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溜息だって吐きたくなるよ。

Written by NHK


 今、私は男の部屋にいて、男は裸の私の体を貪るように撫で回し、激しく挑みかかってくる。愛なんてどこにも無い。技巧もない。ただ機械的に繰り返される行為に、私は早くも飽き始めていた。
 私は心の中で、そっと呟いてみた。

 溜息だって吐きたくなるよ。



 私は、高校に入学するまでは男として青春を謳歌していた。
 私は背は少し低かったものの、勉強もスポーツもそれなりに得意だったし、女の子とのおしゃべりはかなり得意だったので、とてもモテた。セックスの相手には困ったことがなかった。

 私には年の近い姉がいたので、女の子の行動を間近でつぶさに観察することが出来、そこで得た知識を使って女の子を魅了することが出来た。
 ところが、高校に入学してしばらく経ったある日、私は廊下で突然激しい腹痛に襲われ、救急車で病院に運び込まれた。

 様々な検査の結果、医者が私に下した診断は、【突発性性転換症】だった。いわゆるTS病とかクマノミ病と言われるやつだ。若い男性のみが発病する病気で、発病する確率は約三十万分の一と言われている。原因は全くの不明。治療法も全く確立されていない。
 しかし、放っておいたところで男が女になるだけで、命に別状はないので、症状が治まって、すっかり女になった頃に、私は病院を放り出された。

 私は、今でこそフツーに生活を送っているが、女になりたての頃は、そりゃあ酷い生活を送っていた。

 私は男としての人生に満足していたのに、突然、女になってしまったのだから、ショックも大きかった。私が女になったことで、当時付き合っていた彼女とも別れてしまった。
 高校に戻った私は、表面上はそれまでと変わらない優等生を続けた。けれど、自暴自棄になっていた私は、墜ちるところまで墜ちようと思い、裏では興味本位に言い寄ってくる同級生の男たちとセックスしまくった。今思い返せば、よくぞ妊娠しなかったものだ。

 世間の俗説では【突発性性転換症】で女の子になった娘は、みんな可愛い女の子になると言われている。
 それが本当のことなのかは分からないけど、私の友達で、私と同じく【突発性性転換症】で女の子になった娘がいる。その子は、同性から見てもとても可愛い。でも、純女以上に可愛かったため、高校の頃は他の女の子たちの逆恨みを買って随分苦労したらしい。
 私の場合、可愛い系じゃなくて美人系だったので、逆恨みを買うことはなかった。(でも、百合っ娘がよく寄ってきた)

 二十歳になった現在、色々とあったものの、私は女として何とか環境に適応している。

 しかし、最近、やれ妊娠だ、結婚だといやに騒ぎ立てる友達を見ていると、正直、呆れて眩暈を覚える。
 そりゃ、女が結婚に心をときめかせるのを非難する気はないし、そんな資格もない。だけど、それにしたって大学に入ってからの彼女たちの変身ぶりには、誰だって驚かされるんじゃないだろうか。
 何だかもう、ダムが一気に崩壊するみたいに、それまで抑圧されてきた欲望が溢れ出したって感じだ。

 そんな彼女達の近ごろの話題は、美沙紀の婚約についてだ。

 高水美沙紀は私と同い年の二十歳で、高校の同級生でもある。美沙紀は、今年大学に入学したばかりで一つ年下の男の子と婚約してしまったのだ。男の子の名前は塚森明宏。彼は、私が所属するサークルの後輩でもある。

 美沙紀と塚森くんの婚約の裏には、美沙紀の妊娠がある。私の女友達は、美沙紀の妊娠を計画的犯行だと噂した。

 確かに美沙紀は高校の頃から専業主婦願望がやたら強かったし、塚森くんは社員数二百名を超える企業の御曹司らしく、自分を養ってくれる男としては悪くない。計画的犯行だと疑われるのも、全く無理な話ではなかった。

 しかし、友達の話題の中心は、計画的犯行であるか否かではなく、美沙紀の選択、つまり婚約が正しかったかどうか、言い換えれば美沙紀が幸せになれるか否かだった。

 こんなことを言ったら、文学部の田島祥子教授(専門はフェミニズム史)にブッ殺されてしまうけど、大抵の女にとって結婚は、幸福になれるか否かを左右する重大事件だ。
 独身生活は楽しみたいけど、いつまでも若いままいられるわけじゃない。どのタイミングなら自分を最も高く売れるか、友達が気にするのは当然だろうし、私だって気になる。

 でも、一発やるのにもセコく計算を働かせてたんじゃぁ、ちっとも楽しめないので、こういうことはあまり考えたくない。そして、女が楽しく遊ぶには、やっぱりリスクコントロール(低用量ピルとか)が欠かせない。

