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 気がつくと、僕「碓氷冬雪(うすい ふゆき)」は霧の中を充てもなく歩いていた。
 ここは、どこなのだろう?
 右もまっしろ、左もまっしろ、全部まっしろ。
 ただ惰性で歩いているだけ。
 深い霧の迷路は、ずっと続いている。どこまで行っても、景色は変わらない。寒々とした純白の世界が広がるだけ。
 なんでこんなところを……。
 そもそも僕は、本当に歩いているのだろう?
 いつから霧が出ていたのか、いつから迷い込んだのか、記憶にない。
 濃い霧の海へ一足踏み出すたびに、心細さは増していく。

 ―― 秋綺、春花ちゃん、終里ちゃん……夏月。誰か、いないの?

 心の中で、親しい友の名を呼ぶ。けど、返事は返ってこない。
 やっぱり僕は……―― ひとりぼっちなんだ。
 「ひくっ……うっ……うぅ……」
 じんわりと、目じりに涙が浮かぶ。
 寂しさが、
 切なさが、
 心細さが、
 次々と溢れてくる。
 だけど、歩みは止まらない。

 もう、歩くのをやめてもいいんじゃないか?
 多分、僕は霧の中から一生出ることなんてできないだろう。だったら、ここで休んでしまった方がいい。
 なのに、僕は歩くことを止めない。足は、勝手に歩き続ける。
 どうして?
 希望なんて、欠片も見えないのに。


 その時。

 「―― 冬…………ん……」

 今にも消え入りそうな声が、耳を突く。
 空耳?

 「―― 冬……くん……」

 ―― 確かに聞こえた。幻聴なんかじゃない。
 僕は、声のした方向へずんずん歩き出す。
 助かった。助かったんだ。
 多分、声の主は夏月。きっとそうに違いない。必死に呼びかけ、僕を待っているはず。ぎゅっとしてくれる。おかえりって言ってくれ、

 「冬雪くぅん!!!」

 突如、僕はたくましくて太い腕に抱きとめられる。
 「―― え……っ、えぇっっ!!?」
 僕は、反射的に情けない声を上げてしまう。全身がカァッと熱くなり、肌が火照ってくる。

 ―― 一体なにっ?!!  ―― 夏月じゃないのぉっ!!?

 「いやぁ……よかったです……本当に。冬雪君が、帰ってきて……――やっと……やっと、僕の愛が通じたんですね……」
 感涙にむせび泣くのは、背の高い眼鏡少年「桃ノ木三四郎(もものき さんしろう)」君。僕のクラスメイト。

 ―― な……、なんでこんなところに……?

 「あ、あのさ……もしかして、さっき僕を呼んだ声って……」
 「はい、僕です♪」
 三四郎君は、あっけらかんと答える。ニコニコと笑みを浮かべた顔は、気持ちいいくらい爽やか。

 そっか、三四郎君か……。へぇ……夏月じゃなかったんだね。なんか、虚を突かれたというか――
 ……と、いけないっ! 三四郎君は、わざわざ僕を助けにきてくれたんだよね。感謝しなきゃいけない。
 うん、やっぱり三四郎君は、いざという時にとっても頼もしい。今度、なにかお礼をしなきゃ。

 などと、思考を巡らせている僕の腕を、三四郎君はガッチリとつかむ。
 「そんなことより、すぐに始めましょう! 時間も、押し迫っていますし!」
 「……へ?」
 始める? なにを?
 そういえば、三四郎君の服装がいつもと違う。純白のパリッとしたスーツを着ている。スラッと背が高い三四郎君に、よく似合う。胸元には、名探偵コ○ンがつけているような蝶ネクタイが。なんだか、タキシードみたい……ていうか、タキシードそのもの。
 三四郎君は、ニパッと白い歯を見せて言う。

 「なにをおっしゃるウサギさんっ! 君と僕の―― 結婚式でぃす!!!」

 瞬間。  ピシッという音と共に、僕の思考回路は凍りつく。  ぽかぁんと口を開け放ったまま、呼吸すら忘れてしまう。頭の中は真っ白で、なにも考えられない。
 ……そして、氷が瓦解すると同時に、。

 「―――― ぇぇえええええええええええええええええええええええっっ?!!」

 僕は素っ頓狂な声を上げてしまう。
 三四郎君は、キョトンとした目をしている。なぜ、僕が大声を上げるのかわからないみたいに。
 「きっ……聞いてないよっっ!! そんな話ぃ!!」
 僕は、必死に抗議する。
 大体、僕には夏月という素敵な恋人が。
 「もぅ、見苦しいよ冬雪っ! そんな姿で今更っ!」
 霧の中からひょこっと顔を出す、ポニーテール少女。僕の幼馴染、「坂田夏月」。真夏の太陽みたいにキラキラ輝く瞳から、勝気な性格がにじみ出ている。ピンク色のドレスに身を包み、さくらんぼのように瑞々しい唇にはうっすらと紅をさしている。

 ―― ていうか、僕の姿?
 言われたとおり、しげしげと自分の姿を見てみる。
 僕は、スカートの裾が床ほどもある、純白のドレスを着ている。透き通るような真珠色の生地は、雪であつらえたよう。上半身には透き通ったヴェールがかかっており、背中まである髪は、アップにまとめられている。雪の結晶みたいな模様が胸元に刺繍されており、手にはブーケを持っている。
 えぇと……もしかしなくてもこれは…………――ウェディングドレス?
 サァッと全身から血の気が引いていく。
 なぜ? さっきまで、普通の服を着ていたはずなのに。

 刹那、霧が晴れる。
 と同時に、十字架に貼り付けられた、イエスキリストの像が目に飛び込む。
 辺りを見渡せば、僕と三四郎君は、ステンドグラス煌びやかな教会に立っていた。辺りは、瞬く間に拍手と歓声に包まれる。
 「おめでとうございます、冬雪ちゃん!」
 「俺も、負けないようにがんばるぜ」
 「くすくす、お幸せに」
 等と、全然めでたくない賛辞の言葉が次々に送られる。

 ―― ていうか、誰か止めてよ!!

   もう、わけがわからない。なにが、どうなってるの?
 状況に翻弄され、オタオタとする僕の両肩に、三四郎君はポンと手を置く。
 「冬雪君……うぅん、冬雪さん。僕は、あなたを―― 幸せにしてみせます!! ひとりの女性として!!」
 「いや、なんの罰ゲーム!? ちょ、やめてよ三四郎君!! 僕、元は男だよ!! 知ってるでしょ!?」
 「過去は、二人で協力して乗り越えればいいのです!!」
 「僕の気持ちを無視してる時点で、協力もへったくれもあるかぁああっっ!!」
 僕が、息を切らせながらツッコミを入れまくっている横で、河童みたいな頭をした神父さんが咳払いをする。
 「コホンっ! ―― アノ、よろしですか? 桃ノ木三四郎、碓氷冬雪。あなた方は、互いを将来の伴侶とし、日本が沈没しようが妖星が地球に衝突しようが、あの世までも寄り添いあっていくことを、誓いますか?」
 「はい!! 冬雪さんも同じです!!」
 「ちょ、勝手に決めないでよ!! あ、神父さん!! 異議アリッ!!」
 「よろしい。では、誓いのA、B、Cを」
 全然よろしくない!! ていうか、BやCは早いって!!
 ……―― あれ?
 もしかして、この場所で!?
 ふと、三四郎君に目を移せば、カチャカチャとベルトをはずしている。

 ―― 思い切りよすぎっっ!!

 「さぁ……冬雪さん――観念してくださぁああああああいいッ!!!」
 手をわしゃわしゃと動かし、三四郎君は迫ってくる。
 いや、観念って―― 目がやばいんだけど!! いや、ちょ、心の準備が……。
 「ゃ……ゃぁ……っ!! ……さ、三四郎君……やめ――」
 獣のように迫り、ウェディングドレスの胸元に手をかける三四郎君。紙が破れるかのように、ドレスは一気に引き裂かれる。
 宙に放られるブーケ。
 スカートから露出するふともも。
 あっという間に押し倒され、僕は身動きが取れなくなる。
 「安心してくださいねぇ? 最初はちょ〜っと痛いかもしれませんが、直に気持ちよくなりますよぉ〜。僕が……女の喜びってヤツを、冬雪さんに教えちゃいますからぁ。げひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃあぁぁあああああああッ!!! あびゅらぼひゃげひょッ!!!」
 三四郎君は、もはや人語すら忘れている。目は血走り、口内では赤い舌がチロチロとうごめいている。その迫力は、アヤカシを三割増くらい上回っていた。
 そして、そのまま三四郎君の顔が、すぐ目の前まで接近し――。





 「―――― あぁぁぁああああああああああああああッ!!!」
 僕は、喉が張り裂けんばかりの叫び声を上げ、布団からガバッと飛び起きる。
 「―― ぅ……はぁ……はぁ……」
 トクントクンと心臓が波打つ。全身は汗びっしょり。息をするのがとても苦しくて、全力疾走直後のよう。
 ふと、周りをぐるりと見る。
 見慣れた木目の天井、所々塗装のはげた机や椅子。
 どうやら、僕の部屋らしい。
 「ゆ……夢、かぁ……」
 ガックリと首を垂れ、僕はうなだれる。
 なんで、あんな夢見たのだろう?
 今まで生きてきた人生の中で、最悪の寝覚め。ていうか、三四郎君に申し訳ない。

