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緋 色 の 風

作:石積ナラ





『1/3』


////////////エピソード1 ギルドにて////////////


 「ジョニー。きみはクビだ」


 やや長めの金髪と同色の瞳を持つ、軍人の少年、ジョニー・デツェンバーは、陸軍の大佐によって事務室に呼び出され、彼にそう告げられた。
「………… ………… ……はい? ええと、首にあざでもできてます?」
「そうではない。きみはもう、この軍に必要ないと言っているんだ」
「おっしゃる意味がよく分かりません。確かに僕はまだ16歳と若いですけど、射撃も戦闘技術も、ほかの先輩に遅れをとらないくらいがんばっていますよ。それどころか、戦技教官からはコーチを言いつけられることだってありますし、そんな、いきなり必要ナイナイだとか言われましても、納得できナイナイですってば!」
「だったら納得させてやろう。服を脱げ」
 途端、ジョニーは黙った。
 と言うより、凍りついた。
 当たり前だ、いきなりそんなことを言われては。
「どうした? 男同士なら別に構わんだろう」
「……いえ。まさか大佐に、『そっちの趣味』があるとは思いま」
「ちがう! わしには妻がいる! いたってノーマルだ!」
 ゲイではないようである。
 でなければ、ジョニーの鍛えられた肉体美を写した写真を、美少年に飢えた女たちに売るという…… ワケでもなさそうだ、カメラがない。
「知っての通り、わが軍には、女性の軍属を許可できない。男性に対して女性の軍人志願数は少なく、いたとしても軍内で不純異性交遊、それも強姦まがいの事件が過去何度もあってだな」
「で、それと僕がどんな関係があるんですか?」
「ジョニー…… いい加減とぼけるのはやめたまえ。きみが女性であることはもうとっくに分かっているのだよ」


 ジョニー・デツェンバー。
 砂金のように滑らかな金髪と、同色で深い色合いを持つ金色の瞳が特徴的。肌の色は白く、顔立ちは整っており、小さな少年にそのまま軍服を着せたかのような、あどけない雰囲気を持つ。
 ジョニーは自分でもそう言っている通り、銃撃と近接戦闘において、彼に敵う者は軍内でもごく一部のものだけである。その一部の人物が、この大佐と、ジョニーが言う戦技教官のみである。また、彼がこれまで積み重ねた実績は、彼の軍服に飾られたバッジが物語っている。
 だが、とうとう彼は、いや彼女かもしれないが、これまで軍の最前線で活躍してきたにもかかわらず、唐突に、退職を言い渡されてしまった。


 そしてジョニーは、ばさっ、とカーキ色のジャケットを、次に白いシャツを、大佐が座るデスクの上に放り投げた。
「……これでいいですか?」
 みずみずしく透き通るような声で、乱暴に言うジョニー。
 そんな彼の上半身には、ふたつの果実を潰すかのように、真っ白なさらしが巻かれていた。
 顔を赤くする大佐。ぷいとそっぽ向くと、自らをにらみつけるジョニーにひと言、言った。
「女性にとって胸は大事なチャームポイントだ、大事にしなさい。軍はどうしても辞めてもらうが、軍復帰以外のことであればいつでも私を頼ってくれて構わない」
「……長い間、お世話になりました」


 ジョニーは、先代大佐として軍を引っ張ってきたアレクサンドル・デツェンバーと、ドイツからやってきた放浪の女性剣客レイニー・デツェンバーの間に生まれた男の子だった。
 そう、確かに男。これまで何度も、仲間の軍人と風呂に入ったりし、幼い頃は同年代の子とおしっこの飛ばしっこまでしたこともある。だが、アメリカに古くからある奇病、『ウィルス性・性別反転症=(通称)TS病』にかかり、その病名どおり性別が反転してしまった患者なのだ。
 ジョニーは父が引っ張ってきた軍に自ら志願し、父の名に甘えることもせず、幼い頃から自分の実力だけで這い上がってきた。両親からも厳しい稽古を受け、生まれ持った才能もあり、軍部内中学校に上がる頃には軍内でも敵なしと言われるほどになっていた。
 親にも、訓練の厳しさにも、愛情にも、才能にも、すべてにおいて恵まれていたジョニー。だが、1度病気を患っただけで、それまでの過去がすべて否定されてしまったかのように、軍を追放されてしまうのだった。


 レッドヴィル州、中央の町レッドヴィル。
 赤き砦という意味を持つ、州と同じ名前でその中央に位置するその町は、軍からさほど遠くない場所にあった。
 ジョニーはそこに流れ着き、仕事を探した。
「すみませーん、ちょっといいですかぁ?」
 スウィングドアを、きぃ、と開いて訪れたところは、ギルドだった。
 タバコを吸い、仕事のリストや指名手配書を鋭いまなざしで見つめる男たちがたくさんいる。タバコが苦手なジョニーは、うっとむせ返ってしまう。
「なんだね? よく見れば女の子じゃないか。迷子かい?」
 クマのような体格のギルドの主が、そう聞く。
「違います。僕は仕事を探しに来ました。どんなことでもします、とりあえず仕事をください」
「おいおい、簡単に仕事をくれなんて言うもんじゃねぇよ」
「大丈夫、問題ナイナイです! 僕、こう見えても軍で鍛えてもらいましたから。体力はちょっと落ちましたけど、組み手と銃撃なら、とりあえず自信はあります」
 その自信たっぷりのジョニーの発言に、眼光の鋭い男たち、大勢のバウンティーハンター(賞金稼ぎのこと。通称ハンター)が一気に彼女へと視線を移す。
「だったら……」
 主人は、とある一角を見やる。
「そこにいる、黒いベストに赤く大きなスカーフの男と、勝負してみな。勝てたら仕事を紹介してやるよ、何ならリストを全部持っていってもいい」
 だが、そう言った途端に、店の中にいるハンターたちは大笑いした。
 当たり前だ、その理由を知れば。
「おいおい、マスター。それはいくらなんでも無謀だぜ?」
「そうっすよ。ギャグにしちゃ笑えねぇ!」
「こんなちっちゃい子が、手練者(てだれ)のハンターに勝てると?」
 もう、充分ジョニーは理解した。
 ――店の人、僕に仕事を紹介してくれる気、これっぽっちもないや。


 この店の騒ぎに、赤いスカーフの背の高い男が、それまで顔をうずめていた新聞紙から顔を上げた。
「へぇ? ずいぶんかわいらしい挑戦者じゃないか」
 新聞紙の向こうから現れたのは、少し年齢を重ねた男だった。若いというわけでもなければ、老けているというわけでもない。「お兄さん」と「おじさん」、その中間くらいの年齢の男だった。
 そして、スカーフの男は、ジョニーに言う。
「どうだい、仕事のためにどんなことでもするなら、俺と勝負するってのも、やるんだろ?」
「……はい、よろしくお願いします」
 ジョニーは、男が座る円形テーブルの向かいに立ち、ペコリとお辞儀をする。
 男はそれまで読んでいた新聞をテーブルに置き、葉巻タバコを灰皿に押し付けてもみ消し、立ち上がった。
「勝負のルールだが…… とりあえず武器なしの殴り合いだ。今、俺たちが両足を着けているこのフローリングの床から、足を離して一歩でも動いたら負け。相手にどれだけパンチを与えようと、動かなければいいんだ、動かなければ。な、分かりやすいだろ?」
「とても」


 タバコの煙が満ちるギルド。
 向かい合う少女とむさい男。
 彼女たちを見守る、マスターやハンターたち。
 そして、テーブルを挟んで、静かな時間が、とうとう動き出した。


