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藤色の夏 2

作:きりか進ノ介



7月。
すでに学校は試験休みである。
剣道部が部活を終えて、午後もやや遅くなった。
佐々木あゆみの呼び出しに応じて、藤堂薫が国語科分室にやってきたところだ。


「失礼します。」
薫はきちんと挨拶をして、国語科分室に入ってきた。
……この一言を言わせるため、昨年、あゆみはどれだけ苦労したことか。

分室に居たのは、あゆみだけだ。
「藤堂君。 そこのソファに座って。」
あゆみは傍らの紙袋を持って、薫の向かいに腰をかけた。

さて、なにから話したものかな。
あゆみは、しばし薫の体を見渡した。
あきらかに、どうみても女の子、それも相当の美人。
今は男子用の開襟シャツを着ているのだが。

「ちょっと。 藤堂君、下のシャツは?」

胸元から、ふくらみがチラチラ覗いているのに驚いて、あゆみは聞いた。

「あ。 稽古でベッショリ濡れたから脱いだ。」
「脱いだって、それじゃああまりにも。」
「センセ、俺は男だから。」

「どうみても女の体じゃないの!」

言ってしまってから、しまった、とあゆみは思った。
あまりにもストレートな言い方は、薫の態度を硬化させるに違いない。

だが、薫の反応は、あゆみの予想と違っていた。
あきらめたようにひとつため息をついて、薫はソファに深く沈んだ。

「やっぱ、センセにも、そう見えるか。」
天井を見上げて、力なくつぶやく。


外を走る運動部のかけ声が、セミのバックコーラスに乗って部屋を一回りした。


「そうじゃねえかと思ったんだ。 エロビデオに出てくんのと似てるしよ。」
薫のつぶやきに、あゆみは顔を赤らめ、しかし冷たい表情で言った。
「……なにを基準に判断してるのよ。」

「でもよ、センセ。 なんで、こんなになったんだ?」
「実は女の子だったのを隠してた、とかじゃあ、ないわよね。」
「ありえねえ。」

言下に否定する薫。 あゆみも同感だ。

「私にも、どうしてか、なんて分からない。 なにが起こったのか、もね。」
「センセにわかんねえものが、俺にわかるはずはねえな。」

薫の口調に、苛立ちがまじる。

「せっかく稽古して強くなったと思ったのによ。 ぜんぜん、意味ねえじゃねえか。」
チキショウ、と薫は横をむいて吐き捨てた。
「こんな体じゃ、一生、拓也に勝てねえ。」

「藤堂君。 そんなことは、ないぞ。」
「……なんで言い切れんだよ。」
「私は女だけど、広田君にも藤堂君にも負けないじゃない。」


そう、剣道部の顧問だけあって、あゆみは強かった。
力などなさそうな細い腕から、とてつもなく速く鋭い剣が振りだされる。
受ける薫の手が痺れるほどの威力は、どこから来るのだろう。
防御も、ほとんど動かず、竹刀すらたいして動いていないようなのに、堅い。
薫が力の限り打ち込む全攻撃が、いなすように流され、角度を変えて弾かれる。

「藤堂君の剣は、無駄が多いのよ。」
あゆみは言った。いつも指摘するポイントだ。

「これまでは無駄があっても、力任せに帳尻を合わせられた。
それが出来なくなったから、これまでのやり方は通じない。 だから、勝てない。」

深刻な顔をしてそこまで言っておいて、あゆみは、ふいに微笑を浮かべた。

「でも、それだけのことだよ。
大丈夫、藤堂君は基本練習をちゃんとやってるから。
その体の動かし方に慣れること。
それと、無駄を削ること。
それだけで意外に早く、前より勝てるようになるかもよ。」

