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  ―――開幕前・明治維新の動乱期のころ―――


 ――雨の中、我は立ち尽くす。足下には、幾本もの尾を持つ巨大な猫。
 ――この猫は敵、敵であった存在。
 ――伏せたのは敵で、立っているのが我。

 ――つまり、ようするにだ。

「……勝負あり、だな。化け猫よ」
「化け猫じゃねぇ、猫又だ……畜生、こんな糞餓鬼に……」
「それだ、見た目に惑わされたのが貴様の敗因よ」
「は、はは……ちげぇねぇ……」
「名を聞いておくか、猫又」
「ナギってんだ……七代祟ってやるから覚えておけ……と言いてぇが、吸血鬼相手じゃなァ」
「そうだな。大人しく昇天しておけ」
「阿呆……アヤカシが天に昇るかよ……土に帰るだけだ……あぁ、糞、畜生……」

 色を失い崩れ落ち、雨に流れ風に消え――土に帰る。
 ――さらばだ、ナギとやら。
 生まれた地の土に帰ることが出来るなら、それは悪くない最後だぞ?

 顔を上げずともわかる、我を囲む強い強い命の煌めき。
 手に手に武器や神具を携えて、我をぐるりと取り囲む人間達

 人と魔物の共同戦線、か。――面白い国だな、ここは。

 魔物は全て片づけて――あとは、人間達が残るのみ。
 たかが人間だ、何人居ようと物の数ではない――我が万全ならば。
 勝てぬ、だろう……今の我はとてもではないが万全とは言えない。
 受けた傷がまるで修復しない――魔力がもう無いのだ。しかも。

「ふ――ご丁寧に我の棺桶まで用意して来たか」

 この国の神に仕える者が纏う装束――白い衣に身を包んだ人間達。
 彼らが御輿のように担いでいるのは棺。我がこの国に入ったときに使っていた棺桶。

「異国の化け物、悪いが封じさせてもらうぜ」

 ――と、襤褸衣(ぼろぎぬ)を纏った娘が進み出て、威風堂々そう言った。
 この娘――貧相な手足に幼さの残る顔立ちの少女だが――おそらく半妖(ハーフ)
 なるほど我を倒す法は見つからずとも、奉り封じる法はあると言うことか。
 この地の土は我の体に適さぬ、ここに封じられれば目覚める事は難しいだろう。

 この山に眠る魔物が目覚めれば、あるいは我も……それも儚き希望だな。
 救済を求め、流れ流れて辿り着いた黄金の国ジパング。この極東の島国が我の埋葬の地となるか。
 ……まぁそれも良しとしよう。

 ――もういい加減、この終わらぬ死にも、飽きてきた所だ。

 父の顔も、母の顔も、兄弟姉妹に至っては居たかどうかすら記憶は定かではない。
 心の硬化、血の呪縛、魂の獣……全てを忘れて眠りにつこう。
 数年後か、数十年か、数百年後か……再び目覚めたとき、救済への道があるようにと、願う。

 ――……ははっ。
 願う? 何にだ? 馬鹿な。神に呪われた存在が、何に願うというのか。

「断っても、力ずくで封じる気なのだろう?」
「まぁな。付け加えるなら、私が敗北しても後詰めが控えてる」
「ひとつ聞いて良いか、娘よ」
「いいぜ、なんだ?」
「なぜ戦いの場に?」
「我が一族の安住の地のため。っというか、まぁ、私のお腹の子の為だな」
「なるほど、特権階級との交換条件というわけか」
「察しが良くて助かるぜ」

 封じられて目覚めない眠り、それは魅力的にも思えた。
 少なくとも、シュバルツバルトの奥深くに幽閉されていた、あの頃よりはましだろう。
 何もない白い部屋の窓から、黒い森を眺めていただけの、あの頃よりは。

「――名を聞いておこうか、娘」
藤代沙耶(ふじしろ さや)
「サヤ、か――良い響きの名だ

  ――我はクルト。クルト・クルクス・ルデル。
  ――救済を求めて流浪する、哀れな吸血鬼」

 さぁ。
 我を封じてみせろ。




めいぷる! ─ザ・インセクト─

第二話・第五章「ルビーアイズ」

作:K.伊藤





   ―――第一幕―――

 アリソン――ザ・ナイト――ロザレイ。
 手足に纏った白銀の甲冑、桜色のチュニックの下にはおそらく鎖帷子。
 左胸には炎のたてがみを持つ獅子の刺繍、あれはロザレイ家の紋章だろうか?

 獅子――背中に翻る紅いマントにも、金糸で同じデザイン刺繍がされている。
 獅子――ウェーブのかかった彼女のブロンドは、まさしく獅子のたてがみの様で。
 獅子――百獣の王。威風堂々と、正々堂々と、猛る彼女のイメージはまさしく獅子。

 サファイアの瞳も今やルビーに変わり、紅色と金色と鋼色の、彼女はそう――紅蓮の獅子。

「シィッ!!」アリソンが蹴る。
「く、あぁッ!!」私が受ける。

 ――そんな戦乙女と、そんな彼女と、少々ガチバトった。
 とてつもなく重い蹴りを受け、ガードした腕がビリビリと痺れている。
 ――ぶっちゃけ彼女はハンパ無く強い。スピードこそほぼ互角だが、パワーでは明らかに負けてる。
 ……電信柱くらいなら、あの蹴り一発でへし折れるんじゃないだろうか。
 けど負けるわけにはいかない、私は頼りになるお姉ちゃんなんだから。
 身体能力では向こうが勝るようだ――ならば、特殊能力でならどうだ!?

「メイプル・ブレイクダークサンダーっ!!」

 それは、闇を切り開く雷。
 バックダッシュで間合いを開きつつ、体内で高圧電流を作り出し右手に集中、アリソンに向けて解き放つ。
 彼女が纏う甲冑は金属製だ、狙う必要はない。何もしなくても雷は引き寄せられていく。
 ――ガード不能の自動追尾攻撃! さぁ回避できるかアリソン・ザ・ナイト!!

「Open Gate No.1 クルセイダーっ!!」

 だがアリソンは回避も防御もせず、右手を掲げてそう叫んだ。
 彼女が唱えたキーワードに呼応して右腕の紋様が紅く輝き――その手に十字剣が出現する。
 肉厚で幅広な、斬り落とす事よりも叩き切る事を目的にした古風な西洋剣……っていうか、でかっ!?
 あの剣、彼女の背丈ほどもあるぞ!? それを片手で!? あんな物で斬りかかられたら――。

「ふんっ……っ!! Open Gate No.2 ブレイブハート!!」

 だが、その剣は地面に突き立てられ、彼女は再びキーワードを吠える。
 その言葉を受けて彼女の左手に現れたのは、一丁の回転式拳銃……っていうか、これもでかっ!?
 目測だがおそらく60口径以上、もはや拳銃というよりハンドキャノンだ。オーバーキルにも程がある。


戦薔薇の乙女、アリソン・ロザレイ(illust by MONDO)



 ――……その大艦巨砲主義は何なんなのよ!?
 アリソン、あんた本当は英国人じゃなくて米国人なんじゃないの!?

