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夢の続き   (作:Taika Yamani)
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  番外編その5 「成長」


 日差しは暖かくなりつつあるが、まだまだ肌寒い二月の昼下がり。その少女は、放課後の校庭を一人で校門に向かって歩いていた。
 身長は百五十には足りないだろうか。同じ服装の多い校庭にあって、自然と人目を集めている印象的な少女。さほど可愛くない子が着ても可愛く見える制服だが、その少女には特によく似合う。そんな小柄な彼女は、長い髪を冷たい風になぶられて、キレイな姿勢でゆっくりと歩く。
 制服の上から学園指定のコートを羽織ってはいるが、すべてのボタンを外しているせいか、どことなく凛然として見える。黒いストッキングに覆われた足もすらりとして美しく、少し丈の短いスカートがそっとゆれるたびに、男心をくすぐる。
 高等部二年の朝宮怜悧は、そんな少女の後ろ姿を見て、思わず息を飲むほど見惚れた後、それから早足で彼女に近づいた。
 少女が、人の気配に気付いたかのように一瞬肩を揺らす。だが振り向かない。
 怜悧は不意をつくかのように、唐突に少女の太ももの裏側を撫でた。
 「ひゃっ」
 少女が可愛い変な声をだして、瞬時に一歩前に逃げて、振り向く。長い髪が踊った。
 「いきなりなにする!」
 「おまえ、おれを置いていくなよな」
 「……別に、制服くらい一人で買いにいけるよ」
 ぷん、とそっぽを向く少女。その感情的な態度に、怜悧はニヤニヤと笑う。
 「なにふてくされてるんだよ。ただちょっとチョコもらっただけだろ?」
 「……ちょっとって数じゃなかったよ」
 少女は冷ややかな、それでいてどこか激しい眼差しで、怜悧を見た。



 二月十四日。言わずと知れたバレンタインデー。
 葉山月学園高等部二年の此花希は、去年は義理すら考慮しなかった。そのせいで、他の女の子から大量に受け取っていた友人Aは、どうせそうだろうと思ってたけどさ、という顔でふてくされていた。だがその彼は、希の家の前での別れ際に、希の予想外の行動に出た。
 別れの挨拶をしようとした希を呼び止めて。
 「おれから渡すのは今年が最後だからな!」
 さすがに希は意表をつかれた。前年までならともかく、その年にこうくるとは、希はまるきり思っていなかった。
 不機嫌そうな言葉とともに差し出された、明るい包装の四角い箱。
 「……えーっと……」
 なんのつもりかは充分わかるが、わかっていても、希は言葉につまった。
 彼は照れもせずに、むしろ不満そうに、「ほら!」という感じで、希の胸元にそれを押し付けてくる。
 男の子から女の子へ、バレンタインのチョコレート。
 「……ありがと」
 希は半ば無意識にそう言って受け取る。その発言に、友人Aは驚いた顔で希を見やった。
 「え、ありがとってことは、付き合ってくれるの?」
 「寝ぼけなさい」
 ここで甘い流れにならずに、いつもの会話に戻ってしまうのがまだこの時の二人だった。彼はまたふてくされて、ムキになったように怒鳴る。
 「一生このままなら、来年からは絶対、希からもらうからな!」
 「キミが十月までちゃんと約束を守ればね」
 希は笑って彼の言葉を軽く聞き流し、微妙な空気をごまかすように、「バレンタインのチョコが一個だけなんて、初等部の時以来かな」などと、全国の男性諸君の何割かを敵に回しそうな発言をする。友人Aは不満げな表情を維持しつつも、その希の言葉になぜか頬を緩ませていた。
 それから一年。
 色々あったが、希の友人Aは無事希の恋人へと昇格した。希としては少し照れくさいが、今年は彼に言われる前に、自分からチョコレートを用意した。希の素直な気持ちをこめた、バレンタインのチョコレート。
 希の恋人の性格を考えれば、喜んでくれるのは目に見えているから渡しがいもある。我ながらすっかり女の子だなぁ、と希は内心苦笑するが、たかだがチョコ一つで彼が喜ぶのなら安いものだ。そんなふうにボーイフレンドの喜ぶ顔を想像しながら、この日、希は登校したのだが。
