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夢の続き   (作:Taika Yamani)
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  第三話 「夢の中の夢」


 望が目が覚めた時に最初に思ったことは、まだ希の身体のままなのかどうかということだった。動いてみると、身体はやはり希のままで、自由に動かすことができる。
 ちょっとだけ安心した。あれでまわりが大人しくなってくれればいいが、そうでない場合「希」では対応しきれないだろう。強烈な反発がくることも予想される。特に泣き寝入りした三人の今後の動向が心配だ。こうなってしまった以上は、落ち着くまでは「希」に身体を返すわけにはいかない。夢だとしても、ハッピーエンドの方が目覚めはいいに決まっている。
 そう思った後に、望は苦笑した。
 我ながら順応しすぎだ、と思ったのである。夢の中での十六年間があるとは言え、すんなりと希の立場で動いている。夢だと思い込みたがっているせいもあるが、「夢なら覚めろ」などとあがくこともなく、環境をそのまま受け入れている。あがいてもどうしようもない状況がそうさせるとは言え、さすがにちょっと笑ってしまう。
 「でも、我ながらいきなり無茶しすぎたな」
 父さんたちに知られるとすごいことになりそうだ、と思いながら、望は二日目の朝を迎えた。
 昨日の夜は、あの後一度起きたが、入浴と食事を済ませただけで、午前様の両親とは顔を合わせていない。両親は昨日学校に行った希を心配していたようだが、今回は特に何事もない様子の希に、かなりほっとした様子で朝の挨拶をしてきた。希がいるせいかぎこちなく会話もほとんどないが、穏やかな朝の食卓になった。
 望はまた食べられるだけ食べて、学校へと向かった。
 学校では昨日のことがしっかりと噂になっていた。が、驚いたことに、希をいじめようとして逆に反撃された三人は、学校側に真相を伝えていないらしかった。しかも、ただ単に希にやられたと認めるにはプライドが高すぎるだけなのか、何か他の思惑があるのか、三人でケンカをしたということになっていた。その上、二日連続で登校してきた希に、なにかしかけてくることもない。わざとまたトイレで隙を作ってみたが今度はのってくることもなく、かえって不気味だ。トイレの最中だけは無防備になるために、望は授業に遅刻するタイミングですることを強いられて、ちょっと教師に注意を受けるはめになった。
 この日は三時間目は体育の時間で、ここでも望は警戒しまくったが、特に着替えの邪魔をされたりすることもない。授業はバレーボールで、ほとんど存在を無視されたのだが、その程度は可愛いものだ。アタックの集中攻撃を受けることもなく、逆に希がいる場所にボールが飛んでも他の子が勝手にボールを拾ってくれるから、望はむしろボールを避けていたくらいだ。必然的にめぐってくるサーブの時だけは、がんばってゆるい球を打って、後はぼけっと突っ立っているだけで時間は過ぎ去った。更衣室のロッカーも鍵付だが、昨日の昼休みの一件がまだ記憶に新しいのか、終わっても特にどうこうされた様子もない。
 四時間目の物理の移動教室はだれも教えてくれなかったが、これも可愛いレベルだ。望は遅刻して教師に注意を受けるだけですんだ。
 この日の事件は昼休みに起きた。まだまだ平穏な生活は程遠いらしい。
 昨日と同じように学食でパンを買って、適当に空いてる席に座って一人でもぐもぐと食べていると、朝宮怜悧が声をかけてきたのだ。
 「ここ、お邪魔するよ」
 四人がけのテーブルを一人で占領していた望だが、学食は広いため、いいお天気の日の今日は余っている席も多い。ちらりと望は、無表情に怜悧を見た。
 「他のテーブルも空いてるよ。わたしに話しかけるなと言ったはずだけど?」
 「ああ、でも、言うことを聞くとも、ぼくは言ってないからね」
 屁理屈をさわやかな口調で言って、怜悧は望の正面に腰を下ろす。怜悧は学食の定食らしい。テーブルにお盆を載せた。