あゆみの話は、細かい技術的な指導に移っていった。
剣道の話になると、あゆみは、熱くなる。
聞いているうちに、薫も、元気が出てきた。

「そっか、心配しなくても、なんとかなんだな。」
「ええ。 私が、ちゃんと教えてあげる。」

「じゃ、また明日から、よろしく頼まあ。」

腰をあげかける薫に、あゆみは慌てていった。
「待って。 本題は、これからなのよ。」



「剣道のことは、それでいいんだけどね。」
「それ以外に、なんかあんのか。」
当たり前だ。 あるに決まっている。

「昨日、広田君に聞いたんだけど。 藤堂君、いま家に一人なんだって?」
「ああ。」
薫の両親は、仕事の都合で海外だ。

「藤堂君。」
あゆみは薫の目を見て言った。

「……女の暮らし方、って、わかってる?」

あゆみの予想、あるいは不安は、的中した。

「わかんねえ。 べつに知りたくもねえ。」

薫は、実に堂々と、男らしく答えたのだ。


「あのね、藤堂君。」
やたらと相手の名前を呼ぶのは、言葉に困ったときのあゆみの癖だ。
昨年、薫の服装を正すのに労した努力を思い出して、軽い頭痛を感じつつ。
あゆみは説得に取り掛かった。

「女には、ね、女の暮らし方があって、男とはぜんぜん違うの。 分かる?」
「おう。」
「服装も、持ち物も、言葉も違うでしょ。 他にも気をつけることはたくさんあるの。」
「おう。」
「そういうことをちゃんと学ばないと、大人の女として、社会で生きていけないのよ。」
「おう。」

「ちゃんと、聞いてる?」
「聞いてんじゃねえか。」

そして、薫は平然と言い放ったのだ。
「で、それが、俺となんの関係があんだ?」


あゆみは、大きくため息をついた。


……落ち着け、あゆみ。 こういう展開になる覚悟は、できてた筈だよ。
自分で自分を励まして、続ける。

「藤堂君、自分が女になったって自覚、あるの?」

あゆみの問いに、薫は切れ長の目を見開いて、動きを止めた。
下を向き頭を押さえて、混乱を整理しているようだ。

しばらくして、まっすぐあゆみの顔を見て、言った。

「センセ、そりゃ、ちょっと体の形は変わったけど、俺は、やっぱ男だぜ。」


……ちょっと、また振り出しなの? 覚悟は、それは、してたけど。

「だから、その恰好でそれじゃ通用しないんだってば。」
「通じようが通じまいが、男だ。 それは譲れねえ。」


……もーどうしよう。 全部投げ出して、帰っちゃおうかな。

真剣に敵前逃亡を検討したあゆみだが、結局、逃げ出さなかった。
薫は入学当初から手塩にかけてここまで育ててきた、かわいい生徒だ。
ついでに容姿までかわいくなって、ここで放り出すわけにはいかない。

さらに粘り腰で、あゆみは説得をつづけた、のだが。



「と、に、か、く!」

さらに30分ほどの、息詰まる、しかしまるっきり進展のない攻防の後。
あゆみは、理詰めの説得を断念せざるを得なかった。
でん! と、紙袋をテーブルに乗せる。

「一回、ちゃんと女子の恰好をしてみなさいって。」

もちろん、袋の中身は、女子制服一式である。
スポーツ下着なんかも、ちゃっかり一緒に入っていたりする。

最初のうちだけでも、女の子の暮らしを体験させておけば。
その後の薫の生き方は、少しでも改善されるだろう、と、あゆみは見ているのだ。

さらに、薫の晴れ姿を見たいという自分の欲望も、少なからず加味されている。

だが。

「断る。」
薫の返事は簡潔明瞭、誤解の仕様も妥協の余地もない。

「じゃあ、こうしよう。 剣道で勝負して、あたしが勝ったら……。」
あゆみの提案に、しかし薫は乗らなかった。

「それも、断る。」

「なによ。 逃げるの?」
挑発してみたあゆみだが、それでも薫は動かない。
「いくらなんでも、条件が不利ってもんだろ。 俺の勝てる要素がねえ。」


……ちっ、去年よりレベルが上がってるわね。

あゆみは心の中で舌打ちをした。
去年は剣道勝負をエサに、薫の乱れた制服を正すことに成功したのだが。
柳の下に、ドジョウは一匹しかいなかったようだ。

しょうがない。 あゆみはもう一つのエサを、別のところにまいてみた。


「藤堂君。 期末考査の国語の点数、なんだけど。」

びく。
薫の肩が動いた。
薫の成績は、お世辞にも良いとはいえない。

「あたしの言う通り、女の子の服を着てみたら、赤点じゃなくなる、かもよ。」

薫は別に成績を気にするような生徒ではない。
しかし。 留年は、さすがに避けたい。
そして、わずかに2つのテストが終わった時点で、かなり危険な状態なのであった。

薫は、うめいた。
「………それが、教師のセリフかよ。」

「世の中には、緊急避難って言葉があるの。
今の藤堂君には、未然形と已然形の区別なんかより、服装の方がよっぽど問題よ。」

「だけどよ。」
「期間を区切るわ。 とりあえず、一週間でいいから!」
「………」
「2学期中間のテストも、なんとかしてあげる。」
あゆみはすかさず、好条件を薫の目の前に積み上げて見せた。

