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この話の一部に出てくる『妖精さん』の設定は、ジャージレッド様の『妖精的日常生活』に準じておりますが、本編とは一切関係ありませんのでご了承ください。


居候はレヴァの王子様

最終話 夫婦喧嘩は犬もくわない

作:Plantain


─1─


 ユニバース。
 文化祭スローガンだ。文化祭とは読んで字のごとく文化の祭典だ。従って文化祭における展示見学というものはもう少し重要視されるべきではないか。などとぼくが考えたところで何も変わらない。
 ユウとメイと展示見学の時間、制服ではなくて私服の時間。
 我が大森中学校は田舎の山の上にあり在校生は一八六人と少ないけれど、れっきとした文部科学省管轄下にある公立の学校法人になっている。周囲の公立中学校と同じく制服の着用が義務づけられているけれど、文化祭期間だけ私服が許可されていた。
 いつもが制服だけに何を着ていったらよいか少し迷った。結局、黒と赤とクリームのチェック柄をした襟付き長袖ワンピースを基本にして、上はクリーム色のカラーTシャツを重ね、下はクリームブルーのレギンスでまとめた。最後に桃色のマウンテンパーカーを軽くはおっている。
「なんだか気合い、入ってるね」
 とベージュ色をしたカーディガンを着たユウが言う。
「ユウも私服だといいね」
 色合いが秋に似合っていた。
 横からメイが顔を突っ込んでくる。
「うみゅ。私は制服だ。まずいか?」
 メイはかくりと首を傾げる。金髪がさらさらと制服の肩に流れる。ほんわりとシャンプーの匂いがする。
「うん。いいと思うよ」
 中にはバイクスーツのような全身ぴっちりな服を着てコンパクト百科辞典を小脇に抱えているキイ君とか、タキシードを着ている森先生とかもいる。そんな二人と比較すればメイは至極まともな服装をしている。
「やあ、仲良く展示見学だね」
 噂をすれば影が差す。我がクラスの学級委員であるキイ君が、怪しげな服に身を包んで現れた。
「前にも注意したと思うけど、文化祭で私服が許されているとはいえ、節度ある服装に気をつけようね」
 キイ君の服装は全身が繋がっているバイクスーツのような服だ。
「ふーみゅ。節度ある服装とはそういう服装なのか?」
 キイ君は頭の上まで服に覆われていて、頭頂にはアンテナのようなアクセサリーまで装着されている。いきなりメイに話しかけられてキイ君は慌てたのか、しきりに頭のアンテナに手をやってもじもじとしている。いきなりぴかぴかとアンテナの先が光り始めた。
 キイ君の服装全体をよく見ると、バイクスーツというよりSFに出てくるスペーススーツを意識した服装のようだ。ただ、はたしてこれは節度ある服装なのだろうか。判断に迷うところだ。キイ君の回答に注目が集まる。
「えっと、あの、その、あ、はい。この服装は問題ありません」
 大きくキイ君が頷くと頭頂のアンテナがゆらゆらと揺れた。近年の異文化寛容政策の進展による文化多様化の結果、節度ある服装の範囲は宇宙規模まで増大した。
「その。メイ?」
 キイ君がメイに話しかける。
「ふーみゅ?」
「その、メイは暇? 暇だったらつき合って欲しいんだけど」
 キイ君はメイをナンパしにかかった。
「暇ではない。現在展示見学中だ」
 キイ君のアンテナの先が点滅しながら赤、青、黄とめまぐるしく変化する。
 鼻までずれた眼鏡が情けないことこの上ない。
「あのね、キイ君。用件を先にいったほうがいいよ」
 キイ君は眼鏡を左手で直した。
「メイ。生徒会室までつきあってほしい」
 キイ君はメイの手を引っ張った。
「ふ、ふみゅ?」
 メイがキイ君に引きずられてゆく。そして、キイ君とメイは廊下の向こうにアンテナをピカピカ光らせながら去って行ってしまった。
「キイ君って、あんなことする人だっけ?」
 ユウと顔を見合わせる。キイ君はUFOを呼ぶ儀式を真剣にやったり、真空管アンプで感電したり、薬品を合成しようとして爆発させたりするくらい、ごく普通で真面目な生徒だと思っていたけれど、結構大胆なこともするんだと見直した。
「おお、そこの可愛らしいお嬢さん方、我が映画研究会の力作映画『夢の狭間』を観ていかないかね?」
 ぬっと出てきた黒服でサングラスの集団に教室へ追い込まれる。
 案内されたのは深夜の通信販売で売っているような黒いソファの特等席だ。それもそのはず観客はぼくとユウしかいない。
 絶賛上映中というより絶版上映中だ。
 ユウの右に並んでちょこんとソファに座る。
 黒板の隅には『自主製作映画 夢の狭間 上映会』と垂れ幕がかかっている。渡されたパンフレットは色上質紙に手書き──いや手書きの文字と絵を印刷して絵の具で色を塗ったというデジタルとアナログがハイブリッドに融合したものだった。透明水彩の技法を駆使し暖色系を多く使ったファンタジックな色合いだ。
 妖精さんが出てくるコメディ映画らしい。ただここに出てくる『妖精さん』は一般的なケルト妖精とは異なっている。
『妖精さんの身長は二十五センチくらいです。背中に羽や翼が生えていますがこれはエネルギー融合体で妖精さんによって違います。また訓練すれば羽や翼の出し入れができるようになります。一般的に妖精さんは人間より素直でまっすぐです。人間が妖精界の妖精に魔法を使って身体を交換されて妖精さんになります』
 そう説明書きには書いてあった。
 部屋が暗くなり映画の上映が始まる。


 場面は妖精さん専用の小さい出入り口の前、登場妖精は森野若葉ちゃんと小山実君の二人だ。
 若葉が必死に扉を押しているけれど、動く様子は全くない。
 若葉は何かを思いついたのか、ぽんっと手を打った。扉に向かって若葉が叫ぶ。
『ひらけごま!』
 後ろで見ていた実が若葉の肩をつんつんと突く。
『合い言葉は必要ないよ』
『へ? あの、この扉が押しても開かないから、その』
 若葉はもじもじと両方の人差し指をつき合わせる。
 実が首を小さく傾ける。
『若葉ちゃん、それ襖と同じで横に動かす引き戸だから』
 がらがらと引き戸が開く。
 とたんに若葉が赤面する。
『は、はぅ。み、実君』
『おいらが、どうしたんだい若葉ちゃん?』
『あ、あ、あの』
 若葉は混乱している。
『あの、実君、大好き!』


