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 ガールフレンド

  Taika Yamani. 

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  プロローグ



 性に目覚めて、性を本格的に意識し始めた、中学二年の夏。
 十四歳の少年である高槻初瀬が、同い年の少女の春日井エリナとそういう関係になったのは、性への好奇心と、最初はその場の成り行きだった。
 もしかしたらそこに恋愛感情もあったのかもしれないが、まだ大人になりきれていなかった初瀬は、自分の感情がそれだとは思っていなかった。もちろん、好きでもない相手とそういうことをするほど初瀬は不純ではない。彼女のことは堂々と胸を張って好きだと言える。だが、それが恋愛感情かと問われると、初瀬は自分でもよくわからなくなる。
 恋愛と友愛の境界。恋愛と性愛の境界。恋愛と独占欲の境界。
 自分の気持ちのことなのに、初瀬にはまだよくわからない特別な感情。
 だから、中学三年の冬、エリナが告白してきた時、初瀬は大きく戸惑った。
 「ね。もしわたしが、本気で恋人として付き合ってって言ったら、そういう意味で初瀬が好きって言ったら、どうする?」
 「……へ?」
 思わず素で間抜けな声を出した初瀬は、一瞬何を言われたか理解できなかったが、彼女の目を見て息を呑んだ。
 もしもと仮定の形をとっておきながら、全然笑っていないエリナの瞳。にっこり笑えば柔らかい優しげな顔立ちなのに、どこか不安げに強張っている彼女の顔。本気の言葉なのだと、初瀬は本能的に察した。
 高校入試が間近に迫った、一月下旬の放課後。
 いつも家族がいない時間帯の、初瀬の家の、初瀬の部屋で。いつも通り受験勉強の名目で訪れたエリナと、甘く情熱的に身体を重ねて濃厚な時間を過ごして、ゆったりと余韻に浸って、身繕いをすませた後。
 もうカーテンの外は真っ暗な午後六時過ぎ、ラフな私服姿の初瀬と、中学の冬のセーラー服姿のエリナ。すらりとしとやかな身体つきの、きれいなロングヘアのエリナと、彼女より二十センチくらい背が高くて、夏までの部活と日々の筋トレで鍛えて比較的筋肉質な初瀬。
 二人寄り添い合って座って、お互いにのんびりしていたはずなのに、急に立ち上がったエリナ。
 この日どこか様子が変で、やけに素直で積極的だった彼女の、突然の言葉。
 「……おまえのこと好きだけど、そういう意味で好きなのかどうか、まだよくわからん」
 初瀬はこれまでずっと、自分やエリナの感情が恋愛なのかどうかなんて、深く考えてこなかった。ベッドの中でならともかく、普段のエリナは勝気で意地っ張りで、自分から初瀬に甘えるのも下手で、それでもいつも初瀬と一緒で、初瀬にとってはそれが自然で当たり前のことだったから。他人に初瀬との関係を問われても「ただの腐れ縁なだけよ」と軽く答えるような彼女で、ある種の共犯関係だと思っていたから。今となってはなんの言い訳にもならないが、成り行きと好奇心から始まったような身体の関係だったから。
 「――やっぱり、みあの方が好きなのね」
 「なんでそうなるんだよ」
 脈絡がないように思えるエリナの言葉に、初瀬は思わず言い返してから、彼女の強張った表情を見て、態度を引き締めた。
 この状況で自分の気持ちをごまかすほど、初瀬は卑怯ではない。
 自分に対しても彼女たちに対しても正直でいたかったから、初瀬は素直に言葉を重ねる。
 「……みあのことも、まだよくわからん。好きは好きだけど、恋愛とか言われれば、なんか違う気もするし」
 エリナに対する好意と、もう一人の別の女の子に対する好意。その二つの感情は、初瀬の中で複雑に渾然一体となって絡み合っている。だから余計に恋愛がわからなくなるのかもしれない。
 「じゃあ……」
 エリナは一瞬だけ瞳を揺らし、真っ向から初瀬の瞳を見つめた。
 「好きとか嫌いは別にして、ちゃんと恋人として、わたしと付き合ってみない? わたしのこと、本気になってくれる可能性、ないわけじゃ、ないでしょ?」
 「そりゃあるけど……、って、いや、でもそれもなんか違うだろ。その、なんだ、本物の恋人とかって、そういう意味で本気で好きなもん同士がなるもんだと思うし」
 恋人、という言葉を真面目に言うのがなんだか気恥ずかしくて、初瀬は思考がまとまらなくて、こういう状況なのに照れくささをにじませた。無意識に自分の首の皮膚を引っ張るようにつまんで、初瀬はエリナに答える。
 そんな初瀬と対照的に、エリナはどこまでも真剣だった。
 この日この時までに、どれほど思い悩んできたのか。
 今までの関係がすべて変わってしまうかもしれないのに、友達ですらいられなくなるかもしれないのに、エリナはまっすぐだった。
 「わたし、本気で初瀬が好きよ」
 「…………」
 「…………」
 「……すまん。おれは、まだよくわからん」
 男として、明らかに卑怯なのだろうが、それが今の初瀬の正直な気持ち。
 エリナの闇色の瞳が、微かに震えて初瀬を見つめている。
 瞳と同じ色の長い髪が、部屋の光を反射して艶やかにきれいだった。
