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 砂場に妖精さんがいる。

 

 そう思った。それくらい綺麗だった。同じ歳くらいなのに自分とは違う何かを持っていると感じた。

 

 でもその妖精は大ピンチだった。

 

 ゴリだ。ここらでは最強の悪ガキ、ゴリとその部下達が妖精の周りを取り囲んでいた。

 これは本格的にまずい。あいつらは相手がなんであろうと、自分に刃向かった奴はボコボコにする(ただし、年上を除く)。

 助けなきゃ。

 それだけを思ってゴリに自分でも訳の分からない声を上げながら突進した。

 予想通り、ゴリは怒って僕をボコボコにした。身体中が痛む。立つのも辛い。ゴリは気が晴れたのか、公園から出ていった。

 倒れて動けない僕の前には妖精さんだけが立っていた。

「大丈夫?」

 やっぱりその妖精さんは僕を気遣って、声を掛けてくれた。それだけで身体の痛みがどうでもよくなりそうだ。けど、次の瞬間、この気持ちは踏み潰された。

「馬鹿だねぇ、君は」

 な…!僕は驚きで息が止まった。助けてもらった人間に対して言う言葉が馬鹿?なんだよ。なんなんだよ、この妖精は!

「僕はねぇ、空手をやってるんだよ?あんな奴ら右手だけでも倒せたよ」

 僕は幼くして悟った。殴られ損だったと。綺麗な妖精さんとの出会いなどこの世に存在しないと。

「それに女の子ならともかく、男の子助けるなんて君もお人好しだねぇ」

 しかも男…ってえぇ!?

「でも、空手はケンカで使っちゃいけないんだよね。知ってた?知ってたらそんな顔してないか。ふふっ」

 その残酷な妖精は僕を見下ろして、笑った。綺麗な、触れば壊れてしまいそうな、そんな、笑み。

「お陰で先生に怒られなくて済んだよ。ありがとね!」

 僕はその笑顔を忘れることはなかった。そう、永遠に。

 


淡い夏
前編

作:ゆぐどらしる

 

「光一?光一ってば!」

 目の前の妖精が甲高い声で俺の名前を呼んでくる。

「あ、ああ。なんか用か?」

「何ボケてるんだよ!僕の話聞いてんのっ!?」

 むすっとした感じで頬を膨らます妖精。その仕草は可笑しなくらい似合っていた。

「聞いてなかった」

 その妖精はもの凄い速度でベッドにある枕を投げつけてきた。そして俺はそれを難なく避ける。

「あ!また避けた!!むぅ〜…最近、光一可愛くない。昔はちょっと殴っただけで泣いてたのに!」

 5日連続で枕投げられりゃ避けれるのは当たり前だ。それに高校生にもなって殴られただけで泣くか。

 こう言うと、妖精は簡単に納得した。

「それもそうだね。光一も成長したなぁ。偉い偉い」

 そう言って笑う妖精の名前は美浦 稜(みうら りょう)。もちろん妖精なんかじゃない。歴とした人間だ。でも、本当に妖精みたいだ。高校生にもなったてのに身長は150、体重は30代とやたら小柄な体格をしている。女子でもこんなのはあまりいない。っていうか性別は男のはずなんだが…。

「ん?なんか失礼な事考えなかった?」

「なんも考えてねぇって」

 笑いながら受け流す俺の名前は藤村 光一(ふじむら こういち)。稜と同じく只の高校生だ。身長も名前も顔つきも普通。なんの特徴もない。最近、変わった事といえば、小遣いが五百円アップしたくらいだな。

 稜と俺がいるのは病室だ。ご丁寧に個室。相部屋の空きがないらしく、値段は相部屋と同じで個室に入れたらしい。稜は儲けものだよねぇ、と言っていた。

「しかし、いきなり倒れるか?俺は一瞬、死んだかと思って嫌な汗が1.5リットルは出たぞ?」

「残念ながら稜くんはそんな簡単には死なないのです。っていうか汗そんな出たら脱水症状になるよ?」

「物の例えだ、馬鹿野郎」

 あはは、と稜は笑った。しかし、何故かいつもよりもっと壊れそうな笑顔だった。俺の心がザワッと音を立てた。

「お前…本当に大丈夫なんだろうな?悪い病気じゃ…」

「んなわけないでしょ。だったら面会謝絶だよ。そうなれば僕の美顔も見れなくなるよ?」

 稜は茶化した。笑顔もいつの間にか元に戻ってる。俺の見間違いだったのか?

