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こるり 改訂版 1

作:猫野 丸太丸



 まぶたを照らす光に俺は目を開いた。まぶしい。天井の無影灯が、顔を直に照らしている。
 小さな手が顔の前にかざされた。蝋色をした指先が、輪っかの壊れたOKサインを出している。
 自分の手だと分かるまでに、しばらくかかった。

 俺は硬質の台の上に仰向けになっていた。そこは暖房の効いた部屋で、消毒薬の匂いに混じってこころなしか、包装を開けたばかりのビニール人形の匂いがする。

 だれかが呼んだような気がして、俺は体を起こした。頭が後ろに引っぱられる。指で探ると、ひもの束が髪の毛にからみついていた。これは、電極ケーブルだ。俺は頭を振ってケーブルをはらい落とした。

 見下ろしたとたん、ふくらみかけの胸とくぼんだ股間が見えてどきっとする。
 俺の体が、はだかの女の子になっている。

 しばらく考えたあとで、やっと理由を思い出した。

 俺が受けたのは脳移植手術だ。三十歳の男の体から、人工的な少女の体へと脳を移植する。どういう工程かはスタッフから説明を受けていた。新しい体も事前に、自分の手で入念にチェックしておいた。
 だから目が覚めれば少女だとは分かっていたのだが、いざ目の当たりにすると違和感はそうとうなものだった。

 体重をずらすと、やわらかなももの肉が台から離れて揺れた。折れてしまいそうなひざを伸ばし、俺は手術台を下りる。正面にはコンピューターやモニターが並び、床は配線のとぐろで埋まっていた。もとはただの業務用サーバー置き場だったから、手術室としては多少手狭だったかもしれない。

 振り向いて驚いた。部屋には大勢の連中が詰めかけていたのだ。
 薄桃色のブラウスの女性が最初に目に映った。主任プログラマーの相原恵子だ。さっき俺を呼んだのは彼女だったのだろう。相原は腕にタオル生地を下げて、じっと立ちすくんでいる。

 そのとなりには専務の東条春樹。肩書きは俺の部下だが、実際は創業以前からの親友だ。最初はアパートの一室から始まった会社も、こいつのおかげでいまや渋谷にビルのフロアを借り切るほどに成長した。今回のプロジェクトも、俺とこいつで一から作った。もともとごついやつだから、身長百三十センチから見上げたその姿は山賊かプロレスラーのようだ。東条は無精ひげの顔を俺に向けて、赤ん坊すら泣き出しそうな感じにしかめて笑った。

 それからメカニクスの技術者たち。シナリオライター。アニメ担当。あとは顔が見えないが、とにかく、俺の会社の社員たち。それから、懇意にしているゲームソフト会社の重役さん。皆が、俺に対面している。

 だれも、なにも言わない。
 いや、違う。耳に音声が入っていなかったのだ。しばらくして聴力が回復すると、部屋の空調音が、そして人々の息づかいが聞こえてくる。夢うつつから現実に戻ってきた感じだ。
 裸を見られていることにやっと気づいた。

「あ。やーん」
 俺の両手は自動的に体を隠した。やわらかい胸の感触が手のひらに伝わってくる。
 筋肉質の男の体とはつくりが違う。いまの俺は少女だ。
 それも、あらゆるメディアの少女像をもとに構築された人工的な少女なのだ。

 相原が
「社長、どうぞ」
と言って、ピンクのバスローブを俺の肩にかけてくれた。俺の手はていねいに、かつ不器用に見えるように、片方ずつ襟を整えた。
「ら」
 流行りの声優に似せた声が、のどから出る。
「らー。いいみたいだよ」

 一同の眼に期待の光が浮かぶ。俺は「おっす。野郎ども」と言おうとした。左手が頭の後ろへ回り、右手の人差し指が口の前で振られる。自動的に舌が動いた。
「はろー。みんな元気」

 つぎに「このたびはお日柄もよろしく」と言おうとした。発した言葉はこうだ。
「今日もいい天気、あたしは元気。サイキョー」

「サイキョー」が合言葉だっただけに、一同はため息をもらした。
 東条がつぶやいた。
「成功か」
「うんっ」
「ごまかして言ってるんじゃないよな」
「うんっ」
 俺を見つめる二十四の瞳に向かって、俺は微笑んでVサインを出した。
「こるり、いっきまーす」


