と上がった。
 第2セットの得点は15対10。これで1セット目に続いて2セット目も続けて取った事になるから、文句無くあたし達の勝ちだ。
「あいつ、絶対、女じゃねぇよ」
 ネットの向こう側でこっそりと囁き合うのが聞こえた。あたしは気付かない振りをする。
 彼らの言っている事は実は当たっていた。その事を教えてやる気はこれっぽっちも無かったけれど。
 何せあたし、体力的には男のコなのだ。
 何故か性別に関しては頑固なママに“女”として育てられたせいで、本来男の子だったはずのあたしは今もこうして女の子をやっている。その事を知っているのは学校では舞だけだ。
 家では“金を出さない者は口を出す権利も無い”という、世間一般からみれば正常か異常か判らないような家訓が堂々とまかり通っていた。これは当然子供の性別についても当てはまるというのがママの主張で、親がかりの今はダメでも、一人で生活が出来るようになったら元の性に戻るとあたしは固く心に決めていた。
 あたしの通っていた幼稚園は、ママがそういう所を選んだのだろうけど、水は幼児にとっては結構危険と考えられていて、プールなどが全く無かった。そのせいもあって、小学校入学まで自分が男の子だって事も知らずにいた。
 生まれた時からあまり意識せずに女の子していれば、言葉使いや仕草は自然に女の方へ近付いてしまいがちになる。今のあたしはまさにそうだ。
 女としての生活が長い分、すぐに男の子らしさを取り戻すのはさすがに無理かもしれない。
 ただ、あたしの女の子らしさ自体、現在の環境に長くいた事によって身に付いたものだ。楽観的かもしれないけど、男の子の生活に戻りきってしまえばそういったものもいずれは何とかなるんじゃないんだろうか。
 いずれにせよ、戻るまでの間は女の子としての世間の常識に縛られる事になる。その場合でもスポーツなら思うままに駆け回っても周囲に何も言われずに済む、それがあたしは好きだった。
「マキ、本当にバレー部には入らないの?」
 相手チームだった佐奈が残念そうに聞いてきた。あたしは「まぁね」と返事をした。
 本当は何かスポーツをやりたかったのだけど、結局一つに絞り込めず今に至っている。男のあたしが女子の試合に出るのは何だかフェアじゃない気がして、その意味でも気乗りがしなかった。
 まあ、特訓に次ぐ特訓で腕を極めて全国大会などに出ようという気なんかさらさら無いし、今のあたしの場合体を動かす事で悩みを忘れている要素の方が大きいから、純粋にスポーツを楽しむのは男の子に戻ってからだって充分間に合うには違いないのだ。

 放課後を迎えるや否や、あたしは帰り支度を始めた。それを見ていた理紅が
「大変だね、マキも。今日ってお母さんのテストの日だっけ?」
「ううん。今日からママのお友達の息子さんが家に来るんだって。迷うと行けないから駅まで迎えに行くの」
 まるで花嫁修業か何かのように、ママはまだ小学校の低学年だったあたしに無理やり炊事や洗濯、裁縫などを仕込んだ。
 家庭科では必ず先生に誉められるようになり、一応満足の行く段階に達したと思うのだけど、今でも月に1、2回、ママは変な課題を出してはあたしの技量をテストする。
 理紅や舞達もテストの存在を知っていて、その都度今度はどういう内容だったかと根掘り葉掘り聞いた。
「さて、こんなところかな」
 バッグの中には教科書、筆記用具、ちょっとした化粧品やクシ、それにソーイングセットが入っていた。
 あたし自身は特にメークには興味ない。ただ、こうやって何か化粧品を持ち歩いておかないとママに見つかった時がうるさかった。ソーイングセットについては言うまでもない。
 教室の後ろの方で、男子が一人、何か小さいものを手に持ってきょろきょろ辺りを見回し出した。
 小声で側の女の子に聞く。
「針と糸持ってない?」
 制服をやたらに気にしている。見れば胸のボタンが一つ、なくなっていた。
 あわよくばついでに縫ってもらおうと声を掛けたらしい彼は、持ってないという彼女のにべもない答えにがっくりと肩を落とす。
