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落雷

作:バレット

Episode 1
 その男、荒野鋼(あらの・はがね)は、ライフルのストックがはみ出しているリュックを背負い、嵐の中を走っていた。手には冷め切ったハンバーガーと缶コーヒー。服装は、上下黒のジャケットにゴーグル、そしてひげ面。高い背、整った顔立ちから見て、20代前 半だろうか。
「ったく、天気予報じゃ晴れじゃなかったのかよ!」
 さっき、急な雷雨などやってこなければ、銃撃戦の続きをやっていたはずなのだ。鋼は、天気予報を酷く恨んだ。
「くっそ、帰ったらソッコーでシャワーに……」
 その時、目の前に、1匹の薄汚れた動物が立っていた。犬にも、狼にも見える。首輪はしていない。きっと野良だろう。
「……どうした、お前。そうか、雨をしのぐ屋根がないのか」
 鋼は近寄った。すると、野良は「ぐるるる」とうなりながら警戒し始めた。親切にしてやっているのに、何とも。
「そうだ、これやるよ」
「……くぁっ?」
 鋼は、手に持っていたハンバーガーを見せながら、ゆっくりひざを折った。野良はゆっくり近づき、ハンバーガーの匂いをかぐと、食べ始めた。
「よく見ると、キツネじゃないか。それも、子どものようだ」
 汚れているせいか、多少大きく見えたのだが、実際はチワワより少し小さめでしかない、キツネの子だった。腰が大きいことから、きっとメスだろう。
「こんなに痩せ細って。都会でゴミしかあされなかったんだろ。今、動物病院に連れてってやるからな。そのあと、たんまりうまいもの食わしてやる」
 鋼は泥にまみれたキツネの子を抱え上げ、ハンバーガーを持たせてやると、取り敢えず動物病院を探した。

 しばらく雨の中を歩き、まあまあ外装のきれいな動物病院を見つけた。
「ごめんください」
 扉を開くと、自分より少し下の年頃の、女性の獣医さんが顔を出した。
「雨の中歩いて、弱っているんです。診察だけでもしてもらえますか?」
「まあ、大変。その子、すぐに見てあげなきゃ。あっ、どうぞ、こちらへ」
 女の獣医はキツネの子を預かると、鋼をソファーに案内し、キツネの子にシャワーを浴びせた。見る見るうちに、キツネ独特の金色の毛が輝いてきた。
 軽く乾かすと、診察台の上に乗せ、聴診器を当てたり、まぶたを上げたり、触ったりして確かめていた。
「かなり衰弱しているけど、問題はないみたいです。何の病気にも感染していないみたいだから、少し休めばまた元気になりますよ。しばらくは軽い食事とベッドが必要です。預からせてください」
「そうしてください。……きっとそいつ、この都会で餌も満足に見つけられなかったに違いないです。だからオレのことを見て、ハンバーガー見せてやるまで警戒して…… だから、そいつだけは助けてやってください」
「ええ、分かりました。この腕に任せておいてください」

 キツネの子は、やっと安息の場所を手に入れ、すやすや眠っていた。
 獣医はそんなキツネの子を眺めながら、やや呆れ気味の笑顔でつぶやいた。
「今時の都会にキツネか。野良猫はしょっちゅう見かけるけど、迷い込んできたのかな。それとも、飼われていた家に見放されたのかな……?」
 さっきから空の上では雷が鳴り響き、雨の勢いはさらに増していた。
「モップ、かけなきゃ」
 鋼の体から滴り落ちていた大量の雨を拭うため、獣医はモップをかけ、ソファーは雑巾で拭いた。
 と、眩しいほどの閃光のあと、国中に響き渡りそうな轟音が鳴り響いた。
「……このあたりに、落ちたかな?」

 数十分後。
 ライフルを背負った、火傷まみれの男性が、病院に運び込まれた。原因は、落雷。先ほどの強烈な落雷によって、全身に大火傷を負ってしまったのだ。
 緊急治療さえむなしく、まもなく息を引き取った。
 衣服の中からは、彼を証明するものが出てきた。それは、カードケース。その中には保険証や社員証、バイクの免許証があり、そのいずれにも、“荒野鋼 24歳”と書いてある。
「鋼! 鋼!」
 かつて荒野鋼と呼ばれていた焼死体の前に、1人の女性がしがみついて泣いていた。彼の母親、荒野雪乃(ゆきの)。40代終わりの、白髪交じりの女性だった。

 体を失った鋼は、白い空間内にいた。
 立っていることは分かっている。だが、どこが足場で、どこが壁で、どこが天井で、そしてその先に道はあるのか否か、分からないでいた。
「そっか、オレ、死んじまったんだな」
 唐突に、むなしくなる。
「今頃みんな、オレのこと心配してくれて…… って、死んじまったなら心配も何もないか。……悲しんでんだろうな」
 その時、小さな1つの影が、鋼の前に現れた。元気な姿の、あのキツネの子だ。
「お前、元気になったんだな! ったく、心配したぞ! ……まあ、オレはこの通り、元気どころじゃないけど」
「きゅう?」
「人生遣り残したこと、結構あるんだよな。今ある会社はあまり面白くないけど、社長とか同僚とか先輩とか、結構いい人たちばかりでさ、銃仲間と打ち合いもしてるし。あ、そうそう。彼女いないまま人生終えるのも、悲しいよな」
 その時、キツネの子は、もと来た道を帰り、歩き出した。
「おい、ちょっと待てよ! どこに行くんだ!? ……ひょっとして、ついて来いって言いたいのか?」
「くぅぅ」
 鋼は、小走りでそのキツネの子のあとをついていくことにした。

 どれほど時間が経っただろうか。
 嵐が去り、穏やかな夜を迎えた。
 喪服を着た一行が、小さな一戸建てに到着した。
 女性は、鋼の母、雪乃。そのほか、雪乃の夫であり、鋼の父親でもある騏一(きいち)、鋼の弟の銀二(ぎんじ)、そしてあのときの獣医がいた。泣き続けていた雪乃を、騏一が必死になだめる。
「ああ鋼、何で死んでしまったのよ……」
「鋼の死は悲しい。だが、悲しんでばかりだと、鋼も、僕たちも前には進まないんだ」
 そこに、銀二が握り拳を震わせながら怒鳴る。
「このクソ兄貴が、新しいギター買ってやるとかいいながら、買わずに死んじまいやがって……!」
「あの人は、優しい人だったと思いますよ。見ず知らずの野良の子狐に、ハンバーガーと雨をしのぐ場所を与えてくれたんですから」
「人間との約束ろくに果たせないやつに、かけてやる言葉があるか! それにあんたは、兄貴の何なんだよ。兄貴が連れてきた野良野郎を診た獣医だろうが! 兄貴の何を知ってそんなこと言ってんだ、え!?」
 銀二は、獣医の喪服の襟をつかみ、怒鳴った。今はそんなことをしている暇はないだろう、銀二。
 と、
「随分な言い草じゃねぇか、銀二」
 雪乃、騏一、銀二、獣医の誰でもない、不思議な声が、そこに響いた。玄関の前にいた4人は、その声の主を探した。
 声の主は、車の陰から姿を現した。グリーンのレインコートをまとい、フードをかぶっているが、背は低く、140センチ程度だろう。声は少女のように高い。雪野は聞いた。
「あなた、誰……?」
「分からないのも、ムリはないよね。オレだって、何故こんな姿をしているのかさえ」
 その人物は、手をフードにかけ、フードを外した。そこには、かわいらしい顔、深い金色の目、鮮やかな金髪、そして、正三角形にとがった耳があった。
「分からないんだから」
 全員の動揺は、隠せなかった。
「信じられないと思うけど、オレは鋼。今銀二が言った、クソ兄貴さ」
「はっ、鋼なの…… あなたが、鋼だって言うの!?」
 雪乃は自分を介抱する夫の腕を振りほどき、よろよろした足取りで、鋼と名乗った小さめの人物に歩み寄ってきた。
「みんなが知っているオレは、死んじまったんだろ? でもオレは、こうして生きている。いいや、生まれ変わった、って言ったほうがいいのかもしれないね。あの、助けたキツネの体を借りて」
 コートの下から、ふさふさのシッポが垂れ下がった。まだ新品の、習字の筆のようなきれいなシッポが。
 言われてみれば、場違いな場所に生えている三角形の耳は、キツネの耳のような形をしている。
「まさか、あのキツネちゃんの!?」
 獣医は叫んだ。それに対し、鋼はうなずいた。
「目が覚めたら、オレは動物を診察するためのベッドの上にいたんです。体がものすごくだるくて、何度もよろめいて、おかしいと思って鏡見てみたら、こんな姿になってて…… まるで、化け狐ですよね」
 そう言い、鋼はフードに手をかけ、再びかぶろうとした。が、その手を獣医は止めた。
「これはわたしの推測ですけどね。落雷によって感電死、焼死と言ったほうがいいのかもしれないけど、もう助からないあなたを、そのキツネちゃんは自分の体を代償に、あなたを助けてあげたんじゃないでしょうか。キツネちゃんにとって命の恩人である、あなたをね 」
 そう言って、獣医は鋼を抱きしめた。
「これは、奇跡、超常現象、いいえ、そんな言葉ですまないほど、とてつもなく大きな事象。今一度この世によみがえることができたんだから、犠牲になってくれたキツネちゃんの分まで、生きてください」
「獣医さん……?」
「てねっ。……今でも信じられないけど、もしあなたが本当に鋼さんなら、できるはずですよ。ね?」
「……そう、ですね。あいつの分まで、オレが生きてやらなきゃ」
 鋼と獣医は、握手した手を強く握り返しあった。
 そこに水をさす者がいた。
「何てこと…… 鋼が落雷のせいで焼死したと思ったら、そんなチンチクリンな化け物になって帰ってくるなんて! この世の終わりだわ、あたしはどうなるの!?」
「おい、雪乃!?」
 化け物、そのフレーズに、鋼の心が揺らいだ。
「……息子……、……キツネ、……、歩けない、どうしたらいいの……? 世界崩壊! 秩序混沌! ザ・アルマゲドン! あははは!」
「雪乃、しっかりしろ! 気を確かに持て、おいこら!」
 雪乃は目の前の事実が信じられず、とうとう錯乱状態に陥った。終始騏一は雪乃を介抱していたが、銀二は錯乱した母と変わり果てた兄を交互に見るだけだった。