 先に手を出したのは、男だった。
 スナップを利かせ、まるで鞭のように、右拳でジョニーの顔面を狙う。
 だが、ジョニーはそれを左手でパンと音を立てて払い落とす。
 そして、ジョニーの反撃。男も手で防御し、お返しを見舞うようにジョニーにパンチを繰り出す。攻撃を仕掛けては捌かれ、攻撃されれば捌き、その繰り返しで、拳と手のひらのぶつかり合いの小気味いい音が、延々と鳴り響く。
 その様子に、ギルドにいるハンターたちは、言葉を失ってしまう。そのうち誰かが、ポツリと声を漏らしてしまう。
「す、すげぇ…… 何なんだ、あのガキ……?」
「軍で鍛えられてた、って言ったよな? きっと、レベルの高ぇ戦い方を教わったに違いねぇよ」
 そして、技の応酬が5秒ちょっと続いた頃だろうか。
 男がジョニーの軍服の袖をつかみ、腕をひねるようにして絡め取り、そのままテーブルに叩きつけてしまった。テーブルは傾き、ジョニーの上半身は一気に沈み、一歩動くどころかジョニーはテーブルと共に、フローリングの床に叩きつけられてしまった。
 がしゃーん! と、ものすごい物音が響く店内。
 まだ熱い灰と吸殻をかぶるジョニー。
 がたん、ごろごろ、と転がり落ちる灰皿。
 勝負は、誰の目から見ても明らか。
 ジョニーの、負けである。


 誰もが黙りこくる中、ジョニーは、頭をさすりながら立ち上がった。
「いっててて……! ちぇっ。まだ体のバランスが不安定だなぁ」
「悪かった。大丈夫か?」
 スカーフの男が、心配してジョニーの顔を覗き込む。だがジョニーは、へらへらした笑顔を男に向け、答えた。
「ええ、何とか。それにしても残念でした、組み手で教官と大佐以外に負けたのは久しぶりです」
 そんなジョニーの言葉に、男は「いや……」と首を振って答えた。
「俺の負けだよ。技をかけるために、左足を少し引いちまった。これが本気の組み手だったら話は別だが、ルールはルールだ、足を先に動かした俺が負けってことでいいぜ?」
「え……?」
「お前、強いな。俺に本気の一撃を出させるたぁ、さすがだぜ!」
 頭をさすり、灰と吸殻を叩き落としながら、ジョニーは立ち上がる。
 そして、お兄さんとおじさんの間くらいの年頃の、スカーフの男は、ジョニーに握手を求めた。
「俺の名前は、ジュード・ヒコック。みんなからは、ワイルド・ビル=ヒコックや、ビリーって呼ばれてる。どう呼んでくれても構わないけど、お前の名前は?」
「あ、ええと、僕は…… 僕は、元軍人の今は無職で、ええと……」
 ジョニー、と名乗ろうとした。
 だが、それは男の名前。もうその名前は似合わない。
 ジョニーはその名前を名乗るのをやめ、
「僕は……」
 そして名乗った名前は。


「僕は、ジェーン・デツェンバーです」



////////////エピソード2 初仕事////////////


 ジョニー、改めジェーンは、約束どおり仕事をもらうことができた。
 だが、彼女が紹介されたのは、極悪人の指名手配書ではなく、それこそどこにでもいる少女にも、できそうな仕事だった。
「……居酒屋での、アルバイト、ですか?」
 そういぶかしがるジェーンに、ギルドのマスターは答えた。
「そうだが? それも立派な仕事のうちだ、文句は言うな」
「うっ……! 確かにそうですが、僕は元軍人です、戦うこと以外、知らナイナイです。せめてC〜Bランクの指名手配くらいもらえませんか?」
「どんな仕事でもやると言ったのはそっちだぜ? え、無職のお嬢さんよ」
「……ッ! ええ、分かりました、分かりました! やればいいんでしょ、やれば!」


 ……おふぁっきん。
 店を出る際、そう小さくつぶやくジェーンだった。


 ジェーンは早速、その居酒屋に向かった。
 レッドヴィルの町、その大通りに面する、昼間から賑わっている店がそうである。
 店の名前を、『ワイルドターキー』。木造2階建てで、店内は広い。2階には部屋のようなものはなく、L字型のデッキが張り出しているだけ。1階とデッキ席には円形テーブルがいくつかあり、その円形テーブルに椅子が3つで1セットとなっているようだ。また、ここでたまにライブをやるのか、ピアノが1台置かれたステージがあった。
 スウィングドアを開き、ジェーンは店内に入る。やはりそこも、タバコの煙のにおいがきつく、ジェーンは顔をしかめてしまう。
 ――これだから嫌なんだよ。
 タバコの煙は、まぁ砂避けのマフラーなどで顔を被ったりすれば問題ないだろう。
 だが、それ以上にジェーンが嫌悪する理由がある。
 この店の制服である。
 ――これを着て仕事をするとか、マジ勘弁……!
 ワイルドな酒場には、ギルド同様、目つきがぎらぎらした男や、女を求めている男が、わんさか訪れている。中には恋人同士などで訪れている女性もいるが、女性だけで訪れる人はほとんどいない。……いや、見つけた。だが女性の護衛つきだ。相当なお嬢様に違いないだろう。
 すると、軍服姿のジェーンに声をかけてくる男性がいた。黒い立派なスーツに身を包んでいる辺り、この店の偉いクラスの人物だろう。
「いらっしゃいませ、お嬢さん。……ええと、ひとりでいらっしゃったのですか?」
「あ、あははは、場違いでしょうかね……? ええと、僕は食事に来たんじゃなくて」
 ギルドから預かった仕事リスト、それを取り出した。
「ギルドさんに紹介していただきました、ジェーン・デツェンバーというものです」


 ワイルドターキー、事務所。
 そこに、ジェーンと支配人、キールは、椅子に腰掛けていた。
 テーブルの上には、履歴書。幼い頃から軍にいたジェーンにとって、職歴の欄は簡潔で、しかし資格の欄はびっしり埋まっている。
「ほう、きみは本名をジョニーというのか」
「はい。なんかわけの分からない病気のせいでこうなりましたけど……」
「そうか。でも、きみの年頃でよかったと私は思うよ。20代後半を過ぎてこの病気にかかると、男か女か判らない体になって、結婚も夫婦生活にも障害が出ると言われている。それよりは、完全に女性になって今後子どもも残せる方がいいと思うね」
「でも、12歳を過ぎてこの病気にかかると、アイデンティティにも問題がでるとか。現に、僕はこの体がまだ受け入れられないですよ」
「まぁ、どちらも人それぞれだろうからね。……さて、仕事についてだけど、ジョニー、もといジェーンくん」
 キールは履歴書を机に置き、事務所の片隅を見やる。事務所は更衣室も兼ねており、カーテンで簡単な仕切りを作ることができる。そしてカーテンレールには、ハンガーが引っかかっている。
「あの制服を着て仕事をしてもらうのだが…… 元・男の子のきみには抵抗があるんじゃないかな? それに、この店には酔っ払いやセクハラオヤジも訪れるし、結構きついと思うんだ、生まれながらの女の子にしてもね」
「……いえ、何とかがんばります。度が過ぎるようでしたら軽くひねってもいいですよね?」
「ま、まぁ、お得意さんだけはよしてくれよ? そういうセクハラや酔っ払いのうまいあしらい方は、先輩たちに聞くといい」


 こうして、ジョニーは無事(?)に、職を見つけることができた。
 ワイルドターキーで働く女性の服装は、コバルトブルーのスカートに純白のシャツ、黒いフリルつきエプロン。胸元が大きく開けられており、二の腕から先も身につけていいのは指輪のみ。スカートは足首に届くまで長く、靴は自由。ただし、さすがに泥だらけのミリタリーブーツは受け入れてもらえなかった。仕方なく、店の備品を使うことに。
 ジェーンはまず、トレーの運び方だけを教わり、そのトレーを指定されたテーブルまで運ぶように言われた。ジェーンの胸は大きく、店の制服のせいもあって男たちの目を釘付けにしてしまう。
 ――うわぁ、すっげー恥ずかしい!
 ――それに視線が…… これだから男は……!
 ――いや、僕も元は男だけどさ、ここまで下品な目で見てなかったよ!
 トレーを運ぶのは、2階のデッキテーブル。ジェーンはスカートを靴に引っ掛けないように気をつけながら、階段を上ってゆく。
「スモークチキンとビールをご注文のお客様ですね?」
「おう、こっちだ」
「お待たせいたしました。ほかにご注文はございますか?」
「ふっ、今夜、お前を注文するぜ」
「ありがとうございます。それでは失礼いたします」
 教わったとおりに、笑顔を向けて挨拶するジェーン。だが、振り返って客に背を向いた途端、歯をキリッと鳴らす。
 ――お・こ・と・わ・り・だッ!


