戻る




少年少女文庫リレー小説実行委員会主催...


小さなお守り







第三章『新しい姉弟』





                 第三章担当: DEKOI(協力 DATTA)



□ ある1つの物語 □

 
 ここに1つの市がある。
 名前は水富湖市と言う。名前の由来は水月町、富等津町、湖有町という3つの町が合併した事によってこの市が誕生した事から、大元となった各町の名前から1文字づつ取り出して新しい市の名前として統合したのだ。
 この市が誕生してから様々な事があった。
 都市として開発されていき、人々が増え、新たに高速道路が開通され、駅前の再開発事業が開始され―――。
 一つの『市』として発展してきているそんな昭和50年の頭のある日に、ちょっとした、それでいて不思議な事件が水富湖市で起こっていた。
 ほとんどの人が知らない、知っているはずも無いそんな事件をこれから皆と一緒に見ていこうと思う。
 
 

□ 狙われた子供 □

 
 水富湖市は先に述べたように3つの町が統合してできた市である。
 その市の元となった一つの町、湖有町に古くから住んでいる一族として「佐竹」という者達がいる。
 彼等は過去江戸の時代の際には山間の竹やぶ近くで畑を耕していた者達だそうだが、今は農業の一切手をつけていない。
 ここで関係あるのは昭和49年の終わり頃に死んだ「佐竹 正樹」という男の事である。
 彼は遅咲きの事業家…………と言うよりも株式の売買取引の達人であった。齢50を過ぎてから彼は株に手をだし、様々な、それこそ株の取引所では伝説とまで言われる取引を行い、僅か10年程で80億円という大金を手中にしたのだ。
 ところが生来病弱だったのがたったのか僅か64歳の若さでこの世を去ってしまった。彼自身の性格はドケチで質素だった為、彼の資産80億円は丸々この世に残った。
 彼には妻と愛人がいたがどちらにも先立たれていた。しかし息子が3人いた。
 一人目は先の妻の息子で当時26歳の銀樹(ぎんじゅ)。勉強熱心で生真面目な性格だった為、学生時代は同学年の皆から親しわられていた俗に言う「素の優等生」とう言葉がよく似合う男だ。
 二人目は銀樹の弟で当時24歳の大樹(だいじゅ)。兄とは正反対に学生時代は暴力沙汰が多く、更に態度がでかく、少しも努力しなくせに「世間は俺を認めない」とひねた考えを持った嫌われ者だ。
 そして最後の三人目は愛人の子で当時5歳だった樹(いつき)。線の細い、見た目だけ見れば女の子と間違えられる事が多い、自己主張が薄いおとなしい子供だ。
 彼等3人に佐竹正樹の遺産80億が分け与えられた。それぞれ長男である銀樹が30億円、他2人が25億円ずつ相続した。
 銀樹は名古屋で受け継いだ遺産を元手に飲食店を始めた。彼自身の真面目で意欲的な態度に顧客は好意を持ち、少しずつ確実に利益を伸ばしていた。今では数件のチェーン店ができているそうだ。
 対して大樹は受け継いだ遺産で豪遊をしていた。お金を湯水のように使い、悪友達と散々遊び尽くしていた。
 まだ幼い樹には銀樹がつけた弁護士に財産管理をしていた。その弁護士は大層真面目な人物だった為、樹は親元がいない状況ながらもお金に困ることなく生活する事ができた。
 そして正樹が死んでから3年の月日が流れ、昭和53年になった。その夏になろうとしている日に、事件は発生した。
 
 
「じゃあなー、樹ー」
「うん、また明日ー」
 井上樹、8歳。身長は110cmちょっとで全体的に細身。目はアーモンド形に大きく見開かれており、優しげな雰囲気を湛えている。口もおちょぼ口に近いくらい小さめ。髪の毛の色は黒というよりも赤茶色に近い。男の子というよりも女の子の雰囲気を持っているが、れっきとした小学生の男の子だ。
 ところがこの樹という少年は幼稚園時代は引っ込み思案でよく苛められていたが、1年前から始めた空手のせいか今ではすっかり自分を表に出す男の子になっていた。飼育係でウサギの世話をするような見た目通りの優しい部分はしっかりと残っているが。
 今現在、下校中で友達と別れて一人暮らしのマンションに帰るところだ。樹の両親は彼が物心がつく前に亡くなってしまっい、この年で親の庇護なしで生きていく破目になってしまった。
 もっとも父方が多額の財産を彼に残してくれていた為、経済面では樹が困ることはなかったのが幸いであった。また父の本妻の息子の一人が彼に優しく、そして最低限の世話をかいてくれていたのも樹にとっては幸いであった。
 パートの人が家の中の掃除洗濯をしにくるのと、樹の兄にあたる人物−−名古屋で飲食店を営んでいる佐竹銀樹氏−−が2ヶ月に一回くらい遊びにくるのを除けば樹の生活はほぼ一人で過ごしている事になっていたが、既に彼はその生活に慣れきっていた。
「さーて今日は道場は休みだし、どこをぶらつこうかな」
 樹の趣味の一つは散歩だ。他にも自己鍛錬とか家庭菜園とか何気に年よりくさい趣味もあるが。まだ小学校低学年である樹の下校時刻はそれなりに早いので、道場が休みの日には決まって下校ついでに近所を散歩するのが癖になっていた。
 通っている学校は珍しくランドセル制ではなく、市販のリュックを用いているので下校途中の子供として注意を受けることがないのが彼にとって幸いであった。一応登下校時には黄色の帽子を被って胸に名札をつける事が義務付けられていたが、一人になった途端に彼はその2つをさっさとリュックの中にしまいこんだ。
 樹は鼻歌を口ずさみながらのんびりと散歩を開始し始めた。
 しばらく歩きつづけていると樹は川原についた。川の両側に作られた土手には雑草が青々と生い茂っている。深くない川はさらさらと流れており、上流はあまり開発が進んでいないのか水は透明度が高く、鮎くらいの大きさの魚が泳いでいるのが見える。
 樹は土手の草むらに足を入れた。リュックを雑草の上に置き、ごろりと寝そべった。
 今日はどちらかに定義しろと言われたらまず『いい天気』といって間違いの無い天気であった。空には白い雲がいくつか見えるが澄みきった青が見て取れた。
 寝そべったまま樹は腕を伸ばし、次に草むらに大の字を作るかのように大きく腕を広げた状態で投げ出した。
「んん??」
 本来なら手の甲に受けるのは草の柔らかさと硬さの混ざった独特の感触の筈だった。左の手の甲に受ける感触は確かに草の物だったが右の手の甲のはそれとは異なる物だったのに樹はいかぶしげを感じたのだ。
 右の手の甲に受けた感触に樹は『布』を連想した。それもま新しい肌触りの良い物ではなく、古くなり汚くささくれ立ってきた『布』のようだ。
 指の先はは草の感触を感じているところからしてあまり大きくないようだ。少なくとも10cmはないだろう。
 樹は寝そべったまま右手を器用にひっくり返すとその物を掴んだ。そして目でその物を確認してみた。
「お守り…………だよな?」
 やや躊躇しながらも樹は右手に握っている物についての感想を口にした。正月で神社参りした時に売っている「安産祈願」もしくは「交通安全」といったどこにでもあるような紫色お守りのように見えた。だがそれだけなら樹は言葉をにごさなかっただろう。そのお守りと思わしき物には妙な所があったからだ。まず下端の箇所が焦げている事、これはどうでもいいとしても…………
「何のお守りなんだ??」
 そう。通常お守りには「商売繁盛」やら「家内安全」といった文字が書かれている筈だ。ところがそういった類の文字は一言も書かれていないのだ。どっかの家族が手作りで作ったのかもしれないがそれにしては出来が良すぎた。
 袋の中に何か入っているのかと思ったが口を閉じている紐は異様に堅く閉められていて全く開こうとしない。数分ほど意固地になって開けてみようとしたが最後にはあきらめてしまった。
「まあいいか」
 樹は散歩を再開する為に立ち上がった。そして無意識の内にお守りをズボンのポケットに入れていたのであった。
 