「雪乃は寝かせておいたよ」
 荒野家の食卓では、獣医、銀二、そしてキツネの耳を持つ少女になってしまった、鋼の姿があった。そこに騏一も加わると、「さて」といって騏一が切り出した。明かりに照らされて初めて分かったが、鋼の爪は、真紅に染まっていた。
「これから、鋼をどうするかだよな」
「動物園に明け渡す」
 銀二の台詞に、鋼はかつての鋼(自分だけど)の遺品(いや、生きてますから)であったライフルに手を延ばす仕草を取った。漆黒のウィンチェスター・M1873だった。
「じょ、冗談だよ」
「てめ、冗談でも次言ったら本当にぶっ放すぞ」
 その目は本気モードだった。
「……悔しいったらないぜ。せっかく生き返ったと思ったら、外も満足に出歩けない体なんてな……! 雷一発で、仕事も、銃仲間も、自由さえも、いとも簡単に失っちまうなんてさ!」
 鋼は叫んだ。が、だからってどうなるわけでもないが。獣医はどんな言葉をかけていいのか、ずっと模索しながら黙っている。
「鋼、こう言うのも酷だがな、お前という存在は確かにここにいるが、荒野鋼という青年は、もうこの世から消滅したんだ。それにその異形の耳と大きなシッポ、学校に通うこともできなければ、社会人として働くこともできない。しばらくは家の中で、おとなしくして おいた方がいい。ここはおまえ自身を伏せておくべきだと、僕は思うんだ」
「オレ自身を、伏せる……?」
「そうだ」
 騏一は、きっぱりと言い切った。
「それってさ、父さん」
 銀二が言う。ちなみに、銀二は鋼の2つ下、大学生である。
「ガキンチョからやり直せってこと?」
「何を言い出すかと思えば、ピントの外れたことを」
 チャラけた銀二のせりふにも、騏一は静かに返事をした。
 だが、鋼は体中を震わせ、叫ぶように言った。
「何がガキンチョだ銀二ぃ! それに、学校に通うとか、社会人に復帰するとかがどうたらじゃなくて、オレはオレの存在を偽って生きていかなきゃならないことがいやなんだ! それに、銃撃戦仲間とも、もう……」
「お前は、駄々をこねるまでに子どもになってしまったのか?」
 その言葉は、再び鋼の心を貫いた。鋼には、何も言えなかった。
「お前は生きている。姿は変わってしまったが、これまでお前が歩いてきた24年間まで、消えることはないんだ。過去を礎に、これからまた新たに歩き出せばいいじゃないか。獣医さんも言ってくれただろう、生きろと……!」
「生きろ……?」
 鋼は、静かにつぶやいた。ふうとため息をつき、騏一は続けた。
「どうともこうとも言いがたいが、とにかく、これは僕たち家族と、獣医さんとの間だけの秘密だ。他の人には、変わらずにお前は死んだことにしておこう」
「……助かる反面、悲しいな」
 鋼がつぶやくと、騏一はコーヒーを入れに、キッチンに立った。4つのマグカップが配られ、砂糖とミルクも用意された。ちなみに、ネスカフェ・ゴールドブレンドのブラックが、鋼の最もお気に入りのインスタント・コーヒーである。もっと言えば、鋼の趣味は、コ ーヒーの飲み歩きだ。
「分かった、父さんの言うとおりにするよ。ヤバい科学者の手に落ちるのだけは、願い下げだからな」

「それでは、何かお困りのことがありましたら、連絡してください。それ以外でも結構ですよ」
 獣医は1枚の名刺を取り出し、鋼に渡した。名刺には、“七原動物病院 獣医 七原優奈”とあった。
 獣医、七原優奈(ななはら・ゆうな)は、鋼の「ありがとうございます」を受け取ると、踵を返して、喪服のままではあるが、帰り道を明るい笑顔で帰っていった。
 玄関を閉めると、鋼は思いっきりため息をついた。そのため息はとても重く、これまでの経緯とこれからの不安がこめられていた。
「七原優奈さん、か。……ん?」
 名刺の裏に、何か書いてあるようだった。翻すと、黒いマジックペンで、こう書かれていた。
 “鋼さんが生き返ったようなので、今回はキツネちゃんの診察料を請求します。値段は、下記の通り。”
「マジで?」

Episode 2
 鋼は考えに考え抜いた。
 これから、どうやって生きていけばいいか。それを一晩中、騏一と話し合った結果、鋼は13歳からやり直すことを決めた。

 翌日、鋼、騏一、優奈の3人は、商店街と市役所に出かけた。商店街では、鋼に合う衣服を数着、靴を2足、そして帽子を買った。さすがにブラジャーを目の前に赤面した鋼には、代理としてサポーターを買った。
 市役所では、待ち時間を合わせて3時間かけ、よくわけの分からない手続きをし、鋼の新しい住民票を作った。もうこの世には存在しない荒野鋼、彼の新しい名前は、荒野翼。
「オレの新しい名前、翼……」
「気に入ったか? 鋼っていう名前も、実は僕がつけたんだぞ」
「知らなかった。ところで、名前の由来に意味はあるの?」
 市役所前の自販機の隣、3人はコーヒーを飲んでいた。ところであの邪魔な尻尾だが、シングルバンドのリュックの中にしまいこんである。耳は、帽子で隠してある。
「鋼という名前は、世の荒波に負けず、屈強に生きてほしいという願いを、翼という名前は、新しい気持ちで、未来に羽ばたいてほしいという願いをこめた。要するに鋼、お前には、未来に対してくじけずに生きてほしいんだ。銀二だってそうだ。銀という金属は、金に ない素晴らしい力を秘めている。銀イオンの抗菌効果、粘土としての美術的要素、そして、食器などとしての実用性などが挙げられる。他にも隠された性質は、金をも凌ぐ素晴らしさばかりなんだ」
「……知らなかった」「素晴らしい名前の由来ですね」
「そうだ、“燻し銀”って知っているか? 放っておくと黒ずんでしまうという弱点を持った銀だが、わざと燻すことで得られる、決して華やかとはいえないものの風情ある風合いが、もう1つ隠された銀の魅力でもあるんだ」
「銀二の“銀”って、そういう意味があったのか。そうか、あいつも燻し銀なやつなんだな」
 翼、もとい鋼がしみじみ頷いていると、優奈が言った。
「そういえば鋼さん、鋼さんは籍の上では、荒野家の養子であり、銀二さんの妹ってことになりますが、兄の権威はどうするんですか?」
「捨てないですよ、当然」

 かつての鋼にとって、仕事の終わり、会社のビルの屋上を借りて、銃撃戦仲間とともに狙撃、格闘の練習をするのは、日課だった。家に帰ると、この体にはさすがにきつい、重たいウィンチェスターを持ってみた。
「この体、鍛える必要があるな……」
 その時、黒いジャケット姿の銀二が帰ってきた。大学のバッジを胸につけている。
「よぉ、おれのかわいい妹よ」
「誰が妹だ。なりはこれでもオレは鋼、お前より3年多く生きている人間だぞ」
「今はどう見ても年下の化け狐じゃんか。おっ、そのライフルで勝負するか?」
「やるか、銀二!?」
「やったろーじゃんかクソ兄貴!」
「よし、今のでオレの勝ち!」
「えっ?」
「オレを兄貴と呼んでくれたから」
「今の取り消し! 前言撤回!」

 数日後、鋼はそのライフルを細長いケースにしまい、バンドを肩に引っ掛け、街中に出かけた。
「見慣れた町なのに、視線が低いだけで随分違うな」
 そして鋼は、いつもどおりコーヒーの飲み歩きを始めた。どんな店を飲み歩こうとも、最後は絶対に鋼のお気に入りの店に来る。
 その名は、“西の夕日”。店内の装飾もウェスタン風味で、壁はオレンジの照明のみに染まり、ちょっと薄暗い。鋼は「マスター、いつものをください」と言おうとして、口をつむいだ。
「おっ、珍しいじゃないか、かわいらしいお嬢さんのご来店だ」
 客の1人が言う。鋼もそう思う。ここには自分を含め、青年以上の男しかめったに集まらない。もっとも、女性は1人も来ないということもないのだが、大体男の人に連れられてくることが多い。
「ええと、“キャトル・セゾン”ってコーヒー、ください。ブラック」
「えっ!?」
 その時、マスターを含め、店の雰囲気が一変した。それまで、たくさんの男たちの雑談で満ちていたはずなのに。
「……えっと、何か変なこと言いました?」
「いっ、いや、ね。かつてのここの定連さんが好きだったコーヒーなんで、ちょっと懐かしく思えて……」
 マスターが言うと、周囲の男たちも口々に言い始めた。
「そういえば荒野だよな。あいつ、結構気前よかったし」
「人当たりよかったし、優しいやつだったよな」
「お人好し、ってイメージ強かったけどな」
「雷に打たれたあの日、1匹のキツネを助けたらしいじゃんか」
「あんないいやつが、何でおれたちより先に死んじまうんだろうな」
 途端、鋼はいたたまれなくなった。オレはここにいる、オレが荒野鋼だ、そう叫びたかった。だが、絶対にそれはしてはいけない。
「お嬢さん、気分が悪くなったかい?」
 マスターだ。
「ごめんよ、ここの定連さん、荒野鋼さんっていうんだけど」
「知ってます」
 鋼は答えた。
「えっ?」
「この店の、このコーヒーがとてもおいしいって教えてくれたのも、鋼さん、ですから」
「……そう、だったんだね」
 それだけ言うと、マスターはコーヒーを淹れ始めた。隣の男性が、鋼に声をかけてくる。
「ごめんよ、時化た話になって」
「いいえ」
 コーヒーが出され、鋼はそれを少し飲んだ。この店のこの味は、いつも変わらない。変わらないのに、退屈しない。風情があるから。
「おいしい」
「お嬢さんにそう言ってもらえて、うれしいよ」
 サービスでもらったビスケットをつまみながらコーヒーを飲み干すと、鋼は会計を済ませた。
「……また来ます。彼の、思い出の場所ですから」
 鋼が踵を返すと、マスターは鋼を呼び止めた。
「きみの、名前を聞いていいかな!?」
「オレですか? オレは…… 荒野翼。鋼さんの、遠い親戚です」
「翼ちゃん、か。また、来ていただきたい」

