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シ ャ ウ ト !
- S t a r g a z e r s    D i s c   1 -

作:石積ナラ




////////////Track1 スターゲイザー////////////


 9月中旬。
 警察署、落し物窓口。
「はい、ご本人様確認できるもの、何か持ってますかー?」
 すごく投げやりな口調、言葉で、落とし物係の警察官は、僕に尋ねた。こういう、やる気のない態度で窓口に立つのは本当にやめてもらいたい。コンビニやデパートの店員、郵便局の局員を是非見習ってほしいところだけれど、まぁ、今日日(きょうび)の警察官はこんなものだろう。
 とりあえず、通っている高校の学生証でいいだろう。僕は、制服のブレザーのポケットから、それを取り出す。
「これでいいですか?」
「………… ……はい、玄藤悠介(げんとう ゆうすけ)さん、17歳。確認できました。これが、きみが半年前に拾った落し物です。持ち主が現れなかったので、あなたのものとなります。ここに、拇印を」
 すると、その警察官の背後、窓口の向こうから、「なにっ、ぼいんだとっ!?」という声が聞こえてくる。客が来ているところでそう言ういかがわしいツッコミはやめてほしい。教室の片隅に集まって『Y談』する高校生でもあるまいし。


 ここ、海に面する町、神奈川県詩ノ月(うたのつき)町。
 どこにでもあるような普通の町。都会のようにビルばかりが密集しているわけではなく、かと言って田畑や古めかしい民家ばかり立ち並ぶ田舎町というわけでもなく、……いや、活気のいい声が響き渡り、昔ながらの古い商店街が線路沿いに続く、どちらかと言うと田舎町に近い、そんな町。
 この町の名物のようなものは、特にない。あって、夏に、ちょうど今のような時期に、たくさんの遊泳客で海がにぎわうこと。当然、商店街や、メインストリートに立ち並ぶお店には、内陸から訪れたたくさんの客が訪れ、浜辺では海の家がいくつも並ぶ。夏休みが終わった今、そろそろ海で遊ぶ人たちも、いなくなり始めている。
 僕は1年半前、この町に高校進学とともに引っ越してきた。最初は不安だらけだったけれど、この町の人たちはみんな元気であたたかく、よそ者の僕を快く迎え入れてくれた。住まいは商店街の近くにあるため、食生活には困らない。大きな事件も、喧騒もない、とても静かで、だけどにぎやかで、平和な町。
 僕は、この町の空気が、大好きだ。


「いっけねぇ!」
 警察から帰る途中、僕は、学校に忘れ物をしてしまったことに気がつき、その場でUターン、大きな交差点を東側に折れて、さっき下校したばかりの高校に戻る。
 僕が通う公立高校、『神奈川県立詩ノ月高等学校』。去年、創立50周年を迎えた、伝統ある学校。つまり僕たちは創立50周年を記念する入学生であり、卒業するときもその記念を卒業証書に刻まれ、卒業することだろう。
 校舎は、敷地の北に正門を設け、その正門をくぐって右手(西側)に屋根つきの駐輪場、その反対側に学年やクラスで区画分けされた広い駐輪場がある。駐車場は、屋根つきの駐輪場のそばに、来客用および教員用がある。
 正門をくぐってまっすぐ行くと、漢数字の『二』の字に並んだ校舎がある。共に4階建てで、1階のみ外にさらされたコンクリートの廊下、2階以上は空中廊下で、つながっている。正門から向かって手前がA棟、奥がB棟。
 また、A塔の東側には体育館があり、体育館の屋上にはプールが設備されている。校舎と体育館の東側に校庭があり、大きなトラック、ネットで仕切られた3つの小さなコートがある。
 小さなコートでは、ゴールやネットなどの設備を取り替えることで、フットサル、ミニバスケットボール、ハンドボール、バレーボール、テニスなどができる。曜日によって、このコートはどの部活が使うかで設備のセッティングが変わっている。


 さて、僕が向かったのは、特別教室が多いA棟の4階、視聴覚室。
 ここは、ゆるやかな坂にそってゆるやかな()状になっているひな壇の長机に、教壇の壁にはスクリーン、それに映像を映すための映写機と映写室、キャスター付きのホワイトボード、そして真っ黒な遮光カーテンといった設備となっている。英語の授業で字幕の映画を視聴するほか、社会科では海外の歴史や風習といったもののビデオを見たりするために使っている。
 また、ここは僕ら、軽音楽部の部室でもある。僕がドアを開くと、先輩を含む部員のみんなが、まだ活動していた。この日、活動時間の後半に機材を使う権利があったのは、僕がベースとヴォーカルを担当する部内バンド、『Stargazers(スターゲイザー)』だった。
「お? 悠介。帰ったんじゃなかったのか?」
 そう声をかけてくるのは、エレキギターとバンドのムードメーカー担当、堂本翼(どうもと つばさ)。背は高くも低くもなく(どちらかと言うと高く)、アイドルとまでは行かないが顔立ちは整っており、女子からの人気は高い。成績は壊滅的だが、何故か実技系の授業は逆に成績がいい。ムードメーカーだけあって、誰にでも分け隔てなく、明るく接する。
「あぁ、うん。こいつを忘れたんだ」
 僕がそう言って手に取ったのは、教壇から向かって右側の区画、ひな壇の机の最前列にあった、五線譜のルーズリーフと、それをまとめているファイル。それを、メッセンジャーに突っ込み、ふぅ、とため息をついた。
「あーよかった、なくなってなくて」
「出ましたー、うちのリーダーのうっかり!」
 そう声を上げてくるのは、4人組バンドの紅一点、綾瀬瑠美奈(あやせ るみな)。礼儀正しく、成績も優秀、先生からの評価も高い。かと言ってお嬢様のようなおとなしい性格ではなく、むしろ小学生の男の子よりも元気な元気少女だ。夏にもかかわらず白い長袖ジャケットをまとい、スペーステイストのワッペンをいくつも貼り付けている、校則違反上等のちょっとした変わり者。
「あははは…… 警察に呼ばれててさ、そのことでちょっとうんざりしてて、忘れちまった」
「えー? ゆーくん、何かやらかしたの? ベースで人を殴ったとか、騒音問題で訴えられたとか、自慢の声で女の子をたぶらかして世の男どもから反感買ったとか?」
「いや、そんなことは断じてありえない……」
「待てよ? それすら通り越して、女の子に手を出した。上は奥様から、下はロリ」
「あるか! ……あぁ、一旦下校した身だけど、あと15分、練習に付き合うよ。ベースのアンプ、誰も使ってない?」
 そう言って、背中に背負っているベースをソフトケースから取り出していると、教壇の上からかかってくる声があった。
「そうだな。俺たちの演奏に関して、玄藤の意見も聞きたい」
 ドラムセットの向こう側の椅子に座るのは、寡黙なイケメン、榎園航太(えぞの こうた)。バンドどころか部内で一番背が高く、染めていない金髪に海のような深い碧眼を持つ。それもそのはず、航太の母親はイギリス人らしく、航太自身も英語を話すことができる。
「おっけー? じゃあ悪い、翼。僕と一緒に、スピーカーとアンプとマイク、セットしてくれる? 時間がないから、今日は『はじまりのステラ』を、2回ずつだ!」


 僕たちのバンド、スターゲイザーは、軽音楽部で唯一のバンド。メンバーは、僕=玄藤悠介(Vo&Ba)、堂本翼(Gt)、綾瀬瑠美奈(Key)、榎園航太(Dr)の4人。僕がメンバーを募集し、翼と航太が応募してくれた経緯があって、僕がリーダーをやっている。
 余談だが、このバンドは一応ビジュアル系を名乗っている。とは言っても、暗い雰囲気に妖しく美しいメロディーが印象的な、『これぞ』と言ったビジュアル系とは違って、あるコンセプトが、このバンドにはある。
 このバンドのコンセプト。それは、宇宙や夜空をテーマに、人々に夢とロマンを見せるような、そんな曲を作ること。そして衣装も、今、瑠美奈が着ているような、宇宙服などをモチーフとしたものを、服飾部に依頼して作ってもらっている。瑠美奈のこのジャケットは、オリジナルリフォームの作品らしい。
 そして、僕らが1年生の頃に結成したこの部内バンド、スターゲイザーは、学校の中だけではない、外でも、できるだけ多くの実績を残してきた。学校の外の活動のほとんどが、学生を中心としたバンドを応援する企業、『ガクセイサウンド』に登録しての、ライブハウスでの活動だった。


