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merry-go-round

Written by NHK


―― scene 1 ――


 何故ボクだけが助かった? という問いは、何度となく繰り返した。でも、いつだってこんな問いに答えは出ない。きっと、どれほど優れた物理学者や哲学者にだって答えは見つけられないだろう。それでもボクは問わずにはいられない。

 何故ボクだけが助かった?


 この惑星に生きる男の寿命は短い。それは、クロエ赤斑病という名のこの惑星を覆う風土病が、男たちの命を容赦なく摘み取っていくからだ。

 だから、この惑星では男の平均寿命は二十歳にも満たない。


 この惑星は人類から孤立している。
 クロエ赤斑病の感染拡大を恐れた人類は、この惑星に住む人間の他惑星への移住を禁止し、一切の交流を断ってしましたからだ。

 クロエ赤斑病が発見されてから二世紀もの時間が経過したが、未だに治療法は見つかっていない。


 十六歳の誕生日、ボクに逃れられない死の病、クロエ赤斑病の症状が現れた。ボクはすぐに病院のベッドに移された。病室には、ボクとそう年の違わない男たち、いや、男と呼ぶにはまだ若すぎる男の子たちが、刻一刻と失われていく生命を感じながら日々を暮らしていた。

 病状は日々悪化し、逞しかったボクの腕は痩せ衰え、全身に赤斑が広がっていった。

 色を失った白い病室の中で、ボクは十六年の生涯を終えようとしていた。
 その時、確かにボクは死の淵にいた。


 朦朧とする意識の中、ボクは夢を見た。
 暗い森の中を必死で逃げ回る夢だ。


 ボクは暗い森の中にいた。

 ボクは恐怖に震え、鉛のように重い足を引き摺りながら、
 暗い森の中を方角も分からずひたすら逃げた。

 背後からは人の形をした無数の影がボクに迫っていた。
 ボクは背後にその影たちを感じながらひたすら逃げ続けた。

 森のずっと先に、かすかな光が見えた。

 ボクは影にいつ背中を捕まれるかと怯えながら、
 ひたすらその光に向って走り続けた。

 光に向って……。


 夢から醒めた時、ボクは女の子に生まれ変わっていた。ボクの主治医は、ボクがTS病とかクマノミ病と呼ばれる病気により、女の子になったことを告げた。

 ボクは幸運にも、男から女に性転換したことで生き延びることが出来た。何十万分の一という幸運だった。


―― scene 2 ――


 病院を退院したボクは、高校生として毎日学校へ通う日常の世界に戻った。

 クラスの女の子たちは、笑顔でボクを向い入れてくれた。でも、男の子たちとは、以前と同じ関係ではいられなくなった。

 男の子たちの学校での成績は、勉強、スポーツ、音楽や美術、ほとんどの面において、女の子たちより優れていた。

 女の子たちは、男は生まれながらにして女より能力が高い半面、女より長く生きられない。クロエ赤斑病は、神様が作った摂理なんだと考えていた。

 でも、この考えが間違っていることをボクは知っている。男の子たちは必死なのだ。大人になるまで生きていられるか分からない男の子たちは、この世に何かを残したくて必死なのだ。実際、ボクも男の子だった頃は、何かを残したくて、でも、何を残せばいいか分からなくて必死で生きていた。

 男の子たちの命はあまりに短い。

 高校に入学した頃は、クラスには二十人くらいの男の子がいて、男女比はほぼ一対一だった。だけど、二年の半ばには、男の子の数は十三人に減っていた。


 ボクが女の子になって以来、ボクとクラスの男の子たちの関係は以前とは違うものになった。クラスの男の子たちは、何故かボクを遠ざけるようになった。
 クロエ赤斑病で男の子が、一人、また一人といなくなっていくにつれ、クラスの男の子たちは、ボクに冷たくあたるようになった。

 ある日の放課後、ボクはクラスの男の子たちに、校舎の屋上に呼び出された。

 男の子たちは突然ボクの腕をつかむとコンクリートの床に押し倒し、力任せに制服を脱がせ始めた。ボクは声をあげて抵抗した。すると、男の子たちは平手でボクを殴った。誰かがボクの上に跨り、首を掴んで絞り上げる。世界が次第に霞み、耳鳴りと酷い頭痛がした。

 気が付くとボクは揺れていた。

 ボクの体には杭が打ち込まれ、ボクは男の子の体の動きに合わせて揺れていた。けれど、ボクの体は麻痺してしまったのか、もう、それ程痛みは感じなかった。

 こんな状況にも関わらず、何故かボクの意識はとても醒めていた。男の子たちは、どうしてボクに非道い屈辱を与えるのだろう? 男の子たちは、どうしてこんなに怒っているんだろう? そんな疑問が頭の中で無限のループを描いた。

 そうだ。

 男の子たちは、不安なんだ。自分たちが、いつまで生きられるのか?

