一年目のクリスマス

 朝目覚めて、昼間を何となく過ごし。夜になると眠る。何気なく通り過ぎていく日常。
「あ〜あ、いつもの一日だ」
 今朝も少女はいつものように学校へ行く。学校に行けば恋人といつものおしゃべり。冷やかす友人達。そして、夕方には戻って来るだろう。夜になれば夕食を食べ、机に向かった後日記にこうつける。
「今日は特に変わったことはなかった」
 でも彼女は知っているのだ。この毎日はとても輝いている。だからこそ、この日常が始まった日。それは、彼女にとって特別な日、大切な日。

 今日は期末試験最後の日。街にクリスマスソングが鳴り響くようになってからもうどれぐらい経っただろうか?クリスマス本番を一週間後に控え、少年少女達はイブの夜に思いを巡らす。でも、教室に並んだ机に座っている一人一人は、今は、目の前の答案用紙にとりあえずは集中する。まずは、目の前の課題をこなす方が先決だ。
「できた」
 少女は安堵のため息を漏らし、入念に自分の答案を見直す。残り時間は後わずか。でも、最後の一秒まで、時間を無駄にしようとしない。問題と回答を照らし合わせ、誤りがないか確認する。集中力が戻ってきた。体全体に緊張が走る。もうチャイムが鳴るころだ。どうせ今誤りに気がついても手直しすることはできない。
「早くチャイムが鳴って欲しい」
 偽らざる心境である。
「はい、そこでやめ」
 学校中に試験の終わりを示すチャイムが鳴り響き、監督教官の声がまちまちにこだまする。教室の少年少女達の体が弛緩し、ため息の声があちこちから聞こえる。明日からは試験休み。次に来るのは終業式だ。そしてその夜はクリスマス・イブ!楽しいイベントが待っている。生徒達は意気揚々と教室の扉をくぐっていく。
 少女の体も同様で、再び安堵のため息を漏らし、筆記用具を鞄の中にしまいこんだ。
それまでのことはもう忘れたい、というところが本心だ。結果は気になるが、気にしてもしょうがない。そんなことを考えながら少女は教室の扉をくぐった。
「雅、ちょっといいか」
聞きなれた声がしたので、桐生雅は背後を振り返った。
「あのさ、イブの夜、空いてるか?」
 声をかけた人物は早川隆一。自他共に認める彼女の恋人である。にも関わらず、雅の返答はそっけなかった。
「あのね」
 雅の口調は厳しい。
「センター試験まで一月もないんだよ!勉強してるに決まってるじゃないかっ!」
 隆一を置いて、雅は廊下を歩いていった。隆一はクラスメイトの失笑にも気づかずに呆然と立っていた。気がつくと、雅はすでに10mほど離れている。隆一は走って追いかけた。
「おい待てよ!」
 階段のところでようやく追いつき、雅の肩を叩く。
「何?まだなんか用なの?」
 雅は隆一の方を振り返った。
「だからさ」
 隆一はひざに手を置いて、はあ、はあ、と息を整えている。
「イブの夜だよ。一緒に食事でもしないか?」
 なおも雅の返答は冷たかった。
「忙しいって言ってるだろ?今日もこれから忙しいんだ。悪いけど、しばらく構わないでくれないか?」
 ふんっ、と言ったかと思うと、隆一の方に背を向け、雅は階段を降りていった。

