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居候はレヴァの王子様

第七話 照明効果は証明効果

作:Plantain


―1―



 ベッドの二段目にはメイが寝て、一段目にはぼくが寝る。
 夏休みの最後の日にユウと別れたあとで衝動的に白いオオカミのぬいぐるみを買った。結局ベッドには、茶色い熊さん、黒い猫さん、白い兎さん、そして白いオオカミさん、おまけで水色をした抱き枕のイルカさんがいる。暖かくて、やわらかくて、丸っこいものを見ると抱きしめたくなってしまう。我慢できないで買ってしまうからどんどん「ふわふわのもこもこ」が増えてゆく。
 ぬいぐるみを抱くと気持ちよくなって、それに身を任せると身体がふわふわのもこもこになってしまうような気がして、そんな感じで眠りに落ちる。
 近くて遠い。遠くて近い。
 暗闇ではなくて明るくて、地面ではなくて空の上に飛び上がる夢を見る。イルカにまたがって空を飛ぶ。包まれている光は虹色をしている。虹色の中で赤色は暖かくて青色は切ない。光が寄せて返す海の波みたいに揺れるから、空の色は海と同じ青なのかもしれない。
 同じ青でも海の青は濃く、空の青は薄くて水色に近い。
 イルカは水色だ。水色は透明で切ない。空は水色だから水が混じっていてしっとりとしているのかもしれない。
 温かい何かが流れている。流れの中に身を任せる。身を任すとほんのりと身体が温かくなる。淡い虚像が現れる。ぼやけていた虚像は段々とユウの形になってゆく。どうしてユウがそこにいるのかというのは問題ではなくて、そこにユウがいるだけで嬉しかった。でもユウの表情は哀しそうで、ぼくの心を戸惑わせる。
 揺れる光に合わせてユウの表情が変わる。
 ユウは泣いているの?
 ユウを抱いていいの?
 たぶんいい。それがぼくの望んでいることだから。
 泣いていたユウが小さく笑った。ユウはいつだってそうだ。最後にぼくを許すのはユウだった。
 ユウの方に手を伸ばす。足元が揺れる。足元のイルカが暖かい。
 イルカが溶ける。冷たい氷がとけて液体になるように。
 イルカを抱く。手の中でイルカが溶ける。
 落ちてゆく。
 叫んだ。


 ふ、と身体が浮いて目が覚めた。ベッドの上にいて布団がはねのけられていて、イルカのぬいぐるみを抱きしめていた。イルカのぬいぐるみは暖かくて淡い匂いがしみ込んでいた。
 頬が熱くて身体全体にまだ何かがまとわりついている。
「あ、ふ」
 違和感に上半身を起こす。
 夢の残りを感じた。イルカに感じた匂いはぼくの匂いだった。それはゆっくりとふくらんでいった恋しさが弾けてあふれた時に感じるもので、それをずっと抱いて寝ていたという恥ずかしさで胸が苦しかった。
「ユイ」
 驚いた。枕元にメイがいた。金髪は肩から胸元に流れている。桃色のパジャマには苺の絵が描いてある。
「メ、メイ」
 心配そうな瞳がぼくを見ている。エメラルドグリーンの瞳に今朝の夢を見透かされてしまったように錯覚する。
 自分の身体がふわふわのもこもこに包まれて、空を飛んで、空から落ちて、ユウの虚像を見て、ユウに恋しさがつのって、なにかが身体からあふれた。しっとりと暖かい流れを感じた。
 視界がぼんやりとした桃色にぼやける。
 なんで、涙が出てくるんだろう。
「メイ。ぼくは」
 なんで胸を触るとこんなにぴりっとするんだろう。なんでユウが夢に出てくると溶けてしまいそうな気分になるんだろう。なんで朝起きたらこんなことになっているんだろう。
「泣くな。もう少し待てば、猫耳が生える。そうすれば波動因子を制御できるようになるから、身体の形を自由に変えられる」
「で、でも。その前に、ぼくの身体が変になっちゃう」
 今日はブルーだ。
 周期が不安定だ。心が不安定だ。だからユウが余計に恋しい。前だったら我慢できたことが我慢できない。ちょっとだけ悲しくなっただけで涙がでてくる。なんでだか知らないけれどふわふわしたものを抱きしめたくなる。
 ちゃんと身体の世話をしなきゃいけない。小さなポーチに必要な物をいれて持ち運ぶ。
「抱いて欲しかったら、いつでも抱くぞ」
 小さく首を振った。でも、少しだけメイの胸の中で泣いた。メイに「学校を休むか」と聞かれたけれど「行く」と答えた。今日は休みたくなかった。
 ユウに会いたかった。




―2―


 夏休み明けの教室は日焼けしたクラスのみんなでいっぱいだった。しばらくぶりにクラスのみんなと再会すると、三十人が狭い教室に収まっていることに気づかされる。我が国の義務教育制度の権威に驚嘆する。そしてその義務教育制度のもっとも下に位置する意思決定機関の会議が開かれている。
 学級会。
 右斜め前の席にユウが座っている。夏休み前はユウと一緒に登校していたけれど今日は別々だった。今朝はユウに声をかけることもできなかった。話しかけ方がわからない。夏休み前には何の気なしにできていたことができない。ユウの顔を見ようとすると緊張する。ユウの顔を真っ直ぐに見られない。ユウの姿が目に入るだけで、皮膚の産毛がさわりと動いて胸の苦しさがわき起こる。体中の神経がユウの姿にしびれてしまう。
 ユウの姿が嫌いでない。
 ユウの近くは嫌いでない。
 ユウは目の前にいる。
 でも遠くにいるように感じてしまうのはなんでだろう。
 右手の人差し指を唇に当てた。唇はほんのりと温かかった。唇に物足りなさを感じた。


