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 豊臣秀吉が天下を統治することができたのは言うまでもなく関白に任じられたからで、甥の秀次にその地位を
譲っても権力を維持していた。太閤とは関白を辞した人のことで、いわば御隠居のはずなのだがなぜか現役の関
白よりも政治に口を出すのだ。しかし、御隠居が権力を振るえるのは関白の父だからであり、秀吉も関白秀次の
養父だから政治の実権を掌握できるのだ。この秀吉・秀次・秀頼の3人で関白職が受け継がれていたら問題は何
も無かったのだが、御存じのとおり秀次が謀反の疑いをかけられて粛清されてしまったことで由々しき事態とな
ってしまった。
 関白とは天皇の代行で政治を行う職であり、幼少の秀頼がすぐに受け継げるものではない。かといって秀吉以
前に関白を務めてきた五摂家に関白職を返還するつもりなど秀吉にはない。現在に例えるなら総理大臣が不在と
いうことだ。秀吉は関白を辞めてからも太政大臣という朝廷の極官(つまり、これより上は天皇しかいない)の
地位にあったが、太政大臣とは天皇の師範、国家の手本となり得る有徳者が任じられるもので太政官の公事には
関わらないと規定されていた(ただし、関白などに就いていた場合はそれによる政治的権限を有する)。しかも、
太政大臣は該当者が無ければ欠員となる則闕の官であり、息子の秀頼が世襲できる性質のものではない。
 つまり、秀次粛清後の豊臣政権は太政大臣という偉いけど何の職掌もない地位にいる秀吉の軍事力と、諸大名
との個々の主従関係、大名間の私闘を禁じた惣無事令によって維持されていたのだ。ところが、秀吉生前にはす
でに惣無事令が天皇の意向を無視した秀吉の朝鮮出兵という明らかな私戦でその論理が破綻し始めていた。それ
でも、日本の土地のほとんどを支配する武家のすべてが秀吉に臣従していたから、法制上は何の政治的権限を有
さない状態でも秀吉は日の本を治めることができた。だが、それも秀吉の死で破綻してしまう。
 武家の主従関係は『御恩と奉公』という一種の契約で成り立っている。家臣は恩賞としての土地をもらうため
に必死で戦うのだ。特に足軽上がりという低い階層からのし上がった秀吉は、自分よりも家柄が高い諸大名の忠
誠を得るために土地を与え続ける必要があった。しかし、日本には彼らに与える土地はもう無い。そこで大陸に
兵を出して土地を分捕ることにしたのである。もし、大陸征服が成功すれば豊臣家の基盤は盤石のものとなった
であろうが、実際は大陸どころか半島の制圧もできぬまま秀吉が死んでしまった。
 秀吉の死で日明戦争は勝敗が決まらぬまま終結した。当然、恩賞として与える土地は無いし、秀吉は遺言で秀
頼が成人するまでは新たな領土の宛がいはせぬように命じている。だが、諸大名にはそんな悠長なことを言って
いられない事情があった。彼らもそれぞれの領国では家臣に恩賞を与える主君である。当然、戦場で奮戦した家
臣に論功行賞をする必要があり、また長引いた戦争で領内の生産者たる農民が根こそぎ動員され都市部の非生産
者がその代わりに連れてこられるというぐらい領内が疲弊した大名は少なくない。彼らには何が何でも新たな領
土をもらわなければならなかったのである。しかし、日本にはもう余っている土地は無い。もらえたのは島津・
細川・堀尾の3家のみでそれも数万石という少なさである。
 土地が余っていないなら力ずくでも奪うまで。彼らは国内での新たな戦争を渇望するようになった。戦国最大
の動乱が発生する根底には彼らの領土欲があったのである。







WILD GOOSE  PAULOWNIA
(後編)

作:大原野山城守武里




  【登場人物】
 結衣
柴田勝家とお市の方の長男として誕生したが、豊臣秀吉の手勢から姿を隠すために神様によって少女とされた。剣の達人。

 江原俊介
未来からきた青年。直江兼続の大ファンで西軍を勝たせるために徳川家康の暗殺を企てる。名刀・電光丸でほぼ無敵ともい
える剣の腕前を持つ。名前はT−1000の声優さんから。

 得川(えがわ)信元
通称は次郎三郎。容姿が家康と瓜二つのため影武者となる。

 本多忠勝
上総大多喜城主。徳川家康の重臣で、結衣を客将として迎える。戦場で負傷したことが無い。

 井伊直政
上野箕輪城主。徳川家譜代では新参の部類に入る。一軍の将となっても一騎駆けの癖が抜けない。自分にも他人にも厳しい
性格で『井伊の赤鬼』という異名は伊達ではない。

 福島正則
尾張清州城主。豊臣家子飼いの武将で武功派の代表格。非常にプライドが高く、徳川家康にも喰ってかかったこともある。

 石田三成
近江佐和山城主。秀吉死後の豊臣を守るため徳川家の排除を目論むが、そのことが却って家康の派閥強化につながった。

 島津惟新
豊臣政権では島津家当主とされているが、国元では兄・龍伯が依然として当主として実権をふるっていた。

 島津豊久
日向佐土原城主。惟新の甥。

 小早川秀秋
筑前名島城主。豊臣秀吉正室・北政所の甥で一時は秀吉の養子になっていた時期もあり将来を嘱望されたが、秀頼が誕生す
ると厄介払いとして小早川隆景に養子に出される。以後は秀吉から冷遇された。



 秀吉が死んだあと、結衣は豊臣家から暇を頂戴していた。秀吉を失い幼君を支えていかなければならない家臣
団が内紛を起こしているようでは豊家の天下が遠からず崩壊するのは明白で、結衣の復讐はほぼ完了したからだ。
その結衣の予測通り、大老職にある徳川家康が他の大老を屈服あるいは弱体化させたり友好な関係を構築した
り、反徳川勢力の急先鋒である石田三成を失脚させたりして政治の実権を掌握しており、このままいけば平和裏
に徳川が天下を簒奪するかと思われた。誰かが思わぬ無能さをさらけ出さなかったの話だが。
 さて、伏見城を出た結衣は宮根喜三郎の計らいで伏見の空き屋敷で住むことになった。喜三郎は主君の三成と
ともに佐和山へ退去することになり、結衣にも一緒に来ないかと誘いをかけたが結衣は断った。それならと屋敷
を用意してくれたのだ。それだけでなく、なんと三成からもしばらくは生活できるだけの食糧とお金が支給され
たのだ。女の一人暮らしは大変だろうからだというのが三成の弁だ。

「いい人ではあったな」
 家人もいない屋敷で結衣は大の字に寝そべっていた。結衣の身分では不相応に立派な屋敷だ。喰う分には当分
困らないし、貯えがなくなったらいつでも援助すると三成は言ってくれていた。結衣が仕えていた二ノ丸殿から
の口添えもあったらしい。

「でも、あの人は敵だ」
 結衣はこれから江戸に旅立つことになっていた。数日前、いきなり神様が現れてこんなことを言ってきたのだ。

「未来から徳川家康を暗殺しに来た輩がおる。そやつを見つけ次第殺して家康を守るように」
 久しぶりの挨拶もなしにそんなこと言われても結衣だって「はい、わかりました」とはいえない。詳しく事情
を訊くと、間もなく日本を二分する戦が勃発して徳川家康率いる東軍が勝利して徳川家が覇権を握るらしい。そ
して、家康は江戸に幕府を開いて名実ともに天下人になるというのだ。これは世界中の神々の頂点に立つ『歴史
の道標』が決めたことで変更は絶対に許されないのだ。それを人間ごときが変えるとは言語道断である。しかし、
神が直接人間に手を下すことはできない。そこで結衣に白羽の矢が立ったのだ。

「まあ、そういうことだから宜しく頼むわ。力も一つ与えておいてやる。誰でもお前を信用する力だ。例によっ
て1回しか使えんからな。注意するように。なお、このミッションで君が逮捕・拘束されたとしても当局は一切
関与しない。では、健闘を祈る。オーバー」
 ところどころ、結衣に理解不能な単語も発しながら言うだけのことを言うと神様はさっさと消えた。ターゲッ
トの顔写真を残して。結衣はその写真を拾うと食い入るように見つめた。

「なんか人間が絵の中に入っているような感じだな」
 試しに声をかけてみた。

「おーい、聞こえているか?」
 返事はない。やはり絵なのか。神様なら人間を本物そのままに描けたとしても不思議ではない。写真を知らな
い結衣はそう納得することにした。

「しかし、殺せとは穏やかじゃないな」
 もっと穏便に済ませることはできないのだろうか。説得して未来に帰ってもらうとか。だが、そう提言しよう
にも連絡のしようがない。これは一切の質問や意見は受けないということだろう。もしかしたら、こうして結衣
と会うだけでも憚れることだったのかもしれない。もしそうなら、事は結衣が思っている以上に深刻ということ
だろう。

「ずっと暇だったからな。やってやるか」
 結衣はあの神様には恩義があった。結衣が秀吉の配下の軍勢に襲われた時に、当時まだ男だった結衣を女にす
ることで難を逃れさせたのだ。そして、結衣に剣を教え不思議な術を授けてくれたのである。そのおかげで結衣
は秀吉にささやかな仕返しをすることができたし、豊臣家臣団に生じた亀裂をさらに広げることにも成功した。
その結果、秀吉が自身の死後も豊臣家の天下を維持するために作った十人衆体制は機能不全を起こし家康の専横
を許すことになった。もはや豊臣家の天下は崩壊寸前であり、復讐を果たした結衣はすることがなくて暇を持て
余していたところである。
 その次の日から写真を手掛かりに未来から来たという人を捜索して見つけて戦いを挑んだらコテンパンにやら
れて尻尾を巻いて逃げてしまったのだ。その日は悔しくて眠れなかった。一昨日のことだ。

「あの野郎、絶対に仕返ししてやるからな」
 リベンジを誓う結衣だが、まともにやりあっても勝てそうにない。ならばと家康の身辺警護をすることにした。
家康はいま伏見を発って江戸に向かっている途中だ。会津の上杉景勝を討伐するためである。

