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夢の続き   (作:Taika Yamani)
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  第六話 「女の子」


 年が明けて一月、極端に遅かった希の身体の発育は、ここにきて急速に成長をはじめていた。小さかった胸も徐々に膨らみをまし、身長もちょっとずつ伸びる。まだ小食だがしっかりと三度食べるようになったことで薄かった肉付きもよくなり、顔色も、青白さは相変わらずだが、すべてが少しずつ少しずつよくなっていく。
 その事件は、そんな流れの中で起きた。
 一月の日曜日。
 希としては、それがその日だったことは、よかったと思うべきなのか悲しむべきなのか自分でもよくわからない。怜悧に付き合って映画を見た後の、昼下がりの喫茶店だった。
 百四十数センチの小柄でやせっぽちで中学生にだって見える希。相変わらず眼鏡に三つ編みで野暮ったい格好だ。服装もシンプルな青いチノパンに白いトレーナー、濃紺のダッフルコートに黒いマフラーで固めている。背が低くて胸もないこともあって、マフラーから長い三つ編みがひょこんと飛び出していなければ、男の子にだって見える。
 百七十五センチを超える逞しく甘いマスクの怜悧。こちらもシンプルな格好だが、大きく開いたカットソーの胸元から覗く白い肌がまぶしい。黒づくめ服装の中に白い逞しい肌だから、男が見てもドキッとするような色気がある。異国の血が混じっている彼は、天然の癖がある褐色の髪もさわやかな長さで、傍目にはどこのモデルだという印象かもしれない。
 そんな二人。どう贔屓目に見ても兄と妹といった風情で、カップルにはまず見えないのだが、怜悧はすっかりデート気分で、いつもべたべたしてくる。希としては友達感覚で付き合ってあげているのだが、もう半分諦めていたから、度を過ぎない限りされるがままだ。
 が、カップルに見えないために、かえって気軽に怜悧に話しかけてくる女もいるのだから状況は複雑だ。怜悧のことが「優しくて素敵なお兄さん」という風に見えてしまうらしい。そんな相手に怜悧は実に冷淡なのだが、二人きりになるとすぐに「妬くか?妬くだろ?」などと調子に乗るのだから希としてはやれやれだ。
 「わたしなんかよりあのおねーさんたちと付き合えばいいのに」
 「おれは希一筋さ。希が世界で一番可愛い」
 「……よく真顔で言えるね」
 「本音だからな。それに、もっと健康的になれば希は絶対美人になるよ」
 「……怜悧に言われてもなぁ」
 「どーいう意味だ。ほら、さっさと決めろよ。なに飲む?」
 「……んー。今日はなんだか、ちょっと、おなかが痛いかも」
 「おれはおまえに殴られたおなかが痛いぞ」
 「それは自業自得」
 それは薄闇の映画館での出来事だ。
 この日二人が見た映画は近未来を舞台にしたアクション物で、怜悧は途中から希の手を握ってきた。これは「怜華」だった時もよくあったことで、派手なアクションシーンなどほとんど無意識につかんでくるだけだから、希も特に気にはしない。こういう点が「怜華」の言うところの「期待させる」点と言うことになるのだろうが、それはさておき、物語の中盤、これからラストの戦闘になだれ込む前の休息のシーンで、主人公とヒロインがお互いの不安を紛らわすかのようにラブシーンへと突入した。
 ありがちだなぁ、と希は思っていたが、こういうベタな展開も別に嫌いではない。と思っていたところに、怜悧の顔が近づいてきたのだ。
 「希……」
 手をつないだまま、ささやき声。希はちらりと、横を向く。
 「ん?」
 「…………」
 怜悧はそのまま、片手を希の頬に当てて、顔を寄せてきた。唇が、唇に……。
 当然希は、それが重なる前に、思い切りボディブローを食らわせた。
 「でも、声を出さなかったのは偉かったね」
 オーダーを済ませてから、希は話を戻して少し意地悪に怜悧を見る。怜悧は憮然とした。