 その後、ジェーンはてきぱきとトレーを運んでゆく。中にはどさくさに紛れてスカート越しにお尻を触ろうとする男もいたが、うまく交わしてすり抜けてゆき、トレーを置いてカウンターに戻ってゆく。そんな男たちは残念そうだが、訪れる客の中には戦いに秀でた男もいるため、別の意味でジェーンを凝視している。
 ――ほう? あの女、なかなかいい身のこなしをするではないか。
 ――よく鍛えられていると見た。名うての賞金稼ぎか、その娘といったところであろう。
 ――ふっ、強い女は俺様好みだぜ。今夜、デートに誘……
 だが、その男の考えは、直後に砕け散る。別の小太りの男が、ジェーンに話しかけてきた。
「やぁ、新米の子? こんやおじさんとどうだい、一杯飲まないか?」
「ごめんなさい、これでも彼氏がいるので。恋の相談ならいつでも受けますよ?」
 見事に振られ、小太りの男はうなだれる。この会話を聞いていた男は、小太りの男とは別の意味で落胆し、おつまみと共にビールをあおる。
 ――それは残念。デートに誘えないのであれば、いつか手合わせしてみたいものだ。
 もちろん、ジェーンに恋人がいるなど、真っ赤な嘘。
 客からのお誘いを断る口実である。


 夜遅く、店じまいの頃。
 最後の酔っ払い客を追い払い、ジェーンはやっとひと息ついた。
 厨房では白シャツに黒リボンタイの青年が、ひとりで皿を洗っていた。やることをなくしたジェーンは、彼の隣について、青年に言った。
「皿洗いですか? 僕もやります、手伝わせてください」
「いいのか、デツェンバー? じゃあ、こっちのカゴを……」
「あ、待ってください。またお客さん来たみたいですね」
 青年がぬれた手で食器を詰めたかごを指差そうとすると、カランコロン、とベルが鳴り、ドアが開く。
 ハスキーボイスの女の子が、入り口に向かって叫ぶ。
「ごめんなさい、今日はもう閉店なんです」
 だが、客は「いいじゃねぇか」と言って、バンダナの女性がモップをかけている中、ずかずかとカウンターにやってくる。
「この店と同じ名前の酒を、ロックで頼む。わいる○た〜き〜、おんざろ〜っ○♪ なんてな」
「お客様、平成日本のロックンロールをオールドアメリカに持ち込むの止めてください、しかも誰が、そのネタ分かるんですか?」
「お嬢ちゃんなら通じただろう」
「鋼の右腕を持つ錬金術師も驚きですよ。それはそうと、もう閉店なので勘弁してください」
「ちぇ〜…… わぁった、わぁったよ、融通が利かねぇお嬢ちゃんだなぁ。あいつと同期の新人か? じゃあビンごとくれ、外で飲む。それと、今日入った新人の子、いるだろ。ジェーン・デツェンバーって子」
「ええ、いますが?」
 ……チャキッ。
 いつの間にか、調子のいい客の背後に、滑らかな金髪をなびかせながら、ジェーンが現れた。あの厨房から一瞬にして客席に現れるとは、恐るべき身のこなしである。
「ほう? 俺の背後を取るとは、さすが元巨人軍」
「軍人です。そういえばジャイアンツって球団、日本にもアメリカにもありましたねぇ」
「で、俺の腰に、黒くて硬くてデッカイのが当たっている気がするんだが。その物騒なものを引いてくれないかな?」
「いやらしい言い方をしないでください」
 男の腰から、「黒くて硬くてデッカイの」が離れてゆく。そして男は、ゆっくりとジェーンの方を向く。ジェーンの右手に握られていたのは、漆黒のリボルバーの拳銃…… ではなく、大口径の拳銃と同じくらいの大きさの注ぎ口を持つ、ビール瓶の先端だった。
「もー、こんな時間に来るなんて迷惑ですよ、ビリー?」
 ジェーンがビリーと呼んだ男。
 ワイルド・ビル=ジュード・ヒコック、その人だった。
「ジェーン、その人の知り合い?」
 ハスキーボイスの女の子に、ジェーンは答えた。
「はい、このお店を紹介してくれたギルドで会った人です」


 食器や調理器具などの片付け、掃除や看板の撤去なども済ませ、あとは着替えて帰るばかりとなった。
 事務所では、カーテンに仕切られたその向こうで、女の子たちが制服から普段着に着替えているところ。厨房の青年を含む男性従業員、すでに旦那がいる女性従業員は、とっくに着替えを終えて帰ってしまった。ジェーンはもちろん彼女たちと一緒に着替えることはせず、おとなしくカーテンの外で待つことに。
 そしてその間、事務所ではジェーンのほかに、キールとビリーが、店の商品でもあるビールとおつまみをついばんでいた。
 乾燥豆をつまみながら、キールが言う。
「それにしても、ジョ…… げふん、ジェーンが、ビリーの知り合いだったとは思わなかったよ。どうだい、ビリー。このあと、ジェーンも連れて『裏通り』にでも行かないか?」
「いいなぁ、キール。俺もいつも斬ったはったばかりだから、ちょっと華やかな夜の街に出かけたいもんだ」
 そして、当のジェーンは、早く着替えたくてうずうずしている。
 だが。
「でさー、その客の目がマジだったもんで、断るに断りきれなくてさ、思わず空のトレーで殴っちゃった♪」
「うちは結構紳士的な人からアプローチ貰たで。あの人やったら、女の子のこと大切にしてくれそうな気ぃするなぁ」
「でさー、あのお嬢様っぽい子いたっしょ。あれ一体誰だったのかな? ……どさくさに紛れて胸揉むの、やめんしゃい」
 ……終わらない。
 ……ガールズトークが、終わりそうにない。
 いつまでかかって、簡単な構造の制服を脱いでいるのだろう。
 仕方がない、とひと言つぶやき、ジェーンは自分が着ていた軍服を持ち、事務所を出ようとした。そんな彼女に、キールは声をかける。
「どうした、その服のまま帰るのか? まぁ、宣伝になるからいいが」
「違いますっ、2階のデッキで着替えてくるんです!」


 ところで、
 軍服の一箇所に、やけに重そうなものが垂れ下がっているのだが……?


 ワイルドターキー、デッキ席。
 よく磨かれた天窓から月明かりが差し込み、店内をほのかに照らす。ジェーンはその月明かりに照らされながら、エプロンを、スカートを、そしてシャツを脱いで、テーブルの上に置いてゆく。木綿の手触りのよさそうなショーツに、胸を支える革製ブラジャーという姿になり、ジェーンのかわいらしい体が、いっそう輝く。
「ふぅ…… 窮屈だった。いろんな意味で」
 そして、軍服のズボンを穿き、ベルトを締める。ブーツは上まできちんとレースアップし、蝶結びにする。次はシャツだ。
「サイズが合わなくなっちゃったな、この軍服も。今度、大佐にお願いしてひとまわり小さな服、買ってもらお」
 ……男女兼用の(ユニセックスな)カジュアル服を着るという発想は、彼女にはなかった。


 すると。
 ジェーンの目の前が、暗くなった。
「えっ……?」
 周囲を見渡す。
 だが、誰もいない。
 幽霊がいる気配もない、物が勝手に動いたとも考えられない。
 だが、ジェーンの目の前は、暗い。
 月明かりが急に弱まったのか? いや、ほかの天窓からは、さっきと変わらず、月明かりが差し込んでいる……


 と、いうことは……?