 樹は散歩の最後には夕食の買出しをしていく事にしている。魚を購入しようと魚屋に向かった。「おー、樹君じゃんか。何時も大変だねぇ」
「いやぁ、生活する為にはしょうがないっしょ」
「そうだなあ。あ、今日はアジのいいのが入ったから買ってくかい?なんだったら一尾おまけするけど」
「あ、おねがいします」
 何度もいっていて、自分の事情をさり気無く教えているので少しおまけもつけてくれる。一人暮らしの長い樹のしたたかさが見て取れた
 そんな調子で店を転々として夕食のオカズを購入していった。ちなみに購入したのは魚と野菜と卵。全ておまけをつけてもらっていた。
 意気揚揚と表通りを抜けて住居であるマンションに向かう家路につこうとしていた。
 昨年頃から富等津町駅前の再開発事業が始まった煽りを受けてか湖有町付近にも開発の波が少しずつ侵食してきていた。
 今から樹が帰宅の為に歩こうとしている道の両端には1年前には大きな空き地が存在していた。だが今現在には住宅用のマンションが建設されようとしていた。
 その道を歩いていると突然、樹の足元に乱れが生じた。
 樹が不審に思って足元を見てみると、靴の紐がほどけていた。しかも両足同時に。
 そのまま歩いても問題は特に無いかもしれない。だが間違いなく紐は汚れるだろう。そう考え樹は紐を結びなおす為に足を止め、しゃがみこもう…………とした。
 鈍い音が辺りに響いた。あえてその音に擬音をつけるなら『ドシン』が正しいか。
 樹は顔をあげた。目の前にビルやマンションを建てる際によく使用する巨大な黒い鉄の棒、すなわち鉄骨が地面に横たわっていった。
 もちろん、先ほどまでそんな物は道に落ちていなかった。ほんのつい先ほどまでは。
 樹は呆然と鉄骨を見ていた。一体なにが起きたのかまだ幼い彼には想像すらできずにいたのだ。
 ぺたん、と思わず尻もちをつく樹。段々と何が起こったのか理解し始めたのか全身が小刻みに震え始めていた。
 そんな状態の樹には、建設中のマンションの骨組みから誰かが自分を覗き見していることにも、そして無事な樹の姿を見て舌打ちをついたことなど気がつきようもないのであった。
 
 その日から樹の受難の日々が続いた。最低でも1日に1回は死に直結しかけない事故にあい、そして間一髪のところで逃れていたのだ。
 例えば。道を歩いていると上から大きな植木鉢が落ちてきた。突風がいきなり吹いて樹の背中を押さなかったら頭に直撃していたかもしれない。
 例えば。曲がり角から突然車が飛び出してきた。目の前に木の葉がまとわりついて思わず立ち止まらなかったら撥ねられていた可能性は大きかったろう。
 その他にも脆くなっていたブロックの壁が壊れて倒れてきたり、マンホールの蓋が何故か開いていたりと一歩間違えれば大事になりかねない事故が樹を襲い続けた。
 あまりにも多くの不吉な出来事に、根が強いがまだ小学生である樹には耐え難いものがあった。次第に外に出るのを恐れ、引きこもる毎日を送るようになっていった。
「さびしいよ…………」
 暗い部屋に1人でいるのは樹の心に不安と孤独感をかきたてるのに充分なことであった。
「母さん、なんで死んじゃったんだよ…………、なんで僕は1人ぼっちなんだよ…………」
 ベットに包まりながら樹は泣いた。それが更に悲しみや孤独感をかきたてるのだが樹には止めれようもなかった。
「お願いだよ……一緒に暮らしてくれる…………」
 
 

