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夢の続き   (作:Taika Yamani)
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  プロローグ「夢」


 教室外のベランダは、秋の日差しを受けてぽかぽかしている。よく晴れた十月のとある一日、葉山月学園高等部一年の此花望は、日光浴をしながらだらだらとした昼休みを過ごしていた。
 横では三人の幼馴染みがくだらないことを言い合い、些細なことで笑い、ふざける。望も笑って付き合っていたが、その視線は空にあった。
 秋の空。薄い雲が、ゆっくりと風に流れる。
 望はそんな空を、手すりにもたれかかり、ぼんやりと眺めていた。
 「望!」
 望のことを呼び捨てで呼ぶ女は片手の数ほどしかいない。望は名前を呼ばれて振り返った。
 同学年の少女が、ベランダを伝って別のクラスから歩いてくる。少し気の強い瞳が印象的なその少女は、望とは葉山月学園の幼稚舎からの知り合いだった。名前は朝宮怜華。望にとっては悪友的な少女であり、ある意味ストーカー的な少女でもある。望にあきらかに友情以上の好意を持っていて、いつもいつも望にまとわりついてくる。おかげで付き合う彼女ができてもすぐに破局を迎えてしまう望である。
 望は彼女の性格ゆえに、彼女を恋愛対象としては完全に除外していた。容姿は人並み以上に可愛く、この年齢になってキレイとも言えるようになってきた怜華だが、桁外れにいい家のお嬢様である彼女はわがままで高飛車で、意志が強く気も強く、高圧的で自己中心的で強引で、ともかく望の好みとは大きく違う。
 「……なに?」
 「なにじゃないわよ!」
 怜華はなぜかぷんすかしながら近づいてくる。望の友人のはずの三人は、笑顔で友人を貶しにかかった。
 「怜華さん、今日もきれいですね」
 「こんな奴やめておれと付き合おうよ」
 「そうそう、こんな女ったらしにかまうだけ時間の無駄だぜ」
 「この三馬鹿はほっといて、ちょっとこっちきなさい。話があるの」
 いつものことだから、三馬鹿呼ばわりされても三人は笑っている。望は冷淡だった。
 「ぼくは用はないよ」
 「わたしがあるの! いいから早くきなさい!」
 「ぐっすん、いけよ、望。怜華さんの仰せだぞ」
 「そーだそーだ。幸せを独り占めして来い、このくそやろう」
 「今度毒入り林檎を持ってきてやる」
 「ほら、きなさい!」
 好き勝手なことをほざく三馬鹿をよそに、怜華は望の腕を引っ張る。
 「用件を言いなよ」
 無造作に怜華の腕を払う望。平手が飛んでくる。
 「またいきなり……」
 避けるには場所が狭いから、望は無造作に怜華の細い手首をつかまえた。
 「なんで避けるの! たまには殴らせなさい!」
 「なに勝手なことを」
 そんなの嫌に決まっている望である。と、不意をつくようにして後ろの三馬鹿の攻撃。
 「怜華さんになにをする!」
 半分本気の攻撃に、望は素早く怜華の手を引き、怜華の身体を盾に使う。
 「きゃっ!」
 「な、なんつーまねを!」
 「あんまり調子に乗るなよな!」
 「どこの馬の骨とも知れぬおまえが、怜華さんに声をかけてもらうだけで光栄に思え!」
 この三馬鹿の態度も、望が怜華にそっけなくなる理由に一役買っている。望の態度が悪いことも原因なのだろうが、怜華がからむと三馬鹿との友情はおしまいだ。
 麻生勇気と篠塚猛、立花春彦という名前を持つ三人は、朝宮怜華の家の分家に生まれたらしく、幼児期から怜華の護衛兼従者のような役回りを親に押し付けられている。親たちは怜華の婿になることも期待していたようで、本人たちの怜華への口説き文句も今でも半分は本気かもしれない。ともあれ、怜華が望だけにちょっかいをだしても三人の情熱は薄れなかったし、従者気質も健在だ。
