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TS細胞3という名の番外編
作:丑虎


《塚原博士の回想》
 何度見ても美しいと思う。
 私は水槽の中で眠る可憐な少女の写真をカルテに挟み込んで研究資料の作成をしていた。といっても世界に公表する気はない。あくまで彼女のためのものだ。
ES細胞培養装置。その一番の長所は治りが早く、手術の後など何も残らないことだ。
Embryonic Stem cell,日本では胚性幹細胞という名称だがES細胞という方が知られている。知られ始めたのはごく最近、この国立中央病院に世界初のES細胞培養装置が設置されてからだ。ヒトの受精卵から取り出されるヒトES細胞は人体のどの部位にも形を変えることが出来る万能の細胞なのだ。千切れた腕の再生には丸一日かかることもあるが、たいていの場合、半日あれば完璧に治る。
ごく稀に、再生の遅いケースもあるが、それでも最長で六〇時間ほどで完治する。全身火傷など、表皮だけを再生するならば治りは早いはずだった。しかし、不測の事態が起きた。
一月ほど前――
「先生、急患です!」
看護婦の甲高い声が飛ぶ。私は条件反射的に患者の容態を観察し、患者が生きながらえる方法を思案した。
「ひどい外傷だな。原因は落雷か?」
患者の身体は右肩から両足にかけて、枝分かれしたように電紋が走っていた。恐らく、落雷の後だろうがここまでひどい火傷は始めて目にするケースだった。
「そのようです。十五時四十五分頃に落雷に遭い、それから人体発火が起こったそうです」
看護婦は目撃証言をそのまま伝えてくれたようだ。非常に稀なケースだが、人間の身体は脂肪を含んでいるため、人体発火現象はあり得ない事ではない。
「ひどいな。このままでは壊疽を起こす可能性がある。ES細胞槽を空けろ。今から運ぶ」
私は指示を飛ばし、看護婦を走らせた。採血をし、患者を特設治療施設へ搬送する。採取した血液から遺伝子パターンを解析し、細胞槽に電気信号を送る。現在、この医療装置が扱えるのは私を除いて世界に二人しかいない。クローン技術は規制を受けているため、黒0n技術を応用しているES細胞治療も世界認定資格が必要なのだ。また、増殖するES細胞はガン細胞のような腫瘍を引き起こす恐れもあり、扱いが非常に難しい。よって、培養装置は先日、塚原の研究室に程近いこの特殊治療施設に移されたばかりだった。ガラスで出来た円柱型の水槽に細胞溶液が注がれ、全身にアルコールを浴びせた患者を水槽内に寝かせる。水槽内で繁殖する雑菌に負けないように、細胞に電気刺激を送り自己治癒機能を高める設定を施すと、私はようやく一息ついた。後は、ちょくちょく様子を見つつ、経過を待つだけだ。
二時間後、患者は皮膚の組成を三分の二ほど終え、経過は順調に思えた。
患者の身体に異常が見られたのは四時間後だ。
「女性の肉体?おかしいな」
私は疑問に感じたものの深く気には留めなかった。患者の容態は安定してきている。このまま余計な手を加えるのは危険だし、もともと外傷が酷かったのだ。骨格から男性と判断したが実際の性別は違っていたのかもしれない。
十二時間後、ようやく患者の身元が判明し、両親が病院へ訪れた。
私は患者に入院の必要があることや、順調に再生が進んでいることを報告するためロビーにまで出迎えた。
「初めまして、裕紀さんのご家族の方ですね?」
両親は、もともと浮かべていた深刻な表情を、さらに不安げに歪ませた。無理もない。私はまだ医師として若すぎるからだ。国立中央といえば世界に誇る日本の大病院だが、名だたる医師と比べ、私は頼りないように思われるのだ。だからといって、それで気を悪くはしない。患者を救うだけの実力は誰にも負けないという自負があったからだ。
「あの、裕紀の容態はどうなんでしょう」
口を開いたのは母親だった。先ほどまで、何があったのかを連想させるには難くない。涙の後が頬に残っていた。四十を過ぎたあたりだろうか、年を取っても魅力を感じさせる美しい顔立ちの女性だった。なるほど、似ている、私は思った。
「ご心配なく。彼女の容態は順調です」
「?」
母親は一瞬怪訝な顔をした。
「どうしました?」
「今、裕紀のことを彼女と仰いましたか?」
「ええ、なにか」
「・・・・・・人違いです。裕紀は私たちの息子です」
父親は安心したように、母親はまだ若干の不安を残したようにそれぞれ顔を見合わせた。
「お騒がせしてすみません。息子が、帰ってこないまま病院から連絡を受けたものですから」
母親が、何度か頭を下げて謝ると、背中を見せて去っていった。私はちょっとした恥ずかしさを感じながら夫婦の後姿を見送っていたが、ふと、呼び止めてみた。
「あの、よろしかったら、ご確認を。お茶と、お菓子をご馳走します」
その時、なぜ二人を呼び止めたのか、自分にもはっきりとした確証はない。ただ、最初に見た患者の体格と、今の患者によく似た母親、それが気がかりで二人を呼び止めていた。
夫婦はまさか医者が男と女を見間違うはずはないと、ちょっと困った様子で振り返った。
「しかし、裕紀は男の子ですので・・・・・・」
「まあまあ、いいじゃないか母さん。俺はせっかく仕事を抜け出してきたんだ。ちょっと暗いゆっくりして行こう」
 二人を研究室に招き、最初に遺伝子を見させてもらった。父親と母親、双方から髪の毛を貰い、機械にかける。解析終了までの待ち時間に、特設治療室へ招きいれ、患者を確認してもらう。
「おお、母さんの若い頃そっくりだな。先生が間違えるのも無理ないと思います」
一応、患者は年頃の少女なので、培養槽は布で覆い、顔だけ出した状態で面会させた。父親は軽く舌打ちしていたが、若い頃の母によく似た、それでいて輪をかけた美人に会えてご満悦の様子だった。背広のポケットがパンパンに膨らんでいたがどうも研究室にあったもらい物のお菓子を根こそぎ詰め込んだらしい。少し、はみ出していた。おまけに、あろうことか看護婦の尻を撫で回し始める。私は看護婦と父親の間に割って入る。
「患者は女性に間違いありませんから、やはり別人でしょう。いや、お騒がせして申し訳ありません」
「いえいえ、目の保養になりましたよ。ああ、うちの息子が女に生まれてくればなぁ」
「はは、そうだ。良かったらお菓子をいくつか持っていってください。患者さんからの頂き物ですが余っていましてね」
「そうですか。それではお言葉に甘えて」
「あなた、みっともないですよ」
私は二人にお土産を渡そうと研究室へ戻って菓子折りを手に取る。包装を解いていな品を二、三個選り分ける傍ら、何気なくパソコンの画面に目を落とす。
「!」
思わず、ばらばらと菓子を取り落し、缶が床にあたり音が響き渡る。しかし、私は気に留めず、パソコンの中に映し出されている映像を凝視した。
「どうしました先生?」
声をかけたのは父親か母親か、記憶にない。今はパソコンに描かれていることだけしか頭になかった。
「元の遺伝子は・・・・・・男性?しかも酷似している」
そう、患者を装置にかける前に採取した血液から割り出した遺伝子は男性であることを現していた。さらに、母親と父親の遺伝子は他人とは思えないほど酷似している。正直、その時の驚きは腰を抜かすほどだった。
「まさか・・・」
思い出した。独逸で以前、医療事故があったことを。その時は患者が子供のように外見年齢が若返ってしまったのだ。原因は患者の精神障害。精神や記憶が錯乱すると一時的に精神退行を引き起こすことがあるがES細胞とはそのような脳の影響を受けやすい。後になれば自然と治るような場合にも、治療中の患者が記憶喪失に陥っていたりすると、若年齢化を引き起こす恐れがあるのだ。塚原は患者が雷に打たれていたことを思い出した。
身体の中に、もし電流の乱れが残っていたとしたら?
「電気信号が狂ったのかもしれない。お父さん、お母さん。もう少し、お持ちいただけませんか」
「え、ええ」
大急ぎで患者の細胞を培養槽から取り出す。遺伝子を解析し、何度も確かめ、私は告げた。
両親にとっては、死の宣告に近いかも知れない。先ほどから水槽で眠る彼女の布覆いを捲ってにやけている父親を無視して、母親と向き直る。彼女の様子はもうすがる者が他にいないという感じで私を見つめている。私は、彼女に出来るだけショックを与えないように優しく肩を抱いて、耳元に囁いた。優しく、そしてはっきりと。
「大変申し上げにくいのですが、彼女は、裕紀君のことを『彼女』と呼んで構いませんか?彼女は完全に女性化しています。裕紀君と同一人物と見て間違いないでしょう」

