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緋 色 の 風

作:石積ナラ





『2/3』


////////////エピソード5 ジェーンとビリー////////////


「新型TS病にかかった男は、総じてある症状を発症する」
「っつーと?」
「ド淫乱になる」


 途端、ビリーは、コーヒーを盛大に噴き出した。
 何とかシャツの袖で防いだが、袖はもう真っ黒、ドロドロだ。
「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ……! ったく! ジェーンといいお前といい、食事中になんつー話を持ち出すんだ!」
「真面目に言っただけだ、それに重要な問題だ」
「だとしても……」
 ビリーはうなだれながらも、一気に五目野菜を掻きこむ。
 それでも、ヘレンの言葉は止まらなかった。
「はじめのうちはみんな言うんだよ、オレは男だ、オレは男だ、男に恋するなんてありえない、どうせ『にゃんにゃん』するなら女だ、って。けど、結局は逆らえないんだよなぁ、女性として男性を愛してしまう、その衝動と欲望に」
「じゃあ、あいつも……」
 ビリーのスプーンとフォークが、止まる。
 呆然とするそんな彼に、ヘレンは再びワインを手にし、言った。……いつの間にか、ビリーが作ったすべての料理が、ヘレンの食器から消滅していた。あれほどしゃべっていたというのに、本当にいつ食べつくしたのか。
「あんたの言う『あいつ』さんも、我慢してんじゃないの?」


 ビリーの最後の仕事は、食べ終わった後の食器を洗うことだった。
 それが終わると、ビリーはこの日の報酬を受け取った。そしてその額を確かめると、「マジでこんなにもらえた……」と驚きの表情を浮かべていた。
「けど、何だって洗い物とメシ作りでこんなにギャラを?」
「オレだって研究に没頭したいからな。研究がうまいこと成果を上げれば、病気に苦しむ人が減り、オレも更なる研究資金を機関からもらうことができる。もちろん、その日は1日でも早い方がいい」
「成る程ねぇ。じゃあ、これはありがたくいただいとくぜ。明日もよろしく頼む」
「ああ、こっちこそ。お疲れさん、ワイルド・ビル」
「おう。よく休めよ、ヘレン」


 ビリーが去ったあと、ヘレンは静かにドアを閉め、チェーンをかけ、二重に施錠する。
 そして、ドアにもたれかかると、ヘレンは胸の中央に右手を当て、ふぅぅぅ、と深いため息をついた。
「さー、って」
 背中でドアを強く押し、その反動で上半身をドアから離して、ヘレンは2階に続く階段に向かった。
「このうずき、何とかしなきゃ……」
 ――研究がうまいこと行けば、オレのこのうずきも、どうにかできるはずだ……


 アパート、フランジア。
 ビリーが帰る頃には、すっかり暗くなっていた。半分に欠けた月が、無数の星屑と共に夜空を彩り、明かりの乏しい町を優しく照らす。
 アパートのドアの鍵を開け、階段を上り、201号室の前まで帰ってくる。そしてその鍵を開けようと、鍵を鍵穴に差し込むと。
「ん?」
 ――鍵、開いてるな。
 ――ジェーン、帰ってきてたのか。
 ビリーはドアノブに手をかけ、そのまま手前に引く。
 するとそこには、ランタンに明かりをつけ、ベッドの上で横たわっているジェーンがいた。それも、熱帯夜というほどではないにしろ、なかなか暑さが抜けない気温の中、毛布をすっぽりかぶっていた。顔は窓の方を向いており、ビリーには彼女の表情が伺えない。
「具合、悪いのか?」
 ビリーのそんな言葉に。
「ううん、そうじゃない」
 ジェーンは、力なくそう答えた。
「メシは?」
「ワイルドターキーのまかないをご馳走になった」
「そうか。そんなことを言ううそつきにはお仕置きしないとな」
 ビリーはハンガーにジャケットを引っ掛け、砂避けのマフラーをその上から引っ掛ける。
 ジェーンはわずかに顔を動かし、目だけでビリーを見ようとする。
「どうしてばれたの?」
「こんな時間だろ? ワイルドターキーが閉まるわけがない」
「そっか。ビリーって、店長と仲がよかったよね」
「もういっぺん聞いてやる、具合は大丈夫か?」
「……今日、集中力が続かなかったんだ」
 ジェーンはぽつりと言った。
「注文は間違えるし、足引っ掛けて料理を台無しにするし、テーブルの番号を入れ違えてトレーを置いちゃうし、ミスばっか。レジには1日中、立たせてもらえなかった」
「重症だなぁ」
 ビリーはキッチンの方を見やる。
 そこには、ジェーンにしては珍しく、ビリー以上に酷い焦げ目のついた焼きそばが、ひと皿盛られていた。虫除け用のネットもちゃんとかぶせられているあたり、集中力が続かなかったというジェーンでも、ちゃんと配慮はできている。
「どうしてそんなに、集中できなかった?」
「………… ……ビリーのせいだよ」
 まさかの答え。
 ビリーは耳を疑い、もう一度聞いた。
「え?」
「ビリーのせいだよ!」
 途端、ジェーンは布団をはいで起き上がった。
 ジェーンの格好。それは、軍服のYシャツ1枚のみ。しかも、汗をびっしょりと掻いており、シャツが乳房に張りついている。
「お前……」
「ビリーのことが離れなかった。ビリーにお店の料理を食べさせたかった。お店のデッキ席で外の街を眺めながらさ、どうでもいいことをお話してさ、ビリーと一緒にお酒を飲んでさ、そんでさ……! とにかく、そんなことばかり考えてた。お店の仕事よりも何よりも、ビリーと一緒にいる時間の方を優先したい僕がいたんだ!」
 そして、ジェーンは仕事から帰ってきたばかりのビリーの方に駆け寄る。サンダルもはかない、素足のまま、まともに掃除されていない床を走る。
「責任とってよ! 僕の中からきみを追い出してよ! いつも冷静に任務を遂行する、いつもどおりの僕に戻してよ!」
「ジェーン……」
「違う!」
 ドン、と強くビリーの胸を叩いた。
「僕はジョニーだ! レッドヴィル州陸軍軍曹、ジョニー・デツェンバーだ! これでも戦場でたくさん活躍して、資格もがんばって取得して、バッジだっていっぱいもらったんだ! 次の昇格試験で、曹長になれたかもしれなかったんだ!」
 また、ビリーの胸を叩く、二度、三度、何度も。
「ジェ…… ジョニー、そんなに辛かったのか……」
「辛いなんてもんじゃないよ、苦しくて死にそうだよ! もう、僕が僕じゃなくなりそうで怖いよ! ワケわかんなくなりそうだよ!」
「だったら」
 ビリーは、そっとジェーンの背中に手を添えた。
「え……?」
 その手つきは、少し乱暴で、しかし優しかった。
 ごつごつして筋肉質な腕が、壊れてしまいそうなジェーンを、きつく抱きしめた。
「お前は、両方のお前でいればいい」
「どゆ、こと……?」
「昼と夜とで、ふたりのお前を使い分ければいい。外と家とで、ふたりのお前が入れ替わればいい。お前はジョニー・デツェンバーでもあるし」
 涙でぬれたジェーンの顔を見やり、ビリーはその細いあごを、右手で上に向けた。
「ジェーン・ヒコックでもある」
「え……?」
 呆気に取られるジェーン。
 だが、ビリーは背中に添えていた左手をジェーンの頭に添え、滑らかな金髪に絡めながら、顔を引き寄せる。
「お前は、ずっとここにいればいい。で、俺はお前の中にずっといてやる」
「ビリー……」