 「はいはい」
 睨みつけてくる三人に苦笑しながら、望は押すようにして怜華の手首を開放した。昔はいじめられていた望だが、今ではこちらからケンカを売るつもりはない。
 「どうしてあなたは、可愛い幼馴染みにこんなに冷たくできるの!」
 怜華は即座に、後ろに三馬鹿を従えて振り返る。半分涙目になりながらも、高飛車な視線が揺るがないのはさすがだ。凛然とした中にも可愛さを覗かせる怜華の表情なのだが、望の心は金剛石でできていた。
 「本当に可愛い幼馴染みならもっと優しくするんだけどね」
 「おまえ、怜華さんのどこが可愛くないって言うんだ」
 「そうだぞ、おまえの目は節穴か!」
 「怜華さん、こんな男本当に放っておくべきですよ」
 「あなたたちうるさすぎよ」
 「う、そ、それはひどいですね、ぼくらは怜華さんのことを思って」
 「そうそう、こんなばか望なんか放っておいた方がいいって」
 「おれたちと遊ぼうぜ」
 「わたしは、黙れと、言ったのよ」
 怜華が冷たい視線で、三馬鹿を一睨み。三馬鹿は一瞬にして押し黙った。望としては笑ってしまいたくなるような三人の従順さだ。
 「望、あなたも、わたしは話があるといったのよ」
 「どうぞ」
 「ここではできない話なの! わたしについてきなさい!」
 「それは嫌」
 怜華の視線がいっそうきつくなる。その瞳は潤んでいるのだが、望が怜華の本気の泣き顔を見た回数は多くない。この程度で泣く女ではないとよくわかっているから、どこまでも望の態度はそっけなかった。
 「話さないなら、ぼくはもう行くけど?」
 「…………」
 「…………」
 そっけない視線と、睨むような視線がぶつかる。怜華は唇をかみ締めた。
 「お父様たちから、望に誕生日プレゼントがあるのよ」
 悔しそうな声。望は少し意表をつかれた。
 「おじさんたちが? ぼくに?」
 幼い頃から何度も連行されて、怜華の家族(両親と兄姉)から妙に気に入られている望だが、誕生日プレゼントなどというのは初めてだ。そう言えば今年はまだ怜華からももらってないな、とも思いながら、望は少しだけ笑った。
 「最初からそう言えばいいのに」
 「怜華さん、こんな奴にプレゼントなんてもったいないよ」
 「こいつ、同級生やら上級生の女子やらからももらってたんだぜ」
 「怜華さんのお気持ちを平気で踏みにじる男など、忘れた方が身のためです」
 「……殺されたいの?」
 怜華の冷ややかな声に、また三馬鹿は黙る。
 「あなたたち、ここから消えなさい」
 「え、ですが、こんなケダモノと怜華さんを二人きりになんてできません!」
 「そうそう、こいつ、また女作ってるんだから」
 「またコクられてたんだぜ」
 ビクン、と、怜華の眉が跳ね上がる。
 「……いいから、消えろ、この三馬鹿」
 怜華の口調が少し変わる。これは祖父の影響らしいが、本気の前兆だ。三馬鹿は慌てふためいて、ベランダを飛び出していった。もっとも、教室からしっかりと外の様子をうかがっていたが。
 望はこんな三人のやりとりはなれっこなので、笑って見ている。傍から見るだけなら充分面白いのだ。半分当事者なのだから本当は笑い事ではないはずなのだが、笑うしかない心境というのもあるのである。
 「今の話、本当なの?」
 「気の弱そうな子だったから断ったよ。だれかさんが邪魔しないなら付き合ってもよかったんだけどね」
 付き合う女にみな圧力をかけるのだから、おとなしいタイプの子を選ぶと結果がひどい。一度など自殺騒ぎにまで追い込んだ怜華だ。
