駅前は国道が近くにあるためなのか、交通量が多い。
広く円状に取られたバスターミナルの前に、多くの勤め帰りの人々が集まっていた。
正面の道路では、軽自動車、バイク、普通自動車が顔を揃えて、信号の変化を待っている。
今また、青いストライプの走るバスが交差点へ出て行った。
赤から移り変わった指示器を見て、電子音をBGMに、人の波が流れる。
そうして、駅前は人や車が流れていく。
だが、その場を動かない者もあった。
紺一色で統一し、威圧感のある制服で固めた警察官たちである。
犯人がはっきりと分かっているのに、未だ捕まえることができない。
日本刀で、自分の母親を斬りつけた逃走犯は、影も形も見えなかった。
ゆえに、随所で網を張る彼らは、一様に、焦りが見える。
「無駄なことを…」
山伏のような格好をした男が呟いた。
180後半の大男が、45階建て高層ビルの前に立っている。
彼は先ほど、ホテルのチェックインを済ませてきたばかりだった。
手には装飾された青い鞘の日本刀が握られている。
男の名は、宗祇修次。
先刻、所属する組織から派遣されてきた。公的には、『警察庁、特殊A課』所属である。
目的は、異能者の捜索、確保、……そして【呪装変異】の処理。
「ふむ…」
修次は、腕を組んで周りを見渡す。
どうやら、目立っているようだった。
行き交う人々が目線を合わせないように顔を伏せ、さりげなく距離をとっている。
(服装を変える必要があるか…)
彼の姿は、体躯と相まって、伝奇の中の天狗のように見えた。
この装束は、彼の出身地では、正装とされていた。
それを奇異に感じる者が多いことに、少しの失望を持ったが「大した問題ではない」と歩き出す。
とりあえず、その場を離れる必要があった。
警察官が二人、駆け寄って来たのだ。
仕方なく彼は、走り出し、人気のない路地裏を左に曲がった。
そこで、人目が無いことを確認すると、すかさず、刀の鯉口を切る。
ヴヴヴゥーーーン
耳鳴りのような音。
同時に、群青色のまばゆい光があたりを包み、彼の姿が現世から消えた。
警察官の二人は『逃げる者は、後ろ暗いことを隠している』という法則のもと、絶対確保の意思で路地へ飛び込む。
だが、すでに目標がいない。
彼らは呆然とした後、そこら中のごみ箱やダンボールを引っくり返し始めた。
路地裏は袋小路になっていた。
それこそ、透明人間のように姿を消すことが出来ない限り、目標がいなくなるハズがなかった。
――彼らは【分界】を認識できなかった。
修次は、悠々と、群青色に染まった分界を歩く。
そして、二人の警官の横を通るとき、軽く目を伏せるのであった。
「お前たちは、お前たちの仕事を」
届かないことを承知で、修次は、言った。
しばらくした後、修次の姿は、カジュアルな雰囲気のジーンズショップの中にあった。
大型デパート『DVD』。1F総合フロアの一店である。
「店主。これは、何の皮だ?」
「は、はい。柔らかいシープを素材に使っております…」
「む、いいだろう。機能面は最低ラインをクリアしている。問題ない。試着は何処でする?」
可哀想なくらい縮こまった中年男性に、距離をとった店員たちから同情の視線が集まっている。
修次にその気はないのだが、周りに威圧感を与えてしまっているようだった。
修次の一挙一動に、神経質に反応する店長。暖房が効いた店内で、嫌な汗をかいている。
と、修次が手に取っていたハンガーを無言で、店長に渡した。
続いて、懐に手を入れて小さな物体を取り出す。
携帯電話だ。
どうやら、メールを着信したらしい。大きな指で小さなボタンを巧みに操作している。
それを見た、店員と客の間にざわめきが起こった。
人は、自分たちとの共通点を見つけると、親近感が湧く。
この場合、携帯というアイテムにより、彼の存在が、時代錯誤の堅物からコスプレ好きに格上げ(?)されたのだった。
どこか人を遠ざける雰囲気が和らいだようだ。彼が、ソフトウェア開発まですると知ったら、スタンディングオベーションで喝采が起こるかもしれない。