私は新米医師だったが技術は飛びぬけて優秀だった。医学界では若いうちから評判を呼び、天才医師としての名声を受けたのは若干十七歳のときだった。若くしてその名声を得ることが出来たのはアフリカで父の仕事を手伝っていたからだろう。その確かな医療技術と、数多くの患者を救った事実から医師免許のないまま手術を行ったことは不問とされた。
二十五年生きてきた今まで、挫折を経験しなかったわけではない。しかし、今回味わった挫折はむしろ、戸惑いのほうが大きく、とにかく何からやればいいのか途方に暮れていた。
「あの、先生。む・・・娘は、今後の生活などどうすれば良いのでしょう」
言葉は、すぐに出てこなかった。考え事をするときの癖で机を指でコンコン叩きながら、思いついたことを話し始めた。
「あの、戸籍を変える必要があるでしょうね」
「ですが、時間がかかるのではないですか?」
「どうしましょう。問題を先送りするみたいで申し訳ないのですが、彼女が意識を回復してから相談するというのは」
「ええ、そうですね。ただ、あの子が現実を受け入れられるかどうか」
「我々が、明るく振舞うしかないのでしょう。とにかく、彼女のことが病院の外に漏れないように手配しておきます。彼女が目を覚ましたら直ちにご連絡します」
それから、裕紀君の存在は病院内の一部のメンバーのみに知られた情報となり、彼女にはかりの名が与えられた。『由紀』という名の少女としてカルテが書き換えられ、しばらく様子を見ることとなった。
四日後。
 由紀はいつまでも水槽の中で眠り続けていた。その様は、生命の海に揺蕩う人魚のように美しく、男女を問わず魅了した。彼女の際立った美しさが話題を呼んでしまうのか、極秘にしていた彼女の存在は『眠り姫』という呼び名で囁かれ始めた。
 