 「望がわたしだけを見ればいいのよ。わたしのなにが不満なの? お金も、家柄も、美貌も、能力だってずば抜けてるわ。あなたはただわたしに優しくしてればいいのよ!」
 「もう何度も言ってるはずだけど?」
 「まだ目が覚めないのね。望につりあう女なんてわたししかいないわ。わたし以外と付き合って幸せになれるとでも思ってるの?」
 その自信過剰で自惚れなところが望の気に入らない点の一つだ。いや、実際言うだけのことはあるのだが、人の幸せを勝手に決め付けるような女を、望はどうしても好きになれない。
 「何度も言わせないでよ。ぼくの好みはおしとやかな子だよ。その点キミときたら……」
 中学の時に「大人しい女の子になれたら付き合ってもいいよ」と望が言い、怜華は実行に移そうという健気なところを見せたが、三日と持たなかった。
 「そんな女のどこがいいのよ。従順で言うことを聞くだけの召使のような女がいいわけ?」
 その一件以来、今ではすっかりと自然体でぶつかってくる怜華である。望としては、友達としては、そんな個性をなかなかに気に入っている。他に特別付き合いたい女がまだいないというのもあるとは言え、望が本気で怜華を排除したりはしないのは、その理由も大きい。
 「その話はもういいよ。それで、おじさんたちはぼくにどうしろって?」
 よくないわよ、と頬を膨らませつつも、怜華はここは素直に話題を変えた。
 「今日、家にきて欲しいって」
 「いきなりだね。七時までならいいけど、それでもいい?」
 「夜はなにするのよ? こんな日までバイト? まさか女じゃないでしょうね?」
 「女だとしてもどうこう言われる筋合いはないけど、八時には父さんたちが帰ってくるから。久しぶりに家族水入らずです」
 「嘘じゃないでしょうね?」
 「嘘をつく理由はないよ」
 「……いいわ。じゃあ、学校終わったら車を待たせてるから、わたしを校門前で待ってなさい」
 また目立つ場所で……、と思った望だが、口には出さなかった。
 「怜華は部活は?」
 一年生にしてテニス部の先輩方をこてんぱんにのしたことがある怜華だ。そのくせ対抗式試合には一切でないというわがままぶりで、内外に色々波紋を投げかけている。容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群、家も名門資産家で、欠点なのはその性格だけ、という怜華は、平然と言ってのけた。
 「サボるに決まってるじゃない。どうせ暇つぶしなんだから」
 相変わらず先輩方には聞かせられない台詞だね、と望は笑う。
 「オーケー、じゃ、また放課後ね」
 「すぐきなさいよ」
 「それはうちの担任に言っといて」
 「すっぽかしたら許さないから!」
 「校門を通らずには帰らないよ」
 後ろ向きに軽く手を振って、望は教室に戻る。三馬鹿トリオがすぐに駆け寄ってきた。
 「おい、何を言われたんだ?」
 「おれたちの仲で隠し事はないよな?」
 「どーいう仲?」
 「いーから! 洗いざらい全部はけ!」
 「おじさんに呼ばれただけだよ」
 時々なぜこいつらと付き合っているのか疑問に思う望だが、向こうから絡んでくるし、怜華が絡まなければ悪い奴らでもない。適当にあしらいながら、望は自分の席についた。
 怜華は、やってきた時と同じようにベランダをつたって自分のクラスに戻ったのだろう、すぐにベランダから消えている。望はどうしてあの程度の話が人前ではできなかったのかと思いつつも、うるさい三馬鹿をハエのように追っ払った。



 放課後、怜華は先に待っていた。のんびり歩いてきた望は文句を言われるが、そこまで言われる筋合いはない。軽く流して、車に乗り込む。
