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 誰だろう?

 

 頭の中でそう思う。様子からすると、目の前にいる男の子は僕を誰だか知っているみたいだ。

 でも、僕は自分の事さえよく分からない。

 そう、それが僕。

 自分の名前も、特徴も、親も、友達も、一緒に笑っている男の子さえ、何も分からない。

 何も分からないんだから、恐怖さえなかった。多分、僕は何かをなくしたんだろうけど、それが大切な物なのか、どうでも良いことなのかさえ分からない。だって、何も分からないんだから。

 

 分からない。

 分からない。

 何も…。

 

 はは、これじゃ生まれたての赤ん坊みたいだ。そう思うと馬鹿みたいで、笑いが出た。でもそれは、楽しい笑みじゃなかった。

 何も籠もっていない、乾いた笑み。

 それが出るのはどういうときだろうか。

 悲しいとき? 苦しいとき? 寂しいとき? それとも―――

 

 そんなことを考えてる間も、男の子は笑っている。苦しい笑い声。とても悲しい。でも、泣き声には変わらない。そんな、不思議な笑い。

 

 それは、僕と同じ笑みだろうか。

 

 分からない。何も分からない。

 

 だけど。

 

 この男の子に、こんな笑いをして欲しくなかった。させちゃいけないような気がした。何も分からないのに。

 

 それだけは、しっかりと思えたんだ。

 

 

 


淡い夏
〜After Ending〜
作:ゆぐどらしる

 

「――――であって、ここはこの公式に当てはめ―――」

 異常なほどの熱気に包まれた教室で、教師の声だけが響く。

 正直、ここまでして習うべき事があるのかと思う。

 こんな事は冷房の設定温度を18℃にしてからやるべきだ。即席サウナ状態になった教室なんかで勉強なんか出来るもんか。

 でも、僕の言った通りに冷房を操作しても体力の無駄だ。

 

 だって冷房という人類最高の発明品は故障して何の動きも見せないんだから。

 

 僕は恨めしく壊れた冷房を睨む。こんな急場で壊れるなんて最悪だ。いや、急場だからこそ壊れたのかもしれない。

 いずれにしても、これは緊急事態だ。無線で知らせるとしたらメイデイ。つまり無線機があったらその単語を連呼するくらいの状況ってこと。

「もういや…」

 こんな授業がここ一週間ずっと続いている。九月一日の始業式が終わり、丁度みんなが帰ってきたところで冷房は息を引き取った。原因は不明。だから修理も難航を極めているらしい。なんでもいいから直して欲しい。それがここ最近のクラスの願いだ。

 全開になり、虫とかも遠慮なくダイブしてくる空間を見ながら僕は今までの事を思い出す。

 

 と言っても、一週間ちょっと前だけどね。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ここが、僕の学校……なんだよね?」

「そうだ」

 隣の男の子はうっすら茶色掛かってる校舎を見上げながら言った。僕も倣って見上げてみる。

 ……そうなんだなぁ。

 そんな感想しか湧かないのは記憶がないんだから仕方ないんだろう。

 でも、それは心の中に留めておく。そう言ってしまったら隣の男の子がまた笑うかもしれないから。

「で、お前って二学期からもう通うのか?」

「ん、一応そのつもり。紀角(きずみ)先生もいつ退院してもいいって言ってたし」

 そう言って笑ってみるが、男の子はこっちを向かない。

 ……僕がいると、苦しいのかな?

 そう思ったけど、続きは考えないようにした。

 もし、僕が隣にいると苦しいっていうなら離れればいいだけ。

 でも、それは僕にはそれをしようと思うことが出来なかった。

 僕が離れても、あの笑顔はまた出てくると思ったから。

 理屈とかじゃないし、感情とかでもない。

 ただ、この人に、あんな笑みをさせたくない。それだけ。

「………」

「…次はどうする? 友達にでも会いに行くか?」

「そうだね…。そうする」

 僕は記憶喪失だ。

 先生にも言われたし、実際に記憶だってない。間違いなく、そうなんだろう。

 病院である程度の説明は受けた。僕の名前は美浦 稜(みうら りょう)っていって、かなり厄介な病気に掛かっていた。それで手術して、直った。けど機械の故障のせいで記憶喪失になった。

 そんな感じのことを聞かされた。でも感想は「へぇ、そうなんだ」だけ。

 だってそうでしょ? 記憶ないのにそんなこと言われてもさ。

 あと、元々男の子だってことも言ってたなぁ。はんいんよう? がどうたらこうたら…。どうやら僕の人生は少々特殊なものになってるらしい。

 で、今は僕が起きてから次の日。夏休み最後の日。だからと言って、夏が終わる訳じゃない。これからも何週間かは暑さが続くだろう。

 今日は病院から出て、ある男の子と一緒に学校などの、自分が行っていた場所などを見て回った。ある男の子とは僕が起きてほとんどすぐに見た男の子だ。名前は藤村 光一(ふじむら こういち)って言ってた。特に特徴がある訳ではないんだけど、その名前はやけにしっかりと記憶に刻まれた。

 ちなみにこの行動は、記憶が戻る、なんて期待を持っているからした訳じゃない。先生の話によれば、脳細胞ごと死んでるらしいから戻ることはない。これは明日から学校に行く為の下調べみたいなもの。