 時間が止まったような、それとも急に進んだような。
 妙な錯覚に陥ったジェーン。
 気付いたときには、以前よりもやわらかくなった唇が、
 がさがさの唇に、触れていた。


 ……そして、その翌日。
 居酒屋、ワイルドターキー。
「どうも、ご心配をおかけしました。ジェーン・デツェンバー、完全回復しましたっ!」
 すっかり着慣れた制服をまとい、ジェーンはキールに、ペコリとお辞儀した。
「そうか、それなら早速、仕事に取り掛かってもらおう。ためしに、レジに立ってみるといい」
「ありがとうございます! よーし、今日も1日、張り切っていこーっ!」
 昨日は注意力散漫、今日は全力全開。そんなジェーンの変わりように、ほかの従業員はきょとんとするが、キッチン担当の青年は、「元気があっていいんじゃね?」と軽く流している。
 その一方で。
 錬金術研究所、ペンドラゴン。
「このフラスコはこっちでいいのか?」
 ビリーは相変わらず、洗い物やご飯作りなどの家事雑務をこなしていた。
「ああ。あ、丸と三角の順番が違う、ちゃんと図面見てくれ」
「お、悪かった」
 乱暴な口調のふたりだが、これはこれでいい主従関係ではないだろうか。
「で、こっちの薬品はどこに置けば?」
「あ、触るな、配列がぐちゃぐちゃになる。ぐちゃらしたら今日のギャラなしな?」
「うぉっと危ねぇ!?」
 本当に奇妙な仕事にありついたものだ。
 元男のジェーンはひらひらのエプロンに身を包んで男たちに愛敬を振りまき、ビリーは家政婦がやりそうな家事をひたすらこなす。


 そして、それから1週間が経過した。
 ビリーはヘレンの仕事の任期を終えたが、ヘレンからの要望もあってもう少しアシスタント、もとい家政婦ならぬ家政『夫』を続けることになった。ヘレンからは、「もう少しでこの研究にひと段落つくから、それまで働いてくれよ」とのことだった。
 その一方で、ジェーンはワイルドターキーに現れた新顔の客に目をつけられていた。
「やぁ、お嬢さん。いい働きぶりだね」
 ほかの女性店員に席を案内されたにもかかわらず、使用済みの食器を山と積んだジェーンの前に、突然現れた。
「うわっと! 危ない……」
 ――もう少しで、皿を全部落とすところだった。
 ジェーンは、目の前に現れた男性を見上げた。
「はい、どちら様でしょう?」
 その男は、ジェーンの髪よりも明るいブロンドの髪をオールバックに決め、サファイアのように青く深い目を持つ。服装は牛革のジャケットに色あせていないきれい目のシャツに、ブルージーンズ、銃弾の飾りが施されたウェスタンブーツといった出で立ち。荒くれ者といった風でもなく、しかしどこかの金持ちと言うわけでもなさそうだが、立ち振る舞いは上品そうだ。
「失礼。わたしの名は、ウッド・ジェームズ。きみ、お名前は?」
「はい…… ええと、ジェーン・デツェンバーです」
「ジェーンか。今、お時間は大丈夫かね?」
「ええと、ご注文なら承ります」
「なら、きみを注文しよう。今日は、本当はここの店長に用事があったのだがね、気が変わったよ」
「ええと、ごめんなさい、今はまだ仕事中なので……」
「なら、仕事が終わってからでも」
「ええと……」
 突然現れた、ウッドと言うこの謎の男。
 よく働くジェーンの行動を止められ、この店の仕事効率は一気にダウンした。
 ワイオミングがキールを呼びに行き、彼がジェーンのそばまで駆けつけたときには、食器を山と乗せたトレーをずっと持っていたせいで、ジェーンの腕が震え始めていた。
「お客様、困ります、うちの従業員の足を止めないでください」
「おや? そうかそうか、きみがこの店の店長かね。ちょうどいい、話がある」
 ウッドはキールのほうに向き直り、唐突にとんでもないことを言い出した。
「この子を、ジェーンをいただいていく」
「なっ……!? ど、どういうことですか!」
 普段は穏やかな表情のキールも、さすがに声を荒げる。
 だが、ウッドは涼しい顔で言ってのける。
「わたしは、この子が気に入ったのだよ。そばに置いておきたい。この子には一生涯幸せにすることを約束しよう」
「デツェンバーは、この店の大事な働き手です。それにデツェンバーも、楽しく仕事に取り組んでくれています。そのようなことはできません」
「何か勘違いしているようだから言っておこう」
 その時だ。
 ウッドは紳士的な顔つきを崩すことなく、
 しかし、キールの眉間に、銃口を突きつけていた。
「な……!?」
 突然現れた、漆黒のリボルバー。
 それを見たほかの客が、騒ぎ立てる。
「何なんだ、いきなりどうした!?」
「キャー! あの人銃を持ってる、助けてダーリン!」
「お、お金は置いておく、釣りはいらない、じゃあねっ!」
 騒然とする店内。
 涼しい顔で銃を向けるウッド。
 震えて声を失ったキール。
 もしキールが断れば、彼は間違いなく殺される。
「彼女をくださいとお願いしているのではない。彼女がほしいから注文する、ただそれだけのことだ」