 事の発端は仙北の戸沢政盛と越後の堀秀治が上杉に謀反の疑いありと家康に訴えたことから始まる。当初、家康
はその訴えを取り上げなかった。堀らは上杉が城を修築したり牢人を大量に召し抱えたり街道を整備したりしてい
ると言っているが、上杉家は太閤が薨去する直前に越後・信濃川中島・佐渡・出羽庄内91万石余りから陸奥会津
・出羽米沢・同庄内・佐渡・越後の一部の120万石あまりに加増移封されており、家臣団の増強と領内の整備に
余念がない状況だった。堀らの訴えは言いがかり以上のものではなかったのだ。それに、中央が政争に明け暮れて
いる時に上杉景勝が領国に引っ込んでいる状況は家康にとっても好都合だった。
 だが、状況は数ヵ月後に一変する。今度は上杉家重臣の藤田能登守が主家を出奔し、主に謀反ありと訴え出たの
である。内部告発であるだけに家康も放っておくわけにはいかなかった。むしろ、好都合だった。これで上杉も屈
服させたら家康に刃向かう者はいない。
 とは言っても、家康は最初から武力制裁を考えていたわけではない。景勝が素直に上洛をして弁明すればそれで
よかった。事実、景勝の詮議は文書と使者の口上とで穏便に始まっており、家康としては景勝を寛大に扱い上杉家
を取り込んで終わらせるつもりだった。戦争を望んでいたのは福島・加藤らの諸大名である。領土の加増を切望し
ている彼らにとって前田だろうと上杉だろうとその領土を切り取ることを期待していたのだ。そして事態は彼らの
期待通りに動く。
 家康が事を穏便に済まそうと考えていたように上杉も平和裏に事が済めば良いと思っていた。だが、最初から神
妙にしていたのでは、前田家のように一方的な条件で屈服させられることになる。いずれは従うにしても少しでも
上杉の武威を誇示して家康からの譲歩を引き出そうと景勝らは考えた。そこで上杉家の執政である直江兼続は、家
康への返書にただちに上洛して弁明せよとの仰せだが領国の仕置きのために延引はやむを得ない、上洛は讒言者の
糾明という条件であれば応じる用意があるがそれが履行されないうちの上洛はあり得ない、一方的な難詰はとうて
い承服しかねることだが家康に反抗する意思はない、それでもあえて討伐すると言うなら受けて立つしかないと書
き記した。要するに上杉は一方的な被害者であり、それでも難癖をつけるならいつでも相手になってやるから来る
なら来てみろとかなり強硬なことが書いてあったのだ。書いた本人はその痛快ともいえる文面に満足しただろうが、
それを読んだ相手がどう思うかは考えもしなかったようだ。当然、家康はその無礼極まりない書状に激怒して諸大
名に会津征伐を号令した。直江兼続は主君のプライドばかりを気にして必要以上に家康を挑発して平和的解決への
道を自ら閉ざしてしまったのである。兼続は上杉家が置かれている戦略的状況(隣国のほとんどが敵性勢力)を考
慮せずに家康を挑発したことで思わぬ無能が露見してしまった。兼続はこの後、親友の石田三成と書状のやりとり
をしているが、それは自分の失態を少しでも返上したかったからだろう。しかし、この時期の三成は謹慎中の身で
あり身動きが取りにくい状況にあった。

 江原俊介とかいう未来人に勝てないのなら、その目的を達成するのを阻止するしかない。それには結衣が直接家
康を警護するのが上策だが、どこの誰かわからない女が言うことなんて信用されない。一応、二ノ丸殿に仕えてい
たという経歴があるが、二ノ丸殿はどちらかというと三成側に近い人物である。そこに縁がある結衣を徳川方が信
用するのはあり得ないだろう。ならば、強制的に信じさせるだけだが、神様からもらった相手を信じさせる術は一
回しか使えない。徳川方の人物、それも家康がその言葉を信じるであろう徳川の重臣に術をかけて信用させるのが
ベストであろう。そして、その重臣に結衣を推挙させて家康の警護役を得るのだ。ただ、それだけでは実際に襲撃
を受けた際に家康を守りきれるという保証はない。もうひとつ、策が欲しいところだ。

「何かいい手ないかな」
 とはいっても元来そんなに頭が良いとは言えない結衣に策をひねり出せというのは無理がある。急がないと家康
はどんどん京都から遠ざかっている。今日中には伏見を発ちたいところだ。結局、考えは浮かばないままでとりあ
えず出立することにした。

(もうここには戻らないからな)
 すでに家財道具は処分して江戸までの旅費にしてある。屋敷も他人に売却済みだ。無論、石田三成にはその旨を
手紙に書いて送ってある。手紙には他にいままでの厚意に対する感謝と田舎に帰ることにしたことを書いてある。
それは結衣の三成への決別だった。
 結衣が神様からの依頼を引き受けたのは恩義だけではなかった。神様が語った未来−近いうちに石田三成方と徳
川家康方の武力衝突が勃発して石田方が壊滅的打撃を被って潰滅し徳川家が天下を掌握する−は結衣にとって三成
との決別を決意するのに十分な動機となった。石田家が消滅すればそこからの援助で生活していた結衣はたちまち
困窮してしまう。路頭に迷うぐらいなら徳川方に鞍替えした方がマシだ。無論、それなりの手柄はあげるつもりだ
し、家康を暗殺から守ったとなったら徳川家に仕官するのも可能性が無くはない。ただ、女であることが仕官を難
しくさせる可能性も無くはない。それならそれで徳川家の重臣から婿をもらうという手もある。もう結衣もいい年
だ。いい婿をもらって家庭を持つべきだろう。もっとも、本人にはまだその気は無いのだが。

 京都を発つ前に結衣は馬を買った。会津表まで徒歩で行くのはさすがにキツイからだ。他に奉公人も雇うことに
して、知り合いに茂作という男を紹介してもらった。茂作は30歳前後で、その道15年のベテランだそうだ。自
分を雇ったのが女と聞いた茂作は最初憮然としていたが、それが結衣だと知ると態度をコロッと変えた。凄腕の傾
奇者を瞬殺した結衣の武勇伝は未だ神通力を失っていなかったようだ。

「へへっあっしは茂作と言います。以後、宜しくお願ぇしますぜ……っと、旦那…じゃねぇな。すいやせん、何て
呼ばせてもらったらよろしいんで?」
「結衣でいいよ」
「結衣さまですか。わかりやした。精一杯仕えさせてもらいますぜ」
「よろしく。じゃ、これ」
 結衣は巾着を茂作に渡した。ずっしりとした重さの巾着に茂作は、

「なんですか? これ」
「開けてみて」
 茂作は巾着を開けてみた。中には金がびっしりと詰まっていた。

「こ、これは?」
「他にもあるよ。ほら」
 と、結衣はさらに二つの巾着を茂作に渡した。

「それが私の全財産だ。しっかり管理してくれよ」
「あっしがですかい?」
「そうだ」
 あっけらかんと言う結衣に茂作は唖然となった。初対面の相手にいきなり全財産を持たせるなんて何を考えてい
るのかと結衣の真意を訝ったが、結衣は別に茂作に金を預けることに何の危険性も感じていないようだ。

(お人好しというか世間知らずというか)
 茂作は内心呆れながらも金を預かることにした。いざとなったら持ち逃げもできるからだ。

「じゃ、行こうか」
「へい」
 こうして結衣は京都を旅立つのでした。

 東海道をひたすら東に向かう結衣はずっと江原俊介のことを考えていた。初めて対峙した時、結衣は簡単に勝て
るなと楽観していた。江原俊介の構えはどう見てもど素人だったからだ。だが、実際に戦ってみると結衣は圧倒さ
れぱなっしで命からがら逃げてしまった。口ほどにもないとはこの事だが、結衣にはどうしても江原俊介が剣の達
人とは思えなかった。なんか刀が勝手に動いているような感じがしたのだ。

(刀が自分の意思で動く?)
 そんな馬鹿なと一笑に付すも、あの刀の動きはそう思わないと理解できない。

(妖刀の類か…いや、あの刀からはそんな禍々しいものは感じられなかった……)
 いくら家康の側で警護できたとしても、江原から家康を守れなかったら意味がない。家康の祖父も父も暗殺で命
で落としたように戦国武将にとって暗殺という危険は身近なものなのである。織田信長も銃で狙撃され暗殺されか
けたことがある。まあ、当時の銃の精度では狙撃して暗殺は困難で、成功例は三村家親が遠藤兄弟に狙撃されて死
亡したぐらいしかない(だから、武田信玄が野田城で狙撃されたという話は信憑性が薄い)。江原は自分の剣の腕
に自信を持っているから銃を使うことは無いだろうと結衣は判断していた。
(でも、奴は強すぎる)
 あの後、結衣は金で人を雇って江原を襲わせたことがあった。5、6人のそれなりに腕に覚えがある連中ばかり
だ。だが、江原はそんな連中をあっという間に斬り伏せてしまったのだ。

(どうしたものか……)
 京都を出てからずっとその事を考えていたが、未だに良い案が思い浮かばない。思案に夢中で茂作が声をかけて
もすぐには気付かないぐらいだ。そんな結衣の思考を打ち切ったのが急な大雨だった。

「うわっ?」
 急に降りだした雨に結衣は笠をかぶったが、蓑の用意がなくて身体は雨に晒される一方だ。

「どっか近くに民家は無いのか?」
 茂作は何回もこの道を通っている。

「ちょっと行った先にボロ家がごぜえます。人が住んでいるかは知りやせん」
「よし、そこで雨宿りしよう。急げ」
 結衣が馬を走らせると、茂作もそれについて行った。

「あれか?」
 視界の先にそれらしきボロ家が見えたので結衣がそれを指さすと茂作が「そうです」と答えた。確かにボロいが、
この際贅沢は言えない。結衣たちはその家に急行した。人が住んでなさそうなくらいのボロ家だが、ちょっと休憩
ぐらいなら問題は無く、すでに先客がいた。

「おお、貴殿らも雨宿りか。だいぶ、濡れておるな。ささ、はよう身体を温めるがよろしかろう」
 家の中に入ってきた結衣をかなり年輩と思われる男は気さくに囲炉裏に誘った。結衣はお言葉に甘えることにし
て茂作に声をかけると、囲炉裏で濡れた身体を乾かすことにした。服もびしょ濡れなので脱いだ方がいいのだが、
男の目がある場所では脱ぎたくても脱げない。以前は男の前でも平気で肌を晒していた結衣も二ノ丸殿に仕えるよ
うになってからは、それなりに女としての羞恥心を持つように躾けられていた。しかし、この時の結衣は騎乗する
都合上、若武者風の衣装を着ており男は最初結衣を美少年と勘違いしていた。やがて、馬を拭いてやっていた茂作
も囲炉裏の側に来て、結衣は自己紹介をすることにした。

「私は結衣という見ての通り旅の者です。この者は私の供のものです」
「茂作と申しやす」
 二人に自己紹介された男はしばしポカーンとしていたが、すぐにハッとなって自分の名を名乗った。

「儂は得川次郎三郎じゃ。結衣殿か。いや、男にしてはあまりにもキレイなのでな。女性であったか」
 そうか、そうかと次郎三郎はうん、うんと頷いた。と、同時に自分が服を脱いで乾かしている状態であることを
思い出し急いで服を着ようとするが服はまだ乾いていない。

「あ、私は気にしませんので」
 結衣がそう言ったので、次郎三郎はまた服を乾かし始めた。結衣は茂作にも服を脱いで乾かすように言った。だ
が、結衣は服を脱ごうとはしなかった。その理由を察した次郎三郎は結衣に背を向けた。

「儂は向こうを向いておるから結衣殿も服を乾かした方がよいぞ」
 それにならって茂作も結衣に背を向ける。結衣は服を脱いで乾かし始めた。何か身体に巻きつける布かなんかが
あればいいのだが、この家にはそんな物はなかった。囲炉裏に背を向ける男二人の背を見て結衣は思う。別に見ら
れて減るものではないけどと。ただ、女が肌を露出するものではないと、周囲特に姉の二ノ丸殿にうるさく注意さ
れたから、そういうものなのだと考えているにすぎない。男の時は汗をかいて服を脱いでも何も言われなかったか
ら、女になったからどうのこうの言われても困る。
 数時間後、服も乾いたので3人はようやくお互いの顔を正面から見て会話することができた。

「?」
 次郎三郎と顔を合わせた結衣はさっきは気付かなかったが、次郎三郎の顔が誰かに似ていると感じた。

「あの、どこかでお会いしませんでした?」 「いや、覚えはないが」
 気のせいか? とも思ったが、結衣はまじまじと次郎三郎の顔を見てみた。確かにどっかで見た顔だ。かなり白
髪が目立つのでかなりの高齢と思われるが、顔立ちは端麗で身体も引き締まっていてそんなに年齢がいっているよ
うには見えない。誰に似ているのか。結衣は知っている年寄りの顔を思い浮かべていった。そして、