 しばらく歩いていると、鋼は4人の男たちに囲まれた。
「おっ、かわいいお譲ちゃんが歩いているじゃないか」
「なぁなぁお譲ちゃん、俺たちと遊びに行かない?」
 鋼は思った。近頃の男共は、こんな小さい子どもにまで手を出すのかと。そして同時に思った。いつの間にか自分を小さい子どもと認識してしまっていると。
「お断り、します」
「まーまーそうつれないこと言うなよ、な?」
 見ると、一番端の男が持っている紺色のリュックには、かわいらしいアクセサリーと缶バッジがいくつかついている。変な趣味しているなと、鋼は思った。
「ちょっと急ぎの用事があるので、失礼」
 そう言うと鋼は、男たちの間をすり抜けるようにして立ち去った。重いウィンチェスターを背負っている、中学生少女のものとは思えないほどの強いキックとスピードだった。
「な、何だよ今の、あのスピード!?」
「あいつ、どういう足持ってんだよ……?
 男たちは、ただ唖然と、去って行く鋼を見送っているだけだった。
 鋼は追いつけないだろう距離を走ると、スピードを緩め、あまり乱れていない呼吸を整え、また歩き始めた。
「まったく、どういう神経してんだ、あいつら……」
 そのとき、公園の入り口で突っ伏して泣いている、このあたりの女子高生を見かけた。何故このあたりの女子高生だと分かるかというと、鋼が勤務していた会社、中原重機の近くの高校の制服だと分かるからだ。
「おっ、おい、どうしたんだよ?」
「ひっく、ひっく、うぅ?」
 少しウェーブがかった茶髪に、整った顔を持つその女子高生の目は、やや赤く腫れていた。
「あ、なた、は……?」
「荒野翼。で、どうしたのさ、一体?」
「カバン、取られた……」
「カバン?」
 と、鋼は、その女子高生の腰辺りに目が行った。スカートを留めているベルトには、3つくらいの缶バッジが飾られていた。
 鋼は、思い出した。
「もしかしてそいつら、4人組だった!?」
「うん……」
「缶バッジとアクセサリーがいくつかついてるやつ!?」
「何で知ってるの?」
「さっきそいつらに絡まれた。間違いじゃなければ、すぐ近くにいるはずだ、待ってて!」
 そう言うと鋼は、再び走り出した。自分でも信じられないほどのスピードに、帽子が吹っ飛ばされないように押さえながら。
 しばらく走ると、いた。あの4人組は、また別の女の子をターゲットに、取り囲んで動きを封じていた。この脚力じゃなきゃ、逃げられなかっただろう。
「なーなー、おれたち金に困ってんだ。持ってたらありったけ貸してくれないかな?」
「心配しなくてもさ、返すからさ」
 囲まれている女性は何も言い返さないが、別の男に白いバッグを奪われてしまった。
「じゃあ、今すぐ返すべきもの返してくんない!?」
 鋼が叫んだ。女性と4人の男の視線は、鋼に向けられた。
「さっき、“名桜高校”の学生さんから奪ったリュック、あるだろ? 彼女のもとに、返してもらおうか」
「おっ、さっきの。なかなかさっきはすごい逃げ足だったな」
「分からないのか、返せって言ってるんだ、下種が」
 すると、白いカバンを持った男はカバンを放り投げ、4人そろって再び鋼を取り囲んだ。
「痛い目見ないとわからないみたいだな、お譲ちゃん?」
「死ぬほどヤバい一撃ならすでにもらっているから、今更痛い目見ようが見まいが、知ったことかよ」
「んだと、こらぁ!」
 レモンを半分に切ったようなニット帽をかぶったひげ面の男が、鋼に殴りかかった。猛スピードでウィンチェスターを抜いた鋼は、ストックの一角をひげ面男の鳩尾に殴りつけた。
「ぼへっ」
「鍛えが足りない、まだ腕が軋む」
 鋼は左手で右腕の肘をさすった。
「なっ、なめた真似しやがって!」
 金髪の男とスキンヘッドの男が、同時に殴りかかってきた。鋼はウィンチェスターで受け止め、バレルのほうにあった腕を叩いてはじき、もう1人の方はストックで顔面を強打、バレルで腕をはじいた男は、サマーソルトという蹴り技で顔面を蹴り飛ばした。そして再 び顔面を叩いた男に強烈タックルを食らわせ、ウィンチェスターのレバーを引いてBB弾を装填、残りの男の足元に銃口を向けた。
「てんめ……」
「返せって言ってるんだ」

 ウィンチェスターをケースにしまい、缶バッジのついたリュックを取り返し、先ほどの公園に向かった。そこにはちゃんと、あの女子高生が待っていた。
「取り返してきたよ。中身は、多分無事だ」
「あっ、ありがとう」
 女子高生はリュックを受け取ると、大事そうにリュックを抱いた。
 鋼は微笑むと、踵を返し、立ち去ろうとした。
「あの、ちょっと」
 女子高生が、鋼を呼び止めた。
「軽く、飲んでいかない?」

 2人は、近くのファストフード店にいた。鋼はハンバーガーを1つとコーヒーを1杯、女子高生、森谷尚子(もりたに・なおこ)は、チキンカツが挟まったハンバーガーに揚げポテト、そしてココア。
「重いライフル持って、4人とも負かしちゃうんだもん、きみは強いね」
「ぶっ飛ばしたのは3人。あとの1人は、銃を構えて脅してやった」
「……きみ、年上の人にタメ口使うって所も、妙にすごいね」
「あっ、ちょっと、これはクセというか、過去の環境のせいというか、まあその…… 決して、きみを見下しているとか、そういうのはないから」
「……何かこう、雰囲気がさ」
 尚子はココアを一口だけ飲み、続けた。
「妙に大人びてるよね。口の聞き方は別として、態度とか、食べ方とか」
「えっ……?」
「どういう環境にいたの? 教えてくれる?」
 半ば身を乗り出して、尚子は鋼に聞いてくる。
「いっ、言えない。言っても、信じてもらえない」
「そんなことない! 教えて、何でも信じるから。もしそれが重大な秘密だったら、誰にもそれを漏らさないことを、この身にかけて誓うから」
 鋼は困った。この少女を信用できないわけじゃないが、秘密を漏らすということは、それだけ危険度が増すということだ。
 だが、鋼にはこの少女なら大丈夫だと思える、かすかな自信があった。鋼には、人の目を見ることで、かすかながらその人の人柄が分かるのだ。
「さっき、オレは荒野翼って名乗ったよね。でも、本当のオレの名前は、鋼。雷に打たれて死んだはずだけど、死ぬ前に助けた1匹の子ギツネの体を借りて、生き返ることができたんだ。死ぬ前のオレは、24歳の、どこにでもいるような1人の男だったんだ」
「……男の、人?」
「あははは。こんな突飛な話、誰も信じないよね。今このことを知っているのは、家族と、オレが助けた子ギツネを診察してくれた獣医さんだけだよ」
「……そう、だったんだ」
 鋼はコーヒーを飲んだ。そこには、沈黙以外の何もなかった。
「……信じるよ、わたしは」
「えっ?」
「信じても、いいけど、その前に1つ。……お願いがあるんだけど」
「お願い、って?」
「……友達になってくれる? わたし、友達って言える友達っていないから、いつも音楽ばかり聴いて、閉じこもってばかりで…… だから、お願い」
 鋼は、腕を組んで考えた。この子と友達になっていいものかどうか。だが、もう自分の秘密だって暴露してしまっているのだ、あとには、自分もこの子も引き返せないだろう。
 鋼は、うなずいた。
「ありがとう、鋼さん!」
「オレこそ。これからはよろしく」
 鋼と尚子は、握手を交わした。

Episode 3
「うわぁ、かわいい耳!」
 1人暮らしをしている尚子のアパートに、鋼はお邪魔した。
「尻尾もふさふさしてて、気持ちいい! いいなぁ、すごくかわいい」
「オレは迷惑なんだ。こんなの出して外歩いてたら、誰に捕まるやら」
「うっ、ごめん」
 アパートの部屋には、一面CDの山が。大掛かりなコンポに、それなりの電子機器で満載だ。鋼には、これが本当に1人暮らしの女子高生の仮住まいだとは思えなかった。
「あのさ、このCDの山、どうしたの? コンポとかも、結構お金かかってそうだけど」
「ああ。CDは買ったのからもらったのからいろいろあるけど、コンポはもらい物。わたし、近くのジャンク屋でアルバイトしているから、使えそうもないやつをもらって、自分で修理したんだ」
「すごいな。あのレコーダーも、自分で修理を?」
「ほとんど使えなかったけどね、あれは部品を取り寄せて、軽くメンテナンスしたら直った。傷だらけだし、誰も買わないだろうし」
「もしかして、エンジンなんかの重機器もお手の物?」
「どうかな。わたし結構、機械物得意だから、多分できると思う。鋼さんのライフルも、細かい部品に分解して、また組み立てることもできると思うよ」
「いや、遠慮しとく。自分でもそこまでバラしたことはないから」

