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魔法少女さやか☆アキラ

作:toshi9




第1話 「夢の中で遭ったような」

第2話 「後悔なんてするわけない」

第3話 「それはちょっとうれしいなって」

第4話 「そんなの絶対あるわけない」

第5話 「こんなのおかしいよ」

第6話 「奇跡も魔法もある、でも……」

第7話 「おれってほんとばか」

第8話 「本当の自分と向き合えますか」

第9話 「もう何もこわくない」

第10話 「誰にも頼らないなんて言わせない」

第11話 「最後の道しるべ」

第12話 「あたしの最高のともだち」




第1話 「夢の中で遭ったような」

『魔法少女になってよ』
「え?」
 俺は足取りを止めて、きょろきょろを左右を見回した。
 だが、俺の周りには誰もいない。
 いや、人はいないが、歩道脇に耳の長い猫? いや子犬か? とにかく白い小動物が一匹いた。そして俺のほうをじっと見ているんだが……まさかね。
「気のせいか」
 俺は頭をポリポリをかくと、再び駅に向かって歩き出した。
 そして俺を見続けている白い小動物の前を足早に通り過ぎて駅に着くと、家へと向かう電車に乗る。
 ゆっくりと横に動き出す車窓。
 俺はそれをぼーっと見ていた。
「はぁ〜、今日も疲れた」
 俺の名前は三ッ木晃、25歳の独身、小さな不動産投資会社に勤めている。
 3年前に親のつてで首尾よく就職できたのだが、長い不況で、なかなかマンションの契約が取れない。会社の業績が年々下がっていることもあって、上司からのプレッシャーはきつくなるばかりだ。
「はぁ〜」
 流れる車窓を見ながら、俺は再びため息をつく。
「俺、この仕事を続けられるんだろうか。契約取るなんて合ってないよなぁ。でも転職しようにも、こんなご時勢じゃできっこないしなぁ」
 目線を落とすと、俺の前には女子高生が座っていた。
 彼女は懸命に携帯にメールを打っている。
 俺の視線などまるで気が付かない、いや無視しているんだろうか。
 制服のスカートからむき出しの太ももがまぶしい。
(気楽なものだな。俺も悩みと無縁な女の子になってみたいよ)
 目の前でメールを打ち続ける女子高生を見ながら、俺はその子になりきった自分を想像していた。

 寒い中、震えながら待っていた電車がようやくホームに入ってきた。
 ドアが開くと、ひとつだけ空いていた席を見つける。
 左右に座っているおじさんが少しだけ気になるけれど、とにかく座りたい。少し急ぎ足で中に入ると、スカートの裾を気にしながら座ったんだ。
 寒い中ようやく座った座席の暖かさを太ももの裏に感じながらほっとひと息つく。
 そしてカバンから携帯を取り出してメールをチェックして、ようやく友達にメールの返信を打っているんだ。

 それが俺──

 そう、俺の趣味のひとつはTS、即ち女の子になったり入れ替わったりする小説やコミックを見たり読んだりすること、そして自分でも小説を書いては、いろんなサイトに投稿することだ。
 女の子を見る目も、彼女たちと付き合いたいとか、えっちしたいというよりも、彼女たちに自分を重ね合わせて、女の子としていろんなことを経験してみたいという思いで見ていることが多かった。
(あ〜あ、この子なんか育ち良さそうだよな。裕福な家庭、親に守られた何不自由ない生活、女友達とメールし合ったり、きゃあきゃあじゃれあったりしながらの、のんびりしたお嬢様学校でのスクールライフ、いいよなぁ……)
 俺はちらちらと女の子に視線を移しながら、勝手に想像を膨らませていた。
『その願い、かなえてあげるよ』
「え?」
 さっき聞こえた声が、再び俺にささやいた。
 だが、見回しても、俺の周りには声の主らしき人間はいない。
 乗客は、思い思いに携帯を覗き込んでいたり、本を読んだりしている。
「気のせいかな?」
『だから魔法少女になってよ』
「え? え?」
 再び同じ声。
 だがいくら回りを見回しても、同じことだった。
「ふぅ〜、ほんとに疲れているのかな」
 俺は頭を振ると、目線を車窓に戻した。
 そこには、さっき歩道で俺を見ていた耳の長い白い小動物が映っていた。
 だが、それは一瞬だった。
 次の瞬間、小動物の姿は消え、車窓は流れていく夜景に戻っていた。
「ふ〜、本当に疲れているな、今日は早く寝るとするか」


 家に戻ると、ベッドにばたりと倒れ込んだ。
「疲れた〜」
 ぐったりだった。
 あんな空耳が聞こえてくるなんて初めてだ。
 今日は早く風呂入って寝よう。
 そう思ったものの、なかなか体を起こせない。
 俺は、ベッドに寝転がったまま天井を見上げていた。
『ねえ、魔法少女になってよ』
「またかよ、さっきから誰だ!」
 ベッドから体を起こして部屋の中を見回す。
 すると、絨毯にあの白くて耳の長い小動物が座っていた。
 ドアは確かに閉めたよな。こいつ、どこから入ってきたんだ。
 そう思いながらじっと見ると、白い小動物が口を開いた。
『僕だよ』
「しゃ、しゃべった!」
『気にしないでくれ。資格のある人間には僕が見えるし、僕の言葉を理解できるんだ。君にはその資格がある』
「資格だって?」
『そうだよ、君は選ばれた人間なんだ。君の願いをひとつかなえてあげる。その代わり』
「その代わり?」
『僕と契約して魔法少女になってよ』
 そう言って、小動物は俺に満面の笑みを向けた。
(はぁ? 契約だって? おいおい、こんなのがしゃべって、しかも契約の話かよ、こりゃマジ病院に行ったほうがいいかな)
 俺は憮然と小動物を見返した。
 ここに座っているこれって、幻覚なんだよなぁ。
『病気でも幻覚でもないよ。僕の名前はQB、君を導く存在さ』
「QB?」
『そうだよ』
 小動物がこくりとうなずく。
「ほんとにお前が喋っているのか?」
『もう何度も言っているじゃないか。それより、これを見てくれないかい?』
 QBの長い耳がふわっと動くと、テレビのスイッチが勝手に入る。
そこには4人の中学生らしき少女たちが映っていた。3人はどこかの私立中学の制服を着ていた。1人はショートパンツにブルゾンという私服姿だ。
「さやかちゃん、ねえ、さやかちゃん」
 ぐったりと倒れ込んだショートカットの少女を、リボンで髪を分けた少女がしきりにゆすりながら、必死に呼びかけている。そしてその傍らで長い黒髪の少女と私服姿の少女が二人をじっと見下ろしていた。
 ぐったりと倒れている少女は、いくら呼びかけられても一向に目覚めようとしない。
「さやかちゃん、ねえ、起きて、起きてよ、さやかちゃん、どうしたの? ねえ、いやだよ、こんなの、さやかちゃん!!」
 呼びかける少女の声が段々と涙声になる。
『あの子には魂が無いんだ』
 あの子とは、「さやかちゃん」と呼ばれている、ぐったりしている子のことだろう。だが……
「魂が無い?」
『まどかが放り投げた彼女のソウルジェムは、トラックにひかれて粉々に砕けてしまった。だから、あれは空っぽのただの器なんだ』
「ソウルジェム? ただの器?」
『想定外の事故だった。でも、今彼女を失なったらまずいんだ。僕のノルマにも響くし』
「ノルマ?? 何のノルマだって?」
『何でもないよ。ねえ、君はさっき願ったよね。お気楽な女の子になりたいって』
「そ、それは」
『上司にねちねちいびられることもない、必死に電話して契約を取らなくてもいい、楽しい女の子としての暮らし。君が望むなら、僕がその願いをかなえてあげるよ。今すぐに』
「お前、それってどういう……きちんと説明しろ」
『君はあの子になるんだ。彼女は魔法少女なんだよ。普段はごく普通の女子中学生。でも街に悪い魔女が現れたら、魔法少女に変身して悪い魔女をやっつけるんだ。ね、楽しそうだろう?』
 無表情のQBの顔が心なしか、にやっと笑ったような気がした。
(魔女と戦う魔法少女か……そうか、このQBって奴、魔法少女モノのアニメに出てくるマスコットキャラそっくりなんだ。魔法少女モノと言えば、どんなに苦戦しても最後は仲間と一緒に戦う魔法少女が勝つんだよな。普段は何の苦労も無い女子中学生、それもあんなかわいい仲間と一緒。おまけにどきどきワクワクの冒険もあるという訳か。退屈はしないし楽しいだろうな。だが……これって本当に現実なのか?)
 俺は、女の子たちの様子を見ながらじっと考えていた。
(いや、例え現実だとしても、話が上手すぎないか? 『君は選ばれた人間だ』だなんて、うさん臭すぎるぞ) 
 俺は、無表情に俺を見ているQBを見た。
『どうしたんだい? 言っただろう、君には資格があるんだ。もう時間が無いよ。早くしないとあの器が活動をやめてしまう。こんなチャンスは二度と来ないじゃないのかな』
(決断の時という訳か)
 俺は会社の出来事を思い返していた。
 上司に怒鳴られ、何度も必死に電話して、それでも契約できない毎日。
 ストレスは溜まる一方だった。
『ふぅ〜』
 QBがため息をつく。
『わかったよ。別に君じゃなくても良いんだ。あの器さえ生かしておければね。言っただろう、もうぐずぐずしてられないんだ。仕方ない、それじゃ急いで別な人間を探すとしよう。僕は行くよ』
 QBはくるりと背を向けた。
「ま、待て」
『ん?』
 首だけを俺のほうに向ける小動物。
「わ、わかった」
 QBは俺をじっと見つめる。それは、相変わらず無表情だが、どこか笑っているようにも見えた。
「わかった、契約しよう。俺は、彼女になってみたい」
 俺がそう言った瞬間、QBの体が光りだす。
『願いは聞きとげられた。契約は成立した』
 QBの目が光る。
「胸、胸が苦しい、う、うぐう、痛い、胸の奥が」
 突然胸の奥に何か塊りが生まれたような違和感、そしてその何かが体の奥から無理やり出て来ようとしているような感覚だ。
 胸を押さえる。
 俺の胸が青く光りだす。
 そしてそこから、じわじわと宝石のような結晶がせり出していた。
「ぐぅ、な、なんなんだ、これは」
 やがて青く輝く宝石は胸から完全に姿を現すと、俺の目の前に浮かんでいた。
『さあ受け取るがいい それが君のソウルジェムだ』
 俺は目の前の宝石を両手で掴んだ。
「ソウルジェム?」
『魔法少女の力の源、そして君の力の源さ。さてと……』
 QBは俺の手の中のソウルジェムを尻尾でひょいと取り上げると、駆け出した。
「お、おい、約束は」
 追いかけようとしたが突然目の前が真っ暗になる。そして、俺はそのまま意識を失った。


「……ん、……ちゃん、……さやかちゃん」 
 気がつくと、俺は誰かに抱きかかえられていた。
「う、うーん、な、何がどうなって……突然胸が苦しくなって、宝石が俺の中から、それから……」
 ぼやけていた焦点が段々とはっきりしてくる。
 どうやら気を失った俺を、誰かが抱き起こしてくれたようだ。
「あ、ありがとう。え!?」
 俺の前に、涙目のかわいい女の子の顔がアップになっている。
 髪を左右に分けてリボンで結んだその子は、さっきテレビに映っていた少女のうちの一人だった。
「さやかちゃん、よかった、気がついたのね」
 彼女が俺の手をぎゅっと握り締める。
「え、えーと」
 月明かりに照らされたそこは、俺の部屋ではなかった。
 どこかの広場か、広い歩道の真ん中にいるようだ。
 頬に感じる夜風が少し肌寒い。
「さやか……ちゃん?」
 戸惑っている俺の様子に、彼女は少し不審げに首をかしげる。
 そんな俺と彼女の間にQBが割って入ってきた。
『危ないところだったよ。僕がソウルジェムを回収するのがもう少し遅れていたら、さやかは死んでいたよ。しばらくソウルジェムが体から離れていたから意識が混沌としていると思うけど、徐々にはっきりしてくるよ。だから安心して、まどか。ね、そうだろう、さやか』
 そう言って、QBは顔を俺に向ける。
「さやか?」
 俺はふとQBから「まどか」と呼ばれていた少女に握られた自分の手を見た。
 ほっそりとした白い、そして小さな手。
 そして着ていたスーツの袖とは違う、クリーム色の袖。
 手から体に視線をたどると、少しだけ膨らんだ胸にかかる赤いリボン。
 そして上着から視線をさらに落とすと、俺はひだひだのスカートを履いていた。
 まどかの手を振りほどいて、自分の脚に触る。それは丈の長いニーソックスに包まれた脚だった。
 むき出しの太ももは、つるつるとして、そして柔らかかった。
 これって俺の手? 脚? 違う!
 股間に手を突っ込む。
 滑らかな生地のショーツに包まれたそこは、のっぺりとして、そして、俺のモノはそこに無かった。
「俺……ちがう!?」
「俺?」
『まだ意識が混沌としているようだね。でも段々はっきりしてきただろう、さやか』
「さやかちゃん、どうしたの? しっかりして」
 少女が俺をぎゅっと抱き締める
「おい、QB、こいつどうしたんだ、さっきと全然様子が違うじゃないか!」
 ショートパンツの少女がQBに食ってかかる。
「さやか? 俺が、さやか? 俺は、さやか?」
 俺はどうなったんだ?
 本当にさっきのあの女の子になっちまったのか?
 彼女に抱きつかれたまま、俺は呆然としていた。
「ちょ、ちょっと待て、わけわかんねえ」
『言っただろう、願いは聞きとげられたと。君はこれから「さやか」として生きるんだ。青の魔法少女としてね』
 QBの声が直接頭の中で響いていた。
 呆然としている俺に向かって、長い黒髪の少女が、すたすたと歩いてきた。
 そして冷たい目で俺を見る。
 この娘は……!?
「あなた、馬鹿ね。それに、余計なことを」
 それだけを告げると、女の子はくるっとターンして遠ざかっていった。
 混乱する頭の中がぐるぐると回転する。
 こんなことって……マジかよ、どうなっちゃうんだ、俺……
 そして俺は再び気を失った。

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第2話 「後悔なんてするわけない」

 気がつくと、俺はベッドの中で寝ていた。
 窓の外が明るい。遠くで鳥が鳴いている。
 朝だった。
「ふぅ〜、夢だったんだ」
 上半身を起こして、ほっとため息をつく。
「全く変な夢だよ。女子中学生になる? それも魔法少女だって? あるわけ無い……よ……な?」
 だがそう呟きながら、おかしなことに気がついた。
俺は見覚えの無い青いパジャマを着ていた。それも明らかに女子中高生向けにデザインされたパジャマを。
「な、なんだこのパジャマは。え? え?」
 よく見ると寝ていたベッドも、いつもの布団ではなく、かわいいデザインのカバーがかけられたふかふかした羽毛布団だった。
 さらに見回すと、大きな姿見、ドレッサー、ぬいぐるみ、そして勉強机、パステルトーンの壁紙で覆われた部屋は、いかにも女の子に相応しいものだった。
 壁には、夢の中に出てきた女の子たちが着ていた女子の制服が掛けられている。
机の上は、きちんと整頓されており、そこには幸せそうに笑っている少女とバイオリンを持った制服姿の男子が並んで写った写真が飾られていた。
「何処なんだ? ここは」
 その時、俺は左手に何か塊りを握っていることに気がついた。
 ゆっくりと左手を開くと、そこには透き通った輝きを放つ大きな青い宝石があった。
「え?」
 驚く間もなく、掌の宝石は指輪に変形すると、そのまま俺の左手中指に納まってしまった。
「これって、まさか……」
 俺はパジャマの上から両手を両胸に添えた。
 そこには、ほのかな膨らみがある。
 パジャマのズボンの股間に右手を移すと、そこはすっきりとしていて、あるべきはずの俺の男のシンボルはなくなっていた。
「ゆ、夢じゃない。お、俺、おんな、おんなに……」
「あら、起きたの? さやか」
 突然、部屋に30代くらいの女性が入ってきた。そして、俺の様子を心配気な表情で見ている。
 さやか? 俺のことなのか?
「昨夜、まどかちゃんたちが連れてきてくれたのよ。まどかちゃん心配していたけど、大丈夫なの?」
「え? ま、まあ」
「それだったら良いけど、学校には行けるの?」
「え? う、うん」
「なら、早く支度しないと遅れるわよ」
「あ、あの、あなた……どなた」
「さやかったら、なに変な事を言ってるのよ。寝ぼけてないで、ほらほら、早く起きて支度しなさい」
 女性に促されて、俺はベッドから降り立った。
 背が低そうに見えたその女性より、俺の背丈はさらに低くなっていた。
「食パン焼くから、早くするのよ」
 そう言い残すと、女性は部屋から出て行った。
 多分、彼女はこの『さやか』という少女の母親なんだろう。
姿見に、青いパジャマ姿の少女が映っていた。それは机の上に飾られた写真の中の、そして昨夜ぐったりしていたあの少女だ。
「……あの夢、本当だったんだ」