「あっ」
 一人該当する人物がいた。結衣はその人物とは数回しか会ったことが無いし、会ったといっても見かけた程度で
会話したことは一度もなかった。当然、その人物は結衣のことなど知らない。して、その人物とは徳川家康である。
次郎三郎は徳川家康に瓜二つなのである。そのことに気付いた結衣は妙案を思い付いた。

(そうだ、影武者だ)
 次郎三郎を影武者として家康に侍らせておけば暗殺者の目をごまかすことができる。我ながら良い案と自画自賛
した結衣は次郎三郎に家康の影武者にならないかと言ってみた。次郎三郎は意表を突かれのか一瞬動きを止めたが、
すぐに我に返り、

「いきなり何の冗談だ?」
 結衣が冗談でないことを伝えると次郎三郎は即座に断った。結衣は家康の影武者になれば一生安泰だと言った。
主君と常に同じ動作を要求される影武者は食事も主君と同じ物を食べる。その家中で一番豪勢な食事ができるのは
主君なので家康の影武者になれば次郎三郎は豪勢な食事ができるのだ。もっとも、家康は質素な生活をモットーと
しているわけだが。

「興味は無いな」
 次郎三郎は一蹴した。

「儂は自由人だからな。この歳になるまで誰にも仕えたことはない。今更、仕官しようとは思わん」
「でも、老後のこと考えたら安定した職業に就いた方が……」
「興味無いと言うたであろう。儂は束縛された暮らしができぬ男なのだ」
 断固拒否の構えの次郎三郎に結衣は何か別の誘い文句を考えた。現時点で他に良案がない結衣には次郎三郎に家
康の影武者になってもらうしかなかった。

「あなたは争いのない世を作りたいとは思いませんか?」
「どういうことだ?」
「私は徳川様が争いのない世を作れる唯一のお人と思っています」
 別に本心ではない。

「私の両親は戦で命を落としました。育ての親も殺されました。私は姉のもとに身を寄せることで何とかいままで
生き延びることができました。しかし、親を殺された悲しみはいまも忘れていません。もう、そんな悲しみが生ま
れることがない世を私は作りたいのです」
「だが、儂には徳川が世を乱しておるように見えるが。主君が幼いのをいいことに専横を極め、邪魔となる者は容
赦なく排除する。今度の会津征伐もそうであろう。むしろ徳川を排除した方が世は治まるのではないのか?」
 次郎三郎の指摘に結衣は毅然と反論した。

「いえ、それは違います。あなたは知らないかもしれませんが、豊臣家の天下はもはやガタガタです。太閤亡き後、
家臣団の内紛は激しさを増し、修復は不可能です。長年の朝鮮での戦で諸大名は窮乏していますが、奉行たちはそ
れに対し有効な手を打てずにいます。このまま行けばこの国は再び乱世に逆戻りしてしまうでしょう。いまなら、
まだ豊臣家の統治機能もしっかりしているので徳川が反対派を粛清することで容易に天下は豊臣から徳川に移行し
ます。そうなれば粛清した大名の領土を恩賞とすることで諸大名の不満も解消されます」
「しかしな……」
「では、こうしましょう。一度、徳川様にお会いして、それからお決めになられては?」
 結衣の提案に次郎三郎はしばし思案して、それならと承諾した。いまでも家康の影武者になるつもりはまったく
無いのだが、懸命に訴える結衣に心を動かされたのだ。

(昔から女には弱いな儂は)
 そう心の中で自嘲した次郎三郎はいつの間にか雨が上がったので外に出た。次郎三郎が出たのを確認した茂作は
結衣に身を寄せ、

「大丈夫ですかい? あんなこと言って」
「大丈夫だ。私は徳川のさる重臣と面識があるからな。彼を徳川家康と会わせるぐらいのことはできる」
 自信たっぷりの結衣に茂作は自分がとんでもない人に仕えたのではないかと思った。





 7月21日に江戸を出発した徳川家康が、野州小山に到着したのは24日だった。すでに、津川口を除いて上杉
包囲網は整いつつあった。その兵力は徳川勢・関東勢・豊家譜代諸侯の15万を主力に、奥羽の伊達・最上ら6万
と北陸の堀一族とその与力諸侯の2万、さらに前田利長の軍勢2万と西国の諸勢が後から到着することになってい
るので30万ぐらいになるであろう。それに対し上杉家は、専守防衛に徹した場合は100石につき6人が動員可
能となるので兵力は7万を超える。いかにも劣勢だが、上杉家首脳部は徳川勢を白河前面の原野と沼沢地に誘引し
て撃破するという作戦を立てており意気軒昂だった。しかし、そのための兵力を他方面からギリギリまで抽出して
いるため決戦に失敗して長期戦になれば信夫口・棚倉口・米沢口・津川口が突破される危険もあった。徳川勢と対
峙する白河口での決戦に敗北すれば上杉家の敗北は確定的となり、上杉としては白河口にすべてを賭けるつもりで
いた。
 一方の徳川家康は圧倒的な戦力差からか楽観的だった。関東管領の上位者たる地位を得て死の直前まで関東に野
心を抱いていた不識庵謙信の後継者たる上杉景勝と実際に関東を治める家康の関係は微妙なものだった。上杉家が
越後から会津に移封されると両家の間はさらに悪化する。それ以前に会津を治めていた家康の娘婿である蒲生秀行
を大幅に領土を削減して転封したあとの移封だけに家康の上杉に対する心証が良くなるはずもなかった。今回の会
津征伐は、目障りな上杉家を潰す絶好の機会であると同時に120万石という大領を諸将に恩賞として分配するこ
とで、家康が諸将に論功行賞を行ったという既成事実を作ることもできるのだ。論功行賞は主君にしかできない。
さらに、家康が畿内を留守にしたことで挙兵するであろう石田三成ら反徳川勢力を殲滅すれば、家康は天下をほぼ
手中にすることになる。

「まさか儂が天下を狙える立場になろうとはな」
 陣を見回っていた家康は思わずそんなことを呟いた。かつて豊臣秀吉は言った。儂も最初から天下人になろうと
思っていたわけではない。ただ、信長公が亡くなられたときに儂以上に力がある奴がいなかったから儂が天下を獲
ってやろうと思っただけだ、と。その秀吉も死んで、現時点で家康より力がある人間はいない。ならば、家康が天
下を獲ったとしても秀吉は文句は言えないはずだ。

(だが、油断は禁物だ。想定外のことはいつでも起こり得るものだ)
 気がかりなのは棚倉口を担当する佐竹義宣の動向である。佐竹は石田三成と親交を結んでおり、上杉家とも親し
いので敵に内通しているとの噂があった。さらに気がかりなのは上方の情勢である。近江大津の京極高次から不穏
の動きがあるとの報せがあり三成らが挙兵するのは時間の問題というのがわかった。それに未確認ながら毛利輝元
が加担しているらしいのだ。家康は輝元とは義兄弟の契りを交わした仲で、約束違反や寝返りが常の戦国の世とは
いえこの裏切りにはさすがに動揺を隠せなかった。

(しかし、儂は負けん)
 ようやくめぐってきたチャンスなのだ。絶対に天下を奪う。家康が決意を新たにしていると、家臣が駆けつけて
きた。

「申し上げます。伏見より使いが来ております」
 家康たちに緊張が走った。伏見には家康の老臣・鳥居元忠が城代として伏見城に詰めており、上方における徳川
方の拠点として機能していた。その伏見から急使が来たということは何か異変があったということである。事実、
元忠からの書状には7月18日に石田方から伏見城を開城せよとの要求があったことが記されていて開戦が間近で
あることが判明した。家康は家臣に命じた。

「諸将に伝えよ。明日、軍議を開くとな。それと福島を呼んでまいれ」
「はっ」
 家臣はただちに駆けて行った。すでに諸将には上方で挙兵の動きがあることが伝えられており、その中で福島・
黒田・加藤といった枢要な武将には毛利輝元がそれに加担していることも知らせていた。

「いよいよでございますな」
 井伊直政が話しかけてきた。京極高次や増田長盛らが石田方に挙兵の動きありと知らせてきたときに、上方に進
軍して討つべしと積極的な行動を進言した人である。それだけに開戦が間近という報せを受け武者震いする気分だ
ろう。それに対し家康は、

「うむ」
 と頷くも直政みたいに気分が高揚することはなかった。総大将として兵の士気も考慮して直政の意見に賛成した
ものの、目前に上杉軍が存在している状況で迂闊に上方に向かうことはできない。家康としては上杉を潰して後顧
の憂いを断ってから西上したかったが、豊臣譜代諸侯はただちに上方に向かうことを主張するだろう。

(行動を決めるには情報が少なすぎる)
 一番の懸案である毛利輝元の動向も定かではない。輝元が石田三成に加担しているとの情報がある一方で、毛利
家重臣の吉川広家からは輝元は今回の件については何も知らず、安国寺が勝手に仕組んだものと弁明する書状が届
けられていた。毛利家が敵になるか否かで今後の趨勢が大きく左右されるため、家康としては輝元の動向がはっき
りするまでは上方に行くつもりはなかった。だが、豊家譜代諸侯は毛利家が敵になれば上杉120万石にプラスし
て毛利家とその一族あわせて150万石も恩賞の対象となるので一刻も早く西上すべしと主張するだろう。

(とりあえず豊臣恩顧の武将のみを上方に向かわせるか)
 無論、徳川家からも監視のために誰かを派遣しなければならない。井伊直政が適任だろう。反転西上すべしと主
張していたし、家康と堀尾吉晴の連絡窓口となっていたことなどから豊臣系の大名にも顔が利いていたためだ。こ
れに軍監として本多忠勝を加える。その旨を二人に伝えると、二人とも了承した。そこへ、福島正則が来たという
報せが来たので家康がそっちに向かおうとしたところに、怪しい者を捕らえたという報せも飛び込んできた。

「それは某が対処いたしましょう」
 と、本多忠勝が言ったので家康は忠勝に任せることにした。

 福島正則との密談が終わった家康は明日の軍議に備えるためもう寝ることにした。野外陣地においても総大将の
寝所はそれなりに立派に作られている。家康がそこへ入ろうとすると、本多忠勝が寄ってきてひそひそと耳打ちし
た。

「それは真か?」
「はっ、間違いないものと」
 家康はうーんと考え込んだ。

「その者は信用できるのか?」
 家康の問いに忠勝ははっきりYESと答えた。やけに自信があるなと思わずにはいられなかったが、とりあえず
明日その者に会ってみることにした。
 翌朝、家康は忠勝と腹心の本多正信のみを従えて陣から少し離れた場所で、昨夜忠勝が話していた者たちと会っ
ていた。その者たちとは結衣と茂作と次郎三郎だった。昨日、捕らえられた怪しい者とは結衣のことだったのだ。
結衣は取り調べにあたった忠勝に術をかけて自分を信じるようにして、家康と会わせるように頼んだのだ。

「お初にお目にかかります。私は結衣と申します」
 結衣は深々と頭を下げた。大物を目の前にしてさすがに緊張は隠せない。同じように次郎三郎も自己紹介したが
頭は下げなかった。正信がそれを咎めようとしたが家康はそれを制して、