□ ひどい兄 □

 
 樹が寂しい1人暮らしを続けているそんなある日曜日、樹の暮らすマンションのドアを叩く音が聞こえてきた。
 ドアを叩くその音に聞き覚えがあった樹は顔が輝かせてドアを開けた。ドアの向こうには30少し前くらいの髪の毛を七三に分けた全体的に細身の男が立っていた。黒ぶちの重厚そうな眼鏡の奥には細身ではあるが優しげな光を湛え、柔和な笑みをかたち作った目がある。
「銀樹兄さん!」
「やあ、久しぶりだね樹」
 彼こそ樹と大きく年が離れた異母兄弟の1人、銀樹であった。彼は月に1回くらいの割合で樹の下を訪れていたのだ。
 樹は年が大きく離れているのに気さくでそれでいて自分が辛い事などがあった時は真剣に相談にのってくれる兄のことが大好きであった。まだ若いのにすでに自分の力で事業を起こしているこの兄の事を尊敬すらしていた。
「ちょっと待っててね。お茶をいれてくるから」
 ここ数日間の落ち込みを振り払って樹は台所にお茶を取りに行った。その様子を銀樹はにこにこと笑みを浮かべながら見ていた。
 数分後、樹と銀樹は向かい合って応接間のテーブルに座っていた。
 樹は大好きな兄が来たの事にはしゃいで、色んなことをしゃべり続けた。それを銀樹は笑いながら聞き入っているようであった。
 樹がおしゃべりを終えると今度は銀樹は真剣なまなざしでじっと樹を見始めた。その様子を樹はポカンと見つめた。
「どうしたの、銀樹兄さん。僕の顔になんかついている?」
「なあ樹。この頃なんかよくないことがなかったか?」
 銀樹にそう言われて樹の心臓は飛び出すのではないかと思うくらい跳ね上がった。確かにこの所よくない事が起こりまくっていたからだ。
「え、え?そ、そんなのないよ??」
 そう答えながらも樹の目は思わず泳いでしまっていた。それを問い詰めるかのように銀樹の視線は厳しいものになった。
「樹。お前は気づいていないかもしれないがいつもより冗舌だしそれにまるで僕にかまってもらいたいみたいだ。正直に言えよ、何かあったんだろう?」
 樹は兄の慧眼に内心舌を巻いていた。
「うん、実は…………」
 樹は銀樹にここ数日間にあった事を説明しだした。その間銀樹は黙って聞くかと思いきや、事細かに質問してきた。それもしつこいくらいに。
 樹の話を聞き終えた銀樹は口元に手をあて眉間に皺を寄せながら考え込んでいるかのようであった。その状態のまま2分ほどたったか、不意に顔をあげた。
「なあ樹。その事故が起こり始める直前になにかなかったか?」
「何かあったか……と言っても…………。あえて挙げればお守りを拾ったくらいかな」
「お守り?」
「うん。近くの川で拾ったんだ。この所の事故から守ってくれてる気がしていつも持ち歩いているんだけどさ」
 だが銀樹は樹のその言葉を聴くと、目を閉じて顔を横に振った。
「いや、もしかすると、そのお守りがお前を事故に誘っているのかもしれないよ」
「そんなまさか…………」
「ううん、僕にはそんな気がするんだ。どうだろうそのお守り、僕が処分してきてあげるよ」
「でも…………」
「僕の言うことが信用できないかな?」
 困ったような顔で樹を見つめる銀樹。大好きな兄を困らせた気がして樹は居たたまれない気になってしまった。
「うん、わかったよ。ちょっと待っててね、お守りを持ってくるから」
 樹は立ち上がると自室に向かって歩いていった。そしてランドセルの中にしまってあった紫色のお守りを取り出した。
「これだよ」
 そう言いながら銀樹にお守りをさしだした。銀樹はお守りを受け取るとさもうさんくさげにお守りを見始めた。
「ふううん……。何のお守りかわからないし、そう言えば壊れたお守りは逆によくないことを呼ぶといわれているからね。これは持っていない方がいいよ」
「そうかな…………、ううん、そうだね!」
 何か釈然としないものを感じるものの、大好きな兄の言うことだからと納得する樹。それを見て銀樹は頷くと立ち上がった。
「あれ、もう帰るの?」
「うん、実はこの近くで商談があってそのついでで来たんだ。今度きたらゆっくりとしていくよ」
 寂しそうに自分を見つめる樹に笑って答える銀樹。それを見て樹も笑顔を浮かべた。
「そう、それじゃ今度きた時はゆっくりしてってね。約束だよ!」
 玄関先まで2人で並んで歩いていく、うちに銀樹は不意に顔を曇らせた。
「そういえば大樹はここの所どうしてるか知ってるかい?」
「大樹兄さん?ううん、全く音沙汰がないよ」
「そうか。あいつこのところ金使いが荒すぎてもう貯金がなくなってきてるそうだからな。気をつけろよ。もしかしたら金をせびりに来るかもしれないからな」
「うん、わかったよ。気をつけるようにするね」
「ああ、じゃあな」
 樹と銀樹は顔を見合わせるとお互いに笑顔を浮かべて玄関のドアを閉めた。
 すると、銀樹の笑みの形が変化した。にこやかだった笑みがまるでほくそえむかのようなものに変わったのだ。見ている者の不安感と嫌悪感を掻き立てかねない――いや、掻き立てる笑みだ。
 その俗に言う「嫌らしい」笑みを浮かべながらマンションをでると、銀樹は側に止めてあった車に乗りこんだ。何と驚くべきことにその車は当時大いに流行っていたスーパーカーの1つ、カウンタックであった。黄色の塗装にガルウイングが実にかっこいい、しかし庶民には手が絶対に手が届かない車だ。
「どうでしたか?」
 運転席に乗っている銀縁めがねの頭が禿げ上がった小太りで初老の男は無表情のまま銀樹に問いかけた。
「ああ、全く僕のことを疑っていなかったよ。あいつもまったくもってお馬鹿な弟だよ」
「左様でございますか」
 銀樹はさも楽しそうに「にやついている」としか表現できない笑顔を顔に貼り付けながら手に持っていたお守りをもて遊んだ。その間も運転席の男の表情は一切変化は見られなかった。まるで感情が欠落したかのようだ。
「それじゃあ大樹のところに行ってくれ。いい加減あいつの処理もしておきたいからな」
 銀樹の言葉をうけてカウンタックは重厚なエンジン音をたてながら走り出した。
 