 茶髪かつピアスで長髪のユキオ君は教室の真ん中にいる。抱えているアコースティックギターは彼の愛器だ。ユキオ君の隣に座っているのは、ショートカットかつ陸上部女子のノンちゃんだ。ノンちゃんはユキオ君のギターの弦をはじいて遊んでいる。ノンちゃんはギター部にも所属している。
 色白かつコンパクト百科事典所有のキイ君は教卓に鎮座ましましている。今日のキイ君は議事規定も装備していた。学級会議長の付属品として教壇の上には黒板消しと木の棒がある。二年生にして代議委員会書記を勤めるキイ君の議長姿には貫禄がある。
「それでは『文化祭における非部活所属生徒のイベント参加者決定に関する議案』について説明します」
 キイ君はそこで眼鏡に手を当てた。眼鏡の表面で照明の光が反射してきらりと光る。
「まず、提案理由についてです。近年、週休二日制の導入により授業時間の低下が著しく課外活動が圧迫されています。そのなかで文化祭の活性化が大きな課題となっています。そこで生徒会執行部は『全員参加の文化祭』をスローガンに掲げて文化祭のテーマを『ユニバース!』としました。部活動をしていない生徒にも、文化祭中に行なわれるイベントへ参加してもらいます。強制はしませんがクラスの承認を受けた任意参加となります」
 実質的に強制だという事実をクラスの何人が理解しているか不安になる。大半の人は真面目に提案理由を聞いていないに違いない。ほとんどの男子は睡眠学習に入っている。担任の森先生にいたっては、深夜のテレビ通信販売で購入した安楽椅子に座って夢の世界に入っているから問題外だ。
 隣に座っているメイにつんつんと肩を突かれる。
「学級会というものは初めてだ。で、何をしているのだ?」
 小声でメイに答える。
「部活をしていない生徒はね、文化祭で何かのイベントに参加しなくちゃいけないんだって」
「では、女装コンテスト参加者、男子一名について」
 ぴくっと、睡眠学習に入っていた男子たちが反応する。むくむくと起きあがる背中の集団はさながら墓場から蘇るゾンビの様相を呈している。
 提案と言うことでパーの手が上がった。
「ユイがいいと思います」
「賛成」
「酸性」
「アルカリ性」
 酸性は青色リトマス紙を赤くしてアルカリ性は赤色リトマス紙を青くする。その事実に問題はないけれど、この流れには異議がある。反対意見はグーの形で手を挙げる。
「異議があります。ぼくは一応ユキオ君とノンちゃんとギター部の発表会に出るって決まっているので『部活に所属していない』という前提条件に当てはまらないと思います」
 そこで、じゃーんとユキオ君がギターの弦をつま弾いた。
「ユイ、入部届出したか?」
「出してない」
 じゃ、とユキオ君がギターの弦の響きを止める。
「じゃ、いいじゃん」
 いいじゃーん、とユキオ君がギターの弦を弾いた。
 クラスのみんなから「異議なし」という声が上がる。基本的に学級会は多数派の勢いで議論が進む。この状態は少数派にとって非常にまずい状況だ。
 議長のキイ君が黒板消しを木の棒でぽんぽんとはたいた。
「というわけで多数決をとります」
 どうして順接で繋がるのかわからない。
 グーの右手を挙げて発言する。
「動議!」
「はい、ユイ君」
「議事規定十三条に基づいて要求します。議事進行に問題があります。議論の進め方が急です。今一度、慎重な議論を要求します」
「議事進行に問題がないと考える方は、拍手願います」
 圧倒的な拍手がわき起こる。
「議事規定二十条に基づき、議長権限で議事を続行します」
「議長」
 声は右斜め前から上がっていた。ユウが手を挙げていた。ユウはすっと立ち上がった。肩にかかっているツーテイルの右側を右手ではらった後に、ユウが発言する。教室の隅までしっかりと通る声だった。
「わたしは、嫌がっているのを強制的にやらせるのはおかしいと思います」
「いいじゃん」
「そんなこと言うなよ」
「文化祭だし」
「ユウは文化祭実行委員だろ」
 クラスのあちこちから声が上がる。
「なんたって、ユイは小さいし」
「最近、可愛らしさに磨きがかかってきたし」
「それにユイは」
 その瞬間に、クラス中の視線がぼくに集まる。
「「おちゃめな人だから」」
 がくりと机に突っ伏した。
 民主主義は集団心理が一方向に傾いた状況では冷静な判断機能を失う。
「わたしはそういう意味で言ったんじゃないんです」
 ユウの声は芯があって強い。
「なんだよ」
 声を荒げるクラスの男子に対しユウは強く首を振る。ユウは本気だ。両方の拳は握りしめられ胸元に上げられている。
「絶対に、駄目なんだから!」
 ユウの拳が机の上を叩いた。
「だって、だって、だって、可愛いユイはわたしだけのものなんだもん!」
 クラスが一瞬静まる。
 とくりと心臓が波打った。
 ユウにとって特別でありたくて、その気持を伝えたくて、でもまだユウに言っていない。でもユウの方からもう何回も思いを告げられている。胸が苦しかった。心が苦しかった。
 今、ぼくが感じているのは罪悪感なのだろうか。
 ユウは席に座った。
 議長のキイ君が言う。
「可愛いユイの独占的使用権をユウに与える提案事項を承認される方は拍手願います」
 拍手絶対多数。
「提案事項は承認されました。それでは、女装コンクール出場者は、ユイ君がいい人は拍手で承認願います」
 拍手絶対多数。
「続いて『女装コンテスト参加生徒の文化祭準備期間における服装に関する件』について説明します。コンテストに慣れるために、参加者は文化祭準備期間に服装を変えようという議案です。開始は本日の昼休みからです。議案について承認される方は拍手願います」
 拍手絶対多数。
「ありがとうございます。本義案は承認されました。提案された議案の全てが承認されました。以上で本日の学級会を閉会します。円滑な議事進行へのご協力感謝いたします」
 キイ君が木の棒で黒板消しをぽんぽんと叩き、提案事項は全て原案通り可決されるという慣例が踏襲される形で学級会は閉幕した。
 担任の森先生は安楽椅子に座って目を閉じたままだった。




