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前回までのあらすじ。応援団に参加することになった由紀は応援団長の豪田王子と知り合う。応援の予行演習の帰りのある日、立ち寄ったスーパーで火災が発生。応援団長の王子は取り残された子供たちを救出するがその後、行方不明となってしまう。




TS細胞5
作:丑寅

 体育祭当日。学園の生徒が一人行方不明になるという衝撃的な事件はあったものの、体育祭は予定通り行われた。
「由紀、この間はすごかったな。でも、団長まだ見つからないんだって?」
「う、うん。ホントに何処行ったんだろう?」
「あの団長のことだから自力で脱出してそうだけどな。床に大穴が開いてて、下水道に繋がってたって噂があるぜ」
「でも、UFOが屋上に停まってたって噂もあるよ。まさか・・・・・・」
由紀は百メートル走をたった今終えたばかりの北見と話をしていた。由紀は体操着の上に学ランを羽織った格好で次の種目に備えている。
「まあ、ぴんぴんしていることを祈ろう。あの団長なら大丈夫さ。殺しても死なないって」
「そうだね。きっとそうだよ」
由紀は自分に言い聞かせるように何度も頷き、立ち上がった。
応援団は競技種目の一つに数えられるから、この後の借り物競争を終えてしまえば後は応援に専念するだけだ。
『次の種目は借り物競争です。参加選手は指定の場所についてください』
アナウンスが流れて何人かの生徒が指定された位置へ向かう。彼らは両親から声援を受けて恥ずかしそうにしていた。
「ボクの出番だ。もう行くね」
「ああ、がんばれよ。いろいろ用意しておいたからさ」
今朝、北見は巨大な風呂敷包みを抱えていた。中にはメガネやらエッチビデオやら、イチ〇ーのサイン入りバットやら、借り物競争に書かれていそうな品々を用意してきていたのだ。メガネは分かるがサイン入りバットなんてどこから持ってきたのだろう。由紀は苦笑いを浮かべて去っていった。
 そんな彼女を見守る影は一つではなかった。校庭の一角、シートの上に弁当箱を広げている集団の姿がある。中でも目を引くのは彼らの持つ撮影機材。ハリウッド映画でも作る気なのかと疑うほど立派なカメラが置かれている。
「博士君。いよいよ由紀の出番だぞ」
「抜かりはありません。封筒の中身はすべて『私の好きな男性』と書かれた札にすり替えてきました」
ちょっと二枚目のイイ男、塚原博士はポケットからくしゃくしゃにした紙を取り出していた。紙にはメガネやらエッチビデオやら、チチ〇ーのサイン入りバットの文字が書かれている。
「でかしたぞ、博士君。これで由紀の好きな男が誰なのか良く分かる」
二人は肩を叩いて笑っていたが、借り物競争は実を言うと男女合同だった。博士の用意した紙にはハッキリ好きな男性と書かれている。

ところ変わってこちらは借り物競争参加選手の控え場所。
「ヒロも借り物競争やるんだ?知らなかったよ」
由紀は友人の顔を見つけて話しかけた。
「はは、だって由紀が出るって言ってたし」
「またそんなこと言って。別に嫌ではないけどヒロってもてるんだよ」
「へえ、それが誰なのか今度聞かせてもらうよ」
「ダメ、自分で気付きなよ。可哀想じゃん」
ヒロに告白されてからも二人の関係は今までとそう変わりなかった。それは由紀に同性としての親しみやすさが残っているからだろう。ヒロは以前の由紀を知らなかったが、彼女の持つ雰囲気が普通の女性と違うこともわずかながら認識していた。逆にそれが魅力的なのだが。
「あ、出番だよ。並ぼ」
由紀の言うとおり、次はヒロたちのレースだった。男女混合なので一クラスの男女はペアで出るのだ。一番のコースには由紀が、二番のコースにはヒロが並ぶ。隣は二組の男女だ。
「位置について、ヨーイ、スタート!」
火薬が弾け、いっせいに走り出す。25メートルほど走ったところで由紀は地面に置かれた一枚の封筒を手に取った。
「どれどれ、えーと、私の好きな男性?」
隣では同じく封筒を手に途方に暮れているヒロがいた。
「ボクの好きな人っていっても、ボクは男なんだから困っちゃうなぁ」
ぼやいて呟くがこれではレースが終わらない。仕方なく、由紀は観客席に向けて走り出す。北見が一生懸命手を振っていた。
「北見!」
「オウ、何でも揃ってるぞ。何がいい?ブッシュがのどに詰まらせたプレッツェルか?金日正のシークレットブーツか?何でも揃ってるぞ」
「いらない。北見を連れて行くから」
「えっ、俺?」
「何が書かれていたかは内緒。さあ、早く」
由紀は北見の手を引いて走り出した。が結果は二着だった。一着はB組の女子で気の優しそうな男子と手を握り合っている。彼氏なのだろう。二人は楽しそうに談笑している。
「あれ?ヒロは」
その頃、ヒロは他の封筒を片っ端から漁り、マシなことが書かれていないか必死に探していた。あるわけなかった。塚原博士は抜け目無い男なのだ。
「何が書かれていたんだろう?」
「さあな、俺の道具を貸してやってもいいけど、あの様子じゃ別の問題みたいだな」
借り物競争が終わるにはもうちょっと時間がかかりそうだった。


「うぐぐ、あの小童め。うちの由紀をよくも誑かしてくれたな」
由紀の親父は手にしていた扇子をへし折った。母親が彼をなだめる。
「お父さん、北見君はよくうちに遊びに来てくれたじゃありませんか。いまさらなにを言っているんです?」
「そんなことは問題ではない。くそう、この日のために早朝ランニングをしてきたのに」
「フム、やはり北見君か。予想はしていましたが、ショックですね」
博士は冷静だが、ちょっとばかし寂しそうではあった。


一方、借り物競争を終えた由紀は急いで応援団席に向かった。豪田団長は今も巡回中。
「塚原由紀。ただいま戻りました」
「よし、位置につけーイ」
壇に立つのは巡回中の豪田団長に代わって鬼の鬼塚副団長。血染めの鉢巻には「豪田団長は永遠に不滅なり」と刺繍されている。一晩中泣きはらした目は真っ赤に充血し、事情を知らない人が見たら「鬼が出た」と騒ぎかねないほどの迫力があった。
「次の男子騎馬戦、我等の出番だ。豪田団長もきっとどこかで我等を見守ってくれておるゆえ、気は抜かぬが良い」
『次のプログラムは男子騎馬戦です。男子、入場です』
鬼塚は団長の形見の真剣を握っていた。すらりと鞘から抜いた刀を白日の下に掲げ、宣言した。
「男子入場。総員、校歌斉唱ォーーーーー!」
♪♪♪
光溢れるこの大地 我等の生きるこの土地に
天が恵みの雨を降らし 我等の頭上、虹かかる
我等人の子、大地の子 母なる学び舎、TS学園