 朝から、他の生徒たちも、男子も女子もちょっと浮き足立っていた。一部まったく関係ない男子もいるようで、そのあたりは暗い雰囲気や開き直っている空気もあったりするが、彼らには彼らなりにがんばってもらうことにして、希は見なかったことにする。教室に入ると、知り合いに挨拶をしながら、自分の席に向かった。
 とたんに、嫌な光景が目に入る。
 一年前なら、気にもせずにいられた光景。希の機嫌は、本人の自覚がないままに、いきなり悪くなった。希の恋人である同級生の朝宮怜悧が、他の女子からチョコを受け取っている姿が目に入ったからだ。怜悧の幼馴染みの三人の女の子を中心に、なにやら盛り上がっている気配。
 希はすぐに視線をそらした。コートを脱ぎ、荷物を机の中に放る。その間に、希に気付いた怜悧が自分からやってきた。怜悧と話していた女の子たちは不満そうだが、今の希に彼女たちを気にする余裕はない。
 「おはよ、希」
 「……おはよう」
 「ん、どした? なに膨れてるんだよ」
 怜悧はなぜかニヤニヤ笑っている。
 「…………」
 言われてはじめて、希は自分が不機嫌になっていることに気付く。たかだがチョコレートの一つや二つでなにをムキになっているのか。
 「……別に、なんでもないよ」
 希は静かに一言言うと、鞄などをロッカーに仕舞いに行く。
 希にとっては、こういう風習それ自体にはたいした意味はない。だがだからこそ、大事なのはそこにこめられた気持ちだということもよく知っていた。気持ちがあれば、どんな些細な日でも素敵な一日になったりするし、逆に気持ちがなければ、どんな記念日だって普通の一日とかわらない。
 怜悧はちゃんといつも希に気持ちを伝えてくれている。多少他の女子からチョコレートを受け取ったからといって、彼の気持ちが揺らぐとは希は思わない。
 なのに不快感を抑えきれない自分。
 希のその感情は、嫉妬というよりは、独占欲に近い感情だったかもしれない。
 怜悧は追っては来ずに、希の机に身体を預けて、希が戻るのを待っている。そして希が戻ると、いきなり言った。
 「おまえさ、なんかスカートが短くないか?」
 「ん?」
 不意に言われて、希はちょっときょとんとする。
 自分のスカートを、軽く触ってみる希。学園高等部指定の冬の制服だ。冬場で寒いので、希の足は黒いストッキングで覆われている。
 「別に、短くしてないよ」
 「そうか? 前より短くないか?」
 「服が縮んだ?」
 言った後、希は逆のことに気付いた。怜悧も気付く。
 「ああ、そうか、おまえが少しだけ成長したからだな」
 「少しだけって何」
 「おまえ、その制服、もうあわないぞ」
 無視するな、と思いつつ、希は改めて自分の身体を見てみる。
 「身長もどのくらい伸びてる? 十センチは伸びてるだろ?」
 「……この制服、一年の時のだから、百四十に乗る前だから、……八か九センチくらい、背も伸びたかな」
 八月に入った時点で、百四十六をちょっと超えているくらいだった。それから計っていないが、今なら百四十七か八くらいあるかもしれない。
 「胸とかお尻のラインとかけっこうわかるぞ。背よりそっちがかなり成長してるだろ」
 「なにを見てる」
 希は思わず怜悧を睨む。言われてみれば、胸とかお尻とか少し目立つようになっている気もするが、人に言われるのは嫌だ。
 制服については、身長よりもその他のサイズの影響が大きかった。がりがりに痩せていた頃の制服のため、ここ一年の肉体の成長にあわせてけっこう今風になってきている。
 が、だからと言って、これまで特に制服まで気にしていなかった希としては、怜悧の視線ははっきり言って不愉快だ。落ち着かない気持ちになる。
 「ロッカーとか、下手にかがむと見えそうだったぞ」
 「変なとこばっかり見るな」
 「いや、ちゃんと隠してるけどな。姿勢がいいから、隠すのも上手いよな」
 「…………」
 その言い方も、誉められているのかどうなのか、微妙である。
 「放課後買いに行くぞ。いいな」
 有無を言わせない怜悧の口調。希はちょっとむっとするが、おかげで放課後こちらから誘う手間が省けたことは内心喜んだ。いくらクラス公認カップル状態とは言え、教室では渡したくない。