 隆一たちの高校の校門の前に喫茶店が一件あり、学生達はおしゃべりにそこを良く使う。壁は黒いクロスを貼っているだけのシンプルなものだが、家具は一つ一つが歴史を感じさせる。一つ一つはばらばらなのだが、全体として独特の雰囲気を醸し出しているのだ。マスターが趣味で一つ一つ集めたものだそうだ。
 「ひどいと思わないか?」
 隆一は大声を上げた。窓際のテーブルに男女が3人。一人は早川隆一。対面には麻生優と嵯峨野智和がうんざりとした表情で隆一の演説を聞いている。
「イブの夜にだぜ、せっかく人が誘っているのに、あの態度はないと思わないか?」
 智和はコーヒーのカップを口につけながら、じっと隆一の話を聞き、優はティーカップに手をつけずに違う方向を向いて何やら考え事をしている。
「せっかくのイブだぞ!」
 普通の女の子なら確かに恋人からのこの言葉は普通心待ちにしているものだろう。イブの夜を愛しの彼と共に過ごす。
「人がせっかくレストランの予約まで取っててさ、ゆっくりとロマンチックに食事でもしようかと思ったら、忙しいから、ってそりゃないだろ!」
「ま、普通の女の子なら普通受けるだろうね」
 智和がカップから口を離した
「でもね、雅ちゃんは残念ながら普通じゃないからね」
 前かがみになって智和はカップをテーブルの上に置いた。受け皿とカップが透き通った音を立てる。
「ま、それはそうとして、僕らにどうしろと言うんだい?君の愚痴を聞いているほど僕たちは暇じゃないんだよ
「イブの準備もあるしね」
 皮肉を込めて茶々を入れたのは優だった。
「いや、優にお願いがあってさ」
「高いぞ!」
今度は智和が茶々を入れた。
「あのなあ。で。出来たら優が雅を説得してくれないかな、とか思ったりして」
 ちょっと弱気になって隆一は言った。
「いいわよ」
 いつのまにか右手に持っていたカップから口を離し、優は返答した。
「いいのか?」
 不思議そうに智和は優に聞いた。
「うん」
 優は不気味な笑みを浮かべていた。

 雅が玄関のドアを開けようとすると、中からピアノの音が聞こえてきたので、雅はただいまとは言わなかった。玄関先を見ると、女物の靴が一つある。手に持っていた紙袋を廊下の脇に隠し、リビングへと向かった。
 雅がドアの陰に立つと、リビングの中から女性の笑い声が二つ聞こえてきた。
「やっぱり」
ぽつりと独り言を言うと、雅はドアを開けた。
「ただいま」
「あら、遅かったのね。忙しいんじゃなかったの?」
優が雅の方を見た。リビングには優と、雅の母親の香奈子がソファに座っている。
「じゃ、当人が帰ってきたことだし、私は席を外すわね」
香奈子が席を立つ。
「ま、話は分かっていると思うけれども、そこ座ってくれる?」
優は雅ににっこりと微笑んだ。しかし、雅はその背後に何か寒いものを感じた。

「隆一を邪険に扱った割には、帰りが遅かったわね。もう夕方よ?」
赤い西日がリビングに注ぎ込む。試験が終わったのはお昼前。高校生の寄り道にしてはちょっと長すぎる。ましてや雅は受験生である。
「と、図書館で勉強してたんだよ。あっちの方がはかどるしね」
「ふ〜ん、で収穫は?」
「え?」
「だから今日の成果よ。雅よく言ってるじゃない。漫然と時間を過ごすのだったらやっていないのと同じだ、って勉強したらその成果が何か確認する癖をつけないと、って。もちろん、今日の成果はあったんでしょ?」
 思いがけない親友の追求に、雅はしどろもどろになって、返答した。
「いや、ずっと考えてて分からない問題があって、それが出来るようになって…」
「嘘ね」
 ズバリと優は言い切った。
「おおよそ、隆一が嫌になってほかの男とつきあいだしたんでしょう?クリスマスもそっちと一緒?いいわねえ。レストランの予約まで取った隆一が可哀相よ」
 別に本心から言っているわけではない。カマをかけているのである。
「ちょっと待って」
 雅はテーブルに手をついて大きく目を見開いた。
「レストランの予約?何それ?僕そこまで聞いてないよ」
「え、そうなの?」
優の追求が弱くなった。
「それは悪いことしたなあ。隆一に後で謝っとくよ」
あっさりとした雅の返答に優はずっこけそうになった。
「で、用はそれだけ?」
「あ、数学で分からない問題があるから、ついでに聞こうと思って」
 優が鞄の中をごそごそと問題集を探し出したのを見て、雅はほっと一安心した。
 やれやれ、何とかやり過ごしたぞ・・・
 雅が心の中でそうつぶやいたことは、優には気づかれずにすんだ。