 
 昭和50年代は高度成長期にも少しの落ち着きがでてきたとはいえ、道路や建物といった多くの開発がまだ多く続けられていた時代である。そんな波はどちらかといえば田舎に分けられる水富湖市にも少なからずとも影響を与えていた。
 その1つに数年ほど前に開通した高速道路がある。その際に多くの建設業者が市に入った。
 そして資材置き場のために郊外に大きな倉庫を建てた。だが高速道路の建設が終わると同時にその倉庫は用済みになり壊されずに放棄された。
 その倉庫のドアには常に鍵がかけられており一般人はは入れないようになっていた。
 しかし、そんな廃倉庫の鍵が何故かその日は開けられていた。
 大型トラックが30台はすっぽりと入りかねない巨大倉庫の中は多くのコンテナと、数台の建築用の車が放置されていた。
 無論、倉庫なのだから照明などを管理する部屋もあった。その部屋から倉庫の静けさとは対称的に、かなり騒がしい怒号が鳴り響いていた。
「くそー!俺をここからだせーー!!」
 それは男の声だった。年齢は30になるかどうかか。髪を肩口まで伸ばしており、身長165cmくらいのがっしりした体形の男がロープで後ろ手をしばられたまま管理室の床でもがいていた。ゲジゲジ眉毛で三白眼、たらこ唇で四角顔とお世辞にもいい男とはいえない。何日もその状態だったのか、男の髭は伸び放題になっていた。
「やれやれ、相変わらず五月蠅い(うるさい)男だなお前は」
 心底あきれかえったかの様な響きを含んだ声と共に管理室のドアが開いた。床にはいつくばっていた男はドアの方をキッと睨みつけた。そこには銀樹がにこやかな笑みを浮かべながら立っていた。
「銀樹、テメエ何を考えているんだ?俺をこんな事してただで済むと思ってないだろうな?」
 男は狂気すらにじませた目で銀樹を睨みつけた。だが銀樹は肩をすかしてその視線をあっさりとかわしてみせた。
「平気さ。この倉庫の名義は僕が買い取ったから誰も来やしない。それに市街から大きく離れているからどんなに騒いでもお前の声なんて誰も聞き取ってくれない。すなわち僕が悪事をするにはぴったしの場所なんだよここは」
 悪意に満ち溢れた言葉をさらりと言いながら銀樹はさらに笑みを深めた。その笑顔を見て床に這いつくばっている男は、驚愕と恐怖を混同した表情を顔に浮かべた。
「どうしちまったんだよ、銀樹!?なんでお前がこんな事を……」
 男の困惑の言葉に銀樹は眼鏡を指で優雅に押し上げながら笑みを再度浮かべた。
「その年になっても遊びまわっているお前とは違って僕は世の中の理を学んできたのだよ、大樹」
 銀樹は大きく両手を広げるとまるで宣言するかのように高らかに声を続けた。
「この世の最も高い基準は金さ。金を多く持ってる奴は何でもできる。この事を僕は世にでて悟ったんだよ。どんなに汚いことをしようと例え人を殺したとしても金を持ってれば簡単にもみ消せる。そう、金こそ絶対の真理なんだよ」
 次に両腕を交差して肩を手で掴むとまるで夢を見てるかのような恍惚とした表情を浮かべる銀樹。
「そんな高尚たる金をわざわざお前達のような愚昧な弟に持たせておく必要なんてないだろう?だからわざわざ表ざたにならないようにして金を回収しにきたのさ」
「銀樹……お前…………」
 床に這いつくばった男−−−大樹は愕然とした顔で実の兄をみつめた。その顔は次第に苦渋に満ちた顔に変わっていった。
「腐り果てたな、銀樹!」
「真理を悟ったと言ってほしいね、愚かな弟クン」
 大樹の悪態を笑ってかわす銀樹。その様はまさしく悪行に溺れた男にふさわしい物があった。
 銀樹は右手を懐にいれた。そして次に手をだしてきた時には1つの黒い塊をにぎっていた。それを見て大樹の顔が青く染まる。
「金があればこういった物も簡単に手に入れる。まさしく金とは偉大なものだよ」
 銀樹はにこやかに笑いながら黒い塊…………銃を大樹に向けた。そして顔に笑みを浮かべたまま引き金を躊躇することなく引いた。
 軽い、そしてはじけた音が鳴り響いた。一本の指が引き金を引いたことで銃口から発射された弾丸は大樹の右胸に突き刺さり、鮮血を辺りに撒き散らした。
 大樹は信じられないという表情を浮かべたまま口から血を吐き出した。そして唯一起こしていた上半身も床に倒れ伏せた。
 ビクンッ、ビクンッと痙攣を続ける大樹を笑いながら見つめながら銀樹は上着の内ポケットに銃をしまいこんだ。
 その顔に怪訝なものが浮かぶ。次に上着の内側からとりだした手の中には樹から取りあげたお守りが握られていた。
「ふん、馬鹿馬鹿しい。こんな物で僕のたてた計画が崩れるわけないだろうが…………」
 忌々しげにお守りを見つめると、未だに痙攣を続けている大樹に向けて放り投げた。そして管理室のドアを閉めると後ろも見ずに倉庫から出て行った。
 外には黄色のカウンタックが止まっており、その横には先ほどまで運転席に座っていた髪の毛がさびしい初老の男が無表情のまま直立不動で立っていた。
「中村。樹は事故に装って処理しろといったがまだ成功してないようだな」
「申し訳ございません」
「面倒だ。樹はさらってきてこの倉庫で処理しろ。そして2人の死体をこの倉庫ごと焼却しろ」
 銀樹はさらりと残酷なことを言いながらカウンタックの助手席に乗り込んだ。続いて中村と呼ばれた初老の男も運転席に乗り込む。
「警察は大樹が金欲しさに樹をさらってきて、暴れた樹が誤って放火。そして2人も逃げ遅れて死んだとでも思うだろうさ。何せ大樹は僕と違って品行が悪いからな」
「左様でございますね」
「この倉庫と僕との関連について消しておけよ。その為に金を惜しむな……あの2人が死んでくれて僕が手に入れられる金を思えば安いものさ」
 銀樹は声高らかに笑った。それに合わせたかのようにカウンタックのエンジン音が鳴り響き、そして倉庫から離れていった。
 
 
 俺…………死ぬのかな…………
 深い闇に堕ちていく感覚を味わいながら大樹は思った。
 俺が死ぬのはしょうがないかもな…………散々人様に迷惑かけてたし…………
因果応報ってやつなのかもしれないな…………
 …………でも…………
 …………樹は悪いことなんてしてないのに…………
 …………あんな奴の毒牙にかかるのなんて…………
 …………助けなきゃ…………
 …………俺はあいつの兄貴なんだから…………
 …………あいつを助けれるのは俺だけなんだから…………
 …………タスケ……ナキャ……
 …………イツキ……ヲ……タ……スケナ……ナキャ…………
 大樹の身体の痙攣はすでに止まっていた。だが、その側に銀樹が投げ捨てていったお守りがほのかに白く輝いていることに誰も気がつかなかった。
 
 