 部活動終了後。
 全員で機材を片付け、先輩や他の部員たちにもお礼と挨拶をし、僕らは下校した。
 駐輪場でそれぞれの自転車を取り、校門前に再度集合。これからファストフードか、ボーリングか、ゲームセンターかという話になる。結局、ハンバーガー屋に決まった。僕だけ先に下校するはずだったが、せっかく合流したので、僕もそれに付き合うことに。
「ところでさぁ」
 窓際の席、僕がハンバーガーをついばんでいるところに、翼が聞いてきた。
「お前が引き取るようにって言われた落し物。それ、何だったの?」
「あぁ。メガネだよ。とてもシンプルなメガネ」
 そう言って、僕はハンバーガーを置き、カバンの中からあるものを取り出した。
 それは、茶色の革製のメガネケース。使い古された革製のカバンや財布、ベルトのように、もともとはもっと明るい色合いだっただろうけれど、それはもうすっかり色と味が出ている。
 それを開いて出てきたのは、銀色のフレームのメガネ。度は少し入っており、耳に引っ掛ける部分(テンプル)には、何かしらの模様か文字が刻まれている。文字のようだが、アルファベットやロシア文字、アラビア文字などではなさそうだ。レンズを囲む縁(リム)をつなぐ部分(ブリッジ)はやや太く、リムはレンズの下半分しか覆っていない、ハーフリムタイプ。
 これを見た瑠美奈は、ため息をついて、素直そうな感想を口にした。
「うっわぁ〜〜〜! シンプルなのにすごく高そう。文字の彫刻も綺麗だし。これを落とした人、すごくもったいない〜!」
「んじゃあ、あげる?」
「いっ! いいよいいよ、こんな高そうなもの。将来、ゆーくんが目を悪くしたときにでも使いなよ。まぁ、目は悪くしないに越したことはないけどさ」
 そう。目を悪くしてはいけないと、子どもの頃から母親に言われ続けていた。今のご時世、携帯電話なら仕方ないとしても、パソコンやテレビ画面から常に出ているブルーライトには気をつけ、顔を近づけすぎての読書や勉強、暗い場所でのテレビの視聴はやめろと言われている。まぁでも、寝る前に軽く携帯電話でメールのやり取りやネットサーフィンするときもあるけれど。
 僕はメガネケースをたたみ、カバンにしまった。
「それでさ、話は変わるけど、新しい曲を作ってみたんだ。みんなに見てほしくて。あと、曲の調整に瑠美奈にも協力してもらいたいんだけど……」


 その時、僕は当然、知る由もなかった。
 このメガネに、大きな秘密が宿されていることを。そしてその秘密は思いがけない出来事を起こし、僕たちの未来を大きく変えてゆくことを。


 高校2年生の、秋のはじまり。  僕ら『スターゲイザー』の、不思議な音楽活動が、幕を開ける。



////////////Track2 不思議のメガネ////////////


 その日の晩。
 住宅団地(地区という意味で)に位置するマンション、ムーンフェイズ2号館。
 ここは、ムーンフェイスブランドの第2物件らしく、全てがワンルーム。某レレレさんが宣伝しているような、必要に応じた家具家電が最初から常備されているわけではないが、物件の一部として設計された、寝台の下に収納のあるベッドがあり、家具では唯一、冷蔵庫(冷凍庫付き)が最初からついてきていた。
 僕は玄関を開け、玄関のランプをつける。そこに、先程スーパーマーケットで買ってきた食材をどさりと置き、靴を脱ぎ、郵便受けの中を確かめる。郵便物は、何もない。あって大抵が、光熱費と上下水道代の請求書なのだけれど。
 食材を冷蔵庫に片付け、カバンとベースケースを床に置く。散らかった床を何とか片付ける。資源ゴミ、プラスチックゴミ、一般ゴミ。もちろん資源ごみも、ビンと缶、ダンボールに分別。それらが済むと、軽く掃除機をかける。掃除は面倒だが、バンド仲間が来ることもあるので、掃除に手を抜くことはできない。
「さーって、本日の晩ご飯は?」
 ジャンケン主婦みたいなことを言いながら、わざと出しっぱなしにしてある食材に手をつけ、晩ご飯を作る。この日のメニューは、五目野菜炒めと、海鮮チャーハン。ひとつしかないIHヒーターを順番に使い、程なくして、親に仕込まれた炒め物が完成した。
 味は、まぁまぁだった。


 机の上に設置してある液晶テレビでアニメを見て、さぁ勉強に取り掛かろうとする。
 今日、授業で教わったところを軽く復習しようとした時、それを目にした。
「……メガネかぁ」
 拾ったそれを警察に届けを出し、持ち主が現れなかったことで僕のものとなってしまった、不思議なメガネ。シンプルでありながら、ケースと共に高級感があり、テンプルには見たことのない文字が刻まれている。少しだけ度が入っており、目が悪くない僕には、無用の長物。
 でも、どうしたことか。
 僕はそのケースを開き、メガネを見つめる。
「伊達メガネとして使えば、似合うかなぁ……?」
 カバンの中から、エチケットポーチを取り出し、そこから鏡を取り出す。中学までの、いや、バンドを組む前の僕だったらそんなものは使っていなかったけれど、翼曰く「ビジュアルバンドなんだからな。プライベートだろうと何だろうと、ルックスには気を使えよ」と言われ、今では愛用している。
 ポーチの中には他にも、スキンケア用品、リップスティック、ワックス(リンゴの香りがする)、マッサージローラー、毛先を調えるハサミ、香水を取り分けた小さなスプレー、制汗スプレーなどなど…… 完全に女子の持ち物だ(僕主観)。
 カバーがスタンドにも変身する鏡を机の上に置き、僕自身の顔を映し出す。そして、開いたままのケースからメガネを取り出し、上下を確認して、かけてみる。
「うおぉ…… くらっとする」
 ピントが一瞬歪み、その歪みを調整するまでに少し頭痛がする。郵便局にあったメガネをかけたときと同じ感覚だ。興味本位であんなことをするものではない。
 よく見える、鏡に映った僕の顔。……うん、悪くない。本当に目が悪くなったときにこれをかけるのも、いいかもしれない。そんな日が来ないことが、一番いいのだけれど。
 試しに、部屋を見渡してみる。近くのものは鮮明に見えるのに、遠くのもの、たとえば部屋の片隅にある掃除機や、取り込んだ洗濯物をかけているハンガーラックなどの像が、ハッキリしない。ハンガーにかけた服の、胸部にあるプリントも、何が書いてあるのかさっぱり分からない。玄関を見渡すと、靴があるのかないのかも分からない。
「うん。遠くのものは見えないけど、近くのものはよく見える。これは、勉強するときやマンガを読むときに使えるな。目が疲れてきたとき限定」
 もう一度鏡を見て、意外と僕に似合っているメガネを取ろうとする。メガネに両手を添え、テンプルを指先でなぞり、外そうと思った、その時だ。
「え……?」
 突然のことだった。
 頭を強く殴られたかのような、だが痛みのない、不思議なショックに襲われる。そして僕はそのまま、バランスを失い、足をもつれさせ、部屋のど真ん中に倒れてしまった。部屋の蛍光灯はついているのに、目の前は完全に真っ暗になってしまった。