 初めて初瀬がベッドで褒めた時、はにかむように甘えるように笑ったエリナ。
 初瀬が彼女の髪や胸や太ももを撫でて『もうずっとさわってても飽きないなぁ』などと本気で言って戯れると、照れたり怒ったり笑ったり、急に反撃とばかり抱きついてきたり、その時々によって色々な表情を見せてくれていたエリナ。
 普段は勝気なのに、ベッドの中では素直で、初瀬がいじわるをするとすぐに泣いて、でも優しくすると甘えてきて、時にはエリナも自分から大胆で。
 行為の後も裸のまま生まれたままの姿で抱き合ってキスをして、優しい沈黙でただ時を過ごしたり、他愛もない話をしたりする時間が、初瀬はいつも大好きだった。
 ……長い沈黙が、初瀬の部屋を支配する。
 エリナと出会ってからの数年間と、彼女と身体の関係を持ったここ一年半の記憶が、初瀬の脳裏を走馬灯のように駆けめぐる。
 エリナに好きと言われて嬉しいのに、初瀬は胸が締め付けられるように苦しくなった。
 女子の方が男子より精神的にも成長が早いというが、エリナは初めての時には、もう本気だったのだろうか。なのに、これまで彼女の気持ちを真剣に思い遣れていなかった自分と、今、彼女の気持ちを受け入れることのできない自分。覚悟も責任も何も考えずに、付き合ってもいないのに身体の関係を持つことの歪さから、ずっと無意識に目を背け続けてきた卑怯な自分。
 初瀬が一生懸命気のきいた言葉を捜していると、エリナはまつげを震わせて、そっと視線をそらした。
 「初瀬って、カッコつけてるくせに、やっぱりまだおこちゃまよね。十五にもなって恋愛がよくわからないなんて、今時どこの幼稚園児よ」
 怒っているふうではなく、呆れているふうでもなく、どこか感情のこもらないエリナの声。
 初瀬は結局うまい言葉が思い浮かばず、ついいつものペースで言い返した。
 「うっさいよ、どうせおれはまだ十五のガキだからな。おれに大人を求めるのは十年ばかしはえーんだよ」
 「そうやって開き直ってるとこなんて最低。ホントにガキよ」
 エリナの繊細で優しげな顔立ちに、凛と勝気な印象が宿る。そう言いながら顔を上げたエリナは、もうすっかりいつもの気の強そうな表情だった。
 「だいたい、人の身体を散々弄んでおいて捨てるなんて女の敵だわ」
 「なんだよそれ、捨てるわけないし、おまえだっておれの身体弄んでるじゃんか」
 「――それは、最初はあなたがさせたんじゃない。だいたい男と女じゃ違うに決まってるでしょ。まさか他の子にも手を出してるんじゃないでしょうね?」
 「んなわけないだろ。おれはおまえ以外抱いたことなんてないぞ」
 「……ふーん、どうだかね」
 「おまえはおれをなんだと思ってるんだ」
 いつものようにエリナと馬鹿を言い合えることに、初瀬は内心ほっとしながら、感情に任せて言い返す。
 「恋人でもない女に手を出す性欲魔人?」
 「せ……。そういう身も蓋もない言い方すんな。女ならもうちょっと慎みを持て」
 「いまさら初瀬の前で気にするような慎みなんてありませんー」
 エリナはおどけるように冗談めかして、ちょっとだけ笑う。
 「おれは慎み深い女の方が好きだぞ」
 調子に乗って初瀬も軽く冗談を言い返したが、この発言は、このタイミングで言うには少し痛い言葉だった。
 エリナの表情の変化を見て、初瀬はそのことに気付いた。
 「……人をふったくせに、勝手なことばっかり言わないでよね」
 血の気が薄くなっていく彼女の頬。
 今にも泣きそうに揺れる彼女の瞳。
 硬く震える彼女の声。
 「わたしには無理よ。どうせわたしは、初瀬好みの可愛い女になんてなれない」
 「う、ま、まあ、エリナがエリナじゃなくなったら、その方がイヤだけどな。つーかいつも言ってるじゃん、今のままでおまえ可愛いよ」
 焦って本音でフォローをする初瀬の言葉に、エリナは堪え切れなくなったように顔を伏せた。
 「……そういうこと、言うから……」
 エリナの瞳から、一雫の涙がこぼれる。
 「…………」
 初瀬はさらに焦って何か言いかけて、何も言えずに口を閉ざした。
 いつもなら、少し強引にキスでもして態度で気持ちを表現するのだが、それが許されない状況だと、さすがに初瀬もわかっていた。
 エリナの涙は何度も見たことがある。
 だが、こんなにつらそうな涙は初めてだった。
 きれいなのに、切なげで哀しげで。
 エリナに何を言えばいいのかわからない。
 今、エリナを苦しめているのは、初瀬自身で。
 「……ごめんなさい。もう、二人では会わない」
 涙をぬぐって、エリナはゆっくりと身を翻す。
 初瀬は、彼女を抱きしめて引き止めたかったが、何も言い返せなかった。
 『本当はエリナも強引にでも引き止められたいんじゃないか?』『このまま無理矢理にでも縛り付けて一生おれのものにしてしまえばいい』『エリナもそれを望んでるんじゃないか?』
 強い胸の痛みとともに、数瞬自分に都合のいい考えが脳裏をよぎったが、あまりにも自分勝手すぎる思考だった。
 どんなに引き止めたくとも、自分の欲望だけを押し通す権利は初瀬にはない。
 エリナの気持ちを受け入れなかったのは、初瀬の方なのだから。