「話は平八郎より伺っておる。なるほど、よく似ておるわ。そうは思わんか? 弥八郎よ」
 振られた正信も、次郎三郎が家康に瓜二つであることに異論はなかった。祖父と父が続けて暗殺によって命を落
としている家康の身を心配して徳川の家臣たちは影武者を捜していたのだが、なかなか該当する人物が見つからず
にいたのだ。だが、いくら似ているとはいえ「はい、そうですか」と影武者にするわけにはいかなかった。何しろ、
結衣たちは正信からしたら素性の知れぬ輩だからだ。結衣は家康を暗殺者から守るために影武者を連れてきたと言
っているが、その結衣たちが石田方から放たれた刺客かもしれないのだ。嘘や裏切りが日常茶飯事の乱世を生きて
いる者からしたら当然の疑念である。それに対し忠勝が反論する。

「この者どもは絶対に殿を裏切ったりはせぬ。殿の御身をお守りするためにも影武者は必要じゃ」
「何を根拠に裏切ったりはせぬと申される。この者たちは本多殿のお知り合いか?」
「いや、昨夜初めて会った。だが、儂はこの者ども特にこの娘だけは信用できると思うておる」
 頑なに結衣を信じると言う忠勝に正信はなおも何か言おうとしたが、いくら言ったところで忠勝の気を変えるこ
とはできないだろうと考え家康に目を向けた。影武者にするかどうかを決めるのは家康だからだ。その家康は先ほ
どから次郎三郎に目を合わせたままだ。次郎三郎も平然とそれを見返していた。大物を前にしても堂々としている
態度に只者ではないと正信も認めた。それだけに次郎三郎が信じられるかどうかが問題だ。その当の次郎三郎は影
武者になるつもりはなかった。結衣がとりあえず家康に会ってから決めてみたらと言うのでついてきただけだ。雲
のように自由に生きることを信条としている次郎三郎のような人間は、殿さまや公家といった偉そうな人間が好き
じゃないのだ。少しでも家康が気に障るようなことをしたらすぐに立ち去ろうという気持ちでいた次郎三郎だった
が、家康が見せた思わぬ行動に度肝を抜かれた。何と家康は、

「次郎三郎とやらどうか儂の影武者として仕えてはくれまいか」
 と次郎三郎に対して深々と頭を下げたのである。豊臣家ナンバー2で実力ナンバー1の家康が、次郎三郎みたい
な下層の身分の者に頭を下げたのだ。これには誰もが驚いたが、家康は次郎三郎が地位や金で動くような人間では
ないと見抜き、そういう人間に物を頼むには礼を尽くすしかないと判断したのだ。さすがの次郎三郎もこれには驚
かされたが、自分のような者にも礼を尽くす家康に感じ入った。次郎三郎は徳川が天下を握るまでという条件で、
影武者を引き受けることにした。

 その後、家康は直政と忠勝と共に諸将との会議に臨んだ。その様子を結衣と次郎三郎は隠れて見ていた。家康の
動作を見て勉強しているのだ。会議は忠勝が上方の情勢を諸将に報告したことから始まり、次に家康が次のような
ことを述べた。

「仔細は先ほど本多中書が申したとおりである。石田治部少らが挙兵したとなれば方々が大坂に残しておられる妻
子が人質に取られるは必定、方々もさぞ心配でござろう。ついては方々には今後どうされるかを決めていただきた
い。石田方に味方されようともこの内府は少しも恨みには思わぬ故ご安心くだされ」
 家康が言い終えると場がザワザワしだした。誰もが石田三成に味方したいとは思っていないが、妻子のことが気
がかりであるし、何より秀頼母子が敵の手中にあるのが彼らに決断を迷わせることとなった。その時、福島正則が
コホンとわざとらしく咳をして立ち上がり家康の方をチラリと見やった。家康がかすかに頷くのを見て正則は口を
開いた。

「余人はいざ知らず、某は内府殿にお味方いたす。治部少は此度の挙兵を若君の命とほざきおるだろうが、御幼少
の若君にそのようなご命令がくだせるわけがない。あやつこそ、主家をないがしろにし天下の実権を奪わんとする
奸臣ぞ。内府殿は我らの妻子を気にかけて下されているが、妻子の命惜しさに誰が武人としての進退を誤ろうか!」
 この正則の発言で場の空気が一変した。諸将が次々と立ち上がり、

「黒田甲斐守、内府殿にお味方いたす」
「藤堂佐渡守、右に同じく」
「加藤左馬助も右に同じく」
 と家康に味方すると宣言したのだ。会議での流れは最初の発言で大きく左右される。そのため、家康は昨夜のう
ちに正則を密かに呼び出して、秀頼に一切危害を加えないと約束して翌日の会議で真っ先に味方になると言ってく
れるよう頼んでいたのだ。そして、家康の思惑通りにことが進み、さらに嬉しいことに山内一豊ら東海道の諸大名
が徳川に城を明け渡すと言ったことで、徳川方は迅速に西上することができた。これに対し石田方西軍はまず周辺
の制圧から始めなければならず、準備不足の状態で徳川方東軍の先鋒と対峙してしまうこととなり大きな敗因とな
ってしまうのだった。
 家康はまず豊家譜代諸侯の軍を先に西上させて、自身はまず江戸に帰還して上杉への備えをした後に続いて西上
することを諸侯に伝え了承を得ると軍議の終了を宣言した。軍議が終わると諸侯は慌ただしく出発の準備に取り掛
かった。井伊直政と本多忠勝、そして家康の4男で直政の娘婿である松平忠吉も一緒に西上することになっている
のでそれぞれの陣にもどった。結衣は忠勝の預りとなったので同行しなければならないのだが、家康の警護という
目的で来たため特別に家康の側にいることになった。
 上方の情勢はその後も家康の許に届けられたが、その中で家康を少なからず動揺させたのが二大老・三奉行連名
の『内府ちかひの条々』である。これまでの家康の背信行為を糾弾する内容で、これを豊臣政権中枢の大老と奉行
が連署したことで石田三成・大谷吉継ら一部のみの決起と考えられていた西軍が東軍に匹敵する規模の大軍になる
ことが判明したのだ。また、二大老の一人は毛利輝元でこれで毛利家の敵対も明らかとなった。家康が動揺するの
も無理はないことだろう。が、その一方でこの『内府ちかひの条々』は東軍の豊家譜代諸侯の三成への敵愾心をさ
らに煽ることにもなった。西軍が糾弾する家康の背信行為の一つに「秀頼成人まで知行の宛がいを禁ずるという太
閤の遺命を遵守することを誓った誓詞に背いて、忠節(功績)もない者どもに加増した」とあるが、確かに家康の
主導ではあったが大老や奉行(三成も含まれる)も連署しており政権内での合法的な手順は踏んでいるのである。
さらに、忠節も無い者どもとあるが、加増された細川氏は晋州城を攻略しているし、島津氏も泗川の戦いで大勝利
して明・朝鮮にも武名を轟かせている。その島津さえ忠節を評価されず加増が不当となるのなら、自分たちはなお
さら論功行賞など期待できないのではないか。三成が家康を糾弾することで自分たちを正当化しようとした目論見
は東軍の結束を固める結果となったのである。
 先手の豊家譜代諸侯が三成への憎悪をさらに募らせる一方で、家康はなかなか江戸から西へ向かおうとはしなか
った。西に向かった先手衆を除いても現有戦力で会津侵攻は可能であり、家康はその未練を捨てきれずにいたのだ。
だが、8月10日に伏見城が1日に陥落して鳥居元忠(大石内蔵助の高祖父)以下守兵ことごとく玉砕したとの報
せを受けると、家康も西上する決意を固めた。が、それでも豊臣恩顧の武将たちの去就に疑念を抱いたため、なお
も江戸に留まっている。家康が西上を決意したのは27日に先手衆が岐阜城を攻略したとの報を受けた時である。
そして、9月1日に家康は江戸を出発して東海道を西に進んだ。
 一方、目の前の敵が突如として撤退した上杉家はどうしたわけかそれを追撃しようとはしなかった。直江兼続は
上杉景勝に追撃を進言したが景勝にそれは卑怯だと却下されたとあるが、実際はそんなかっちょええ理由ではなか
った。上杉家は領内での迎撃戦のみを考え領外への進攻戦を想定した戦略プランを策定していなかったのだ。しか
も、同家の後方支援能力は豊臣家に臣従してその先進的な兵站システムを学ぶ機会を得ながらほとんど進歩してい
なかったのである。これでは大軍で関東進攻など夢の話で、代わりに上杉家は投入する兵力が少なくてすむ最上領
侵攻作戦を実施するのだった。





 9月14日、家康は美濃赤坂に到着して先手の豊家譜代諸侯の出迎えを受けた。家康に同行していた結衣主従は
ここで家康の元を離れ本多忠勝の陣に入った。家康のことが気がかりではあったが、影武者もいるし3万人もの兵
に守られているので安全だろうと判断したのだ。手柄を立てて徳川に仕官するという事も考えている結衣にとって
は、家康の元にいれば手柄を挙げる機会が少ないのでいる意味が無いのだ。そんな結衣は家康から拝領した甲冑に
身を包んでいた。少し胸が窮屈なのだが、それは仕方ないと結衣は納得していた。ちなみに、結衣は知らなかった
が、女性用の甲冑というのは実際に存在している。

「初陣にはちと歳をくいすぎているけどな」
 そう自嘲気味に独りごちると、結衣は大垣城がある方へと目を向けた。大垣城には西軍副将の宇喜多秀家をはじ
めとして、石田三成・小西行長・島津惟新らといった西軍の主要メンバーが籠って東軍と対峙していた。徳川方に
身を投じると決意したとはいえ、やはり三成と戦うことに結衣は躊躇いを感じていた。そんな結衣の肩を後ろから
誰かが叩いた。結衣が振り向くと、本多家家臣の幸田茂佐衛門が結衣の肩に腕をのせて、

「どうした? ボーっとしてよ」
「別に」
 結衣は茂佐衛門の腕を振り払うと、その場から立ち去ろうとした。それを茂佐衛門が追いかける。

「おい、ちょっと待てよ」
「何?」
 結衣は苛立たしげに言った。女である自分が戦場にいることを本多家中が快く思っていないことを承知している
ため何か嫌味でも言われるのだろうと思ったからだ。思い切り不機嫌顔の結衣に茂佐衛門は、思いがけないことを
口にした。

「なあ、俺と賭けをしないか? 今度の戦で俺がお前より手柄を立てたらお前は俺の嫁になる。どうだ?」
 どうやら結衣に惚れてしまっているらしい。しかし、初対面の相手に何を言ってんだと結衣はますます不機嫌に
なる。織田家の血をひく結衣には徳川の陪臣など眼中に無いのだ。そこで、次のような提案をした。

「別にいいけど、その代わり私の方が手柄が上だったらあんたは私の家来になってもらう」
 これは結衣が自分の力に自信を持っているからだ。

「ああ、いいぜ。お前が勝ったら家来になってやるよ」
 茂佐衛門も茂佐衛門で女に負けるわけないと思っているから簡単に受け入れてしまう。だから、もうすでに結衣
を嫁にしたつもりでいる。気が早いにも程がある。世の中、そんなに甘くない。二人の賭けを知った若武者たちが
自分たちも賭けに加わると言いだしたのだ。結衣は呆れてしまったが、実母ゆずりの美貌の持ち主であるため同世
代の異性から人気があるのだ。若武者たちは、一番手柄が上の者が結衣を嫁にもらう、結衣より手柄が下の者は結
衣もしくはその旦那の家来になることを決めた。
 その話を聞いた忠勝は高笑いした。