 「冬雪〜〜、早く準備しないと遅刻するわよぉ〜〜?」

 階下から響く、母さんの声が聞こえる。
 あぁ、もうそんな時間か。早く制服に着替えなきゃ。
 くしくしと目をこすり、僕は階段を下りていった。




ホーリーメイデンズ2
第壱灯「模造された少女」

〜 カーブミラーの悪魔・茨木童子・登場 〜



流離太




 二○××年、十二月の旭川市。北海道の北部にあるこの街は、寒さも上位に位置する。今年もその名に恥じず、街や川、草木は白一色に塗り替えられている。
 旭小学校の通学路には、まだ七時にもかかわらず、大小さまざまな足跡が雪面に刻まれている。そんな通学路の途中に、花田中学校二年生「碓氷冬雪」の家はあった。
 「冬雪ぃ!! は〜や〜く〜っ!! このまま外に突っ立ってたら、あたしら冬まつりの氷像になっちゃぅ〜〜!!」
 冬雪の家の前で、拡声器を使ったかのような大声を上げるポニーテール少女。冬雪の幼馴染にしてクラスメイト、「坂田夏月(さかた なつき)」である。
 身を包む紺色のセーラー服から覗く手足は、寒さのせいで真っ赤になっている。
 「ひょ、ひょっほはっふぇ……(ちょ、ちょっと待ってぇ……)」
 家の中から、マヌケな返事が返ってくる。冬雪だ。恐らく、口の中に食べ物を一杯に詰め込んでいるのだろう。
 「んもぉ!! とか言って、絶対ご飯お替りしてるよっ!! 丼で五杯くらいっ!!」
 夏月は両手にホットミルクのように白い息を吹きかける。細い指先が、じんわり温まっていく。
 いくらコートを着ていても、この寒さ。息を吸い込めば、体の芯まで凍りつきそう。
 夏月の隣で、背の高いショートカットの少女が溜息を吐く。夏月のクラスメイトの「卜部秋綺(うらべ あき)」。釣り目気味だが涼しげな目元、コートの胸部分を押し上げる大きな双丘とは対照的にすぐ折れてしまいそうなほど華奢な腰、スカートからスラリと伸びた長い脚など、どこか近寄りがたい雰囲気が、却ってその魅力を引き出している。
 「はぁ……あいつはいつになっても、食欲だけは変わらないな。」
 肩をすくめ、呆れたような視線を玄関に送る秋綺。夏月とは対照的に、震え一つ見えない。
 「……ねぇ、なんであんたはこの寒さで平気なわけ?」
 こしこしと、かじかんだ両手を擦り合わせながら、夏月は秋綺にジト目を向ける。
 「お前ら道産子は軟弱なんだよ。ちょっと寒かったら暖房やストーブ点けるだろ。関東だとな、コタツひとつで冬乗り越えるんだぞ? 隙間風が入ってくる部屋でな」
 そういえば、秋綺は埼玉から転校してきたんだった。いや、それよりも今――
 「……あんた、今、北海道の全住民に喧嘩売らなかった?」
 夏月は青筋を立て、秋綺を睨みつける。秋綺は少しもひるまず、口を開く。
 「事実を言っただけだろ? それくらいのことで、一々喧嘩売ってくるんじゃねぇ。本当に猪みたいなやつだな。冬眠でもしてろ」

 瞬間、

 ―― ぷっちん。

 夏月の堪忍袋の尾が、音を立てて切れる。

 「ぬぁんだってぇええええ!!! もう一回言ってみなさいよ、秋綺ぃいいい!!!」
 夏月は、秋綺の胸倉を勢いよく掴む。ゴゴゴゴゴという音を上げ、夏月の心は燃え上がる。気温は十度くらい上昇し、周囲の雪が溶け出す。
 熱血リーダータイプの夏月とクールな一匹狼の秋綺。二人がぶつかり合うのは、必然かもしれない。
 秋綺は、面倒くさいと言わんばかりに顔を背け、吐き捨てる。
 「はぁ……碓氷が遅いからって、俺に当たるんじゃねぇよ」
 「うぐ……っ!!」
 秋綺に、居合い抜きのごとく切り捨てられ、夏月は口をつぐむ。
 冬雪のせいで苛立っていた上に、この寒さ。確かに、八つ当たりじゃないと言えば嘘になる。
 ―― けど、
 「ったく、不毛なことしてるんじゃねぇよ。朝のさわやかな気分が台無しだろが」
 「む、むきぃぃいいぃいいいいいいい……っっ!!」

 ―― ここで認めるのは、なんか悔しいっっ!!

 顔を真っ赤にし、夏月は両拳をぎゅっと握り締める。
 と、その時。
 「うふふふふ。とか言って……本当はホッカイロをどこかに隠してるんじゃないですか?」
 春風のように柔和な笑顔で、秋綺の肩を抱く少女。長い髪をひとつに束ねた三つ網が、微かに揺れている。同じく冬雪のクラスメイト「渡辺春花(わたなべ はるか)」である。
 「たとえば……こことか?」
 ふにっと、秋綺の豊かな胸を鷲掴みにする春花。
 「んぁ……っ?! ―― なっ、なにしやがるっっ?!」
 秋綺は真っ赤になって春花の魔手から逃れようとしている。が、万力のように胸をガッチリ掴まれ、逃げられない。
 「あれぇ? ありませんねぇ……それとも、ここですか? あ、そちらですかね?」
 「は、はひぃ――……ぷっ、あははははっ!! ひゃ、ひゃめろ渡辺ぇ!! くぅっ、はぁっ、ひゅひひひひぃっ!!」
 春花のこちょばし地獄。効果は抜群だ! ―― というナレーションが思い浮かぶほど、雪の中で転がりまわる秋綺は苦しそう。
 夏月の顔に苦笑が浮かぶ。確か、春花はお嬢様キャラのはずだったが……最近では、すっかりネタ要員になってしまっている。

 「ひぃ……ふぁ、あはは―― けほっ! けほっ! はぁ……はぁ……―― も、もぅ……らめぇ……」
 春花の攻撃が終わり、秋綺は、ぐったりと雪上に寝転ぶ。目じりに浮かぶ涙は、笑いすぎによるものなのか? 悔しさなのか?
 「秋綺ちゃんのは、主題のすり替えです。夏月ちゃんは確かに苛立っていましたが、北海道を馬鹿にしたのは秋綺ちゃんですよ? そこらへん―― わかってますよね?」
 にっこりと微笑む春花。穏やかな笑顔の下では、どす黒いなにかが渦巻いている。
 秋綺は、力なくうなずく。
 「は、はひぃ……わ、わかりましたぁ……はるか、しゃまぁ……」
 「調教された!?」
 なんだか、少し―― というか、かなり悪い事をしたかも。今度、秋綺の好きな塩煎餅を奢ってあげよう。だから、そのままの君でいて。
 丁度その時。背中まである長い髪の頂にリボンをとめた眼鏡っ娘が、玄関から顔を出す。冬雪だ。満腹らしく、この上なく幸せな表情をしている。
 「ふぅ……食べた食べたぁ。―― あれ? 秋綺、なんでそんなとこで寝てるの? 風邪引いちゃうよ」
 ぽぇっとしたマヌケ面を傾げ、冬雪は疑問を投げかける。
 元凶である春花は、ニコニコと笑い、すっとぼけている。
 「……はぁ」
 夏月は、大きな溜息を吐く。
 相変わらず、濃い朝だ。今日一日が思いやられる。
 そんな夏月の気持ちを、冬雪は全く察していないよう。相変わらず、いじめたくなるようなオーラを放っている。
 夏月は、さらに溜息を追加する。吐く息は、瞬く間にダイヤモンドダストへと変わる。寒空の下でキラキラと舞い、包み込むような朝の光に溶けていった。





 旭川市立、花田中学校。ここは、旭川の中学校でもかなり古い部類に入る場所だ。聞いた話によれば、なんでも戦前から立っていたとか。廊下は埃がこびりついてくすんでおり、乱雑にプリントの貼られた掲示板は穴だらけ。校舎の壁はクリーム色のペンキがはがれ、灰色のコンクリートが露出している。
 そのような伝統を校舎に刻み込んだ旭中学校だが、生徒はちらほらとしか見えない。社会全体を悩ませている少子化が、この学校を見逃さなかったためだ。年々生徒数は減ってきており、近くの中学と合併する話も挙がっている。
 そんな事情もなんのその。教室内で戯れあう生徒達は「我関せず」といった表情で、明日から始まる冬休みについて話題に花を咲かせている。
 「おはよーございますっ!! みなさんっ!!」
 二年一組教室に、ほがらかな少年の声が響く。と共に、冬雪達の前に、学ランを着た、スポーツ刈りの少年が姿を現す。ひょろっと背が高い彼の名は、「桃ノ木三四郎」。朝、夢の中で冬雪を襲った張本人。
 「おはようございます、三四郎さん」
 「あんた……朝からテンションフルアクセルだねぇ……」
 にこやかな笑みを浮かべ、春花は挨拶を返す。
 対照的に、夏月はげんなりした視線を三四郎にプレゼントする。朝の件で疲れきっているのだろう。話を春花から聞いていた冬雪は、思わず苦笑する。
 「あっはっは、それだけが取り柄ですからねっ!」
 「あっはっは、よくわかってるじゃんあんた?」
 腰に手を当て、カラカラと笑う三四郎。
 机に頬杖をつき、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる夏月。
 ここまでは、いつものやり取り。