 望はとっとと食べて席をはずそうと決意する。怜悧はそれを察したかのようにさらりと言った。
 「話があるんだ。大事な話」
 「…………」
 こっちにはない。と望は思ったが、怜華と違い怜悧は素直でまじめのはずだ。大事な話と言われれば気にならなくもない。とりあえず無言で口をもぐもぐさせながら、望は怜悧を見た。
 「希ちゃんが今もいじめられていたこと、ぼくはまるで気付いてなかった」
 「…………」
 「馬鹿だよな、ほんとに。もちろん、希ちゃんがぼくのせいで初等部のとき転校したのは後になって薄々気付いた。自分でも、嫌なやつだったと思う。でも、高等部でもいじめがあるなんて、本当に知らなかったんだ」
 望は表情を隠して怜悧を見やっていた。これまでただ優しくしかしていなかった怜悧。希はいじめられているということを怜悧には知られたくなくて、休みがちな理由も健康がすぐれないからだといつも言い訳していた。それを馬鹿正直に信じていた馬鹿な怜悧。
 「いや、それは言い訳かな。うすうす変だなとは思ってた。ただその真相を突き止めようとする気もなかっただけで。ほんと、馬鹿だよな」
 自嘲、というよりは、まるで突き放したように怜悧は笑う。一瞬、望の中でそんな表情が、記憶の中の怜華とダブった。性別は違う世界でも、やはり同一人物だなと変なところで感心する。
 「……どうして、わたしに優しくしてたの? それは、同情?」
 「……自分ではよくわからないけど、そうかもしれない。キミはぼくの初恋の人だったから。もう一度健康的で明るい希ちゃんを見たかった」
 怜悧は残酷だ。そんな罪のない優しさに、希は恋心まで抱いていたのに。
 「…………」
 「…………」
 「……昨日、あの三人をやったのはキミだね?」
 唐突に話が変わった。その表情は、普段の怜悧からは想像できないような表情だった。まじめでもなく、柔らかくさわやかでもなく、鋭いまっすぐな視線。
 「……何の話?」
 「とぼけてほしくないな。まるで別人みたいだってみんな言ってる。キミにいったいなにがあったの?」
 「……怜悧くんには関係がないことだよ。わたしにはもう近づかないで」
 パンは食べかけだが、食欲がうせていた。望は立ち上がった。
 爆弾発言は突然。
 「ずっとキミが好きだよ。今も、昔も、ずっとね」
 怜悧の声は必要以上に大きかった。学食内にざわめきが広がった。
 望はびっくりして怜悧を見返す。嘘だと決め付けるには、怜悧の性格はまじめすぎた。つまり、それは本心?
 望だけなら論外として片付けるところだが、希の気持ちがある。望は行動の選択に迷ったが、とりあえず、即座に逃げ出すことにした。



 望の目の前に怜華が立っている。相変わらずキツイ視線で、表情に険がある。そういう表情も凛としていてキレイだが、もっと柔らかく笑おうよと望としては思う。いつもいつも気の強い態度だと疲れない? キレイなキミもいいけど、可愛いキミでいてもいいのに。
 「望がわたしに優しくしてくれればいいのよ」
 まるで望の思考を読んだかのように、怜華が言葉を投げてくる。望はなんだか懐かしくなって苦笑した。
 「ぼくがいなくても、キミはなんでもできるからね。護りがいがない」
 「……望は、希みたいな女の子がいいのね」
 「はい?」
 「ああいう自分ではなにもできない、なよなよした子がいいんでしょう?」
 「希はなよなよどころが脆弱すぎだよ。手を貸すことはあっても、恋愛感情を抱くには程遠い。だいたい自分を好きになるほどぼくはナルシストじゃないよ」
 「どうかしらね。希でいることをすっかり楽しんでるくせに」
 「それはそれだよ。せっかくだからこのシチュエーションを楽しまなきゃ損だしね」
 「わたしのことはどうする気?」
 「別にどうも?」
 「望は男が好きなのね?」
 「わー、最低の冗談だね、それ」
 「でもそのままもとに戻れなかったら、そうなるわ。それともぼくと付き合う?」
 いきなり、怜華の姿が怜悧の姿へと変化した。気付くと、望の姿も希になっている。