 ともかく、私の生み出した雷は十字剣へ落ちそのまま大地へ流れ――なるほど避雷針かっ!!――と、思う間も刹那。
 アリソンの左手に握られた凶器、流麗な白銀の銃身が紅い光を受けて輝き、虚ろな銃口が私を狙って――。

「フリーズ!!」

 言うなり、ドゥン。と、撃った。

「にゅわぁっ!!」
「はずした!? フリーズッ!! フリーズッ!!」

 ドゥン、ドゥン。と、撃った、撃った。

「ひわっ!? ひわわっ!?」
「あぁもう!! フリーズと言ってるのです!! 動いたら当たりませんわ!!」
「それ普通、動くな、動いたら撃つって意味で言」

 ドゥン。と、さらに撃った。

「ひわあぁぁぁっ!?」
「くっ……なんで当たりませんの!?」

 当たらないのは銃の精度が悪いわけでも、アリソンの射撃技術の問題でもない。
 私の第六感の強さ、直感――虫の知らせ――が回避方向を教えるからだ。
 って言うかあんなん喰らってたまるか!! 痛いじゃすまないわよ絶対!!
 しかし、あんな馬鹿でかい拳銃を片手持ちで連射とは……。アリソン・ザ・ナイト。単純なパワーなら、覚醒状態の大吾より上かも知れない。

 更に二発の銃声、危険度が高ければ高いほど増す、私の第六感。
 回避した私の後で、何かもの凄い破壊音。

「やめれっ! 学校壊す気かっ!!」
「貴女が避けなければ良いのですわ! ――再装填(リロード)! 射撃(ファイア)!!」
「うわひゃぁぁっ!?」

 隙を突いて詰めようとした間合いを取り直し、横っ飛びに避ける。
 三つの銃声、三つの衝撃波。一つにまとまったもの凄い破壊音。

「ああっ! 校舎がっ!!」
「やかましいですわね、後で新築に建て替えてさしあげますわよ!」

 アッサリ言い切りやがった。どんだけ金持ちなのよアリソン。
 しかしあの拳銃、言葉だけで弾丸の再装填をするのか――ちぇっ、リロードの隙は突けないな。
 仕方ない。たとえ不利でも――遠距離戦で何とか接近の隙を作り出すしかないっ!!

「チィッ、こうなったら大規模飽和攻撃で……」
「はわわっ!? め、メイプルストライク――スティンガーっ!!」
「くっ!?」

 大規模飽和攻撃がどんなもんかはわからないが、出させたらヤバいと直感した。
 慌てて右手甲の形状を針に変えて撃ち出すが、アリソンはそれを握った銃で払い落とす。
 ――だが、払われた針はパキリと砕け。

「なっ!? なんですのこれ!? き、きゃぁぁぁっ!?」

 ――かかったっ!! あの針の中には、空気に触れると一気に燃焼する粘液が詰まっている!!
 彼女の腕は機械。炎ではたいしたダメージは無いかも知れない――が、握った銃の火薬に引火すれば、話は別。
 あの手の巨大拳銃は、たいていニトロエクスプレス! そこに引火すれば――!!
 派手な音をたてて銃が爆散し、アリソンの左腕の肘から下がグニャリとひしゃげた。
 バチバチと蒼白い火花を放つ彼女の左腕――機械だと解っていても、心が萎縮する。
 怯えるな! 怯えるな私! あれは義手だっ!!

「くうっ!? 左腕が……!?」
「ごめん!! でもここのまま決めるっ……装甲解除(キャストオフ)ッ!!」

 全能力、開放――この期に及んで出し惜しみは無しだ!
 甲冑を脱ぎ捨て、走る、跳ぶ。途中地面に突き立ったアリソンの剣を引き抜き、振りかぶる!!

 ――やはりこの剣は重い。全てのリミッターを開放しても、片手で振り回すのはきつい。
 ――だから両手でしっかりと握りしめる、パワーで劣ろうと、今なら速度では圧倒的に凌駕しているはず。

 速く、鋭く、重い一撃を右腕にも叩き込んで――それで終わりだ! アリソン・ザ・ナイト!!
 背中の羽根も使って開いた距離を一気に詰めようと――だが次の瞬間、アリソンがくるりと背中を向けた。
 翻る深紅のマント。そこに刺繍された獅子が、私に吠えかかる。

「舐めるなぁッ!! Open Gate No.3――」

 感じるのはとてつもない胸騒ぎと、背筋を走り抜ける冷たいざわめき。
 見えるのは一瞬の溜め、アリソンの右脚の紋章が輝き――直後、弾ける。
 それは左脚を軸にしての右回し蹴り。紅い軌跡を描き――ゆらめいて。

「センチュリオン!!」

 炎のような揺らめきの中に現れる一個の砲弾。風を巻き、雨粒を弾いて、それが――。

「ひっ――!?」

 それが、真っ正面から迫る。
 ――やばい、足が地に着いてない!!
 回避――不能!! 防御――不能!! やばい、やばいやばいやばい!!

「思い知りなさい――日本人(ジャップ)!!」猛る、叫ぶ。
「思い上がるなよ――英国人(ブリット)!!」叫び返す。

 てやんでこんちくしょー!!
 無理を通せば引っ込むのが道理!! 燃え上がれ私の大和魂っ!!
 空中で身を捻り、顎を引き砲弾をしっかりと見定める。
 気合いに呼応するかのように、私の細胞が激しく電気を作り出す。
 足が地面を掴んだ時には、既に砲弾は目前――回避も防御も不能な位置。

 ――ならば、迎撃するのみ!!

 剣の柄を握りこむ。帯電した刀身が蒼く輝き、磁力の渦を作り出す。
 健康優良日本男児なめんなよ!! 神風見せてやらぁっ!!

「くらえッ!! メイプルッホォォォムラァァァァンッ!!」
「な、なにゃぁっ!? ……そ、そんな、馬鹿な!?」

 ――えっと。

 何をしたかっていうと――振りかぶった剣で砲弾を打ち返したわけだけど。
 うん、いや、その、我ながら無茶苦茶だと思う。普通に考えて信管が作動して爆発するよね。
 でもいーのっ! 実際に爆発はしなかったんだからっ! 運も実力の内っ!!
 でもって、打ち返された砲弾はアリソンへと舞い戻り――。

「くっ! お、Open Gate No.4 トータスッ!!」

  ず ん ! ――そんなくぐもった音を立てて、アリソンが爆風に包まれる。

 ――今更だけど、だいたい掴めた。
 彼女の能力はつまり、両手両脚に仕込まれた魔法陣から鎧や剣、銃などの各種武装を呼び出すというものだろう。
 ハイパワーの義腕義足と高威力かつ高防御力の武装――なるほど、人間最終兵器だね。

「お嬢様っ!」と、それまで勝負を見守っていたアルが駆け寄ろうとするが。
「――まだだ」と、大吾がアルの肩を掴んでそれを止める、そう、まだだ。

 風で黒煙が流れ去ると、そこには猛る獅子の姿があった。獅子のレリーフが刻まれた巨大な盾があった。
 ――着弾より一瞬早く、彼女が左足に仕込まれた魔法陣から呼び出した盾だ。
 剣を振りかぶりその盾に駆け寄る、砲弾の直撃に耐えきる防御力だ、剣で破壊できるとは思えない。
 だがそもそも破壊しようなんて思ってない。腕や脚はともかく、彼女の胴体と頭は生身の人間なのだ。

 ――だからっ! 振りかぶった剣をその盾に打ち付けてっ!!