 会社のある渋谷から、住んでいる大宮までの埼京線の車内。
 つり革に手が届かず、やむなく俺は扉の縁の手すりをつかんだ。三月の午後四時、窓から見る空は日暮れ近く、ぼんやりとしたうす灰色に見えた。車内は混みあっていて、駅に着くごとにさらに数人の客が扉から乗り込んでくる。彼らの間を縫って、冷たい風が俺のむき出しのひざに当たった。
 風除けになってくれればいいのに、どの乗客も俺を避けるように車両の奥へと行ってしまう。周囲にぽっかりとすき間が開いたままなのは、扉の前が寒いからばかりでもあるまい。
 こるりの姿を「まだ」見慣れていない乗客たちは、俺のことを奇妙に思っているはずだ。

 肩までの髪は色指定どおりのアッシュグレイで、光を反射して天使の輪を作っている。頭の左右にはくせ毛が飛び出していて、猫の耳の形に見えるだろう。前髪は赤いカチューシャで留め、眉毛にかかる高さにそろえられている。
 笑い顔の時には垂れ、まじめなときにはきりりと上がる眉、ウサギのようにぴくぴく動く小さな鼻、頬のやわらかさを強調するために柔軟に動く唇。これらは人気漫画やアニメーションの特長を取り入れて設計されているのだ。

 首や肩は見た目はきゃしゃだが、特殊合金で補強してあるから多少のアクションには耐えられる。服の下の胸は卑猥に見えない程度にふくらみ、腰から脚のラインは少年のようにまっすぐに落ちている。
 持ち物は高級感を出すために、ブランド物のショルダーバッグにした。
 衣服は、ロリータの特徴を取り入れた黒と白のエプロンドレスだ。服装についてはあえて相原の意見も考慮したから、女性の目から見ても悪趣味には思われないはずだ。

 以上は仕様書の内容だ。俺たちは一年かけて、そのように設計した。
 問題は一般大衆へのお目見えで、期待通りの視覚的効果を発揮できるかなのだが。

 俺は周囲をうかがった。車両がカーブを曲がるたびに、立ち客の袖やハンドバッグがゆらゆらと揺れている。その間を通して、対面の椅子に座ったサラリーマンと目が合う。サラリーマンはすぐに目を伏せた。
 右手そばに座る老夫婦がなにかつぶやいた。
(かわってるね――最近の子はあんななの――でも、かわいい――)
 俺の耳は「かわいい」という単語を聞き逃さなかった。
 ゴスロリにしろピンクハウスにしろ、いまどき電車で変わった格好をしているだけでは、その人物はじろじろ見られたあとにすぐ忘れ去られてしまうだろう。
 だが、このこるりは「キャラクター」なのだ。各パーツは人間でも、総体として見れば人間離れしたシルエットが浮かんでくる。おそらく老夫婦の頭にも、たしかな印象が残るはずだ。
 そしてつぎにこるりを見たときには、彼らにはこの姿が「既知」のものとなっている。キャラクターが有名になるためには、そこが重要なところだ。
 今日からこの街には本物の天使が住むことになるのだ。そのことを分からせなければならなかった。
 あまりこちらから見るのはまずい。俺は扉の窓ガラスに向かってとりすました。
 建物の陰に入るたびにこるりの丸顔が映る。俺は鼻を、自分の像に押し付けてみた。

 ガラスの鏡はほどなくして消えた。赤羽駅のホームに入ったのだ。俺と反対側の扉が開き、乗り継ぎの乗客たちの足音がする。またなにか新たな反応を確認できるだろうかと思ったとたん、
「きゃー、かわいいー」
「えっ。ほんと、かわいい」
 後ろからいきなり頭をなでられた。
「いやん」
 きゅっと肩をすくめて振り返ると、そこにいたのはブレザーを着た女子高校生のグループだった。この電車でよく見かける学校の制服だ。
 俺は両手を胸に当てて、うわ目づかいに彼女らを見た。
「こんにちは」
 高校生たちはきゃっきゃっと笑った。
「こんにちは。あんた、どこの子なの」
「小学生かな」
「中学生でしょ」
「こんな格好ってさ、もしかして子役のモデルさんだったり」
 高校生たちは俺を見下ろして、口々に話しかけてくる。その声になにごとかと思ったのか、そ知らぬふりをしていたサラリーマンたちも彼女らの肩ごしに俺を見つめる。