 ――まさか、上!?



////////////エピソード3 純白の銃////////////


 ジェーンは、とっさにその場から飛びのいた。
 途端、天窓の窓ガラスが砕け散る。
 銃声が鳴り響き、連続して窓ガラスを割ってゆく。
 デッキ席の床に弾痕が刻まれる。
 そしてジェーンは、くるりと床の上を転がると、すかさず腰に手を添えた。だが。
 ――しまった、ホルスターがない!
 ――銃は今……!
 ジェーンは割れた天窓の下のあたりを見やる。
 そこには、真っ黒な服装に身を包んだ、3人の男たちが現れていた。
「誰だ!」
 ジェーンは叫ぶ。だが、男たちはジェーンにリボルバーを向け、ためらうことなく引き金に指をかける。
 ――話し合いは通じないか!
 ジェーンはかがみながら近くのテーブルを蹴飛ばし、テーブルを盾として、銃弾を防ぐ。そして男たちは、容赦なくジェーンめがけて発砲する。
 ――人数は3人、リボルバーの装填弾数はメジャーなもので6発が上限。ひとり2梃まで持っていると計算して、3人×2梃×6発=36発。窓ガラスを割るのに5発以上使ったら、30発足らず。でも、それだけあれば、テーブルの1つくらい簡単に粉々にできてしまう!
 防ぎきって、敵がカートリッジをリロードする前に、このテーブルが耐えられなくなれば、ジェーンの身も危ない。
 ジェーンがとった策、それは。
「てい!」
 ジェーンは隣のテーブルを蹴飛ばし、敵の注意をそちらに移す。
 案の定、男たちはジェーンが新たに蹴飛ばしたテーブルを銃撃し、無駄に銃弾を消費してしまう。
 ――チャンス!
 ジェーンはテーブルの陰から飛び出し、ベルトを一瞬にして腰から引き抜くと、それを鞭のように手すりに叩きつけるようにして巻きつけ、手すりの上を飛び越えた。
「なにっ!?」
 バックル(ベルトを固定する金具)に指を引っ掛けたまま落下するジェーン。そしてデッキを支える(はり)のあたりに両足をつくと、落下の勢いを少しだけ殺し、1階のテーブルの上に跳び落ちる。こうすることで、怪我のリスクを負ってまで直接2階から1階に飛び降りるよりも、体への衝撃を少なくして階下に降りることができる。
「リーダー! あの女が!」
「気にするな、俺たちの目的は女を殺すことじゃない、この店の売り上げをこっそり持ち逃げることだ」
 だが、そんなリーダーの言葉に、仲間は呆れた。
 ――こっそり盗むつもりなんだったら、どうして派手に乗り込んだんですか?
 ――それとも、「こっそり」じゃなくて「ごっそり」の間違いじゃないんですか?


 階下に降りたジェーンは、大急ぎで、ベルトの代わりにジャケットの袖を巻いて、ズボンを固定する。
 そこに、事務所からビリーとキール、従業員の少女たちがわらわらと飛び出してきた。そんな彼らに、ジェーンは手のひらを向けて叫ぶ。
「出てきちゃダメです! 敵は銃を持っています!」
「ジェーン、敵って何なんだ? 今のすごい銃声、一体何が起こったんだ!」
 キールが叫ぶ。だが、そんなキールや少女たちに、デッキ席から、黒ずくめの男たちが銃撃する。
「うわっ!」
 銃弾の嵐が襲い掛かる。前の方にいたキールが何発か被弾し、うめいてその場にひざまずいてしまう。
「キール! ……畜生、みんなこっちへ!」
 ビリーが少女たちを奥に避難させる。両足に被弾したらしいキールは、その場から動けず、傷口を左手で押さえてうずくまっている。どうやら、右手にも被弾したようだ。
 キールが動けなくなり、ほかの邪魔者も消えた。泥棒たちはロープに括りつけられたフックの針を手すりに引っ掛け、するするとロープ伝いに階下に降りる。そしてまっすぐにレジカウンターに向かおうとするのだが。


 たん、たん、たん!
 軽快な銃声が、月明かりだけに照らされた店内に、響き渡る。


「ぐあぁっ!」
 途端、3人の泥棒たちは足をもつれさせて床に倒れ、うめき声を上げ、その場でのた打ち回る。
 彼らの足からは、薄暗い月光でも確認できるくらい、血が流れ出ている。どうやら、何者かによって足を銃撃されたらしい。
 事務所の出入り口の前には、リボルバーを構えたビリーがいる。だが、彼の持つ銃からは硝煙が立ちのぼっている様子はない。彼が撃ったのではないようだ。では誰が?
「まさか……」
 ビリーはつぶやく。
 そして、泥棒たちの足を銃撃したと思われる者が、ゆっくり、ゆっくり、乾いた足音を響かせながら、天窓から差し込む月光の下に姿を現した。
「まさか、貴様がやったのか……っ!?」
 男たちのうちのひとり、ボスと呼ばれた男が、銃撃した者に言う。
 右手には、純白の装甲銃。フレームとシリンダーこそ無骨な黒だが、シリンダーには草花の彫刻が施され、彫刻の部分は白く塗装されている。バレルを被う装甲は白ベースに青いラインでカラーリングされ、外側に十字架のエンブレムが飾られている。グリップは獣の牙が使われているのだろう、そのグリップの上の辺りには、この銃のメーカーのロゴと思われるものが埋め込まれている。
 そんな豪華な銃を持つのは。
「ええ。これでも僕、射撃に自信があるので……」
 カーキ色の軍服のロングパンツ。汚れと傷さえ味わいのあるミリタリーブーツ。みずみずしい肌。胸を支える革のブラジャー。砂金を流したかのような美しい髪に、それと同色の深い色合いを持つ瞳。
「これ以上無駄に銃弾を使いたくないし、血も流したくありません。抵抗せず、つかまってもらえますか?」
 そう、その人物こそ、ジェーン・デツェンバーである。
 彼女は、年頃のかわいらしさの奥から、情け容赦ないまなざしを向けている。


 ワイルドターキーに、保安官が駆けつける。
 そして泥棒たちは全員、その場で縄をかけられた。その泥棒たちは足を撃たれて動けないため、2頭の馬が引く金属製の檻に入れられ、さらし者にされながら連行される破目になった。
 そして事務所では、キールが年輩の医者の男に手当てをしてもらっていた。銃で撃たれた両足、左腕、わき腹を消毒し、特殊な白いフィルムとその上からガーゼを当てられ、包帯を巻かれた。
「ドクター、そのフィルムは一体何なんだ?」
 そう訊ねるビリーに、医者は答えた。
「……カニの殻さ、粉にして作ったもんだ。……傷口が大きい時ゃあよ、これ貼っ付けときゃ、これが新しい皮膚ンなんだ」
「へー、そりゃー知らなかっただなぁ」
 ビリー、いつの間にかなまっている。
「……だべ? ……(おらい)のご先祖がアメリカの先住民でさ、海沿いの町にゃ古くから伝わってる治療法なんだ。……俺自身は、先住民の血が1/4、移民の血が3/4入ってっから、混血なんだけんどもさ」
「あー、勉強になった。ありがとよ」
 程なくして、医者はキールの手当てをすべて終え、ある種類の薬を用意した。
「……こっちの薬は、食後さ飲め。……こっちのビンは消毒、こっちの黒い粒は痛み止め、粉末は化膿止めだ。……何なら男のエネルギーさ上げる、マムシ栄養剤もいるかい?」
「結構です」
 たくさんの女の子を前にして言う言葉ではない。ビリー、キール、そしてジェーン(アイデンティティは男)は、ため息をついて頭を振った。
 そしてキールは、パートのサブリーダーを勤める少女に、レジの中の売り上げから治療費を渡すように言う。
「ワイオミング。お医者さんに治療費を。1号レジを開いて、そこから出してくれ」
「あ、はい!」
 言われたとおり、サブリーダーの少女、ワイオミングがレジからお金を渡すと、それを受け取った医者はカバンを持ち上げ、あまりまっすぐにならない腰を立たせると、言った。
「……お大事になぁ」
「ありがとうございます」
 椅子に座ったままのキールが言う。その周囲では、ジェーンやほかの女性従業員たちが深々と頭を下げていた。