 女性の服の着方なんてわからないはずなのに、着替えなきゃと思ったら、ごく自然にパジャマを脱ぎ、下着を着替え、濃紺のハイソックスをはき、そして壁に掛けられていた制服を着ていた。
 鏡には、女子中学生の制服を来た少女が映っている。そう、それはどこから見ても女の子そのものの姿だった。
『支度はできたかい? 彼女がいつもどんな行動を取っているのか彼女の器が覚えているんだよ』
 気がつくと、俺の横にあの白い小動物が据わっていた。
「き、きさま……おい、お前にはいろいろ聞きたいことがあるんだ」
 俺は小動物に掴みかかった。
『ちょ、ちょっと待ってよ』
「さやか〜、早くしなさい」
 母親が階下から呼んでいる。
「くそう、とにかく後でゆっくり聞かせてもらうからな」
 慌しく階段を下りて朝食を済ませると、俺は母親に押し出されるように家を出て学校に向かったのだが、確かにこの子の行動パターンが自分のことのように理解できる。
 どの道を通って学校に行けばよいのかも、何となくわかった。
『ね、心配しなくても大丈夫だろう』
「ま、まあな。それにしても女子として学校に行くなんて、それも中学校かぁ」
 短いスカートの裾を気にしながら、学校に向かって歩いている自分が不思議だった。
「って、おい、どういうことだ、説明しろ、何なんだこれは」
『そんなに、焦らないでよ。僕の答えられる範囲できちんと教えてあげるから。それに、さっきから「おい」とか「きさま」とか失礼だなぁ。僕の名前はQBだよ』
「とにかく説明しろ! どういうことだ、QB」
『どういうことも何も、昨日、君は僕と契約したじゃないか。君はもうさやかなんだ。この街をマミに代わって守る《魔法少女さやか》さ。よろしく頼むね』
「よ、よろしくって、俺、これからどうすれば」
『もし魔女を見つけたら退治すればいい。僕にとってはそれで十分さ。後は君自身の問題だよ。でも今はせっかくかなった願いを楽しめばいいんじゃないかな』
「マミに代わって? マミって昨日あそこにいた少女の一人なのか?」
『ううん、マミはもう死んだよ』
「し、死んだ!?」
『魔女だって魔法少女に狩られないように必死だから、油断すると殺されるよ。気をつけてね』
「お、おい、そんな危ない橋を渡るなんて聞いてないぞ」
『今更何を言っているんだい? 魔法少女は必ず魔女を退治しなければならないんだ。それが魔法少女の運命さ』
「は、話が違うじゃないか」
 段々QBの話がおかしな具合になってきた。
『なあに、全ては君次第さ。ほら、まどかたちが来たよ』
「さやかちゃん、おっはよ〜」
 俺の後ろから声をかけてきた少女は、昨日さやかを抱き起こしていた、髪を赤いリボンで分けた少女だった。そしてその後からもう一人、いかにもお嬢様といった雰囲気の女の子も合流する。
「おはようございます、さやかさん、まどかさん」
「おっはよ〜、ひとみちゃん」
「あ、お、おはよう」
 俺も恐る恐る応える。今更だが、声も少女らしい甲高い声になっていることにようやく気がつく。
(ううう、確かに自分で願ったんだが、なんだかなぁ)
 自分で書いていたTS小説では、少女に成りきった男が当たり前のように女の子らしく振舞うなんてよくある話だが、いざ本当になってみると、何とも恥ずかしい。
 だがそんな俺の様子に気がつくでもなく、二人は楽しそうに話しながら歩いている。俺もその横について歩き始めるが、まどかはすぐに俺の肩の上に載っている小動物に気がついた。
「あ、QBも一緒なんだ」
「QB? 何ですの、それ」
「あ、なんでもないよひとみちゃん」
 まどかは、両手を振って慌ててごまかしていた。
『僕の姿は資格を持つ人間にしか見えないし、声も資格を持つ人間にしか聞こえないんだ』
「ということは、彼女も?」
『そう、まどかにも魔法少女の資格があるんだ。それも途方もない資質を持っている。だから僕としては早く彼女にも契約して欲しいんだけれど』
「ふーん」
 途方もない資質か、そんな風にはまるで見えないんだが。
 そんなことを思いながら、どこか自信の無さそうな表情で俺のことを心配そうに見ているまどかという少女を改めて見詰めた。
「さやかちゃん、もう大丈夫なの? 昨日は本当に驚いちゃった。マミさんがあんなことになって、さやかちゃんまで死んじゃったら、あたしどうしようなんて」
「うん。だ、大丈夫だけど……」
「そう、良かった」
 俺の言葉に、まどかはほっとした表情を見せる。
 だが、QBは苦言し始めた。
『良かったじゃないよ。あんなことをするなんて、僕には訳がわからないよ』
「ご、ごめん」
『もうあんな無茶苦茶はしないでよ。ソウルジェムは魔法少女の命なんだから』
「命? どういうことだ」
 その言葉に気になって、俺はQBを問いただす。
『ソウルジェムは魂を具象化したものだから、体から引き離すと体のコントロールができなくなるんだ。そして、ソウルジェムが壊れるということは魔法少女にとって死を意味するのさ』
「あたし、知らなかったんだ。知ってたらあんなこと……。でもひどいよQB、そんな大事なことを教えてくれないなんて」
『誰にも聞かれなかったからね』
「QB、まどかちゃんは何をしたんだ?」 
『マミの後をさやかと杏子のどっちが引き継ぐのかを決めるのに、二人で殺り合っんだ。それを見たまどかは、何を思ったのか、いきなりさやかのソウルジェムを奪って車道に投げ捨てたんだ。僕が回収するが遅れていたら、このさやかは死ぬところだったんだよ』
「ごめんね、さやかちゃん、ほんとにごめん」
 まどかが俺に向かって何度も謝る。
(死んだ魔法少女の後を引き継ぐのに魔法少女同士で殺り合う? わ、わからねえ、なんでそんなことになるんだ。それはともかく、ソウルジェム投げ捨てたって……そういえば、昨日もQBがそんなことを言っていたな)
 俺は何かひっかかるものを感じ、さらに考え続けた。
(待てよ、確かさやかのソウルジェムはトラックにひかれて粉々に砕けてしまったってQBが言ってたんじゃないか。ということはさやかちゃんは死んだってことじゃないか! 『ただの器』ってそういうことだったんだ)
『でもさやかはこうして生きている。よかったね、まどか』
「うん」
『さやか、もうすっかり元気だって、まどかを安心させてやりなよ。ほらまどか、見てごらん。今のさやかは昨日杏子と殺り合った時とはまるで別人だろう』
 そう言うと、QBは無表情に俺をじっと見る。
「うっ、まどか……ちゃん、もう大丈夫だから、その、心配しないでいいよ」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
 ガッツポーズをして笑いかける俺を見て、彼女はようやくほっとした表情を見せる。
(QBの奴、微妙な言い回しを。とにかく、まどかがそんなことをしていなければ、俺は今こうして女の子としてここに立っていることも無かった訳だ。まあ願いをかなえた俺にとって悪いことではないんだが、でも何かひっかかるな)
「ほらほら二人とも、そんなにゆっくり歩いていると、遅刻しますわよ。急ぎましょう」
 俺たちの話しについていけないひとみは、少し不満げな表情を見せながらも、腕時計を気にしている。
「あ、ほんとだ、さやかちゃん、ひとみちゃん走ろうか」
「え? う、うん」
 走りだしたまどかを追いかけるように、俺も走り出す。
「あ、もう、二人とも待ってください」
 ひとみが後に続く。
 体が軽い。
 走るのはどちらかというと苦手だったが、今はとっても気持ちいい。
 スカートがめくれるのも気にせず、俺は軽やかにまどかを追いかけた。

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第3話 「それはちょっとうれしいなって」

「起立、礼」
「おはようございます」
「着席」
「みなさん、おはようございます。それでは出席をとります」
 学級委員長の号令に従って、担任に挨拶する。若い女性教師だ。
 それにしても、こんな風に挨拶するのって何年ぶりだろう。
 くっ、くくっ
 席に座って女性教師の顔を見ながら、自然と笑みがこぼれる。
「さやかちゃん、どうしたの? 何だか嬉しそう」
「え? なんでもない……よ」
 小声で話しかけてきた隣の席のまどかに、そう答えながらも、また頬が緩んでくる。
 昨日まで営業ノルマに追われていた俺が、こうして女子中学生やってるなんてな。
 そう思うと、ついにやにやしてしまう。
 机の下に目を落とすと、そこにはむきだしの太もも。そしてその根元を覆う短いスカートをじっと見ていると、それまで感じる暇もなかった欲望を覚えてくる。
 この太ももって俺の太ももなんだよな。だから触ってもいいよな。
 左手を机の下にそっと下ろして太ももの上に乗せると、その感触を確かめる。
 すべすべして、気持ちいい。
 自分が本当に女の子になったことを手の平越しに実感できる。
 スカートの裾に手が触れると、自分がスカートをはいていることを意識させられ、尚更興奮してしまう。
 スカートの奥には、今の俺の体には、アレがついているんだよな。ちょっと触ってみようかな。
 太ももに置いた掌を少しづつ脚の根元にずらしていく、スカートの中に指を潜り込ませる。
 1本、2本──
 あと少し、もう少しで。
 だが、指先が股間に達しようとしたその時、何か殺気のようなものを感じた。
 ぞくっ
 誰かに見られてる?
 周囲を見回すと、ほとんどの生徒は教師のほうを見ている。
 だが、窓際の席に座った長い黒髪の美少女だけが、冷たい視線を俺に向けて睨んでいた。
「あ……と……」
 見られたかな?
 気まずくなった俺は、視線を逸らすと、手を机の上に戻した。
 彼女も、昨夜あそこにいた女の子の一人だよな。名前は確か……


 その後もちらちらと机の下を気にしながら午前の授業を受ける。
尤も、朝のホームルーム以降、いつも誰かに見られているような気がして、とても自分の体に興奮する余裕は無かった。
トイレの個室に入った時でさえそうだ。
 あ〜あ、折角女の子になったのに。
 そう思う一方で、授業の中身に驚かされていた。
 何なんだ、この問題は。
 英語も数学も、黒板に書かれる問題が全くわからない。文系だったとは言え、大卒の俺にわからない問題がぽんぽんと出てくるのだ。
 今時の中学校のカリキュラムって進んでいるのか? それとも俺、頭も中学生並みに?
 教師に指名されて黒板の前に立ったものの、回答できずにじっと固まっている俺に、クラスから笑いが漏れる。
「さやかさん、席に戻っていいわ。ちゃんと予習してくるのよ」
「は、はい」
「さやかちゃん、ドンマイ」
 席に戻る俺を、まどかが隣から小声で励ましてくれた。
 つ、疲れる。


 休み時間になると、すぐにまどかとひとみが俺の席に寄ってくる。
「さやかちゃん、時々ぼ〜っとしているけど、大丈夫?」
「う、うん」
「次は体育だよ、早く着替えに行こう」
「た、体育……ね」
「全く、陸上なんて、いやですわ」
「ふふっ、ひとみちゃんって運動苦手だもんね」
「さやかちゃん、今日は得意の50m走もあるよ。ほむらちゃんとどっちが速いのか、競争だね」
「そ、そう……なの?」
「ほむらちゃんて、勉強もできるし、スポーツも何やっても凄いもんね。ほら、早く行こうよ」
 俺は、まどかに押し出されるように教室を出て、更衣室に向かった。
 勿論着替えるのは、他の女子と一緒だ。
 更衣室の中に入ると、女子の匂いが溢れかえっている。
 きゃあきゃあと着替えをしているその中に、俺はまどかの後について入った。
 女の子の中で着替えか、うわぁ、中学生って言っても発育のいいのもいるじゃないか。
 それとなく見回すと、小学生とあまり変わらない幼児体型の女の子もいるけど、大人顔負けのスタイルの子が何人もいる。
「お、あれなんかいいな、きゅっと腰がしまって」
 一際目を引く均整の取れたスタイルの女の子がスカートのホックを外している。どれどれ、顔はっと。
 げっ!
 それは長い黒髪のあの美少女……ほむらだった。
 彼女は俺の視線に気づいて、脱いだ制服で上半身を隠すとキッと睨み返す。
「え、え〜と」
 慌てて視線を逸らす。
「どうしたの? さやかちゃん」
「え? うん、ちょっと」
 怪訝そうに俺を見るまどか。
「どうしたの? 暁美さん、早く行きましょう」
「え? ええ」
 暁美ほむら、彼女は人気者なんだろう。まどかに何か言いたそうだったが、他の女子に引っ張られて行ってしまった。
「さやかちゃん、早く着替えようよ」
「え? うん、そうだね」
 まどかに促されて、スポーツバッグから体操着を取り出す。
 だが、紺色の布地を広げて、俺は絶句していた。
(ブ、ブルマー、今時ブルマーかよ。これを俺がはくのか!?)
「何してるの? さやかちゃん、授業始まっちゃうよ」
「え? うん」
 ブルマーを両手で握り締めて固まっていた俺は、意を決すると、上着、リボン、そしてブラウス、スカートと脱いで下着だけになった。ぎこちない動作で服を脱ぐ俺を、まどかは不思議そうに見ている。
「さやか……ちゃん?」
「あ、ごめん」
 広げたブルマーにゆっくりと脚を通して腰まで一気に引き上げると、小ぶりのお尻に布地がぴったりとフィットする。
 股間にピタッと伸縮性のある生地が密着する。
 名前とクラスが書かれた布が縫いこまれた白い上着を頭から被ると。両胸が上着を盛り上げた。
 体操着に着替えた俺は、顔を真っ赤にしていた。
「さやかちゃん、顔赤いよ。やっぱり気分悪いの? 保健室に連れていこうか?」
「え? ううん、大丈夫だから」
 俺は、恐る恐る更衣室を出た。


 体育の授業が始まると、50m走、走り幅跳び、走り高跳びのグループに分かれて、それぞれの記録を記録係がチェックしていく。
 その中で一際目立っていたのは、長い黒髪の美少女、ほむらだった。
今もあざやかな背面跳びで走り高跳びをこなしている。
 飛び終えてマットから起き上がった彼女を、クラスの数人の女子がきゃあきゃあ言って迎えている。
 彼女、ほんとに人気あるんだ。
「ほむらちゃん、今日もすごいな」
 俺と同じグループになったまどかは、彼女を見ながらそうつぶやいた。
「彼女って、いったい何者なんだ?」
「え? さやかちゃん、何て?」
「い、いや、何でもないよ」
 その時、ほむらが俺たちのほうを向いた。そしてまたも目が合う。
 彼女の目は、まどかの傍らにいる俺のことを非難しているかのように見えた。


「じゃあ、あた、あたし、は、ここで」
 ようやく1日が終わり、登校した時と同じようにまどかとひとみの二人と一緒に帰る。
 だが、俺には行ってみたいところがあった。
 二人と別れてそこに向かおうと切り出したのだが、女言葉はどうにも恥ずかしい。
 本当にずっとこのままだったら、女言葉を使うのにも慣れるしかないんだよな。
 そう思いながら、意識してしゃべるようにしているが、女の子そのものの声を自分が出しているということもあって、やはり恥ずかしい。
「さやかちゃん今日も上条君のお見舞い? 彼の手って動くようになったんでしょう?」
 まどかが、このこのって感じで俺をこづく。
 え? 上条って誰だっけ?

 とくん──

 そう思った瞬間胸の奥が鳴り、きゅんと締めつめられるような感覚を覚える。
 え? なに?
「さやかさん、上条君のことですけれど」
 内心戸惑う俺に、ひとみが言いにくそうな感じで話す。
「え? 何か?」
「一度あなたに相談したいことがあるんですの」
「相談って?」

 とくん── とくん──

 胸の中で心臓がとくとく鳴り続けている。
「あ、今すぐじゃなくって、また今度で構いませんので」
「そお? え〜っと、今日は、その上条君のところじゃなくって別な用事だから」
「そうなんですね。それではあたくしもここで」
 どこかほっとした様子でひとみが別れる。
「じゃあさやかちゃん、またね」
「うん」
 まどかとも別れて、俺は一人駅に向かった。
 それにしても、さっきの動悸は何だったんだ。
 それはいつの間にかすっかり治まっていた。


 二人と別れた俺は電車に乗ると、さやかの家ではなく、元の自分のマンションに向かった。
 実は、自分の体が気になっていたのだ。
 今、俺は女子中学生になってここにいる訳だが、元の俺はどうなっているんだろうか。
 ふとそれが気になると、確かめずにはおられなかったのだ。
「ん? 何か騒がしいな」
 マンションの前にたどり着くと、エントランスには非常灯を回した救急車が止まっていた。
 そしてマンション中から一人の女性が出てくる。彼女はハンカチで目を押さえ、泣いていた。
(か、母さん!)
 それは、俺の母親だった。でもどうしてここに!?
「あ、あの、この救急車、どうしたんですか?」
 俺は、恐る恐る母さんに声をかけた。
「息子が意識不明の重体で……いいえ、まだ助かるかもしれない」
「ええ!?」
「仕事で無理していたのかしら。管理人さんから連絡があって、心臓発作を起こしたらしいって。あ、ごめんなさい、こんなことを見ず知らずのお嬢さんに」
「い、いえ」
 母さんが救急車に乗り込むと、救急車は非常灯を回しながら走り去っていった。
 俺は、遠ざかる救急車をただ見ているしかなかった。
 俺はここにいるんだ、母さん。
 両目から涙がぽたぽたとこぼれてくる。
「何てことだ、こんなことって」
 仕事のつらさから逃げ出したい為に、安易に女の子になることを願ったことを、俺は今更のように後悔していた。
よく考えると当然のことだ。さやかという少女として生きるということは、元の体と今までの俺の人生の全てを失うということだ。
 両親や友人に、もう二度と今までの俺として会うことができないのだ。
 それを考えると涙が後から後からあふれ出てくる。
「俺って……ばかだ」

“そう、君はばかだ。駄目な人間さ──”

「そうだな、何でこんなことを願ったんだろう」

“そうだね。もう生きていても仕方ないよね──”

「そう……かもな」

“死ぬしかないよね──”

「もう死ぬしか……ないのかな」

“死ぬのって気持ちいいんだよ、ねえ、早く死のうよ──”

「うん。……って、待て、さっきから誰だ、な、何を言って」
 ぼーっとしながら歩いているうちに、いつの間にか風景は一変していた。まるで絵画の中に入ったかのような光景が俺の前に広がっている。
「なんだ、これ!?」
『魔女の結界だ。君は引き込まれたんだ。変身して、さやか』
「へ!? 変身? QBなのか?」
『さやか、忘れないで、君は魔法少女なんだ。魔女を狩るチャンスじゃないか。結界の主を退治すればグリーフシードを手にすることができる』
「グリーフシード? おいQB、お前まだ何か隠しているだろう」
『話は後だ、それより早く変身した自分の姿を思い浮かべるんだ。大丈夫、魔法少女の君がどういう姿になのかすぐにイメージできるはずだよ』
「イメージって、そう言えば」
 ある姿を思い浮かべた瞬間、俺の着ていた制服は全く別の衣装に一変していた。
胸とウエストだけを覆ったトップレスの青いキャミソールとミニスカート、そして肩に巻かれたマント。
 手にはサーベルが握られている。
『君は《変換の祈り》を契約の証にして魔法少女になったんだ。攻撃力は杏子やマミにも負けやしないはずだよ。剣にはその力が秘められている。やってごらん』
「やってごらんって、そんな簡単に」
 焦る俺の周りを、奇妙な風景の中からぞろぞろと現れた道化とも人形ともつかない怪しげな集団が取り囲もうとする。
「で、でやぁ〜」
 俺は、意を決して異形の集団に向かって剣を振るう。
 だが、何度やっても巧みに避けられて、うまくヒットしない。
「く、くそう、はぁはぁ」
 そのうち完全に包囲された俺は、集団の向こうから伸びてきた長い触手に絡み取られてしまった。
 触手に縛り上げられた両腕は、毒蛾に刺されたように、みみず腫れになっていた。
 慣れない剣を振り回しているうちに瓦礫にぶつけた脚には、あちこち傷ができ、血が流れ出している。
 命がけだった。
 何とか逃げようともがいても、俺の体にぐるぐると巻きついた触手はびくともしない。ぎりぎりと、もの凄い力で締め付けられて、意識が朦朧としてくる。
 そして、喉元に鋭いトゲのついた触手が突きつけられた。
 狙いをつけたように一瞬止まったその触手が、ひゅっと動き出す。
 や、殺られる!
 殺気を感じた俺は、そう思って一瞬目をつぶった。
 だが次の瞬間、取り囲んだ集団を切り裂くように俺の前に赤い影が現れた。
「あ〜あ、見ちゃいられないな」
 そして瞬く間に周囲の異形を手に持った長槍でなぎ払っていた。
 槍が一振りされる度に、異形は次々に消えていく。
「もう少し真剣に戦ったらどうなんだ。お前、全く成長しないな」
「き、君は!?」
 それは昨夜あの現場にいた少女たちの一人、ブルゾンとショートパンツを着ていた女の子だった。今は赤い衣装に身を包んでいる。
『杏子、見てたのかい?』
「QB、この獲物はあたしがもらうよ」
『まあ僕にとっては、どっちでも構わないけどね』
「上等!」
 彼女は持っている長槍をぐるぐると振り回すと、瞬く間に俺の周りに群れる異形たちを消し去ってしまった。
その向こうには、そこには巨大な芋虫のようなものが横たわっている。そしてこっちに巨大なイソギンチャクのような髭のついた口を向けていた。
「覚悟しな!」
 杏子はそう言って一気にジャンプすると、その頭部にぐさりと槍の刃先を突き立てた。
「グゲェ〜」
 絶叫とともに塵となって消える、巨大芋虫。
 そして、周囲がいつもの町の風景に戻る。
「お前なぁ、何の為に魔法少女になったんだ。もうちったぁ腕を上げろよ。まっ、これはもらっていくぜ」
 杏子は、芋虫の消えた後に転がっていた黒い宝石を拾うと、ジャンプして飛び去っていった。
「え、えーっと」
『初心者の君にはまだ荷が重かったかもしれないね。でもすぐに慣れるよ。がんばってね、さやか』
「慣れるって、下手したらその前に死ぬじゃないか」
『大丈夫、君ならできるさ』
「な、何の根拠があって」
 その場にへたり込んだ俺は、しばらくの間、動くことができなかった。