 一部始終を眺めていた舞があたしの背中を小突いた。
「マキ、助けてあげなよ」
「・・・しょうがないなァ」
 あたしは一旦整理を終えたバッグからソーイングセットを取り出した。
「木内クン」
 取れたボタンに目をやったまま困り顔の男子を呼ぶ。
 思わぬ相手からの声に、彼がびっくりした様子で振り向いた。
 あたしは自前のソーイングセットが遠くの彼に見えるよう、ちょっとだけ高めに掲げて見せた。
「貸して。縫ってあげるから」
「ええ、柊がぁ?」
 一層目を丸くする。男の子のこういった反応はあたしの場合珍しくなんかなく、当然いちいち訂正して回るつもりもない。
「・・・これを借りたいだけなら、それでもあたしは構わないけど」
 何だか面倒くさくなって立ち上がりかけた。彼のボタンを付けるのが自分だろうと、それとも他の人だろうとあたしからすればどうでもいい事だ。
「はい、これ。明日返してくれればいいから」
 ママに無理やり買わされた最近流行りのキャラクターもののソーイングセットを半ば押し付けるようにして、教室を早足で出て行こうとする。
 あたしと小学校が同じなぎさが慌てて木内クンに耳打ちした。近かったせいであたしの耳にも届いた。
「木内のバカ。早くマキにやってもらいなよ。彼女うまいんだから」
 なおも迷った様子の彼が、しばらくしておずおずとブレザーを差し出して来た。
 あたしは奪うようにしてそれを受け取ると、てきぱきと針と黒い糸を取り出した。
 糸を適当な長さに切って、右指を使って留めを作る。後は針ごと糸をボタンの穴に通しつつ、生地の裏表で何回か往復させるだけの作業だ。
 最後に今まで縫った糸の周りをくるくる巻くように針を動かし、再び作った結び目を今度は生地に食い込ませるように留めてやった。
 糸を切ろうとした時。
「お前、意外とこういうの得意なんだな」
「それはどうも」
 木内クンがあたしの慣れた手つきを大きく目を見開いてしげしげと眺めていた。
 まぁ、男の子達にとっては体育の時一緒になって暴れるあたしの姿の方が印象的だろうから、こういうあたしを見れば戸惑うのだって無理も無い。
「知らなかった? 彼女、小さい頃からずっとお母さんに特訓されてるのよ」
 横合いから舞が何故か得意げに口を出した。そして「ね」とあたしに笑いかけて来る。 あたしは黙って糸を切った。
「はい、終わったよ」
「あ、ああ、サンキュー」
 しどろもどろになって木内クンが服を受け取った。ボタンの付け具合を彼は指で弄ぶように確かめている。
 さてと、長居は無用だ。
 今日は用もあるし、再び通学用バッグに手を伸ばすと、教室の外に向かって歩き出そうとする。
「柊、俺の時も頼んじゃっていいかな?」
 不意に別の男の子から声を掛けられた。
「・・・別に構わないけど」
「あ、俺も。いいよな?」
「はいはい、何でもお申し付け下さい」
 このままだとクラス中の男子からお願い事の予告を聞かされる羽目になりそうだ。
 急いで教室を出る事にした。
 背中の方で話し声が聞こえた。声からして木内クンだ。
「思ったより女らしいんだな、アイツ」
「・・・」
 こういう評価を耳にする事になると予想したから、いまいち手を差し伸べるのが気乗りしなかったのだ。
 あたしは彼等の方へは振り返らずに、廊下を建物の出口に向かって歩き出した。

 駅。
 時折、改札口の向こうの電光掲示板の文字が回転し、この先の電車の発車予定を変更する。
 男の子がやって来るまでそう長い時間ではないだろうけど、さすがに改札口のすぐ前でじっと待っていると結構目だってしまう。
 あたしは公立中学らしく何の変哲も工夫無いセーラー服で改札口から少し離れた所にある柱の側に立ち、そこから利用客の出入りを眺めていた。
「そろそろかな」
 腕の時計と掲示板の横の両方で確認した。少し前から掲示板の一番上の段にママから聞いた時刻と行き先が表示されていた。
