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虹色のトレイル 第3話


藤色の夏 1

作:きりか進ノ介



「うわ、あっちぃ。」
藤堂薫は前髪をかきあげて、恨めしそうに太陽を見上げた。

体育館から出てきたばかりの彼の目に、景色がやけに白っぽい。
よく晴れた7月の午後の陽射しは強烈で、コンクリートが陽炎にゆらいでいる。
竹刀の袋を持ってあとに続いた広田拓也も、おもわず顔をしかめた。

「おつかれさま。」

二人に声をかけたのは、白い日傘の女性だ。
細身の長身で、背筋をぴんと伸ばした姿勢がすばらしく良い。
ベージュ色のスーツの上着を左手に掛けている。

「よ、センセ。 だめだな。 負けちまった。」
言葉の意味とは逆に、藤堂薫の口調はあかるい。

「上出来! 県大会でここまでやれば、褒めてやっていいわ。」
並んで歩きだしながら、その女性、佐々木あゆみも笑顔で言葉を続けた。

「藤堂君がベスト16、広田君はベスト8だよ。 公立高校の選手で、2年生なのに。」
「佐々木先生の指導がいいんじゃないですか。」
ぼそっと広田拓也が言う。

「おだてたってなんにも出ないよ。」
あゆみは苦笑した。
とはいえ、ずっと稽古をつけてきた成果が出て、うれしいのは確かだ。

「でも、おなか空いたよね。 ハンバーガーくらいならおごるぞ。」
「おう、ありがてえ。」
「ご馳走になります。」


今日は、高校生剣道の愛知県大会、決勝だ。
あゆみは勝ち残っていた男子剣道部員ふたりを連れて、名古屋まで来ていた。

たいした設備もない公立高校からベスト8まで残る部員が出たのは、たしかに彼女の功績だ。
体育館の片隅で、毎日、彼らを相手に竹刀を振って指導してきたのだから。
ちなみに彼女は剣道5段、28歳、独身の国語教師である。

部員の中で目立って強いのは、今、目の前にいる広田拓也と藤堂薫だ。

拓也は小学生の頃から道場に通っている。
普段は気が弱く頼りなさそうに見えるが、竹刀を持つと見違えるように強い。
長い稽古で鍛えられた、正統的な剣を正統的に使う。
打ち込む強さも十分にあり、技と正確さで相手を圧倒する。

対して、薫は中学まではケンカに明け暮れていた。
あゆみや拓也と出会って剣のおもしろさに目覚め、熱心に稽古をかさねて今に至る。
基本面で荒削りな部分は目立つが、強さと速さ、それに自在性が飛び抜けて良い。
気合を込めて打ち込む重い剣の連打が、強力な武器になるのだ。


「ふたりとも、本当に強くなったよね。」
バーガーショップのテーブル越しに、あゆみは目を細めて二人を見た。

「いーや。 まだまだだ。」
がつがつとほお張りながら、薫が言う。
「だいたい拓也より先に負けたのが、気に入らねえ。」
「そりゃあ、僕は昔からやってるからさ。」
当然だ、と言わんばかりの拓也の顔を、薫は横から睨みつけた。

「稽古じゃ互角じゃねえか。 おめえはクジ運が良かっただけだろう。」
「運も実力のうち。 それに力まかせに打ち込むだけじゃ、強豪には勝てないと思うよ。」
「ちきしょう。」
薫はポテトの束をまとめて口に放り込み、コーラで流し込んだ。

「明日の部活、おぼえてろよ。」
「僕もちょっと本気で、実力の違いを見せてあげるよ。」
「広田君、気を抜くと食べられちゃうぞ。」
「なんだ、センセまで拓也が上だと思ってんのかよ。」
「どうかしらね。 稽古を長く多くやってるから、広田君を応援したいかな。」
「ありがとうございます、百人力です!」