「美顔?童顔の間違いだろ」

 キィ〜!とまだ声変わりしていない甲高い声を上げてお見舞いの品々を投げつけてくる。

「や、やめい!人から貰った物を粗末に扱うな!」 

 必死に避けつつ、注意すると、急に動きが止まった。

「うぅ……」

 見ると稜は胸の辺りを抑えて苦しそうに顔を歪めている。

「だ、大丈夫か!?医者呼ぶのか!?おい!」

 俺は大いに慌てた。恐かった。目の前の稜がこのまま死んじまうんじゃないかと思った。

「ふ、ふふふ…」

「あ?」

「あははははははっ!!光一慌てすぎだって!あはははははは!こんな簡単に引っ掛かるなんて光一もまだ可愛いね」

 そう言ってニコニコしながら俺を見てくる。

「……ったく、冗談じゃねぇぞ…。二度とこんな事すんなよ!」

 俺は照れ隠しに怒鳴った。稜はまだ笑ってやがる。

「わかったからそんなに怒鳴らないでよ。ここ病院なんだから」

 慌てて俺は口を閉じる。こいつといると周りを忘れがちになるな。気をつけねば。

「ほら、そろそろ帰らないと。塾あるんでしょ?」

「あ、ああ。じゃあ、帰るわ。さっさと退院しろよ。テストのカンニング出来ねぇじゃねぇか」

 はいはい、と稜は笑って俺を見た。なんとなく俺は思いだした事を訊いてみる。

「……そういや、お前。前貸したゲームどうした?」

 稜はもの凄い勢いで狼狽えた。

「え!?あ、いや、あの……ちゃ、ちゃんと家にあるよ!最近やってなくて!」

 稜は嘘が下手だ。

「………マジだろうな?」

 俺は稜を半目で睨む。

「ホントだって!僕が借りたゲーム割っちゃってセロハンテープで直すなんてする訳――――はっ!!」

「何が『はっ!!』だ!!ふざけんな!!アレまだクリアしてな―――っていうか割っただと!?」

 ひぃ、と稜は布団を被って丸まった。くそぉ…まるで小動物虐めてるみたいじゃねぇか…。

「……もういい。許してやる。どうせ貰い物だ。他の奴にでも借りるよ」

 稜はポコッと布団から顔だけを出した。本当に小動物みたいだ。

「……なんか今日は優しいね、光一。てっきり犯されるかと…」

「……殴られたいのか?お前は」

 御免なさい〜、と言ってまた布団に潜り込む稜。

「はぁ…じゃあな。お前にはもうゲーム貸さない」

 稜はえ〜、と言いながらも笑って見送ってくれた。

 

 

 外は暑かった。七月下旬なら当たり前だが。

 夕日のせいでオレンジに染まった世界を見ながら、俺は歩き出した。

 

 稜は嘘が下手だ。

 

 あれは絶対に演技じゃなかった…。

 

 

 

 

 八月五日。あれから十日以上経って、学校も休みに入りかけているというのにまだ稜は退院してこない。そんな予感はしていたが、実際こうなると心配で堪らない。

 知らない間に死んだなんて許さねぇからな、稜。

「おい!コウ!重大事実が発覚したぞ!!聞け!」

 家庭の事情で、冷房どころか扇風機もついていない部屋で寝ていた俺は聞き覚えがめちゃくちゃある声に叩き起こされた。

 二階の窓を開けると人影がひとつ。

「ああ?うるせぇな…。っていうかお前はチャイムの押し方も分からねぇのか?原始人ですか?お前は」

 外から大声で叫んでいるメガネに文句を垂れながら睨みつける。

「メガネ掛けてる原始人がどこにいる!立派な現代人だ、俺は!」

 外でぎゃあぎゃあ喚いているのは実田 徳(さねだ のり)。俺の友人で、いつも特ダネを探し回ってる新聞部所属の馬鹿だ。大概ガセだが。

「で?今回はなんだ?宇宙人の唾液でも発見したか?」

「おい!冗談じゃないんだ!これはしっかり医者から聞いた事実なんだ!!俺は友人としてお前に伝える!」

 やたら仰々しいことを言ってるな…。

 いや、待て…。医者だと?

「おい…まさか…」

「そのまさかだ!!稜の事なんだが―――」

 徳の話を聞いた俺は家の階段をほとんど飛び降り、何か言ってくる親を無視して外に出て、全力で走った。徳もついてくる。

「ガセだったらお前を捻り潰して東京湾へと沈める!」

「それが出来たらいいがな!」

 病院に着いた俺たちは階段を駆け上る。びっくりしている爺さんもいたがそれどころじゃない。

 505号室。ここに稜がいる。

「稜!」

 中に入ると稜がびっくりしたようにこっちを見ていた。

「おい!本当なのか!?お前―――」

 俺は稜に口を塞がれた。その手は僅かだが、震えていた。

「光一、病院で大声出しちゃいけないって言ったでしょ?」

 いつもと変わらないように見えた稜。でも…

「それどころじゃない!お前…」

 はぁ、とため息をつく稜は前より小さく、弱々しくて悲しくなりそうだった。

「うん、僕、女の子だったみたい」

 そう言って笑った。いつもより強く、でも、いつもより弱く。

 