 翌朝、麻生優の一日は電話のベルで始まった。
「優ぅ?。早川君から電話よー!」
 階下から母親の呼ぶ声がする。のろのろとベッドから這い出して、スリッパを履き、階段を降りる。パジャマ姿のまま寝ぼけ眼で電話を取ると、隆一の悲痛な声が聞こえてきた。
「優。お前何言ったんだ?」
 隆一の大声で、一気に優の目が覚める。
「雅が昨日電話くれたんだけどさ、イブの夜は行けないから、予約は断ってくれって言うんだ。キャンセル料がいるなら、払うから、だぞ。それなのに、イブの夜にどういう用事があるのかは教えてくれないんだ」
 優はそのまま床に座り込んだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ。あの子そんなこと隆一に言ったの?」
「言ったよ?」
 あまりの隆一の情けない声に優は同情を禁じ得なかった。
「わ、わかったわよ。もう一度雅のうちに行ってみるから、また、ね?」
 立ち上って受話器を置いた。受話器に手を置いたまま、優は一人つぶやいた。
「もうっ。あの子一体何考えてるのよっ」
受話器を上げると、矢のようなスピードで雅の家の電話番号を押していた。

「もしもし、桐生さんのお宅…あ、桐生先生?優です。いつもお世話になっています。雅います?」
 無意識のうちに優は手持ちぶさたな左手を動かす。なぜだか気持ちがあせる。どうして、こう、自分は恋人でもない男のために一生懸命になっているのだろう?つくづく損な性分だ。雅も隆一もなんだか放っておけないのだ。
「もしもし雅です。朝から一体何の用?」
「何の用じゃないわよっ!あんた隆一のことどう思ってるのっ!」
「どうって?大事な大事な僕の彼氏だよ」
 恥ずかしい台詞をいとも簡単につぶやく雅。
「だったら、クリスマスの夜ぐらい付き合ってあげなさいよっ!電話してこれられる私の身にもなってよっ!」
「あ、ごめん。今度なんかおごるから」
のほほんと返答する雅に優の怒りは臨界点に達した。
「もう知らないっ!あんたなんか絶交よっ」
 優は受話器を叩き付けた。雅とはいえば、受話器を置くと一人つぶやいた。
「あ?あ、優を怒らせちゃったな」
 ちょっと雅の顔に陰が走った。
「ま、しょうがないか」
 しかしどこか嬉しそうに、雅は自分の部屋に戻った。