□ 必殺スーパーお姉ちゃん □

 
 数日後。
 樹は元気よくリュックをしょって下校をしていた。
 銀樹がマンションを訪れてから今までの事が嘘のように不吉な事故がピタリと止まったからだ。
「やっぱ銀樹兄さんの言った通り、あのお守りが事故を舞い込んでいたのかな?」
 誰が聞くのでもなく、樹は思ったことを口にしていた。だがその表情には数日前に浮かんでいた憂いは浮かんでいない。
 軽くステップを踏みながら曲がり角を曲がろうとしたその矢先、今まさに曲がろうとしていた角から突然人がでてきた。樹は思わずびっくりして足を止めた。
「森中樹君だね」
 曲がり角からでてきた頭が禿げ上がった初老の男はぶしづけに樹に質問してきた。ちなみに「森中」とは樹の母親の姓だ。
「そ、そうですが…………」
 思わずそう答えた樹に対して男は安堵の表情を浮かべてみせた。だが、冷静にみればその顔はなんとなく作りめいた風にも見える。
「よかった、実は君の異母兄弟の銀樹さんに言伝を頼まれていてね。できたら一緒に来て欲しいんだ」
「銀樹兄さんに?一体何の用件ですか?」
「それは向こうに着いたら教えるよ。さあこれに乗って」
 男はそう言うと背後に止めてあった黄色のカウンタックを指し示した。
「うわぁ、カウンタックだ!すげぇ!」
 樹は憧れの目でカウンタックを見つめた。この年頃の少年にとってはカウンタックといったスーパーカーは羨望の的なのだ。
「伯父さんこれ運転できるの?と、言うか本当に僕がこれに乗っていいの?」
「勿論さ。さあさあ乗って」
「うん!」
 相手が銀樹という名前をだしてきたのと、スーパーカーに乗れるという興奮から樹は学校で耳がたこができるまで言われている「知らない伯父さんについて行ってはいけない」という事をすっかり忘れてカウンタックに乗り込んだ。
 男−−−中村は運転席に座るとドアを閉め、そして鍵を閉じた。無論、樹を逃げ出せないようにする為だ。
 そして何も知らない樹を乗せて、黄色のスーパーカーは死刑場を目指して走り出した。
 
 
「この倉庫に銀樹兄さんがいるんですか?」
 見知らぬ男に案内された樹は、市街から大きく外れたところに置いてある巨大な倉庫の中に入っていった。
 放置されたコンテナと建築用の車が天井の蛍光灯に不気味に照らされていて、思わず樹は身震いした。
「おじさん、銀樹兄さんはどこですか?」
「ああ、あっちの部屋にいるよ」
 中村は無表情のまま管理室の方を指さした。もう片方の手では2人が入ってきた入り口のドアの鍵を静かに閉めている。樹は中村の指示に従って管理室に歩いていこうと中村に背をむけた。
 その直後。その小太りな体躯から信じられない素早さで樹に踊りかかった。そして樹を全身で押し倒した。
「おじさん、なにを……!」
「銀樹様のご命令だ。貴様を殺す」
 中村は無感情な声でそう言うと樹の細い首を絞めだした。
 みるみるうちに土気色に変わっていく樹の顔色。樹は必死になって逃げ出そうとするが悲しいかな、大人と子供の体力差か。中村の手にひっかき傷を作ることができても振りほどくことはできないでいる。
 死にたくない!必死なって心の中で叫ぶ樹。その決死の思いが実を結んだか、口から助けをよぶ叫びが迸った。
「助けてーーー!誰か、助けてーーー!!!」
 



 
「助けてーーー!誰か、助けてーーー!!!」 
 
 その声は小さかったが確かに大樹の耳に届いていた。それに呼応するかのように大樹の意識は急速に覚醒していった。
「今の声は樹?………………ん???」
 目を開けて思わず声をだす大樹。だが出した声はどこか変であった。聞いたことのない声だったからだ。
 だがそんな事を気にしていられない。急いで身体を起こしたその瞬間、
 
 ユサッ
 
「ほにょおお??」
 今まで味わったことのない胸になにか張り付いたような重量感に奇天烈な声をあげる大樹。思わず胸を見た。
 着ていたシャツは右胸の箇所に穴が開いており、その周囲は血まみれになっていた。だがそれ以上に大樹を驚かしたのは微妙に胸の箇所が盛り上がっている事であった。
 無意識のうちに胸に手を当てた。手に今まで慣れ親しんだ堅い感触ではなく柔らかい『ぽにょ』っとした新鮮な感触が沸き起こる。
「きゃあ!」
 何故かいたたまれない気持ちになって胸から手を離す。胸から離した手を意味もなくプラプラと振ってみたりしている。
「な、なんなのよ一体?あたしに一体なにが…………へ?あたしぃ??」
 自分の口からでてきた口調と一人称表現にふたたび驚く大樹。なにが起きているのかわからず混乱状態に陥っている。
『なんで"あたし"なんて言うんだよ? "俺"だろう?』
「なんなのよ、なんで"あたし"なんて言うの? "あたし"でしょう?」
『ええ??思った事と言ってる事が全然違うぞ? どうなってんだよ?』
「ええっ??思った事と言っている事が全く違うわ? どうなってるのよ?」
 自分の言葉によって更に混乱を深めていく。一体全体なにが自分の身に起きたのかまるでわからないのだからしょうがないかも知れないが。
 ふとその目は、管理室の壁にかかっている鏡を捕らえた。反射的に大樹は鏡を覗き込んだ。
『ええ?誰だよこいつ?』
「ええ?誰よこの子?」
 大樹の顔は目つきの悪い三白眼にたらこの如く厚い唇、ゲジゲジだった眉毛を持った四角い底意地が悪そうな20歳後半のくたびれた男ものだった。だが覗き込んだ鏡には黒ダイヤを思わせる大きく見開かれた黒目がちな瞳、一直線で凛とした眉毛、桜の花びらを連想するかのような小さく、薄い桃色に潤んだかわいらしい唇をした卵形の全体的に優しげな17、8歳前後のはつらつとした少女の顔が映っていたのだ。髪の毛の長さは変わっていないが、色はくすんだ黒から烏の濡れ羽色を思わせる艶やかな漆黒になっていた。
 今、鏡を覗き込んでいるのは自分しかいないはずだ。念のために大樹は後ろを振り返ってみたが誰もいないのを確認できただけであった。
 まさか、と思って履いているズボンの前に手をやってみる。だが手には慣れ親しんだ"息子"の感触はなく、平らな板を触れたような感触しかなかった。
『う、嘘だろ、俺、女になっちゃったのかよ!? ああ、また言葉使いが女のに変わってる、なんでだあ??』
「う、嘘でしょ、あたし、女になっちゃったの!? やだ、また言葉使いが女性のに変わっちゃうわ、どうしてえ??」
 実の兄に銃で撃たれて、目を覚ましてみたらうら若い少女に変わっている。このような事態になって混乱しないのはよほど胆が据わった人間だろう。
 そして『大樹』はそこまで胆が据わった人間ではなかった。と、いう訳で彼……いやさ彼女は頭の中で「なんで?」がフィーバーしまくり、混乱して混迷をするのであった
 だが次の瞬間には、『大樹』の混乱を一気に覚ます声が耳に飛び込んで来た。
「助けてーーー!!」 
 樹の悲鳴。それを聞いて我に返った『大樹』は身を起こした。またもや胸にゆさぶるような違和感がわきおこるがあえて無視する。
 部屋のドアについている窓を覗いてみると禿げ頭の男が樹に覆いかぶさり、首を絞めているのが見えた。
「大変だわ!急いで助けなきゃ!!」
 ドアを開けようとノブをまわして力一杯引っ張る。だがドアは何故か開かない。更に力をこめて引くがドアはびくともしなかった。
「なんで開かないのよ?カギはかかってないんでしょう?」
 何故か開かないドアに『大樹』は慌てた。ドアの窓から見える樹の顔色が土気色に変わっていくのを見てさらに慌てふためいた。
『せめてあの男の注意だけでもこっちに向けないと!でもどうしたら…………!』
 そう思った次の瞬間。『大樹』の口からとんでもない言葉がとびだしていた。
 