「いっけぇぇぇぇっ!! メイプルブレイクダークサンダー……ゼロ!!」
「ぴきゃぁぁぁぁっ!?」

 その盾に直接、(ゼロ)距離で、装甲解除状態(リミッターゼロ)の電撃を叩き込むっ!!
 盾の向こうからアリソンの悲鳴が聞こえ、盾はゆっくりと地面に倒れ――。
 その向こう側でアリソン・ロザレイが、泥濘の上に、ぺたん、と座り込んでいた。

「あ、あ、う、しび、痺れ、痺れてっ……く、ま、まだっ!! たっ、立てますわっ……!!」
「アリソン」
「待ってなさい!! 立てるのよっ! このっ、動けっ! 動いてよっ!! 負けない、負けないっ、負けるわけにはっ――!!」
「アリソン」
「負けられないのよぉ! 動けっ! 動きなさいっ!! それでも、それでも私の手足ですかっ!! このっ!!」
「アリソンッ!!」

 闘志はいまだ衰えず、か――……本当に頑丈な子だと思う、その体も、その心も。
 だが、瞳の色はサファイアに戻り、手足の甲冑は既に消え、纏っているのはレオタードのような薄衣一枚で。
 ――この子、変身解けても全裸にならないのか……ちょっと羨ましいな。
 まぁとにかく、彼女は既に戦える状態に無いのだ。
 それでも戦う意志があるのなら、やはり勝負は決めなきゃなんないわけで。

 だから、私は、必死に立ち上がろうとする彼女に近づいて。
 だから、俺は、この戦いを終わらせるために。

「――アリソン・ロザレイ」
「――あ」

 彼女の、その右肩に、剣の腹を乗せて。

「俺の、勝ちだ」

 ――そう静かに、彼女に告げた。



   ―――第二幕/アリソン・ロザレイ―――

 負けた。

 負けた?
 負けた? 私が、負けた?
 負け――?

「わたし、の、まけ?」

 そんな。
 せっかく、ここまで。
 こんな遠い国まで、あいつを、追いかけて、来たのに。
 苦しい事も、痛い事も、頑張って、乗り越えて、来たのに。
 ここで、諦めなきゃ――。

「そう、俺の勝ち。だから――」

 ――諦めなきゃ、ならないの?
 そんな約束は無いと、つっぱねる?

 だめ、それは駄目。
 敗者は勝者の言うことを、聞かなければならない。
 約束など無くても、それは暗黙の了解。

 それに、この戦いに私は誇りと名誉を賭けた。
 つまり、私の誇りと名誉は、もう彼女のものなのだ。
 だから。

「――だから、アリソン」
「――っ、ぐ……」

 喉が詰まる。
 けど、泣かない。
 泣いてたまるもんか。
 たとえ従騎士でも、私は騎士なのだ。
 泣くもんか、泣くもんか、泣くもんか――!!
 死ねばいい、負けたのだ。
 高潔に、誇り高く、死ねばいい。
 魂までは、負けない。
 絶対に、泣くもんか!!

「俺の、友達になって下さい」
「――……ふへ?」

 トモダチ……?
 だ、誰が……?
 わ、私が……?

「あ、あなたと、ともだち……?」
「うん、日本のことわざだよ。タイマン張ったら、ダチ」

 ――あぁ。
 気が付けばいつの間にか雨はやんでいて。
 雲間から差し込む月光が、彼女の裸を美しく照らして。
 優しく微笑みながら差し出す、彼女の右手が暖かそうで。
 私は自分でも気が付かない内に、その手を握っていて。

「――ひっ、ぐ」

 喉が、詰まる。
 嗚咽が、漏れる。
 泣くもんか、と思った。
 泣いてたまるか、そう思った。
 けど。

「――俺達と一緒の道を行こう。ね、アリソン?」

 彼女が、私の頭を優しくその腕で包み込んで。
 その体が暖かくて。笑顔が優しくて。
 泣かない。
 泣かない。
 泣いて、たまるか。
 そう思った。
 けど。

「ひ、う、うぐっ……うわあぁぁぁぁんっ!! ふえぇぇぇぇぇんっ!!」

 ――無理だった。



   ―――幕合/宮ノ森かなみ――

「で、かなみ。そろそろ事情を説明してくれるかい?」

 車を運転しながら、パパが私に問いかける。
 えぇと、どこから説明したものか――。

 そうして私は、回想シーンに入る。 
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
 麦茶を入れたグラスが、汗をかいている。
 その中に浮かんでいた氷が、からんと鳴った。

「えっと……でも、それって夢、でしょ?」

 私の話を黙って聞いていた葵ちゃんが、おずおずと口を開き、そう言った。
 うん、夢だけど。そう葵ちゃんに答えてから私は。

「でも、本当に夢なんでしょうか? どうですか――」

 そう、彼女に尋ねる。
 あの夢がただの夢じゃなかったとすれば、彼女が知らないわけがない。
 
「教えて下さい、幸恵さん」

 幸恵さん……東雲幸恵、さん。
 大吾さんから連絡を受けた、そう言ってふらりと現れた彼女は今、私の目の前で紅茶を啜っている。
 ――この地の怪異を管轄する東雲家。彼女自身にその血は流れていなくても、実質その東雲家の「家を守る」という立場の彼女が、この地で起きていた妖怪による異変を知らないわけがない。

 その場の全員が注目する中、彼女はカップから口を離し、ふぅ。そう一息ついてから静かに語り出す。

「……かなみさん」
「はい」
「確認しますが……抱擁は受けてないのですね?」
「……抱擁?」
「感染源の吸血鬼の血を、飲んだのか。という事です」
「飲んでないです」
「なのに、そんな夢を見た、と?」
「はい」

 そうですか。と、そう呟いて幸恵さんは思案に沈む。
 表情からは、何を思っているのかわからない。
 ……話しても良いこと、悪いことがあるのだろう。幸恵さんの立場を考えれば理解できるけど、でも。
 話して下さい! そう叫びたい。
 何故かはわからないけど、私の心の中に焦りがある。急いで彼の元に行かないと。そういう焦りが。
 そんな中、沈黙を破ったのは、意外な人物。

「……幸恵は立場があるゆえ、話せないのであろうが……」

 ……椿ちゃんだった。
 幸恵さんは何かを言おうと口を開き――口を閉じた。沈黙を続けるのだろう。

「かなみの語ったことが真実だとすれば、その吸血鬼が目覚めたのは、妾のせいなのであろう。違うか? 鬼の嫁よ」
「……」
「妾の目覚めに、つられて目覚めた。あり得る話じゃ。まして、あの山でかなり大騒ぎした後じゃしな」
「……ふぅ。……わかってると思いますが、他言無用に願います。いいですか?」