 夢だ、と望はようやく気付いたが、気付いたとたんに身体が動かなくなった。怜悧が近づいてくる。抱き寄せられる。
 「おれは、望でも希でもどっちでもいいよ」
 「……頭大丈夫?」
 「おれが欲しいのはおまえだからな」
 普段の怜悧とはまるで違う大胆な冷笑。鋭い視線が望を射る。
 「一回死んで来い」
 「女の子がそんな言葉遣い、感心しないな。もっとおしとやかになれよ」
 だれの台詞だそれは! と望は叫ぼうとしたが、その口を怜悧の口でふさがれていた。もう目が白黒である。怜悧の手が、希の貧弱な身体を這う。望はめいいっぱい叫び声を上げた。
 「…………」
 バッと、望は目を覚まして身体を起こした。全身汗びっしょりだ。身体がほてっているのがわかる。白い肌が血の気を透いて、いつもは不健康に見える希を可愛らしく彩っていた。
 「なんていう夢を……」
 思い出したくない。ほんの数日間ご無沙汰だったことで、欲求不満にでもなっていたのだろうか。早くから自分で自分の身体を慰めることを知っていた希だから。
 望はそんなことを思いかけて、何度も頭を振ってその思考を追い払った。
 汗が気持ち悪い。時計を見ると、まだ六時前だ。望は学校に行く前にシャワーを浴びようと、浴室に向かった。
 長くゆっくりとシャワーを浴びて気持ちを落ち着けると、自分の部屋に戻って、長い髪を乾かす。望としては長すぎる髪がちょっとうっとおしいのだが、キレイな髪なのは確かなので、勝手に切る気にはならない。ゆっくりと髪を整えて身支度をして、七時には一階に下りた。
 リビングでは母親が朝食を作っている。おはようと挨拶をして、望も手伝う。ここ数日ですっかり暗さが影をひそめている娘の姿に、母茜は涙腺を緩ませる。いつもはネボスケの父蔵人もすぐ起きてきて、感動した様子で娘のエプロン姿を眺めるのだから、望としては背中がむずがゆい。
 ごはんができると三人そろって朝食。
 八時になる前に両親はでかけるのだが、この日はタイミングが悪かった。両親のいなくなった食卓で望がのんびりお茶をすすって新聞を見ていると、父親がばたばたと駆けてきたのだ。
 「の、の、の、希! あの男はだれなのだね!」
 望は首をかしげた。
 「男?」
 「おまえを迎えにきたなんてほざいとるぞ!」
 眉をひそめる望。
 「さあ、知らない子だよ。追い返して」
 「ほ。そ、そうだよな。希にはまだ早いよな」
 露骨に安堵の表情を見せる父親。望は思わず笑ってしまった。
 「あなたー! もう行くわよー!」
 玄関先から、茜の声。蔵人は希の頭を一撫ですると、「じゃあ行ってくるよ」ともう一度言ってリビングをでていった。「いってらっしゃい、お父さん」と、望も改めて笑顔で見送る。と思ったら、すぐに父親の怒鳴り声が聞こえてきた。
 「なんでこの男がここにいるんだ!?」
 望の中で嫌な予感が広がる。
 「こんなどこの馬の骨ともわからん男をおれの娘と二人きりになんてできるものか!」
 いったいどんなやりとりがかわされているのか、それ以降声は聞こえてこない。「あの子が急に明るくなったと思ったら、こういうわけだったのね」という母親の発言が聞こえていたら、望は思いっきり嫌な顔をしたことだろう。
 「相変わらず面白いご両親だね」
 「…………」
 相変わらず、という言葉は、幼稚舎の頃のことでも覚えているのだろうか。そんなことを思いながら、「ついに家まで押しかけてきやがったかこのやろう」という目で、望は怜悧を見た。
 あの突然の告白の後から、怜悧は前以上に希に接近するようになっていた。好きだと言い切ってしまったことで遠慮がなくなったらしい。「キミがまたいじめられないように護る」という名目まで引っさげて、休み時間に昼休みにしつこく付きまとう。希なら大喜びなのかもしれないが、望としてはこんな男に言い寄られても全然嬉しくない。希のことを思うと悪いとは思うのだが、耐えられることと耐えられないことがある。これ以上ないというくらい、望の声は冷ややかだった。
 「なにしにきたの?」