「えーい、2学期末も大サービスだ! どう?」
毒を食らわば皿まで、なんて言葉を思い起こしつつ。
あゆみはさらに、撒き餌を追加する。

薫は、迷った。
補修を前提にしても。 単位を取る苦労は並大抵でないことは、分かっている。

「5日、にならねえか?」

つい、口に出してしまった。
もちろんこの言葉を、あゆみは見逃さなかった。

「よし、決まり! 今から5日間、あたしの言うとおりに服を着ること、ね。」

満面の笑顔。
紙袋を差し出したあゆみの表情に、薫は敗北を悟った。

「男に、二言はないわよね。」

巧妙なセリフである。
男であることを肯定しても否定しても、薫は女装せざるを得ない。

薫は、紙袋を受け取った。



「スカート、だと。 この俺が。」

それだけではない。
ブラウスに、スカーフ。
あろうことか、女のパンツに、……ブラジャーまで!

とても正視することはできない。
薫は目をつぶって、あゆみの為すがままになっていた。


「ほら、できた。 かんぺき!」

まっすぐに薫を立たせて、あゆみはすっと後ろにさがった。
そして、満足の吐息をひとつ。

「オッケー。 そのまま学校のHPの表紙に使えるわよ。」

卓上のハンドバッグから、すっとデジカメを取り出した。
間髪を入れずに、薫に向けてシャッターを切る。

「ば、ばかやろう、撮るんじゃねえ!」
「なに言ってるの、せっかく着た服を撮らなくてどうするの。」
隠せるはずもない制服姿をなんとか隠そうと、薫はジタバタと両手を振る。

「そんなにあせらなくても、似合ってるわよ。」
あゆみはデジカメを下ろして、薫を入り口近くの鏡の前に立たせた。

「ほら。」

鏡を見て、薫は、そこから目が離せなくなった。

もともと、女になった薫は、美人だった。
陶器のように滑らかで白い肌。
長いまつ毛に縁取られた、切れ長の目。
きりっと通った鼻筋。 大きさは控えめながらあでやかな赤の、唇。

やわらかくふくらんだ胸、丸みを帯びた体を、制服が包んでいる。
白のブラウス、胸元に青のリボン。
そしてもちろんチェックのスカートと、色っぽく伸びる健康的な脚線。
制服は薫のためにデザインされたかのように、すべてを輝かせていた。

これが………。

そこでフラッシュが光り、薫は我に返った。

「撮るんじゃねえっつってるだろが!」
「だって、もったいないじゃないの。」

あゆみは、構えたカメラの上から目だけ出して、注文をつけた。

「ね、『これが、僕……。』って、言ってみて。」
「誰が言うかあ!」

言いかけてたくせに反発して、薫はデジカメめがけて前蹴りを放った。
しかし、あゆみもただの教師ではない。
すっと後退して間合いを取り、蹴りをかわす。
スカートが舞い上がったままの薫を狙って、すかさず、シャッター。

「写真を撮るなんて約束、してねえぜ。」
「撮っちゃいけないなんて約束も、してないわよ。」
「ぐっ。」
舌戦での力関係ははっきりしている。

「さてと、遅くならないうちに買い物して、帰ろうか。」
ハンドバッグに大切にデジカメをしまい込んで、あゆみは立ち上がった。



廊下に座り込んで、広田拓也は薫を待っていた。
薫が分室に入ってから、一時間以上になる。

別に待ち合わせをしているわけではないのだが。

人が動く気配がして、やっと、扉が開いた。
あゆみが出てくる。
続いて出てきた女生徒を横に、分室の電気を消して、鍵をかけてしまった。

「あれ、佐々木先生。」
声をかけられたあゆみは、一瞬、ぎくっとして動きを止めた。
「と、藤堂さん、は? 一緒じゃなかったんですか?」

「キショク悪い呼び方してんじゃねえよ!」
言葉とともに、袋に入ったままの竹刀が、いきなり横から拓也のわき腹に刺さった。
「ぐげっ。」
荷物を取り落としてかがみ込んだ拓也は、犯人を見上げて。