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第4話 「そんなの絶対あるわけない」

 命がけの魔女との戦いから数時間。
 さやかの家に戻った俺は、目の前でのんびりと寝そべっているQBにまくしたてた。
「おいQB、きちんと説明しろ。あんなのが相手だなんて聞いてないぞ、俺はもっとお気楽な相手だとばかり」
『僕は「魔女と戦うのは楽しいよ」と言ったけれど、戦いがお気楽だなんて一言も言ってないよ。それは君の思い込みだろう』
「い、いや確かにそうかもしれないけれど」
『とにかく君は契約したんだ。今の君はもう魔法少女なんだから、この町の魔女を狩らなければいけないんだ。君が魔法少女であり続ける為にもね』
「またさらっと気になることを。何で魔法少女は魔女を狩り続ける必要があるんだ。俺の願いは既にかなっているんだから、魔女と戦わなければ良いだけの話だろう」
『いや、君は魔法少女になる契約をしたんだ。契約履行の義務がある』
「契約履行? もし俺が魔女と戦わなかったら、契約不履行で訴えるとでも言うのか?」
『そんな必要はないよ。魔法少女になった君は、魔女を狩り続けるしかないんだから』
「ど、どういうことだ」
 QBは俺の問いかけにすぐに答えず、二度三度と尻尾を振った。
『魔女が倒せばグリーフシードを手に入れることができる。さっき杏子が持っていった黒い宝石のことさ。あれにはソウルジェムに溜まる穢れを吸収して浄化する働きがあるんだ』
「穢れを吸収する?」
『魔法少女が魔法を使うと、ソウルジェムに穢れが溜まっていく。穢れがいっぱいになってソウルジェムが真っ黒に染まると魔法が使えなくなるんだ。だから、その前にグリーフシードを使ってソウルジェムを浄化してやらないといけないんだ。要するにグリーフシードを持っていると、いきなり魔女に襲われても全力で戦うことができるという事だよ。さっきの杏子のようにね』
「な、なんだって!? そんな大事なこと、戦う前に言え!」
『あれ? 言わなかったっけ。いずれにしても君は戦うしかないんだ。がんばってこの街を守ってね、さやか』
「う〜、でも魔女狩りがあんなにシビアだなんて。それに俺はもう……」
『そんなに深刻にならないで、もっと前向きに考えようよ。君は何のためにさやかになることを願ったんだい?』
「な、何の為って」
『女の子としての暮らし、女の子だけが味わえる快楽、楽しめることはたくさんあるんじゃないのかな?』
「お前、快楽って……」
『だから、君はさやかを楽しめばいいんだよ。あ、僕がいると邪魔かな。今日はもう失礼するよ』
「お、おい待て、もっと聞きたいことが!」
 だが、QBは物影の中に入ると、そのまま消えてしまった。
「くそう、何だかはぐらかされたような……あっ」
 一人残った俺の目に、姿見に映った自分の姿が入る。
 制服を着た「美樹さやか」という名前の美少女の姿が。
 そう、「三ッ木晃」としての俺はもうこの世に存在しない。今の俺はこの鏡に映っている少女、さやかなんだ。
 姿見に近寄って、そっと鏡に映る自分の姿に触れる。
「これ、ほんとに俺なんだよな」
 鏡の中の少女は、俺の思う通りに動く。笑うことも、ぷっと頬を膨らませることも。
 髪をさっとかきあげてポーズを取ってみる。
「かわいい……」
 スカートをゆっくりとたくし上げる。
 はいているショーツが、徐々に顕わになる。
「快楽か、それもいいかもな」
 鏡には、恥ずかしそうに頬を染めてスカートの裾を持ち上げている少女の姿が映っている。
「ここはどんな感じなのか……あ、う……」
 部屋には俺しかいない。誰も見ていないんだ。
 そう思うと、股間に伸びる指先を、もう押さえることができなかった。
 そして時が過ぎる。



 はぁ はぁ はぁ……
 たくし上げられたブラウス、ブラジャー、そして脱ぎ捨てられたスカートとショーツ。
 鎮まらない荒い吐息。
 ベッドに投げ出した四肢を、気だるい心地よさが支配している。
 俺はぼーっと天井を見上げながら考えていた。
 自分で決めたことだから、後悔なんてするわけない。
 あの時は確かにそう考えていたんだ。
 それにもう後戻りできないし。
 でも……
 泣いていた母親の顔が頭をよぎる。
 本当に、これでよかったんだろうか。


「おはよ〜、さやかちゃん」
「おはよう、まどか」
「おはようございます、まどかさん、さやかさん」
 今日も、まどかやひとみと合流して学校に向かう。
 二人の顔を見た時、俺はごく自然にさやかとして挨拶を交わしていた。
 何となく昨日よりもスムーズに挨拶できた気がする。
 昨日は意識して女の子として振舞おうとしていたのだが、何故だか今朝二人の顔を見た時、本当に昔から友だちだったような気がしたのだ。
 そんな俺の顔を、ひとみがじっと覗き込む。
「さやかさん、なんだか疲れてません?」
「え、そお? そう言えば、昨日ちょっと夜更かししちゃったかも」
「まあ、夜更かしは美容の大敵ですわよ」
「あ、さやかちゃん、眠れなかったの? そっか、あんなことが続いたから」
「あ、平気平気。二人とも心配しないで」
 俺は照れ笑いを浮かべながら歩き出した。
 ベッドで一晩中自分の体を弄くっていただなんて、そんなこと言えないよな。
 今まで想像しながら小説に書いていた女性の快感を、まさか自分で味わえるだなんて思わなかったよ。
 それにしても、ほんとに気持ちよかった。
 でも気になることがあった。
 心地よさと気だるさの入り混じった一夜が明け、目覚めた俺は奇妙な感覚に捉われてたのだ。
 それは、この少女の体は元から自分の体だったという錯覚だった。しかも前夜まで感じていた違和感が減っていた。
 今もそうだ。
 意識すると恥ずかしくなるのだが、女言葉も少女そのものの仕草も、自然に振舞うことができる。
 そして、振舞うだけではない。
 愛おしい。
 かわいくって、繊細で、
 この体、ずっと大事にしたい。
 ふと、そんなことを思ってしまう。
「さやかちゃん、どうしたの? 考え事?」
「え? あ、ちょっとね」
「上条君のこと? 今日こそ彼のお見舞いに行くんでしょう」
「え? そ、そうだね」
 また上条という名前だ、クラスの男子このとだろうか。どうやら入院しているようだけど、さやかと仲が良かったのかな。

 とくん──

 あ、まただ。
 上条という言葉を聞くと、胸が苦しくなる。
 もしかしてさやかは、上条って奴のことが好きだったのか?
 そしてこの体がそれを覚えている?
 ということは、まさか、俺もそいつのことを好きになるのか!
 いや、ないない、それはない。
 俺は、抱擁された男に目を閉じて唇を突き出し、キスを求めるような仕草をする自分を想像して、慌てて打ち消した。
 男のことを好きになるなんて、そんなの絶対あるわけないよな。
「あら? あれ上条君じゃありません? 退院なさったんですのね」
 突然ひとみが車道を挟んだ反対側の歩道を指差す。
 その先には、松葉杖をついた少年を取り囲むように歩く、数人の男子のグループがいた。
「あ、ほんとだ、うわぁ上条君退院したんだ。良かったねさやかちゃん」
「え? う、うん」
 懸命に松葉杖で歩いている少年を見ていると、胸の奥がきゅんと締め付けられる。
 あたしが側に付き添ってあげたいのに……って、おいおい、俺は男のことなんか。
 その時、突然頭の中に声が響いた。
『おい、お前、つら貸せや。あたいは目の前の公園にいるから』
「え?」
 QBの声ではない。
 それは昨日魔女を倒した杏子という魔法少女の声だった。
「二人とも、先に行ってて」
「どうしたの? さやかちゃん」
「うん、ちょっとね。心配しないで、後で追いかけるから」
「そお? それじゃ、先に行ってるよ」
 まどかはちょっと心配そうな表情を見せたが、俺はそのまま二人と別れて小走りに公園に入っていった。
 そこには、杏子がいた。
 ベンチに座った彼女は、紙袋を抱えてりんごをかじっている。
 だが俺を見るなり、かじり終えたりんごの芯を放り投げた。
「お前、このまま魔女と戦うつもりなのか?」
「え? ま、まあ」
「やめとけやめとけ、お前の腕じゃ無理だって。悪いことは言わないから、この町はあたいに任せて、大人しくしているんだな」
 紙袋の中から取り出した二個目のりんごにかじりつきながら、杏子は言い放つ。
「な、なにを! それが人を呼びつけといて話す態度かよ」
 むっとして、俺は彼女に言い返した。
「忠告してやっているんだよ。覚悟も無しに魔法少女はできないって」
「覚悟? そんなものが必要なのか?」
「やれやれ、マミはそんなことも教えてくれなかったのか?」
 杏子はそう言うと、俺を哀れむような目で見る。
「とにかく俺は、魔女と戦って絶対に勝ってみせる」
 俺をじっと見た杏子は、ぽりぽりと頭をかいた。
「ふぅ〜、最初はお前のこと“この甘ちゃんが”って思ったんだ。街を守るとか言って浮かれているのを見て、本気で殺してやろうと思ったさ。この間の夜までは。でも、今のお前のことは、嫌いじゃないんだ。なぜだろうな、うまく言えないけど、何か違うんだ。……わかった、好きなようにするがいいさ。でも今度は助けないぜ」
「わ、わかった!」
「ふふっ、じゃあまたな」
 そう言って二個目のりんごの芯を放り捨てると、杏子は跳び去っていった。
「不思議な子だな」
 遠ざかる後姿を見ながら、俺はつぶやいていた。
「さてと、それにしても、これじゃすっかり遅刻だ。先生に何て言い訳しようか」
 腕時計を見てため息をついた俺は、小走りで学校に向かった。
「よし、近道だ」
 俺は、小さい路地に入った。
 だがその瞬間、風景が一変した。
「え? これって?」
 薄暗がりの中を、何匹もの極彩色の巨大な蛾が飛び回っている。
『さやか、それは使い魔だ』
「使い魔? その声はQBか?」
『使い魔はグリーフシードを持っていない。成長したら魔女になるけど、今はまだ魔女よりずっと弱いよ』
「魔女の卵ってわけか、よおし、初心者の腕試しにはちょうどいいか」
 俺は、ぱっと腕を広げると、指輪に祈った。
 即座に着ている制服が、魔法少女のコスチュームに変わる。
 肩に巻いたマント、胸から下を覆うトップレスの青いキャミソール、そしてミニスカート。
 右手には、サーベルが握られている。
 俺は再び魔法少女に変身していた。
 その間も、巨大な蛾の群れは俺の周りをのたのたと飛び回っている。
「なるほど、昨日の奴より動きが鈍そうだな」
 俺はゆっくりと飛んでいる蛾に向けて 剣を振った。
 だが、昨日と同様、やはりなかなか剣は当たらない。
「くそう、飛ぶ軌道をよく見ないと」
 振るっても振るっても当たらない。だが何度も剣を振るっているうちに、段々と要領がわかってきた。
 要するに、蛾の飛ぶ軌道を予測して、少し先を狙わないと当たらないということだ。
 そして遂に。
「当たった!」
 剣が触れた蛾は、その瞬間空中でぴたっと止まって石のように固まったかと思うと、ポンという小さな音とともに弾け、次の瞬間にはかわいい小さな蝶々になってしまった。
 一度要領がわかると、後は早い。
 俺は一匹、二匹、三匹と、次々に巨大蛾に剣を振るった。どの巨大蛾も、剣が当たった瞬間に小さなかわいい蝶々に変わっていく。
 やがて全ての蛾が蝶に変化し、飛び去っていくと、狭い路地の内側はいつもの景色に戻っていた。
「ふぅ〜、何とか退治できたみたいだな。それにしても、剣に触れた蛾が切り裂かれずに蝶になる? 何なんだ??」
『それが君の力だ』 
「これが俺の力?」
『そうだよ。尤もその《変換の力》が戦う相手にどう作用するのかは君次第だと思うけど』
 そう言えば、俺の力はあの杏子にも負けないって、QBが昨日も言ってたな。
「よっしゃぁ、これで魔女狩りのこつを覚えられそうだな」
『でもさやか、気をつけるんだよ。説明したようにソウルジェムは穢れを溜めていくから、使い魔とばかり相手をしていると穢れが溜まる一方だよ。本物の魔女も倒さないと』
「わかったわかった。要領を覚えたら、やってみるよ」
 確かに、変身を解いて自分のソウルジェムを見ると、心なしか幾分輝きがくすんでいるような気がした。
 でも剣に触れただけで相手を戦闘不能にできるのなら、どんな相手でもちょろいよな。これなら楽しいかも。
 昨日の苦戦を忘れて、俺はうきうきした気分になっていた。

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第5話 「こんなのおかしいよ」

「まどか、こっち!」
 俺は消火器のコックを外すと、まどかを追いかけてくる影に消化剤を浴びせかけた。
 相手がひるむ隙に、QBを抱えているまどかの腕を握って駆け出す。
 後ろから追いかけてくる黒い影。
(だめだ、追いつかれる)
 だがそう思ったその時、景色が一変した。
 改装中でコンクリートがむき出しの無機質なフロアにいた筈なのに、まるで美術館の中に迷い込んだような異様な風景が俺たちの前に広がっていた。
 そして俺たちの周りからは人間と同じ位の大きさの、雲の塊のような異形の群れがぞろぞろと現れた。
 やがて、異形たちは獲物を前にした肉食獣の群れのように俺たちを取り囲み、その輪をじりじりと狭めてる。
 嬌声にも聞こえるその声は、一斉に飛び掛るタイミングを数えているかのようだ。
(駄目!)
 だが観念して肩をすくめた瞬間、爆発音と共に群れは四散していた。
「もう大丈夫、安心して」
 俺たちの前に、金髪の少女がゆっくりと歩み寄る。
「QBを助けてくれてありがとう。あたしの名前はマミ、あなたたちと同じ中学に通う魔法少女よ。あ、ゆっくり自己紹介したいところだけど、その前に!」
 軽くジャンプしたマミさんは変身した。
 中学の女子制服から、羽飾りのついた帽子、白いブラウス、黄色いリボン、茶色のコルセット、そしてミニスカートといった衣装に変わる。
 ブラウスを盛り上げる大きな胸は中学生とは思えないほど立派だが、それはともかく、マミさんは何も無い空間からおびただしい数の小銃を出すと、次々とそれを構えては打ち放ち、周囲から襲い掛かる異形を打ち砕いていく。
 だが雲の塊のような異形は、大きな雲の中から分裂しては、後から後から襲い掛かってくる。
「もぉ、キリが無いな。一気にいくわよ」
 その瞬間、おびただしい数の銃はひとつに収束して巨大な銃に変化した。

「ティロ・フィナーレ!」

 銃から真っ赤な火の玉が発射され、巨大な雲に命中する。そして、小さな雲もろとも燃え尽きてしまった。
「うふっ♪」
 マミさんは俺たちに向かって振り返ると、にこっと微笑む。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
 だが、微笑むマミさんの姿はゆらりと揺れ、ぼやけていく。
 気がつくと、巨大なケーキやキャンディの中で、マミさんはぬいぐるみ人形のような魔女と戦っていた。
 スポンジケーキのような地面に、10数丁の銃を突き刺し、鮮やかな手さばきで打ち放っては向かってくる小さな使い魔たちを霧散させていた。
「これで最後よ!」
 マミさんが叫ぶと、束になった銃が巨大な銃に変化する。

「ティロ・フィナーレ!」

 巨大な銃を抱え込んで叫んだマミさんは、巨大な銃弾を発射させる。
 腹部を銃弾で打ち抜かれる魔女。
「やった!」
 だが次の瞬間、魔女の口の中から蛇のような魔物が現れる。
「あ!」
 驚く間もなく、大きな口を開けた魔物がマミさんに襲い掛かる。
「マミさんっ!!」


 はっと目が覚める。
 気がつくと、目から涙がこぼれ落ち、机を濡らしていた。
「夢か」
 はぁ〜っとため息をつく。
「さ・や・か・さん!」
 顔を上げると、俺の前で腰に手を当てた担任の教師が睨んでいる。
「そんなにあたしの授業はつまらないかしら?」
 にこっと笑う女教師。だがその目は笑っていない。
「ご、ごめんなさい」
 立ち上がって、教師に謝る。
 クラスの中にクスクスという笑いが漏れる。
「よろしい。真面目に聞いていないと駄目よ」
 ふぅ、授業中に居眠りしていたらしい。

 マミさん、あたしのあこがれだった人──

 俺の頭の中で、そんな声が残響のように響く。
 そうだ、マミさんは死んだ。魔女に殺られてしまったんだ。


「さやかちゃんが授業中に居眠りするなんて珍しいね。やっぱり昨日夜更かししたから眠くなっちゃったの?」
「え? ま、まあね」
 学校が終わり、俺は今日もまどかとひとみの三人で下校していた。
 夜更かししたという今朝の話を、まどかはちゃんと覚えていたらしい。
 自分のこの体を持て余してろくに寝ていない──というのが本当のところなんだが、二人にそれを話せる訳がない。
 あまり蒸し返して欲しくないなと思いつつも、俺は黙って歩くしかなかった。
「ねえ、さやかちゃん、今夜もパトロールに行くの?
 疲れているんでしょう。ゆっくり寝たほうがいいんじゃないのかな」
「ありがとう、まどか。でも大丈夫だから」
 俺のことを心配してくれている赤いリボンの少女、まどか。
 彼女とは小学生からの親友なんだよな。
 まどかとの想い出がフラッシュバックのように蘇る。
「え? あ!」
 違う、これは俺の記憶じゃない。さやかの記憶だ。
 居眠りしていた時に見たあの夢もそうだ。
 俺は夢の中で繰り広げられたあの戦いのことも、マミさんのことも知らない。
 でもあれは、確かに俺のの目の前で現実に起きた出来事なんだということを感じていた。
 きっとさやかが体験した過去の記憶なんだろう。
 さやかの記憶……それは魔法少女になることを選んだ俺が《魔法少女さやか》として生きていくのに必要なものかもしれない。
 でもさやかの記憶が増えるということは、今までの自分の記憶に、どんどんさやかの記憶が入り混じっていくということだろう。
 いや、混じるだけならまだいい。俺の記憶って、もしかしてさやかの記憶に押しやられて希薄になってきているんじゃないんだろうか。
 そう言えば、さやかとして暮らすことにどんどん馴染んでいるし。
 それに気がついた時、ぞくりとした感覚が俺の中を通り抜けた。
 俺は自分の記憶を確かめてみた。
 名前は三ッ木晃、独身のサラリーマン。一人暮らしだが、田舎には両親と妹が暮らしていて、それから……よかった、ちゃんと思い出せる。
 きちんと元の自分の記憶があることに、ちょっとだけほっとする。
 だが、いつまで覚えていられるのだろうか。もし元の記憶を全て忘れてしまったら、俺、本当にさやかになってしまうんじゃないのか?
 心そのものも、さやかという少女になりきってしまうんじゃないだろうか。
 そしたら俺って誰なんだ。俺なのか、さやかなのか。
 それって俺が願ったことなのか? 
 いや違う、こんなの、こんなのおかしいよ。
「ねえ、さやかちゃん」
「え?」
 まどかに腕を掴まれて、はっとまどかを見る。
 彼女は心配そうな顔で俺を見ていた。
「どうしたの? さやかちゃんの顔、なんだか怖い」
「え? あ、気にしないで、ちょっと考え事してたんだ。ごめん」
「さやかちゃん、あたし今夜のパトロールも一緒について行っていいかな」
「え、まどかもいっしょに?」
「あたし心配なんだ。この間みたいなことになったら、どうしようかなって。何もできないかもしれないけれど、さやかちゃんの側についていてあげたいの」
「今度は大丈夫だと思うよ。あの杏子という子とも仲直りできそうだし」
「そうなの? でも、あたし」
「うん、ついてきていいよ。まどかの気持ち、とってもうれしいし」
 いいよと言ったものの、パトロールに行くのは元のさやかではなく俺だ。魔女狩りを実行するかどうかは俺自身が決める問題なのだ。
 でも今朝の戦いで少しばかりの慣れと自信をつけた俺は、QBとの契約通り魔女狩りをやってみようという気になっていた。
『まどか、それは良い考えだね。いざとなったら君が僕と契約すれば、君の力を切り札として使えるし、僕としては賛成だな』
「QB!」
 いつのまにか、まどかの肩にQBが乗っていた。
「それじゃ、今夜さやかちゃんの家に行くから」
「うん」
 ほんとに友だち思いのやさしい子だよな、まどかって。
 そんな俺とまどかの会話に、ひとみが口を挟む。
「さっきから、二人で話しているパトロールって何ですの?」
「え? ふふっ、あたしとさやかちゃん、二人の秘密だよ」
 まどかが笑って答える。
「まあ、あたしにはもうお二人の間に割り込む余地はないんですのね、悲しいですわ」
 ハンカチを目に当てて、よよよと泣き崩れるひとみ。勿論お芝居だ。
「もう、ひとみったらほんと気にしないで。それじゃあたしはこれで」
 だが、交差点で別れようとした俺を、ひとみが呼び止める。
「さやかさん、今ってお時間あります?」
「え? 大丈夫……だけど」
「上条君のことでお話があるんですの。よろしいかしら?」
 昨日言いかけたことか、何だろう。
「え? ま、いいけど」
「それでは、そこのお店に入りましょうか」
 ひとみに促され、まどかと別れた俺たち二人は、喫茶店に入った。
 ひとみは席に座ってソーダ水を注文すると、真顔で俺に話し始めた。
 さっきとは表情が一変している。
「上条君のことですけど」
「うん、何かな?」
「あたし、上条君のことをお慕い申し上げていますの。さやかさん、あなたも上条君のことが好きなんですわよね」
 ズキン──
 胸の奥が痛い。この痛み、さやかは確かにそいつのことが好きだったのかもしれない。
 でも、俺にとって男と付き合うなんて考えられない。
 俺は、胸の奥の痛みに抗うように、真顔で俺を見つめるひとみに、けらけらと笑って言った。
「あ、あたし別に彼のこと何とも思っていないから。いいよ、あたしのことは全然気にしないで」
 ズキン、ズキン──
 胸が痛い。
「ほんとによろしいんですわね。それでは、あたし明日にでも上条君に告白させてもらいます。よろしいかしら」
「うん、構わない」
「そうですか」
 目を閉じてストローでソーダ水をひと飲みしたひとみは、すっと立ち上がると、レジに歩いていった。
「あ、あの」
 ひとみの背中に向かって声をかける。だが次の言葉が出てこない。
 ぴたっと立ち止まったひとみは振り返った。
「あなたの上条君への気持ち、そんなものだったんですか? 見損ないましたわ」
 それっきり言うと、ひとみは店を出て行った。
 一人席に残された俺は、立ち上がったままそれを呆然と見送るしかなかった。
 これで良かったんだろうか……
 気がつくと、涙が一筋机にこぼれ落ちていた。
 ひとみの後を追いかけたいという衝動が湧き上がる。
 でも、追いかけてどうするんだ。上条って奴をひとみには渡さないとでも宣言するのか? 馬鹿な。
 そう思って、席に再び座り込む。
「ふぅ〜」
 大きくため息をついた俺は、気を取り直すように残っていたソーダ水を飲み干した。
「とにかく、まずは今夜のパトロールだ。まだ魔女とは戦いたくないけど、経験値は上げておかなくちゃな」
「あなた」
 突然呼ばれた俺は、顔を上げた。
 目の前に、長い黒髪の美少女が立っている。
 それは、ほむらだった。
「あなたは誰?」
 俺を冷たい目で見下ろす美少女、暁美ほむら。
 彼女は転校してきて間もないらしいが、クラスで人気がある。
 美人でスポーツ万能、おまけに成績優秀とくれば、それも当然だ。
 だが、クラスメイトが彼女の周りに集まってくることがあっても、彼女のほうからクラスメイトに話しかけるという光景を見たことがなかった。
 いつも何の関心も無そうに一人でいる。
 いや、俺を見る目と、まどかを見る目だけはどこか違っていたのだが。
 そう言えば、彼女も魔法少女のはず、そしてあの夜あそこにいた一人だ。
 その時、俺はさやかとして目覚めた時、彼女に「あなた、馬鹿ね。それに、余計なことを」と言われたのを思い出した。
 その彼女が俺に向かって「あなたは誰」だって?
 それじゃ、あれはさやかに言った言葉じゃなくって、俺に向けられた言葉だというのか。