「まぁぁぁいにちぃぃまいぃぃにちぃぃぼぉくぅらぁわぁてぇぇぇぇぱぁんのを〜〜〜、うえぇぇぇぇでぇやかれてぇやになっちゃうよぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
 
 それは数年前に空前の大ヒットをあげた曲の最初のサビだった。それを『大樹』は妙なアクセントをつけながら凄まじい大声で何故か歌いだしたのだ。確かに注意をひくには効果的な方法ではある。
「な、なんだぁ?」
 突然沸き起こった変な大声にいつもは無表情無感情の中村は不覚にも驚きの声をあげて周囲を見回した。その際に樹の首を絞めていた手の力を緩めてしまう。
 その隙をついて樹は暴れまわり、自分の首を締め上げる手をふりほどき、身体をよじって中村の下から逃げおおせた。
「…………あらこのドア、こっちからだと押して開けるんだわ……」
 自分の口からでたあまりに突拍子のない言葉に一瞬唖然とした『大樹』だったが、その為にかえって冷静になり、ドアの開け方が間違えていたことに気づいた。そしてドアを押して今度こそ開ける事に成功した。
 急いで管理室から跳び出すと、未だに倒れこんでいる樹に向かって走り出した。胸がゆさゆさ揺れたがやっぱり今回も無視した。
「樹!大丈夫!?」
 『大樹』は樹の側まで走り寄ると樹を抱き起こした。そんな『大樹』を見て樹は目をパチクリと瞬かせる。
「お、お姉ちゃん誰?」
 樹の言葉を聞いて慌てふためく『大樹』。
『えーっと、何て言えばいいんだ?俺はお前の兄の大樹だ!って言っても信用しないだろうし。』
 と心の中では思ったのだが、口からでた言葉は『大樹』を更に驚愕させる内容であった。
「あたし?あたしはあなたの姉の美樹(みき)よ!」
「『えええっ??』」
 同時に驚きの声をあげる樹と『大樹』(の心の中)。
「ぼ、僕、お姉ちゃんがいるなんて知らないよ??」
 樹の問いかけに『大樹』の心の中の言葉は
『当たり前だろ!俺がなんでお前の姉なんだよ!?』
 だったが、口から出た言葉は
「とーぜん!あなたが父さんの愛人の子ならあたしは隠し子だもん。知らなくてあったりまえよっ!」
 と全く違う内容であり、更には樹に対して不適な笑みを浮かべさえしたのだ。
 考えている内容と言ってる内容のあまりの違いに『大樹』……いや美樹の頭の中は大混乱状態に陥っていた。言おうとした内容が違うどころか言っている内容すら訳が分からないのだから混乱しない方がおかしいだろう。
 だが事態は美樹を混乱し続けていることを許さなかった。
「ほぉぅ……樹さん以外に銀樹様の血縁者がいるとは……。これは一緒に処理しとかないと銀樹様にお目玉を食らってしまいますね」
 2人の目の前にまるで生者の生き血を求める幽鬼の如く中村が立ちふさがった。
 美樹は中村をにらめつけると怯える樹を自分の後ろに隠した。
「なんであんな外道の言うことを聞くの?」
「金をもらっている身にとって上司の命令は絶対でしてな。それに…………」
 そこまで言うと中村は舌で唇をベロリと舐め、ねちっとした笑みを顔に浮かべた。
「こういった仕事をしていると味わえるんですよぉ。あなた達のような弱者をいたぶり殺す快楽をねぇ」
 中村のおぞましい笑みを見て美樹の身は思わず震え上がった。樹も震える手で美樹の服の背中の部分をぎゅっと握り締める。
「…………あたしも人の事を言えない身のつもりだけど、あなたはそれに輪をかけて最低の人種のようね」
 美樹は中村に対して少し前に見たボクシングの試合で選手がしていたフォームを見よう見まねで構えた。それに対して中村はねちっとした笑い顔を貼り付けたまま構えをとらずに無造作に美樹達に向かって近づいてきた。
『あーこの野郎、俺が素人だと思ってなめているな。…………でもどうしよう、やっぱ勝てる気しないなあ。泣いて誤っても許してくれないだろうし……』
 そこまで考えて自分が弱気な事を考えてるのに気づき、美樹はそんな考えを振り払うかのように頭を左右に数回ふった。
『えーい、考えてもしょうがない!俺の身体に何が起きてるのか知らないけど、とりあえずはこの事態から樹を守らなきゃ!頑張るぞ、美樹!』
 覚悟を決めて正面を向きなおす。心の中では一人称は"俺"のままでも自分の名前を"美樹"と言っていることに気づいていない。