 鋼は、この日友達になった人の家で食べてくると家に連絡を取り、尚子の手料理をいただいていた。
 この日の料理は、“ワイルドファイア”、激辛ピラフだった。炒め物料理を得意とする鋼は、この手の料理にはうるさい。鋼は、以前、両親がなかなか美味しいと評した銀二のチャーハンを、厳しく指摘した張本人でもある(あとでケンカに発展したのは伏せて置こう
 ダイニングの中央にある卓袱台をはさみ、座布団に座って、そろって食べ始めた。
「美味しい。香辛料は唐辛子? ちょっときつかったけど、味付けや炒め具合、すごくバランスがいいよ。機械だけじゃなく、こういうのも得意なんだね」
「まあ、お母さんが料理教室の先生だから。基礎は教えてもらって、あとは自分で工夫しながら」
「独学か。すごいな。おかわりもらってもいい?」
「よければいくらでもどうぞ」
 尚子は、とてもうれしかった。いつもここには音楽が流れていて、それでも寂しく、1人で作る料理を1人で食べていた。荒野翼という名の少女の姿をした、荒野鋼という年上の青年と食べる食事は、複雑な気持ちではあるが、とても新鮮で、楽しいものだった。

 食事も終わり、鋼と尚子は隣り合って皿を洗い、片付けた。
 先ほどの卓袱台をはさんで座り、2人は一息ついていた。時たま鋼の腰から伸びている金色の尻尾が揺れる。
「鋼さんは、前はどんなところで働いていたの?」
「うん、重機器関連の会社。オレも尚ちゃんと同じで、手先が器用だから、機械関連は好きで。あまり楽しいところじゃなかったけど、不満はあまりなかった。時給もいいしさ」
「へぇ。その会社で、そのおもちゃの銃も作ってるの?」
「これは趣味で買ったんだ。銃撃戦仲間がその時はいてね、休日にはよく公園なんかに行って、銃撃戦ごっこなんてやってたな」
「銃撃戦仲間かぁ。いいなぁ、わたしは音楽を通じて話の合う人っていないから。……ところで鋼さん、銃を持ってて、人から危険がられたりしたことはある?」
「危険がられたこと?」
 鋼は腕を組んで回想してみる。
「あったかも、知れないな。特に、会社の同僚とか」
「ふーん。鋼さんも、銃を持つ人の中におっかないって思う人はいる? 人相とかそういうのなしで」
「おっかない、危険ってのは、人を傷つけ、物を壊すモノをさすわけじゃない。それが勝手に何かをしでかすことはないんだから。本当に怖いのは、それを悪用せんとする人。つまり人間なんだよ。だから、銃もその他の道具も、正しく扱えば、人を傷つけることはない 。オレは1人のガンユーザーとして、おっかなくない人間でありたいと思っているよ。オレが恐れるのは、今言った、そういう人種かな」
「……分かったよ。鋼さんは、そういう人種じゃないって、わたしは信じてる」
「ありがとう。じゃあ、今日はもう帰るよ。ご飯、ごちそうさま」
 鋼は帽子をかぶり、シッポをリュックに押し込んだ。邪魔なものを隠せば、鋼もどこにでもいるような、ボーイッシュな少女に見える。が、鮮やかな金髪はどうもその年頃に合わないような気がする。
 鋼が玄関に向かい、靴を履くと、尚子は呼び止めた。
「あの、また会ってくれるよね?」
「……ああ。秘密を暴露した友達だからね」
「あははは。じゃあ、鋼さん、おやすみなさい」
「おやすみ」

 家に帰ると、怪しい空気が漂ってきた。
「母さん、まだ念仏唱えてんの?」
 コーヒーを飲んでいる騏一に、鋼は聞いた。銀二はテレビに見入っていて、雪乃は寝室である和室で、数珠を手にブツブツ念仏を唱えている。
「お前のせいだぞ、雷に打たれるから。いや、それだけだったら喪中だけで済むだろうが、鋼がキツネの耳とシッポをつけたちっちゃな女の子になっているのが、どうしても受け止められないんだよ」
「オレのせいかよ。……1週間以上も経つってのに、いい加減念仏唱えるのやめて、家事やってくれよ」
「すまない、まだお前が手伝ってくれないか」
「いい加減食事のメニューのネタが尽きた。料理ブック買ってこようかな。ああいう母さんには、精進料理のほうがいい?」
「冗談を」
「半分本気」
 いつまで続くのやら。鋼はそう言って、ウィンチェスターを持って階段を上がろうとした。鋼と銀二の自室は2階にある。
「鋼、今から何するんだ?」
「寝る。新聞配達は、明日からって約束だから。制限されたこの体で、できることを精一杯やる。生きるための、第一歩としてね」
「そうか。人とは違う人生になるが、まあがんばれ。バックアップなら、いつでもしてやるから」
「ありがとう」

 鋼名義の口座には、鋼の稼いだ分がまだ残っている。その全てを引き落とし、騏一に預け、会社で普通に働けなくなった分は、新聞配達のアルバイトをすることで、何とかしている。
 鋼の仕事は、新聞配達に終わらない。朝から晩まで、寝ても覚めても念仏ばかり唱えている雪乃の代わりに、すべての家事を済ませなければならない。呼べば、「近寄るな、化けギツネ!」だから困る。そのフレーズを聞くたび、鋼は心を痛める。
 食事以外の全てを終えた鋼は、尚子とどこかに遊びに行く。ちゃんと出かける時間も決めて、帰ってきたら食事の用意。そんなギュウギュウ詰めスケジュールの毎日を、鋼は過ごしていた。

 そんなある日、尚子の家にお邪魔しているとき、鋼は1冊のガンマガジンを見つけた。
「尚ちゃん、これどうしたの?」
「わたしも、ほしいかなって思って」
「どうして?」
「……あれからね、うちの学校の生徒が結構狙われているんだって。金やカバンなどの強奪や、性的な嫌がらせだとか。だから思うんだ、自分の身は自分で守らないと、って」
 鋼はガンマガジンを手に取り、パラパラとめくった。
「……オレは、そういうのはお勧めできないな」
「えっ?」
「たとえ自分の身を守るためとはいえ、こんな銃でも人に向けて撃ったら、銃刀法違反で捕まるのはその人だ。身を守るための装備なら、催涙スプレーや騒音アラームなど、防犯・非殺傷道具も多数売られている。遥かにそっちのほうが安いしね」
「でも、でも鋼さんは、ライフルであの人たちと戦った!」
「オレはあの時、ライフルを鈍器として使ったんだ。力の弱いこの体をサポートするには、しょうがなかったんだよ。でもオレは、無闇に銃を人に向けて、撃ったりしない。前にも言ったとおり、オレは銃を以って人を怖がらせるようなまねはしたくないからね」
「…………」
 学校の用意を整えている尚子は、その作業の手を止めた。
「わたしは、逃げずに戦いたい。あのときのような目に、遭いたくないから」
「逃げるが勝ち、ってことわざにもあるとおり、下手に戦うより、逃げたほうが円満に片付くこともある。己と相手の力量も知らずに戦いを挑むのであれば、オレはその人を臆病者と呼びたい」
「臆病者!? どうして!?」
「目の前の真実を受け止めようとしない、それを“臆病”という。“無謀”を承知であえて挑む“冒険”とは違うんだ」
 途端、尚子は言葉を失った。
「……悪い、言いすぎた。謝るよ、ごめん」
「……ううん、わたしも、どこかアニメのヒーローに重ねていたのかもしれない。でも、わたしの意見は変わらないよ。わたしは強くなりたい、鋼さんみたいに」
 鋼さんみたいに、そのフレーズを放った声は、澄んでいた。鋼は、尚子の目を見つめた。彼女は本気だ、鋼はそう確信した。
「……じゃあ」
 尚子は鋼のほうを振り向いた。
「条件がある。1・無機質な力を手にして強くなったと思わないこと。2・人を傷つけるのではなく守るために力を振るうこと。3・泣き言を言わないこと。守れるなら、協力させてもらうよ」
 鋼が言うと、尚子の表情はぱぁっと明るくなった。
「ありがとう、鋼さん!」
「じゃあ、買い物に行こうよ。制服、着替えて」

 2人がやってきた場所は、スポーツウェア、グッズ販売店。
 買ったものは、学生用カバン。
「これで一体?」
「これが武器」
 鋼の答えに、尚子は間の抜けたような返事をした。
「へっ?」
「学校にイメージ悪い武器なんて持ち込めないだろ? それに、これならいつでも手に持てて、いざとなったら身を守れる道具にもなるし」
「はぁ、確かにそうだけど……」
「行くよ」

 次に向かったのは、バッティングセンター。
「あの、わたしってば草野球どころかバッド握ったことすらないんですけど」
「握ればいいの。別に放物線どでかくかっ飛ばせって言わないから。それに、オレだってバットなどまともに振ったためしがない!」
 鋼は近くを通りかかった店員に、バッドの握り方、ボールの撃ち方を、尚子と一緒に教わった。尚子は、スポーツ形はからっきしなのか、タイミングは合っていてもなかなかボールに命中しない。鋼も豪快に振っては空振りに終わる。
「ボール切れになっちゃった」
「今日はこの辺にしときますか」

 最後に、ゲームセンター。
 そんな中、ハンドガン・シューティングゲームを、鋼は選んだ。
「実際に鉄砲を撃つわけじゃないけど、反応を上げるにはいいと思って」
「あの、銃を握ったこともないんですけど?」
「そんくらい輪ゴム鉄砲と同じだよ。まずは、画面に現れる人物全員撃って。もたもたしてると、殺されるぞ」
 鋼はゲーム機にコインを挿入。コースは初級コースを選択、ゲームが始まった。
「わっ、うあっ! あぶない! 死ぬ!」
 声を上げながら、必死になって画面に向けて、コードでつながれている銃を乱射する尚子。鋼はそんな様子を、クレーンゲームに寄りかかって、面白そうに眺めていた。

