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少年少女文庫・リレー小説実行委員会主催...


小さなお守り







最終章 思い出のお守り





                 最終章担当: 日比野さん




 武子は一人富等津の町を歩いていた。
彼女が水富湖市に帰ってきた日から一週間。引っ越しを終えた武子と啓作は水月、富等津、湖有の三つの町のほぼ真ん中に腰を据えていた。
今日は夫の啓作が、昔通っていた富等津町の中学と高校の友達に会うことになっていたので、武子は気を利かせて一人で散歩というわけだ。
もう帰ってきてから何度も富等津や水月、湖有の町を歩いたが、何度見ても懐かしくて愛しい気持ちになっていく武子。
しかし、まだ行っていない場所もあった。

 一時間くらいして、彼女は年の割りに少し歩きすぎたのか、近くにあった公園で休むことにした。
その公園は広場が大きく、砂場とのぼり棒とうんてい、さらにはジャングルジムが置いてある。
逆に公園に定番の滑り台やシーソー、ブランコなどはどこにも見当たらない。
しかし一番の特徴はなんと言っても、入り口にある富等津大公園と書かれた台の横の一つの石碑だろう。
<水富湖市立富等津小学校卒業生 水沢達也 旧校舎を子供達のために公園にす 平成20年 3月9日>
そういえば昔ここは小学校だったわね、と武子は思った。
自分の母校がなくなってしまった事は悲しいが、こんな形で今でも子供達に利用されているのはなんだか嬉しかった。
武子は石碑の前でボーっとしていると、後ろにはなぜか大きな鏡が貼り付けられていることに気がついた。
その鏡は吸い込まれるような禍々しさがあったが、なぜだかその場から離れられないような魅力も含まれていた。

 大きな広場の端でベンチに座り、一息つく。
そこにボール遊びをする男の子が四人いた。
彼女の子供時代に比べると外で遊ぶ子供の数も減り、遊ぶ子供自体も減っていると思っていた。
だが反面この子供達を見ていると、仕切る子供ありそれに従う子供ありで、いつの時代もこういう構成は変わらないようね、と武子は思った。
遊びを仕切っている子供を見ていると、昔の自分を見ているようで彼女はその子を目で追っていた。

 その後も、武子は時間を持て余していた。
一度は立ち上がり湖有の町をぐるりと見て回ったが、それでも啓作との約束の時間まではまだまだあった。
結局、また同じ公園に休みに来ていた。
空は夕方を示す赤に変わり、公園の街頭が煌々と輝いていた。
「そろそろ帰らないと、母さんに叱られちまう」
先ほど仕切っていた男の子の声が聞こえて、子供達はそれぞれ家に帰る頃だとわかる。
仕切っている男の子の白泉 守(しらいずみ まもる)は、髪はショートカットで肌は雪のように白く、外見は女の子と見まごうほどかわいい。
そんな守達に、武子はまた自然と目を向けていた。
「もうお前等と遊べなくなるのも、残念だな」
守の言った言葉に対して、他の三人がそれぞれ答える。
「守、ぜってーまた遊ぼうな!」
「守君、また会おうね」
「僕も……守君と、また、会いたい」
「なに言ってるんだ、俺は隣の湖有町の学校に転校するんだ。いつでもまた会えるさ」
そう言って、守はポケットに手を突っ込んだ。
「啓吾!」
「なに?」
啓吾というのは、四人の中で一番気が弱い男の子だ。
川澄 啓吾(かわずみ けいご)は守とは幼馴染の関係で、四人の中でも特に仲が良かった。
啓吾の容姿は体が小学生とは思えないほどガッチリしていて、顔つきも男の子というより男に見えた。
「お前、俺がいなくなったら、きっとまたいじめられるぞ」
「え、そうなの? 嫌だなあ……」
こういう会話を聞いていた武子は、この二人はあべこべみたいと思った。
武子は引き続き守と啓吾を見守っている。
「もしいじめられたら、そのときは今までの特訓の成果を見せてやれ!」
「え、む、無理だよお」
「今度は中学生になるんだぞ! お前が一人でがんばれ! でも……」
「でも?」
「どうしてもダメになりそうだったら、俺が戻って来れるように祈っておくんだな」
守はポケットに突っ込んでいた手を抜いて、啓吾の前に出した。
何かをつかんでいるようだった。
「お守り? 僕にくれるの?」
守がつかんでいた物が、武子の目に飛び込んできた。
今まで静かに遠くから様子を見ていた武子だったが、急いで子供達に近づいていく。
「な、なんだよ、おばあさん」
武子は守の言葉に少しムッとした。年は60を越えていたが、それでもまだ若さには自信があったのだ。
それはさておき、武子は子供達にそのお守りを見せてくれるよう頼んだ。
「別に見せるだけなら構わないけど」
守は啓吾に差し出した手を武子の方に持っていった。
「ほら」
武子の予想通り、お守りの左下が黒く焦げていた。
それは数々の不思議な現象を引き起こしてきた、神秘のお守り。
武子は守にそのお守りの不思議さを語った。
そしてあまり持つべき物でもないと言った。
「なに言ってんだおばあさん。これは啓吾にやるんだ。俺の代わりの守なんだ」
子供達は聞かなかった。
他の二人にの子供は一緒に反対し、啓吾は武子のスカートの裾をつかんだ。
「ほらみんな行くぞ。じゃあな、おばあさん」
武子は子供達を見送るしかなかった。特に危険性があるというわけでもない、と思った。
武子の目に、お守りを力いっぱい握りしめている啓吾が写った。

 平成21年、春の出来事である。

 

 「守! 早く起きなさい! あんたも今日から中学生なのよ」
「もう起きてるよ」
男の子とは思えない高い声で答える。
今日は入学式。
ベッドから跳ね起きて、真新しいブレザーを少し恥ずかしながらも着る。
リビングにある姿見で自分の姿を見ると、不自然さがにじみ出ているように感じる守。
白泉家は春休みに富等津町から湖有町に引越したばかりだ。
守の性格は活発なのだが、人見知りをひどくする傾向がある。
中学校とはたいていの場合は小学校の延長上にあり、人見知りなど関係がないはずなのだが、守の場合は一人も友達はいない。
彼は未開の地へこれから踏み込もうとしているのだ。

 通学路に見える慣れない景色がさらに守を不安にさせていた。
硬くなりながらも初めて学校に入り、入学式が行われる体育館を探す。
「ねえ君、道分からないの?」
急に声をかけられる守。
「へ?」
今までの緊張のせいか、とぼけた声を出してしまった。
「新入生だよね。体育館はこっちじゃないの。反対のあっちの方」
話しかけてきた女の子が今まで自分が歩いていた方と反対の方角を指す。
「あ、ありがとうございます」
「気をつけてねっ」
駆け足で体育館に向かう守。
そのとき、鞄の脇ポケットから何かが落ちた。
「あ、ちょっと待って。落し物!」
女の子の声は、すでに守には届かなかった。
「これって生徒手帳よね……。白泉守君かあ、なかなかかわいかったわね」

 その後も守は緊張が解けることもなく入学式を終えて、新しいクラスで集まったときも誰とも話さずに黙り込んでいた。
その後、一人ぽつぽつと家路についている。
守の不安は増すばかりであった。
「何で引っ越すのかなあ……」
意味もなく独り言を言ってみたりする。
「あっちの中学でも入学式か。啓吾の奴、大丈夫だろうか」
「まあ人の心配してる暇もないか」
声を出せば少しは気分が晴れるとは思ったのだが、変化はあまりなかった。

 太陽の光がギラギラと照りつけていて、春だというのにかなり暑い。
最近は温暖化が平成15年の頃よりも進んでいて、この日は夏日だったそうだ。
そんな暑さも、今日の守には堪えた。
「あーもう、てめえがんばり過ぎなんじゃねえのか!」
守は太陽に向かって叫んだ。
気のせいか、太陽が少し揺れたように思った守。
太陽は揺れるわけはないのだが、これがなかなかどうして、子供の優越感を満足させるものだった。
さらにいろいろな罵声を浴びせてみる。
「へ、暑苦しいんだよ、この熱血馬鹿!」
明らかに守の方が熱血馬鹿である。
また太陽が揺れたような気がする。
「お、気にしてんのか。ケンカならいつでも買うぞ! 降りて来い」
今度は太陽が、はっきりと揺れた。
「え、ちょっと待て」
ありえない事態に守は動揺した。
太陽は揺れるばかりか、その高度を下げてきたのだ。
「うわわわわ! ちょっと、ちょっと待て」
ついに太陽は守と接触した。

 守は静かに目を開いた。
一瞬死んだかと思ったが、辺りはなんの変化もなかった。
太陽もしっかり空で輝いている。
「ちっ、驚かせやがって」
と言いながらも心臓はバクバクしている。
正体不明の光に襲われたのは、かなり怖かったらしい。
深呼吸をして、心臓を落ち着かせながら家に帰った。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「ちょっと、疲れた。昼寝するから、一時間後に起こしてくれない?」
「いいわよ。あ、また人見知りしたの?」
「まあね」
「そんな性格なのにねえ」
まだ慣れない家の構造を思い出しながら、階段を昇って自分の部屋に入る。
「ふー」
ため息を吐きながらベッドにドサッと横になる。
ちょうど顔が全身を見渡せる場所にきていた。
守は驚いて、そのまま目が止まった。
まず目に入ったのはふともも。
ズボンを履いていては決して見えることのない場所なのだが、守の目はしっかりとそれを捕らえていた。
その上には膝が見えていて、さらに10cmくらい上にチェック柄のスカートがある。
続いて上半身は緑色のブレザー。白いワイシャツが覗いていて、そこにちょこんとリボンがついていた。
「なんで?」
守の頭には、なんで? としか浮かんでこなかった。
なんで自分が女の子の制服を着ているのだろうと。
その時ノック音が聞こえて、母親が扉の向こうで言った。
「言い忘れてたけど、制服はちゃんと着替えてから寝てね。まもりちゃんは女の子なんだから、身だしなみはキチンとしなきゃだめよ」
「ちょおっと待った!」
母親が扉を開けて入ってくる。
「なあに? そんなに大きな声出して」
「あのさあ、なんかのいたずら?」
母親の手が、守の額に乗る。
「熱はないみたいね」
「こっちが確認してえよ! この格好はなんだ!」
「"してえよ"ですって? ああ、またかわいいまもりちゃんが男言葉を……」
「だ・か・ら、俺は男だし……ふがふが」
守の口が押さえられた。
「もう今さら何言ってるの、あなたは女の子でしょ。ほら」
母親が守の服を脱がし始めた。
守はもう何がなんだかわからなかったので、されるがままだった。
「これはなに? 早く下も脱いで、着替えて寝てちょうだい」
そこにはまだちょっと小さいながらも、はっきりと二つの膨らみがあった。
「え?」
この後、守は文字通り眠ってしまった。