 高校生の手が、こんどは襟のレースに触れた。まるで道ばたの野良猫にちょっかいを出しているみたいだ。そして噛みつかれないと分かるや三本の手が降ってきて、俺の髪や頬、鼻を触りまくる。
 子供が大人に囲まれてなぶられるのに、これほど威圧感があるなんて忘れていた。
 俺は叫んだ。決め台詞が、勝手に口をついた。
「あたし、こるり、です。得意なのは歌と踊り。サイキョーです」
 両手を前にそろえて、自動的におじぎをする。
「これから毎日、お世話になります」
 電車が発車した。俺は頭を下げた姿勢のまま、女子高校生のひとりの胸に飛びこんだ。
「きゃ」
 きっと支えてくれたのだろう、彼女は俺を抱きしめるように両手を回してくれた。ごわごわした紺のセーターの生地が俺の鼻をこする。その下のふくらみの柔らかさが頬に伝わってきた。
「ごめんなさい」
 俺はあわてて振りほどいた。頭の猫耳を整えてから、女子高生の顔を見る。
 高校生がひとこと言った。
「頭突きが得意な踊りなの」
 さっきまで見ていたサラリーマンが目をそらしてあくびをした。
 ちびっ子が、くだらないことで騒いでるなと思ったか。
 思われたのか。

 黙っているわけにはいかなかった。
「ごめんなさい、おわびに、歌を歌わせてくださいっ」
 閉扉のアナウンス音が終わると同時に、俺は歌唱システムを起動しようとした。口唇がセットされる。声門が開く。歌声が出るのだ。
 しかしセーターの壁はふたたび迫ってきて俺の顔を包んだのだった。高校生にむりやり抱きすくめられのだ。
「こら、電車のなかで騒いじゃだめでしょ」
 君の言いたいことは分かる。しかし今から始めるのはただの騒音じゃない。こるりの歌なのだ。
「もがもがっ」
「いいから黙って」
 こるりの設計に、高校生に妨害されても音が出せるというコンセプトはなかった。身動きがとれないまま電車は進む。やっと束縛をふりほどき、俺が叫んだのは終着駅、大宮のアナウンスと同時だった。
「あたしに歌を歌わせてくださいっ」

 扉が開き、乗客たちが降りていく。高校生たちも俺に背を向けた。
「待ってよ」
 俺はあとについていく。セーターの彼女は振り返らない。しつこく追いかけると、こんどは足早に逃げようとする。改札を抜け、広いコンコースに出た。人の流れは四方に散らばり、予測がつかなくなる。こるりの足では引き離されないのがやっとで、大声で呼びとめることもできない。デパートへの連絡口に差し掛かると、出てくる人ごみに行く手をはばまれた。見失いそうになりながらそれでも女子高生を追いかける。

 彼女らが足を止め振り返ったのはデパートを反対側へ抜けた裏手、飲み屋の並ぶ狭い横町だった。背広姿のグループが、道の真ん中の邪魔な連中を押しのけて路地の奥へと消えていく。
 少女たちはそんなことには気も止めず、ただ俺を見ていた。
 やっと目線を合わせてくれた。すえたビールの臭いがただようなかで俺は言った。
「あたしに、歌を歌わせてくださいっ」

 渋谷本社のメインコンピューターには、こるり用の歌詞とメロディが保存されている。俺の要請に答えて、楽曲データはブロードバンド通信で手首のリボン型アンテナへ、そしてダイレクトに頭にインプットされる。カラオケデータじゃない、舌がつぎにどう動くか、声帯がどの音程に震えるかの情報が滝のように流れてくるのだ。
 俺はその流れに飛びこんだ。

 出てきたのは、少女らしい可憐な声だった。聞いた者が、はっと息を止めるような声だ。通行人たちが俺の声に気がつくたびに足を止める。歌声は彼らを越えてさらに拡がった。
 体も棒立ちなんかしていなかった。フレーズにあわせて手足が動く。客にぶつからないように小さく、だがはっきりと肩とお尻を揺らしているのだ。