―3―


 学級会で『女装コンテスト参加生徒の文化祭準備期間における服装に関する件』が承認されたことにより、本日の昼休みよりぼくには服装を変えることが義務づけられている。従って昼休みは教室から逃げることにした。
「にゃあ、どうして逃げるのだ?」
 メイに聞かれる。
「このまま教室にいたら強制的に着替えさせられちゃうよ」
 それは表向きの理由で教室にいると気まずいのが本音だった。無性に恥ずかしくてユウの近くにいられなかった。早退してしまいたかったけれど、学校にいたいという気持の方が強かった。矛盾した気持に整理がつけられなかった。だから逃げた。
「で、なんで私を引っ張ってくる?」
「あ、つい。なんだかメイがいると助かるっていうか」
 今朝も助けてもらったし。
「ふーみゅ。私は便利屋でも用心棒でもなく、レヴァの第三王子メイだ。それ以上でもそれ以下でもない。そして私には急用ができた。本国と綿密な連絡を取る必要がある。しばらく天文台にこもる。担任の森先生には許可をとってある。今日の午後の授業は欠席する。では」
 そういってメイはさっさと去っていった。
「どうしたんだろう、メイ」
 取り残されて心細い。
「ユイがいた!」
 廊下の正面にいたクラスメートに発見された。
 逃げる。校舎を走る。廊下を右に曲がる。夏休み前はぴったりと合っていたはずのスラックスなのだけれど、少し丈が余って上靴に引っかかりそうだ。
 後ろから追いかけてくるクラスメートは特定小電力無線送受信機を持っている。一棟と〇棟の境界で彼は止まった。彼の守備範囲は一棟までらしい。
「目標を一棟二階で発見、渡り廊下の方へ曲がり二棟へ向かった」
 校舎の構造を頭の中に思い浮かべる。校舎は、一棟、〇棟、二棟がコの字型に並んでできている。つまり〇棟は一棟と二棟を繋ぐ渡り廊下の役割も兼ねている。クラスのみんなは二棟でぼくを捕獲するつもりなのだろう。
 でも捕まるわけにはいかない。
 渡り廊下入り口の数学研究室をノックする。
「失礼します。担任の森先生に用事があってきました」
 休み時間は数学研究室で時間を潰すことにしよう。
「おお、ユイ君じゃないか。どうした?」
 三十歳独身の森先生が、いそいそとやってくる。
「じつは、因数分解でわからないところがあって」
 それらしい言い訳は必要だ。
 数研の隅にある応接空間に案内される。
「ふむ。コーヒーと紅茶とどっちがよいかね」
 森先生は流しから磁器のティーカップを取り出しながら尋ねた。
「紅茶で」
「では、私はコーヒーだ」
 森先生がカップを二つ持ってきた。森先生と向かい合ってソファに座る。
 紅茶に砂糖を少し入れて、口にカップを近づける。カップの模様が森の妖精をモチーフにしたものなのは森先生の趣味だった。
「ところでユイ君、学級会で決まったことは教師であっても守るべきなのは当然かな?」
 こくこくと頷く。
「そうだな、それがそれが民主主義の基本だな。ところでユイ君は、睡眠薬と催眠効果を持つ三次元ホログラフィックディスプレイのどちらが好みかね?」
「薬を飲むと夜に眠れなくなります」
「そうだな」
「そうです」
「私も睡眠薬は好きではない」
 森先生がこくこくと頷く。
「では紅茶はそのままでよくて、これをよーく見なさい」
 そう言って森先生は机の上に置いてあるガラスの立方体を指さした。
「ほらスイッチを入れるぞ。三次元ライフゲームだ」
 ガラスの箱の中は薄暗く、虹色の光点が着いたり消えたりしている。
「二次元のライフゲームと違って空間的に広がるから面白みはN乗で効いてくる。ちなみにこの三次元ホログラフィックディスプレイは私の自作だ。催眠効果がある。広帯域スペクトル出力でコビトカバも眠らせることができる。これを見るとあなたはだんだん眠くなる」
 だんだんと瞼が重くなる。
「ちなみに苦労した点は一から設計した専用のメニイコアCPUで」
 森先生の声がとぎれとぎれに聞こえる。
「大学時代、の悪友に、製造、設備を。いかん私も眠く……」
 虹色の光が瞼に残る。
「ぐう……」
 意識がとんだ。