 「夢じゃなかったんだな」
守が母親に起こされて、最初に言った言葉だった。
ふとんを剥ぐとスカートを履いている自分が見えて、初めてそれを恥ずかしいと思った。
起こしに来た母親から無理矢理いろいろな話を聞いて、守は今どういう状況かを知った。
結論は、なぜか自分が女の子になってしまっていること。
そして家族が守は初めからずっと、女の子の"まもり"だったと信じきっていることだった。
なぜこんな事になっているのか未だにわからなかった守だが、何もしないでいるよりも、なんとか今の状況をもっと正確に把握しようと考えた。
まず机に置いてある、顔がやっと映るくらいの鏡を見る。
顔に変化はあまり見られなかった。髪は少し伸びていたが、そこまで前の髪型とは変わらない。守は少し安心した。
次に体を隅々まで確認してみるが、そこには女になってしまった事実があるだけだった。
一番守にとってショックだったのが、男の頃には細いながらも腕や足に見えない筋肉がついていたのだが、それがぷにょぷにょの贅肉に変わってしまっていたことだった。

守はふと時計に目をやった。針は6時を指している。
突然の出来事に、守の頭はショート寸前になっていた。
いくら考えても原因はわからないし、戻る方法だって思いつかなかったのだ。
開いていた窓から風が吹き込んできた。
温暖化が進んでいるとはいえ、母親に脱がされてから上半身裸のままだった守には少し寒かったようだ。
無意識に両手を体の前で組んで、強く体に引き寄せた。
「わ!」
両腕に柔らかい感覚が走り、胸には今まで感じたことのない物を覚えた。
「くそ」
自分の体を再度見下ろすと、肌が赤く火照っているのがわかる。
さっきまで肌寒さがどこかへ行ってしまった。
体と共に目に入ったスカートを見て、守はふと新たな考えが浮かんだ。
「あ、学校……」
それはあの学校で、女として過ごさなければならないということ。
男のときでも人見知りをしていたのに、自分はこの姿で通えるのだろうかという不安。
守はなにか学校に行かなくてもいい方法はないかと、いろいろ部屋を見回す。
しかし現実は自分が履いているスカートと壁にかかっているブレザーなど、今日女の子が着ているのを見たものしか写らない。
それ以外は今朝と変わりがなかった。
「まもりちゃん、ご飯よ」
守はご飯を食べるような気分にはなれなかったが。
「いま行く」
どんな気分でも腹は減るようだ。
タンスに入れてなかったTシャツを着て、部屋を出た。
スカートは履いたまま。脱ぐ着替えはまだしたくなかった。
途中階段を降りているとき、誰もいなくても必死でスカートの裾を押さえた。

 「ねえ、まもりちゃん」
夕飯のハンバーグにかぶりついているとき、母親が話しかけてきた。
無視するのはよくないと思って"まもり"という名に答えた。
「なに?」
このときに、自分の声は変わっていないことに気づいた。
「今の学校、通うの大変じゃあない?」
「そりゃあ……ね」
「やっぱりまもりちゃんは女の子でしょう。人見知りもするし、友達ができなかったらって思うのね。ほら、今日もそうだったじゃない。だから……」
「だから?」
「昨日お父さんと相談してね、富等津町の中学校に入ってもいいんじゃないかって。ちょっと遠いけどね。どう?」
来た! とまもりは思った。心の中でガッツポーズする。
「うん、そうする!」
これ幸いと、力一杯返事した。
「そうよねえ、やっぱり昔の友達と一緒のほうがいいわよね。あ、それにまた啓吾君とも会えるわよ」
「やっぱり行かない!」
「……急に、どうしたの?」
母親は目をパチクリさせている。
「どうもこうもなくて、行かないったら行かない! 俺は今の中学校に通うからね!」
そのまままもりは階段を駆け上がり、自分の部屋に入った。
「冗談じゃない! 前の学校に戻ったら啓吾達にこの姿を見られるじゃないか。ああ、もう八方塞だよ!」
その後考え疲れたのか、まもりは早めに寝てしまった。

 朝起きて、寝癖を直すのが少し面倒になっていることに気づく。
「ま、これでいいか」
後ろの方にまだ立っている髪があったが、まもりは気になどしなかった。
「顔は変わってないのに、女の服を着ると女に見えるんだよなあ」
自分がボソッと言ったセリフに結構傷ついてしまうまもりだった。
「まあ、今はそういう顔が流行っているしな。うんうん」
「まもりちゃん! 遅刻するわよ」
「今行くよ」
ついさっきまでベッドの中で起きるのを渋っていたので時間がない。
ブレザーを羽織るのにも戸惑っていたのもあるが。
ちなみにスカートは昨日から履きっぱなしでしわが目立っていた。
「行ってきます」
実際まもりは今日学校を休もうとした。
しかしあとあと自分の首を締めるだろうと思って、なんとか登校する決心をしたのである。
外に出て、少し違う空気が露出したふくらはぎに触れて、ドキドキした。
「誰かに見られてないよな」
人目を気にしながら歩く。
昨日の帰りもスカートだったのだが、気分的には今日が初めて外でスカートを履いて歩く日なのだ。
それでもスカートは腰で折ってあったのを元に戻して、膝が隠れるくらいの長さにはしている。
「頼りないなあ……」
昨日よりも不安な心持ちのまもり。
「げ、前から人が来る」
なぜか近くの電柱に身を隠してしまう。
どうにかやり過ごしたが、そのときにちらっと横顔が見えた。
「あれ、なんか見た事がある人だな」
その声におばあさんは振り向き、まもりを見てはっとした。
「ま、守君、だったかしら?」
「俺の名前、わかるの?」
「ほら、富等津町の公園でお守りを見せてもらった」
まもりは啓吾達と別れるときに話しかけてきたおばあさんを思い出した。
「あ、あの時の。俺の名前がわかるなら、おばあさん、なにか知らない? なにがなんだかわからないんだ!」
「いいけれど、話すと長くなるでしょう。とにかく守君、今日は学校があるんじゃない?」
まもりは少し考えて。
「ねえ、おばあさん。名前は?」
「武子、吉村武子よ」
「今はもう行かなくちゃいけないから。だから、放課後……そうだな4時くらいにどこかで会えないかな? こんなこといきなり頼むのは図々しいことだけれど、力に、なって欲しいんだ。本当になにが自分に起こっているのか、わからなくて」
まもりは下を向きながら話した。
武子はこのとき、昔の自分を思い出した。あのときどんなに自分が心細かったことか。
「もちろんよ。じゃあそこに見える公園に4時でいいわね」
「うん、ありがとう武子さん。じゃ!」
まもりは、少し元気に学校まで歩いた。

 教室の扉に手をかける。
心臓がドンドン高鳴っていく。
武子に会った後歩いて学校に来たので遅刻してしまったのだ。
遅刻するとは途中で気づいたのだが、スカート姿で走るよりかはマシだと思ったのだ。
教室内からはすでに先生の声が聞こえている。
まもりは逃げ出したくなった。
このまま教室に入れば注目を浴びることは必須だし、自分は昨日と姿かたちまで変わってしまっている。
「ちょっと、早く教室に入りなさい!」
勝手に扉が開き先生が現れた。扉についている窓からまもりの姿が見えたのだろう。
「白泉さん、二日目から遅刻とはだらしがないですよ」
「はい、すいません」
頭を下げてまもりは答えた。
先生はまもりが女でいることに特に関心を持たなかった。
その後の教室の反応も、特に変わったことはない。
まもりはまず安心して、そのあとがっかりもした。

 今日の授業は学校紹介。そして午後は、部活のオリエンテーションなどが続く。
人見知りをする人はだいたいこういうイベントで孤独感を味わうことになるが、もちろんまもりもその一人だ。
先生の後に名前順に並んで歩く生徒達。
ところどころで話し声が聞こえるので、すでに友達が出来た生徒もいるようだ。
俺にも話しかけてくれよ、とまもりは思うのだが、そういう風に思っている人はだいたい話しかけづらいオーラを出しているものだ。
「しーらいずみさん! 今日なんで遅刻したの?」
……とまあ、そんなオーラを吹き飛ばすような奴もたまにいる。
「うん、まあちょっとな……」
聞かれた質問がアレだったこともあって、せっかくのチャンスを棒に振るまもり。
しかしこの男の子は気にもしなかった。
「いろいろ複雑なんだねえ。うんうん。あそうそう、俺の名前は佐伯 海良(さいき かいら)ってんだな。かいっちとでも呼んでくれ」
ぼさぼさの髪の中に手を突っ込んで、ボリボリと頭を掻いた。少し猫背でまもりよりも背が低い男の子だ。
「かいっちは無理かなあ」
まもりはなんだかホッとして、笑った。
「うーん、さっきまでみたいにオドオドしているのも男心をそそるけど、やっぱ笑ってた方がいいね」
「ありがと」
まもりは嬉しい反面、恥ずかしくなった。
「おっと、また口が悪いのが出ちまった。いけねいけね」
「顔も悪いんじゃないのか?」
一度仲良くなれば、逆に話の主導権を取っていくのがまもりだ。
「な、なかなか言うね」
「俺も口が悪いのが性分でね」
「おれえ?」
「なに?」
少し海良を睨んだ。
「いやあのさ、俺なんて白泉さんには似合わないでしょ。まあかっこいいけど」
「じゃあいいだろ。あ、俺のことは"守"……じゃなくて、"まもり"でいいからさ」
「じゃ遠慮なく。まもりちゃんさあ、言葉使いも悪いしよね。絶対変えた方がいいって」
「ふん、考えておくよ。それと"ちゃん"はやめろ」
早速意気投合してきている二人。
言葉使いに関しては、まだまだ男に戻る気のまもりには直すことなど考えられなかった。
その後午前中の間はずっと海良としゃべっていて、お昼も一緒に食べることになった。
「でもいいの? まもりさんは女の友達とかと食べなくて」
「女ってちょっと苦手で」
小学校の中では、男女水入らず(?)で仲の良い学校も多いはずだ。
しかしまもりの小学校では高学年になると、男の子と女の子のグループが別れ始めて、まもりはついに六年生では女の子の友達は一人もいなかった。
女の子が苦手というより、無意識の内に拒絶してしまっていると言った方が近い。
「ぷ、それおかしいな。まもりさんも女なのに」
ちょっと落ち込むまもり。
「え、あれ? 俺なんか変なこと言った?」
「いや、別にこっちの事情だから。海良の方も男の友達と飯、食わなくていいのか?」
「野郎と食うよりかまもりさんと食った方がいいでしょ」
「女が好きなのか?」
「え! いや、そういうわけじゃないんだけどなあ」
こんなことを言っているが、すでに海良は多くの人と仲良くなっていた。
お弁当を開きながら海良が話を続ける。まもりの弁当箱は母親のせいか、かわいい物に変わっていた。
「そうそう、午後からは部活のオリエンテーションだけど、なんかまもりさんは部活とか入んの?」
「いや、特に」
自分の事で今は精一杯でそんな暇はない、とまもりは心の中で言った。
「俺はサッカー部かな」
まもりも小学校では町内のサッカークラブに所属していた。
もしこんな事態になっていなければ、まもりもサッカー部に入っていたかもしれない。
「俺もサッカーは好きだけどな」
「珍しいね。そうだ俺、まもりさんと似たような名前の奴知ってるぜ。俺さ小学校の頃に湖有サッカークラブに入っててさ、そのとき富等津になんかやたらめったら強い奴がいて、そいつが確か……」
「そそそそ、そんなことより、午後はどうする? ちょっと他の奴にも俺を紹介してくれないかな? 友達になりたいし」
まもりは冷や汗をかいていた。
富等津サッカークラブのエースこそ、まもり本人なのである。
理由は分からないが、自分が守と同一人物だと知られるのに拒否反応が出たのだ。
まもりは必死になって、その事を忘れてもらおうとする。
「そんな対した奴がいるわけでもないし、(それに俺もヤダし……)。それでさっきの続きだけど」
「でも俺結構人見知りしてさ、このままじゃ友達出来ないんだよね。それは困るし」
ちらっと横目で海良を見つめる。
「うっ。そ、そっかー、それじゃしょうがないなー(ホントは嫌だけど)。でもそれだったら、今みたいに"俺"は止めた方がいいんじゃない? 俺は気にしないけど、気にする奴もいるっしょ。まもりさんに合うのは"私"とかじゃない」
「……いや、うん。まあそう、かもね。なるべく、そうするよ」
「わ、ホントに! さっきは断ったのに。うん、そっちの方が絶対いいって」
まもりは断れなかった。断ったら、また話題を戻されるかと思ったからだ。
その後、オリエンテーションの時に男の友達と女の友達を数人紹介されたのだが、なし崩し的に"私"と名乗ることになってしまった。
しかしこの海良との会話は、思いがけない物をまもりにもたらしていた。
守の存在自体は消えていないことにまもりは安心したのだ。