 ばん!
 ワイルドターキー店内に、銃声が響き渡る。



////////////エピソード6 ヤツの正体////////////


 アパート、フランジア。
 朝を迎え、ジェーンは大きく伸びをして起き上がった。
 毛布の下から現れたのは、みずみずしい裸体。肩幅は狭く、腰は滑らかなラインを描き、お尻はふわっと膨らんでいる。腕を高く掲げると、大きな果実がふるんと震える。
 せっかくの金髪はボサボサ、寝癖爆発。ジェーンはそれに気付くと手串である程度整え、隣で寝ているビリーを起こさないように注意すると、サンダルを履いて洗面台に立つ。
「あー、目覚めスッキリ。でも、ちょっとけだるいかなぁ」
 ジェーンは髪にタオルを巻き、顔を洗い、そのタオルで顔を拭くと、そのままタオルをぬらして寝汗をふき取る。それを、ドラム式洗濯機に放り込み、水道から延ばしたホースで水を貯めてゆく。
「けだるさの原因は分かってる。……あぁ、僕、自分でも制御できないくらい、えっちな子になっちゃったなぁ。それもこれも、みんなビリーのせいだ。うん、そういうことにしておこう」
 洗濯機に水がたまるまでの間、ジェーンは服を着てゆく。
 服装は男物。ジェーンの中で、この服装をしているときは、自分は男。女物を着ているときは、自分は女。ビリーに言われたとおり、『ジョニーとしての自分』と『ジェーンとしての自分』をうまく使い分けることで、心のバランスを保っている。
 水が貯まった。だが、ジェーンは洗濯機を動かすことはしない。
「ふっふっふ…… これも洗っちゃえ」
 布団をごそごそとあさって取り出したもの。
 ビリーのトランクス。
 それを放り込み、ふたを閉めると、洗濯機の脇にある巨大なハンドルをつかみ、それを回す。すると、洗濯機の中から、じゃらり、じゃらりと水がかき回される音が響いてくる。どうやら、このハンドルはパルセーター(水に強い水流を起こす装置)とつながっているらしい。
「あー。朝から、なんて重労働だ。でも、悪くないなぁ」


 ……お気付きだろうか、ジェーン。
 彼女はもう、すっかり甲斐甲斐しく家事に励む新妻の姿だ。


 昨夕。
 その、ウッドがジェーンに銃を向けた、その時のこと。
 ジェーンは、キールに向けられた銃の引き金が完全に引ききられる前に、何と、鋭く強いハイキックでウッドの右腕を蹴り上げた。
「でっ!?」
 ジェーンはただハイキックを繰り出したのではない。自分も跳躍することで、キックの威力を高めたのだ。
 引き金は引かれてしまうが、銃口はキールの額からそれ、何とか彼に銃弾が当たることは避けられた。
 すたん、と静かに降り立つジェーン。リボルバーは、デッキ席に届くほど舞い上がり、そしてジェーンの右手の中にすっぽりと納まった。
「くっ! しまった……」
「申し訳ございません、お客様。人を危険に曝し、ほかのお客様のご迷惑になるようなものは没収させていただきます。これ以上、店の営業を妨害するようであれば、保安官を呼びます。ついでに、僕が前に所属していた軍も呼んでいいでしょうかね?」
「ちっ…… 仕方がない、今日のところは、この辺で諦めましょう。しかし、きみ自身をわたしのものにすることはまだ諦めていないからね」
 そう言うと、すたすたと店の出入り口に向かう。そして背中を彼女たちに向けたまま、背中越しに右手を振って、言葉を残してゆく。
「また会おう。ジェーン」


 きぃ、とスイングドアが開き、ウッドが店を去った瞬間。
 それまで騒然としていた店内は、まるで水を打ったかのように、静まり返った。


 そして、その日の晩。
 ジェーンとビリーは、そろってテーブルに着き、フォークやスプーンに手を伸ばす。
 この日のメニューは、商店街で鮮度落ち寸前の食材を買ってきて作った山盛りサラダ、1日半寝かせたパン生地で焼いたエピ(ベーコンを中に詰めて麦の穂のように加工したフランスパン)、そのエピにつけるためのバター、アジア街で買ってきた中華スープ、(タン)
 ジェーンはちゃんとした服装なのに対し、ビリーは風呂上りなのかタオルにトランクス1枚。元男であり、この共同生活で見慣れてしまったジェーンにとっては、何でもない光景。だが、客は入れられない、この部屋に。
「……ねぇ、ビリー」
 ジェーンが、ビリーに話しかけた。
「ん?」
「僕、明日でワイルドターキー辞めてくる。ごめん、収入が減っちゃうけど」
「はぁ、どうした、いきなり? 家事に励むのか?」
「それもいいかもね。……でも今日、僕目当てでやってきた変な男がいてさ、店の人にもすごく迷惑かけたから」
「どんなヤツ?」
「紳士っぽい雰囲気で、ガンマンの装備をしてる。いきなり僕がほしいとか言い出して、キールさんにまで銃を向ける、すごく危険な人。名前を、確か…… そうウッド・ジェームズ、だった気がする」
「キールに!? 何てやつだ……! ジェーン、他に、そいつの特徴は?」
「えっ? あっ、うん。背は、ビリーと同じか、少し低め。服装は綺麗。金髪碧眼で、髪はオールバック。あとは覚えてない、ごめん……」
「いいさ、そこまで分かっていれば。……にしても、ウッドだと? どっかで聞いたことある名前だな。……まぁいい。そのウッドってヤツがお前を諦めるまで、お前はあまり外に出ない方がいいな、うん」
「じゃあ、僕は仕事を辞めてもいいんだね?」
「収入よりも、お前の命の方が大事だからな。俺もあとから、キールに聞いてみるし、ギルドにも問い合わせてみる。そのウッドってヤツについて。それに、俺の親友に銃を向けた奴だ、絶対に許さねぇ」


