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夢の続き   (作:Taika Yamani)
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  第二話 「終わらない夢」


 「貧弱だ……」
 そのコメントは希が聞いたら泣きそうになったかもしれない。鏡の前で独り言を呟きながら、望はパジャマを脱ぎ捨てた後の自分の身体を眺める。お世辞にも色気があるとは言えない身体。なにはさておき痩せすぎなのだ。骨や血管が透けて見えすぎる身体というのは、色気以前に憐憫すら誘ってしまう。
 すぐにブラジャー(というよりもハーフトップと呼ばれる類の、単に胸部を保護するタイプの下着)をしたが、はっきりいって男の子みたいにぺったんこで脂肪も少ないから、押さえるものもなければ、よせてあげる余地もない。
 この日はいいお天気だったが多少肌寒かったから、さらにスリップを着て、その上から葉山月学園高等部の女子の制服に袖を通す。
 「女の服ってなんでこう複雑かな。希の記憶がなければ絶対にこんな服着れない」
 葉山月学園高等部のその制服は、可愛い子がきればもっと可愛く、可愛くない子が着てもそれなりに可愛く見えるという不思議な布切れだ。希の身体の貧弱さも、その制服は多少隠してくれる。
 「これでもっと頬がふっくらしてれば本当に可愛いのに」
 もともとの容姿の良さが伺えるだけに、望としてはもったいないと思う。本当に可愛くなるかどうかはともかく、この不健康そうな顔色とこけた頬とがりがりの身体はどうにかしたい。しかし、そう思ってがんばってご飯をちゃんと食べようとしたが、朝食は残すはめになった。好きなものがそこにあるのにめいいっぱい食べられないのは、人間最大の不幸だと思う望であった。
 とりあえずこの日は様子見なので、いつも通り地味モードで行くことにして、髪は野暮ったくきつく三つ編みにして、黒ブチの伊達眼鏡をかける。
 一見地味だが、姿勢がやたらといいために、下手に印象的だ。希が苦労したのも今となってはよくわかる。目立たないようにと思ってもどこか目立ってしまうのだ。それを望のようにプラス方向にもっていければ充分好き勝手な生活が送れるのだろうが、希はすべてがマイナスに働いてしまった。
 「ま、がんばってみるさ」
 その曜日の時間割を確認して、鞄に荷物を放り込むと、望は無造作にそれを持ち上げた。
 「うぐ」
 腕が根こそぎ持っていかれたような感覚。
 「お、重い」
 鞄が持ち上がらなかった。教科書と、必要と思われる辞書を入れているから、それなりの量ではあるが、それまでの望なら軽々と運べる量のはず。なのにあまりにも重く感じた。
 「こ、この身体、非力すぎ」
 何日も家から一歩も外に出ないような生活をずっと続けていたのだから、ある意味当然かもしれない。望は一つため息をつくと、気合いを入れて両手で鞄を持ち上げた。
 「鞄一つ持ち上げるのに気合いが必要な身体って……」
 嘆息しながら一階に下りると、玄関で靴をはく。両親は食後すぐ、八時前には出かけている。望は靴をはいて外にでて、玄関に鍵をかけると、ゆっくりと歩き出した。
 幼稚舎からずっと葉山月学園に通っているから、十年近く通い慣れた道である。男の身体なら十分とかからずにたどり着く距離だ。だが普段の一・五倍くらい時間がかかったし、十倍くらい疲れた。鞄は時折左右を持ち替えて運んだが、十五分歩いただけで、両手ともにくたくたである。