 

 半陰陽。

 稜の病室に来た医者はそう言った。何かの手違いで生まれたとき本来の性別とは別に見える症状らしい。

 稜は女だった。外見的には男だが、中には女性の性器があるらしい。通りで声変わりしない訳だ。身体が小さいのも納得がいく。

 でも…

 突然の事実を前に俺は固まるしかなかった。今まで男だった奴が女だなんて…。訳が分からない。

 医者はこれから稜がどんどん女性の身体になっていくと言っていた。なにやら第二次性徴期に入ったからだとかも言っていた。

 

 そんな事はどうでもいい。

 

 稜が女?ふざけんな…。小学生のときの修学旅行であいつは二組の鈴ちゃんが好きだって言っていた。んで告白して見事に玉砕したじゃねぇか。

 稜が女だなんて…。

「僕はなんだか驚きはしなかったなぁ…」

 のんびりと言う稜は楽しそうですらあった。何故かそれが凄くムカついた。

「ぼんやりしてんじゃねぇよ!!お前の事だぞ!?女だったなんて―――」

「止めろコウ!病院だぞ!」

 徳に止められた。俺は我に返って椅子に座り直す。

「そうだよね…。僕の事なのにね…」

 稜は窓から外を見た。俺も釣られて外を見る。何もない綺麗な空。俺には稜も何もないように見えた。透明で、空っぽみたいに。

「女の子だったのはショックだったよ?でもね、それが、なんだかどうでもいいように思えちゃって…」

「………」

 俺は悟った。稜はこんな事よりもっと大変な事があるのだという事実を。それが、前の胸騒ぎの正体なのかもしれない。

「御免ね?せっかく来てくれたのに…僕、こんなんで…」

 こっちを見ていない稜は、どんな顔をしていたんだろう…。きっと、俺には一生分からない。

 

 

 俺たちは病院を出た。今は一人にしておいたほうが良さそうだからだ。

「……あいつ、大丈夫かな…」

 徳が心配そうに呟く。俺だって心配だ。あいつは絶対に何か隠してる。俺にも言えないくらい大事な事か、あるいは…。

「大丈夫に決まってんだろ。あんなに元気なんだぜ?気持ちに整理がついたらいつものようになるって」

 そうさ、そのうちひょっこり戻ってきて、照れ隠しに笑いながら「ただいま〜」とか言うんだ。そんで何もなかったかのように遊べるさ。

 

 そう、思っていたかった。

 

 

 

 

 八月十五日。俺は塾のテスト勉強に追われていた。腹が立つくらい分からない。第一、俺は頭がいい方じゃない。だから塾なんぞに通わされている。

 シャーペンを手で回したり投げたりして遊んでいると、ふと稜は勉強しているのかと思った。結構長いこと入院してるが、病院でやっているのだろうか…。

「あいつ、これ分かるかな…」

 そんな事を思いついて稜の病院へと向かう事にした。あの事があってから見舞いに行ってなかった。まあ、塾が多かったからな。

 心の中で言い訳をしつつ、外へと出ると、殺傷能力を持っているんじゃないかと思うくらい強い日差しが肌へと突き刺さる。

「あづ〜…」

 一分くらいですぐに汗だくになった。シャツが肌に張り付いて気持ち悪い。コンクリートからは湯気が出ている。

「暑い、暑いぞぉ……」

 俺はもう蒸発寸前だ。やっぱり自分で考えるべきだろうかと思い、帰りかけたそのとき…

「あんまり暑い暑い言わないでよね。余計暑くなるわよ」

 灼熱コンクリートの上に人影が出来た。すらっとした細い影だ。

「んん?…なんだ千波かよ…」

 目の前にはショートカットで、Tシャツで、短パンを履いた活発そうな少女が立っていた。この文句垂れ女の名は早瀬 千波(はやせ ちなみ)。まあ、幼なじみと言えばそうだが、恋人かと言うとまるで違う。ただの腐れ縁だ。中学校まで八回、つまり一回しか違うクラスになっていない。終いにゃ高校まで同じときた。まあ、田舎だから高校なんて一つか二つしかないから当然かもしれないが。

「ああ、神様。何故にこんな訳の分からない女と幼なじみなのでしょうか。何故もっと可愛くて、大人しめな女の子と幼なじみにしてくれなかったのですか」

「――――ッ!!…ホント、何考えてこんな間抜け面男と知り合いなのかしらねぇ…。酷いわ。可憐な乙女にこんな試練を与えるなんて――」

 可憐?