「面白かった?」
「うん。でもへとへと」
 鋼は、携帯電話を見た。液晶画面のアナログ時計は、すでに5時半過ぎを指していた。
「今夜はオレの家に来てよ。今日は自慢の腕、振るうからさ」
 そう言って、2人は荒野家に向かった。空は少し薄暗くなってはきたものの、子どもたちは元気にはしゃぎまわっていた。鋼も、本当だったら今頃仕事を終えて、会社の屋上で同僚たちとチャンバラやっている頃なんだろうな。ただし、残業がなかったら。
「ただいまぁ!」「お邪魔します……」
「おっ、おかえり鋼。……って、誰連れてきたんだよ!?」
 騏一が玄関まで出迎え、尚子を見るなり叫ぶ。
「あっ、いや、ええと…… うちの娘の翼がお世話になっております」
「ええ。鋼さんはとってもいい人ですよ」
 鋼は気まずかった。いや、一瞬にしてこのあたりの空気が凍った。

「ったく、お前はそれだけ危険度が増すってことを知っているだろう」
「分かってるんだから怒らないでくれよ」
「怒るだろう、大事な息子であることに代わりはないんだから。まあ、その子がお前の信頼できる子なら、僕としても安心だが」
 鋼は5枚の皿に、自慢の作品“海鮮ピラフ”を盛った。そのうち1枚にラップをかけ、電子レンジにしまった。
「銀二、配ってくれよ」
「あー」
 銀二は皿を、鋼はスプーンを配ると、雪乃を除いた4人は席に着き、同時に食べ始めた。
「あの、お母さんはどうしたんですか?」
「ああ、いつものことだよ」
 銀二が答えた。
「翼、もといクソ兄貴がこんな姿になってしまったから、自分はきっと長い長い夢を見ているんだって思い込んでんだ。現実世界、お袋にとって悪夢の世界から、さっさと目が覚めたいんだよ」
「…………」
 尚子は申し訳なく思い、黙った。そこに、銀二が言う。
「ところで2人はさー」
「ん?」「はい?」
「キスくらいしたのか?」
 途端、2人はむせ返った。鋼は胸をどんどんと叩き、尚子は出されたオレンジジュースを一気飲み。そのあとも苦しそうな表情をするものだから、騏一と銀二はただ慌てふためくだけだった。
 やっと呼吸を整えた鋼は、叫んだ。
「するかよ!」

Episode 4
 鋼の朝は早い。新聞配達をし、それから家族全員分の食事の用意をしなきゃいけない。そして掃除、洗濯を済ませ、家計簿をつけ、過去のデータと参照し、遊びに行く。帰ってきてからも食事の用意と後片付けに負われる。最近は、ネット通信でできる仕事も探してい るようだ。
 母・雪乃は、とうとう病院に入院してしまった。極度の栄養不足に錯乱状態、家族が何故こうなったか問い詰められたのは言うまでもない。荒野家がこれまでの経緯を説明すると(着色済み)、病院も半ば納得してくれたようで、病院は精神科の先生を呼ぶことにした 。

 さて、鋼はというと、近くの公園で、尚子に戦い方を教えていた。
「力任せに振り上げるんじゃなくて、狙って、風を切って、確実に叩きつける!」
 ウィンチェスターのストックを尚子に向け、的にしている。尚子は鋼に教えてもらったフォームで、学生カバンを叩きつけていた。シフトウェートでバランスを保ちつつ、遠心力を用いた強烈な打撃で、ストックを弾き飛ばす。進行方向に対してカバンを平行にするこ とで、風の抵抗を少なくし、かつ狙った場所に叩きつけることができる。
 そんな様子を、尚子が通う名桜高校の女子生徒が見ていた。
「尚子ってば、前から人付き合い悪いかと思ったらいきなりあんなケンカまがいなことしてるし」
「あの女の子もそうだよ。まるっきり謎。あのライフルってば何?」
「でも分かるのは、あの女の子が尚子を鍛えているんだよね。只者じゃないよ、あの子」
「でも、何でかな? 尚子、格闘技とか習ってるわけじゃないよね? 体育じゃ中の下の運動音痴がさ」
 その前に、この女子軍が怪しい。公園に遊びに来ようと、小さな子どもやその母親たちが、ジト眼で見ている。
「はぁ、はぁ、このっ!」
「いいぞ、今の一発! よし、今日は終わりっ!」
 尚子はワイシャツの前ボタンを外し、ばさくさやって涼み、鋼は尚子にタオルを差し出した。
「ありがとう、はが…… 翼ちゃん」
「ああ」
 外を出歩くときは、尚子は鋼を、翼と呼ぶことにしている。どこで誰が聞いて怪しみだすとも限らない。
「ここ1週間で、フォームになったよ。休んだら次、ダッシュの練習」
「きつ!」

 15メートルほどの間隔をあけた2本の木に、タッチしては走り、タッチしてはもとの木に向かって走り、それをおよそ20往復、それを3回。最初のうちは何も食べられなかった尚子も、1週間経った今では、いつもより食事が美味しく感じられるまでになった。
「ねぇ、尚ちゃん」
「ん?」
「やっぱり、鉄砲ほしい?」
「うーん、うん。鋼さんみたいな、かっこいいやつ!」
「やっぱこのウィンチェスター、かっこいいよね。じゃあ、結構そろってるおもちゃ屋に行きますか」
 鋼はベンチから立ち上がるとおしりをはたき、ウィンチェスターのケースを持った。尚子も、1週間でボロボロになったカバンと、教科書が入ったカバンの2つを持ち、鋼のあとについていった。2人が去った公園には、小さい子どもたちが砂場で遊び、その母親たち が雑談を交わしていた。

 鋼たちがやってきた場所は、ウェスタングッズショップ“口笛”。
 そこにはいろんなウェスタングッズがそろっている。皮製のジャケット、ロングパンツ、シルバーアクセサリー、ハット、そしてスカーフなどなど。ちょっと高いけど、保安官の胸に輝くバッジ“シェリフバッジ”もある。草の形を模したリード笛なんてのもあった。軍用っぽいのも多少まぎれてはいるが、この店のほとんどはウェスタングッズ、アームズを取り扱っている。
「うわぁ、ここは戦場ですかぁ!?」
「ターゲッツマン、ホークアイ、マガジン・ピストル、バントライン・スペシャル…… それに何と言っても、ネイビー51! どれもこれもすっげー! つか、かっけー!」
「……鋼さん?」
「あっ、ごめん。いや、ついね。それに、前よりも品数が増えてる。すごいな、ここは相変わらず。……ん?」
 2人が見入っているショーケースの、隣のそれには、5〜6人の男が並んでいた。
「あいつら……」
 そう、彼らは、鋼のかつての銃撃戦仲間なのだ。
 彼らは時々鋼の死を嘆く言葉や、墓参りのこと、鋼の思い出エピソードなどを口にしながら、そのショーケースの前から立ち去った。そこには、鋼が持っているのと同じタイプの銃、ウィンチェスターM1873が飾られていた。
「オレは、ここにいるのに……」
 鋼は握り拳を震わせた。
「……どうしたの、翼ちゃん?」
「えっ? いや、ちょっと…… 昔のことを思い出していただけだよ」
 尚子は、先ほどケースの前から去った人の群れを見た。少し遠いような目をしたあと、またケースを向いた。
「わたし、これがほしい!」
「どれ? おあ、“ディフェンダー”か!」
「ディフェンダー?」
「ああ。ウィンチェスターシリーズ、パターソンタイプを製造しているコルト社のオート銃だ。……じゃあ、これにしますか」
「うんっ!」
 鋼たちは店員を呼び、ディフェンダーをケースから出してもらった。鋼は財布を取り出そうとしたが、今になって家に置いてきてしまったことを思い出した。
「やっばい。また今度に……」「わたしが買います」
 見ると、尚子の右手には、オレンジ色の財布が握られていた。
「尚ちゃん?」
「わたしだってアルバイトで稼いでいるんだから。それに、大きな買い物だったら何回かしているから。わたしのアパートのコンポの山、見たでしょ?」
 女子高生の財布にはきつい、ちょっと値の張る銃ではあったが、尚子はそれを買ってしまった。実際に銃を持ってみた尚子は、その重さによろめきながらも、感激していた。

 尚子は一度家に帰り、タオルと着替えと学校の準備一式をリュックに詰めると、鋼と一緒に荒野家に向かった。この日は騏一の了解も得て、尚子は荒野家に泊まることになったのだ。
 この日は、尚子が夕飯を作った。この前の激辛ピラフとわかめのコンソメスープは、騏一と銀二を驚かせた。どうだと言わんばかりのガッツポーズの尚子は、自分の料理を人に食べてもらううれしさでいっぱいだった。鋼も、結構美味しそうに食べていた。

 白いシーツと1枚のタオルケットの間で、鋼と尚子は重なっていた。衣服をはさまず、裸の状態で。場違いな場所にある鋼の耳が、尚子の顔にたまに当たってくすぐったい。
「鋼さんの体、あったかいね」
「尚ちゃんのも」
 部屋は真っ暗、白いカーテンだけが窓を覆う。
「前の体が恋しい?」
「そうだな…… 確かに、失ったものは大きかった。この体になってから、帽子とリュックなしで外は歩けないし、脚力強い割に腕力ないし、視線が低い分、迷うことも多いし。それ以外では、仕事や銃仲間も失っちゃったし、母さんは精神異常になっちゃうし…… 一番困るのが、風呂。自分の体をありありと見せ付けられるから」
「あと、わたしとエッチなことができないから」
「それはどうでもいい! ……ちょっとウソだけど」
「やっぱり」
「尚ちゃんは、好きなわけ?」
「……べつに」
 尚子は鋼の小さい体を、更に強く抱いた。
「鋼さんはこんな体だけど、わたしは鋼さんの恋人にもなれないけど、わたしは鋼さんのこと、大好きだよ」
「オレも、尚ちゃんが好きだ。オレのあれこれを知ってなお、オレを怖がらず、親しくしてくれるきみが」
 鋼も尚子の肩をつかむ力を強めた。尚子は、重い銃を使い、4人の男に立ち向かった人と同一人物とは思えないその力の弱さを、知った。
「この体が、とても恨めしいよ」
 鋼はつぶやいた。