今日も明日の夢を見る 大きく育て、生徒たち
我等の誇りの子供らよ 未来へ羽ばたけTS学園
フレー、フレッ、フレッ、フレー
♪♪♪
男子が入場門を通って行進してくる。全員裸足だ。もちろん、北見やヒロの姿も見える。
「行進止め、全員整列」
一糸乱れぬ、とは行かなかったが男子もそれなりに訓練された動きで指示に従う。見ていて気持ちのいい動きだ。
「よーし、我等も応援を開始する。太鼓を鳴らせー」
「押忍」
ドドン。和太鼓が打ち鳴らされる。
「ふれー、ふれー、TィSッ」
「「フレフレTS、フレフレTS」」
副団長の張り上げた声を復唱して由紀たちは声を張り上げた。しかし、いつも以上の気合が出ない。その時、学校中に美しい天上の美声が轟いた。
「ちが〜〜〜〜う!!」
『!?』 
 声の方向にはたった一人、小柄な女の子が腕を組んで立っていた。
「バカたれが、何だその応援は」
「だ、だ、団長!?」
由紀は思わず口にしてそんな馬鹿なと思った。その女の子は団長の体重の三分の一もなさそうな小柄な少女だったからだ。遠くからでも良く分かるほっそりした美しい顔立ち。子供のような肌の艶、やや吊り気味の勝気な瞳。しかし、雰囲気は恐ろしいほど団長に良く似ている。
「貴様ら、何を呆けておる。わしは正真正銘、豪田王子じゃい。貴様らが心配でおちおち寝てもおれんかったから、こうして幽体離脱して舞い戻ってきたわけよ」
美少女はずんずんとこちらに向かってきた。肩で風を切る仕草、よく通る声はまさに団長譲り。ところが、鬼塚副団長が少女の行く手に立ち塞がった。
「貴様が豪田団長だとぉ?団長の名を騙るとはたとえ女でも容赦せんぞ」
「鬼塚ァ。わしが分からんか」
少女が自分より頭二つほど背の高い副団長を見上げ、威圧的に言い放った。しかし、その程度でひるむ鬼塚副団長ではなかった。
「何者だ。本当の名を名乗れ」
「何度も言うとろう。わしはTS学園三年、応援団団長豪田王子じゃい。ウサギの飼育委員も兼任しとる」
確かに、少女の口振り、仕草は生前の団長そのままだった。しかし、声は以前のように威圧的ではなく、むしろ癒される。仕草も大地に根を張ったような威圧感は消え、代わりに空に舞う天使のように軽やかな足取り。
「黙れ黙れぃ、この詐欺師がぁ。貴様が団長だというのならその証拠を見せてみよ。本物の豪田団長ならその背に昇り竜の刺青があるはずだ」
「高校生で刺青かよッ!?」
由紀は学校を代表してツッコミを入れたが、この応援団ならやっていてもおかしくはない。
「残念ながら、この身は人の身ぞ。しかぁし、この身体に入っとるんはわしの魂じゃい」
「賢しい詭弁だ。魂だとぉ?健全な精神は健全な肉体に宿るものだ。貴様の軟弱な身体に団長の偉大な魂が入るわけなかろう」
「しかし、事実なのだ」
少女は苦しげな面持ちで鬼塚を見上げた。副団長から完璧に拒絶され、少し押しが弱くなったようだ。それでも、ここで引いてなるものかと少女は気丈に振舞った。
「鬼塚ァ。わしが分からんようじゃのぉ。田端ァ、おんどれはどうじゃい」
少女は鬼塚の後ろに控える男たちを見やった。だが、向き合わされる目と目はどれも怪しいものを見る白々しいものだった。
「・・・・・・みんな、わしが分からんのか」
応えは沈黙。否、ただ一人、由紀だけは口を開いた。
「ボクは団長がどれほど応援に命をかけていたか知っています。だったら、あなたにも団長と同じことが言えるはず。聞かせてください。あなたの応援にかける想いを」
グラウンドに風が吹き、少女のスカートがふわりと風を孕んだ。団長は、風が止むのを待ってからゆっくりと口を開く。
「わしは心から応援が好きなんじゃ。わしゃ、この体育祭を心から成功させたい。こいつはわしら応援団の悲願ではなかったのかのぉ。鬼塚ァ、おんどれにはわしの心が伝わらんかったか」
少女、いや、あえて今は団長と言い直そう。団長は以前由紀に聞かせたように切々と応援にかける想いを語った。その言葉一つ一つが団員の心を奮わせた。
「わしらの応援を待ってる者たちがおるんじゃい。ここで期待を裏切ってどげんすっとね」
団長が小さな拳を振り上げた。団員たちもつられて叫んだ。
「ぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!やったらあ、体育祭ぃ成功させたらぁ」
団員の心は団長の言葉によって再び一つになった。自分たちが何のために応援をするのか、応援とはなにか、男たちは思い出したのだ。
そして、事実上の指導者、鬼塚副団長を見上げる。鬼塚は硬く握った拳を震わせ、唸った。
「癪(しゃく)だ。癪じゃあ。癪なんじゃい。だが、一番しゃくなのはお前に諭されたことだ。手前等!TS応援団は今日にて解散する。最後の応援、華々しく終わらせたろうじゃないかぁ!」
「押〜〜〜〜忍っ!!」
「・・・鬼塚」
「小娘、ちぃとだけ見直したわ」
「まあ、所詮女、団長はこんなもんじゃねえ」
「田端」
「団長。もめてる間に騎馬戦は終わっちゃったけど、一生懸命応援しましょう。ボクだって女ですけど、応援に男女差別はありませんよ」
「由紀」
少女は活気を取り戻した応援団を見回して次々と団員の名前を呼んだ。誰一人として見覚えが無いのに、少女は全員の顔と名前を知っていた。
「TS応援団!応援開始じゃーーーーーー」
「押忍!」
団長はたぶん帰ってきた。美しい少女の姿になっていたが帰ってきた。少女の加入で応援はいっせいに脂がのり、グラウンドがギットギトに照って見えた。落ちる夕日が血に染まり、男たちは声を枯らして力の限り叫んだ。こうして、応援団は盛況のうちにその役目を終えた。
体育祭終了後、由紀は背を向けて無言のうちに去ろうとしていた団長を呼び止めた。
「団長!本当に団長なんですか!」
「うむ。正真正銘のわしじゃ。もっとも、本来の肉体は植物状態で今も眠っておるがの」
実に団長らしい態度だった。普通なら突然女の子に変わって「アレがなくなってる!」とか鏡を見て「これがボク?」なんて戸惑うのに。
「団長。いきなり女の子になっちゃったのに、なんで平然としていられるんですか」
由紀は素朴な疑問をぶつけてみたが返ってきたのは豪快な笑いだった。
「わーはっはっは、人類皆兄弟というじゃろう。女になろうが外人になろうが、わしはわしじゃい」
「身体の元の持ち主はいったいどうしたんです?」
「詳しいことは分からんが、一ヶ月前に交通事故にあって意識が戻らんようになったらしい。まあ、わしはわしのままでいたいんじゃが、親御さんも悲しませとうなか。これからは、ちょっとばかし上品に喋らにゃいかんのぉ」
「そうですね。今のままじゃ可愛さ半減ですからね」
「わーはははは、言うようになったのお、これからもよろしく頼む」
「押忍!」
応援団は解散してしまったけど、団長の後姿は本当に潔かった。長い髪を凛と靡かせ、爽やかな青春の香りを残して去っていった。


体育祭の三日後、ボクのクラスに転校生が来た。
艶やかな黒髪を腰の下まで伸ばし、口元には上品な笑みを浮かべ、凛とした雰囲気を漂わせる大和撫子。
大和撫子は懐かしい故郷の土を踏みしめるようにゆっくりと教室に入ってきた。日本舞踊でも習っているのか、彼女は華のある流麗な仕草でぺこりと一礼。血の通った陶器を思わせる冷たく澄んだ声で自己紹介を始めた。 
「みなさん、始めまして姫野撫子です。よろしくお願いします」
ボクは転校生の紹介を聞いてポカンとしてしまった。なぜなら、彼女は体育祭のときに出会った、女性化した団長だったからだ。団長がボクのクラスに来ることは聞いていたが自己紹介を聞く限りまったくの別人だった。
《本当なら・・・「がーーーはっはっは。わしが転校生の豪田王子じゃい。みんな軟弱な体つきをしておるのぉ。どれ、放課後わしが鍛えてやろう。男子は全員居残り訓練じゃーいッ」》
とか言うはずなのになァ。目の前の女の子は本当に団長なのか。もしくは悪いもんでも食ったに違いない。団長の身に何が起きたかは知らないが、姫野撫子と名乗った女性は澄ました動作で窓際の後ろの席に腰をつけた。


先生が教室から出て行った後、彼女には早速質問攻めが来ていた。
「ねえねえ、姫野さん。前はどこの高校だったの?」
「白神高校です。女子高なので男子の皆さんは聞いたことがないかも知れません」
「知ってる!そこ制服がすっごく可愛いところでしょ?偏差値高いはずなのになんでこっちに来たの。親の都合?」
女子はさすがに良く知っているらしくうち一人がミーハーっぽく話に食いついてきた。
「家庭の事情というほど大げさではないのですが、込み入った事情がありまして。白神高校では休学という扱いになっています。出席日数が足りなくなってしまうと留年してしまうのですが、こちらで単位をとれば休学中の成績は代替できるそうです」
団長の受け答えは丁寧すぎてどこか素っ気なかった。でも悪い印象を与えるほどではない。


一時限目、古典の授業
教科書も持っていないうちから当てられて、貸してもらった教科書を朗々と読み上げる団長。読み終わって教科書を机に置いたときには教室に賞賛の溜め息が流れた。
こんなの団長じゃない。今の団長は見た目も中身も変わってまったくの別人だ。幽体離脱が解けて天国に行ってしまったのだろうか。そもそも幽体離脱なんて本当にあったのか?