 そして。
 翌日。


 錬金術研究所、ペンドラゴン。
 この日も、ビリーは山のようなフラスコを丹念に洗い、カゴの上に乗せてゆく。初めてこの研究所に来てフラスコを洗ったときは、仕事もやや雑で、カゴに乗せてゆくフラスコも適当に並べていただけだったが、今ではちゃんと水が切れるように、フラスコの口を下に向けて置くようになっていた。
「よぉ、ヘレン。その研究、あとどのくらいでひと区切りつきそうだ?」
「早くて明日、遅れても明後日。ウイルスの働きや毒の効果とかはもうレポートにまとめたから、今は新型TSウイルスに対抗するための新薬の完全版を煮詰めているところ。試薬は、もう動物実験で何とかクリアした」
「へぇ。で、ヘレンのその薬が完成すれば、TS病で女になる男がいなくなる、と?」
「ああ。もちろん、かかりはじめの頃に飲まなきゃ意味はない。発症して、性転換が始まってから飲んでももう遅いんだ。で、これを学会に発表して薬も認可してもらったら、その次に、女を男にする、あるいは患者を戻す、その研究を始めるってスケジュール」
「そっか。がんばれよ」
「ありがとさん。……っくー! これでやっと、休暇がもらえて、久しぶりに酒でぐでんぐでんに酔っ払えるわけだ!」
「は、はは、ははは……」
 ビリーは呆れながら笑う。
 すると、ビリーは、ふと思い出したようにヘレンに言う。
「ところでさ、ヘレン」
「あ?」
「お前…… ウッド・ジェームズって知ってるか?」
 すると。
「ウッド…… ウッド、ジェームズ、だと……ッ!?」
 ヘレンは、ビリーからその名を聞いた途端、椅子からガタンと大きな音を立てて立ち上がり、ビリーに言った。
「そいつが、お前の前に現れたのか……?」
「いや。うちのジェーンが、店でしつこく声をかけられたみてーなんだ」
「お前、もう帰れ!」
「は?」
 唐突だった。
 突然、吼えるように、彼女はビリーに言った。
 どうしたのだろう、ヘレンの反応が尋常ではない。
「どうしたんだよ、おい?」
「2度言わすな、帰れ! 今すぐ、ここから出て行け!」
「悪い、何か気に触るようなことをいったなら謝」
「違う!」
 ヘレンは懐から財布を取り出し、とてつもない額のお札を数枚テーブルに叩きつけると、再び叫んだ。
「ウッドは危険なヤツだ。あいつの目に留まった女は、そろってしょっ引かれて戻ってこない。寝取られたか売り物にされたってうわさだ。そして邪魔な要素は容赦なく排除する。あいつの外面(そとづら)に惑わされるな、紳士の仮面をかぶった悪魔だ!」
 まさか、そうビリーは思った。
 そんなやつに、ジェーンは狙われていたなんて。
 そしてヘレンは言う。
「ジェーンが危ねぇ。ジェーンを連れて、この町から消えろ。これは今日のギャラと、お前らのしばらくの旅費だ。分かったらさっさと、どっか行け!」
「わ…… わっ、分かった。お前の言うとおりにするよ、ヘレン」
 言うと、ビリーはテーブルに叩きつけられた紙幣を鷲掴みにすると、玄関に向かって走り出す。そしてドアを開ける前に少しだけ振り返り、ヘレンに行った。
「いろいろ恩に着るぜ。あばよ!」
「着る暇あったらさっさと行け!」
 ヘレンの言葉を受け取ると、ビリーはドアを開き、研究所を飛び出していった。


 ビリーが去った後の、錬金術研究所。
 ヘレンは、険しい表情のまま、煮詰めている途中の薬を見つめている。
「ウッド・ジェームズ……」
 キリッ、と歯が鳴る。
「多くの人が待ち望む研究を一度台無しにしたばかりか、世界で一番大切な俺の姉貴をさらいやがったあいつは……」
 きっ、と、壁際に置いてある木箱に目を向ける。
 その木箱のふたを、ヘレンは乱暴に開く。そこに詰め込まれていたのは、恐るべきもの。
「オレの手で、ぶっ殺してやる」
 6梃の拳銃と、無数の銃弾、
 更に、手作りダイナマイト。
 医療錬金術師は、人を救う錬金術のほか、人を殺す錬金術まで手がけていた。


 ワイルドターキー。
 ジェーンは、最後の仕事をこなしていた。事務所では、新しい人材募集のポスターを、キールが作成していた。
「ワイオミング。悪いが今からギルドに行って、求人登録をしてきてくれないか?」
「分かりました、店長」
 ワイオミングは、キールから紙幣を1枚受け取ると、それをエプロンのポケットにしまいこんだ。
「……それにしても、さびしくなりますね。あんなに明るくてよく働いてくれるジェーンちゃんが、今日限りでいなくなるなんて」
「ああ。最近、ジェーン目当ての客も来てくれるからな。本当に残念だよ」
 ペコリとお辞儀をすると、ワイオミングは店の裏口から店を出た。そして、ギルドに向かうために一度表通りに出ようとしたのだが。
 店の門柱から、突然ひとりの男が飛び込んできた。その姿に驚き、「きゃっ!」と悲鳴を上げて、その場にしりもちをついてしまう。
「ん!? ああ、ここのお嬢ちゃんか。悪い、怪我はないか? 今急いでんだ!」
 そう、ビリーだった。
 ビリーはキールと親しいため、この店の何人かは顔見知りである。だが、今日はキールに会うためにふらっと訪れたと言うわけでもなさそうだ。
 ――どうしたんだろう、ヒコックさん。
 ――なんだか、すごく切羽詰っていたような……


 店のスイングドアを乱暴に開き、ビリーが店に飛び込んでくる。
「いらっしゃいませ。1名様で…… あれ? ヒコックさん」
 黒ベストに黒スラックスの青年の言葉に耳も貸さず、ビリーは真っ先にジェーンを探した。そしてジェーンの方も、乱暴に入ってきた客の姿に驚く。
「あれ? ビリーじゃん。どうしたの? ひょっとして僕が働く姿を見たかったのかな?」
「冗談言ってる場合じゃねぇ! お前を狙ってるやつがいる、今すぐ逃げるぞ、ここから!」