 幸恵さんが重苦しいため息の後に、そう言った。
 全員が小さく頷き、それを見た幸恵さんが語り始める。

 ――かなみさんの見た夢、事実その通りです。
 ――東雲のお家が、この地で最初にやったお仕事。流れ着いた理由。それが、それ。
 ――地の記憶か、宮ノ守のお家の血か。
 ――真祖レベルの吸血鬼との魂の繋がりは、一方通行でも強いのか。
 ――あるいはそれら、相乗効果なのか。それはわからないですが。
 ――過去、そんな事があったような事は、東雲のお家にも伝わってますね。
 ――目覚めた理由も、まぁ椿さんが言ったとおりでしょう。
 ――椿さんは、自然発生大地由来の妖、しかもルーツが蜘蛛。
 ――それが眠っている地ですから、その土は封印には適していたのですが。
 ――でも、それが目覚めてしまった。
 ――………はぁ。こうなると、蛇塚の封印もあやしいですね。

「……蛇塚?」
「あぁ、それは今回の件には関係ないですね。今回の件が片付いたら、ひょっとしたら助力願うかもしれませんが。……さて、かなみさん。それで?」
「え? は、はい?」
「いえ、それで、その夢は真実でした。それでどうするのです? かなみさん」

 どうするのか。私はどうしたいのか。
 決まっている、けど、それを口に出して良いのか。
 口に出したら、どうなるのか。

「私、は――」

 口を開く。
 それを言って良いのか。言ってしまったら、みんなに迷惑をかけてしまわないか。
 いや、もう迷惑をかけているけど。でも、これ以上の迷惑を――。

「私は……っ、く、クルト君を……っ」
「行くよ、かなみちゃん」

 突然、そう声をかけられた。
 そっちを向く。向く前から声の主はわかってる。

「あ、葵ちゃん……?」
「助けたいんでしょ?」

 葵ちゃんが、そう言って笑う。
 あぁ――私が大好きな、志藤姉妹の、あの微笑みだ。
 けど、でも――そう思ったけど。

「けど、でも、は無しだよ。というか、言ったらドリアンキャンディ一個ね」
「ええぇぇぇっ!?」
「……かなみには、貸しがあったな」
「つ、椿ちゃん!?」
「ふむ、吸血鬼の生け捕りか。研究対象には良いな」
「あ、茜さんまで!?」
「……仕方ありません。私としては、止めるべきなんでしょうけどね」
「ゆ、幸恵さん……」

 良いんですか? という私の問いかけに幸恵さんは、ダメと言われても行くんでしょう? と答える。
 前回もそう言ってついて来ましたからね。そう言ってクスクスと笑う。
 そういえばそんな事言った。ちょっと照れる。――と、そこで、家の外で車が急停車する音がした。
 なんだろう? と、一瞬全員が玄関の方を見る。直後、大声で――。

「かーなーみーっ!! かーなーみーっ!!」
「ぱ、パパっ!?」
「かーなーみーっ!! くっ!? 玄関に鍵が!? 鍵! 鍵は……しまった! 忘れてきた!!」
「ちょ、ちょっと待って、今開けに――」
「えぇい! ならば!! ミッキーパンチ!!」

 ……玄関の方から、もの凄い破壊音がした。 
 
「かーなーみーっ!! おりゃぁっ!! ミッキーキック!!」

 ……ついでとばかりに、リビングのドアも破壊された。
 リビングのドアには、別に鍵なんてついてないのに。

「かーなーみーっ!! 無事だったかい!? 我が愛しの愛娘よ!!」

 そうして、全員があっけにとられる中、私はパパの腕にきつく抱きしめられていた。
 愛しの愛娘って、言葉がダブってるなぁ、とか思いながら。

 で、その後私はパパにおねだりしたのだ。
 お願いパパ、連れて行って欲しい所があるの! と。
 そう言われたパパは、すぐに車を出してくれたのだけど。

 ――パパは私に滅茶苦茶に甘い。楓さんが言うには「メチャクチャっていうか、ハチャメチャに」甘い。
 ――更に楓さん曰く。パパに対して、私の「おねだり」は最後から二番目の武器らしい。
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
 そして、私の回想シーンは終わる。
 で、私の話を聞いたパパはというと――。

「か、かなみが、男を連れ込んだ、だとっ……!?」

 ――最初にショックを受けるのはそこらしい。

「男の子! 男の子! 椿ちゃんくらいの年の子だよ! 迷子を保護した感じ!」
「そ、そうか。しかしかなみ、今向かう所に、その子が居るとして――居るのだろう?」
「うん、居るよ」

 何故かわかる。カイ君……じゃない、クルト君は、そこに居る。
 これが幸恵さんの言う「血」とか「魂」の繋がりなんだろうか?

「そうか。……つまりそれは……危なくないか?」

 パパが私の身を案じてくれる、それはわかるし、嬉しい――けど、連れて行ってもらわないわけには、いかない。
 私は切り札を使い続ける。

「危なくないよ。だってパパが居るし」
「そ、そうか?」
「うん。だってパパ言ってたじゃない。俺の拳はかなみの為ならダイヤモンドすら砕く、って」
「確かにその通りだが……いや、しかし」

 パパはまだ迷ってる。だから、最後の切り札を使う。
 ――いいよね?
 ――かなみはもっと我が儘を言っていいんだよ。って、普段からパパもそう言ってたし。

「……連れて行ってくれないの?」
「か、かなみ?」
「……私、パパ嫌いになっちゃうかも」
「くっ!? わ、わかった……パパに任せなさい!!」

 やっとパパも納得してくれた。
 待っててね、クルト君!!

 ――えっと、……パパ、ごめんなさい。



   ―――第三幕/廃ホテルにて――

 その廃ホテルは、霧に包まれていた。

 並の人間がその霧を抜けよようとしても、いつの間にか方向感覚を失い迷うのがオチだ。
 並の人間で無いのなら、その霧が帯びている妖しい気配に気づき、そもそも立ち入らないだろう。
 並の人間を超える存在なら、その霧が吸血鬼の手による空間閉鎖結界であることに気が付くかもしれない。

 古来より吸血鬼は霧に化けるとされていた。
 その正体がこの、霧を操りその中を自在に移動する幻惑魔術である。
 この霧の中では視力は効かない、聴覚ですら狂う。
 長く留まれば吸い込んだ吸血鬼の毒が回り意識も曖昧になる。

「くそ、どこに行った吸血鬼!!」

 その霧の中に、一匹の人狼。
 英国騎士団所属の従騎士、アリソン・ロザレイの従者。名をクリス・リー。
 夜の住人でありながら、人に属し魔を狩る者。
 古来より吸血鬼の天敵とされてきた存在、人狼。その血族。

 ――だが今、追い込まれているのはクリス。

 既に、並の人間なら致命傷になりかねない傷を抱えている。
 無論、その傷は全て吸血鬼の手によるもの。
 華奢な体躯からは信じられないほど鋭く重い一撃を、何度か食らった。
 幾度かはカウンターを決めたが、本当に効いているのか。
 人狼の爪や牙で負った傷は、たとえ吸血鬼でも回復が遅いはずだが――。

 彼は思う。

 これが真祖の実力か、と。
 これが闘争の本質か、と。

 殺されるかもしれない――その現実に震える。だがそれは怯えてなどではなく、武者震い。
 人の内に眠る獣の闘争本能が目覚める。血が滾る、手も足も充実し、頭も冴えている。
 それは人狼の習性。相手が強者であればなお、心が震え体が熱くなる。
 勝てない相手ではないのだ、最後の手段さえ使えれば。だが最後の手段、それは。

 ――変身、獣人化。

「もうやめぬか? 人狼よ。――少なくとも我には、貴様と戦う理由が無い」
「黙れ吸血鬼! 姿を見せろ!!」

 霧の中、四方から響く声――まるで位置が掴めない。

 あの吸血鬼、どこに行きヤガッタ。
 狩ル、狩ッテヤル! オレサマニ傷ヲ負ワセヤガッテ。
 変身シテ貴様ヲ、コノ爪ト牙ノ餌食ニシテヤロウカ――!!