 目覚めた瞬間に淡くて甘い匂いがした。
 気がついたら保健室のベッドに寝かされていた。
 すこしくすぐったい香りがまだ鼻に残っている。匂いを払うために、口と鼻から同時に少し息を出そうとしたら「みゃ」と声が出た。
「んー。ユイ君は男の子なのに可愛いねえ。思わず採血をしてしまった」
 保健のマリ先生の声が聞こえる。
「ああ、どうして催眠効果のある三次元ライフゲームを見てしまったのかとか、どうして保健室に寝ているかとか、どうして三十歳独身の森先生が眠りこけて数学の授業をすっぽかしたかとか、些細な疑問は気にしないでね。全部ユイ君のクラスメートが教えてくれるから。ユイ君はクラスのお姫様なのだね」
「にゃ、にゃあ?」
「やっぱ、可愛い」
「ふぇ?」
 上半身を起こして、首を傾げて「ぼくは可愛いの?」とマリ先生を見る。
「ユイ君は赤血球が可愛い」
 マリ先生が試験管をちゃぷちゃぷと振っている。あれは見まごうこともなく凝固防止剤とともに試験管に封入された血液だ。
「赤血球がですか」
「うん」
 マリ先生は思いきり肯定した。
「ユイ君の赤血球は生き生きしているね。今、細胞から核酸を抽出して成分分析をしている所なんだけど、結果が出るのが楽しみだよ。ああ、生徒の血液の遺伝子型の相関表を作るのが楽しみ。統計分析ソフトの使い勝手が悪いのは仕様であるからしようがないけどね。誰か直してくれる人はいないかな。ふふふ」
 怪しい笑いだった。
「メイね」
 そして話題は急降下する。
「ユイ君とメイの血液は似ている。というか、変。今まであたしが見たことのない形をした細胞があるの。しかも電気刺激を与えると発光して形を変える。これを解明すれば、ノーベル賞も夢ではない。そうすれば!」
 そこでマリ先生は、ぐっ、と右手を握りしめた。
「お金がしこたま手に入る。ついでに彼氏も」
「彼氏はついでなんですか?」
「男なんてそんなもんよ」
 マリ先生に、びしっと指を差される。
「えっと、その」
 ちょっと違うかも、という指摘はおいておく。
「ふ」
 マリ先生は伸ばしていた人差し指を曲げて、親指に合わせてお金のマークを形作った。
「世の中は金よ。一家に一台スペクトルアナライザなこの時代、金さえあれば走査型電子顕微鏡もガスクロマトグラフも買える。遠心分離器だって質量分析機だって買える。ついでに彼氏も」
 やっぱり彼氏はついでだった。
「でも、でもでもでも、最近お金が貯まってきているのに、あたしに彼氏がいないのはなぜ?」
「彼氏がいないからお金が貯まるんじゃないですか?」
 マリ先生が固まった。
 時は動き出す。
 マリ先生が動揺している。がっくりとマリ先生の肩が落ちる。
「ピタゴラス的転回が必要だったわ」
「コペルニクス的転回ですね」
 ピタゴラス的転回は三角関係の方に必要だ。
 マリ先生は大きくため息をついた。
「そりゃあ、あたしも年とったもんね。もう干支が三巡目半ばだもんね。記憶力が低下するし、お肌の張りもなくなるわけだ。いいよね学生は未来があって。青春時代がこれからだもんね。羨ましいぞ、このぷにぷにの身体ときらきらした未来」
 つんつんと胸と脇腹を突かれる。
「ひゃぁ」
 くすぐったいことこの上ない。
「次の文化祭ね。楽しみにしているから、あたし。文化祭のテーマが『ユニバース』だから宇宙的な出会いがあるに違いない。大人のあたしもちょっとだけ期待していいはず」
 学生なぼくはもう少し期待してもいいのだろうか。
 文化祭の展示や出店をユウと回って、最後のファイヤストームでユウと手を繋いで踊って、夜に流星群を一緒に見て……。
 ずっと、ずっとユウと一緒にいたい。
 やわらかい布団の上で、ユウの側で猫みたいに丸くなって、ユウの暖かさを感じていたい。ユウに体中をさわさわと撫でてもらいたい。
「あ」
 ふるふると首を振る。
 何考えているんだろう、ぼくは。
「ああ、青春っていいなあ。あたしどこで間違えたんだろ。まあね、あたしは血があれが幸せ。特に今日は血液のサンプルがたくさん手に入ったし」
 頭がすこしくらくらする。
「あ、あの。ぼくはどのくらい血を採られたのでしょう」
「んー、何十CCか採血させてもらった。大丈夫、成人した人間は百CC出血しても死なないから」
 道理で身体が重くなるわけだ。
「まあ、ユイ君は若いから大丈夫。いいから、とっとと教室に帰りなさい」
 問答無用だった。
 ベッドから降りようとして、はたと気づく。
「あ、あの。いまさら気がついたのですが。ぼくが今着ている服は」
「ああ、我が校指定の女子制服だけど。さっきユイ君のクラスの人に頼まれたから着せてあげた。眠ってる人に服を着せるのは専門知識のあるあたしにしかできないよのさ」
 ふふん、とマリ先生は笑う。
「ユイ君、女装コンテスト出場者だってね。ふふふ、最近の男の子の下着は随分良い生地をつかっているんだね。ほとんど女の子のと変わらなかったよ。しかも手にはポーチをぶら下げて化粧水やら何やらを持ち歩いていたり。女装コンテストであたしはユイ君に一票入れるよ。職員会議の組織票取りまとめもまかしておいてくれたまえ」
 そう言ってマリ先生は口元に怪しい笑いを浮かべる。
「餞別に、髪の毛はグレートサラサーラ・ツェータMaxトリプルナインで洗浄したあとイオン交換水でゆすぎ、髪の毛にナノリンスをかけといたから分子レベルで滑らかになっているはず。深夜のテレビ通信販売で購入した電動式ベッドがあれば眠った子のシャンプーぐらい昼飯後だわよ。ついでに体中のむだ毛を一網打尽にしたから水着でも大丈夫。お肌は高級化粧水スーパー椿二十四号XGバージョン2限定品ゴールドでケアをしておいたから。これで全宇宙人めろめろよ」
 まるで超人に改造されたような気分だ。
 ベッドの脇にある上靴に足を入れ、立ち上がって一回転する。
 プリーツ・スカートが空気で膨らみ、ゆっくりと脚の周りに落ち着いた。
 ふわりとした感触になんだか違和感が無いような。
「あ、ちなみにクラスの人には『あの日』だって言っておいたから。大丈夫」
 おい。
 洒落にならないよ。