「笑いごとではありません」
 結衣はムッとなる。

「すまんすまん、されどそちは本当にその賭けに負けたら嫁になるつもりか?」
「いいえ、ありません。私は負けませんから」
「ほう、すごい自信だな。しかし、我が家中の者はいずれも勇猛な者どもばかりじゃ。ほんじょそこらの首では到
底敵わぬぞ」
「ご心配なく。大将首を挙げてごらんにさしあげますから」
 結衣の宣言に忠勝はまたもや高笑いするのだった。

 家康が赤坂に到着した9月14日の全国の情勢はどうだったか。まず、家康の三男・秀忠麾下の別働隊は信州の
本山を行軍中で、実際に赤坂に着いたのは19日で決戦には間に合わなかった。次に東北では直江兼続に率いられ
た上杉軍が最上義光領の第1防衛ラインを突破して長谷堂城を包囲していた。一方、九州では黒田如水が豊後立石
城に籠城していた西軍・大友吉統を降伏させている。最後に近畿では西軍に攻撃されていた丹後田辺城は前日に勅
命によって開城、同じく西軍の攻撃を受けていた近江大津城も降伏を余儀なくされ城主の京極高次は15日に城を
出て高野山に向かった。しかし、ギリギリまで西軍を喰い止めたことで西国一の勇将・立花宗茂ら15,000の
西軍は決戦に間に合わず西軍の大きな敗因となった。
 さて、総大将の家康が到着したことで東軍の士気は否が応にも高まった。その夜の軍議で福島正則は一気に大垣
城を攻めるべしと家康に進言したが、宇喜多・石田・小西・島津らの軍勢が籠城している大垣城を直接攻めるのは
得策ではないとして却下された。これは大垣城に戦略的価値が無いことも影響している。元々、大垣城は後方拠点
にすぎなかったのだが、前線拠点だった岐阜城が早期に陥落したため最前線となってしまったのだ。

「では内府殿は大垣城をいかに攻めるおつもりか?」
 正則の問いに家康は陣替を提案した。

「何とかして敵を場中(ばなか=敵味方の対陣している間の地)におびき出して一戦にて討ちとるべし。しからば
敵を引きかけるため陣所を移し替えるべきだと思うが如何かな?」
 諸将はこの提案に同意して退場した。だが、問題は場中である。意味通りに解釈するなら赤坂と大垣城の間とな
るが、三成が増田長盛に宛てた書状には敵味方の距離わずか200〜300mとあり狭すぎる。では、どこに陣を
移すか。すると、竹中重門が菩提山に陣替してはと言いだした。菩提山は竹中の領内で、大垣から西北西に3里ほ
ど離れた場所にあり中山道の垂井宿のほぼ北方に位置していた。なぜ、重門が菩提山を推挙したかというと、青野
原を扼する要害であり、中山道を挟んで南の南宮山と向かい合っていたからだ。南宮山には内応している吉川広家
が布陣しており、西軍を南北に挟み撃ちにすることができる。この提案を井伊直政と本多忠勝が取り次ぐと、家康
は妙案として採用することにした。

「諸将に伝えよ。知行100石につき、鍬1挺その他の下々の者は木か竹か縄を10尋ずつ用意して、明日の寅の
刻までに本陣に来て下知を待てとな」
 この時点ではまだ家康は開戦までまだ時間があると見ていた。だが、日付が変わって15日になって数時間が経
過した後、吉川広家から大垣城の西軍が城を出て関ヶ原方面に転進しつつあると報せがきた。この報せで東軍諸隊
は慌ただしくなり、福島正則などは独断でこれを追跡していた。仕方なく家康は関ヶ原にて敵を撃滅することに変
更した。
 西軍が大垣城を出て関ヶ原に転進したのは予想外なことが連続して起きたことが原因だった。東軍がしばらくは
様子見するだろうと分析していた石田三成は、その間に最前線を尾張清州まで進出させるつもりだった。ところが、
清州城の開城交渉に手間取っている間に東軍の先手衆が清州城に入り、徳川本隊が到着する前に美濃に進攻して岐
阜城を攻略してしまったのである。そのために、中継拠点にすぎなかった大垣城がいきなり最前線となってしまっ
た。そして、追い打ちをかけるかのように徳川本隊が到着した。西軍は徳川本隊が東海道を西に急行していること
を全く察知していなかったのである。家康が西軍の情勢を察知していたのと対照的である。三成の動揺は杭瀬川の
小さな勝利程度では治まらないぐらい大きなものだったのだ。三成は関ヶ原に移動して、そこで東軍を迎撃するこ
とにした。関ヶ原には、毛利勢他が布陣している南宮山と大谷勢他が周囲に展開している松尾山があり、防衛ライ
ンを形成するのに好適だったからだ。しかし、ここでさらなる予想外なことが起きてしまった。毛利勢を布陣させ
るつもりだった松尾山に去就定かでない小早川秀秋の軍が布陣したのだ。松尾山には大垣城主・伊藤盛正が布陣し
ていたが、小早川の大軍に成す術なく追い払われている。もし、小早川が東軍に内通していれば由々しき事態とな
る。小早川を監視するためにも三成は関ヶ原への転進を決断するしかなかったのである。

 15日早朝、東西両軍は関ヶ原での布陣を終え対峙していた。霧が濃く視界は悪かった。東軍の先陣は福島正則
で天満山の宇喜多勢と向かい合っていたが、宇喜多勢が福島勢を麓まで引きつけて一気に叩こうとしているのが明
らかであるため迂闊に手を出せずにいた。この膠着状態を井伊直政は好機と見た。直政にとって今回の戦いは徳川
が天下を取るための戦であり、徳川の手によって開戦の火ぶたを切らねば面目が立たないと考えていたのだ。直政
は家康の子息・松平忠吉の陣に赴くと忠吉に、

「此度の合戦、福島に先陣を切らせれば後々まで高言するは必定、ここは何としてでも我ら徳川が先陣となるべし」
 これに対し、忠吉は緊張した面持ちで頷いた。忠吉は今回が初陣で、未だ到着しない同母兄の秀忠の分も奮起し
なければと思っていたところである。娘婿でもある忠吉の同意に満足した直政は、忠吉を連れてわずかな手勢のみ
を引き連れて福島陣の脇を通過しようとした。そこを、正則の家臣・可児才蔵に見咎められた。

「いずこの御家中か。本日の先陣は福島左衛門大夫なり。誰であろうと抜け駆けは御法度でござるぞ!」
 しかし、直政は平然と返した。

「井伊兵部だ。下野公が御初陣ゆえ、敵の形成を見るための物見なり。功を争ったり抜け駆けするためではない」
 才蔵もそれを素直に信じはしない。尚も疑い、

「ならば、人数を減らして手勢のみを召し連れられよ」
 と要求したので、仕方なく直政は4、50騎のみを連れていくことにした。その後、井伊勢は宇喜多陣にめがけ
て鉄砲を放っている。これに宇喜多勢が撃ち返して合戦の合図となった。
 それまで静寂だった関ヶ原は一転して大変騒がしくなった。抜け駆けされた福島勢は、宇喜多勢に鉄砲を放った
後これに突撃し、黒田・細川・加藤・田中・筒井・生駒らの諸勢は石田三成陣に、織田・古田・金森勢は小西行長
の陣に突進し、これに寺沢広高の軍勢が合流、藤堂・京極勢は大谷吉継陣を目指した。
 一方、本多忠勝勢は戦闘には加わらず待機していた。初めて経験する戦場に結衣も緊張を隠せずにいた。結衣だ
けでなく、隣で結衣と馬を並べている幸田茂佐衛門も緊張した面持ちで前線の様子を眺めていた。朝鮮の役に参加
していない徳川勢は10年前の小田原陣以来、実戦を経験する機会がなく若武者たちのほとんどが今回が初めての
実戦なのだ。それに対して茂作は幾度か実戦を経験しており落ち着いていた。

「緊張しておるようじゃろう」
 不意に声がしたので結衣はビクッとなって振り返った。声をかけたのは本多家老臣の梶勝忠だった。

「いえ、大丈夫です」
 結衣は強がりを言った。少しでも弱音を吐いたら、だから女は戦場に来るなとか言われると思ったからだ。

「強がらずとも良い。初陣では誰でも緊張して不安になるものじゃ。だが、それも場数を踏めば自然と慣れてくる。
しかしな、武士にとって戦での大切な事とは何だと思う?」
「手柄を挙げることでございましょ?」
 結衣の答えに勝忠は首を横に振った。

「確かにそれも大事じゃ。じゃが、それよりも大事なのは主君を守ることじゃ。手柄に目が行って、主がどこで何
をしているかわからぬようでは武士とは呼べぬ。それをしかと肝に銘じておけよ」
「主を守る……」
 そう言われても結衣にはしっくりこなかった。まだ、正式に家臣になったわけでもないし、本多忠勝といえば初
陣以来常に最前線で戦っているにも関わらず一度も負傷したことがない(しかも軽装で)猛者として知られている。
そんな人を自分が助けるという絵が思い浮かばないのである。そのことを言うと勝忠は苦笑いして、

「確かに我が殿は井伊様にも決して武勇では負けてはおられぬ。じゃが、戦というのは最後まで何が起こるかわか
らぬものじゃ。それまで、負け知らずだった軍勢がはるかに劣る小勢に大敗を喫することもある。殿がいままで御
怪我をされなかったからといって、これからもそうであるとは限らぬものじゃ。そして、その初めての負傷が命に
関わるということも有り得ることじゃ」
 勝忠のこの言葉は後に現実となる。隠居して趣味の彫刻をしていた忠勝は誤って手を怪我してしまい、おのれの
死期を悟ったという。そして、程なくして忠勝は世を去っている。

 その頃、前線では熾烈な戦いが展開されていた。中でも最大の激戦だったのが西軍の実質的な指導者と目されて
いる石田三成の陣である。黒田・細川・加藤らの軍勢に集中攻撃を受け、猛将・島左近が早々に退場するなど苦戦
を強いられている石田勢だったが、何とか持ちこたえ時には反撃に出て敵を押し戻すなど奮戦していた。その三成
の元へ、島津惟新から家老の長寿院盛淳と毛利覚右衛門が遣わされた。三成の労を労うとともに作戦の打ち合わせ
をするためである。

「我が主はいつ参戦すれば良いかお尋ねになっておられます」
「島津殿にはいましばらく待っていただきたい。狼煙の合図とともに、南宮山の毛利勢と松尾山の小早川勢が一斉
に山を下りることとなっている。それに呼応して我らも打って出る故、その時に島津勢にも存分に働いてもらう所
存じゃ」
「わかり申した。主にはそうお伝えいたす」
 二人はそのまま帰って行った。二人が帰ると、三成は狼煙を上げるよう命じた。これで、毛利勢が動けばいくら
小早川が敵に内通していたとしても味方として参戦するしかなくなる。三成は勝利を確信していた。
 だが、狼煙が上がっているのを目にしても毛利秀元は軍を動かさなかった。いや、動かせないというのが正解か。
先陣の吉川広家が陣を動かそうとしないのである。吉川勢は広家から、

「よいか、何人足りとも通すこと罷りならぬ。毛利殿の兵にも道を開けるな!」
 と厳命されていたため、通りたくても通れないのだ。そのため、毛利秀元は安国寺恵瓊や長束正家らの出陣要請
に、兵に弁当を食べさせていると苦し紛れの弁解をすることになる。
 南宮山に動きが無いことに三成は再度狼煙を上げるよう命じた。それでも、毛利勢が動く気配はなかった。松尾
山も同様である。

