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ホーリーメイデンズ
第弐夜「ひとりぼっちの女の子」

作:流離太



黄昏時。
空が橙と紫に染められるこの時間帯は、
妖が跳梁跋扈していると言われている時間だ。
とある中学校の便所も、夕闇によって深い陰影が刻まれていた。
その一室で、先ほどからしぼるような声が聞こえていた。
「カッ…ハッ…。」
一人の少年は、便所の床に足を広げた形で座り込んでいた。
いや、壁に押し付けられていたのだ。
何者かの青白い手によって。
細長いその手は、少年の首をぐいぐいと絞めていった。
少年はその手を何度も引き剥がそうとしていた。
だが、手は万力挟みのように、その手を緩めることはなかった。
少年は次第にズボンのすそがスルスルと短くなっていくのを感じた。
足に、床のひんやりとした感触が伝わってきた。
髪が耳にかかった時、少年の意識は遠のいていった…。


「ふぁ〜あ…。」
冬雪は、自宅の布団の中で目を覚ました。
大きく伸びをした冬雪は、たれ気味の瞼を袖でこすった。
(昨日の出来事は夢だったのかなあ…。)
そうだ、そうに違いない。
あんな超自然的な現象が、起こってたまるもんか。
でも…でも、夏月とのことは、現実であってほしかった…。
冬雪がそう思った時、髪が顔にかかるのを感じた。
冬雪は、それをうっとうしげに払った。
髪?
冬雪の眠気は、いっぺんに吹き飛んだ。
それと同時に気づいた、自分がだぶだぶの桃色のパジャマを着ていることに。
朝の碓氷家の食卓。
テーブルの上には、味噌汁と真っ白なご飯が透き通るような湯気を上げていた。
眼鏡にスーツ姿の三十代の男「碓氷冬太(うすいとうた)」は、鮭の切り身をおかずに黙々と箸を進めていた。
その静寂が、いきなり破られた。
眼鏡をかけた長髪の少女が、激しい勢いで扉を開けたのだ。
「冬雪、起きたのね。もう朝ごはんできてるから食べなさいよ。」
そう言って台所から、髪を水色のリボンで留めたエプロン姿の女性が出てきた。
冬太の妻にして、冬雪の母親「碓氷深雪」だ。
「あ、今日は鮭か…じゃないよ!! 息子のこの格好を見て、思うところはないの!?」
深雪は、錯乱している冬雪をじっと凝視した。
「…やっぱりかわいい! 私のパジャマがよく似合うわ!」
「これ、母さんのパジャマぁ!? いや、そういう問題じゃなくて、僕が女になってるんだよ!!
何の疑問も湧かないの!?」
「きっと、昔から女の子がほしいっていう私達の望みが叶ったんだわ!
ね、冬太さん?」
「ん、ああ…。」
いきなり話を振られた冬太は、気まずそうに返事をした。
「そんなことより、あんたの制服、部屋の所にかけておいたけどわかった?」
「女子の制服じゃないか!! ていうか、いつの間に準備したの!?
それから、僕は学校に行かないよ!! こんな格好で、いけるわけないよ!!」
その時、深雪は大げさに両手で顔を覆った。
「うぅ…。前からおとなしい子だと思ってたけど、やっと一人前の口が聞けるようになったのね…。
これも、女の子になったからだわ…。」
「そういう問題じゃなくて!!」
そう言って言葉を続けようとする冬雪の手を、深雪はガッチリ掴んだ。
深雪は、にっこり笑って口を開いた。
「だけど、親に逆らう子には躾をしなきゃね。」
数秒後、碓氷家の辺り近所に、一人の少女の悲鳴が響き渡った…。