「………… ……っ。うぅぅ……っ!」
 気がつくと、頭に少し鈍い痛みを感じる。
 そして、思い出した。メガネを外そうとしたあの瞬間、僕は頭痛に襲われて倒れたのだ。
 ――あらら、大丈夫? 貧血? それとも栄養の不足?
 ――どうでもいいけど、病気とかは勘弁だよ。
 よいしょっ。ちょっとだけ足に力を込めて、僕は立ち上がる。
 まだバランスが変だ。僕は少しふらふらとしたあと壁に手を突き、何とかバランスを取り直す。壁から手を離したあとも、まだちょっと変だ。
「んもぅ。わたし、どのくらい倒れてたんだろぉ…… ん?」
 僕は気付いた。
 声が、変だ。まるでアニメ声じゃないか。それも女性の。
「あれ? 声が…… えっ? えっ!? どゆこと!?」
 のどに、両手をあてがう。その時、僕はあることに気がついた。
 まず、のどからごつごつした部分、たぶんのど仏が消えていること。すらっとしたラインを描き、あごから鎖骨の間のくぼみまで、固いものがない。
 次に、のどに手を伸ばした両腕の内側に、あたたかくやわらかい、低反発枕のような感触を覚える。僕は枕なんて抱いていない。そして、腕で枕を押し潰す感覚どころか、僕の体そのものが押し潰されるような、ありえない感覚まで感じる。
 そして僕は、あごを引き、思い切りその下を見やる。
「う…… う……! うそでしょぉぉぉぉぉぉおおお!?」
 そこにあったのは、ふくらみ。
 間違っていなかったら、女性の、その、乳房?
 確かめるため、触ってみることにした。するとどうだろう、手が触っている感覚を感じるのはもちろん、ありえないことに、男にあるはずのない乳房が触られているという確かな感触も感じるのだ。
「やっ、やっぱり、わたしの体の一部だ。うわぁ、おっぱいだ…… って、『わたし』!?」
 更に気付いた。僕は先程から、言葉遣いが柔らかくなって、一人称が「わたし」になっている。僕は、僕自身の意識では僕のことを「僕」と呼んでいるのに、どうして勝手に補正されてしまうのか。
 ――そうだ。試しに、自分のことを「僕」と呼んでみよう。
「えっ、ええと、わたっ、ぼっ、ぼく、は…… ぼくわっ! 玄藤はるかですっ…… って、はぁ!?」
 自己紹介風にしてみようと思ったら、今度はどうした。
 はるか?
 玄藤はるか!?
「うっ、ウソでしょ……?」
 ――頭痛がしたかと思ったら、目が覚めたら女の子になってました? 冗談じゃないよ。
 ――おっぱいがある、声が高い、わたしを「僕」って呼べない、しかも「玄藤はるか」ぁ?
 ――ありえない。こんなの、絶対にありえない!
 僕は、収納付きベッドの階段を上がり、その真ん中のあたりで振り返って、布団に腰掛ける。頭を抱えると、少し髪が長くなっているのが分かった。何度かその髪を顔の前に持ってきては、ガシャガシャと頭全体をかき乱した。
 ――悪夢だよ、絶対に悪夢だよぉ……!
 そして、僕は更にもうふたつのことに気付く。
 まず、僕が自然と内股になっていること。太腿から膝にかけて、ぴっちりと閉じている。そして両足も、真正面から見れば三角形を描くように、内股になっているはず。いつもなら、座るときは大抵、余程気を使うシーンでなければがに股なのに。
 そして、男性にあるべき存在とその感覚がないこと。僕はそれを、バッと手を伸ばして確かめようとした。だが今度は、それをじかに触ることをためらい、軽く太腿をすり合わせて、確かめた。そこには、あるはずのもの、今日に至るまでずっと感覚も存在も共有してきたものが、なかった。
 ――ない、ない、ない……!
 それに比べて、上半身には。
 ――あるし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?


 140文字つぶやきを開き、この現状を報告しようとした。
 ――気を失って、目が覚めたら、女の子になってたなう。
「って、そんなこと、書けるわけがないじゃなぁーいっ!」
 何の作業もしないまま、パソコンを閉じた。
 ――落ち着きなさい、玄藤はるか。……じゃないない、玄藤悠介。
 ――どうしてこうなったのか、原因があるはず。それを突き止めなきゃ。
 ――今までこんなことなんてなかった。どうして急に、こんなことが……
 まさか!
 原因があるとすれば、たったひとつ。
「この、メガネ!」
 僕は、机の上に置いたままの小さな鏡を見た。
 そこに映っているのは、短いポニーテールと、やはり短いもみ上げの、黒髪の美少女。メガネをずらしても、パッチリと大きな目が印象的。頭のシルエットは卵型で、童顔。唇は桜色と、とてもかわいい。
 そして髪を結っているのは、白地に水色のラインが織り交ぜられ、細い金色のラインが少しだけ色合いと豪華さを出している、チェック模様のリボン。綺麗な蝶結びだった。リボンそのものも、また結い方も、かなり大きめだったので、そのうちポニーテールを連れてそのまま羽ばたいていってしまいそうだ。
「うわぁ。わたしって、かわいいなぁ〜〜〜…… って、今のナルシストみたいじゃない!」
 ナルじゃない、僕は絶対にナルじゃない!
 ――とにかく、このメガネだ。外せばきっと、元に戻る!
 ――えいっ! どうだ!?
 ……でも。
 どうしたことか、戻らない。
 鏡の向こうには相変わらず美少女が映っており、下を見下ろせばふくよかな風船がふたつ存在する。
「えっ? えっ!? どうして!? どうしてわたし、戻らないの!?」
 わけも分からず、部屋を見回してみる。するとどうだろう。先程、気絶する前にメガネをかけてすぐのときのように、遠くのものがぼんやりする。そしてもう1度メガネをかけると、今度はよく見える。
 ――あー、つまりこういうことかぁ。
 ――このメガネの不思議な力で、わたしは視力の低い女の子になっちゃったわけだ。
 ――でも、どうにかして戻りたい。戻らなきゃ。明日からの学校生活、どうするの〜!?



////////////Track3 文化祭に向けて////////////


 ……翌日。
「おーい、お前大丈夫か?」
 電話越しに、翼の声が聞こえる。どうやら朝練のために、視聴覚室で楽器の準備をしているようだ。向こうから、バタンバタンと、航太がドラムを叩く音が聞こえる。
「うぅん、大丈(だいじょ)ばない。しっかり、がっつり、風邪引いた……」
「声も酷いしなぁ。分かった、ちゃんと休めよ、はるか。お前がヴォーカルでリーダーなんだからな」
「うん、わかってる〜……」
「そんならいいけど。じゃあ、お大事にな。先生にはオレから言っておく」
 すると、通話を切ろうとした翼の電話(やつはスマートフォンだ。以前、うらやましい、近未来的でハイテクそうだと言ったら、逆に使いづらさと不慣れもある、と返されたこともある)を取り返す人がいたようだ。多分、これは。
「やっほー、はるちー。風邪引いちゃったんだって?」
 やはり、瑠美奈だ。
「う、うん……」
「そっかぁ。はるちーがいないと寂しいけど、うちらはうちらでがんばるよ。放課後、みんなでお見舞いに行くね。じゃあ、お大事に〜。バイビー!」
 そして、僕がありがとうと返す前に、向こうから通話を切ってしまった。
 お礼のひと言、言わせてよ。
 あと、何? 僕の名前がはるかだから、はるちー?
 僕の体だけじゃなくて、バンドのみんなの認識まで変えられていたようだ……