 二人の妖精さんは単純で素直で小さかった。純粋で明るくて暖かい心を持っていた。時には喜び、時には怒り、時には悲しみ、時には笑った。お互いを思う心があることが、二人の行動から感じ取れた。
 左隣に座っているユウの気配を感じる。映画に出てくる妖精さんたちみたいに素直になれたら、もうちょっといろいろなことに悩まないですむかもしれない。こうやってユウの身体を感じているだけで胸の奥底が暖かくなってくる。
 左手でユウの右手を探した。ユウの右手はすぐそこにあって、ユウもぼくの左手を探していたことがわかった。そっと握ったユウの手のひらは、ほんのりと湿り気を含んでいた。ユウの脈拍を手のひらで感じた。ユウの手のひらが心地よかった。
 どんな難しい問題だって、この手のひらの感触を忘れなければ答えは見つかると思う。どんな苦しいときだって、このときの気持ちを忘れなければ乗り越えられると思う。そう思うだけの理由が今の瞬間にあった。
 映画が終わった。
 教室が明るくなる。
 ずっとユウの手を握っていたことに気がついて恥ずかしくなる。
 でもユウはそのまま手を握ったまま立ち上がった。
「さあ、行こ。そんなに展示見学の時間はないんですから」
 ユウに手を引かれて校内を歩く。
 物理研究会は波動粒子砲ならぬ波動空気砲を販売していた。空気ソリトンを利用しているという。流体力学と構造力学を活用し、最大限に圧縮圧と空気速度を高めたことが重要らしい。コショウを詰めて発砲する。射程は十五メートルで着弾地点から半径五メートル以内にコショウが散らばるという。そんな迷惑きわまりない代物を「ユイは姫だから護身用に必要だ」というわけのわからない理由で買わされてしまう。しかもこれが携帯用で、台車を使って移動させる設置型は花火を打ち上げる筒くらいの太さがあるというからその破壊力は計り知れない。
 職員展示ではクラス担任の森先生(独身男性・彼女募集中)が『トポロジーの総体/手編みマフラー』を展示していたり、保健のマリ先生(独身女性・彼氏募集中)が『小型実装の現在/携帯型遺伝子診断装置』を展示していたりした。
 文芸部では「大森山に伝わる化け猫の噂の真相」という題目で、文芸誌「猫目石」を販売していた。今から十五年前に大森山に月から舞い降りたという化け猫の話を特集している。『その昔、草刈りの翁ありけり』という話の始まりはなにかに似ているような感じがするけれど気のせいだろう。『買ってくれた皆さんには、もれなくマタタビ粉末提供』という嬉しいか嬉しくないかわからない文句に踊らされてユウは文芸誌とマタタビ粉末を入手した。文芸部は化け猫対策のためにマタタビ粉末を備蓄していて、ついに累積百キログラムに達したという噂の真相は聞き損なった。
 そんなこんなでそろそろお昼になる時間帯。
「メイはまだキイ君に捕まってるみたいだね」
 メイはキイ君と上手くやっているのだろうか。
 校内放送の呼び出し音が鳴った。
『二年三組のメイさん、至急生徒会室までお戻りください。繰り返します。二年三組のメイさん、至急生徒会室までお戻りください』
 廊下の向こうからメイがぱたぱたと駆けてくる。なにやらあわただしい様子だ。
 声をかけたらメイが目の前で立ち止まった。
「うーみゅ。文化祭とは忙しいものだな。また呼ばれてしまった。というわけで、ユイたちと展示見学はできそうにない。すまぬな」
 かくりとメイが頭を前に倒す。
「キイ君に呼ばれているの?」
「シノブ生徒会長に呼ばれているのだ。かなり遠くから客人が生徒会室に来ることになっている」
「で、メイは?」
「うみゅ。私は『英国から来ていた外交官がレバノンの女性と、熱烈な恋愛をして生まれた後、母とともに英国に渡ってそこで育った』ことになっている」
 そんな設定は忘れていた。
「つまりシノブ会長は私を通訳にしようというのだな。一応、英語、スワヒリ語、タガログ語とマシン語くらいはしゃべれると言ってある。まあおそらく通訳は必要にゃいだろうがな」
 何だか思わせぶりなメイの口調だ。
「ふーん。じゃ、それが一段落ついたらお昼を一緒に食べよう。ノンちゃんたちが陸上部で『御好焼喫茶(おこにみやきっさ)』やってるから」
「うみゅ。ではでは」
 そう言ってから、メイは、ぱたぱたと廊下を駆けて行ってしまった。器用に人ごみの間を駆け抜けてゆく様はさすが本来の姿が猫型の宇宙人だった。
 
 
 
 

─2─


 昼食時なので、あちこちの売店を巡っているのだけれどなぜか主たる品目が切れている売店が多かった。調理部の喫茶店で『サンマ開き定食』を注文したら品切れだった。調理部長が出てきてしきりに頭を下げる。
「もうしわけありません。ちょうどサンマを切らしておりまして。かわりに鰹節(かつおぶし)を用いた猫まんま定食を用意しております」
「なんで鰹節なの?」
「それが語るも涙、聞くも涙の物語でして」
「聞くと悲しくなるから聞かない」
「いやいや是非にもお聞きください」
 どうしてもぼくを悲しませたいらしい。調理部部長はとくとくと語るように話し始めた。
「我が、調理部は今朝七時に集合して仕込みをしておりました。そこに毛並みのそろったシャム猫が現れました。それはもう、素性のよろしそうなシャム猫でして、毛並みの美しさは今まで見たシャム猫のうちで一番でした」
 今までにそんなにたくさんのシャム猫を見たのかとか、比較しようがないんじゃないだろうか、というつっこみは話の腰を折ることになるのでやめておく。
「それはともかくその猫が『お腹がすいている。ご飯が欲しい』と申すのです」
「猫がしゃべったの?」
「まあ、少なくとも私にはそう聞こえたのです」
 そういうことにしておこう。
「で、私は七輪を最大出力でドライブして、サンマの開き定食をベースとした特製猫まんまを作って差し上げました。なんせ、材料のサンマをご提供いただいている副会長から『猫が来たらサンマを調理せよ』との指令が出ておりましたので」
「さっきから気になっていたんだけど、どうして猫に敬語なの?」
「いえ、ですから高貴な猫なのです。どれくらい高貴かといえば、そう銀河帝国皇帝の奥方様にサンマの開き定食を調理して差し上げる料理長の飼い猫くらい高貴な猫です」
 なんとなく偉そうな雰囲気だけは伝わってくる。
「とにもかくにも、私が作った猫まんまをそれはおいしそうに猫は食されました。それで話がすめば良かったのですが」
 そこで調理部長は言葉を切った。
「そこで話がすまないのが、現実の怖いところ。なんと、その猫のあとからシャム猫がぞろぞろと現れて『お腹がすいている。ご飯が欲しい』とおっしゃるではありませんか。あとの結果は推して知るべし。ふたたび七輪は最大出力でドライブされ、サンマの開き定食をベースとした特製猫まんまは私の知る限り過去最高の出食数を記録して、サンマはとうとうなくなってしまいました」
 そこで調理部長は、はあ、とため息をついた。
「すっかり猫がいなくなってから、今日の文化祭のサンマ開き定食の材料がないことに気づきました。そこでしかたなく、近くの百円ショップで鰹節の袋を大量に買い入れて、文化祭の定食は猫まんまにすることにいたしました」
「つまり、お腹をすかせていた高貴なシャム猫たちが可愛くて、サンマの開き定食を猫たちにあげてしまったのでサンマがなくなったということですね」
「はい。そしてサンマのかわりの鰹節があるというわけです」
 サンマ開き定食のかわりが鰹節の猫まんまという感覚はどうなのだろう。我が学校の調理部の行く末が心配になってきた。
「うん。大変だね。じゃあ」
「あ、お客様。どうか今後ともごひいきに」
 調理部を後にしようとしたら、鰹節の袋を押し付けられた。どうやら余っているらしかった。
 中庭の出店をユウと一緒に巡り歩く。剣道部のフランクフルトソーセージ屋さんでも、卓球部のたこ焼き屋でも、テニス部のクレープ屋でも、相撲部のちゃんこ鍋屋でも、猫の出現によって何かしらの具がなくなるという事件が発生していた。
「なんなんだろうね。いったい」
「たこの入っていないたこ焼きはたこ焼きじゃないです。実のないクレープってただの皮です」
 そう言ってユウは頬をふくらませている。
 くう、とお腹が悲しく鳴いた。
 顔を上げると目の前は陸上部の御好焼喫茶(おこのみやきっさ)だった。
「いらっしゃい!」
 大きな声で出迎えたのはノンちゃんだった。陸上部の赤い半纏を着て、ショートカットにねじり鉢巻が勇ましい。陸上部の売店はお好み焼き屋で、ソースと鰹節が大量にかかっているのが特徴……のはずだったけれど、鉄板の上にあるお好み焼きには鰹節が乗っていない。
「あれ? 鰹節がまったくないよ?」
「それが語るも涙、聞くも涙の物語なんだよ」
「聞くと悲しくなるから聞かない」
「だめだよ」
 ノンちゃんにびしっと指さされる。
「たまには泣け! 鰹節がなくなるにいたるこの悲しい事件の顛末を」
「どうしたんですか?」
 ユウに促されるようにしてノンちゃんが話し始める。
「そう、そう問題は猫だよ猫」
「猫?」
「猫なの!」
 ノンちゃんは両手でショートカットの髪の毛をつり上げて、猫耳のまねをする。
「猫がね、鰹節を物欲しそうにしてたら、あげるじゃない? 特にシャム猫で、頭に金髪が一房あったら誰だって鰹節あげたくなるじゃん」
「あげたんですか?」
 ユウに訊ねられて、ノンちゃんぐっと右手を握りしめた。
「でもここは文化祭で商売だから、ぐっと我慢した……ところまでは良かったんだけど。でもその後『ほしいにゃあ』って鳴かれちゃったからついひとつかみだけあげちゃった。でね結局全部あげちゃった! びっくりだね」
 なんだかどこかで聞いたような話だ。
 握りしめた右手を開いてから、ノンちゃんはふうとため息をつく。
「というわけで、ユイ、暇だったら鰹節を買ってきて」
「いや、もうあるし。はい」
 ノンちゃんに鰹節の袋を手渡す。
「へ? これどこで用意したの?」
「調理部でもらったんですよ」
 ユウが答える。
「ぬぬ。宿敵である調理部に行くとは。信じられない」
 ノンちゃんは複雑な表情をしている。
「あ、でも悲しくなって結局食べないできたんです」
 ノンちゃんが不機嫌に成ったのを悟ったのか、ユウがあわてて付け加えた。
「ならいいけど。調理部は副会長派だからね。あんなところ行っちゃだめだよ」
 ノンちゃんがお好み焼きの具を鉄板にじゅっと流し込む。
「副会長派ってなんですか?」
 じゅわ、と鉄板から湯気が上がる。
 ノンちゃんは一瞬「しまった」という顔をして「あんまり話さないでね」と前置きをしてから話し始めた。
 前回の会長選挙で会長派は圧倒的多数で指示を集めたけれど、負けた副会長を指示する勢力が少なからず存在するという。その副会長派が今回の文化祭を失敗させて、現会長を失脚させようとする企てをたてているという噂が流れているらしい。
「ほらさ、副会長はさ、陰でね会長の悪口を言っているの。『あんな男みたいな女は嫌いだ』とかなんとか。信じられないよね。しかも表では『いざというときは会長をするくらいの意気込みでがんばる』とかなんとか言ってさ。絶対どんな手段をつかってでも会長になりたいって思ってるんだよ。あれだよね。権力に飢えたオオカミって感じだよね。オオカミがお好み焼きが嫌いで良かったよ」
 ノンちゃんが「ほい」とお好み焼きをひっくり返す。
「でも後夜祭の司会を会長に任されておきながら、緊張のあまりお腹壊して入院なんて副会長も格好悪いよね。結局後夜祭の司会って誰になるんだろう。やっぱり放送部長かな」
 ノンちゃんが小手でお好み焼きをちょんちょんと突く。
 少し火を通してから鰹節とソースと青のりをかけて出来上がりだ。
「んじゃ、一緒に食べようね。あたしもお腹すいたし。なんたって次の中庭メインイベントは文化祭恒例女装コンテスト、ユイの晴れ舞台だからね」
 大皿にお好み焼きをのせてからノンちゃんはねじり鉢巻を取った。


