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 空は青く、澄んだ空気が心地いい早朝。
 ロードワークの最後に石段を駆け上がると、大きな石造りの鳥居が見えてきた。
 そしてその下で竹箒を動かし、石畳の上を掃き清めている、ひとりの若い巫女さんの姿も──

「……おはよう、由香里(ゆかり)さん」
「お帰りなさい、克基(かつき)くん」

 掃除の手を止めると、彼女は小首をかしげ、階段を駆け上がってきた少年に向かってにっこりと微笑んだ。
 白の小袖と緋色の袴──巫女装束に身を包み、まっすぐな長い黒髪を壇紙(厚手の和紙)と水引でポニーテールに結っている。
 すらりと背の高い、楚々とした落ち着いた雰囲気の中に可愛らしさが見え隠れする二十歳くらいの女性だ。
「朝御飯の用意できてるから、早く着替えてきてね」
「あ、はい……」
 柔らかな口調で優しく声をかけられ、少年──城石(しろいし)克基はかすかに顔を赤らめた。




−セバスチャン RX78番−

「二代目は巫女様っ!?」 CREATED BY MONDO

※『二代目は○○』シリーズの詳細については、以下の公式ページを参照してください。
http://minafumi.aki.gs/kikaku/secondgeneration_rule.html




 制服に着替えて台所に降りてくると、テーブルに朝食の用意ができていた。
 こんがり焼かれたアジの干物に大根のお味噌汁、白菜の浅漬け……典型的な和食の朝御飯である。
「早く食べないと、遅刻するよ?」
「わかってるって」
 御飯をよそいながら促す由香里に、克基は軽く口をとがらせた。
 すっかり日常と化した、いつものやりとり。
「……ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さま」
 食事を終えて手を合わせる克基に微笑むと、由香里は洗い物を重ね持って立ち上がった。
「今日は放課後遅くなるの? 克基くん」
「ん〜、部活はないけど……クラスで文化祭の出し物のこと話し合うから、遅くなるかもね」
「そう、わかったわ。……じゃあ、いってらっしゃい」
「いってきま〜す」
 克基はカバンと弁当の包みを手にして玄関で靴を履く。由香里は台所から、その背中に向かって小さく手を振った。


城姫神社の巫女、由香里さん♪



 市街地からさほど離れていない、雑木林に覆われた小さな丘陵地。そこに「城姫(しろひめ)神社」の境内がある。その敷地の端にある社務所が克基の「家」だ。
 母親は彼が幼い頃に他界し、神主を務める父親は「分祀した余所の神社の様子を見てくる」と、あちこちとび回っていて不在である。
 時々帰ってきているような雰囲気はあるのだが、いつもかけ違っているのか、父親とはここ一年、全く顔を合わせていない。
 もしかしたら余所の神社うんぬんは真っ赤なウソで、何処ぞに愛人でも囲ってそこに入り浸っているとか……いやいや、四十を過ぎてもちゃらんぽらんな性格したあの父親に、そんな甲斐性?があるわけないか、と首を振る。
 まあ、生活費光熱費その他もろもろは毎月滞りなく口座に入っているし、身の回りのことや神社の仕事は、遠縁の親戚である由香里が住み込みで全てやってくれているおかげで、克基は特に不便や不満を感じたことはない。
 神主不在で巫女が神事を執りおこなっていいのか……とも思うが、今のところ参拝客や氏子から文句やクレームなどは聞こえてはこない。現在では資格さえ得れば、女性でも宮司や禰宜(ねぎ)などの神職になれる道が開かれているそうだし。

「なあ克基、前からずーっと聞きたかったんだけど──」
「……?」

 昼休みの教室。
 前の席から振り返ってきた親友の明彦(あきひこ)に問いかけられ、克基は箸を止めて首をかしげた。
「お前……由香里さんとはほんとに何もないのかよ?」
「……ぶっ!?」
 思わず口の中のものを吹き出しそうになる。
「な、なななな何をいきなりっ!?」
「だってさー、あんな美人のお姉さんと毎晩家でふたりっきりなんだろ? 健全な男子高校生としてはイロイロと溜まっちゃってアレしてコレしてナニヤラを……んでもって由香里さんも、『あんっ、だめよっ克基くんっ……神様の前でそんなことしちゃ……』とかなんとか──」
「…………」
 ジト目で見つめる克基を尻目に、自分の両肩をかき抱いてくねくねする明彦。
 その背後に、人影がぬっと立ち上がった。