下校中、ボクは部活の休みだった北見と一緒に帰り道を歩いていた。
「はあ、ショックだなぁ。団長、本当に死んでしまったのかな」
「団長って日本刀振りかざしてたあの人だろ?行方不明になってた」
「うん。でも体育祭の日に幽体離脱して戻ってきたんだよ。これからもよろしくって言ってたのに」
「それってやっぱり体育祭を成功させて成仏しちゃったんじゃないのか?」
「うーん、やっぱそうか。成仏とか天国とは縁なさそうな人なのになぁ」
「お前、案外毒舌だな。ん、どうした?」
「撫子さんだ。誰を待ってるんだろう?」
校門の前に撫子さんが静かに佇んでいた。身じろぎ一つせず凛とした独自の空間を築き上げているその姿は紅〇女だって地で演じられそうだ。
「オウ、塚原ァ」
いきなり、撫子さんがヤクザみたいな声音で話しかけてきた。いったいいつ目をつけられたのか、撫子さんが肩で風を切って歩いてきた。ああ、なるほど。彼女は極道の娘さんなんだ。そういえば仕草の一つ一つも・・・・・・
「塚原ァ、どうした他人行儀な振りして、わしじゃい。豪田王子じゃい。この間もこの姿であったじゃろうが」
「ええ、団長!?・・・だって、全然キャラ違ってたじゃないですか」
「がーははは、ちょっとは大人しくしとかんとのう。わしにだってそれくらいの分別はあるわい」
「とてもそうとは思えないがな」
北見がぼそっと呟く。
「もしかして、団長、視力戻ったんですか?」
「ん?おお、両目とも2.0じゃい。前は近眼じゃったからのぉ。これで野球部の試合も良く見えるわい」
他人に憑依したことで視力が上がったらしい。だから空気が読めるようになったのか。
「あ、そういえば俺、来月サッカーの試合があるんだけど」
「おっ、それはつまり、わしに応援してもらいたいと・・・」
団長の顔が嬉しそうに綻んだ。忘れちゃいけないのは団長が今女の子になっているということである。天然の笑顔がとっても可愛かった。
「えっ、そういうわけではないんですが、ただ、せっかく可愛い女の子がいるからチアガールでもやってくれないかなーなんて」
「なぬ、チアガールとな?」
団長が眉をしかめた。そりゃそうだろう。団長は根っからの漢だし。
「北見・・・いくらなんでもそれは」
「分かってる。分かっているが、つい」
「チアガールか・・・応援団が解散した今、それもいいかも知れんのぉ」
「ええ!本気ですか?」
「言うたじゃろ。わしは応援が好きなんじゃ。人の喜ぶ顔が見たいのじゃ。塚原、お前も一緒にやらんか」
「ボク・・・ボクも応援が好きです。チアガールやるなら、他にも部員を集めなきゃいけませんね」
「うむ、北見っちゅうたな。わしらの応援、聞いてもらえるかぁ」
「もちろんですとも。チア部を結成するなら俺も手伝いますよ」
こうして、ボクたちはチアリーディング同好会を発足した。会長はもちろん団長だ。
「塚原、わしのことはもう団長と呼ばんでいい。かつてのわしは死んだんじゃい。姫野撫子、撫子と呼んでくれい」
「分かりました。その代わり、撫子さんもボクのこと由紀って呼んでくださいね」


『チアガール同好会。貴方の命、我々に預けてみませんか。女子限定』
『女は黙ってチアガール。男子禁制』
『萌える闘魂、チアにかける想い。男子禁制』
二日後、校内の至る所にチア同好会のビラが貼られた。由紀と撫子、北見も手伝って目に付くところには必ず、チア同好会のビラが貼られている。
「北見、そっちは張り終わった?」
「ああ、立ち止まってじっくり見るって言ったらやっぱトイレだろ」
ビラ貼りに協力していた北見が男子トイレから出てきた。由紀も女子トイレにビラを貼ってきたところだ。自分たちの仕事に何の疑問も抱いていないあたり、二人はバカだった。
そして団長、もとい撫子が廃部となった応援団部室を全面改装して札には墨痕鮮やかに『チアガール部』と書かれていた。
チア同好会は由紀ら三人の努力のかいあって見事、部として認められたのだ。現在の部員数は十五名。顧問は安西先生、部長はもちろん団長だ。副団長は二年の水鳥先輩、由紀は書記だ。
一同が集まるチア部の部室にて、撫子は手を後ろに組み、厳かに宣言した。
「来週、サッカー部の試合がある。それもただの試合ではなく、地区大会だ。我らは彼らが悔いのない試合を出来るように精一杯頑張ろうではないか」
部員たちが体育座りのままパチパチと拍手を送る。チアガールのメンバーは皆上玉でチア部は一躍、学校中最も美少女密度が濃いクラブとして男子の熱い視線に晒されることとなった。今も、カーテンの向こうでは沢山のカメラ小僧が控えており、顧問の先生も対応に頭を痛めていた。
「では、次に先生からお話がある」
顧問の安西先生は丸々と太ったからだ、温和な顔つき、そして総白髪。生徒の信望厚い教師だった。
「ほっほっほ。ごくろう。皆さんにお話というのはユニフォームのことです。先日、皆さんの投票で決めてもらった正式なユニフォームの試作品が届きました」
それは一昨日のことだった。

部員数が今より少なく部室の改装もまだ途中でチア部の部室に堂々とアイアンメイデンが置かれていたときのこと。
「ほっほっほ。実は正式にチアガールの衣装を作ることになりました。職員会議で聞いた話によると生徒会の目安箱に毎日、熱心な手紙が送られてきたそうです」
手紙は恐らくすべて男子から送られたもので内容は
一年男子「チア部のユニフォームを作ってください。おもいっきりエッチな奴がいいです」
三年男子「僕の実家がコスプレ専門店です。今なら格安でチアガールの衣装を作ります。その代わり、絶対に、絶対に着てください」、
匿名希望(ただし、バレー部の顧問が目安箱に投函していたという目撃証言アリ)    「現在、副業でブルセラショップを経営しています。チアガールの衣装、高値で買い取ります」
二十歳男「由紀ちゃんのチアガール姿が見たいです。あと、転校生の姫野さんにもナースの格好して応援して欲しいです。ついでに今年こそ三年に進級できるように僕を応援して欲しいです」
など、熱い期待のこもった手紙が毎日のように送られてきたそうな。内容はともかく、正式に部として認定されたのでチア部には最初に部費が支払われた。その金でチアのユニフォームを揃えたのだ。カタログには十種類以上のユニフォームが載っていたが、みんなの意見で決められたユニフォームは赤を基調にしたヘソ出しのユニフォームだった。


そして今、目の前にカタログ写真から抜き出したようにそっくりのユニフォームがある。
「わー、かっこいい」
「ホント、制服の色ともあってるしT学(TS学園の略)カラーって感じね」
「でも、ずいぶん小さいのね」
「伸縮性があるんだよ。ほら、引っ張っても元通りだし」
「へえ、早速着てみようよ」
部員たちはユニフォームを前にしてわいわいきゃあきゃあと騒いでいたかと思うと皆、一斉に姫野部長に振り返った。そして、由紀が一番最初に口を開いた。
「部長。着てみてくださいよ」
「そうです。やっぱりここは部長が着るべきよ」
「わ、わしが!?」
うろたえ、後ずさる部長を二年の副部長、水鳥夕菜が押し止めた。
「うふふ、姫野さんって案外面白いのね。自分のことを『わし』だなんて。女の子なんだから『わたし』でしょ」
「水鳥先輩。で、でもわしは」
「わ・た・し」
「わ、私」
「よく出来ました。それじゃ、ちゃっちゃと着替えましょ」
部長はこの水鳥という先輩にはどうも頭が上がらないらしかった。水鳥に促され、姫野はユニフォームにじっと視線を注いだ。
上はノースリーブのへそ出し。下は膝上二十センチのミニスカート。中には黒の見せパン。そしてニーソックス。
男にはもちろん、女にだってここまで露出度が高いのは抵抗がある。ちょっとでも気を抜こうものなら、たちまち露出している部分の肉が弛んで見えてしまう。そんな恐怖とは無縁そうな彼女たちでなければこの衣装は選ばれなかったろう。
「私が、これを着るのか」
「部長のあなたを差し置いて私たちが着られるわけないでしょ。それにあなたならきっと似合うわ」
撫子は首を振って嫌がった。が、その仕草も愛らしい。
「いやだ!私は嫌だぞ。わしは応援の時は学ランを着とるんじゃい。学ランこそ応援団の聖衣じゃい」
「こら、口調がまた変になっているわよ」
姫野はもともとチアの衣装には反対だったのだ。しかし、チア部のメンバーは衣装に期待して集まった者も多かったので少数意見はたとえ部長の意見であっても却下されていた。
「私は着ないぞ。着るなら由紀が着ろ。この中で一番綺麗なのは誰が見ても由紀じゃろ」
「ええ、ボク?恥ずかしいですよ。団・・・部長が着るべきです」
「わしだって恥ずかしいわい。それにお前が着たほうが絶対似合うよってに」
「もうっ、二人とも何を恥ずかしがってるの。可愛いんだから恥ずかしがることないじゃない」
水鳥が二人の譲り合いに業を煮やした。が、この一言をきっかけに二人には共通の敵が見つかったらしい。
「そんなに言うのなら、水鳥先輩がどうぞ」
「うん。貴方ならきっと似合うと思うぞ」
二人が口々に水鳥をおだて、ユニフォームを突きつけた
「え、そ、そんな。私なんかよりあなた達が来たほうがよっぽど・・・」
水鳥は口ではそう言いつつ、視線はユニフォームに釘付けで着たくてたまらない様子であった。彼女の心境を察したのか、それまで黙っていた安西先生が彼女の肩をポンと叩く。
「水鳥さん」
「は、はい」
「あなたはユニフォームを着たいのを我慢して二人に譲っている。それは、自分よりも二人のほうが可愛いと思っているからですね」
「・・・・・・はい」
「しかし、魅力ではあなたも決して負けてはいませんよ。そもそも、魅力とは容姿だけで決まるものではないでしょう」
「で、でも二人とも性格だって私よりずっといいし」
「性格ではありません。魅力は性格、容姿、家柄で決まるものではないのです。人をひきつける光、それは人間らしさです。類は友を呼ぶ、と言います。同じ人間なら、より人間らしい人と一緒にいたいと思う。懊悩し、時にわがまま、そんな人間らしさが魅力的なのです。着たいのでしょう。たまにはわがままを言っていい。どうぞ着てみてください」
水鳥の目に涙が溜まった。溢れて、頬を伝う滴。
「・・・・・・安西先生」
泣き崩れ、膝を突く水鳥。
「・・・安西先生」
嗚咽交じりの声が部室に響いた。
「安西先生・・・・・・ユニフォームが・・・着たいです」