 俺は積極的に聴衆に視線を合わせ、誘うように手招きした。若い男のひとりにウインクしてみせたときは、自分が信じられなくなった。
 通りがかった若い酔客が歌に気づいてなにか叫んだ。しかし周囲の客は若者のほうを向かない。若者はとまどっていたが、やがて聴衆に加わった。

 俺はそのまま、フルコーラスを歌いきった。

 伴奏がない以上、歌い終わった瞬間が音楽の終わりだ。
 俺を迎えたのは、歌う前よりも強い沈黙だった。
 頭上のどこかで線路が鳴る。かたんかたんかたんと、電車の音は暗い横町に響いていく。
 俺のひざが揺れた。

 そのとき沈黙を破ってくれたのは、さっき俺を抱きしめた女子高校生だった。彼女は手提げバッグを足下に落として、両手を胸の前で打ち合わせた。横の少女たちも、つられて拍手をはじめる。彼女らから後ろへ、そのまた後ろへと拍手が広がっていく。
 ついには力強い拍手となった。
「あ、ありがとうございます」
 俺は政治家みたいにありがとうを連呼した。
 高校生が
「こるりちゃん、あんたとんでもない子だね、びっくり」
と言って、しきりにうなずいた。


 駅でのパフォーマンスで、俺は調子に乗っていた。わが家までの道でスキップを踏んでいたかもしれない。最後に走り出せば、あっというまに家に着いたのだった。
 隣りが畑なせいか自宅の前は暗く、門柱の電灯が道を照らしている。俺はハンドバッグからいそいそと鍵束を取り出した。
 鍵穴に手が届く前に玄関が開いた。妻の倫子が扉から顔を半分出している。
「ただいま」
 一週間ぶりに見る彼女の頬はやせて見えた。左の眉が、不安そうに動いた。

 倫子は鳥取県の大地主の娘で、東京へ就職した先で俺と知りあった。コンピューターのことは分からないと言いつつも俺の仕事の話を熱心に聴いてくれる彼女に、俺は想いをつのらせたのだ。
 彼女の実家へ結婚を報告に行くときは非常に緊張した。錦鯉の池だの床の間だの、彼女の家はアパート育ちでは縁のないものばかりで占められていた。気後れする俺の袖を引いて、倫子は言った。
「どんと構えていてよ。あなたはあなたなんだから」
 結婚の許しはあっさり下りた。俺がハイテク・エンジニアリング会社の社長だと聞いて、先方は大層な身分だと思ったようだ。
 結婚五年目になっても俺たちが狭い借家暮らしであることを考えると、倫子の両親のこの認識は誤りだったかもしれない。

 エプロン姿の倫子に、俺は鍵を身分証明書みたいに突き出しながら言った。
「えっと、ただいま」
「それじゃあなたが、あなたなの」
「うんっ。あたしはこるり」
 倫子が開けてくれたすき間を、俺はすり抜けて家に入った。
 黒い革靴を丁寧に脱いでそろえ、白いタイツに包まれた足を廊下に下ろす。
 振り返っても、倫子はまだ扉を開いたままだった。
「ねぇねぇ、あたし、電車の中で歌を歌ったんだよ。倫子おばさん」
 おばさん、まで言ったところで扉がばたんと閉まる。
「あなた、なのよね」
「うん」

 倫子の言葉は遠慮がちだった。ほんとうに俺だと分かってもらえたのだろうか。俺は疑問を持ったが、思考は
「パパー」
という呼び声と足音で中断された。四歳になる娘の亜梨須(ありす)のものだ。
 亜梨須は右手にスプーンを持ったまま走ってきて、俺の姿を見た。
 なんと声をかけるか考える間もなく、俺の体は自動的に動く。
「こんばんは。あたしはこるり。よろしくね」
 左手を水平に挙げ、右手を前に回して一礼するのは役者風だ。亜梨須は目を丸くして俺を見つめる。
「ママ」
 亜梨須は俺を通り過ぎて、玄関にいた倫子のエプロンにつかまった。倫子はかろうじて聞こえる声で言った。
「亜梨須。この人、パパよ」
 ああ、そうだよ。俺はそう言おうとして、ついもう一度言ってしまった。
「うん、あたしこるりだよ。よろしくね」
 亜梨須は答えず、ただ不思議そうに倫子の顔を何回も見上げる。
「亜梨須。ほら、テーブルに戻ろう」
 倫子が背中を押すと、亜梨須はやっと足を動かした。