 ごめっ──!! 「……真っ昼間から何ヤラシイこと口走ってのよあんたはっ!」

 後頭部を思いっきりグーで殴られ、椅子に逆座りしていた明彦は涙目で克基の机に突っ伏した。
 とっさに由香里お手製の弁当を持ち上げてかばう克基。顔面を突っ込まれるわけにはいかない(笑)。
「由香里さんに限って、そんなことあるわけないでしょがっ!」
 眼鏡の女子生徒──クラス委員の頼子(よりこ)がふんっと鼻を鳴らし、そんな二人をワニ目でにらみつけてきた。
 正月に城姫神社で巫女さんのバイトをした時に、彼女は由香里の立ち居振る舞いや優しい性格、その笑顔にすっかり魅了され、それ以来「理想の女性」として慕って──というか、心髄しているらしい。
 ……いや、頼子だけじゃない。克基のクラスの女子は皆、由香里 “お姉さま” の大ファンだ。
「だからっていきなり殴るか? 普通」
「うるさい黙れっ。……で、どうなのっ? 城石くんっ」
「…………」
 腰に手を当て上から目線で尋ねてくる頼子に、お前も人のこと言えないじゃないか……とか思っても、克基にそれをぶっちゃける度胸はない。
「別に──何もないよっ。従姉弟同士、なんだし……」
 口をとがらせ否定すると、ぷいっと視線をはずし、手にした弁当をがつがつとかきこむ。
「「…………」」
 頼子と明彦はその微妙にわざとらしい?リアクションに顔を見合わせ、肩をすくめた。


 文化祭の話し合いが思った以上に早く終わり、克基は一人、神社へ向かって帰り道を歩いていた。

「いいっ? いくら一緒に住んでるからって、由香里さんにちょっとでも変なことしたら……クラスの女子全員、あんたの敵になるからねっ!」

「……たくっ」
 腰に手を当ててすごむ頼子の顔を思い出し、大きくため息をつく。
 とはいえ克基も “健全な” 男子高校生。女の子に手を握られただけで硬直する小学生でも、枯れて久しいジイさんでもない。
 ひとつ屋根の下に魅力的な女性が同居しているのだ。眠れない夜、何度彼女を「おかず」にしたことか(……)。
 それでも実際に手を出さなかった──出せなかったのは、由香里自身に全く「隙」がないという理由もあるが、そんなことをしたら、彼女との今の生活(関係)が崩壊してしまうような気がしているからである。
 だから決して「へたれ」なわけじゃない、決して…………などと心中で弁解?しつつ、克基は神社へと続く石段を登っていき──
「……?」
 下の方から聞こえてきた話し声に、咄嗟に鳥居の影に身を潜めた。
「…………」
 石段を上がってきたのは、ひと組の男女。
 ひとりは由香里。いつもの巫女姿ではなく、クリーム色のブラウスに赤茶色の膝丈スカートを履き、普段は結っている髪を下ろしている。
 私服姿でも、彼女の清楚な雰囲気はいささかも減じていない。
 そしてもうひとりは、以前、郷土史研究の資料を探しに神社を尋ねてきた背の高い大学生。確か鷲崎とか鷲尾とかいった名前だった……はず。
 ふたりの手にはレジ袋──スーパーに買い物に行った帰りらしい。彼らは克基に気付くことなく、親しげに言葉を交わし合いながら、肩を並べて鳥居をくぐり、社務所の方へとそぞろ歩いていく。
「…………」
 その後ろ姿をじっと見送り、克基は黙って鳥居から身を離した。


由香里さん、私服姿



「はあぁ……」
 なんだか社務所──家に帰りづらい気分になって、克基は誰もいない境内にじっと立ち尽くしていた。
「……由香里さんって、あんな顔──するんだ……」
 ため息をつき、誰に言うことなく、ぽつりとつぶやく。
 隣を歩く大学生に話しかけられるたびに、頬を赤く染め、口元に手を当ててはにかんだ笑みを浮かべていた由香里。
 自分の知らない、楽しそうな、幸せそうなその顔……
「…………」
 喪失感と寂しさと、そしてくやしさと腹立たしさ。
 彼女が自分の知らないところで、あの大学生と付き合っていた──その「事実」を突然突きつけられたことで、いろいろな思いが頭の中にうずまき、気持ちが整理できない。
 克基はきびすを返して、社務所の方に背を向けた。
 今は由香里の顔が見れない……自分でも女々しいと思いながら、あてもなく境内をふらふらと歩く。
「……あれ?」
 ふと見ると、本殿のそばにあった小さな社殿の扉が半開きになっていた。そこは普段、厳重に鍵がかけられていて、克基も今まで開いているところを一度も見たことがない。
 怪訝に思いながらも近づき、その扉に手をかけ……そっと開いて中を覗いてみると──