 おなかが空いたので、雅はシャープペンシルを机に置いた。今日はなかなかはかどっている。実は彼女にはセンター試験などまったく眼中にない。模試の結果は上々だから、当日熱を出さない限り、問題無く得点できるだろう。関心があるのは、二次試験の方である。もう後ふた月もすれば嫌でも入試本番がやってくる。
 「お母さん、お昼ご飯まだ?」
 台所に入って、声をかけてみたものの、母親の姿はない。父親もどこかへ行っている。ピアノ教室が忙しくなるのはお昼を過ぎてからだ。雅がいるのを忘れて、どこかへ食事へでもいったのだろう。
「しょうがないなあ」
 ぶつぶつ言いながら、雅はエプロンをつけた。めずらしく、彼女はスカートをはいていた。ひざが隠れるぐらいの長さの白いスカートに、黒のセーター。長い髪は一個所で縛って、左側からたらしている。いつもは、彼女はジーンズかパンツだ。それも、体の線が見えるものはあまり着ない。でも今日は体にぴったりとフィットするセーターを着ていた。
「隆一がこんな姿見見たら、びっくりするだろうなあ」
 肉や野菜を適当な大きさで切り、フライパンで炒める。
「ま、こんなもんでいいだろ」
 火を止め、エプロンを外そうとしたときに、インターフォンが鳴った。
「はーい、今出ます」
と、ドアを開けたとき、雅もインターフォンを鳴らした張本人も、絶句した。
「りゅ、隆一?」
「み、雅?その格好」
 いつもの雅の格好を知っているだけに、驚きを隠せない。また、雅もまさか隆一がいきなりやってくるとは思っていなかったから、かなり動揺していた。気まずい沈黙が二人の間に走る。沈黙が続いた後で雅の方が隆一に声をかけた。
「隆一、もうお昼ご飯食べた?」
「いや、まだだけど」
「じゃ、上がって。僕も今からなんだ」
 隆一はエプロン姿で廊下を歩いていく雅にしばらく見とれていたが、あわてて隆一は雅を追いかけた。
 フライパンからジュージューという音が聞こえてくる。一人分のつもりだった野菜炒めを二人で分けると到底足りないので、雅はおかずの数を増やしているのだ。
「どうぞ。面倒だから炒め物しかないけど、我慢してね」
 運がいいのか悪いのか、生まれて初めて恋人の手料理にありつけた少年は、おそるおそる目の前の物体を口に入れた。対する雅は平然とした表情で口に入れる。しばらくお互い黙り込んだまま食を進めた後、雅が隆一に聞いた。
「どうかした?不思議そうな顔をして?」
「いや、ちゃんと食べれるものが出てきたから」
「失礼だなあ。これぐらいだれでもできるよ」
 もくもくと雅は食べる。とびっきりおいしいというわけではないが、まあまあの味だ。
「ごちそうさま」
ほぼ同時に二人は食べ終わり、雅が立ち上った。
「ちょっと待ってね。お茶入れるから」
急須を手に持って、湯飲みにお茶を注ぐ雅をじっと見詰める隆一。
「なんか、今日はすっかり女の子だね」
「そう?僕にしたらいつものことなんだけどな」
 雅がスカートをはいている、ということ以外は、嘘はついていない。別に女の子になったから、というわけではないが、確かに女の子になってから身の回りのことを自分でするようになった。雅はお茶を注ぎ終わると、湯飲みを隆一の前において、自分でさっさとお茶を飲み始めた。
「あのさ、イブの夜なんだけどさ。どうしても駄目なのか?」
「どうしてそんなにイブの夜にこだわるわけ?別にキリスト教徒でもないくせに」
お茶の入った湯飲みを見つめながら、隆一は雅に尋ねた。
「一年前のクリスマス以来だよな?」
「何が?」
「俺達がこうして付き合い出したのは」
雅はきょとん、と首をかしげて返答した。
「そう言えばそうだったね」
突然、隆一は立ち上った。
「お前にとって、あの日はその程度のもんなのか?」
大声で叫ぶ隆一を目の前にしながらも、雅は淡々と述べた。
「ご想像におまかせするよ」
とうとう隆一も怒り出した。
「もういい。お前がそんな薄情な奴だとは思わなかったよ。邪魔したな」
ばたんという音を雅は聞いた。
「その程度のはずがないじゃないか。バーカ」
雅は一人つぶやいた。