 ここからじゃ見えないけど、薄い青の電車がもうすぐホームに幾らかの客を乗せて到着するはずだ。
 じきに掲示板の文字がくるくる回り出す。
 バッグに入れておいたポーチから写真を取り出した。
 髪も何も染めてない、同じ年の男の子が四角い枠の中で微笑んでいた。
 それと見比べながら、出てくるお客を一人一人観察して行く。
 まだ会社が終業の鐘を告げるには早く、まばらな客は電車通学の高校生の男の子や女の子達が殆どだ。
 やがて、それらしい男の子が階段を大きなバッグを抱えて昇って来た。
 もう一度写真で確かめる。
「どうやらあの人みたい」
 改札口を出た彼は荷物を一旦下ろし、向こうも写真を手にきょろきょろ辺りを見回していた。
 大荷物を持って、写真を見ながら誰かを探している様子の男の子なんてここには何人もいないだろう。あたしはゆっくり彼に近付いて行った。
 人影に気付いた彼の視線が不安と期待の両方に揺れ、こちらを向いたままになる。
「有原伊吹さん?」
 あたしはこの街の雰囲気に不慣れな彼を安心させるよう、朗らかに笑いかけた。
「あのう、柊真木です。有原伊吹さんですよね」
「・・・真木ちゃん?」
 ようやく声の出た彼はあたしの顔ばかり眺めていた。念を入れる性格なのか、持って来た写真とまだ比較している。
 その写真を見てあたしは相手の素性に確信を持った。そこには家の庭で飼い猫と戯れるあたし自身が写っていた。
「家に電話をして来ます。ここで待っていて下さい」
 着いたと連絡しだいママが来てくれる事になっている。
 何とか歩いて帰れない距離ではないのだが、さすがに遠方から来た人間をさらに疲れさせるような真似は2人ともしたくなかった。
 電話を掛けてから、駅前のロータリーに彼を連れ出した。
 ママを待っている間、タクシーや他の学生の迎えの自動車が前を通り過ぎて行く。
 車の用意に多少の時間が掛かったのか、15分後にママはお気に入りの軽自動車にのって現れた。
 ターボとかいうものが付いているから、ママの話では下手な4輪自動車並みの値段がしたという。ドアも全体が小さいのに立派な4ドアだ。
「疲れたでしょう、伊吹くん。さ、乗って乗って」
 運転席からママが長旅のねぎらいの言葉を掛けた後、しきりに乗車を促した。
 有原クンの席は後ろだ。助手席に乗せるよりはずっと安全だからというのがその理由らしい。
 何故かママの指示であたしも彼の隣に並べられる。
 持って来た大きなバッグを有原クンは座席の後ろに置いた。
 ロータリーを回りつつ、車は駅前の変わったばかりの赤信号に近付いていく。
「伊吹くんのいた所程にはここは賑やかじゃないけど、慣れれば結構住み易いのよ」
 運転中のママが前を向いたままで話しかけて来た。
「ええ。落ち着いていて、いい街ですね」
「そう? そう言ってもらえると、この街に住む者として鼻が高いわね」
 ママは顔を見なくてもわかるくらい上機嫌になった。それからいたずらっぽく聞いて来る。
「どう? マキの事は気に入った?」
 有原クンが赤くなると共に急に顔を引きつらせた。
 聞き取りにくいぐらいの声で言う。
「あの、その・・・すごく可愛いと」
「・・・どういうこと?」
 前触れも無く自分の名前が出た事であたしは2人の会話に割り込んだ。
 やがて信号が青になる。
「詳しい話は着いてから。それまでは彼の住んでた所の話でも聞いてなさい」
「なにそれ」
 はぐらかされたような気持ちになり、口調が少し尖った。
 そんなあたしの不満をよそに、夕暮れを迎えつつある風景の中を車は進み始めた。

 住んでた所と言われても、賑やかというから結構ビルが多い場所なんだろうって事ぐらいしか見当が付かない。
 しばらく黙ったままの2人。静かになった車内に安定したエンジン音が耐えず響いた。
 外ではさっきから建物の並びが後ろにスライドしている。
 有原クンの視線は前方かあたしとは反対側の横にある。頬もまださっきの照れが残っているように薄っすらと赤いままだ。