「ひとつ気付いたんだが、俺とお前では『可憐』という単語の認識に少々誤差があるようだな」

「ならあんたが間違ってるのね。私は国語のテストで七十点以下取ったことないもの」

 そう言って、あまり発育の良くない胸を張る千波。

「いや、間違ってるのはお前だろ。全国の男子はこんな鷹のような目をした女を『可憐』とは呼ばん。てか目つきさえ良ければなぁ…。俺的には少し垂れ目を希望したい」

 ん?何か今、ビキッという音が聞こえたような…

「じゃあ私はあんたの全身火傷を希望するわ」

 俺は思いっきり頭を掴まれ、地面に叩きつけられた。

「いだぁ!!っていうか熱っ!!熱い!!」

 目玉焼きなら確実に焼けるような温度まで熱されたアスファルトに、千波は容赦なく俺の顔を押しつける。

「どう?そろそろそっちの方焼けそう?」

「熱い!!熱いです千波様!!どうかお許しを!!このままじゃ確実にこんがりといい感じに焼けます!!多分レアで!!」

 ったく、と言って俺の頭から手を離す千波。マジで焼けたかな…。

「ふざけんなよお前…。俺も入院するとこだったじゃねぇか…」

 あ、それなら塾も休めたし、稜とも会えるから別にいいかな…。

「今、別にいいかもとか思ったでしょ?」

 う……何故に分かったんだ…。

「ホントに分かりやすい顔してるわね、あんたは」

 どうやら俺の脳と顔の筋肉のシンクロ率はかなり高いらしい。

「で?何しにこんな灼熱地獄に?」

「最近行けなかったから稜の見舞いに。それとついでに勉強を見てもらおうかと…」

 何故か千波は半目で俺の方を見てきた。

「………やぁねぇ…男同士で勉強なんて」

 もの凄い腹が立つな、このアマは…。

「残念ながら稜は女なのでした〜」 

 こいつも聞いてはいるだろうから、隠す意味もないだろう。

「あ………そうだったわね…。稜くん…大丈夫かしら…」

 心配そうな顔をする千波を俺は茶化した。

「ん?なんだ?実は好きでしたオチなのか?でも稜は女だからレズになっちゃうけどOK?」

 さすがにおふざけが過ぎたらしい。千波はするどい目をカッと見開いた。

「ッ!!あんた、いい加減にしなさいよっ!!稜くんはとっても大変な事になってるのよ!?なのに勉強だの、レズだの…ふざけてんじゃない!!」

 キレた千波は俺をもの凄い形相で睨みつけた。幼稚園児なら簡単に泣くような顔だ。

「分かってるさ…。あいつは今一番大変なんだ」

 しかし、千波の怒りは収まらなかった。

「分かってる!?嘘つけ!!あんたなんかいつもへらへらして…辛い事になんて一回もなったことな―――」

「黙れ」

 出来るだけ平然と言ったつもりだったが、千波はビクッとして黙った。

「……俺だって、心配してるんだ。でもな、そんなあからさまに心配してたら稜は逆に疲れるだろうが」

 もっとまともな理由があるような気がするが、俺はこれだけ言うのが精一杯だった。これ以上喋ったら…

「……御免」

 柄にもなく、千波はしんみりした顔で謝ってきた。くそっ、そんな顔すんじゃねぇよ…。

「真面目に謝んなよ、気色悪ぃ。それより、お前も稜の見舞い行くか?」

 俺は笑いながら言ったが、千波はそのままの表情で首を横に振った。

「ちょっと違うところに用事があるの。稜くんにはよろしく言っといて」

 そう言うと千波は病院とは逆方向へと走っていった。

「けっ…なんだよ、付き合い悪ぃな…」

 文句を垂らしてから俺は歩き始めた。しかし、ホントに暑い。病院まで保つかな…。

「ふぅ…」

 強い日差しのせいで肌が痛かったが、それよりも噛みしめていた歯の方が痛かった。

 

 

 

 

「おっす、起きてるか〜?」 

 俺は前の事もあったので、出来るだけ軽い感じで入ってみた。我ながら芸がないとは思うが、仕方ない。

「え?光一?」

 稜は目を一杯に開いたまま固まっていた。そんな稜を前に俺も固まる。

 やばい…ミスったか…。

「…………」

 稜は顔を伏せてぷるぷる震えだした。なんだ?なんなんだ?何が起きるんだ?