 リビングで雅は一人ソファに座っていた。オーディオセットの中にはMDが一枚回っている。録音は悪い。でも、そこから聞こえてくるバイオリンとピアノの音は、格別の輝きを放っている。
「やっているときは無我夢中だったけど、確かに、これはいいよね」
 男の子としてずっと生きてきた。自分はそのままそれまでの道を生きていくのだと思っていたけれども、不幸は突然やってきた。それまでの自分を捨てて、女のことして生きることになった。桐生雅章ではなくて今日から自分は桐生雅。
 女の子であることに苦しんだ日々。人を好きになって、もっと自分が分からなくなったあの日。今は優と付き合っているけれども、嵯峨野智和の自分への想いも後で聞いた。どんな気持ちで彼は雅のために骨折ってくれたのだろう?彼がいなかったら、自分はきっと自分の気持ちが分からなかっただろう。
 講堂に響いたバイオリンとピアノの音。あの時来た白いコンサートドレス。演奏が終わった後に聞いた割れんばかりの拍手。冬休みが終わった後に、生徒の一人が持ってきてくれた。一枚のMD。その男の子は、はにかみながら「お幸せにね」と雅に言った。
 父親が弾いてくれたメンデルスゾーンの結婚行進曲。あの時自分は恥ずかしくて何も考えられなかったけれども、父さんはどんな気持ちであれを弾いてくれたのだろう?
後で、「一年で愛娘を失った怒りを思い知らせてやる」と父さんが言ったことを嵯峨野智和が教えてくれた。その時にも彼は「おかげでこっぴどく絞られているけどね」
と彼は笑ってくれた。
  そして、他人の恋に一生懸命になってくれた、クラスメイト達。だから、自分は自分の気持ちに正直になれて、今の自分がある。
 自分をしっかりと抱きしめてくれた隆一の胸の暖かさは、この一年ずっとそばに感じてきたものだ。こんな自分でも一人の女の子として接してくれた隆一。心が重なり合ったあの日。その気持ちが本物だったことはこのMDが証明してくれている。この演奏は確かに奇跡だ。そしてその奇跡が起こったのはきっと……
 曲がクライマックスになったときに、雅は涙が自然にあふれていた。悲しかったからでもない。うれしかったからでもない。

 「受験生を何度も呼び出さないで欲しいなあ」
優はあきれたように隆一に言った。
「そうそう、僕らも暇じゃないんだから」
いつもの学校のそばの喫茶店。
「もう、どうしたらいいのか分からないんだ。あいつ、本当に俺のこと想ってくれてるんだろうか?」
嵯峨野智和はコーヒーを飲みながらその台詞を聞いていた。優の表情も硬い。
「それはきっと間違いないと思うよ」
まじめな表情で優は隆一に言った。
「どうしてそう思うんだ?」
隆一は聞き返した。
「女の直感、ってな奴かな。もっと自分が選んだ女の子を信用しなよ。ところでさ」
優はここで一息ついた。
「レストランの予約、どうしたの?」
「キャンセルなんてできないよ。実はそれ、皆川先生のクリスマスプレゼントなんだ。でもそんなことよりも。」
口篭もる隆一に対し智和は尋ねた。
「でも、何?」
「なぜだか分からないけれども、雅はきっと来てくれるような気がする」
「なんだかんだ言って、雅ちゃんのこと信じてるんじゃないか」
ここで智和は大笑いした。

 終業式の日、つまり、クリスマス・イブの朝がやってきた。あれから、何度か雅の家に電話したものの、雅の返事はなしのつぶて。隆一はかなり落ち込んでいた。
「でも、まだ時間はある!」
自分に言い聞かせるように隆一は叫んだが、正直なところ内心穏やかではなかった。終業式の退屈な校長先生の演説も、担任の長いお説教も完全に上の空だった。
 ホームルームが終わった後に、隆一は雅に声をかけた。なんとなくそわそわしている雅に隆一はなんとなく違和感を感じた。
「何度もいうけどさ、今晩ダメ?」
「ごめん、急いでるんだ。また後でね」
逃げるように雅は隆一の目の前から消えてしまった。隆一は落胆して帰路についた。