 外はもう夕方で、世界は真っ赤だ。

「………暑いねぇ」

「ああ、ホントに暑い」

 もっと楽しい話題はないのかと言われると困るしかないんだけど、今はこんなことしかできない。

 光一くんがいきなり立ち止まった。

「どうしたの?」

「ここがお前の友達の家だ。名前は実田 徳(さねだ のり)。この際、『メガネ原人』と読んでもいいぞ」

「うわぁ、でっっか」

 光一くんの説明を半分くらい聞き流して見ると隣にはなかなかの豪邸が建っていた。

 三階建てで、広さはかなりのものだ。庭だけで多分普通の家くらいある。

 ともかく、豪邸だった。

 僕の友達はお金持ちだったのかぁ…。何か奢って貰ったりしたのかな。

 と、光一くんは僕の反応を見て笑った。心底可笑しそうな笑い。

「あれ? 僕、なんか変だった?」

「違う違う。お前の反応が昔この家見たときの反応と全くいっしょだったから笑っただけ」

 言うと、すぐにその笑いは消えた。また何処か遠くを見てるような表情。

 ……きっと、前の僕を見てるんだろうね…。

 そう思うと少し悲しくなった。

「よし、やるぞ」

 光一くんは急に身構えたって、え?

「え? え? い、一体何を…?」

「こいつの家でインターホン鳴らす時は決まりがあってな。何でも、五秒以内に五十連射以上しなけきゃならないらしい」

「僕の友達って…一体…」

「一回ミスった時、インターホンから警報音鳴り響いて警察とか来たなぁ」

 ………かなり変な人なんだな、ここの友達。

「では、参る」

 まるで決闘前の武士みたいな事を言って、インターホンの連射を開始した。するとインターホンの上に数字が表示され、どんどん変わっていく。多分、カウントダウンなんだろう。

「うおぉぉおおおおおお!!」

 声まで出して必死に連射する光一くん。す、すごい連射だ…。手が指の残像が沢山見える。

「おっしゃあぁあ!! 自己ベストで六十!!」

 そう言ってガッツポーズを決める。……僕もこんな事をやっていたんだろうか。今はまるで出来る気がしない。

 インターホンからガチャ、と音が聞こえて声が響く。

『記録更新おめでとう。とりあえず、君には“連射マン”のあだ名が付きます』

「止めろボケ。っていうか冷やすもん持ってこい。指痛い…」

 やっぱりあれはかなりの負担があるみたいだ。

『ふん、情けない。この由緒正しき儀式は俺にゲームで勝負出来るかを見極める物だ。これくらいの連射が出来ない奴にこの門を通る資格はない』

 ……何故、ゲームで勝負しなきゃならないんだろう…。

「俺はそんなお前が哀れで付き合ってやってるが、そろそろ飽きた。お前のおやっさんに密告してもいいんだぞ?」

「御免なさい許してくださいもうしません」

 と、門の裏から誰か飛び出してきた。この人がきっと実田 徳くんなんだろう。メガネをかけていて、頭が良さそうだなぁ。

「言っとくが、コイツの頭は茶色くなったヘチマ並みにスカスカだぞ」

「え? 僕、頭良さそうなんて一言も言ってないけど…」

「ただの勘だ」

 本当に勘だろうか。もしかして、前の僕も同じようなことを思ったっていう事を知っていたのかもしれない。

「とりあえずコイツの馬鹿さ加減は分かったな? 次行くぞ」

「おお! 馬鹿とは男にとって最大の賛辞だ!! ありがとう!」

 光一くんはうんざりしたように背を向ける。

「ってちょっと待てコラ! 俺は稜と全然話してないぞ!」

「じゃあ四字熟語で今の気持ちを表してください」

「え? え〜と…喜怒哀楽?」

「い、意味分かんないよっ!」

 思わず突っ込む僕に徳くんは振り向く。

「おお、それでこそ我が友。俺はいつか地球を吹き飛ばす予定の実田 徳だ。ともかく、退院おめでとうな、稜」

 徳くんは凄く嬉しそうに笑って言ってくれた。僕は少し戸惑ったけど、笑い返した。困った顔を見たいなんて誰も思ったないだろうから。

「コイツはまだ退院してねぇよボケナス」

「今のは前祝いだ間抜け」

 どちらも苦笑して、

「じゃ、もう一つ行くとこあるから」

「おう」

 別れの挨拶をした。僕も慌てて言う。

「ま、またね!」

「おう、学校でな」

 そう言う徳くんの顔は満面の笑みだった。でも、少しだけ悲しそうだったかもしれない。

「ふぅ……面白いなぁ、徳くんって」

「相手にすると疲れるぞ。まあ、まともに相手出来るのは俺くらいか」

 確かに、僕じゃ対処しきれないね。

「次ってどんな人なの?」

「女で凶暴で、少なくとも三人は病院送りにしてる鬼神だ」

「………僕、会うのが谷底にバンジージャンプするくらい恐くなったんだけど」

 うわぁ…嫌だなぁ。もしかして、族とかそういう系の人なの?