「っの馬鹿ぁ!!!親友をほったらかしで何してたんだよ!!!暇で退屈で…暇だったんだから!!」

 何かよく分からない理由で怒られた俺は引き続き固まるしかなかった。何故か涙目になっている稜を見ていて、ふとある事に気付いた。

「なんだ、お前。寂しかったの―――」

 ――か。と言おうとした瞬間、蜜柑を顔面にぶつけられた。柔らかい蜜柑だったようで、俺の顔面で弾けた。そして、中の汁が目に侵入した。

「ぎゃあああああ!!し、染みるぅ!!染みるぅぅ!!!」

 今度は俺が涙目―――いや、泣いた。血涙でも出そうな勢いだ。

「寂しくなんかない!!虐める相手がいなくて詰まらなかっただけっ!!だいたい光一はね―――」

 強力な蜜柑爆撃のダメージに悶絶している俺に罵倒の嵐を降らせる稜。これは新手の罰ゲームなのか考えていると、

「………」

 急に稜の罵倒が止まった。もうネタがなくなったのかと、顔を上げると、

「ふぅ…うぅ…」

 涙でぼやける視界に、また顔を伏せている稜が映った。髪が長くて、表情が見えない。

「もう……来なくなっちゃ駄目だからね…」

 何故か泣きそうな声で、

「お願いだから……」

 まるで何かに怯えてるみたいに、

「………分かった」

 俺は、そう言ってやる事しか出来なかった。それでも、稜は笑ってくれたと思う。

「ありがとね…」

 だって、こんなに嬉しそうに言ってくれたんだから。

 

 

 

 

「あ、そうだ。実は勉強教えてもらいたくて来たんだよ」

 本来の目的を思い出し、鞄から塾の宿題やら、問題集やらを出す。

「全く……光一は僕がいないとダメダメだねぇ…」

 やれやれといった感じで首を振る稜。ムッときた俺はさっきから気になっていた事を訊く。

「胸…膨らんできたな」

 稜の顔が真っ赤になり、布団で身体を隠す。そして、涙目でぷるぷる震え出した。

 しまった…やりすぎた…。

「光一のエッチ+スケベ+馬鹿+彼女いない歴十七年=変態っ!!」

「なんの式だボケ!!彼女いないのは余計だっ!!!」

 冗談ではなく、稜の胸は膨らんでいた。まだまだ小さいが、隠すことは出来ない。

「………髪の毛もどんどん伸びるって言ってた。いよいよ女の子になっちゃうんだねぇ…」

 稜はまるで他人事みたいに言う。俺が見た限りは辛そうでも、悲しそうでもないから大丈夫だろうが…。

「……恐くないか?」

 稜は首を横に振る。

「恐くはないよ。ただ…ちょっと不安かな」

 稜はへへっと笑った。俺も一緒に笑ってみる。

「似たようなもんじゃねぇか。まあ、大丈夫そうだな。とにかく、教えてくれ。このテストは結構いい成績取らないとまずいんだ」

 稜はやはり病院で勉強していたらしく、俺の分からなかった問題もすらすら解いていった。そんな稜を見て、俺は不公平だと思った。

「俺だって勉強さぼってる訳じゃねぇんだけどな〜。何でお前のほうが出来るんだよ…」

 俺は文句を垂れた。この世の不条理さに対して。

 全く以て、この世は不条理だ。

 世の中、嫌な事だらけで、強い奴が弱い奴に負けるなんて事は絶対にない。金持ちは更に金持ちに、貧乏は更に貧乏に。上は上に行き、下は下に行く。そんな風になっている。

「なんでだろうね」

 稜はまるで分からないといった感じだ。まあ、期待してはいなかった。そんなの分かるのは神様ぐらいだ。

「そんなくだらない事言ってないで勉強しなきゃ!大丈夫!!光一なら何でも出来るよ!」

 こいつの事だから、本当にそう思っているのだろう。

 その時俺も本当に何でも出来るような気がしていた。

 

 

 二日後。テストが返された。結果は…

「……全部、六十点代か…」

 

 やっぱりこの世は不条理だった。

 

 

 

 

 八月二十日。いよいよ暑さも最高潮。二時間外にいればミイラ状態になりそうだ。地面に触れれば確実に火傷するだろう。

「こんな日でも病院来いってか…」

 俺は焼けた鉄板のようなアスファルトを踏みしめながら稜が入院している病院へと向かっている。

 稜が入院してもう一ヶ月近くなる。俺はそろそろ稜を問い質すべきかと思っている。いくら女になったからといって、こんなに長いこと退院出来ないのはおかしい。稜だって心の準備くらい出来たはずだ。

 ということは―――

 他に入院しなければならない理由があるんだ。それで、あいつはそれを隠している。

「ちっ…親友に隠し事かよ…」

 まあ、前は元気そうだったし、そんな大した事でもないだろうな。まさか死んだりはしないさ。

 

 俺は、そんな風に現実を楽観していた。

 

 

 

「………え?」

 病室のドアに、看板みたいな物が掛かっていた。それには――

「面会…謝絶…」

 そう、書いてあった。

 

 ああ、そうか。

 

 俺は病室を間違えたんだ。だって昨日までこんな物なかったんだから。

「はは、俺も間抜けだなぁ…。こんな事間違えるなんて…」

 独り言を呟いて、ドアの横に書いてある入院患者の名前を見る。

 