 「雅の奴、OKしてくれなかったなあ」
独りで過ごすクリスマス・イブの夜のことを考えると、かなり憂鬱だった。あそこまで意固地になる理由ってなんだろう?まさか本当にほかに好きな奴でも出来たのだろうか?
 自分の家のドアの鍵を開け、家の中に入った。玄関先の電話機の留守番電話を見ると、着信ボタンが点滅している。隆一はボタンを押した。
 「一件のメッセージを記録しています。最初のメッセージ」
誰だろう、と隆一はメッセージを聞いた。
「雅です。」
何?隆一は耳を疑った。
「ずっと意地悪してごめんなさい。待ってます。」
メッセージを聞いた後、隆一は急いで雅の家に電話をした。雅の家は短縮ダイヤルの一番に登録してある。
「はい、桐生です。」
男の声が聞こえた。
「あ、桐生先生。お世話になってます。隆一です。雅、今どうしていますか?」
恭一郎は返答した。
「なんか、思いつめた表情で一時間ほど前に出ていったぞ。君に会いに行くのじゃなかったのか?そんなことを言っていたような気がするが」
「分かりましたっ。ありがとうございます」
慌てて電話を切った。

 「隆一の奴、来てくれるかなあ」
雅は学校の講堂で、ぽつん、と一人で彼が来るのを待っていた。舞台の上で座り込んでいる。腕を組んで舞台の前に立つ。
「さんざん意地悪したからなあ。愛想つかされたかな?」
雅は首を振った。
「いいよね。これくらいしても。今日は特別な日なんだから」
隆一に対する自分の甘えだ、ということは分かっている。
「とりあえず、言い訳を考えておかないとね。」
 いたずらっぽく雅は笑みを浮かべた。

 隆一は走っていた。階段を駆け上がり、目的の部屋のドアを開ける。切れた息を整えながら、講堂をじっくりと見渡す。
 いない。ここじゃなかったか。そう思ったときに、舞台のそばに少女が立っているのに気がついた。いつもの雅を探すのにはじめは気にならなかったのだ。服装は毛のグレーのスカート、白色のセーター。スカートと同色のジャケット。髪の毛はクリーム色の大きなリボンで後ろで縛り、ポニーテールにしている。似合っているのかどうかが気になるのだろうか?なんども体勢を変えて、自分の姿を確認している。
「いた」
思わず隆一から言葉が漏れた。隆一は少女に向かって走った。

 「ホントにひどい奴だな。お前」
隆一は怒りに手を震わせながら静かに雅に言った。
「お前を探すためにどれだけかかったと思ってるんだ!」
「怒ってる?やっぱり」
「当たり前だっ」
思わず大きな声が出た。
「ごめん」
意外に雅はしおらしかった。
「実はね。皆川先生から今日のディナーの話は聞いてたんだ」
隆一の方に背を向けて小さい歩幅で歩きながら、雅は歩いた。
「でもさ、一緒にディナーを食べて、ああ、あの日は良かったね、じゃ、なんかさみしいじゃん。」
振り返って雅は隆一にそう叫んだ。
「僕たちの気持ちって、その程度のもんなの?少なくとも僕はそうじゃないよ。あの日は、あの日は僕が自分が女の子で良かったって初めて思えた日なんだ。」
再び雅は隆一に背を向けた。隆一には雅の目が涙が濡れているように見えた。はじめは呆気に取られていたが、ゆっくりと雅に近づいて行き、背後から雅を抱きしめた。
「今回のことはツケといてやるよ」
照れかくしにわざとぶっきらぼうに隆一は言った。
「ありがと」
雅と隆一はしばらくそのままじっとしていた。

 「じゃ、行こうか」
雅は隆一の手を引っ張って歩き出した。
「おいおい、どこに行くんだよ」
急に引っ張られたので隆一はバランスを崩しそうになった。
「たまには女の子らしい女の子と歩きたいだろ?」
「お前いつも嫌がるくせに」
「いいの。今日は特別な日なんだから」

 小さな子供であれば、誕生日が待ち遠しいかもしれない。
この二人にとっては、クリスマス・イブは大切な日。それは、一人の少女が自分の恋に気づいた日。一人の少年が自分の恋に気づいた日。二人の誓いの言葉はこう。

  一緒にコンチェルトを弾いていこう。人生という名のコンチェルトをね。

 彼らの紡ぎ出すメロディは今日も美しい。
 


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