 全体に四角い洋風2階建ての建物の前で車は止まった。
「さ、ここよ」
 ママが片手はハンドルを握ったまま、もう一方で家を指差した。
 あたしの次に降りた有原クンが丁寧に頭を下げた。
「じゃ、これからお世話になります」
 結局家に着くまであたし達の沈黙は続いた事になる。
 あたしは素早く後ろに回って荷物を取り出す為に扉を開ける。
「あ、すみません。それ僕が」
 有原クンが慌てた声を上げる。
 構わずに大きさの割に軽いバッグをあたしは持って
「お客さんでしょ。いいから、中に入ってて」
 抱えている荷物ごと彼を玄関に押し込んだ。
 既に彼の入るべき2階は昨日のうちに掃除が済ませてあった。
 ベッドと机以外は何もない殺風景な部屋に荷物を置いて来る。
 今度はリズムよく階段を下りかけた時、階下からママの声が聞こえた。
「親の私の口から言うのもなんだけど、可愛くていい子に育ったでしょ」
 聞き耳を立てたあたしの足の動きが階段の丁度手前で止まる。
「は、はい。でも、素敵な人だし彼氏とか」
 有原クンは彼と会った時にも見せたか細い声で言った。どうやら照れた時の彼の特徴らしい。
「フィアンセが何弱気な事言ってんの。するなら別の心配しなさい」
 ころころとよく笑うママの気配がここまで伝わって来た。
 まだ事態がよく飲み込めないながらも、急いで1階に向かって駆け下りる。
「あら、マキ。どうかした?」
 見ていて憎たらしさを感じるくらいママにはちっとも悪びれた様子が無く、息の荒いあたしを出迎えてもにこやかな笑顔が貼りついたままだった。
「フィアンセってどういうこと?」
 声にみるみる鋭い刺が生えた。
 ママの穏やかだった表情にようやく変化が現れる。叱る時のように幾分眉を顰め気味にして
「・・・マキ、盗み聞きはよくない癖よ」
「人が階段にいる時にあんな話されれば嫌でも聞こえるわよ。それよりどうなってるのかちゃんと説明して!」
 フィアンセ。車に乗っていた時にママと有原クンとの間で交わされた意味深な会話はこの事が原因だったのだ。
 今度こそ絶対にはぐらかされるもんかと、真正面からママに噛みつくあたし。
 ため息と共に観念した様子でママが攻めてくる作戦を変える。
「気に入らない? 未晶(みあき)の話だと、彼、前の学校でもすごく人気があったんだって。きっとマキ、他の子達から随分と羨ましがられるわよ」
 未晶というのは彼のお母さんの名前らしい。
 そして何故か自分の若い頃の話になる。何人もの男の子からお付き合いを申し込まれたものだとかなんとか。その中にも彼のような男の子は少なかったとママが呟いた。
 あくまでしれっとした顔のママにあたしは怒りで手が震えた。
「・・・どんな人だろうと同じよ」
 確かにハンサムだし性格だっていいみたいだ。勉強や運動の方はまだ知らないけど、そんな言い方をするくらいだから、出来がいいのは間違い無いんだろう。
 けど、問題はそんな所にない。
「忘れたの? あたし、これでも男の子なんだからぁっ」
 ついに大爆発を起こす。
「えっ?」
 思いがけない暴露の瞬間、有原クンの口がしまりなく大きく開けられた。
 ショックを受けた様子の彼が少し気にはなったけど、この場合いつの間にか男の子の婚約者が用意されていると知った自分自身の怒りの方がずっと大きい。
 気付いた時には夢中で家を飛び出していた。

 15分後、一旦呼吸を落ち付けておいてから仲良しの舞の家の呼び鈴を鳴らした。但しふつふつと込み上げて来る怒りはそのままだ。
「どなた?」
 聞き慣れた舞のお母さんの優しい声が門柱にある白いインターホンのスピーカーから流れ出す。
「柊真木です。あのう、おばさま。今晩泊めさせて頂いてもいいですか」
「えっ」
 息を飲んだような気配がここまで伝わってきた。思いつめた声と口調にただならぬものを感じたのだと思う。
「ちょっと待って」
 インタホーンが黙りこくってしまってからすぐに、玄関が開けられた。