 中村は冷静に事態を確認していた。自分は主人の銀樹から樹という子供を「処理」するように言われていた。ところが樹を騙してこの倉庫に連れ込んで「処理」しようとしたら、某名曲を唄いながら目の前の娘がとびだしてきたのだ。更に娘は樹の姉だという。
 どうやってこの倉庫に忍び込んできたのかしらないが、娘が樹の血縁者であろうがなかろうが殺害(まだ未遂だが)現場を見られた以上この娘も「処理」しなければならない。
 中村はそう考えて、愉悦感に浸った。あっさりと「処理」できる子供よりも精一杯無駄な抵抗をする娘の方が「処理」を楽しめるからだ。中村は根っからの殺人快楽主義者なのだ。
 中村はまず娘の髪の毛を掴もうと手を伸ばした。美樹にはその動作が何故か緩慢なものに見えた。身をよじって避けるとお返しとばかりに両手で思いっきり中村を突き飛ばそうと試みる。
 中村はしょせん小娘の細い腕で押されてもびくともしないだろうと、タカを括って避けようともしなかった。
「えーい!」
 美樹は叫びながら思いっきり中村を突き飛ばした。するとなんと中村の身体は後ろに大きく吹き飛び、置いてあった鋼鉄製のコンテナに音をたてながらめり込んだ。
 美樹も樹もあまりの事に目を丸くした。特にその事態を起こした当の本人である美樹は顎が外れたかの如く口を開けている。
「すごいよ、お姉ちゃん!ものすごい馬鹿力!」
「あはははは、喜んでいいのかしらん、そんな事いわれて……」
 目を輝かせて自分を見つめる弟に対して、美樹は乾いた笑いで答えた。
 その間によろよろと中村は立ち上がった。押された時に肋骨でも折れたのか胸に手をあて、苦痛にゆがんだ口からは血が一筋流れていた。
「ぬぬう……ただの小娘かと思いきや、凄まじい馬鹿力の持ち主だとは……。あなどったぞ」
「お願い、馬鹿馬鹿いわないで…………」
 全く褒められていない2人の言葉にだーっと涙を流す美樹。緊迫した状況にも関わらず、心底なさけない気持ちになってしまう。
 中村は片手で胸を押さえつつ、懐に手を突っ込んだ。その光景にやなデジャヴを感じた美樹はとっさに樹を抱え込むと一緒に近くのコンテナの陰に隠れた。
 その直後に乾いた音が辺りに鳴り響いた。続いて堅い何かが金属に当たる音が木霊する。
 美樹は樹をぎゅっと抱きしめながらコンテナの陰から今さっき自分がいた所を覗いてみた。すると中村が銃を持って立っているのが目に飛び込んできた。
 美樹の脳裏に銀樹に撃たれた時の情景が浮かんだ。思わず樹を抱きしめている腕に力がこもる。
「お、お姉ちゃんくるしい…………、つぶれちゃうよぉ」
「え?あ、ごめんね」
 大人1人をコンテナにめり込ませるほどの怪力だ。このまま抱きしめていたら樹のミンチが出来上がっていただろう。美樹は慌てて力をゆるめた。
「どうしよう……。銃のあいてなんて、いくら何でもできないわ……」
 美樹は思い悩んだ。なによりも銃に撃たれた時の記憶が彼女を恐怖心に捕らえようとしていた。
 だが、彼女にはそんな恐怖を忘れさせる希望の勇者がすぐ側にいた。
「大丈夫だよお姉ちゃん!だってお姉ちゃんはスーパーマンだもん!」
「樹…………」
 目を輝かせて自分を見上げる樹を見て、美樹は恐怖心が和らいでいくのを感じた。それと同時に闘志が湧き上がってくる。
『そうよ、樹は絶対に守らなくっちゃいけないんだ。へこたれてなんていられない!』
 と、気合を入れると再度美樹はコンテナの陰から頭をだした。するとすぐ側でチュイーンという音と火花が生まれ出たので慌てて頭をひっこめる。
 つかつかという足音が何故か大きく聞こえてきた。美樹はグッと唇をかみ締めると気合をいれた。
『ここに隠れていてもどうせすぐ近寄られる。だったら一か八かでぎりぎりまで近づいてきたところを躍りかかっておもいっきりぶん殴る!』
 美樹は思いのほか冷静にそう考えると握り拳を作った。そして中村の足音を聞きながらタイミングを計った。
 今だ!そう思った瞬間には行動に移っていた。跳ね上がるように足で地面を蹴ると美樹は中村めがけて走り出した。
 ここで美樹と中村、両者に誤算が生じていた。美樹の誤算は予想よりも中村がいる場所が遠いという事だった。5、6歩は覚悟していたが実は10歩以上も離れた所にいる時点で跳び出してしまったのだ。その為に、中村は余裕を持って美樹の頭めがけて銃を構えることができた。
 そして引き金を引こうとしたその直前に中村の誤算が生じた。先ほど突き飛ばされた時に折られた肋骨をが急激に痛み出したのだ。その結果、引き金を引くと同時に銃の構えている方向が微妙にずれてしまったのだ。
 2つの誤算は共に美樹の味方をした。美樹の予定通りの場所に中村がいたら少しくらい銃の向きが傾いても弾丸は美樹の身体に突き刺さっていただろう。だが検討違いすぎるほど離れていた為にずれは大きくなり、弾丸は美樹の頬をかすめる程度の傷をつけただけではるか後方に飛んでいってしまったのだ。そして胸の痛みで苦しんでいる中村に美樹は容易に近づくことができた。
「どうぅりゃああ!」
 儚げな見た目とは裏腹な豪快な掛け声と共に美樹は握り拳を中村の顔面に叩き込んだ。中村の身体はまるで紐でひっぱられたかのように後ろにすっとんでいくと、コンテナを飛び越えその背後にあった建築用の乗り物に突っ込んだ。
 それと同時にバァンという激しい破裂音が鳴り響いた。
 美樹はファイティングポーズをとったまましばし固まっていたが、何も起きないのを不信に思い、抜き足差し足で中村の方に近づいていった。そして未だに乗り物の上で倒れている中村をおっかなびっくりの状態で覗き込んだ。
「…………うわっ…………」
 そこには乗り物にぶつかった衝撃で暴発したと思われる銃で心臓の箇所を撃ち抜かれた中村の死体があった。もっとも彼女がおもわず声をあげたのは怪力パンチによってぐちゃぐちゃに砕かれた顔面を見たからだが。
 「自業自得よね、こればっかりは」
 美樹は中村の死体に一瞥をくれると、樹を隠している場所に向かって歩き出した。
 
