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コンチェルトをもう一度
作:矢治浩平



「雅(みやび!)、あんた誰か好きな人とか、いないの?」
 優がふとそんな事を言った。雅はちょっと困った顔をして答えた。
「好きな人ってねえ。そんなもん、考えたこともないね」
 ぞんざいな口調でそう答えた。
 口には出さなかったが、「ほんと、好きな人なんて冗談じゃないっ!」と雅は思った。
 
 彼女が素材として「美少女」なのは、間違いない。でも、彼女が「美少女」かといえば、かなり疑問がある。長い髪はいつも無残にも手入れをされずぼさぼさ。制服は規定どおり。普段着のときなどは、判を押したように、トレーナーとジーンズ。または、Tシャツとジーンズ。おいおい。女の子らしさのかけらもない。
「いくらかわいくても、あれじゃなあ・・・」
 周りの男子の弁である。
 一ヶ月前に転校してきたときは、学校中に嵐が巻き起こったが、彼女の「本性」があらわになるにつれ、ファンはまたたくまに減っていった。
 
 優も雅も高校二年生。雅は五月の中頃に編入してきて、いきなりトップに近い成績をとった。いくら外見がかわいくても、身だしなみに気を遣わず、成績のいい女は嫌われる。学校でもいつも勉強をしている感じだ。一般的に。服装が服装だから、まちを歩いていても声をかけられることもない。というか、どうも当人、声をかけられたくないみたいだ。わざとそうしているふしがある。近づきがたいオーラというのだろうか、そういうものを醸し出しているのだ。
 優と仲良くなったのは、優が勇気を出して雅が勉強のことで相談をしたからだ。きむずかしい女の子かと思ったら、嬉々として、懇切丁寧に教えてくれた。ということで、優が雅を自分の家に呼んだり、逆に雅が自分の家に呼んだりしたりして、瞬く間に彼女たちは仲良くなった。
「彼女だったら、頭が良くても男のことうまくやって行けると思うのにな」
 雅の素顔をだんだんと覗くにつれて、優はそんな風に思った。
 
「ただいま」
 雅は家に帰ってそう返答した。部屋に戻って、セーラー服をハンガーにかけて、スパッツとTシャツに着替える。おろしていた長い髪も後ろで束ねる。もう六月も半ば。
「くそっ!六月ってこんなに暑かったかな?」
 雅はそう漏らした。うなだれて、机へもたれかかっているところへ、母親が入ってきた。
「雅、もうちょっと女の子らしくなれないの?」
 またか、といったそぶりで、雅は母親の方を向いた。
「んなこといったって僕はつい最近まで男の子だったんだから、無理に決まってるでしょうが」
「でも、女の子らしくなろうっていう努力ぐらいしてくれてもいいじゃない!」
「女の子らしくって何? 女は料理することになってんの?女だからって、男に媚びなきゃなんないの? 女の子だからって女の子らしいしぐさや、女の子らしい言葉づかいや、女の子らしい態度を取らなきゃならないわけ!そんなのおかしいじゃん!」
 いつものように返答を返した。
「男性につけて女性に就けない仕事なんて今はほとんどないんだ! 僕は僕の道を目指す。確かに僕は男の子から女の子になったよ。でも、どんな女の子になるかは僕が決めることだ。お母さんは口出ししないで!」
 いつもの不毛な会話の後、雅の母親はすごすごと出て行った。
 
 そう、雅は桐生雅章という正真正銘の男だった。彼の体にいったい何が起こったのかはわからない。1月ももう終わりのことだ。ある時高熱を発し寝込んでしまった。それから、徐々に女性へと変化してゆき、3月も終わりになろうというころには、完全に女の子になってしまった。医者たちは「ありえない」と言っていたが、女性の体に変化してしまったことは認めざるを得なかった。両親は早々に引越しを決め、雅章は従姉妹の雅として、編入することになった。何はともあれ、雅章は雅として、女子高生としての生活を始めることになったのだ。
 