 エプロン姿のおばさまが心配するような顔でそこに立っていた。
「マキちゃん、おうちで何かあったの?」
「実はママと喧嘩したんです」
 単刀直入に告げた。思い出すだけで、怒りが湧いて来た。
 遊びには度々やって来ても、こういう用で訪れた事は無かったんじゃないだろうか。
 聞いたおばさんが目を丸くする。
「マキちゃんが? 珍しいわね」
「・・・」
 あたしはどう口にしたらいいか判らずに下を向いていた。
 多少は落ち着きを取り戻してみると、勝手に決められた婚約者の事で家出をして来たという事実は思った以上に告げにくかった。
 下手をすれば優しいおばさまのこと、あたしの家に抗議の電話をするか、乗り込んでしまう可能性だってあるのだ。
「取りあえず舞を呼んでくるわね」
 しばらく俯いたままでいると、おばさんは2階に上がって行った。
 じきに舞を連れて再び玄関に現れた。
「それじゃ、お夕飯マキちゃんの分も用意しておくから。それまで2人で遊んでらっしゃい」
 それだけ言うとおばさんはスリッパの音を立てて奥にある台所へと消えた。
 あたしは礼を言って、舞と2人で彼女の部屋に上がり込んだ。

 部屋へ入るなり舞の厳しい追及に襲われた。
 いきなり転がり込んでおいて、その上隠し事なんかしようものなら追い出されても文句は言えない。仕方なく、今日から家に来る事になっていた男の子は実は自分の婚約者で、その件でママと喧嘩になった事を告げた。
 舞は得意そうに
「ほらぁ。あの占い良く当たるでしょ?」
「わかった。わかったから今夜一晩だけ泊めてくれる?」
 それでも舞は質問するのを止めずに
「婚約者ってハンサム? 格好いい?」
「・・・だから、そういう問題じゃないんだって」
 あたしは彼女の行動に腹立ちと頭痛の両方を感じていた。
 気付いたらここに来ていたけど、もしかしたら間違った選択だったろうか。
 けれど、舞はこう見えて相談相手としては結構頼れる存在なのだ。
「ハンサムかどうかぐらい教えてよ」
 好奇心旺盛なだけあって舞はしきりに食い下がった。言わない限りいつまでもこのままのようだ。
 おばさまが注いでおいてくれたグレープフルーツジュースにあたしは手を伸ばし
「顔はかなりいいと思う。性格はちょっと暗いというか大人しそうな感じがするけど人は良さそうだし、ママの話だとすっごくもてるんだって」
「そんな人が婚約者なんだ。いいなー」
 純粋に羨ましがっているように見える。
 同年代の他の女の子達は随分男の子の品定めをしてるようだけど、あどけない感じの彼女も素敵な恋人とやらを内心欲しがっているんだろうか。
「でも、あたしの場合・・・判るでしょ」
「それもそうか。まだマキ、手術済ませてないもの。彼氏と深く付き合うのは難しいよね」
 ブッ。あたしの口から飛び出た透明な液体がそこらに散らばった。
「しゅ、手術ぅ?」
 嫌な響きだった。確かにあたしはホルモンとかいう薬のせいで胸もヒップもあるけど、完全な性転換となると別物だ。
 ショックで手の力が抜け、気をつけていないと肝心のコップまで滑り落ちそうだ。
 対する彼女は何を驚いているのという平然とした顔で
「おばさんそのつもりなんでしょ? マキの場合、戸籍だって女だし」
「でも、自分で稼げるようになったら好きにしていいって」
「マキが戻るって自分で勝手に決めてるだけじゃない」
「そ、そうだけど・・・」
 急に返答に詰まった。
 言われて見ればママは“稼ぎのないうちは口出しする権利無し”と繰り返しているだけで、戻っていいなどという事は一言も洩らしていない。
「仮に許しが出たとしても、それって多分大学生とかになってからでしょ。それまでに下取られちゃってたら、どうするの?」
 怖い事をさらっと口にする。
 楽天家なせいで今まで考えてもみなかった不吉な可能性の示唆に、あたしはどう対応していいか見当が付かずにいた。
 全く親掛かりにならずに暮らせる日が来るとしたら、舞の言う通りそれが高校生以下って事はないと思う。