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第6話 「奇跡も魔法もある、でも……」

「はぁ? なに言ってるのさ。あたしはさやかに決まっているじゃない」
 俺はさやかの口調で彼女に答えた。
「ふん」
 だが彼女は表情を変えずに、ブレザーのポケットからハンカチで包まれたもの取り出した。
 そしてそれを俺の前でそっと広げる。
「え!」
 ハンカチの中から出てきたもの。それは砕けた青い宝石だった。
 俺のソウルジェムそっくりだ。
「これがさやかのソウルジェムよ」
「ど、どういうことだ……なの」
「あの夜、まどかがさやかのソウルジェムを車道に放り投げた時、あたしはすぐに回収しようとしたの。でも遅かった。
 あたしが行った時、彼女は既に車に引かれて砕けていた。仕方なしに破片を全部回収して戻ったんだけど。そしたら……」
 テーブルに広げられたソウルジェムの破片に目を落としていたほむらが、俺にキッと目を向ける。
「???」
 俺のソウルジェムとさやかのソウルジェムがよく似ているのはわかる。だが、だからどうだと言うのだ。
「はっきり言って、何が言いたいの?」
「あなたは美樹さやかじゃない。別人が彼女の中に入っているということはすぐにわかったわ。でも、あなたは何者? 何の目的でさやかに成りすましているの? QBの差し金?」
「え、え〜と」
 俺は返答に窮した。
 彼女に本当のことを話して良いものか、それともあくまでしらを切るべきなのか。
 俺は彼女の目を見た。
 それは強い意志を感じさせながらも、どこか悲しそうね目。
 この子、本当に中学生なのか?
 俺は、自分よりずっと年上の女性から見下されているような錯覚を覚えた。
 俺のことを快く思っていないことはわかる。
 だが少なくとも悪い子じゃなさそうだ。
 俺は、彼女ときちんと話をしてみることにした。
「座って、ほむらさん。あたしもあなたにいろいろ聞きたかったし」
「私からあなたに話すことは何も無いわ」
「あたしの話だけを聞こうとして、自分のことは話してくれないの? ね、座って」
 ほむらは、ふうっと小さな息を漏らすと、俺の前に座った。
「わかったわ。それじゃ最初にあたしの質問に答えて。あなたは何者?」
「あたし……いや、俺は三ッ木晃だ」
「俺?」
「俺は男、いや男だったというべきかな」
 ほむらの表情がさっとこわばる。
「な、な、なんで、男のあなたがさやかのふりをしているのよ?」
 ほむらは明らかに狼狽している。俺の答えは全く予想外だったのだろう。
「QBに勧誘されたんだ。『魔法少女になってよ』って」
「だって、あなた男なんでしょう、何でそれを受けるのよ、信じられない」
「こっちにも事情があってね、理由は勘弁してくれ」
 TS好きで、仕事に疲れたから、ついQBの誘いに乗ってしまったなんてこと、さすがにこの子には言えない。
 それを話すのは、男のプライドが許さないと思った。
「そうか、だから授業中に変なことをしようとしたり、更衣室であんな嫌らしい目つきで……この変態!!」
「ち、ちがう、とにかく悪気は無かったんだ。QBから『魂が無くなってしまったさやかという魔法少女になってみないか』と誘われて、つい契約したんだ。そしたら俺のソウルジェムが出来上がって、気がついたら俺はこのさやかという少女になっていた」
 俺は彼女に俺の青いソウルジェムを見せた。
 興奮していたほむらは、俺の青いソウルジェムを見てふぅ〜とため息をつく。
「そう、あなたもQBに騙されたのね」
「騙された?」
「そうよ。魔法少女になるということは、人間を捨てるということだから」
「人間を捨てる? 俺は人間だぞ。まあ男を捨てて少女の姿になってしまったかもしれないけど」
「あなたはもう人間じゃない。生きているように見えるだけよ。このあたしもそう」
 そう言って、ほむらが自分の胸に手を当てる。
「言っていることがわからないな。それに、そもそも何ですぐに俺がさやかじゃないとわかったんだ? まどかもひとみも中身が俺だとわからなかった。魔法少女の杏子でさえ気がつかなかったのに」
「ソウルジェムは魂が実体化したもの。魔法少女の力の源でもあるけれど、その本質は魔法少女の魂そのものよ。それが砕けた時点でさやかは死んでしまったの。彼女は守れなかったのはあたしのミスよ。でも、あたしの目的は彼女を守ることじゃない。だからその事は仕方ないと思っていたの。問題は、砕けたさやかのソウルジェムを回収してきたあたしがあそこに戻った時、さやかが目覚めていたこと。驚いたけど、すぐに中身が別人にすり替わっているんだとわかった」
 ほむらの言葉によると、QBはさやかのソウルジェムを回収しなかったらしい。実際に砕けたさやかのソウルジェムを回収したのは、ほむらだったという訳だ。そして、ほむらもソウルジェムの本質が魔法少女の魂だということを理解している。
「なるほど。でも俺も君も人間じゃないってどういうことだ。意味がわからないんだが」
「あなたってほんとに頭悪いわね。よく考えてごらんなさい。今あなたが手に持っているソウルジェムはあなたの魂そのもの、あなたの本体はそれなのよ」
 ほむらが俺のソウルジェムを指差す。
 俺は自分が持っている青いソウルジェムをまじまじと見つめた。
「これが俺の魂、俺の、魂……ん? 待てよ、ということは、俺って!?」
「だから言っているでしょう。あなたはもうこの世のものではないその体を、そこからリモートコントロールしているにすぎないという訳」
「げげげっ!」
 それじゃ、俺はQBと契約した時点で死んだってことなのか!?
 魂だけの存在になって、この体に憑依させられた……。
 今更ながら、救急車で運ばれていく自分の体と母親の姿が脳裏に浮かぶ。
 一方のほむらは、顎に手を当てて考えている。
「そうか、QBはあなたをさやかの身代わりにしたんだ」
「身代わり?」
「QBはまどかと魔法少女の契約を結びたがっているの。でも今までこの街を守ってきた魔法少女のマミが、まどかたちの目の前で魔女に殺されたことで、まどかは魔法少女になることに躊躇してしまった。そして、まどかではなく親友のさやかがQBと魔法少女の契約を結んでしまったの。QBの奴、どうやらまどかに契約させる為には、あそこでさやかが死んではまずいと思ったようね。その為にさやかの身代わりを作ろうとした」
「ということは、俺は」
「何も知らされずにQBにいいように契約させられたんでしょう。全く、何を祈りに契約したんだか」
「いや、それは、その」
「まどかには悪いけれど、さやかが魔女化する前に死んでしまって、あたしは少しほっとしていたの。これでさやかが魔女に堕ちることはないし、魔法少女の現実を見せ付けられたまどかがQBと契約するリスクもさらに減ったと思ったから。それなのに全く、あなたは……」
 ほむらがため息をつく。
 多分、「余計なことをしてくれた」と言いたかったんだろう。
 それはともかく、俺は彼女の言葉が気になった。
「さやかが魔女化? 魔女化って何だ?」
「ソウルジェムが完全に黒く染まると、ソウルジェムは魔女の卵《グリーフシード》に変化する。そして魔法少女は魔女に生まれ変わるの。つまり、魔女を狩るものから、魔法少女に狩られるものに立場が逆転してしまうということよ」
「な、何だって!?」
「あなたのソウルジェムは、大丈夫なの?」
「え? あ、ああ」
 俺は自分のソウルジェムをテーブルの上に置いた。少しくすんでいるが、十分青い輝きを放っている。
「まだあまり魔法を使っていないようね。これなら当分大丈夫かもしれない。でも早くグリーフシードを確保しておかないと安心できないわね」
「おい、助けてくれよ」
「駄目」
 ほむらは俺の言葉を冷たく突き放す。
「え? なんで」
「あたしにはあたしの戦いがある。まどかを守ることがあたしの戦いだから。あなたも男なら、自分のことは自分で守りなさい」
「でも今は女の子だし、いや、魔法少女だよ」
 俺はわざとしなを作って、ほむらにウィンクした。
 だが、ほむらは全く動じることなく俺に言い放った。
「それなら尚更よ。あなたはあなた自身の力で新しいグリーフシードを手に入れることね。せいぜい魔女にならないようにがんばることよ」
「そ、そんな」
「もうすぐ『ワルプルギスの夜』がこの町に来る。超弩級の相手よ。あたしも勝てるかどうかわからない。でもあたしは全力であいつと戦う。その為に準備しなくちゃいけないの」
「なあ、俺も君と一緒に戦えないのか? 一人より二人、そうだ、あの杏子も加えて魔法少女三人で力を合わせて戦えば何とかなるんじゃないのか?」
「余計なお世話よ。それじゃあ」
 それだけ言って席から立ち上がると、ほむらはくるっとターンして店から出て行ってしまった。
 砕けたさやかのソウルジェムを後に残して。


「くそう、魔女化だって? 何だっていうんだ」
 店を出た俺は、手に持ったソウルジェムを地面に叩きつけようとして、危うく堪えた。
「おおっと、危ない危ない。それにしても……」
 ほむらの話はショックだった。
 今の自分が既に死んでいるのと同じで、おまけに、『ワルプルギスの夜』だって?
 どうするんだ? 俺。
『楽しめばいいんだよ、さやか』
 気がつくと、俺の肩にQBが乗っかっている。
『君は魔法少女だ、何だってできるよ。魔法少女の力をもっと使ってごらん。楽しいよ』
 力を使うか。そう言えば、自分の力についてほとんど知らないんだな。
 俺の祈りの力は《変換》だった。毒々しい蛾の姿をした使い魔を小さな蝶に変化させていたけれど、もっといろんな使い方ができるのかな。
 そう言えば……
「なあ、QB」
『なんだい? さやか』
「魔法少女は祈りを代償に魔法少女になるんだったよな。さやかは何を祈りにして魔法少女になったんだ」
『彼女は祈りを自分の為じゃなく、他人の為に使ったんだ。事故で指が動かなくなった少年の指が治るようにとね。願いは叶えられ、そして彼女は魔法少女になった。でもエネルギー回収が全然できなかった僕としては、このままじゃ困るんだ。ノルマに響くんだ。全く失敗だったよ』
 指が動かなくなった少年。
 それがあの上条という少年を指していることはすぐに理解できた。
 その言葉を聞いた瞬間、コンサートホールで見事にバイオリンを弾きこなす少年と、それを胸をときめかせて観客席から見ていた俺の姿が、そして病室のベッドに横になっている手を包帯で巻いた少年の傍らで、小さな幸せを感じながら寄り添っていた俺の姿が次々に思い浮かんだのだ。
 いや、それは俺であって俺じゃなかった。
 思い浮かんだ俺は、女子の制服を着た女の子だった。
 これ……さやかの記憶。
 自分の為ではなく他人の為に祈り、魔法少女になった少女さやか。
 彼女の祈りで彼の指は治ったらしい。
 だがさやかはあっけなく死んでしまった。
 淡々とそれを失敗だったと言うQB。
 俺は、肩の上のQBを地面に叩きつけたい衝動に駆られていた。
 奇跡も魔法もある。でもその代償は……

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第7話 「おれってほんとばか」

 その日の夕方、まどかと待ち合わせした俺は、彼女と一緒にパトロールに出かけた。だが結局魔女と遭遇することは無かった。
 遭遇したのは大型の烏のような姿をした使い魔、それもおびただしい数の。
 魔法少女に変身した俺は、次から次へと襲い掛かってくる使い魔たちを、長剣で切って切って切りまくった。
 俺の剣が触れると、禍々しい姿の使い魔は、次々にかわいいひな鳥の姿に変わっていく。
「はぁはぁはぁ」
「さやかちゃん、がんばって」
 QBを肩にのせたまどかが、後方から声援を送る。俺はそれに勇気付けられるように次々にマントの下から長剣を生み出しては烏を切り、或いは投げつけ、使い魔をぴよぴよと鳴くひな鳥へと変えていった。
 それは決して楽な戦いではなかったが、数をこなすことで戦いのコツを覚えるという意味では貴重な経験だった。
 どういう風に剣を使えば相手にヒットさせられるのか、朝の使い魔との戦い方を反芻しながらの戦いは、魔法少女として戦う要領を覚えるのにもってこいだったからだ。
 俺は戦いまくった。だが、さすがに数が多すぎた。
 戦いが終った後、俺のソウルジェムは明らかに澱みが増していたように見えた。
「さやかちゃん。ソウルジェムの色が濁っている」
『さやか、そろそろ魔女を相手にしないと、君にとって極めてまずいことになるよ』
「そんなこと、わかってる」
 魔女は案外近くにいたのかもしれない。だが初心者の悲しさか、結局その夜、俺は魔女の本体に近づくことはできなかった。
 まどかと別れて家に戻ると、俺はベッドに倒れ込んだ。
『さやか、どうしたんだい』
「何だか、疲れた」
『当然だよ。君の戦い方は無駄が多すぎる。あんな戦い方をしていると、すぐにソウルジェムが真っ黒になってしまうよ』
 QBが忠告する。だが真っ黒になると、どういうことになるのかを知ってしまった俺にとって、それは脅迫とも受け取れる言葉だ。
「今度はうまくやるさ」
『魔女との戦いが、あんな生易しいものではないことはわかっているよね』
「一度戦ったんだ、強敵だということはわかっているよ。でも今度はもう少しうまく戦えると思う」
『自信を持つことは良いことだと思うけど、過信しないことだよ』
 QBの忠告が耳障りに感じる。
 俺が何も答えずに黙っていると、QBは少し間をおいて再び喋り始めた。
『さやか、ひとついいことを教えてあげようか』
「いいこと?」
『魔法少女は、体の感覚をコントロールできるんだ』
「感覚をコントロール?」
『戦って受けた痛みを100%感じていたら、すぐに身動きできなくなってしまう。こんな風に』
 QBは、俺のソウルジェムを前足でぎゅっと押さえた。
「あぐっ」
 その瞬間、胸をぎゅっと圧迫されるような痛みが俺の体を襲った。
 息ができないほどの苦しさだ。
「く、苦しい、い、息が……」
『どうだい、それが本来君が戦いで受ける痛みだ。でもそれを感じにくいように感覚をコントロールすることで、苦痛を感じずに強力な魔女と戦い続けることができるんだ。体に受けた物理的ダメージは、後で魔法で修復すればいいからね』
 QBはそう言うと、前足をソウルジェムから離した。すると、すぐに苦痛が無くなり、胸がすっと楽になった。
『さあ、感覚を鈍らせるように念じてごらん』
 言われるままに念じてみる。すると、再びQBが前足で押さえつけても、ほとんど痛みを感じることはなくなった。
「ほんとだ、痛くないや」
 QBが前足を離す。
『完全に痛みを遮断することも可能だけど、感覚が鈍いほど動きも鈍くなるから気をつけてね。逆に敏感にすることもできるよ。そうすれば魔女の攻撃に対する反応を早めることができる。うまく使い分けるんだ』
「ふーん、面白いな」
 俺は、試しに感覚が鋭くなるように念じてみた。
「感覚が鋭くなるよう念じてみたけど、なんかよくわからないな」
『そうかい? さやか、これはどう感じる?』
 ぺろぺろ……
 QBは俺のソウルジェムを舐め始めた。
「な、何を……あうっ」
 次の瞬間、俺の全身をくすぐったさとも痛みともつかない、強烈な快感が駆け抜ける。
「何だこれ、全身をなめ回されているような……あ、あひっ」
 QBが丹念にソウルジェムを舐め続ける。
 それに合わせるように、唇を、胸の先を、そして股間を、指先を、足先を、わき腹を、体中を舐められているような感触が次々に襲ってくる。
「く、くすぐった……あ、あん、な、何だこの、あ、あひぃ」
『どうだい、気持ちいいだろう、それが女の子の感覚だよ、いや、今の君はその何十倍かの刺激を感じているのかな』
 ぺろぺろぺろ……
「そ、そんな、俺はおとこ……そんなの、く、くはぁ、駄目、や、やめろ」
『さやかになりたいと願ってできた君のソウルジェムは、君の魂でできているけど、さやかのソウルジェムとほとんど同じものだ。それがどういうことかがよくわかるだろう。気持ちいいだろう、素敵だろう。だって君の魂は直接女の子の快感を感じているんだから。さあ、もっともっと感じるがいいよ』
 ぺろぺろぺろ……
「あ、ああ、や、やめろ、やめ、やめてぇ、いや、いやあ」
 全身を快感が突き抜ける。
 体をよじらせて快感を堪えようとするが、体全体を嘗め回されるような快感は留まることを知らない。
 そして、体の奥から何かが溢れてくる……
「や、やめ、もう駄目、こんなこと、おれ、俺はおとこ──」
『どこが男なんだい? 君は一晩中、その体を弄くっていたじゃないか。もう君は女の子なんだ。「さやか」になるのが君の願いじゃないか。そろそろ自分が「さやか」なんだって自覚したほうがいいと思うよ』
 尚も俺のソウルジェムをなめ回し続けるQB。
「だめ、気が狂いそう、もうやめ……やめてぇ!!」
 その瞬間、俺の中で何かがはじけた。目の前が真っ白になる。
 体がビクンビクンと痙攣していた。



「はぁはぁはぁ、はぁはぁはぁ……」
『気がついたかい? 君には大事な役割があるんだ。変な抵抗してないで、早く「さやか」になってよ。そして魔法少女としてがんばるんだよ、さやか』
 ようやく正気に戻った俺に、QBはそう言うなり消えてしまった。
「はぁはぁはぁ、く、くそう、あんな小動物に翻弄されるなんて」
 屈辱だった。だがそれよりも、快感に浸りこんでしまった自分が情けなかった。
 あれが、女の子の快感。
 俺はベッドに体を投げ出したまま、涙目で天井を見上げているしかなかった。


 その翌朝も、俺はまどかやひとみと一緒に学校に向かっていた。
 QBは何事も無かったかのように、まどかの肩の上にいる。
 ひとみは俺と目を合わせようとしない。
 目が合おうとすると、彼女は俺の視線を避けるように顔をそむけた。
 ちくりと胸が痛む。
 ひとみに何か言葉をかけたかった。でも話すべき言葉が出てこない。
「ひとみちゃん……」
「え?」
「ううん、何でもない」
 あたし、恭介のことが好き。でもこんな体になってしまったんだもん。あたしは身を引いたほうがいいんだよね。それにひとみほうがきっとお似合いだよ。
 そんな思いばかりが湧いてきて、あたしの足取りは重くなるばかりだった。
「さやかちゃん?」
「え? なに、まどか」
「今夜のパトロールどうするの?」
「今夜は、行きたいところがあるからお休みする」
「そう、もし困ったことがあったら、すぐに教えて。あたしにできることがあったら、何でもするから」
 できることは何でもするか……あたしの悩みなんか何にも知らないで気楽に言ってくれちゃって。
 あたしは心配そうに見詰めるまどかを、醒めた目で見ていた。
 その時、まどかの顔がぐにゃりと歪む。
 目眩があたしを襲っていた。
 違う、何かが……え? なに?