父から子へ――
世代を越えて引き継がれていくものがある。
それは物であり、技であり、知恵であり、想いである。
だが、その責務を嫌い、束縛を厭(いと)うものもいるだろう。
それでも、継承は続く。先代たちが託した願いとともに。





「……あ?」
 社殿の中には克基の見慣れたものがひとつ、ぽつねんとあった。
 細長い棒の先に付けられた、和紙で組まれた御幣──それは神主や巫女が神事で使う、いわゆる「御祓い串」というやつだ。
 他には何もない……それだけが一本、床板の隙間に無造作に突き立てられている。
「なんで、こんなものが……」
 わざわざここに仕舞われているんだ?
 克基は靴を脱ぎ捨てて中へ入ると、それをそっと引き抜いてみた。
 社殿の中を見回す。「開かずの間」だったにしては、床には塵ひとつない──
 御祓い串を手にしたまま、彼は怪訝な表情を浮かべて首をかしげた。

「……それは畏れ多くもこの神社の巫女様であらせられた、貴方さまのお父上が使われていたものです」

「っ!?」
 いきなり背中から声をかけられ、克基は間髪入れずに扉の方を振り返った。
「……ど、どちら様?」

 いつもニコニコ這い寄る混沌────ではなく(……笑)。

 そこに背筋を伸ばして立っていたのは、糊のきいた染みひとつない白いドレスシャツに濃紺の蝶ネクタイ、ぴしっと折り目のついたグレーのスラックスと仕立てのよい黒のモーニングをりゅうと着こなし、両手に白手袋をはめ、ロマンスグレーの髪をオールバックになでつけ、鼻の下に豊かな口髭をたくわえた、背の高いひとりの老紳士だった。
「不躾に声をお掛けいたしまして申し訳ありません。わたくしめは、先代──貴方さまのお父上にお仕えしておりました者です」
 老紳士は目を点にした克基に向かってそう言うと、胸に手を当てて一礼した。
「どうぞ、セバスチャンとお呼びください」
「は、はあ……」
 怪訝な表情を浮かべる克基。
 父がいつもお世話になっています……とでも言うべきか? しかしどう見ても、神社より何処ぞの洋館にでも務めている方がしっくりくるような姿と名前だった。
 老紳士──セバスチャンはそんな克基の視線を受け流し、軽く咳払いをすると、
「これまでひた隠しにしておりましたが、実は貴方さまのお父上は、この城姫神社の巫女様であらせられたのです。ですが志半ばで巫女としての資格を失われてしまい、貴方さまが後を継いでくださると願いながら──」
「あ、あの……、ちょっとすいません……」
 滔々と語り始めたセバスチャンの言葉を、克基は空いていた方の手を上げて遠慮がちに遮った。「あの……さっきから巫女巫女っておっしゃってますけど、うちの父親は巫女ではなくて、神主──」
「いいえ、貴方さまのお父上は間違いなく巫女様であらせられたのです」
「???」
 もしかして、神社にいる袴姿の人間は全部「巫女(神子)」さんだと思い込んでいるとか? 克基は再びそう問いかけようとした。
 だが……