 「……いいよ。わかった」
 「おし。で、今年はおれに何か渡すものがあるだろ?」
 なのにどうしてこの男はこうも露骨なのか。ムードもへったくれもない。
 彼が他の女子から笑ってチョコを受け取っていた様子も思い出してしまい、希の不機嫌さがまた戻ってくる。希はそのまま、ないと言い切ってやりたくなった。が、それはそれで嫌な気もしたし、彼がうるさくなることも目に見えて想像できてしまう。希はそっぽを向きながら、小声で言う。
 「……後で渡す」
 「おっし!」
 とたんに嬉しそうになる怜悧の顔。どこか子どもっぽく浮かれながらも、「にやにや」と「にこにこ」を混ぜ合わせた感じの笑いだ。希は自分の頬が熱くなるのを感じた。
 「ほら、もう自分の席にもどりなさい。先生来るよ」
 「はっはっは。素直じゃないな、相変わらず」
 余計なお世話だ。
 希はもう怜悧を無視して、席に腰を下ろした。が、怜悧は嬉しそうにまとわりつくように、構わず話しかけてくる。結局怜悧のペースに巻き込まれて希は笑顔になってしまい、じゃれあううちにチャイムがなり、いつもどおりの一日が始まった。
 のだが、希はどんどん不機嫌になっていく自分を感じていた。
 去年はここまで気にすることはなかった。別のクラスだったから直接見ることがなかったということもあるし、まだそこまで本気ではなかったとも言える。
 今は性格に難があるとは言え、怜悧はもてる。成績優秀、容姿端麗、運動神経抜群、財力も家柄も文句なし。昔からずっと葉山月学園のアイドルと言われていたくらいで、その支持層は幅広い。去年から希という彼女ができたわけだが、彼にアコガレを抱く女子は少なくないと言う。
 希は情報としてそういうことは知っていたが、この日はまざまざとそれを思い知らされる形になった。休み時間ごとに、違うクラスや違う学年の女子が、怜悧にチョコを渡しに来る。さすがに教室で告白してくる子はいないようだが、怜悧がやんわりと受け取りを拒絶しないため、渡した女子たちも笑顔で去っていく。
 希のいらいらは募る一方だ。
 「あのバカどうして笑って受け取るんだ」
 他の子にもてるのがそんなに嬉しいのか? と、理不尽な感情が湧きあがる。おまけに二時間目の休み時間などは、希から怜悧に話しかけにいったのに、他学年の女子にそれを邪魔された。
 「朝宮くん、これ、うけとってくれるかしら?」
 「ああ、ありがとう、先輩」
 義理でしか受け取らないという態度は露骨だが、軽く言って受け取る怜悧。数人の上級生が、「テニスがんばってね」とか「来年は受験するの?」とか、数少ない怜悧との接触機会を生かそうとがんばる。怜悧は社交辞令という顔だが、だがその問いを拒絶することもしない。
 希はふてくされてその場を離れた。
 三時間目の休み時間は逆に怜悧から話しかけてきたが、やはり同じ結果になった。今度は他のクラスの子で、希は思い切り睨まれるはめになった。希は席を立って離れたが、ここで怜悧が追ってきたりしないのも不満だ。
 彼女を放っておいてなにをやっているのか? いらつくのが止められない。
 クラスメート達はそんな希の不機嫌さがわかるのか、からかわれたり、慰められたりもしてしまった。
 「まあ、コレはお祭りみたいなものだからね」
 「そうそう。今は此花さんがいるし、たいていの子は諦めてるよ」
 「ちょっと気持ちを伝えたいだけなんだから、そのくらいは大目に見てあげないと」
 「……そうなんだろうけどね」
 普段の怜悧は他の子にはどちらかというと冷たく、必要以上に優しい顔は見せないのだが、せめてこの日くらいは、という思いがあるのだろうか。好きな人にそっけなくされることがどんなに辛いか、充分に知っている「怜華」だから。もしかしたら、こんな時ばかりは怜悧も女の子の気持ちを考えてしまうのかもしれない。
 希はそうも思うが、口にだしては聞き分けのいい女を演じてみせたが、やはりいらだちは消えなかった。怜悧が女の子の気持ちがわかるなら、好きな男が他の女からチョコを受け取るのを見せ付けられる気持ちもよくわかるはずで、彼に対する不満を消せない。