ちぇっ、と舌打ちして、薫は横を向いた。

「?」
ほほえましく思いながら薫を見ていたあゆみは、ふと気付いた。
薫のトレイに、黒の縞の入った、丸くて黄色い石が乗っている。


「藤堂君。 それ、なに?」
あゆみの指差した石は、薫にも覚えのないものだった。


「あ? なんだこれ?」
「なに、薫、ハッピーセット頼んだの?」
「ばかやろう。 せっかくオゴリなのに、腹に溜まるものを頼まなくてどうすんだ。」

薫は手をのばして、無造作にそれをつかみ上げた。
そして。


唐突に、石に込められていた『魔法』が、発動した。


薫の手の中で、黄色の輝きが急速に強さを増して、閃光となる。
「おわぁっ?」
おもわず声をあげた薫を包み込み、あっという間にその体を作り変えてゆく。


細く。 白く。 丸く。

そして、やわらかく。




「ちょっと、なに?」
あゆみは、光をさえぎった手を、顔の前からおろした。

拓也も、反射的にそむけた顔を薫の方に戻しながら、聞いた。

「だ、だいじょうぶ、薫。」
「うぉ。 なんだか気持ちわりい。」
「ガツガツ食べ過ぎなんじゃ……。」

拓也の言葉は、途中で切れた。
あゆみは、瞳をまんまるにして、薫の顔を見つめた。


「……なんだ? なんか、おかしいのか?」
二人の視線にさらされて、薫は気味悪そうに頬をなでながら聞いた。


先に口を開いたのは、あゆみだ。

「藤堂君、だよね。」
「なんだよセンセ、俺の顔を忘れたのか? ボケるにはまだ早いだろ。」
「だって、あなた……」


白く光る、なめらかな頬。
切れ長の涼しげな目もとに、長いまつ毛。
小ぶりで形の良い鼻。
そして、花の咲いたように赤いくちびる。
髪型は男のようなショートカットだが、薫の顔は、どうみても。

「なんていうか、その……。 女みたいな顔に、なってるわよ。」


さらに、あゆみは、薫の制服の、胸元に視線をやった。
制服のシャツの胸が、ふくらんでいるような気がする。

「藤堂君、て、女の子じゃ、なかったよね?」

なにを言ってるんだろう私。
ばかばかしく思いながら、あゆみは聞かずにいられなかった。


「センセ、なに寝ぼけてんだ。」
薫は鼻でわらった。
「俺は、男だ。 立派なシンボルが、このとおり……。」

薫は、股間に手をやった。
しかし、期待していたモノは、そこに、なかった。



「あはは。 なにかの、間違いだな。」
そんなはずはない。 薫は、笑ってごまかそうとした。

「間違いって、だって藤堂君……。」
「俺は男だ。 こんなバカなこと、実際にあるはずがねえ。」

薫は紙コップのふたを開けて、かすかなコーラ味の水と氷を口に含んだ。
がりがりと噛み砕いて飲み込む。

「そうだ。 夢を見てんだな。 そうに違いねえ。」
できるだけ低い声を出しているが、それでも声の艶は隠せない。
「おい、拓也。 ちょっと、ほっぺたつねってくれ。」
薫は隣の拓也の方に、横向きに顔を近づけた。


「あ、ああ。」
拓也は当惑したまま、あいまいな返事をした。


自分の横にいたのは、ライバルで、口のめっぽう悪い友人だったはずだ。
だが、今、目をつぶってやわらかそうなほっぺを突き出しているのは。

髪の生え際のうぶ毛も色っぽい、細いうなじの……女の子?

拓也は、とりあえず自分の右頬を、力いっぱいつねり上げた。
明確に、痛みを感じる。
………しかし、隣の友人は、もとに戻らなかった。

「いや、そうじゃなくて俺のほっぺたをだな。」
「あ、ああ。 そうだな。」

拓也は、ごくっとツバを飲み込んで、手を伸ばした。
そして。

ぼうっとした心持ちで、薫の頬を、そっと、そろえた指で撫でた。


「ひゃあああっ!」
かわいらしくも華やかな悲鳴が、店内にひびき渡った。


拓也は、出した手をあわてて引っ込めた。
あゆみは、まばたきも忘れて薫の顔に見入った。

そして誰よりも驚いたのは、声を出した本人である。
薫はおもわず両手で口を押さえ、あゆみよりももっと丸い目で、トレイを見つめた。


「おい。」
しばらくの沈黙の後、薫はさらに低い声をつくって、どちらにともなく尋ねた。

「今、叫んだのは、だれだ?」

どちらも、答えなかった。
目の前で何が起きているのか、整理がつかなかったのだ。

「藤堂君、ちょっとゴメンね。」
答える代わりに、あゆみはテーブル越しに、手のひらを薫の胸に押し当てた。
ふにゃ、と、柔らかな感触。 それと同時に。


「きゃあああああっ!」
さらに華やかな悲鳴が、ふたたび店内にひびき渡った。


「いいい、今、な、なにをしやがった! 電気が走ったぞ!」
「ご、ごめん藤堂君。 ちょっと確かめたかっただけで、そんなつもりじゃ……。」
「なにも確かめることなんか……」