……息を、呑んだ。

あゆみと一緒に出てきた、制服の少女だ。
紫の竹刀袋を右肩に担ぎ上げ、足を開いて立ち、険しい顔で拓也を見下ろしている。

その美しい顔、特に切れ長の目とやわらかそうな頬に、見覚えがある。
いや。 おそらく拓也は彼女の顔を、一生忘れない。

「とととと、藤堂さん?」
「やめろっつってんだろが!」
「と、藤堂。」
「昨日まで、『薫』だったじゃねえか。 なんで変えんだよ。」
「か、かかかかか、薫。」

「変だぞ、おまえ。 気でも狂ったんじゃねえか。」
薄暗い廊下だ。 拓也の真っ赤な顔に、薫は気付かない。

「で。 なんか用か。」
「え、いや、その。」

拓也が一晩かけて考えてきた段取りは、もうメチャクチャだ。
動転したまま、拓也は、本題だけを言った。


「つ、付き合ってください!」


ぱああん。 あん。あん。あん。
深く下げた拓也の後頭部に、紫色の竹刀袋が炸裂した。
高い音が、派手に廊下にこだまする。

「寝言は、寝てから言いやがれ。」
「藤堂君、竹刀をオモチャにしない! 広田君、ごめんねっ。」

頭を押さえて立ち上がれない拓也を背に、二人はあっという間に居なくなった。




あゆみが薫を連れてきたのは、、当然、衣料品店である。

ブラウスにスカートの薫の姿は、女性向けの売り場にすっかり溶け込んでいた。
整った顔立ち、とりわけ切れ長の目は、別の意味で人目を引きすぎるかもしれない。

「センセ、やっぱ、補修を受ける方がマシかもしんねえ………。」
「話をしないの。 黙ってるように言ったでしょう。」

……違和感がないのは、口を開かなければ、だが。

「といっても、予算はあんまりないからね? 下着を優先で。」

「………!」
薫は驚きと抗議の目で、あゆみを睨んだ。

「文句を言わないの。 私のを貸すわけにもいかないんだから。」
「………。」
けっこう律儀に沈黙を守っている。

「すみません! あの、この子のサイズを測ってほしいんですけど。」
「!!!」
「なによ、どうせ測らなきゃいけないんだから、さっさとやっちゃった方がいいでしょ?」

「お客様、ではどうぞこちらの試着室へ。」
「! ! ! !」
「あの、お客様?」

黙ったままで文句を言う薫は、たいへんに怪しい。

「………不自然にならない程度に、話してもいいわよ?」
「ふざけんじゃねえ! なんで他人の前にちち放り出して測られるなんて屈辱を!」
「やっぱり黙ってなさいね。 それと約束は守ること。」
「………!!!!!!」

「あの、よろしいのでしょうか?」
「噛み付くことはないと思いますから、やっちゃって下さい。」

「!! !!! !!!!!」

やはり黙ったままで悪態をつく薫に、あゆみは厳しい笑顔を向けた。

「……なんとなく、なに言ってるか分かっちゃった。
店員さん、思いっきりかわいくて色っぽいのを着せてやって下さいます?」
「!!!」

「おに、あくまはともかく、クソババアは看過できません!」
「!!!!!!ー!」



というわけで。
それこそ顔から火の出るような下着を、高校生だと言うのに着せられて。
結局、ふつうの下着(それだって鼻血ものだ)を買って、二人は店を出た。


「で、藤堂君、晩御飯はどうしてるの?」
薫の両親は、仕事の都合で不在である。

「んあ、家でカップラーメン。 さすがに飽きてきたけどな。」
「………それじゃあ体が持たないでしょう?!」
「あ、ときどき飯は炊くぜ。 おかずは海苔佃煮かナメタケだけどな。」
腹がふくれればなんでもいいらしい。