 「それは違うぞ。ださなかったんじゃなく、声もでなかったんだ」
 「あはは」
 「たかだかキスくらいでひどすぎだ」
 「怜悧にとって、キスは、たかだかというものなんだ?」
 また意地悪で言ったつもりだったが、怜悧は逆に偉そうに胸を張った。
 「おう。好きな女にするキスはもう、いつでも四六時中するものだ」
 一瞬、言葉に詰まる希。怜悧はからからと笑う。
 「おまえだけだよ、おれがしたいのは」
 「……相手の気持ちを考えないのは最低」
 「ほんとはおまえも嫌じゃないだろ?」
 「絶対嫌」
 「嘘つけ」
 希は冷たい視線で怜悧を睨む。怜悧はまたからからとわらった。
 「意地っ張りな希も可愛いよ」
 「…………」
 希としてはちょっと釈然としない怜悧の態度だ。なんだか最近、怜悧の態度に余裕がでてきているような気がする。「怜華」ならこんな冷たさにはすぐに感情的に反応していたのに。
 「最近、怜悧、可愛くないね」
 「ん? お、それって、前は可愛かったってことか?」
 なぜ喜ぶんだキミは、と思った希だが、「怜華」のことだと解釈したのなら嬉しくもなるのかもしれない。希はこの日はなぜか妙に精神的に落ち着くことができず、なんとなくまた不機嫌になった。
 「あの頃もうるさかったけどね、今の怜悧はなんだかナマイキ」
 「ん〜? 自分ではよくわからないな。ま、希が一緒にいてくれるからかもな」
 やはり、希としては今一納得のいかない怜悧の態度だ。可愛く冷たい希の表情に、怜悧はずっと笑っていた。
 そんな会話を交わした十数分後に、それはきた。
 下腹部に違和感。希は一瞬おもらしをしたのかと焦ったが、ズボンがうっすらと、ほんの少し赤黒く汚れているのを見て、思わず悲鳴をあげそうになった。
 「ん? どうした?」
 「な、なんでもない」
 とりあえず脱いだコートでズボンの汚れを隠す。希の知識はすぐに状況を察したが、だからといって対処法まではとっさに頭に浮かんでこない。「そうだよね、これがあって当たり前なんだよね、今までなかったのがいっそ不思議なくらいだ、でもどうすればいいんだこれ、こんなときみんなどうするんだ? 学校ならまだしもここは街中だし喫茶店だし、いったいどうすればいい? うう、家なら母さんに頼れたのに、どうしてこういうときにこんな目に」
 もう頭が混乱しまくりである。
 「な、なんだ、本当にどうしたんだ? 顔が真っ青だぞ」
 「う、うん……」
 倒れてしまいそうだ。倒れてしまいたい。
 「どうしよう?」
 「なにが? なんかやばいことでも思い出したのか?」
 「やばい、といえば、やばいかも」
 「なにが?」
 「…………」
 「いいから言えよ」
 そんなふうに問い詰められたら余計に言いづらいって事がなぜわからないんだこの唐変木。
 そんな希の心の声は当然怜悧には伝わらなかった。なにを誤解し始めたのか、ただ単に忍耐力がないだけなのか、怜悧の視線はだんだんときつくなる。
 「なんだよ、らしくないな。はっきりしろよ」
 「……生理がきた」
 この年で初めての月経。初潮である。成長が遅く、また栄養状態もよくなかった希なだけに、今ごろになってやってきたのだろう。今まで全然気にしていなかった希は、前もって対策を考えておくべきだった、と、真剣に後悔した。
 もっとも、これは半分以上「希」と両親の責任ともいえる。希は本で大量の知識は仕入れているが、実際の経験値は異様に乏しい。「希」自身がとうの昔から用意しておくべきだったのに、サボっていたツケが今ごろになってやってきた。いつも家に篭ってばかりだったために、外にでるときのことを考えていなかったということもあるとはいえ、それはないだろうと言いたい。
 にしても、「初めての月経で始めから大量に出血することはまずない」と「希」の知識は教えてくれているのだが、この状況は明らかにそれを裏切っているように思える。知識が間違っているのかレアケースなのかは知らないが、全然嬉しくない。
 「……ふーん?」
 怜悧はきょとんとした顔で首をかしげる。