そこまで言って、薫は、自分がどんな声を出しているかに気付いた。
とりつくろうのもすっかり忘れて、高く響く、細いつややかな声。
ちきしょう、まるでこれじゃ女みたいじゃねえか。

そこで、低い声で、言い直した。

「なにも、確かめることなんか、ねえよ。 俺は、男だ。」


「藤堂君。 言いにくいけれど、あなた……。」

ガタン。
あゆみの言葉をさえぎって、薫は、テーブルに手をついて立ち上がった。
ゆるんだウエストのベルトをキュッと閉めなおして、竹刀とかばんを持った。

「ちょっと、藤堂君?」
「帰る。」
「帰るって……。 そのまま?」
「ここに居てもしょうがねえ。 帰って寝直せば目も覚めるだろ。 じゃあな。」

引き止める暇もなく乱暴に店のドアを開けて、薫は立ち去った。





しばらくの沈黙のあと、拓也が口をひらいた。
「先生。 今の、なんだったんですか。」

「私に分かるわけないじゃない。」
あゆみも途方に暮れている。


「薫って、女、だったんですか。」
「ついさっきまでは、男の子、だったわよね。」
「い、今は? 女になったんですか?」
「そんなことあるわけない、と、私も思いたいけど。」

あゆみは右の手のひらを見つめた。 まちがいなく、女の乳房の感触だった。

「ご両親に、連絡しておいた方がいいかしらね。」
「今、いないらしいですよ。」
「え?」
「おやじさんが海外出張で、お袋さんも付いて行ってるんですって。」

「そっか。 じゃ、藤堂君、ひとりか……。」

今の状態で一人きりにしておくことに、あゆみはすこし不安を感じた。
だが、かまい過ぎるのも、かえって薫の態度を硬化させる恐れがある。

「………そっとしておこうか。 今日のところはね。」

「先生。」
「なに?」


「薫、ものすごく、かわいかったですよね?」

拓也は、目の焦点の定まらないままで言った。
ぼうっとして、夢見心地だ。 いつまでも眺めていたかった。
……もしかしてもしかすると、恋、なのか?


「ええ。 かわいい、というよりむしろ、美人、かもね。」

あゆみは、薫の華やかに整った顔立ちを思い起こした。
単に美人という表現では、控えめに過ぎるかもしれない。
短髪で、男装で、あれだけ綺麗なら。
ちゃんと女の子の恰好をさせたら、どんなに美しくなることだろう。


「……なにを考えてるんだよ、僕。 薫は、男じゃないか。」
「……いけない、いけない。 あたしは教師だぞ。」
二人は頭をふって、雑念を振り払おうとした。

しかしそんなことで忘れられるほど、薫(女)の印象は薄いものではなかったのである。


そして、ここにもう一人。
近くのテーブルに、夏だというのにガウンを羽織った、なんだかあぶない三十男。

「ほほう。 けっこうええ声で叫ぶやんか?」
エビフライバーガーを愛おしそうにひとくち。
「どないしたろっかなあ。 根性と剣の腕だけ試す、いうのもつまらんしなあ。」

ぶつぶつ言いながら、立ち上がった。
トレイを返して、店を出て行く。


薫の受難の日々は、こうして幕を開けた。






翌日。

「よろしくお願いします!」

真夏の体育館に、凛と、声が響いた。
すでに練習を始めていた剣道部員たちが、一斉に振り向く。
視線の集中した先には、胴着を着て竹刀を持った長身の少女が立っていた。

男のように短い髪だが、美しく整った顔立ちをしている。
そして胴着を着ていても、女らしいプロポーションは隠せない。

「藤堂君……。」
顧問の佐々木あゆみの声に、藤堂薫は答えて言った。
「よ、センセ。 わりい、寝坊しちまった。」
「寝坊は、まあ今日はいいけど。」
あゆみは、薫の顔をじっと見つめた。

「……体、もとに戻ってないんだ。」

「ああ、これな。 ひとばん寝てみたけど、戻んねえや。」
薫はあっけらかんと言った。

「なんかよくわかんねえけど、とりあえずどこも痛くねえし、稽古してもいいだろ。」
「お医者さんには、行ったの?」
「いや。 治してくれるとも思えねえし。」

「……そうかもね。 事が大きくなっても困るか。」

あゆみは少し考えたが、薫に同意した。

「じゃ、稽古していきなさい。 でも、異常を感じたらすぐに言うのよ。」
いちおう注意はしたが、薫が言うわけはないので、あゆみが気をつけるしかない。

「おし。 拓也、打ち合え。」
「藤堂君! 柔軟運動から、ちゃんとしなさい!」


2時間後。
ひととおりの基礎練習を終えて、薫は、広田拓也と向き合った。

「へへへ、昨日のセリフ、後悔させてやるぜ。」
目を爛々と輝かせて乗り気の薫と対照的に、拓也は困ったような顔をしている。
無言で、面越しに、薫の顔を見つめた。
昨日まで男だった友の、細く白い、うつくしい顔を。