「俺に対しては鬼神だが…お前だったら大丈夫かな」

「駄目だったら?」

「………人生、どうにもならないことはあるもんだ」

「何遠回しに悟ってんだよっ!!」

 ホントにもう…。人の不安を煽るのが上手いなぁ…。

 そんな馬鹿話をしていると、光一くんが急にある家の前で止まった。

「家は普通だが、住んでる奴は普通じゃない。女のくせに身長二メートル近くあるし、一人でこの街のヤクザ全滅させたっていう伝説まで―――」

「それは私のことだったりする訳?」

 光一くんと僕は同時にビクッとした後、振り返った。

 そこにはショートカットでスラッとした活発そうな女の子がいた。

「光一くん、君は記憶喪失の子に何あることないとこ吹き込んでるのかなぁ?」

 場合によっては恐ろしい笑顔もある。僕はなくなった記憶の中にその感覚を刻み込んだ。

「い、いえ、千波様。それは右隣の家の人のことでありまして、決してこの家に住んでいる人のことじゃ…」

「右隣はアンタの家でしょうがぁっ!!」

 次の瞬間、張り手が飛ぶと確信していた僕は、握り拳が光一くんの顔面に突き刺さったのを見て唖然となった。

「ふぅ、馬鹿の駆除も毎日だと疲れるわね…。ああ、御免。驚いちゃった?」

「それはもう…」

 まだ暖かいコンクリートの上でピクピクしている光一くんを見ながら言う。

「大丈夫よ。毎日やってる事だから。ほら! 効いた振りして寝てんじゃないの!!」

 光一くんはゆっくりと身体を起こした。効いた振りじゃないのは明らかだった。

「………俺は…青い猫型ロボットが出てくるアニメの主人公並みに不幸だ」

「え〜、と…私の名前は早瀬 千波(はやせ ちなみ)よ。本当は暴力なんて出来ないのよ? 学校では優しいって有名なんだから」

 何故か寒気がするような声で言い聞かせられた。もちろん僕は高速で頷くことしかできない。

「……いや、別に無視くらい馴れたけどね」

 そう言って悲壮感が溢れた立ち上がり方を見せた光一くん。

 二人の行動と反応を見て、僕は一つの予想を口にした。

「あ、あの…二人は……付き合ってるの?」

 多分、二人同時に「ぶっ!!」と言ったと思う。

「あ、ああんたねぇ…あれを見て付き合ってるって思うの!?」

「そうだぞ! こんなもんと付き合う奴はよっぽど切羽詰まった馬鹿しか―――」

「あの世へ行ってこい!!」

 今度は蹴り飛ばされた。

「効いた…今の、効いた」

 綺麗に回転運動しながら地面に転がった光一くんはもう瀕死に近い状態みたい…。

「あ、あの…そろそろ止めてあげないと…」

「………御免なさいね。アイツがいるとどうもこんな感じに…」

 落ち着く為に深呼吸を二、三回する千波さん。

 ……とってもハードな関係だな…。

「とにかく、アレとは腐れ縁よ。多分、どっちか死ぬまで顔を合わせるんでしょうね…」

 はぁ、とため息を吐く。うんざりした、と言わんばかりの態度だけど…

「嬉し、そうですね」

「………やっぱり分かっちゃうか。気付かないのはアイツだけ…。何だか最近アホらしくなってきたわ」

 転がって呻いている光一くんを見て苦笑。

「でも、これは叶わない願いよ…。だって、彼はあなたが好きなんだから」

「え?」

 光一くんは僕のことが好き?

「ほ、本当ですか?」

「コラ、敬語なんて使わないの。同じ歳なのに」

 注意された僕は慌てて言い直す。

「本当に?」

「誰が好きでもない子の病室に一人で入るのよ」

 さも当たり前のように言われて、呆然となった。

 確かに…そうなのかもしれない。でも…それは…

「それは前の僕で、今の僕じゃない…」

「…………」

「じゃあ、僕はどうなるんだろう…」

 何も知らない自分。彼は僕を見るけど、僕を見てくれない。

「ふぁ…」

 分からない。全く分からないけど、涙が出た。一粒出た涙は、二つ、三つと続いて出る。

 と、いきなり引き寄せられた。

「馬鹿…何泣いてるの。確かに、アイツはまだあなたを見てないかもしれない。でもね、それを止めさせるのはあなたよ。しっかりと自分の存在を見せなきゃ。そうすれば…どんなに鈍感でもいつか気付くでしょ」

 千波さんは笑った。それは徳くんのと似ていた。

「そう、なのかなぁ…」

「そうなの」

 千波さんは断言した。

「私はそれが出来なくて、気付いてもらえなかったけど、あなたはまだ出来るのよ。あなたは…光一のこと、好き?」

「分からないけど…離れたくない」

「なら、するしかないわ。アイツを、まだ現実から逃げてるアイツを叩き起こして引きずり戻すの」

 僕はただ頷いた。

 千波さんはよし、と言って、僕の涙を拭いてくれた。まるで、お姉さんみたいだな…。

「もう夜遅いからそこの馬鹿に送ってもらいなさい。あんなんでも護衛くらいにはなるでしょ」

「え? でも光一くんの家はそこなんじゃ…」

「気にしない気にしない。最近運動不足っぽいから丁度いいわよ」

 ……この人と結婚した人は永遠に尻に引かれるんだろうなぁ…。

 僕はそんな悲惨な状態になるであろう誰とも知らぬ人に同情した。 

「ほら寝てないで立つ! しっかり稜くんを守るのよ!」

 と思った矢先、光一くんは身体を蹴り上げられ、強制的に立たされた。

「あ、あの…もう護衛とか出来る状態じゃないんすけど…」

「男が情けないこと言わない。ほら行った行った」

 ドン、と押され倒れそうになりながら僕の横に立ってくれた。それが何となく嬉しくて笑みになる。

「人がボロボロ強制労働されてるのに笑うか…」

「うん、笑う」

 鬼め、と言われたけど気にしない。まあ、可哀想だとは思う。でも、それ以上に…

「……んじゃ、帰るか」

「うん!」

 このまま、隣にいて欲しかったから。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 で、それから一週間経つけど、何も変わってないと思う。それは良いことみたいで、駄目なことでもあるような気がする。