 これは学校にも通いたくなくなるよなぁ、と、しみじみと思ったが、これは本末転倒というべきだろう。だが悪循環の一つであることは確かかもしれない。
 五分前につくつもりが、時間ぎりぎりの到着。最後は少し駆け足で、望は一年三組に入った。
 希が入ってきたことに、最初だれも気付かない。望は自分の席に座りたかったが、前回ここにきたときから席替えが行われているのは確実で、自分の席がわからない。とりあえず、後ろの鍵つきロッカーに一時間目で使うもの以外の荷物を放り、そのまま壁際で一休みしながら室内を見渡す。
 何人かがそんな希に気付き、なにやら噂話が展開されている気配もあるが、すぐにチャイムが鳴って担任の先生も入ってきた。幸運にもこの日の欠席者はいないようで、みなが自分の席につくと、よりにもよって教卓の目の前だが空席が一つある。
 「お、おお、此花か、よくきたな。此花の席はここだ」
 挨拶の前に希に気付いて、先生がみなの注目を集めてしまう発言をしてくれる。望は軽く頷くだけで特に何も言わずに自分の席についた。
 教師は一通りの連絡事項を伝えてしまうと「此花がせっかく来てくれたんだから、みなも仲良くするように」などとさらに余計な発言をして教室をでていく。すぐに教室はざわついたが、希の話題をしているかどうかまでは聞き取れないし、だれも話しかけてくるものもいない。
 じきに一時間目が始まる。
 一時間目の教師は見慣れぬ女子生徒の姿に一瞬おやっという顔をしたが、登校拒否をしている生徒がいることは情報として持っているのだろう、希のことには特に触れずに、授業を進める。
 その声は、一時間目の休み時間にふってきた。
 「希ちゃん、学校にこれるようになったんだね」
 優しげな男の子の声。望は「でたな元凶」と思いつつ、顔を上げた。
 朝宮怜悧。希の幼友達にして、葉山月学園高等部のアイドル。昔はちょっかいをかけてきては希とけんかになっていた相手だが、今は何を考えているのか普通に優しく接してくれる。希がほのかな恋心を抱いている相手でもあった。
 だが、望としてはこの男のバカさ加減はちょっと許せない。こいつはなぜ希がいじめられるのかわかっていないのだろうか? ただでさえ目立つ怜悧がわざわざ一組からやってきて、ただでさえいじめられやすい希に話しかけることが、どれほどの影響力をもつのかちょっとは考えて欲しいと思う望である。
 この状況は、希なら微かに頬を染めて俯いて何もしゃべれなくなったかもしれない。望は冷淡だった。
 「わたしに話しかけないで」
 希のことを考えると、恋愛感情を抱いている相手を遠ざけることは彼女にとって嬉しくないことだろうが、どうせ怜悧が希を相手にしてくれる可能性は少ないだろう。そう思ったから、望は容赦がなかった。
 「え?」
 怜悧は驚いたように見返してくる。まさか希がいきなりそんなことをそんな態度で言うとは思っていなかった、という表情だ。望はもう無視して、持ってきた文庫本に目を通すふりをする。
 「…………」
 しばらく無言で希を見つめていた怜悧はやがて去っていったが、その後の怜悧の態度は露骨に問題があった。男子の一人が、「朝宮、あんな女どこがいいんだよ」などと怜悧にニヤニヤと笑いかける。怜悧は普段の彼からは信じられないような冷たい声を出したのだ。
 「キミには関係ないさ。おまえうざいよ」
 「…………」
 「…………」
 沈黙が漣のように教室中に広がった。望も、振り向くことはしなかったが、内心びっくりだ。希の態度のせいで怜悧がああなったのなら、もしかして本気で怜悧は希に惚れている? それとも何か他の要因があるのか?