私は拳を机に叩きつけた。そのすぐ隣には培養槽で眠り続ける由紀の姿がある。
「くそっ、なぜ彼女は目を覚まさない」
「先生、気を落ち着けてください。あまり考え込むとお体に毒ですよ」
私の助手たちの一人、院内でも美女と名高い看護婦が私の前に香茶を差し出す。気分の落ち着く良い香りがする。
「ありがとう」
私がお礼を言うと、看護婦はいつものように頬をぽっと赤らめた。彼女の気持ちに気付かないほど鈍感な私ではないが、今は由紀のことで頭がいっぱいだった。
(彼女はなぜ目を覚まさないんだ。脳死ではない、何か、何か理由があるはずだ)
私は心当たりを探ってみるが一向に手がかりが見つからない。何度か、培養水槽から彼女を抱えだし、ドックで検査してみたが異常はどこにも見当たらない。ドックだけでは分からない細かな症状も触診して調べたが同様だ。
「ふふ、神の手と呼ばれても所詮この程度か。自惚れていたな」
私は世界中の医師が尊敬をこめて讃えるというその右手を呪った。
 由紀は培養水槽で眠り続けてもう五日。医学界の常識ではあり得ないことだった。

翌日、私は両親に断りを入れてから彼女を培養水槽から取り上げた。
培養水槽の維持には膨大な費用がかかる。彼女の両親に負担を掛けたくはなかったし、何より彼女の傷は完治している。通常なら患者が目覚めるまで培養水槽から出さないのが常識だが、由紀の身体は常識ではあり得ない事が次々と起こっている。今更、なにが起こっても不思議はない。
「由紀、君を眠り姫なんて呼ばせない。きっと、私が目覚めさせて見せる」
私は由紀の顔をじっと見つめ、桜色に色づいた唇にそっと私の愛を重ね合わせた。
 彼女が微笑みをくれた気がした。

 二週間、私は眠り続ける彼女と生活を共にした。筋肉が落ちないようにマッサージをしたり、車椅子に乗せて日光浴をさせたり、思いつく限りのことをしてみる。
「由紀君。祖手はいい天気だよ。どこか行きたいところはあるかい?」
彼女の頬をそっと撫で、いつものように問いかける。意識不明の患者を目覚めさせるのは毎日の呼びかけが一番なのだ。
「先生」
看護婦の一人が嫉妬したのだろう。声のしたほうに振り返ってみれば、院内一の美女と噂される香澄君が分厚いファイルを小さな腕に抱えて佇んでいた。私が頼んで独逸から取り寄せた資料だ。
彼女は少し非難めいた口調で呼び止めてから、資料を手渡す。
「先生、お体の具合はいかがですか?医者の不養生なんて洒落になりませんよ。あの・・・もし良かったら、私、先生のお夕食を作りたいな。それに、たまには私のことも・・・」
美奈君が恥ずかしそうに顔を伏せる。心臓が鳴りっ放しなのだろう。苦しそうに胸に手を当てている。だが、彼女の気持ちに応えるわけには行かない。
 私はこの優しさが彼女を傷つけてしまうと知りながら、それでも優しく耳に唇を寄せる。
「ありがとう、美奈君。気持ちだけ受け取っておくよ。私のことは、心配要らない。むしろ、君が心配だ。夜道は危険だから、私が車で家まで送るよ」
「い・・・いえ、そんな・・・失礼します」
彼女は、真っ赤になって走っていってしまった。私は、そんな彼女の背を見つめ、呟いた。
「美奈君、廊下を走ってはいけないよ」