 俺は用意しておいた部屋着に着替えて居間へと向かった。テーブルには上品に小さくまとめられた料理が並んでいる。亜梨須の好きなハンバーグだ。俺は亜梨須に話しかけた。
「わー。おいしそうだね、亜梨須ちゃん」
 こるりの台詞はどうも他人行儀になってしまう。
 そういう仕組みなのだ。

 テーブルの中央に一通の便箋が、塩の瓶を文鎮がわりにして置かれている。手紙は俺が書いたものだ。俺が留守のあいだに、倫子は内容を何回も読んだはずだ。

「こるりの体は、そのほとんどの部分が人工的な材料で作られている。しかしこるりの頭部には俺の脳を埋め込むつもりだ。なぜなら人間らしい意思をコンピューターで作り出すことが、いまの技術ではできないからだ。
 こるりの行動はすべてコンピューターでアシストされるが、意思の生成は俺の脳が行う。
 こるりであるあいだ、俺は一切の行動をこるりとして行うことになるだろう。倫子のことは『倫子おばさん』と呼ぶし、亜梨須のことは『亜梨須ちゃん』と呼ぶ。
 とくに注意してほしいのは『俺はだれか』という質問に対する答えだ。こるりの正体を外部に漏らさないため、俺はこの質問に必ず『こるり』だと答える。こるりらしい態度で、こるりのプロフィールどおりの返答をするのだ。
 もし返答に誤りがあれば、それはキャラクター商品としての致命傷になりえる。
 こるりのふるまいにすこしでも中年男性を感じるようなら、そのことを詳細にレポートしてほしい。君のレポートが、こるりを完全な現実の少女に育てあげるために必要だ。
 くり返すが、こるりはいつもこるりらしく発言し行動する。だがこるりの意思は、あくまで俺のものだ。たとえば亜梨須の身になにかが起こるとか、そういう重大な問題が起こった場合は、ふつうに俺に相談してほしい。俺は大人として正常に判断を下せるはずだ。
 さらに注意点がある。倫子と亜梨須だけは俺のことをもとの男として扱ってくれていいが、外部にはこるりの正体は秘密だ。しばらくは親戚にもこるりのことを黙っていてほしい。
 その他のことは、改造が済んだ後に調整していくことにしよう」

 倫子は賢いから、俺とのコミュニケーションの問題くらいはうまく対応してくれるはずだ。亜梨須もこるりにすぐに慣れてくれるだろう。
 家庭の問題よりも、いまはこるりがキャラクターとして世の中に受け入れられるかのほうが問題なのだ。人気というものはなかなか計算どおりにはいかないものだ。いかに優れたキャラクターを造り出しても、大衆の嗜好に合わなければ見向きもされない。それがこの商売だということを、バーチャルアイドルを何人も世に送り出してきた俺は知っている。
 俺は子供の体で、ハンバーグを箸で切り取りながらそんなことを考えていた。

 同年代の子供と比べても、こるりの手は小さめだ。おかげで大人用の食器が使いにくいことこのうえない。箸の上の部分がクロスしてしまうなんて、何十年ぶりの体験だろうか。
 素直に子供用の食器を使おう。俺は、亜梨須のお気に入りの茶碗のうち犬の絵がプリントされているものを手に取った。
「あ、あたしの」
「ごめんね、亜梨須ちゃん。ひとつはあたしに貸してね」
 俺は微笑んだが、亜梨須は口をゆがめていた。倫子がご飯を盛り直しながら言う。
「ねえ、あなた。お食事はいままでどおりでいいのかしら」
「うん。あたし、倫子おばさんのごはんが大好きだよ。おいしいよねー、亜梨須ちゃん」
「うん」
 亜梨須の反応が硬い。こるりの造形に、子供が親しみにくい点があるのかもしれない。
 倫子が言った。
「あなた、さっき歌を歌ったって言っていなかった」
「テーマソングだよ。電車のみんなに喜んでもらえたの」
「なによ、ほんとうになの」
 倫子は、はじめて笑った。
「よくおなじ電車の人に怒られなかったわね」
「ぶー。こるり、べつに悪いことしたんじゃないもん」
 俺の頬がふくらんだ。
「こるりはみんなを楽しませるの。あたしの歌を聴いたらみんな幸せになるんだから」
「予定どおりってわけね。あなた、こるりちゃんについてはずっとそう言っていたものね」
 倫子には、いままでこるりの製作中の図を何度も見せている。会社の連中には秘密だが、設計について倫子の意見から発想を得たこともあるのだ。
 こるりは俺自身であると同時に、俺たちのもうひとりの子供ともいえた。
「亜梨須ちゃんにも好きになってもらえるかな、あたし」
「もちろんよ。もともとあなたのこと、大好きなんだから」