 好きだの嫌いだのと言われなければ、怜華との付き合いは望も嫌いではない。わがままで高飛車な妹をもったらこんな感じなのかな、という気分だ。多少度がすぎて時折言い争いになるのも、仲がいい証拠かもしれない。だが、自分に恋愛感情がないからこその関係だとも思っている。良くも悪くも、今の望にとっての怜華は悪友的だった。
 やがて車は怜華の家に到着し、豪邸と言えるそこに、望は先導される。怜華の家族はまだ不在のようで、とりあえず怜華の部屋へと案内された。
 「久しぶりだね、怜華の部屋も」
 「感謝しなさいよね、わたしの部屋に入れる男はあなただけなんだから」
 「おじさんたちは?」
 「お父様だって毅お兄様だって今はもう入れさせないわ」
 「可哀想に」
 「年頃の娘だから当然のことだわ」
 「…………」
 望は内心で、「年頃の娘、ね」とか「その娘が若い男を連れ込んでいいの?」とか思ったが、藪をつつく行為と思ったので口を出すのはやめておく。すぐに隣のクローゼットで着替えた怜華は、一冊の本を持って戻ってきた。
 「アルバム見よっ」
 「…………」
 少し子供っぽい物言いとその怜華の姿に、一瞬望は息をのんだ。
 シンプルな長袖のワンピース。褐色がかって、ウェーブまでついている怜華の髪は自然に肩に流れ、その空色のワンピースにキレイに溶け込んでいる。胸元に可愛らしい青のリボンがついて、年相当に成長している胸の膨らみを魅力的に引き立てる。ウエストは華奢に細く、プリーツ状のスカート部分はゆったりと広がって膝上を隠す。怜華は素足で、無造作にキレイな姿勢で歩いてきて、望の横に腰を下ろした。
 「望って、子供の頃は女の子みたいだったわよね」
 床にアルバムを置いて、身を乗り出すようにしてページをめくる怜華。コロンか何かをつけているのだろうか、優しい甘い香りが漂う。
 「…………」
 本当に、怜華は黙ってニコニコしていれば可愛くてきれいな少女だった。恋愛感情の有無は抜きにして、望の性欲が一瞬首をもたげた。
 「望?」
 四分の一だけ異国の血を引いているためか、傍で見ると藍色に見える怜華の瞳。望は内心どぎまぎしながら、とっさに冷静な声を出した。
 「なにか飲み物とかないかな?」
 「あ、そうね。持ってこさせるわ」
 一度立ち上がり、内線で二人分のジュースとお茶菓子を要求する怜華。望はその間に気持ちを立て直した。確かに怜華は可愛いが、一度手を出したりすればもう泥沼なのは明白だ。一時の若い過ちで一生を決めたくなんかない。
 「おじさんたちはいつくるって?」
 「さあ、長くはかからないと思うわ。そのうちくるわよ」
 「適当だね」
 「いつもの望ほどじゃないわ。何でもできるくせに、手を抜いてばかり」
 「面倒くさいから」
 「ま、今日はなにも言わないでおいてあげるわ」
 わたしの婿になる人間がそんなことでいいと思ってるの? という発言は保留にしておいてくれるらしい。望は少しだけ笑った。
 「でも、懐かしいね。どうしていきなりアルバムなんて?」
 しかもこのアルバムは望がメインのアルバムだ。望も過去に何度か見せられているが、いつどうやってとったのか謎な写真も多い。
 「たまには、自分の人生を振り返ってみるのもいいでしょう? ちょうど十六年なんだし」
 「十六、か。あまり実感はないな」
 「そんなこと言ってると、すぐに二十歳や三十四十になるわよ。ちゃんとその時々しかできないことは逃さないようにすべきと思わない?」
 「ずいぶん、怜華に似合わないことを言うんだね」
 もっとも、露骨に恋愛を匂わせているのだから、実に彼女らしいとも言えるが。
 「なによ、わたしをなんだと思ってるのよ」
 「大胆でわがままで自分勝手で居丈高で高飛車で自分本位でゴーイングマイウェイで」
 「……今日があなたの誕生日でなければ、今日をあなたの命日にしてあげたところよ」