 実は、昨晩のこと。
 どうすれば、あのメガネにかけられた魔法を解くことができるのだろうと、僕はずっと考えていた。しかし、どれだけ考えても答えにたどり着けないので、とうとう匙を投げて、お風呂に入ることにする。
 お風呂と言っても、僕はひとり暮らしなので、浴槽も小さいこの物件では、湯船にお湯を張ったことはない。それなのに、ユニットバスを開けば、何と、短時間でお湯をクリーニングし、更に沸かしてくれる、ものすごく便利な機械が、設置されていた。
 ――わ〜ぉ、至れり尽くせり。
 ――久しぶりのお風呂、楽しんじゃおうかなぁ。
 ……と最初は思ったが、楽しむどころではなかった。
 体にお湯をかけ、その際に両足を含む体の局部(具体的な箇所は伏せる)を洗い、それがあまりに恥ずかしかったため、すぐに湯船でその恥ずかしさを振り払った。でも、いつまでもそうしていたらのぼせてしまう。仕方なく、湯船から出て体を洗うことに。
 スポンジに天然素材の石鹸を取り、泡を立て、体を洗う。もちろん、いやでも男には縁のない部分に触れなければならない。見ないように目をつぶったが、それがまた逆効果。情報を得るためのものが聴覚と触覚しかないため、その両方が鋭くなり、触っている、触られているという感覚が敏感になってきた。
 そして、とうとう。
 ――どきどき、どきどき……!
 男女の決定的な差のあるところに、スポンジをあてがう。
「ひぅ!?」
 ……その先のことは覚えていない。風呂場の床に寝そべったまま目を覚ましたときには、とっくのとうに朝であり、頭がガンガンと痛んでいた。




 その一週間後。
 僕は学校に、そしてバンドにも復帰した。
 僕はあの日から、ずっと女の子として暮らしている。戸惑いはたくさんあった。自分自身のことなのに分からないこともあった。それでも、電話越しにバンドのみんなに励まされ、支えられ、僕は何とか、落ち着きを取り戻した。挙動不審なこともたまにあったけれど、みんなは、ただの病み上がりによる不調だということで納得してくれたらしい。
「よっしゃー! 今日も大音量轟かせていこう!」
 僕の掛け声に、みんなも大声で、拳を掲げる。
「まずは、『はじまりのステラ』を2回。終わったら、いさなちゃんに機材を渡して、わたしが先週みんなに見せた新曲をパート練習。これでどうかな?」
 特に意見もなく、僕の提案で、今日の活動は決定した。


 あのメガネによって変えられた、僕の身の回りのこと。
 僕の性別ばかりではない。名前も、持ち物も、学生証に書かれた各欄も、全てが変わっていた。
 教科書やノートには、名前の欄に書かれているはずの僕の名前が『玄藤(はるか)』になっていた。学生証も確かめてみると、名前、性別欄が書き換えられ、顔写真も、リボンでくくったロングへア、女子用のブレザーに赤いリボンタイといった具合になっている。
 無意識で自分の一人称を訂正することはできず、言葉遣いやアクセント、イントネーションなども、女の子っぽくなっていた。ノートに書く文字は、自分で書いていて頭を抱えるほど、丸っこく可愛らしくなった。
 バンド仲間ばかりではなく、クラスメイトや先生たち、果てには東京の実家にいる家族まで、僕のことを、生まれたときから女だった、玄藤はるかだったと認識している。140文字つぶやきサイトのアカウントは、あまり変化なし。プロフィール欄に性別を示す項目はない。ただし、すべての書き込みが「僕」から「わたし」になっていたのには、軽く頭が痛くなった。
 メガネの謎は、まだ解けない。どうすればこのメガネにかけられた魔法を解くことができるのだろう。僕としては、1日でも早く、男に戻りたいのだけれど。


 ところで、この軽音楽部に存在する部内バンドは、僕ら、スターゲイザーひと組のみ。他に活動しているのは、ソロで活動している1年生の女子、『ISANA(イサナ)』こと海棠勇魚(かいどう いさな)と、彼女の曲の打ち込み音源のプログラミングや音響機器などを手がけるシーケンサー担当にして、現役厨弐病患者、自称『勇者』のソティラス。いっそユニット組めばいいのに、と思うのだが、あくまで外部協力、というのがソティラスのポリシーなのだそうな。
 ちなみにソティラスは、本名を教えてくれない。彼女曰く、「真名(まな)を知られることは勇者としての力を失うことに等しい」とのこと。よく、そこまで凝った設定を考えられるものだ J(´−`)し 。
 あともうひとり、長野藍(ながの あい)という、眼光が鋭く不良のような外見の、3年生の先輩がいる。言葉遣いもぶっきらぼうで近寄りがたい雰囲気があるが、話してみると意外といい人で、時折見せる笑顔は男も虜にするクールなもの。作曲はできるが極度の楽器音痴。バンドネオンというドイツ発祥の古風な楽器が大好きな妹さんがいるらしい。
 このように、我が詩ノ月高等学校軽音楽部の在籍者数は、僕らスターゲイザーを含め、たった7人という少人数で成り立っている。その少人数の割には、先生方も感心してくれるくらい、校内外でいろんな活動実績を残しているのだ。


 通しが終わり、僕たちは機材からケーブルを抜き、休憩に入る。待ってましたとばかりに、いさなが、ピックアップ付きアコースティックギターを機材につないでゆく。もちろん、先輩である僕らには、ちゃんと断って。
 僕は持参の水筒を、カバンから取り出す。キャップをひねり、呑口に唇を当てようとすると、翼と瑠美奈が声をかけてきた。
「へぇ〜。はるちー、そのメガネ使うことにしたんだ。コンタクトも悪くないけど、メガネの方が断然かわいいね」
「えっ? えっと、あ、うん…… ありがと……」
 僕としては、かわいいよりもカッコいいって言ってほしいところだけど、体が女の子では、やっぱりかわいいって言われた方がいい。いや、僕がそう言われたいのではなく、バンドメンバーとして恥ずかしくないように、自分の評価は守っておきたい。
 そこに、翼が割って入ってきた。
「んー、そうだな。確かにかわいいな。でも、シンプルなメガネよりも、もっと弩派手でロックなメガネの方が似合うんじゃないのか? バンドの花形なんだしさ」
「え〜? そんなことないよ。逆にゴチャゴチャし過ぎるとカッコ悪いよ。このくらいシンプルな方が、メガネ萌え満点だし、パンク服着ても服の派手さを侵食することもないから、いいの」
「そうかな? ま、それはあとで、商店街に行ってみて、検証するだけだな」
 瑠美奈と翼が、僕がかけている魔法のメガネに関して、言いたい放題言っている。僕はこのメガネに、いろいろと困らされているわけだけれど。性別どころか言葉遣いも名前も、世界そのものも変えられたし、視力が落ちてメガネがないと遠くが見えないし。
 ――検証? しなくていい、絶対にしなくていい。
 僕はメガネをたたみ、それをケースにしまって、コンタクトレンズを取り出した。『はるかの世界』では、僕は低い視力の補正にコンタクトを使っているらしく、机の引き出しにしまわれていた。
「やっぱり、こっちにする……」
「えー!? せっかく似合ってたのに。ね、もう1回かけてよ、メガネ。ね? ね!?」
「ぶー……」
 結局、瑠美奈の必死の妨害で、コンタクトレンズはつけさせてもらえなかった。