 食事の後はすこしパソコンに向かって、そのあと風呂に入った。
 こるりの体は汚れの付きにくい素材のはずだが、街中を歩いているとタバコ臭や排気ガスや、いろいろな汚れがつく。倫子には、こるりが毎日風呂に入ることを伝えていた。
 本日二度目の、少女の裸体との対面だ。違和感はあいかわらずだったが、俺はそっと湯舟に足を入れた。十分な量の湯が体を包んで、俺をリラックスさせる。
 こるりになった後も、自宅でふつうの人間のように生活できるのはラッキーだった。毎日実験室で特別なメンテナンスを受ける必要があったりしたら、俺のプライバシーが保てなくなってしまうところだ。
 俺は胸に手を沿わせ、ゆっくりと下へなでおろした。胸のふくらみとくりっとした乳首の感覚、肋骨の凹凸にはじまって、小さなおへそ、そしてその下のくぼみへと続く。家族三人のなかで俺だけが男だったのに、いまは三人とも同性なわけだ。倫子や亜梨須とおなじものが体に付いているのが不思議な感覚だった。
 倫子から声がかかり、風呂場の扉が開いた。亜梨須を風呂に入れてやってくれというのだ。
「はーい」
 俺は入ってきた亜梨須に、洗面器でお湯をかけてやった。
「こるりといっしょに入ろう」
 亜梨須はあいかわらずだんまりだったが、自分から湯舟をまたいで、俺のひざに尻をもたれかからせてきた。
 だっこをするときに、常々思っていたことがある。男の骨っぽい関節やとげとげしたひげ面が当たったら、子供には痛いのではないかということだ。
 男親として臆病すぎるだろうか。倫子にはよく呆れられたが、正直、亜梨須に触れるときはいつもおそるおそるだった。
 いまのこるりの体はどうだろうか。柔らかくて気持ちいいだろうか、それとも、しょせん人工皮膚製では気持ち悪いだろうか。俺は亜梨須を抱く腕にそっと力を入れてみた。桃色の体が嫌がらず、体重を乗せてきてくれたのでほっとした。

「体を洗おうか、亜利須ちゃん」
 亜利須は最近、自分で体を洗うことを覚えた。俺に向かって頭を突き出してくるので、俺はシャンプーハットの上からシャンプーをかけてやった。亜利須は小さな指で髪をくしゃくしゃとかき回す。俺は微笑んで、自分のためのボディソープをとった。そのとき
「こるりちゃんもー」
と言って、亜梨須が後ろからシャンプーをかけてきた。ぬるりとした液体が額に垂れてきたとたん、俺の眼がちくちくと痛む。
「きゃーん」
 俺はあわてて洗面器に湯を汲んで顔を漬けた。シャンプーが眼にしみたのだ。どうやら俺は、角膜の敏感さまで子供並みになってしまったらしい。
 いまさらシャンプーハットの厄介になる必要がありそうだった。