 ―― だが

 「あ、そういえば冬雪君!」
 思い出したように、三四郎は話題を変える。この一言が、そもそもの発端だった。
 「昨日、旭山動物園にいませんでしたか?」
 朝見た夢が忘れられず、ずぅっと視線をそらしていた冬雪は、ここで初めて三四郎に目を向ける。
 「僕が……旭山動物園に?」
 それはない。だって昨日は、母「深雪」とデパートで買い物をしていたから。地下の食品売り場へ直行しようとしたところを、深雪に襟首を掴まれ、そのまま着せ替え人形に――
 もしかして、朝の夢は、その時の影響かも。
 「そりゃないって。冬雪が動物園なんかに行く時は、絶対あたし誘うもん」
 冬雪が口を開く前に、夏月は三四郎の言葉を否定する。
 「ていうか桃ノ木。休日をたった一人で動物園って……寂しいヤツだな、お前も」
 「きっとあれですよ。三四郎さんは、檻の中に手頃な交際相手がいないか調べていたんです」
 秋綺と春花は言いたい放題三四郎をけなす。なんでここまで三四郎は低く見られているのだろうか。
 三四郎は、両拳を上下にブンと振り、夏月達の言葉を否定する。
 「い・い・えっ! 確かに冬雪君でしたっ! しかも、僕は一人で動物園なんかに行ったりしません! 終里ちゃんと二人で行ったんですよっ! だから、終里ちゃんも冬雪君の姿を見ているはずですっっ!!」
 顔を真っ赤にし、三四郎は、きっぱりはっきり言い放つ。
 一人ならともかく、終里がいたというなら本当だろう。バスケ部のマネージャーにして冬雪達の後輩である終里は、しっかり者で見間違いを起こすような性格ではない。
 ていうか、
 「はぁ〜……僕も行きたかったなぁ、動物園。なんで誘ってくれなかったのかなー? 久しぶりにみんな一緒で遊びたかったよ」
 そう言って、冬雪はぷぅっと頬を膨らませる。
 が、そんな冬雪の肩に手を置き、夏月はゆっくり首を振る。
 「あのね……。あんたが友情を大切にしたいのはわかるけど、頼むから空気を読む力を身につけようよ? あんたも、あたしという彼女がいるんだから、三四郎と終里の気持ち、わかるでしょ?」
 一体、夏月はなにを言いたいのだろう? 冬雪は、わけがわからない。
 気まずそうに頬を掻き、三四郎は話を元に戻す。
 「あはは……、冬雪君らしいですね。―― まぁ、それはともかくとして、動物園で見た女の子が冬雪君でないとすると、そっくりさんということになりますね。しかし、冬雪君には双子の姉妹なんていないでしょう?」
 冬雪は、こっくりとうなずく。
 「うん、あたしも保障する。冬雪は一人っ子だよ。勿論、生き別れの兄弟やクローン人間なんてのもいない」
 太鼓判を押す夏月の言葉を受け、三四郎は、声のトーンを下げる。
 「―― となると、残っている可能性は」
 「アヤカシ、だな」
 先程から壁にもたれかかっている秋綺が、三四郎の言葉尻を奪う。涼やかな瞳には、射るような光が。
 「俺達『ホーリーメイデンズ』の出番ってわけだ」


 ホーリーメイデンズ……それは、聖獣を自ら体に宿し、闇の存在「アヤカシ」を退治する巫女のこと。冬雪に夏月、春花、秋綺、終里はその一員である。
 だが、その仕事は、女性にしか出来ない。したがって、聖獣に選ばれたのが男であった場合、女へと強制的に性転換してしまう。
 紺地のセーラー服に身を包んでいる冬雪に秋綺、そしてここにはいない終里も、元は男だった。しかし、三人ともそれぞれの事情で、未だに女の子のままである。


 「そうだ。アヤカシといえば、気になる噂が……」
 と、三四郎が口を開いた、その時。

 「―― なにをしているの?」

 凍てつくような冷たい声が、冬雪達の耳を突き刺す。声は、背後からのもの。
 振り向けば、背中まである髪を襟足の所で結んだ少女が、仁王立ちしている。切りそろえられた、夕闇を思わす藍色の髪。黒いストッキングに包まれた、小鹿のように細い脚。眼鏡の奥に見える釣り目気味の瞳は、氷のように冷たい色彩を放っている。
 二年一組学究委員長「茨木氷央(いばらき ひお)」。夏月の天敵にして、「ミス・コールドフェイス」の異名を持つ。命名の所以は、彼女が表情を崩したところを誰も見たことがないためだ。

 「あなた達、ちゃんと時計見えてる? 八時二十五分―― 先生が来る五分前なんだけど。言われなくても席に着いてなさい」
 ぴくりとも眉を動かさず、氷央は言い放つ。圧倒的な威圧感。まるで、吹雪を浴びているよう。
 対し、夏月はおどけた態度で反論する。
 「あぁ〜ら茨木さん? 席を立っているのは、あたしらだけじゃありませんわよ?」
 夏月は意地の悪い笑みを浮かべる。たとえ太陽が西から昇っても、氷央に言い負けることは夏月のプライドが許さない。そんなところだろう。
 たまらないのは、間に挟まれている冬雪。夏月と氷央、両者から発せられる威圧感は重く、今にも押し潰されそう。
 ふと目を泳がせれば、秋綺と春花、それに三四郎が手を振っている。危険を感じ、さっさと避難したのだろう。こうなってしまっては、脱出しようがない。
 両者から目をそらし、冬雪はうつむく。とくん、とくん、と小さな心臓が波打ち、冷や汗が、白く、柔らかな頬を伝う。
 身を刺すような緊迫感。
 このような状況がいつまでも続くと思われた。

 しかし――

 「そうよ。私は他の人も注意しなきゃいけないから、忙しいの。わかったら、さっさと座って頂戴」
 抑揚のない声を残し、氷央は夏月に背を向ける。
 試合終了。
 後に残されたのは、ひくひくと口の端を引きつらせる夏月だけ。
 「はんっっ! この冷酷デコ女っ!!」
 氷央の方に向かい、夏月は舌を出す。相変わらず、まっすぐで子どもっぽい態度。まぁ、そこが可愛かったりするのだが。
 緊張が解け、冬雪は大きく肩を落とす。
 やれやれ、なんで夏月は、こうも周りの人間とぶつかるのか。朝の秋綺といい。

 ―― 秋綺……かぁ……。

 冬雪は、チラッと氷月に目を配る。背中まであるポニーテールを揺らし、氷月は他の生徒に指導を加えている。

 そういえば、秋綺と氷央は似てるんじゃないか? 近寄り難い雰囲気といい、どことなく大人びたような態度といい、そっくり。
 ひょっとして、氷央ともいい友達になれるのではないか。
 今度、一緒にお昼ご飯食べようって、誘ってみようかな?

 「―― なぁんて考えてたんじゃないの? 冬雪ぃ」
 「むぐっっ?!!」
 突如、夏月が声をかける。顔はにこやかに。目には怒りの炎を。
 さすが、冬雪の姉代わり。冬雪の考えなど、全てお見通しなのだろう。
 「いい!! あいつに声かけるなんて、ずぇったいに駄目だからねっっ!! わかった? わかったなら返事くらいしなさいよぉっ!!」
 夏月は、冬雪のスカーフを掴み、ガックガックと体をゆする。
 「は、はぃ〜……な、夏月お嬢様のおっしゃる通りで……」
 頭をくてんと後方に垂れる冬雪。目じりに浮かんだ涙が、おでこの方へ流れていく。
 やはり、夏月には敵わない。





 そして、放課後。
 秋の日はつるべ落としという言葉がある。なら、冬はジェットコースターだろう。それくらい、日が暮れるのが早い。
 午後四時過ぎともなると、体育館に差し込む光も薄らいでいく。
 「よーし、休憩っ!!」
 バスケ部のキャプテンである三四郎の声が、体育館に響く。声を聞くや否や、部員達はトイレや水飲み場へと駆けていく。
 「くすくす、まだまだ元気一杯じゃない。休憩、早かったかもね?」
 三四郎の横から、透き通るような声が響く。
 そちらに目を向ければ、長い黒髪をツインテールにした小柄な少女が立っている。小動物を連想させるかのような外見で、セーラー服から覗く手足は、抱きしめただけで壊れてしまいそうなほど華奢。練習記録を携帯していることから、バスケ部のマネージャーらしい。
 「あっはっは、相変わらず終里ちゃんは手厳しいですねぇ」
 「先輩が甘いだけだよ」
 終里は、三四郎の横にチョコンと腰を降ろして言う。
 「むぅ、これは一本取られました!」
 彼女こそ、旭中学校一年生にして、メイデンズ五人目の巫女「源終里(みなもと おわり)」である。
 過去には、アヤカシの王「八岐大蛇」を復活させるための巫女「ダークメイデン」として、冬雪らと敵対していたこともある。が、それもつい数ヶ月前までの話。
 「いやー、昨日は本当に楽しかったですね!」
 「だろうね。三四郎先輩、デートそっちのけで動物みては興奮してたし」
 「あ、あれ? そうでしたっけ?」
 「そうでしたよ」
 まぁ、そんな三四郎の無邪気な部分も、終里は大好きなのだが。
 「そ、それはともかくとしてっ! 冬雪君から聞きました? ほ、ほら、例の四条通の中道路に出るってアヤカシの話?」
 三四郎は慌てて誤魔化す。
 「あぁ、『カーブミラーの悪魔』ね」
 終里は訳知り顔でうなずく。