一週間後、部室に全員分のユニフォームが届いた。こればっかりは仕方がないので由紀も撫子も衣装に袖を通す。
「あ、姫野さん。脇、ちゃんと剃ってよ。女の子なんだから」
「むう、いつの間に。めんどくさいのう」
「男の髭剃りと同じじゃないですか。ボクだって初めは面倒くさかったけど」
「ねえ、ブラジャーよりニプレスのほうが良くない?」
「なんでよ。胸が揺れるじゃない」
「だからよ。男の気を引くために。和也様、私を見てーって」
更衣室に飛び交う平凡な会話の中に、若干場違いなものが混じっていたが、そんなものは誰も気に留めない。
「よし、全員着替えたならグラウンドに集合」
「押忍!」
グランドにメンバーが続々集合する。これから試合が終わるまで、誰一人怪我をしてはならない。フォーメーションに穴が開くと、配置換えをしなきゃならなくなるからだ。
その点では選手以上に気が抜けない。
「ほっほっほ、何度も言いますが皆さん体調にはくれぐれも注意をしてください」
「はい」
「よろしい、では今日から本格的にフォーメーションの練習を始めます」


「あー、つかれた。もう動けないや。やっぱボクって体力ないんだな」
由紀は帰宅後、シャワーも後回しにしてベッドに潜り込んだ。
Pipipipipipi
ブレザーの胸ポケットから携帯の音が響く。この時間帯に掛けてくる人間といえば一人しかいない。
「もしもし、北見?」
「ああ、なんか眠そうだな」
「まあね。でも話するのは全然はオッケーだよ」
「そうか。いや、別に俺も用事があって掛けたわけじゃないから、声を聞いたらもう十分だよ」
「そう言わずに、ボクは大丈夫だってば」
由紀は、遠慮する北見を引き止めていつものように長電話をした。北見と話す時間は楽しい。親友・・・あるいはそれ以上の関係だと由紀は思っている。悩み事を相談したり、ドラマの話で盛り上がったり、とにかく北見と話すときは会話が滅多に途切れることがない。
「でね、今日早速ユニフォームを着てみたんだけど・・・・・・」
そして、時は経ち、日は昇り沈みを繰り返す。


試合当日。雨による延期で試合は繰り越し、今日は十二月二十日。
TS学園のサッカー部はアウェイで闘うことになっていた。だから、敵地である埼玉南陽高校までバスで来ていた。集合時間が違っていたのでサッカー部とチアリーディング部は敵チームの高校に着てからやっと合流した。
試合前の肩慣らしをする北見を由紀が呼び止め、激励する。すると、呼んでもいないのにサッカー部の連中は全員集まってきた。敵も含めて。
「北見。今日は頑張ってね」
「おお、それが由紀の言ってたユニフォームか。きわどい格好だな」
「そういうこと言わない」
由紀たちが親しげに会話する様子を見て、相手のチームは標的を切り替えたらしい。盛んに撫子や水鳥に声を掛けて必死に仲良くしようとしている。それもそのはず、ここ埼玉南高は男子校。しかもクリスマスが近いこの時期、サッカーの試合の前に熾烈な女子争奪戦が展開されていた。が、言っては悪いが相手チームのメンバーは鼻で笑ってしまうくらい不細工揃いだった。チア部の面々は応援攻撃より先に胸に突き刺さる一言で精神口撃を浴びせていた。率先してやっているのは部長の撫子である。
「やかましいぞ。無礼者。貴様ら豚と蝙蝠の合いの子が人間様の前で呼吸していること自体、恥と思え。まったく、金正日みたいな顔しやがって」
こんな感じである。審判はムードが険悪になることを恐れてさっさと試合を開始した。
「それでは、両チームとも、ナンパはその辺にして集合してください」
審判が笛を鳴らし、コイントス。
キックオフはTS高ボール。
開始直後、和也がいきなりのキックオフゴールを決め、試合を終始圧倒していた。北見はゲームを巧みに組み立て、和也が攻め、由紀らの応援(プラス、事前の精神口撃)。こうなると試合はだんだんとオーバーヒート気味になり、ラフプレーが続出しだす。
今も、和也が敵ディフェンダーにスライディングを貰い、足に怪我を負った。
「大丈夫か、和也。くっそぉ、あいつら試合に負けてるからってきたねえぞ」
「やられたら、やり返せ。百点差つけてやろうぜ」
高校生の男子ともなると物事に熱くなりやすい傾向がある。試合は激化した。相手チームにしてみれば故意にラフプレーをしたわけではなかったので、反撃に出た彼らの行動に被害者意識を覚えるのは仕方のないことだった。
試合開始から四十分が経過しようとしたそのとき、事故は起こった。
 北見が果敢に中央突破を強行しようとして敵のディフェンダーと接触。北見は弾かれ地面に転がった。打ち所が悪かったのか、北見は一向に起き上がる気配を見せない。
 応援は止み、ボールも止まる。皆が駆け寄り、試合は一時中断した。
「おい、北見。しっかりしろ。意識あるか」
「ダメだ、返事がねえ。タンカもってこいよ」
「動かして大丈夫なのか」
敵味方、入り混じって北見の容態を案じるが、この場に専門医はいない。とりあえず、救急車を呼んで、試合も没収試合となった。
「団長。ボク、北見に付き添ってきます」
「おう、行ってやれい。何事もないことを祈っているが病院に付いたら連絡してくれ」


国立中央病院。由紀は携帯で塚原を呼び出し、事情の説明をしてこの病院へ搬送することにした。敵地の高校の近くに幾つか病院はあったのだが、いずれも小さく、多少時間を掛けてでも信頼できる病院に預けるべきだと判断したのである。
 緑色の廊下を一台のストレッチャーが進む。
「由紀。今、精密検査を行っている。君はしばらく休んでいるといい」
白衣に着替えた塚原が由紀を自分の研究室に案内した。
「じゃあ、電話を掛けてきます」
「公衆電話を使いたまえ。病院内で携帯は使用禁止だ」
由紀が電話を終えて戻ってきた時、塚原は研究室にいなかった。検査に立ち会っているのだろう。塚原には少し休んだほうが良いといわれたが、由紀は興奮状態でとても安静にしていられる気分ではなかった。
 研究室を見て回る。在るものは難解な専門書ばかり、中には洋書も混じっている。さらに束になったプリント用紙や大学ノートが几帳面に積まれていた。たまたま整理したばっかりだったのか、それとも看護婦がいつもやってくれているのか、きちんと整えられたこの部屋は何故だかあの塚原博士に相応しくない。
 大体、ここは研究室らしくない。パソコンや専門誌は置かれているが、顕微鏡や三角フラスコ、シャーレなどの機材が全くないのだ。
 由紀は研究室のソファに腰を下ろしたが、押し寄せてくる不安に居ても立ってもいられず、ついには部屋を出てしまった。
 《特設治療室 関係者以外立ち入りを禁ず》
 研究室を出て、最初に目に留まったのはその部屋だった。
「ボクが、生まれた場所?」
思えば、由紀がこの部屋を訪れるのは今日が初めてだった。もちろん、眠っていたときは抜かしてだが。
「関係者・・・だよね」
由紀はこの時だけは自分にわがままを許し、都合のよい解釈で中を覗く。
 黒いゴムで覆われた太いケーブルとパイプ。それらが繋がっている先を視線で辿ると、ビニールシートの被さった巨大な水槽がある。
 ES細胞培養装置。
「ここがボクの・・・・・・」
『塚原由紀』の生まれた場所。ボクが女の子に生まれ変わった場所。
由紀は培養槽からビニールシートを取り払い、全体像を見回した。室内の中央にそびえる異質な空間。今、水槽は空になっていて実感は湧かないが自分とホムンクルスのゆっきーはこの場所で生まれたのだ。
「由紀君。君がここを訪れたことはなかったね」
いつの間にか、背後に塚原が立っていた。ぴったりと密着しているせいで表情は窺えない。声も淡々としていて塚原が何を考えているのか分からなかった。
けれど、普通なら怒るだろう。関係者以外立ち入り禁止、この場所で生まれた人間とはいえ、自分が立ち入りを許可された人間でないことくらい分かる。
「ご、ごめんなさい。勝手に入りました」
「・・・この世にゴメンでは済まされない事柄なんて幾つでもある」
塚原の声は硬かった。尖ったナイフのように、威圧的で冷たい感触。
「怒ってる・・・よね」
「いいや。怒ってなどいないさ。その代わり、償いをして貰おうか」
塚原が眼鏡の奥をきらりと光らせながら由紀の身体を嘗め回すように見つめた。
「いけないことをした罰だ。君の身体で償ってもらうよ」
「身体で償うって、その・・・アレですか」
由紀は胸を護るように両腕を交差させた。じりじりと後ずさり、部屋から脱出する機会を窺っている。
「・・・・・・君が、何を想像してるか知らないが、私が言いたいのは君に看護をして欲しいということだよ」
「看護?」
「ああ、君を北見君の専属看護婦に任命する」
「どういうことですか?」
「状況は別室で説明しよう」