 「……で、なにが問題なんだ?」
 「…………」
 「あ、まさか、もってきてないのか? 用意してなかった? ああ、服を汚しちゃったのか!?」
 「こ、声が大きい!」
 「あ、ああ。すまん。ばかだなー、きそうな時はそれなりの対応をしとかないとダメじゃないか」
 「……もう手遅れ」
 「う、な、泣きそうな顔するなよ」
 泣く、というよりは、落ち込んでいる希。しかも気のせいか気持ちも悪くなってきた。血を感じたせいだろうか。
 「ランジェリーシートも持ってないのか?」
 「なに、それ」
 「オリモノシートだよ」
 「ああ、そういうのもあるみたいだね。でも持ってない」
 「とりあえずティッシュでふいてハンカチで代用できない?」
 「あー、そういえばそういうこともできるらしいね」
 「らしいねって……え、え、え、おい、まさか?」
 「…………」
 気付かれたようだ。希はもう一度、こくんと頷いた。
 「うわー、今日はお赤飯なわけだ!?」
 「ば、ばか! 声が大きい!」
 「あはは〜。そーかそーか」
 なぜそんなに嬉しそうなんだキミは、と希は心の中でつっこむ。周りから飛んできた視線がやたらと情けなかった。恥ずかしさよりも、自己嫌悪が募る。
 「で、多いのか?」
 しるかボケ、と言いたいのをぐっとこらえる希。
 「たぶん」
 「じゃあ簡単な対処じゃすまないかもな。かえの下着は持ってるだろ?」
 さすが元女だけあって、怜悧はテキパキと対応してくれる。希は複雑な表情でそんな怜悧を見やった。
 「……下着も、かえなんて持ってない」
 「おまえねー。そのくらい常識だぞ」
 「…………」
 「あー、はいはい、そんな切なそうな顔するなよ。とりあえずトイレにいってふいてこい」
 「え、それだけでいいの?」
 「気持ち悪いだろ、そのままだと。出血は続いてるかもしれないけど、ためこむよりましだ」
 「そ、そうなんだ」
 「ほら、立てよ。後ろは隠してやるから」
 「う、うん。ありがとう」
 希は立ち上がると、前はコートで隠してトイレまで歩いた。幸い男女兼用のトイレは空だった。別に一つだけある個室も鍵はかかっていない。なぜか怜悧もくっついてきたが、とりあえず素早く中に入る。
 「後ろは目立たないな。だれも気付かないと思う」
 「ほ。前も、気にしなければわからないかも」
 「希のあそこをじろじろ見る男がいないことを祈るんだな」
 にやにや笑いながら言う怜悧。希は冷たい表情で個室に入ったが、怜悧は個室までくっついてきた。
 「ちょ、ちょっと怜悧」
 「やりかたわからないだろ。やってやるよ」
 「ふ、ふざけるな」
 「静かにしなよ。騒ぐとばれるぞ」
 「な、ば、ばれるとまずいようなことをする気か!」
 「いや、まあ、あれだな、うん。兄が妹の初潮の手当てをするの図、だな」
 「い、いらない、自分でやる。外にでてて」
 「遠慮するな」
 「…………」
 この馬鹿どこまで本気なんだ、という目で、希は怜悧は見る。怜悧の目は半分本気で、半分はニヤニヤと笑っていた。とりあえず希は落ち着くことにして、軽く息を吐き出した。
 「わからなければ訊くし呼ぶ。それまでは一人にして」
 「いやだ。せっかくの機会なのに」
 「絶交したい?」
 希の目は思いっきり冷たい。さすがに怜悧も怯んだ。
 「はいはい、あーあ、せっかくのちゃんすなのに」
 何のチャンスだ。希はため息をつきながら怜悧を追い出し、鍵をかける。
 「でも、その年で初めてとはねぇ。まだこれからということだな」
 「…………」
 「どーだ? 血は止まってるか?」
 「……まだわからない」
 「とりあえずふいたら、ハンカチを当てとけばそれ以上汚さなくてすむと思うぞ」
 「……そうする」
 ごそごそと処理をする希。トイレの外で怜悧はその光景を想像して悶々とする。
 「なあ」
 「……うん?」
 「おまえ、毛はもう生えてるのか?」
 「…………」
 希は当然沈黙で応えた。
 「まさか生えてるかどうかもわからないのか? 見てやろうか?」