 いつ発病するとも知れないクロエ赤斑病の恐怖で、男の子たちはどうしようもなく不安なんだ。だから、男に生まれながら、クロエ赤斑病の恐怖から逃れることが出来たボクに、行き場のない不安と怒りをぶつけたんだ。男の子たちの目には、ボクは裏切り者のように映ったんだろう。

 ボクは男の子たちのしたことを許せなかった。その一方、ボクは男の子たちに対して罪悪感にも似た気持ちを覚えた。

 何故ボクだけが助かった?


―― scene 3 ――


 高校三年生の春、ボクの最も恐れていたことが起った。
 ナナミが発病したのだ。


 夜久七海は最も仲のいい親友だった。ボクとナナミは共に軽音部に所属し、一緒にバンド活動をしていた。ナナミはとてもいい奴だった。ナナミはよくしゃべる奴で、しょっちゅうジョークを飛ばしていた。ナナミのおしゃべりは周囲にいる者を楽しい気分にさせた。

 ナナミの声はハスキーで、独特の魅力があった。ナナミは高い歌唱力と独特の魅力を備えたボーカルであると同時に、優れた作曲家でもあった。ナナミは歌っている時としゃべっている時以外は、いつもキーボードに向かい、溢れ出るメロディーと詩を譜面に書き留めていた。


 ボクは時間を見つけては、ナナミを見舞いに病院へ行った。

 日々痩せ衰えていくナナミの姿を見るのは辛かった。生命に溢れ逞しかったナナミの体が、少しずつ赤斑に蝕まれていくのを見るのは辛かった。

 ナナミは背が高くてとてもハンサムだし、歌も上手かったので、女の子たちにとても人気があった。ナナミの病室には色々な女の子が見舞いにやってきた。
 そんなある日、病院にやって来たボクは、ナナミのファンらしき女の子が泣いているのを目撃した。女の子はナナミの目の前で、ぼろぼろと涙を流していた。

 涙には過去を洗い流す力がある。

 この女の子にとっては、ナナミはもう過去の人になりつつあるのだろう。そう思うと、ボクはこの女の子に激しい怒りを覚えた。ナナミを生き埋めにするような涙に、握った拳が振るえた。気が付くとボクは廊下で、その女の子の頬を平手で張り飛ばしていた。

 ボクは泣いたりなんかしない。涙を流して悲しむのはもっと後でいい。


 ナナミの病状が悪化すると、女の子たちはあまり見舞いに来なくなった。ナナミはあまりしゃべらなくなった。ボクは何か話し掛けようとしたけれども、うまく言葉を見つけられなかった。ナナミはボクの顔を見て呟くように言った。

「俺さ、少し年の離れた兄貴がいたんだよ」

 ボクはだまってナナミの言葉に耳を傾けた。ボクにはそれしか出来なかった。

「俺さ、兄貴が死んだ時、俺はどうしてこの星に生まれたんだろう? どうして男なんかに生まれたんだろう? って思ったんだ」

 ボクにはナナミの気持ちが痛いくらいに分かった。

 この惑星の男の子たちは、多かれ少なかれ自分が男として生まれてきたことを呪っていた。あるいは、この星に生まれてきたことを呪っていた。

 ボクは、ボクの身に起った何十万分の一の幸運が、ナナミにも起るよう祈った。


―― scene 4 ――


 真夜中、突然ボクの携帯が鳴った。

「……もしもし?」
『…………アスカ、……俺だ』

 電話はナナミからだった。ボクは一瞬、心臓が停止しそうになった。なぜなら、携帯から聞こえるナナミの声が消え入りそうなほど弱々しかったからだ。

『………アスカ、……お願いだ。……俺を、この病院から……連れ出してくれ』
「……でも」

 ボクは一瞬、どう答えていいか言葉に詰まった。

『………俺は、こんな所で死にたくない。……まだ、やりたいことがあるんだ。……お願いだ、アスカ』
「……分かった。すぐそっちに行く」

 携帯を切ると、ボクはすぐに友達の女の子たちに電話をかけ、ナナミを病院から連れ出す手伝いを頼んだ。みんな快く引き受けてくれた。


 三十分後、女の子の一人が急病を装い、ボクたちは女の子の付き添いとして病院に潜入した。

 ボクは走り出しそうになる気持ちを押さえつけながら、ナナミのいる病室へと急いだ。

 病室の扉を開けると、ナナミはベッドの上で起きてボクたちを待っていた。窓からは月光が差し込み、部屋を蒼く照らしていた。月光に浮かぶナナミの身体は朧げで、向こうが透けて見えるようだった。