 

□ 天罰覿面 □
 
「銀樹……お兄ちゃん……」
 美樹に付き添われて倉庫から出た樹は乗ってきたカウンタックの側に立っている銀樹を見て思わず呟いた。銀樹も倉庫から出てきた樹の姿を見て硬直した。
「あ、ああ、樹。大丈夫か?なんかさっきから銃声が倉庫から鳴り響いていたが」
「あ〜ら、お兄様ったら。品行方正たる貴方様が銃声なんてもの、なんでわかるのですかぁ??」
 うろたえながらも話しかけながら樹に近寄ろうとした銀樹の前に、なんとも意地悪そうな笑みを浮かべた少女が立ちふさがった。
「だ、誰だ君は?」
「あたし?あたしは樹の姉の美樹って言うの。よろしくね、おにいちゃん☆」
 美樹はさらににんまりと笑うと銀樹につめよった。笑顔からにじみでる凄みに銀樹はおもわず後ろにたじろいでしまう。
「樹の姉?美樹??そ、そんな奴は僕は知らないぞ」
「知らなくて当然でしょうね、あたしは貴方達のお父さんの隠し子なんだから。遺産相続からも外れちゃってるはみだしっ子ですからねぇ」
 美樹と銀樹はしばし睨み合うが、銀樹の方が観念したのか目をそらした。その銀樹に樹が近寄っていった。目には批難と悲しみが複雑に絡み合った感情が浮かび上がっている。
「お兄ちゃん、なんで僕のことを殺そうとしたの?」
「な、何のことだい樹? 僕が樹のことを殺そうとなんてするわけないじゃないか」
 否定の言葉を口にしながらも額には脂汗が浮かび、目は泳いでいる。その様子を見て樹は落胆の表情を、美樹は底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「そうよね〜。樹を殺そうとしていた男はお兄様の名前をだしていたけど、出まかせかもしれないし、何で樹がされわれた場所にどうしているのかわからないけど偶然かもしれないものね〜。お兄様が樹を殺そうとしていただなんて、分かりっこないわ」
「そ、そ、そそそそうだろうとも。ぼぼぼ僕が樹を殺すだなんてするわけないじゃないか」
 美樹の言葉を受けて銀樹も答えた。だが顔面は脂汗でびちゃびちゃになり、目は四方八方に泳ぎ、手も小刻みに震えていた。すでに態度からなにをしようとしていたのか誰が見てもばれてかねない態度であった。
「そ、それじゃあ商談があるから僕はこれで。み、美樹君といったね。君との事はまた後で話し合おう」
 銀樹は美樹と樹の冷たい視線をあびながら汗だくのままくるりと回れ右をすると、停めてあるカウンタックに乗り込んでそのまま走り去ってしまった。
「ふん。語るにおちるとはよく言ったものね。どうして樹をさらった男が運転していた車のキーをあんたも持っているのよ。まったく馬っ鹿みたい」 
 冷めた視線で銀樹の乗っていった車を見送る美樹の手を、樹はぎゅっと握り締めた。美樹がふりかえると不安げな表情を浮かべた樹が目にとびこんできた。途端に優しげな笑顔が美樹の顔に広がる。
「不安?」
「うん、だって銀樹お兄ちゃんがまた僕を……」
「大丈夫。あたしがまた守ってあげるから。お姉ちゃんがすっごく強いの見たでしょう?」
 美樹は樹の目線までしゃがむと笑いかけた。その笑顔を見て樹は安心したのか笑みを浮かべる。
「じゃあ帰ろう。これからはお姉ちゃんが一緒に暮らしてあげるから、ね?」
「うん!」
 美樹と樹は手を取り合うと樹の住むマンションに向けて一緒に歩き出した。
 しばし一緒に歩いていると、不意に樹がくすくすと笑い出した。それを見て美樹の顔に怪訝そうな表情が浮かんだ。
「どうしたの?」
「うん、実は僕の願い事が叶ったなあと思ってさ」
「願い事?」
「うん。僕つい最近まで事故にあいまくっていたんだ。その時ね、1人暮らしをしてて、とても寂しかったんだ。それで僕ずっと思ってたの。『一緒に暮らしてくれる優しいお姉ちゃんが欲しいな』って。そしたら今日かなっちゃったから僕びっくりしちゃったんだ」
「へえ〜〜」
 樹の願い事を聞いて、美樹はなんともいえない、苦虫をつぶしたような顔になった。
『という事は、あたしって樹の願い通りの存在ってことなのかしら?でもなんであたし女になっちゃったんだろう?それに美樹って名前が自然に口にでてきたし…………』
 そこまで考えてふと思い立ったような感じになる美樹。
「あら、そういえば……」
「どうしたの?お姉ちゃん」
「ううん、なんでもないわ」
『あたし、いつの間にか心の中も女言葉になってるわね?なんでかしら?』
「ま、気にしたってしょうがないか!」
 いきなり開き直ったようになった"お姉ちゃん"を樹は不思議そうに見つめるのであった。
 
 
 郊外の道を凄まじい速度で黄色のカウンタックが走っている。その運転席には屈辱に満ちた表情を浮かべた銀樹が座っていた。
「くそ、なんなんだあの女は……。くそ、中村の役立たずめ、ガキ一匹も殺せないのか」
 いらだつ気持ちを少しでも晴らそうと、銀樹はアクセルを更に踏み込んだ。
 直後、タイヤが大きく滑った。その拍子でハンドルをおもいっきり滑らしてしまう。
「うわあぁぁぁぁ??」
 車は大きく横にすべり、ガードレールに激突した。その衝撃で銀樹の身体はフロントガラスを突き破って外にとびだし、頭からアスファルトの道路に激突した。銀樹の耳に頭蓋骨がくだける嫌な音がはっきりと聞こえた。
「あがぁ!」
 大量の血と脳漿が辺りに飛び散った。銀樹は道路に横倒しになった。
 その銀樹の目の前に何かが舞い降りてきた。それを見て銀樹は急速に薄れゆく意識の中で驚愕していた。
「なんで、これが、ここに…………」
 それは下端の箇所が焦げている小さな紫色のお守りであった。








戻る


□ 感想はこちらに □