「ふはぁ〜」

 とびっきり特大のため息を吐く。あまりの空気量に身体がしぼみそう。

 ………光一くんは、まだ僕を見てはくれない…。

 気になって光一くんがいる席を見てみると……あらぁ…教科書とかノートとか汗でふやけてるよ…。

 光一くんはその上に突っ伏してて、動かない。しばらくじっと見てみるけど、やっぱり動かない。心なしか、呼吸さえしてないような気がする。

「悪いのは…僕なんだけどね…」

 でも、少しくらい気付いたりしてくれないだろうか…。でも、駄目くさいなぁ…、千波さんの話だと異常に鈍感だって言ってたし。

 前の僕は…あの人のこと、好きだったのかな…。

 きっとそうだと思う。何の根拠もないけど。素直に告白とかしたのかなぁ…。

 してたらいいなと思う。だったら僕にも出来そうな気がするから。

 え? あれ? ………ちょっと待って。

「もしかしなくてもハードゲイ勃発!?」

 もう少しで休み時間で、みんな生死の境で頑張っている教室に僕の叫び声が響く。しかもやけに反響して。

 僕は馬鹿だ。そう後悔した時にはもう後の祭りだった。

「…………美浦、お前も手術とかあっていろいろ大変だったんだろう…。保健室に行ってきなさい」

 うわぁ、凄い哀れな感じで見られてるよ、僕。しかもクラス全員に。

「い、いえ! 僕、いたって正常ですから!!」

 そう言って顔を伏せる。

「…………………そうか」

 何で答えるまでそんなに間があるの? 何でみんなは悲しそうに目を瞑ってるの?

「うぅ……」

 何だか悲しくなってきた僕はちょっと泣いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「でも、そうなっちゃうよね…」

 涼む為に図書室に来た僕は一人で呟く。

 前の僕は男の子だった。先生はそう言ってたし、信じられないなら…その…あの…き、切り取ったのを見せるとか言うから必死に首を横へと振った。

 とにかく、本当なんだろう。「僕」っていう一人称もそのせいだと思う。

「少なくとも…光一くんはそうなるね」

 男の子が男の子を好きなのを何というか。世間一般ではゲイとかホモとか言う。

 でも、僕は何か理由があったんじゃないかって思う。い、いくら何でも幼なじみの友達を好きになるなんてそんな…。

 いや、待って。待つんだ僕。確か僕は“元々”女の子だから、問題ないんじゃない? そ、そうだよ。光一くんもきっとそれを知ってて好きになったんだ。うん、そうだ。

「光一くんはノーマルなんだ…!」

 それが分かると僕は図書室で深く頷いた。

「でも男として生まれ育ったなら精神は男。よって光一は…」

「そ、そんな…ってうわぁっ!? へ、変態!」

 思わず素直な感想が出てしまった。

 それを聞いた男の子はがくっと膝を折って俯く。

「へ、変態って…遂に言われちゃった…」

「ご、御免徳くん! でも急に生えるからびっくりして…」

「若干俺の出現の仕方がけなされたような気がするが…」

「き、気のせいってことで…」

 むむう、とか唸ってる徳くん。……僕の周りにはまともな人いないのかな…。

「で、でも! 光一くんはホモとかじゃ…」

「ああ、違う。あれはバイだ」

 バ……。

「そ、それって…あの…どっちもオッケーっていうあの…」

「それだ。あいつには早瀬もいるからな。つまり光一はどっちにも手ぇ出し―――」

 急に徳くんの声が止まった。いや、止めさせられた。

 何か後ろから手が伸びてきて、徳くんの首を掴んだ。必要以上に指が食い込んで見えるのは絶対に気のせいなんかじゃない。

「こ、光一くん…」

「本来、勉強と読書をすべき場で何をしておいでかな? メガネ猿」

 この人も急に現れるな…。

「って、な、何で光一くんがここに…?」

「俺が図書委員じゃ悪いか?」

 うわぁ、新事実発覚だぁ…。

「りょ、稜にこの世の正しい姿を教えていただけだ…」

「それは絶対に正しいと誓えるか?」

「形だけなら」

「それは残念ながら意味を成さないな」

 さらに指が食い込む。徳くんは…なんだか口から蟹みたいに泡を吹きだしてる。

「って光一くん! 徳くん完全に死ぬ一歩手前だよっ!」

 慌てて言うと、光一くんは「チッ」と舌打ちして離した。

「まあ、自業自得だな。お前も…」

「ひ……」

 睨まれた僕は身構える。

「…勝手な憶測で判断するな。それに…」

 迷ったように一拍置いて、

「関係ないんだよ、お前には」

 その言葉は心に刺さった。

「………関係、ない?」

「ああ、ない。これは俺と…いや、俺のことだ」

 涙が、出た。止まらない。次々と流れ出る。

「う…ふぅう……ば……か…」

「あ?」

 聞こえなかったみたいだ。僕は悲しいのと腹が立つのでいっぱいになった。

「この馬鹿ぁ!!!」

「な…!!」

 周りが注目するのも無視して叫んだ。まるで気にならない。それくらい、悔しかった。

 この人は、やっぱり僕を見てくれない…。

「おい! 叫ぶなって!」

 慌てて言う彼の言葉も、まるで耳に入らない。

「うるさいっ!! 馬鹿!! アホ!! 間抜け!!」

「言い過ぎだろ! それ!」

 流石に言われっぱなしは嫌らしい。言い返してきた。けど止まらない。

「関係ないって何!? 僕は稜なのに、関係ない訳ないっ!!」

 自分でも意味が分からないことを言っていると思った。それでも通じたみたい。

「………違うんだよ。お前は稜だけど、稜じゃないんだ。だから…関わるな」

 まるで絞り出すような声。その声は…僕の奥に届いて、暴れた。

「…………やっぱり、見てくれないの?」

「え?」

 僕は疑問の声を背に受けて図書室から飛び出した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「あ〜あ、美少女を泣かしてくれやがってこの野郎。お前は世界を敵にした」

 足下から馬鹿の声が聞こえてくる。言ってる内容も馬鹿だから救いようがない。

「…踏ん切りは、つけなきゃいけないんだよ。あいつは稜とは違うんだ」

「ふぅん…。そんなもんか」

 馬鹿はゆっくり立ち上がると、言った。

「まあ、早くここから出るこったな。袋叩きにされんぞ?」

 そう言えば、周りから何か殺気らしきものが飛んできている。そんなに五月蠅かったんだろうか…?