だが、店内の空気に反し、修次の顔は険しかった。
彼は、液晶画面の表示から顔を上げ、言った。
「試着の後、直ぐに発ちたい。勘定を先に済ませてくれ、店主」
上着とシャツ、紺のジーンズパンツに付いた値札を引きちぎり、投げ渡す。
そして、社名などの表示が無い、一枚のカードを渡した。戸惑いながらも受け取った店主は、偽物かと思いながら、リーダーに通す。
ディスプレイに表示された個人情報、認証番号などは、正当なものだった。
――ただし、表示されたカード会社の名に、覚えが無い。
店主は戸惑いを深め、怪しいブラックカードを手に取り、呆けたように見つめた。
「一体、何が起きた…」
試着コーナーのカーテンを乱暴に閉めつつ、修次が漏らした。
それでも、手はたえまなく動く。肩にかけられた結袈裟が、はずされた。
男のシルバーカラーの携帯電話には、
『助けて、修次君(はーと)』
と表示されていた。その後に住所と思われるアドレスがある。
差出人は、共にパートナーとしてこの街にやってきた三嶋舞歌である。
彼は、己の性分から“助けて”という言葉に反応してしまった。
しかし、彼は気づくべきだった。
あの(はーと)の意味に気づくべきだったのだ。
舞歌は、『ソード・ダンサー』の異名を持ち、剣の腕は、師範代である修次すら、凌駕する。
そうそう戦闘上での助けなど、いらない。
彼が思う危機と、舞歌が思う危機に、食い違いが生じていた。
もっとも、差出人は、それを計算して簡潔な文章を送ったのかもしれない。
修次は、周りが驚くほど、素早く着替えた。
試着室から出てきた修次は、薄い青のジーンズに足を通し、乳白色のシャツに、白のシンプルなジャンパーを羽織っていた。
それまでの衣装は背負っている布袋にしまわれ、手には、藍色の上品な布で包まれた刀を持っている。
店の者たちは、布に包まれた物が、日本刀であることを知らない。
ゆえに、青年の変化に、純粋に驚いていた。
彼の外見が、
精悍な身体つきが、
短くカットされた爽やかな髪形が、
そして、意外に整った顔が、――二枚目のスポーツマンに見えたのだ。
「店主」
修次はカードを受け取ると、折り目正しく礼をし、颯爽と走り去った。
ジーンズショップに残る者たちは、それぞれ違った動きをみせる。
若い年代の女性客は、友達と顔を寄せ合い、修次の品評を始めた。異性の連れを持つ者は、彼、もしくは彼女に、腕を引っ張られるまま別な場所へ連れ出された。
少なくとも、周囲に影響を与えるのは、衣装のせいだけではないようだ。
デパート内。
とある照明の暗い区画。
そこだけは、漂う空気が違う。
修次は、人目の無い場所を探して走り、ちょうど良い個室を見つけ、駆けこんだ。
追いぬいかれた縁の厚い眼鏡をした学生が、怒りの声を上げた。
数分後。
学生服の男子は、修次が消えた扉の前で、苛立ちを隠さず時計を見た。
「……早くしないとバスに間に合わない」
運の悪いことに、他の個室も埋まっている。
学生は、時間を惜しみ、先延ばしにしていたことを悔やんだ。
そして、順番を守らない長身の男を思い出し、怒りに任せて扉を叩く。
「すみません。まだですか」
彼の気性か、強い態度に出れないようだった。
幾度か、続けて叩く。
「…あれ?」
すると、軽い軋みを上げて扉が開いた。
少しだけ学生は逡巡するが、中の気配がないことに気づき、意を決し、中を覗く。
「………………」
沈黙の後、学生は気味の悪さに、慌てて“トイレ”から走り去った。
どれだか時間が経っただろうか。
正確なところは分からないが、修次はとても長く感じた。
夜になっても賑やかに数多の音楽が重奏し、煌びやかな装飾が光の色彩をなす。
その一角で修次は、目的の人物と“見当違いの光景”に出くわすことになった。
三嶋舞歌が、わざとらしく“しな”を作り、男を一人引きづりながら、近づいて来る。
「助けて、修次君(はーと)」(すがりつき)
「……」(右手を額に当て、天を仰ぐ)