 「なんとか一日を終えられた」
海良が一緒に帰ろうと誘ってきたが、用事があるからと断った。いや、本当だから仕方がないだろう。
学校から帰る足で、約束の公園へと向かう。
疲れてはいたが心持ち明るい足取りであった。
武子は公園の端のベンチに座っていた。
まもりは近くに駆け寄っていく。武子も立ち上がった。
「武子さん。待ちました?」
「わたしが予定より早く来ただけだから、気にすることないわ」
「あの、早速なんですけど、俺は元に戻れるんですか?」
まもりは焦った口調で言った。
「単刀直入な質問ね。……まあ、わからなくはないわよ。でも、まずは落ち着いて」
対照的に武子の声は安定していて落ち着けるものだ。
「はい、すいません」
「礼儀正しいわね。じゃあ、とりあえず座りましょう」
公園のベンチにまもりも腰掛けた。
「守君はなんでわたしにそういう質問をするのかしら?」
「なんでって! だって俺の名前分かったし、なにか知ってそうだから!」
「ほら、一番大事なのは取り乱さないことよ、守君。まずはあまりこういう話を人に簡単にしないこと。信じてもらえると思う?」
「いや、俺だって信じられないけど」
「だったら他人はもっとよ。わたしはもちろん事情を知っているけど」
「知ってるんじゃん」
「皮肉にならない」
コツンとまもりの頭を人差し指でつついた。
「信じてもらえないと守君はただの嘘つきになっちゃうし、ひどいときだと精神科とかに連れて行かれちゃうのよ」
武子はしみじみと語った。
「わかった?」
「はーい」
だんだんとまもりの口調が落ち着いてきている。
「元に戻る方法を聞く前に、なぜ自分がこうなったのかを聞かなくちゃ始らないわ」
「うん、じゃあなんでですか?」
「あのお守りの力よ」
「あの話、本当だったの?」
「やっぱり自分の身に降りかからないと、信じられないわよね」
「今の時代じゃあ、到底考えられないです」
「人間が知っていることなんて、まだまだ小さいってことよ」
まもりは武子をじっと見た。
「なに?」
「なんだか武子さんって、悟りを開いてるみたいだ……」
まもりはちょっとした尊敬の眼差しを向ける。
「そんなんじゃないわ。ただ気づくだけよ、この歳にもなるとね」
ふふふ、と口に手をあてて笑う。
あの時に武子はなるべく詳しくお守りについて話したので、まもりは大抵の事はそれでわかった。
「それじゃあ、啓吾がなにかしたってこと?」
「そう、おそらく啓吾君が、守君に戻ってきて欲しいって願ったのね」
「そうか……。中学校が始まって、早速啓吾がいじめられたのかもしれない。でも、なんで俺が女に?」
「それは、啓吾君が具体的にどういうお願いをしたか、ね。現にそれで元の学校に戻れるようなことが起きなかった?」
心当たりは十二分にあった。
「バッチリ起きた」
「でしょ、これがあなたが女の子になった理由だけど、戻る方法があるとすれば……わかるでしょ?」
まもりは頭を横にした。
「もっと考えてみて」
「あ、お守りをもう一度使えばいいんだ」
「大当たり」
「ダメだ!」
まもりは立ち上がった。
「どうしたの?」
「だって、それって、啓吾と会うってことだろ?」
まもりの言葉がまた荒くなっている。
「それはそうね」
「無理だよこんな姿で。会いたくなんかないよ」
武子も立ち上がり、まもりの肩を抱いた。
「逃げちゃダメよ。お守りは使った人以外、前の状況を知らないようにできてると思うの。だから、啓吾君以外は女の子の守君しか知らないのよ。それじゃあ、何をするにしても始らないもの」
「でもでも、無理だって」
「そうやってすぐに答えを出さない。まずは、ゆっくり考えることね」
「……うん」
公園の電灯がついた。
「もう遅いから今日は帰るよ。ありがとう武子さん」
「4時には散歩でここに来るようにするから、なにか聞きたいことがあったら、ここに来るのよ」
「うん、ありがとう」
まもりは家路についた。
武子はその後ろ姿を見守っていた。
「逃げるな、か」
「あなた」
木の陰から啓作が姿を見せた。
「用事があるって深刻そうな顔して出ていったから、なにかと思えば」
「あら、なんですか」
武子がいつもの顔を啓作に向けた。
「いやいやなんでもないさ。自分だって同じだったのではないのか?」
「うるさいわね」
「おやおや、じゃじゃ馬武子に逆戻りかい」
「お節介よ!」
二人は久しぶりにじゃれあった。

 まもりは悩んでいた。
もちろん啓吾に会うかどうかという件のせいで、ここ二日は寝不足というのは当たり前。
それだけでなく、海良に紹介された友達とまだ一対一で話したことがないのが問題だった。
隣の席にも紹介された友達が座っているのだが、その子は女の子で自分から話しかけるなんてできなかったし、また男の子は男の子で対応もなんだか小学校の頃とは違っていて、やっぱり海良以外の友達が出来ないでいた。
隣の席の子は柊 さやか(ひいらぎ さやか)という、小柄で顔も小さい、少しくせっ毛の髪をいつも気にしているかわいい女の子である。
まもりは初めての英語の授業中、ちらりと横目でさやかの様子を伺うが、授業に集中しているらしく話せる雰囲気ではない。
余談だが現在でも英語の教科はまだある。しかし昔の授業形態とそれはかなり異なっている。
昨年、完全に英語を日本語に訳せる機械が開発されて波紋を呼んだのだが、それはそれ、これはこれなのだ。
英語には英語にしかない意味がある、いや、実際訳すという行為自体が何か間違っているのではないか、という方針に英語の授業が変わってきている。
英語の意味は英語でとるのが一番、ということで、現在は概略だけ日本語で授業を行い、それからは全て英語で授業を行うことになっている。
まもり達は最初の授業なので、先生もまだ日本語で話している。
「さ、教科書の3ページを開いてください」
とりあえず今は授業を受けておくことにするまもり。
「あの、白泉さん」
隣から声が聞こえてきた。
同時に、肌色の細くてかわいい指が伸びてきた。
「教科書見せてくれない?」
「お、お、わ、私……の?」
「名前呼んでるでしょ。今日さ、うちのお姉ちゃんが間違ってあたしの教科書持っていっちゃって。いいでしょ?」
「ま、ま、あ。悪くはないけど」
どうしても素直に対応できない。
「じゃ、見せてもらうわ」
さやかがまもりの机と自分の机をくっつける。
まもりがその真ん中に教科書を……なかなか置かない。教科書を見せる場合、これは一種の流れ作業と言ってもいい。
しかしまもりは、なかなか置けない。
「よいしょっと」
さやかの手が伸びて、勝手に教科書を置く。
「か、勝手に人の教科書を動かすなよ」
「ちょっといい加減にしてくれない!」
バンと机を叩く音と共に、さやかの声が教室に響く。
「あたしそういう態度とられるのって、だっい嫌いなの!」
立ち上がっていたさやかはまもりを見下ろすように言った。
「そこの、えーと、柊さん。静かにして頂戴。授業中ですよ」
「あ、はい。すいません」
お辞儀をして謝り、さやかが申し訳なさそうに座る。まもりはさやかに話しかけた。
「柊さん、今のは私が悪かった。ゴメン。でもな、柊さんも悪い」
ハプニングに乗じて普通に話しかけることができた。
「そうね……、自分でも思ってるわ。こういう性格なの」
「でも、そういうのもいいと思うな」
「普通に会話をしてくれるとあたしも嬉しいわ」
二人して顔を合わせて笑ったが、周りのクラスメイトは不思議そうに見ていた。
まもりは強気な態度や自分の意見を隠さず言える人の方が対応しやすく、またそういう性格の人は好感が持てた。
さやかもヒステリーを起こしやすい性格なので、まもりみたいにそれを許してくれる人でないと敬遠されがちだった。
授業が終わった後に二人。
「まさか、白泉さんが人見知りするだなんて」
「言ってないからわかんないよな、見た目とは違うってよく言われるし」
「でもあたし達仲良くなれそうね!」
さやかはにこっと笑った。
「たはは」
まもりは少し赤くなって照れ笑いした。
「本当に顔と性格が合ってないのね、白泉さんって。男っぽいもの」
そう言うさやかはまもりよりも大人に見えた。