「お、おう」

 俺は慌てて廊下に出た。その廊下には、雨なんか降ってないのに水滴が落ちた跡があった。

「………」

 本当に救いようがないのは俺なのかな…。口では偉そうなこと言ったけど、俺は踏ん切りなんてつけられてない。まだ、稜にしがみついている。あいつと一緒に徳の家とかに行った時、戻ったら、なんて救いようもない希望を持っていた。今も、まだ心の奥では…。

「はっ…駄目ってのはこのことだな」

「ああ、駄目だな。女の子泣かせるなんて…」

「そっちじゃねぇよ馬鹿野郎」

 多分、今もまだ泣いているあいつを想像した。あいつは稜と同じ。外見も、口調も、仕草も。でも、違うんだ。稜はもういないんだ。そんなこと、分かり切ってるのに…。

「大丈夫か? お前」

 唐突に徳が訊いてきた。何となく分かってるけど、訊き返す。

「何が」

「しっかり稜を踏ん切れるか、ってことだ」

 やっぱりばれてるな。俺はどうやら嘘は吐けない体質のようだ。

「…分からない」

 徳は豪快にため息を吐いた。

「しっかりしろよお前。じゃないと稜は俺が貰うぜ?」

「まあ、無理だな。お前に気があるとは到底思えない」

「そこまで言うか…」

「ああ、どこまでも言ってやるぜ」

 くだらないことを話して、時間が過ぎていく。

 

 もう一度、心からこんな馬鹿話を楽しめるだろうか。

 そんなことを、思った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「馬鹿ねぇ。どっちも」

「ふぁ?」

 泣きながら抱きついて、多分、支離滅裂になってる説明をしたあと、即座にそう言われた。

「あのね、あなたはあいつにちゃんと向き合って貰いたいんでしょ? なのに何で自分を稜だって言うのよ」

 それは、そうだけど…。

「で、でも…関係ないって言われて、真っ白になって…あれは光一くんが馬鹿なだけだよ!」

「はいはい、言ってる意味がまるで分からないわよ。ともかく、あなたは訳も分からずに稜にしがみついたのよ」

 全然、意味が分からない。

「え〜、と…要約すると?」

「………テストとかは出来るのに何でそうかなぁ…」

 困ったような笑みを見せて千波さんは説明してくれた。

「う〜んとね、多分、あの馬鹿は口ではそんなこと言ってもあなたを稜として見ちゃってるの。その光一が見てる『稜』になりたくて、あなたはしがみついたの。だから、自分が稜だって言った」

 つまり、見て欲しいと思って、自分からそうできないようなことを言ったの…?

「………ホントに…馬鹿だね、僕」

 自分で呆れる。結局、何も分かってないんだ。何も…。

 そう思う僕に千波さんは追い打ちをかけた。

「そう、馬鹿ね。でもね、それでも頑張らなきゃ。あいつはまだ夢の中よ。叩き起こしなさい。眠れる森の美女みたいに!」

「た、立場逆のような気がするんだけど…」

 しかもあれは叩き起こすんじゃなくて、キスで起きる話じゃ…。

 でも、と僕は思う。

 頑張ろう。もしかしたら、ずっと見てくれないかもしれないけど、それでも頑張るんだ。

 

 あんな笑顔はさせないって、決めたんだから。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 あれから三日経って、土曜日。

「…………」

 俺は家から五分の所にある三坂駅で棒立ちしていた。

 このクソ暑いのに馬鹿かという意見はもっともだが、文句はこれから来る奴に言ってくれ。

 何故、こういうことになったのかは説明しておきたい。俺の心労回復の為に。

 

 

 

 あいつと喧嘩して、帰ってきたら電話が掛かってきた。まるで待っていたとでも言うように。

 それに出て用件を聞いた俺は、

「………………いろいろまとめて一言で言うと…何で?」

『え、え? やっぱり無理?』

 受話器から聞こえる心配そうな声に頭を抱えた。

「いや無理とかそういう次元じゃなくて…」

 相手はあいつだ。喧嘩別れしたのに呑気に電話かけてきやがった。

 しかも内容がもっとふざけていた。

 

『で、デートしたいんだけど…駄目?』

 