「……では、早速お召し替えを」
「うわわっ! い、いつの間にっ!? ……!!」

 背後にまわったセバスチャンに、ぽん──と肩に手を置かれて仰天する間もなく、着ていた制服を一瞬で剥ぎ取られる。
 下着まで一緒に脱がされてしまい、全裸にされた克基は、反射的にへそ下を手をやって前を隠した……
「──あれっ!? な、な……ないっ!?」
 突然目を見開き、押さえた股間をまさぐる。「ない、ない、ないっ! な──なんでえええっ!?」
 ついさっきまでぶら下がっていたはずのもの──男のナニが、きれいさっぱりなくなっていた。
 代わりにそこにあったのは、身体の奥へと通じる縦一筋の割れ目……
「……って、うわあああああああっ!!」
 手に持っていた御祓い串を放り捨て、パニックを起こす克基。だがセバスチャンは委細かまわずその手を取り、慣れた手つきで肌襦袢と裾除け(蹴出し)を身に着けさせていく。
「和装の際に、ブラジャーやショーツは御法度でございますから」
「な、何を言って……あ、ぐううっ!?」
 単衣(ひとえ)の白衣──小袖を着せられた克基の肩幅が目に見えてせばまり、帯の下で胴がくびれ、腰が横に広がった。
 背が縮み、そこそこ筋肉質だった身体は全体的に柔らかくなり、着物の中で四肢も華奢なものへと変わっていく。
 真っ平らだった胸が風船のように膨らんでいき、ふたつの乳房を形作る。
 そして身体の内側も変わっていく。乳房が張って乳腺が走り、下腹部の奥にできあがった子宮から股間へと膣が伸びていくのが、はっきりと自覚できた……
「ああ……お、お、女に──」
「元々巫女の袴には襠(まち)があったのですが、明治時代に女学生用の袴として行灯(あんどん)袴──いわゆるスカート袴が生み出され、それが好評だったことから巫女装束としても普及したと耳にしたことがあります」
 トリビアを口にしながら、セバスチャンは緋色の袴をもがく克基の腰に当てがう。帯をすばやく後側で交差させ、前に回して再び後ろで蝶結びに結わえる。
 垂れた袴の背中側を腰へと上げ、前の帯に重ねるようにして後ろの帯を、みぞおちの少し上で結ぶ。
 この間、わずか0.3秒……匠の技であった(笑)。
「こうすることで、腰のところに緋袴の切れ目ができるのです」
「う、あ、あ……」
 ちりん──と音がして、巫女装束の上から袖に鈴の付いた千早を羽織らされる。
 いつの間にか、靴下は白足袋に履き替えさせられていた。
「え……?」
 同時に短かった髪の毛が、ばさっと音を立てて一気に腰まで伸びた…………




















「……うわあああああああっ!!」
 甲高い悲鳴を上げて、克基はがばっと身を起こした。
「あ、気がついた?」
 声がした方を向くと、巫女姿の由香里が、ほっと安堵の表情を浮かべていた。
 無意識に止めていた息を吐き出すと、布団に寝かされていたことに気付く。

 ──な、なんだ……、夢か…………

 自分に言いきかせるように、口中でそうつぶやく。
 そう、さっきのは夢……男が巫女装束を着せられただけで、いきなり女に変わるなんてあり得ない──
 頭が妙に重かったり、首の後ろがくすぐったかったり、着ているものがなんとなく変な感じだったり、身体の感覚がいつもと違うような気がするが……いや、多分気のせいだ気のせい。気のせいに決まっている……
 そう、気のせいだ。胸がちょっとばかし窮屈なのも、足のつけねあたりが妙にスカスカしているのも、全部気のせい──
 しかし、克基のその現実逃避(笑)は、由香里の次のひと言であっさり崩れ去った。

「……もうっ、わたしが説得するまで待っててって言ったじゃないセバスチャンっ」
「申し訳ありません。お嬢さまがあの御社(おやしろ)に入っていかれたので、てっきり先代様とのお話がお済みになっているのかと思いまして」

 間髪入れずに反対側へと振り向いた克基の目にとび込んできたのは、立ったまま深々と頭を下げるあの老紳士──セバスチャンの姿だった。
「…………」
 自分の身体を見下ろす克基。
 さすがに千早は脱がされていたが、我が身を包む白と緋色の巫女装束に顔を引きつらせる。
 もちろん、それに包まれた克基の身体は……
「克基くん……あ、今はもう克基ちゃんね。急なことで驚いて混乱しているのはわかるけど──」
 とにかく今は落ち着いて……と言って由香里が差し出した手鏡を、克基は震える手で受け取り、おそるおそる覗き込んだ。
「……!!」
 そこに映っていたのは見慣れた自分の顔ではなく、由香里に似た感じのする、髪の長い少女の顔だった。
 艶やかなきめ細かい肌、ぱっちりとしたつぶらな瞳、涼やかな目元、小さな耳朶から続くすっきりとした顎のライン。前髪は細い眉のあたりで真っ直ぐに切り揃えられ、和装と相まって清楚な雰囲気を醸し出していた。
「……こ、こ、これが…………ぅあ、あたし──? ……!?」
 不安げな眼差しを返してくる鏡の中の “自分” にそうつぶやき、克基ははっと目を見開いて口元に手をやった。「……え? あ、あれ? あ……あ、あた、あた……あた、し──」
 …………………………………………