 中庭にはベルマークによって購入されたパラソルとテーブルと椅子がいくつもあって、その周りに売店が並んでいる。陸上部のお好み焼き屋もその一角にある。テーブルの一つを陣取って、三人で一つのお好み焼きを切り分けてつつく。お好み焼きは大きいから一人分にしてもかなりの量がある。
 焼けたばかりで熱いから、口に入れても「ほふほふ」吹きながら食べるしかない。
「へほ、ふふはいひょうは、はんはへひふんへふは?」
 ユウは「でも、副会長がなんかできるんですか?」と言っている、と思う。
 サンマの開き定食でお腹を壊して入院している副会長に反論の余地はない。ちなみに副会長は定食屋の一人息子で、調理部の食材提供元だ。
「ふん。ひょふはへ」
 そしてノンちゃんは「うん。そうだね」と言っているのだろう。
「ぷは。やっぱりお好み焼きは最高だよね」
 ノンちゃんはうんうんと頷いている。
「あれ? ユイ面白いもの持ってるじゃん。あたしにかしてよ」
「あ、これ物理研究会で売っている空気砲。で、これが中に詰めるマタタビ粉末」
 本当はコショウだけれど今持っている粉末はこれだけだ。
「面白いね。こうやって入れるんだよね。ふうん。物理研究会で売ってるんだ。あとで見に行こう」
 ノンちゃんがマタタビの袋を破って空気鉄砲に装填する。ふわっと周囲に漂うマタタビの香りに、頭がくらっとなる。体全体がほんわかとしてくすぐったいような変な気分だ。
「ユイ、マタタビに興奮している?」
「い、いやそんなことないよ。ちょっと緊張しているだけ」
 多分気のせいだ。
 
 
 
 