 さて、私は今、ちょっと困ったことになっている。

 今、私の上に覆い被さり、さっきからバイブレーター以下の単調な動きしかしないこの男こそが、美沙紀の婚約者、塚森明宏くんなのだ。このような事態になってしまったのは、今から約十二時間前…………

 私は大学の図書館で、レポートと格闘していた。五時までに、田島先生にこのレポートを書き直して提出しなければならないのだ。時間に追われながら必死で参考資料から必要な箇所を書き写し、私は何とかレポートを完成させた。

 図書館を出た私は、田島先生の研究室がある六号館へと向かう。空は一面まっ黒な雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうだった。私はちょっと空を睨んだ。その瞬間、ピカッ、と銀色の剃刀みたいな稲光が空をよぎった。

「やだなァ……傘、持って来てないよォ」

 私はひとり呟いた。空を裁断する銀色の剃刀は、これから田島先生と対面しなければならない私を、酷く憂鬱な気持ちにさせた。

 扉をノックして部屋にはいるや否や、田島教授は言い放った。

「遅いよ」

 私は身体を縮こまらせて、小さく、「すいません」と答えた。

「レポート書くだけで、どうしてそんなに時間がかかるの?」

 私はこの発言に、ちょっとカチンと来た。そもそも私は提出期限に間に合うようレポートを完成させていた。テーマは『市場に於ける男女の身体的価値について』だ。結構な自信作だった。
 ところが、田島先生はこのレポートに軽く目を通すと、「評価に値しない」と一刀両断。私に書き直しを命じたのだった。
 どうやら、ナンシー・チョドロウを引用したのが田島先生のお気に召さなかったらしい。田島先生はフェミニズム精神分析を蛇蠍のごとく嫌っている。

「紫上 歩(しのかみ あゆみ)さん、いい、そんなことじゃ卒業するのも大変だよ。仮に卒業できても社会に出た後、ロクな事ないよ。もしもの時、男が何とかしてくれるなんて大間違いだよ。大体、あなたみたいに元男だった女は、女の本当の大変さを根本的に分かっていないんだから、人一倍頑張らないと駄目なんだからね……」

 私は、田島先生に目を付けられている。名前もばっちりフルネームで憶えられている。しかも、田島先生は、誰から聞いたのか、私が元男だということも知っていた。
 田島先生の指導熱心なところはとても好きなんだけど、どうも私のことを思い違いしているようだった。出来れば、私のことをあまり虐めないでほしい。

「……ほんと、もうちょっと真面目になりなさいね」

 最近の私は、すごく真面目に生きているのに、こんなことを言われると本当に悲しくて、ちょっと涙が出てきた。

 散々にお小言をもらった後、私はようやく解放された。

 六号館から外に出でると、外は土砂降りの雨だった。キャンパスには相合傘が散乱し、私以外の女はみんな傘にありついたようだった。その光景に、私はとても心細くなった。

 何だか居たたまれなくなった私は、冷たい雨と相合傘を避けるように、階段の踊り場へと移動した。寒さのあまりクシャン、とくしゃみが一つ出た。その時、後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。

「あれ、アユミ先輩じゃない。どうしたの、こんな所で……」

 振り返ると、そこには塚森明宏くんが立っていた。右手には黒い傘が握られている。傘さえあれば彼が誰であろうとどうでもいい。私は震える肩を手で温めながら、喉を鳴らした。

「雨が止むのを待っているの。……よかったら駅まで一緒に入れてちょうだい」
「ええ、いいですよ。……俺、アユミ先輩にちょうど相談したいことがあるし……」

 キャンパスには、もう人はほとんど残っていなかった。それでも私は、皆と同じように傘にありつけたことに心底、ほっとした。傘のお礼に、相談に乗ることくらい構わないと思った。それに、塚森くんがどんな男か、本性をちょっと確かめてみたかったのもある。

 降り続く雨が、周囲の輪郭をぼやけさせていた。

 人通りも少ない道を、水溜りを避けながら、私と塚森くんは肩を並べて歩く。私は塚森くんの言葉を待ったけど、塚森くんは少し俯いたまま、なかなか話を切り出そうとしない。

「……ねぇ、話って何なの?」

 あまりに長く続く沈黙に耐えられなくなり、私から話を切り出してみた。

「………あの、俺と美沙紀とのことなんだけど、ちょっとここじゃ言いにくいことなんだ。……俺のアパートに寄ってくれない? ここからそんなに遠くないから。……お願い。俺、もうダメになっちゃいそうなんだ」