―4―


 紺色のセーラ服についてクラスの人から突っ込まれつつも無難にかわし、午後の授業を終えたあとで、ギター部のユキオ君にスカートの裾をつままれた。反射的に出した肘がユキオ君の顎に命中する。クリティカルヒットで一〇〇のダメージ、ユキオ君は「うお」とのけぞった。
「なに?」
「設置委だ。ギター部も入っている。ユイも来い」
 設置委は照明装置等設置委員会の省略語だった。設置委は文化祭期間の舞台照明と音響に関するすべての業務を受け持つことになっていて、その業務の多忙さから設置委に入ったら正確な帰宅時間の保証は無いという。ちなみに設置委顧問は三十歳独身の森先生だ。
「あ、あの、ユキオ君。ぼくは助っ人で正式なギター部ではないと思うんだけど。だからその設置委には入らなくても」
「ギター部で出演するんだろ。照明装置等設置委員会則には『講堂の舞台を使用する団体の生徒で構成する』と書いてある。ユイはギター部で舞台に出るから、会則の規定を満たしている。以上説明終わり」
 問答無用で引きずられてゆく。
 更衣室で赤いジャージに着替えてから講堂に入った。続々と講堂に集まってくる設置委隊員の気迫は、並の生徒の文化祭に対する意識とは異なって熱気を含んでいる。それもそのはず、講堂中央に設営された移動ステージに設置委大将のシノブ先輩が堂々と立っていた。
 高下駄に黒いマントを羽織り長い黒髪を肩から腰まで垂らしている。黒いマントの隙間からうかがえる身体の線は完璧なまでの空間美をつくりだしている。移動ピンスポットから放たれる光束が漆黒のシノブ先輩を照らしている。
 シノブ先輩は、生徒会長、兼応援団長、兼設置委大将という肩書きを持つ。生徒会会則に会長・団長・大将を兼ね備えることを禁じる規定がないことは、シノブ先輩が圧倒的多数の支持により生徒会長選挙を勝ち抜いた際に初めて明らかになった。
 生徒会は会員、応援団は団員、照明装置等設置委員会(設置委)は隊員が基本構成員であり、それぞれの組織は独立しているという解釈だ。事実それぞれの存在の根拠となる、生徒会会則、応援団則、照明装置等設置委員会則自体にお互いの長を兼任してはならないという規定はない。
 旧生徒会副会長派を除いた多数派はシノブ先輩を支持している。もっとも大きな理由は、シノブ先輩は強くて優しいという事実だ。
 シノブ先輩の後方には、応援団の大太鼓が控えている。
「おめーら、燃えているか!」
 大太鼓が鳴る。
「「おお!」」
「おめーら、覚悟はあるか!」
 大太鼓が鳴る。
「「おお!」」
 隊員が叫ぶ。
「これより、照明装置等設置委員会、集中設営作業を行なう。一同、作業開始!」
「「おお!」」
 盛大な拍手がわき起こる。
 作業は隊長の指示に従って隊別に行なわれる。主に男子はステージ設営やステージ背景の木枠作り、そして照明調整を分担する。そして女子は暗幕のしわ伸ばし、暗幕設営、木枠清掃、舞台ワックスがけ、音響設備設営などの作業を行なう。
 初期の隊は決まっているけれど作業が終わり次第、隊は解散されて手の空いた人間が他の隊に合流してゆく。
 隊の一つ、木枠隊は公称サブミリメートルの精度で枠を作るという細やかな気配りが必要な部隊だ。もちろん製図、転写、切断といった高度な作業は玄人三年の職人さんが行なう。一、二年生に任されるのは接着や打ち付けといった組み立て工程だ。
 軽の小さいドリルで既に釘の穴が空いており、そこに釘を刺してゆく。
 木枠の周りに十人の隊員がずらりと並ぶ。
「打ち方用意!」
 隊長の指示で、一声に金槌を振り上げ、空中で静止させる。
「打てぇ!」
 小気味よい金槌の音が講堂に響き渡る。
 全員の打ち方は同期している。一気に全部の位置にある釘を打ち込むことで、寸法に狂いが生じないと言われている。木枠の組み立てを整然と行なう男子は格好よい。木枠作りは苦労が多いけれどやりがいのある仕事だという。
 そんな木枠作りの作業を横目に見ながら、家庭科室へ移動する暗幕隊一同……ただしぼくを含む。
「ど、どうしてぼくは、他の男子から隔離されたのでしょう?」
 暗幕隊の副隊長を勤めるギター部兼陸上部のノンちゃんは、ふふんと笑った。
「ユイは今日ブルーな日だし、挙動不審だったし」
 周りの女子が同調する。
「保健室に運ばれたし。保健室は家庭科室の二つ先だし。暗幕隊の作業場所は家庭科室だし」
「それにユイは」
 暗幕隊全員(エプロンとアイロンと三角巾を装着済み)がぼくを見る。
「おちゃめな人だから」
 アイロンをぐっと突き出す動作は、しっかりと同期がとれていた。
 小さくため息をついてアイロンを手に取る。赤いスチームアイロンは時代を感じさせる作りで、ずっしりとした質感に伝統の重みを感じた。