 ジェーンは大急ぎで着替えた。
 店の制服を脱ぎ捨てるなり、普段着の白のTシャツに革ベスト、ブルージーンズにウェスタンブーツを、上から順々に身に纏ってゆく。最後に財布をバックポケットに乱暴に詰め込むと、長い髪を青いリボンで、これも乱暴に縛る。
「ごめんなさい、キールさん、最後の仕事なのに、途中で投げ出しちゃって!」
「構わない、早く逃げるんだ。きみのことを探しているやつには、ジェーンは途中で仕事を上がったということにしておく。さあ、急ぐんだ」
「すみません!」
 ジェーンはペコリとお辞儀をすると、裏口に向かう。
 だが、ビリーは右足だけを裏口に向け、キールに言った。
「お前も危ない。ウッドは邪魔者を容赦なく消す、悪魔のようなヤツだと聞いた。お前も一度銃を向けられているし、保安官をこの店に常駐させておけ」
「ああ、忠告感謝するよ、ビリー。……さあ、きみも!」
「あばよ、親友!」
 それだけ短く返すと、ビリーは裏口で待っているジェーンのところに急ぎ、全速力で店を出てゆく。その際、この店に訪れた客とすれ違い、危うくぶつかりそうになった。
「ごめんなさーい!」
 ビリーの代わりに、ジェーンがひと言謝ると、ふたりは振り返ることなく、走り去っていった。


 一方。
 土壁の豪邸『レッドアイ』。
 その薄暗いオフィスに、ひとりのガンマンらしき精悍な顔つきの男がいる。オールバックに整えたブロンドの髪を鏡の前で整え、鍔から紐が垂れ下がっているハットをかぶったウッドだった。
 オフィスの横にある、一見ただの壁のようにしか見えないドアを開く。そこにはたくさんの女性たちがいた。下は若き10代の少女から、上は色っぽい体形の熟年女性まで。しかし彼女たちは共通して、うつろな目つきをしている。
 テーブルの上にあるのは、何かの葉っぱを細く加工して乾燥させたもの。少女、女性たちはその乾燥した葉に手を伸ばし、お茶にして飲んだり、そのままかじりついたりして、更に夢を見ているような表情をする。
 ウッドは、テーブルの上の皿に、更に大量の葉っぱを乗せてゆく。
「大人しく待ってなよ、子猫ちゃんたち……」
 そう。
 この大量の葉は、麻薬の葉だ。
 ウッドはこうして女性たちを麻薬漬けにし、逃げられないどころか、逃げようとすら思わなくさせている。


 レッドヴィル・東地区保安局。
 木造、2階建ての、民家よりも多少大きな構造になっている。1階が事務所、2階が会議室兼所長の住まいとなっており、事務所の奥には初期レベル(当時としてはむしろ最新型)の通信機を設けた、通信室がある。
 ジェーンは、レッドヴィル州陸軍出身の身分証明書を見せ、その通信室を使わせてもらっていた。そして通信室から出ると、そばには保安官とともに、ビリーが立っていた。彼の腰には、一振りの刀。その刀は、刀身こそ日本製だが、握りや鞘の装飾は、銃のグリップやホルスターに酷似する。
「ビリー、陸軍に連絡を取った。僕たちを軍にかくまってもらおう。軍が相手なら、ギャングも手出しができないはずだよ」
「成る程。軍に顔が利く、お前ならではの策だな。軍の世話になるのは好きじゃないが、お前を守るためだ、一緒にかくまわれてもらおうか」
「うん。第2ステーションまで急ぐよ!」
 するとジェーンは、保安局長に申し出た。
「レッドヴィル州陸軍、アッシュ大佐の名を借りて、馬を1頭、貸していただきたいと思います。よろしいでしょうか?」
「分かった。賢いやつを貸してやろう。駅についたら、そのまま降りれば、勝手に帰ってくるからな」
「ありがとうございます。……ビリー、行こう!」
 ジェーンはひと言だけ礼を言い、ビリーが先に外の様子を伺い、ジェーンと馬小屋の鍵を持った保安官が続く形で、保安局を出る。あわただしかったふたりが去ると、やや太り気味の局長は、ふぅ、とため息をついて、つぶやいた。
「そう言えばいたなぁ、16歳の若き軍曹って。あの子が、そうだったのか……」
 保安局長がそうつぶやくと、他の保安官も、「自分も驚きです……」と、小さく返した。


 ギャングは相当な金と物資を持っているらしい。
 黒煙をもくもくと吐き出す、石炭動力の蒸気機関乗用車が、町の街道を走り抜ける。蒸気車が黒い煙を上げるたび、人々は迷惑そうな顔をする。また、その蒸気車の後ろには、馬を駆るギャングたちが大勢いる。
 車のハンドルを握るのはウッドだった。ワイルドターキーの前で車を止めると、運転席に座るウッドに、筋肉質で大柄な男が近寄ってくる。そんな彼に、ウッドは聞いた。
「ジェーンはまだこの店にいるか?」
「いいえ。背の高い賞金稼ぎと思われる男と一緒に、保安局の馬を借りて、東に向かったと、『ブラックニンジャ隊』から報告を受けて聞いています」
「東に? ふん、第2ステーションか。列車に乗って逃げようったってそうはいかないぜ。……乗れ、置いてくぞ」


 レッドヴィル第2ステーション。
 くたくたに疲れた馬に水を飲ませ、ジェーンは「ありがとう。もうご主人様のところに帰っていいよ」と言う。疲れ果てた馬は、ブルルルと荒い鼻息をつき、来た道を戻り始める。
「それはそうと、軍の人間はどこにいるんだよ、ジェーン?」
 ビリーが訊ねる。
 駅の構内には、上り列車と下り列車、双方のホームがある。だが、どちらのホームにも、軍服を着た人間は見当たらない。
「仕方ないよ、基地からここまで、相当な距離あるもん。僕たちの方が先に着きすぎたんだ」
「ちっ。しばらくどこかに隠れてようぜ? 陸軍だけじゃねぇ、ギャングが先に来て見つかったら厄介だ」
「うん。トイレがいいよね。……って!」
 ジェーンたちが今走ってきた道のはるか彼方に、黒い煙が見える。
 そしてその黒い煙を立ち上らせているのは、とてもではないが普通の人には手の届かない、蒸気乗用車だった。
「連中だ!」
 ちっ、と舌を鳴らすビリー、焦って判断に迷うジェーン。
 するとビリーは、ジェーンの手を引いて走り出した。
「お前の言うとおり、トイレがいい。この人ごみに紛れて、軍が到着するまでの時間を稼ぐしかねぇ!」