「あ、あ…………あ……あた、あた、あた──」

 お前はもう死んでいる。(←CV・神〇 明)
「じゃなくてっ! あた、し……あ、や──やだっ、ど……どうして、あ──あた、し……あ、たしのこと、『あたし』って言ってる、のっ!?」
 口元にやった手が震え、顔がみるみる青ざめていく。
 一人称……いや、自分の口からとび出す可愛らしくなった甲高い声と、勝手に矯正される?言葉遣いに混乱する克基。
 由香里はあわてて彼──彼女の頭を抱きかかえ、自分の胸元に押し当てた。
「大丈夫、無理に言い直そうとしないで克基ちゃん。あるがままの、今の自分を受け入れて…………でないと、つらくなるだけだから──」
「あ、ゆ──由香里、さん……」
 抱きしめられた克基は目を瞬かせ、次いで顔を赤らめた。
 うんうんと頷き、セバスチャンはそんな二人を慈愛の眼差しで見つめた。
「さすがに血は争えませんな。先代様もそのお姿になられた時、すぐに巫女様らしい言葉遣いや立ち振る舞いを身につけておられました──」
「もうっ、セバスチャン、それ言わないでっ。一年経った今でも恥ずかしいんだからっ」
「……え?」
 次の瞬間、克基はぴしっと表情を凍らせた。
 生理……もとい、整理してみよう。
 ひとつ、自分は「父親の後を継いで巫女になれ」と告げられ、セバスチャンの力?で女の子に変えられた。
 ふたつ、由香里さんはセバスチャンと懇意の仲らしい。この老紳士は由香里さんに「先代様」と呼びかけていた。
 そしてみっつ、父親とは一年近く顔を合わせていない。
 すなわち──
「ま、ま、ま、まさか……」
 克基は四肢を強張らせたまま、ぎくしゃくと身を離して立ち上がると、よろめきながらあとずさり、わなわな震わせた指先を由香里の顔に向けた。
「ま……まさか──まさか由香里さんって、…………と、と、と──父、さん……?」
「…………」
 きっかり十秒の間を置いて、由香里は頬を赤く染め、こっくりと頷いた。
 克基は水草がない金魚鉢の金魚のように、口をぱくぱくさせた。

 ──う……嘘だろ? 父さんが由香里さん? あの脂ぎったメタボ体型の……本人ひた隠しにしてたけど、ズラだってことはみんな知ってたあの父さんが…………目の前にいる由香里さん?

「ですから先程も申しました通り、お嬢さまのお父上は、一年前から先代の巫女様であらせられたのです」
「…………」
 ……眠れない夜、何度彼女を「おかず」にしたことか──
 眠れない夜「おかず」にしたことか。大事なことなので二回言いました(笑)。

「……い、い、い…………いやぁああああああ〜っ!! きっきききき聞きたくない聞きたくない聞きたくないぃいいい〜っ!!」

 甲高い悲鳴が、神社中に響き渡った。
 衝撃の事実──知ってはいけない禁断の事実にSAN値は一気に急降下。
 父親と同じ(……)美少女巫女と化した克基は、顔を盛大に引きつらせ、頭を抱えて長い髪を振り乱した……


SAN値【さん−ち】
 クトゥルー(クトゥルフ)神話群をモチーフにしたテーブルトークRPG『クトゥルフの呼び声』等で使用される、プレイヤーキャラクターのパラメータ(能力値)のひとつ。正気(sanity)の度合いを表す。邪神や神話怪物とニアミスしたりエンカウントしたり、禁断の知識を得たり、怖い考えになってしまったりするたびに減少し、一気に減少すると狂気に陥り、ゼロになると発狂(キャラがプレイヤーの手を離れる)する。……ああっ、窓にっ、窓にぃっ!





