 カーブミラーの悪魔とは、この街で最近囁かれている噂話のこと。
 夕方の四時四十四分丁度に、街外れのカーブミラーに自分の姿を鏡に映すと、映った人間そっくりの悪魔が現れるという。そいつは、そこを通りかかった人間を鏡の中に引きずり込み、とって代わってしまう。


 「昼休み、碓氷先輩が教えてくれたの。……だけど、バスケの練習があるなら来なくてもいいって言われた」
 「あっはっは、冬雪君らしいですね! 終里ちゃんのこと、気遣ってくれているんですよ」
 終里は口の端を僅かに上へ吊り上げ、くすりと笑う。
 「どうだか。終里となるべく顔を合わせたくないからじゃないの?」
 「終里ちゃぁ〜ん。そんな風に人の好意を悪く見ちゃ駄目ですよ?」
 三四郎は、苦笑しながら頬を掻く。
 そんなことはわかっている。今のは、ちょっと意地悪を言ってみただけ。
 あんなお人よし連中、そうはいない。
 それに、

 ―― 冬雪らを避けているのは……自分の方だから。

 自分は、他のメイデンズと馴染めていない。学年の違いもあるが、一番の理由は負い目があるから。過去に、アヤカシの側につき、冬雪らを傷付けてしまったことへの負い目が。そんな事情を察してか、冬雪や春花、それに三四郎はよく話しかけてくれる。お陰で、なんとか普通の受け答えは出来るようになった。
 だけど、未だに溝は深い。廊下ですれ違っても、満足に挨拶できない。
 「あーあ。結局、変わらないのかもね。あの頃の自分も。今の自分も。大してさ」
 終里は天井を見上げ、軽い溜息を吐く。
 「終里ちゃん」
 三四郎は、そんな終里の頭にそっと手を置き、
 「その通りですよ。所詮、人間は変わることなんてできないんですから」
 いつものように、とても柔らかく、優しい声で、
 ――……え?

 今、なんて?

 「三四郎……先輩?」
 耳に届いた言葉が信じられず、ゆっくり、ゆっくりと、視線の先を三四郎の顔へと移す。その双眸に映し出されたのは、


 ―――― 白塗りに朱を交えた狐の面を被った、三四郎。


 ―― ケケっ、そんなに目をひん剥いて驚くことないじゃねぇか。なぁ、終里よぉ? ――

 狐の面から、声が紡がれる。頭の奥にこびりついて離れない、嘲笑うような声。
 この声に、終里は聞き覚えがある。つい数ヶ月前、アヤカシの王「八岐大蛇」復活に関わった集団「アヤカシ十二神将」の筆頭にして、冬雪を男に戻れなくした化け狐。
 「……こっくり」

 ―― 久しぶりだなぁ? 源終里……いや、大地の巫女とお呼びした方がいいか? ――

 堪え切れない笑いを声色に含ませ、こっくりは終里の髪を撫で付ける。
 そんなこっくりの手を払いのけ、終里は距離を置く。

 ―― おおっと、手厳しいなオイ? 前まで、一緒にホーリーメイデンズを追い詰めた仲じゃねぇかよ ――

 「うるさい。あんた、碓氷先輩にやられて死んだんじゃないの?」
 終里は、こっくりを睨み付けながら、自らの両拳を力強く握り締める。

 ―― ケケっ、俺がそう簡単にくたばるわけねぇだろが ――

 「くすくす、そうかもね。あんた、しつこさだけは一人前って顔してるもんね?」
 こっくりの言葉を鼻で笑い、終里は口元に微笑を作る。しかし、その頬には、一滴の汗の玉が浮かんでいる。
 油断は出来ない。なにせ、相手はアヤカシの中でもトップクラスの実力の持ち主だから。
 「で、何の用? 八岐大蛇復活を邪魔した裏切り者の終里に、仕返しでもしにきたの? くすくす。そんなことしても、何も変わらないだろうけどね」
 終里は、精一杯の嫌味を込めたつもりで言い放つ。
 アヤカシは、人間の恐怖から生まれ、恐怖を糧にする存在。だから、人間なしでは生きていけない。アヤカシの王である、八岐大蛇にすがる以外は。
 だが、八岐大蛇が封印された今、アヤカシの天下はもう二度と来ないだろう。例えホーリーメイデンズを倒せたとしても、状況は何も変わらない。
 しかし――

 ―― くっく……くくくくくくく ――
 ―― くっくっく…… ――
 ―― ひっ、ひひひひひっ ――

 さもおかしげなこっくりの笑い声が、周囲の至る所から響く。
 目を移せば、三四郎のみならず、バスケ部全員の顔に狐の面が貼りついている。それが、一斉に笑い声を上げているのだ。
 「な、なにがおかしいの?」
 予想外の反応に、終里の声が僅かにうわずる。
 想像通りなら、こっくりは歯を食いしばって悔しがるはず。八岐大蛇は、アヤカシの世界を作る上で欠かせない存在である。それを奪った終里を前にして、あんな笑い方、できるはずがない。

 ―― ああ、その通りだよ。確かに、最強のアヤカシである大蛇を倒されたことは大きな痛手だよ。けど、てめぇらは勘違いしてるぜ? ――

 「勘違い?」
 終里は、言い知れぬ不安を感じる。細く、白い二の腕に鳥肌が浮かぶ。
 一体、なんのことだ?

 ―― 八岐大蛇は、『最強のアヤカシ』であって、『俺達の主』ではねぇんだよ――

 こっくりの言葉に、思わず終里は目を見開く。
 「なっ……!?」

 ―― そうさ。八岐大蛇復活の戦いは、所詮序章ってわけさ。俺達の進撃は、これからが本番だぜぇ!! まぁ、お前らはそれを見ずして俺らにやられちまうんだけどな? ギャハハハハハハハ!! ――
 ―― アハハハハハハハハ ――
 ―― イヒ、イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ ――
 ―― ヒアッハッハッハッハッハッハ ――

 こっくりの下劣な笑い声が、体育館に満ち満ちる。
 鼓膜を掻き毟るようなそれも、今の終里には遠く聞こえた。
 「嘘よ……そんなの」
 終里は、呟く。
 自分は、忌まわしい悪夢から目覚めたはず。
 なのに、あの戦いが、始まりに過ぎなかったなんて。

 「終里ちゃん? どうかしたんですか?」

 ハッと、終里は我に返る。
 気が付けば、眼前に広がるのは見慣れた光景。ドリブルやシュートの練習等、部活に明け暮れるバスケ部員達がいる。
 傍らには、心配そうな顔をした三四郎が。勿論、狐の面なんて被っていない。
 「大丈夫ですか? ボーっとしちゃって」
 「う、うん。なんでもない。なんでもないの」
 終里は、三四郎から顔を逸らす。自分に言い聞かせるように、呟きながら。
 今のは夢だろうか? いや、それにしてはリアルだった。あのアヤカシ特有の、粘りつくような毒々しさは。

 ―― まぁ、お前らはそれを見ずして俺らにやられちまうんだけどな ――

 不意に、こっくりの言葉が頭を過ぎる。その時すでに、終里はすっくと立ち上がっていた。
 「三四郎先輩……終里っ」
 それだけ言うと、終里は駆け出した。
 「あっ?! お、終里ちゃあんっ!!」
 三四郎の言葉が背中に届く。しかし、終里は止まらない。体育館を抜け、一直線に玄関へと走り抜けていく。
 嫌な予感がする。





 その頃、カーブミラーがある四条通りのT字路にて。
 「ここか……噂の場所は」
 一旦家に帰り、私服に着替えた秋綺が、そこには立っていた。
 「碓氷達はまだか。……まぁ、あいつらここから家遠いしな」
 秋綺は、先程降ったばかりの新雪を踏みしめ、独り言を呟く。腕時計を見れば、針は四時十五分を刺している。四時四十四分まであと少し。
 ふと、何気なくカーブミラーに目を移してみる。そこには、セーターとジーンズの上にベージュ色のコートを羽織った、中学生くらいの少女が映し出されている。スラリと伸びた脚と、コートの上からでもわかるメリハリのきいた体を持つ、大人びた少女を。紛れもない、今の秋綺自身である。
 「あーあ。未だにアヤカシは出続けるし、いつになったら男に戻れるんだろうな」
 秋綺は、溜息混じりにボヤく。当然かもしれない。少女の体に性転換して、早一年が過ぎようとしているのだから。
 そんな秋綺の言葉に応じるかのごとく、コートの胸部分から、真っ白い体毛を持つ子猫のような生き物が顔を出す。秋綺の相方である四聖獣「白虎(びゃっこ)」だ。
 「にゃはは! 仕方ないにゃ。アヤカシの出現が収まったらって約束だったし」
 笑う白虎の言葉を聞き、秋綺はがっくりと肩を落とす。
 どうして、自分がこんな目に合わなければいけないのか? 疫病神でも取り憑いているのなら、今すぐホーリーメイデンズに変身して叩き切ってやる。
 「アヤカシの出現が収まったら……か」
 ふと、秋綺は疑問を投げかける。
 「なぁ。アヤカシが現代に現れるようになったのって、八岐大蛇を復活させようって動きがあったからだよな?」
 秋綺の質問に、白虎は頷く。
 「そうにゃ。今もアヤカシが出現してるのは、その時の残党が――」
 「それがおかしいんだよ」
 白虎の言葉を、秋綺は遮る。
 「なにがおかしいのにゃ?」
 「ありすぎるんだよ。残党の割には、勢いが」
 そう。アヤカシの出現は、大蛇を倒した後も続いている。しかも、数を増して。
 「自分達の頭が封印されてしばらくは出てこれないっていうのに、あいつら、応えた様子を全く見せない。俺達は大蛇を倒せば全てが終わると思ってたけど、もしかして、とんでもない思い違いをしていたんじゃないか?」
 秋綺の言葉を受け、白虎は黒い縞が入ったフサフサの尻尾をフリフリ振って黙り込む。やがて、白虎はいつになく真剣な表情になると、
 「もしかして……、アヤカシ達のリーダーは八岐大蛇じゃなかった?」
 その時だった。