 翌日、私は机の上で目が覚めた。資料を調べながらつい、眠ってしまったらしい。
「いけない、いけない。資料は借り物なのに・・・・・・ん?」
私は資料の片隅に目を留めた。そこは本来、文字の書かれていない空白の部分だ。しかし、私は眠い頭で必死に由紀を起こす方法を探っていたらしい。そこには一つの図形が描かれていた。
「そうか!モデルを作ればいいんだ。そうすれば、由紀君が目覚めない理由が分かる」
それは、まさに神の啓示だった。だが、実行するには悪魔とならなければいけない。
 紙に書かれていたのはホムンクルスのデッサンだった。

 クローン人間を造ることは法律で規制している。法律だけではない世間に知れたら私は悪魔と呼ばれるだろう。
(構わないさ。私の名誉と引き換えに由紀を救えるのなら、鬼にでも悪魔にでもなる)
私は早速、由紀の細胞を培養水槽にいれ、素体を作る。大きさは、由紀と同じでは意味がない。体長は由紀の十分の一、二〇センチほどに設定した。自己治癒細胞を強化、言語データを入力、成長促進。培養水槽に電気信号を送り、ホムンクルスに様々な情報を送る。
(いつまでもホムンクルスでは味気ないな)
私は、彼女を『ゆっきー』と名付けることにした。医学用語で、人の世の天使、という意味だ。
(私の予想が正しければ、ゆっきーは由紀と同じ条件でも目を覚ますはず・・・)
果たして結果はどうか。私は四時間後、予定の大きさにまで成長したゆっきーを人工子宮から取り上げた。
 由紀の傍らにそっと寝かせ、様子を見る。
「ん・・・むにゃ・・・・・・」
目覚めた。ゆっきーは小さいが、身体の割には大きく見えるつぶらな瞳で私を見つめた。
「むにゃ、おはよー。パパ」
ゆっきーは眠そうに目をこすると、伸びをして上半身を起こした。
「まだ、眠いのかい?」
「ん・・・眠い」
ゆっきーは正直に答える。
(そうか、強化された細胞がエネルギーを食い尽くしてしまっているんだ。なるほどな)
その後のゆっきーの生活サイクルを観察すると彼女が二時間以上起きれないということが分かった。その後、四時間眠り、また二時間起きる。その繰り返し。
(とすると、由紀が目覚めないのは治癒細胞のせいか。だが、治癒力を削ってどうする?)
私は悩んだ。自己治癒細胞は体内の免疫力を強化し、ウィルスを撃退する能力を持った細胞だ。白血球のようなものと考えてくれればいい。体内の白血球で足りない分、細胞自体に治癒力を持たせて病気を防ぐしかないのだ。問題はこの細胞の消費するエネルギーが彼女を眠らせたままになっていることだ。
(本末転倒だな。どうすればいい。毎回予防接種をするか。いや、由紀には予防接種に耐えうる力さえない。まず彼女の肉体に合う抗体を・・・・・・待てよ)
私は由紀の傍らで眠るゆっきーに目を落とした。
(いるじゃないか。彼女と同じ遺伝子を持った人間が。この娘を使って血清を作れば)
私は再び、神の啓示を受けたらしい。要は自分で作れない抗体をもう一人の自分に作らせればいいのだ。私は由紀を抱きかかえ、培養水槽に寝かせる。自己治癒細胞を取り除くためだ。
ガラスケースを黄色い液体で満たすと、電気信号を送り、新陳代謝を活性化させる。
水中に浮かぶ彼女は幻想を見ているのかと錯覚するほど美しかった。切れ長の眉、真珠のような肌、瞳を閉じた表情は微笑を浮かべる天女のよう。そんな彼女に、一つの兆し。
「ん・・・ぅ・・・・・・・」
目を開いた。彼女が落雷に打たれてから実に一ヶ月ぶりのことだった。