 そして、一週間後──
 夕暮れの通学路を克基改め、城石克姫(かつき)は頼子、明彦と肩を並べて歩いていた。
「あーあ、でもショックだったなぁ……由香里お姉さまが結婚しちゃうなんて──」
 頼子は学生カバンを持った手を背中に回し、ぽつりとそうつぶやいた。
「由香里さんの巫女さん姿もしばらく見納めかぁ……でもまあ、姫ちゃんが代わりに巫女さんするってんだから、それはそれでいいかも──」
「ひ、『姫ちゃん』って呼ばないで……恥ずかしいから……」
 克姫の「姫」で、「姫ちゃん」。
 締まりのない顔でにやける明彦の視線に、克姫は顔を赤らめ、身をすくめて距離を取った。
 そう、彼──彼女が「城姫神社の巫女様」を引き継がなければならなかった理由は、一年の間に身も心もすっかり女性化した父親──由香里が、あの大学生と深い仲になり…………妊娠してしまったためであった。

「身重の身体で、神様に仕えるわけにはいきませんからな……」
「な……な……な──」

 二度目のSAN値急降下(笑)。いわゆる「できちゃった婚」であった。
 彼が卒業したら、正式に籍を入れるのよ──と、当の本人は頬染めていやんいやんしながら嬉しそうに言ってたが……自分もいつかはああなってしまうのか思うと、背筋に怖気がはしる。
 しかも聞けば、実のところ由香里(父親)の方から関係を持ちかけたらしい。はじめは興味本位だったのが、いつしか「本気」になってしまったのだとか。
「…………」
 いや、その前に生まれてくる子は自分にとって甥? 姪? いや異母兄弟? というか異父兄弟…………それ以上は冒涜的かつ名状し難い忌まわしき暗澹たる狂気と吐き気を催す底知れぬ漆黒の深淵にも似た混沌の渦の中心を垣間見てしまった挙げ句ただでさえ乏しいSAN値が今度こそゼロになってしまうような気がしたので、克姫は考えるのを止めた。
 ちなみに今の彼女は、腰まで伸びた長い髪をうなじのあたりで束ね、頼子と同じ女子の制服──白のセーラー服と紺のプリーツスカートを身につけている。
 巫女姿でなくても、彼女の清楚な雰囲気はいささかも減じていない。
 両手でカバンを身体の前に持ち、脚を広げずそろそろと小股で歩く……この一週間、由香里とセバスチャンに巫女舞の特訓を強要された成果だったりする。
 加えてあの日──巫女様を「継承」して少女の姿に変えられてからこっち、明彦も頼子も、他のクラスメイトや先生たちも、「城石克姫は以前から女子生徒だった」と口をそろえて言っているし、克姫が「あたしは男だったの!」と主張しても、皆、可哀相な子を見るような目を向けてくるだけなので、恥ずかしいが他に選択の余地はなかったりする。
 普段の口調も仕種も物腰も、全て奥ゆかしい少女のそれになってしまっているし……いまさらであった。
 そんな彼女の傍らに、まるで都市伝説に出てくる幽霊タクシーのように、黒のリムジンが音も気配も立てずにすっと寄り添い、停車した。
「お帰りなさいませ、お嬢さま、頼子さま、明彦さま」
 運転席側のドアを開けて現れた黒衣の老紳士の姿に、頼子と明彦は相好を崩して手を振った。
「あ、セバスチャン──さん、こんにちはっ」
「どうもーっ」
「…………」
 後部座席のドアを開けてうやうやしく頭を下げるセバスチャンを一瞥し、克姫はため息をつくと、ふたりに向き直った。
「ごめん……迎えが来たから、先に帰るね」
 そう言って、リムジンに乗り込む克姫。頼子と明彦は微笑みながら、車中の彼女に手を振った。
「じゃあねっ、ばいばい克姫」「また明日な〜、姫ちゃ〜んっ」
「……だから『姫ちゃん』って呼ばないで〜っ!」
 克姫の叫び声を残して、黒のリムジン──ベントレーは静かに走り出した。