 「秋綺ー!」

 自分の名前を呼ぶ声が、辺りに響く。振り返ると、すぐ後ろに、制服姿の冬雪が立っている。
 「ああ、早いな碓氷。……って、着替えてきてないのかよお前。なにしに家帰ったんだよ?」
 呆れ顔の秋綺に、制服の上にコートを羽織っただけという姿の冬雪は頬を掻きながら応える。
 「うん。なんか、四時四十四分までもうすぐだと思うと、いても立ってもいられなくなっちゃってさ。……あ、夏月達は後から来るって」
 「ふぅん」
 秋綺は気のない声で応じ、視線を逸らす。
 自分だったら、一分一秒でも時間があるなら、制服から私服に着替える。それくらい、スカート姿でいることが嫌だから。つまり、冬雪は女の格好に慣れたということか?
 そういえば最近、冬雪は私服でもスカートをよく履いてくる。てっきり春花や冬雪の母親に無理矢理着せられていたと思っていたが、ひょっとして自分から?
 今思い返してみると、冬雪の服の着こなしは近頃堂に入ってきたような気がする。そう、まるで本物の女の子のようによく似合って――
 「―― って、何考えてるんだよ俺は!」
 秋綺は紅葉色に染まった己の両頬をパシパシと叩き、邪念を追い出そうとする。
 いけない、いけない。それどころじゃないだろ。今は、カーブミラーの悪魔やアヤカシについて最優先に考えなければ駄目だろ。
 そうだ。メイデンズのメンバーが全員揃ったらこのことについて相談しよう。うん、大事なことだしそうした方がいい。
 ……等と、秋綺が必死に冬雪への想いを頭から追い出そうとしている時、
 「秋綺」
 不意に、冬雪の発した声が秋綺の耳に届く。
 「ん?」
 秋綺は何の気なしに振り向く。その細い腰に、

 ―― 冬雪の両腕がかかる。

 「う……、すい……?」
 丁度抱きつかれた格好の秋綺は、その言葉を搾り出すのがやっとだった。
 「暖かい……。秋綺のぬくもりを感じるよ……」
 冬雪は秋綺の胸に頬をうずめ、優しく囁く。
 「あのね、僕……本当は、ずっと秋綺のことが好きだったんだ。転校してきた時から、ずっと」
 「い、いや……えぇっと……―― と、とりあえず、ちょっと離れようぜ?」
 秋綺はそっと冬雪の腕を払い、慌てて冬雪に背を向ける。
 「あ、あのさあ。急に言われても、俺にだって心の準備ってやつがあるからさ?」
 「そんな……」
 悲しそうな声を上げ、冬雪は懸命に訴えかける。
 「僕のどこが駄目なの? 秋綺の気に入るよう直すから」
 冬雪に背を向けたまま、秋綺はポリポリと頭を掻く。
 「駄目っていうかさ、なんというか……」
 瞬時、

 ―― 煌く白刃が空を切る。

 雪煙がもうもうと舞う中、二つの影は距離を取って身構えていた。無表情に口元を結んでいる冬雪と、それを睨み付けながら槍を構える秋綺。
 「ちぇ。バレちゃったか」
 「当たり前だ」
 残念そうに肩をすくめる冬雪に、秋綺は槍先を向ける。
 「坂田大好き人間のあいつが、んなこと言うわけないだろ? 確かにあいつは優柔不断で人に流されやすい所があるけど、好きな奴をホイホイ変える浮ついた人間じゃないんだよ。俺が好きなのは、そんな碓氷だ。……わかったか? アヤカシ十二神将の生き残り『カーブミラーの悪魔』」
 冬雪―― の姿をしたカーブミラーの悪魔は、一転して醜悪な笑顔を顔一杯に浮かべる。本物の冬雪とは、似ても似つかない笑み。
 「ぷぷっ! 面白いね雷の巫女、卜部秋綺! こっくりが『雷の巫女の卜部秋綺は水の巫女の碓氷冬雪にお熱だ』なんて言うから化けてみたけど、全然騙されなかったね!」
 こっくりだと? 冬雪にやられたんじゃなかったのか?
 「ぷぷぷっ! ところで、いいのかな? ボクちゃんの方ばかり気にしてて?」
 「なに? どういうことだ?」
 しかし、カーブミラーの悪魔は質問に答えない。その代わりだと言わんばかりに、秋綺の背後を指差す。

 ―― 後ろ?
 ―― 一体、何があると言――……

 そこで、秋綺の頭は、周囲に積もった雪のように真っ白になる。
 なぜならば、秋綺のすぐ後ろに、一人の少女がいたから。背中まである長い髪に大きなリボンを留めた、小柄な眼鏡少女―― 冬雪が。

 ――……ちょっと待てよ?
 ―― 冬雪はいつからいたんだ?

 「ま、ま、まさか……さっきの台詞、聞いてたのか?」

 ――「俺が好きなのは、そんな碓氷だ」なんて告白同然の台詞を!?

 カタカタと体全体を震えさせる秋綺に対し、冬雪はコクンとうなずく。
 「うん。一応、さっき秋綺が言ってたこと全部」
 ―― 瞬間。
 ―― 秋綺の中で、何かが崩れ落ちていった。
 「ぁ……ぅ、ぅぅ……」
 秋綺の顔全体、耳たぶに至るまでが、瞬く間に紅潮する。
 「ちょっと秋綺! あんた、どさくさに紛れてなにとんでもないこと口走ってるの!」
 「いや〜、大変情熱的なカミングアウトでしたね。秋 綺 ち ゃ ん?」
 続けて現れた夏月の怒り顔も、春花の必死に笑いをこらえている姿も、今の秋綺にとってアウトオブ眼中だった。
 なんてことだ。今までひた隠しにしてきたというのに。できることならば、あの時「好きだ」なんて台詞を口走った自分を殴り倒してやりたい。
 「あ、あの……秋綺」
 冷や汗をドバドバと流す秋綺に、冬雪はおずおずと声をかける。
 「そ、その……僕も秋綺のこと、好きだよ?」

 なっ……!?

 「ぬぁんですってぇええええええ!?」
 いの一番に、夏月が素っ頓狂な声を上げる。たった今発せられた冬雪の発言が信じられないのだろう。自分だって同じ。
 夏月に気圧されるように、冬雪は再度うなずく。
 「う、うん。秋綺もそうだし、春花ちゃんや終里ちゃん、それに夏月や三四郎君だって……大事な、仲間だから」
 「ああ。そういう意味ね……」
 秋綺はガックリと肩を落とす。ドキドキして、損した気がする。
 どうでもいいが、ガッツポーズを取る夏月が大変むかつくのだが。
 「それよりもあんた!」
 夏月は気を取り直したように、冬雪の姿をしたカーブミラーの悪魔をビシッと指差す。
 「あんたが紫鏡の悪魔ね! 冬雪に化けたりなんかして、タダじゃおかないからね!」
 「それにしても、四時四十四分に現れるという噂なのに、まだ四時四十分ですよ? 時間にいい加減なアヤカシですね〜」
 春花は、さもおかしげにおさげを揺らす。
 対し、カーブミラーの悪魔は、相変わらずの笑いを口元に浮かべて言う。
 「ぷぷぷぷっ。『四時四十四分に現れる』って噂は、君達ホーリーメイデンズを騙して奇襲をしやすくするためのノイズさ! 作戦は失敗したけど、お陰で面白いものが見れたよ〜」
 「うるせぇんだよテメェは!! 行くぞ!!」
 そうだ。カーブミラーの悪魔がこれ以上余計なことを喋る前に、片付けてやる。
 秋綺は槍を持った手を高々と掲げる。途端、槍は崩れるように形を変え、菱形の白い紙が先端に連なった短い棒になる。ホーリーメイデンズへ変身するための神具「オーヌサステッキ」だ。
 同様の棒を、冬雪達も取り出す。