「……そうか、貴様ら人狼も呪われた存在だったな――」
「黙レト言ッタゾ吸血鬼! オレサマト戦エ! ――ウォ……ぐ、あっ!?」

 吠えようとした刹那、胸に痛みが走った。
 首にかけられた銀のロザリオに、目覚めかけた魔物の血が反応して熱を持つ。
 このロザリオが首にある限り、彼は狼男へと変身することは出来ない。
 外そうと思えばそれは容易。首にかけられたその鎖は、あまりにも細く頼りない。
 だが外そうと思う事はない。その鎖にかけられた誓いは、あまりにも太く重い。

「く……すいません、お嬢様」

 そう、このロザリオは誓い。
 これは彼の主、アリソン・ロザレイが直接首にかけてくれたもの。
 まだあどけなさが残るお嬢様が、まだ純白のドレスを着ていた頃お嬢様が、彼の首にかけてくれたもの。
 「クリス、貴方の中の魔物は私が預かります。……勝手にはずしたら駄目だからね?」
 彼女はそう言った。そう言って彼の首にこのロザリオをかけたのだ。

 我は剣、我は盾。主に従い、主と共に。主の為に生き、主の為に死す。
 この鎖を解き放つ事が出来るのは唯一、我が主アリソン・ロザレイのみ!!

「……――話をしよう吸血鬼。君は何者だ? この地で何をしている?」

 思う。落ち着け、落ち着いて考えるんだクリス、と。
 戦う理由が無いわけではない。だが、僕が最も優先すべきはお嬢様。
 見知らぬ行きずりの吸血鬼を切り裂いて、お嬢様になんの得があるのか。
 こいつが何者であろうと、僕が戦わなくてもこの国の連中に任せれば良いじゃないか。

 クリス・リーは落ち着いて、しかし警戒を緩めずに会話を試みた――が。

「――」
「どうした? 返事をしろ吸血鬼」
「会話するのは無理のようだな。客人だ」
「客人だと?」
「あぁ。お互いに望まぬ、な」

 こんな時間、こんな場所に、こんな状況で、誰が来るというのか。
 もしかしたらお嬢様――いや、いまコイツは「お互いに望まぬ」と言った。
 ならば、誰――。

 そして、霧の結界を打ち破って、死の匂いがやって来た。



   ―――第四幕――

「サイズは合うみたいですね、楓様」
「あ、うん、まぁ……」

 えー、現在、女子更衣室であります。
 いやね、また服を駄目にしたので着替えをしてるんだけど。
 アルが用意してくれた着替えというのが……まぁなんというか。
 彼女の予備の服らしいんだけど。つまり、いわゆるメイド装束なわけで。

 ――これを着て街を歩くのか? 俺……。
 知り合いに会ったりしませんように……。

 で、アリソンはどうしてるかというと。

「ふにゅ……ん」
「しかしまぁ……可愛い寝顔だこと」
「そうですね。こんなに安らかな顔で寝るお嬢様を見るのは、久し振りです」

 ――泣き疲れて寝てしまっている。
 ちなみに左腕は、アルによって既に新しいモノに交換されているんだけど。改めて見るにこれがまた精巧に出来ている義腕で、繋ぎ目なんか目をこらせばうっすらと見えるかなってレベル。
 俺の視力でそうなんだから、普通の人間じゃ言われてもわかんないだろうなぁ。
 壊した方の左腕は完全にオシャカ。弁償しなきゃいけないかなー? とも思ったのだけど……。
 アルが言うには「この腕一本でベントレーが新車で一台買えますが」という値段だそうだ。
 ――とてもじゃないけど弁償出来ません、ごめんなさい。

「では寝ている隙に、お嬢様の着替えもしてしまいましょう」

 ……っと、アルがアリソンのレオタードを脱がし始めたので慌てて視線を逸らす。
 しかし、アルのスカートの中ってどうなっているんだろう。
 タオル、水の入ったペットボトル、アリソンの予備左腕、俺が借りたメイド装束、アリソンの新しいドレス。
 それら全部をあのスカートの中から取りだしていたが……四次元スカートか、あれは。
 そう思いながら、ペットボトルを手に取る。

「アル、このペットボトルの水って飲んでも平気? もらっていいかな?」
「どうぞ、問題ありません。むしろ、この都市の水道水より清潔なくらいです」
「そう、じゃぁもらうね」

 蓋を開け、ごくごくと飲み――。

「美味しいですか? 私の聖水」
「ぶっふ!! げ、げほっ! ごほっ!」
「楓様、大丈夫ですか? 楓様なら聖水を飲んでも問題ないはずなのですが」
「えほっ! えほっ! せ、せせ、聖水っ!?」
「はい。言いましたよね、私の体内には聖水の精製機能が――」
「いや聞いたけど! 聞いたけど! じゃぁアレは何!?」
「――あれ、とは?」
「アレだよ! かなみに聖水飲ませたとき! なんでこのペットボトルを使わなかったの!?」
「あぁ、あれですか、演出です。実際には、このようにホースで」

 サラリと言い切り、スカートからホースをズルリと引き出す。
 なんでそんな演出必要なんだよ、とか。お前のスカートの中はどうなってんだ、とか。
 ――色々とつっこみたいが、何となくこの人形の性格が掴めてきたのでやめておく。

 絶対コイツ、人をからかうのを楽しんでやがる。
 ヘタに突っ込んだら、また弄られるに違いない。

 あ、そうそう、大吾はもちろん外に居るぞ。っていうか、校庭に出来た大穴とか埋めている最中だ。
 あれだけ大騒ぎしても警察とかが来ないのは、大吾とアルがなんかして外界と遮断してたから、らしい。

 でも、ぶっ壊れた校舎はどうするつもりなんだろう。聞くのが怖い。

「ところで楓様、お嬢様のお体を拭きたいのですが……前の方をおねがいできませんか?」
「あ、うん。……あれ? なんか小さくない?」
「ひゃん……くすぐったいですわぁ……」
「普段は胸パットを入れてるのです。お嬢様は見栄っ張りですから」
「あー、なるほどね。まぁそういう所はかわいい……ってちょっと待ていっ!!」

 見ちゃったよ!? 拭いちゃったよ!?
 濡れタオルでアリソンの胸拭いちゃいましたよ!?
 ――ふにふにっと柔らかくて、下の方もちゃんと金髪でした。
 っていうか、そーゆー問題ではなくてっ!!