 「はは。それはそれは」
 「ま、いいわ。望も初めて会った頃はあんなに可愛らしかったのにね」
 葉山月学園の幼稚舎で、二人は知り合った。初日から怜華は望になれなれしくちょっかいをだしてきて、二人派手に大喧嘩。今となってはいい思い出だが、その後に続く一連の出来事は今でも苦い記憶だ。
 「怜華のせいでいじめられたからね、いやでも逞しくなる」
 「あ、あれは、わたしのせいじゃないわ。望が可愛すぎて妬まれたんじゃない」
 「あの三馬鹿については間違いなくキミのせいだよ。他の女の子がぼくを避けたのもそうかな」
 「わたし以外、女の子は望にはだれも近づけさせない。本当は男だって近づけたくない」
 「……やれやれ」
 「望ってば、一年でこなくなったのよね。わたし、あなたがこないと、いつも暴れてたのよ」
 「いや、キミはぼくが行っても暴れてたと思う」
 一年とたたずに幼稚舎通いを完全に嫌がるようになった望だが、一人が寂しくなってはたまに顔を出すこともあった。そのつどいじめられたわけだが、ある意味怜華が一番望をいじめていた気もする。
 「だって望がくると嬉しかったから。この頃のわたしも可愛いわよね」
 「…………」
 どこが? と言いたくなるが、客観的にはそうなのだろう。好きな男の子の存在で一喜一憂する女の子。今となっては愛情表現だとわかるが、やられる方ではたまったもんじゃない。
 「初等部の入学式は、望ってばまだおどおどしてるよね」
 怜華はアルバムのページをまた一枚、めくった。
 「当たり前。あの頃のことは今でも嫌な記憶だよ」
 「でも、二年生くらいから乱暴になっていったよね。生意気にもわたしに反抗してきたし」
 初等部入学と同時に、望は「得物ありの合気道」といった流派の武術の道場に通うことになる。自分の意志での選択だ。いじめられっ子だった望は強くなることを望み、その努力をして、そしてそれだけの力を身につけた。
 「あの時にもっと殴っておけばよかった」
 「わたしにそういう口をきくわけね?」
 「一度めいいっぱい叩かれた方が怜華のためだったと思うよ。おかげでこんなにわがままな女になった」
 「……もしそうなら、それこそあなたのせいだわ」
 「まあね。キミを甘やかしすぎたという自覚はある」
 いじめっ子を撃退して、怜華に対しても物理的優位を確保した望だが、他者に対して必要以上にきつくあたることはなかった。なんだかんだいいつつも怜華のわがままに付き合うことも多く、だからこそ今でもその付き合いは続いている。
 「もちろん、責任はとってくれるんでしょうね?」
 「いや、ない」
 怜華の眉の角度が、危険水準にまできつくなった。
 「……何度も言うけど、今日が望の誕生日でなければ、わたし絶対そういう放言は許さないわ」
 「そうしてくれると助かるよ。キミとの言い争いはむだに疲れるから」
 「…………」
 怜華の視線は険悪なまでに厳しいのだが、ここで怜華が口を開くより早くノックの音が響いた。怜華はふんとばかりそっぽをむいて、立ち上がる。メイドさんが飲み物とお菓子を持ってきてくれたらしい。トレイを受け取って、ドアを閉めて、怜華は戻ってくる。
 「どうぞ」
 「ありがと」
 「……三年生になると、もう望はすっかり今の性格よね」
 「そうかな? そうかも」
 「やりたいことしかやらない面倒くさがりやのくせに、成績もいいし運動もできた。いつも女子からキャーキャー言われてたわ」
 「男子の反発もひどかったけどね。何度なぐりあったことやら」
 「ケンカ負けなしのくせに。五年生で、高校生を骨折させた時は、初等部に停学者をだすところだったし」
 「あれは、苦い記憶だね」
 その時の望は手加減を誤ったのだ。なかなか骨のある相手で、手を抜く余地が多くなかった。