─3─

 最終日、中庭メインイベント女装コンテスト。
 中庭に設営された舞台袖で歌のギター伴奏をしてくれるユキオ君と出番を待つ。
 舞台の中央で筋肉もりもりポーズを取りながら歌っているのは格闘系演劇部期待の新人で、女装コンテスト一年三組代表のタクミ君だ。だが悲しいかな、濃い化粧と水着姿にもりもりの筋肉が全体としての調和を乱している。しかし審査員一同をうならせているのは、女装コンテストとしては的を外れている外見ではない。彼のボーイソプラノの美しい歌声だ。
 曲目はアヴェマリア。高音部の伸びと張りのある歌声に、ウィーン少年合唱団も顔負けだ。
 歌が終わってタクミ君に流し目を送られた審査員一同は、倒れそうになるのを「ぐ」と我慢しながら採点用紙に記入している。
「さあ、採点は、歌の技術点と外見の芸術点それぞれ五点ずつ、合計十点満点で評価されます。一年三組代表のタクミ君の点数やいかに? まずは技術点」
 放送部長の実況に続いてドラムロールが鳴り響く。正面の電光掲示板に五人の審査員の得点が出る。
「五・〇、五・〇、五・〇、四・九、五・〇 。真ん中三つの平均で五・〇。なんと、最高得点が出ました。さあ次は注目の芸術点です」
 再びドラムロールが鳴り、電光掲示板の数字が動き出す。
「一・〇、〇・〇、〇・五、五・〇、〇・〇。中心三つの平均で〇・五。技術点と芸術点を合わせた総合得点は五・五となりました。いやあ、技術点は高かったですが、芸術点はかなり厳しい結果になりました。あの鍛え上げられた筋肉には審査委員一同、悩殺されましたね。ありがとうございました」
 舞台の上には次々にクラスの名誉をかけた代表が登ってゆく。
 歌う者有り。日本舞踊を舞う者有り。一輪車に乗る者有り。
 技術点と芸術点、一方が良くても他の一方がなかなか伸びない。『天は二物を与えず』という格言の威力はこういうときに発揮される。
 順番が近づいてくる。
 隣のユキオ君が「まあ気楽にやれよ」と励ましてくれるけれど、胸の中のどきどきが高まってくる。
「次は、二年三組代表ユイさんです」
 呼び出しが掛かって、舞台の中央へ進む。
 文化祭最終日かつ中庭最大のイベントだ。ぱっと見ただけでも中庭の観客は六十人以上、校舎の一階と二階にある窓から覗き込んでいる教員生徒を含めれば百人以上の観客がいる。全校視聴率六〇パーセント以上、こうなればまな板の上の鯉だ。刺身でも鍋でもおじやでも、思う存分調理されるしかない。
 じゃん、とユキオ君のギターが始まり口を開いて歌い出そうとした瞬間、中庭に飛び込んできた人影を認めた。
 中庭に現れたキイ君は前にも増して怪しい格好に変貌していた。頭のアンテナは途中でぽきりと折れながらも、先端の発光体がピカピカと点滅し、時折ジジジと火花が散っている。身体にぴったりとしていたはずの服はところどころ猫の爪で引っ掻かれたように破れていて隙間から地肌がのぞいている。
 その異様な風貌にユキオ君のギターが止まる。
「猫、猫がくるんだよ!」
 キイ君が叫んだ。
 にゃあにゃあ、といううるさい声が近づいてくる。
 一棟から中庭への入り口にシャム猫の集団が現れた。一匹、三匹、十匹、五十匹……百匹以上いる猫の大群が中庭に突入してくる。
「わ、うわ」
 観客は慌てて立ち上がり猫の突進を回避した。猫はそのまま観客が座っていた椅子を蹴散らして中庭の売店の方に突進し、ありとあらゆる食料を略奪してゆく。
 舞台の上の高いところからだと猫の流れが目に見える。流れの中心地点にいるのは知っている顔だ。
 舞台の上でワイヤレスマイクを握りしめ、校内放送を通じて全校に実況中継するのは放送部長だ。
「あ、あれは! 会長選挙で徹底的に敗北した副会長だ! サンマ開き定食で食あたりを起こし入院していたはずの副会長だ! 文化祭に合わせて復活してきたのか?」
「ふふふ、よくも今まで俺をこけにしてくれたな。売店の食品を全て猫に食べられたなどとなれば、文化祭は台無しだ。そうすれば会長を失脚させるのも時間の問題! あとは俺が新生徒会の会長になる!」
 なんとみみっちい生徒会征服計画だろう、という全校生徒の思いは通じていないのか、それとも冗談のつもりなのかわからない。ただ猫の大群が売店を襲っているという事実は存在する。
 ここで立ち上がるのが部活連合の組合員たちだ。労働者人民諸君には団結権が法律で認められている。
「させるか! 文化祭特別の出血価格。百食出食できなければ赤字転落は自明の理。ここで猫にやられては、陸上部御好焼喫茶(おこのみやきっさ)の名がすたる!」
 赤い半纏に捻りはちまきのノンちゃんの両手には、お好み焼きの小手が装着されている。目にも留まらぬ両腕の動きによって、飛びかかるシャム猫の大群をばったばったとはり倒す。他にもテニス部のラケットや、野球部のバット、剣道部の竹刀、卓球部のピンポン球、体操部の一輪車がその本来の機能を超えた威力を発揮して襲いかかる猫たちをなぎ倒す。出店に襲いかかる猫の波に部活連合のエネルギーが真っ向からぶつかって、モーゼの杖が見せた『映画十戒』の海を割る光景が再現される。
 副会長の表情が厳しくなる。
 副会長は部活連合の団結力に形勢不利を悟ったのか、横にいた大きい黒猫に声を掛ける。
「ふふふ。ここにおわする方をどなたと心得る。恐れ多くも惑星レヴァの王様、オピア・プランクである。一同控えよ」
 一匹黒猫がすっくと後足で立ち上がり、両方の前足を宙に掲げるとぼうっと空間が青白く光り始めた。猫が両前足を一振りすると、光球が一対のパラソルへ打ち込まれる。轟音を立てて火柱が立ちパラソルと椅子が炎上する。
「ふはははは、見たか! サンマの油の威力! 旬の魚のエネルギーはすごいぞ」
 副会長が怪しげに笑う。
「や、やばいよ」
「ベルマークで買ったパラソルが台無しだ」
「あれがサンマのエネルギーだ!」
「DHA全開だ!」
「サンマは婿に食わせるな!」
 安全は全てのことに優先する。売店を死守していた生徒は、それこそクモの子を散らす様に逃げ出した。
 再び別の場所で火柱が上がる。
 そんな状況においてもネバーギブアップを信条とするバスケット部と陸上部の一画だけは、部活連合の防御壁が薄くならない。「ディフェンス!」というかけ声も聞こえてくる。
「あきらめたらそこで赤字決算ですよ」
「部長! 物理研究会から波動空気砲が届きました。文芸部よりマタタビ百キログラム提供受けました。屋上からは航空研究会の援護です」
 がらがらと大きな音を立てて引きずられてきたのが、物理研究会特性・超大型高非線形波動空気砲だ。
 屈強なバスケット部員が空気砲にマタタビ百キログラムをどさどさと詰める。
「猫にはマタタビが効くんだよ。そして文芸部提供の百キログラムのマタタビ粉末だよ。波動空気砲は物理研究会のご提供、そして上空からは航空研究会の大風洞実験用送風機も援護しているよ」
 ノンちゃんがマタタビ粉末の詰まった空気砲を大空めがけて発射する。
「くらえ、部活連合の威力。波動空気砲マタタビスペシャル!」
 空をつんざく破壊音と共に砲塔からマタタビ粉末が発射される。流体力学と構造力学を最大限活用した尋常ならざる圧縮圧と最大限に高められた空気速度および流体の非線形性を利用した空気ソリトン効果によって、マタタビ百キログラムが空高く舞い上がる。屋上から吹き下ろす大風洞実験用送風機の風によって、マタタビ粉末は中庭全体に急降下する。空から降るマタタビの豪雨という表現が相応しい。その場にいた全員の身体の表面にマタタビ粉末が降りかかる。
 猫にマタタビ。
 マタタビ効果は絶大だった。それまで統率された動きを見せていた猫たちの足はもつれ、その場に倒れる。あるものは身体をくねらせ、あるものは身体を痙攣させるようにもだえ始める。一匹のリーダ格の黒猫を除いて、猫の集団は一瞬のうちに全滅した。