 北見の容態の説明は診察室で行われた。塚原が十二枚のレントゲン写真を由紀の前に並べる。
「北見君の頚椎をレントゲンで撮ったものだ。素人目には判りにくいかもしれないがここに大きな亀裂が見える。ここに傷を負っている以上、脊髄も損傷しているはずだ」
「脊髄って・・・まさか一生歩けないってことですか」
由紀の顔が蒼く染まった。予想以上に深刻な事態と知って絶望しているのだ。塚原は彼女を安心させるべく、憎たらしいほどに落ち着いた冷静な態度で説明を開始した。
「その可能性は否定できないが、諦めるのはまだ早い。早い段階で治療を行えばたいていの怪我や病気は快方に向かうものだよ。ただ、これは我々の仕事だ。由紀、君にやってもらいたいことは北見君を心配することじゃない。彼を支えることだ」
「君にはそうしなくてはならない義務がある。以前、彼と会ったときに、これからは由紀を一生支えてあげて欲しいと頼んだことがある。勝手だったとは思うがね。そして、私の知る限り、彼は君のために最大限の努力をした。彼が努力したこと、それは何か分かるかい?」
「そんなやり取りがあったのか・・・でも、北見はそんなこと一言も、それに今までと態度も変わらなかったし・・・あっ!」
「気付いたね。そうだ、彼が最も努力したのは今までと変わらない態度で接するということさ。それがどれだけ大変なことか、私には真似できないよ」
由紀は今初めて気がついた。自分が女になってしまったにも関わらず北見は今までと変わりない態度で接してくれていたのだ。塚原の言うとおり、それは自分にも真似の出来ないことに違いない。団長がいい例だ。今まであれほど信頼してくれていた団員たちが信じられないからといって手のひらを返したように冷たくなった。
「北見・・・・・・こんなことにも気付かないなんて・・・ボクは今まで何を見てきたんだろう。博士さん、ボクに是非、北見の専属看護婦をさせてください。恩知らずといわれたくない」
「決心がついたなら、さっそくこれを着てもらおうか」
塚原がパチンと指を鳴らした。すると、診察室の奥にかかっていたカーテンがさっと開き、中からピンクや水色のナース服が出てきた。由紀が心底呆れたようすで尋ねた。
「いつから用意してあったんですか。こんなもの」
「看護婦というからにはこれを着てもらわんとねー」
「博士さんて、真面目なのか不真面目なのか、よく分かんない人ですね」
由紀が脱力してへなへなと床に座り込んだ。


「それにしても、僥倖でしたね。塚原先生」
院内一の美人看護婦と噂される松原香澄が塚原のデスクに温かいコーヒーを置いた。
「ん。ああ、CRPFの来日か。脊髄麻痺の権威ドラック・ジャック先生がこの病院を視察に来る日程と重なっていたのは本当に幸運だったな」
CRPFとは脊髄損傷患者のために設立され、現在、優秀な医師たちが治療法などを研究している団体である。
「ドラック・ジャック先生に診ていただいたが、彼の脊髄は修復の見込みがあるらしい。明々後日の午後十一時、オペを行う」
「明々後日というとクリスマスですね」
「・・・・・・香澄君。君の気持ちは嬉しいが、そんな、そんなところ・・・うっ!」
「何妄想してるんですか。塚原先生」
香澄が心底軽蔑した目で塚原を睨んだ。


その頃、由紀は先輩看護婦に介護の仕方を半日の間みっちり仕込まれようやく、北見につきっきりの介護を任されるようになっていた。ここは奇しくも、以前由紀が入院していたときと同じ個室だった。
「どこか、痒いところはない?」
由紀はそれまでずっと続いていた沈黙を終わらせた。現在、北見は首から下がまったく動かない状態なのだ。本来なら看護婦歴半日の由紀に北見のような重症患者は任されないのだが病院内ではそれなりに権威のある塚原のおかげでこうして語らいの時間が取れるようになった。
「実は、さっきから、耳の裏が痒いんだ」
こちょこちょ、由紀が北見に耳の裏を爪で軽く引っかいた。
「他に痒いところは?」
「いや、特にない」
「して欲しいことがあったら、何でも言ってね。ボク、北見にはいっぱい借りがあるんだから」
由紀の瞳は潤み、長い睫毛もしっとりと濡れていた。付き合いの長い北見には由紀が滅多なことで目を潤ませたりしないことくらい知っている。
「どうした?急にしおらしくなって」
「うん・・・なんでもない」
「分かってるよ。俺の身体は半身不随なんだろ。あ、でも首から下が動かないんだから半身とは言わないかな」
 北見はわざと明るく言い放った。まったく、いつもどおりに。
「博士さんは治る可能性もあるって。だから、ボク達も諦めないようにしようよ」
「そうだな。さっき、なんか外人の偉そうな先生が診察に来たぜ」
「へえ、ボクが看護婦研修受けてるときの話かな」
「すまないな。俺のために」
「そんなこと、言うなよ。ボクだって北見に恩返しできて嬉しいんだから」
「俺に恩返し?そんなに大したことしてないだろ」
「ううん。博士さんに言われて気付いた。北見は女になったボクを以前と変わらず扱ってくれている。泊まった時だって何にもしなかったし」
「あれは勇気がなかっただけだよ」
「でも、押さえるの大変だったでしょ?ボクは感謝してるんだ。今までと変わらずに接してくれたことに。だから、ボクは自分が北見にしてあげられることはなんだろうって、考えたんだ」
「解答は出たのか?」
「うん。ボクは一生北見を見守っていく。例え一生身体が動かなくなったとしてもボクが北見のそばにいるから、迷惑じゃなかったら側に置いてくれる?」
「ありがとう。すげー嬉しいよ。素直に喜んでいいのか分からないけど」
「素直に喜べないって、どうして?」
「だって、いいのか?お前から見たら、俺は何の変哲もない只の男なんだぜ。俺みたいな男に尽くしてくれるなんて」
「いいんだよ。ボクは北見のこと好きだし」
「えっ」
「ヒロから聞いたの。北見がボクに好意を持ってるって。最初はドッキリかと思ったけど、嘘じゃないってなんとなく気付いた。でね、ボクも考えたんだ。自分の気持ちはどうなんだろうって。そりゃ、ボクだって中身は男なんだから、ちょっとは抵抗あるよ。でも、北見がこんな身体じゃ肉体関係もてないし、その事さえ無視できれば北見とそうなってもいいなって思っちゃった」
「まあ、アレは男同士じゃなあ・・・」
「だよねだよね。男だった頃、北見のを見て『うわっ、グロい』って思ったもん」
「ひどいこという奴だな。そっか、そういや、もうアレは出来ないのか」
二人は深刻さの足りない会話につい笑ってしまう。冗談を言い合いながらも由紀は心の中で誓う。何があっても北見のために生きると。


「ドラック・ジャック先生。貴方から見て、北見君の容態はどうですか?治療の見込みはあると仰っていましたが気休めなら・・・」
塚原は研究室で特徴的な鷲鼻を持つイギリス人医師ドラック・ジャックに英語で詰め寄っていた。
現時点で脊髄麻痺はまだ治療法が確立されていない。北見らを誤魔化すことは出来ても医者である塚原は脊髄の修復が困難なことくらい解っている。
「たとえ、貴方でも脊髄の治療は不可能なはずだ。なのに、なぜあんな嘘を?簡単な病気ならまだ治療のふり、たとえば偽薬の投与によって症状の改善に向かうこともあるが、脊髄損傷は思い込みくらいでは治らない。なにか理由があるんですか。ドラッグ先生」
「私は、嘘をついたつもりはない。我々CRPFが此処を視察に訪れた理由は知っているだろう?」
「再生医学の研究ですか。確かに、神経や関節を修復することは出来ますが・・・・・・」
「再生医学の申し子と言われた君だ。治療の見込みがあるのに指をくわえて見ているつもりかね」
挑発的に言い放つドラッグに対して塚原は黙って首を振る。
「再生治療は万能じゃあない。下手をすればES細胞がガン化して脳を冒す危険だってある」
「我々だって、その可能性を無視しているわけではない。しかし、再生医学は希望なのだよ。ゲル状に固めたES細胞を患部にあてがってみてはどうだろう。我々の技術と君の知識をセッションすれば夢は叶うかも知れん。手術の日をクリスマスにしたのはその為さ」
最後の部分だけユーモアを織り交ぜて話すドラック。こうした状況で冗談をかますと日本人に嫌われるかもしれないと懸念したが、逆にドラックの楽観した見方は塚原に決断する力を与えた。
「分かりました。やってみましょう。後は我々の技術と肉体の神秘に賭けてみましょう」
塚原はドラッグと堅い握手を交わし、最後に一言、ニヤリと笑って付け加えた。
「それと、聖夜の奇跡にもね」