 中学2年か3年生の夏休みを使って手術を終わらせたいとママは事あるごとに口にしていた。
 今まで冗談だとばかり思ってたけど、今回のような事があるとそれも怪しくなる。
 多分ママはあたしを有原クンのお嫁さんにする為にご丁寧に戸籍まで用意して女として育てたのだろう。
 嫌な想像が頭から離れてくれず、うまく言葉が出なかった。
 舞が2人のお気に入りである対戦格闘ゲームのCDをゲーム機に入れて笑う。
「そういう気分の時はこれ。1Pの方やらせてあげるから」

「今日はとても遊ぶ気になんてなれないんだけど・・・」
 そう言いつつも手が渡されたコントローラのボタンを勝手に押していた。
 あたしの上段への蹴りが決まるより早く、舞は後ろに下がる。
 急いで間合いを詰めにかかった瞬間、彼女の、正確には操作しているキャラの手が紫に光り出す。
 スティックを動かしたが間に合わない。
 大ダメージの後、立て続けの攻撃を食らって、あたしのキャラが大袈裟にダウンした。
 K.O.。耳に響き渡る悲鳴の後、画面に大きく文字が現れた。
 彼女の操っていたキャラが得意げなポーズをプレイヤーに向かって披露する。
「負けたぁ。なんで?」
 舞とやるといつもこうだ。途中まで勝っていても、終わりの方で必ず急激に体力ゲージを減らされてしまう。
「マキは大技に頼り過ぎ。読んでたらそうそう決まるもんじゃないんだから、あんなの」
 20以上もあるキャラの中からもう少しあたしに対するハンデとなるようなタイプを選択画面で探す舞。
 確かにあたしへのアドバイス通り彼女は大技を濫用しない。しかし小技から小技への連繋が彼女は異様にうまく、ちょっと隙を見せた途端待っていたような連続した攻撃が相手を襲う。
 今度の彼女の分身となるのは力はあるがスピードに欠けるタイプだ。
「大技は小技にからめて使うものなの。一生を女で送るつもりならいいけど、おばさんに勝とうと思うんでしょ? だったら、ゲームでなくてもそれなりの駆け引きは必要じゃない?」
「好き勝手言ってくれちゃって。見てなさい、あたしだって考えた攻撃が出来ないわけじゃないんだから」
 現実だったらどちらが命を落としているような激しい闘いがスタートボタン一つで再開された。
 バシッ。開始早々彼女のし掛けて来たパンチ攻撃をすかさず上段防御で防いだ。
 お返しにスティックをいつもとは逆の下へ動かしつつ、2つあるキックボタンを同時に押した。
 キャラクタが腕だけを支えにして、扇風機のように回転しつつ、鎌で草を刈り取るように足ごと敵をなぎ倒しにかかる。
 そのあたしの“旋風脚”を途中で見抜いて避けようと舞は後ろにジャンプする。
 だが空中に上がりきる前に攻撃がかすった。操作しているキャラの動きが鈍く、そのせいでタイミングが微妙に狂ったらしい。
 彼女のキャラが痛さで怯んでいるところを、素早さを生かし、懐に飛び込んで殴りにかかる。
 スピードの差というのはこのゲームでは結構重要で、彼女に防御されたもののその前に数発がダメージとしていき、やがて彼女のキャラがダウンした。
 あたしは舞のキャラの側にと近付いて行って、起き上がって来るのを待つ。
 一瞬回復しかけたように見えたが、どうやら見間違いのようだ。
 相手キャラの起きあがりばなを叩くというのはこの手のゲームでは常識だ。
 しばらくして今度こそ倒れている足が上下に揺らすようにはっきりと動いた。
「もらった!」
 狙って放った下蹴り。信じられない事に軽く起きあがったばかりの彼女の蹴りで受け止められる。
 不可能ではないけど、随分タイミングは難しいはずなのに。
 プレイヤーのあたしの動揺が当然キャラにも伝染し、防御の方がかなり甘くなった。
 生じた僅かな隙を見逃してくれる程舞の腕は甘くはなく、接近しての首折り締めが決まった。
 決まりにくい分攻撃力だけは高い大技に体力が見る間に減って行く。今度は反対にこっちがダウンしてしまった。
 後は完全に舞の独り舞台だった。
 KANPEI WIN!