 「それで、よく人見知りするんだけど、なんとか友達が出来始めてる」
「良かったわね」
まもりは、武子に会い来ていた。
初めて会った日から会っていなかったので、二日ぶりということになる。
「学校生活は、なんとかなる……かもしれない、と思うんだけど」
「なんだか可能性が低そうね」
「まだよくわからないし。でも……」
「啓吾君の方?」
「うん」
まもりは下を向いた。
「焦らなくていいの。今は自分の生活で精一杯なんだから、それを頑張ればいいのよ。その問題がなくなったら、きっともっといい答えが見つかるわ」
「でもさ、それってやっぱりそれだけ長い期間啓吾と会わないってことで、それもちょっと啓吾が嫌がるかなって」
「嫌われちゃうかもって?」
「それもあるし、自分勝手かなって。会わないなら会わないで、それなりにそういう連絡はとった方がいいかと」
まもりは中学一年生ながらも、二日でいろいろなことを考えていた。
「いいじゃない、自分勝手で」
「え?」
少し驚いた表情を武子に向ける。
「守君は訳の分からない不条理にいきなり投げ込まれたのよ。少しくらい自分勝手でいいと思う。それに」
「それに?」
「今の守君の自分勝手は、全然自分の事だけを考えてるんじゃないもの。ちゃあんと啓吾君のことも考えて、それでも相手に一番迷惑がかからない方法を見つけようとしているもの」
「結局どういうこと?」
少し首を傾げるまもり。そんな仕草は、今となってはかわいい。
「守君の自分勝手は、啓吾君のためにもなるわよ」
「そうかなあ」
「どちらにしても、その事だって考えなきゃいけないわけだし、最終的には長い時間余裕を持って考えるのが近道なのよ。急がば回れっていうじゃない」
「そうかもね。今はあまり考え込まないようにしようかな」
「そう、体にも悪いでしょうし」
まもりは伸びをしながら、大きなあくびをした。
「ふあああ。今日はゆっくり寝れそうだ」
「それじゃあわたし、今日はもう帰るわ」
武子が立ち上がった。
「今日はありがとうございました」
「いえいえ」
「武子さんって、なんだか普通のおばあさんじゃないみたいだ。雰囲気とかちょっと違うし」
「あら、それって見た目はおばあさんってことかしら!」
「そ、そんなんじゃないですよ。さようなら!」
「こら。……まったくもう」
そのまま武子は、ひとり公園を歩いた。
まもりと会っていると本当に昔の自分と話しているようで、自然と今の自分とまもりを比べてしまう武子だった。

 

 中学校までの授業というものは、小学校ほどではないが授業中に少しは話し声がするものである。
今は社会の時間。
「ねえねえ、まもりちゃん。もう入る部活決めた?」
ちゃん付けはやめて欲しかったまもりだが、さやかが言って聞かなかった。
「"俺"は部活には入らないよ」
さやかがビックリした顔をしている。
「あ、今のナシ! 聞かなかったことにしてくれよ、な?」
「まもりちゃん、"俺"はどうかと思うけど」
「いや、これで育ってきたからすぐってわけには。なるべく直すように努力するさ」
「そういうことにしておきましょう。あたしはまだいいけど、他の人はもっと引くと思うよ」
なんだか聞いたことがあるようなセリフだな、案外みんなそんな風に言って気にしないんじゃないのか? とまもりは思った。
実際、海良の方はただ単に"私"の方がまもりに合っていると思っているだけなのだ。
「で、部活入る気ないんだったら家庭科同好会に入らない?」
さやかは入る気がないを、まだ入るところが決まってないと解釈していた。
「いや私は自分の事で精一杯で、どこにも入る気はないんだ」
さやかの背筋に、ぞくぞくっと電撃が走った。
「きゃー、やっぱ私の方がいいわん。前から思ってたけど、もうどうにでもしてってかんじ。私って言ってるにも関わらず、男言葉のところがまたそそるわ」
さやかにはこういう種類のヒステリーもある。感情が高ぶると暴走するのだ。
さやかも自分の趣味で"私"を勧めていたらしい。
「ほらそこ、うるさいぞ!」
さっきの奇声に、さすがの教師も注意した。
「じゃ、この授業が終わったら家庭科室で待ってるからねん」
一緒に行こうとか誘われたらまだ断りようがあったのだが、まもりは流されるように家庭科室に行くことになってしまった。

 「おーい、お帰りかい? まもりさん」
海良が話し掛けて来た。
「いや、そうしたのは山々なんだけどな」
「どこか行くの?」
「いや、ちょっとな。じゃ」
とてもじゃないが家庭科同好会に行くなんて恥ずかしくて言えないまもり。
冴えない顔をして海良と別れ、一人家庭科室を目指す。
この中学校の家庭科室は一階の校舎の奥に配置されていて、普段は廊下の電気が消えている。
最近のエネルギー不足の余波なのか、この学校でも普段使わない電気は消して節電に協力しているようだ。
三階にある一年の教室からまもりが降りてきた。
まだ電気はついていなかった。
適当に理由をつけてさっさと帰ろうとまもりは思って、家庭科室の扉に手をかけた。
ため息をつきながら、ドアを横に引く。
「遅いじゃない、まもりちゃん」
「ゴメンゴメン。でも、やっぱ部活入る気ないから帰るぞ……」
「あなたが新入部員ね!」「歓迎するわ、どうぞ入って」「遠慮なんてしなくていいのよ、部長はやさしいおばさんだからね」「ちょっと、おばさんなんて冗談でも止めて!」「わたくし、ジョーダンなんて言わなくてよ」「きいー! もっとダメじゃない!」
「あの……」
たまらずまもりが口を挟もうとするが。
「なになに? 入部届けはこれね」「あ、そうそう。料理はどれくらいできる? 裁縫はどれくらい?」「ここに保護者の印鑑をもらって来てね」「あ、でもね、うちの部は初心者も大歓迎だから心配しないで」「そんなことより入部届け、ちゃんと出してね」「そんなことよりだって! あんたの話の方が後だっていいじゃない!」
まもりはこのまま押し倒されそうになる。
「うるさーい! お姉ちゃんも部長もいい加減にしてよ。まもりちゃんが戸惑ってるじゃない」
さやかがやっと仲裁に入った。
「ん? お姉ちゃん……」
妹の初めての英語授業の日、教科書を間違って持っていった姉のことである。
「まず自己紹介が先だったわね。私が家庭科同好会部長、三年の遠野 光(とおの ひかり)です」
黒いストレートで長い髪を、片手でふわりと棚引かせながら言った。
どうも中学生には見えない。
「なーにスカしてんのよ光。あーキモいキモい」
「なんですって!」
「お姉ちゃん!」
今度は咄嗟に止めるさやか。
「ゴメンゴメン。あーかくいうあたしこそ、家庭科同好会の裏番とも噂されている柊 さゆり(ひいらぎ さゆり)三年なのよ」
光がお嬢様だと例えるなら、さゆりは女王様のような性格の持ち主である。
もちろんさやかの姉で、小柄でくせっ毛なところは似ているが、さゆりは髪を茶色に染めている。
「以上! 自己紹介終わり」
「終わりって、三年生だけで他の人はいないんですか?」
これだけ積極的に話されると人見知りも出てこれない。
光が顔を引きつらせて答える。
「なかなか痛いところを付くわね、新入部員」
もうすでに部員決定らしい。
「光のせいでねー、部員少なくてピンチなのよ。だからあなたが来てくれて助かったわ」
「あなたのせいじゃないかしら? さゆりさん!」
ということは、さっきのマシンガントークは二人で行っていたのである。
「で、あなたの名前は?」
なんだか猛烈に帰りたい気分のまもりであったが、ここで帰りたいと言っても雰囲気からいって通じる二人ではないと諦めた。
「白泉まもり、柊さんと同じクラスです」
「柊さんじゃどっちかわからないから、さやかでいいわよ」
と言うさゆり。
「なんでお姉ちゃんが言うのよ」
「あれ?」
お構いなしに、さゆりは自分の話を続ける。
「まもりんだっけ? どっかで見たような気がするのよねえ」
「今日初めて会いましたけど。あと"まもりん"はやめてください」
「あ、わかった」
やっぱり気になんてしない。
「まもりん、生徒手帳持ってる? ちょっと見せて」
「いいですけど」
カバンを前に持ってきて、内ポケット、外のポケット、カバンの中と探していく。
「……あれ、無い。家に忘れてきたかもしれません」
「もしかしてこれじゃあない?」
「あ、そうですそうです。どっかで落としたのを拾ってくれたんですか?」
出された物が自分のだったので、反射的に肯定する。
「え? 本当にあんたの」
さゆりの疑惑の目が注がれる。
「な、なに言ってるんですか。ほらここに、白泉守って」
全身の血の気が一気に引いていく。
「守!」
とてつもない大声をまもりが出したので、さゆりはびっくりして生徒手帳を落とした。
まもりは急いでそれを拾って、部屋を出る。
「す、すいませんでしたー!」
「「「ちょっと待って!」」」
三人の阻む声を無視して、猛然と走って逃げるのだった。

 生徒手帳を握りしめたまま向かった先は、やはり武子の待つ公園だった。
まもりはスカート姿なことも忘れて全速力で走った。
「武子さん、大変なんだ!」
少し早い時間だったが、武子はベンチに座っていた。
「はいはい、それは毎日大変なものよ。落ち着きなさい」
公園に入ってもまもりはまだ取り乱していたので武子が優しい声で話しかけた。
「とりあえず、そうね、スカートがめくれてるのを直したらどう?」
「あ!」
今まで全開で走ってきた顔より、もっと赤い顔になる。
慌てて両手で撫で下ろした。
「どう、落ち着いた?」
「落ち着いたっていうかなんていうか……」
まもりは手をもじもじさせながら恥ずかしがっている。
「それで、どんな大変なことなの?」
「そうなんだ! 守の時に生徒手帳を落としちゃったみたいなんだけど、それが守のままだったんだ」
「……よくわからないわ。守君は守君でしょう」
「いや、今は"まもり"って名乗ってるし」
「へえ」
武子はあごをさすった。
「あれ? 武子さんに言ってなかったかな」
「初耳よ。成る程ね、それで守君の前の姿が探られそうってこと?」
「あ……」
「なに?」
「いや、なんでも。その通りです」
まもりは敢えて"守"と呼んで欲しいと頼もうとしたのだが、その必要はなかったようだ。
「理解者を作るっていうのも、悪くはない手よ」
「秘密をバラすってことですか? なるべく人には話すなって言ったのは武子さんですよ」
「要するに、問題はその人が信頼できる人かどうかってこと。もし口が軽い人なんかに話たら大変じゃない」
「それは、……想像しただけで体が持ちそうにないな」
まもりは両手を互い違いの二の腕に持ってゆき、身震いした。
「でも、話した人がよき理解者となってくれれば、学校にも相談とかできる人ができるわけでしょ」
学校にも武子さんがもう一人いるって感じか、とまもりは思った。
「多分わたしが二人いるよりも、事情をよく知らなかった人の言葉として参考になると思うの」
「おお!」
「それは一か八かの賭けみたいな物だけれど、やるんだったらなるべく成功させた方がいいでしょ?」
「いやまあそりゃそうですね」
あからさまに首を縦に振る。
「だから、今は秘密の方がいいと思うわ。その人がどういう人か見極めてから、信用できる人かどうかがわかって、話すか隠し通すか決めないとね」
「へー、そういう風に繋がってくるんですね。やっぱ武子さんはすごいや」
「ただ関心してないで。わたしは守君の手助けをするしかないんだから。それに結局は探られるところをなんとか隠し通さなきゃいけない問題は残っているのよ。なあんにもすごくないじゃない」
「あ、忘れてた。ああ、大丈夫かなあ……」
まもりらしくなく、人見知り以外でかなり弱気になっている。
「大丈夫。こっちが決定的なことを言わなければ、ちょっと前までは男の子だったなんて、普通わからないわ」
「そう、ですかね」
「あとは気合よ、強気で行けば勢いで押し切れるもんよ!」
武子は二の腕を上げて、バシッと叩いた。
「たくましいですね……」
「あなたも男の子のときはたくましかったんじゃないの?」
まもりはハッとした。
昔の自分はこんなにくよくよなんてしていなかったはずだと。
「そうだ、私はもっと強気な性格だったんだ」
「その調子よ」
「武子さん、なんかどうにかなるような気がしてきました。ありがとうございます!」
急に熱血バカに戻るまもり。
「いえいえ、わたしもなるべく守君の力になってあげたいし」
「本当にありがとうございます。このまえからずっと、急に女になってなにがなんだがわからなかった私を元気づけてくれたのはずっと武子さんです。これからも不安になることがいっぱいあると思うんですけど、また話に来てもいいですか?」
「遠慮無くね。わたしは用事がなければ、この公園に四時くらいに散歩に来てるから」
「はい!」
まもりは大きく一歩を踏み出して公園を出た。