 怜悧はすぐに自分のクラスに戻ったようだが、教室中の視線が希に飛んできているような気がする。望はやれやれと思いつつ本を読んで、次の休み時間が問題かな、などとつらつらと考えていた。
 幼稚舎の頃から希を徹底的に嫌っていた三馬鹿トリオ、麻生有紀と篠塚舞と立花春奈も同じ学校で、希を一番いびったのも彼女たちだ。希と同じクラスなのは篠塚舞だけだが、舞の友達もなぜか同調して希をいじめてくる。
 最初は希をかばおうとする男女もいたようだが、希自身の無愛想さと対人恐怖症が、彼女たちとの距離をとった。「助けてあげようとしてもそっけないし、本人が自分では何もしようとしてないのだからいじめられてるのは自業自得」というのが衆目の見解らしい。教室でのいじめは移動教室の間に希の教科書や制服を隠すといった間接的だが精神的にキツイものがほとんどで、教室などで直接的にいじめることがなかったことも、周囲の人間が黙殺していた原因だろう。いじめる側が、完全に目立たないように振る舞っているあたりが、根の深さを感じさせる。
 朝宮怜悧にいたっては、いじめの存在に気付いてすらいないのではないか、と思われる様子もある。希がむしろ彼にだけは知られないようにしていたせいもあるが、望としてはだとしても怜悧のことは許せそうにない。望の彼に対する評価は「ただの優しいだけの甘い男」というかなり厳しいものだ。どこをどう転んだのか、怜悧の性格は、怜華の傍若無人ぶりとはまるで違う。家も名門資産家で、容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群なのは同じだが、甘いくらいに優しい男で、他者にきつくするこもは滅多にない。いっそ怜華を少しは見習ってほしいくらいだ。望としては足して二で割りたくなる。
 望はニ時間目の休み時間、荷物をロッカーにしまうと、相手の出方を伺う意味もあって、トイレに向かった。
 特にまだ尿意はないから、ゆっくりと歩き、中に入る。個室は全部からで、すべてドアが開け放たれている。一番端の一つに入って、鍵をかけて、用を足すことはせずに少し待つ。
 十数秒して、何人かの女子が入ってきた。
 「ね、今日あのダサ女がまた学校にきてたんだよ。知ってる?」
 「ええ、知ってるわ。しかも怜悧くんにまたちょっかいをだしたらしいわね」
 「あの女が何か言ったせいであの怜悧くんが大荒れらしいわよ。ほんと、最低よね」
 声は三つ。
 覚えたくないが覚えさせられてしまった声。麻生有紀と篠塚舞と立花春奈。その言い方はわざとらしく、希の耳を意識していることは明白だ。あまりにもミエミエな展開に望はため息をつきながら、ちょっとだけ笑った。
 「まったく、怜悧くんはどうしてあんなダサ女を気にするのかしら」
 「ほんと、あんな不細工女、とっとと下水に流れていけばいいのに」
 「今時三つ編みに黒ブチ眼鏡なんて最低よね。ちびでがりがりで貧乳で、いいとこなんて一つもないし」
 「学校なんてずっと来なければいいのに、馬鹿な女」
 「うちの学校も甘いよね。とっとと退学にしちゃえばいいのに」
 「ま、自分から辞めたくさせてあげるけどね」
 「あたしたちってほんと親切よね」
 「害虫は早めに駆除しなきゃ」
 「でも、まだ懲りてないんだから、いい度胸よね」
 「いまだに怜悧くんにもちょっかいだしてるしね、何様のつもりかしら」
 言いたい放題である。楽しげに言いあいながら、三人はなにやら洗面所でやっているらしい。激しい水音に、望は嫌な予感がした。過去に一度やられたことがあるのだ。
 三人とも充分いいとこのお嬢様なのに、たいていのことを直接自分で実行する行動力を持っているのがかえって怖い。望は静かに立ち上がり、便座の上にのぼる。
 「さてと、さっきから物音一つしないけど、怖くなっておもらしでもしているのかしら?」
 「あはは。出ないのを無理に出そうとしてるのよ、きっと」
 「素直に教室でもらしてれば、こういう目にもあわずにすむのにね」
 「そうよね、プライドなんて持つ必要のない身のくせに」
 水の音が止まる。
 「く、重いわ。どーしてあたしがこんな苦労しなきゃいけないの」
 「あはは。全部あの女のせいだよ、ぶつけちゃえ」
 隣の個室に人が入る物音。望はタイミングを見計らって身を起こした。
 隣の壁を乗り越えて、バケツと手と頭がでてくる。目があったのは一瞬だった。
 「え?」
 望は容赦なく、麻生有紀が持っていたバケツを、逆にひっくり返した。
 バシャーン!