 翌朝出社すると、東条がビル一階の共用スペースに仁王立ちになっていた。本人はやさしく出迎えているつもりなのだろうが、狭い廊下をでかい体でふさいでしまっては、とおせんぼうしているようにしか見えない。
「おはようございます、東条さん」
「おはよう、こるりちゃん、重役出勤ごくろうさま」
 東条は振り向くと
「ほら、だいじょうぶだっただろ」
と言った。巨体の陰から茶色のポニーテールが顔を出す。相原だ。相原は昨日とおなじ桃色のブラウス姿だった。袖がよれよれになっているところを見るに、夕べは会社に泊まってしまったのだろう。
 相原は、A4の打ち出し用紙をしきりに指差しながら反論した。
「でもでも昨日は、電車に乗っているはずの時間にこるりちゃんの楽曲データがダウンロードされていたのですよ。ねえ社長、なにかあったのですよね」
「うふふん。楽しかったんだよ」
 相原が持っているのはこるりのデータ使用を記録したグラフだ。歩いているか走っているか、落ち着いているか興奮しているかの基礎データに、歌や踊りの芸、特別な女の子らしいふるまいの使用頻度など、こるりの体がやることは、本社のメインコンピューターから逐次モニターすることができるのだ。ただしなにを話しているか、俺がなにを考えているかの詳細までは分からない。相原は、夕べの通勤時間に俺が歌ったことだけを本社から観察していたということだ。

 俺の事情説明を聞いて、相原は怒った。
「社長、なんて無茶をするのですか」
「無茶じゃないよ。みんな喜んでくれたもん」
「だめです。迷惑行為で、駅員さんに引っぱっていかれたかもしれなかったです」
「あう、それはいやかも」
 肩を落とす俺に、追い討ちをかけるように相原が言う。
「血中アドレナリンが十四単位も上がってますもの。まぁ恥ずかしい、こるりちゃんってば顔が真っ赤になっていたはずですわ」
 徹夜明けの相原は鬼より怖い。小さい声で東条がフォローを入れた。
「真っ赤なこるりちゃんも、かわいいと思うなぁ」
「おちゃらけないでください」
 東条をにらみつけると、相原はひとり先にエレベーターホールへと歩いていった。俺はすねた声で言った。
「そんなに心配だったんなら、あたしの家に電話してくれればいいじゃない」
「久しぶりの家族水入らずの時間を社用で邪魔するほど、あたしは無粋じゃありません」