「冬雪ぃ! 早くしないと遅刻するよぉ!」
いたるところに絆創膏をつけた夏月は、大声を上げながら碓氷家の呼び鈴を何度も鳴らした。
「おかしいですねえ。いつもなら、私より先に夏月ちゃんと会ってるはずなのに…。」
春花がかわいい顔を横に傾けた。
その時、扉が開き、深雪が顔を出した。
「ごめん、待たせちゃって!」
深雪はどこか紅潮した顔で、二人に謝った。
「あ、おばさんおはよう!」
「おはようございます。」
二人は同時に頭を下げた。
「冬雪なら、今準備ができたからね。」
そう言って、中にいる誰かの手を引いて、それを引きずり出した。
それは、セーラー服に身を包んだ、眼鏡をかけた少女だった。
俯き気味の少女は、ロングヘアーに桃色のリボンを留めていた。
スカートから伸びた足は、透けるように白く、無駄な肉がなかった。
うつ向き気味な恥ずかしげな態度は、初々しさを感じさせた。
「誰?」
夏月は、怪訝な表情で深雪に聞いた。
深雪は笑顔をたやさず答えた。
「うちの冬雪よ! 昨日から女の子になったの。」
二人は、同時に驚いた。
夏月は冬雪に顔を近づけ、まじまじと観察した。
冬雪は顔を赤らめ、目をそらした。
「うっそ!? ヅラでしょこれ?」
夏月は素っ頓狂な声を上げながら、冬雪の髪を思い切り引っ張った。
「いたい! いたいいたい!」
冬雪は目に涙を浮かべて訴えた。
「ふふ、その髪も胸も本物よ!
まだ女の子に成り立てだから、色々と教えてあげて頂戴ね!」
そう言うと、深雪は勢いよく扉を閉めた。
一陣の北風が吹き、三人のスカートをたなびかせた。

「それにしても、なんで女の子になったんですか?
もしかして、なにか悪い物でも食べたのですか?」
「ああ、最近変なウイルスも流行ってるしね。
それともなに? 呪い? 改造? 変な女の子に名刺をもらった?」
冬雪は二人のやり取りに対し、何も答えないで苦笑した。
こうして三人の美少女が並んで歩いているのは、絵になっていた。
その時、夏月が得心したように喋りだした。
「あ! 昨日のマッドガッサーにやられたんだった!
あれ? でも、マッドガッサーはあたしがたお…モガ!」
夏月は、春花に素早く口をふさがれた。
冬雪は、大きくため息をついた。
「はぁ、本当に昨日から最悪だよ…。
化け物に出会うし、変な亀に話しかけられるし、夏月を助けに行ったら逆に助けられるし…。」
その言葉に、春花が反応した。
春花は、真剣な表情で冬雪の方を向いた。
「ねえ、冬雪君。もしかして、こんな棒をもらいませんでした?」
そう言って春花が手提げ鞄から出したのは、白いシダのついた翡翠色の棒だった。
それを見た冬雪は、慌てて自分の持っている碧い棒を出した。
「ということは、春花さんも?」
春花はこっくりうなずいた。
「夏月ちゃん、どうやら冬雪君は私達の仲間のようです。」
夏月は、顔一杯に驚きの色を表した。
「ま、マジ!? だって、こいつ男でしょ!」
「だからこそ、性転換したのでしょう。水の精霊『玄武』を宿すために…。」
「あの、言ってることがわからないんだけど…。」
冬雪は、すまなそうに話に割り込んだ。
二人は、意外な表情をした。
「あれ? その亀になにも聞いてないの?」
冬雪は、思い切り首を縦に振った。
「ったく、説明ハショったわね! あのねえ」
そう言って説明を始めようとする夏月の肩を、春花は叩いた。
「ねえ、学校遅刻しますよ。」
さっきからいつもよりゆっくり目で歩いていた三人は、慌てて走り出した。
その時、冬雪の目に、紅いワンピースを着た同い年くらいの少女が映った。
長めのおかっぱ頭の少女は、冬雪達のほうをじっと見つめていた。
慌てて目を擦ったときには、もうその少女はどこにもいなかった…。

朝の教室は、騒然としていた。
それも無理がなかった。
なにせ、昨日まで男だった同級生が、女になっているのだ。
皆が、冬雪を一目見ようと集まってきているのだ。
「へー、どんなのかと思ってきたら、結構まともじゃん。」
「ていうか、普通にかわいい!」
「う〜ん、こりゃあ女になってよかったのかもよ?」
好奇の目が、冬雪に突き刺さってきた。
今なら、動物園の動物の気持ちがわかるような気がした。
顔を伏せても、視線と話し声が滝のように絶えず降り注いできた。
いっそ、このまま狸寝入りしてしまおうか?
冬雪がそのような考えをめぐらせていたその時、夏月がブルドーザーのように生徒を押しのけた。
「はいはい〜、尻尾のないお馬さん方は席についてくださ〜い。」
夏月は一通り作業を終えると、冬雪の方を向き、小さくウィンクした。