 ワイルドターキー、閉店後。
 軍服を着なおしたジェーンは、月明かりに照らされながら、ビリーと共に夜道を歩いていた。
「しかし驚いたな、たった3発で、あいつらの足を的確に仕留めるなんて」
「ありがとうございます。軍でメチャクチャ鍛えてもらいましたから。……そうそう。軍では年に4回、1シーズンに1回のペースでショーをやるんですけど、見たことあります? 僕、それでよく射撃をやってる…… やってたんですよ」
 過去形に言い直すジェーン。
 そんな彼女に、ビリーは答えた。
「ああ。銃撃や近接戦闘の訓練の成果を見せたり、軍事犬(警察犬のようなもの)の活躍を見てもらったりして、軍の誇りと素晴らしさを見てもらおうって言う、アホな大会だろ? 俺は、軍隊になんて興味ねぇんだよ。よほど大きな事件や、隣の州からの侵略行為がなきゃ動かない、ぶっちゃけ保安官よりも役に立たない連中の集まりじゃねぇか」
「あはは。そうですね」
 ジェーンはそう返し、銃を抜いてくるくる回した。
 だが、ジェーンのそんな思わぬ答えに、ビリーは驚き、呆れたように言う。
「そこは普通怒るところじゃね? お前の立場なら」
「他の人ならそうかもしれませんが、いいじゃないですか、それで」
 かちん、かちん、かちん。
 夜空に向けて、ジェーンは引き金を引く。
「平和が一番ですよ。万が一のときに備えて、保安官も軍もある。でも、その万が一のときがないことが、一番いいじゃないですか。……僕の父の受け売りですけどね」
「オヤジさん?」
「はい。ずっと前に、僕がいた軍の大佐をやっていました。ずっと昔のことです」
「……そんな考えも、そんなことを言うやつも、初めて聞いたし見たよ」
「そうですか。……でも、父も僕の先輩や上司たちも、起こってしまったその万が一で、命を落としました。レッドヴィル州は守られましたが、たった数年で、あれほど大きな戦争だったというのに、人々の記憶は風化してしまう。悲しいものです」
「……そっか」
 夜道を行くふたり。
 ポケットに手を突っ込んでうつむき歩くビリーと、夜空を眺めながら銃をくるくる回すジェーン。時たま、かちんかちんと夜空に向けて引き金を引いては、ポケットにスポッと納め、また素早く抜いてくるくると回し、もてあそぶ。
 と、ここにきてビリーは、ひとつの質問をジェーンに投げかける。
「……ところでお前、今、どこに住んでるんだ?」
「え、なに、いきなり人の個人情報を引き出そうとか? 情報流出問題が騒がれている今、そう簡単に聞き出せると思ったら大間違いですよ!?」
「……で、引き出されて困るような個人情報、というか住所、お前にあるのか?」
「それはもちろん!」
 ジェーンは胸を張って答える。
「ナイナイなのですっ!」


 素直にそう言え。
 ビリーは頭を抱え、左右に振った。


 ビリーの住所は、町の裏通りに位置する木造2階建てのアパートだった。
 アパートのスイングドア脇に立てかけられた看板には、この番地と、建物の名前が彫りこまれていた。
 アパートの名前を、『フランジア』。1階の入り口そばの部屋が管理人部屋となっており、1階には4部屋、2階には5部屋ある。そのうち、1階には芝生の庭、2階にはベランダが設けられている。
「入れ。部屋は全部埋まっているから、俺の部屋を使えばいい。俺は廊下で寝る」
「えー、それはだめですよ。僕が廊下で寝ます!」
「風邪ひくぞ?」
「大丈夫、サバイバルなら得意ですし、鍛えてますから。もともと、今日は野宿するつもりでしたし」
「女の子がひとり野宿…… 『襲ってくれ』って言ってるようなもんだぞ、それ」
「……ビリーさんは僕の事を襲うんですか、元男の子だって知ってて?」
「そっちの意味じゃねぇよボケ! いや、このご時世、案外当たってるかもしれないけどさ!」
 ドアを開く。短い廊下は、直進すると階段があり、その階段の下にトイレ、洗面台、脱衣所と風呂場がある。階段はギシギシと音を立て、「……ボロいけど、セキュリティに事欠かないなぁ」とジェーンは思った。
「ここ、201号室が俺の部屋だ。散らかってるけど、まぁ生活に不便はない」
「男のひとり暮らしなんてそんなもんですよ。軍を辞めた幼馴染のジャッカルなんて、いわゆる『萌え美少女グッズ』が氾濫」
「してねぇと思うよ!?」


 201号室。
 部屋のドアを開ける。
 確かに、汚いといえば汚かった。
 台所には食器が山積み、掃除が行き届いていないのであろう埃臭い空気、テーブルの上にはぐしゃぐしゃの指名手配書にビールのビンに筆記用具などその他もろもろ、壁にはまだ捕まっていない凶悪犯やこそ泥の手配書、窓際には洗濯物と一緒に吊るされたヒモノ(魚や獣の肉)、やっぱりあった男のたしなみたる、アレな雑誌。
「へぇ、日本の春画(じゅんが)とは、ま〜たマニアックですね〜」
「待て! お前、どうしてそれを知っている!?」
「ニコニコ…… じゃなくて、僕の父が日本大好きでしたから。僕、休暇をもらって1度だけ両親と一緒に日本に行ったことがありました。日本の文化って素敵ですよね。何かこう、建物も服装も、文化そのものが美術的って言いますか」
「あ、ああ…… 俺も、何回かアジア街に行ったことあるぞ。日本だけじゃねぇ、中国、ロシア、インド、モンゴルとかの文化が密集している商店街があって、そっちから来たアジア人も住んでいるんだ。今度連れて行ってやるよ」
「わぁっ! ありがとう、ビリーさん! まぁ、それはそうとこの春画はゴミ箱に捨てさせてもらいますけど」
「おい! 一晩泊まるだけのやつが俺の宝物を捨てるな!」
「え? ……てっきり、ここに住まわせてくれるものかと」
「シンセサイザー娘さんが宣伝やってるところで賃貸物件探せよ!」
 その後、ビリーは202号室から先の住民から、うるさいと苦情を受ける破目に。


 部屋はあまりにも汚い。
 エ○本…… もとい、日本からアメリカに渡った春画のことは置いておいて、ジェーンはこの汚さに、我慢することができなかった。
 この状況下、布団と遠出用ハンモックを用意しているビリーを眺めているのにももう限界。とうとうジェーンは、「片付けますよ!」と言って、ヘチマを干してできたスポンジに手を伸ばした。
「おい、ジェーン?」
「こういうの、我慢できないんです。寝なくてもきれいにして見せますよ、そうじゃなきゃ僕が眠れません。ついでに、ビリーさんも明日から2〜3日はまともな生活、できるじゃないですか?」
「いや、そこまでしなくても、干物とインスタント食ってりゃあ」
「体によくないです、それに不衛生です! だぁーもー、この家、洗剤とかもっといいスポンジとか、どうして置いてないのかなぁ、まったく!」
 まずは、食器を置くためのカゴから洗い始める。それをひと通り洗って、垢とカビと汚れを落として水ですすぐと、そのカゴの上に、残りわずかな洗剤(当然、天然素材)だけで洗いぬいた食器の山を積み重ねてゆく。その手際は、ビリーも驚きのあまりに唖然としてしまうほど、すばやく、それでいて丁寧なものだった。
 汚れにまみれていた食器が輝きを取り戻し、カゴの上できちんと整列している。最後に、ジェーンは水周りをヘチマのスポンジでこすり、とうとうボロボロになったスポンジをゴミ箱に放り込んだ。
「……軍じゃ、家事も教えるのか?」
「いえ、サバイバル訓練で、川で飯ごうとかを洗うことがあるので」
 次にジェーンは、ほうきとちりとりを持ち出し、せっかくビリーが用意した布団を撤去してベランダに干し、ベッドを横倒しにしてしまう。そしてある程度のほこりと荒ゴミをちりとりに押し込むとゴミ箱に捨て、玄関先に立てかける。
 それから1時間ほど、ジェーンは掃除と片付けに没頭した。それはもう、ビリーが呆れたり驚いたり、立ち尽くし、邪魔者扱いされながらも感心するほどに。
 いつの間にか汗だくになっていたジェーンは、「これでひと区切りついたか」とつぶやき、軍服のジャケットを脱いでテーブルの上に置いた。この家にはハンガーが少なく、引っ掛けられるものも何もないからだ。
「さて、これで明日の朝までは我慢できますね。ビリーさん、もう寝ましょうか?」
「………… ……悪っり、何もコメントできねぇ」
「しなくていいですよ?」