 それからまもりはさやか達が信頼にたるような人物なのか知るために、家庭科同好会に入った。
得意の強気であの日のことはなんとかみんなの質問を振り切り、さやかとさゆりと光との関係を深めている。
また一方で、クラスでは海良を中心としてそれなりに仲の良い友達もできて、人見知りをなんとか切り抜けることにも成功した。

 しかし女の子としての日常生活は、それはもう試練の連続だった。
知らない土地に知らない体。
何度武子に相談しにいったかわからないくらいだった。
特に女の子の体の特徴やその生活方法などについては、毎週行われる武子先生の女の子講座となっていた。

 そうして、あれよあれよという間に季節は夏に変わっていく。

 「家庭科同好会で合宿っていうのも、やっぱりどうかと思うんですけど、光さん」
まもりはバスに揺られながら言った。
下は短めのジーパンだがちゃんと女の子物、上はLOVE&PEACEなんてロゴが入っていて、後ろには翼の生えたハートがかわいらしくアレンジしてあるTシャツを着ていた。
「まもりん、光は一度決めたことは簡単に変えない性格だって、もうわかってるでしょ。あきらめなさい」
さゆりがビシリとまもりを指す。
「わかってますけど、わざわざ隣町っていうのがねえ」
窓の外の景色を見ながら呟いた。
ということで、まもり達は家庭科同好会の合宿で一泊二日の富等津町旅行をしている。
「富等津っていうのが……また運命っていうか」
まもりはまだ啓吾と会う決心はできていないのだ。
「あ、まもりちゃんって、富等津の小学校出身だったよね。じゃあここら辺はだいたいわかるんだ」
隣の席のさやかが、まもりの独り言に反応して話してきた。
「だいたいはわかるさ。前に住んでたとこなら尚更」
「小学校のときの友達とかと会いたいんじゃない? そのくらいの時間はあるでしょ。ね、部長」
「今回の合宿の目的は、民宿に滞在して家事全般を学ぶこと。それが先決よ。でもその間に暇があったら、行ってもいいわよ」
「だってさ」
「行ったらいいじゃんよ、まもりん」
「さやかもさゆりさんも止めてください。そんなことは自分で決めます」
さすがにまもりはブスっとした態度で答えた。
「なにまもりん、今日はいつも以上にナイーブじゃん」
「そうですか……」
さやかが前の席に体を乗り出して、さゆりに耳打ちする。
(お姉ちゃん、まもりちゃん本気で言ってるから止めてあげて)
「変に気を使うな、さやか」
「ありゃりゃ、こりゃホントマジだね」
この話題から話がずれると、また四人は楽しそうに話し始めた。

 湖有町の学校前のバス停から五つ進んだ先に、今回四人が泊まる民宿がある。
外見は少し古めだが中は小奇麗にまとまっていた。
ここの主人が光の伯父であり、そのため民宿を手伝うことで格安な値段で泊まれるのだ。
「「「「こんにちは」」」」
四人の声が揃う。
奥から光の伯母さんがやってくる。
「いらっしゃい皆さん。夏は意外と忙しくてね、みなさんが来てくれてとても頼もしいです。どうか二日間お願いしますね」
「こちらこそ宜しくお願いします」
代表して光が挨拶をして、四人合わせてお辞儀をする。
「じゃあまず部屋に荷物をおいてきて、何かあったらお願いしに行きますね」
「はい、ありがとうございます」
「あ、光ちゃん。いつもの部屋だから、わかるわね」
「はい」
この民宿は二階建てでお世辞にも広いとは言えない大きさだが、こじんまりとしているかんじがまもりは気にいった。
光に連れられて二階へと階段を昇る。
今日はスカートではないから階段で人目を気にする必要もなかった。
もしスカートだとしても、最近のまもりはスカートを履いていても気にしないで過ごせるようになってきている。人間なんでも慣れである。
「ここの部屋よ」
二回の一番階段よりの部屋を開ける。
中は八畳の和室と、窓側にイスが二つの座るスペースがあった。
「中は広いんですね」
さやかが思わず口にした。
「いつもこの部屋なのよね、三年間。しかもいつも四人」
さゆりと光は、一年の頃からここで合宿をしていた。一つ上の先輩が二人いたのだが、二つ上は一人もいなかった。
「とりあえず荷物を置いて、伯母さんのところに行くわよ」
「光さん、さっき呼びに来るって言ってませんでした?」
まもりがリュックを下ろしながら尋ねた。
「そう言われても自分から行くのが礼儀なのよ、まもり」
「へえー」
感心して声を漏らす。
「ここの炊事、洗濯、掃除の手伝いは結構大変だから、覚悟しておくのよ」
「「はーい」」
まもりとさやかが声を合わせた。
まもりもこの家庭科同好会に馴染んできているようだ。
四人はさっき降りた階段を降りて、一階の広間に向かった。その途中。
「あのささやか、もしかしてあの部屋に四人で寝るのか」
「そりゃそうでしょ」
「やっぱりそうか」
まもりはなんだか、会話を続けづらくなって黙った。
「なに?」
「なんでもない。それよりも、頑張るぞ!」
「あったりまえよ」
光の伯母さんの指示を受けて、光とまもりが炊事、さやかが洗濯、さゆりが掃除の手伝いをし始める。
光とまもりは二人でキッチンへと歩いた。
「じゃあ、まずはそこにある皿を洗ってくれるかい」
キッチンにいた伯父さんが端に溜まっている皿の山を指す。
「伯父さん、またかなり溜まってるわね」
「二人しかいないからね、暇がないんだよ。朝食から洗えてない」
まもりは手を触れたら崩れ落ちそうなくらいの山に呆然としていた。
四人がいないこの民宿はやっていけるのだろうか。
おそらく伯父夫婦二人は、このときばかりは手を抜いているに違いない。
「まもり、これくらいは私がやるわ。あなたは他のことをやって頂戴」
「え、光さん。これくらいって、大丈夫なんですか?」
「大丈夫、他の仕事はもっと大変なの」
まもりは冷や汗を流した。
「そろそろお昼時だな。よし、そこのお譲ちゃん名前は?」
「まもりです」
「じゃあ、配膳を頼まれてくれるかい。そこのエプロンをつけて、お客様に失礼がないようにね」
「はいわかりました」
壁にかけてあった白いエプロンを身にまとい、後ろ手で紐をキュッと縛った。
なかなかエプロン姿が似合っていて、どこかのレストランにいるウエイトレスのように見える。
「あと、料理はどれくらいできるかい?」
まもりは小学校時代、料理などまったくできなかった。できて目玉焼きくらいだ。
だが家庭科同好会に入ると決めてからは、家でも母親と一緒にお弁当や夕飯を作っていた。
やるならしっかりとがモットーなようで、今ならある程度の料理はできるようになっている。
それと、このことでまもりの母親が毎日笑顔なのは言うまでもないだろう。
「だいたいの物は」
「和え物はできるかい?」
「はい」
「じゃあ、ほうれん草の胡麻和えだけお願いするよ。十一時半までに二十五人分、丁寧にね」
「はい」
大量のほうれん草を煮込んで胡麻で味つけなどをして、料理を完成させる。
ここまでは楽なのだ。
そしてお昼時になると。
「戻ってくるのが遅いよまもりちゃん。次これね」
「はあ……はい、す……いません」
まもりは、息も絶え絶え答えた。
ここの民宿は各部屋に朝昼晩と料理を運ぶことになっている。
十二時から昼御飯となっているので、一人で全ての部屋をなるべく早く回らなければならない。
しかし配膳はもちろん丁寧に行わなければならないのだ。
配膳を終えた部屋を出てからキッチンまでは、もうダッシュでもしないと間に合わない。
「はあはあ、まだ十人分はあるぞ。時間は十二時……、間に合わない!」
「はいこれ、205号室にお願いね」
さらに両手に料理を持ちながら、階段を昇るのは相当な体力を必要とした。
これならまだ皿を洗っていた方がましだ。
このとき皿洗いを終えた光は手伝いもせずに昼食をとっていた。
「はあはあ、やっと終わった……死ぬかと思ったぜ」
なんとか配膳を終わらせることが出来たまもりは、地べたにお尻をついてようやく休憩をとっている。
「お疲れ様、まもりちゃん。じゃあ夕飯のときも、お願いできるかな?」
伯父さんがすらりと言った。
「うわー、まだあるのかー」
「なに言ってるのまもり。夕飯の方が量も人数も多いから大変なのよ。お昼はまだ出かけている人が多いから、配膳する数が少ないの」
残った鳥の南蛮漬けを箸で口へ運ぼうとしている光が説明した。
「じゃあ光さんも手伝ってくださいよ! 皿洗いも終わったみたいですし」
「私、もう少ししたら部屋を回って片付けをして、また皿洗いするのよ。あなたがまた配膳するときには、今度は夕飯を食べてるわ」
「さあ、今は昼御飯を食べて体力をつけて」
伯父さんが昼御飯をまもりの前に置いた。

 「「疲れたー」」
まもりとさやかの声がハモる。
「まあ疲れるけど、このくらい普通よね光」「そうね」
経験者の二人はケロっとした顔をしている。
決して光とさゆりの仕事か楽だったわけではない。
「でも、いい勉強になったでしょ」
光がふとんを敷きながら二人に言う。
時計は、すでに十時を回っていた。
「はい、ものすごく」「あたしもです」
「今日はグッスリ眠れるぞ(ハート)」
さゆりはそう言って、光の敷きかけのふとんに入る。
「邪魔よさゆり」
「でも、今日は寝かさないぞ(ハート)」
ビッと親指を立てる。
「どけ! この役立たず!」
さゆりの突飛な行動には光の地が出るのだ。
「なに! このさゆり様のどこが役立たずなの!?」
この二人は、これはこれでいいコンビなのだろう。