 次の瞬間、俺はドアをぶち破ろうとしていた。

 

 面会謝絶?知るか。俺は稜の見舞いに来たんだ。会えない訳がない。

「くっそ!なんで鍵なんか掛けてんだよ!!」

 俺は反対側の壁まで行って、その夏なのにひんやりしたドアに向かって突撃した。

 ガンッ、と音がした。でも肩が痛いだけで、何も起こらない。

「くそぉ!!おかしいだろ!!おかしいだろっ!!」

 俺は二回目のアタックをかけようとした。が、誰かに肩を掴まれた。

「止めなさい!!!中には重病の患者がいるんだぞ!!!」

 そいつは前に半陰陽について説明してくれたすらっとした男の医者だった。

 そんなことより、こいつはおかしな事を言った。

 重病?そんな訳あるか。昨日まで馬鹿みたいに笑ってただろうが。

「君は…稜くんの友達かい?…こっちへ来るんだ。説明してあげよう」

 そう言うと、そいつは歩き始めた。俺は、もの凄い不本意だったが、そいつの背中を追った。

 

 

 

 なんだか事務室みたいなとこに入ると、医者は椅子に座った。俺も適当に椅子を引っ張って座る。

「全く、ここは病院なんだぞ?前も大声で叫んでいたし、勘弁して貰いたいね」

 その医者は迷惑そうに言った。いや、実際に迷惑だったんだろう。だが、そんな事知ったことではない。

「ああっと。会うのは二回目なのに自己紹介してなかったね。僕は稜くんの主治医で、紀角 堂(きずみ どう)っていう名前だ。よろしく」

 こいつは腹が立つくらい爽やかフェイスだった。俺なんかじゃ比べ物にもならないくらいだ。それがとてつもなく悔しい。

 爽やか医者は手を伸ばしてきたが、俺は1ミリも手を動かさなかった。

「藤村 光一です」

 それだけ言うと俺は沈黙した。なんだかこいつとはあまり話したくない。

 堂(心の中までさん付けするつもりはない)は困った風な顔をして手を引っ込めた。

「それより、どういう事です?面会謝絶って!昨日は会えたのに!!」

 俺は言っているうちによく分からない怒りで声が大きくなっていた。

「君がいない間に面会謝絶になった。それだけだ」

 反して、堂は冷静に声を出した。それがむちゃくちゃイラつく。

「だから!!何で面会謝絶になったんですか!!あいつは女になったから入院してたんじゃないんですか!?」

 俺は更に声を荒げた。それでも堂は落ち着いたまま、言った。

「やれやれ、稜くんには口止めさせられてたんだけどね…。このままじゃ病院で暴れそうだから言わして貰おうか」

 勿体ぶって遠回しに言う堂を、俺は精一杯殴りたかった。でも、度胸もクソもない俺にはそんな事出来なかった。

 

「あの子は、このまま行けば死ぬだろう」

 

 世界が、変わった。

 自分の心臓の音しか聞こえてこない。やけに息が苦しい。地面が歪んでるみたいだ。身体が一回転して、ぐらぐら揺れる。一歩も、動けない。

 堂はそんな俺を見て、医者として話す。

「いわゆる、不治の病、というやつでね。急死することはないが、確実に弱っていく」

 その後の堂の説明はこうだ。

 稜の身体中の筋肉はだんだん弱っているそうだ。それのせいで心筋にまで影響を及ぼす。やがて心筋も弱り、動かなくなって、それで、稜は―――

「――――っざけんなっ!!!!」

 俺は力の限り叫んだ。多分、病院中に響いたんじゃないだろうか。

 そんな俺を見ても、堂は冷静だった。

「落ち着くんだ。まだ説明は終わってない。僕は“このまま行けば”死ぬと言ったんだ。助かる可能性もある」

 ふへ?と俺は間抜けな声を出す。堂はやれやれといった感じで俺を見る。

「まだ心臓を補助する機械を取り付ければ生きられる。今はその手術のために体力を温存しているとこなんだ」

 俺は元の世界に戻った。なんだ、稜は助かるのか。はは、俺、馬鹿みたいだ。

 しかし、堂は真剣な顔をしたままだった。その顔が俺をまた同じ世界に突き落とそうとする。

「確かに、機械を付ければ生きれる。だがな、あの子の心臓は思った以上に弱い。手術中に破損する可能性が高いんだ」

 その医者は平然と俺の希望を叩き潰す。

「確率としては五分五分くらい…。仮に手術が成功したとしても、普通に生きる事は出来ない。呼吸も機械無しでは出来なくなる」

 俺の頭は目の前にある絶望を拒否していた。

 恐かった。

 偽物と分かっていても手放したくなかった。また毎日馬鹿みたいに遊べる。そんな、希望を。

 

 

 

 