「まったく下らないこと極まりないですね!」
給食時間。
三人の少女と班を同じくする三四郎は、口から唾と給食を飛ばしながら憤慨していた。
「一般大衆というのは普段退屈だから、こういう非日常的なことがあると、すぐ食いついていくんですよ!
人の迷惑も考えずに!」
「人の迷惑も考えずに噂話を面白半分に撒き散らすあんたには言われたくないと思うんだけど。」
夏月は冷ややかな態度でツッコミを入れた。
冬雪には、その様子が見えておらず、黙々と給食を食べ続けていた。
服を汚さぬよう、男の時以上に慎重にスプーンを運んだ。
その冬雪に春花が話しかけてきた。
「ねえ、冬雪君。放課後に、屋上まできてくれませんか?
夏月ちゃんも一緒なんですが。」
冬雪は、無言でうなずいた。
直感的に、朝の話の続きをするのだとわかった。
「僕もいきます!!」
「女の子同士の話なんだから、あんたはいいの!」
夏月は、張り切っている三四郎をそう言って制した。
その時、冬雪は目を見開いた。
教室の隅の方に、朝の少女が立っていたのだ。
瞬間、少女と目が合った。
少女の目は、冬雪の背中に氷のようなものを走らせた。
「冬雪、なにしてんの?」
夏月の声で現実に引き戻されたその時、少女は再び消えていた。

「ジャーン! これがあたしのオーヌサステッキよ!」
夏月は紅い棒を振り上げた。
「冬雪さんを含めた私達三人は、ホーリーメイデンズなんです。」
「ほーりーめいでんず?」
冬雪は、思わず顔をしかめた。
「あはは、そりゃあ嫌だよね。あたしもそのネーミング、なんとかならないかと思ったもん。」
夏月が頭の後ろに腕を組みながら苦笑した。
「あら? 私は格好いいと思いますけど。」
冬雪は、夏月と同じ表情をした。
春花は説明を続けた。
「ホーリーメイデンズは古来より存在し、噂から生じたアヤカシと戦ってきました。
人間が噂に対して抱く、様々な感情。
それらが凝り固まり、アヤカシが生まれます。」
冬雪は、昨日のマッドガッサーの醜悪な姿を思い出し、戦慄した。
「私達ホーリーメイデンズは、それらに対抗する力を四神から得ています。
冬雪君が玄武の水の力を得たように、夏月ちゃんが朱雀の炎、そして私が青龍の風。」
「あたし達は、その力を体に宿す巫女ってわけ。わかった?」
「たぶん、玄武の力を宿すため、冬雪さんは性転換を起こしたのだと思います。
霊を宿すのは、女性にしかできませんから。」
冬雪はわけがわからなかった。
まるで、御伽噺のような途方もない話。
夢を見ているような、そんな感覚だった。
「…僕、ちょっと顔洗ってくる…。」
冬雪はそう言って、トイレに向かっていった。

「ねえねえ、知ってる? トイレの花子さんの話。」
「知ってる! 確か紅い服着てるんでしょ?」
「うんうん。それで、人の首を絞め殺すらしいよ。」
「確か、何十年か前に男子が行方不明になってるんでしょ?」
「六人くらいいなくなったらしいよ。」

水の感触が、今の冬雪の頭を心地よく冷ましてくれた。
冬雪はハンカチで顔を拭き、眼鏡をかけた。
正面の鏡には、心動かされるほどかわいい少女が映っていた。
悔しいくらい違和感がなかった。
「これが僕…か。」
冬雪の口から、思わずため息が漏れた。
女の子なんて面倒くさい。
おしゃれもしなければいけないし、スカートにも気をつけないといけない。
とにかく、一つひとつ緊張感を持たなければいけないのだ。
早くアカカシを全て倒し、男に戻りたかった。
でも。
でも、夏月と久しぶりにいっぱい話せたことは嬉しかった。
「ずるいよ。」
後ろから突如した声に、冬雪は我に返った。
鏡には、冬雪、そして紅い服の少女が映りこんでいた。
少女の体は、まるで磨り硝子でできた人形のように透き通っていた。
少女は繰り返し呟いた。
「ずるいよ。なんでお前だけ、女になっても幸せそうなんだよ。」
瞬間、冬雪は鏡に押し付けられた。
そして、少女の氷のような腕が首にかけられた。
「お前も死ねばいいんだ。俺のようにな。」
少女の口が三日月のようになった途端、冬雪の首は力いっぱい絞めあげられた。
「ぐ…ぅ…。」