「………来てくれると、……信じて、いたよ。……アスカ」
「………うん」

 ボクは胸が詰まって、頷くことしか出来なかった。

 ボクは、もう一人の女の子と二人がかりで、ナナミの身体を車椅子に移し変えた。ナナミの身体は思いのほか軽く、それがまた悲しかった。

 廊下へ出た途端、ボクたちは巡回中の若い看護婦に出くわしてしまった。もう一人の女の子が、咄嗟に若い看護婦を突き飛ばした。ボクは非常出口に向かって車椅子を猛然とダッシュさせた。背後から、若い看護婦が金切り声で何かを叫んでいるのが聞こえた。


 駐車場でナナミを車に乗せると、ボクたちは急いで病院を後にした。
 ボクはとても冷静ではいられそうになかったので、車の運転は他の女の子に交代してもらった。

「……ナナミ! 何がしたいんだ!? どこへ行けばいい!?」
「…………ピアノが弾きたい。………学校に、行って……」

 ナナミは喉から搾り出すように言った。

 学校に到着するまでのしばらくの間、車内には女の子たちのすすり泣く声が響いた。ボクは涙をこらえるので精一杯だった。


 校舎内にある音楽室は戸締りが堅くて入れそうにないので、ボクたちは体育館の舞台にあるグランドピアノに向った。一番小柄な女の子が、通風用の小窓から中へ忍び込み、鍵を開けてくれた。

 鍵盤の前に座ったナナミは、しばらくの間目を閉じ、細い呼吸を繰り返した。
 そして、静かに鍵盤に指を乗せた。

 弱々しい音色。
 儚い音色が、ひとつ、ひとつ、と講堂に響いた。

 しかし、その音色が少しずつ繋がり、
 美しい旋律を生み出していく。

 旋律に新たな旋律が重なり、
 複雑に絡み合いながら、力強い音楽へと変化していった。

 それは、あたかも消滅しようとしている生命が、最後の輝きを放っているようにボクには聞こえた。音楽はさらに激しく、力強いものに変化し、いまや命そのものになった。ナナミの歌が重なる。


  太陽の光を受け、朝靄を貫いて、
  止めどなく溢れる花
  悦びの日にも、悲しみの日にも
  寄せては帰す波

  若木が芽吹けば、花を咲かせ実を結ぶ日の
  遠くないことを、

  まるで回るMerry-go-round
  たとえ崩れ落ちたとて
  また、花となるだろう

  溌剌として、豊かな美しさを愉しみ、
  愛の優しい柵で、あたりを包む
  揺らめく仮象となって漂うもの、

  かぐわしき薔薇の花、
  浮々と漂いて、密やかに蘇らせ
  蕾より咲き出ずる薔薇の花よ、
  急ぎ花咲け

  まわれ、まわれMerry-go-round
  たとえ枯れ落ちたとて
  また花となるだろう

  Like a merry-go-round
  季節が廻るように、

  また、いつか、
  どこかで出会えるだろう


 ナナミの歌が終わっても、誰も何も言葉を発さなかった。何も言えなかった。気が付くと、ボクの頬を熱い涙が伝った。うまく言葉には出来ないけど、その涙は、けっして悲しみの涙なんかじゃなかった。

 その後、病院の通報によって駆けつけた警察にボクたちは逮捕され、ナナミは病院に連れ戻されてしまった。

 三日後、ナナミは息を引き取った。


 何故ボクだけが助かった? という問いは、何度となく繰り返した。でも、いつだってこんな問いに答えは出ない。きっと、どれほど優れた物理学者や哲学者にだって答えは見つけられないだろう。

 しかし、それでもボクは生き続ける。生き続けて、蝉や蛍のように、ほんの短い時間しか生きられない男の子たちを、ボクのすべてで愛そうと思う。

 それが、ボクが男の子たちに出来る唯一のことなのだから。


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