 家庭科室に山と積まれた暗幕全部をアイロンがけするのは、かなり骨が折れそうだ。
 机ごとに別れて手分けして作業する。
 目の前で手早く暗幕のしわを伸ばしていくノンちゃんの手つきは、さすがに暗幕副隊長の貫禄だった。
「暗幕隊はね、そのうち照明調整隊と合流するからね。照明調整時にユウも来るから、一緒に作業できるよ」
「え?」
「ユウはね天文部とUFO研究会合同で講堂にプラネタリウム上映装置を設置するんだよ。なんでも視聴覚室でこっそりやるのはもったいないとかシノブ先輩が言ってね。どうせだったら講堂で大々的にやろうって話になったんだよ。おかげでUFO研究会のキイ君は『大出力化のために回路設計を一からやり直しだ』とか言っててんてこ舞いだったんだよ。それでキイ君と一緒に講堂で配線のお手伝いに来るんだ。知らなかった?」
 ノンちゃんは手に持っていたアイロンのスチームスイッチをぐっと押した。アイロンの底面からじゅっと蒸気が立ちのぼる。
「ほら、ぼうっとしてないでアイロンを掛けるんだよ。どうしたの?」
「えっと、その」
 気を取り直してアイロンがけを再開した。何枚も何枚も暗幕のしわを伸ばす。しわがなくなった暗幕は次々に講堂の方に運ばれていく。講堂では暗幕張班が待機していて、どんどんと窓に暗幕を張っている。
 作業をしながらユウのことを考える。
 プラネタリウムのことは知らなかった。夏休み中ユウに会っていなくて最後の日に少し話をしただけで、それからユウと会話らしい会話をしていない。だからユウが天文部でプラネタリウム上映装置を作っていることは知らなかった。
 今のぼくはユウから遠い。
 ノンちゃんが言う。
「ユイ、わかるんだよね」
「な、なんのことかな? あ、あち」
 アイロンが左手の人差し指に少し触れた。左手を口元に持ってきて、人差し指を口に含む。指先に塩の味を感じた。
「あのね。ユイ、あたしがユイとユウが仲直りできる機会を作ってあげるからさ、仲直りしてよ」
「で、でも」
「あたしはユウの腹心の友なんだからね。ユウのためだったら何だってやる」
 ノンちゃんが耳元でささやく。
「それにね、可愛いユイの独占的使用権はユウにしかないんだからね」
 香ばしいアイロンがけの匂いに混じって、ノンちゃんの匂いを感じる。洗濯したての匂いと焼きたてのパンの匂いとお風呂の石けんの匂いを、甘いふわふわとした匂いで包んだような感じだ。体中がほぐれるような安堵感をくれる匂いは、ずっと昔にどこかで感じたような匂いだ。
 ノンちゃんの匂いは、お母さんの匂いに似ている。
「ユイ、ユイの身体からなんだかいい匂いがする」
「え、あ、あの」
 アイロンを立てて横に置く。
 身体が変化していることがわかってしまったのだろうか。
 今のぼくの身体は夏休み前とはちがう。一ヶ月に一度はブルーな日がきて、妙に心が切なくなって、不安で、なにかに包まれたくて守られたくて複雑だ。
 両手の人差し指を胸の前でくっつけたり放したりする。
「実は」
 そう口を開いたら、ノンちゃんは、にやっと笑った。
「ユイは化粧水をつけている」
「へ?」
「ふんふん。この香りは、高いんだよね。これ。スーパー椿二十四号XG、しかもバージョン2限定品ゴールドと思われる。ちがう?」
「そ、そうだけど。よくわかったね」
 どうやら保健のマリ先生が言っていたことは本当らしい。
「あたしの、嗅覚を侮らないでね」
 ノンちゃんは、ちっちっちと人差し指を左右に振った。
「それはともかく作戦タイムだよ。名付けて」
「名付けて?」
 ノンちゃんが右手の親指を立てて、ぐっと突き出す。
「舞台の中心で愛を叫ぶ!」
 作戦は至極単純だった。照明装置を調整する時にユウが来る。天文部とUFO研究会共同で作られたプラネタリウム上映装置が講堂の天井に星を映し出す予定だ。その時に照明とプラネタリウム上映装置の同期調整が行なわれる。
「で、ユウは舞台を注視しているわけだ」
「うん?」
「で、ユイは舞台に飛び上がり叫ぶわけだ。『ぼくはユウが大好きだー!』ってね」
 あわてて両手をひらひらとさせて否定する。
「そ、そんなことできるわけないよ」
 ノンちゃんは首を左右に振る。
「ユウは星を眺めて、ぼうっとするくらいロマンチストなんだよ。だからこれくらいドラマチックな演出がないとね。なんたってユイは夏休み前に『大嫌い』とまで言ってしまったわけだ。だったら設置委の皆様の前で『大好きだ』と言うくらいの誠意を見せなくちゃね」
 体育会系音楽部、武道系ギター部および格闘系演劇部のメンバーが集まる設置委だ。
 照明装置の調整作業を妨害する行為は罰則に値する。
「あの、多分、叫んだあとに怖いことになりそうなんだけど」
「愛とは命をかけてつかむものなんだよ」
「そうなの?」
「そうなの」
 そういうものらしい。