 マタタビの被害はぼくを含めて中庭にいた生徒全員に広がっていた。さながら火山灰が堆積するかのように体中がマタタビまみれだ。鼻孔にマタタビ粒子が舞い込み、おもわず小さなくしゃみをする。その反動で思い切りマタタビ臭を感じてしまった。
「あ、あれ?」
 マタタビの匂いをすったとたんに体中の力が抜けてしまう。
 ふっと、頭を押さえて舞台にへたり込む。
 なんだか身体の中心が熱く溶ける感じだ。視界がうねうねと歪んでいる。頭を押さえたままで縮こまるように身体を丸くする。頭のてっぺんのあたりにふさふさとした感触がある。
「にゃ」
 触るとくすぐったくて、さわさわという音が聞こえる。動かそうと思うと自分で動かせて、動かした方向の音がよく聞こえる。それよりも身体がくにゃくにゃだ。視界が低くなっていて、周りの世界が大きくなっている。耳の感覚がくすぐったい。
「ユイ!」
 ユウが舞台に近づいてくる。
 ユウの声を聞くだけで身体がじんと震える感じで、ユウが近づいてくるだけでユウから溢れてくる何かの流れを感じる。身体が痺れて動けない。
 舞台の上にユウが来た。
 へたり込んだままでユウを見上げる。
「ユウ?」
 どうしてこんなにユウが大きいの?
「ユイ」
 ユウに見下ろされている。ユウがしゃがみ込んだ。ユウの瞳に猫がいる。
 猫?
「ユイ、猫になってます」
 ぼくは猫なの?
 うん、そうだよ。
 自問自答して、不思議とそれを理解した。
 ユウの両手が伸びてぼくの身体を持ち上げる。
 自分の身体が視界に入る。ユウの両手で簡単に抱けるくらい身体が小さくなっている。毛が生えている。尻尾がある。服はどこかに行ってしまった。お腹が見える。三毛猫だ。確かに猫だ。
「ユイ、可愛い」
 そのままユウに優しく抱かれた。ユウの胸は温かかった。ユウに抱かれるのが気持ちよかった。鼻の先がユウの胸に当たって息が苦しくて、少し動いて顔をユウの方に向けた。顔を動かした瞬間に鼻先がユウの胸をこすった。ユウの匂いがした。いつもより強くユウの匂いを感じた。身体の奥底にユウの匂いがしみ通った。
「ユイ、くすぐったいですよ」
「みゃあ」
 小さな鳴き声が喉の奥から出た。
「もう」
 ユウの頬が紅潮している。
 くるりとユウの身体が舞台の外を向いた。中庭の入り口が見えた。入り口には高下駄を履き、黒マントを羽織った人影が見えた。このタイミング、そしてこの格好をして堂々と入場するのはこの人以外にいない。
「勝負あったようだな」
 我が大森中学校、現生徒会長にして、大森中学校最強の権力者であるシノブ嬢だ。
「器物破損は生徒会副会長にあるまじき失態」
 下駄の音を高く鳴らしながら、一歩一歩副会長のところに進んでゆく。
 副会長は動けない。
 かわりにリーダー格の黒猫が一歩前に進み出る。
「いや、まだ勝負はついていない。私が相手になろう。こういう姿だが、私は一応、惑星レヴァの王をしていてな」
 レヴァの王様?
 レヴァって聞いたことがある。そう、メイの故郷テスマート星系第三惑星レヴァだ。メイはレヴァの第三王子様だ。つまりレヴァの王様はメイの父親だ。レヴァ星人は猫の姿が本来の姿だ。そしてその猫耳を使って物質の根源である波動因子を操作して、さっきのように火の玉を爆発させることもできる。
 そんな強敵に臆することもなく、シノブ先輩が、ふっと笑う。
「では俺も紹介させて頂こう。こちらがレヴァのお妃様だ」
 シノブ先輩の後ろから白いペルシャ猫がすっと前に出てきた。ペルシャ猫の隣には黒猫の格好をしたメイが神妙な顔をして付き添っていた。威厳ある態度の白いペルシャ猫の後ろには、これまた品位あるペルシャ猫が二十匹控えている。
 メイが必要とされていたのは外国からのお客さんだからというより、惑星からのお客さんだからだということに気がつく。
 白いペルシャ猫──レヴァの王女様が口を開く。
「あなた」
「にゃ、にゃあ? ツェンバ。な、なぜここに」
「父上と同じように、私は母上も地球に呼んだのです。私が地球に来たのは偶然ですが、しかしそのおかげで今回の恒星間戦争、すなわちレヴァと、母上の実家のヴァールが宇宙戦争に突入したそもそもの原因がわかりました。原因は父上の浮気です」
 メイがいつもと違う。
 猫の姿をしているメイがなんだか立派に見える。
「それはともかく、父上、地球の政治と教育に介入するのは宇宙連邦の規則違反です」
 生徒会長のシノブ先輩が言う。
「ほかの星の内政に不干渉だというらしいな。レヴァの王女様、元惑星ヴァールのお姫様から事情は聞いた」
 ペルシャ猫の姿をしたレヴァの王女様がふん、と鼻を鳴らす。
「宇宙連邦の規則を知っているあなたがなぜこんなところでこんなことをしているんでしょう?」
 レヴァの王女様の言葉にレヴァの王様はあわてる。
「いや、そのつまり。サンマの開き定食をごちそうになったお礼というか」
 レヴァの王様はたじたじだ。
「そういうわけだ。退いてもらおう」
 シノブ先輩は容赦がない。
「いや、でもここで退いたら男がすたる」
「それくらいですたる男だったら、いまここですたらせてしまいなさい。それに浮気した時点で既にあなたは男としてすたっています」
 レヴァの王女様も遠慮がない。
「にゃ、にゃああ」
「あなたの浮気が実証されました。十五年前に地球人の女性と関係をもっていたことは確固たる証拠を持った事実です。証拠は十四年前に地球人の女性が産んだ子供です。その子供の名前はユイ」
 YUI、ゆい、ユイ。
 一瞬、理解できなかった。
 ユウを見上げた。ユウに強く抱きしめられた。
 名前?
 ああ、ぼくの名前だ。
 レヴァの王女様が言った名前がぼくの名前だとわかった。
 ユウが言う。
「あのね。文芸部の『猫の目』に、十五年前に大森山に月から化け猫が舞い降りたという都市伝説の特集がされていたんです。そこにね、書いてあったんです」
『月から舞い降りた化け猫は宇宙人だった。宇宙人は猫の姿をしていたけれど、地球人の男性の姿に変身できた。宇宙人は地球人の女性と恋に落ち、そして子供が生まれた。生まれた子供は三毛猫の姿をしていたけれど、宇宙人の力で地球人の男の子の姿に変えられた。その子供はすくすくと成長したけれど、宇宙人の血を引いていることは自分では知らなかった。そしてその子供は現在大森中学校にいる』
 話の内容は以上だった。きちんと落ちまでついていた。
「でも、そうだとすれば、わかるんです。つじつまが合うんです」
「どうして?」
「だって、三毛猫は女の子しかいないんです。だから、ユイが大きくなって、だんだんと宇宙人の本来の姿に戻ってきた時に、最初に身体が女の子に変わってそれから三毛猫になったったんだって、説明できるんです」
 レヴァの王様はメイを見た。メイは頷いた。
「地球の医者であるマリ先生に協力して頂いて、ユイの遺伝子を調べました。確かに父上の血を引いています」
 証拠はそろった。
 だとすると、そうだとすると、どうなんだろう。ぼくはレヴァ星人と母さんの子供だということは知っていた。その血の繋がった父親――レヴァの王様がここにいることになる。それはつまり、元に戻って十五年前にレヴァの王様がぼくの母さんと関係を持って生まれたのがぼくだということだ。
 レヴァの王様はしばらく黙ってレヴァの王女様を見つめていた。
「すまにゃい」
 王様が首もとを王女様のほうに差し出した。
 王女様は王様の耳元に舌を寄せ、そして優しく三回嘗めた。王様は「にゃう」と鳴いた。
 敏感な猫耳を差し出すことはレヴァ星人にとって特別な意味を持つと、前にメイから聞いたことがある。
「ユイ」
 名前を呼ばれた。
 ふ、と気づいた。王様と王女様の脇に控えていたメイが、いつの間にかぼくを抱いているユウの足元に来ていた。
 もう一度ユウを見上げた。ユウの目が答えた。
 すっと、ユウの胸からメイのいる舞台の床へ飛び降りる。尻尾でバランスを取って舞台から駆け下りる。
 尻尾が揺れた。猫耳が風を切る。
 体中がくすぐったかった。くすぐったさをこらえながら、レヴァの王様の方へ走った。
 王様の目の前に立つ。
 王様の方を見る。なんと呼びかけていいのかがわからなかった。
「お……」
 お父さん、と言おうとしてできなかった。
 ここにいるレヴァの王様とは血が繋がっている。けれどぼくの父親は、地球にいて、ときどき意味の分からない駄洒落を言う地球人の方だった。
 だから目の前にいるレヴァの王様に『お父さん』とは言えない。
「王様」
 レヴァの王様は少し悲しそうな顔をした。
 頭を下げた。
 身体の半分はレヴァの血が混じっていて、マタタビの匂いで猫になってしまうような身体でも、身体の半分は人間だ。そしてぼくは地球で育った地球人で、ずっと地球人として生きていきたい。
 頭を上げて、王様の目を見た。
 目には一瞬の沈黙があった。
「ノゾミさんによろしく伝えて欲しい。では」
 くるりと王様が振り返ってペルシャ猫ことレヴァの王女様の方へ歩いてゆく。
「ふん。まあ、今回はメイとユイに免じて許してあげます。か、かんちがいしちゃだめですよ。別に浮気を許したわけじゃないんですから。和平交渉はあとできちんとやりますよ。今日のところは綺麗な三毛でユイが可愛いから許したんだから。だからこれからはちゃんと浮気しないで私だけを見てって……」
 王様が目を丸くする。
「な、何でもないんですからね。あなたのことなんて」
 王女様はあわてた。
「じゃ、じゃ帰りますからね。ワープ使っても三ヶ月かかるんですから。あなたの宇宙船、私が着陸するときに壊しちゃったから一緒の船ですよ。ま、事故でしょうがないから私の船に乗せてあげるんですからね。別に一緒にいたいとかそんな理由でわざと宇宙船を破壊したわけじゃないんですからね。勘違いしちゃだめですよ。寝所が一つなのも深い意味なんてないんですからね。ちゃんと一緒にこれからのことを考えようってことで」
 くいくい、としきりに王女様は王様の脇腹に頭をつきつけ、王様をせき立てるようにして前に進む。
「ほら、とっとと宇宙船に行きなさい。今夜は眠らせませんよ」
「にゃ、にゃあ」
 ペルシャ猫ことレヴァの王女様が、黒猫ことレヴァの王様を追い立てていき。その後ろを猫の集団がマタタビで酔ったふらつく足取りで、ぞろぞろと従って去っていった。