 俺は、はっと我に返った。

 今のは何だ? 俺、何て目でまどかを見ていたんだ!? 俺、何を考えていたんだ。
「はぁはぁ」
「さやかちゃん、どうしたの?」
「ちょ、ちょっと目眩が。でも、だいじょうぶだから」
 心配そうに俺の手を握るまどかの手を振りほどく。
 息が苦しい。
 俺は、俺は三ッ木晃、さやかになりたいと願ったけど、俺は俺なんだ。心は、いやだ。
 ふとソウルジェムを見ると、黒い濁りが宝石の半分を覆っていた。


 その日は1日体がだるかった。
 休み時間になっても机に座ったまま離れようとしない俺を、まどかが心配して声をかけてくれるのに、それを素直に受け取れない。
 妙にいらいらして、うっとおしく感じてしまうのだ。
 俺、何でまどかをこんなじゃけんにするんだ。こんなの絶対おかしいよ。
 でも理性でそれがわかっていても、どうにもできない。
 心がもやもやしていた。
 頭の中に霧がかかったように、何かすっきりしない。
 どうしたんだ、何でこんな。
 ほむらが、そしてもうひとつの視線がじっと俺の様子を観察するように見ていたことにも気づかす、俺は苦悩していた。
 放課後、俺はまどかやひとみと別れて、電車に乗った。
 向かったのは、両親のところ、つまり自分の家だ。
 救急車に乗せられた自分の体がその後どうなったのか、自分の目で確かめずにはいられなくなったのだ。
 会社勤めを始めてから家を出て一人暮らしをするようになったけれど、自宅はそれほど遠くに有るわけではない。
 電車を乗り継ぎ、バスに乗り、そして自宅までの道を歩く。
 そして俺は家の玄関の前に立った。
 だが扉を開けようとして、今更ながら家の鍵を持っていないことに気がついた。
 そう、今の俺は家の鍵を持っていない。だから入ることもできないし、例え入ることができたとしても、別の街に住む女子中学生である今の俺は、家族にとって何の縁もゆかりもない不審者に過ぎない。
 それでもドアホーンを押そうかどうか迷っていると、後ろから声をかけられた。
「あの、どなた? うちに何か御用かしら」
 振り返ると、そこには高校の制服姿の妹が立っていた。
「え? あ、あの、晃さんは」
「え? あなた中学生でしょう。兄貴に何の用? まさか変なことされちゃったとか? でも、あのいくじなし兄貴がそんなことするわけないか」
「い、いえ、その、晃さんとネットで知り合ったんですけど、あ、その、変な意味じゃなくって、あたしがネットで書き込んだ悩みに親身な返事をいただいて、それからお知り合いになったんですけど、ここ数日連絡が取れなくなってしまって」
「ふ〜ん、あの兄貴にそんなところがあったなんてね」
 じろじろと俺を見る妹。
 そんなに見るな、恥ずかしい。
「せっかくきてもらったのに、ごめんね。実は今日これから通夜なんだ」
「え?」
「だから、うちの兄貴のお通夜。あいつ、急死してしまって」
「そ、そうなんですか」
 予感はしていたけど、やっぱり俺の体は死んでしまったんだ。それも今日が通夜だって!?
 何となく行きたくなったのは、虫の知らせというやつなんだろうか。
 ショックで口も聞けずに立ちすくんでいる俺の様子を見て、妹が優しく俺を抱き締める。
「ありがとう、来てくれて。もし良ければ、せめてお線香をあげていってくれるかな」
「は、はい、是非」
「あなた、名前は?」
「あの……さやかです」
「そう、あたしは梓。よろしくね、さやかちゃん」
 それから俺は妹と一緒に葬祭場に行った。
 会場の中には、祭壇と、そこに飾られた俺の写真、響く読経の声、そしてすすり泣き。
 俺の父親は鎮痛な表情で顔を伏せ、母親はハンカチで目を押さえている。
 さっきまで元気そうにしていた妹も、泣き出していた。
 俺は一般参列者に混じって、焼香をした。
 自分の写真に向かって一礼し、そして家族に向かって一礼する。
 変な感じだった。だが俺が家族にとって他人になっていることを思い知らされた。
 俺と、俺のことを知っている全ての人との間に有った筈の絆は最早そこには無い。
「さやかちゃん、今日はありがとう」
「あ、いえ、こちらこそ連れてきていただいて、ありがとうございました」
「あたし喧嘩ばっかりしていたけれど、あれはあれでいい兄貴だったんだ。あたし、好きだったんだぞ、晃。ぐすっ」
 妹がすすり泣く。
 いたたまれなかった。何でこんなことに……俺ってほんとばかだ。
 俺はお前の前にいるんだ、俺が晃だ、お前の兄貴なんだ、そう叫びたかった。そして妹を抱き締めてやりたかった。でも妹を見上げる体になってしまった俺は、もう晃じゃないんだ。
 胸が張り裂けそうだった。俺も妹と一緒に大声で泣き出しそうだった。
 でも溢れてきそうになる涙を堪えて、妹の手をぎゅっと握り締める。
「あ、あの、元気にしてください。お兄さんが泣いているあなたを見たら、悲しむと思います」
「ありがとう、年下になぐさめられちゃったな。てへっ」
 そう言って舌を出し、自分の頭をこつんと叩く妹。
 かわいいよ、梓。
 そうだ、笑ってくれ。
 こんな体になったけれど、俺はずっとお前のことも見守っているから。
 俺はそう思いながら、妹を見た。勿論、そんな俺の気持ちが伝わる事はない。
 妹は俺の手をぎゅっと握る。
「あなたもがんばるのよ、さやかちゃん」
「ありがとうございます。そ、それじゃあたしはこれで」
「さやかちゃん、今度遊びに来てちょうだい」
「はい必ず、梓お姉さん」
 妹の梓に「お姉さん」と言うなんて考えられない筈なのだが、俺はごく自然にそう返事していた。


 葬祭場からの帰り、俺は一人電車に乗り込んだ。
 田舎の電車は乗客も少ない。
 薄暗い車両の中には、葬式帰りの乗客が数人乗っているだけだった。
 俺は、流れる暗い車窓をぼーっと見ていた。
 ふと、乗客の会話が耳に入ってくる。
 話をしていたのは葬式に参列していたらしき二人のサラリーマンだった。よく見るとそれは俺の会社の人間、上司の山本課長と、同期で入社した加藤だった。
「課長、お疲れ様っす」
「ああ、こんな田舎まで来る羽目になるなんてな」
「全く、あいつが死ぬなんて、想像できなかったっすよ。やっぱ自殺すっかねぇ」
「さあな。だが晃の奴、最近成績が下がって落ち込んでいたからな。ま、所詮あいつには無理だったのさ。いつまで経っても甘ちゃんだよ。何が顧客を騙せないだ、会社の利益が第一だろう。全く馬鹿な奴だ。ま、馬鹿な死ななきゃ治らないってね、ははは」
「そうっすね。課長、晃の分まで俺が契約がんばりますって!」
 俺の葬式からの帰りだというのにへらへらと笑っている山本課長。それに追従する加藤。
 俺は二人の会話に言いようの無い怒りを感じていた。
「お前たち、本当にそう思っているのかよ」
「お嬢ちゃん、誰? おい、お前の知り合いか?」
「俺はがんばったんだよ。必死だった。それをお前たち、よくもそんな風に」
 二人を睨みつける。だが二人ともきょとんとしている。何で俺が怒っているのか全く理解できないといった様子だ。
「お嬢ちゃん、何を怒っているのかわからないけど、社会って厳しいんだよ。お父さんによく聞いてみるんだね。だから子どもは早く家に帰んな」
 俺に関心無さげに視線をそらす加藤。
 今まで俺とそれなりに苦楽を共にしてがんばった仲間だと思っていた。
 山本課長だってもっと俺の事を気にかけてくれていると思っていた。
 それなのに、こんなのって……俺は無性に腹が立った。
「この街を守るって、俺はお前たちまで守らないといけないのかよ、俺が、この俺がお前たちを」
「おい、この子」
 山本課長が頭の上で指をくるくると回す。
「課長、行きましょうっか」
 二人は立ち上がると、他の車両に移っていった。
「おい、待て、待てよ、うっ、うっ、うっ」
 涙が止まらなかった。


 駅を出ると、外はどしゃ降りの雨になっていた。
 その中にふらふらと歩き出す。
 どこをどう歩いたのか全く記憶は無かった。でも気がつくと、俺はさやかの家の前に立っていた。
 スカートのポケットから鍵を出し、扉を開けて中に入る。
「ただいま」
 力の無い俺の声を聞くなり、母親が玄関に出てくる。
「さやか、あなた電話もしないで、こんなに遅くまで何処に行ってたの!」
 だが俺が答えようとする前に、俺の様子に驚く。
「どうしたの、そんなにびしょ濡れになって」
「うん……」
 母親はすぐさまバスタオルを持ってくると、俺の髪を、顔を、体を丹念に拭く。
「お風呂が沸いているから、とにかく早く入りなさい」
 母親は俺を玄関に上げて優しく抱擁すると、バスルームに向かって押し出した。
 俺は少し震える体で服を脱ぐと、ゆっくりと浴室に入った。
 湯気の立ち上るバスタブに脚を入れる。
 決して大きなバスタブではないが、今の俺の華奢な体はその中に全身を沈めることができる。
 中につかっていると、冷えていた体が少しずつ暖まってくる。
 お湯を通して見える俺の体は、華奢で小さな少女の裸体。
 小さいけれどしっかり膨らんだ胸、引き締まったお腹、そしてその下にあるうっすらとした翳りに覆われた股間。
 湯船に漬かったまま、そっとそこに手を当ててみる。
 ついこの間までそこにあった俺のモノは無く、指は空しく股間を通り越していく。
「俺、もう俺じゃないんだ」
 通夜での両親や妹の顔が、そして電車の中での山本課長や加藤の顔が思い出され、こらえきれなくなった涙がまた溢れ出してくる。
「うっ、ううっ、ううっ」
 俺はお湯に漬かったまま膝を抱いて泣いた。

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第8話 「本当の自分と向き合えますか」

 浴室から上がると、着替えが用意されていた。
 それはかわいいブルーのブラとショーツ、それに薄いピンクのスエット。
 俺はごく自然にそれを身につけるとダイニングに入った。
 夕食は既に用意されていた。
「お父さん今日も遅いから、先に食べましょう」
 恐らくなかなか帰ってこない俺の帰りを、じっと待っていたんだろう。
 でも母親は何も言わずに小さな茶碗にご飯をよそい、俺に差し出す。
「ありがとう」
 受け取ったご飯をゆっくりとかみ締める。
 暖かくっておいしかった。
「ねえ、さやか、何があったの?」
 突然母親が問いかける。
 俺は肩を震わせた。
 何を話せばいいのか、いや話そうと思っても、何も言葉に出てこない。
 俺は黙ってうつむくしかなかった。
「自分にやましいことは何もないのね」
 顔を伏せたままこくりと頷く。
「そっか。……さやか、あたしはあなたの母親だよ。何も言いたくないのなら無理に話さなくてもいいけど、あたしはいつでもあなたのことを見ているんだからね。自分から話したくなったら、何があったのかきちんと話すのよ」
「うん」
「それじゃ、この話はおしまい。さあ、食べよ」
 顔を上げると、母親が優しく微笑んだ。
 俺も笑い返そうとしたものの、涙がこぼれてくるばかりだった。
「ほらほら、余計なことは考えない。ご飯は楽しく食べるものだよ」
「うん!」
 ありがとう、ママ。


 ママとの夕食で心の落ち着きを取り戻した俺は、部屋に戻ってベッドに大の字になると、これからのことを考えた。
 ソウルジェムはもう半分以上黒く濁っている。明日こそは魔女を見つけ出して倒さないと、ほんとにやばいことになる。
 それと自分のことだ。
 俺はもう俺じゃない。それはもう嫌と言うほど体験させられた。
 だが俺は俺でいたい。勿論心も女に、さやかになり切ってしまったほうが、ずっと楽なのかもしれない。
 確かに俺はさやかになりたいと願ってさやかになった。
 でも晃という俺がさやかとして生活をするのと、心まで完全にさやかになってしまうのでは全く意味が違う。今更ながらそれに気付かされた。
 自分が少しずつさやかという存在に馴染んでいくのを感じるものの、俺は「三ッ木晃」として生きてきた自分の心を失いたくなかった。
 でも、俺が俺のままでいたいと思えば思うほど、自分がもうさやかなんだということを思い知らされる。
 考えれば考えるほど俺の中の絶望感は増すばかりだった。

 そんなに頑なにならないで。あたしを受け入れて──

 どこかで少女の声が響く。

 ママって優しいでしょう、まどかって友だち思いでしょう、あたしの素敵なママ、あたしの大切な友だちだよ。それをあたしのふりをしたあなたに取られちゃうなんて、くやしいの、嫌なの。さあ、早くあたしとひとつになろう──

「いや、俺は──」

 あなたは「晃」じゃない、「さやか」なの。あたしなの。「晃」にはもう二度と戻れないのよ。それを受け入れて……いいえ、もう受け入れているよね。だってあたしのママのことを、あなたもさっき「ママ」って呼んだもんね。ね……さやか──

 はっ!

「ふぅ、夢か」
 いつの間にか、ベッドの上で大の字になったままうたた寝をしていたらしい。
 ソウルジェムを見ると、相変わらす中心に黒い濁りを漂わせていた。いやさっき見た時より濁りの大きさが増しているように見える。
「そんな、魔法を使っていないのに……」


 コツコツ
 窓を叩く音。
 窓を見ると、そこには杏子の顔。
 ちょっと待て? ここ二階だろう?
 俺は呆れ顔で窓を開けた。
「よ! 入っていいかい」
「入っていいかいって、どこから来るんだ」
「まあ固いことは言っこ無しって」
 そう言って部屋の中にすっと入ってくると、杏子は椅子に座った。
「喰うかい?」
 杏子がビスケットの箱を差し出す。
「ごめん、夕食食べたばかりだから」
「そうか」
 特に気にする様子もなく、箱からビスケットを取り出すと、杏子はそれを自分の口に放り込んだ。
「お前さあ」
「え?」
「お前、ほんとに要領悪いな。ほら、これ使いな」
 杏子が黒い結晶を放り投げる。
 左手でそれを受け止める。
「これ、グリーフシード!?」
「ああ」
 これを俺のソウルジェムに当てれば、黒い穢れは取り払われる筈だ。
 だが、どうして急に杏子が俺の前に現れてグリーフシードを使わせてくれようとしているのか、その魂胆が全くわからない。
「い、いや、自分のグリーフシードは自分で手に入れるから」
 俺は受け取ったグリーフシードを杏子に差し返す。
「無理するなって。お前、そろそろやばいんじゃないのか?」
「大丈夫だよ。明日こそはきっと魔女を倒してみせるから」
「そのグリーフシードは、今日お前が全滅させた使い魔の魔女を倒して手に入れたんだ。お前一人であの数の使い魔を全滅させるなんて思わなかったよ。でも、おかげであたいの魔力はほとんど使わずに魔女を倒すことができた。だからお前にもそれを使う権利があるってことさ」
「でも、俺、魔女を見つけることさえできなかったし」
「初心者だからな、ま、気にするなよ。ソウルジェムをうまく使えば、魔女の居場所なんてすぐにわかるんだ。ん? お前、俺って、そういや前も言ってたかな」
「え? あ、あたし」
「ふーん」
 杏子がじっと俺を見詰める。
「ま、いいか。今日は相談があって来たんだ」
「あたしに相談?」
「お前、『ワルプルギスの夜』って知ってるか?」
「確か、昨日ほむらが戦うって言ってた魔女の名前」
「そう、一人の魔法少女だけではとても太刀打ちできない強力な相手さ」
「その『ワルプルギスの夜』が何か?」
「なあ、あたいと組んで一緒に奴を倒さないか?」
「?? 何故あたしを? そんな強力な魔女じゃ、初心者のあたしなんて一撃で倒されちゃうでしょう。どうせならほむらと組んだほうが余程倒せるんじゃないの?」
「ん〜、ところがそうでもないんだな、これが」
 そう言うと、杏子は次のビスケットを口に放り込んだ。
「奴が今までに現れた街の魔法少女たちから情報を集めてみたら、いろいろ面白いことがわかったんだ」
「面白いことって?」
「ふふふ……それはまだ秘密。とにかく、ほむらは妙な技を使うけど、多分奴との相性は最悪に近い。それよりどうなんだ? あたいと組むのか組まないのか?」
 杏子がまたビスケットを口に放り込む。
「そんなこと、急に言われても」
「ま、そうだろうな。良い返事を待ってるよ。奴が現れるのは三日後らしいから、それまでに魔力を100%使える状態にしておくんだぞ。じゃあな」
 そう言うと、杏子は、再び窓から飛び出していった。
 俺の手の中にグリーフシードを残して。
『ふーん、あの杏子が他の魔法少女に興味を持つなんて珍しいね』
「QB!」
 いつの間にか、部屋の隅にQBが寝そべっていた。
 いつもそうだが、突然現れては消える。全くこいつってどういう生き物なんだ。
『君は余程彼女に気に入られたんだな。ま、僕にとってはどうでもいいことだけど』
「おいQB、『ワルプルギスの夜』ってどんな魔女なんだ」
『たった今、杏子から聞いただろう。一人の魔法少女の力ではかないっこない、強大な力を持った魔女さ』
「そんな凄い魔女が現れることがわかっていて、なんでほむらと杏子は協力しようとしないんだ」
『魔法少女は元々一匹狼なんだ。中でも杏子はとびっきりさ。ほむらのことは僕にもよくわからないよ。でも、あの杏子が他の魔法少女にモノを尋ねるなんて、『ワルプルギスの夜』のことが余程気になったんだな』
 寝そべったまま尻尾を振りながら、QBが俺の問いに答える。
『それよりさやか、君はどうするんだい?』
「どうするって?」
『杏子がくれた、そのグリーフシードさ。それを使うなんて、君のプライドが許さないよね』
「え? あ、ああ」
 杏子がくれたグリーフシード。
 さすがに捨てようとは思わなかったが、確かに自分の力で手に入れたものでもないグリーフシードを素直に使う気にはなれなかった。
『それを聞いて安心したよ。早く魔女を狩って、一人前の魔法少女になるんだよ、さやか』
 そう言って起き上がると、QBは陰の中に消えていった。
「俺を励ましているつもりのか? それとも? あいつ、何を考えているんだ」
 魔法少女に勧誘した俺がいつまでも魔女を狩らないと、奴のノルマが果たせないからなのか?
 成績が上がらないと奴の立場も無くなるから、懸命だって訳か。
 ドライに成績を上げることに徹する、それってあいつらと同じじゃないか。
 山口課長や加藤、そして自分の会社のことを思い出して、俺は苦笑した。
 だがそれよりも気になるのは『ワルプルギスの夜』だ。
 三日後か。杏子は俺と組んで戦いたいって言ったけれど、初心者の俺が加わったくらいで本当に勝算があるんだろうか。
 あちこち移動している魔女らしいから、勝てない相手だったら、じっとやり過ごしたっていいと思うんだが。
 それにほむらはどうするんだ。折角魔法少女が三人いるんだから、ばらばらに戦うより一緒に戦ったほうが良いと思うんだが。でもあのほむらの様子じゃ、俺はおろか杏子とさえも組みそうに無いよなぁ。
 自分がどうすれば良いのか、うまく考えがまとまらない。
 だが、いずれにしても時間が無い。明日のパトロールでは必ず魔女を仕留めないと。