 俺は稜とこいつに区切りをつける為に距離を置いたのに、何してくれてんだこの馬鹿。

 ともかく、ここは当たり障りないように断ろう。

「悪いな。今週の土曜は俺の祖父さんの三回忌なんだ」

『そ、そうなんだ…』

 電話越しでも落ち込んでいるのがよく分かる。少し心が痛むが、これが一番だ。

 と、いきなり電話の向こうが騒がしくなった。何やら討論をしているらしい。

『貸しなさいって!』

『え? で、でも…』

『いいから貸せっ!』

 どうやら誰かに受話器を取られたようだ。

『あんた、何で断るの?』

 ゲ、千波…。

 少しビビったが、俺は落ち着いて返す。

「そこにいる奴に言った通りだ」

『な・に・がお祖父さんの三回忌よ!! あんたのお祖父さん、ぴんぴんしてるでしょ!!』

 し、しまった。こいつには家庭内事情が垂れ流し状態だったんだ…。

「い、いや祖母さんの間違いだった!」

 実際に祖母さんはもう亡くなっている。

『あんたのお祖母さんの命日は一昨日だけど御存知?』

 も、もう駄目だ…。

「すいません。嘘吐きました」

『私に謝っても意味ないのよ! 稜くんに謝りなさい!』

「悪い。あんなことあったばっかだから、つい…」

 嘘だ。

『ううん、いいよ。それで…やっぱり嫌?』

 くっ…。このまま嫌っていうのは凄く負けな気がする…。

 だから仕方なしに言った。

「……昼間泣かせたし、嘘吐いたのもある。してやるよ」

 

 

 

 と、そんな具合でこういう状況にある訳だが…

「遅…」

 約束の時間を三十分オーバーだ。この暑さの中、これはキツい。

「もしかしてこれは仕返しか? 俺は今、罪をあがなっているのか?」

 などと馬鹿なことを呟いても暑さがなくなる訳でもなく、ひたすら汗を流す。

「お、お待たせ…」

「うぉ!?」

 背後から急に声を掛けられビクッとする俺。

「お前ふざけ―――」

 振り返り絶句する。

 この遅刻馬鹿は…何というか…凄かった。

 格好が普通じゃない。いや、普通なのかもしれないけどこいつの場合は普通じゃない。

 その何故かフリルが沢山付いた、白くてスカートになってる服を着ていた。麦わら帽子まで被ってる。

 おかしい、と俺は考えた。

 だってこいつの家には男物の服しかないはずなのに…。

「へへへ、似合う?」

 似合っていた。気持ち悪いくらい。これが元男だと思うと身体が痒くなる。

「どこで買ったんだ、そんなもん…」

「うん。千波さんがね、選んでくれて」

 嬉しそうに微笑む顔には薄くだが、化粧がしてあった。あ、やべぇ…可愛いとか思っちまった。

 全ては千波の差し金なのだと気付いた時にはもう遅かった。

「ふ…一生あいつには敵わないんだろうな…」

 格好良く悟ってみるが、虚しくなっただけだった。

「?? とりあえず行こっか!」

 ため息を吐く俺は心底嬉しそうな女の子に手を引かれて歩き始めた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「しかしベタベタだな…」

 僕たちの目の前にはジェットコースターや観覧車といった遊園地にはお決まりの乗り物があった。

「ご、御免…ここ以外思いつかなくて…」

 本心だ。あと、思いつくところっていったら映画くらいしかない。でもそれだと間がもたないような気がしたからここに変更した。

 今回、こんな突飛な行動をしたのは千波さんに言われたからじゃない。自分でそう考えたんだ。千波さんは協力してくれただけ。光一くんは多分、全部千波さんのやったことだと思ってるだろうな…。

 理由は…僕と『稜』をはっきりと分けて貰う為。

 だから目一杯可愛くした。前の僕は女の子だって分かってからずっと病院にいたみたいだから、こういう服とかも来たことなかったんだろう。だから見た目も変えて、僕を見て貰えるようにしたんだ。

 効果は…どうなんだろう? 作戦は、成功してるんだろうか?