 午前中は芸能プロダクションとの面談、すなわちこるりの売り込みだ。こるりは歌唱と演劇を得意とする。まずは芸能界をメインの収入源にするのが俺たちの目論見だった。
 会社の応接室で俺は東条と並んでソファーに座り、客人たちと向かいあった。客の一人は話を取り持ってくれたゲーム会社の重田さん、もう一人が、芸能プロダクションの人間だった。テレビや雑誌は畑違いの業種だっただけに、その男を紹介されたときはなんと話しかけていいか迷った。
「こ、こんにちは、こるりです」
 俺は名刺を差し出した。その壮年の男はカジュアルなジャケット姿で、短い髪を黄色くなるまで脱色していた。サングラスのせいで視線は読めない。
 俺から名刺を受け取ると黄髪はつぶやいた。
「なによ。ガキンチョ本人が社長さんなの」
「そうだよ、おじさん。こるりが社長なんだ」
「だいじょうぶなのか、おたくの会社」
 鼻にしわを寄せる黄髪を、重田さんがとりなした。
「いや、こう見えましても、この子の中身は大人なのですよ。私も以前から目をかけていてね、しっかりした男です」
 黄髪はふむ、と言って黙りこんだ。嬉しいことを言ってくれるじゃないか。俺は重田さんににこっと微笑む。重田さんは
「あ、ああ。うそじゃないんですよ」
と言って頬を赤らめた。
 東条が分厚いバインダーを机に積み上げた。
「ではあらためて説明させていただきます」
 東条が資料を広げて、こるりのシステムを説明する。黄髪は聞いているのかいないのか、コーヒーカップの取っ手を人さし指でこつこつと叩いていた。
「本人の状況判断がまず大容量無線回線で本社のコンピューターに送られ、最適な演技のデータセットがその呼び出しにしたがってダウンロードされます。フィードフォワードを使っていますから、演技中に通信のタイムラグが起こることは原理上ありえません。完璧な少女の体が完璧な演技をこなすさまは、いままでないものですよ。いかがでしょう」
 肩の筋肉を盛り上がらせて東条がすごむ。黄髪はわざとらしいため息をついた。
「いかがでしょうって言われても。文系の俺にゃあ、難しいもんは分かりませんよ、ねぇ、重田さん」
「ははは、そうですね。でも実際は簡単らしいですよ」
「はい。仕事中は人間とおなじ扱いで結構です。メンテナンスは当方が引き受けますので、問題があればご一報ください。こるりのボディは堅牢でして、その設計コンセプトは」
 東条がまた技術的な話をしようとするのを、俺は肘でつついて止めた。ぱっと立って、大声で言う。
「とにかく、よろしくおねがいします。あたし、ふつうの女の子より病気しないし、太ったりやせたりしないし、わがままだって言いません」
 黄髪は声を荒げた。
「かん違いしてるんじゃぁないかね。わがままは女の子の魅力だよ」
「えっ」
 なんで否定的なんだろう。困った俺は黄髪の顔を見つめたが、尊大な表情に変化はない。
 実際に踊るか歌うかしないとだめなのか。
 俺が悩んでいるうちに、先に東条が発言した。
「僕のこるりはね、歳をとらないのも重要な点なんですよ。いつまでも変わらない永遠のアイドルなんですから」
 東条は両手を握りしめて言った。
「ほら、過去に子役で、すごい人気を博した子っていたでしょう。それが歳を食ったらだんだんテレビにも出てこなくなっちゃって。ファンがどうしたのかなって心配してたら、『あの人は今』みたいな番組で、本人がすっかり間延びした体型を見せるわけですよ。もう昔の魅力なんて見る影もないんですから、幻滅するっていうか」
「ちょっと、だめだよ」
 いまの発言はマニアックすぎる。俺は東条の裾を引っぱったが、遅かったようだ。はたして黄髪は言った。
「なるほど、歳を取るまっとうな人間よりも、おたくはロボットのほうがお好きなわけだ」
「そ、そんな」
 交渉打ち切りのきっかけを与えてしまったようだ。黄髪は鞄を持って立ち上がる。
「このあとも予定があるんでね、またの連絡にするよ」
「待って、おじさん。あたしの歌を聴いてください」
「歌を聴かせたいんだったらオーディションに来な」
 黄髪は応接室の扉を開けるとき振り返りもしなかった。あとには間抜け顔の東条とおろおろする重田さんが残るばかりだ。
「あたし、行ってくる」
 俺は追いかけた。応接室を出たところはプログラマーのオフィスで、社員たちがキーボードを打つ音が部屋中に響いている。
「あれ、社長。芸能プロダクションの人ならいま帰りましたよ」
 驚く社員たちをすり抜けて、反対側の廊下へと出た。しめた、うちのビルののろのろエレベーターは黄髪の足を止めてくれている。俺は黄髪と同時にエレベーターに入り、やつとふたりきりになるチャンスを得た。
 鉄の扉が閉まる。十階から一階までの一分半。ビジネスマンならだれもが武者震いするだろう、社運をかけたエレベータートークだ。
「おじさんっ」
 俺は黄髪に呼びかけた。甘えておねだりするか。泣き落とすか。真剣に訴えるか。俺は真剣を選んだ。
「こるりの舞台を見てみたくないですか」
 垂らした両手に力を込め、黄髪のサングラスをまっすぐに見つめる。
「あたしを見てください、本気でサイキョーです。ぜったいかわいいって自信があります」
 俺は頭を下げた。髪がさらさらと、耳に当たった。
「お願いします、あたしに歌わせてください」
 頭からつま先まで、黄髪は俺の全身を見下ろしているはずだ。だが、黄髪から返事はなかった。
 一階へ着く鐘が鳴る。歩み去るときに、黄髪がひとことだけ言った。
「どう取りつくろおうが、あんたは本物の女の子じゃないんだ。せめておやじ臭さをなんとかすることだね」
「うそ」
 俺は叫んだ。
「あたし、おじさん臭くなんかない」
 玄関を通して、黄髪が手を挙げるのが見えた。すぐにタクシーが来て、黄髪をさらっていった。


 あとがき
 本作品は、2004年に有志が行った競作企画に応募したものです。そのとき得られた感想をもとに、内容を一部書き換えました。特に結末を大きく変更しましたので、改訂版として改めて発表することにしました。感想を頂いた方には感謝いたします。
 本作品は「TSすることで変化するアイデンティティーってなんだろう」というテーマで書いております。主人公は今後様々な危機に襲われるのですが、がんばって乗り越えていきますので、どうかおつきあい下さい。全8回です。

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