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第9話 「もう何もこわくない」


 翌朝、俺はいつものように学校に向かう道を歩いていた。
 さやかになって迎える四度目の朝。だが昔からずっとそうしてきたかのように、母親に起こされ、「眠い」と文句を言いつつベッドから出、朝の支度をして制服に着替え、母親の作った朝食を食べ、そして急かされるように家を送り出される。
 学校へ行く途中、まどかたちと落ち合う場所も時間もちゃんとわかっている。
 ほら、手を振ってまどかがやってきた。
「さやかちゃん、おはよ〜」
「おはよ〜、まどか」
 手を振るまどかに、俺も手を振り返す。
 小走りに駆け寄って追いついたまどかは、俺の横を歩く。
「昨夜は、凄い雨だったね。さやかちゃん行きたいところがあるって言ってたけど、大丈夫だったの? 雨に濡れなかった?」
「え? うん、まあね」
「そう、それならいいけど。そう言えば、今日はひとみちゃん遅いね」
「そうだね、いつもならとっくに合流しているはずなのに」
 いつもなら? 当たり前のようにそう話しながら、さやかの記憶がすっかり自分のものになっていることに、俺は内心はっととした。
 日一日とさやかの記憶に違和感を感じなくなる。
「さやかちゃん?」
「え? あ、なに? まどか」
「ほら、あそこ」
 まどかが車道を挟んだ反対側の歩道を指差す。
 ひとみと上条が一緒に歩いていた。
 松葉杖で懸命に歩く上条の横に寄り添い、いたわるようにゆっくりと歩くひとみ。
 時折何事か話しては笑い合っている。
 二人とも楽しそうだ。
 周りから見ると微笑ましい光景だろう。だがそれを見た俺の心はざわつく。


 こうなることはわかっていた。
 ひとみはあたしに宣言した通り、多分恭介に告白したんだろう。
 そして彼もそれを受け入れた。
 それを許容したのはあたし自身。
 それはわかっているけど、できれば見たくなかったものを見てしまった。
「い、いこうか、まどか」
「でも、さやかちゃん」
「いいから行こう」
 胸が締め付けられるように苦しい。
 幸せそうな二人を見ていると、無性に切なかった。
 その日、クラスでは上条とひとみの噂でもちきりだった。
 今朝、登校時間よりもずっと早くに、二人が公園を散歩しているのを見たクラスメイトがいると言うのだ。
 「あいつら、きっと朝帰りだぞ」などど茶化す男子までいる始末だ。


「さやかちゃん、上条君に何も言わなくていいの?」
「え? いいよ、そんなの」
「だって上条君の体が回復したのは、さやかちゃんの祈りのおかげなんでしょう。それなのに上条君がそのことを全然知らないなんて、そんなのっておかしいよ」
「いいの、恭介は何も知らなくても。
 マミさんが言ってたでしょう、『あなたは彼の体を治したいの、それとも彼の体を治した恩人として感謝されたいの』って。あたし、いいの。彼に感謝されたくて祈ったなんて思いたくないし、彼にそう思われたくないんだ」
 まどかにごく自然にそう話しながら、はっとする。
 まただ、俺の知らない記憶なのに……
「さやか……ちゃん?」
「え? あ、なんでもない。ちょっとぼーっとしてたかな。とにかく、恭介のことはもういいの。だってあたし魔法少女だから。彼を好きになる資格なんてないんだし、それよっかがんばって魔女を狩らないといけないんだよね」
 俺はそう言って、ガッツポーズをする。
 心がざわざわする。胸の奥が苦しい。
 きっと本物のさやかだったら、まどかに抱きついて号泣していたところだろう。
 でも今の俺にとって、あいつは寄り添うべき存在ではない。それよっか、まどかや杏子と一緒にいるほうがほっとする気がする。だから胸の奥に残るさやかの気持ちをこうやってごまかすことができる。
 昨日ずっと感じていた、何をしたらいいのかわからない、やるせなさと不安感は治まっていた。
 ママのおかげ? それとも杏子のおかげ? もしかしたらQBの……いや、それはないか。
 とにかく、今日こそは魔女を狩らないといけないんだ。でないと全てを失ってしまう。
 事態が好転した訳じゃない。でもあれから一晩考え、自分が何をするべきなのか、頭の中を整理する事ができた。
 目標がはっきりすると、不思議と俺の心は落ち着きを取り戻していた。
「さてと」
 魔女狩りの前に、一つ片付けておかないといけないことがある。
 まどかが席を離れると、俺は一人窓の外を見ているほむらに近寄った。
「ほむらさん」
「何か用?」
 ほむらは、窓の外を見たまま振り返りもせずに答える。
「明日の午後、あなたの家に遊びに行ってもいいかな」
「はあ?」
 ほむらが呆れたような目でこちらを見る。
「ちょっとお話ししたいことがあるんだ」
「あなたと話すことなんて何もないわ。迷惑よ」
 そう言ってほむらは俺を睨む。
「まあまあそう言わずに、ね、ほむらちゃん」
 笑いながらそう言うと、俺はほむらの耳元に口を近づけ、小声で囁いた。
「今夜は必ず魔女を狩る。そしたら明後日の件で、どうしてもあなたに聞いてもらいたいことがあるの」
 今度は俺のほうがほむらをじっと睨み返す。
 何秒睨み合っただろうか。
 ほむらは、ふぅっとため息をついた。
「わかったわ。勝手になさい」
「ありがとう♪」


 放課後、学校から戻ると俺は早速魔女狩りに出発した。
 マンションの玄関に、まどかとQBが待っていた。
「さやかちゃん、あたし、今日もついていっていいかな」
「うん、一人だと実は心細かったんだ。まどかが見守っていていてくれると思うと、心強いよ」
 実際、俺のソウルジェムはかなり濁りが目立っている。もし今日魔女を取り逃がしたら俺のソウルジェムはグリーフシード化してしまうかもしれない。
 勿論、いざとなったら杏子からもらったグリーフシードがあるから、そんな事態に陥ることはない。
 だがそんなことを思っていると、唐突に事態が急変した。
『さやか、それは預かっておくよ』
 QBがそう言うや、俺のスカートのポケットに入れていたグリーフシードは勝手にポケットから飛び出し、QBの背中に開いた穴の中に吸い込まれてしまったのだ。
『今の君には必要ないものだろう』
「でも、それがないと、いざという時……」
『何言ってるんだ、魔法少女になったさやかには魔女を狩る義務があるんだ。魔法少女になってもう五日目なのにまだ何もしていないさやかには、今夜こそ本気で戦ってもらわないとね。その為には、これは邪魔でしかないものだろう?』
「本気で戦えってか」
 杏子がくれたグリーフシードが無いとなると、俺が助かる為にはグリーフシードを自分で勝ち取るしかない。
 自分の道は自分で切り開けって訳か。全く、かわいい顔してシビアな奴。
「わかったよ。で、魔女の居場所はどうやって見つけるんだ? 前はあっちから勝手に襲ってきたけれど、こっちから探し出せたことはまだないんだぞ」
『ソウルジェムをかざしてごらん、魔女の結界に反応するから』
 しばらく歩いていると、ソウルジェムがぼーっと明るくなった。
「さやかちゃんのソウルジェムが反応してる」 
「うん」
 俺は周囲をずっとかざして、光の強くなる方向に向かって歩いた。
 そして、遂に強烈に光を放つ場所を見つける。
「その水溜りだ!」
 歩道にできた昨夜の雨の水溜り。そこに月が映って明るく輝いているが、その輝きは月の光のせいだけではなさそうだ。
『水面がどうやら結界の入り口になっているようだね』
「よし、それじゃ入るぞ」
「さやかちゃん、あたしも」
 まどかはかずかに脚を震わせながら、俺の手を掴む。
「うん、あたしのこと、見守ってて!」
 俺はまどかの手を握ると、目の前の水溜りに足を伸ばした。
 途端に、俺とまどかはそこに吸い込まれてしまった。


 風景が一変する。
 そこは、暗い影だけの世界。
 自分の姿も周囲もシルエットばかりで何も見えない真っ黒な世界。その中に、赤と白で彩られた巨大な樹木のような異形の姿が浮かび上がっていた。
 幹から生えた枝が、俺たちに気がついたかのようにざわざわと一斉に伸び始める。
 そこから発する殺気は使い魔と全然違う。それは以前の芋虫のような化け物、いや魔女に結界に引き込まれた時と同じ感覚だった。
「魔女、本物だ!」
 俺が叫ぶと同時に 四方八方から無数の枝が襲い掛かる。
 そのひとつが下腹にヒットし、一瞬目の前が真っ白になる。そして次の瞬間、痛みと、吐き気がこみ上げる。
「ぐふぅ、げ、げほっ」
 胃の中のものを全部吐き出す。
 ふらふらと立ち上げる。
 だが、無数の大枝は、容赦なく襲い掛かる。
 鞭のような枝で顔を打たれ、太い枝でわき腹を殴られ、そして顎を突き上げられると、たまらず吹っ飛ばされる。
「さやかちゃん、しっかりして。さやかちゃん、がんばって!」
 まどかの声が遠くに聞こえる。
『感覚を鈍くすればいいんだよ』 
 QBの声がふっと耳をよぎる。
「そ、そうか」
 感覚を操作してみると、すっと痛みが感じられなくなった。
「痛くない、痛くないぞ」
 立ち上がった俺は一気にジャンプすると、両手に持った長剣で数本の大枝を同時になぎ払った。
 怒り狂ったように、さらに多くの枝が俺に襲い掛かる。
 だが、もう鞭のように打たれても、拳のように殴られても何も感じない。
「なんだ、最初からこうすればよかったのか、は、はは、あはは、こいつ、よくも散々いたぶってくれたな」
 全ての枝を片っ端からぶった切った俺は、じわりと魔女の本体に近づく。バオバブの大木を思わせるその本体が怯えるかのようにぶるっと震える。
 俺はその幹に向かって長剣を叩き付けた。
 殴りつけるように何度も何度も。

“ヒイイイイイイ──“

 結界の中に魔女の悲鳴が響き渡る。
 鋭く切り裂いた途端に蝶やひな鳥になった使い魔の時とは違う。
 鈍く叩きつけられた剣は幹を切り裂くこともなく、魔女が別の物に変わることもなかった。
 ただ、刃をぶつけられた幹は凹み、樹皮が飛び散り、血液のような赤い樹液をまき散らす。
 返り血のように頬に浴びた赤い樹液を拭うことも忘れて、俺はひたすら魔女に長剣を叩きつけ続けた。
 興奮して我を忘れていた。
「さやかちゃん、やめて、もうやめてぇ!」
 だがまどかの声に耳を貸さずに、俺は魔女を剣で殴り続けた。
 やがて魔女は、一瞬断末魔の叫びを上げたかと思うと、そのままぐったりと動かなくなった。
 全ての枝が消え、幹が凍りついたように固まり、そしてさらさらと砂とように崩れて消えてしまった。
 後に残ったのは黒い宝石。
「グリーフシード!」
「それはお前のもんだ、さやか」
 え?
 振り返ると、槍を担いだ杏子がいた。
「見てたよ。あまり褒められた戦い方じゃなかったけど、とにかくそれはお前がお前の力で手に入れた初めての獲物だ」
「俺の……獲物」
「でも、もうそんな悲しい戦い方をするんじゃないぞ。お前にはもっとお前らしい戦い方があるだろう。使い魔たちと戦った時のような」
「使い魔たちと戦った時……」
 そう言えば、剣の切れ味が以前と全く違う。
 使い魔たちは別の物に変化したのに、今日の魔女は消滅してしまった。
 なんだろう、何か違うんだ。
 グリーフシードは確かに自分の力で手に入れた。
 でもこれで良かったんだろうか。
 どこか空しい。
 達成感など何も無かった。
 でもわかったことが一つある。
 俺だって魔女と互角に戦える。
 何も恐れることはないんだ。
 絶望なんか絶対にしない。
 もう何もこわくない。

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第10話 「誰にも頼らないなんて言わせない」

 影の中の魔女との戦いに勝利した俺は、早速手に入れたグリーフシードを使って、ソウルジェムの穢れを取り去った。
 俺のソウルジェムは既にそのほとんどが黒い濁りに覆われていたが、杏子に言われた通りにソウルジェムにグリーフシードをカチンと接触させると、濁りは煙のようにグリーフシードに吸い込まれ、みるみるソウルジェムは輝きを取り戻した。
「へぇ〜、こんな風に使うんだ」
「そうさ。ま、1個のグリーフシードで吸い取れる量には限度があるけど、あと何回かは使えるだろう。昨日渡したのも合わせれば『ワルプルギスの夜』相手でも安心して戦えるだろう」
 杏子にそう言われ、ようやくQBに取り上げられたグリーフシードのことを思い出した。
「QB、魔女はちゃんと狩ったぞ。杏子からもらったグリーフシードを返してくれ」
『わかっているよ。よくやったねさやか』
 QBの背中に開いた穴の中からグリーフシードが飛び出てくる。俺はそれをしっかりと受け取った。
 こうして魔女との戦いは終った。
 だが、疑問は残る。
 どうして俺の剣は切れなくなったのだろう。


「お前の気持ちが問題なんだよ。魔法の効力には、魔法少女の魂の力がストレートに現れるということさ。だから戦いの最中は常に冷静でなくちゃいけないんだ。でないと持ってる力の半分も出せない。ま、今日勝てたのは半分まぐれだな」
「そ、そんなことないよ」
「お前、勝たなきゃいけないって力み過ぎなんだ。もっと戦いって奴はだなあ……」
 アイスキャンディをかじりながら、興奮気味に話す杏子。
「あ、わかったわかった。杏子ちゃん、ありがとう」
「とにかくだ、自分の力をもっと有効に使うんだよ。そうすれば感覚操作なんかに頼らなくても、ずっと有利に戦える筈だ」
「おれ、いやあたしの力を?」
「さやか、お前は自分の力の特性を忘れているだろう。使い方がわからないからあんな戦い方になってしまうんだよ。使い魔と戦った時は無心で戦ったんじゃないのか? いわゆる無我夢中って奴だな。それが感覚操作をして楽勝だとか色気が出たんだろう。だから自分を見失ったんだ。魔法少女が自分を見失うとどういうことになるかわかるか?」
 確かに俺はいつの間にか夢中になっていた。
 感覚操作をして痛みを感じなくなると、これでもう何もこわいものはないって思った。そしたら相手をいたぶることに夢中になって、そのうち剣が切れなくなってしまったんだ。
 それにしても、あんなに興奮したのは初めてだった。今まで感じたことの無い高揚感だった。
 魔女に何度も剣を叩きつけることが楽しくさえ感じていた。そして血のような樹液が飛び散るのを見てますます興奮した。
 まどかがひきつった声で叫んでいたけど、あの時の俺の形相って、鬼か魔女のように見えていたのかもしれないな。

 ……魔女!?

 その時、俺ははっとした。
 まさかあの時、俺は魔女になりかかっていたんじゃ?
 剣が切れなくなったのは、その為じゃ。
 それに気がついた時、俺はぞっとした
 戦いの最中、ソウルジェムの濁りは、あと少しで全てを覆い尽くすところまで進行していた。そうだ、魔女が息絶えるのがもう少し遅かったら、俺のソウルジェムは真っ黒に穢れに染まり切っていたかもしれない。
 そしたらおれ自身が魔女になっていた……
 体をぶるっとふるえが襲う。顔から血の気が引くのがわかる。
 そんな俺の様子を見て、杏子がうなずく。
「どうやらわかったみたいだな。自分の力もわからずに無茶な戦いをするとどういうことになるのかが」
「……危なかったんだ」
「そうさ、紙一重だったんだ。でも何はともあれお前は勝ったんだ。ま、あまり気にするな。それよっかQB」
『なんだい? 杏子』
「なんであたいがさやかにあげたグリーフシードを取り上げたんだ」
『だって、最初からそんなものに頼っていたら、いつまで経っても一人前になれないだろう』
「だからと言って、さやかをあそこまで追い込むことはないだろう。お前、まさかさやかを魔女に……」
『さやか、君は自分の力を忘れてしまったのかい? 君の力は「変換」だ』
 QBが杏子の言葉を遮るように話題を振る。
「『変換』の力か。そうだ、そういえば前にQBから『杏子にも負けない素質がある』って言われたような」
「そうさ、お前はいい素質を持ってる。そして彼女もな」
 そう言ってまどかを指差す杏子。
「あ、あたし……」
「と言っても、お前は魔法少女にはならないんだろう。まあ叶えたい願いも無いのに、無理して魔法少女になることは無いわな」
「う、うん」
『杏子が言うように、まどかにはさやかや杏子に負けない、いやそれ以上の素質があるんだ。僕としては、さやかのように、まどかにも早く契約してもらいたいんだけど』
「ま、こっちは諦めるんだな」
 食べ終えたアイスキャンディのバーを放り投げながら杏子が言う。
「ところでQB、さっきの答えだが。どうしてさやかをあそこまで追い込んだ」
『僕は、さやかに早く魔法少女の務めを果たしてもらいたかっただけだよ。こっちにも都合があるんだ』
「ふーん、もう一つ聞きたいことがあるんだが、さやかの魔力の属性って以前と変わっているだろう。どうしてだ? 属性が変わる魔法少女なんて初めてだ」
『そうかい? 前例が無いわけじゃないよ。魔法少女にもいろんなタイプがいるからね』
「ま、いいか。それじゃ、そろそろあたいは行くぜ」
「杏子ちゃん、ちょっと待って」
 その場から飛び去ろうとする杏子を、俺は呼び止めた。
「ん?」
「いろいろありがとう。それとあたし、明日ほむらに会いに行くんだけど、付き合ってくれない?」
「ほむらに会いにだって?」
「三人で一緒に『ワルプルギスの夜』と戦うよう彼女を説得したいんだ。三人で協力して戦ったほうが絶対良いと思うから」
「でもあいつは承知しないだろう。それに……」
「前に言ってたよね、相性が悪いって言うんでしょう」
「ああ。かえって足手まといになりかねない。『ワルプルギスの夜』の魔力はそりゃ強力らしいぞ。結界も張らずに、直接攻撃を仕掛けてくる。おまけに魔女クラスの使い魔が守っているらしい。そして、これが肝心なんだが、奴は物理攻撃に滅法強い!」
「どういうこと?」
「奴に勝つには、魔力で勝負するしかないってことだ。でもほむらの魔力は最弱クラスだ。あたいにはわかる。妙な技を使って武器を効率的に使いこなしているからありきたりの魔女には勝てるだろうけどな。ま、経験と気力で補っているって感じかな。だからほむらと組んでもあまり戦力にならないと思うんだ。……その点、お前の魔力はなかなかのもんだ。だからあたいはお前を選んだのさ。もっとも、きちんと魔力を100%使いこなせればの話だけどな」
「でも、経験って大事でしょう。ほむらちゃんってベテランって感じがするんだけど。マミさんとは違う意味で」
 まどかが口を挟む。
「そう、それなんだ。どこで調べたのか、ほむらは何かと事情を知っているんだろう。それに彼女も奴と戦おうとしているんだ。それだったらばらばらに戦うより一緒に戦ったほうが良いと思うんだけど」
「無駄だよ。あいつは誰ともつるむ気はないだろう」
「でも、戦いは少しでも勝てる確率の高いやり方を選ばないと。だって『ワルプルギスの夜』はなまじっかの力じゃ勝てないんでしょう。各自が一番得意な技を駆使してチームワークで戦わないと駄目なんじゃない?」
「ん〜、言われてみればそうかもな。ま、あたいは元々お前と一緒に戦うつもりだったし、あいつさえその気になれば3人でチームを組んでも構わないぜ」
「ありがとう。それじゃ一緒に行ってくれるね」
「ああ、了解だ」
「さやかちゃん、あたしも一緒にほむらちゃんちに行っていいかな」
「え? まどかも?」
「うん。一人で無茶な戦いをしようとしているほむらちゃんを、あたしも説得したい」
「わかった。それじゃ明日は三人で行くとしますか。それじゃあ……」
 俺はすーっと深呼吸した。
「あ、あたし、美樹さやか、よろしく」
「なんだよ、調子狂うな。あたいは、佐倉杏子 よろしくな」
「あたし、鹿目まどか」
 俺たちは3人で手を重ねた。
 何だか、杏子やまどかとの距離が一歩近づいたような気がした。


 その夜、俺はベッドに腰を掛けて考えていた。
 杏子は口は悪いけど、結構面倒見が良いんだよな。
 まどかは、引っ込み思案かと思えば意志の強さを感じさせる。そして友だち思いで。
 二人ともいい友達だ。
 でも……
 俺は美樹さやかじゃない。
 外見はさやかに見えても、俺はさやかじゃないんだ。
 俺は二人を騙している。
 俺の心は重かった。
 いっそのこと、さやかになりきったほうがいいんだろうか。
 いや、俺は俺なんだ!
 ぐるぐると心が揺れる。
 その時、ふと机の上に置いたままの、砕けたさやかのソウルジェムが目に入る。
 既に光を失った筈の破片。
 だが窓から差し込む月明かりに照らされ、それは輝いているように見えた。
「さやか……ごめん。でも俺、がんばるよ」