《父の回想》
私には可愛い息子がいた。妻と私、そして大事な一人息子、いつまでも幸せに生きてゆこうと心に決めていた。だが、天は無情だ。
梅雨の雨が降りしきる憂鬱な平日の午後。私に一本の電話がかかってきた。
「私だ。・・・お前か。どうした?病院から電話・・・・・・なんだって!?すぐ行く。待ってろ」
私の突然の大声に驚いたのだろう。秘書の裕美君が何事か尋ねてくる。
「前田部長、どうなさったのです?」
「すまないが、息子が怪我をしたらしいから早退させてもらうよ」
「ええ、これから大事な会議があるのに、前田部長がいないと話が進みませんよ」
裕美君が慌てるのも無理はない。私は若い頃から海外を渡り歩き、十数カ国の外国語を操る交渉のエキスパートだ。今日の会議はスペインからの役員が出席する予定だったのだ。通訳はいるが私の足元にも及ばない。
「困ったことがあれば、電話をしなさい。それじゃ、後は頼んだ」
私は裕美君に軽く投げキスを飛ばし、会社を出た。私は世界最大の証券取引会社、前田インダストリィの部長の席に身を置く者だ。会社の名前と私の名が一致しているのは偶然ではない。祖父は会長、父はNYで支部を率いている。二人の兄もそれぞれ重要なポストについている。一言、断っておくが私はボンボンではない。飛び級でMITに入学、主席で卒業し、その後は大陸を渡り歩いて、一人で生き抜く力を身につけたのだ。一匹が小象ほどの大きさを持つアメリカ水牛の群れを一瞬で全滅させたこともあるし、ゲリラに雇われ、素手で米軍海兵隊を壊滅させたこともある。
 所帯を持つとさすがに一箇所に落ち着いたが、若い頃はずいぶん女を泣かせたものだ。

 私は世界で一番愛している妻の元へ、車で急いだ。日本はジェット戦闘機での通勤を認めていないのでこういう時不便だ。
十分後、私が病院へ着くと妻がロビーで一人泣いていた。私は隣に座ってハンカチで目を拭ってやる。
「貴方・・・・・・」
「遅れてすまない。大丈夫、裕紀は俺たちの子だ。落雷くらいで死んだりしないさ」
私が妻を慰めているところへ、息子の主治医らしい医師がわざわざ出迎えてくれた。
「初めまして、奥さん。私が担当の塚原です」
塚原と名乗った医師は私の美しい妻にいやらしい視線を向けた。私は妻を護るように間に割って入る。
「あの、裕紀の容態はどうなっているのですか」
「ご心配なく。彼女の容態は順調です。ES細胞治療を施しておりますから半日ほどで回復しますよ」
「?」
私と妻は顔を見合わせた。
「どうかしましたか?」
不思議そうに医師が聞いてきたので妻が、戸惑ったように訊ねる。
「あの、今、裕紀の事を彼女とおっしゃいましたか?」
「ええ」
「人違いです・・・・・・裕紀は私たちの息子です」
妻が、そう言ってやったときの医師の間抜け面といったら、写真に収めておきたいくらいだった。
「それは失礼しました。おかしいなぁ」
医師は一人、首を傾げてぶつぶつ言っていた。年頃の、可愛い女の子が落雷の被害にあったのは手放しに喜べないが、私たちは心底ほっとしていた。しかし、帰ろうとしていた矢先、医師に呼び止められる。
「あの、少し、お時間を頂けますか」

 何事だろうか、と思っていたが私は母さんと一緒に医師に招かれるまま特設治療室へ足を運んだ。そこには。
「これが、君の言っていた・・・・・・ES細胞培養装置か」
初めて目の当たりにした巨大な医療装置、ただ、中に入れられている女性のプライバシー保護のためか布覆いがかけられていることが不満だった。断言するが、私は決して女性の裸が見たかったわけではない。むしろ、塚原という医師の方こそ、女性の身体が見たくて医者になったのではないかと思わせた。さっきから、塚原はぼりぼり菓子を食いながら、看護婦の尻を撫で回していた。女性が恥ずかしそうに俯き、私に無言で助けを求めていた。
「止めないか。その汚い手を離せ」
私は医師の手を払い、看護婦を胸に抱き寄せた。
「ありがとうございます」
お礼をいう若い看護婦の頬は朱に染まってしまった。私には妻がいるというのに困った。
私たちは、しばらく医師の話を聞いた後、最後に医師が食いきれない菓子があるからもって帰ってくれというので、今頃は家に帰っているだろう息子の土産代わりにお言葉に甘えることにした。
医師が不味そうなヨウカンや、しけたせんべいばかりを選んで手渡そうとしていたその時、カカラーン、と甲高い音を立てて煎餅の缶が足元に転がった。しかし、医師はそれどころではないというふうにパソコンの画面に釘付けになっていた。パソコンを操作し、かなり焦った様子でキーを叩く。ちなみに、パソコンの壁紙は全裸の女性だった。何を考えているんだこいつは。
「遺伝子は・・・男性」
医師が画面を見て呟く。
その後、医師の口から信じられないことが語られた。
「裕紀が・・・女に・・・・・・」
私の可愛い息子が女になってしまったというのか。私たちはもう一度培養水槽の前に案内された。たしかに、水槽で目を閉じて眠る女の子は妻の若い頃に良く似ていた。
妻は泣き出した。