 運命の二十五日、夕方から降り出した雪はすでに日本中を白く染め上げていた。
「外は例年にない大雪ですよ。これじゃ、デートしたくても出来ませんね」
看護婦の香澄は冗談っぽく隣の塚原博士に微笑みかけた。例によって勘違いさせてやるつもりなのだ。
「確かにな。しかし、心配だ。まさかこの雪で停電になったりしないだろうな」
香澄の思惑が外れた。そうなのだ。この塚原という若い医師は少なくとも医療に関してだけは誰よりも真剣に取り組んでいる。香澄はそんな塚原の横顔を眺めているうちに動悸が速くなっていることを感じた。妄想癖はあるけれど、ハンサムだし、医者としても評判はいいし、決して嫌いな相手ではなかった。
「いっそ、本気で口説いてくれればいいのに・・・」
「なにか言ったかい。香澄君」
「いいえ。何も言ってません。鈍い人ね」
香澄はきつく言い放つと足早にナースステーションに戻っていった。
「何を怒っているんだ。香澄君は今日生理なのかな?」
走り去る美女の後姿に首を傾げる塚原に、背後から笑い声を掛けるものがいた。
「ははは、君はプレイボーイかと思ったら、意外にも恋愛下手のようだね」
「日本語も話せないくせになんでそんなことが分かるのです。ドクター」
塚原が流暢な英語で答える。
「言葉が理解できないからこそ、私は目や仕草を注意深く観察しているのだよ。君はまだ若いから経験を積んだほうが良いぞ」
今夜の執刀医だというにドラックはいつもどおり陽気に振舞っていた。
「ところで、君の表情を見て気がついたことがもう一つあるのだが、なにか心配事かね?」
「ええ、この大雪で停電でも起こるんじゃないかと心配で」
「ははは、イギリスではこれくらいの雪など大したことない。それに内部電源があるだろう」
「ですが、今夜のオペに使う電力は内部電力では補えません」
実は、脊髄の損傷した箇所に被せるES細胞のゲルを作るのにES細胞培養装置を高稼働状態にする必要があったのだ。人体に使用するゲルは鮮度を落とすと壊死を起こし、症状を悪化させる恐れがある。こうした事態を防ぐためにはゲルを同時進行で作らなければならず、その際使用する電力は原爆の熱量に匹敵する。ゲル生成を担当する塚原の責任は一際重大だった。
「まあ、今から思い詰めるものではない。我々の手で奇跡を起こそうじゃないか」
「ドクター。貴方は楽観過ぎますよ」
この医者は、実は何にも考えていないんじゃなかろうか。塚原は隣に立つイギリス紳士を冷ややかに見つめた。

「起きてる?いよいよ、今夜だね」
由紀がベッドに伏せっている北見に声を掛けた。由紀は二学期の終業式を終えて制服姿のまま病室を訪れていた。
北見はそれまで同じCDを何週も聞きまわしながら退屈な時間を過ごしていた。暖房の効いた部屋は居心地がよく、ついまどろんでしまうものだ。北見は体が動かせないのですることもなく、由紀が学校に言っている間は半日中寝てばかりだった。しかし、病人とはいえ昼間っから寝かせているのは健康上よろしくない。
「あんまり眠ってばかりいると頭ボケちゃうよ」
由紀が悪戯っぽく微笑んで北見の額に手を当てた。
「うわっ、冷て!」
北見がびっくりして跳ね起きそうになる。もっとも身体は動かないが。
「外は雪だよ。子供の頃はよく作ったよね。雪だるま」
由紀の手の平は赤くなっていた。指がかじかむのか息を吐きかけて両手をごしごしと擦り合わせる。
「ふーん、積もってるのか」
「例年にない大雪だって天気予報で言ってたよ。外見たいでしょ。ベッド起こしてあげる」
由紀がベッド脇のスイッチを操作すると北見の寝ていたベッドが電動で起き上がっていく。
「首、痛くない?」
「ああ、大丈夫だ。おっ、すげーな。めちゃくちゃ積もってるじゃねーか」
ベッドが窓の見える高さにまで持ち上がると北見は歓声を上げた。
「病院来るの大変だったんだよ。これじゃ救急車も動かせないね」
「一足先に病院に来ていて正解だったよ。ここならいつでも急病になれる」
「そしたら注射打ってあげる」
「それは嫌だな。どうせなら口移しで薬を飲ませてくれ」
北見は由紀といるときはよく笑う。半身不随の患者は気を病みやすいものだ。塚原が看護経験のない由紀をわざわざ専属看護婦に指名したのは、こうした配慮があってのことかもしれない。
「なあ、由紀」
「ん?」
不意に北見の表情が翳る。わずかに口ごもり、由紀が訝りだしてようやく彼は二の句を継いだ。
「もし、俺の身体がまた自力で動かせるようになっても・・・いや、動くようになった時はずっと俺のそばにいてくれないか」
北見は途中で言葉を変えた。もし、手術が失敗したときは見捨てられてもいい。由紀がどれだけ気心の知れた相手でも、今後の生活を束縛するのは強い抵抗があった。けれど、手術が成功した暁にはずっと一緒にいてもらいたいと願っていた
「ずっと一緒にいるよ。ボクは北見が好きだから、たとえ結果がどうなってもずっと、一緒にいる。そう決めたんだ」
二人は今日の手術が世界でまだ一度も行われたことのないオペだということを塚原から聞かされていた。二人とも、塚原医師のことを深く信頼していたが、不安は完全には消せなかった。
 その時、二人の不安を吹き飛ばすかのように能天気な声が掛けられた。
「やあ、北見君。調子はどうかね」
「父さん。お見舞い?」
由紀が振り返った先には白いビニール袋を手に提げた父親がいた。
「ああ、雪で電車が止まったから会社は休みだ。で、暇だったから由紀の看護婦姿を見舞いに来たんだ」
「父さん・・・北見の見舞いじゃなかったの」
「冗談だ。ちゃんとお見舞いのミカンも持ってきた。食べれるかね?」
親父は袋の中からミカンを一個だけ取り出すと由紀に握らせた。
「北見君は今日手術だそうだね」
「ええ、何でも世界初のオペだそうで」
北見は自分の受けるオペがどんなものか簡単に説明し、父親は半分も分かってないような顔でしきりに頷いていた。
「まあ、要するに大掛かりな手術をするわけだな」
「父さん、あんまり話聞いてなかったでしょ」
「・・・じゃ、父さん帰るからな」
父親は由紀のツッコミを不自然にかわし、逃げるように病室を出て行った。
「・・・・・・由紀。お前の親父さん、何しに来たんだ」
北見は見舞い品のミカンを見つめて聞いた。
「多分、母さんが寒いからって父さんを買い物に行かせたんだよ。博士さんが家族の一員になってから、父さん、家じゃ地位低いんだ」
「で、ついでに立ち寄ったわけか。大変だな。一家の大黒柱も」
「今は博士さんが大黒柱だかね。家庭内リストラってやつ」
「せつねーな」
北見が、散っていく枯葉を目で追いながら呟いた。
 この後、北見の両親やサッカー部のメンバーが来てそれぞれお見舞いの言葉を残しては名残惜しそうに去って行き、やがて日が落ちた。
 午後十一時、院内がいよいよ騒がしくなり塚原はES細胞培養装置の点検をしていた。
「どうです。異常はありませんか?」
塚原が技術者に尋ねる。
「ええ、ただし、今回の実験は機械にかなりの負担をかけます。手術が終わったらまた呼んでください」
「ええ、そうします。ただ、私たちが行うのはあくまで人の怪我を治すための手術です。実験とは違います。それだけは覚えておいてください」
塚原が厳しい口調で技術者を諫めた。人体実験のつもりなど毛頭無い。ただ、手術など人命に関わる挑戦はいつの時代も人体実験扱いされる。失敗すれば反対派の学者たちから激しく罵られ、マスコミはあることないこと書きたて激しく非難する。
医学とは人の命を救うものでありながら、人命を弄ぶイメージが強いのもまた事実だ。
 技術者は素直に自分の思い違いを詫びて、研究所を引き上げていった。
「さて、手術までもうすぐか。一度、彼らの様子を見に行ってみるかな」
塚原は壁の時計で時間を確認し、北見のいる病室へ向かった。
「由紀君、北見君。調子はどうだい」
塚原が病室の二人に向かって声を掛ける。
面会時間はとっくに終わり、室内には二人の他に人の姿は無かった。塚原はこの状況を見てちょっと野暮だったかな、と反省する。
「今日一日で何度も同じ事を聞かれましたよ。塚原先生」
「ああ、手術を控えて不安になってないかと気になってね。でもお邪魔みたいだから退散するよ。由紀、あと三十分経ったら私の研究室に来てくれ。いいね?」
「はい」
塚原はろくに話もせずに病室から去っていった。
「博士さんに、気を使わせちゃったね」
「あれで案外、良い先生なんだよな」
夜になって、外の雪はもう1メートル以上の高さまで積もっていた。そのおかげで電車は完全に止まり、都市機能はほとんど壊滅状態だった。
「こんなに雪が積もるなんて予想もしてなかったな。知り合いに聞いた話じゃ東北地方では春になると雪が溶けて洪水になるらしいぜ。死人が出るって」
「それじゃ毎年大変だね。でも夏は涼しそうでいいな」
「俺の怪我が治ったら、旅行に行かないか?」
「うん。何処にしようか?」
「北海道の富良野がいいな。のどかそうだし」
「素敵だね。約束だよ」
「ああ、きっと連れて行ってやる」
「うん。じゃあ、そろそろ時間だからボクは博士さんのところへ行くよ。北見、最後にちょっとだけ目を閉じて」
「?」
「いいから閉じてってば」
北見は由紀が何をしようとしてるのか予想がついてしまったが苦笑して言われたとおりに目を閉じる。
そして、期待したとおり唇にやわらかく、温かい感触。頬にかかった吐息が微妙にくすぐったかった。
「お前、キスに慣れてないだろ」
「そういう北見こそ、ボクの知る限りじゃ彼女なんていなかったじゃん?」
「まあな。俺もファーストキスだよ」
「ふふ、嘘つき。じゃあね」
由紀はようやく芽生えた女性特有の色香を残して病室を出て行った。
「嘘なもんか。それにしてもまさかアイツのほうからキスをしてくれるとは意外だったな」
北見は人影のなくなった病室で静かに手術の時を待った。