 部活動終了後。
 僕たちは、文化祭に関する会議のために、1週間ぶりにあのハンバーガーショップに訪れていた。今度は、いさなとソティラスも一緒だ。僕たちは思い思いのセットメニューを頼み、6人がけのシート席に持ってゆく。
 集まった目的は、ただ駄弁るためではない。来たる10月半ば、多くの学校がそうであるように、僕たちの高校でも文化祭が開催される。そのための資料を、僕はカバンから取り出した。
「というわけで」
 僕はいちご味のシェイクをストローでかき混ぜ、ちゅー、と少しだけ吸うと、バンドや部活動に関することをまとめたファイルを開き、ペンを手にした。
「今度の文化祭では、わたしたちスターゲイザーといさなちゃんが、合同でステージプログラムのひと枠をもらったから、こんな感じで行こう。
 わたしたちスターゲイザーは、前半、持ち歌の『はじまりのステラ』と、今回の新曲を発表。そしていさなちゃんの番になったら、ソティラスがそのとなりでプログラム音源を流し、わたしたちはそのメロディーに合わせてバックを担当。
 ともに2曲ずつ発表する予定だから、時間はあまりムダにできない。ステージの切り返しのときには、すでに機材の調整ができていて、あと演奏するばかりにしよう。ステージ上のMCもできるだけ短くね」
 そこに、いさなが手を挙げた。僕がどうぞと言うと、デコレーションパフェを置き、言った。
「視聴覚室でのアトラクションについて、まだ決まってないと思うんですけど…… あと、去年やったみたいな物販コーナー、今年もやるんですか?」
「あっ、それね。今年は、1日目に蓄音機などの手作り音響機器の展示、2日目にミニライブをやる予定。物販では、ピック型ロゴ入りオリジナルストラップ、同じくロゴ入りオリジナルグラス、それからCDを販売するかな。……あれ? でも、それを知ってるってことは、いさなちゃん、去年のこの学校の文化祭に来てた?」
「はい。玄藤先輩たちのスターゲイザーと、あと、『エクスタシー』っていうバンドのCDを、1枚ずつ買いました。スターゲイザーの演奏を聞いて、それにすごく惚れて、あたし、軽音楽部への入部を決めたんです!」
 彼女が言った、エクスタシー。僕たちと同じビジュアル系だが、衣装や化粧の派手さがいろいろとハンパではなく、曲調も暗い雰囲気に煌びやかな音色、抽象的な歌詞という、ひと昔前の『これぞビジュアル系』という雰囲気のバンド。特にヴォーカルのトワイライト・エイジ先輩は、下手すれば『似合わない女装』だった……
「わぉ! それはうれしいなー! それで、どうだったかな……?」
スターゲイザー(はるかせんぱい)の曲は、夢があふれてて素敵ですね。エクスタシーには悪いですが、こう、メイクや音楽性が、時代錯誤のような……」
「わ、わたしも、そう思ったよ……」
「えっと、まぁ、曲はそれなりに悪くなかったですけど」
 あぁ、フォローね、その言葉。
 そこに、ソティラスが言った。
「ところで玄藤旅団長(りょだんちょう)。そのオリジナルグラスは、如何(どのよう)にしてお作りになるのですか?」
 うわぁ、口調まで時代がかっているというか、この厨弐病患者は。
 僕は再びシェイクを口にし、答えた。
「グラスそのものは雑貨屋で買ってきて、模様つけは美術室の設備を借りるんだよ。この学校でも、美術準備室にはそれなりの設備があったみたいだし。それにわたし、中学のときにサンドブラストの授業で作ったグラスが、地区のコンテストで優秀作品に選ばれたことがあるんだから。これはちょっとした自慢かな?」
「それは素晴らしい。是非、我も一度見てみたいものです」
「うん。完成したら1個、ソティラスにもあげるね」
 すると、勇者とは思えないあどけない笑顔で、ソティラスは喜んでくれた。何だかんだ言いながらも、彼女もひとりの女の子だった。
 そして、それぞれのハンバーガーやサンドイッチ、飲み物がなくなると、会議を終えた。


 店を出て。
 いさなとソティラスと別れ、僕ら4人は、ふたつのグループに分かれた。
 どちらも買出しなのだが、僕と翼は雑貨屋と100円ショップ、瑠美奈と航太は楽器屋とクラフトショップいった具合。
 雑貨屋で買うのは、ストラップ用の紐。100円ショップで購入するのは、グラスのみ。事前にお店にまとめ買いの予約はしてあるので、買出しに行ったものの在庫不足で必要数が買えないということも、突然グラスを大量に掻っ攫ってお店の人を戸惑わせることもないはず。
 瑠美奈たちに楽器屋とクラフトショップで調達してほしいものは、ハードタイプのピックと、僕たちが使うライブ用のピック、絃などの消耗品、そして手作りデカール専用フィルム。ピックとフィルムも予約済みで、こちらもピック型ストラップの材料だ。
 僕たちは、まずは雑貨屋でストラップを購入したあと、100円ショップへ。僕たちの顔を見るなり、綺麗なシャツとスラックスの上に店のロゴ入りエプロンという女性が、にこやかに挨拶してきた。多分、店長や責任者クラスの偉い人だろう。
「詩ノ月高校軽音楽部様でいらっしゃいますね? お待ちしておりました。お品物はご用意してありますので、こちらへ」
「あっ、あのグラスを、あと6つ追加でお願いします!」
 財布からお金を取り出し、グラス31個分の代金を支払う。領収書を出してもらうとき、僕はこんな断りを入れた。
「ありがとうございます。31点で、3255円、頂戴いたします」
「ええと、グラスは25個分で、領収書を出してもらっていいですか?」
「あ、はい、かしこまりました」
 実は、先程の会議でこんなやり取りがあった。
 ――「ねぇ。今度出す物販のオリジナルグラスだけど、わたしたちの分の記念グラスも作らない? もちろん、全員賛成、そして、各自100円負担してくれることを了承してくれたら、だけどさ?」
 というわけで、このお会計が示すとおり、みんなが賛成してくれた。
 会計済みのカゴを、荷物をつめるための台に運び、厚紙の箱に梱包されたグラスを、ふたつのビニール袋に均等に分けてゆく。……うん、こんなに個数あると、15個でも結構重い。
「翼、悪いけど半分持ってくれる?」
「いや、オレが両方持つよ」
 そう言うと、翼は僕の手からもうひとつのビニール袋も取り、両手にひとつずつ、ビニール袋を持った。
「えっ、悪いよ。ひとつ持つよ」
「いいって。お前、ベースだろ?」
「そうだけど、それがどう関係あるの?」
「ベースはギターよりも重いからな。そんな荷物を背負ってて、しかも病み上がりに、片方でも重い荷物なんて持たせらんねぇだろ。それに、お前はバンドの花形なんだから、手は大事にしろって」
「あ、う、うん…… でも、やっぱりこれも部活動なんだし、翼だってキターでしょうが!」
「いいからいいから。さ、買うもの買ったし、帰るぞ?」
「あ、ありがと……」


 団地の近くの交差点で、僕たちは別れた。
「じゃあな、はるか。また明日、学校で!」
「うん。今日はありがと! じゃあね!」
 僕はベースケースを揺さぶり、翼に手を振って、別れを告げた。翼が回れ右をして帰り道についたのを見送ると、僕も団地の方に向かって、歩き出した。
 そしてその間、僕は、買出しに出ている間の翼の表情を、思い返していた。
 ――へぇ〜…… 翼が女の子に向ける顔って、あんななんだ。
 ――いつもなら男同士で対等な立場だから、あんな表情を見られたのは新鮮だったかな。
 ――手を大事にしろ、かぁ。いつもだったら言わない台詞だよね。
 ――えへへ。ちょっとうれしかったかな。
 僕は、自分の左手を見つめる。
 弦楽器を使い込んでできた、指先のタコ。何度も腫れあがり、マメが潰れ、そのたびに絆創膏を貼ってまでベースを弾き続けてきた、僕の左手。挫折して楽器を投げ出したときには、そのマメも自然と消え、ゼロから鍛えなおして、今ではここまで成長した。
 僕が鍛え上げたタコは、女の子になった今でもちゃんと受け継がれているようで、とてもよかった。文化祭が差し迫っているというのに、女の子になったせいでまた鍛えなおさなければいけなくなるのは、勘弁してほしい。


 そして、そこまで思って、僕は、あることに気付いた。


 ――女の子?
 ――今、わたしは自分のこと、女の子として自覚しちゃってる!?
 ――って言うか、そのことを楽しんでる!?
 ありえない、ありえない! 絶対にありえない!
 女の子である自分を楽しんでいる。女の子として見られて喜んでいる自分がいる。
 つい1週間前まで男だった僕が、この状況を受け入れている。
 ――そ、そう言えば……
 先程、ハンバーガーショップでも、自然にいちご味のシェイクを頼んでいた。いつもの僕ならブラックコーヒーを頼んでいたはずなのに。それに、いさなのこともそうだ。いさなのことはいつも「海棠」と呼び捨てにするはずなのに、馴れ馴れしく「いさなちゃん」と呼んでいた。


 ――わたしは、わたしの意図しないところで、自覚しないところで……
 ――女の子に、染まってきてる……!?