「ね、どれ乗る?」

 様子を伺ってもよく分からないから、とりあえず訊いてみる。

「じゃあアレ」

 指差した先にあるのはちょっと有名な大きいジェットコースター。

 ちょっと恐いけど、いいか。そう考えて僕は頷いた。

「それじゃ券買ってくるから」

 そう言って走っていく。と、ある程度行ったところでいきなり逆走してきた。

「え? 何? どうしたの?」

「乗り物変更だ。アレに乗るぞ」

 彼の見る先を見るとそこには観覧車。

「え? 何で?」

「いいか? 落ち着いて聞けよ? …………あそこの行列にクラスメイトがいる。しかも野郎が三匹だ」

「ふぅん」

 何故か光一くんはズッコケかけた。面白いなぁ、リアクション。

「…………お前はこの光景を見られても痛くも痒くもないかもしれない。だがな、この世にはそのせいでいっそ自殺したくなるような状態に陥る人間もいるんだ。分かったな?」

 異様な迫力が恐くて思わず頷かされた。

「分かったなら観覧車に行くぞ。ダッシュ!」

 僕は言われるがままに全力疾走した。

 が、五十メートルくらい走ったところですぐにへばって止まった。

「ちょ、ちょっと待って……疲れた…」

「あ? ハァ、ハァ……な、情けねぇなあ…」

 そういう光一くんもなかなか疲労していた。……どっちもどっちだね、これ。

「あ、よく考えたら走る必要なかったな。あいつらこっち見ないだろうし」

「……ぼ、僕の疲労は一体……」

 そう言って気が抜けた瞬間、身体が傾いた。

「あ…」

「うおぉ!?」

 すると光一くんが慌てて支えてくれた。

「あ、危ねぇな、お前は!」

「ご、御免ね…。この服、ちょっと走るのには向いてなくて…」

 僕は光一くんに身体を支えて貰ったまま謝る。すぐに起きあがらなかったのはわざとだったりする。

「ったく、慣れないもん着てくるからだ。ちょっと可愛いのは認めるが、気を付けろ」

「え? 僕、可愛い?」

 光一くんははっとしたような顔をして、その後ため息を吐いた。

「……その格好と顔ですらっと言うとかなりの女子が反乱を起こすぞ?」

「ほ、ホントにそう思う!?」

 二度続いて訊くと、光一くんは観念したように、

「ああ分かった!! 可愛いよ! めっちゃ可愛い!」

 そう言ってくれた。それだけのことが、とてつもなく嬉しい。

「ありがと!」

 照れたように顔を逸らす光一くん。可愛いと思ってくれてたんだ。良かったなぁ。

「ほら、とりあえず観覧車乗るぞ。今なら空いてるみたいだし」

「うん!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「おお、思ったよりデカいんだな」

 予想外のスケールに少し驚く。

 この遊園地は結構広い。だというのに地面は人で埋め尽くされてる。やっぱり暇人ばっかだな。さっきのクラスメイト然り…。まあ、俺たちもそうなんだけどさ。

「お! 下見てみろよ。馬鹿が見えるぞ。馬鹿が」

「え?」

 観覧車の中なのに麦わら帽子を被ってる馬鹿と一緒に下を見る。

 多分、こいつの頭の中ではウォーリーを探せみたいなことになってるんだろうな。

「ほら、あそこにいるだろ。メガネ着けた間抜けが」

「あ、ホントだ。って何で徳くんいるの!?」

 そいつは心底驚いたように叫ぶ。

「さっきクラスメイト見たって言ったろ。その中にいたんだよ。しかし野郎三人で遊園地とは…。末期だな」

「酷いこと言うね、君は」

「しかし、事実だ」

「それはそうだけど…」

 言い返せなくなったのか押し黙る。こいつも「それはそう」とか言ってる時点で酷いんだがな…。

「まあ、人のこと言えないか。俺も野郎三人で来たことあるし」

「ほ、ホントに?」

「オイ、引くな馬鹿。中学一年のときだから十分安全圏内だ」

 いや、微妙かもしれない。でもそういうことにしとく。

「俺とメガネ馬鹿と……稜…」

 そうだった。俺はこの遊園地に来たことがあったんだ。

「三人で金寄せ集めて入ったんだっけな。馬鹿みたいに乗り物乗って…。金も全部なくなって…。それでもまだ乗りたくて…」

 稜が生きていたら、ここに来たがったろうか。…絶対に行くだろうな。こういうの好きだったから。

「ははは…くだらない…」

 ホントにくだらない。思い出しても苦しいだけで、何も戻らないのに。

「やめ…てよ…」

「え?」

 声が聞こえた。俺が見るとそいつは震えているように見えた。

「やめてって言ってるの…。そんなこと言うの…」

 もしかして…泣いてる?

「………何言おうが俺の勝手だ…」

「何がだよ!! 僕の前でそんなこと言って……僕がいるのに!!」

 訳が分からない。何言ってんだコイツ。

「何でお前の前で思い出話しちゃいけないんだ?」

「前の僕のことばっかり!! 僕を見てよ!! じゃないと、僕は…!」

 俺には何がそんなに癪に障ったのか分からない。

「な、何そんなに怒ってんだよ…」

「……もういい」

 どうやら諦めてくれたみたいだ。何なのか見当もつかないけど、ひとまず安心――

「キスする」

 ――出来なかった。

 

 

 

 

 

 

「…………………………へ?」

 光一くんは呆然として僕を見ている。僕も流石に今のは唐突過ぎたと思う。

 でも、知るもんか。こんなに鈍いと思わなかった。呆れた。だから、キスする。

 なんでそんなこと思いついたのか分からないけど、そうすれば何となく僕を見てくれるような気がしたから。

「……………じょ、冗談…だよな?」

「冗談じゃない。こんなことで冗談なんか言わない」

 言いながら顔を近づける。光一くんは必死に離れようとするけど、ここは観覧車の中。逃げれる訳ない。

「何で見てくれないの? こんなにそばにいるのに……。こんなに…好きなのに」

「え……」

 光一くんの背中は完璧に背もたれにくっついた。もう下がれない。

「どうしても見てくれないなら…」

 頬を抑えてこっちに向かせた。

「見せるしかないよね」

 光一くんの吐息が僕の唇に掛かる。もう間は一センチもない。よし、と僕は心の中で言って、思いっきり顔を近づけ―――

 

 ガチンッ…

 

 そんな音が観覧車内に響いた。僕は口を押さえる。

「い、いはぁ(痛ぁ)!!」

「はば、ばばば…馬鹿かオノレは!!」

 光一くんも口を抑えてる。

 前歯当たった…。しかも思いっきり。

「うぅ…恥ずかしいの我慢して頑張ったのに…」

 まさかこんなミスするなんて思わなかった。そういえばキスなんてまるで仕方が分からない。唇つけるだけだと楽観してたぁ…。

「あ、あの…もう終わりですけど…」

「はひ?」

 顔を上げると係員さんが戸惑いがちにこっちを見ていた。

「あ、は、はい!! ほら出るぞ!」

「う、うん!」

 僕はさらに恥ずかしい思いをしながら観覧車を飛び出た。

 背中に受ける日差しがずっと暑く感じたのは気のせいじゃない。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ある程度そのまま走って、丁度開いていたベンチに座った。