   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 万人に平等に、時間は流れる。
 高槻初瀬は無事志望校の入学試験を突破し、高校生になった。
 すぐに新しい友達もできて、昔からの友達とも遊びまわって、経験ゼロで入部してみた弓道部をがんばって、成績を落とさないように少しは真面目に勉強もして、前向きに自分を磨いて、これまで通り初めてのことにも色々と手を出して。
 目立った色恋沙汰こそなかったが、十六歳の一年間を、初瀬は充実した形で過ごした。
 春は昼休みのミニバスケに夢中になったり、夏には友達に誘われて学校が推奨している各種資格試験の一つを受けてみたり、秋には誕生日を迎えた友人に合わせてバイクの免許を取りに行ったり、冬には生徒会が毎年主催しているスキー旅行に積極席に参加して、夜にみなで騒いで引率の先生に怒られたり。
 自分なりにカッコつけて、友達と遊んで馬鹿をやってふざけて、それで充分楽しいと思う自分を、初瀬は自分でもガキだなと、時々そう思う。
 だがそれを悪いとは思っていなかった。あれから何度か真剣に恋愛を考えて、いつも自分の傍にいるもう一人の女の子の気持ちにも、薄々気付いていたが、自分の気持ちがまだはっきりしない以上、もう無責任には動けない。
 エリナの言った通り、初瀬はまだまだおこちゃまだったのかもしれないが、もう子供なだけではいられない時期にさしかかっていた。








 to be continued. 

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初稿 2012/03/05

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