 塚森くんはやけに情けない声でそう言った。

「そう、分かったわ。それじゃあ、晩御飯作ってあげるから、元気だそうね。ダメになるなんて暗く考えちゃいけないわ」

 身長が百八十センチくらいあるでっかい図体の男が、今にも泣きそうな声を出すのにちょっと動揺して、私はつい調子のいいことを言ってしまった。

 駅前のスーパーで夕食の買い物を済ませると、私は塚森くんの後について、彼のアパートへと向かった。

 塚森くんの住むアパートは、駅から十分ほど歩いたところにあるオシャレな外観の独身者向けアパートだった。中に入ってみると、ガスコンロが一つ付いたキッチンとユニットバス、ベッドルームとロフト付きのリビングがあった。
 全体の広さは驚くほどじゃないけど、かなり豪華だ。なるほど、塚森くんがお金持ちの御曹司というのは、本当のことのようだ。

 私は得意のパスタ料理とサラダを作った。

 食後には熱いコーヒーを淹て飲んだ。空腹も満たされ、しゃべることも無くなったところで、一息ついた私は食事の後片付けをする。

 私が皿を洗い終わった時、塚森くんは後ろから私の肩を抱いた。

「ねぇ、アユミ先輩。今夜、泊まっていってよ……」
「ダメよ。また明日、学校で会いましょう」

 私は塚森くんの腕を、するっとすり抜け、鞄を掴むと玄関へと向かった。私を呼び止める声を無視して扉を開けると、突然、冷たい風が私の頬を撫ぜ、髪を掻き乱した。雨はキャンパスを出た時よりも、さらに酷くなっていた。

 暗い夜の雨の中、これから一人で家路に着く寒さと虚しさを思うと、急に帰る気が失せてきた。私の足が止った瞬間を見逃さず、塚森くんが私の足にすがり付いた。

「先輩、帰らないで……。俺をひとりにしないでよ。俺、寂しいんだよ……」

 塚森くんの腕は私の足をがっちり捉えて離さない。私は、ふぅ、と溜息を吐いて肩を落とすと、くるりと振り向いて言った。

「………分かった。じゃあ、これだけは約束して、絶対に私に変なことしないでね」

 子どもをあやすみたいに、優しい声で話し掛けると、塚森くんはちょっと首を縦に振って、私の足を捕らえている腕の力を緩めた。

 しかし、私がソファーで毛布に包まって眠ろうとした時、塚森くんはまたしても駄々をこねた。

「アユミ先輩、一緒にベッドで寝ようよ」
「ダメだよ。さっき約束したでしょ」
「分かってる。変なことはしない。……ただ話しながら寝たいだけだから」

 うわぁ、怪しいなぁ。と思いつつも、もうちょっとで塚森くんの本性が見られるかもしれないと思い、誘いに乗ってみることにした。

 ベッドは一人で寝るには十分な広さだったけど、二人で寝るにはちょっと窮屈な感じだった。それでも、一人でソファーで寝るよりは暖かい。こういう時の男の子の体温って、こたつみたいでいいものだ。

「アユミ先輩……先輩は美沙紀とは友達なんだよね」
「……そうよ。塚森くん、美沙紀とうまくいっていないの」
「美沙紀が妊娠したのは、先輩も知っているよね。……美沙紀は産むつもりみたいだけど、俺まだ十九でしょ。……正直、今は自分のことで精一杯なんだよ」

 さぁ、いよいよ本性が出てきた。しかし、まだまだここからだ。私は勉めて平静を装いながら、年上らしくアドバイスする。

「でも、妊娠させたのは、あなたなんでしょ」
「そりゃあ、俺が悪いよ。分かってる。……でも、美沙紀の奴が大丈夫だっていうから信じたのに。……俺は美沙紀の言葉に騙されたんだ。俺、もう疲れたよ」

 馬鹿かこいつは。何が騙されただ。遊ぶにしても、もうちょっと女の生理を勉強しろよな。

「俺、もう美沙紀と別れたい。……先輩、美沙紀の奴に子どもを堕ろすように説得してくれない。……俺、本当はアユミの方が……」

 さらに、塚森くんは布団の中で私の腰に手を廻す。好きでもない男に、いきなり名前を呼び捨てされて、私はちょっと、ムッとした。

「変なことしないって約束したでしょ。美沙紀と別れたいなら、話し合う場をセッティングしてあげるから、あなたからキチンと言いなさい」

 腰に纏わりつく手を素早く払いのける。すると彼はしぶしぶ手を引っ込めた。

「何だか疲れちゃった。早く寝ましょう」

 電気を消すと、私は塚森くんに背を向けて目を閉じた。私はとても寝付きがいいのだ。

 朝、私は寒さのあまり目が覚めた。冷たい空気が直に肌に触れ、クシュンとくしゃみが出た。ついでに鼻水も出そうになったので、慌てて抑えようと鼻に手を伸ばそうとした瞬間、シャランと頭上で金属がぶつかる音がした。