 さやかとまもりはそんな二人を置いておいて窓際のイスに座った。
こちらもなかなかいい友達になってきている二人である。
特にまもりは、さやかと普通に接していられたのが大きかった。
さやかの方もまもりに度々ヒステリーを起こしていたがまもりは特に気にしないので、今では自然とそれも良い方向に向いているようだ。
さやかはまもりの女に対する免疫を作り、まもりはさやかの鎮静安定剤となっていた。
互いに向かい合って座った二人はまずたわいの無いお喋りを始めた。

 さやかは普通の女の子だ。まもりは心の中でまだまだ男の子でいたいと思っている。
最初の頃は二人に世間話は成立しなかった。
「そろそろ夏休みも終盤に差し掛かるし、夏物が安くなってるかもな」
まもりから話題を振る。
「そーね。合宿が終わったら、セール品荒しの旅にでも出ちゃう?」
「いいな。でもさ、毎年セール品しか買わなかったらほとんど新しいものは着れないよな」
「しょうがないじゃない、あたし達まだ子供なんだし」
「そういう風に割り切れるところがさやかは大人なんだよ」
さやかの顔が明るくなる。
「それに着こなし次第でどうにもなるわよ。要は腕よ腕」
「時には流行最先端の服でコーディネートしたいなあ」
今になって、まもりはこういう事に関心を持つようになれた。
最初のきっかけはやはり武子だった。
『相手は女の子、あなたも女の子よ』
それだけで、武子が言いたいことは十分にわかった。自分から近づけということだ。
しかしまだ渋っていたまもりに向かって、さらに武子は言った。
『男の子に戻れるかどうかは、100%じゃないのよ』
半分脅しのその言葉にまもりは女の子のお洒落の世界に飛び降りたのだ。
だが一度覚悟を決めてからのまもりの順応の早さはすごかった。
「まもりちゃん、明日は何を着て帰るの? 今日は動くってことで遠慮してたみたいだけど、楽しみにしてるわ」
「えへへ、明日はハイビスカスの付いた麦藁帽子を被って、水色のキャミソールに薄ピンクのカーディガンを羽織って、それから下は可愛い花柄のスカートだぜ」
楽しそうに笑って話すことができる。
まもりが話している最中にも、さやかは想像でどこかへトリップしている。
「さやか、口が開いてるぞ」
「あ、ゴメンなさい。明日が待ちきれないわね」
心なしかまもりの髪が伸びているのも、服に合わせるためだ。
お喋りが一段落ついて二人は同時に伸びをする。
そしてまた向き合って、まもりがなんとなく言葉を口にする。
「そういえばさあ、もう入学して4ヶ月経つんだよな。慌しいと時間まで慌しいな」
「そんなに?」
「辛いことがいーっぱいあったからな」
両手を広げて大袈裟に表現する。
「家庭科同好会も楽しくないの?」
万年その場所の悪さからか、家庭科同好会の部員が少ないことを知っていたさやかは、ああいう誘い方をしてまもりを入部させたが、それをずっと悪いとは思っていたのだ。
「なに、さやからしくないぞ」
「いや、せっかくの合宿だし、聞いておこうかなって思っただけ」
さやかはわざとそっけない素振りをする。
イスに深く腰を掛け直したまもりは、やれやれといった風に話し始めた。
「辛いこともあるけど、楽しいこともなかったわけじゃない。初めはな、料理なんて興味も湧かなかったけど、今じゃなかなか楽しんでやってるよ」
「本当に?」
まもりの顔の目と鼻の先にさやかの顔が迫ってきた。
「ま、まあな」
まもりはその距離に耐えられず、横を向きながら答えた。
「よかったー。そういう柄じゃかったからね、まもりちゃんは」
「自分から誘ってて、それはないだろ」
「だって、男の子みたいだったもん。あ、今は違うわよ」
顔には出すまいと思っても、自然と顔が引きつってしまう。
「どうしたの?」
「いや、何でも」
先ほどまでとは逆にとても嫌な雰囲気が二人の間を流れた。
「まもりちゃん、あたしに隠し事してるよね」
「え! してませんよ」
焦って敬語になってしまう。
「ほら、やっぱりなんか変。今日だって、一緒の部屋だって聞いたときの行動が変だったわ。ときどき挙動不審になるのよ」
女の観察力は恐ろしいものだ。
まもりの心臓はバクバク言って、脇の下から汗が流れるのがわかった。
まもりは武子の言葉を思い出した。
『要するに、問題はその人が信頼できる人かどうかってこと。もし口が軽い人なんかに話たら大変じゃない』
『でも、話した人がよき理解者となってくれれば、学校にも相談とかできる人ができるわけ』
後者は本当に魅力的だったが、もし拒絶でもされたりしてせっかく友達になったさやかと離れたりするのは嫌だった。
困惑するまもりにさらに問い詰めるさやか。
「初めはやっぱり、あの生徒手帳よね。あれはいったいなんなの?」
「あ、あれはだから、昔中学校に通っていた兄貴の物だから」
あの時も、この言い訳で難を逃れた。
「悪いとは思ったんだけど、まもりちゃんをつけて家まで行ったの。それでまもりちゃんのお母さんに聞いたんだけど、まもりちゃん一人っ子だってね」
完全に追い込まれたまもり。
「あたしは、恥ずかしいけど言うわ。あたしはまもりちゃんを親友だと思ってる。ときには悩み事を相談したりもしたわね。でも、でもまもりちゃんは何も言ってくれないのね」
さやかの目には涙が溜まっていた。
それがまもりには、心臓が止まってしまうくらいショックだった。
ここで言わなかったらそれでさやかが離れてしまう、そう思った。
口を開けるが、言葉が出ない。
『その人がどういう人か見極めてから、信用できる人かどうかがわかって、話すか隠し通すか決めないとね』
私はさやかが信用できないのか! と強く思った。
深呼吸を一つついた。
「私も、さやかは親友だと思う。だからこれから話すことは、誰にも言わないって約束してくれ」
「約束する」
「これは全部本当の事なんだ……」
まもりはさやかに全てを話した。
入学式のこと、お守りのこと、啓吾のこと。ただ武子のことは言わなかった。
「信じられない」
「本当のことなんだ」
「あ、違うの。今のは便宜上で、あたしは信じるわよ。だって、それなら今までの行動が説明つくものね」
「いや、無理して信じてくれなくてもいいよ」
さやかは自分の髪を撫でた。
「うーん。じゃあ信じる信じないは別としてよ、まもりなのは変わらないってことはわかったわ」
「ありがとう」
「ちゃんと、話してくれて嬉しかった」
「俺も、受け止めてくれて嬉しかった」
ピクっとさやかが反応する。
「こらー! 久しぶりに"俺"って言ったわよぉ!」
さやかがまもりに倒れこんできた。
二人の重みに耐えられなくなってイスが倒れる。
さやかがまもりに覆いかぶさるような状態で横になってしまった。
「よ! ご両人。熱いねぇ」
「不純行為は、頂けないわね」
さゆりと光が出てきた。
二人は一部始終を見聞きしていたようだ。同じ部屋なのだから聞こえていても不思議ではない。
「「安心しなさい、あなたのことは誰にも話さないことを約束するわ」」
髪をかき上げる動作まで二人一緒に行う。
「こら、さゆり。声の真似とクセの真似は止めてよね!」
二人は毎度のことながら騒いだ。
「安心した、まもり?」
「まあな、今はそれより……」
まもりの顔は真っ赤で、目線はさやかの方に向いていた。
時刻は10時を回り、もちろん二人共寝巻き姿である。
夏なのでかなりの薄着、さやかなんてネグリジェである。
そんな状態で、二人は今どんな状況にあるのか。
さやかはさらに先ほどのまもりの話を思い出した。
完全に信じていないはずのさやかだが、緊急事態に思い出した事を鵜呑みにする。
「きゃああああ!!」
「お、落ち着けさやか」
「エッチ!!」
言うが早いかさやかのビンタが炸裂した。

 というわけで、合宿は大失敗の内に終わった。
さやかの悲鳴で客にクレームをつけられて、光の伯父夫婦に多大な迷惑をかけてしまったのだ。
光は、もう伯父さんに合わせる顔がないわ、とのこと。
そんな合宿が終わってすぐ、まもりとさやかは約束通り夏物荒らしの旅に出たのだった。
さやかはまもりが元は男の子でも、今更あまり関係ないらしい。
二人が買い物に出かけた町並みは、ミレニアムを迎えた2000年のそれとほぼ変わりなく、色んな店が一つずつ横にならんでいる商店街に行った。
「ねえねえ、これなんかどう?」
あまりに高い店には入れないので、定価から安くさらにセールを行っている店にいる。
それでも中学生に買える服などたかが知れている。
「さやかにはちょっと派手だよ。それに少し高いし」
「イメチェンでもしようと思ったんだけどなあ。お母さんから少しお金もらってきたし」
「どのくらい?」
「五千円」
手をパーの形にして突き出す。
「はー、さやかの家はお金持ちだな」
中学生にとって、五千円は大金だ。
「そういうまもりはいくら持ってきたの?」
まもりが元々は男の子だということを知ってから、さやかは"ちゃん"付けを止めている。
「いままで貯めてた三千円だよ」
さやかは近くにあった服の値札を見た。
「買えて一着ね」
「でも試着は自由だ!」
と言ってそこら中にある服を一気に抱え込んだ。
この子は本当に男に戻る気があるのだろうか。
「だったらセール品じゃないものも試着したら? ほら、このワンピースなんかまもりに似合いそう」
手に取ったのは、真紅でありながらも清楚なものだ。
「そういうのはさやかが似合うんだと思うぞ。ちょっと大人っぽいし」
「えー、じゃあ着てみようかな」
しなを作って踊りだすさやか。
「はいはい、初めからその気だったんだろ」
まもりはあきれた風に手を振った。
「これ一人じゃ着にくいわね。まもり、手伝ってよ」
「おう。ってええ!!」
さやかは何事もないかのように試着室に入る。
「別にいいわよ。今は女の子なんだし。まもりもその内慣れるんじゃない?」
「そんなあっさりした問題か?」
試着室の前でしどろもどろする。
「男ならうじうじしないの。ほら早く入って」
「うるせえな、こういうのだけは苦手なんだよ」
試着室を背に腕を組んで答える。
「まもり、せっかくお洒落に興味を持ってきたんだから……あ、もう完全に持ってるわね……言葉使いも少しは直しなさいないよね」
「まあ、ちょっとは落ち着いてきてるとは思うんだけどな」
「言い方が色っぽくないのよねえ、あたしは好きなんだけど」
ぶつぶつ不満を言いながらためらいもなく上着を脱ぐ。
中学校一年ともあれば、みんながブラジャーという男の子には得たいの知れない物に手を出し初めている時期だ。
「ほら、早く着させてよ」
「しょうがねえな」
まもろはカーテンの端から申し訳なさそうに入った。
「あ、さやかブ、ブ、ブラジャー、してるんだ」
目に飛び込んだ物が衝撃的で、つい声に出てしまった。
「え! まもりはしてないの?」
合宿の時もお風呂は部屋にあったものを使ったので、このことは知られていなかった。
「だってなあ、女もんの下着なんて……」
「ダメよ! まもりはもう結構大きくなってきてるんだから、ちゃんとしないと形崩れるわよ」
「バカ、大声でそんなこというなよ。恥ずかしい」
「はい、今日はまもりちゃんの下着探しの旅に変更!」
「ふざけんなよ。いいよ、別に」
すでにさやかは、上着を着て荷物を持って準備万端である。
「行くわよ」
まもりの腕を持って無理矢理に店を出る。
「痛い、痛い。まずは離せ」
道路の真ん中で引きずられるように歩いていたまもりは体制を立て直す。
「自分で歩くから」
「観念したのね」
ぱっとさやかが手を離すと、まもりは尻餅をついた。
「痛ててて。ったく、行けばいいんだろ。でもさすがに恥ずかしいぞ」
(中に入ったらもっと恥ずかしいことが起こるわよ)
さやかはまもりの手を引いたときにボソッと言った。
「うん? 何か言った?」
お尻についた汚れを叩いて聞く。
「いえ、何にもございませんことよ。ほほほほ」
最近、さやかはあの突飛な性格のさゆりさんにやっぱり似てるんだなあ、と思うまもりであった。