 うるさいだまってろどっかいけ、と言いたいのを希はぐっとこらえる。しばらくあーだこーだ怜悧が一方的に言うのを全部聞き流して、希は処理を済ませて外に出た。
 「とりあえず落ち着いたよ」
 「ちぇ。呼べよ」
 だれが呼ぶもんか、と視線で応える希。怜悧は希を見てまたニヤニヤした。
 「よく見るとやっぱちょっとわかるな」
 「見るな」
 希は素早くコートで隠す。
 「今日はもう帰る」
 「ああ、早く帰ってちゃんとした方がいいよ。家まで送ってく」
 「いいよ。駅までで」
 「いや、家まで送ってくよ」
 「…………」
 「ほら、行こうぜ。薬局もよってくか?」
 背に手を当てて、怜悧は希を支えるようにして歩く。希は逆らわなかったが、少しだけ頬を膨らませた。
 「強引すぎ」
 「男だからこのくらいでいいだろ?」
 「前も同じだったくせに」
 「希も前から全体的に受身だよな。最初からこの組み合わせの方がよかったのかもな」
 「勝手に言ってなさい」
 「はは。好きだぜ」
 「一回死んで来い」
 「おれはマゾっけがあるかも。希の可愛い声でなら、なに言われても嬉しい」
 「…………」
 希はため息をついたが、なんとなく可笑しくもなってしまった。笑い出して、素直に怜悧の腕をつかむ。
 「でも、ありがとう。助かった」
 「…………」
 怜悧の体が硬直した。ギクシャクと足だけが動く。
 「……や、やけに可愛いな?」
 「今日はもういじめないでよ。あんまり気分もよくないんだから」
 「……いつもこうならいいのに」
 「…………」
 こいつはどこまでもまったく、と思うが、言い返す元気はないし、意外にもそんなに嫌でもなかった。希は黙って、おしゃべりな怜悧にくっついて歩いた。



 希が女を意識したもう一つの出来事は、三月の春休み前に交わした何気ない会話だった。
 あれから約五ヶ月たって、希はだいぶ逞しくなっていた。朝もちゃんと茶碗一杯分のご飯は食べれるようになったし、鞄を持っての登下校もへこたれなくなった。お昼ご飯も、量が多いと男子に好評の定食モノも、おかずだけは半分以上平らげられるようになった。家に帰ってからもお昼寝をしなくとも十時までは普通に起きていられるし、六時に起きてから散歩にだって出かけられる。
 それまでも入浴前にストレッチに柔軟体操をして過ごしていた希だが、二月に入ってからは放課後にプールにも通うようになって、健康優良児に一歩ずつ近づいている。相変わらず痩せているが体重は何キロも増えたし、身長も三、四センチくらい伸びた。顔色もよくなってきて、病的な青白さはなくなっている。
 「おまえ、ブラジャーきついんじゃないか?」
 放課後、ご近所のスポーツクラブのプールでひとしきり泳いだ後の帰り道だった。怜悧も、希が放課後に彼に会いに行くとたまに希のプールに付き合うことがあって、こういうときはいつも家まで希を送っていってくれる。怜悧は車で帰るのだが少しでも希と一緒にいたいらしく、二人とも歩きだ。そういう怜悧の心理は希としても可愛いと思ってしまうのだが、その発言はそんな感想をぶち壊した。
 「…………」
 なにをいきなり言い出すんだこいつ、という目で怜悧を見る希。怜悧は珍しく慌てた。
 「いや、いやらしい意味じゃなくて。プールだとそれなりに膨らんできてるのに、制服だと全然かわってないから。下着はちゃんとサイズがあったのをした方がいいぞ」
 「……そーいう知識がある男ってかなり嫌だ」
 「まだまだ知識も経験もおれの方が上だからな」
 「この差はずるいと思う。男ってことで怜悧は全然困ってないのに」
 「ははは。男って気楽でいいよなー。生理もないし、服もお手軽だし。男に生まれてよかったよ」
 「…………」
 希は冷たい表情になって、すたすたと歩く。怜悧は笑顔でくっついてきた。
 スポーツクラブに隣接する公園。すでに日は落ちて、公園内は薄暗い。
 「今どのサイズをしてるんだ? AAか? それともスポーツブラ? まさかまだファーストブラ? ハーフトップ?」