 「冷たいな、キミが心配で迎えにきたんだ」
 昔と同様に優しいが、それだけではない怜悧の声。いつもさわやかで優しく他人にも気を使う性格だったはずなのだが、どうも恋愛というやつは人を変えるらしい。それも望にとっては悪い方にかわっているような気がしてならない。
 「しかも勝手にあがりこんでるし」
 「お母さんには、娘をよろしくと言われたよ」
 「…………」
 母さん何考えてる、と望は思ったが、怜悧はぱっと見は好青年だから母親も一目で気に入ったのだろう。実際悪いやつではないのだが、言い寄られている望としては笑い事ではすまない。
 「わたしなんて全然可愛くないのに、どこがいいの?」
 「全部。それに、笑うと可愛いよ。だからもっと笑って欲しいな」
 ますます冷たくなる希の表情。怜悧はくすくすと笑う。
 「ここからだと、十五分にも出ればいいよね。ぼくもお茶をもらえるかな?」
 「ずうずうしいと思う」
 「キミに遠慮は無用だからね」
 「少しは遠慮して」
 「これでも自分を抑えてる方だな。今なら間違いなくキミを強引に押し倒せるから」
 「……なんてこと言い出す」
 「本音だよ」
 怜悧の瞳が怪しく輝く。望はちょっと真剣に身の危険を覚えた。
 「も、もう学校に行く」
 「早いね。いつもそうなの?」
 キミがいるせいだ、と言うのはなんだか悔しいので、口には出さない。
 「日による」
 立ち上がってとりあえず湯飲みを全自動食器洗い機に放り込む。朝食の汚れ物と一緒にスイッチオン。
 「今日の放課後、何か予定ある?」
 「……わたしの予定がどうでも怜悧くんには関係ないよ」
 「ないなら、ぼくと一緒に帰らないか?」
 「寝言は寝て言って。だいいち、キミは車だし、部活もあるでしょう」
 この世界でも、怜悧は一年生にしてテニス部のエースだ。怜華と違ってまじめな怜悧はきちんとレギュラーとして団体戦に参加し、チームは他の選手の力不足で負けたが、本人は連勝街道まっしぐらだ。怜華同様ずっと個人戦だけは避けているようだが、もし個人戦に参加していたらその人気も全国区になっていたかもしれない。
 「選抜も終わったし少しくらいかまわないよ。ぼくの家に遊びにこない?」
 望はもう沈黙でもって応えた。鞄を持って、入り口にたたずむ怜悧の横を素早く抜けて、玄関に歩く。今のところ抱きついたりはされないが、この密室状態ではなにされるかわからない。しっかり怜悧のことは警戒した。
 怜悧はとりあえずはそういうことをするつもりがないようで、希の昔のことを根掘り葉掘り聞いてくる。以前の二人なら、他愛もない本の話などで地味に盛り上がれたのだが、今の怜悧の興味は希本人に向いている。望としてはいちいちうんざりなのだが、答えないとしつこい。嫌な記憶も多いからそっとしておいてくれると嬉しいのに、今の怜悧は好きな子の過去は何でも知りたいという心理らしい。望としてはやれやれだ。
 が、この日でいい加減希の過去の話はネタがつきた。もともと外界との接触が極端に少なかった希なのだから、話のネタになるようなイベントなど多くないのだ。それでもしつこい怜悧に、望は登校途中で、逆に彼のことを問いかけた。
 「わたしのことより、怜悧くんはどうだったの?」
 「ん、ぼく? 嬉しいな、興味をもってくれるんだ?」
 すぐこういうことを言い出さなければ普通に接してもいいのに、どうしてこう、怜華といい怜悧といい、あからさまに恋愛感情を匂わせるのだろうか。どう転ぶにしろもっとゆとりを持ってゆっくり攻めて欲しい望である。
 「キミが転校してしばらくは大荒れだったよ。一度はキミの家に押しかけようとしたし」
 おいおい、と、望は小声で呟く。
 「でも、迷子になって外出禁止令が発動してね、まあ、一晩中さまよってて大騒ぎになったから無理もないけど」
 こいつはその頃から馬鹿だったのか、などと失礼な感想を抱く望。
 「あの頃のぼくは素直じゃなかったんだよね。一言キミに会いたいと言えば、父様たちだって連れて行ってくれたんだろうけど」
 怜悧が会いにきてくれていれば何かが変わっただろうか?