 さて、夏休みも終わって9月。秋の文化祭へ向けて、学校が沸きに沸いていた。朝から音がし、夜遅くまで準備の音が聞こえる。優はバンドの準備に余念がなかった。文化祭でバンドを結成して出演するのだ。女の子になってから半年も経つというのに、雅の調子は相変わらずだった。クラスの準備においても、完全に無関心を装っていた。
 
 ある朝、優は悲壮な顔付きで、学校へやってきた。「雅〜〜〜〜」優は雅に顔を合わせるなり、泣き顔で言った。「ちょっと、今度は何があったわけ?」「これ見てよ〜〜〜」
 優は、包帯だらけの右腕を見せた。どうも、手をねんざしたらしい。治るのにしばらくかかるということだ。
「これじゃ、文化祭のバンドに出れない。私はいいけど、他のメンバーも楽しみにしてるのにどうしたらいいのよ〜」
 雅は優の泣きそうな顔をみながら、少し悩んだ後、
「代わりにボクが出るって言うのはダメ?」
 と聞いた。
「えっ!」優は雅の意外な申し出に、返答がつまった。「あんた、キーボード弾けるの?」
「一応ね。で、ダメなの?」
「私だけじゃ何とも。でも、学校内の、めぼしい人はどうせみんなつかまってるから、他のメンバーに掛け合ってみる」
 優は不安げに返答した。でも、彼女の言っているとおり、うまい子はみんな他のバンドに取られている。わらをもつかむ思いで、彼女が「使える」腕である方にかけた。
 
「んじゃ、自己紹介ね。まず俺がギターの早川隆一。一応このバンド、ブライアンのリーダー」
 この名前に、雅はぴくっと反応した。
「ん、俺の顔になんか付いてる?」
「あ、いえ。よろしくお願いします」雅は軽く礼をした。
『なんか聞きおぼえがあるんだけどなあ、早川隆一、早川隆一、誰だろう?』
「で、僕が白橋稔。ベース。よろしくね」白橋と名乗った少年は軽く会釈をして、握手を求めた。
「こいつ、感じよさそうな顔して、女たらしだからなあ。気をつけろよ」早川が横からちゃちゃを入れた。
「それから、俺が小暮勉、ドラムだ。よろしく」
 こんな華奢な体でドラムなんか叩けるんだろうか、と雅は思った。
「ボクは」と雅が自己紹介しようとしたときに、白橋が横やりを入れた。
「知ってるよ。桐生雅。あんた有名人だもん」
「顔がそれだけかわいいのに、性格がそれほどかわいくないのも珍しい」
 小暮が続けた。
「とりあえずテストだ。で、これが譜面。初見でいけるところまでいってくれ!」
 小暮のドラムがいきなりスタートした。雅は思った。「こいつら、タダものじゃない」ドラムにベースの音が乗り、ギターがメロディーを奏でる。負けじと、雅は鍵盤を走らせた。5分ほどして、曲が終わり、優が叫んだ。
「いい! いい! 私が弾くよりも断然いい!」
「確かに腕は悪くない。それに、むしろ俺達の腕に驚いているのは、向こうだって同じみたいだぞ。こいつ、すました顔してたいした自信家だよ」早川は雅の方を向いた。
「これで優ちゃんも、ボーカルに専念できるしね。怪我の功名って奴だね!」
 白橋が言う。
 そこへ、無機質な雅の声が響いた。
「じゃ、早く練習しよ。時間ないんでしょう?」
「あ〜、ほんと、かわいくねえっ!」早川は言った。
 