 「女の下着の種類を細かく知っている男も嫌だ」
 「今は希だって同じくらい知ってるだろ」
 「…………」
 「女の下着の開発に男が関わってることも少なくないっていうしな。男女はあんま関係ないと思うぞ」
 「せめて知らないふりをしてて欲しい」
 「じゃ、質問を変えてやろう。今スリーサイズはどうだ?」
 「…………」
 ノーコメントを通す希。それにしてももともと怜悧も「怜華」もこんなに軽い性格ではなかったと思うのだが、どうしてこうはじけちゃってるのか希としては真剣に謎だ。「怜華」も「怜華」なりに悩みがあって、それまで鬱積していたものがこういう形で発露しているのだろうか。
 こうなった以上男でも女でも構わないが、希としてはもっと落ち着いたタイプを恋愛相手には求めたいのに。
 「おれの見たところ、上から」
 「それ以上言うと殴る」
 「えー、なんでだよ、いいだろ、そのくらい」
 「デリカシーがないよ」
 「希相手にどんなデリカシーを持てっていうんだよ」
 「わたし、今は女だよ。この状況ならこの状況でベストを望む。はっきり言って今の軽い怜悧は好みじゃない」
 「希のタイプってどんなのだ?」
 「落ち着いた感じの人」
 「例えて言うなら、望のような?」
 「……なんでそこでその名前がでてくる?」
 「望って嫌になるくらい落ち着いた感じだったじゃないか。いつも冷静で」
 「あれは表面だけだよ」
 「そうだな。本気で好きになると案外情熱的で嫉妬ぶかそうだったよな、望は」
 「……その言われようもなんだか嫌だ」
 「つまりそういうタイプがいいんだろ? 一見落ち着いてるけど、実は甘くて優しくて熱い人」
 一瞬、そうかも、と思ってしまった後、希は猛烈な羞恥心に襲われた。まるでナルシストではないか。
 「でも、望は受身すぎだよ。基本的に何かに夢中になることもなかったし」
 「そんなの時間の問題だったろうよ。いつか、望も希も、何かにはまる」
 「…………」
 「望が好きなタイプも今の希みたいだったんだろうな、そう考えると」
 「そ、それはないと思う。冷たすぎるし、なんでも自分でできすぎるから」
 「それは嘘だね。冷たいのなんて表面だけだろ。一見落ち着いてるけど、実は甘くて優しくて熱いからな、希は。おれが男なら絶対惚れるね」
 「…………」
 「こう考えると、受身なところも望好みだよな、希って。案外惚れた男には無条件にすべてを許しそう」
 「それ、男に都合のよすぎ」
 「そういう女がよかったんだろ?」
 「…………」
 違う! と言い切れない自分が怖い。
 「ある意味、希って、望の理想にそって振る舞ってるんじゃないか?」
 「でも、今のわたしは、護られるような女じゃない」
 怜華のことを「護りがいがない」などと思っていた望。その言葉が本音なら、今の希だって護りがいがある女とは言えないから、望の好みには一致しないはず。
 「それも間違ってるな。女というだけで、同じ能力があってもできないことは多すぎる。今のおれならわかる。もちろん逆に女だからできることもあるけど、今のこの世界では一人で生きるには女の力は弱すぎる」
 「やりようによると思うけど?」
 「意外に甘いな。男なら裸一貫という手もあるけど、女なら裸一貫になった時点でもう道徳的には最低とみなされるよ。そういう生き方を強いられる」
 「必ずしもそうじゃないんじゃない?」
 「ある程度の財力のないきれいな女は食い物にされるな、確実に。現実を見つめろよ」
 「……そこまで落ちなければいい」
 「今の希ならそう言えるだろうな。ま、おれが落とさないし。でも、嫌でもそうなる女もいる。さらに言えば、おれがその気になれば今の希をそこまで落とすこともできる」
 とっさに、希は怜悧を睨みつけた。
 「また脅すつもり?」
 「いや、単なる事実認識さ。望なら落とされても泥水を飲んででも這い上がるだろうけど、希なら死ぬか身体を売るかの二択になるよ」
 「…………」
 「ま、身体を売ることをなんとも思わないなら、女の方がそうなった時は強いとも言えるかもな」