その日の夜、私は非常灯の明かりだけが灯る病院の廊下を歩いていた。手には一眼レフカメラ。娘の写真をアルバムに収めるためだ。決していかがわしい写真を撮るつもりではない。
ただ、娘が誕生した瞬間を写真に収めて置きたいと思う、当然の親心だ。
 抜き足、差し足、忍び足。高鳴る胸の鼓動さえ廊下に響くのではないかと思う静けさ。だが、肝心の特設治療室に近づくに連れてなにやらカシャ、カシャという音が聞こえてくる。最後の角を曲がると、カーテンで遮られた窓の向こうからわずかに漏れる明かり。
(こんな夜更けに誰だ)
私は、ピンで治療室のドアを開け、そっと中の様子を窺う。部屋の中では塚原医師が私の愛娘をカメラで撮っていた。鼻の下を伸ばして、白衣が汚れるのもかまわず寝そべってローアングルから何枚も何枚も。
「貴様!何をやっとるか」
一喝してやると、塚原は険しい視線で私を睨み据えた。伝説の殺し屋クリムゾンと殺し合いをした私ですら、これほどの殺気を感じたことはなかった。
「貴様、何者だ。そこで何をしている」
「自己紹介はお済でしょう。私はカルテを作るために経過を調べているんですよ」
「見え見えの嘘をつくな。そんなアングルからとった写真のカルテなんか見たことない」
いけしゃあしゃあと言い訳をする塚原に私は怒鳴ったが、塚原はめげずに反撃してきた。
「そちらこそ、カメラなんて持って何しに来たんです」
「お、俺は娘の誕生記念に写真を撮りに来たのだ。貴様のように邪な動機ではない」
「ほう、ではなぜこんな夜更けに?」
(痛いところを突かれた!)
「よ、夜のほうが写真写りが良いからだ」
「初耳ですね。私もこのアングルから撮らないとカルテの一番重要な部分が作れなくなってしまうのです」
お互い、一歩も譲らない。嫌、一枚も写真が撮れていない分、私のほうが負けている。
(何か、何か策はないのか・・・・・・そうだ!)
「勝負をしようじゃないか」
「勝負?」
「そうだ。どちらがより美しい写真を撮れるか。勝った方は娘からキスが貰えるという条件で」
「ふ、いいでしょう。私の盗撮技術はプロ並ですよ」
「ふん、俺なんかこの道四十年、二歳の頃からカメラを覚えたんだ。貴様ごとき、若造には負けん」
その日の勝負は明け方まで続いた。医師の研究室には暗室が造られており、撮っては現像し二人して数百枚の写真を撮った。
「貴様、いつもこんな事をやっているのか」
「いいえ、私は姑息な手段で撮ったりなどしませんよ。撮るときは堂々と、真正面から撮影する。それが私のポリシーです」
「見所のある奴だ。最近のカメラ小僧は盗み撮りすることしか考えてねえ。盗撮、それは字の如く、相手のハートごと盗まなきゃ駄目なんだ」
「まったく同感です。あんな犯罪者どもと一緒にされていい迷惑です」
夢を語り合い、和解が成立したところで私は家に帰った。ベストショットの数々をアルバムに収めて私はほくそえんだ。

数日後、私たちは医師とよく話し合って息子を死んだことにしようと決めた。もう男性に戻る望みはないといわれたからだ。
一応、息子は死んだわけではないのだが、世間的にはすでに亡くなったことにしておいた。とりあえず、気落ちした風を装う私に秘書の裕美君が心配そうに声をかけてきた。
「前田部長。息子さんが、お亡くなりになったそうですね。あの、どうか気を落とさないで下さい」
「ありがとう、裕美君」
「前田部長。最近、食欲がないんじゃありませんか?もし良ければ私・・・晩御飯を作りに行ってもよろしいですか?」
裕美君は頬をほんのりと朱に染め、期待のこもる眼差しで私を見上げる。もちろん、彼女の気持ちに気付かないほど鈍感な私ではない。私はこの甘さが逆に人を傷つけると知りながらも彼女の誘いを優しく断った。この罪作りな微笑を胸のうちで自嘲する。
「はは、心配かけてすまないね。でも、気持ちだけ受け取っていくよ」
そう、私には妻と息子がいる。いや、息子はすでに亡くなったから過去形か。
「さて、愛しの我が娘に会いに行くか」