 翌朝、鋼は尚子と騏一を、玄関先で見送った。自転車の鍵をやっと見つけた銀二も、今出ようとしていたところだ。
「行ってらっしゃい、銀二」
「ああ。……そういや兄貴さ」
 靴を履きかけたところで、銀二が言う。
「最近、楽しそうだな」
「え?」
「いや、誤解すんなよ。社会人のときは憂鬱どん底だったって言いたいんじゃないんだ。銃仲間やコーヒー仲間がいたろ? そりゃそれでいいんだけど、そのときには見られなかった新しい顔が、最近兄貴にはあるんだよ」
「……はぁ?」
「ま、変な意味で言ってるんじゃないんだ、気にするな。それより、あの子、森谷尚子って言ったっけ? 大事にしろよ」
「……ああ。鋼の名にかけて、彼女はオレが守る」

 その日は昼のうちに夕飯の支度まで済ませ、鋼は普段着に着替えた。リュックと帽子でシッポと耳を隠すと、お決まりのウィンチェスターを持った。テーブルのメモには、今夜の夕飯は電子レンジで温めてと書き残して、鋼は玄関を出た。
 午後3時ごろ、名桜高校の授業は終わる。尚子は部活をしていないほかの生徒に混じって校門を出て、待っているはずの鋼を探す。
「あっ、翼ちゃん!」
「やっほ」
 尚子は駄菓子屋前にいる鋼の前まで駆け寄った。
「今日はさ、映画館に行かない? ほら、先月公開した」
「あっ、行く! よぉし、映画館にレッツゴー! ……の前に、手をつないでいこうよ」
 というわけで、鋼と尚子はこの日、映画を2つもはしごした。すっかり夜になってしまって、少女2人で出歩くには危険な町に変わりつつある。
 最後に喫茶店で軽いコーヒーを飲み、鋼は1枚の紙を取り出した。見出しには大きく、“第3回 銃技競技大会”とあった。
「今度、出場してみようと思うんだ。尚ちゃんも出てみる?」
「えっ? わっ、わたしは出ても恥掻くだけだよ。まともに引き金引いたこともないし。鋼さんの競技を見ているだけで」
「それは残念。でも、今度はそろって出場しようよ。オレが徹底的に教える。そしたら、“サバイバル”コーナーでは2人で勝負しようよ!」
「そう、だね…… やってみたいよ。わたし、鋼さんと対等に勝負したい!」
「よっし、今度からは銃も特訓するからね。……今日はもう遅い、帰ろう」
 2人はトレーを片付け、店を出た。ネオンライトが夜の街を、昼と変わりないほど明るく照らす。鋼と尚子は、この商店街の終わりまで、帰り道を共にすることにした。
 と、尚子の肩を何者かの手がつかんだ。ぐいと引っ張られる勢いに尚子は驚き、抵抗する暇すらなかった。
「キャッ!」「尚ちゃん!?」
 尚子を引き寄せたのは、以前鋼がコテンパンに叩きのめした4人の男のうちの1人。金髪の男だった。
「おっと、動くなよ! ここで会ったが百年目、この前の借りは返させてもらうぜ、お譲ちゃんよぉ!」
 鋼が唯一危害を加えなかった男が、ポケットに手を突っ込んだまま歩いてくる。他の2人は、鋼を取り囲む。
「何を貸していたのか、すっかり忘れた。別に返さなくたっていいんだけどな」
「こっちはそうは行かないんだよねぇ。つか、適当にボコしてありったけの金を……」
 と、尚子は反撃に出た。手に持っていたカバンを男の顔面に撃ち噛まし、蹴り技まで炸裂して後方に吹っ飛ばした。
「逃げるよ、鋼さん!」
「ああ!」
 鋼はウィンチェスターを抜き、バレルの先端で、襲い来るリーゼントの男の腹を尚撃、更にストックで側頭部を強打。尚子はカバンの縁で、スキンヘッドの男の顔面を3連続で殴り飛ばし、道を開いた。
 2人は走り出した。だが、先ほどの男、こいつは黒髪だが、そいつは、尚子の足にロープのようなものを絡ませ、尚子を転ばせた。
「うあっ!?」
 手からカバンが離れ、尚子はつまずいた。
「尚ちゃん!?」
「動くな!」
 黒髪の男は、いつの間にか持っているナイフを、尚子の首筋に突きつけた。鋼は急いで銃弾をロード、銃口を相手に向けないものの、構えた。
 急に発生した乱闘に、商店街の人は騒ぎ立てた。鋼のウィンチェスターを見るなり、逃げ惑う人もいた。
「こいつを無傷で帰したければ、その銃を捨てろ!」
「やなこった。お前らの言うこと聞いてやれるほど、オレはお人好しじゃなくてな」
「てめ、確か鋼って言ったな?」
 そうだ、さっき、尚子が。
「ニックネーム」
「まあいい。鋼、お前自分の立場をわきまえろや、少し」
「何と言おうと、お前らの取引には応じない。が」
 鋼は空に向けて発射、リロードはしなかった。
「交換条件なら。まずは尚ちゃん、その子を解き放ち、このウィンチェスターを渡したい。そして彼女を無事に帰してくれたら、オレはお前らの言うことを何でも聞く。何でもだ。それで不満か?」
「…………」
 黒髪はナイフをポケットにしまい、尚子の足に絡まっていたロープを取り上げた。尚子は急いで立ち上がり、カバンを拾い、鋼のもとに駆け寄った。
「逃げよう、翼ちゃん」
「持ってて」
 鋼は、ウィンチェスターを尚子の胸に押し当てた。
「約束しちまったんだ。ここで破ったら、オレは……」
「今はそんなことを言っている場合じゃないよ! 何をされるか分からないよ?」
「大丈夫。オレを信じてくれよ」
 鋼は尚子の目を見た。尚子は、鋼の覚悟がゆるぎないと知ると、ウィンチェスターを受け取った。
「逃げて」
「……ごめんね!」
 尚子は、一目散にその場から逃げ去った。あとには、鋼、無傷の黒髪、そしてまたしてもボコされた3人がいた。
「忠告するけど、あんたらは絶対にオレの存在自体が嫌いになる。それでもよければ、まあ好きにしてくれよ」

Episode 5
 尚子は走った。が、どこをどう走れば家にたどり着くのか忘れてしまった。極度の錯乱状態に陥っていたのだ。
「どうしよう、鋼さん、鋼さん!」
 と、真後ろから自転車のベルが聞こえてきた。尚子は立ち止まって振り返ると、そこには1人の巡査がいた。
「きみ、こんな時間に、そんな鉄砲なんか持って、どうしたんだ!?」
「あ、あう、だから、その!」
「取り敢えず、交番まで来てくれ。いいね?」
「だっ、ダメ! 今、鋼さんが、鋼さんが危ないんです!」

 暗い裏路地に、5人はいた。
「散々な目に遭ったが、まあここは許してやろう。俺たちの下僕となってくれる覚悟に評してな」
 鋼は首根っこをつままれた猫のように、抵抗せずついてきた。そして、ビルのコンクリート壁に押し付けられると、一瞬意識が飛んだ。
「じゃあまず、どうしてもらおうかな。そこに這いつくばって、3回回ってワンと鳴いてくれよ」
 鋼は言われたとおり、地面にひざをついて四つん這いになって這い回り、ワンと鳴いた。
「いい子だ。じゃあ、次は、水を頭からかぶってぺったんこ座り」

「……というわけなんです! だからお願い、助けてください!」
「分かった。すぐに応援を呼ぼう。きみは、そこまで案内してくれないか。……もしもし、こちら清水。誘拐事件発生、すぐに来てほしい。繰り返す、こちら清水」
 尚子はウィンチェスターをきつく抱きしめ、鋼の無事を祈る。
「必ず助けるよ、鋼さん……!」

 ずぶぬれになり、帽子を剥ぎ取られた鋼は、4人の男たちを驚かせていた。はじめは妖狐だ、物の怪だ、食い殺されると叫んでいたが、黒髪は一声で沈めた。
「化けギツネだろうが物の怪だろうが、こいつはまだガキだ。さっきの銃、確かウィンチェスターってライフルも、もう手元にはない。言うことを聞きますってより、逃げられません、だからさ」
 鋼は立ち上がって、リュックのバンドを外した。そこからは、耳と同じく、異端の物体が姿を現した。そう、シッポだ。
「だから言っただろう、きっとオレを嫌うことになるって」
「別に嫌わないさ、これをどこぞの偉い学者に売れば、おれたちは大金持ちになれるかも知れないんだぜ?」
 いたよ、こういうのが。恐れていたパターンの人間が。
「でもその前に、教えてもらいたいことは教えてもらいたいよなぁ!」
「教えるって、何を……?」
 途端、下種3人衆は鋼に襲い掛かった。

 尚子は先ほど乱闘が起こった場所に、清水と名乗った巡査と戻ってきた。
「このあたりです。このあたりだったんです!」
「で、その鋼さんって人はどんな人なんだい?」
「ええと、あっ、それ、ニックネームです。本当の名前は、荒野翼、13歳の女の子です。天然の金髪に、帽子に、リュック」
「……変わった子だね。ニックネームにしても、鋼ちゃん、か。よし、聞き込みを開始しよう。危険だから、きみもぼくと一緒にいるんだ」
「はい」