 最後の暗幕を持って講堂に行った。
 既に講堂の窓という窓に暗幕が張られていて外部の光は遮断されていた。講堂は白い水銀灯の光で満たされていて、普段とは違う空気が流れている。正面の舞台が設営されており、上手、下手、中央のピンスポットライトの櫓も組まれていた。
 下手脇に控えている暗幕張班の人に暗幕を手渡してから、舞台の様子を眺める。
 舞台ではシーリングが組み上がっていた。シーリングとは舞台の天井につるす照明の事だった。舞台全体を照らす役目を負っていて、シーリングを決めた位置にしっかりと固定しないと舞台の明かりが不均一になってしまう。
 シーリングを設置する棒が徐々に天井に上がっていく。
「あれ?」
 真ん中の一つが揺れたような気がした。
「気のせい、かな」
 特に周りの人は気にしている様子はなく別の作業をやっている。舞台でシーリングが組み立てられている最中にも、講堂の左右と中央背後で組まれた櫓にピンスポを設置する作業が行われていた。ピンスポとはピンスポットライトを省略した言葉だった。ピンスポは舞台で演奏や演技が行なわれる時に一部だけを照らし出す用途に用いられる。
 ピンスポはカラーフィルタを用いた特殊効果にも使われる。カラーフィルタをくるくると回して色を変化させる演出がある。さらに三本のピンスポを組み合わせることで好きな色を作れる。
 舞台正面でシノブ先輩が作業進行の指揮をしていた。シノブ先輩は動きにくい黒マントと高下駄を既に外していた。赤いジャージを着て、腰まである黒髪を日本手拭いでポニーテールにしている姿が格好良かった。シノブ先輩が叫ぶ。
「誰か舞台の中央に立て。ピンスポの調子を見るから」
 ノンちゃんがぼくを見る。
 躊躇は一瞬、手を挙げる。
「よーし。舞台に上がれ」
 シノブ先輩に指されて舞台に上がった。
 舞台は移動ステージを組み合わせたものだけれど、つなぎ目の高さが合うように足が調整されていて段差は無い。シーリングはつなぎ目が目立たない様に光束が制御されている。
「シーリング・オフ、客室・オフ」
 シノブ先輩の合図で辺りは暗闇に包まれる。一瞬のどよめきは設置委一年生のものだ。二年・三年のベテランは暗闇に動揺しない。
「センター・ピンスポ 光量100」
 講堂の後ろに設置された櫓からピンスポットが真っ直ぐにステージに来る。
「ちょっと広いな。絞り80くらい?」
 絞られて光がまとまる。
「もう一メートル右。真ん中に立ってろ。ピンスポの位置合わせするから」
 指示されるままに舞台を動く。
「OK、次は上手側・ピンスポ、OK。次、下手、OK」
 ピンスポットの調整が始まると、照明装置設置も終盤だ。
「ん、じゃ次、混色。ほい、演劇部長。例のブツを」
「御意」
 演劇部長がうやうやしくシノブ先輩に差し出したのは真っ白いドレスだった。演劇部仕様らしく派手にも見えるけれど目に痛いものではない。適度な装飾が施されたドレスは、子供の殻を破り大人へ脱皮しようとする少女の心を投影したような造形だった。
 シノブ先輩はドレスを受け取ると舞台の上に登ってきた。シノブ先輩がぼくに近づいてくる。間近でみるシノブ先輩は遠目に見るに増して格好よかった。シノブ先輩直々に白いドレスを手渡される。
「これ着て。被るだけでいい。んで着る時に上ジャージを脱ぐ。着たら下ジャージを脱ぐ。ついでに裸足ね。恥ずかしさは却下。白じゃないと色がわからないから着なきゃ許さん。以上説明終わり」
 設置委大将シノブ先輩の命令に逆らうことあたわず。言われるがままに演劇部仕様おそるべきひらひらな白いドレスを身に纏う。
「うん。似合うな。すべすべな素足に白いドレスでクラスの野郎どもはめろめろだ」
「めろめろなんですか?」
「間違いなくめろめろだ。ほれ」
 シノブ先輩は、舞台前に陣取っている男子勢に、くいと親指を向けた。
「挨拶してみろ」
 試しにドレスの裾を持ち上げて、映画で見たようなお辞儀をしてみる。
「うお」
「さすが姫」
「おちゃめな人」
「めろめろめろめろ」
 なんだか知らないけれど拍手喝采でスタンディングオーべーションだ。
 体育会系音楽部と曲芸系ギター部および格闘系演劇部の皆様は、ひらひら系白いドレスに弱かった。
 ふ、とシノブ先輩はぼくの隣で笑う。
「ま、あんなもんだ。じゃ、ステージ真ん中に立て」
 舞台から見た講堂は広かった。講堂以外で作業していた部隊の作業も終わり、講堂へ設置委隊員が集まってきていた。
 ユウを探した。ユウは舞台下手側下に集中的に設置された制御盤の横に座っていた。隣にキイ君がいて色々と話をしているようだった。夏休み中に、ユウとキイ君はプラネタリウム上映装置を作っていたとノンちゃんに聞いた。ユウはキイ君の家に入ったというし。ユウとキイ君は一緒に買い物へ出かけたという。それは部活仲間という関係で、買い物に行くのはプラネタリウム上映装置を作るのに必要な部品を集めるためだったということでしかない。
 ユウとキイ君は友達だ。それ以上でもそれ以下でもないはずだと思う。でも二人の距離は夏休み前よりも近いような気がしてしまう。ぼくはユウのことを全部知っているわけではない。
 キイ君が何かを言って、ユウが笑った。
 久しぶりに見たユウの笑顔はキイ君に向かっている。
 胸の奥が苦しくなって、二人から視線をずらした。
「センターピンスポ・青100」
 スポットライトから放たれた青い光が舞台に来る。シノブ先輩の長い黒髪で光が反射して光の欠片を空間に拡散させる。青い光は冷静で誠実で真っ直ぐだから揺るがない。
 すっとシノブ先輩の右手がセンターピンスポットの方に伸ばされて、手首がくるりと回転する。
「センターオフ。上手ピンスポ・緑100」
 光の角度が変わった。
 眩しい光に目がくらむ。光に視界を遮られて何も見えなかった。足元が浮いていてまるで空を飛んでいるようだった。ふわふわなドレスの感触に身体全体がくすぐったかった。
 左手を瞼に当てて光を遮ろうとしたら、ひらひらなドレスがふわりと動いた。慣れない服の動きに足を少し動かしてバランスを取る。足元の方を見下ろすと白かったドレスの表面は光でエメラルドに染められていて、ひらひら構造で光の濃淡が作られていた。足を動かすたびに光の濃淡が揺れる。身体の動きに合わせてエメラルドが踊る。
 光に身体をくすぐられているように錯覚した。
 光は遠くから来ているのに近かった。