 望は少しだけ考えて、いや変わらない、と即座に結論を出した。あの頃の怜悧では、会いにきても希を泣かせるだけで終わったことだろう。下手するとより悪くなった可能性もある。
 「そこからのぼくはひどく落ち込んだよ。もうほとんど自閉症の一歩手前。我ながら繊細すぎて笑える」
 どこが繊細なんだ? と思っても口にしない望。怜悧はそんな望むの内心がわかるかのように笑って、まるで他人事のように自分の過去を話してくれた。
 そうこうするうちに学校に到着するが、怜悧は一度自分の教室に行くと、すぐに希のクラスにやってくる。この日はまだ朝が早いために人は多くないが、それでも注目を集める。それを嫌って望はベランダに逃げた。
 当然のごとく追ってくる怜悧。
 ほとんど一方的に怜悧が話すという形だったが、その日もまた怜悧につきまとわれたまま放課後になった。



 放課後、希のクラスの方が先に終わったようで、怜悧はまだきていない。望はチャンスとばかり、速攻で教室を出た。まだ人の少ない廊下を急ぎ足で駆け抜け、靴を履き替えて外にでる。校門をでてしまえばもう一安心だ。望は大きく伸びをして、ゆっくりと歩いた。
 この日は金曜日。明日の土曜日もあいにくと学校だが、半日だから午後はフリータイムだ。望は明日はどこかにでかけようかななどとつらつらと考えた。男だった時には行きづらかったいろんな場所にこの身体ならいけるはず。
 「例えば?」
 心の中で呟いて、望は思わず空を見上げた。
 「……特に行きたいとこもないかも」
 想像力が貧困なだけかもしれないが、ファンシーショップやランジェリーショップに行くのも何かが違う。男だけではいけなくて女一人ならいける面白い場所。
 「意外と少ない?」
 よし今日はティーンの女子向け雑誌でも買ってみよう、と考えて、望は駅前によっていくことにする。
 その途中だった。
 柄の悪そうな大人が六人。ひと気がなくもない普通の路地で、希の行く手を遮る。
 「此花希だな?」
 「わりーな、嬢ちゃん、ちょっときてもらえるかな」
 顔に「いかにもヤのつく職業です」と書いてある男たち。望はちょっとだけ自分が甘かったことを自覚した。三馬鹿はすっかりなりをひそめていたからもう大丈夫かと思っていたら、全然大丈夫ではなかったらしい。まさかここまで乱暴な手段でくるとは思わなかった。
 望は囲まれる前に、即座に回れ右をして駆け出した。
 「あ、このアマ!」
 手持ちの武器は鞄だけだから、望の身体ならともかく、希の身体では男六人を同時に相手にするには心もとなさすぎる。警察に電話することも考えたが、まだなにもされていない。そして何かされてからでは遅すぎる。さらに言えば、今から来てもらっても間に合わない。
 男たちの足は必ずしも速くないようだ。が、希の足は身体の割にはそれなりに速いが、持久力と瞬発力に欠ける。長く逃げ切るのは無理と察して、まず望は角を一つ曲がって立ち止まった。
 追ってきた六人もすぐに角を曲がる。
 先手必勝。
 しかも手加減抜きだ。望は先頭の男の足をめいいっぱい払うと、倒れこむその男を踏みつけて男たちにつっこんだ。
 「な!?」
 狼狽するやつもいるが、冷静なやつもいるようだ。とりあえず迫ってきた手をかいくぐって後ろに回りこみ、思い切り後ろから男の一人の股間を蹴り上げる。
 チーン。
 心の中でご愁傷様と呟きながら、さらに学校の方へ逃げる。
 下校途中の生徒の姿が増えてきて、何事かと騒ぎ始める。人目を気にしていい加減諦めてくれるかと思ったが、五人はまだ追ってきていた。なかなかしぶとい。望の息はいい加減に切れそうだ。
 「だからぼくと一緒にいろと言ったのに」
 不意の声。怜悧だ。
 「怜悧、まさか、これ、知ってた、ね?」
 激しく呼吸をしながら、望は怜悧を睨む。