 「……男の限界と女の限界は違うと言いたいんだ?」
 「んー、そうとも言えるな。あ、でも、男も男で身体を売ることはできるからな。嫌な男に抱かれる女と、嫌な女に奉仕させられる男と、どっちがよりましなんだろうな」
 「どっちもましじゃないよ」
 「はは。そーだな」
 「…………」
 「…………」
 「そんな考え込むなよ」
 「だれのせいだよ。怜悧は、わたしがキミをふったらどうするつもり?」
 「それはないのは知ってるよ。もう後七ヶ月我慢すれば期限だからな。希はそんな約束を破るやつじゃない」
 「……わたしの気持ちがなくても?」
 「後からついてくるさ。その件についても自信がある」
 「……相変わらずだね、キミは」
 「おれらしいだろ?」
 どこからわいてくるんだ、といいたくなるような過剰な自信に自惚れ。
 が、それはもう怜悧のただの自惚れではないのかもしれない。もともと嫌ってはいなかったが、それなりに強引ではない怜悧なら、付き合ってもいいかなと思う希がいる。暴走する怜悧は嫌だが。
 「そうだね、怜悧らしいね」
 笑って、希は駆け出す。
 「希も希らしくやればいいさ。護ってやるから」
 「余計なお世話!」
 怜悧も追いかけてきた。
 「おれはおまえが好きだからな!」
 「わたしも怜悧が嫌いじゃないよ」
 言った瞬間、腕がつかまれた。
 「…………」
 「…………」
 なぜか、二人なんとなく沈黙。また並んで歩きだす。
 先に沈黙を破ったのは希だった。
 「今度、春休みになったら、遊園地に行ってみない?」
 「遊園地? またいきなりガキっぽいな」
 「ま、初めてのデートってことで」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「……いくらなんでも黙りすぎ」
 「希!」
 「う」
 いきなり抱きしめられて、希はちょっとうめいた。力強い怜悧の腕。はっきり言って苦しい。
 「そう思っていいのか?」
 ソウっていうのはなに? と思いつつも、希はちょっとだけ笑った。
 「とりあえず、七ヶ月のお試し期間という感じで」
 「キャンセルはきかないぞ」
 「話しかけたらダメな約束もまだ有効だからね」
 「キスにしないか? それ」
 「寝ぼけなさ、ん!?」
 怜悧の身体を押しのけようとしたところで、隙をつかれた。身体が離れようとした瞬間に、希の唇は強くふさがれていた。
 「……!?」
 じたばたと暴れるが、打撃系を使う気にはなれなかったので、逃れられなかった。
 やがて諦めて、希は力を抜いて、目を閉ざした。
 怜悧の力も少し抜けて、そっと背を撫でてくる。希は両手は無意識にまっすぐに伸ばして、固く握り締めていた。
 「…………」
 怜悧は二度目のキスなのに、容赦なく希を攻め立ててくる。「こいつどこでこんなこと覚えてくるんだ」と思う希であったが、さすがにその手が胸を這ってきた時には鳥肌が立つかと思った。
 思わず本気でゼロ距離からの掌底を怜悧の胸に食らわす。怜悧の身体は数十センチ吹っ飛んだ。
 「うぎゅ!?」
 「ちょ、調子に乗るな!」
 「ちょ、ちょっと待て、おまえ、これ、やりすぎ……」
 本気でうめいて、膝をついてうずくまる怜悧。希もちょっと慌てる。
 「あ。れ、怜悧が悪いんだよ」
 「あれくらいでこれは、わりにあわなさすぎだろう……」
 「……そういう台詞が言えるなら充分大丈夫だね」
 「全然大丈夫じゃない!」
 ばっと、まだ胸を押さえつつ、怜悧は立ち上がった。
 「どーしておまえというやつはそんなにムードがないんだ!」
 「それはこっちの台詞だよ。いきなり怒鳴りながら脱ぎだすような人よりまし」
 「い、いつの話を持ち出す!」
 「まだ半年もたってないよ。力ずくで襲ってくるような最低な人でもあるし」
 「あ、あれは、おまえが抵抗するから」
 「…………」
 「あ、い、いや、ほんのお茶目なジョーク?」
 こんな男を好きになっていいのか? 希は一瞬、本気で自分を疑った。