「いいのかよっ!? お嬢様の裸体を不逞の輩に見せていいのかよっ!?」
「それは……楓様もお嬢様に見られましたし、おあいこかと。それに、お嬢様のお友達なら不逞の輩ではありませんし」
「親しき仲にも礼儀ありっつーことわざがあるんだよ日本にはっ!!」
「データベース参照……確かにありますね」

 濡れタオルを放りだし、出口に向かう……後はアルに任せよう。
 これ以上アリソンの裸を勝手に見るわけにはいかない、何しろ俺は男で――彼女たちは俺が男だとは知らないのだ。
 友達になったばっかりで裏切るような真似は出来ないもんな――いや、ちょっと見ちゃったけど。
 ……ごめん、許してアリソン。と心の中で謝っておく。

「じ、じゃぁ、俺は外で待ってるから」
「はい。楓様――ありがとうございました」

 振り向きかけて――思いとどまる、惜しいがこれ以上アリソンの裸を見るのはヤバい。

「いや、喧嘩して友達になったってだけで……俺は何もしてないよ」
「それでも、ありがとうございました」
「――ん」

 女子更衣室の扉を開けて、外に出て、扉を締める。
 ひんやりとした廊下が、火照った頬に気持ちいい。
 さて、行くか――と、その前に。

「そうそう、アル……テーブルの上のそれ、渡しておくな」
「これは……楓様、よろしいのですか?」
「よろしくない理由なんてどこにある?」
「……ありがとうございます」

 置いてきたのは、吸血鬼症の治療薬だ。決闘の間は大吾に預けていた。
 オフクロがかなみの血から作り出した、アンチVワクチン。対ヴァンパイアウィルスの特効薬。
 これを注射すれば、アリソンの呪いは解けるはず。
 打つか打たないかはアリソンの自由だけど……きっと打ってくれると思う。
 とりあえず、問題の一つはこれでなんとかなった……かな?

「まぁ、まだ問題は山積みなんだけどな」

 ため息と彼女たちをその場に残して、大吾が居る校庭に向かう。
 それにしても……自動人形アルフ・ライラ・ワ・ライラ、か……。
 流麗だが無駄の無い動き、作り物めいた端正な顔立ち、聞き取りやすく起伏に乏しい言葉の抑揚。
 ――どこまでも人間らしく、どこまでも人間とはまるで違う。
 ――彼女には心があるのだろうか。泣いたり笑ったりも、するのだろうか。
 そんな事を考えながらぺたぺたと裸足で廊下を歩く、ふと窓の外を見ると――。

「……霧? 珍しいな――」

 まぁ珍しいが、霧の日も無い訳じゃない。それにしてもそんな事より――おなかすいた。
 思えば一日に二回も変身したのは初めて、しかも一度は装甲解除までして。その上病み上がりで――いや、生理は病気じゃないか?
 とにかく、体内に蓄えていたエネルギーをかなり使ったことには間違いない。
 ……早いトコ食事と休養を取らないと倒れかねないな、こりゃ。
 コンビニでも寄ってなんか買っていこうかな。財布が無いけど、お金は大吾に借りてアンパンでも――。

「――誰だ!?」

 窓の外、何者かの気配を感じ。視線を向ける……しかし、誰も居ない。
 ――だが、外に。
 ――内に、ではなく外に。

「……て、手形……?」

 窓の外側から……手の形に、泥汚れが。
 窓の外側では霧がゆっくりと流れ、乳白色のベールの向こうは見透かせず。
 夜の校舎は、暗く冷たく、静寂をたたえて――いや、待て、ちょっと待て、こ、ここでホラーか!? と、唐突だぞそれは!!
 い、いや、きっとこの手形は最初からあったんだ。今ついたってわけじゃ――。

「おめ、なーにやってんだ?」
「うっぴゃぁぁぁぁぁぁっ!!」

 背後から突然声をかけられて、奇天烈な声を上げて漫画のように飛び上がる。
 心臓があったら、口から飛び出していたかもしんない。
 振り向けば後に居たのは――チビで童顔巨乳のアニメ声、ひらひらした少女趣味丸出しのドレス姿。

「……さ、サトちゃん?」
「あほぅ、里美先生と呼ばんかー」

 一度見れば忘れない、他の人と間違える筈もない。そんな個性的な我らがクラス担任、金居里美先生。
 あぁ、それにしてもビックリした。まるで接近に気が付かな……いや、待て。

「さとみ……せんせい?」
「おー、そうだぞ。里美先生だぞー。お姉様でもいーけどな?」

 まさか……とは思う。けど今、俺は窓ガラスの手形を見ていた。
 窓の外は霧、窓に付着した手形、ガラスには、俺の顔が写っていた。
 だが、サトちゃんの姿は、写っていなかった。写っていれば気が付いたはずだ。

「それにしてもカエカエ、こんな時間にそんな格好で何を――カエカエ?」

 一歩近づいてくる、一歩下がる。
 空腹、疲労、眠気……五感が鈍っている。もう一度変身するのは、たぶん無理。

「……――気が付いたか、やっぱお前センスあるわ、カエカエ」
「……――そりゃ、どーも」

 それは俺ですら知っている伝承だ……吸血鬼は、鏡に映らない。
 まさか、なぜ、どうして、だれが……湧いてくる疑問が渦を巻いて回転する。

 落ち着け、落ち着け俺。
 ――どんな状況でも、正解の選択肢は必ずあると信じろ。諦めたらそこで終わりだ。
 親父はそう言ってたじゃないか。――さぁ、正解を探せ志藤楓。



   ―――第五幕/廃ホテルにて 2――

「撃て! 討て! 悪魔を怖れるな! 神を畏れよ! そうあれかし(エイメン)! そうあれかし(エイメン)!」

 山中に朽ちかけた廃ホテルで今、激しい戦いが繰り広げられている。

 一方の勢力は、ヴァチカン武装神父団。 
 カトリックの総本山から派遣された、対魔戦闘のスペシャリスト達。
 彼ら神罰の地上代行者は独自の判断で入国し、独自の判断で吸血鬼狩りを行っている。
 異教徒の国である日本などどうでも良いが、カイ・シェンカーには神罰を下さなくてはならない。
 もちろん、日本政府を初めとしたあらゆる機関に退魔戦闘の許可を取って――いない。
 異教徒共に許可など取る必要はない、尊ぶべきは我らが父。それが彼らの思考。
 手に手に武器を携えて、死の匂いを振りまきながら、その数、総勢12名。

「いつの時代も変わらぬな、狂信者は」
「余裕じゃないか、吸血鬼」
「そうでもない。貴様に喰らったダメージが癒えんのだ、人狼」

 もう一方の勢力は、二匹の魔物。
 本来は天敵同士の、吸血鬼と人狼。現在はどうやら休戦中のようだ。

「僕の名はクリス。クリス・リーだ、吸血鬼」
「そうか。我が名はクルト。クルト・クルクス・ルデルだ、『人狼』」
「……クリスにクルトか、お互いクロスを連想させる因果な名だな、『吸血鬼』」