 蒸気乗用車とたくさんの馬が、ステーションにやってくる。
 車から降りたウッドは、ステーションのホームに足を踏み入れる。見渡せど、列車を待つ人だかりの中に、ジェーンと背の高い賞金稼ぎの姿は、見当たらない。
「あいつですかい、ボス?」
 ギャングのひとりが金髪の女性をさすが、ウッドは首を横に振る。
「違うな。よく見ろ、背の高い賞金稼ぎの男とやらと一緒だ。あのレディのお供はジェントルマンじゃないか。旅行か何かだろう」
「へぇ」
「しかし、こうも人が多いと探すのも一苦労だ。仕方がない」
 そう言うと、ウッドは懐からリボルバーを取り出し、それを空に掲げた。ウッドの突然の行動に、何人かの人が気付くが、その人が悲鳴をあげる前に、ウッドは引き金を引いた。
 銃声がステーション全域に轟く。女性は悲鳴を上げ、ほとんどの人は頭を抱えてその場にしゃがみこむ。そんな、ステーションにいるすべての人に、ギャングたちは銃を向け、ウッドは言う。
「お集まりの皆々様。次の列車をお待ちのところ申し訳ないが、わたしは今から、この駅でちょっとした探し物をしたいのだよ。無駄に抵抗しなければ危害は加えないことをお約束しよう。さあ、焦らずゆっくり、ひと組ずつ、駅を出て行ってもらおうかね?」
 ウッドが言うと、人々は騒ぎ声ひとつ立てず、ただ恐怖に震えながら、黙ってステーションを去ってゆく。気の弱い一般人や恋人たち、家族連れは固まってゆっくり去ってゆくが、先ほどのジェントルマンは落ち着いた様子の女性を守るように、ギャングたちやウッドと視線をそらさずにステーションを去ってゆく。
 ――ほう、今のジェントルマン、なかなか強そうだ。
 ――うちにほしいところだが、今はいい。
 ――今の目的は……
 程なくして、ステーションから誰もいなくなった。
 去ってゆく人々の中に、ジェーンの姿はなかった。
 誰もいなくなったステーションを見渡し、ウッドは小さくつぶやく。
「ジェーン…… お前は、お前だけは何が何でも連れて帰る。そして、あの女どもとは違う特等席を用意してやる。麻薬も何も必要ない、幸せだけの世界が、俺様の楽園にはあるのさ……」


 そして。
 ウッドは、筋肉男に指差し、ピッ、と事務所やトイレ、売店のある建物に指先を向けた。「うす」と短く返事をした筋肉男は、ライフルを手に、建物に銃口を向ける。
 引き金を引く。飛び出した銃弾が、建物に穴を開ける。
 引き金を引く。再び銃弾が、窓ガラスを割る。
 引き金を引く。何度も引いて、何発も銃弾を消費して、建物を撃ち続けてゆく。
 ジェーンとビリーを、こうしてあぶりだすためだ。部下に全てをやらせながら、ウッドは涼しい顔を浮かべていた。


 一方、男子トイレでは。
 ジェーンとビリーが、壁にタックルして穴を開けようとしていた。
「いっせーの……」
 銃声が鳴り響く。その銃声にあわせて、壁に背中や肩を叩きつけているのだ。
 これなら、壁を壊そうとしているのが敵に探られる心配も少ない。だが、ゼロではない。ジェーンたちの顔には、焦りがにじみ出ていた。汗から滝のように、汗が流れ出る。
 銃声が鳴り響き、
「せっ!」
 それにあわせて、壁に当たってゆく。
 だが、ふたりまとめて逃げられそうな穴は、開きそうもない。
「ビリー! これじゃ袋の鼠だ! 軍の迎えが来る前に、ふたりとも死んじゃうよ!」
「生きることを諦めるな! 諦めない限り、人はなんだってできる!」
「うぅ…… でも、今回ばかりはヤバいって!」


 追い詰められてゆく、ジェーンとビリー。
 差し迫る、凶悪な銃弾。
 もう、彼女たちに逃げ場はない。



////////////エピソード7 相棒////////////


 結局、建物のいたるところに銃弾を打ち込んでも、ジェーンとビリーは現れなかった。
「ボス、やつら現れませんぜ?」
「なら、向かいのホームの建物にも同じことをやるんだ。おいお前ら。こっちのホームの建物の中に行って、様子を見て来い。男はどうなっていてもいい、ジェーンは無傷のまま連れて来い」
「しかしボス。もしあの娘が死んでいたら……?」
「余計なことは考えるな、さっさとやれ!」
 ウッドに言われ、ギャングたちはすぐに指示を実行に移した。
 だが、先ほどまでは余裕を見せていたウッドも、少し表情がこわばってきた。
「度胸があるってことは分かったぜ、ジェーン。だが、その度胸でお前が死んじまったら、意味ねぇんだよ……!」


 ジェーンとビリーは。
 床に這い蹲って、難を逃れていた。
「あっぶね〜〜〜…… もうちょっとで頭、かすめるところだった」
「声を出すな、ジェーン」
 とっさの判断で床に寝転んだその直後、ジェーンのすぐそばを、銃弾が通り過ぎた。
「だが、やつら今度は俺たちがどうなったか調べに来たぞ。今度こそ戦わなきゃなんなさそうだ。……ジェーン、ひとつ俺にかけろ」
 そう言うと、ビリーはジェーンの髪を結うリボンを取り、するりと解いた。
「え? バクチはやだよ?」
 すると、ビリーはトイレの中から掃除用具を取り出し、ちりとりとモップをジェーンのリボンで結わえ付けると、自分のジャケットをかかしのようになってしまったモップに着せた。
「成る程、おとりだね!」
「これはお前が、トイレの中から外に放り投げろ。俺は、天井を伝ってやつらに奇襲を仕掛ける。下手なおとりだが、これしか思い浮かぶ()はねぇ!」
 ビリーが見上げたのは。
 はがれかけている、トイレの天井のベニヤ板。
 あとちょっと引けば、簡単に引き剥がせる。
「おっけー! あまり賭け事は好きじゃないけど、戦場では一か八かの迷い無き判断が未来を左右する。僕の未来、ビリーに託したよ!」