「なぜじゃ? なぜ、毛利も小早川も動かぬ。いま、総攻撃に移れば敵を討ち滅ぼせるというに」
 この三成の焦りは結衣も共有していた。神様から小早川秀秋が寝返るということを聞いていた結衣は未だに秀秋
に動きがないことに内心焦りを感じていたのだ。内応交渉を任されていた黒田長政の陣から狼煙が上がっても小早
川勢に動きは見られなかった。その時、後ろの方からドドドドッと馬が駆ける音がしてきた。

「道をお開け願いたい! これなるは徳川家使い番野々村四郎右衛門。殿の命により前線に向かう途上なれば御無
礼は御容赦を!」
 松尾山に気を取られていた結衣はそれに対応するのが少し遅れた。危うくぶつかりそうになるのを回避した結衣
は、すれ違いざまに見た使い番の顔に背筋が凍りついた。

「如何した?」
 結衣の様子がおかしいことに気付いた忠勝が尋ねると、結衣は青ざめた顔で、

「あれは使い番ではありません。徳川家の家中ではありません」
「なっ……」
 結衣の言葉の意味を理解した忠勝は絶句した。

「あれが殿のお命を狙っていたという刺客か」
 結衣は黙って頷く。忠勝は二男の忠朝に、

「儂はこれから本陣に行く。忠朝よ、後は頼む。儂が戻るまで陣は動かすな」
「はっ」
 本陣に向かう忠勝の後姿を結衣は不安げに見つめるしかなかった。それからしばらくしても忠勝は戻ってこなか
った。もし、家康が無事だったらすぐにでも忠勝は戻ってくるはずだ。それなのに、未だに戻ってこないというこ
とは本陣に何か異変があったということだ。もし、家康が死んだとしてそれが敵に知れてしまったら味方は総崩れ
となり結衣も生きてはいないだろう。急に不安になった結衣は逃げようかと思った。敵前逃亡は重罪だが、女であ
る結衣は見逃される可能性があった。無論、そうなったらもう一生仕官はできないが、死ぬよりマシだ。結衣が逃
げる機会を探っていると、後方で誰かが叫んだ。

「本陣が動いているぞ!」
「えっ?」
 結衣が振り返ると、家康の本陣が前進しているのが見えた。それで結衣の不安は一挙に解消された。もし、家康
が死んだなら本陣が動くわけがない。本陣が動いたということは、家康は無事だということだ。忠勝が戻ってこな
いのは、影武者が家康の身代りに死んで不安になった家康を護衛するためだろう。結衣はホッと胸を撫で下ろした。
 徳川本陣が前進したことで士気が上がった東軍諸隊は西軍を盛んに攻め立てたが、西軍諸隊も負けじと応戦して
戦局は未だ一進一退だった。戦いの帰趨はまだ合戦に参加していない軍勢の参戦如何にかかっていた。

「ええい、小早川はまだ動かぬのか」
 徳川本陣に詰めていた忠勝は憎々しげに唸った。寝返りを約束していた小早川勢は未だ松尾山を下る様子を見せ
なかった。小早川秀秋と内応交渉していた黒田長政にどうなっているんだと詰問する使者を送ったが、長政に金吾
が寝返るかどうかなど今更知ったことかと追い返されてしまった。苛々して落ち着かない忠勝の側で黙って爪を噛
んでいた家康も苛立っていたが、いきなり立ち上がると鉄砲頭を呼ぶように命じた。すぐに鉄砲頭が駆けつけた。

「鉄砲頭布施孫兵衛、御命令により参上仕りました!」
「よいか、孫兵衛。狙いはあの山じゃ」
 家康が指示した方を向いた孫兵衛は息を呑んだ。

「松尾山、小早川陣……」
 孫兵衛が目標を確認するのを見た家康は大声で命じた。

 その頃、松尾山の小早川秀秋はどこに味方するか悩んでいた。当初は家康に味方するつもりでいた。家康には恩
義がある。越前に転封されそうになったのを庇ってくれたのが家康である。そのため、秀秋はかなり早い時期から
東軍に身を投じるつもりだった。だが、三成から秀頼が15歳になるまでという期限付きで関白にするという条件
を提示されると秀秋に迷いが生じた。いまは一大名に身を落としているとはいえ、かつては秀吉の養子として後継
者候補にも名が上がっていた秀秋にとって関白という餌はあまりにも大きかった。しかも、現在の戦況は西軍が意
外な奮戦を見せており、数で勝る東軍諸隊が攻めあぐれているという状況だ。悩む秀秋に、決断を促す報せが届け
られた。

「申し上げます! 徳川方より鉄砲が撃ちかけられました!」
 この報せに秀秋は衝撃を受けた。

(内府殿は怒っておられる……)
 一気に夢から覚めた秀秋はただちに出陣を命じた。

「よいか者ども、我らはこれより徳川方として参戦する。目指すは大谷刑部の陣じゃ!」
 この瞬間、東軍の勝利が確定した。

「金吾が裏切っただと……」
 小早川勢が大谷吉継の陣に殺到しようとしているのを見て三成は愕然となった。去就が疑われていても最終的に
は秀秋は自分に味方するだろうと三成は信じていた。なぜなら、三成は豊家大事のために挙兵したのであり、豊家
一門の秀秋がそれに与するのは当然と思っていたからだ。だが、その思いは裏切られた。
 一方、大谷吉継は秀秋の裏切りを予想していたため冷静に対処することができた。彼は600の精兵に迎撃を命
じた。小早川勢は地形のために大軍を一挙に投入することができず逐次投入という形になってしまった。そのため、
大谷勢の迎撃は成功し、さらに平塚勢に横撃されて370人の死者を出して4町(436.36m。ただし、これ
はメートル条約加盟後。当時は60間を1町とした)も追い立てられた。だが、西軍の反撃も長くは続かなかった。
潰走する小早川勢を追撃して隊列が伸びた大谷勢を藤堂・京極・織田の諸隊が側面から攻撃したのだ。武士は右手
で武器を扱うため左からの攻撃に弱い。藤堂勢らの攻撃はまさに大谷勢の左側面を突いたものだった。平塚勢・戸
田勢にいたっては、ほとんど真後ろを突かれるという最悪の形となった。小早川勢も態勢を立て直して反撃に移り、
さらに吉継の指揮下にあった脇坂・朽木・赤座・小川の諸勢も寝返ったため大谷勢は奮戦空しく総崩れとなった。
 右翼の崩壊は逐一、三成に報告された。

「平塚因幡守様、討死!」
「戸田武蔵守様、討死!」
「木下山城守様、敗走!」
 吉継がどうなったかという報告は来なかったが、恐らく自刃したと思われる。大谷勢らを殲滅した東軍はさらに
宇喜多勢にも襲いかかろうとしている。このままでは、全軍総崩れになるのは時間の問題とみた三成は動揺が全軍
に波及する前に一気に打って出ようと、島津陣に家臣の八十島助左衛門を派遣して進軍を要請しようとした。だが、
よほど慌てていたのか、八十島は馬上から口上を伝えるというミスを犯してしまった。これに、島津兵が激怒した。

「馬上からの物言い、無礼千万じゃあ! とっとと、失せろ、叩っ斬るぞ!」
 と刀に手をかけたので、八十島は慌てて逃げ帰った。その後、今度は三成が来て助力を要請したが、島津惟新は
黙ったままで、甥の豊久が返答した。

「今日の儀は面々切りに手柄次第に働くべきある。御方もそうようにお心得あるべし」
 つまり、各自が自己の判断で行動すべきだから指図するなと言っているのだ。三成は空しく帰るしかなかった。
三成が去った後で、惟新は溜息まじりに呟いた。

「これでよか。もはや合戦の勝敗は決した。治部少は今回の戦を豊家御為と言っておきながら、豊家一門に等しい
金吾が真っ先に裏切るような無様な戦に外様の我らが付き合う義理はもうなか」
 そこには、小早川ごとき若造も統制できない三成への失望があった。それはともかく、西軍の敗北が決定的にな
った以上、島津勢も早急に以後の行動を決める必要があった。この場合は撤退するしかないが、惟新は戦わずして
敵に後ろを見せるのを武門の名折れとして、前進することを命じた。しかし、前進すれば東軍と真っ向からぶつか
ることになる。

「切り通ることができなかったら、兵庫入道は腹を切るまでよ」
 主君の決意に家来たちは「承りました」と畏まった。そこに、長寿院盛淳が進み出て、

「ならば、某が殿の身代りとしてここに残って敵を引きつけまする」
 長寿院は惟新から具足や羽織を拝領しており、名代に立つことを許されていた。さらに、三成からも軍配団扇も
拝領していて、それも掲げることになる。すでに、宇喜多勢も小西勢も潰走中で島津陣にも東軍が押し寄せようと
していた。長寿院は惟新らを逃がすため東軍に立ちはだかった。

「よいか、薩摩はここから500里も彼方にある。逃げようと思うにはあまりにも遠すぎるぞ。ここを死に場所と
思い死力を尽くせ!」
 すると、長崎隼人が「未練は少しもございませぬ」と決意を語った。長寿院が「殿さまはどこまで退かれたか」
と尋ねると、皆が「敵陣を押し分けてお退きなされ、もはや遠くまで行かれております」と答え、長寿院も満足げ
に、

「めでたし、あとは我が名代として討死仕るのみ」
 長寿院はこの後、「島津兵庫頭、死に狂い也!」と叫びながら槍を振るって、最後は「島津兵庫頭、運尽きてこ
れより腹を切る。日本の諸侍はこの首を我が手にかけたと、あとで広言すべからず!」と、腹を十文字に掻き切っ
て北枕に倒れた。享年、53歳。真言宗の僧侶であったのを還俗して、惟新の家老となった人物である。

 西軍が次々と敗走している頃、ついに結衣たちにも出番がやってきた。忠勝が陣に戻るとただちに出陣を命じた
からである。
「逃げる敵を追うだけの戦よ。者ども、この機を逃さず存分に手柄いたせ!」
「おおう!」
 やっとめぐってきた出番に本多勢の士気は否が応にも上がった。
「いよいよだな」
 幸田茂佐衛門が声をかけてきたので結衣も返した。

「ああ」
 もう結衣に不安はなかった。家康が無事だと確信したからだ。もし、家康が死んでいれば小早川勢に鉄砲を撃ち
かけるなんて危険なことをするわけがないからだ。これは秀秋をただの若造と見る家康と、高台院の甥で秀吉の元
・養子という秀秋に遠慮がある三成の差と言えるだろう。

「約束は忘れてないだろうな?」
「約束?」
「俺がお前より手柄を挙げたら、お前は俺の嫁になるって約束だよ」
「いいよ、嫁にでもなんでもなってやる」
 上機嫌な結衣は今ならなんでも許せる気持ちになっていた。そこに、本陣から本陣の脇をすり抜けようとしてい
る正体不明の軍勢を追撃せよとの伝令が来た。その正体不明の軍勢とは島津勢だった。ただちに、井伊・松平・本
多勢がこれを追撃した。先頭に立った井伊勢は直政が陣頭で指揮を執って、島津勢を追い詰めた。惟新を至近距離
で確認した直政は大音声をあげた。