 そして文化祭当日朝。
「そんなの聞いてないよっ」クラスの文化祭責任者に雅は叫んだ!
「なんで僕がウェイトレスなんだよっ」
 その責任者榊英悟は言った。
「君らしくないねえ。発言しなかった責任はきちんと取るから、なんでも言いつけてくれ、って言ったのはどこの誰だったかな?」
 勝ち誇ったように彼は言った。
「では、女性陣の諸君、後は任せたぞ」
 榊は出て行った。
 雅の後ろには血走った目をした、女生徒の一団がいた。雅はおずおずと引き下がりながら言った。
「話せばわかる、話せば」
「問答無用!」
 雅は服をすべて脱がされ、彼女たちの作った衣装を着せられた。
 メイドさん風のその衣装は雅に良く似合っていた。
「かわいいじゃん、雅!」
「いつも、こんな格好していたらかわいいのに」
 女生徒たちは口々に言った。雅は開き直った。
「分かった。今日ぐらい女の子らしい女の子をやってやる。もうヤケだ」
 
「いらっしゃいませ」
 満面の笑みで、雅はその男子生徒を出迎えた。
「ご注文は何にいたしましょう?」
 その男子生徒は雅に見とれてしまっていて、オーダーを出すのを忘れてしまっていた。
 雅は心の中ではやれやれと思いながら、ちょっと困った顔を作って、
「あの、ご注文は何にいたしましょう?」と聞き直した。
 ここでその男子生徒は完全にあちらの世界へ行ってしまっていた。雅はそれが分かっていながら、悪乗りして、言った。
「ご注文を出していただかないとこまりますぅ〜」と泣きそうな顔を作り、オーダーを取ると
「アイスコーヒーですね。しばらくお待ちください」と満面の笑顔で答え、
「お待たせいたしました、アイスコーヒーです。ごゆっくりどうぞ!」と魅惑の微笑を浮かべる。雅はかなり悪乗りしていた。
 
 という調子で、雅は着実にファンを増やした。恋する男は盲目である。というか、男は常に都合のいい像を女性に持つ。「やっぱり桐生雅はかわいいんだ」という間違った認識を再び植え付けるようになった。そして、それは決定的な形の駄目押しをすることになる。
 
 文化祭二日目。
 雅は、再び絶句することになった。
「優、あの、これ」
「何いってんの、バンドの衣装に決まってるじゃない」
 デニムのミニスカート。ノースリーブのキャミソール。
「サイズはちゃんと合わせておいたからね」
 くすくすと笑って、優は言った。そう言えば、ステージ衣装を作るとか言って、家で一度サイズを取らされたな。
「あーーー、もしかしてクラスのあの衣装!」
 そう、優がこれ用のサイズを横流ししたのだ。
「ひっどーい、はめたなー」
「ごめんね。ついでにこのポスターも」
 
 2−Cで好評を博した幻の美少女ウェイトレス桐生雅が、ステージの上で奏でる音は
 
「おーい」
 雅は遠い目だった。
 
 ステージが始まった。
「それでは、われらブライアンのメンバーを紹介しよう」
 早川がステージで叫んだ。
「ギターはオレ、早川隆一ぃ〜」
 女生徒の黄色い声が飛ぶ。
「ベースは、優男な顔つきで迫力のサウンド、白川稔ぅ〜」
 再び女生徒の黄色い声が飛ぶ。
「ドラムは、華奢な体を削ってたたく、小暮勉ぅ〜」
 再び女生徒の黄色い声が飛ぶ。この3人、ルックスは確かにいい。
「キーボードは、幻の美少女、桐生雅ぃ〜」
 雅も乗っている。抜群の笑顔で、キーボードを弾く。ここで、野郎どものダミ声が響いた。
 雅は悪い気はしなかったが、彼らの頭の中で何人かが、自分を脱がしている姿を想像していると思うと、ぞっとした。それに、昨日一日でこんなにファンを増やしたのか・・・自分も罪なことをする。
「そしてボーカルは、われらが歌姫、麻生優〜〜〜」
 おーっという歓声が響く。
「まずは、一曲目・・・」早川の叫び声とともに、演奏が始まった。
 