 「……まあね」
 だからこそ朝も迎えにきたし、放課後も家に遊びにこいなどと言ったのだろう。怜悧は希をかばうように、男たちの前に立った。
 「おれにまで手を出す気か?」
 冷たい怜悧の声。
 「あ、朝宮の坊ちゃん」
 「う」
 男たちは露骨に怯む。一人遅れてきた男が、股間を押さえ気味にしているのが情けない。
 「怜悧、余計なことしないで」
 望は息を整えて、怜悧の背からでて、怜悧をちらりとまた睨む。怜悧はシニカルに笑った。
 「おまえがケンカが強いのはよく知ってるけどな。女の身でこの人数は辛いだろう」
 「余計なお世話」
 「そうはいかないさ。せっかくいいところを見せるチャンスだしな」
 「家の名前を使ってるだけのくせに」
 「権力も力だよ。ほら、おまえら、さっさと消えなよ。こいつが本気になるとその人数でもただではすまないよ」
 キミはどっちの味方だ、という視線を怜悧に向ける望。男たちは戸惑ったり不満だったりするようだが、怜悧とコトを構える気はないらしい。すぐに目配せしあって、さっと消えていった。
 「あの三馬鹿にはきつく言っておくよ。これ以上余計なことでおまえの身を危険に晒したくないからな」
 「…………」
 「感謝しろとは言わないから、せめて笑えよ」
 「……なんだか、口が悪くなってない?」
 「そっちほどじゃないさ。大人しいおどおどした希がどうしてかわった?」
 「…………」
 「ま、聞かないけどな。そのかわり、おまえ、おれと付き合えよ」
 「……キミは、だれ?」
 こんなの怜悧じゃない。希の知る怜悧はもっと優しくて柔らかくて紳士的なはずだ。恋ゆえに情熱的になっているのかと思っていたが、あきらかに性格がかわっている。これが怜悧の本性? それとも?
 「そっちこそだれ?」
 怜悧の視線がまっすぐに希を、望を見る。望は大きく目を見開いた。
 「うそ、まさか……?」
 「自分と同じ状況にある人間がいるかもしれないと考えたことはない?」
 「う、嘘だよ。ほんとに、ほんとに……?」
 「あの望がそこまで取り乱すなんてね」
 ノゾミ、ではなく、ノゾム、と、目の前のこの少年は希を見つめて言う。望は気が遠くなりそうだった。
 「なんて夢……」
 怜華だと思ってよく見れば、たしかに今の怜悧は怜華の面影が強い。その表情もその物腰もその態度も。恋が人を変えたのではなく、怜華という存在が怜悧を変えていたのだ。違って見えて当たり前である。
 ただ当たり前かもしれないが、いつもの怜華より男っぽく、それに加えてなぜか粗雑だった。それでも目の前にいるこの少年が怜華なのだと、望は嫌でも悟っていた。
 「夢? あはは。夢だなんて思ってるわけ? この状況を?」
 「……とりあえず、今はなにも考えたくない」
 「現実逃避してもなにも変わらないよ」
 怜悧の声には温かみがない。怜華の声と同じ響き。いつも自分勝手に突っ切る怜華の声。
 「怜華は、どうしてぼくに近づいてきた? ぼくに何を求めてるの?」
 「おれのものになれよ。別に望でも希でも全然かまわない」
 「……最悪……」
 どこか頭のねじが緩んでると思っていたが、怜華がここまでかっとんでるとは思わなかった。夢なら早く覚めろと、初めて本気で思った。
 「とりあえず、情報交換をするぞ。こいよ、希」
 「…………」
 しかもすっかり男としてなじんでいるらしい。これまで「ぼく」などと言っていたのも演技だったのだろうか。
 「……どこにいくつもり?」
 「おまえの家だよ。一番話しやすいだろ」
 「……なにもしないと誓える?」
 「ケンカで希に勝つ気はしないさ。勝てるのは力だけだろ」
 「…………」
 充分それだけで希が不利な気がするのだが、確かに一対一ならまだなんとかなるかもしれない。望は小さく頷いて、怜悧の後ろについた。