「あーあ。悔しいなぁ」
 あたしはテーブルの上に持っていたコントローラを放り出した。そしてその横に並べられたお菓子の方へと興味の対象を移す。
 敵に逃げられた舞は現在はコンピュータとの対戦を設定中だ。
「ゲームで負けたから? それとも、おばさんに逆らう手段が見つからないから?」
「その両方。そりゃあ思考回路が単純なのも嫌は嫌だけど」
 不機嫌のまま、イチゴの入ったクッキーを一口齧る。
「でも、それ以上に悔しいのが住む所もお金も手にいれられない今のあたしかな。ママやパパの助けがなかったら1日だって生きていけないんだもの」
 舞とコンピュータとの対戦はもう始まっていた。
 見てるとコンピュータ側はポンポン技が飛び出していた。難しい操作を無理やり行った事にしてしまうのだから当然ではあるけれど、いつも入力に苦労するあたしはちょっぴり羨ましくなる。
 舞は強そうな技を繰り出すコンピュータの攻撃をたくみにかわし、あるいは受け止め、得意の小技で確実に相手の体力を削って行った。
 そして相手が舞の攻撃パターンを絞れ切れないままゲージが充分減った所で、ダウンの可能な技を仕掛けた。
 キャラが一旦転がってしまえば、もう舞の勝ちは決まったようなものだ。
 そんな事が計3回繰り返された。
「YOU WIN!」
 高らかに舞の勝利が宣言される。コンピュータは最強モードのはずだが、それでも彼女は一向に歯牙にかける様子が無かった。
「さすがだね、舞」
 あたしは心底感心した。この状態のコンピュータと対戦した経験があたしにもあるから、今の彼女の腕がどの程度のものかよく理解できた。
 勝った舞がどうしてか急にゲームを中断してあたしの方を振り向いた。
「ね、マキ。派手な大技でなくてもいいならおばさんの計画を崩す方法があるよ」
 彼女のじっと見つめる瞳は冗談や嘘を言ってるようには見えなかった。
「・・・そんな便利な方法があるならぜひ聞かせて欲しいけどね」
 気乗りしない声で先を促した。
 半信半疑、いや7割近くを疑ってかかっていた。
 全ての問題は“働かざる者、一切の意見を口にするべからず”という絶対の柊家家訓にある。ママの後ろ盾としてそれが付いている限り、あたしの望む日々はやって来ないと思える。
 多少は話が長引くと思ったのか、一旦自分のコントローラを舞がテーブルに置く。それから名案とやらを告げた。
「復讐するの」
「誰に?」
「おばさんに・・・と言いたいけど、まあマキには無理でしょ」
「だったら、そういう言い方もやめてくれる? 心臓に悪いから」
 ママに、と言われた瞬間、ショックで胸の元気だった鼓動が止まりかけた。
 あたしの見せる過剰な反応が面白くて、わざとドッキリさせるような表現を悪戯好きの彼女は選んだんじゃないかと思える。
 まだドキドキ言っている胸をさすりつつ、憎たらしいぐらいに落ち着いている舞に向け怖い顔を作る。
「ホント、マキって見てて飽きないよね」
 茶目っ気でいっぱいの瞳がちょっとの間あたしを見つめたかと思うと、遠慮無くキャハハと笑う。
 からかわれた事に怒りと恥ずかしさの両方を感じていたけれど、どちらも極力顔には出さないようにする。
 ここで下手に噛みつけば、かえって彼女のおもちゃにされ続けるのは間違い無いところだ。
「・・・で、復讐の具体的な相手はこの場合誰なの?」
 ようやく笑い終えた舞が微笑に変わって
「新しく来た彼」
「え?」
「だから、婚約者の彼、伊吹クンだっけ? 彼に嫌がらせするの」
 彼女は至って真剣だ。
 自信を持って断言する少し童顔の入った顔立ちをあたしはしげしげと眺めた。
 少し視線が冷たい。
「そんな事して何になるの?」
「婚約を解消させるの。元々マキが女として育てられたのだって、彼と結婚する事が決められていたからでしょ」
「そんなんでいいの? それなら簡単じゃない」
「どうしてぇ?」
 舞が腑に落ちない様子で次の言葉を待っている。
「だって有原クンはあたしの性別を知ったんでしょ? 普通の男の子なら間違い無く結婚なんてしたくなくなるもの」
「・・・そう言うだろうと思った。それで済むならマキ、今頃戸籍まで女になってないよ」
 傍目にもそうとわかるぐらい大きくため息を付いて見せた舞は、それから呆れ顔であたしを見た。