「はじめ!」
「りゃあああっ!」

あゆみの号令で、蹲踞の姿勢から立ち上がるのと同時に、薫の体が跳んだ。
あっという間に間合いをとり、拓也の面をめがけて打撃の雨を降らせる。
しかし、拓也の竹刀は正確に、薫の攻撃を迎え撃つ。

「おりゃあっ!」
全体重を込めて、薫は竹刀を叩きつけた。
その一撃は拓也をよろめかせ、返す竹刀で一本! の、予定だった。

しかし。
渾身の一撃によろめいたのは、薫の体だった。

拓也の合わせた竹刀が、いとも簡単に、薫の竹刀を体ごとはじき返したのだ。
薫は、半歩よろめいた。 その隙を見逃す拓也ではない。
すかさず方向を変えた拓也の竹刀が、薫の面に決まった。

「面あり!」
あゆみの手があがる。


薫は、呆然とした。
初めて打ち合いを許された時でさえ、渾身の一撃を撥ね返されたことなどなかったのだ。


両者は開始線に戻り、中段の構えをとる。
3本勝負、薫にはもう後がない。

「2本目!」
あゆみの声に、しかし二人はすぐには動かなかった。
しん、と静まり返る体育館。
時間が止まったように、空気の音すら聞こえない。

「りゃああっ!」
静寂を破ったのは、やはり薫だった。
すっと上段に上げた構えから連打に移る。 いや、移ろうとした。
しかしこの時、拓也の方が、今の薫の力量を正確にとらえていた。

「せいっ!」
拓也は襲ってきた第一撃を、力任せに撃ち返した。
昨日までなら、勢いに勝る薫の打撃が、拓也の竹刀をはじいただろう。

しかし、今の薫の力では、拓也の打撃に勝つことはできなかった。

さすがに取り落とすのは防いだものの、高く、薫の竹刀は跳ね上げられて。
その瞬間に、勝負は決していた。

薫の面が、激しく音を立てる。
「面あり!」
あゆみの声が、冷静に響いた。


その後も、薫の打ち合いの結果は、散々だった。
「ちっ、竹刀が。 ……思うように動かねえ。」
薫はつぶやいたが、竹刀だけではない。

手も足も、薫の思うよりわずかに遅れて動いている。
一撃ごとの力も弱く、決定打を与えられない。
さらに、こんなはずではない、という焦りが、ますます状態を悪くしていた。


あゆみは、そんな薫の苦悩を黙って見ていた。
そして見れば見るほど、あゆみの疑いは確信に変わって行ったのだ。


………もしかして。
藤堂君、自分が女になったってことに、気がついていないんじゃあ?

いや普通はそんなことはないだろう。
せいぜい気がつかないふりをしているくらい………。

絶対に、ないと言い切れるだろうか。
藤堂君の頑迷なのは筋金入りだから、もしかしたら………。


というわけで。
部活が終わってから、あゆみは薫を国語科分室へと呼び出したのだった。



はじめに

 まいどおなじみ、きりかでございます。
 あ、初めての方も大歓迎です。 前の話とはあんまり関係ありませんので。

 さてさてシリーズ3話目、『藤色の夏』の第1回です。
 いよいよ季節は夏、TS少女も薄着になって書き甲斐がある……はずなんですが。
 正直に申しまして、今回の話は非常に苦労しました。

 キャラが、動いてくれない。
 前の子が動き過ぎたので、まだショックを引きずってるのかもしれません。
 はやく切り替えないと………

 あ、筆者は剣道の経験はないもので、多少の間違いは目をつぶって下さいませ。
 ガマンならない部分は感想掲示板の方へ苦情を下さいますと対処いたします。
 7月に県大会がなさそうなのは知ってるのですが………。 (こらこら)
 話の都合上、フィクションと割り切って下さいませ。 (おいおい)

 とはいえ一生懸命に仕上げております。
 どうぞよろしくお付き合いお願いいたします。


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