 次に目を覚ましたのは、病院だった。
 何でも、僕は近くの電柱に頭を何度も打ち付けて気絶したらしい(近所の人・談)。




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////////////Bonustrack それは桃源郷なのさ!////////////


 詩ノ月高等学校。
 さて、1週間の闘病生活も終わり、僕は学校に復帰した。
 だけど、久しぶりに学校に来て早速、また頭痛を催してしまった。
「あ〜、頭が痛いんだけど……」
 そんな僕を本気で心配してくれる瑠美奈が、机の上に突っ伏している僕に声を掛けてくれた。
「はるちー、また風邪こじらした? 保健室で寝ててもいいんじゃないかな?」
「い、いや、土日挟んだし、元気そのもの。でもさ、体育には出たくないかなーって」
「ううん、無理しないほうがいいよ。ただでさえ『プールだもん』」


 そう。
 それが問題だ。


 A棟東側に隣接した体育館。
 屋外空中廊下を渡った先、建物の外側から続いている更衣室。
 当然、男子と女子に別れており、ドアを開いてすぐ目の前には、目隠しのための壁がある。いつだったか、日本で一番有名な漫画作品に登場する『妖怪ぬりかべ』をイメージして、壁を灰色に塗り、目と手を描いた人がいたらしい。そして更衣室に訪れた人は、丸1日、妖怪の百鬼夜行に襲われるという悪夢を見たのだとか。
 昨日つまり日曜日、メールで瑠美奈に、今日の授業の内容を聞き、各科目の進行具合と、体育ではまだ水泳が続いていることを知らされた。僕は、泳げない(12.5メートルもまともに泳げない)割に、泳ぐことそのものは好きなので、まだ続いていることを喜んだ。
 だが、その喜びから一気に急転し、絶望に襲われたのは、電話を切り、水泳の道具一式をそろえはじめたときだった。
 ――……え? 水泳?
 次第に、水をかぶったように、ものすごい量の汗が、頭から、鼻先から、あふれ出してきた。そして、筒型バッグの紐を手にしたまま、僕は震え始めた。
 ――ってことはだよ? わたし、女子のスクール水着を着て泳ぐってことだよね?
 ――いやだいやだいやだ! 恥ずかしいよ、それって! わたし、男の子だったんだよ!?
 ――いや、『だった』って言うな! わたしは今でも、男だもん!
 筒型バッグの中に入っているだろうもの。
 それを、僕は取り出した。
 ――……あったよぉ。
 ――これまで『はるかの世界』のものに置き換えられてる……!
 紺色のスクール水着。
 僕はその肩紐をつかみ、目の前に掲げた。
 旧タイプには、股間の部分に縫い目(正しくは『水抜き』というらしい)があるのだが、新型であるこれにはなく、胸元からそこまですべてつながっている競泳タイプのもの。有名なスポーツブランドのロゴのすぐ下に、小さな白いネームが縫い付けられ、そこには『玄藤』とマジックで書かれていた。
 僕のもとの世界『悠介の世界』での水着は、色こそ地味な紺色だが、学校指定のトランクスタイプでゆったりしたもの。やはり、水着のすそには苗字を書き記したネームを縫い付けている。
 ちなみに、男子はトランクスもしくはブリーフタイプ、女子は競泳タイプであり、色もそこそこ派手でさえなければ(その派手さ具合は先生主観による)、何でもOKだった。
 ――わたしが、わたしがこれを着るのかっ!
 ――恥ずかしいったらありゃしない!
 ――いっそプールの授業、終わってくれないかなぁ!?


 けれど、小学校のころから「ずる休み」をした事がない僕にとって、エスケープを起こすことはためらわれた。いつかそのずるがばれて、両親や先生に大目玉食らうことが怖かったからだ。よくそれでロックバンドとか組んでいられるよ、と瑠美奈に言われた時があった。
 ――もうちょっとずるく生きたっていいじゃない、はるか。……じゃない、悠介!
 ――いや、本当に何か理由つけて休もうかなぁ。
 ――でも、瑠美奈には元気だって答えちゃったしなぁ!
 そうこう悩んでいるうちに、僕は女子更衣室のロッカーの前まで来てしまった。


 体育館の壁に沿って屋上に続く階段を上りきったころには、すでに疲れていた。
「はるちー、やっぱり今日は見学したら?」
「……ううん、越えるべき山は越えた。問題ない」
「口元で手を組んで猫背になってメガネ…… どこの司令官ですかあんたは。」
「かまわん、続ける」
 越えるべき山、それは。
 着替え。
 水着に着替えるためには、一度すべての衣服を脱がなければならない。だが、登校前にあらかじめ制服の下に着ておけば、その手間はたった1度だけで済む。悠介だったころにはそれをしていたのに、昨日からずっと動揺し続けたあまりそれを忘れてしまい、あたふたしながら着替えを済ませた。
 しかも、『おっぱいマニア』と名高いクラスメイト、屋島理沙(やしま りさ)のセクハラまがいのスキンシップ(いや、間違いなくあれはセクハラだ!)のせいもあって、ただでさえスムーズに行かない着替えが、さらに手間取った。
 ――「ワォ! ちょっと大きくなったかな? 相変わらず揉み応えがありますなぁ」
 ――「やっ、やめてよ、屋島さんってば! 恥ずかしいって、くすぐったいってば!」
 ――「いいではないか〜、うちと玄藤ちゃんの仲じゃない!」
 ――「どんな仲なのさぁ!? ほら、誤解招く、視線が痛い!」
 ……思い出しただけで頭痛ぇ。


 授業開始。
 直後ラジオ体操。体育の先生、佐鹿(さが)先生持参のラジカセによる。
 まずは水に慣れるために、ラジオ体操のあとは冷水シャワーを浴びるのだけれど、これは悠介のころからなかなか慣れやしない。これは男女を問わず、誰もが浴びる前に躊躇してしまう。だが、先に男子が浴び、あとに女子が浴び、しかも女子はキャーキャーとかわいい悲鳴を上げるので、男子は役得だとバカなことを言うやつもいる。その愚痴を僕は、いや僕らスターゲイザーの男子メンバーは、瑠美奈にぶつけられている。
 ――「男って、マジでバカよねぇ!」
 ……と。
「ひゃあぁぁぁぁああっ!」
 しかもそのかわいい悲鳴を、僕自身が上げることになるなんて、一週間前まで、いや1分前まで、思いもしなかった。
 ――はっ、はじゅかしぃよぉ……
 そして、強くつむった目を、右だけ開いてみると。
 あぁ、やっぱり男子は震えながら、こっちを見て、鼻の下を伸ばしている。
 ――あんたら、バカじゃないの!?


 さて結局のところ。
 僕ははるかになったところで、息継ぎもまともにできず、12.5メートルでリタイアしたわけで、瑠美奈には抱腹絶倒のまま笑い転げられるという屈辱を食らいまくった。
「あーっはっは! いーはははは! ……っくく。ホントにはるちーってば、泳ぐの好きなくせに、下手すぎるよねー!」
「どっ! どうだっていいじゃない! 人にはね、向き不向きってやつがあるんだよっ!」
「はいはい、分かった分かった。んじゃあ、次はエラ呼吸ができるようになってからリベンジしなさい。」
 瑠美奈はそう言うと、プールのはしごを伝って降りてゆき、指定のコースに立つと、泳ぎの練習を始めた。もう、泳ぎのテストをやっていないため、仕切りのないところではみんな遊んでいる。僕ももう、練習も何もかもあきらめ、遊びモードに入った。
「あ〜…… クロールも平泳ぎもなーんも関係なく、こうして漂ってるのって、幸せだよね〜……」
 背中にビート板を当て、体を青空に向け、僕はただ、プールの水面のあたりで四肢を投げ出し、漂っていた。耳の中に水が入ってくるけれどお構いなし。何も考えずに、波に揺られていることの、何と幸せなことか。
 こうしてボーッとしているときに、よく音楽のことを考える。有名なアーティストの曲やアニメソングなんかを鼻歌で歌ったり、今度発表する予定の曲のベースとヴォーカルのパートをイメージしてみたり。こうしているときが本当に、心が安らぐ。
 どのくらい空を見上げ、たゆたう雲を見送っただろう。先程までの、水着や着替えに関する羞恥心や、泳げないことの情けなさ、瑠美奈にからかわれたときの悔しさなんて、みんな吹っ飛んだ。心が空っぽになる。プールの水の心地いい冷たさが、胸の奥にジンワリ沁みこんでくる。