 昼休みは、ここでは予想外の展開が待っていた。逆に希の所に、下級生の女の子が集まってきたのだ。
 希の手もバレンタインのチョコでいっぱいになりかけたが、希は全部きっぱりと受け取りを拒否した。泣きそうな子もいたが、下級生たちはむしろこれに喜んでいた節もある。謎だ。
 そのまま希は、本当は怜悧と二人でご飯を食べたかったのだが、彼女たちに泣きつかれて昼食をいっしょにする羽目になった。いつもは嘴を挟んでくる怜悧は、この日はなぜか、もしかして他の女子の相手をしていたのか、昼休み中ずっと希の前に姿をあらわさない。
 放課後も、怜悧はすぐにまた他の女子につかまっていた。一人で教室を出た希は、「怜悧を喜ばそうとした自分が馬鹿だった」といういらついた気分だった。帰ってさっさと、自分で買ったチョコを自分で食べたかった。
 そして校庭で。追いついてきた怜悧の気配に、希は身を強張らせる。
 なのに脈絡なく、怜悧は希の太ももの裏側に触れてきた。
 「ひゃっ」
 希は思わず声を出しつつ、瞬時に一歩前に逃げて、振り向く。
 「いきなりなにする!」
 「おまえ、おれを置いていくなよな」
 「……別に、制服くらい一人で買いにいけるよ」
 怜悧はニヤニヤと笑う。
 「なにふてくされてるんだよ。ただちょっとチョコもらっただけだろ?」
 「……ちょっとって数じゃなかったよ」
 希は冷ややかな、それでいてどこか激しい眼差しで、怜悧を見た。
 「嫉妬してるのか?」
 「…………」
 嫉妬、なのだろうか。希は思わず言葉につまった。怜悧はまだ笑いながら横に並ぶ。
 「ま、とりあえず一緒に帰ろう。今日は部活サボるから」
 「…………」
 希の背を軽く押して、歩き出す怜悧。希も逆らわずに歩き出す。
 いつも通りの彼。理不尽なことで不機嫌になっている自分。怜悧と一緒にいつも通り笑ってしまえれば楽なのに、と希は強く思う。たかがチョコレートだ。いちいち怒るようなことではないはずなのに。なのに笑顔が作れない。
 「制服は作らせていいだろ? おれんちにこいよ」
 「既製品でいい。学園指定のお店でいい」
 「いいから、おれに任せろよ」
 「そういうのはいや。特別なのは着たくない」
 「おまえがそう言うなら素材は合わせさせるさ。サイズだけだよ」
 「いらない。お金も自分で払う」
 「おまえ、びんぼーのくせに」
 「そのくらいお金ある。お父さんにだしてもらうからいい」
 「まだ拗ねてるのか?」
 希は怜悧を睨み付けそうになった。
 ちょうどここで校門が視野に入る。中等部の女子の一群が去年同様そこにいるのを見て、希は表情を消して一歩怜悧から離れた。
 「……今日は、帰ってから、一人で買いに行く。キミは付き合ってくれなくていいよ。さようなら」
 「お、おい、まてまて!」
 腕がつかまれる。
 「いいからこいよ。まだ大事な用もあるだろ?」
 「…………」
 腕を引かれるままに、希は歩く。嫌なら手を払っていただろう。ついていったのは希自身の意志。
 下校途中の生徒たちが、腕を引いて引かれて歩いている希たちをちらちらと眺めていた。並んで歩いているだけでも人目をひくカップルだが、この態度だとなおさら噂に拍車をかけているかもしれない。
 なぜか、中等部の女子たちも声をかけてこない。怜悧にチョコを渡すために待っていたという雰囲気は露骨だったのに。二人の雰囲気が、声をかけるのを躊躇われるほどだったのだろうか。
 怜悧は車を待たせていた場所まで希を引っ張っていき、中に押し込む。後部座席が広い対面シートになっている贅沢な車だ。運転席との間には仕切りがあって、プライバシーも確保されている。ある意味密室だった。
 怜悧はなぜかすぐには中に入ってこない。コートを脱いだ希は、じっと自分の鞄を見つめた。
 「…………」
 鞄の中には、前夜に忍ばせた怜悧への贈り物が、まだそのまま入っている。たかがチョコだ、と希は改めて思う。怜悧はちゃんと気持ちを伝えてくれる。ただバレンタインに他の女の子からチョコレートを受け取っただけ。
 希は微かにため息をついた。ただそれだけのはずなのに、なぜこんなにも感情がささくれだつのか。度のすぎた独占欲は相手にも嫌悪感を抱かせるだけなのに。かつての「望」と「怜華」のように。