「何をぐずぐずしている。早く、兵庫を討て!」
 だが、そこを川上四郎兵衛の被官・柏木源藤に鉄砲で狙撃され腕を射抜かれてしまった。直政は落馬して、松平
忠吉も鉄砲で撃たれ馬から落ちた。大将の負傷で動きが止まった井伊・松平勢に代わって、本多勢が前に出て逃げ
る島津勢をなおも追撃した。さすがに疲れた惟新は観念して自刃しようとした。そこに、豊久が駆けつけて諌めた
ため惟新も変心して落ち延びた。惟新を逃がした豊久は自ら殿軍として群がる敵勢にわずかな手勢とともに突進し
た。

「我は、島津中書豊久なり! 我が首を手柄にしたい者は遠慮なくかかってこい!」
 馬上から大音声をあげる豊久に結衣は目を輝かせた。

(しめた、大将首だ)
 結衣は馬を豊久に突進させると、豊久に槍を突きいれた。豊久はそれをかわして反撃した。騎乗しての戦いに慣
れていない結衣だが、豊久がすでに疲労していたことで何とか互角に戦うことができた。そして、一瞬の隙をつい
て豊久の腹部に槍を突きいれることに成功した。

「やった」
 だが、豊久は自分の腹に刺さっている槍を手で掴んだ。これで、結衣の武器は封じられてしまった。豊久が自分
に槍を突きいれようとしているのを見た結衣は、咄嗟の判断で槍から手を離すと豊久に飛びかかった。騎馬武者は
重い兜を被っているため、バランスを崩されると容易に落馬する。しかも、結衣に飛びかかられた豊久はほとんど
真っ逆さまに落ちて、頭部を地面に叩きつけられた。悶絶する豊久に、結衣は刀を抜いて刃を豊久の首にあてた。
だが、その時銃声が響いて馬が悲鳴を上げるのが聞こえた。結衣が振り向くと、忠勝が馬を銃で撃たれ落馬してい
るのが見えた。結衣は迷った。せっかくの手柄を前にしてこれを捨てるのは惜しい。しかし、戦闘前に梶勝忠に言
われた「己の手柄のみに執着して主君を見失うような者は武士とは呼べぬ」という言葉が脳裏をよぎったため、結
衣は豊久を諦めて忠勝の元に走って、彼の首を狙う島津兵らと対峙した。身を低くして構える結衣。これは重い甲
冑を身につけているため、一度倒れると一人では起き上がれないので重心を低くする必要があるのだ。複数の敵を
相手にしては結衣も慎重にならざるを得なかった。幸い、すぐに勝忠が駆けつけてくれたので結衣と忠勝が窮地を
脱することができた。結衣は勝忠が忠勝に自分の馬をあげたので、代わりに自分の馬をあげることにした。だが、
勝忠は首を横に振って、

「儂はよい。それよりお主はまだ手柄をあげておらぬだろう。早うせんと、敵がいなくなってしまうぞ」
 すでに豊久の首は誰かに取られている。結衣は馬に飛び乗ると別の首を求めたが、もうめぼしい敵はどこにもい
なかった。結局、結衣は一つも手柄をあげることができずに初陣を終えることになった。

 一方、戦場の離脱に成功した島津勢は残党狩りなどにも遭いながらも大坂に到着して、惟新とその子の忠恒の夫
人を救出したのちに船で九州まで帰還した。薩摩に到着した時に、惟新に従っていたのはわずか80名ほどであっ
たという。この壮絶な撤退劇は東軍に島津領侵攻を躊躇させ、同家が西軍で唯一所領を安堵される一因となってい
る。
 さて、その島津の退き口と同じように見事な撤退戦とされるのが、羽州での上杉勢の最上領からの撤退戦である。
なぜ、上杉勢が最上領に侵攻したかなんて詳述しないが、まあ当時の上杉家(ってか、謙信以降って気もするが)
にまともな戦略立案能力が無かったということだ。
 で、筆頭家老の直江兼続に率いられた上杉勢は9月11日に米沢を出発して最上領に侵攻したのだが、さすがに
兼続は慧眼で第一の攻撃目標を畑谷城に設定してこれを13日にわずか4時間で陥としている。畑谷城の陥落で最
上方の支城は次々と自落して最上氏の西部防衛線は完全に崩壊し、上杉勢は一挙に長谷堂城に迫ることに成功した。
長谷堂城を攻略すれば、最上義光の居城・山形城までの道を阻むものはない。
 だが、順調だったのはここまでだった。兼続は軍勢を5つの攻め口から侵攻させる分進合撃作戦を採用して、最
上方の主要な城を攻略したのちに、戦力を集中して四方から山形城を攻撃するつもりでいた。ところが、兼続は2
万近い大軍を擁していながら、わずか5000人しかいない長谷堂城の攻略に手間取ってしまったのだ。そうこう
しているうちに、月岡城を攻撃していた別働隊は伊達勢出現の情報に焦って21日に城攻めを強行した結果、大敗
を喫して中山城に逃げ帰ってしまっている。なぜ、ここまで上杉勢が城攻めに苦戦するかというと、同勢は機動力
を重視する軍隊で、火力が他家の軍隊に比べ不足していたのだ。鉄砲の数自体は十分にあるのだが、大口径の銃が
不足していて、それが攻城戦での上杉勢の攻撃力不足に繋がったのである。しかも、戦力を分散して補給もままな
らない状況では山形城を守る最後の砦である長谷堂城の攻略に手間取るのも無理からぬことだろう。結局、上杉勢
は半月も長谷堂城を攻撃したが、ついにこれを陥としいれることはできなかった。ちなみに、参考までに言うと近
江の大津城での攻防戦は城方3000に対し寄せ手15000が攻撃してわずか8日で攻略している。
 30日、会津の上杉景勝から関ヶ原の結果を知らせる使者が来て、兼続は即座に撤退を決断する。ここからが、
直江兼続の撤退戦となるのだが、島津の時と違うのは兵力は逃げる側が圧倒的であることと、撤退までの準備や以
後の行動プランを立案する時間的余裕があること、そして美濃から薩摩までの逃走を強いられた島津勢に対し上杉
勢はお隣との間を行き来しただけですんだことで、よほどの無能でないかぎり撤退に失敗して潰滅という事態には
ならないのである。強いて賞賛されるとしたら兼続ではなく、最上・伊達の攻撃の矢面に立った猪苗代城代の水原
親憲と前田慶次ら牢人衆であり、兼続はむしろ作戦の失敗の責任を追及されるべきあろう。何しろ、上杉家は最上
の屈服どころか本国と飛び地の庄内の連絡線を確保するという最低限の戦略目標も達成できていないのだから。し
かも、撤退に成功したのは本隊のみで、山辺方面と寒河江方面の上杉勢左翼部隊は撤退に失敗して壊滅している。
これも、兼続が統制を怠ったためであり、そのために右翼の月岡城攻撃部隊の敗退も招いてしまっているのだ。結
果、上杉家はこの最上攻めで自軍が隣国に対してすら大規模侵攻作戦を行える能力が無いことと、直江兼続の軍事
的無能を露呈しただけに終わってしまった。ただ、兼続が只者でないのは、失敗の本質を見抜いてそれを改善した
ことで、それが功を奏して14年後の大坂冬の陣で上杉勢は往年の武勇を取り戻すことに成功している。





 戦も終わって、結衣たちは一息つくことができた。負傷した茂作も命に別状がないことがわかり安堵した結衣だ
ったが、安堵できない懸案がひとつあった。一番手柄をあげた者と結婚するという約束だ。本当なら島津豊久を倒
した結衣が一番なのだが、本多忠勝を助けるために首をとらなかったために手柄とはならなかった。事情を知って
いる忠勝によって誰と結婚するかは結衣が決めることとされたが、誰がどういう人間かわからない結衣に相手を決
めろなんて無理な話だ。しかも、関ヶ原での活躍を聞いた老臣たちからも「ぜひ、倅の嫁に」と迫られる始末で、
夜逃げでもしようかなと一瞬思ったりもしたが、せっかく仕官できたのをみすみす逃すのももったいない。結衣に
言いよってくる男はそれ以前からも多々あったが、結衣はことごとくそれを無視してきた。それがここにきて、旦
那さんを選ばなくてはいけないことに結衣は頭を痛めた。

「嫁に行くとかなんて全然考えたことないのに、なんでこんなに悩まなくちゃならないんだ?」
 多分、何も考えていなかったからだろう。正直言うと、まだ結婚とかしたくない。元々が男であった結衣は、ど
うしても男に恋愛感情を抱くことはできないのだ。だから、結衣の考えることはどうやって結婚話を無しにするか
だった。考えたあげく結衣が出した答えは、

「そうだ、勝負だ。勝負して私に勝たないかぎり私を嫁にできないということにしよう」
 これなら誰にも文句言われることなく、結婚話を破談にすることができる。向こう側も女に負けたとあれば、嫁
に欲しいなどとはほざけないだろう。我ながら妙案と、自分で自分を褒めたいと思っている結衣に思わぬところか
ら文句が来た。

「それは不公平じゃろ」
 驚いて振り向くと、いつの間にか神様が結衣の隣にちょこんと座っていた。結衣を女の子にして家康を守るよう
にと言った神様である。

「お前に敵う奴なんぞそうはおらんからな」
 神様の指摘に結衣は反論できなかった。1対1で剣での戦いなら結衣は誰にも負けない自信があった。

「最初から結果がわかっているような勝負なんぞ公平とは言わんぞ」
「別にいいだろ。それより何しに出てきたんだ。まさか、わざわざ公平だの不公平だの言うために出たんじゃない
だろうな」
「儂はそんなに暇じゃないぞ。お前を褒めに来てやったんじゃ。よくやってくれた。お前のおかげで歴史が改変さ
れずにすんだ」
 神様によると、徳川家使い番になりすました江原俊介が家康を襲撃して致命傷を負わせて逃げたが、実はそれは
影武者だったのだ。結衣が家康に影武者を紹介したことで、家康は死なずにすんだのである。だが、そのために次
郎三郎が犠牲になってしまった。

「それはしょうがないことじゃ」
「でも、あの人は本来ならもっと長生きしていたはずなんだろ? なら、その改変はどうなってしまうんだ?」
「それは心配ない。幸いなことに奴には妻子がいないし、世間に与える影響も大きくはなかったからな。その程度
の改変ならば修正可能じゃ」
「じゃあ、一件落着だね」
 大任を果たして結衣は肩の荷が下りた気持ちになった。しかし、

「あァ?」
 いきなり神様がガンを飛ばすような目つきで結衣を睨んだ。

「お前はなに眠たいことを言っておる。儂は奴を殺せと言ったはずじゃぞ。奴は家康を暗殺したと勘違いして未来
に帰ろうとしておる。まだ、影武者を殺しただけとは気づいてはおらんようじゃ」
「なら、そのまま帰ってもらえばいいじゃん。別に無理して殺すことないだろ?」
「そうはいかん。奴は神でさえ許されんことをやろうとしたのじゃ。たとえそれが未遂に終わったとしても制裁は
下さればならん」
「……」
「考えている時間はないぞ。奴がこの時代にいる間に始末するのじゃ。儂が今すぐ奴のところへ送ってやる」
「えっ? ちょっと待ってよ。いきなり行っても返り討ちにあっちゃうよ。用意する物があるからしばらくは待っ
てくれないと」
「何がいるのじゃ?」
「刀だよ。普通のより5寸(だいたい15.15センチ)ぐらい短い刀がいるんだよ」
「そんなの儂が用意してやる。ほれ」
 神様が結衣の刀を指さすと、指先から光線が出て結衣の刀がビリビリと光に包まれた。