 ラスト一曲ももう終わりのころ、観客も完全に乗っていて、最後のサビに入る前の間奏での出来事だ。
 
 カラーン
 
 優がマイクを落とした。マイクはころころとステージのはしっこへ転がって行った。バックの4人は、4人とも、マズイ!と思った。しかし、彼女がマイクを再び手にするには、まだ時間がある。雅は目で早川に合図した、早川は雅の側まで寄った。
「今から僕がソロで時間を稼ぐ。残りのメンバーに演奏を止めてもらってくれ」
 雅は無機質にそう言った。
「わかった」
 とにかく、なんとかして時間を稼ぐしかない。彼女がそれをしてくれるというなら、彼女の言葉を信じよう。そして、不思議にも彼女のその言葉を彼はすぐに信じられた。なぜか・・・
 予定の間奏が終わると、雅のソロが始まった。アップテンポで始まったそれをみて、ライトがスポットライトを雅に当てた。それまでライトを浴びていた優は、注目が雅にうつったことを確認すると、マイクを黒子から受け取ることができた。サビをベースにしたアドリブは、だんだんバラード調へ変わって行き、観客の反応を徐々に静めて行った。そして、ピアニッシモが無音に変わった瞬間。
 小暮のドラムが響き渡った。優の歌声が観客に届き、ギターとベースとキーボードはそれにあわせる。あれほど静かだった観客は、再び沸き返っている。このライブは大成功だった。
 
 この成功の中、早川隆一だけが、浮かない顔をしていた。
「このピアノをどこかで俺は聞いた。キーボードでぼけちゃいるが、このピアノの音を俺はどこかで聞いた。どこだ!」
 俺が握っていたのがギターではなく、バイオリンだったとき、この音を確かに聞いた。でも、この音を奏でていたのは、確か男だった。名前は奴も確か桐生、桐生雅章・・・。一字違いだ。
 こんなことはありえない。ありえないが・・・その答えを桐生雅は知っているはずだった。
 
 文化祭が終わった後、バンドの5人は軽く打ち上げをした。
「雅があんなにキーボードがうまいとはしらなかったよ。一応なんてレベルじゃないじゃない」
 優がはしゃいで言う。
「ね、これからも、キーボード弾いてくれない?」
 優は聞いた。「みんなもいいよね? ね?」
「僕には依存はないよ」稔が言う。「俺にもない」勉もそう言った。
「隆一はどうなの?」優が聞いた。
「気に入らんな」
 意外な隆一の返答に優が聞き直した。
「何怒っているのよ」
 やれやれ、と言った表情で、隆一は続けた。
「こいつ、練習の間ずっと手を抜いてやがった。アドリブに自信があったわけだ。俺達を馬鹿にしてるのか?」
 雅は黙っていた。彼女が無意識のうちに力をセーブしていたのは事実だ。本来の音を出さないために。
「しかし、腕は確かだ。そいつが本当にやるというのなら、異存はない。でも、やってくれるのかな? 桐生雅さん」
「ボクは、その話には乗らない。今回は優が怪我していたから、やっただけだよ」
 ぶっきらぼうに、雅はそう言った。
「もうっ、雅ったらいつもそんななんだから」
 優はふくれっつらで言った。
「だろうな、ではこの話はなかったことにしよう。でもまだお礼を言っていなかったな。ありがとう」
 隆一は雅に手を差し出した。雅は、きょとんとしていた。
「礼を言っているんだ。握手ぐらいしてくれてもいいんじゃない」
「そうだね。礼を言ってくれてありがとう。バンドの話。考えてみるよ。あんたは、他の男とは違うみたいだから」雅はその手を握りかえした。
 隆一はこの言葉に反応した。
 