 ギャングたちは、売店、事務所などをあさるが、ジェーンの姿を確認したものは誰もいない。筋肉男は、ちゃっかり、ビールと豆を失敬している。
「じゃあトイレかなぁ?」
「女が男子トイレ? ねぇってそりゃ」
「分からないぜ、くまなく探せ」
 そしてギャングは、まさにジェーンたちがいる男子トイレへと視線を向ける。
 ……すると、その時だ。
 目を向けたばかりの男子トイレから、茶色のジャケットが飛び出してきた。
 頭がモップでできており、袖を広げたマヌケなかかしだが、男たちの注意を引くには充分すぎた。
「出てきたぞ、やつだ!」
 ひとりのギャングの声で、仲間たちは一斉に男子トイレから出てきたかかしを銃で撃ってゆく。だが、銃弾がかすめるより先に、かかしは駅のホームに、ぱたりと倒れてしまった。
「は……? ……何あれ、モップのお化け?」
「馬鹿野郎、おとりだってことも分からねぇのか、そんなくだらないものに引っかかりやがって!」
 そう叫んだウッドの言葉が正解だった。
 だが、ギャングの男たちが気付いた頃には、自分たちの背後に、ビリーが降り立っていた。手には抜刀した瞬間の鋭い刃。彼らがビリーの姿を見るそれよりも前に、ビリーの鮮やかな剣術が、彼らの首を一気に跳ね飛ばしていた。
「な……」
 緋色のしぶきを上げ、伏せてゆく、ギャングの男たち…… だった、たんぱく質の塊。
 その様子を見て、ウッドは驚くと言うより、まるで感心したように、ビリーの鮮やかな剣術にため息をつく。
「やれぇぇぇぇぇぇえええっ!」
 筋肉男がライフルを構え、ほかのギャングに指示を下す。
 ギャングはビリーめがけていっせいに銃撃する。向かいのホームにいる一団と、ウッドを守るようにして立つ一団だ。
 だがビリーは、しゃがむなりギャングの死体をふたつ持ち上げる。ひとつは左手で、もうひとつは切っ先で背中を突き刺して。それらを盾にして、雨のように襲い掛かる銃弾から身を防いでゆく。
 ギャングが発砲を止める。どうやら銃弾が尽きたらしい。その時を狙ったビリーは死体を投げ捨て、まるで光のような速さでギャングの一団に襲い掛かり、1秒もかからずに、彼らを血の海に沈めていった。
 鮮やかな剣術。向かいのホームにいたギャングたちは、その光景に唖然としたまま、ビリーを眺めていた。
「ざっとこんなもんかな」
 そして。
 ビリーは緋色のしずくを払った剣先を、ウッドの首元に向ける。
 彼らの距離は、約10メートル。もしウッドが銃を持っていたなら、ビリーが剣術を繰り出す前に、ウッドが早撃ちでビリーを仕留めることができる。だが、当のウッドは涼しい顔で、ビリーをただ見つめているだけだった。
「テメェだったのか。ジェーンに手を出し、オレの親友にまで銃を向けやがったヤツは……?」
 冷静にウッドを見つめるビリー。
 だが、その目の奥には、怒りが燃え滾っている。
「……これはこれは、ワイルド・ビル。ジェーンを守っているのがきみだったとは驚きだ」
「俺も驚いたぜ。ウッド・ジェームズ。いや、旧名ウッド・スミス。ただの列車強盗が、こうも立派に人を指示できる立場のボスになっていたとは」
「思い出させるねぇ、列車強盗。駆け出しだった頃、車掌への夢が諦めきれずにやっちまった強盗だった。認めたくないものだ、若さゆえの過ちと言うものは」
「そんなお前を、やはり駆け出しだった俺がとっ捕まえた。お互い、老けたなぁ」
「年を重ね、俺様は楽園を築き上げ……」
 ふっ、と意味深な笑顔を浮かべるウッド。
「お前はロリコン、と」
「おい、どの口がそう言う!」
 ジェーンは、男子トイレの影からその会話を聞いて複雑な気持ちを抱いていた。
 ……今繰り広げるべき会話ではない。


「ところで、俺様がジェーンに惚れるまでのいきさつだがな」
 興味はないと言いたいところだが、ビリーはおとなしく聞く。
 ジェーンはビリーを見守り、まだ無事なギャングはビリーに銃口を向けたまま立ち尽くす。
「最初は、ワイルドターキーという店の店長に用があった。ジェーンに出会わなければ、そのまま店長にあることを頼もうと思っていたのさ」
「あいつに?」
「おや、そう言えば言っていたな、親友と。……いい店だろう、ワイルドターキーは。だから、あの店の権利を譲ってくれって言おうとしたのさ」
「権利だと?」
「ああ。あの酒場を俺様の拠点のひとつにしようと思ってな。あの店は人気が高い。あの店で働く女はどれも魅力的だし働き者だ。食べ物も酒もうまい。その店を、新しい商売の中心にしたかったのさ」
「商売…… どうせろくでもないことだろ?」
「そう。麻薬の取引の場所として最高じゃないか。店の従業員の女の子や、酒を目的に集まるバウンティーハンターはいい顧客になるだろう。そして、ほかのギャングの取引もそこで行えば、更に店としての価値も高まる」
「お前……! ジェーンほしさにキールに銃を向けたばかりか、あいつの店にそんなことをしようとしたのか!」
「そう。そしてもし、店長が断ろうものなら、力尽くで…… いや、自分の口からそう言うまで、酔わせてやるつもりさ。もちろん、俺様の得意分野でな」
 言わずもがな。
 麻薬のことだ。
「………… ………… ……っ!」
 ビリーの目は、一気に怒りに満ちた。
「ってんめぇぇぇぇぇぇえええっ!」
 その時だ。
 ウッドが左手で、何かの合図をする。


 途端、
 駅構内に無数の銃声が鳴り響く。


「……!」
 ジェーンは、言葉を失った。
 それまでただ立ち尽くしていた残りのギャングが、ビリーめがけていっせいに発砲したのだ。
「ぐあぁっ……!」
 両手両足、更には胴を撃たれ、ビリーは血を流しながら、ウッドの前に崩れ落ちる。
 ウッドは、ビリーに触れずして、武器を抜かずして、彼を倒してしまった。
「ぐ……!」
「本当ならワイルドターキーの店長の方が、先にこうなっていたのかもしれない。俺様に刃向かうものは、こうなる定めなのだよ。しかし、急所をはずしたみたいだな」
「てっ、てんめぇぇ……!」
「済まないね、そのおかげで、死ぬ間際に死ぬよりも辛い苦しみを与えてしまった」
 ウッドをにらみつけようとするビリー。
 だが、痛みが体を支配し、まともに動かない。
 そしてウッドは、右手をジャケットの左身ごろに差し込むと、そこから漆黒のリボルバーを取り出した。
「さあ、とどめは俺様直々に指してくれよう。苦しみのない世界に旅立つ背中を押してやる、それくらいの優しさはあるのでね」