 ―― 古は天地未だ剖れず、
 陰陽分れざりし時、
 渾沌れたること鶏子の如くして、
 ほのかにして牙を含めり。
 時に、天地の中に一物生れり。
 伏葦牙の如し。
 すなわち神となる。
 国常立尊と号す ――

 言霊を唱え、意識を集中させる。
 すると、秋綺の全身を稲妻のような白い光が包み込む。それを封切りに、檸檬色の着物が、山吹色をしたミニスカート状の袴が、純白の手袋とストッキングが、膝下まであるブーツが、次々と華奢な体を覆っていく。最後に、相手の動きを自動追尾する宝具「オラクルゴーグル」が目元に現れ、雷の巫女「ホーリーライト」への変身は完了した。
 側には、似たような姿をした冬雪達がいる。
 「ぷぷっ! ついに変身したか、ホーリーメイデンズ! なら、ボクちゃんも本当の姿を見せてあげるよ!」
 言い終わると同時に、カーブミラーの悪魔の体は、漆黒の影に変じる。影は粘土のように形を変え、やがて、一体の異形が姿を現す。
 それは、全長一メートル程の、紫色をした銅鏡だった。よく社会の教科書に出土品として見かけるそれの中心には、皿のような一つ目と三日月型に裂けた口が付いており、縁からは白い布のような手と尻尾が突き出している。さながら、足が生えたばかりのおたまじゃくしのよう。
 「まぁ! まるで、幼稚園児が初めて描いたおばけの絵みたいですね」
 鶯色の着物と深緑色をした袴に身を包む風の巫女―― 春花は、得意の毒を吐く。
 が、カーブミラーの悪魔は、紅く大きな舌を突き出して嘲笑う。
 「あははははっ! そんな冗談、これを見ても言い続けられるかな?」
 言うや否や、カーブミラーの悪魔は空中へふわりと浮き上がる。そして、手と尻尾を引っ込め、円盤状になると、
 「食らって引き千切れなよッ!! ホーリーメイデンズッ!!」
 全てを引き裂く円状の刃のごとく回転。猛スピードで虚空を滑るように直進。一直線。飛び掛る。秋綺達の方へ。
 「させません!!」
 言うが早いか、春花は翡翠色のオーヌサステッキを両手で眼前に掲げる。
 「包み込め風の円舞曲―― 青春陣!」
 瞬間、絹のように柔らかな風が辺りに漂う。それは秋綺達をふわりと覆い、半円状の防護壁となる。
 カーブミラーの悪魔は風の壁に衝突。火花を上げて回転。突き破ろうとする。
 「あーっはっはっは! 無駄だよぉ! そんな薄っぺらい風の壁じゃあボクちゃんは――」
 「当然! 時間稼ぎよ!」
 声と共に春花の背後から躍り上がる、紅蓮の炎―― いや、桜色の着物と紅色をした袴に身を包んだ炎の巫女、夏月。
 「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!! 燃え上がれ聖焔剣!!」
 夏月が呪文を唱えると共に、真紅のオーヌサステッキは焔を纏った剣へと変わる。そのまま刀身を振りかぶり。切っ先を垂直に振り下ろし――
 「―― くっ!!」
 カーブミラーの悪魔は回転を止め、鏡面で斬撃を受け止める。金属同士をぶつけたような鋭い音が辺りに響く。
 「ぐぬぬぬぬぬぅ……っ!!」
 夏月は歯を食いしばり、全体重を乗せ、カーブミラーの悪魔を押し斬ろうとする。
 が、カーブミラーの悪魔は、突如口角を吊り上げてニタリと笑うと、
 「効かないよっ!! お馬鹿さんがぁっ!!」
 鏡面から橙色の怪光を放つ。
 「―― つぅッ!!?」
 夏月は突風に吹き飛ばされる塵のごとく宙を舞い、電柱に激突、
 する寸前、
 「吹き抜けろ風!!」
 風が夏月の背中を優しく包み、クッションのように衝撃を受け止める。
 夏月は両足で踏ん張り、なんとか転倒を防ぐ。
 「大丈夫ですか夏月ちゃん!?」
 「ああ、なんとかね! さんきゅー春花!」
 春花に笑顔を送り、夏月は再びカーブミラーの悪魔へと向き直る。
 今、カーブミラーの悪魔が発した技は、夏月の繰り出す炎の攻撃に似ている。もしや、やつの能力は。
 「あーっはっはっはっは! ボクちゃんは相手の攻撃をそのまま返すことができるのさ! これぞ、『鏡返しの術』!」
 長い舌を振り回し、カーブミラーの悪魔はカラカラと嘲笑う。
 「……さぁ〜て、どう対処するかな? 絶対的な攻守を誇るこのボクちゃんにどうやって立ち向かうか、元に戻らないくらい頭を捻るといいよ。あははっ!」
 カーブミラーの悪魔が一層甲高い笑い声を上げたその時、秋綺が一歩前に進み出る。
 「おい、一つ目野郎。二つほど質問していいか?」
 秋綺が、いつものぶっきらぼうな口調で問いを投げかける。その口元には、不敵な笑みが。
 「最初の質問は、『なぜさっき坂田の攻撃を側面で受けなかった?』だ。もしかしてお前が攻撃を跳ね返せるのは、鏡面だけでじゃないのか?」
 カーブミラーの悪魔は表情を変えない。しかし、その巨大な眼球に、僅かな動揺の色を滲ませる。
 「だからなんだって言うんだい?」
 「へぇ。否定しないのか?」
 秋綺の言葉を無視し、カーブミラーの悪魔は言葉を続ける。
 「仮に攻撃を鏡面でしか跳ね返せないとしても、君達にはボクちゃんを倒せないよ。さっきも見ただろう? どんなに早い攻撃を繰り出した所で、ボクちゃんはすぐに反応して防御す――」
 そこまで喋り、カーブミラーの悪魔は言葉を止める。いや、止まる。
 「がっ、ぐ……!? 体、が……動か……な……?」
 突然、全身の自由が利かなくなったのだ。カーブミラーの悪魔は、懸命に体を揺すって動かそうとするが、舌や手、尻尾はぴくりとも動かない。
 そのうち、何かに気づいたように目を見開く。視線の先には、浅葱色の着物に青い袴を着た水の巫女、冬雪が、
 「―― ッ!!?」

 ―― 透き通った無数の紐を手にした、冬雪がいた。

 「ば、馬鹿な……一体、いつ、の間……に?」
 カーブミラーの悪魔は、ようやく悟っただろう。自らの体が、水で出来た縄によって、雁字搦めに縛られていることに。
 「―― 風で防ぎ、炎による囮攻撃を繰り出す。それに気を取られてる隙に、静かなる水の縄で相手の動きを封じる。これが俺達の戦闘スタイルだ」
 いつの間にか、カーブミラーの悪魔の眼前には、槍を構えた秋綺が立っていた。
 「ところで、二つ目の質問に入ってもいいか?」
 秋綺は、カーブミラーの悪魔の縁に槍先を当て、口を開く。
 「お前らアヤカシの本当の目的を言え。ここ最近出現し続けてるアヤカシと、なんか関係あるんだろ?」
 嵐が起きる前のように静かな口調で、秋綺は問いかける。
 しかし、カーブミラーの悪魔は、小馬鹿にしたようにせせら笑う。
 「へっ、ばーか! そんなこと、言うはずな」「そうか。じゃあな」
 途端。秋綺は縦一閃。両断す。
 「ガ……グァ……ッ、ガァ……」
 カーブミラーの悪魔は稲妻が炸裂したように真っ二つに。目をギョロギョロと縦横無尽に泳がせた後、砂のように崩れ落ち、凍える大気へと溶けていった。跡には、しんしんと降りしきる粉雪を照らす街灯の光が点るのみ。
 そんな小道に積もった新雪を踏みしめ、一人の少女が姿を現す。白い着物と黒い袴に身を包んだ大地の巫女、終里だ。
 「よぉ、源。遅かったな」
 「え……? もう、終わったの?」
 キョトンとした表情で立ち尽くしている終里に、春花はとびきりの笑顔で応じる。
 「ええ! 私達の完全勝利です」
 つられて、冬雪や夏月らの表情も綻ぶ。
 「うん! どんなアヤカシも、あたしらの絆には敵わないってわけよ! あっはっは!」
 「く、苦しいよ、夏月……」  冬雪を思い切り抱きしめ、夏月は豪快に笑う。
 その姿を見て、終里は口元に手をやる。
 「そう……何もなかったんだ」
 終里は、納得がいかない様子で呟く。
 それは、秋綺も同じ。悦に入る仲間達を尻目に、カーブミラーの悪魔が消滅した場所を見つめながら、浮かない表情を浮かべている。
 「アヤカシ達の本当の目的、か」
 カーブミラーの悪魔は、秋綺の質問に対し「言えない」と言っていた。そんなの、肯定したも同然じゃないか。
 じゃあ、その目的ってなんだ? こんなアヤカシをチマチマ送って、連中になんの得があるんだ?
 「わからない……一体、何を考えているんだ」
 秋綺は眉間に皺を寄せ、腕組みして唸る。
 心が、言い様のない不安に蝕ばまれていく。