 ハンモックは、三脚のスタンドをふたつ用意し、そのふたつに備え付けられている爪に頑丈な鉄骨をつなぎ、三脚のてっぺんのフックにハンモック本体を吊るせばいい。
 ジェーンはビリーのベッドに、そしてビリーはハンモックに、それぞれ体を預ける。ビリーが体制を崩し頭の下に手を組んでいるのに対し、ジェーンは腹の上に手を乗せてまっすぐな姿勢で横たわっている。
 掃除のあわただしさから一気に静寂に包まれるビリーの部屋。ビリーはまぶたを閉じず、ただ天井を見つめているだけ。そんな中、ビリーがもう寝たのではと思っていたジェーンから、声をかけられた。
「……ビリーさん、起きてます?」
 ジェーンも、ビリーが寝ている可能性を配慮したのだろう、小声で言う。
「起きてるぜ。何か?」
「あ、いえ、何でもないです」
「そうか」
「あ、ええと、あの、その…… ただ、何て言えばいいか」
 ビリーには、ジェーンの表情は分からない。体を翻して振り向けばいいのだろうが、ビリーは視線をチラッと動かすだけで、ジェーンの声に耳を傾けている。
「今日は、泊めてくださって、ありがとうございます。ビリーさんの言うとおり、泊まるのは今夜だけにして、明日からはちゃんと、僕の新しい家を探して、そこに住むので。……だけど、たまにここに、遊びに来ていいですか?」
「ああ、いいぜ。いつ死ぬか分からない賞金稼ぎの家でよければな」
「あははは…… 僕も、いつか戦場で死ぬと思っていましたけど、ワイルドターキーさんで働かせてもらうことになったら、しばらく死にそうにないですね。ビリーさんが死んだら、お墓参りなら、毎日してあげますよ」
「言うな、こいつ」
 あははは、と笑い合う、ジェーンとビリー。
 そしてひとしきり静かに笑うと、ビリーはハンモックの上でごそごそと体を上下逆にし、ハンモックの左脇から、顔をのそっと出す。ハンモックの下では、笑ったせいで目じりに涙をためたジェーンが、その涙を右手でぬぐっているところだった。
「……いや、何なら、ずっとこの部屋にいてもいいぜ?」
「えっ?」
 涙をぬぐうジェーンは、きょとんとした表情で、ハンモックの脇から顔を出しているというマヌケな状態のビリーを見上げる。
「お前は、元軍人で几帳面でズボラなところを許さない、そんな感じのヤツだけどさ、かわいくて、胸も大きくて、優しくて、かといって悪人に容赦しない…… そんな、かわいらしさと強さにあふれる女の子がさ、ここにいたりするわけじゃん?」
「は? あ、はぁ…… まぁ、もともとは男の子ですけど?」
「いいんだよ、お前から香ってくるのは、確かに女の子の香りだ。笑顔もかわいいし」
 ビリーはそう言うと、とうとうハンモックから降りて、両足で静かに床に着地すると、自分のベッドに横たわるジェーンの脇に、体を投げ出す。ジェーンは布団の中でもぞもぞと動き、ビリーにベッドを半分だけ返した。
「俺、ズボラの中でも相当ズボラだし、まともに飯も食わないからさ、お前がいたらすげー助かるんじゃないかって。いや、それにさ、懸命さだとか、かわいらしさだとか…… 言葉で言い尽くせないいろんなのが、俺の中で渦巻いてんだ、うまく言葉にできない」
 そう言うと、ビリーは吐息がかかるくらいにまでジェーンに近寄ってくる。
 真っ暗な部屋にわずかに反射している月明かり。それでも、ジェーンのかわいらしさは失われていない。
「ビリーさん……?」
「どうだ? お前さえよければ、しばらくここにいてくれよ」
「そう、ですねぇ…… ………… ……わかりました」
 ジェーンは短くそう答え、枕に頬をうずめる。
「お言葉に甘えます」


 軍を追放され、行宛を失っていた放浪の少女は。
 何とか、仕事と住まいを、見つけることができたようだ。



////////////エピソード4 振り返る道////////////


 ジェーンがビリーの家に転がり込んで、数日が経った。
 その日は、よく晴れていた。太陽の光が部屋に差し込んできた頃、ジェーンは勢いよく、毛布をはいで起き上がる。
「……さて、今日も1日、がんばりますか」
 ジェーンがパジャマとして使っているものは、軍服のYシャツ。サイズが合わずぶかぶかで、まるでワンピースのようになっている。股はシャツのすそでギリギリ隠れており、下手をすれば『裸Yシャツ』に錯覚してしまいそうだ。
 Yシャツを脱ぐと、木綿のパンツがあらわになる。Yシャツをベッドの上に放り投げると、サンダルを足先に引っ掛け、革のブラジャーを胸に巻く。ずいぶんと体が柔らかくなったようで、ビーズを紐の輪に通すのも難なくできた。
 ジェーンはその上から、ブルージーンズにクリーム色のTシャツ、飾りや刺繍が施された革ベスト、コンドルの羽根に獣の牙を用いたビーズの首飾りを身につける。腰には、あの白い装甲銃を納めたホルスターを巻く。
 サンダルのまま、ジェーンは台所に向かい、コップ1杯の水を飲む。冷たい水が、ジェーンの心と体を潤し、寝ぼけ眼を覚ましてゆく。こく、こく、と軽快にのどを鳴らし、水を飲み干すと、グラスを静かに流し台に置いた。
「ビリー。僕、ちょっと散歩してくるから」
「んぁ……?」
 こちらは完全に、ダルダル状態。起きているのか寝ているのか分からない返事をする。
「起きた時に伸びをして水を飲むと体にいいんだって。ほら、今日も仕事があるんでしょ? 起きなさいって」
「ん……? ジェーン、どこに行く?」
「朝の訓練…… じゃなくて散歩。じゃ、そゆことでー」
 サンダルからウェスタンブーツに履き替えると、ジェーンはドアを開け、滑らかな金髪を揺らしながら、部屋を出て行った。


 アパート、フランジアの前。
 ジェーンは鼻歌を歌いながら体操をする。
 手足のストレッチから始まり、胴をひねったり、両手を左右に広げて立ったまま仰向けになったりする。そして、一通り体操を終えると、ジェーンは姿勢を正して、ウェスタンブーツを響かせながら『右向け右』をすると、そのまま路地を歩き出す。ただ、何も考えずに、頭も心も空っぽにして。
「……こんな朝も、悪くないなぁ」
 心を空っぽにする、だからこそ、いろんなものを見ることができる。
 ジェーンが視線を移す先。そこには、見慣れない草花が生え、ネズミをくわえたノラネコがジェーンを一瞥するなり去ってゆき、鳥の鳴き声が聞こえたかと思うと近くの民家やアパートの屋根の裏に作った巣に隠れるように帰ってゆく、そんな光景。
 この町に住まい、朝早くから町を眺めるものにとっては至って普通の光景かもしれない。だが、これまでずっと陸軍に属し、外の世界のことなどほとんど知らなかったジョニー、現・ジェーンにとって、毎日を過ごす中で目の当たりにするすべてのものが、真新しいものだ。
「おもしろいなー」
 その表情はとても穏やかで、年頃未満の少女のもののようだった。
「でも……」
 ふと立ち止まって、今まで歩いてきた道を、振り返ってみる。
 ウェスタンブーツで踏みしめる地面が、ざっ、と乾いた音を立てる。
「僕、これからどうしていけばいいんだろ?」