 途端。
「やめろ!」
 男子トイレからジェーンが飛び出した。
 その手に握られているのは、白い装甲銃。飛び出すと同時に放たれた弾丸は、見事、ウッドの銃に命中した。
 銃身に当たり、弾き飛ばされるウッドのリボルバー。あまりの痛みに、ウッドは左手で右手をつかみ、その場にうずくまる。
「ぐぁ……!」
 突然現れたジェーンに、ギャングたちも銃を向けた。
「お前、女ぁ! よくもボスを!」
「撃つな、やめろお前ら!」
 だが、ウッドの叫びが届くよりも先に、ギャングたちはジェーンに向けて発砲していた。しかしジェーンは、身軽なフットワークで銃弾の嵐を回避し、残り5発の銃弾で反撃した。
 ジェーンの銃撃は確かなもので、5発の弾丸で6人ものギャングを仕留めた。うち2人は、1発の銃弾で貫いたものだ。先に撃たれた者は分厚い胴体や頭蓋骨に守られた頭ではなく、首の動脈を貫かれ、貫通した銃弾がうしろにいるギャングに当たったようだ。
「てめ、ジェーン…… 隠れてりゃいいのに……!」
 力ない声で、ビリーがつぶやく。
 銃弾が尽きたジェーン。だが、リロードしている暇はない。
 倒れたギャングの死体から銃を奪い、右手に6発式、左手に暗殺用の2発式を持つ。だが、左ももに1発の銃弾を被弾、ジェーンの行動は制限され、痛みのあまり、その場にうずくまってしまう。
「うあぁぁぁあっ……!」
 向こうも1度、銃弾が尽きたようだ。
 筋肉男がライフルにカートリッジをリロードし、ほかのギャングもシリンダー内のカートリッジを入れ替える。そして再びジェーンに銃口を向けようとするが。
「させるかぁぁあっ!」
 何と、血まみれのビリーが再起し、刀一振りのみを携え、敵に一直線に突進してゆくのだった。
「ビリー!」
 ひざまずいたまま動けないジェーン。
 彼女を狙うギャングたち。
 そしてビリーは、愛する女を守るため、その身が傷つくことをいとわず、想いの全てを、刀に込める。
 ――ジェーンは!
 銀色の雨と、鋭い雷光。
 ――俺が、守る!
 そして新たに生まれた、乾いた空に舞う、緋色の風。


 ついに。
 レッドアイのギャングは、ボスのウッドを残し、殲滅された。


「くっ、くそ……! 何てこった」
 手下は全員、血の海に沈む。
 残されたのは、たったひとり。
 ウッドは追い詰められた。そう確信したジェーンだが、彼はまだ諦めていなかった。
 何とウッドは、懐からもう1梃、ナイフと一体化している、4発式のナイフガンを取り出した。
「俺様は全てを失ったわけではない。さあ、ジェーン。俺様と共に楽園へ行こう。お前を守るあの男も、ああなってはもうお終いだ。さぁ、俺様を、俺様だけを愛してくれ……」
 そんなウッドに。
「愛してくれ、だと……?」
 ジェーンは、憎しみに満ちた、おぞましい眼差しを向け、にらみつけた。
「お前…… もう、もう許さないぞ!」


 その時だ。
 向かいのホームの向こうから、軍事バギーのエンジン音が鳴り響いてくる。それも、1台や2台ではない、ものすごい数のバギーがこちらに向かっているようだ。
「ちっ、逃げるか……」
 ウッドはナイフガンを懐にしまうと、口笛で馬を呼び寄せる。やってきた茶色く細身の馬にまたがると、手綱を振るい、駅のホームから走り去っていってしまう。
 やっと到着した、陸軍のバギー。いくつものバギーからはカーキ色の軍服を纏った軍人たちが降りてきて、手にはライフルやリボルバーなどが握られている。そしてあたりに銃口を向けながら、急いでジェーンのそばまで駆け寄ってきた。
「ビリー! ビリー……ッ!」
 ジェーンは撃たれた足を引きずりながら、線路の上に伏せるビリーのそばにやってきた。
 ビリーは、手といい足といい胴体といい、頭と心臓以外のほとんどを撃たれていた。まだ生きているのが、奇跡だった。
「ジェーン…… よかった、生きてたんだな……?」
「うん、僕は無事だよ。だから、ビリー、死んじゃダメだよ。軍が助けに来たよ、助かるんだよ?」
「そう、みてーだな…… 悪い、動けそうも、ねぇや……」
「ううん、休んでて。すぐに助かるよ?」
 周囲では、陸軍の軍人が、ギャングの死体を回収している。そしてひとりの軍人が、大佐に報告をしている。
「全員死んでいます。が、ジョニー軍曹…… いえ、少尉(特別除隊による昇級)から連絡を受けたウッド・ジェームズの姿は確認できませんでした」
「ご苦労。このあたりの捜索に当たれ」
「はっ」
 軍人は敬礼をすると、別の軍人に指示をしてゆく。
 そして、ジェーンのそばで彼女を気遣う軍人が、言った。
「少尉。医療隊が到着しました。その方を病院までお連れします、離れてください」
「……待、て……」
 かすれた声で、ビリーがストップをかける。
「悪い、もう無理だ…… 助からねぇよ……」
「ビリー!」
 ジェーンが大声で叫ぶ。
 目にはいっぱいの涙を浮かべ、ボロボロと滝のように零れ落ちている。
 悲しみに満ちたジェーンの頬に、ビリーはそっと、右手で触れた。
「許してくれ、もう俺…… ダメみてーだ……」
「そんな、そんな!」
「だか、ら、最後、ひとっ、言……」


 無数の銃弾を体に浴びて、力など出ないはずの腕で。
 ビリーは、ジェーンを抱き寄せた。


「ジェーン、俺を……」




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