「それは、ちょっとアレだわね。 うちで食べていく?」
「いや、いいわ。」

なんとなく身の危険を感じて、薫は即座に断った。
しかし、とっさにあゆみは言葉を追加した。

「今日は、ハンバーグなんだけど、な。」
「………マジか?」
そのくらい、あゆみはいつでも簡単に作ることが出来る。

「遠慮しないで食べて行きなさい。 泊まってってもいいわよ。」
「………食うだけ、食わしてもらおうかな。」



というわけで、その夜。

木曽川の河口にほど近い、あゆみのマンション。
「はーい、お待たせ、藤堂君。 こっちにおいで。」
あゆみの声に、寝転んでドラゴンズの中継を見ていた薫は、テレビを消した。
Tシャツとショートパンツを付けた体を、ソファから起こす。

「おお。 すげえ。」

食卓に着いて、薫は目を輝かせて、感嘆の声をあげた。
どでかいハンバーグが2つ、どーんと皿に鎮座している。
付け合せの、色鮮やかなカボチャとホウレン草も、うまそうだ。

「たんと、召し上がれ。」
八丁味噌をベースに作ったソースをテーブルの真ん中に置いて、あゆみも席に着いた。

「藤堂君は、飲んじゃだめだからね?」
あゆみはちゃっかり発泡酒をテーブルに乗せている。

「いらねえよ、そんな苦いもん。」
「………どうして苦いって知ってるのかしらね。」
「ぐっ。」
「ついでくれたら、何にも気にしないわよ?」

黙って、薫は缶を手にした。
とっとっとっとっ。
あゆみの傾けたグラスに、黄金色の液体が満ちる。

「んーおいしい! 美人の酌だと味が違うわねえ!」
「………美人はやめてくれ。」
「はいはい。 冷めないうちに、どうぞ。」
「おう。 じゃ、いただきます。」


「あー食った食った、うまかった。」
体と食欲のバランスがまだ繋がっていないのだろうか。
あゆみの手製の大きなハンバーグ2個と、飯を3杯、スープにサラダ。
相当な量を細い体にきれいに収めて、薫が箸をおいた、その時。

ことん。
ドアの郵便受けで音が鳴って、あゆみは眉をひそめた。

一階の入り口に鍵のかかるこのマンションで、直接ドアに広告が入ることなど、まずない。
まして、夜だ。

あゆみは玄関に行き、まもなく白い封筒を持って戻ってきた。

「藤堂君。 これ、開けて見て。」
「あ? 俺?」

白い封筒の宛名は『藤堂薫様』となっている。

……薫がここに居ることを知っている者など、いないはずだ。

中には一通の手紙。 文面は。


   ― 挑戦状 ―
   男に戻る鍵を、遊園地に用意した。
   キーワードは、 『TS』。
   頑張って乗ってくれたまえ。


「なんだ、こりゃ。」
言ったきり、薫は何も考えないので、探偵役はあゆみがやるしかない。
手酌で新たな発泡酒を開けつつ、聞いた。

「藤堂君。 TSって、何かわかる?」
「いや、全然。」
「あなた、自分がそんなことになって、インターネットも見てないの?」
あゆみはあきれたが、この子はそうかもね、と思い直して、教えてやった。

「性転換。 男が女になっちゃうようなのを、TSって言うんだよ。」

「乗ってくれ、ってのは、もしかして。」
「それは遊園地だもの、乗り物でしょうね。」

「センセ、愛知で遊園地、って言ったら、シートレインランドだよな。」
近くにある、幼い子供を連れた家族向けの小さな遊園地だ。
薫の顔が、なんとなく青白い。

「愛知県に限るとそうだけど。 ここで遊園地って言ったら普通、エヌ……」

「その名前を言うんじゃねえ!!!」
薫は大声で叫んだ。
震えている。

「あそこは、やめよう。 殺されちまう。」
「どうして?」
「だってあそこには、おっかねえものがあんなにあるじゃねえか!」

「藤堂君、もしかしてジェットコースター、ダメなの?」
「ったりめーだ!」
美しい額に汗の玉を浮かべて、すでに泣きそうである。

「あんなもの発明しやがったやつ、見つけたらただじゃおかねえ。」
息巻いてみても、見つかるはずはないが。

「じゃあ、行かない? もとに戻るチャンスかもしれないのに?」


薫は、沈黙した。
下を向いて、じっと考えた。

「………行く。」
蚊の鳴くような声で、言った。


「私がついて行ければいいんだけど。 明日の連絡会議は、ちょっと休めないのよね。」
あゆみは、とても残念そうに、ひじを付いた手にあごを乗せた。

「どうってことはねえ。 ちょいちょいっと片付けてくらあ。」
言葉は威勢いいが、自分の肩を押さえた薫は、目の焦点も合っていない。


……これは、広田君にでも護衛させた方がいいかもね。
あゆみは、思った。 口には出さない。

……ということは、もしかして藤堂君、女の子として初めてのデート、に、なるのかな?