「いい? この婚約で大事なのは両方の両親の意思。戸籍まで作り変えたって事は、余程の事が無い限り彼の親はマキをお嫁さんに迎えるつもりだって事なの」
「うそ」
「かわいそうだけど、ホント。だから、いまさら彼がお父さんやお母さんにマキが男だと告げ口した所で無視されるか説得されるだけなの。今のマキがそうでしょ」
 動揺しかけたあたしに追い討ちをかけるように胸の辺りをスッと指差す。
 言われてみればその通りだった。
 彼の両親もあたしのママのように2人を結婚させる事が大事だと考えているのなら、確かに彼が何と文句を言おうが気にも留めないだろう。
 何か反論しようにもうまく言葉が見つからない。
「嫌がらせで本当に婚約が解消できるの?」
 舞の突飛なアイデアを頭から信じるつもりはなかった。けれど、それで今の状況から抜け出せる可能性があるなら、前向きに考えてみてもいいんじゃないだろうか。
 面と向かってママに逆らう事はあたしには出来ないけれど、確かにこの方法なら何とかなるかもしれないと思わせるものがある。
 ようやく真剣に話を聞く気になったあたしの様子に気を良くした舞。
「彼の両親が殆ど会った事のないマキをなんでそこまで気に入ってるのかよくわからないけど、多分友達であるおばさんの娘だというのがものをいってると思うんだよね」
「・・・舞、水をさすようだけど、あたし娘じゃないよ」
 やっぱりわざとやってるとしか思えない、抵抗感のある言葉にぷうっと頬を膨らます。
 当然あたしの内心の苛立ちにも舞は実にあっけらかんとしていて
「他に表現できないじゃない」
 いたずらっぽい笑いの後、再び話を戻した。
「マキはおばさんの子供だけど、すっごく意地悪で、性格がひどくねじ曲がってて、男の子だって事を抜きにしてもとてもじゃないけど子の嫁には金輪際欲しくないと彼の両親に理解してもらえば、婚約解消なんてあっという間よ」
 含むようにあたしを見つめ、それから彼女は忍び笑いを洩らす。
 それでなくてもところどころひっかかる彼女の表現の羅列に、あたしの機嫌は直るどころか一層膨れてしまう。
「・・・何だか妙に実感のこもった説明なんだけど、もしかしてそういう性格だと思ってる?」
 知らない間に下を向いていて、自然上目遣いに聞いた。
 確かに性格ってある意味自分自身が一番判っていないものかもしれない。
 けれども、友達だと思っていた女の子達にそこまで嫌われるような行動を取った覚えはないし、何かの誤解だとしてもひどく悲しいと思う。
 覗き込むような視線をあたしの元気のなくなった顔に当てると、舞がにっこり微笑んだ。
「気のせいだってば。マキって珍しいくらいいい子だって、理紅もなぎさも言ってるよ。あたしもそう思ってなきゃ協力なんてしないよ」
 早口で主張する舞の表情には暖みがあった。
「ウン・・・」
 安心し、次いでその事に気付いた照れからみるみる赤くなるあたし。
 そのうろたえぶりをからかうように彼女の笑みは少し意地の悪いものに変わる。
 でも、奥に見え隠れする優しさはそのままだった。
「逆に、罪の無い男の子にちょっとした事でも意地悪できるかどうかの方が心配かな。ま、その時は素直に彼に奥さんにしてもらうのね。一応フィアンセなんだし」
 茶化した口調に戻った舞は、実際にはやんわりと決断を迫っていた。
 人の良さそうだった有原クンの顔を思い浮かべた。
 あたしが男である事も知らなかった彼に責任は無いし、その彼に意地悪をするのだと思うと良心が痛んだ。
 でも、このままなし崩しに女の子にされる事だけはどうしても納得できなかった。
 ゴメン、有原クン。
「あたし、やってみる」
「そうこなくっちゃ。マキに意地悪なんて思いつかないと思うから、手段はあたしが適当に考えるね」
 舞がちょっぴりあどけない顔立ちを綻ばせる。
 見た目の幼さのせいもあって、欲しがっていたおもちゃを買ってもらえた子供をあたしに連想させ、ほんの少し吹き出しそうになった。
「うん。でも、あんまり可哀想なのはパスね。彼だって被害者なんだから」
「実行するのはあくまでもマキだもん」
「それもそうか」
 まだ少し良心から来る迷いが残っている。
 それでも今まで予想もしなかった日々はこの時確実に始まっていた。


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