 後部座席のシートに畳まれて置かれていた巫女装束を手にして、克姫はハンドルを握るセバスチャンに問いかけた。
「ねえ、セバスチャン……本当に貴方の仕業じゃないの?」
 制服の上から白小袖を羽織り、内側でスカートのホックをはずす。
「はい。わたくしは、あくまでお嬢様に巫女様の継承を伝えて、お召し替えを手伝っただけでございます。学校の皆様の記憶を書き換えるなどという大それた真似など──」
 言葉を途中で区切り、セバスチャンはゆっくりとステアリングを切った。
「できない、とは言わないのね」
「…………」
 セバスチャンは無言で柔らかな笑みを浮かべた。例?によって、謎の多い執事である。
 それによくよく考えてみれば、これまで「父親」が一年も不在だったことに対して、全く疑問に思わなかったこと自体、何らかの人知を超えた “力” がはたらいていたのではないだろうか……
 横Gを全く感じさせずに左折する車の中で、克姫は小袖の内側で脱いだセーラー服とプリーツスカートを襟元と裾から器用に引っぱり出すと、緋袴を広げて脚を通し、シートから少し腰を浮かせてそれをたくし上げ、腰の帯を結んだ。
「……ううっ」
 狭い車内で下着を見せずに制服から巫女装束に早着替えする……なんてことが自然にできるようになった自分にちょっびり涙してしまう。
「で、今日はまた、なんでわざわざ車で迎えに来たの?」
 髪を束ねていたシュシュを外して壇紙と水引で結び直し、巫女装束と一緒に置かれていた御祓い串──全ての始まりとなったあの御祓い串を手にすると、克姫は再度セバスチャンに問いかけた。
「はい……実は市内のとある工事現場で、夜な夜な何処からともなく男性のうめき声や若い女性のすすり泣く声、子どものくすくす笑う声が聞こえてきたり、防犯カメラに得体の知れない影が映ったり消えたり、重機がいつの間にか横倒しになったり地面に謎の紋様が描かれていたり土台工事の最中に掘り出した岩がぼーっと光ったり詰め所で張り番をしていた人間が翌朝SAN値だだ減り状態で発見されたり……とかで、作業員たちが皆々薄気味悪がってしまい、工事が全く進まず、是非とも今夜じゅうに巫女舞──『退魔の儀』を巫女様であらせられるお嬢さまに執り行っていただきたい、と工事関係者の方々からのご依頼がございまして」
「ちょちょちょちょっと何それっ!? 巫女ってそんなこともしなきゃならないのっ!?」
「もちろんでございます。巫女といえばアメノウズメの昔より、舞いを奉じて事件を解決するのが習わしですから」
「…………」

 つ……つまり巫女さんは巫女さんでも、 いわゆる “ラノベ系” の巫女さんってわけ? 悪霊退散とか妖魔調伏とか陰陽ビームとか──

「お嬢さま、巫女と陰陽師とは別物でございます。……それからいくら物語中の独自設定と言い張っても、光線光弾を撃ち合って戦う術者キャラクターを『陰陽師』と称するのはおかしいと思うのですが──」
「何の話よいったい……」
 憮然とつぶやく克姫を乗せたベントレーは、静かに夕闇の中へと消えていった。


 結局、何も起こらずトラブルもなく、「退魔の儀」は粛々と終了した。
 夜中の工事現場で五十鈴を手にし、克姫は何処からともなく聞こえてくる笙や篳篥の調べに合わせ、篝火に照らされた祭壇の前で静々と巫女舞を舞ったが……別に話に出ていた怪奇現象が生じたり悪霊や妖魔が現れたり陰陽ビーム(笑)を撃ち合ったりすることはなかった。
 てっきりライトノベル的な「展開」になるかと緊張?していたのに、なんだか肩すかしを食ったような気分だった。
「おお……ありがとうございます巫女様っ」
「このような遅い時間にお出ましいただき、誠に申し訳ございません──」
「これで明日から、作業員たちも安心して作業できますっ!」
「あ、え──えっと……はい」
 喜ぶ建築会社の社長や関係者、現場監督たちに頭を下げられ握手を求められ、戸惑いながらもそれに応じていく。
 何かをなし得たという実感もないまま、克姫は装束を整え、いつの間にか背後に控えていたセバスチャンに振り向いた。
「これで……よかったのかしら?」
「はい、見事な巫女舞でございました。これでこの地も鎮まり、皆様方も滞りなく工事を進められることでしょう──」
「そ、そう……じゃあ、終わったのなら、さっさと帰りましょう」
 これで先代様にも顔向けができます……と目頭を押さえる老執事に皆まで言わさず、彼女は踵を返した。
 その顔が赤いのは、手放しで褒められたためだろうか……たとえそれが、意に反して押し付けられた役割だったとしても。
 しかし、少なくとも悪い気はしない。
 自分でも何やってるのかいまいちよくわかっていないが、工事の人たちの態度にはまぎれもない感謝の意が現れていたし、これが城姫神社の祭事だというのなら続けていかなければならないとも思う。
 血の繋がった実の父親が、まあ……その、何というか、あんなことになっちゃってる……ということは横に置いといて──
「では、お車の方へ」
 いくら何も起こらないとはいえ、夜中の工事現場に長居したいとは思わない。
 莞爾と微笑むセバスチャンに「後始末をするので先に行ってください」と促され、克姫は篝火の炎に照らされる中、巫女装束を乱さぬようゆっくりと歩きだした……