 「四年生の遠足は覚えてる?」
 「忘れたい記憶だね、それも」
 「……忘れたら、絶対に許さないから」
 「忘れられそうもないよ」
 クラスみんなで、バスにのって高原への日帰り旅行。一人群れから離れて昼寝にいそしんでいた望。目を覚ました時、目の前に怜華の顔があった。その日一日、望は怜華と口をきかなかった。
 「……泣けば許してくれたわよね、いつも。望は」
 「やっぱり甘かったよなぁ」
 望は軽く笑って見せる。「もっと甘くしなさいっ」と怜華もふざけて笑った。
 二人しばらく、アルバムを見て思い出話に花を咲かせる。ずっと同じ学校で共通の話題も多いから、過去の話題は豊富で、自然に話も弾む。気付くと六時を回っていた。
 時計を見た望はすっかり空になったジュースから、小さく溶けた氷を一つだけ口に含んだ。
 「おじさんたちはまだなの?」
 「ん、そうね。その前に望、わたしも、プレゼントがあるの」
 「…………」
 「どうしてそこで黙るわけ? 感涙にむせび泣く?」
 「いや、そこまではいかないよ。でも嬉しいかな。ありがとう」
 「…………」
 「で、なにをくれるの?」
 「……ありがとう、ということは、受け取ってくれるということよね?」
 望は猛烈に嫌な予感がした。
 「ものによる」
 「……望は、どういうつもりで、ここにわたしと二人きりでいるの?」
 「…………」
 相手の気持ちを知っていながら、こうやって密室で二人きり。「もしかしてぼくは残酷なのか、もしくは本当は怜華が好きなのか、それとも馬鹿なのかもしれない」。刹那、望の脳裏を余計な思考がよぎる。
 「…………」
 「…………」
 「ああ、もう! いらいらするわね!」
 望は脱力した。ここで涙目になってすがってこられれば、望の理性だってかなり揺らぐかもしれないのに、この女はこういう女なのだ。
 「わたしみたいにいい女が好きだって言ってあげてるのに、どうしてあなたはそうなのよ! これが望にとってどんなに幸運でどんなにすばらしいことか、本当にちゃんと理解してるの!?」
 怜華は言いながら、背中に手をやり、いきなりワンピースを脱ぎ捨てる。
 「ま、待った、なにする気?」
 「ここまでさせておいてわからないなんていわせないわよ!」
 望はすぐに視線をそらせたが、その姿は一瞬で瞳に焼き付いていた。レースがふんだんにあしらわれた上品な下着に身を包んで、愛らしくもキレイな怜華の姿。
 望はすぐに立ち上がった。
 「帰る」
 「絶対許さない!」
 背中から、抱きつかれる。油断、ではなく、かわす意志がなかったということも、望はしっかりと自覚した。だがだからと言ってそれとこれとは別だ。「ぼくはまだキミが好きじゃない」という微妙な台詞が喉をでかかる。が、怜華はそれすらも言わせてくれなかった。
 「わたしを抱かないと望の両親を不幸な目にあわせるわ」
 「…………」
 「望だって今後ずっと幸せにはなれないでしょうね。あなたに直接手は出さないけど、あなたが付き合う子は絶対に許さない」
 これが付き合いだした後にでる言葉なのなら、可愛い嫉妬と思えるのかもしれない。だが今の望にその発言は脅迫以外の何物にも聞こえない。恋心があったとしても、一発で冷める。
 「やっぱり最低の女だね、キミは」
 「なっ、期待させるような態度ばかりとる望に言われたくないわよ!」
 絶叫だった。素直な本音だったのかもしれない。
 だがだとしてもその言葉は望をかたくなにしただけだった。
 「じゃあ言うよ。キミとは絶対に付き合わない」
 「!」
 怜華の腕から、わずかに力が抜ける。望は強引にその腕を振り解くと、もう振り返らずに怜華の部屋を出た。