 猫が去った中庭は荒れ果てていた。
 その中心に会長と副会長がいる。真っ直ぐに立っている会長と対比して、精根尽き果てて座り込んでいる副会長は対照的だ。
「情けないな。副会長」
「会長。俺は、会長に負けるのが悔しかった。何かできるって示したかった」
 副会長が呟いた。
 ふ、と会長が笑った。
「生徒会長に必要なものは何か知っているか?」
 会長が副会長に尋ねる。
 副会長が会長を見上げる。
 会長は羽織っている黒マントを、一瞬ばさっとはためかせた。
「愛だよ」
 会長はひざまずいて副会長の肩を叩いた。
「俺は、いつも会長に憧れていました。俺は、いつか会長を超えたいと思っていました。俺は、会長が……」
 憧れが恋愛感情に変化して、それが天の邪鬼な反抗に繋がったという論理かもしれない。聡明な会長ならばそういう感情も知っているはずだ。しかし会長は華麗にかわす。
「ふ、百年早い。ひとまず任せてある後夜祭を成功させてからもう一度言え」
「え?」
「サンマの開き定食でお腹を壊した位で、仕事が取り上げられると思ったのか? 俺は副会長が必ず文化祭に戻ってくると信じていた。だから後夜祭の進行の代理はまだ決めていない。副会長ならできるだろう? 少なくとも俺は信じている」
 会長が副会長の手を取って立ち上がらせる。
「か、会長!」
 副会長の声は感激のあまりうわずっている。
「絶対に後夜祭を成功させます」
 観客から大きな拍手がわき起こる。
「会長最高!」
「副会長がんばれ!」
「宇宙は愛だ!」
「愛は宇宙だ!」
 ざわざわとしていたかけ声がやがて文化祭スローガンへと収束してゆく。
 全ての存在を内包する宇宙。全ての可能性を内包する宇宙。全ての心を内包する宇宙。そしてぼくたちには宇宙を感じる心がある。未来へ向かうエネルギーを秘めた文化祭に、そういう願いが込められたスローガンだ。
「「「ユニバーズ!」」」
 かけ声は中庭を飛び越えて空の彼方へと吸い込まれていった。
 
 
 
 