 これよりのち、彼女──城石克姫は先代の由香里にも劣らぬ霊験あらたかな「城姫神社の姫巫女様」として、学校や地元で知らぬ者がいないほどの有名人になるのだが……その話はまた、別の機会に。

(おしまい)


城石克基改め、姫巫女克姫ちゃん♪



 工事現場に置かれた祭壇の前に、ひとり残ったセバスチャン。そこへ篝火の光が届かない暗闇から人影がふたつ、ゆっくりと近づいてきた。
 気配に気付いた老執事はその人影たちに向き直って胸に手を当て、深々と頭を下げた。
「お疲れさまでございました……頼子さま、明彦さま」
「そちらこそご苦労様、セバスチャン」
「姫ちゃんの巫女舞に寄ってきた魍魎(モウリョウ)は全部、始末しておきましたよ…………おっと!」
 現れた人影のひとつ──明彦が手にしていた抜き身の日本刀を素早く逆手に持ち直し、その切先を足元に蠢いていた肉塊に突き刺した。
 毒々しいピンク色をしたそれは、キュイイッと耳障りな鳴き声?を上げ、白煙とともに消滅していく。
「……取りこぼすなんてらしくないわね、明彦」
 もうひとつの人影──頼子が構えを解き、緊張を残した口調でたしなめた。その手にあるのは剣呑な光を放つ円錘形の分銅が付いた、神銀の鎖。
 そして二人は、忍者を連想させる漆黒のボディスーツにその身を包んでいた。頼子に至っては、髪を引っ詰めにして眼鏡をはずしているので、身にまとう雰囲気も相まって別人に見える。
「悪い……思った以上に雑魚が引き寄せられてたみたいだ」
 対して明彦の口調は、普段の──学校で見せるものとあまり変わらない。
「確かに、初めての舞であれだけの量の魍魎を呼び込むなんて、ある意味脅威よね……」
 背負った鞘に刀を納める明彦を一瞥すると、頼子はセバスチャンへと視線を向け、その顔を伺った。
「はい、城姫神社の巫女様の “気” に誘われてくる悪しき魍魎を、影宮司様たる頼子さまと明彦さまが人知れず滅却する──しかし、ひとたび巫女様がそのことをお知りになれば、その “気” に乱れが生じて魍魎どもをいたずらに逸らせ、お二人を今以上に危険に晒すことになりかねません……」
「まあそうなんだけどねー、けど、自分の知らないところで贄(にえ)というか、囮にされてるなんて姫ちゃんも因果な運命だよな──」
 説明口調で滔々と語るセバスチャンに、明彦は肩をすくめた。
「同情は禁物よ、明彦。克姫には克姫の、そしてあたしたちにはあたしたちの役割があって、そのどちらかが欠けても裏『退魔の儀』は成立しないのだから」
 城姫神社の「巫女」の血筋に課せられた、真の役割。それは自らの “気” によって怪異なす魑魅魍魎を呼び寄せ、「滅する」ことができるよう具現化させること。
 しかしそれは、より一層の怪異を招くかもしれない諸刃の剣でもあるのだ。
「重々承知しております。ですが……いえ、なればこそお二人には、今まで通りお嬢さまの良きご学友でいていただきたいと」
「……もちろんよ、セバスチャン」
 頼子の表情が、少し緩んだ。
「セバスチャンさんに念をおされなくても、俺も頼子も姫ちゃんの友だちのつもりですよ」
 今までも、そしてこれからも──
「ありがとうございます、頼子さま、明彦さま」
 黒衣の老執事はもう一度、二人に向かって一礼した。

 この世界は微妙なバランスの元、かろうじて成り立っている。
 人知れず、あるいは自ら自覚することなくそれを守っている者たちがいることを忘れてはならない……

「それにしても由香里さん……克姫の親父さんが、まさか一年も経たずにオトコに転んじゃうとはね……」
「わたくしめも計算違いでございました。いずれそうなる可能性はあったにせよ、こうも早々とリタイアされてしまうとは──」
 二十歳以上も若返られたのが原因でしょうか? と首をかしげるセバスチャンであった。










「──とはいえ、ものは考えようでございますな。……先代様のお子様に、克姫お嬢さまの次の代の巫女様になっていただけばよいのですから」
「おいおい……」

(おまけのおしまい)

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