「こんにちは」
看護婦に挨拶をする。調べよると、彼女は病院で一番の美女と噂されている美奈君だ。彼氏はいないらしい。もう一人は香苗君という新米看護婦だ。
「今日もお美しい」
「あら、前田さん。娘さんのお見舞いですか」
毎日のことなので、彼女たちとはすでに知り合いになっている。今、私と会話している美奈君も顔を少し赤らめ、私の瞳を覗き込んでいた。
「娘さん、病院内では眠り姫と呼ばれているんです。でも、担当があの塚原先生でしょう?みんな、眠り姫が目を覚まさないのは、塚原先生のセクハラが原因なんじゃないかと疑っていますよ」
「まったくあいつめ。やって良いことと悪いことの区別もつかんのか」
私は塚原の研究室へと足を運んだ。最初は単なるスケベ医師かと思ったが、患者に対しては誠実で、看護婦たちの信頼も厚い好青年だと分かった。
「こんにちは先生。娘の容態を見に来ました」
研究室の扉を開くと、中では塚原が医学書を読み漁っていた。机の上に山のように書類が置かれている。一瞥しただけで独逸の、しかも名だたる名医の書いた研究報告書だと分かる。
「おはようございます。義父さん。実は、由紀君の回復の糸口が見つかりそうなのです」
「ほう、それは朗報だ。聞かせてくれ」
「昨晩のことです。私は独逸から取り寄せた資料を読んでいたのですが、明け方の五時を過ぎた辺りでうっかり眠ってしまったのです。そして、目覚めたときには最後の力を使って書いたらしい、ホムンクルスの図形が一枚の紙に残されていたのです」
塚原医師がそういって見せたもの、それは図形というよりアニメキャラのような下手くそな落書きだった。しかも、名だたる医師の直筆と思われる資料の余白に書き込まれている。この資料を借りた奴はどの面下げて返すのだろう?
「しかし、塚原君。ホムンクルスはクローン規正法に触れるのではないか?」
「ええ、しかし、それで彼女が救われるのだという確信があります。私は、彼女のためなら法を犯す覚悟がある」
その時の彼の表情は神々しい威厳すら含んでいた。真摯な眼差しで私を見据える彼から誇り高い意思が伝わる。
「分かった。君が出した解答なら、きっと正しいだろう。俺は君と知り合えたことを誇りに思う」
「私も、貴方のような人間になりたいです」
私たちは堅く手を握りあった。
「しかし、なぜ自分を犠牲にしてまで私の娘を治そうとするのだね?惚れたか?」
「はい。私は彼女を愛してしまいました」
医師は照れたように、しかし、決して物怖じせずはっきりと言い切った。一ヶ月、眠ったままとはいえ由紀と共同生活を送る彼の心にはいつしか愛が芽生えてしまったのだろう。それは仕方のないことだ。
「返事は、由紀から聞くことだ。私はあの子にとって良い親ではなかった。だからこそ、生まれ変わった今、娘に優しくありたい。人生の岐路に立ったときは娘の意見を尊重してやりたいのだ。応援しているよ」
「ありがとうございます!」
医師がひときわ元気良く御礼の挨拶をする。
「それでは、今日はこれで失礼するよ」
「待ってください」
「ん?」
「貴方に見せたいものがあります」
医師の顔に今までとはまた少し違う決意の表情が窺えた。