「…お願い」(上目づかい)
「……」(眉根を寄せて考える人)
「一生のお願いよ」(涙目)
ここは、暇な人たちが集まる遊戯場。いわゆる、ゲームセンターである。
ヌイグルミをつかむ機械の前。そこで、妙な光景が繰り広げられていた。
店員に通報されてしかるべき光景である……が、紺一色の制服は見当たらない。
背の高い男にすがりつく女性、三嶋舞歌。
赤いタイトスカートに、白いセーター、そして、腰にベルトのついた身体の線が浮き出る茶色のコートを着ていた。
どうやら、彼女も袴姿から着替えたらしい。
そして、奇怪な光景の元凶。
彼女に襟首を掴まれて伸びている男。
靴は、薄汚れたスニーカー。ソックスは履いていない。
冬だと言うのに、上半身を隠すのは、美少女ゲームのキャラをプリントしたシャツだけ。
ズボンは、萎びたGパン一丁だった。ジーンズは洗うと質が落ちると言うが、手入れの一つもしていないようだった。
その格好で襟首を掴まれ、舞歌に引きずられている。
見た目、肥満気味で少々根暗な感じのする男だった。
ただ、頭をうなだれているので顔までは分からない。
修次は、胸に渦巻く、わだかまりを抑えた。
そして、腕を組んで思考する。
(……舞歌はこの男の扱いについて困っている…ようだな)
「とりあえず、その右手を離してやれ……死ぬぞ」
「あ、ゴメンね。ま、生きてれば大丈夫よ、…ね」
舞歌が手を放した途端、男は後頭部を強打した。口から泡をふいている。
まだ、二十代だろう、若い顔をしていた。
眠るように目を閉じていたが、修次は、そう判断した。
「……とりあえず、報告を頼む」
まるで、頭痛に苦しむ人のように、眉間を抑えながら修次が言った。
気持ちを切り替えることに苦労する修次を見て、舞歌は“しな”を作るのを止めた。
床に転がる男をチラリと一瞥し、冷静に頭を働かせる。
(…本部に報告するでしょうね)
舞歌は、緋色を探す目的で、この任務を受けた。もし、定時報告を任されている修次が、不利な証言をすれば、任務を解かれ、緋色がいるかもしれない“この街”から離されてしまう。
(要は、コイツを伸した正当な理由があればイイのね)
「分かったわ。…最初は――」
舞歌は、口を別の生き物のように本心から外して、動かした。
「あたしは例の事件の異能者を探して見回りをしていたわ」
(本当は緋色がいそうな所を探してたのよね)
舞歌が、これまでの行動を証言する。
「傷害を起こした子は、まだ学生らしいから、彼が立ち寄りそうな所…つまり、ゲームセンターで聞き込みをしていたわ」
(…緋色も、遊びたい年頃だからね。普通の学生生活に憧れてる、みたいなこと言ってたし)
――“行動は”正確に報告している。
「そしたら、強い気を発している子がいてね。…確認する意味で接触したの」
(異能者はお互いの存在に気づき、知り合いであることが多いからね)
――ただし、モチベーションがまるで違っていた。
「彼については、知らない、と言っていたわ」
(…もちろん、緋色について聞いたわ……知らなかったけど)
舞歌は、心底残念そうに顔を歪める。
かなり、オーバーなアクションだった。
そこで、修次が、手で舞歌を制し、言った。
「それでどうして、この結果になる…? ……原因を言ってくれ」
舞歌が、仕方ないと、頭を振る。
綺麗な長い黒髪がさらりと流れた。
そして、瑞々しい唇に嫌悪をこめて、言葉をつむいだ。
「襲われたわ……だから、“過剰防衛”にならない程度に、鎮圧したけど」
(正確には、…素子ぉぉぉぉぉっ! って、叫んで五月蝿いから、伸したんだけど)
――事実とまったく違う証言をした。しかも、痣が残らないように内臓を徹底的に痛めつけていた。
嫌そうに侮蔑の視線を送る舞歌。
――本気の殺気が、うっかり混じった。
すると、何を反応したのか、Tシャツ一枚の男がビクンッと跳ねる。
舞歌は、彼女の美意識に合わないものが、とことん嫌いだった。
修次は、舞歌と目線を合わせまいとするように、腕を組んで瞑目した。