 じきに、外でなにやら運転手と会話を交わした後、怜悧が中に入ってきた。
 突然の強い芳香。
 「…………」
 希の目の前に、真紅の薔薇の花束。
 とっさに、希は反応ができなかった。
 怜悧は花束を希の胸元に捧げたまま、希の横に腰を下ろす。
 「嬉しいよ、嫉妬してくれて」
 「っ!」
 希は思わず怜悧を睨みつけた。希がそんな顔をすると、怜悧は心の底から嬉しそうに笑った。
 「おれが好きなのは希だけだ」
 もう何桁の回数耳にしたのか、まっすぐな彼の言葉。
 そのまま、怜悧は希の顔に唇を寄せてくる。柔らかな優しい声。
 「希以外、いらない」
 希の以外、ではなく、希以外。
 それは反則だ、という、わけのわからない思考が希の脳裏を駆け巡る。希はぎゅっと目を閉じて、唇に怜悧の唇を受け入れた。
 すぐに唇は離れる。怜悧は軽く笑った。
 「ほら、いい加減機嫌を直せよ」
 花束が改めて胸元に押し付けられる。
 「…………」
 希は目を開き、吐息をつきながら、大きな花束を抱きしめた。この花は何のつもりだ、と思うが、問うまでもない状況だろう。濃厚な薔薇の香りに、希は酔ってしまいそうになる。
 「……キミが他の子からチョコを受け取るの、すごく嫌だった」
 希の素直な気持ちが、言葉になって零れた。
 「ああ、ヤキモチやいてたな」
 怜悧はくすくすと笑う。希としてはちょっとカチンとくる物言いなのだが、否定はできないからもう意地を張ったりはしない。
 「本当に、どうして受け取ったの? わたしが嫌がるとは思わなかった?」
 「正直、ここまで激しい反応は予想外だな。去年は全然気にしてなかったくせに」
 「立場も状況も全然違う。去年はまだ付き合ってなかった」
 「ま、そうだけどな。でも、本当に嬉しいぞ。こんなに怒るくらい嫉妬してくれて」
 怜悧の手が、希の頬に伸びてくる。
 頬を撫でるその手に手を重ねるように、希は彼の手を上から押さえた。
 「わたし、わがままを言う」
 「うん?」
 「……来年からは、他の子からは絶対受け取らないで」
 希の心からの本音だった。醜い感情だと思ったが、譲りたくない。
 怜悧の声は嬉しそうで、そして優しかった。
 「わかった。受け取らないよ」
 そっと唇を寄せてくる。希は素直に、目を閉ざした。
 「…………」
 再び、唇に触れるだけの優しいキス。
 またすぐに、怜悧の唇は離れる。
 「…………」
 「…………」
 目を開けると、大好きな人の優しい笑顔が、希の前にある。
 「……好きな男が他の女からチョコをもらうのって嫌だろ。それを見せつけられる気持ちがわかったか?」
 希は少し拗ねたような表情で、だが明るく笑った。
 「うん。いらいらした。怜悧を殴りに行きたかった」
 「望」もモテていたから、バレンタインはそれなりの量だった。「怜華」はそれを見てかなり激しく嫉妬して、いつもぷんぷんしていた。今となっては希もその「怜華」の心理もわかる。
 「おいおい、おれかよ」
 「受け取る方が悪い」
 くすくす笑いながら、希は気持ちのままに彼を責める。怜悧も笑う。
 「おれもいつも殴りたかったんだぞ?」
 もう一度、怜悧はそっとキス。
 希は微笑んでその甘いキスを受けながら、ぼんやりと、なにかが脳内に湧き上がってくるのを感じた。
 怜悧の動きは次第に情熱的になって、熱く、片手が希の身体を抱き寄せる。
 唇が唇で甘ガミされ、舌が伸びてくる。
 その思考は唐突だった。
 急激に、希の理性が一つの答えをはじき出す。
 「……まさかとは思うけど」
 「ん?」
 希の唇に逃げられた怜悧は、都合がよいとばかり、そのまま首筋の方に移動しようとする。希はそんな彼を少し強く両手で押しやって、まっすぐに彼を見た。
 「わたしに嫉妬させるために、わざと受け取ったりはしてないよね?」
 「…………」
 怜悧は一瞬動きを止めた。視線が露骨に泳ぎ、その顔が、少しバツが悪そうな表情になる。
 「っ!」
 カッと、希の頭に血がのぼった。
 ぐーで、おもいきり、怜悧のボディにパンチを飛ばす。
 「ぐえ!?」