 ……すると。
「はぁ〜、るっか、ちゃん!」
 そんな声が聞こえてきたと思ったら、右わき腹の辺りからぬっと黒い影が現れ、その影は両手を伸ばしたと思ったら、僕の両の胸をわしづかみにした。突然のことに驚いた僕はバランスを崩し、息を吸うのもままならず、そのままプールの中に沈んでしまった。
「がぼぼがぼぼ!」
 僕は水中でもがき、手足をじたばたさせ、何とか重力を把握して上下を理解すると、プール底面に足をつき、立ち上がった。少し水を飲んでしまったみたいで、咳き込みながら。
「げほっ、げほっ! ……何するかなぁ、屋島さん!」
 あの影の正体は、おっぱいマニアこと屋島だった。
「やだなぁ。いつものスキンシップじゃない。」
「セクハラっていうんです、そういうの!」
「セクハラって、男子にやられたとき限定でしょ?」
「意味分かってる!? セクシャルハラスメント、性的迷惑行為!」
「やっ、やだっ…… 性的、だなんて、はるかちゃん……」
「そういう意味じゃなぁーいっ!」
 さっきまでものすごいリラックス状態だったのに、この一瞬の出来事で一気にそのリラックスは吹っ飛んでしまった。まったく、屋島さんはまったく!
「もうプールあがるっ!」
「そうだ、はるかちゃーん!」
 僕は言葉で返事を返さず、背を向けたまま、横目で屋島をにらみ返す。
「ん!?」
「やっぱりクラスの誰よりも、はるかちゃんのおっぱいが一番だったよ! 大きさ、バランス、形、そして…… 感度!」


 ……『ぼくは、おこった』。


 次の授業、国語の時間。
「おい、屋島。教科書72ページ2段落目、読んでみろ。……おい、屋島?」
 国語担当の高木先生が、屋島を名指しする。しかし当人はというと。
「ぐへ、ぐへへへ…… はるかちゃん、おっぱいもいいけど、ビート板叩きも、いいなぁ……」
 あのあと散々ビート版で殴ってやったら、「ビート板で八つ当たりするはるかちゃんも素敵……! 叩いて! もっと叩いて!」と言って胸に顔をうずめて抱きついてきた。なので今度は、お望みどおり完膚なきまでに叩いてやり、挙句に「崩して靠れて両手撃ち!」をやらかしておいた(元ネタは、某極拳使いのハチマキお兄さんです)。
 必殺技を食らい、今度は屋島がプールに沈んだ。これで懲りただろうと思いきや、次の授業の時間でもこの調子。これには滅入った。
 そこに、そっと瑠美奈(隣の席なのだ)が言った。
「やしりん(屋島のあだ名)、本当は弩Mだったんだね〜……」
「いや、スイッチを押しちゃったって言うか……」


 その後しばらく、「僕と屋島のイケナイ関係」について、不穏なうわさがクラス中に流れた。



////////////Bonustrack2 ってゆーか腐れ!////////////


 さて、僕たち軽音楽部は、ライブの際の衣装を、服飾部に製作を依頼している。僕たちがその衣装を使って活動することで、服飾部の活動実績にもなっている。そういうこともあって、僕ら軽音楽部員は、少なからず服飾部との交流も多い。
 服飾部の主な活動、それは、デザインから衣装作成までを行い、それを特殊な衣装が必要な部活のために役立てること。軽音楽部だけではない、演劇部、以外にも吹奏楽部の活動にも貢献している。
 ではその一例を並べてみよう。
 軽音楽部では、ステージ衣装。デザインは瑠美奈が協力している。
 演劇部でももちろん、役者の衣装や、たまに小道具も。
 吹奏楽部では、定期演奏会用の衣装。マーチングスーツのカタログを資料にしているらしい。
 文芸部では、コミック即売会で作品を販売する際のコスプレ衣装。
 また、この学校には珍しいことに、映画研究部なる部活もある。市販の映画を鑑賞してその感想文を書く文芸部のような活動もあれば、実際に自分たちで映画を撮り(演劇部も協力する)、軽音楽部の活動場所を移すことで、それを視聴覚室でたまに上映会をやっている。その自主制作映画を作る際にも、服飾部が役者の衣装を作るのだ。


 さて今回は、そんな服飾部との交流を描こうと思う。


 美術室。
 サンドブラストの機械で、僕が物販で出すためのグラスに模様を彫っていると、瑠美奈とあとひとり、服飾部の部員がやってきた。
「はるちー、ここにいたんだね!」
「あ、うん、瑠美奈。……と、小諸さん」
 隣のクラスで服飾部の部員、小諸結花(こもろ ゆいか)。ショートカットにヘアピン、童顔で小柄と、2歳近く若く(と言うより幼く)見える。何度か話したことがあるが、その印象はとても清楚でおとなしい。
 かと思えば実は、「理想の男性像は『おと×ま○』の主人公みたいに、かわいらしくも心に凶暴性を隠し持つ、戦えば強く正義感もある、光と影のギャップがすごい、男の娘(こ)」「作ったドレスを男の子に着てもらって、恥らい戸惑う姿を見てみたい!」「実は私はMIB(メンタル イズ ブラック)」と言う、かなり変わった趣味の持ち主。この性癖を知った人はたいてい、フリーズする。
「こんにちは、玄藤さん。作業、進んでますか?」
 そしてこのように、同級生であろうと敬語を使う。年齢がそれなりに離れた小さな子でないと、タメ口を使わない。
「うん、順調そのものだよ。ところで、どうしたのさ、ふたりそろって?」
「はい。ステージ衣装の最終チェックをしていただきたく。それとその前に、ぜひ玄藤さんに着てほしい衣装があるので、そのお願いにあがりました。」
「うっ! ………… ……うん、いい、よ……?」
 僕が悠介だった頃から、小諸にはロクでもない目に遭わされ続けた。そのほとんどが女装で、ドレス、パンクロック服、森ガール、セーラー服(学生風ではなく軍服風)、アニメキャラのコスプレ、などなど。服飾部およびその部にかかわる、かわいらしい系の生徒は、『男女問わず(ここ重要)』ほとんど小諸の餌食となっている。
 あ、ちなみに僕(悠介)のことをかわいいと自覚しているわけではない。だが、ビジュアル系を名乗っているだけあって、スキンケアを欠かさなかったことが、小諸の目に留まった様子。
「では、早速着ていただきましょうか。今回のテーマは、『ハロウィーンの悪魔』です」
 そして小諸は、背中に隠していた紙袋を、僕の前に仰々しく掲げるのだった。


 だが、小諸は普通に着替えさせてくれない。
 ほかの美術部の部員(ほとんどが女子だが、ふたりだけ男子もおり、美術部はちょっとしたハーレムになっている)の目があるというのに堂々と僕のジャージを脱がし(ジャージは現在の作業着である)、あまつさえ、ぶ、ぶっ…… らっ、じゃーまで引き剥がしてきたのだ。
 しかも小諸は、他人の衣服を脱がすことに関しては神業に近く、相手が抵抗するのもかまわず、と言うより、相手が抵抗する前に、ほとんど脱がし終わっているのだ。
 だが、衣装を着せることには逆に時間がかかりすぎている。いや、時間をじっくりかけて着せて行くのが、とても興奮するのだそうな。
 本人いわく、「ほら。魔法少女の変身シーンって、衣装がはじけ飛ぶのは一瞬だけど、ドレスがパーツごとに装着されてゆくのって、結構時間かかるでしょ?」とのこと。
 ――アニメの変身シーンの演出と、現実での着替えを、ごっちゃにするなぁーっ!
 ちなみに、僕が着せ替えられている間、瑠美奈と女子美術部員は顔を真っ赤にしてフリーズし、男子部員は鼻血を流していた…… らしい。