「刀を抜いてみよ」
 言われたとおりに結衣が刀を抜くと、どうしたことでしょう刀身が15センチも短くなっているではありません
か。

「それならいいじゃろ? では、行ってもらう」
「いや、ちょ……」
 結衣からしたらまだ心の準備ができていなかったのだが、神様は問答無用に彼女を瞬間移動させた。

「えっ」
 結衣は目の前がぐるぐると回っているのに茫然となった。そして、不安に駆られる結衣もぐるぐるに巻き込まれ
た。結衣は宙に浮かんで誰かに紐で振り回されたように回転した。

「うわあああああっ!」
 あまりの気持ち悪さに吐きかけた結衣だったが、その直後に空間が正常化して結衣もぐるぐるから解放された。
だが、

「わぁっ!」
 宙に浮かんでいた結衣はそのまま落っこちてしまった。

「いててて」
 強打した尻をさすりながら結衣が周囲を確認すると、さっきまでとは明らかに風景が異なっていた。そして、そ
の中に江原俊介の姿を確認できた。江原も結衣に気づいて、驚いた顔をしていた。いきなり現れたのだから無理は
ない。しばし結衣を凝視していた江原はやがて彼女のことを思い出して、小馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべた。
結衣はカチンと来て江原を指さして彼が殺したのは自分が用意した影武者であると言い放った。

「お前はまんまと私の策に嵌まったんだ!」
 みるみるうちに江原の顔が怒気を帯びていく。江原が刀に手をかけたのを見て、結衣も左手で刀の柄を掴んだ。
普通、左に刀を差しているいる場合、右手で柄を掴んで抜くのだが結衣は左手で掴んでいる。しかも、逆手で掴ん
でいるから抜いても時代劇での忍者や渡世人みたいな持ち方となってしまう。しばし睨みあう二人。次の瞬間、結
衣の刀が江原の胸を切り裂いた。自分の胸から噴水のように噴き出す血に江原は愕然となったが、もう彼が助かる
可能性は微塵もなかった。あまりにも一瞬だったので、何が起こったかさえわからなかったであろう。結衣は逆手
で刀を抜くと、峰に右手を添えて刀身を押し出したのだ。結衣が刀を短くしたのは刀を早く抜くためだったのだ。
江原が事きれたのを確認した結衣は、刀身を拭い紙で拭いて紙を上に放り投げたあとに刀を鞘におさめた。

「終わったな」
 これですべては終わった。考えようによっては結衣は江原のおかげで運が開けたとも言えるだろう。もし、江原
が来なかったら結衣はずっと石田三成の世話になったままであったろう。人は誰かによって運が開ける場合もある。
徳川家康もそうだ。三成という強硬な反対派がいてくれたから、家康は自陣営を東軍としてまとめ上げる大義名分
を手にすることができたのだ。

「墓でも作ってやるかな」
 このまま屍を晒しておくのはさすがに不憫に思えた結衣は江原を埋めてやることにした。だが、そこに神様が現
れて結衣を制止した。

「それはならぬ」
「なして?」
「こやつは人間の分際で歴史を改変しようとしおった。その大罪、死しても償いきれるものではない。よって、こ
の男にはさらなる罰を与える」
 神様がパチンと指を鳴らすと、江原の遺骸が炎に包まれた。1分もしないうちに遺骸は跡形も無く燃えてしまっ
た。

「奴には永遠に苦しみながら漂ってもらう」
 この時の神様の顔は結衣には少し怖く見えた。が、すぐに元の子供のような顔に戻った。

「さてと、お前もよくやってくれたな。大変だったろ? 御苦労さん。まあ、ささやかだが褒美がある」
「褒美?」
「そうじゃ、実はお前には悪いと思っておってな。お前を女にしたというのに、完全な女子にはしてやってられな
かった。そのせいで、もういい歳じゃというのにお前は嫁にも行こうとせん。で、ちょうどいい機会じゃ」
 神様は結衣を指差した。

「儂からの褒美は不完全なお前を完全な女子にしてやることじゃ」
「……」
 結衣は神様の背後に見える異様などす黒い後光に不安になった。不安はやがて恐怖となり、逃げようかと思った
がすでに時遅しだった。

「ドーン!!!!」
「ぎえぇぇぇ!!」
 結衣は電気ショックを受けたような衝撃を感じて気を失った。





「おい、おいってば」
「ん……」
 身体を揺さぶられた結衣が目を覚ますと、幸田茂佐衛門はホッとしたような顔になった。

「どうしたんだ、こんなところに倒れたりして。心配したじゃないか」
「どうしたって・・・どうしたんだろう」
「何も覚えていないのか?」
「うん……」
 結衣は自分の身に何が起きたか思い出そうとしたが、本当に何も覚えていなかった。

「まあ、無事だったんだからいいさ。立てるか?」
 茂佐衛門が手を差し伸べると、結衣はそれを掴もうと手を伸ばそうとして茂佐衛門と目が合った。

「あ……」
 結衣の顔が赤くなった。何か変な気持になった結衣はそれを振り払うように頭をブンブンと振った。

「どうしたんだ? いきなり」
「いや、なんでもない……って、あれ?」
 結衣は不安そうな顔で茂佐衛門を見上げた。

「ど、どうしよう・・・えっ? な、なんで……?」
「だから、どうしたんだよ?」
「私、何も覚えてない……」
「だから、それはさっき聞いたって」
「違うの。私がどこで生まれてどのように生きてきたのかとか今までの事が全然記憶に無いのよ。本多様にお会い
した時からの記憶はあるんだけど」
「えっ? それってどういう……」
 言いかけて茂佐衛門は結衣の言葉使いが変わっていることに気付いた。私という一人称は同じだが、男言葉から
女言葉に変化しているのだ。それだけでなく、しぐさも女性らしくなっていた。まるで、人が変わったかのように。
だが、心細そうな結衣は守ってやりたいという男性本能を刺激するのに十分だった。茂佐衛門は結衣の両肩をガッ
と掴んだ。驚いて目を見開く結衣に茂佐衛門は、

「だ、大丈夫だ。俺の家に来るといい。俺が守ってやる。なんだったら幸せにもしてやるさ」
 顔を赤くして熱弁をふるう茂佐衛門に結衣も落ち着きを取り戻してちょっと意地悪な質問をしてみた。

「それってどういう意味?」
「なっ、そ、それはだな」
 茂佐衛門は返事に窮して結衣から顔を背けた。そんな茂佐衛門に結衣はクスッと笑って彼の頬に唇をつけるのだ
った。


 そんな二人を神様は上空から眺めていた。

「これでよい。あやつが幸せに生きていくのには余計な記憶は邪魔になるだけじゃ。では、儂もそろそろ消えると
するか。あ、そうそう。一応警告しておくが時間旅行ができるようになったとしても決して歴史を変えようと思う
でないぞ。魔族に殺されたみたいに成仏もできずにこの世をさまようことになるかもしれんからの。ホーッホッホ
ッホッホッホ」
 実は江原俊介は怪しいセールスマンからタイムマシンを買わされちゃったりしている。その時の契約は、自由に
過去と現在を行き来できるが、決して歴史に介入してはならず違反した場合はペナルティを科せられるというもの
だった。


― 完 ―





 〈あとがき〉
 たまには歴史のお勉強と思いまして作ったんですが、歴史に興味が無い人には申し訳ありません。後日談としま
して、この後、結衣が自分の手柄よりも主君の安全を優先したことが家康の耳に入り、結衣は家康から激賞されて
影武者を提供した功績も含めて1200石の旗本に取り立てられます。そして、結婚して子供も設けて幸せに余生
を過ごしました。
 あと、ついでに豊臣家がどうなったかというと、家康は敵対した大名家をことごとく改易・減封という処分を下
しています。没収された土地の中には大名に預けられていた豊臣家の蔵入地もあり、これによって豊臣家は200
万石近い直轄地を65万7400石に大幅に減らされています。豊臣家は合戦には無関係とされたのになんで? 
と思われるかもしれませんが、織田信長横死後の清州会議で織田家の土地が重臣たちによって分け取りされている
ように当時としてはなんら問題とされることではなかったんですね。現に、この件で豊臣家の譜代諸侯が反発した
という話は聞いたことがありません。
 こうして豊臣家は一大名となり、徳川家に単独で対抗する力を失いました。あとは徳川の天下を認めたら家康も
豊臣家を滅ぼそうとしなかったでしょう。豊臣家を攻め滅ぼして得られる土地が65万石では論功行賞で大名に与
える褒美も非常に限られますからね。朝鮮出兵での論功行賞が不十分だったことが、社会の不安定化を招き結果と
して政権が崩壊したことを熟知している家康としてはできれば大量の兵力の動員を余儀なくされる大阪攻めは避け
たいところでした。
 しかし、家康の息子・秀忠は父とは違う考えでした。決戦に遅参するという失態をしでかした秀忠としてはなん
としてでも、汚名を返上したいと思っていました。また、大坂城の淀殿も家康にならまだしも、妹の旦那である秀
忠に頭をさげるつもりはありませんでした。当然、両者の中は悪化します。さらに、幕府が問題としたのは天下の
台所である大坂が豊臣家の影響を未だに受けているということでした。経済の中心である大坂が幕府の潜在的敵性
勢力である豊臣家の影響下にあることは、さすがに家康も看過できないものでした。そこで、家康は方広寺事件を
利用して豊臣家に以下の要求を突きつけます。それは、大坂を立ち退くかさもなくば淀殿を江戸に人質として差し
出すかというもので、豊臣家を大坂から引き離すか豊臣家を幕府の統制下に置くことが目的でした。仮にそのどち
らかを選んでいれば、豊臣家は後の御三家以上の待遇を得られたかもしれません。それが無理だとしても少なくと
も徳川一門並の待遇は得られたはずです。
 しかし、大坂方の使者となった片桐且元がこれを勘違いして、秀頼と淀殿に幕府からの要求を交渉の余地が無い
ものと報告してしまったのです。穏健派である且元が孤立しないように、同じく使者として来ていた強硬派の大野
治長の母・大蔵卿局を厚遇して大坂に帰しているのにこれでは意味がありません。こうして、平和的に解決は不可
能となり、秀忠が望む合戦となったのです。しかし、合戦は勝敗がつかないまま和睦となってしまいました。当然、
秀忠は不満でなりません。そこで、秀忠は家康が大坂を離れると大坂城を徹底的に無防備にして、大坂方の反徳川
感情を煽り再戦に持ち込もうと画策します。そして、思惑どおり戦が再開され豊臣家は滅亡に追い込まれました。
この時、秀頼・淀殿母子が山里郭に潜んでいるとの報告を受けた秀忠は娘の千姫を通じて秀頼と淀殿の助命が嘆願
されているにも関わらず、家康に相談なしに山里郭への銃撃を命じています。これで助命の希望が断たれたことを
悟った秀頼たちは自刃して果てたのでした。
 こうして、豊臣家は滅亡したのですが、やはり論功行賞は十分にはできずこのままでは窮乏した大名がどんな行
動に出るかわからない状況になりかねませんでした。そこで、幕府は大名をことあるごとに改易していきます。そ
の粛清の嵐は外様の大名だけでなく、譜代・親藩にも吹き荒れました。これによって幕藩体制は盤石なものとなっ
たのでした。

 ところで、歴史上に人物が実は女性だったのでは? という説をいくつか聞いたことがあります。有名どころと
しては、上杉謙信がそうですね。あと、沖田総司や源義経を女性として描いている映画やゲームがありました。い
つか彼らを題材とした作品ができたらと思っておりますが、多分しないでしょうね。





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