 それから数分後。メイデンズが立ち去った場所に、姿を現す者がいた。
 切り揃えられた前髪の間からおでこを覗かせる眼鏡少女―― 氷央だ。
 「へぇ……、やるじゃない。作戦は半年前にこっくりを倒した時の応用だけど、チームワークは比べ物にならないわ」
 眼鏡をくいっとずり上げ、先程まで繰り広げられていた戦いの感想を述べる。
 そんな氷央の胸元がもぞもぞと動き、胸元から、白い、掌大の生物が姿を現す。綿菓子のようなフワフワした毛に包まれたそれは、一言で表現するなら、羊のぬいぐるみのよう。
 「きゃっきゃっきゃ! それでこそ食いでがあるってもんだじぇ! まぁ、当て馬を出しておいて正解だったかぁ?」
 下品な笑い声を発する羊似の生物の言動に、氷央は頷く。
 「そうね。『彼ら』の性能がいかに優れていたとしても、用心に越したことはないわ。……まぁ、あいつには悪いことをしたわね。パーフェクトに仕事をこなすためとはいえ」
 「まぁ、そう気に病むなって! 使えないアヤカシを有効活用できてよかったじゃねーかよ! 案外、あいつも地獄で感謝してるかもしれないじぇ? きーっひっひっひ!」
 氷月の言葉を受け、羊似の生物は嘲笑を上げる。すぐ近くで、氷央らの言う「あいつ」が聞き耳を立てているなど知らず。

 「―― どういう意味だよ……っ」

 電柱の影から、直径一m程の円盤が姿を現す。「カーブミラーの悪魔」だ。その体には、さっきメイデンズに受けた傷が無数についている。
 「あんれま! 生きてたんだオメェ!」
 「てっきり、死んだかと思ってた」
 氷央は、驚いたような声を発しながら、決して姿を崩すことがない氷柱花のように、微塵も表情を変えずに述べる。
 「うるさい!! そんなことはどうでもいいんだよ!! それより、今の話はどういうことだっ!! ボクちゃんが当て馬だったってっ!?」
 カーブミラーの悪魔は、体をわなわなと震わせ、いきりたつ。その姿は、燃え盛るフライパンのよう。
 対し、氷央はサラリと言う。
 「ええ、そうよ。あなたはメイデンズの力量を調べるための捨て駒だったの。それくらい、普通にわかるでしょ? あなた一人程度が倒せる相手に、大蛇が封印されるはずないわ」
 「んな……っ?!」
 カーブミラーの悪魔は、目を皿のようにまん丸く見開く。まさか、ここまであっさり戦力外通告を言い渡されるとは、夢にも思わなかっただろう。
 そんなカーブミラーの悪魔の気持ちなどそ知らぬ顔をして、氷央は背中を向ける。
 「……というわけで、あなたにはもう用はないから。あとはどうぞ、好きな所で暮らして、好きなように人間を襲えばいいわ。願わくば、メイデンズに狩られないように祈っててあげる」
 スタスタと、用が済んだとばかりに、氷央は歩いていく。
 だが、カーブミラーの悪魔は、これで終わりにする気などない。いや、これでは気持ちが治まらなかった。

 「―― うおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!」

 さっきの戦いで変形した円盤状となり、カーブミラーの悪魔は飛び掛る。そのまま氷央の細いうなじ目掛けて一直線に。
 ……だが、カーブミラーの悪魔の思惑が叶うことはなかった。

 「ギャッ……?!」

 何か鋭い衝撃を食らったという記憶しかない。気づいたら、地面に墜落し、雪の中で仰向けになって倒れていた。
 そんなカーブミラーの悪魔の顔面を、氷央は思い切り踏みつける。
 「モゲッ!?」
 黒いストッキングに包まれた脚線美が外気に晒されるのも構わず、氷央は革靴の底を、カーブミラーの悪魔の顔面へと押し付ける。
 「……愚かね。そんな体で、私に勝てると思って?」
 まるで、水晶で出来た刃の切っ先を思わせる目つきで、氷央はカーブミラーの悪魔を見下ろす。
 「せっかく命だけは助けてあげようかと思ってたのに……とても残念だわ、カーブミラーの悪魔」
 そう言うや否や。氷央は爪先をカーブミラーの悪魔の縁にひっかけ、空中へと蹴り上げる。
 「―― うっぎゃあああああああああああああ!!!」
 悲鳴を上げながら上空へと吹っ飛ぶカーブミラーの悪魔。
 その真下で、氷央は虚空へと手をかざす。すると、何処から現れたのか、ひび割れた黒金色の横笛「カナボー・フルート」がその手に握られる。
 「……行くわよ。饕餮(とうてつ)」
 氷央は吹き口に、紅をさしたように赤い唇を付け、息を吹き込む。

 ―― 古(いにしへ)丹羽が大江山。
 鬼ども多く篭もり居て。
 都へ出でて人を食(は)み。
 金(こがね)銀(しろがね)盗みゆく――

 虚空に染みこんでいく笛の音につられるよう、蒼白い鬼火が、一つ、二つと辺りに灯っていく。間もなく、鬼火は雲霞のように、氷央の体をスッポリ包み込む。
 炎に焙られたセーラー服は藍色の鎧へと変化を遂げていき、肩部と胸部を覆う。袖部分は着物のように広がっていき、スカートの後ろはコートのようにかかとまで長く伸びていく。華奢な足を包むストッキングは厚さを増してズボン状の下穿きとなり、焦げ茶色の革靴は将校が履くような軍靴へ。
 そして、変化は服だけに留まらない。背中の辺りまで伸びた柔らかな黒髪が、炎に焼かれていくように、襟足の辺りまで短くなっていく。同時に体は、相変わらず細身だけれども、筋肉の締まった少年のモノとなる。薄桃色だった爪は深い青へと染まっていき、突き刺さりそうなほど長く尖る。
 最後に、二本角の夜叉を髣髴とさせる面が目元を覆い隠し―― 氷央は、蒼き炎のようなマフラーをたなびかせる「鬼」へと変化を遂げる。
 「……滅ぼせ、いと蒼き地獄の炎よ―― 鉢特摩(はどま)」
 氷央が言霊を唱えた瞬間。地表から、昇竜のごとき火柱が立ち上る。それは、カーブミラーの悪魔の小さな体をあっという間に飲み込もうとする。
 「ひっ……ひぎぃいいいいいいいいい……ッ!!!」
 血走った一つ目をカッと見開き、迫ってくる炎を前に成す術もなく―― カーブミラーの悪魔は断末魔の雄叫びを上げる。

 ……やがて、それも聞こえなくなり、辺りは再び静寂に包まれる。  氷央は変身を解くと、踵を返し、その場を後にする。
 いつから降り出したのだろうか。粉雪がしんしんと、氷央の足跡を覆い隠していった。





 その頃、アヤカシを退治し終えた冬雪はというと、きゅっきゅっと鳴る新雪を踏みしめ、街灯に照らされた道を一人歩いていた。
 先程まで降り注いでいた雪はやんでおり、僅かな朱を交えた紫色の空が雪面に蒼い影を落としている。仄かな光が点る家々の側を通ると、シチューのおいしそうな香りがふんわりと鼻腔をくすぐる。
 他のみんなとは、それぞれ用事があるからという理由で別れてしまった。秋綺は調べたいことがあるからと中央図書館に。夏月と春花は夕飯の買出しに。それから、終里は放り出してきたバスケット部へ。冬雪も、できれば夏月や春花に付き合いたかったが、母に「今日は早く帰ってきなさい」と言われていたため、やむなく帰路に就いている次第である。
 冬雪は、去り際の終里をふと思い出す。


 「じゃあ、終里は部活に戻るね。勝手に飛び出してきちゃったから、謝らないと」
 そう言って背を向ける終里に向かって、冬雪は言葉をかける。
 「終里ちゃん。今日は心配して来てくれて、ありがとうね」
 ニッコリ笑顔で礼を言う冬雪に対し、終里は振り向いて微笑を浮かべ、
 「くす、心配なんてしてないよ? 終里はただ、先輩達の情けないやられ様が見れないかな〜と思って来ただけだよ。あーあ、本当に残念残念」
 等と捨て台詞を吐いて去っていった。
 その姿をいつまでも見つめるメイデンズ一同の顔には、いずれも苦笑が浮かんでいる。
 「素直じゃないな、あいつも。ああいうのを、ツンドラって言うんだよな」
 「ツンデレね、ツンデレ。地下に永久凍土が広がる降水量の少ない地域じゃなくて」
 呆れ顔で素ボケをする秋綺に、夏月がツッコミを入れる。