 医師が白衣のポケットから取り出したリモコンをピッと押すと、突然、研究室の壁に立てられた本棚が音を立てて動き出した。続けて見えたのは薄暗い部屋。塚原が再びリモコン操作で今度は部屋に明かりをつける。
「こ、これは!」
私は思わず驚きの声を上げた。
中から現れたのはぎっしりと詰まれたエッチな本の数々だったのだ。世界中のどの本屋よりも品揃えが豊富なのではないかと疑うほどの膨大な量のえっちぃ本。
「私の、秘蔵のコレクションです」
「す、素晴らしい。ハラショー」
思わず、イタリア語が出てしまう。私はぱちぱちと手を叩き、ある意味、スタンディング・オベーションをしていた。
「見て欲しいのはこれだけではありません」
医師はうっとりするほどの肌色の輝きの包まれたその部屋に躊躇いもなく入っていった。中から、一つの宝箱を取り出す。何が出てくるというのか、私の胸は期待ではちきれそうになっていた。
「見て驚かないで下さい」
彼が慎重な手つきでモノ、それは
「これは・・・幻の春画、女体黙示録ではないか。しかも・・・前編だと。ああ、長年捜し求めていた伝説の春画がこんなところにあったとは」
そう、それは人間がまだ神に近い存在だった頃、唯一絶対の神から授けられたという伝説の『すっーーーーーーーーーーーーーーーごいエッチな本』だった。歴代の所有者の中にはキリスト、釈迦、ジュリアス・シーザーの名が上げられる。最近の記述では米国大統領ブッシュがこの本欲しさに湾岸戦争を引き起こしたといわれる。その品が今、目の前にそして、伝説はそれだけに留まらなかった。私だけが知っている、もう一つの伝説。
「君はもう中を見たかね」
「ええ、今では一字一句、細部まで正確に思い出せますよ。さすがに神が書いたといわれるだけあって究極のエロがそこにあります」
「ふふ、知っていたかね?塚原君。この女体黙示録には続きが存在するのだよ」
「ええ!そんなバカな!どこからそんな話が」
「知らないのも無理はない。俺が誰にも言わなかったのだからね」
「?」
塚原が不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
「実は、俺が若い頃、北極の氷山のなかに眠っていた神の楽園都市、スノードロップで見つけたものなのだよ。今だに、その都市の存在すら知られていないがね」
「で、では。貴方は後編を!」
「そうだ、前編を読まぬうちはと、まだページすら開いていないが、表紙だけで一ヶ月、鼻血が止まらなかったよ。危うく死ぬところだった」
「分かります!私も、その時瀕死の重症を追い、医者に助けられたことから、自分自身も医師になる決意をしたのです!」
「ふ、この話をしたのは君が始めてだ」
「貴方は、もしかして伝説の冒険家、天界の覇王様ではありませんか?」
「昔の呼び名だ。確かにそう呼ばれていた時期もあった」
「義父さん。私が、もしその本を貸して差し上げるといったら、代わりに娘さんを私に下さいますか?」
ぴくり、とそれまで続いていた私の生命活動が一瞬途絶えた。
「ふふふ、どうですか?読みたいでしょう?」
塚原は悪魔の声音で私を誘惑する。しかし、娘は女体黙示録に負けず劣らぬ究極の美を持った娘だ。貸してもらうだけの交換条件では釣り合いが取れない。私は震える声でもう一度確認をとった。
「塚原君。本当に・・・貸して、『貰える』のかね?」
「あげるわけにはいきませんが、貸すだけなら」
チッ、引っかからなかったか。
「こんな、エロ本に現を抜かすような奴に娘はやらん。娘はやらんが・・・・・・見るだけなら良しッ。代わりに俺の後編を貸してやる」
これが妥協できる限界だった。だが、塚原は泣き笑いのような歓喜の表情を浮かべた。
私たちはこの運命の巡りあわせを神に感謝した。

《看護婦たちの回想》
赤い顔をして、看護婦の美奈が給湯所に走りこんできた。
「ねえ、今日の塚原先生のどうだった?」
「今日も面白かったよー。ちゃんとご飯食べてますかって聞いただけなのに、なんかすごい勘違いしてるの。君の気持ちだけ受け取っておくよ、とか」
「ホント、あの先生、面白いよねー」
看護婦の中では塚原の評判は上々のようだ。だが、彼女たちは恋する女というより、ペット自慢のような雰囲気で話をしていた。
「そうそう、最近の先生って眠り姫のお父さんと仲良いんだってね」
「そうなの!趣味が同じみたい。眠り姫も気の毒よね」
眠り姫とは一月ほど前から存在の噂され始めた、ES細胞培養装置の中で眠る美少女の呼び名だった。
「塚原先生も、前田さんも、あの性格さえなければ良い人なのにね。二人とも格好良いし」
「ほんとだよね。セクハラさえ我慢すれば彼女なんていくらでも作れるだろうに」
「まったく。初めの頃は幻滅したもん」
看護婦の間で塚原の認識は次のようなものだった。

名前 塚原博士
性別 
趣味 エッチ本集め
特技 セクハラ 妄想
備考 勘違いしまくりのハンサムスケベ。腕は一流、顔は二枚目、性格破綻のマッドサイエンティスト
由紀の父親も、似たようなものだが、二人とも顔と性格の良さでそれほど嫌われていないのが救いといえるかもしれない。
看護婦の間で密かに馬鹿にされていることなど露とも知らない二人は、今日も元気に自分はモテルと勘違いしていた。


後書き
ちょっとだけ、シリアスに描いてみました。まあ、最後は落ちがついてるんですが、個人的にはシリアス路線のほうが気に入ってます。皆さんはどっちが良かったですか?
二人がただの変態にならないように苦労しました。

そうそう、ES細胞についての説明ですが正式名称《Embryonic Stem ceii》といって実際にある細胞です。あまり巷で知られていないようですが、ホームページで検索すると分かりやすく解説してありますよ。ひょっとしたら由紀みたいな人間が今後、本当に現れるかも?淡い期待を抱いております。


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