 そしてようやっと着替え終わって。
 服装そのものは、いつも作る創作衣装と同じく、一定のテーマを前面に押し出すこと以外は、特に派手すぎることもないものだった。
 テーマは、ハロウィーンの悪魔とのこと。
 頭には、両端にコウモリの羽のようなアクセントをあしらった黒いカチューシャと、髪を結うためのやはりギザギザしたリボン。
 胴にはやはりコウモリの羽のようにギザギザ模様の襟で飾られた漆黒のシャツと、やはり同色のベルト付きレザービスチェ。そのビスチェの下からはふんわりとしたスカートが広がっており、それは腰の辺りで一周して前で縫い合わされており、右前が開いている。
 腰には、すそが折り返され、両脇にレースアップが施された、紫色のかぼちゃパンツ。ポケットには金色のボタン付きフラップ(ふたのようなもの)が施されている。まるで悪魔の尻尾を演出するかのように、ビスチェ背面で結われたリボンの両端が長く延び、太もものうしろで揺れている。
 その太ももから足先にかけては、白黒ボーダー柄のサイハイソックスと、ひざから下は赤い毛皮のブーツカバー(レッグウォーマーみたいな印象)。全体的に、黒、白、紫の色合いの中、これだけが異色を放っていた。
「それでは、とどめに〜?」
 すると小諸が、何かを持って僕の首の後ろに手を回し、僕に抱きついてきた。小諸には悪いが控えめな胸が、僕のそれと重なり、互いに形をゆがめる。こいつの困った性癖もあっていろんな意味でドキドキしてしまい、その姿勢のまま動くことはできなかった。
 小諸は僕の首の後ろで、何かをいじくっていた。その間も小諸の吐息が僕の首筋に当たり、それが妙な感覚を呼ぶ。ドキドキがさらに強まり、いつ終わるんだろう、いっそすぐに終わってくれ、早く離れてくれ、と心で何度も叫んだ。
「……はい、おしまいですよ、玄藤さん」
 そう言って小諸は、僕の首から腕を放し、2歩下がった。
「こ、これって……?」
「はい。ビスチェに悪魔の羽をつけるという案もありましたが、それだと漫画チックで安っぽい印象があったので、マフラーで代用しました」
 首には、両足のブーツカバーと同じ色、素材でできた、マフラーが巻かれていたのだ。
 もちろんそのマフラーも、コウモリの羽のようなシルエットに仕上げられていた。マフラーそのものが、悪魔の翼になっていたのだ。これは斬新なアイデアではないか! 僕はその、羽を直接背中にあてがうのではなく、羽とマフラーを一体化させるというその発想に、心から感心してしまった!
「最後にこのグローブをつければ、統一感が出ると思いますよ?」
 渡されたのは、手首まで覆っている手袋だった。手の甲や指の節といった外側は、ブーツカバーとマフラーと同じ色と素材でできており、手のひら、指の腹に当たる一部分だけは、黒いレザーでできている。
 当然、すべて服飾部が作ったもので、手作りだ。しかし、手袋という立体的な構造のものまで手作りで作ってしまうとは、恐るべし、服飾部。
 そこに、瑠美奈が言った。
「うっわぁ〜! はるちー、すごくキュートで、アダルティーで、悪魔っていうより小悪魔AG○HAっぽぉ〜い! ねぇねぇ、鏡、見てみなよ。絶対にはるちー自身も驚くよ!」
 すると、ひとりの美術部員(3年生で先輩だ)が、姿見を運んできた。どうやらこの美術部では、鏡に映った自分自身をデッサンすることがあるようで、そのために使うものだった。
 僕はその鏡の前に立ち、頭のてっぺんからつま先まで、ゆっくりと見下ろした。
「う、うっわぁ……!」
 首からスカートのすそまで、黒一色。そこに、紫のかぼちゃパンツが彩り、両手両足のグローブとブーツカバー、そして首に巻かれ、背中に流れている羽根型マフラーがアクセントとなり、派手とも地味とも言えない、だが確かに、かわいらしい小悪魔が、そこにいた。
「こ、これが、わたしなの……?」
「そーだよそーだよ! これがはるちーだよ! うわぁ、見違えたなぁ。普段のはるちーって、制服と私服しか見ていないから、こういうコスプレはるちーも悪くないよねぇ!」
 そこに、小諸も鏡を覗き込んで、言った。
「やはり、素材がすばらしいと服も輝きます。今度の文化祭のあと、服飾部主催のハロウィーンパーティーを開く予定ですので、玄藤さん、ぜひその衣装を着て、出席してください」
「えぇ〜? でも恥ずかしいよぉ」
「そんなことはありません。きっと誰もが、玄藤さんのことをかわいいって言ってくれますよ。それにほら、美術部員の皆さんも、さっきからささやいてますよ」
 周囲を見てみると、美術部の女子部員のみんなが、かわいい、かわいいと口々に言っている。男子部員も、鼻の下を伸ばしながら上に伸ばした親指を掲げ「グッチョブ!」と叫んでいた。
「あ、あはは、あははははは…… うん、ほめられていることは、素直に受け取っておくよ」


 ひと通りコスプレにも付き合わされたことだし、着替えるとしよう。
 僕がマフラーに手をかけ、それを解こうとしたときだった。
「玄藤さん、脱ぐのですか?」
 ――そこで「着替える」って言わないんだ。
「うん、さすがに着替えないと。この格好で校舎はうろつけないし」
「ならば、一瞬にして脱ぐ方法がありますよ?」
「さすがに脱がさないでね!? 小諸さんに脱がされるのはもう散々だよ!」
「いいえ。脱がすのは私ではありません。綾瀬さんにやっていただきます」
 その言葉に、僕も瑠美奈も、「はい?」と言って、きょとんとなった。
 だが小諸はお構いなしに、僕の背後に瑠美奈を立たせ、言った。
「では綾瀬さん。マフラーの左側を思いっきり引いて、背中のここにあるピンをはずしてください。同時にですよ。では、さん、はい」
「えっ!? ええと、うん、分かったっ!」
 そして背中越しに感じる、マフラーが解ける感覚と、衣服のボタンのようなものがはずされる感覚。
 ……だが、僕はもう少し、考えておくべきだった。
 ちょっと考えれば分かるだろう、アクシデントを。


 ――「ならば、一瞬にして脱ぐ方法がありますよ?」


 そしてあらわになった、僕の全身。
 グローブとソックス、そして、パンツを除いて。
 ――脱いじゃだめだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!


 服にはどういう細工がしてあったのか、まるで昆虫の脱皮シーンをスーパー早送り映像で見せられたように、悪魔衣装は一瞬にして引き剥がされた。
 服を脱がせた瑠美奈、それを目撃した美術部員、そして当人である僕。
 ……すべての人の時間が、止まった。
 そしてやっと時間が動き出したのは、美術部の男子部員が、七孔噴血…… すなわち目、鼻、耳、口から血を吐き出し、絶命した瞬間だった。
 そこに小諸が言う。
「この服はですね。誰もが簡単に脱がせられるような細工が施してあるんですよ。どうです、素晴らしいでしょ?」
「ど、ど、どっ! どこがだぁ〜〜〜〜〜っ!」
 とりあえず胸を隠して、僕は小諸に詰め寄る。だが、小諸は童顔の笑顔をまったく崩すことなく、しれっと答えた。




「だってそれ、男の子に着せるつもりで作ったものですから。女装させてドキドキさせて、一瞬で脱がせてドキドキさせる。1粒で2度おいしい、そんなコスチュームって、素敵じゃないですか!」




 僕は、もう分かった。
 “こいつには 何を言っても 通じない”