 「きゃあ!?」
 「わきゃ!?」
 「な、なに!?」
 悲鳴が上がり、有紀は便座で足を滑らせたのだろう、同じように個室にいた他の二人とぶつかるような音が響く。
 「ふぇ〜ん、びしょぬれ〜」
 「ゆ、有紀、なにやってるの!」
 「あの女が押したのよ!」
 望は溜飲を下げて人の悪い笑みを浮かべながら、ゆっくりと個室を出た。有紀たち三人はすぐに希への敵意を新たにしたらしい。バッと飛び出してきた。
 「ちょっとあなたどういうつもり!?」
 「よくもやってくれたわね」
 「なに考えてるの!?」
 いきなり水をぶっかけようとした女たちの発言ではない。なんだか相手にするのもばかばかしくなるような反応である。望は冷笑した。
 「己の欲せざるところを人に施すことなかれ、という言葉を知ってる?」
 「な、なに気取ってるのよ!」
 「希のくせにいい度胸してるじゃない」
 「今日はただでは帰れないと思いなさいよ」
 「それはこっちの台詞かな」
 今までの恨みがある。こんな台詞が飛んでくるようなら遠慮するだけむだだ。望はすぐに動いた。
 無造作に近づき、一番近かった篠塚舞の濡れた髪をむずっとつかむ。めいいっぱい引っ張っりながら、思いっきり膝をボディに蹴り上げた。
 「ぅ! げほっ!」
 「な」
 「なにするの!」
 非力だから、気絶させるにはいたらなかったらしい。運がなかったね、と呟きながら、望は悶絶して膝をついた舞を放って、二人目の立花春奈との間合いを一気に詰めた。春奈は突然の希の行動に、詰め寄ろうとしたところを逆に詰め寄られて、慌てて一歩下がろうとするが、その動きは遅すぎる。ゼロに近い間合いから望は春奈の肩と腕を取ると、足を軽く払って、春奈の身体を一回転させた。
 塗れたタイルの床に、さすがに頭だけはぶつけないように気をつけつつも、容赦なく叩き落す。
 「ぎゃ!」
 「この女!」
 麻生有紀の蹴り。望は無造作にそれをかわすと、軸足を強く払った。大股開きの体勢で、有紀の身体が落ちる。尻餅をつく寸前で有紀は手で身体を支えたが、隙だらけだった。望は蹴りには蹴りとばかり、強く踏みつけるように、有紀のお腹を蹴りつけた。
 「ぐ、ごほ!」
 「あっと」
 有紀が胃の中のものを吐き出す。望は焦って飛びのいた。汚されてはたまらない。
 「…………」
 三人、立ち上がる気配どころか泣き止む気配もない。望は相手の発言を待つつもりだったのだが、それに気付いて少し嘆息した。痛みもさることながら衝撃も大きかったようで、三人とも泣きじゃくるだけで何も言ってこない。
 たった一発ずつ入れただけなのに、どうやらやりすぎたらしい。腐っても相手は女の子なのだ。手加減するべきだったのかもしれない。が、希が過去にやられたことはこの程度ではすまない。それを思うと、まだ足りないとすら思う。
 「きゃあ!?」
 不意にトイレに誰かが入ってきて、悲鳴をあげた。
 客観的にはかなり凄惨な状況だった。
 三人の、可愛いとも言えなくもないいいとこのお嬢様が、トイレの床で泣きながらのたうちまわっている。全身がぬれて、床の汚れで三人の服も汚れ、さらに床には有紀の嘔吐物も飛び散っている。
 望は状況をうやむやにすることにして、逃げ出すことにした。何事もなかったかのように教室に戻り、ロッカーから次の時間の教科書を取り出して、自分の席に座る。
 が、当然何事もなかったことにはならなかった。すぐに誰かが教師を呼んできたようで、三人は保健室に運ばれたらしい。おそらく目撃者情報からなのだろう、ひそひそ話が希の名前を口にする。三時間目が始まる寸前に、望は担任の教師に呼び出された。
 学校側も希へのいじめのことを多少は把握していたようだが、まさかこれほど凄惨な状況とは思っていなかったのだろう。さすがに慌てているらしい。進路指導室には望の顔見知りの教頭先生もいた。