 「いらっしゃいませ」
近くのデパートの下着売り場にやってき二人。
まもりは早くも顔が紅潮し始めている。
「あのー、この子に会うブラジャーが欲しいのですけれど、三千円くらいの」
「はいかしこまりました。ではまずこちらに来て頂けますか?」
店員のエスコートにより未知の密室へと連れて行かれた。
ここで彼女の興奮はMAXへと上りつめることとなるのだが。
「ではまず上着を脱いで下さい」
「は?」
「いえ、サイズをお測り致しますので」
「さいず?」
首を傾げっぱなしのまもり。思考回路が半分ほど止まっている。
「はい、お客様のサイズにピッタリのブラジャーを選ばないと、窮屈だったり緩かったりいたしますので」
しかしまもりは上着の下には何もない。はいそうですかと脱げるわけがなかった。
まだ自分でもよく見たこともなにのに、と思うのである。
「潔くないわよ。そんなことで元に戻れるのかしら」
さやかも中にいた。
「うるさい、ええい! もうどうにでもなれ!」
思い切って目をつぶりながら一気に脱ぐ。
「まあ、お姉さんよりも立派かもしれないですね」
明らかにさやかの顔が変わった。お姉さんとはさやかのことだろう。
「は、早くしてください」
「では、失礼致します」
何が? と思った瞬間、まもりの敏感なところに冷たい物が当たった。
「ぴゃ!」
思わず変な声が出る。
「な、なにをしてるんですか?」
目をつぶっているまもりには何が行われているのか分からなかった。
「なにって、メジャーでトップのサイズを測っているだけですが。何か?」
「いえ、この子は初めてなもので驚いているだけです。どんどん測ってください」
「では、アンダーの方も測りますね」
今度は胸の下の方に締め付けられる感覚が襲ってくる。
これはなんとかガマンした。
「73のBカップのようですね、今お持ちしますのでそのままお待ち下さい」
「そのまま!」
さやかと二人っきりで、こんな格好でいるのは耐えられなかった。
「服は着てもいいんじゃない?」
さやかの言葉ですばやく上着を着る。
「見た?」
「見たに決まってるじゃない!」
かすかに声を震わせている。
「何怒ってるんだよ」
「だって、あたしだってまだぎりぎりAカップよ! それなのに元男のまもりがBカップ! はん、ふざけんじゃないわよ」
さやかはヒステリーになっていた。
「恥ずかしいのは私の方なんだぞ」
「うるさい! この裏切り者!」
結局、その後さやかは暴れてまたも店に迷惑をかけてしまった。
最後にさやかのヒステリーを抑えたのは、この会話だった。
『色は何色に致しますか?』
『ピンクよ! ピンクしか有り得ないわ!』
『……じゃあ、ピンクで』
これによって逆の感情を高ぶらせて、さやかのヒステリーは引いていった。

 「さやか、あんなことでヒステリー起こすなよな」
買い物を終えた帰りの途中だった。まもりの手には紙袋がぶら下がっている。
「ごめんなさい。また迷惑かけちゃって」
さやかは店を出てから落ち込んでいた。
「いや、別にいいよ」
「やさしいのね、まもりって」
まもりの方を見ず、真っ直ぐ前をみて呟いた。
まもりはその横顔に少しドキッっとした。
「でも、これで外見は完璧に女の子よね」
「まあな」
それはそれで悲しいような嬉しいようなまもりだった。
「ねえ、まもりはやっぱり男に戻りたいの?」
今度はまもりを見据えて言った。
「そりゃあな」
「だからまだ男言葉は直さないの?」
「直さないというより、直んないんだろうなきっと。男に戻りたいと思ってるから」
二人の歩いている道は太陽に赤く照らされている。
少し眩しいのか、まもりは目の前に手をやって影を作っていた。
「このこと、まもりは元々男の子だってこと、海良君とかには話したの?」
「いいや全然。まだまだ、学校にも問題があるな」
「話さないほうがいいと思うわよ」
「何で?」
「秘密よ、自分で気づきなさい。そういうことも女の子には大切なんだから」
しばらく二人は無言で街を歩いた。
市街地に入って、一気に辺りは静寂に包まれた。さやかが話を切り出した。
「でも考えたんだけど、私達が協力するからまもりの秘密は守れるとして、他に何か問題ってあるの?」
進めていた歩を止めてしばし考えるまもり。
「友達も出来たし、学校での理解者もできたし……、うーん、特にもうないのかなあ」
学校以外だったら大きな問題は一つ残っている。
「でしょ。あたしは当事者じゃないから偉そうなこと言えないんだけどね、それだったら無理に男の子に戻る必要はないんじゃないかしら?」
さやかから見た素直な気持ちだ。
「バカ、そんなのあるか。私は元から男だったんだ」
「でも今は女の子。外見も完璧に女の子。あたしははっきり言ってまもりを男の子だって思えない。趣味だってお洒落に料理。サッカーが得意だった、昔の"守"君とはもう違うのよ」
生徒手帳を見たことがあるので、男の子のときの名前をさやかは知っていた。
「でも、私は……」
完全に俯いてしまうまもり。
「ごめんなさい。こんな風に言うつもりじゃなかったの」
寄り添って手を肩に置いて、さやかはまもりをいたわった。
「いや、いいよ。私のために言ってくれたことだもんな」
自分が女のままである事を受け入れられるかもしれない自分がいたこと、それにさやかが男に戻らなくてもいいと思っていることに、得体の知れない何かを覚えるまもりだった。

 久しぶりに武子の入る公園に足を運ぶまもり。
夏は終わりに近づいていた。
「お久しぶりです、武子さん」
「あら、守君。どうしたの?」
「いや、ただちょっと誰かと話がしたくて」
武子にもう学校に良き理解者がいることは話してあった。
一緒のベンチに座り、小一時間ほど世間話をした。
「守君、最近は特に女の子っぽいわね」
「そうですか?」
声のトーンが微妙に落ちたことを武子は感じとった。
「ごめんなさい。無神経だったわね」
「いえ」
まもりは、このことが前から気がかりになっていた。
初めの頃は何にも思わなかったが、武子はまもりの心情をわかりすぎるほどにわかっていることを。
「武子さん」
「なに?」
「武子さんは、なんでそんなに私のことがわかるんですか? それに初め会った時だって、私が"守"だって気づいてくれたし。今の名前がわかっても"守"のままで通してくれた。私のこと、なんでそんなにわかるんですか?」
武子はまもりを見つめた。
「同じだからよ、わたしと」
「ど、どういうことですか?」
まもりは武子の肩を強くつかんだ。
「守君、ちょっと痛いわ」「すいません」
ぱっと手を離して、両手をバンザイしてる格好になる。
「あのね、わたしもあなたくらいの頃、小学校6年生のとき、女の子になったのよ」
「え!」
挙げた両手がピンと伸びる。
「あなたと同じ、あのお守りで」
まもりにとって衝撃の事実だ。
武子が自分と同じ存在、元々男の子だったということが信じられなかった。
「あなたはその時のわたしにとても良く似ているのよ。だからどうしても気になってね」
「でも、武子さんは、本当に女の人よりもずっと女の人っぽくて」
それがまもりには信じられないのだ。
「わたしは最近思うのだけれど、少年の心をもった女の人っていうのが、一番魅力的なのじゃないかしらってね。わたしは少なからずそうだから」
まもりはその言葉で、今考えていることをより深く考えるようになった。
「じゃあ、私もって」
「ことかもしれないわね。もしかして守君がこのまま女の子のままだったら」
「でも、私はやっぱり男に戻りたいんです」
自分の意思を確かめるために、自分に向けて言った言葉だった。
「それは元が男の子だからでしょう?」
「だから私は男だってことです!」
「でも今は女の子」
「心の問題なんです!」
武子はふう、とため息をつく。
「そんなにムキになっちゃダメよ、守君。あなた、自分が男か女かよくわからないから困ってるんじゃないかしら?」
武子のこの話し方は、いつもまもりの物腰をやわらかにしていた。
「そうじゃないと思いますよ」
「だから無理して男の子であろうとしてるんじゃあない?」
「そうじゃないと思うんだけど」
武子は考えた。まもりにはもっと自然体でいて欲しかった。
自分も同じ事で相当悩んだ時期があったから。
「じゃあこうしましょう」
武子は胸の前で手を合わせて言った。
「守君が本当にまだ男の子に絶対戻りたいんだっていうのなら、今から啓吾君に会いに行って、お守りを使って元に戻る」
「絶対……」
自分の前に会った手をまもりの手の上にそっと重ねた。
「ねえ、まもりちゃん。今の生活ってそんなに嫌? 男の子のときより充実してない?」
「そんなことはないです。今は昔と変わらないくらい楽しいと」
「だから男の子に戻ったら今の生活はなくなる。絶対男の子に戻りたいってわけじゃない、ってことね」
まもりは武子の手を見た。
その手にはしわが浮き出ていて、武子の人生を感じさせるものだった。
その手を取ったとき、自然と心が武子に吸い寄せられたような気がした。
自分の未来を見た気がしたのだ。
「そうですね。私は男でも女でも、どっちでもいいかもしれない」
武子の手を握ったまま答えた。
「ふふふ、やっと素直になれたわね」
「そうですね」
「少し歩こうか、守君」
二人は立ち上がって、公園を歩いた。
少し歩くと、武子が笑いながら話しかけてきた。
「さっきの話でね、守君は啓吾君に会うことよりも、絶対男の子に戻るって方に反応したの覚えてる?」
まもりは自分でも気づいてなかったので驚いた。
「武子さん、そんな引っ掛けるようなことしないでください」
「でも言ったとおりでしょ。女の子になったときにそんなことで悩んでいたけれど、今になったら啓吾君に会うなんて、どういうことでもないんじゃない?」
「まあ、女になったのを見せるのは嫌だけれど、この姿は気に入ったので」
胸の前に手を持ってくる。
「そうよねえ、守君かわいいもの」
「……ありがとうございます」
少し恥ずかしながら答えた。
「うん、素直素直。いい傾向よ」
武子はまもりの頭をよしよしと撫でた。まもりはなんだか気持ち良くて、そのまま撫でられていた。
男の子だったら味わえない感覚だったのだろう。