「由紀君、そこのモニターをもうちょっと、こっちに向けてくれ」
ES細胞ゲルの生成を行う研究室では塚原が若干神経質になってモニターの位置を気にしていた。このモニターは手術室を撮影しており、リアルタイムで映像が流れてくる。
今、北見が運ばれてきたところだ。声は届かないが看護婦が北見に麻酔ガスのマスクを被せ秒読みをする。直後、北見があっさりと眠りにつく。麻酔ガスは恐ろしいほど強力なのだ。
「先生、いよいよですよ」
というのは由紀ではなく看護婦の香澄だ。
研究室には他にも大勢の人間が詰めかけ由紀は肩身の狭い思いをしていた。そんな由紀に与えられた仕事はただ一つ。
見守ること。
そのために由紀は研究室でモニターを見ているのだ。
「これより、ドラッグ先生の脊髄の修復手術と並行してES細胞ゲルの生成作業を行う。この外科手術は世界で初めての試みとなるが、万が一、事故が起こった場合を予測して各自、臨機応変な対応をしてもらいたい」
塚原が助手を集めて宣言した。モニターの中ではドラッグが看護婦からメスを手渡されていた。
「香澄君。スイッチの一番から五番目までを入れてくれ」
「はい」
香澄が指示通りに装置のパネルを操作すると培養装置は大きな振動音を出して水槽内にぼこぼこ泡が吹き出し始めた。
「順調に作動しているな。今から高稼働状態に入る。香澄君、電力をマックスに設・・・!?」
研究室に突然の暗闇と悲鳴が訪れた。真っ暗闇の中、どよめきと機械の振動音だけが蠢いている。
「停電だと?」
「ウソだろ、こんなときに」
「雪のせいですよ。どうしよう」
真っ暗闇の中、声だけが生きている。それも極度の緊張と動揺を含んだ生々しい声だ。
「落ち着け。諸君には前もって言ってあるはずだ。予想外の事故が起こるかもしれないと。落ち着け、もうすぐ内部電力に切り替わる。そしたらドクターと連絡を取るんだ」
「はい。分かりました」
塚原の冷静な指摘どおり、病院の電気は復活し、ようやく暗闇から開放された。誰もが安堵の声を上げるなか、香澄は即座に電話を繋ぎ、ドラッグを呼び出した。
「ハローハロー、ドクタードラッグ」
『私だ。塚原君に代わってくれるかい』
受話器から聞こえてきたのは流暢な英語だった。香澄は慌てて塚原に手渡す。
「先生。お願いします」
「ありがとう。ハロードクター。手術は続行ですか」
『うむ。君の予想通りの事態が起こったな。しかし、こちらは内部電源が上手く繋がらない。かろうじて生命維持装置は作動しているが、そっちはどうだね?』
「残念ながら、電力が足りません。ですが、ひとつだけ方法はあります。手術を続行しましょう」
塚原はそれだけ伝えて受話器を香澄に戻すと、今度は由紀の名を呼んだ。
「由紀、状況は把握しているね?」
「はい。手術は続行ですね」
「ああ、やると決めた以上、後戻りはしない。それに内部電源の接続が悪いせいで暖房設備が働いていない。この寒さの中では他の患者にも影響が出るからなにか対策を採らなければいけない」
「でも、どうやって電力を捻出するんですか?」
「方法がたった一つだけ残されているんだ」
塚原は由紀について来いと命じ研究室を後にした。
国立中央病院には巨大な地下施設がある。しかし、そこに通じるドアは長い間閉ざされ中へ立ち入った者は久しく無いと聞く。塚原は地下へ降りる途中、警備室へ立ち寄った。
「やあ、塚原の旦那。お前さん、今日大掛かりな手術をするんだろ?こんなところにいて良いのかい」
塚原は顔見知りらしい守衛に軽い挨拶を交わすと極めた深刻な顔つきに戻って守衛に耳打ちした。
「XYZだ。鍵をくれ」
「分かった。すぐ持ってくる。しかし、アレを起動させるには人手が足りないんじゃないのか」
「その点は、有志を募ってみるよ。とりあえず、使い物になるかどうか確認する必要がある」
「そうかい。頑張ってくんなせぇ」
塚原が戻ってきた守衛から小さな鍵を受け取ると再び地下へ向けて歩き出した。
まもなくして開かずの扉が二人の行く手を塞いだ。塚原が受け取った鍵を慎重な手つきで鍵穴に差していく。
由紀はだんだん怖くなって扉を開ける前に一つ尋ねた。
「博士さん、さっき言ってたXYZって何の略?」
「XYZ・・・つまり、主電源も内部電源も壊れて、後が無いってことさ」
言いながら、塚原が開いて見せたドアの先には、真っ暗な闇が見えた。
手探りで照明のスイッチが入れられ、部屋の正体が明らかになったとき、由紀は思わず驚嘆の叫びを上げていた。
「これが、最終手段・・・こんな馬鹿な!」
「ふふん。驚いたろう。これが世界最大の医療機関を支える究極の自家発電装置、その名もアトミックバイクだ」
塚原が自慢して見せたアトミックバイク、それは百台以上に及ぶ自転車の群れだった。自転車の車輪にはなにかの装置が取り付けられていてケーブルに繋がっている。地下室の自転車置き場が、実は後が無いときのための巨大な自家発電施設だったのだ。
「まずは漕いでみよう。五十年前の遺物だそうだからな。作動するか確かめねばならん」
 塚原は上着を脱いで自転車のサドルに跨った。普段、研究室にこもりっきりとは思えないほど逞しく、美しい上半身の筋肉が露になる。
「由紀、壁のメーターを見てくれ。そのメーターの針がMAXに達成すれば原爆並みの熱エネルギーを生み出せる」
彼が足に体重を乗せると車輪がギィッと重そうな音を立てて回りだす。
「うおおおおおおおおおおおおおおおりゃあああああああああ!どうだ、由紀電力は貯まったか」
「駄目だよ。ちっとも貯まらない。やっぱり、もっと人手がいるよ。ボク、人を集めてくる!」
由紀は地下室に設けられた受話器に飛びついて覚えている番号を呼び出した。
『つーつーつー』
「うそ、電話が繋がらない。どうして?」
「この雪のせいだ。雪の重みで電話線が断線したんだろう。停電が起こるくらいだ。・・・病院内の内線なら通じるから、研修生たちを呼び出して集めるしかなさそうだな」
塚原が自転車を漕ぐ足を止めて戻ってきた。
「そうだ、携帯なら。ボク、外に行って電話して来ます」
「無駄だ。この大雪だぞ。外の人間が一体どうやってここまで辿り着けるというんだ」
「だって、このままじゃ北見が、とにかく行ってくる」
由紀は一階の玄関に向かって駆け出した。しかし、そこで待っていたものは絶望だった。
「そんな・・・」
 頭を垂れて、呻く。由紀が絶望した理由、それは入り口のドアを塞ぐほど高く積もった大雪だった。自動ドアは雪の重みで開かれ通路の中ほどまで雪が進出している。
「どうして、こんなことになるの。お願いだから、誰かこの雪を消して」
由紀は目の前に立ちはだかる大雪に掴みかかったが、積もった雪は崩れる気配すらなかった。
 ガコッ、突然、雪の壁から黒い牙が出てきた。
「?」
その牙がなんなのか確かめようと身を乗り出したが、直前で牙は奥に引っ込んでしまった。
ガコッ、もう一度、牙が突き出てくる。その牙の正体がなんなのか、由紀にはさっぱり分からなかったが、その牙は着実に雪の壁を壊していった。
そして、牙によって穴だらけにされた雪の壁は膝を折るようにして崩れ去った。
壁が消えたとき、その向こう側にいたのは
「父さん!」
そこには、つるはしを構えた自分の父親が親指を立てて誇らしげに立っていた。牙の正体はつるはしに違いない。
「ふふん、俺は元冒険家だぞ。これしきの雪にへこたれるものか。由紀、お前の友達も連れてきたぞ」
そういって父親は自分の後ろを指差した。
「おっす、チームメイトが心配になってな」
「主将・・・達也と和也、それにみんなも」
深夜の暗がりの中から出てきたのはサッカー部の面々だった。
「由紀、チア部も一緒じゃい。応援したるけえ」
「団長、それに水鳥さん、安西先生まで」
「やあ、由紀。俺も北見君が心配になってね」
「ヒロ・・・みんな、ありがとう」
由紀は瞳に溜まった涙を拭うと自分の父親を抱きしめた。
この時ばかりは普段頼りないこの父が誰よりもかっこよく見えた。
「みんなに力を借りたいんだ。ついてきて」
集まった面々は由紀の言葉に一斉に頷いた。
「博士さん、みんなが来てくれたよ」
由紀が再び地下室に戻ると、そこでは塚原を始め十数人の研修医たちがペダルを漕ぐ作業に専念していた。塚原が足を止めて由紀に顔を向けた。額にはびっしりと汗が浮かんでいる。
「由紀、それにお父さん・・・この吹雪の中を歩いて?」
「ふふん、驚くほどのことでもあるまい。俺は冒険家だぞ。これしきの雪、屁でもない」
父親は人に会うたび例の自慢を繰り返していた。由紀はそんな父親を無視して状況を説明する。
「みんなに手伝ってもらいたいのは、この発電機なんだ。パワーをMAXまで上げれば、装置が起動する」
「そういうことなら、任せてくれ。足には自信のあるやつらばっかりなんでな」
サッカー部の主将がイの一番に自転車に跨ると、サッカー部とヒロ、それに父親がそれぞれ自転車に跨りペダルを漕ぎ始めた。
「我々も手伝うぞ。チア部、応援開始じゃい」
団長の鶴の一声でチアガールたちは一斉に応援を開始した。そして、団長だけが列から外れる。
「由紀、一晩考えて気付いたんじゃが、わしにはやっぱりチアは向かん。やっぱり、応援には学ランが一番よってに、わしゃあ部が解散して体力ありあまっとる馬鹿共を連れと来るけえ」
「応援団のみんなを呼んでくるんですか。お願いします、団長」
その時、地下室に大音響が轟いた。
「聞き捨てならんなぁー。馬鹿とはなんじゃい、馬鹿とは!」
「鬼塚副団長!」
「ふふん、ここには我らが団長も入院しとる。みんな団長が心配で集まってきたわけよ。手前ら、自転車を漕げーい!」
「押忍」
応援団のみんながそれぞれ自転車に跨りすごい勢いでペダルを回した。電気がケーブルを伝ってギャンギャン流れていく。
「すごい、メーターがぐんぐん溜まっていく。博士さん」
「おう、すぐ装置を起動させるんだ。由紀、行くぞ」
「うん」
研究室では香澄達がすでに装置の再起動準備を済ませていた。
「点検はもう終えています。いつでも、起動できます」
「よし、高稼働状態、スイッチオーン!」
塚原が必殺技を叫ぶように青色のボタンを押した。青白い電気がケーブルを流れて装置が激しく鳴動する。
「やった、成功だ。香澄君、ありがとう。君が装置の準備を済ましてくれたお陰だ」
「いえ、私、先生を信じてましたから」
「そうか、お礼に今度食事でもどうだい?」
「・・・はい、喜んで」
一方、手術室では地下から流れ込んだ大量の電力によって照明系統の電気がすべてショートし、真っ暗闇に包まれていた。
「諸君、塚原君が装置の起動に成功したそうだ。もうすぐ、こちらにゲルが運ばれてくる」
「先生、でもこの暗がりの中では」
医師の一人が皆の意見を代表して抗議の声を上げた。だが、ドラッグは落ち着いた声で答える。
「予定通りオペは行う。手探りでドレーンを渡せ」
「先生、無理です。ちょっとでも脊髄を傷つけたら・・・」
医師の一人が必死に制止する。
「マッサージ師は目が見えなくても、ツボは知っている。医者がマッサージ師に笑われたいかね?」
ブラックの暴論に皆は押し黙った。
「メス、手探りで渡せ」
「はい・・・きゃ」
闇の中にメスが肉を切り開く音だけが響く。
「カンシ」
「はい・・・いやん」
 闇の中に看護婦の甘い声が響く。
「汗」
「は・・・アンッ」
「さっきから何やッとるのかね君たち。手術中だぞ」
「先生、実はさっきから痴漢が」
 看護婦が抗議の訴えをする。
「私ではないぞ」
「僕でもありません」
「ち、ちがうぞ、俺じゃない」
「止めんか。今はそれどころじゃない。オペに集中しろ」
それからしばらくの間、手術室には痛いくらいの静寂と、濃い血の匂いだけが漂っていた。手術室にゲルが運び込まれ、それを移植する。
「終わった」
ドラッグ・ジャックが心底疲れたというふうに溜息をついて見せた。彼の安堵が波紋のように皆に広がる。その時、手術室にパッと明かりがついた。
「あ、ついた」
「手術は?」
皆が、一斉に患部を覗き込んだ。そのうちの一人が驚嘆の声を上げる。
「信じられない。完璧だ。まるで・・・神業だ」
「完全かどうか。確かめてくれ。勘ではミスはなかったと思うがね」
 オペを終えて退出するドラックを皆が拍手で見送る。
この日のオペは新聞でも取り上げられ、塚原とドラックの名声は世界中に知れ渡った。
その年、二人は脊髄治療に貢献したとしてノーベル医学賞を与えられた。
 