遠ざかっていく意識の中で、冬雪の頭になにかの映像が浮かび上がった。
突如、女の子になった少年。
それは、今自分の首を絞めている少女だった。
少女は、学校では珍獣扱いされ、そのうち女子から陰湿ないじめを受けた。
それを苦に、このトイレで首を…。
しかし、自殺のため、成仏できなくなってしまった。
彷徨っているうちに、トイレの花子さんとされてしまった少女。
少女は噂どおり、少年の首を絞めていった。
そしてそれを、自分と同じ姿に変えた。

冬雪は、かすれる声で話し始めた。
「そうだ…僕は…夏月が支えてくれたから…。
だから君みたいにならなかった…。」
冬雪の手に蒼い光が集まった。
それは、段々と冬雪を包み込んでいった。
花子は、素早く飛びのいた。
次の瞬間、冬雪は碧い棒を持った巫女となっていた。
浅葱色の着物とミニスカート状の蒼い袴が特徴的だった。
「だから、僕は死なない! 夏月達のためにも!」
花子は、大鎌を出現させた。
「ふざけんな…。お前なんかに、お前なんかに、俺の気持ちがわかるかぁ!!」
花子は、大鎌を振り回してきた。
冬雪は、それを紙一重で避けた。
相手の動きを自動追尾する「オラクルゴーグル」のお陰というのもあるが、
少女の体にその大鎌は大きすぎるのだ。
冬雪は隙を見て、オーヌサステッキで大鎌を弾き飛ばした。
鎌は空中を勢いよく舞い、スノコに突き刺さった。
「まだだ…。まだ!」
「もう、やめようよ!!」
冬雪は悲痛な叫びを上げた。
「もう…やめよう…。これじゃあ、同じことの繰り返しだよ…。」
花子は顔を伏せた。
「わかってるよ…。だけど、だけど、噂が俺を拘束するんだ…。
トイレの花子さんとして…人を殺すのをやめてからもずっと…。
ただ…光を…暖かさを…暗くて冷たいところから見つめるだけ…。」
花子は、そう言って方を震わせた。
「その鎖を断ち切るのも、君の仕事だよ。冬雪。」
冬雪は、聞いたことのある声に、思わず声を上げた。
「玄武!」
「さあ、観察力に優れた水使いとして、彼女の鎖を見つけるんだ。」
冬雪は玄武に従い、ゴーグルを顔からはずした。
よく見えないが、なにかどす黒いものが花子を包み込んでいた。
「よし、それをステッキで払うんだ!」
次の瞬間、白いシダと浅葱の袖がはためいた。
それと同時に、黒いもやは塵霧散した。
花子の目が、夕陽を反射して輝いていた。
花子は夕闇の中、硝子のように透き通り、溶けていった。
最後に小さく「ありがとう」と呟きながら。
冬雪は、彼女が消えていった場所をいつまでも見ていた。
「君は、彼女を救ったんだよ。ずっとここでひとりぼっちだった彼女を。
まあ、まずは罪を地獄で償わなければいけないけど。」
ぬいぐるみのような玄武は、冬雪の肩に乗りながらそう言った。
その時、冬雪は体に違和感を覚えた。
いや、正確には元に戻っているのだ。
髪も元通り短くなり、胸もなくなっていた。
「ふむ、男に戻っても、その姿に違和感はないね。」
「え!? アヤカシを全部退治するまで戻らないんじゃないの!?」
慌てふためく冬雪に対し、玄武は冷静に答えた。
「そんなことないよ。君に早く女の子に慣れてもらおうと思って、体験してもらったわけ。
どう? 女の子に慣れた?」
そう言う玄武を、冬雪は笑顔で握り締めた。
「それは余計なお世話を、どうもありがとうございます。」
「ぐえええええええ!!」
玄武は痛みに泣き叫んだ。
その時、トイレの戸が開き、夏月が入ってきた。
「え…あれ…? 冬雪…戻った…の?」
夏月は、呆けた表情で聞いた。
冬雪は青ざめた表情でうなずいた。
「そう…じゃあ…このスケベがあ!! さっさと出て行けえ!!」
今度は、冬雪が悲鳴を上げる番だった。



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