「……事情は分かった。が、俺にどうしろと?」
片目を開けて、窺う修次。
舞歌はニコリと笑うと、何かを懐から取り出した。
「これ。分かるでしょ? “コイツ”の念がこもってるわ」
コイツ、と口に出したところで、蹴りを入れた。
すでに、修次は、舞歌の行動を意識の外に放り出しているので、関知しない。関わらぬのが吉だ。
だが、舞歌の取り出した“モノ”が尋常でないことを見て取ると、意図せずとも意識はそちらに向かう。
「うぬ…、【呪装化】しているな…」
修次は舞歌から“魔法少女のフィギィア”を受け取ると、すかさず、上着の裏ポケットから【護符】を取り出した。
「封っ!」
傍目には変化はなかったが、舞歌と修次は、フィギィアが発する気が、止まる瞬間を視認した。
これで万事解決……と思われたが、修次は不審に思う。
「…俺でなくとも封印は出来たはずだが」
【封印呪】ならば舞歌にも扱える。
これだけならば、わざわざ修次が呼び出される理由にならない。
舞歌は、いい所に気づいた、とでも言うように大きく頷く。
「それは、……コレね。と、見る前に心の準備が必要だわ。…気をつけて」
意味深なセリフ。
だが、修次には理由が分かった。
呪装を使用した者は、しばしば肉体に変化を起こす。
のびている男は、一見、何の変化も無いように見えるが、“身体のどこか”が変異しているのだ。
変異するモノや、その部位は、使用者の思考の深いところ――つまり、“無意識”に作用される。
修次は、今まで、人間の無意識がどんなモノを形づくるか、その目で見て来た。
普段は超然とかまえている彼が、心臓が止まるかと思うほど、驚愕したことも、一度や二度ではない。
そして、今回は、数多の修羅場を潜り抜けてきた舞歌が、注意を促すほどの変異だ。
(…並大抵ではあるまい)
修次は、久方ぶりに、自らの鼓動の音を意識した。
そして、親指と人差し指を男のまぶたに当てた。
――指で、まぶたを、上げた。
「……!」
しばし、絶句した。
思いもよらぬ“モノ”を見た。
それは、Tシャツの男の――“双眸”。
彼の“まなこ”が――、
――星を散りばめたようにキラキラしている(注:比喩ではない)
それはもう、キラキラと、何処ぞの少女漫画のごとく。
常にウルウルと、キラキラキラキラ……。
修次は、遠のきそうになる意識を必死に捉まえた。
足をつかんで「逝くな! 逝ってはダメだ!」と懸命に。
「スゴイでしょう……コレが世間に出たら、精神崩壊者多発で社会問題になるわ。私は人口2割くらい、逝くと思うわ」
スゴイ、のベクトルを間違えている。
それでも、修次はコレを世間に出してはいけない、と理解した。
「本部へ連行して、…治療ね。とりあえず、そいつをあたしたちのホテルに連れてくの、お願いね(はーと)」
舞歌が艶のある笑みを浮かべた。
修次は、狐にばかされたような、気持ちになった。
そして、呪装変異を起こした男は、修次に背負われた。
心なし、ぞんざいな担ぎ方だった。
男は、修次と舞歌の出身地へ運ばれることになる。
連絡を入れれば、輸送班が、半日と待たずに到着するはずだった。
軽度の変異は、本部の特殊医療班が治療するのだ。
ともあれ、荷物持ちを拝命した修次は、いつも以上に無言で、帰路を辿ることになる。
「あ、【人避呪】の護符を外すの忘れてたわ」
舞歌は、二次元美少女の瞳をした男の背中から、護符を剥がす。
この護符は、人の視線を無意識に外させる結界を作る。
剥がした瞬間、舞歌がこめた気が霧散した。
「これで今日のところは、退きましょうか。流石にこの時間に外に出たりしてないと思うしね」
「……」
修次は無言で歩く。
これが、桜が住み、緋色がいる街で、舞歌と修次が最初に関わった【呪装変異】事象だった。
変異を起こした男は後日、記憶のない空白の数日を不思議に思いながらも、元気に部屋に閉じこもり、気ままな生活を続けた。
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