 「希はいつからこっちに?」
 「……誕生日の次の日だよ。せめて、これまでの怜悧みたいに話してくれない?」
 「いやだね、あんな優男。正直へどが出そうだ」
 「そこまでいう」
 「希をこうまでした張本人だからな。あんなに可愛かった希をこんなになるまでおいつめて」
 手が伸びてくる。とっさに、望は避けきれなかった。「怜華」の本音が垣間見えて、動くことができなかった。
 痩せた頬がなでられる。
 「肉がほとんどないし色も真っ白だし。ちゃんと食べてるのか?」
 「……今は、少しずつね」
 首を振って手を払って、前にでる望。怜悧は不愉快げな顔で横に並んだ。
 「おれもその日だよ。夢で見た。生まれてから全部を。いらいらした」
 この性格はそのせいなのだろうか? そう思いながら、望は怜悧を見上げた。
 「よく今日まで我慢できたね」
 あの怜華を考えると驚異的とすら思える。
 「半信半疑だったからな。怜悧は希のことをよくわかってなかったし。確信をもったのはほんのさっき、希がおれを呼び捨てにしたからだ」
 「…………」
 「おれとしては希が全然気付かなかった方が意外だったな。色々匂わせることをしたのに」
 「いくらなんでも常識外れすぎだよ、それは」
 「一人だけだとしても常識外れなのになにをいまさら」
 「……怜華は、この状況をどう思ってるわけ?」
 「おれのことは怜悧と呼べよ。あと、中途半端な男言葉は止めろ。その可愛い声で言われるとむずがゆい」
 「余計なお世話だよ」
 「じゃあおれも怜華の口調で話してみようか?」
 「……ぼくは別にかまわないよ。変態呼ばわりされるのはそっちだし」
 「相変わらず冷たいやつだな」
 「そっちこそ相変わらずすぎだよ」
 「…………」
 「…………」
 お互い、数秒にらみ合う。
 先に笑い出したのは望だった。張り詰めていたものが切れたような。飾り気のない素直な笑顔。
 「なんだかなぁ、もう。どうしていつもこうなんだろう。怜華といるとシリアスも全然長続きしない」
 「それはこっちの台詞よ。わたしだってどうしてこんなやつが好きなのかしら。三馬鹿の台詞じゃないけど、人の好意を平気で踏みにじるやつなのに」
 「……ごめん、前言撤回する。その声で怜華の口調は気持ち悪すぎる」
 「失礼ね。ま、そのとおりなんだけどな。希も女言葉を使えよ」
 「……善処するよ。でも、人の気持ちを考えずに押し付けてくるのは怜華だよ。もっと優しくしてよ」
 「へー、あの望がそんなこというんだ?」
 「怜華のことは嫌いじゃなかったよ。望が、女から迫られてほいほい抱くような男だと思う? 怜華はむしろ望がその気になるのを待つべきだったんだよ」
 「……その気にならなかったら?」
 「……そこまで責任はもてません」
 「殴りたくなってきた」
 一瞬、望は本気で身構えた。怜華なら言葉の前に手が飛んできただろう。
 「ま、いいさ。今となっては運命共同体だからな」
 「……なにが?」
 「もとに戻るにしろ、戻らないにしろ、希はおれからは離れられないからな」
 「なぜそうなる」
 「じゃあ、他の男を好きになるのか?」
 「…………」
 「一生このままならどうするわけ?」
 「…………」
 あえて望が考えないようにしてきた事実を、怜華は突きつける。
 「その身体で女として一生生きていくことも考えとくべきだよ、希ちゃん」
 望は空を見上げた。
 秋の夕暮れ。
 カラスがのんきに空を泳いでいた。


to be continued...

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更新日 2003/11/22

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