 八月二十七日。俺はひたすら勉強に励んでいた。理由は他にすることがないからだ。

「ふぅ〜…」

 ようやくクーラー起動許可を得た俺の部屋は涼しかった。設定温度24℃。親が見たらブチキレるかもしれないが、勉強のたならやむを得ないと思う。

「………」

 稜が面会謝絶になってからの七日間はやたら長く感じた。俺は決して稜の事を忘れてる訳じゃない。そんな事出来るか。けど、会えないんじゃ…どうしようもないじゃないか。

「ああもう!情けねぇな俺は!」

 稜の手術はいつだろうか…。堂に訊くのを完璧に忘れていた。

『確率は五分五分…』

 あの堂が言った事を思い出す。五分五分かよ…。もっとまともには出来ねぇのかよ、ヤブ医者が…。

「っ……」

 俺は唇を噛んだ。情けなかった。稜が心配なのに、何も出来なかった。

 ホントに、この世は不条理だ。

 あんなにいつも一緒にいたのに、一番大事なときに何も出来ない。

「ち、くしょう…」

 強く噛みすぎたのか、血の味がした。それでも、俺は噛み続けた。そうでもしていなきゃやってられなかった。大事なのに…。親友なのに…。

 ふと、唐突にチャイムが鳴った。誰だろうか。押し売りだったら面倒くさいな…。

 そんな事を思いながら玄関へと向かう。今、親は留守だ。

「はい」

「よう、光一」

 そこには汗だくの徳がいた。何故か息も切れている。

「…………」

 俺は無言で扉を閉めた。あんなもんに入ってこられたら室内温度が5℃くらい上がっちまう。

「おいこら!友達がはるばる訪ねに来たのに閉めるな!開けろ!告訴するぞ!!そして罰金貰うぞ!!」

 俺は仕方なしに扉を開けた。別に告訴されるのが恐かった訳ではない。そんなものされたところで負ける気はしない。

「何なんだよ…。仕様もない話しに来たんならお帰り願いたい」

「いやぁ、宿題が捗らなくて、お前と一緒にやろうかと思った訳」

 またかよ…。冬休みも来たな、コイツ。別に断る理由もないので家に入れた。

「おお!涼しいぃぃぃぃ!!最高!!」

 いちいちうるせぇな、コイツは。

「黙れ。口を開くな。そこらで適当に座ってろ。間違っても俺の邪魔すんな」

「へいへい。しかしお前も悲しい奴だな。このクソ長い夏休みに延々と勉強とは…」

 きた。今のはきた。

「それ以上言ったら窓から熱々のコンクリートに向かってダイブしてもらう」

 ようやく黙った徳を視界に入れないようにして勉強を再開。しかし、沈黙に耐えられなくなったのか、徳は数分で口を開いた。

「なぁ……稜が面会謝絶ってのは―――」

 俺は無意識にシャーペンを強く握りしめていた。

「―――知ってるよな。原因は医者に聞いても教えてくれなかった。お前は―――」

「知らない。黙って書け」

 不自然じゃなかったろうか。自信がない。声が震えていたかもしれない。

「ふぅん。そうか」

 どうやらおかしくはなかったようだ。徳はまたプリントを見て唸りだした。

 いや…おかしい。コイツにしては引きが早すぎないか?いつもなら殴りたくなるくらい聞いてくんのに…。

 そう思いつつも俺はシャーペンを動かす。でも書けない。ふと、先を見ると曲がっていた。そんなに強く握ったのだろうか…。

 俺は替えのシャーペンを取りに一階へと向かった。確か親が大量に買い込んだシャーペンがどこかにあるはずだ。

「あら?ねぇな…」

 なかなか見つからない。俺は奥に行こうとして、止めた。何故かというと玄関で人の気配がしたからだ。声も微かだが聞こえる。

 なんだ?人ん家の玄関で何やってんだ?もしかして…危ない人だろうか…。

 そんな事を考えながら扉に近づき、覗き穴から外を見る。

「あ?千波?」

 何故かそこにはブツブツ呟く千波がいた。暑さにやられたかな…。

「幼なじみの玄関前で一体何をしてるんだ?貴様は」

 とりあえず、軽い感じで声を掛ける。もし反応がおかしかったら救急車を呼ぼう。

「ふひゃ!?な、なな何よっ!?脅かさないでよっ!!」

 どうやらイカれた訳ではなさそうなので一安心する。妙にテンパっているような気もするが…。

「何って…こっちが訊きたいね。人の家の前で呟くとは…。俺はてっきりおかしくなったのかと…」

「う、うるさい!!この前なんか酷いこと言っちゃったからお詫びに来ただけ!」

 そう怒鳴って紙袋を差し出してきた。中には…

「お菓子…」

 いや、お詫びに来てくれたのだから文句は言うまい…。

「あ、ありがとよ」