 階下の様子を伺いながら、クリスは考える。
 自分の身元を明らかにしても、無駄だろう。
 此処にいる吸血鬼がカイ・シェンカーではないと明らかにしても、無意味だろう。
 奴ら武装神父団は、単なる『手』だ。『脳』の下した命令を忠実にこなすだけの、単なる『手』だ。
 故に、説得を試みても無駄というもの。手に耳はついてないのだから。

「おい、吸血鬼、どうやって逃げ出す? って……おい、どうした?」
「いや……弾丸に水銀を詰めていたのか……人間の武器も進化したものだな」
「撃たれていたのか!? 何発喰らった!?」
「一発だが……これは、キツいな……気が付くのが遅れた……」

 廃ホテルを包んでいる霧が、薄れていく。結界を維持できる魔力が無いのだろう。
 そして逆に、奴ら武装神父団の聖域が広がっていく。階下でトネリコの木でも燃やしているらしい。
 夜の住人にとっては、生半可な催涙ガスよりもよほど効果的な攻撃手段だ。
 老朽化した廃ホテル。上に居る限り迫撃砲の類は無いだろうと、階上に逃げたのが仇になった。
 状況は、圧倒的に、不利。

「あぁ、くそ、何年寝ていたんだよ、吸血鬼!」
「150年未達……といったところか……ところで、人狼」
「客人追加だろ? わかっているさ。目と耳と鼻に関しては、お前らより僕の方が鋭い」

 もっとも、鼻は効かなくなっているが。トネリコの煙の影響で。
 クリスの耳が捉えたのは、廃ホテルの前に車が停止する音。数は2台。
 車種までは特定できないが、おそらく大排気量の乗用車と、ロータリーエンジンのスポーツカー。

 新手か、無関係か、敵か、味方か。
 いずれにせよ、状況打開のチャンスは今しかないだろう。

 クリスは、胸のクロスに手を当てる。
 この命は我が主のもの、このような場所で捨てることは、不忠――。
 徐々に迫る音響閃光弾(フラッシュバン)の音に、クリスは覚悟を決める。

 そして。
 音と光に紛れて、直下に潜んだ敵に、ついに気が付くことは無かった。



   ―――第六幕――

「ぐ――はぁっ……!」
「……頑丈だな、カエカエ」

 崩れた壁の中から起きあがる。
 痛い、体中のあちこちが痛い。

「まぁ……健康には……ちょっと、自信があ……ありまして」
「うはー、ちょっと自信が、程度で奥義を耐えられたらたまんねーぞぅ」

 状況は刻一刻と悪化している。

 逃げようとすれば追いつかれ、殴られる。
 強行突破を挑んでもいなされ、投げられる。
 会話で時間を稼ごうとしても、蹴り飛ばされる。

 時間と共に、俺の疲労とダメージは蓄積する一方。
 対して、サトちゃんには疲労もダメージもほとんどない。

 参った。戦いの年期が――積んできた経験が違いすぎる。
  
 ただでさえ強いサトちゃんに、吸血鬼の力が宿ってるのだ。
 そりゃ、楽な相手じゃない事は覚悟していたが――。

「里美お姉様っ、もう許して……と言ったら許してくれるわけには」
「メイド服でその台詞はおめー、もっといぢめたくなる台詞だぞぅ――っと!」

 サトちゃんは構えない、その体勢から唐突に動いてくる。
 打撃? 蹴り? 投げ? 何処を狙ってる? 攻撃方法も攻撃位置もまるで読めない。
 打撃――そう思いガードすれば腕を取られ、巻き込むように抱えられ――関節を破壊される!?

「ぎっ……ああああああああああああっ!!」
「うぉっ!?」

 みっともなく喚きながら、無理矢理腕を引き抜く。
 筋を痛めた、とてつもなく痛い。が、それでも腕を折られるよりはマシだ。

 なんとなく予想はついてはいる。
 無構え。無拍子。無形の位。呼び名は様々だが……要するにアレは、直感と反射だけで戦う方法だ。
 後の先だの先の先だの、そんな小手先の技術を凌駕した地点にサトちゃんは居る。
 経験と実力に裏打ちされた本能。漫画では何度もお目にかかったが、実物がこんなに厄介なものだとは。
 何しろ攻撃される直前まで虫の知らせが働かない。きっと俺の実戦経験じゃ、まだ不足なのだろう。
 変身できれば多分勝てる。変身してスピードとパワーで圧倒してしまえば、技巧どうこうの戦いじゃなくなる。
 だが、やはり最初の予想通り……変身しようとしても出来ない。
 おそらく、そんなエネルギーはもう体内に残っていないのだろう。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……痛っ……!」
「ほれ、足下がお留守だぞぅ……っと!」
「げふっ!」

 言葉で足下に意識を集中させておいてからの、掌底で脇腹を抉る一撃。
 えげつない――もし内臓の位置が人間のままだったら、肝臓を破壊されて一撃で行動不能だったろう。

 勝てない。
 ダメージを喰らいすぎた。
 体力を使いすぎた。
 そもそも実力が違う。

 でも、諦めない。
 まだ、諦めない。

「げほっ、げほっ……はぁっ……はぁ……っ!!」

 立ち上がる、口元を拭った手の甲に血が付いた。
 彼我の戦力差は圧倒的? それがどうした。

 正解の選択肢は、必ずある。
 正解の選択肢は、必ず来る。

「すげー! 今の一撃を食らってなお立てるか! けどな――!」

 虫の知らせが走った、顔面への右拳! そう読めた、事実その通りに攻撃が来た。
 ――なのに。

「がっ!?」

 なのに、ガードが間に合わなかった。ガードを上げる前に、サトちゃんの右拳がマトモに頬を突き抜けていた。

 ――思い通りに体が動かなかった。

 痛いとか、そんなレベルじゃない。痛みどころの騒ぎじゃない。今のはヤバい、ヤバすぎる。
 肉体的な損傷そのものは、奥歯が何本か折られたレベルで済んでいるけど。けど、ヤバい事に。

 脳を、ゆさぶられた。

 意識が混濁する。思考がまとまらない。視界が歪む。吐き気がこみ上げる。
 膝が崩れる。立ち上がらないと。立ち上がれない。髪を捕まれた。俺の瞳をのぞき込むサトちゃんの瞳。
 紅玉色に光って。サトちゃんの口元に牙が光って。ヤバい。くそ。動け。動け俺の体。
 駄目だ、動けない。まだか。まだか。まだ来ないのか。正解の選択肢――!!