 − これとまったく同じせりふを俺は聞いた。
 3年前、コンチェルトを弾き終えた3年前、俺は楽屋で奴に同じせりふを言ったんだ。
「いい演奏をさせてもらってありがとう」
 俺が手を差し出すと、奴は、桐生雅章はきょとんとしていた。
「礼を言っているんだ。握手ぐらいしてくれてもいいだろう」
 奴は言った。
「そうだね、礼を言ってくれてありがとう。また今度コンチェルトを弾こうな。あんたは他の演奏者とは違うみたいだから」
 まさか、まさか・・・
 
 夕食のとき、雅は母親に言った。
「ねえ母さん、早川隆一って覚えているかい」
「早川、早川隆一って言ったら、皆川のところの」
 
 父親が口を開いた。父親は昔音楽大学の学生だった。初めに、雅にピアノを教えたのは、他ならぬ父である。夢やぶれて今はただのピアノ教室の教師だが、その筋に多く知り合いがいる。雅章が中学生のとき、昔机をならべた佐々木教授のところに通わせていた。
 その時、佐々木教授主催の内輪のコンサートに雅章と隆一とがコンチェルトを弾いたのだ。それを佐々木と皆川と桐生は絶賛した。「まだ粗削りながら将来が楽しみ」な演奏だった。
「なあ、桐生」皆川がいたずらっぽく言った。
「ん?」
「おまえの息子と、うちの隆一の練習風景。おもしろかったぞ」
「おまえの演奏にうちの隆一がいちゃもんをつけるんだ」
「ふんふん」
「するとだな。おまえさんところの息子は一週間後にはその注文をこなす」
「で、今度はおまえさんところの息子が注文をつける」
 佐々木が続きを続けた。
「そんな風に練習中ずっと喧嘩してるんだ。でもな、」
 皆川がくすくすと笑いながら続けた。
「ひとたび演奏中が始まると二人の息はぴったりなんだ」
 二人同時に言った。三人は笑い転げた。
「いやはや、あの二人は逸材だよ。プロになる気がないのが、実に惜しい」
 
 二人とも、自分ができる限りの演奏をしようと思っていた。そして限られた時間で、すべてを尽くした。その結果は、満足できなかったかもしれない。でも、彼らが成し遂げうるすべてを尽くし、それは聴衆にとどいた。そう、今日のように。雅−雅章はそのコンチェルトの後、打ち上げで隆一と握手をしたのを思い出していた。二人の紡ぎ出した結果を見届けながら。
 
「で、その早川君がどうしたんだい?」
 父親が尋ねた。
「優が手を怪我しちゃってね。僕が代わりにピアノを弾いたんだ。そのバンドのリーダーが早川君なわけ」
「バンドをやるとは聞いていたけど、彼がギターを弾いていることをどうして教えてくれなかったんだ?」
「だって今思い出したんだもん。あの早川隆一」
「ふ〜ん、なるほど言われてみればあのギターはあの時の感じを醸し出していたなあ」
 その言葉を聞いた瞬間。雅は赤くなって叫んだ!
「父さん、隠れてみに来てたな?」
「悪いか。かわいい一人娘の晴れ姿を見に行って何が悪い。メイドさんルックも、ステージ衣装もかわいかったぞ。家でもあんな格好してくれんかね。制服以外はホント、女の子らしくないんだから」
 雅はショックを受けていた。ということは、
「いらっしゃいませぇ〜」
 とか甘えた声を出していた雅をよりによって父親に見られたらしい。
「そうそう、そうそう、お前があんなに甘え上手だとは知らなかった」
「何で黙ってみにくるんだよ。父さんの馬鹿っ」
 真っ赤になって雅は叫んだ。
「言うと、おまえ、絶対に逃げるからな、だろう?」
 追い討ちをかけるように、父親は一枚の写真を見せた。
 昨日のウェイトレスをしているときの笑顔だった。
 雅は呆然となって遠い目をしていた。
 