 「……怜悧、そんな男の子を女の子が本気で好きになると思う?」
 「うん、なるな。おれなら速攻で惚れる。もう好きにしてって感じ」
 「…………」
 ここで怒りが持続しない時点で、もう負けているのかもしれない。希はこらえきれずに笑い出した。
 「まったくもう、ほら、おなかすいたからさっさと帰るよ!」
 「おう。今日こそおれの分もあるのか?」
 「だれもいない家に上げるには実績がなさすぎだよ、キミは」
 ある意味ありすぎるとも言える。
 「だけど女が一人って無用心じゃないか?」
 「何度も言わせないで。お父さんたちも夜中には帰ってくるし、キミを入れる方がもっと無用心です」
 「それに寂しいだろ?」
 「何度も訊くなってば! もう慣れたよ。好きなこともできるしね」
 「意地っ張りなやつ」
 「キミといるとね。素直になると流されそうだから」
 「もっと流されろよ」
 「いやです」
 きついことを言っているようでいて、二人とも笑っている。
 「おまえ、たまに敬語になるのはなんで?」
 「女言葉って微妙に抵抗があるから。怜悧ってよくそんな崩した男言葉使えるよね。素直に感心するよ」
 「おれはもともとこっちがむいてたんだな、たぶん。あっちもあっちで面白かったけど」
 「……そうだね、怜華はある意味男らしかったからね」
 「……その言われようもなんだか嫌だ」
 「人のまねをするのはやめなさい」
 「はは。なあ希」
 「ん?」
 怜悧は希の三つ編みを引っ張った。
 「遊園地行くなら、三つ編みと眼鏡はやめろよ」
 「どうして? けっこう気に入ってるんだけど」
 「おまえこれ、わざとだろ。今はだいぶ頬に肉がついてきてるからな。眼鏡でも可愛いぞ」
 怜悧は何が言いたいのかよくわからないことを言う。
 「なら問題ないよ。このままでも可愛いってことで」
 「おれのために着飾れよ」
 「…………」
 「今度服も買ってやろう」
 「強引だね、ほんとに」
 「好きだからな」
 髪の毛に、キス。希は一瞬ビクンとなって、無意識に一歩距離をとった。
 「おまえはむちゃくちゃもとがいいからな。得してるよ」
 「そのせいでいじめられた過去があるんだけどな」
 「でもその過去があるからおれとこうしてる」
 「いいのだか悪いのだかね」
 「いいに決まってるだろ」
 「ま、そういうことにしといてあげます」
 希は笑う。怜悧も笑った。
 「でも、初デートが遊園地なんて、おまえ案外ベタだな」
 「……希のね、夢だったんだ」
 「…………」
 黙ってしまった怜悧を、希はにっこりを見上げる。
 「ま、わたしも嫌いじゃないしね」
 「……その夢って、どうせ乙女チック全開の夢なんだろ?」
 「あはは。うん。ヒラヒラした服を着て、最後までエスコートしてもらう夢。らしいというかなんというか」
 「おし。希の夢をかなえてやろう。じゃ、まず遊園地に着ていく服を買い物に行こうぜ」
 「そこまではしたくないよ」
 「ついでに、おまえにブラジャーを買ってやろう」
 「……一人で行ってください」
 「でもまじでそろそろ本格的なのがいると思うぞ」
 どうして本格的なのをしてないと知っている? という疑問を、希は視線にこめたが、怜悧はとぼけた顔でニヤニヤしている。希はちょっと憮然とした。
 「……今度、お母さんに連れてってもらう」
 「いやいや、おれにしとけって」
 「絶対いや」
 笑い出しながら、きっぱりと言う希。怜悧も笑いながら、大声で叫んだ。
 「後七ヶ月かぁ! ながすぎるぞ〜!」
 「どうなることやら、だね」
 本当に希としてはどうなることやらだ。自分自身のことも、怜悧のことも、よくわからない。未来についてはもっとわからない。


to be continued...

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更新日 2003/11/22

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