 光がふわふわと浮いていた。
 光の中にいた。
「強いな。上手緑のピンスポ、マイナス10くらい。OK」
 シノブ先輩の大きな声で我に返った。
 シノブ先輩に脇腹を突かれる。
 くすぐったかったから身体を揺らした。服が動いた。光が動いた。光が揺れた。光が揺れるのが嬉しかった。
「だから、白いドレスはいいだろう」
 頷く。
「あ」
 頷いてしまった。
 シノブ先輩が下手を向く。
「次、下手ピンスポ。上手の緑は100に戻してからオフ。下手ピンスポ・赤100」
 赤は燃える情熱の色、なにか熱い視線を感じた。
 ユウが舞台の前へ移動していた。
 ユウに見られていた。
「OK、じゃ、赤と緑を同時に100にして。緑が強い。緑少し下げて。あ、ごめん緑はさっき90のままで良かった……OK。そこにマークしといて」
 照明の色は原色の黄色、何かが不足しているようで気持が不安になってしまう色だ。
「次、緑90、青100」
 混色は水色、切なさがつのる。
「んー、こんなもんかな。緑、強いね。もう少し落とそう。85? OK。じゃ、もう一度、赤100、緑85。赤90くらい? OK」
 黄色と水色が点滅する。
「じゃ、青50、赤90。お、いい紫じゃん。OK。ゆっくりと青を100まで上げて」
 紫がビビッドピンクに変わる。
「次、緑を上げていく」
 ビビッドピンクが段々と薄くなっていく。淡い桃色に包まれる。
「そこで、ストップ。うん。この色が好きなんだな」
 限りなく白に近くてすこし赤みが掛かっている。
 淡い桃色が好きだ。ふわふわのもこもこに包まれているような色が好きだ。懐かしい匂いを思い出させる色が好きだ。
「じゃ、基本色出したから。あとは混色表使って全色大丈夫ね。じゃ、プラネタも混ぜて、ゴー」
 キイ君がプラネタリウム上映装置のコンソールにいる。
 舞台の正面にユウは立っている。
 ふと疑問に思う。どうしてここにユウがいるんだろう。プラネタリウム上映装置の調整ならばキイ君がいるだけですむはずだ。講堂にユウがいる必然性はない。
 ピンスポットの絞りが開かれ光束の半径は舞台全体に広がる。
 ふと気づく。パステルピンクはユウの好きな色だ。
「スターライト、ON」
 講堂の天井には白い布がスクリーンのように張られている。そのスクリーンに星が見え始めた。
 ユウが目を細めた。
「ユイ」
 シノブ先輩は、ぼくの名前を知っている?
「ユイ、表情硬い。笑顔だ。でなきゃユウちゃんの気を引けないぞ」
 シノブ先輩がユウとぼくの関係を知っている?
 脇腹を突かれる。
「ひゃ」
 シノブ先輩を見上げる。
 シノブ先輩はにやりと笑った。
「あまりユウちゃんを泣かせるなよ。でないと次期暗幕隊長のノンちゃんに泣きつかれる」
 シノブ先輩は強くて優しい。
「あとはユイ次第だな」
 と、と肩を叩かれる。
 シノブ先輩は舞台から飛び降りた。
 講堂の天井のスクリーンで星が流れた。星は虹色をしていた。星に願いをするとしたら今の願いは決まっている。
 ユウに視線を向けた。ユウから視線が帰ってくる。ユウの意思を理解した。
 舞台の正面に階段がある。ユウが階段に近づいてくる。
 今だと思った。ユウの目の前で今の気持を言おうと思った。
 口を開いた。
 頭上で何かが軋む音が聞こえた。
「え?」
 上を見上げる。舞台天井の照明装置――シーリングの一つが揺れていた。ピンスポの調整のためにシーリングは切られていたから、揺れていることに誰も気づいていなかった。ひときわ大きな揺れがあった後、天井の棒からシーリングが外れた。シーリングが落ちる。
 逃げようとして、脚を動かし、ドレスの裾に引っかかり、転んだ。手をついた。視界にシーリングを捉えた。シーリングの落下運動がゆっくりに見えた。動けなかった。
 頭の中はユウの幻像に満たされていた。
 気持を伝えたくて、伝えようとして、伝えかけて、伝えられない。それが現実で、現実は冷たくて、だから暖かい誰かを求めていた。でもそれは自分で手放して、取り戻そうとして、届かないままに終わってしまう。
 ユウにごめんねと言いたかった。ぼくはわがままだった。やり直せるのだったらもう一度ユウの前に立って、ユウのことを好きだと言いたかった。
 諦めた瞬間に何かが見えた。真っ直ぐに向かってくる。
 ユウ。
 青い光のように真っ直ぐで、緑の光のように優しくて、赤い光のように熱い心を持っている。
 どうしてユウは格好良いんだろう。
 身体ごと押された。ステージの中央へ身体が転がった。身体の後ろに衝撃音を聞いた。目の前にユウがいた。
「……ユ、ユウ」
「よかった」
 ユウは無事だった。ユウの身体が、ぼくの身体の上にある。ユウの胸がぼくの胸の上にある。ユウの心臓の鼓動が胸を通じて伝わってくる。
 ユウに抱き上げられる。
 これって、お姫様だっことかいうものだろうか。
 抱かれるのがこんなに気持ちいいなんて知らなかった。
「ユウのこと、大嫌いって言ったの、嘘なんだ」
 今のぼくはお姫様の様な格好でユウに抱かれていて、今のユウはジャージ姿でぼくを抱いている。そんなユウが凛々しくて眩しかった。ユウに独占されたくてユウを独占したい。それが真実で、それが心からの告白で、光の中で明らかにされて、明らかにされたことを約束する。
「約束するよ。ずっとユウの側にいるって」
「どうして? ユイはメイが好きなんでしょ。レヴァに行っちゃうんだよね」
 首を振る。
「ぼくはレヴァには行かない」
 光の下で嘘は言わない。
「ぼくはユウのことが大好きだから」
 光の下でユウが言う。
「私も、ユイのこと、大好き」
 ユウの顔を見上げる。光に包まれたユウは眩しかった。
「なんか、照明に照らされて、恥ずかしいかも」
 ちょっとだけユウは照れている。
 ユウに言う。
「でもそれがいいんだと思う」
「どうして?」
「証明効果ってね」
 小さくユウが笑った。
「もう一つ証明してあげる」
 ユウの顔が近づいてくる。
 ユウは強くて、優しくて、暖かくて、やわらかい。
 瞳を閉じて唇にユウを感じた。




#"Light Effect" is "Right Effect"......


―あとがき―

 次回最終話です。
 読んでくださった皆様、お世話になった皆様に感謝です。

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