「はぁ〜…恥ずかしかった…」

「それは俺の台詞なんだがな…」

 疲れた、とでも言うように背もたれに寄りかかる。

「………」

「………」

 うぅ…。すっごい嫌な沈黙だぁ。そ、そうだ。何か話題とかは…。

「あの…」

「さっきのことだけどな…」

 うわぁ、先越された〜。しかも今一番触れたくない話題〜。

「…………悪かったな、変な話して」

 予想外の謝罪にびっくりする。

「え? あ…ううん。僕も…変なことしたから…」

「俺は……きっと、まだ稜を諦められてないんだ…」

「………」

 光一くんはこっちを見ないで、でも僕に話し掛ける。

「はは…情けないよな…。お前に関係ないなんて言っといて………、でも…!」

 彼は顔を伏せる。表情が見えなくなる。

「諦められる訳ないだろ……! 可愛くて…ちょっとボケてて…俺のこと好きで…俺も凄く…好きで……!」

 震えてる。僕より大きい身体が、小さく見えた。

「だけど、消えちゃったんだ……何もかも…。俺のせいで…! あんなこと、願ったから…」

「何を……願ったの?」

 周りの喧噪が小さくなる。でもそれは幻覚で、本当は何も変わっていない。

「助けてくださいって…。何でもあげるからって…」

 雫が、落ちる。それは何度も、何度も舗装された地面を濡らす。それは支えが決壊したように、止めどなく続く。

「死ぬよりはいいって、ずっと思った。そう思いたかった…。けど……ホントはそれよりずっと……ずっと苦しかった……!!」

 僕は彼の身体に寄りかかる。暖かかった。それだけで、全てが報われるような気がした。

「もう、俺は……ちゃんと笑えない…。あいつが、いなくったのに…笑える訳、ないんだ…」

「そんなことないよ…」

 僕は彼の言葉を否定する。

「確かに苦しいかもしれないし、大変かもしれない。でもね、それでも…」

 彼には見えてない。でも、それでも目一杯笑って、

 

「大丈夫! 光一なら何でも出来るよ!!」

 

 きっと何もしてあげられないけど、これくらいは…いいよね。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「りょ、う……?」

 横を見ると、確かに稜がいた。笑って、いつもの、あの笑顔で笑って、俺を見ていた。

「あ、あれ? ご、御免呼び捨てちゃって…。なんだかつい…」

 それは一瞬だった。でも、十分だった。

「いや、いいよ。……ありがとう」

 心から言えた。それは彼女に向けてなのか、それとも、稜に向けて言ったのかは分からないけど、そんなことどうでもよかった。

「あ! やっと笑ってくれた!」

「あ…」

 気付くと笑っていた。そして思い出した。

 

 笑顔は、作るもんじゃないんだ。

 

 なんて簡単なこと。馬鹿みたいなくらだないこと。でも、それが本当。

「これからもその笑顔で笑わなきゃ駄目だよ!」

 そう言って彼女も笑う。心底楽しそうな満面の笑み。稜とは少し違う、でもとても綺麗なもの。

「うるせぇよ。くさい台詞をポンポン吐くな」

 つい恥ずかしくなって、憎まれ口を叩く。

「ひどー! でもホントにそうしなきゃ駄目だよ?」

「分かったよ。もう、作ったりしないさ」

 ふと、蝉の鳴き声が聞こえた。てっきりもう全滅したと思ってた。そして気付く。

 

 そっか。まだ夏は終わってなかったんだ。

 

 些細なことだけど、それがとても嬉しい。

「じゃあ、デートの続きするか!」

「うん!」

 

 もう稜には会えない。悲しいし、苦しいし、辛い。

 でも、それでも…

 

 

 今は隣で笑っている彼女を、しっかり見ていきたいと思う。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「は〜! 楽しかった〜!!」

「……頼むから、頼むから絶叫系連続乗り回しは止めてくれ」

 うぇ、と口を抑えながら、ふらふらしてる光一くん。結構乗り物に弱いと見た。

「いいじゃん! 楽しいんだからさ!」

「まあ、な」

 そう言って僕たちは笑う。光一くんはとっても嬉しそうだ。きっと僕も嬉しそうなんだろう。

「っと、そろそろ帰るかな。もう七時前だ」

「…うん、帰るね」

 光一くんは首を傾げて僕を見る。

「何だ? やっぱりお前も気持ち悪くなったのか?」

「ち、違うよ!」

 慌てて訂正する。嘘じゃない。気分的には最高の状態だ。

「?? じゃ、どうしたんだ?」

「うん…えっとね…」

 うう、さっきは恥ずかしいこと簡単に言えたのに、やっぱり雰囲気とか違うと駄目だ〜。

「あの…あのね…」

「だから、何だっつうの」

 でも、頑張ろう、と。そう思う。ここで頑張らなくても、いつでも出来る。でも、頑張るんだ。

「光一くん…ぼ、僕……じゃなくて…」

 一息置いて、恥ずかしくないように一息で言う。

 

 

「…私と付き合ってください!」

 

 

 

 それは夏が終わる少し前の出来事。

 小さくて、大したことのないことだけど、とっても大切な出来事。

 精一杯勇気を出してしたことは、なんでもないこと。

 

 

 でも、そこから始まるんだ。

 

 私と、彼との物語は。

 

 

 

 おわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜あとがき〜

 どうも、淡い夏の後日談です。書くとか言ってからだいぶ経ちましてすいませんでした。

 自分も書きたかった後日談ですが、「後の話が見たい」的なことを聞きましたので、書かせて頂きました。もしかして、自分の空耳でしょうか?

 

 それはともかく、話的には稜の消滅から立ち直ろうとする光一を書く予定だったのですが、何やらいろいろと変わってしまいました。お陰で異様な肥大化が進んでしまいました。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

 自分的には普通に終われたのではないかと思っています。なんだかギャグ比率が高くなっている気がしますが、それは性(さが)ということで、お許しください。

 

 何はともあれ、書けて良かったです。楽しかったです。くだらないことしか言えませんが、これで終わらせて頂きます。ありがとうございました。

 

 

 

 

 ちょっと涼しい夕方に執筆  ゆぐどらしる

 

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