─4─

 
 後夜祭。
 最終ステージは様々な団体の歌や出し物の総合舞台『プラズマステージ ユニバース!』だ。声を張り上げて歌うソウルあり、想いを込めたブルースあり、そして下ネタ満載の寸劇ありと文化祭最終ステージに相応しい演出だ。舞台裏の控え室にも講堂の熱気が伝わってくる。
 大きな木のテーブルの上に黒猫――メイがいる。ユウは三毛猫姿のぼくを抱いて机の脇の椅子に座っている。舞台裏の控え室は片側の壁が全面鏡になっているから、自分で自分が猫の格好をしているのがよくわかる。
「ユイ。ユイは三毛だったのだな」
 エメラルドグリーンをしたメイの瞳に見られる。
「うん」
 頷く。
「今まで見た三毛猫の中で一番綺麗だ」
 体中の毛先がふるっと震えた。
 そういえば猫の姿をしているということは、毛はあるけれど裸と同じようなものだ。メイにしげしげと見つめられて恥ずかしい。ユウにも見られているし。
「話を整理するとだな。父上の浮気が発覚して、母上がかんかんになって実家のヴァールに帰った。そしてヴァールは面目を潰されたという理由でレヴァに宇宙戦争を仕掛けたというわけだ。それで私はとばっちりを受けたくないから家出して地球に亡命した」
「つらいですよね」
 ユウが小さく息をついた。
「なに、夫婦喧嘩の宇宙戦争は私が物心着いた頃から何度も経験しているから慣れている」
 メイが猫耳をぴくぴくとさせる。
「今回は、父上と母上の喧嘩から逃げたと思ったけれど、私はその喧嘩の原因が生じた地球に逃げていたということになるな。一番最初にユイに会った時に他人のような感じがしなかったのはそういう理由もあったのだな。まあ、そういうこともあって、今回は私が父上と母上の仲裁をすることになった。いつものことだ。兄弟姉妹の誰かが父上と母上の和平交渉の場を設定するのが通例だ」
 そしておもむろに鼻から、ふんと息を出した。
「父上の浮気癖は困ったものだ。まあ、あれだな。恒星間戦争が起こるたびに兄弟姉妹が生まれていることになるから、宇宙全体で何人の兄妹姉妹がいるやらわからない」
「た、大変だね」
 講堂の方から大きな拍手が聞こえた。
「……ユイってギター部の出番があるんですよね?」
「あ」
 重要な事を忘れていた。
「あの、ぼくはずっと猫のままなの?」
 猫のままじゃマイクを握って歌えない。
「おお、そうだ。忘れていた。そうだな太陽光線を一日浴びてエネルギーを吸収すれば人型になれる」
 メイは器用にも前足を合わせて、ぽん、と音を出した。
「そ、それじゃ、後夜祭に間に合わないよ」
 にゃあ、と情けない声が喉からでる。
「なら、手っ取り早くエネルギーを発生させる手段がある」
 メイがテーブルの端にとてとてと歩いてくる。ぼくの顔の先十センチくらいでメイと正面で向き合った。
 すっとメイの首がのびてきて、唇がぼくの頬に触れる。
「ふみゅ」
「え?」
 頬が熱くなって、尻尾がぷるぷると震えた。
「ほっぺただからいいだろう」
 メイは真面目な顔をして言う。
「いまのは、ほっぺたで控えめにしたから、そんなにたいしたエネルギーは出ない。本当にエネルギーが出るのは口付けだ」
 それって、いわゆる接吻?
「ただの口付けではだめだぞ。心からのものでなくてはならない」
「にゃ、にゃ」
 気配を感じて後ろを振り返ったら、ユウの顔が怖くなっていた。
 く、とユウの抱きしめが強くなる。
「あ、あの、して欲しいんだったらいくらだってやってあげるから」
「え、何を?」
「だ、だから。べつに私はメイに嫉妬なんかしていないんです。ファーストキスはわたしだから、メイはほっぺただからべつに……って、そうじゃないんです」
 ユウに強く身体を押しつけられて苦しいような、やわらかい感触が心地よいような複雑な感覚だ。
「あ、あの、後夜祭はまだ終わってないから。ユイが猫のままじゃギター部の舞台にでられないから。べ、べつにわたしがどうしてもしなきゃ気がすまないってそういうわけじゃなくて」
 ふるふるとユウが首を振る。
「じゃなくて、わたしは、ユウが好きだから」
 ユウの胸の中でユウを見上げる。ユウと一緒なら何でもできる気がする。瞳を閉じてユウと唇を合わせた。その瞬間に、熱いエネルギーの濁流が身体の中入ってきて、ふわっと身体が浮く感触があった。気がついた時には二本足で床に立っていた。
 控え室の壁は全面鏡だ。
 鏡の中に一人の猫耳少女。
「ちょ、ちょっと、なんでこんな格好なの?」
 鏡に映っているぼくは三毛猫の猫耳と尻尾つきだ。そして服装は恐るべきひらひらな桃色ドレスで、猫耳がアクセントになって可愛らしく似合っている。
「は、恥ずかしいよ」
 ふうっとメイがため息をつく。
「うみゅ。エネルギーが強すぎたのだ。ユイ、ずっと前にあげた笛があるだろう」
「うん? 今日は持ってないけど家にある」
「その笛はだな。前のユイの姿の基本モードの波動因子を発振する笛なのだ。つまりそれを吹けば元の姿に戻れるはずだ。つまり男の象徴たるものが、その何だな。ユイもおおきくなったらユウと大人の関係を結ぶのだろう。そのときはそれをつかって」
 ユウの顔が真っ赤になった。
「わ、わたし……」
 ユウは絶句だ。
 メイはしきりに前足で顔をこすっている。どうやらメイも照れくさくなったらしい。
「みゃあ、つまり、その笛を使えば地球人の男性体になる。そういうことだ」
 がらっと控え室の扉が開く。ユキオ君が現れた。
「ユイ、いるか おお、気合いばっちりだな。さあ舞台に行こうではないか!」
 ユキオ君がギターを片手に手招きしている。
「あ、あの、メイもユイと一緒に歌ったら?」
 気を取り直したユウがメイを誘う。
 メイが首を振る。
「お別れだ」
 え?
「どうしてですか?」
 ユウが尋ねた。
「じつは父上と母上が月の基地で待っているのだ。月の裏に恒星間ワープの基地があるのだ。ちょうど周期の関係で、今の時間帯を逃すと次のワープの機会は半年後だ」
 突然だった。
「今行くの?」
「今しかない。既に私の宇宙船は呼んである。すぐに来る」
 いつかメイと別れる日が来ると知っていた。ずっとメイが地球にいるはずがないと知っていた。でも、それが今日この時間だとは知らなかった。
 何か言おうと思ったけれど、何を言ったらいいのかわからない。
「あの」
 口を開いたけれど、言葉が思い浮かばない。
「お、おみやげ何にもなくて、ごめんね」
「いや、貴重な物をいっぱいユイたちからもらったからな。ありがとう、ユイ」
 お礼したいのはぼくの方だ。
 メイに会って、地球から一四四光年離れた惑星レヴァに異母兄妹がいることを知った。ぼくは自分のことしか考えていなかったけれど、メイは全てのことを見て真っ直ぐに進んでいた。くじけそうになる時にそんなメイに助けられた。
 メイからもらったものの方が多くて、メイにあげたものは少ない。
 ひとつ、メイにあげられるものを思い出した。
 両腕でメイを抱き上げる。そして優しくメイにほおずりをした。
「メイ、ありがとう」
 メイが「ふみゅう」と鳴いた。
 ふ、と頬をメイから離すと、メイはすとんと床に降りた。
 ユキオ君に呼ばれている。
「元気でね」
 ユウと二人でメイに手を振る。
 メイが尻尾を振る。
 尻尾は「ばいばい」と言っていた。
 メイに背を向けてユウとユキオ君とステージに向かった。
 講堂の天井は星で満たされ、ステージの背景には地球が映されている。高出力化改造を加えられたプラネタリウム上映装置は講堂の中に小宇宙を作りだしている。
 メイと一緒の半年間で知ったことがある。
 だれだって大切なものを知っているはずなのに、それが一番最後になってしまうということ。だれだって人のことを好きになる気持を知っているはずなのに、喧嘩してしまうということ。心を固い殻で守っているつもりでいても、本当は心は傷つきやすくてやわらかい心が剥き出しだということ。心はやわらかいから優しく触って欲しいということ。
 歌う曲はナメクジーズのテーマ曲『むき出しの心』だ。

 
固い殻を持たないで
むき出しの身体見せて
外に心だして
優しさ求めている


 講堂の天井に投影されている星が煌めく。
 星の数が爆発的に増えてゆく。平面的だったはずの星の輝きが、三次元的な重なりを持ち始める。光が弾け、講堂の天井から流れ星が落ち始める。その瞬間に、メイが宇宙へと旅だったとわかった。流れ星はメイからのプレゼントだ。
 メイから教わったことがある。
 求めれば与えられるということ。与えることは求めるということ。大切なのは宇宙の大きさを知っていること。大切なのは宇宙のように広い心を持っていること。大切なのは宇宙のような大きな愛。
 
冷たい地を這い進んで
高い空を振り仰いで
空に憧れ持ち
再び地面を行く
 
独りきりだと思っても
寄り添い進む人がいる
いつも思うことで
二人は強くなれる
 
――リフレイン
今ここにいるあなたに
今つたえたいの
このあふれる愛


 拍手の渦が湧き起こる。ギター部全員が再び舞台に上がる。ギター部長が最前列に陣取っているシノブ生徒会長を舞台に登らせる。
「会長!」
「お嬢!」
 歓声が湧き起こるそのさなか、生徒会長は後夜祭の司会を無事に終えた副会長を舞台真ん中に引き込んだ。
「おめーら、アンコールか!」
「おお!」
「おめーら、燃えているか!」
「おお!」
「今夜は眠らせねえぞ!」
「おお!」
 演奏するのは文化祭テーマ曲『無限の宇宙』だ。メインのボーカリストはもちろんシノブ会長に決まっている。
 ドラムの「1,2,3,4」の駆け声に続いて、ベース、ギターと伴奏が重なってゆく。全校生徒の声が重なってゆく。


 自己中心なのは知っている
 自己満足なのかわからない
 いつから世界を
 狭く感じるようになったんだろう?

 来た道は知っている
 どこへ行くかはわからない
 信じていた軌道は
 どこへ行ってしまったのか

 知っていたはずだ
 本当は広い世界を
 知っていたはずだ
 無限の可能性を

 真空に決められた道はなく
 心が真の軌道を決める
 四方に広がる星の光
 光を遮る闇はない

 ――リフレイン
 ぼくたちは星
 ぼくたちは行く
 広がってゆく無限の宇宙へ
 広がってゆく無限の可能性へ


 その日の夜は長かった。




─エピロローグ─


 ぼくが三年生に上がってからもう一ヶ月、そんな我が家で夫婦間戦争が勃発した。
 夫婦喧嘩は犬もくわない。
 我が家の父さんと母さんの喧嘩はまさにそれだ。
「なんで、私のへそくりを使ったんだ」
「家計が火の車なんですよ。あなたのくだらない無線機にお金を使うくらいならば、薩摩芋を買った方がいいんですよ」
「無銭は私の唯一の趣味なんだ」
「無線で無銭になったら意味がないですよ」
 洗面器とひしゃくが宙を舞う。とりあえず割れ物が宙を舞わない間は、二人の理性が保たれている証拠だった。それくらいな、のほほんとした夫婦喧嘩は日常茶飯事だった。
 もちろん亜空間ウェーブレット通信でレヴァに通信を送れば、国家予算に匹敵するくらいのお金をもらうこともできるのだが、そういうことは父さんも母さんも考えていない。惑星レヴァにあるメイの家でも王様と王女様の間の空気が険悪になってきたらしいという通信文が最近入る。どこの星であっても夫婦喧嘩は起こるものらしい。
 テスマート連星系における恒星間戦争のそもそもの原因が夫婦喧嘩だったという事実を知った日から、半年が過ぎた。新しい学年にも慣れ、もう四月の下旬だった。道ばたでメイが倒れて光子エネルギーを吸収していたのを見かけてちょうど一年が経つ計算になる。
 メイにもらった笛を使えば猫耳と尻尾が引っ込んで、もとの男の子の身体に戻る。ともすれば力が抜けて猫耳と尻尾が飛び出して身体が女の子に変化してしまったり、マタタビの匂いで三毛猫になってしまうことを除けば、まあ普通の男子中学三年生をやっているのではないかと思う。
 最近はメイにもらった笛を使わなくても、口笛のトーンを調整して地球人の姿になれるようになってきた。地球人には聞こえない音波ではない波動因子で身体を震えさせるのがポイントだとメイは言っていた。
 猫耳で聞くと世の中のもの全てが波動因子の音楽になっているのがよくわかる。みんな自分の音楽を持っている。
 そんなことを考えながら、そそくさと戦争状態の家から脱出した。