 「どうしてそう人を試すような真似をする!」
 「い、いきなり、殴るのはやめてくれ……」
 希はとっさに感情を抑えきれなかった。昔なら冷たい目でそっけなくするだけですんだのに。
 「怜華だって殴ってきてた。お互い様だよ!」
 「の、望はまともに殴らせてくれたことないだろ!」
 「わたしはわざと怜華に意地悪したことはない!」
 「だから余計にたちが悪かったんじゃないか!」
 思わず、希は怯む。
 「これでおれの気持ちもわかっただろ? いつもいつもどういう気持ちだったか」
 「それはそうだけど……!」
 つい同意しかけた希だが、それはどこか問題が違う。
 「怜悧はわざとした。わたしはわざとやったことはない。ひどすぎる」
 「希はおれに好かれてる。おれは好かれてなかった。その差は大きいだろ」
 「そ、それもあるけど……!」
 確かにその差は大きいかもしれない。希はまた同意しかけたが、やはりそれも何かが違う。
 「今は、違う……でしょう」
 なぜかかなり恥ずかしい台詞を言わされた気がした。顔を赤くする希に、怜悧は嬉しそうに手を伸ばしてくる。
 「ああ。だからやれたんだよ。すぐ慰めてあげることができるからな」
 怜悧の手が、希の身体に回る。
 「勝手すぎる!」
 希の声は威勢がよかったが、その抵抗は弱かった。
 「そうかもな」
 ぎゅっと、楽しそうに嬉しそうに、希を抱きしめる怜悧。希は怜悧の胸を押し返そうと弱々しく抵抗しながら、もう一度、その唇に、彼の唇を受け入れた。









 約一時間後、希は真新しい制服を着込みんで、再度怜悧の車に乗り込んだ。怜悧の頬がしっかりと紅葉型に赤くなっているのが、あの後の二人の状況を物語っている。
 「失敗したかな……」
 希の予備の新しい制服と、古い制服を持たされている怜悧は、そんな希に続いて車に乗り込みながら、ちょっとうなっていた。
 「なにが?」
 「その格好」
 「似合わない?」
 「いや、ムチャ可愛い」
 希はにっこりと笑う。
 「ありがと」
 すぐに動き出す車の中、怜悧はそんな希に見惚れた。
 「なにが失敗?」
 「おれの前だけは、前の服を着せたい」
 真顔の怜悧に、希の視線はいきなり冷たくなった。
 「……絶対に着ない」
 「……ま、いいんだけどな。他の男も近寄りにくいだろうし」
 今風の女子高生といった感じすら漂わせていた、少しだけ短めのスカートにちょっとぴっちりした上着。そんな姿だったのが、太ももをしっかりと隠し、身体の線も必要以上に見せないゆったりとした着こなしに。相変わらず可憐だが、さらに落ち着いた感じになって、露骨な色気は減った。その分楚々とした美しさは増し、ある意味別種の色気もあるが、はるかにガードは固くなった。恋人の怜悧ですらそう感じるのだから、他の男から見たら何倍も声がかけにくいことだろう。
 「でもおまえ、やっぱり肉付きがだいぶよくなったよな」
 「触るな」
 スカートの上から太ももを撫でてきた怜悧の手を、ぴしゃりと叩く希。
 「前が痩せすぎだったとも言えるけどな。十六の誕生日あたりで三十なかったんだっけ? 今はどうなんだ?」
 「四十には乗ってる」
 「まだ細いもんな、おまえ」
 「でももっと筋肉が欲しいな。体重も五十には乗せたい。身長も百六十欲しい」
 「百六十は無理だな」
 「…………」
 「二年の四月が百四十五だろ? 十ヶ月で二センチちょっとしか伸びてないのか?」
 「本気で泣くよ」
 「あはは。この調子で伸びても、百五十になるのも今年の終わりの話だな」
 「だから身長の話はもうしないで」
 さきほど服を買うときに計ってもらったら百四十七ちょっとだった。二十歳までの約三十ヶ月に、仮にこのペースで伸びても百五十五。しかも、遅れてやってきていた成長期だが、既に十七歳だから、確実にペースは鈍化するだろう。希もそろそろ現実を直視せざるをえなくなってきていた。
 「じゃ、体重の話をしてやろう。今くらいでもう軽くていいと思うぞ。筋肉も、むしろないくらいで可愛い」
 「男は勝手だ」
 もっとも、希にもその心理がないでもなかった。だからこそなおさら男は勝手だと思うのかもしれない。