 翌日の土曜日、昼過ぎに杏子やまどかと待ち合わせると、俺たちはほむらの家に向かった。
 インターホーンを鳴らすと、扉が開いてほむらが顔を出した。
「ほむらさん」
「入って……って、え? まどかも? それに何であなたまで一緒なのよ」
「ほむらちゃん、お邪魔します」
「あたいはお邪魔虫か? それにあんたってなぁ、あたいには杏子という名前があるんだ」
「そうだったわね。ごめんなさい」
 悪びれる素振りもなく、ほむらは俺たち3人を中に入れる。
 そこは不思議な雰囲気の部屋だった。
 振り子のように大きく揺れる、天井から吊るされた明かり、いくつも壁に掛けられた意味不明の絵やイラスト。
「ほむらちゃんって、こんなところに一人で住んでるの?」
「まあね」
 ほむらは紅茶をティーカップに入れると、テーブルに並べていく。
「座って」
「紅茶か、マミさんのことを思い出すな」
「そうだよね、マミさんの紅茶って美味しかったなぁ。ケーキも気合い入ってたし」
 俺が答えると、まどかが「そうだね」と答える。
「ごめんなさい、何もおもてなしできなくて」
「あ、そんなつもりで言ったんじゃないの。ごめんね、ほむらちゃん」
「ふふっ、わかってるわ」
 紅茶を飲みながら、ほむらがふっと笑みを漏らす。
 ふーん? 珍しいな、いつも無表情のほむらが何となく嬉しそうだ。
「ところでさやかさん、今日は何の用?」
 ティーカップを手に持ったまま、ほむらが俺を睨む。
 やれやれ、またこの目だよ。ほんとに嫌われたものだな。
「あなたに相談があるの。『ワルプルギスの夜』って一人じゃ勝てないほど強いんでしょう。それならあたしたち三人力を合わせて戦うべきだと思って」
「そのことなら前に言った筈よ、余計なお世話だって。あたしは誰にも頼らない。奴と戦うのはあたし一人で十分よ」
「おい、お前、奴がどんな相手なのかわかっているのか?」
 杏子が紅茶を飲む手を休めててほむらを見る。
「そのつもりよ」
「わかっちゃいないだろう。少なくともあいつの特性を理解してない。もしわかった上で戦おうとしているんだったら、馬鹿だな」
「特性? そんなの関係ないでしょう。要するに倒せばいい。二度と復活しないように完全に叩き潰せばいいでしょう。一人の魔法少女の力で勝つのは難しいと言われているけど、あたしには作戦があるの。その為の準備も、じきに終るわ」
「やれやれ、どんな準備をしているか知らないけれど、一つ忠告してやろう」
「忠告ですって?」
「奴に物理攻撃は無意味だ」
「え……?」
「敵を知り己を知れば百戦危うからずってな。確実に大物を仕留めるには、まず相手のことをよく知らないといけないだろう。あたいは奴が過去に現れた時の記録を調べた。そして奴と遭遇して生き残った魔法少女たちから情報を集めたよ。その結果わかったんだ」
 杏子は息をついだ。
「奴は物理攻撃に滅法強い!」
「そ、そんなこと」
「わかっているって言うのか? わかっちゃいないだろう。動揺が顔に出てるぜ」
「そんな」
 ぷいっと横を向くほむら。
「冗談だよ。とにかくだ、お前の妙な技……テレポートってやつなのか? 瞬間移動攻撃が得意みたいだけど、魔女への攻撃手段は爆弾に拳銃に手榴弾、そんなものだったろう。それじゃ奴には勝てっこない。あたいのこの槍でも難しいだろうな。もし奴に勝てるとしたら……」
「勝てるとしたら?」
「こいつの持っている力だけだと、あたいは思う」
 杏子が指差すその先には俺がいた。
 お、俺?
「そんな。あたしじゃ勝てなくて、こんな奴があいつに勝てるって言うの? そんなこと……、あたしは信じない」
「現実を冷静に見極めるんだ。じゃないと勝てるものも勝てないぞ。あたいたちは、さやかが奴を仕留められるようフォローに徹するんだよ。それしか奴に勝つ術はないと思う」
「あたしが、こいつのフォローを……」
「元々あたいはそのつもりだった。奴が現れたら、あたいたちもただじゃ済まないだろうし、それだったら勝てる方法を実行するしかないって。あたい一人でさやかをフォローすればいいと思っていたんだけど、こいつがお前とも一緒に戦いたいって言うからな」
「ねえほむらちゃん、一人で戦うなんて、そんな無謀なことしないで。もし見込みがあるのなら、皆で一緒に戦って、お願い」
 まどかがじっとほむらを見る。
 ほむらは、そんなまどかの目を背けるように俺を見た。
「あなたは……いえ、いいわ。わかった、チームを組みましょう。でも勘違いしないで、あたしはあなたのことを認めたわけじゃないから」
「それでも構わないよ」
「よし、決まりだな。それじゃ早速作戦を立てようぜ。あたいが考えていたのはこうだ。ほむらの力を使えばもっとうまくできるかも……」
 杏子が自分の作戦案を説明し始めた。
 その姿は、何だか生き生きとしている。
 彼女も本当は一人より、こうして仲間といるほうが好きなんだろうな。
 そう思いながら、俺は杏子の作戦に聞き入っていた。


 その頃、気象庁の一室で、ある騒ぎが起こっていた。
「課長、来てください、レーダーに!」
「どうした、何を慌てている」
「こ、これは……信じられない、こんなこと有り得ない」
「はっきり報告しろ。何を言っているのかわからん」
「はい、それが大島沖に発生した雷雲の発達の仕方が尋常ではなく……このままではスーパーセル化します」
「何だと? おい、いつだ!」
「この様子ですと明朝9時頃の見込みです。しかも雷雲は陸に向かってゆっくり移動しています」
「政府に急ぎ連絡するんだ。関東全域に緊急避難命令を!」

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第11話 「最後の道しるべ」

 一人で戦おうとしていたほむらを説き伏せ、対『ワルプルギスの夜』戦に向けた作戦を練り終えると、俺は一旦家に帰ることにした。
 戦いは明日。それまで何もできないし、両親を心配させる訳にもいかない。
 それにしても……
 家路を一人歩きながら、俺はほむらの話を思い返していた。
 ほむらがやろうとしていたこと、それは驚くべき内容だった。
 まどかや俺はおろか、戦い慣れしている筈の杏子もただただ呆気に取られるばかりだった。
「お前、ほんとにそんな戦いをするつもりだったのかよ」
「ええ、奴を倒すことができるのなら、あたしは何だってするわ」
「凄い執念だな。でも自衛隊も米軍もいい迷惑だろう」
「そんなの知ったことじゃない。今度こそ奴を倒さないとあたしは……」
「はいはい、わかったわかった。それじゃ、それは最大限生かそうじゃないか。ほむらには、あたいとさやかが奴にとりつくまでの援護を頼むぜ」
「こっちの弾が当たらない保証なんてできないから、そっちでうまく避けるのよ」
「承知した。さやかもできるな」
「多分」
「もう初心者だなんて言ってられないぞ。あたいたちは必ず勝つんだからな」
 そう、どんなに強大な相手でも、俺たちは勝たなければいけない。
 魔法少女が戦いに負けるということは、死か、さもなくば己が魔女化することを意味するからだ。
 だが、ほむらが最後にぽつりと漏らした言葉が気になった。
「この作戦があたしに残された最後の道しるべだなんて…………あたしがしてきたことは何だったんだろう?」
 あの時の寂しそうな表情といい、よほどショックだったんだな。そりゃ、あれだけの準備をしていたとなると、当然か。
 暁美ほむら、全く空恐ろしいやつ。
 それにしても、随分風が強いな。
 お昼に快晴だった空は、いつの間にかどんよりと雲で覆われていた。
 生暖かく強い風が吹いていた。
『どうやら「ワルプルギスの夜」がだいぶ近づいているようだね』
「QB」
 気がつくと、QBが俺の左肩に乗っていた。
『まさか君が「ワルプルギスの夜」と戦うことになるなんて、全く予定外だったよ。でも明日で全てが決まる。期待しているよ、さやか』
「お前は何を期待しているんだ? QB」
『何が言いたいんだい? さやか』
「俺たちが戦いに負けて、みんな魔女になってしまえばいいなんて思っちゃいないだろうな」
『そんなことはないさ。僕にとっては、どちらに転んでも意味があることだから』
「ふーん、俺たちが勝っても負けてもお前にはそれなりのメリットがあるということか」
『それは想像にお任せするよ。それじゃ、僕は行くから』
 そう言って肩から降りると、QBはそのまま影の中に消えてしまった。


 家に戻ると、さやかの両親は荷造りをしていた。
「ただいま……え? その荷物、どうしたの?」
「何でもスーパーセルってもの凄く大きな雷雲が接近しているらしいわ。で、町の防災委員会から、中学校の体育館に避難するように指示が出たの」
 もの凄く大きな雷雲か、普通の人には『ワルプルギスの夜』はそんな風にしか見えないんだ。
「天気予報だと、明日の朝9時頃この辺りを通過するらしいわ。今夜は体育館で夜明かしね。さやかも、早く必要なものを用意してらっしゃい」
「うん」
 自分の部屋に上がり、必要な荷物をスポーツバッグに詰め込む。
 だが部屋を出ようとして、まだ何かを忘れているような、そんな気がしてならなかった。
 うーん、まだ何か忘れている物があるような。
 そう思いながら部屋を見回すと、机の上に置いたままにしていた、さやかの砕けたソウルジェムが目に入った。
 俺はじっとそれを見詰めた。
「そうか……うん、お前も一緒に戦おうぜ、さやか」
 俺は砕けたさやかのソウルジェムをハンカチに包むと、上着のポケットに突っ込んだ。


 両親と体育館に避難してくると、そこにはまどかの家族も避難してきていた。
「さやかちゃん、凄い風だね」
「うん。これが『ワルプルギスの夜』が近づいている影響だとすると、奴が出現したらどんなことになるんだか」
「震えているの?」
「え? ううん、武者震いよ」
 俺は笑ってまどかに答えた。
 明日は絶対に負けられないんだ。
 そう、体育館に避難してきて、改めて気がついた。
 この戦い、俺自身の為だけじゃないんだ。
 まどかの為、さやかの両親の為、そして……
 俺の脳裏に、三ッ木家の家族の顔が思い浮かぶ。
 両親の、そして梓の顔。
 町は離れているけれど、あっちも『ワルプルギスの夜』が来たらただじゃ澄まないだろう。
 巻き添えにしちゃいけない。
 誰も死んじゃいけないんだ。


 体育館では毛布にくるまってもなかなか寝付けない。
 そんな眠れぬ夜が過ぎ、そして一夜が明けた。
 そっと起き上がった俺は、寝ている両親の傍らから抜け出すと、体育館の外に出た。
 風がますます強まっていた。
 俺たちは勝てるんだろうか……いや、必ず勝ってやる。
 俺はすーっと深呼吸すると、杏子やほむらとの待ち合わせ場所に向かおうとした。
 だが、「待って」と後ろから誰かが俺を呼び止める。
 振り返ると、体育館の扉を背にしてまどかが立っていた。
「さやかちゃん、待って!」
「まどか、まどかはここで待ってて」
「でもあたし、一人でじっとしているなんてできない。あたしもさやかちゃんと一緒に行きたいんだ」
「駄目、あなたはここにいるの!」
 俺はきっぱりとまどかに言った。
「さやか……ちゃん?」
「あたし必ず勝つから。今日はあなたを危険な目に遭わせられない」
「だって……さやかちゃん、さやかちゃんはあたしが魔法少女にならなかったから、こんな戦いまで背負っているんでしょう」
「違うよ、そんなことない、そんなことないよ」
 俺は俺を必死の眼差しで見詰めるまどかを見た。
 その時、俺の中である思いが生まれる。
 そう、今言わなかったら、きっと一生後悔するという思いが。
「あたしね、まどかに話しておかなくちゃいけないことがあるんだ」
「話しておかなくちゃいけないこと?」
「あたし、まどかを今まで騙していたんだ、ごめん」
「あたしを、だましていた?」
「そう、あたしはあなたの知っているさやかじゃないの 中身は別人なの」
「えっ? 言ってる意味がよくわからないよ」
「ほら、これがまどかの知ってる本当のさやかよ」
 俺はポケットからハンカチを取り出すと、その中に包まれたさやかの砕けた青いソウルジェムをまどかに見せた。
「これが……さやかちゃん?」 
「ソウルジェムは魔法少女の魂。そしてある時、さやかの魂は砕けてしまったの。で、QBがあたしをさやかの身代わりに仕立てたんだ」
「そんな、そんなこと」
「ごめんね、今まで黙っていて。でもね、あたしはまどかのこと、大好きだったよ。本物のさやかに負けないくらい。だからあなたのことを死なせたくないの。『ワルプルギスの夜』はあたしたちに任せて、あなたは避難していて」
「でも」
「行ってくる!」
 俺は両手を広げ、魔法少女の姿に変身すると、街に飛び出した。
「さやかちゃん!!」
 後ろでまどかの声が響く。
 それを振り切るように、俺は風の中を駆けた。
 昨日杏子に教えてもらった通り、ソウルジェムに念じると、体重が全く無くなったかのように跳べる。
 重力に逆らうように俺は大きく跳んだ。高層ビルさえも、軽々と飛び越えてしまう。
 体が軽い。これも魔法少女の力。
「さやか、お前も力を貸してくれよ」
 いくつかのビルを飛び越して着地すると、さやかの砕けたソウルジェムを俺のソウルジェムに当てる。
 その瞬間、砕けたさやかのソウルジェムがピカっと光った。
「え?」
 俺のソウルジェムに触れて光を取り戻したさやかのソウルジェムは、俺のソウルジェムの中に溶け込んでいった。
 暖かい、そして俺の中に感じる別の意識。
「君は……?」

 一緒に戦おう、もう一人のあたし。

「そうか……うん、行くぞ! さやか」
 雨はさほど降っていないが、もの凄い風だ。
 その中を俺は跳んだ。


 住民が全員避難している為か、もう8時を回っているのに町の中には人影は全く見えなかった。走り過ぎる車も全く無い。
 その中を、港にたどり着く。
 待ち合わせの場所に決めた赤レンガで作られた倉庫の前の広場には、既に杏子とほむらがいた。
「遅いぞ、さやか」
「ごめん。で、奴はどお」
「かなり近いわ……来る!」
 広場に置かれた機関銃の照準を空に向けながら、ほむらが静かに、そして緊張した口調で言う。
 ほむらの言葉とほぼ同時に、どんよりと低く垂れ込めた雨雲がゆっくりと渦を巻き始めると、その中心が徐々に広がっていったく。
 上から降りてきた異形の姿。
 それは空中に浮かんだ巨大な歯車だった。
 ゆらゆらとゆっくり揺れながら、悠然と陸に近づいてくる
「あれが『ワルプルギスの夜』よ!」
 ほむらが叫ぶ。
「今度こそ、今度こそ奴を」
「ほむら、焦るな。自分の感情に引きずられるんじゃないぞ」
「うっ、わかってるわ」
 杏子の言葉に、ほむらは落ち着きを取り戻す。
「作戦通りにだ、いいか?」
 杏子の言葉にほむらはこくりと頷くと、『ワルプルギスの夜』の前に立ちはだかるように、広場の中心で腕組みし、仁王立ちになった。
 俺と杏子はその後方に待機する。
 ほむらの姿を見つけたかのように、まっすぐに近づいてくる『ワルプルギスの夜』。
「射程に入った」
 ほむらの右手の甲のソウルジェムが光る。
 するとほむらの周囲に機関銃に加えて無数の対戦車バズーカ砲AT−4が出現する。
「あたしの力だけでもやれるんだ。いいえ、やってやる!」
 ほむらが腕組みしていた両手を広げ、左腕につけたバックラーを右手で廻す。
 次の瞬間、機関銃の銃弾とバズーカ砲から一斉に打ち出された無数のロケット弾が『ワルプルギスの夜』に一発も外れることなく次々に着弾する。
 炎と爆煙に包まれる『ワルプルギスの夜』。
「やったのか?」
「いいや、多分それほど効いちゃいないだろう。でも目くらましにはなる。今のうちにいくぞ、さやか」
 そう言って右手に持った槍をくるくると回すと、チョコスティックをくわえた杏子は、『ワルプルギスの夜』に向かって大きくジャンプした。
「頼むわよ」
「うん!」
 そう言って空の『ワルプルギスの夜』を睨みつけるほむらにこくりと頷くと、俺は杏子の後に続いてジャンプした。
 途切れた爆煙の中から現れた巨大な『ワルプルギスの夜』の顔が目の前に迫る。
 それは歯車から下に心棒のように伸びる胴体の先にあった。
「こんなでかいのが顔だって?」
「さやか、気を緩めるな」
 その時、巨大な顔についた唇の端が歪んだ。まるで笑っているかのように。
 その口が息を吹きかけるかのように、竜巻のような風の束を噴き出す。
「ぐふっ」
 直撃を受けた地上のほむらがたまらず吹っ飛ばされ、ビルに激突する。
 一方『ワルプルギスの夜』を覆った爆煙の中からは、次々と人型の黒い影が姿を現わした。
「こいつら、使い魔だ」
 影たちはかわいらしい女の子のシルエットをしていた。各々バトンのような棒を手に持っている。
 影の群れは、壁にめり込んで動けないほむらに向かって一斉に襲いかかる。
「危ない!」
 杏子はきびすを返して黒い影とほむらの間に割って入ると、槍を振り回して、次々と影たちを消し去っていく。
 だが、最後に飛び出してきた影はどこか様子が違っていた。
 不用意に向かってこない。空中に止まって杏子と俺の様子をうかがっていた。
 そのシルエットは、どこかで見た記憶のあるものだった。
 特徴のある羽飾りのついた帽子、くるくるとカールされた髪、大きな胸、そしてきゅっと締まった腰
 この影は……
「マミさん!」
「キャハハハ」
 影なので表情は全くわからない。
 だが影は奇妙な笑い声を上げると、リボンのような細長い黒い束を俺に向かって伸ばした。
 それは俺の体にぐるぐる巻きに巻きつくと、強い力でぎりぎりと締め付ける。
「うぐぅ……っ!」
「さやか!」
 杏子が槍先で、黒い束を切り裂く。
「サンキュー、助かった」
「次は自分で避けろよ」
 切り裂かれたリボンは、するするとマミさんそっくりの影の手に戻っていく。
 影が手を広げる。
 すると、今度は小銃の形をした影が次々に周囲に現れる。
「この影、本当にマミなのか? いったいどういうことなんだ、マミは死んだんだろう。なんで使い魔になっちまってるんだよ」
「マミさん、マミさんなんでしょう」
 俺は影に向かって必死で叫んだ。
 勿論マミさんと会ったことはない。だがさやかの記憶の中に、その姿はしっかりと焼きついていた。
 だが、影は俺の呼びかけに全く反応することはない。
 数十丁はあろうかという小銃の影が、空中で同時にこちらに銃口を向ける。
 そして一斉に斉射される銃弾の嵐。
「あぶない!」
 バリアーを張るかのように槍をぐるぐると廻し、杏子はその弾幕を弾き返す。
「ありがとう、杏子」
 だが影の攻撃はそれで終らなかった。
 マミさんそっくりの影の懐に、銃のシルエットが集まり、一つの巨大な銃の影を作り出す。
「ま、まさか」
 杏子が息を呑む。

「ティロ・フィナーレ!」

 マミさんそっくりの影の声とともに、巨大な銃弾が俺たちに向かって発射された。
「くっ、こいつ」
 前面に金網のようなバリアーを張る杏子。
 轟音と共に巨大な銃弾が炸裂する。
 辺りが炎と爆煙に包まれる。
「い、今だ、さやか。あの技を出すと、その後一瞬の隙が生まれるはず。躊躇するな、あいつはもうマミじゃない!」
「わ、わかった」
 杏子の後ろから飛び出した俺は、マミさんの影の懐に飛び込んだ。
「マミさん、ごめん!」
 長剣を影の腹の部分に深々と突き刺す。
 その瞬間、影は剣に刺された部分から光を放つと、消えていった。