 学校、昼休み。いつものようにユウの手作り弁当を挟んでユウと二人でご飯を食べる。しかしお弁当のおかずにはなにかしらぼくの嫌いな野菜が入っている。
「食べなきゃだめですよ。ユイ。はい、あーん」
 ユウがお箸に挟んで差し出してくるのはアスパラガスだ。
「ユウ、それだけは勘弁してよ」
「だめです」
 こうなるとアスパラガスを食べるまではメインディッシュの肉じゃがに突入できない。
「どうしても?」
「どうしてもです」
 おなかが「きゅう」と悲しい鳴き声を立てる。
 じゃーん、というギターの鳴る音が聞こえる。
「お、なんだ? また夫婦喧嘩か?」
 茶髪でピアスで長髪の新ギター部長ユキオ君だ。
 とくとくと現状をユキオ君に訴える。
「だって酷いんだよ。ユウったら、ぼくがアスパラガスを嫌いなのを知っていてお弁当に入れるんだよ」
 ユキオ君は、ちっちっちとメトルノームのように指を左右に振って言った。
「アスパラガスは身体にいいぜ」
「ふむ。そうだね」
 うんちく語りたがりの新生徒会議長ことキイ君がやってきて、コンパクト百科事典を片手に説明を始める。
「アスパラガスに含まれるグルタチオンは強力な抗酸化成分で身体によい。さらに堅めに茹でて冷ましてから冷凍保存もでき、弁当のおかずに適している」
「俺は、アスパラガスが好きさ。いえい」
 ユキオ君が顎に手をあてて格好よいポーズをとる。
 ユキオ君が来るところにノンちゃんあり。ユキオ君の後ろから陸上部のノンちゃんが顔を出した。
「そうだよ。それにアスパラガスは今が旬なんだよ。ちゃんとユウはユイの健康を思っているんだから」
「この百科事典によると、一日に三十種類以上の食品を摂取する必要があるらしいね」
「んん? おお、いまイマジネーションがぱっと広がったぜ。次回のナメクジーズの新曲は、アスパラガスに捧げるバラードに決めた! おお、アスパラガス、アスパラガス、グルタチオン。野菜三十種のひとつ♪」
 じゃーんとギターを弾いて、ユキオ君が自分の世界に入り出した。
 このままでは事態の収集がつかなくなる。ここで高度に話題転換を図ることにする。
「あ、あのユウ。今度はぼくがユウのためにお弁当を作ろうかと思うんだ」
 ユウの目が丸くなる。
「ユイ、ってお弁当作れるっけ?」
「ユウのためだったらなんでもできる気がする」
 ぼくが『おかず365日』を買ってお弁当の作り方を勉強していることはユウに内緒だ。
「おお、君はお弁当に適している。アスパラガス♪」
 ユキオ君の歌はあくまでもアスパラガスだ。
「じゃ、アスパラガス食べて元気つけなきゃいけないですよ」
 そして高度に話題が戻された。
 すっとユウの箸が伸ばされて、ぼくの口にアスパラガスが突っ込まれる。
「はむ、へ?」
 口に広がるアスパラガスの苦み……と思ったら苦みは全然ない。むしろ甘いくらいだ。
「美味しいでしょ。若い芽だけを丹念に選んで、特選丸大豆醤油を使った絶妙の塩加減なんですから。これで苦いとか言ったらアスパラガスに失礼ですよ」
 噛みしめるごとに野菜のビタミンが口の中に広がる。
「ユウ、美味しい」
 ユウが幸せそうに笑う。こういうユウの笑顔が好きだ。ユウと一緒にいる時間が心地よい。ユウのそばにいるだけで身体の中が暖かくなる。
「あれ? また仲良くなってるよ」
 ノンちゃんが不思議そうな顔をしている。
 キイ君がコンパクト百科事典をぱらぱらとめくる。
「『夫婦喧嘩は犬もくわない』と書いてある。ユウとユイは本当に仲がいいんだよ」
 ユキオ君が歌っている。
「アスパラガス、アスパラガス、君は甘い♪ まるで恋に落ちた二人のように」
 つまりそういうわけだった。




 ユウと一緒に下校してから、部屋に戻って宿題をやる。
 部屋にはまだメイがいた頃の二段ベッドが残っている。このベッドを見ているとひょっとしたら、メイがいつのまにか帰ってきていてベッドの上に寝ているのではないかと思う時もある。
 玄関の呼び鈴が鳴った。
「ちょっと、ユイ、いまアスパラガスの天ぷらしてるから手が離せないの。誰が来たか出てみて」
「はあい」
 家では猫耳を出しているから、二階にいても台所の母さんの声がはっきりと聞こえる。
 なんだかんだ言って猫耳が出ている時の方が身体の調子がすこぶるいい。なんせ合成シャンプーで洗っても髪の毛のキューティクルが無くならないくらいなのだ。だから結局、家では猫耳を出しているのだけれど、そうすると必然的に身体が女の子になってしまう。そういうわけで、一日の半分以上は猫耳少女スタイルになっている。ユウもぼくに色々と服を着せるのを楽しんでいるようで、ユウと一緒に買い物に出かける時もそのままの格好でいる時が多い。
 階段を降り、廊下をとてとてと小走りに進んでから、かちゃりと玄関の扉を開けると、目の前に金髪の少女が立っていた。しかも黒い猫耳が頭の上にひょこりと乗っている。一目見ただけでも誰だかわかる。
「メ、メイ? どうしたの?」
「レヴァとヴァールの恒星間戦争が勃発したのだ。亡命を正式に申請したい」
 そういってメイは、亡命申請書を手渡してきた。
「あ、あの。ひょっとして、恒星間戦争って、また夫婦喧嘩なの?」
 メイは左人差し指を曲げて唇に当てて、ちょっと困った顔をした。
「そうなのだ。父上がとある星の王女様と浮気をしていたことがばれて、母上がかんかんになってヴァールの実家に帰ってしまった。母上はヴァールの実家に帰る途中レヴァの惑星防御システムを半分破壊した。というわけで父上もご立腹だ。レヴァとヴァールは互いに平和条約を破棄し宣戦を布告した。というわけでほとぼりがさめるまでよろしく頼む。だめか?」
 両手を軽く握って口元に寄せて、メイがこちらを見上げてくる。久しぶりにみたメイの『お願いポーズ』に感動したり。
「いいよ。好きなだけいていいから」
 メイの猫耳が嬉しそうにぴくぴくと動く。
「でも、恒星間戦争が終結してからまだ半年だよ。早すぎるよね。地球では『夫婦喧嘩は犬もくわない』っていうんだけど」
 メイは笑った。
「猫はくうのだ」
 
 
 
 
 
 
 
 

#Fin.



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