 「軽い方がお姫様抱っこもしやすいからな。女の子の夢だろ?」
 「…………」
 夢かどうかはおくとして、そんなぬくもりに甘えるのも確かに好きかもしれない。彼の前で口にだしてはあげないが、今の希はそう素直に思う。男の立場でするのも楽しかったかもしれないが、女の立場で甘えるのも悪くない。
 「キミもされたかった?」
 「ああ。女なら絶対されたかったな。初体験の時と、結婚式の時は絶対して欲しかった」
 希は、ちょっとのけぞった。
 「……わたしはしなくていいから」
 「まあまあ、意地はるなって。そのうちちゃんとしてあげるから」
 「じゃあでぶになる」
 「重くてもがんばるさ。がりがりでもデブでも、しわくちゃになっても好きだ」
 「…………」
 どうしてこの人は、こういう台詞をさらりと言い切ってしまうのか。
 嬉しいのは嬉しいが、希としては反応に困る。少し脈絡のない言葉が口に出た。
 「……じゃあ、キミのことは、わたしが護るよ」
 「なんだよ、それ。希の分もおれが鍛えてちゃんと護ってやるよ」
 この台詞も嬉しいが、嬉しいからこそ、譲れないと思う。
 希はそっと、怜悧にもたれかかった。それを彼が喜ぶことを知っていたから。
 「一方的なのは嫌だから。一緒に生きよう」
 「…………」
 こういうとき、怜悧はなぜかいつも黙る。希はくすっと笑い、目を閉じて、そのまま彼に身体を預けた。
 怜悧は何か言いかけたようだが、無言のまま、希をぎゅっと抱きしめる。
 「…………」
 「…………」
 優しい沈黙。お互いを感じる暖かい時間。
 恋人に撫でられながら、希は素直に甘い時間に浸る。だから彼の手がだんだんと活動範囲を広げていった時も、それを変な意味にはとらなかった。となると当然のごとく、怜悧の手は懲りずにますます大胆に――。
 「あ」
 希が不意に声をあげて、怜悧から顔を離す。怜悧はびくんと、手を引っ込めた。
 「……な、なんだ?」
 希は微笑む。彼が微妙に冷や汗をかいていることに気付かず、前の座席に身を乗り出した。鞄を手にとって、中身を取り出す。
 「気持ちを、ね」
 希の鞄の中から出てきたのは、小さいがきれいな包み。怜悧の一瞬の安堵は、すぐに激しい歓びにとってかわった。
 「はは、忘れてるかと思ったぞ! とっととよこせ」
 「あげるのやめようかな」
 相変わらずムードがない彼に、希は笑いながら、彼の横にちゃんと座りなおす。
 「なんだよ、おれしかやる相手いないくせに」
 「自分で食べてもいいんだけどね。お父さんも、あげれば喜ぶかも」
 「む、おじさんにはやるなら義理にしとけ。希はおれに約束させたんだから、希も毎年おれにやらないとだめなんだ」
 毎年と言われてしまうとなんとなく怯むが、それももう嫌な気分にはならない。希は素直にそうだねと笑って、胸元にチョコを持った。怜悧の手はうずうずと、今にもそのチョコを横取りしそうな気配だ。
 「希の初バレンタインだよな?」
 「まあ、渡すのはね」
 「相手がおれで嬉しいだろ?」
 「黙って受け取りなさい」
 「はは、まじで嬉しいぞ」
 笑いながら希は差し出し、怜悧も本当に嬉しそうにそれを手にとる。希は箱から手を離す前に、ちょっと躊躇った。
 「……バレンタインって、おめでとうは変だよね。なんて言えばいいんだろ? ありがとう、かな?」
 「日本では女が男に愛を告白する日だな」
 怜悧は言いながら、待ちきれなくなったのか、希の手からチョコレートをぶんどった。
 「またすぐ調子に乗る」
 希は笑った。笑いながら、怜悧の腕に手を当てて、彼の方に背伸びをする。
 「好きだよ」
 囁いてから、キスをする。
 自分から暗に要求してきたくせに、怜悧はやっぱり、こういうとき、一瞬硬直する。
 「これからもよろしくね」
 まっすぐに、ちょっと照れながら、希は優しく、恋人に寄り添った。








 concluded. 

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更新日 2004/02/06

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