 散歩は長かった。
 とうとう、商店街が始まる時間まで、ジェーンはレッドヴィルの町をうろついた。
 町の中にぽつぽつとある、機械仕掛けの時計が、9時を指す。
 商店街がオープンすると共に、主婦たちが買い物にやってくる。店と店の間の樽の上ではネコが戯れていたり眠っていたり、裏路地に入る道の脇ではギター引きの青年が弾き語りをやったり、昨晩からそこにいたのであろう中年の男性が酒瓶を手につかんだまま横になっていたり、多種多様な光景が見られる。
 そのうちジェーンは、ギター引きの青年が寄りかかっているホットドッグ&ハンバーガーショップに、ふらっと引き寄せられた。
「あぁ、うまそー……」
 ――ファストフードなー。僕の知らない食べ物……
 ――おととい、ビリーが買ってきたホットドックに、超感激したっけ!
 そしてジェーンは、迷わず財布に手を伸ばした。
「シェフ、すみません! ホットドッグをひとつお願いします。マスタードたっぷり!」


 ………… ……だが、ジェーンはあとから気付かされた。
 ……ファストフード店に、シェフはいない。


 アパート、フランジア。
 ジェーンが長すぎる散歩から帰ると、ビリーは台所に立ち、フライパンを振っていた。
 その様子に唖然とするジェーン。しばし玄関に立ち尽くしたまま、ビリーの姿を眺めていた。
 そんな、まるで時が止まったかのように立ち尽くすジェーンに、イライラした表情でビリーがジェーンに声をかけた。
「おい、いつまでそこにいるんだ、って言うかその顔は何なんだ、気に入らねぇ」
「ううん、ビリーがちゃんと料理を作るところ、初めて見たもんでさ。……で、何作ってるの、そんなに焦がして?」
「チャーハン。俺はこのくらい焦げてるほうが好きなんだよ。……いや、お前がきれいに洗ってくれたおかげで、焦げるのがちょいと早いぜ」
「いつもどんな状況のフライパン使ってチャーハン作ってんの!? ワイルドなアームと言うよりズボラの常軌を逸した精神攻撃ッ!」
「で、そのネタ誰に通じる?」
「人に言えた義理!?」
 ビリーは1枚の皿にチャーハンを半分だけ盛り付け、もう半分はフライパンに残したまま、テーブルに運ぶ。
 幸い、スプーンは5本ある(ズボラでそのまま洗わなくても、新しいものが次々取り出せるからだろう)。ジェーンはそのうちの1本を取り、皿に盛られた方のチャーハンをついばむ。
「……ジェーン、食欲ねぇな。普段は一気に平らげるのに?」
「うん、ごめんね。さっき、衝動的にホットドッグ買っちゃったんだ。ホットドッグっておいしいよね、パンを横に切ってソーセージをはさんだだけなのに、何であんなにおいしいんだろ? あ、ビリーのチャーハンもおいしいよ、見た目に反して」
「褒めてんのか、けなしてんのか? そら、シンプルなものこそおいしいって鉄則だろ」
 ビリーはチャーハンをひと口、口にする。焦げた部分が、バリバリと音を響かせる。ちょっと苦い大人の味、などという上品なものではない。
「シンプルなものこそ、おいしい……?」
「ああ。そりゃ確かに、食材のことを理解してその調理法も熟知しているコックが作った料理もさすがにうめぇよ? けど、それって相当お金がかかるし、俺のようながさつなハンターには似合わねぇ。ちょっとした贅沢ってことで食いに行っても、緊張感のせいで味も分かんねぇし、結局、俺はシンプルな自分の料理に行き着くわけだ」
「ほう、つまり自分の腕こそ一流シェフより腕が上だと?」
「そうじゃねぇよ。食材ってものは、最初からうまいもんさ。野菜や果物は新鮮採れたてがとてもうまく、肉と穀物はちょっと放ったらかしにした状態がとてもうまい。そいつらをまとめて刻んで火ぃ通して、塩と砕いたブラックペッパーでちょっとだけ味付けすりゃ、簡単でおいしい料理の出来上がりさ」
「ふーん…… 僕、そんなの考えたことなんてナイナイだったな。軍じゃ、母さんが作った料理が、おなかも味覚も満たしてくれた。でも、確かに……」
 ジェーンはひと口、チャーハンをついばんで、ブラックコーヒーを口にする。
「サバイバル訓練で捕まえたクマの丸焼きも、その時レッドチリペッパーと魚の煮汁だけで味付けしただけなのに、とてもおいしかった。そう言えば、そのクマを仕留めて3日間放っといた肉がすごくおいしかったのを覚えてる。……でも、このコーヒーはさすがに苦いなぁ」
「だろ? 下手に人間が手を食わなくても、うまいもんは最初からうまいんだよ。ま、中には毒性の強い獣肉や草もあるから気をつけなきゃいけないけどな」
「……いたよ、ぷっくり膨らんだ魚とか、変な色のきのことか、うまそうなもの採ってきたとか言って真っ先に調理して死んだ仲間の軍人」
 おそらくそれは、フグと、毒キノコなどの類であると思われる。
 そしてビリーは、眉間にしわを寄せた顔でジェーンに言う。
「食事中にそういう話って、どうなの?」
「え、普通じゃん。サバイバル訓練なんて、戦争よりも食事で死人が出ることしょっちゅうだよ? 下手すればそこら辺で起こる戦争より、いっぺんに人が死ぬこと多いし」


 その後、ビリーはゴミ箱のふたを開けた。
 もったいないお化けが出たって、知らない。


 居酒屋、ワイルドターキー。
 ジェーンはこの日も、眼光の鋭い(様々な意味で)男たちを相手に、仕事をこなしてゆく。
 それまでトレーをテーブルに運んだり回収したりというものばかりだったが、次第に注文伝票を任されたり、レジの操作を教えてもらったりしていた。
 ジェーンの仕事は忙しくなる。だが、忙しくなるにつれて、ジェーンの中から女性用の制服に対する羞恥心が薄れ始めてゆく。男をあしらってゆくに従い、女の子らしさがさまになってきている。ジェーン本人は、それに気付いているのか、いないのか。
「デッキ15番から、ターキー(ワイルドターキー)、ジョッキ大(ビール)、網チキ(網焼きチキンステーキ)、貝柱入ります!」
「了解! 15番、ターキー、ジョッキ大、網チキ、貝柱、うけたまわりました!」
 その一方で、事務所では。
 ビリーとキールが、濃い目のコーヒーをすすっている。
「……そうか、仕事は普通にできるか」
「ありがとう、ビリー。しかし、あのお医者さんはすごいね、傷口も化膿しないし、もう痛くも何ともない。派手に動かなければ、事務作業ならできる」
 キールの服装は、相変わらず立派なスーツ。表情もとても涼しげ。誰かに言われなければ、数日前に手足が被弾したとは気付かないだろう。
「それで、話はそれだけかい、ビリー? お見舞いに来てくれたのなら、少しくらい仕事を手伝ってくれないかな。これでも事務は遅れているんだ。ホールに立つこともままならず、お客様方に申し訳が立たないよ」
「悪いが、俺は本当にお前の無事な顔を見たかっただけだ、コーヒーだけご馳走になったら、お代だけ払って、仕事に行くよ」
「僕たちの仲だろ、お代なんて。……で、今回ギルドからもらった仕事は、どんなもんなんだい?」
 ビリーは、キールからもらったコーヒーをひと口すすると、ふぅ、とため息をつき、静かに答える。
「ギャラは高いが、珍しく危険なものじゃないさ。一週間、医療錬金術師のお嬢様のアシスタントをやる。1時間後に、そのお宅に行くことになっているんだ」
「お前が医療に携わるとは。普段は殺してばかりのお前がなぁ」
「殺してばかりじゃねぇよ、できれば無駄な血なんて流したくねぇ。まぁ、あいつの言葉を借りるなら……」
 ビリーは、事務所のドアの方を見やる。
 ドアからは、従業員がめまぐるしく働き、客が陽気に楽しんでいる声が聞こえる。
「平和が一番ってところさ」