「ではカエカエ、いただきま――」
「――聖水、放出開始します」
「――何者だっ!? って、あぢぢぢぢぢぢぢぢっ!!」

 ……状況がよくわからない。

 体に降りかかる水がひんやりして気持ちいい。サトちゃんの方は熱湯でも浴びたように熱がっている。
 さらに視線の先では……アルが横になって、スカートから伸びたホースを構えて水を撒き散らして……いや、これは俺が横になってるのか、どおりで頬がひんやり冷たいわけだ。
 まぁ、とりあえず……どうやら間に合ったみたいじゃないか……。

 俺に駆け寄るアリソンと大吾の、慌てた様な表情が……はは、大丈夫だよ、死んじゃいないから。
 なんて呑気に考えながら……俺の意識は闇に沈んだ。



   ―――第七幕/東雲大吾――

「……ロザレイの令嬢、すまんが楓を連れて離れてくれ」

 そう言いながら、楓を庇うようにして、金居教諭の前に立つ。
 満身創痍の楓だが、どうやらギリギリで間に合ったようだ。
 ギリギリで間に合ったとはいえ、楓をこんな目にあわせてしまった自分に、苛立つ。

「……私に引けと言うのですか、しののみ大吾」
「いや、悪いが楽な方をとらせてくれって事だ、元凶退治を願いたい。それと、俺はしののめ、だ」

 状況から判断するに、元凶――カイ・シェンカーは、この学校に潜んでいる。
 ならば、自分が行くよりアリソン・ロザレイに行かせるべきだろう。
 奴は彼女の獲物だし、なにより――彼女では、金居教諭を文字通り粉砕しかねない。
 そんな事になったら――楓は絶対に、自分を責める。

「――なるほど、わかりました」
「すまないな、それと、今の楓に何より必要なのは糖分だ」
「なるほど。アル?」
「はいお嬢様。ハチミツ、チョコレート、焼き菓子、キャンディ、各種取りそろえております」
「流石は英国貴族、か。では、そっちは任せた」
「言われるまでもありません。私は、奴に対しては――容赦なく情けないですわ」
「それを言うなら『情け容赦しません』だろう」

 楓が気絶しているので、代わりに俺が突っ込んでおく。
 ……ありがたい事に、今ので少し気持ちに余裕が出来た。少しは手加減できそうだ。

「武運を、大吾様」

 そう人形が言い残し、二人は俺が校舎にブチ開けた穴を抜けて校舎を出て行く。
 そして残ったのは俺と、目の前の金居教諭――。

「東雲大吾か、正直、来てくれて助かったよ――あんたなら、何とかしてくれるんだろ?」
「……やっぱり、まだ自我が残ってましたか」

 残ってなければ、楓はとうに殺されていただろう。

「まぁね。――残ってるだけに、キツかったわ」
「でしょうね。……強い人だ、あなたは」
「ありがとーよー……けど……もう限界だわ……手放しても、いいか……?」
「ダメと言っても、もう限界なんでしょう? 構いませんよ」
「あ、あぁ……うん、もう、ダメ、みたいだわ……ふ、ふふっ、ごめんね?」

 目の前の金居教諭が、金居教諭でなくなっていく。
 俺の中の鬼が、血の匂いを嗅ぎ取り檻を揺らす。

「ふふっ……じゃぁ、大吾君、先生の個人レッスンの時間よん?」
「だまれ吸血鬼。鬼に関しちゃ、俺の方が先輩だ」
「あらぁ? じゃぁ先生に、優しく、オ・シ・エ・テ・?」

 軽く足を開き、左手を拡げて、前に伸ばす。右手は軽く右肩に軽く触れるように。
 凶良(まがら)流太刀回し術・弓引き。そう呼ばれる構えだ。
 対し、吸血鬼は無構え。

 女の子に手を挙げちゃダメだろ、大吾。
 楓ならそう言うかもしれんが……ま、女の子って年じゃない相手だし、大目に見てくれ。

「あら? 大吾君、いまシッケーな事考えなかった?」

 チッ。
 一流武術家の吸血鬼、しかも殺しちゃダメとは――やりにくい相手だぜ。



──次章に続く──



たいへん長らくお待たせいたしました。
戦闘だらけで今回ギャグ要素薄いですね、コメディ期待してた人とか、居たらごめんなさい。
なんというか、思ったより長くなってしまっております。
シーンをバンバン割愛して、結果詰め込みすぎ?
そしてあれあれ? 彼女の出番は? ……ごめんよかなみちゃん。
とにもかくにも、第二話・第五章をお送りしますK.伊藤です。前説長いよ!

で、今回もまた素敵なMONDOさんに素敵なイラストを頂いてしまいました。
なんでこう僕のイメージ通りの絵を描いてくださるのか。あなたが神か。

えーと、まぁ、そんな感じで、恒例の補足説明の名を借りた雑記っ!


「猫又のナギ」
少年少女文庫−第二掲示板・ストーリー道場に掲載された拙作、「春猫、恋猫。」
これに出てくる「ナギ」の、転生前のエピソードです。
……今読み返すと、色々となんか、こう、下手な部分が目について、あぁ、こっぱずかしーっ!(笑
ちなみに転生後の「凪と夜次郎」は、出てくる予定はありません(笑


「メイプルの技名」
バオー来訪者は名作。いくろーカッコイイよ、カッコイイよいくろー。
個人的には、今でも一番好きな変身ヒーローかもしれない。
でもバオー来訪者に野球やるシーンなんかありはしない(笑


「アリソンの技名」
基本的には、英国産兵器の名前を使っています。
今回、ようやっと楓君のグループに正式参入できました。
↓以下、簡単な説明↓
No.1 クルセイダー:馬鹿でかい両刃剣、魔力付加済み。
これに限らずアリソンの武装は「単独での対モンスター戦闘」を可能にすることを念頭に作られてます。
名の元になったのは第二次世界大戦時に作られた巡航戦車。本来の意味は「十字軍」。
No.2 ブレイブハート:馬鹿でかい拳銃。
使用する弾丸は.600NE弾、冗談抜きで象を一発で仕留められる拳銃。
名の元になったのは現役の自走砲。本来の意味は「勇気ある心」
No.3 センチュリオン:砲弾召還。
砲弾を召還し、運動エネルギーを付与する。というトンデモ技。
名の元になったのは第二次世界大戦末期に作られた巡航戦車。本来の意味は「百人隊長」。
No.4 トータス:硬く、巨大な盾
実は、その重さ故にアリソンのパワーでも持ち上げるのに苦労したりする。(笑
名の元になったのは第二次世界大戦終結後に完成した重戦車。本来の意味は「亀」


「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」
浅黒い肌をブリテッシュメイドの衣装に包み、千一夜物語の名を持つ、一癖ある自動人形。
本編では説明してませんが、要するに「インド人」がモチーフ。
人狼クリスが香港出身で、つまりはイギリスの旧植民地なわけです。
え? オージー?
……だって4人じゃ、多すぎるし。
一番パッとしないオーストラリアモチーフは、割愛いたしましたw
ちなみにクリス君は、別に怪物料理の名コックだったりしません。


「ギャグ要素薄いよ! なにやってんの!」
自覚しております、えぇと、その分は萌え要素と燃え要素で勘弁を。だめ?
まぁ、執事萌え(燃え)とかって、一般的じゃないのもわかっちゃいるんですが。
……書きたかったんだもん(笑


と、まぁ、そんなこんなで。
次回「サブタイトル未定(仮)」に、メイプルストライク!
……いやあの、なるべく早く書き上げるように努力いたしますw


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