 それと同じ夜。
「あ、皆川先生のお宅ですか? あ、夜分おそく申し訳ありません。御無沙汰しております。早川隆一です」
 その夜、隆一はかつての恩師へ電話をかけた。
「隆一か、久しぶりだな。再びバイオリンを持つ気になったか?」
 かつての恩師は嬉々として返答した。
「もしかしたら、そういう気になるかもしれませんよ。教えて欲しいことがあるんです。桐生雅章のことです。本当に、あいつは死んだんですか?」
 皆川の声が曇った。
「以前に言ったとおりだ。桐生から聞いたのは、亡くなったということだ」
「もっともその代わりというわけじゃないが、奴の死んだ兄夫婦の忘れ形見を預かって育てているという話だけどな。今まで祖父母が育てていたらしいが、」
 静かに隆一は言った。
「あなたは、桐生さんの親友でしょう? 桐生さんから、真実を聞いていないのですか?」
「桐生雅章という人間はいなくなったかもしれない。でも、桐生雅章自身は本当に生きているんじゃないですか」
 確信を得たような隆一の口調に、皆川は口を開いた。
「何を言いたい」
 隆一は続けた。
「彼の従姉妹だという、桐生雅が、3年前の彼とまったく同じ音色を出したのです。それまでまったくだまされましたよ。桐生雅があれほどの腕の持ち主とはね」
「もう一度聞きます。桐生さんから、真実を聞いていないのですか?」
 しばらくの沈黙が続いた。あきらめて、隆一が電話を切ろうとしたときに、皆川は口を開いた。
「これは、桐生が口を滑らしたんだ。雅章君の葬儀の後、もうあの音が聞けなくなるのか、残念だと俺が漏らしたら。いや雅がいるから、と桐生が言ったんだ。どういうことかと俺は奴に問い詰めた。そうしたら、信じられないことだが、雅は本当は雅章なんだと桐生は言った」
「そうですか、どうもありがとうございました」
 俺はもう一度バイオリンを握らなきゃなんない。3年前の約束は、果たさせるぞ。
 
 それから、2,3日したときのことだ。昼休みに教室で本を読んでいると、優が雅に話し掛けてきた。
「ねえねえ、隆一君が会いに来てるよ。話があるって」
 冷やかすような視線を続けながら、言った。
「ひょっとして、愛の告白だったりして?」
 きゃーきゃー騒ぐ優を横に、雅は面倒な顔をしていた。
「僕にはない」
「俺にはあるんだ!」
 いつのまにか、隆一が雅の机の側に来ていた。
「愛の告白なんかじゃないから、安心しろ。お前の従兄弟のことについて聞きたいことがある。ちょっと時間をくれないか」
「お前の従兄弟」という言葉に、雅はピクンと反応した。
「雅章の何を知りたい?」
 隆一は安堵したような表情で続けた。
「放課後、校門で待ってる」
 それだけ言い残して、隆一は去って行った。
 
「ふたりっきりになれるところがいいな」
 校門で隆一にあったとき、ちょっと誤解されそうな言葉を雅は発した。
「うちに来ないか?お茶ぐらいは入れるよ。ちょっと遠いけどね」
 