 今まで少しの間二人は並んで歩いていたが、まもりが何か思い立ったように前に出て向かい合った。
「私、これから啓吾に会ってきます。啓吾と遊んできます」
「うん、それがいいかもね。守君、がんばって!」
ぐっと拳を作って答える武子。
「いえもう"まもり"でいいです」
武子はその時、まもりの目を見て彼女の心を感じた。
「わたしもあの頃、まもりちゃんのような目が出来たら良かったわ」
独り言のように呟いた。
「じゃあまもりちゃん、これからも世間話でもしに来て頂戴ね」
「はい! ありがとうございました」
まもりは頭を深々と下げた後、富等津町へと走っていった。
「元気ねえ。さてと、わたしも、そろそろ行こうかしら」
武子は水月町へと足を進めた。

 

 武子は水月神社の階段の前にいた。
あれから啓作を呼び出して、ここで待ち合わせをしているのだ。
「待ったか?」
「いいえ」
小走り気味に啓作が現れた。
「急にだから驚いてしまったよ」
「急にじゃありませんよ」
「守君かい?」「いいえ、まもりちゃんです」
啓吾の言葉を遮るように言った。
「よく、決心がついたな」
「あの子が、強いものですから。わたしも、あの頃の自分を思い出したようでした」
「そうか、では行くとするか」
啓作が武子の前に手を差し出すと、武子は恥ずかしながらその手を握り返した。
二人の手は昔のあの頃とは変わってしまったけれど、二人の思いは変わっていなかった。
階段を一段一段、踏みしめるようにあがって行く二人。
全てはこの始まりの地へ来るためにこの町に戻ってきたのだった。
二人は水月神社の目の前に立った。
武子の手は少し震えていた。啓作はそれをやさしく握り返した。
「ここだな」
「ええ」
水月神社のご神木の前に武子は立っている。
その下には焚き火の焼けた跡があった。
「わたしもな、啓吾君と会ってきたよ。お前が毎日守君、いやまもりちゃんと会っているのを見ていると、なんだかな……こうわたしも同じ境遇の人間に会いたくなったとういか」
「ふふふ、昔のビシッとしてないところが戻ってますよ」
啓作は照れて、わざと一つ咳払いなどをした。
「それでな、お守りを見てきたよ」
「感想は?」
「やはりお守りの力には頼ってはダメだな」
「そうですね、未来は自分の力で切り開くものですもの」
ここにきて特に何をするというわけでもなかった。
ただ、この水月神社に来る。それだけが二人の目的なのだ。
「あなた、沖姫神社にはもう行かれまして?」
「いやあ、今日はそこにも行こうかなと思っていてね」
「そうですね、神主さんにも挨拶に行かなければならないですし」
「ここに来るのも、あそこに行くのも、本当に何十年ぶりだろうな」
啓作は武子を強く引き寄せた。
武子は頬を染めてそれに従った。
「まもりちゃんには嘘をついたわ」
「どういうものだ?」
「わたしとまもりちゃんは一緒よって言ったのよ」
「それは違うな。だが、とてもよく似ていたよ」
「がんばってるかしらね、まもりちゃん」
二人はそのまま、時が経つのを忘れて話し合った。

 まもりは富等津にある啓吾の家の目の前に立っていた。
インターホンを押す指に力は入っていなかった。
「どちら様ですか?」
ドアが開いて中から啓吾が出てきた。
「や、久しぶり」
かわいくちょこんと手を挙げる。
「どちら様?」
先ほどとは違いとぼけた声である。
「私も変わったからね、わからないか……」
まもりは少し視線を外して、何もすることのない両手を後ろに回して組んだ。
短めの緑地のスカートは少しの動きにも反応してふわりと動く。
こんな可憐な少女を啓吾は見たことがなかった。
だが雰囲気はなんとなく知っているように思えた。
「ゴメンなさい、俺には思い出せません」
「特訓の成果は発揮できなかったみたいだな。入学式そうそういじめられやがって」
まもりは、こいつぅと啓吾の額を小突く。
啓吾はこの言葉使いと言葉、そして顔に覚えがあった。
「も、もしかして、守君!」
「久しぶり」
啓吾に向かってぎこちないながらも笑顔を向けた。

 まもりと啓吾は湖有町の湖に向かっている。
啓吾の家だと落ち着かなかったので、どこかに行こうという話しになり、二人にとって一番メジャーな遊びのスポットである湖が選ばれたからだ。
そこで開かれる花火大会などにも一緒に参加していたし、ボートで遊んだりもした。
他にも二人は色々な遊び場として湖を使用したが、遊びでもっとも多かったのは伝説の人魚探索というものだった。
水富湖市の湖のどこかに人魚がいるという話を啓吾のおばあちゃんから聞いたことがあり、この湖が一番大きいから人魚も住みやすいんじゃないかという理由で何度もこの湖に来ていた。
もちろん貯水湖の"人魚の湖"にも足を運んでいたのだが、二人は湖有町の湖の方がお気に入りだったようだ。
歩きながら啓吾が恐る恐る話し始めた。
「本当に守君なの?」
「いまは"まもり"なんだけどね」
「どうして女の子の格好なんてしてるのさ」
歩きながらまもりは啓吾の顔を覗いた。
「それはお前のせいなんだぞ!」
「え、なんで?」
啓吾は大きい体を屈めてまもりを見た。
「まあいいや。私も悪かったんだし、別に今となってはどういうことでもないか」
「よくわからないんだけど」
少し困った顔をする啓吾。
「湖に着いたら、ゆっくり話すよ」
「うん」
「お前はどうなんだよ」
「俺? 初めの頃はいじめられてたけどね、今じゃちゃんと友達だっているさ」
「初めからやれよ」
呆れた感じで言った。
「でかい図体してるんだし」
「ひどいなー。これだって頑張ったんだから」
「そうだろうな」
「うん。一番大きかったのが、啓作っていうおじいさんの存在かな。あの人がいろいろアドバイスしてくれたから」
「私じゃダメだったと言いたいのかな、啓吾君」
啓吾が必死で手を振る。
「いやいやいや、そういう意味じゃなくて、ただ俺と同じ境遇の人だったからね」
「……そういう人なら私もいたんだけど、ちょっとわけあり風だな」
「そうだね」
「それもこれも、湖に着いてからゆっくり話そうか」
「うん」

 湖に着くと、いつものお決まりの隠れ家に行って、湖に向かっている崖に二人で腰をかけた。
まず話したのが、どうしてまもりが女の子になってしまったのかという理由だ。
啓吾はそれを聞いて何回も謝っていた。
その話の中で武子の話が出てきた。
その後啓吾が啓作の話をすると、いろいろ相談に乗ってもらったりお守りについて知っていたりと共通点が多かったことに二人は驚いていた。
一通り話し終えたところで、まもりが本題を切り出した。
「啓吾、まだあのお守り……」
「もちろん持っているさ。このために守君は来たんでしょ」
「いや、一番の目的は啓吾に会うことさ。私が女になっていることを啓吾に知られたくなかったから、連絡もしなかったのに。でも会ってみたらなんだかあっけないもんだ。私はてっきり啓吾はメチャクチャ怒ると思ってたからな」
「驚いてそれどころじゃなかったよ。それに俺が原因みたいだったし……本当にゴメン」
また手を合わせて謝る啓吾。
「啓吾は随分と強くなったんだな、私の知らない間に。"俺"言ってるしな」
「守君も、とても丸くなったと思う」
「守君じゃなくて、今はまもりだよ」
スカートを摘まんでかわいく仕草した。
「うん、まもりちゃん」
「"ちゃん"はいらない!」
「かわいいね、まもり」
まもりの顔は真っ赤になった。その顔を隠すように手で覆う。
「うるさいな。いつから私をからかうほど余裕ができたんだ? もう」
まもりはちょっと崩れたスカートの裾を綺麗に直した。
「なあ啓吾、お守り、見せてくれよ」
啓吾はポケットに入っていた、左下が焦げたお守りを取り出した。
まもりはそれを受け取ると、じっと見つめた。
その姿を啓吾もじっと見つめていた。
「なに見てるんだよ」
「いや、お願い事をするのかなって」
「暑苦しいから離れてくれないか」
「あ、ひどいなあ」
啓吾は覗いていた頭を少し引いた。
「なあ啓吾、なんでこのお守りって不思議な力を持っているんだと思う?」
まもりはお守りから視線をそらさずに言った。
「縁結びのお守りなのかもね」
「おい、お前もしかして私を女したかったんじゃないだろうな」
まもりは啓吾につかみかかった。
「ちょっと、別にそういうわけじゃないって。でもさ、なんだか武子さんと啓作さんの話を聞いてたら、そんな気がして」
「まあそういうことにしておいてやろう」
「そういうとこはやっぱり変わってないね」
啓吾がくすっと鼻で笑う。
「笑うなあ!」
まもりは真剣なのだが、啓吾との体格差でじゃれているようにしか見えない。
落ち着いたところで、まもりは再びお守りを見た。
すると前に自分が持っていたときにはなかった、不思議な感じがしているのに気がついた。
まだまもりは願い事をしていないのに。
「なんだかこのお守り、話しかけてきているみたいだ」
「なに言ってるの」
「気のせいなのかもしれないけど、私と啓吾がこういう姿で、そしてお守りが揃ったことに、お守りは満足しているみたいなんだ」
啓吾はまもりが言っていることを不思議そうに聞いていた。
「まもりがそう言うのなら、そうなんじゃないかな」
「もし本当に縁結びのお守りだとしたら、私と啓吾はこのお守りの運命の人なんじゃないかな。お守りは私達に会いたかったって言っている気がするんだ。やっと三人揃ったって」
「なんか変な言い方だけど」
「もしかしてこのお守りはすごく結ばれたい人がいて、その生まれ変わりが私達だったりしてな」
「随分と乙女チックになったんだね、まもりは」
啓吾にからかわれるのは慣れていないので、とても恥ずかしくなるまもり。
「ただそう感じただけだ!」
「でももしそうだったら、これからはさやかな願いを叶えていて欲しいものだね」
「うん」
『それがあなたの願いならば』
お守りはかすかに輝いて、まもりの手からいつの間にか消えていた。

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