 ありがとう……

「え?」
「どうした、さやか」
「『ありがとう』って声がした、マミさんの声が」
「考えるのは後だ。ぐずぐずするんじゃないぞ。もう一度だ。とにかく奴に取り付くんだ。ほむら、そっちは無事か!?」
「心配しないで。あたしの戦いはこれからよ」
 ようやく叩きつけられたビルから抜け出したほむらが再びバックラーを廻す。
 すると今度は雨後の筍のように、迫撃砲が次々と現れ、一斉に迫撃砲弾が発射される。
 さらには88式地対艦誘導ミサイル・シーバスターを乗せたトラックが姿を現す。
 ほむらはトラックに飛び乗ると、シーバスターも発射した。
 迫撃砲弾に続いてシーバスターも着弾し、炸裂する。再び『ワルプルギスの夜』は轟炎に包まれる。
「まだまだ!」
 ほむらの左手のソウルジェムが光輝く。
 東京湾に海自のイージス護衛艦が現れ、対艦ミサイル・ハープーンを発射する。
 続いて米軍の原子力潜水艦までもが海中から浮上すると、トマホークミサイルを発射した。
 さらには横須賀港に停泊中の空母D・レーガンを発艦したF18Aホーネットが、百里基地から飛来した空自のF15Jが対空ミサイル・ファルコンを次々に発射する。
 全てを焼き尽くすかのような紅蓮の炎に包まれる『ワルプルギスの夜』
「やったのか?」
 だが、炎の中から閃光が発射されると、戦闘機は次々と撃墜された。
「効いてない。やっぱり、いくらやってもあいつに物理攻撃は無駄なんだ」
「杏子ちゃん」
「さやか、お前の出番だ。いいか、あいつの分厚い装甲を引っぺがすぞ」
「わかった!」
「ほむら、弾幕が足りないぞ」
「言われなくてもわかってるわよ。これならどお!」
 再びイージス艦からハープーンが、そして原子力潜水艦からトマホークの第二波がそれぞれ発射される。
 さらには、東京湾沖に現れた戦艦ニュージャージーが、その9門の主砲を一斉に回頭させると、『ワルプルギスの夜』に向けて全砲門を開いた。
 轟音と共に発射される9発の16インチ砲弾。
 その全弾が『ワルプルギスの夜』に叩き込まれる。
 嵐のような攻撃に、さすがにぐらりと傾く『ワルプルギスの夜』
「す、すげえ」
「戦艦だと!? あんなもんまで」
「米軍がちょうど現役復帰させていたから、借りたのよ」
「お前、借りるったってなぁ……まあいいか、今度こそ奴にとりつくぞ。ついてこい、さやか!」
 ジャンプした杏子に続いて俺も再び跳びあがって『ワルプルギスの夜』に接近した。
「あちぃ!」
「あれだけの砲撃を受けたんだ。爆煙の中はもの凄い熱だろう。耐熱魔法使わないと溶けちまうぞ」
 言われる通り魔法を使うと、俺は杏子と共に爆煙に飛び込み、『ワルプルギスの夜』の巨大歯車の上に乗った。
「よし、取り付いた!」
 俺は手でマントを大きく広げた。
 そこから出てくる10本余りの長剣。それを歯車に円状に突き刺していく。
 そして剣で描かれた円形の図が完成すると、俺のソウルジェムが光る。
 一斉に爆発する長剣。
 その跡には、ぽっかりと穴が開いていた。
「上出来だ。さやか、入るぞ!」
 俺は杏子と一緒に穴の中に飛び込んだ。

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第12話 「あたしの最高のともだち」

 ほむらの過剰とも言える援護射撃の元、ゆったりと回転する『ワルプルギスの夜』の巨大な歯車の真上に取り付いた俺と杏子は、歯車に穴を開けると中に飛び込んだ。
 つまり魔女の体に穴を開け、体内に侵入したということだ。
 中に何があるのかわからない。何が起こるかも。だが、外からの攻撃に対して完璧な防御を誇っても、内側からの攻撃はどうなんだ。
 強大な攻撃力と防御力を誇る魔女なら、内側から崩す。
 それが俺たちの立てた作戦だった。
 そして前日の作戦会議の際に改めて杏子に言われたこと、それは「初めて使い魔に勝った時のように無心で戦え」ということだった。
 果たしてどこまで俺の力がこの強大な魔女に通用するかわからない。
 でもここまできたら、やるしかない。
 そんな決意を胸に、俺は魔女の体内に突入した。


 杏子と共に『ワルプルギスの夜』の中に躍り出ると、そこは驚くほど広い空間になっていた。
 それも魔女の体内とは思えない、奇妙な光景が広がっている。
「これって魔女の結界!?」
「ああ、そっくりだな」
 それはまるで中世の古い円形劇場のような、そんな場所だった。
 そしてステージにも、客席にも奇妙な生物とも無生物ともつかないものたちが蠢いている。
 俺のソウルジェムも、杏子のソウルジェムも強い光を放っていた。
「こいつら、まさか」
「ああ、使い魔じゃない。全部魔女だな。これだけの数を相手にするのは初めてだけど、やるっきゃないか。さやかも頼むぞ!」 「うん」
 俺と杏子の侵入に気がついた魔女たちは、一斉にこちらを振り向いた。
 それを前に、杏子は長槍をぐるぐると振り回して、ぴたっと決めのポーズを取る。
「どっからでもかかってこい!」
 よし、俺も
 マントを両手でばっと跳ね上げ、両手で剣を握り締めてポーズを決める。
「やってやる!」
 薔薇の姿をした魔女、鳥篭のような姿の魔女、獣とも人間ともつかない姿の魔女……
 そんな数十体の魔女が、奇声を上げながら一斉に襲い掛かってくる。
 杏子は或いは槍でなぎ払い、或いはバリアで攻撃を防ぎ、一体、また一体と倒していく。
 俺も、がちがちと歯を鳴らしながら向かってきた魔女に向かって、構えた剣を振り下ろした。
 だが剣は当たらない。当たっても易々と跳ね返されてしまう。
 人外の異形の群れに取り囲まれているのだ。俺はどこか恐怖と焦りを感じていた。
「さやか、余計なことを考えるんじゃないぞ」
 槍を振るいながら、杏子が叫ぶ。
 そうか、無心か。
 俺はゆっくりと剣を下ろすと、じっと目を閉じた。
 精神を集中させると、やがて魔女の奇声も何も聞こえなくなる。
 静寂に包まれた暗闇の中、気がつくと俺の目の前にさやかが立っていた。
(あんなの怖くないよ。あたしだって褒められた戦い方じゃなかったけど、でも自分はやれるんだって思って戦ったんだ。もっと自信を持つの。さあ、やろう!)
 よし!
 ぱちっと目を開くと、覆いかぶさるように迫っていた魔女に剣を突き出した。
 剣は深々と魔女の体内に突き込まれる。
 途端に、剣の刺さった箇所から眩い光を放ち、魔女は消えてしまった。
「やったのか」
「よっしゃ! できるじゃないか。その調子だ、それがお前の本当の力だろう」
「俺の力?」
「お前の剣は『変換の剣』だ、呪いに満ちた魔女を、希望に浄化できるんだよ」
「浄化?」
「そうさ、お前の力は魔女にとっちゃ天敵のようなものだ。どんどん頼むぜ」
 杏子に促されて、俺は無心で剣を振るった。
 俺の剣を受けた魔女が、次々に光を放って消えていく。
「どうだ、さやか」
「剣の使い方がわかったような気がする。もう大丈夫」
「よし、こっちも終わりだ」
 劇場の中にいた魔女の群れは、全て姿を消していた。
 床のあちこちにグリーフシードが転がっている。
「さやか、下におりるぞ」
「下? もっと下が?」
「ああ、ここには何も無かったからな。『ワルプルギスの夜』の中枢はもっと下だろう」
 見渡すと、劇場の中に螺旋階段がある。
「あれだ。さやか、行くぞ」
 杏子と俺は、勇躍と螺旋階段を駆け下りていった。
 そして長い長い螺旋階段を下りていくと、階下に別の部屋が広がっていた。
「ここか!?」
 槍を構えながら広間に侵入する杏子。俺もその後に続いた。
 広間の奥には、祭壇のようなものがあった。
 そして、その周りに寝そべっていたのはQBだった。
 それも一匹ではない。おびただしい数の。
「なんだぁ? QBがいっぱい?」
『よく来たね、さやか』
 一斉に体を起こしてこちらを見るQBの群れ。
「どうしてお前がこんな所に? それに何でこんなにたくさん」
『どうしてと言われても、ここは回収したエネルギーの集積センターなんだ。君たちが魔女と戦って回収した魔女のエネルギー、つまりソウルジェムに溜まった穢れも、君たちが魔女に変化する時に生まれる膨大な相転移エネルギーも、僕たちを通じて全てここに蓄積される。そしてここから僕たちの本星に転送しているんだ。決められた量を最後の一匹になっても送り届ける、それが僕たちのノルマなんだ』
「なんだって!?」
『説明しても理解できないだろうけど、これは僕たちの宇宙を支える為に必要なエネルギーを生み出す為のシステムなのさ』
「システム? それじゃ、魔法少女も魔女も、お前たちが作ったエネルギーシステムの一部だというのか?」
『そうさ。君たち人間は、生存するのに必要なエネルギーを越えるエネルギーを感情から生み出す。僕たちはそれを効率良く回収して、この宇宙の維持に役立てようとしたんだ。魔法少女はその小さな体で、この大宇宙の維持に貢献しているんだ。実に光栄なことなんだよ』
「こいつ、何が光栄だ!?」
『でも僕は計算を間違えたようだ。君は計算外で死んでしまったさやかの穴を補充する単なる身代わりでしかなかった。それで元の計算通りに、さやかはまどかの目の前で魔女に生まれ変わるはずだったのに、君は今も魔法少女のままだ。そしてここに来てしまった。まどかも結局魔法少女になろうとしなかった。全く訳がわからないよ。それにさやか、君の力は特別のようだ。魔女が希望に浄化されるなんて、そんな力を持った魔法少女は初めてだ。しかも希望を生み出す度に、君の中にエネルギーが濃縮されている。理由はよくわからないけど、今の君の力は一人の魔法少女の因果を凌駕している』
「言っている意味がよくわからないぞ」
「とにかくわかったことが一つある。それは、お前があたいたちの敵だということだ。計算通りにならなくて残念だったなQB。こんなシステム破壊させてもらうぜ!」
 杏子が叫ぶ。
『やめるんだ。たとえ君たちが勝ったとしても、君たち人間がこの宇宙の因果律から外れることはないんだ。それよりも、ここに溜められたエネルギーをこの宇宙の為に役立てるべきなんだ』
「そんな勝手な理屈、俺は認めない!」
『どうして二人とも理解できないんだ。簡単なことじゃないか、この宇宙の為なんだ』
「うるさい! そんな理屈、あたいも認めない。あたいが魔法少女になったのはそんなことの為じゃないんだ」
 俺が剣を出すより早く、杏子は最前でしゃべり続けるQBを槍で真っ二つにしてしまった。
 その瞬間、QBの群れは蜘蛛の子を散らすようにばらばらの方向に逃げ出した。
 俺と杏子は逃げまどうQBを追っかけて、次から次へと切りまくっていった。
 切り裂く度にマシュマロが溶けるように消えていくQB、だが切っても切ってもきりがない。
「はぁはぁはぁ、くそう、きりがない」
『いくら僕たちを切っても無駄だよ。それよりさやか、杏子、君たちのソウルジェムは大丈夫かい? こんなことしていると、すぐに穢れで覆い尽くされるんじゃないのかな?』
「そ、そんなこと、余計なお世話だ。必ず最後の一匹まで切ってやる」
 尚も逃げるQBを二人で追い詰めては切り続ける。
 やがて部屋中に散っていた白いQBの姿が少しづつ減っていく。
 そして、遂に最後の一匹を祭壇の隅に追い詰めた。
「手間かけたけど、お前で最後だ。覚悟するんだな」
『な、何故なんだ。僕の計算では、君たちのソウルジェムはもう保たないはずなのに』
「世の中、計算だけで成り立っているわけじゃないんだ。
 そんなもの、乗り越える力が必ずある。
 それは人の強い意思だ。
 願いは必ず叶うんだ」
『そんな、このままではノルマが達成できない。本星にどう説明すればいいんだ』
 焦るQBの様子に 会社のノルマに追われて疲れ果てていた頃が思い出される。
 こいつもノルマに縛られているんだな。なんか、哀れなやつ。
 ふっとそんな思いがよぎる。だがすぐにそれを打ち消した。
「そんなノルマ、達成させやしない」
『くっ、僕を切っても何の解決にならないよ。このエネルギーシステムは宇宙最高のシステムなんだ。決して止まることはない。ここの供給が途絶えても、すぐに代わりが作動し始める。そうやってこの宇宙の秩序は保たれるんだ。永遠に』
「うるさい!」
 最後のQBを切り裂くと、ぷしゅっと消えてしまった。
 俺たちの周囲には、もう魔女もQBもいなかった。
「さやか、あれも壊すぞ」
 杏子は、QBが取り巻いていた祭壇を指差した。
「わかった」
 杏子が槍先を一突きに突き出し、俺は、剣を横殴りに振るう。
 その瞬間、粉々になって消える祭壇。中からは多くの光の玉が浮かび上がり、そして消えていった。

 ありがとう……
 ありがとう……

 俺たちにそんなささやきを残して。


 一方、地上から様子を見ていたほむらも『ワルプルギスの夜』に異変が起きていることに気がついた。
「奴の様子がおかしい。杏子たち、成功したんだ」
 空中に浮かんだ『ワルプルギスの夜』が、まるで止まる寸前のコマのように、ゆらゆらと左右に大きく揺れ始める。

“キヒヒヒヒ キヒヒヒヒ──”

 ブレーキ音のような断末魔の悲鳴のような、そんな奇妙な音を上げて揺れる『ワルプルギルの夜』の様子を、ほむらはじっと見詰めている。
 そこにまどかが駆けつけてきた。
 さやかから体育館の中に避難しているように言われたまどかだが、結局さやかの後を追いかけてきたのだ。
「ほむらちゃん、あれは?」
「まどか、あなたここまで来たんだ。そっか、あいつの姿が、まどかにも見えるんだよね」
「うん。あたし、あの姿に見覚えがある。ほむらちゃんがあいつと戦っている夢を見たことがあるんだ」
「夢の中か……そうね、あたしが何度立ち向かっても決して倒せなかった『ワルプルギスの夜』、それが遂に倒されようとしているんだ」
「何度やっても?」
「そうだよ、あたしはあなたを守る為に、そしてQBに騙されて魔法少女にならないように未来からやってきたんだよ。その祈りがようやく叶うの」
「ほむらちゃん、言ってる意味がよくわからないよ」
「そうだよね、こんなこと言われてもわけわかんないよね。でもいいの。これであたしの長い旅も終る。彼女たちのおかげで」
「さやかちゃんたちがやったの?」
「うん。あの様子だと、多分中からの攻撃が成功したんだと思う」

 二人が話している間も『ワルプルギスの夜』は徐々に回転スピードを落としながら、少しずつ崩壊していた。その巨大な体はぼろぼろに崩れ、海中に一つ、またひとつと落下していく。
 そして、最後に巨体を包み込むような大きな光を放つと、『ワルプルギスの夜』の姿は消滅してしまった。
 そしてその瞬間、光の中から飛び出してくる二つの影。
 それは、さやかと杏子だった
 二人は手をつないで地上に着地する。
「ほむら、そっちは無事か?」
「あたしは大丈夫。あなたたちも?」
「ああ、あたいもさやかも、この通りピンピンしているぜ」
「そう、よかった」
「恐ろしい奴だった。でもとにかく、奴との戦いもこれで決着だ」
「ありがとう」
「え?」
「二人に感謝しなくちゃいけないわね。奴を倒さない限り、あたしの未来は無かったの。奴に物理攻撃が効かないと知った時、今までどうしても勝てなかった理由が理解できたけど、同時にこれからどうすればいいのかわからなくなってしまった。あたしが奴に勝てる術は何も無いんじゃないかって絶望しかかったわ。だから、あなたたちの作戦が、あたしにとって最後に残った道しるべだったの。ほんとにありがとう」
「まあ、こんなにうまくいくとは思わなかったけどな。さやかのおかげさ」
「そんなことないよ、えへへ」
 杏子に持ち上げられて、俺は両手を頭の後ろに組んで照れた。そんな俺の前に、まどかが出てくる。
「さやか……ちゃん」
「まどか! あなた来ちゃったの?」
「うん。皆ががんばっているのに、あたしだけじっとしているなんてできないから。それとね、さやかちゃん」
「え? なに?」
「おかえりなさい」
「え?」
「あたしね、あれから考えたの。そして思ったんだ、やっぱりさやかちゃんはさやかちゃんなんだって。誰かがさやかちゃんの振りをしていたら、あたしだってきっとわかったと思うの。でも、さやかちゃんはさやかちゃんだよ。今までも、これからも」
「まどか、あたし……」
 言葉が出てこない。まどかの笑顔を見ていると、自然と涙が溢れてきた。
「ありがとう、まどか。あたし、これからも一緒にいていいの?」
「勿論だよ、だってあたしたち友だちだもん」
「こほん」
 ほむらが横で咳払いをする。
「あ、ほむらちゃんも、そして杏子ちゃんも友だちだよ、みんなあたしの最高のともだち。これからもよろしくね!」
 まどかがにっこりと笑う。
 ああ、これが俺の欲しかったものかもしれない。
 晃としての人生は捨ててしまったけれど、もう二度とそんなことしない。
 さやか。そう、もう……あたしは「さやか」なんだ。

 がんばって……

 そんなささやきが、あたしの耳元を通り抜けていった。
「ほら、雲が晴れてきたぜ」
 杏子が変身を解く。続いてほむらも、そしてあたしも変身を解いて、制服姿に戻った。
「あ〜あ、それにしても自衛隊と米軍のお偉い方たち、誰かさんのおかげで大変だろうな」
 杏子がにやにやと笑いながらほむらを見る。
「し、しょうがないでしょう。まどかを助けるために、やれることは何でもやろうって必死だったんだから」
「しょうがないか、全くしょうがないよ」
「く、くすっ」
 杏子の言葉にまどかが笑った、あたしもつられて笑う、そして杏子もほむらも。
 雲間から日の射し始めた地上は、四人の笑い声に包まれていた。


 翌朝、あたしはいつものように家を出、そしていつもの場所でまどかやひとみと合流した。いいえ、そこにはもう一人。
「おっはよ〜」
「おはようございます、まどかさん、それに……」
「おはよう、ひとみ、恭介」
 ひとみは恭介と連れ立って合流した。あたしを見るひとみは少し決まりが悪そうだ。でもあたしはそんな彼女に思いっきり元気に声をかけてやった。
 ひとみがほっとしたような表情を見せる。
 恭介は入院前と全く変わらない笑顔を、あたしに返した。
「うん。おはよう、さやか」
「おう。恭介はもう松葉杖はいらないのか?」
「手も脚もすっかり良くなったよ。お前言ったよな、奇跡も魔法もあるんだって。こんなに早く治るなんて、ほんとに奇跡だと思う」
「そうだな、良かったよ。また恭介のバイオリンが聞けるのを、楽しみにしているぜ」
「ああ、その時はさやかに真っ先の聞いてもらうよ」
「あら、恭介さん、わたくしが最初じゃないんですか?」
「ひとみにも勿論聞いてもらいたいけど……でも俺が入院していた時、ずっと励まし続けてくれたさやかにお礼をしなくちゃいけないからな」
「まあ、妬けますわ」
「ふふふ、お前にはいつでも聞かせられるだろう」
「お〜お、お熱いことで、にひひ」
「まあ、さやかんったら、茶化さないでください」
「いいんだよ、二人とも幸せにな」
 もう胸の中に痛みは無かった。


 そしてそれから何週間か後、皆で電車に乗って遊園地に遊びに行く途中、駅の構内であたしは懐かしい顔を見つけた。
「こんにちは」
「あら、あなた」
「お久しぶりです、梓お姉さん」
「こんなところで会うなんて奇遇ね、どうしたの?」
「友だちと一緒に遊びに行くところなんです」
「あら、そうなんだ。確かさやかちゃんだったよね、元気そうね」
「はい! お姉さんも」
 にっこりと笑う梓に、あたしも笑い返す。
 かつて妹だった少女に。
「さやか〜どうしたの、行っちゃうよ〜」
「あ、杏子、まどか、ほむら、ごめ〜ん。
 梓お姉さん、それじゃ、また」
「さやかちゃん、今度うちに遊びにいらっしゃい」
「え?」
「どうしてだろう、あなたを見ていると何だか懐かしくって、ゆっくりお話ししたいな、なんて」
「わかりました、必ず遊びに行きますね。それじゃ!」
「うん。またね」
 
 梓と別れ、みんなを追いかけて改札を出る。
 高く昇った日がまぶしい。
 頭上には雲ひとつ無いきれいな青空が広がっている。
 見上げるあたしの耳を、遠くの歌声が心地良く、くすぐっていた。


 ――忘れないで

 いつも、どこかで

 誰かがあなたのために戦っている

 ――そのことを忘れない限り

 あなたは一人じゃない……


(終わり)



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