 家に帰って、いつものようにジーンズとトレーナーに手をかけようとしたとき、ふと雅はためらった。
「いつもはかないけど、こっちにしよう」
 彼女が手にしたのは、薄茶のキュロットとブラウスだった。ぼさぼさの髪の毛も、まじめに梳かし、長い髪を左で止めた。
「お待たせ。待たせちゃってわるいね」
「ふ〜ん」
 隆一がじろじろと見つめた。
「ど、どうしたのさ」
「家ではこういうかっこするわけね。せっかくかわいいのにさ、もったいないじゃん」
「ボクの勝手だろ」
 言葉とは裏腹に、雅は一人舞い上がっていた。あれ、なんでだろ、かわいいといわれてボクどぎまぎしてる。なんか、ぼく変だ。
「お前、雅章の従姉妹ってホントか?」
「う、うん」
「なら、3年前のコンサート、当然来てたよな」
 このあたり、隆一の誘導尋問が含まれている。
「うん、雅章君と叔父様叔母様に呼ばれて、行ったよ」
 ここで、行っていない、といえばいいものを当の本人だった雅はあっさりと引っかかってしまった。しまったと思いながら、舞い上がった気持ちも、どこかにおいて。雅は冷静になった。
「雅章君のコンチェルト、相手の子も見事だったけど、雅章君上手だったな」
 警戒しながら、雅は言葉を選んでいた。
「その相手の子ってのが俺なの。で、演奏が終わった後、俺と雅章は握手をしたんだ」
「僕もそれは覚えてるよ。演奏が終わった後、その子と雅章君、握手していて。それまで積年のライバルみたいな顔をしてたのに、いきなり表情が和らいで、その子が手を差し出したのが印象的で」
 相手に気づかれないようにと思って、饒舌になったのがまずかった。
「それをお前が知っているはずはない」
 え? 雅は驚いた顔をした。
「俺が桐生雅章と握手をしたのは、演奏が終わった後、楽屋の中でだ」
「なのに、どうして、お前はそう、見てきたような言い方をする?」
 多少無理があったが、なんとかかまはかけられた。後はこいつがどうでるかだ。
「おまえが、桐生雅章その人なんじゃないのか?」
 誘導尋問はかくあるべき。いくらでも申し開きはできる状態だが、それには雅のこころは冷静さを欠いていた。彼女は、黙りつづけた。隆一も黙りつづけた。
 
「そうだよ、雅は、雅は、僕の実の娘だ。姪なんかじゃない」
 永遠にも近い沈黙に水を差したのは、雅の父親だった。
「でも、それを聞き出して、君は雅をどうしようというんだい。確かに、雅は昔雅章という少年で、君とコンチェルトを弾いた。でも、今は雅だ。雅が雅として生きて行くことを邪魔するなら、いくら君でも僕は許さない」
 雅の父親ははそう叫んだ。隆一が続けた。
「雅章であろうと、雅であろうとどうでもいいんです。僕は、あの『音』の弾き手が生きてくれていたことがうれしいんです。それは、あなたも音楽家の端くれならお分かりでしょう? 桐生さん」
 ここで、隆一は雅に振り返って行った。
「君が、君が今、桐生雅章であろうが、雅であろうがそれはどうでもいい。君があの時の桐生雅章なのなら、あの時のコンチェルトをもう一度俺と弾いてくれないか? 3年前の約束を今果たしてくれ。君が言ったんだぞ。もう一度コンチェルトをいっしょにひこうって」
 雅はぽつぽつと口を開き始めた。今年の初めに高熱を出したこと。いきなり女になったこと。そして、さっきの隆一の希望の返事と。
 
 その夜。
 雅の家のレッスン室で、雅の両親と、そして急遽呼び寄せた佐々木教授と皆川教授とを観客にしてちいさなコンサートが開かれた。そのバイオリンとピアノの奏でる音の美しさにに4人とも完全に魅了されていた。
「あれがあの時の雅章君ねえ。もうすっかりかわいらしいお嬢さんじゃないか? なあ、桐生」
 佐々木は雅の父親にそう言った。
「彼もすっかり音を取り戻したようだ。そうか、このコンチェルトが、彼の『原点』なんだな。雅章君との思い出が彼の原点なんだ・・・」
 夜空に二人のバイオリンとピアノの音が溶けていった。
 
 
 
 後書
 
 柄にもなく小説なんて書いてしまいました。ここの文庫の「女になったら女らしく料理や洗濯や化粧を覚えて女の幸せを」っていうのが気に食わなかったんで、「女になっても女らしくならない」話を自分で書こうと思いました。
 なかなかうまくいかないなあ・・・このままじゃラブコメになっちゃう。だったら、わざわざTSにする必要ないもんなあ。
 
 

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