 教師たちはまず目撃者情報と三人の状況を伝えて、ずばり本題に入ってくる。
 「キミがその場にいたということだが、いったいなにがあったのかね?」
 望は言質を取られることを嫌った。逆に問い返す。
 「……麻生さんたちは、どう言っているのですか?」
 が、教頭はさすがに冷静で、「それは後で話す。まずキミが見聞きしたことが知りたい」と、希に必要以上に情報は与えない。やりづらい人だと思いつつ、望は一瞬考えて、「Silence is golden(沈黙は金なり)」という格言に従うことにした。「トイレに入ってたら水をぶっかけられそうになったので、逆にぶっかけてからぼこりました」とは、さすがに馬鹿正直すぎて言えない。
 「…………」
 顔を俯かせて、表情を隠す。
 数十秒の静寂。
 「黙っていちゃなにもわからん。話せる範囲でいいから話してみろ」
 「だれかをかばっとるのかね?」
 「…………」
 予想外の言葉に、望は思わず顔を上げそうになった。この発言は、まだ話せないのか話すつもりがないのか、あの三人は希のことをなにも話していないということを表す。
 「かばいたい気持ちはわかるが、黙っていちゃなにも解決せんぞ!」
 しかもどうやら、希はたまたまあの現場に出くわしたか、もしくは希が絡まれていたところを誰かが助けてああなった、と教師たちは思っているようだった。どちらかといえば後者の思惑が強いようで、希が一人でああいう真似ができるとは誰一人思っていないらしい。望としては笑いたくなることに、希の外見やこれまでの希を考えればそれは正しいのだが、実に都合のいい勘違いを教師たちはしてくれていた。
 となると、どう言われようと、正式に告発されるまでは黙秘が最強の手段である。嘘をつくつもりもない。「弁護士を呼んでください」という冗談を思い浮かべながら、その一時間、望はひたすら耐えた。
 三時間目が終わると、「三人から詳しい事情が聞けたらまた呼ぶかもしれんので、そのつもりでいるように」という言葉とともにやっと開放される。
 進路指導室近くのトイレによってから教室に戻ると、朝と違い、教室がシーンとなった。望は人の視線を無視して自分の席についたが、注目を集めているのは嫌でもわかった。あまりいい気持ちはしないが、気にしすぎてもしかたがない。再度呼びされることもなく、四時間目は静かに過ぎ去った。



 昼休み、身体も使ったし神経も使っているから、すでにやたらと疲れていたが、とりあえず昼食だ。望は学食でパンを買って、一人ゆっくりと食べる。例によって胃が量を受け付けないから、栄養剤にも頼った。後はひたすらぼんやりとすることでエネルギー充填。
 カップルも多い中庭の一角で芝生に寝転がったのだが、第二ラウンドが待っていた。
 同じクラスの篠塚舞の友人たちだ。舞たちのように直接どうこうしてきたことはないが、間接的な嫌がらせにはずいぶん関わっている女子生徒四人。
 「あんた、舞さんたちをいったいどうしたの?」
 望は目を開いて、その四人を見つめる。相手にするのが面倒くさいのだが、そうも言ってはいられない。望は小さくあくびをして、身体を起こし立ち上がった。
 「本人たちに直接聞けばいいんじゃない? 保健室にいるらしいよ」
 「もう帰ったそうよ。制服もひどい格好だったみたいだし」
 「だれかがあなたに手助けしたんでしょう? まさか朝宮くんじゃないでしょうね?」
 「どうしてここで怜悧の名前がでてくるの?」
 望としてはちょっと不愉快だ。ああいう優男は望の好みとは大きく外れる。手助けなんかむしろされたくない。
 「なっ、あんた、朝宮くんを呼び捨てするなんて何様のつもり!?」