「……なっ!?」

 慌てて首をひねって頭上を確認すると、私の手首は手錠でパイプベッドに固定されていた。手錠は、アダルトグッズの通信販売にあるような、輪っかの部分にフェイク・ファーの付いたやつだ。
 瞬時に私は状況を理解した。充血した目で塚森くんが私を見下ろしている。あぁ、塚森くんがここまで馬鹿で姑息な男だとは思わなかった。

「……アユミ、俺の彼女になってくれ」

 塚森くんは、ようやく獲物を仕留めたオオカミみたいに、私の肉を夢中で貪った。しかし、バイブよりも単調な動きに、思わず欠伸が出そうになる。

 私は退屈紛れに、私が男にしてあげた高校時代の同級生たちの顔を順番に思い出そうとした。けど、十四人目あたりから記憶が怪しくなり、はっきりと顔が浮かんでこなったので、それも諦めた。

 ようやくのことで空腹を満たした塚森くんは言った。

「なぁ、アユミ。この部屋に引っ越して来いよ。俺たち一緒に暮らそうぜ。ここからなら学校も近いし……そうだ、今日は一緒に買い物に行こうよ。箸とか食器とか買いにさぁ……」

 煙草の煙を吹かしながら、ぶつぶつと一人で楽しそうに喋りまくる塚森くん。一方、私は寒くてさっさと服を着たいのだけれど、手錠が邪魔してそれも叶わない。

「……アユミは今日、何時間目から授業あるの。……あっ、でも、一日くらい学校サボったって大丈夫だよね。俺も学校サボるからさぁ、だから……」

 その時、玄関のチャイムが鳴った。瞬間、塚森くんの顔から血の気が引いていく。塚森くんは脱ぎ捨てたパンツを慌てて履くと、部屋を出て行った。

 聞き耳を立てると、玄関のドア越しに何かしゃべる声と女の子の泣く声が聞こえる。と、そのうち、鍵でドアを開ける音が聞こえ、隣の部屋から揉み合っているらしい物音。

「……知るかよ。だいたい、お前が言い出したんだろ。そんなの関係ねぇよ。……いないって。余計なことすんな。やめろ、勝手に開けるな」

 突然、爆発したみたいな勢いで寝室の扉が開き、素っ裸の私が彼女の目の前に晒された。

「あっ」

 そこには美沙紀が立っていた。美沙紀の顔は怒りと屈辱で見る見る紅潮し、泣き腫らした瞳からは、嫉妬と憎悪と侮蔑の篭った視線が私を叩きつける。

 私は魂が凍りつくのを感じた。

「こっ、これは違うんだ。……まっ、まだ何もしていない。誤解だ」

 美沙紀の握った拳がぶるぶると震えた。美沙紀は狂ったように泣き叫びながら、食器や本、テーブルやソファーに至るまで、部屋にあるあらゆる物を投げた。あらゆる物が、私と塚森くんに降り注いだ。

 破壊出来るものを、すべて破壊し尽くすと、美沙紀は嗚咽を洩らしながら玄関を飛び出していった。無残になった部屋には、呆然とする塚森くんと私だけが残された。

「俺、どうすればいいんだよ。……アユミ先輩、助けて……俺を助けてよ」

 塚森くんは、ベッドの上で動けない私を押し潰しかねない勢いで、上に覆い被さって来た。
 私は、ぐちゃぐちゃに顔を歪ませながら、私の胸に顔を埋めて泣く塚森くんを見ながら思った。こいつは馬鹿だ。本格的に馬鹿だ。美沙紀も馬鹿だ。……でも、一番の大馬鹿は、この私かもしれない。

 目の前で繰り広げられたあまりにも馬鹿馬鹿しい光景に、思わず言葉がこぼれた。

「溜息だって吐きたくなるよ」





後書き


 この物語はフィクションです。実在の人物、団体、事件等とは一切関係がありません。当然、この物語は私小説なんかじゃ、ありません。あくまで、ネタとして創作されたものです。くれぐれも、作者の思想および私生活を邪推しないで下さい。マジでお願いします。
 最後に、このような【人生のみっともない部分を鍋に入れ、コトコト煮込んでスープにしたみたいな物語】を読んでいただき、有難うございました。

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