 オペの終了後、地下の発電施設にいたサッカー部の主将は、内線電話でオペ成功の知らせを受けて皆に伝えた。
「みんな、手術は成功だそうだ」
「マジ?」
「やったー」
「きゃっほー」
部員たちが次々に喜びの声を上げる。
「あれ、そういえば由紀の親父さんは?」
「さあ、手術室に行くとかいってたけど・・・」
「まさか、部外者は入れないだろう」
皆は首を傾げたが、どうでもいいことだったので再び手術の成功を祝いあった。
 
 
一週間後、病室では一人の患者と一人の看護婦が寄り添い、語り合っていた。
「北見、オペが成功してよかったね。もうすぐ、動けるようになるよ」
北見は視線を横に向けて、部屋に積まれている果物に目を留めた。学校のみんながお見舞いに来たせいで病室には食べきれないほどの果物が溢れている。
「みんなのお陰だってな。早く、元気なところを見せなきゃ」
「うん」
「由紀」
北見がわざと小さい声で呟く。
「え、なに?」
「耳をもっと寄せて」
「どうしたの?」
由紀が北見の口元に耳を寄せる。すると、突然北見の身体にかかっていた毛布が動き、由紀は腰を掴まれて北見の上に倒れこんでしまう。
「きゃ、ゴメン、大丈夫?」
由紀があわてて身を起こそうとするが、がっしりと腰を掴まれているせいで身動きが取れなかった。いったい何が起きたのか、首を向けて自分の腰を見やると一本の腕が腰に回されていた。
「北見、いつから手を動かせるようになったの?」
由紀の腰に回されていた腕は動けないはずの北見のものだった。由紀が驚いて尋ねる。
「午前中。ドラッグ先生にリハビリを手伝ってもらったんだ」
「もう、それなら早くいってくれればいいのに」
「驚かせたかったんだよ」
北見は悪戯が成功したのが嬉しいのか、子供のように無邪気に笑う。
「ところで、いつまで腰に手を回してるつもり?」
「由紀がキスしてくれるまで」
「ばか」
 口ではそう言ったものの、由紀は北見の頬にそっと唇を寄せた。北見のもう片方の腕が動き、由紀をベッドの中に招き寄せる。
「唇にキスしてくれるまで、放してやんない」
「わがまま」
 そして二人は熱い口づけを交わし、深く愛し合った。
その愛は二人がその生涯を終えるまでずっと変わらずに続いたという。

あとがき
 皆さん、この物語を楽しんでいただけたでしょうか。
このお話は遺された祖父の日記を基に小説風に書き直したものです。祖父の塚原博士が亡くなってもう二十年が経ちますが、祖父は生前から愉快な人でした。日記の中には祖母のことも書かれていました。香澄という看護婦が私の祖母です。小説化する折、幾つか実話を脚色しましたが二人の愛だけは本物です。祖父の死後、ES細胞による性転換が起こるという発表が行われましたが、それは祖父が二人のプライバシーを世間に公表したくなかったからだと思います。
2020年.塚原弘子。

あとがきの後書き
 ――ということで完結です。上記の後書きはまったくの大嘘です。それにしても長らくお待たせしました。途中でネタがまとまらなくて、伏線を張っておいたお話が結局使われないままになっています。すみません。
 いくつかパロディーが混じっていますがブラックジャックとスラムダンクを基にしています。
 団長は少女にして欲しいという要望が多かったので少女にして見ましたが、こちらは性転換ではなく憑依モノになっています。なんせ団長の身体だと少女三人分は作れるんで。
思い切って双子に分けようかとも思いましたが、さすがにそれは滅茶苦茶すぎる。
 作品を振り返ってみるとまだまだ勉強が必要だなーと感じました。視点変更が度々あるんで、統一できればいいんですけどね。
 今度は新しい作品を書きますんで、そのときもお付き合いいただけたら幸いと思っております。 丑寅より。


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