 「また痛い目にあいたいのかしら?」
 脅迫というにはあまりにも稚拙な脅迫。望は笑った。
 「今日痛い目にあったのはだれだろうね。キミたちも、同じ目にあいたい?」
 「な、なによ! 一人ではなにもできないくせに」
 「また誰かの手助けが期待できるとでも思ってるの?」
 「思ってるよ。ほら、キミたちの後ろに」
 望は真顔で彼女たちの後ろを指差して見せた。バッと、四人とも顔色を変えて振り向くのだから、なんだか面白い。こらえきれずに笑い出してしまう。
 「な、ふ、ふざけないでよね!」
 「此花のくせに馬鹿にして!」
 これまでの希なら、こんなことを言われてしまえば泣きそうになって黙りこくったところだが、望としては冷淡に流せるだけの余裕がある。
 「篠塚さんたちをああしたのはわたしだよ。同じ目にあいたくないならわたしに手を出さない方がいいよ」
 冷たい視線で、四人を見やる。怯んではもらえなかった。望の身体なら一睨みだけでそこいらの奴なら硬直していたものなのだが。
 「い、いい度胸じゃない」
 「あなた、自分の身の回りを気をつけた方がいいわよ」
 「私物も常に持ち歩くことね。教科書が一人歩きするかもよ」
 「ロッカーの鍵なんて簡単に壊れるしね」
 「ま、すでに遅いかもしれないけど」
 「…………」
 それあるを予測していた望は、もう黙殺して身を翻した。物理的攻撃にはいくらでも対処のしようがあるが、陰湿的間接的なヤリクチに一人で対抗するのは難しい。一人でできないなら、一人で対応しないだけの話だ。
 「あんたなんか、一生引きこもってればいいのよ!」
 この発言を教師が聞いても、注意することはあっても軽い口ゲンカとしか受け取らない希の現実。望はやれやれと思いながら、教室に戻った。
 まだ昼休みはもう少しあるから、みな思い思いにくつろいでいる。生徒の数も多くない。望はまず真っ先に、自分のロッカーの中の私物を確認した。
 「…………」
 鍵が壊されていた。中も空だった。もともとこの日もってきた荷物だけがすべてだが、ここまで露骨にやられると呆れることしかできない。さすがに焼却炉行きはないと思いたいが、もしそうでも全然驚く気はしないのも事実だ。
 望はとりあえず椅子に座って、さっきの四人が帰ってくるのを待った。
 四人は、すぐにもどってくる。ニヤニヤ希の方を見ているのだから窃盗犯の正体は明白だ。望は冷たい表情のまま、ポケットから携帯電話を取り出した。この学校は、携帯電話は緊急時以外使わないことを条件に持ち込み自体は認められている。メールのやりとりは黙認されているから、取り出しただけならだれも驚いたりはしない。教室が静まり返ったのは、迷わず三桁の数字を押した望の第一声のせいだった。
 「もしもし、警察ですか?」
 「…………」
 「鞄が盗まれたみたいなんです」
 望は率直に事実を伝える。教室がざわついた。
 電話の向こうでは警察の人が、盗難事件として本格的に事情を聞く姿勢を作る。学校の昼休みに、と話した時点で相手の誠意が消えて「そういうことはまず学校の先生に相談しなさい」という言葉が返ってきたが、望は冷静だった。
 「じゃあ、これから弁護士に電話しますね。事が起きた以上、警察が動かないのは怠慢だと思いますよ」
 電話の向こうで慌てたような気配。望がじっと反応を待つと、警察は重い腰をあげる気になったらしい。すぐ人をやるということで、さらに詳しい事情を聞いてくる。
 当の四人もなにやら焦ったように言い争いをしていた。望はわざとらしく彼女たちを見やりながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