 「ふぅ……」
 今こうして思い出しても、溜息が出てくる。どうしたら終里は、自分達に心を開いてくれるのだろうか?
 終里がいい娘だということは、十分わかっている。何度かバスケット部の試合を見に行ったことがあるが、マネージャーとして選手を労わり、懸命に働く終里の姿をいつも目にする。
 なんとか、終里と打ち解けられる方法はないものか。
 「やれやれ。君は相変わらずクソ真面目に物事を考えるね。そのうち禿げるんじゃないかってボクは心配だよ」
 冬雪の肩に乗った、メロンパンに手足と頭をつけたような亀のぬいぐるみが、呆れたように溜息を吐く。冬雪の相方の聖獣「玄武」だ。
 「今やってるように、終里に声をかけてやったり、遊びに誘ってやるだけで十分じゃないか。敵対してたこともあったんだからさ、一朝一夕で友情なんて築けないよ。彼女が真面目でいい娘なら、尚更ね」
 「それはそうかもしれないけど……」
 冬雪は、不服そうに口を尖らせる。そういえば、夏月にも同じようなことを言われた記憶がある。
 「まぁ、時が解決してくれると思うよ。実際彼女、随分笑うようになったじゃないか? いつか、きっと話してくれる時が来るよ」
 淡々としているが的確な玄武の言葉に、冬雪はふっと笑顔を灯す。
 「うん……そうだね」
 そうだ、焦ることはない。終里は一歩一歩ではあるが、自分達へ歩み寄ってきているではないか。玄武の言う通り、待つことも一つの道だろう。
 「それはともかくさ。気になってることがあるんだけど、いいかい?」
 気になってること?
 「君のその格好だけど……それはやっぱり、少年の姿に戻ることを諦めたと解釈してもいいのかな?」
 「なっ!?」
 玄武に指摘され、冬雪は真っ赤になって否定する。
 「ち、違うよ!! 全然違う!!」
 けど、玄武がそう言うのもわからないわけではない。なんせ、今の冬雪の格好は、紺色のコートに蒼いチェックのボタンスカート。それに、縞々ニーソとベージュのブーツという姿。まるで、パズルのピースが収まる所に収まったといってもいいくらい、よく似合っている。
 「玄武も知ってるだろ? これは、母さんに無理矢理……」
 「その割には、見事に着こなしてるよね。最近じゃ仕草まで女の子っぽくなってきたしね」
 冬雪は、ぐむっと言葉を詰まらせ、目を逸らす。
 「そ、それはそうだ、けど……」
 それきり口をつぐむと、うつむいたまま、冬雪は歩き続ける。

 ―― だって。
 ―― だって、もう女の子になって、半年だよ?
 ―― そりゃあ、慣れるよ。

 確かに、メイデンズになったこと、後悔はしていない。やっと人の役に立てる道が見つかったし、自分も大きく成長できたと思う。なにより、大切な仲間と出会うことが出来たから。
 でも、もしかして方法があるかもしれない。例えどんな姿になっても夏月への気持ちは変わらないけど、まだ望みがあるなら元の体に戻りたいと思っている。
 「そうだよ。もしかして、まだ方法があるかもしれないよね」
 冬雪が独り言を呟いてから顔を上げると、そこはもう、自分の家の玄関だった。窓からオレンジママレード色の光が漏れ、ミルクチョコレートみたいな赤茶の煉瓦を積み上げた、暖かい家。
 ふと、お腹の虫が「くぅ」と鳴く。
 「はぁ……お腹すいた」
 きっと、今日はいつも以上に気苦労があったせいで、カロリーを消費したからに違いない。朝見た夢や終里とのこと。それに、自分そっくりの姿をしたアヤカシ。恐らく、三四郎達が旭山動物園で見たというのも、カーブミラーの悪魔のことだろう。
 「……あれ?」
 冬雪は違和感を感じ、ドアノブを握っていた手を止める。

 待てよ? ちょっとおかしいぞ。
 だって、カーブミラーの悪魔の出現場所は、四条通りのカーブミラーだったはず。旭山動物園に現れるなんて、ありえない。
 じゃあ、どうして? 四時四十四分に出現するという部分同様、自分達を騙すためのデマだったとでも?


 冬雪がそのようなことを立ちっぱなしで考えていると、眼前から、何かを引っ掛けたような、
 ―― カチャッ
 という音がする。とっくに聞きなれてしまった音。玄関のノブを回す音だ。
 不意の出来事に驚きながらも、冬雪は扉の向こう側にいるであろう人物に声をかける。
 「母さん?」
 だが、扉の向こう側にいる者は答えない。焦げ茶色をしたアルミニウムの扉はゆっくりと、黄金色の光を隙間から溢れさせながら開く。そして、扉が完全に開ききったと同時に、冬雪は、飲み込んだ息が喉で固まってしまったような驚きを覚える。
 目の前で、ドアノブを握っていたのは、背中まである長い髪を持つ、中学生くらいの、顔に幼さを残す、少女。


 ―――― 冬雪自身。


 「……あ……、ああ……」
 冬雪は、次の言葉が見つからず、よろよろと後ずさりする。できるだけ、目の前の少女から離れようとするかのように。

 ―― なんで?
 ―― なんで、アヤカシが僕の家に?

 青ざめた表情のまま心の中で繰り返す冬雪。
 そんな姿を意に介さず、冬雪の姿をした目の前の少女は、ニッコリと微笑んだ。

 「お帰り! ネェちゃん」

 ……へ?

 「ネェ……ちゃん?」
 思いもよらなかった一言によって、口をポカーンと開け放ち、冬雪は呆気に取られてしまう。
 少女は、そんな冬雪の手をぎゅっと握り、満面の笑みを顔一杯に広げる。
 「今日からよろしくね! みゃはは!」



[次回予告]

花子「どもー! アヤカシ界のTSアイドル、トイレの花子でっす! 今回から、ホーリーメイデンズの次回予告はオレらが仕切っちゃうぜ!」
ブキミ「やりましたわねお姉さま! ホーリーメイデンズに比べて知名度で劣ってた私達ですが、これでメジャーデビュー決定ですわ!」
花子「ああ! 次は、目指せ本編デビューだな!」
ブキミ「では、予告に移りましょう! さてさて、次回はいよいよ始まるメイデンズ暗殺計画!」
花子「正直、八岐大蛇も倒してしまう連中をどうやって倒すんだ? って話だけどな」
ブキミ「あれじゃないですか? 段々と『奴は八岐大蛇の三倍』とか『な!? 八岐大蛇の大群を一人で!?』とか、八岐大蛇が強さの基準に……」
花子「それ、なんてドラゴンボール?」


→次回「メイデンズ暗殺計画(前編)」





「ホーリーメイデンズ人物絵巻(壱)」
●名前:碓氷 冬雪(うすい ふゆき)
●性別:♂→♀ ●年齢:14歳
●出身地:北海道旭川市 ●所属:旭川市旭中学校2年1組
●一人称:僕 ●血液型:O型 ●誕生日:12月5日(いて座)
●家族構成:父親……碓氷冬彦(うすい ふゆひこ)、母親……碓氷深雪(うすい みゆき)
●身長:152cm
●部活:帰宅部
●好きなもの:夏月、食べること
●苦手なもの:喧嘩、押しの強い人(特に黒モードの春花)
●趣味:食べること
●イメージカラー:青
●動物に例えると:亀
●容姿:背中までのロングヘアーに大きなリボン。胸のサイズはA。
●武器:変幻自在な水の刃「ムラクモ」、氷の槍を地面から発生させる「アイシクルライン」、自らの周囲の気温を絶対零度に下げる「玄冬陣」
●履歴:
 中学二年の春、四聖獣の「玄武」に接触。以来、水の巫女「ホーリーアクア」として活躍する。だが、ある時心を操るアヤカシ「こっくり」と相打ちとなり、少年の心を破壊される。その後、なんとか夏月の呼びかけによって記憶を取り戻すが、少年の姿を再構成できなくなり、元に戻れなくなった。
 性格は素直で、よく言えば人がいい。悪く言えば他人に流されやすい。しかし、誰よりも仲間思いで、いざという時に便りになるタイプ。また、少々天然ボケも入っている。噂では、怒ると怖いらしい。
 容姿のモチーフは、「魔女っ子戦隊パステリオン」のパステルブルー。




「アヤカシ図鑑(壱)」
●名前:マッドガッサー
●種別:アヤカシ(妖怪タイプ)
●一人称:なし
●身長:100cm
●容姿:黒いコートを着て山高帽を被った、全身毛むくじゃらの猿。背中には、特殊なガスが詰まったサンタクロースのように大きな袋を担いでいる。
●武器:鋭い爪や牙、軽い身のこなし、袋から出すマッドガス
●登場話:ホーリーメイデンズ第壱夜「夕闇からの挑戦者」
●履歴:
 こっくり配下のアヤカシで、「常盤公園のマッドガッサー」という噂から生まれた。
 普段は公園にある大木の上に潜んでおり、夕暮れ時に木の下を通る者に襲い掛かる。
 背中に背負ったガスの効果は個体ごとに異なり、冬雪を襲ったマッドガッサーは終里の心を反映したためか、性転換能力を持っていた。
 顔つきのモチーフは、「ウルトラマンメビウス」の怪獣「ディノゾール」。




{あとがき}

 こんにちはですw 流離太ことるっちです。覚えておられる方はお久しぶりです。初めての方は初めまして。
 メイデンズ1stシーズンの時から、早くも二年以上が経ちました。本当に月日が経過するのは早いものですね。作品設定では半年しか経ってないのに、まったく私ときたら……(涙)
 ともあれ、この第壱灯を完成できて嬉しいと思います。メダロットとかに浮気もしましたが、文庫デビュー作であるこの作品には本当に思い入れがありますので、やはり書きたくなるんですよね(笑)
 さて、次回は謎の少女の正体とかを色々書いていこうと考えていますが、他の作品と並行しての作業になるので、完成は多分遅くなると思います(汗) 皆様のお心に少しでも余裕があれば、何卒ご容赦の上、待ってくださると幸いです。
 それでは、最後になりますが、この作品に目を通してくださり本当にありがとうございました。これからも皆様のため、己のため、精進させていただきます。では、またお会いしましょう♪