 自分のせいではないはずなのにモヤモヤした気持ちを抱えて帰宅すると、両親はすでに帰ってきているようだった。手洗いうがいなどして着替えてリビングに行くと、父親も母親の料理を手伝っていた。
 「ただいま」
 「おかえり。遅かったな。寄り道してたのかい? どこぞの女の子にでもつかまってたとか?」
 父、此花蔵人、四十二歳が、すでに酔っているかのような態度で望の背を叩く。望は少しだけ笑った。
 「まーね」
 「お、言うようになったなぁ」
 「おかえりなさい、望ちゃん。今日は怜華ちゃんと一緒だったの? それともまさか他の女の子?」
 母、此花茜、自称「永遠の十八歳」も、料理の手を止めて笑いかけてくる。望は正直に言いたくなくて、嘘も言いたくなくて、少し話をそらした。
 「母さんは、怜華のどこがいいの?」
 「あら、あの子可愛いじゃない。それにあなたに一途なところもポイント高いわよね。ああいう子にそっけなくできる望ちゃんが母さんわからないわ」
 「母さんは怜華の本性を知らないからそんなこと言えるんだよ」
 「いいか、望! 男子たるもの何人もの女に手を出すのはよくないぞ! かくいう父さんも母さん一筋四十二年、その結果見事におまえという息子を授かったわけだ。おまえにはあっちふらふらこっちふらふらという男にはなって欲しくないぞ!」
 「すっかり肝に銘じてるよ」
 生まれた時から想い続けてたの? と心の中でつっこみつつ、望は軽く流す。すぐに望も料理を手伝おうとしたが、この日の主賓である望に両親はなにもさせてくれなかった。普段仕事で午前様な二人だから、こういう時くらい親らしいことをしたいのだろう。お風呂の準備も済んでいるということなので、望は素直に甘えてお風呂を先にもらった。
 戻ってくると、料理もすっかり出来上がっている。
 「望、誕生日おめでとう!」
 「十六歳おめでとう、望ちゃん」
 「ありがとう」
 笑顔で言いながら、心の中で「怜華には結局おめでとうを言ってもらえなかったな」などと思うのだから、望もやはり怜華のことが嫌いではないということだろう。「怜華がもっと一方的でなければなぁ」と思いつつ、望は両親にすすめられるままにワインを口にした。
 「いかんなぁ、望、未成年なのに」
 「そうよ、望ちゃん。もっと飲みなさい」
 「母さん、ぼくもう十六なんだから、いい加減に本当にチャン付けはやめて欲しいんだけど」
 「どーしてよ。望ちゃんは望ちゃんで望ちゃんじゃない!」
 「うんうん、子供の頃なんてなぁ、もう女の子以外の何者でもないってくらい可愛かったんだぞ。いっそ女の子ならよかったのに」
 「父さんまで……」
 下手すると泣くよ、と思いつつ、望は料理を食べて、グラスを傾ける。
 「望ちゃんがもしも女の子だったらもっと可愛かっただろうなぁ。母さん、娘とお買い物とかしたかったなぁ」
 「うんうん、父さんも望が女の子なら喜んで一緒にお風呂に入るぞ」
 「父さん、精神病院に連れてこうか?」
 「ね、怜華ちゃんはいつからわたしの娘になってくれるの? あの子は末っ子だから、お嫁さんにきてもらえるのよね」
 「母さん、話飛びすぎ」
 「おお、いいなぁ。早く孫の顔を見せてくれ。できれば女の子がいいぞ」
 「女の子も一人欲しかったよね〜。あなた、今夜がんばってみる?」
 「……お願いだから、子供の前でそんな話しないで……」
 賑やかに、望の十六の誕生日はすぎていった。


to be continued...

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更新日 2003/11/22

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