 「鞄は教室の鍵付きのロッカーに入れてたんですが、ロッカーの鍵も壊されていました。昼休みに入ってすぐは鍵も壊れてなかったので、まだ一時間もたっていないと思います。いちおう、犯人の心当たりもあります」
 「わ、わたし、とってくるからね!」
 なにやら叫んで、一人がばたばたと教室をでていった。残る三人は今にも泣きそうだ。
 「此花さん、あなた、どこに電話してるの!?」
 その声は恐慌に震えていた。望はにこりと笑って見せる。
 「警察だよ。ロッカーの鍵が壊れて鞄が盗まれたみたいだから。犯人は刑務所行きだといいよね」
 本文本音で、半分は脅した。
 「や、やめなさい! なんてことするの!」
 「どうして? 純粋な権利の行使だよ」
 「電話を切りなさいって言ってるのよ!」
 「もう遅いよ。今こっちに向かってる」
 顔面が蒼白になる三人。望はこのくらいで充分かと判断すると、電話に向き直った。
 「ごめんなさい、おまわりさん。友達のイタズラでした」
 三人が「え?」という表情で顔を上げるのがおかしい。
 「鞄もでてきたので、もう大丈夫みたいです」
 電話の向こうの相手もなかなかのやり手のようだった。怒ることも、拍子抜けすることもなく、シニカルな意見が飛んでくる。三人の大声も聞こえていたようで、状況を的確に推測したらしい。「もしまたされるようならもう一度電話しなさい。たっぷりとお灸を据えてやるから」とまで言われたのにはさすがに望も少し笑った。さらに二言三言やりとりをして、望は電話を切った。
 「さてと、とりあえず壊れたロッカーの鍵は、わたしのと交換してもらうよ」
 望は無造作にポケットから鍵の束を取り出し、ロッカーの鍵を抜いて、差し出す。三人は顔を見合わせたが、やがて一人が諦めたように自分のロッカーの鍵を手渡してきた。
 望はロッカーに歩き、譲り受けたロッカーに手をかけた。他の子たちは、面倒くさがって鍵など普段かけていないようだった。中身を全部取り出して、床において、どこぞやに鞄を取りにいったらしいもう一人が戻ってくるのを待つ。
 「こ、此花さんごめんなさい! お願いだから許して!」
 途中から場を離れたため状況がよくわかってないもう一人の声は、悲鳴に近い。
 いったいどこにあったのか、その鞄はぬれていた。なんとなくあまり触りたくない類の液体な気もしたが、望は黙って受け取っておいた。
 「二度目はないと思ってね」
 冷たい顔で言い捨てると、鞄を洗いに一度教室を出た。



 望が教室に戻ってくると、今まで以上に奇異の視線で見つめられた。四月の学校が始まったばかりの頃や、九月の前期末試験のときの希とは明らかに違う希。驚かれても当然かもしれないと思うから、望としてはそんな視線はすべて無視だ。
 その日は後は平穏に過ぎ去った。
 鞄の中の教科書もぬれていて、ちょっと使いづらかったという程度だ。五時間目六時間目と過ぎ去り、そのまま放課後になって、望は帰途についた。
 普段外出なんてしていない希の身体だから、もうすっかりぐったりである。体育がなくてよかったと心から思う。下手に本格的な運動なんていきなりしたら、倒れてしまいそうだ。
 家に帰ると、着替えて、ジュースを飲んで、くてーっとなる。いつもならお風呂と夕食の準備もするところだが、その元気もない。もともと両親が帰ってくるのも深夜だから急ぐ理由もない。望は、リビングのソファーで吸い込まれるように眠ってしまった。


to be continued...

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更新日 2003/11/22

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