 1時間後。
 錬金術研究所『ペンドラゴン』。
 そこは大きくも小さくもない2階建ての屋敷になっており、煙突からは煙がもくもくと立ち昇っている。そんなに寒い季節でもない。きっと、今も何かの研究中なのだろう。
 ビリーは敷地内に入り、庭の石畳の道を行き、玄関前に到着する。その研究所の名前、ペンドラゴン(龍の頭の意味)にとてもよく似合う、漆黒のドラゴンのノックが、肩の高さに設置されている。
 2度のノックののち、ビリーは言った。
「ギルドに仕事の紹介をいただいた者だ」
 ビリーの言葉に遅れること数秒、中からあわただしい足音が聞こえてくる。
 そしてドアが少しだけ開くと、チェーンが引っかかってそれ以上開くのを制止していた。その、ドアの隙間から現れるのは、緋色の髪と、かわいらしい少女のどんぐり眼。
「よぉ、お名前は?」
 声もかわいらしい。だが、そのかわいらしさに反して、言葉はとても乱暴だ。
「ジュード・ヒコック。通り名はワイルド・ビル・ヒコックや、ビリー」
「ん、確認した。知ってるぜ、名うての賞金稼ぎワイルド・ビルさん。剣を抜けばたちまち荒野に緋色の風をなびかせると言う」
「そんなことはどうでもいい。俺を雇う気があるなら、そのチェーンをはずしてくれないか?」
「ったく、あんた短気って言われたことは?」


 少女の名は、ヘレン・ペンドラゴン。
 背は低く、おそらくジェーンと同い年ぐらいだろう。緋色の髪は腰よりも長く伸び、上品できれいなドレスシャツにかぼちゃパンツの上には、ボロボロの白衣を纏っている。
「女の子が医療錬金術を使うとは驚きだな」
「意外かい?」
 ぶっきらぼうにそう言う、せっかくかわいいのに、かわいげのない女の子、ヘレン。
「世の中にはいろんなやつがいるからな、気にしない。で、俺は何を手伝えばいいんだ?」
「ひたすらフラスコを洗ってくれればそれでいい。絶対に洗い残しとかするなよ?」
「よりによって、俺の苦手分野とは…… まぁいい。最近、きちんと家事もするようになってきたんだ、やるだけやってみるさ。あとでチェック頼む」


 ジェーンがワイルドターキーでせかせか働いている間、ビリーはこの錬金術研究所で地味な仕事を淡々とこなしていた。
 フラスコの洗い方を一通り教わると、家事でもしたことのないほどに真剣な目つきで、ビリーはフラスコを洗ってゆく。丹念にヘチマのスポンジやブラシで汚れを落とし、注意深く洗い残しがないか目視しながら水ですすいでゆく。ガラスばかりの器具をカゴに山積にしてゆくと、ヘレンはうん、とうなずいて次の仕事を言い渡す。
 ヘレンがビリーに託した仕事。どうやら次は、掃除、そのあと夕食作り。報酬が高いと聞いて飛びついてみれば、家事のオンパレード。最も苦手な家事ばかりを押し付けられ、ビリーはロンリーグロッキー寸前だ。
 夕食のメニューは、切れ目が入ったビッグソーセージ(加熱のし過ぎで皮がむけた)、焦げチャーハン(ビリー納得の出来栄え)、五目野菜炒め、そして苦すぎるコーヒーとよく冷えたワイン。
 ヘレンは「ご苦労さん」とだけ言って、食事に手をつけた。まずはワインで口を潤し、次に食事に手を伸ばすのが、彼女なりの食べ方のようだ。
「で、ペンドラゴンさんよ」
「ん? ヘレンって呼び捨てていいぜ?」
「じゃあヘレン。今、どんな研究してるんだ? 医療錬金術って言ったって、あの研究室の設備…… まるで化学実験だぜ」
「そうだよな、よく言われる。でも、気にすんな。あんた、TS病って知ってんだろ?」
 突然言われた病名。
 ビリーはすぐに、その患者であるジェーンを思い浮かべる。
「ああ。このアメリカ大陸から古くからある病気のことだろ? 1620年、メイフラワー号という船に乗り、イギリスからピューリタンが渡ってきたが、先住民に比べてその病気に抵抗を持たなかった移民どもは、たちまちその病気にかかり、半数が死に、半数がまったく別の性別になってしまった。精神を病んだ患者は、発狂したり自殺したりした。病気を免れたり何とかその状況を受け入れた移民の子孫が、こうして今、アメリカを開拓している」
「よくご存知で。で、逆のことについては知ってる?」
 ビリーのスプーンが、一瞬止まる。
「逆だと?」
「その移民が、故郷であるイギリスから持ち込んだ病気だ。メイフラワー号の航海中、乗組員たちが苦しめられた病気は壊血病、肺炎、結核だと言われている。今はもう療法が確立されている一般的な病気だから、ピンと来ないかもしれないが」
「あ…… そんなのもあったな」
「耐性を持たなかった移民を性転換させたのと同じように、イギリスから持ち込まれた病気もまた、原住民たちに猛威を振るった。原住民はあらゆる薬、医療、おまじないに頼ったが、結局その病気の蔓延は防げかった。移民が流れ着いた東海岸一帯の原住民の集落は、たった数年で滅んだとされている」
「ほう。そう言えば、コロンブスがアメリカ大陸にやってきたときも、似たようなことがあったと聞く」
「天然痘だな」
「だったかな。……で、今回の研究とその病気が、どう関係あるんだ?」
「TS病は、移民がやってくる前は、男女共に発症するものだった。だが、移民が来てからというもの、男性に多く発症するようになってきた」
「そんなことが……」
「これは推測だが、十中八九当たっていると思う。アメリカにもともといた『原住TSウィルス』が、移民たちがやってきたことで『新型TSウィルス』に変異したんだと思う。オレは、その新型TSウィルスのメカニズムを研究したいんだ」
「その研究が進むと、どうなる?」
 ヘレンは、スプーンを置いて右手の人差し指をピンと立てる。
「その1:TS病にかかった男を、転換する前に治療できる。正しくは、発症を抑えられる」
 次に、ヘレンは閉じていた中指もそろえ、右手で2をあらわす。
「その2:男女比が崩れつつある今、女、もしくは女性化した男を転換させてバランスを取り戻す。ま、こちらの前者はあまり気が進まないけどな」
「分かる。女性化した野郎どもが味わった苦しみを、女どもに強いてやる必要はない」
「あと、まだ困った問題があってな」
 ビリーがコーヒーを口にする中、ヘレンはワインをグラスに注いだ。ビリーが気付いてみれば、いつの間にかヘレンの皿から、野菜炒めが消え、チャーハンもほとんど無くなっている。いつの間に食べつくしたのか。
「新型TS病にかかった男は、ほとんどのやつが、ある症状を発症する」
「っつーと?」
「その度合いは人によるが」
 こと、とワイングラスを置いたへレンが、容赦なくその言葉を発する。




「ド淫乱になる」


 ……途端。
 ビリーは、コーヒーを盛大に噴き出した。




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