信頼している剣の師匠がこんなことを考えているとは、薫は夢にも思わない。
だいたい今の薫に、そんな余裕はない。


「じゃあ、服を (気合を入れて) 選ばなくちゃね。 何がいい?」
あゆみが薫を自宅に呼んだのは、もちろん着せ替え人形にしたかったから、でもある。

「べつに。 なんでもいい。」
「そう。 なんでも、いいのね。 じゃあ。」

早速立ち上がったあゆみが持ってきたのは。

キャミソール。
数年前の大ブームに乗って買ってしまったものだ。

「さあ藤堂君、脱ぎなさい。 ブラジャーは面倒だから、今はなくていいわよね?」
ヒラヒラさせながら、妙に軽いステップで薫を部屋の隅へと追い詰める。

「ちょ、ちょっと待てセンセ、それはいくらなんでも。」
「なんでもいいんでしょ? 言うとおりの服、着るんだよね?」
「……センセ、酔っ払ってねえか?」
「ぜーんぜん酔ってなんかないわよぉ!」

酔っぱらいはたいがいそう言うものだ。

「脱ぐのがイヤならあたしが脱がしたげるわよーん。」
「わよーんじゃねえっ!! 分かった、着替えるからちょっと待て!!」


………お着替え中。


着替え終わった薫をあゆみは見回して、眉をひそめた。

「……変。 なんか変だ。」
「な、変だろ、こんなもん男が着るもんじゃねえ。」
「うーんなにが変かというと、これだあ!」

あゆみは薫のはみ出たわき毛を引っ張った。
薫はたまらず悲鳴を上げる。

「きゃああっ? ばかやろう何しやがるっ!」
「藤堂君、それは女としてのタシナミがなってない、剃ろう、今すぐ!」
「剃らねえ! タシマナなくていいっ!」
「タシマヌじゃなくてタシラム。 さあベッドに腰掛けなさい!」

あゆみの呂律がすこし怪しい。
据わった目で、出してきた剃刀を振りかざす。

「さあおろなしく手を上げろ!」
「あぶねえって!! 頼むからちったあ落ち着いてくれ。」
「おとらしく剃らせたら危ないことはしらいわよ?」
「………ぜんぜん信用できねえぞ?」

「ほー師匠に向かってそのセリフ、偉くらったねぇ藤堂君?」
「ひゃああああっ! ってこら、胸を揉むんじゃねえ!!」
「んーしかもこんらに可愛くなっちゃって、こーだこーだこーだ!」
「きゃああ、やめ、いやん、ちきしょーいやんじゃねえ、こらやめろ!」
「やめらら、剃るろかな?」
「わーった! 剃る、剃るから、でも酔いが醒めてからな!」

「醒めるまで待つということは、泊まっていくのね?」

急にきちんと言ったあゆみの顔を、薫はおどろいて見つめた。

「ま、どっちにしても明日の服を決める権利は私にあるわけだしね。」
「は、はめやがったな………。」
「でも気持ちよく酔ってるのは本当だよ。 剃った方がいいのも本当。」

剃刀をもてあそびながら片付けに行く。
酔っているのは間違いなさそうに見える。

「さてと、明日が楽しみだ、と。 お風呂、入ってきたら?」
「あんまり変な服は、承知しねえからな?」
「だーいじょうぶだって、私はこれでも常識人だよ。」

「……さっきまではそう思ってたんだけどな。」
「ん、何か言った?」
「なんでもねえ。 風呂、入ってくらあ。」

薫が洗面室に消えると、あゆみはすぐに携帯電話に飛びついた。

「さて、広田君の手があいてると良いんだけどね。 それと。」
あゆみはもうひとつ、大事なことに気が付いていた。

「晴れ姿、私が見られないのはつまらないから、カメラマンを手配しとかなきゃね。」

………薫くん、のんびり風呂に入ってる場合じゃないかもしれないぞ。

つづく。



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