 裸にひん剥かれた鋼は、よろよろとコンクリートの壁に寄りかかった。乱暴に脱がされたため、いくつかの服はもう着られない。おまけに体中には、黒い手のひらの手形が張り付いている。
「触られちゃった、遊ばれちゃった。あ〜あ、オレもここでおしまいか……」
「これから何されるか、よく分かっているじゃないか」
 黒髪の男は、おもむろにジーンズを脱ぎ捨てた。闇のせいもあるだろうが、鋼には男が持っている肉の塊が、世界で一番おぞましい物体に見えた。あるいは、自分を鋭く切り刻む最悪の凶器だろうか。
「さあ、教えてくれよ、興奮ってやつをよ!」
「……もう、限界」
「あ?」
「タイム、オーバーってやつ」
 途端、鋼はジャンプし、しゃがんできた黒髪の額を強く蹴り飛ばした。黒髪は白目をむき、地面に倒れた。
「はぁ、はぁ、死ぬかと、思った……」
「てっ、てんめ! 言うことは何でも聞くって言ったじゃねぇか! 違反だぞそれ!」
「いいや、約束は守ったはずだよ。だけど、オレは個数を言っていない」
 男たちは困惑した。
「いくらでも聞くとも、1つだけ聞くとも言っていない。上限を確かめなかったから、こういうことになるってことさ!」
 前のめりになった鋼は、急加速し、破れた自分の服をリーゼント男の顔面に押し当て、そのまま3連続で蹴り飛ばした。
「ぼへっ!」
「お次は!」
 鋼はスキンヘッドと金髪のほうも、足をなぎ払って踵落としを鳩尾に1発ずつ。黒髪とリーゼントは気絶、スキンヘッドと金髪は呼吸困難ということで、全員ゲームオーバー。最後に立っていたのは、金色のシッポと髪の毛をなびかせた、鋼だった。

 尚子と清水巡査は、探し回った。裏路地という裏路地を、徹底的に。そして、ここが妖しいと思う、一際薄暗い路地を、尚子は発見した。その一筋につながる暗闇を凝視していると、ひたひたと何者かの足音が、近づいてくる。
「……? ……はっ、鋼さん!」
 そこにいたのは、破れかぶれのスカートをパーカーの袖で巻きつけて固定し、シルバーのアクセサリーを飾った、黒いジャケットを着ているだけの、ボロボロになった鋼の姿があった。
「いました、おまわりさん! ……鋼さん、どうして、こんなにボロボロになって…… ケガはない? 汚されてない!?」
「平気だって、言っただろ……」
 力なく答える鋼。そこに、ポリスリボルバーを持った巡査が駆けつけてきた。
「動物の耳、それはカチューシャ? まあ、なんにしても、無事みたいだね」
「ええ。その通りの一番奥に、彼らはいます」
「分かった。今応援を呼んだ、もう、安心していいんだよ、鋼ちゃん」
 トランシーバーを握り、リボルバーを構えた巡査は、暗闇の中へと消えていった。鋼は、尚子の胸に力なく崩れ落ちた。
「尚ちゃんが信じてくれたから、オレは、何も奪われることなく帰ってこられたよ。でも、でも、すごく、怖かった……」
 尚子が鋼の背中に手を回した瞬間、鋼は泣き出した。
「怖かった。生まれて初めて、あんなに怖い思いをした…… 死ぬかと思った、もう、ダメかと、何度も思った……!」
「鋼さん……」
 泣きじゃくる鋼、その姿はまるで、本当の幼い少女のようだった。
 暗闇に響く少女の鳴き声。恐怖の闇の世界を、変ではあるが、ちょっとだけ照らしていた。
「鋼さん、もう、わたしのために1人で戦わなくていいんだよ。決めた。わたし、強くなる。今のような中途半端な強さじゃなくて、鋼さんを守れるほどに。絶対強くなって、もう鋼さんの足手まといにならないから」
「うわああああ!」

 しばらくしてパトカーが数台到着、4人の男は逮捕された。その際男たちは、さらった少女が物の怪だ妖狐だとわめいていたらしいが、誰1人として真に受けるものはいなかった。

 1ヵ月後、第3回銃技競技大会が開かれていた。“スナイプ(狙撃)クラス”、“チームサバイバルクラス”、“1×1バトルクラス”の3種目、すべて鋼はトップクラスで通過した。惜しくも、かつての銃仲間の1人がスナイプクラスで高得点をたたき出したため、優勝は彼に持っていかれ、鋼は準優勝に終わった。最後に、彼はかつての銃仲間と握手を交わし、今度こそ別れの意味も兼ね、微笑んだ。
「荒野翼。どうも鋼の影をきみに見ると思ったら、鋼の遠い親戚だったのか。生前、彼にはよくお世話になった。きみといい友達になれたら、俺はうれしい」
「おっ、わ、わたしもです。これからは、よろしくお願いします」
 今では荒野鋼という青年の形見である、荒野翼という少女にとってのウィンチェスター。だが、鋼の姿は変わっても、よき相棒であることに変わりはしなかった。
 そんな様子を、尚子は、遠くから眺めていた。少し涙ぐんだのは、気のせいかもしれない。

 5年後。

 少女はもう立派な女性へと変身を遂げていた。湖水地方に引っ越し、田舎暮らしを堪能している18歳の女性、翼。もとい鋼。
 鋼の日課は、朝は新聞配達、昼間はパソコンを使っての仕事、そして小さな畑の世話をしながら、銃の訓練。壁から内装から、全てが木で作られているペンション風の2階建ての家には、ソーラーが取り付けられてある。
 パソコンを打っていると、壁に立てかけた写真が目に入った。そこには、表彰台に並ぶ鋼と尚子の姿が。あの翌年に開かれた銃技大会で、尚子と鋼は対決、他の人を大きく引き離し、優勝と準優勝を飾ったのである。もちろん、優勝は鋼。金と銀のカップを手に、大喜 びをしているシーンが、いつ見ても眩しい。
 鋼がこっちに引っ越してきたのは、3年前。それと同時に、何故か尚子も1通の手紙を実家に送りつけたまま、連絡が取れなくなったらしい。だが最近、尚子の方から鋼にあてた手紙が送られてきた。
 近いうちに、会おうと。
 鋼ははしゃいだ。畑から取れた野菜と果物、そして磨きをかけた腕で、どんな料理を用意しようかと。

 湖水地方のある森から少し離れたバス停の前で、1人の背の高い男性が、道行く初老の女性に、紙に書いてある場所にはどこに行けば聞いていた。
「それなら、この道をまっすぐ行って、お地蔵さんのある十字路を左に行けば、見えるはずだよ」
「ありがとうございます」
「翼ちゃんの知り合いかね? あの子はとっても優しい子でね、この町にたまに下りてきては、いつも笑顔で挨拶してくれているよ。あんたなんかのような男にはもったいない娘さんだ。うぇっへっへっへ」
「あはは。翼とは、ちょっとした古い馴染みでして、今日は久しぶりに会おうかと。ありがとうございました」
 やや細く、長い髪を束ね、オレンジ色のベストを着、帽子をかぶったその青年は、声もやや高く、首も女性のように細い。少女コミックに出てきそうな、精悍な顔を持つ青年だった。腰には銃、どうやらオートマチック式の銃が、吊り下げられていた。

 木の枝から吊るされている空き缶は、ゆらゆら揺れている。10メートルは離れたところで、鋼はウィンチェスターを構え、立て続けに命中させる。
「無機質なものが相手じゃ、腕は上がらないか」
 鋼はケースにウィンチェスターをしまった。そのとき、背後から声が聞こえてきた。
「相変わらず、きみの腕はすごいね」
「えっ?」
 見ると、敷地を囲う柵と並ぶ、木製の門の前に、1人の男性が寄りかかっていた。
「久しぶり、荒野翼」
「あの、どこかでお会いしましたか?」
「無理もないか。随分変わっちゃったからね。じゃ、これで手合わせ願えないかな」
 突然、男は銃を取り出した。間違いない、それは、ディフェンダー。
 ディフェンダーを手にした男性は、それを抜くなり、バレルを握り、それを鈍器として振り上げ、鋼に襲い掛かってきた。鋼はライフルを構え、バレルでその攻撃を受け止めた。
 鋼はウィンチェスターのストックとバレルを、男はディフェンダーのグリップ底部を交差させ、激しい殴り合いに発展した。そんな中、男はとても楽しそうな表情で戦っていた。
 2人の間隔が離れ、男はバレルからグリップに持ち替え、鋼はウィンチェスターのレバーを引いた。2人同時に、引き金に指をかける。
 そして、しばしの静寂。
「驚いたな、何もかも」
「お久しぶり、鋼さん」
 自分の本当の名前を知っているのは、ごくわずかな人間。そして、ディフェンダーを持っているそんな人は、彼女しかいない。しかし彼は、その条件を満たしている。
「きみは、もしかして、尚ちゃん?」
「正解。へへぇ。3年もかけて、ここまで男になりました」
「……うそ」
「目の前の真実を受け止めない人を臆病者って言うんでしょ? 受け止めなさい」
「いや、ごめん。てか、どうしたの? もしかして尚ちゃん、性同一性障害だったとか?」
「ううん、まさかそんな。僕は、鋼さんのことが忘れられなかったから。いつも愛しい人、だけど許されない。だったら、条件を強引に変えてしまえばいいんだと思って」
「だから…… まったく、そこまでして……」
「今は、森谷尚哉って名乗っているんだ。よろしく、尚哉として」
「……ああ、よろしく。わたしは翼として」
 2人は銃をしまい、そして歩み寄った。お互いの存在を確かめるように、そっと抱き合った。そして、かすかなキス。