 何故かそっぽを向く千波。なんだコイツは。せっかくお礼言ってやったのに…。

 それより、このがめつい千波がこれだけのために来るとは考えにくい。

「で、本題は?」

「あ、あはは、やっぱばれてた?宿題がなかなか終わらなくて…」

 お前もか。何故にこうもアホが多いのだろう。とかいう俺もかなり頭悪いが。

「徳もまったく同じ理由で来てるよ。というかお前らは一人で勉強出来んのか?」

「いちいちうるさいわよ。さっさと入れてくれない?暑くて死にそう…」

 追い返す訳にもいかず、しぶしぶ中に入れる。くそぉ…室内温度がどんどん上がる…。

「ホントアンタの家涼しいわねぇ。羨ましいの通り越して恨めしいわ」

 差詰め、コイツの家も電気代節約のためにクーラー禁止令が出てんだろう。

「トロいぞ、コウ…って、ゲッ…早瀬…」

 徳は千波を見るなり苦虫を噛み潰したかのような顔をした。

「ゲッ、とはご挨拶ね。私も宿題するために来たのよ。仲良くしましょうね…」

 何か、裏のある微笑みだ。俺は久々に寒気というものを感じた。

「お、おお…」

 徳は明らかに引いている。

 こいつらは犬猿の仲だ。いや、蛇と蛙の仲か?どっちがどっちなのかは言わずとも分かるだろう。小さい頃からいつも対立していて、俺はその仲介役ばっかやらされてたな。だいたい俺が徳を庇う羽目になるんだが。

「じゃあ、さっさと始めてろ。俺は塾の方で手一杯だ」

 俺はそう言って、机へと向かう。やべぇな、まるで捗らない。

「うぅ〜…」

「だから、これはこの公式使うのよ。ああもう!私より馬鹿な奴と勉強しても意味ないじゃない!」

 後ろから唸り声と悲鳴に近い叫び声が聞こえる。だんだん腹が立ってきた。何故に俺はこんな奴らを部屋に置かなければならないのか…。

「あ〜あ。稜くんいたら楽なのにな〜。そう言えばお見舞い行ってる?今度私も行きたいんだけど…」

「あいつは面会謝絶になった」

 え、という声を俺は無視する。

「め、面会謝絶ってどういう事!?稜くんって女の子になっただけじゃないの!?」

 それがさ、と徳が答える。

「それがどうも違うらしいんだよな。俺もびっくりしたぜ。医者も何も言ってくんないし」

 俺は後ろを見ない。振り返れば千波の唖然とした顔が拝めるだろうが、別に見たくない。

「………本当に何なのか分からないの?あんた」

「ああ」

 俺はそれだけ言うと黙った。これ以上言うこともない。俺は勉強しなきゃいけない。でも、頭に何も入ってこない。

 俺の完璧に思えた演技は簡単に見破られた。

「嘘でしょ?あんたなら病院で暴れるくらいの事するわよ。言いなさいよ。心配なのはあんただけじゃないのよ?」

 噛んだ唇がズキンと痛んだ。

「うるせぇよ!知らねぇもんは知らねぇ!お前らに言うことなんてひとつもねぇ!!もう帰れ!」

 俺は怒鳴った。これでびっくりして、帰ってくれる未来を予想した。でも、その未来は来なかった。

「わかったわよ。その事は訊かないわ。でもね、あんたこのままほっとくの?親友なのに?昔だってよく助けてもらったくせに?」

「―――ッ!!!」

 俺は千波を睨んだ。今までにない憎しみがそこにあった。でも千波は怯まない。

「もし、『どうしようもない』とか言ったらはっ倒すわよ?“そんな事”ぐらいで諦めてんじゃないわよ」

 俺は何も言わない、いや、言えなかった。だからひたすら睨み続けた。

「実田くん、あの病院の構造とか分かる?」

「もち。実田さんの情報に穴はないぜ」

 そう言うなり、なにやら地図のようなもんを広げ始めた。一体どこからそんなものを…。

「お、おい!何して―――」

「うるさいわね。やる気ないなら黙って勉強でもしてなさいよ。今から稜くんの病室に乗り込むんだから」

 俺は絶句した。まさかそこまでやるのか?見つかったりしたらシャレにならない。

 そんな事を思ってる間にどんどん話は進む。

「五階かぁ…。難しいわね…。でも、なんとか行けそう」

「何か策が?参謀長」

「誰がよ。策はあるけど二人じゃねぇ…」

 コイツらがまとまるとこなんて初めて見た。

「………」

 俺は手にあるシャーペンを見た。そして、投げ捨てた。

「三人なら出来るのか?」

 俺は会話に加わった。二人は楽しそうに笑い、俺も笑っていた。

 

 そのミニサミットでは何故か徳が隊長、千波が参謀長、俺が軍曹だった。  

 

 

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