 始まりは、たった一撃の落雷だった。
 助けた子ギツネの体を借り、死んだはずの青年、荒野鋼は、再びこの世界によみがえることができた。戸惑いの毎日が続いた。だが、決して苦痛ばかりではなかった。尚子と出会うことができて、それからの毎日が楽しくて、鋼はとてもうれしかった。
 ところで、精神不安定に陥った雪乃はというと、鋼がいなくなった3年の間に、徐々に回復し、現実を受け止められるようになった。それでもまだ現実を受け止められずにいるのか、家事を放ったらかしにして仕事に精を出している。
 銀二のほうは、いまや立派なサラリーマン。そんな中、社立野球チームに所属し、テレビのドキュメンタリー番組に出演したこともあるほど、有名な人となっていた。

 そして、数ヵ月後。

「尚ちゃん、ただいまぁ。病院に行ってきました」
 鋼、改め翼は、尚子、改め尚哉に報告した。
「で、翼。吐き気のほうは大丈夫なの?」
「むしろ喜んでよ。赤ちゃん、それも双子! こんなうれしいニュース、ないと思うよ!」

あとがき
鋼 :まずありえないだろ、単なる落雷でさ!
尚子:まあまあ、単なるお話なんだからいいじゃん。
鋼 :で、珍しい設定だよな。ネコ耳ネコシッポならわかるけど、キツネだぜ、キツネ。しかも、爪も変色してて、マニキュア塗ってるみたいで変だし。
尚子:かわいいからいいじゃない。ところで鋼さん、鋼さんって銃好きだよね。作者は好きなのかな?
鋼 :じゃないの? ウェスタン系とか好きそう。多分、ゲーム“ワイルドアームズ”に影響されたんだと思うよ。あと、映画“荒野の用心棒”。オレの名前が荒野鋼って言うのも、多分そのあたりの影響だと思う。
尚子:はあ、鋼は?
鋼 :“鋼の錬金術師”だと思うよ。ハガレンの作者、荒川弘さんの最初の文字は「荒」だし、その文字に重ねたんだと思う。……相当な危険人物だね、作者は。
尚子:同感。じゃあ、わたしは?
鋼 :マラソンランナーの高橋尚子?
尚子:名前しか合っていませんから、残念!(波多陽区)



銀二:おいあんた、起きろって。
作者:んあ?
銀二:昼の12時。いつまで寝りゃ気が済むんだよ、このグータラ野郎が。
作者:ああ。僕に聞きたいことでも?
銀二:いい加減起きて、そのグータラ癖直しやがれ。それと、おれのウォークマン返せよ?
作者:ああ、きみのものは僕のもの。僕のものも僕のもの。作りの親に反発するもんじゃないぜ?
銀二:っせぇよ。で、この話は力作だと思いますかって。
作者:誰から?
銀二:読者。
作者:ああ、適当。だってさ、金にならないような話書くのって、結局お遊びだから、僕にとって。
銀二:小耳に挟んだことだけど、あんたの将来の目標ってば、あの夏目漱石超える、カリスマ小説家になることだろ? 小さなヘッポコトランス作品でも、力込めて書けよ!
作者:……そこまで言ったっけ?
銀二:ダメだこりゃ!(いかりや長介)

− この先 Another Episode −

Another Episode
 わたしは、七原動物病院の院長を務めている、七原優奈。
 住まいは、動物病院の2階。1人暮らしをしている。家族はいない。いても、患者の動物たちだ。プライベートの時間も、預からせてもらっている動物たちの世話をしに、1階の病院に降りてくることもある。
 でも、この日のように動物を預からず、シーンとしていることもある。それはそれで平和だ。
 明日はある人との待ち合わせがある。わたしが望んだのだ。だから、遅刻しないように早めに寝ておこう。

 翌朝、わたしは目覚ましとともに起きた。
 何気ない朝は、トーストとハムエッグで済ませる。粉末のコーヒーをお湯で溶かし、一服したあとに着替える。このコーヒーは、“西の夕日”という喫茶店のコーヒー“キャトル・セゾン”を持ち帰り用の粉末にしたもので、凄腕ガンマンからのお勧めの一品なのだ。ちなみにその喫茶店は、“ガンマンの吹き溜まり”という異名を持つ。
「ばーん」
 人差し指を適当な鉢植えに向け、一発放つ。

 ところで、皆さんは先々週の新聞を見ただろうか。
『動物耳のカチューシャの少女 連続引ったくり犯をぶちのめす』
 という見出しの記事だ。
 その子の名前は、荒野翼。13歳の少女。名前と年齢しか明らかになっていないその子は、警察の表彰式にも来なければ、報道陣をうまく巻いて逃げてしまう、とにかくシャイな子だと報道されてしまった。画面に映りたくないならせめて電話での応答をと頼まれても 、それさえも拒否。彼女の友達で、現役女子高生の少女に事の詳細を聞いても、翼に関することは何1つ答えなかった。
 必死になって答えても信じてもらえないこともあった。それは、翼にぶちのめされた4人組の証言。彼らは、翼はキツネの耳とシッポを持つ物の怪だというのだ。たかが1人の少女にぶちのめされたために起こした錯乱だと、誰もが判断した。
 わたしは、そんな彼女の秘密を全て知っている。

 全ては、1人の青年が大雨の日、1匹のメスの子ギツネを助けたことから始まった。
 青年の名は、荒野鋼。重機器会社に勤めるサラリーマンで、趣味は銃仲間たちとの銃撃戦。彼は桁外れな銃技の持ち主で、アマチュア銃技大会においては、他の人との点差を大きくつけ、あらゆる賞を受賞していた。そんな彼が、たった一撃の雷に打たれ、あっさりと この世を去ってしまった。
 ……はずだった。
 彼の葬儀の日、1人の少女が現れた。彼女はキツネの耳と尻尾、金色の髪をなびかせ、自らを荒野鋼と名乗っていた。そう、彼女こそ、青年荒野鋼の魂を引き継ぎ、生まれ変わった姿だったのだ。

 さて、電車に乗って向かった先は、遊園地。
 チケット売り場には、彼女がいた。そう、荒野翼だった。
「お待たせ、翼ちゃん!」
 わたしは彼女のことを、普段は「鋼さん」と呼ぶ。けどここは人前だ、かつての青年の名で呼ぶわけには行かない。
「んじゃ、行きますか」
 チケットをゲートに通し、わたしたちは入場した。
 ジェットコースター、メリーゴーランド、水族館、お化け屋敷…… たくさんのアトラクションを見て回った。
 昼ごろ、アイスクリームを片手に、わたしたちは観覧車に乗っていた。そろって、右手で持って左手を添え、足をそろえて行儀よく食べていた。わたしは仕事上のくせで、髪をゴムで留めているけれど、鋼さんは伸びてきた邪魔な髪を、持ち替えて後ろに追いやって。
「鋼さん……」
「はい?」
「あの事件のあと、何かありましたか?」
「なっ、何故ですか?」
「いえ、随分と女の子らしさが出てきたなと思いまして」
 わたしの唐突の発言に、鋼さんはアイスクリームを顔面に押し付け、むせた。
「おっ、オレは鋼です、そんなことはありません!」
「いいえ、随分可愛らしくなっていますよ。その服装もそうですし、仕草だって」
 今日の彼女の服装は、赤いパーカーに銀のアクセサリー、緑色のワッペンが左側に飾られたスカート。靴もエナメル製の厚底で、右手首にはミサンガの様な、ちょっと違うアクセサリー。服装、装備品意外については、顔を見ただけで分かる。口紅をしているわけでも 、顔にメイクを施しているわけでもないのに、手入れが行き届いているらしいつややかな肌をしている。
「あの子、森谷尚子ちゃんに聞きましたよ」
「何を、ですか?」
「1度だけ、あなたは泣いたって」
「泣い……」
「あの犯人たちを叩きのめして、無事に帰ってきて、だけど生まれて初めて怖い思いをしたって。その時泣いていた鋼さんは、24歳の青年なんかじゃない、13歳の少女そのものだったって。そして、今までで一番愛おしく思えたって」
「…………」
「素直になったらどうですか?」
「オレは素直です! オレは24歳の男、荒野鋼です! オレは、オレは…… 内側まで変わるつもりはありません!」
「そう思いたい気持ちは分かりますが、鋼さんは確実に変わってきています。今のあなたは、いつまでも青年荒野鋼でいたいと強がりを張っているだけです」
 その言葉に、鋼さんは黙った。
 観覧車が天辺まで差し掛かったとき、そろそろアイスクリームが溶け始めた。
「じゃあ…… じゃあ、オレはどっちで生きていけばいいんですか? 鋼にも戻れない、翼にもなりきれない、どっちにもいられないオレは」
「所詮はレッテルです」
 わたしは、溶けたアイスが手に届く前に、コーンごとかじった。
「はい?」
「荒野鋼という名前も、荒野翼という肩書きも、所詮は、自分はここにいるんだと人に示すためのレッテルなのです。でもその内側にいるのは、確かにあなたなんです。鋼さんはもうずっとその体と付き合っていかなければならないのですから、覚悟は決めた方がいいと 思いますよ」
「…………」
「大丈夫。なるようになります。無理して自分を抑えることも、急いで変わることもありません。あのときの涙を境に、確かに鋼さんは女の子らしくなっているのですから」

 閉園間際、園内レストランで軽い食事を取り、わたしたちは出た。手にはお土産の山。
「今日は、ありがとうございました」
 鋼さんは可愛らしい表情で、そう言った。
「オレはこれから、徐々に変わっていってしまうんだろうな……」
「…………」
「でも、もう恐れない。オレが24年間、荒野鋼として生きた過去が消えることは、ないんだから」
「ええ。……そろそろリニアモーターカーが来ます。急ぎましょう」
 遊園地をあとにするたくさんの客が、わたしたちと一緒にリニアモーターカーのチケットを改札に通してゆく。笑顔で帰路につく人たちとともに、わたしたちは楽しい1日を終えた。

− Fin −



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