戻る

TS細胞
作:丑寅


梅雨時の鬱陶しい雨が、街中にいくつもの小川を作っていたある日のこと。
僕は親友の北見と傘を並べて帰路を急いでいた。学校の制服はすでにびしょ濡れ、傘をさすことに意味は無くなっている。実際、この土砂降りの雨の中を開き直って傘を閉じてる人の姿も見える。僕たちは教科書の入った鞄があるので、そんな真似は出来ないのだけど。
僕は前田裕紀。ひろのり、と呼ばれることがあるが、ゆき、と読む。一方、隣を歩く北見は下の名前を直人と言い、僕たち二人は小学校から高校一年の現在まで縁の続く、いわゆる幼馴染だった。
「ホント、嫌になるよな。こうも雨の日が続くと学校なんて行く気が失せるぜ。早く夏休みになんねえかな。もしくは梅雨時に夏休みをくれたらなぁ」
北見が空を見上げて愚痴をこぼす。確かに朝から雨だと外に出る気はなくすが、異論はあった。
「それは嫌だよ。せっかくの夏休みなんだから晴れていたほうが絶対いいって」
「俺の場合、夏休みは外に出ないからいいんだよ。あのくそ暑い中を出歩く連中の気が知れない」
この湿っぽい梅雨のように、北見の愚痴はしつこく続いていた。北見は性格が不真面目な気分屋だが、根はいい奴だ。悩み事を打ち明けたことも何度かあり、逆に、僕が北見の相談に乗ることもあった。
「あーあ、風邪引きそうだぜ。さっさと風呂入って寝るかな」
北見の家は僕より五百メートルほど学校に近い、高校に入ってから一人暮らしを始めているのだ。親が海外にいて本当なら北見も米国に行ってしまうはずだったが何かと理由をつけて日本に留まった。以前暮らしていた家は売り払って学校の近くのワンルームマンションを借りている。
「裕紀、寄ってくか?」
気付くとすでに北見の家の前まで来ていた。さすがに近い、と感心してしまう。
「どうしようかな?でも今日はいいや。どうせ雨は止みそうにないし」
僕はとりあえず北見の誘いを断った。
この時、この判断を下さなければ、僕は今のような人生を送る羽目にならずに済んだだろう。まったく、運命という奴は悪戯が好きらしい。

僕は降りしきる雨に追い立てられるように早足で歩いていた。家はもうすぐだ。まったく、といっていいほど雨を防がない傘を抱え持つようにして。
掲げた傘の隙間から、突然まぶしい光が差し込む。一瞬遅れて、隕石でも落ちてきたような雷鳴が轟く。
「うわっ、近いぞ。これは」
光と音の間隔が短いということは雷が近いということだ。どうやら僕は雷雲の真下にいるらしい。傘をずらして天を見上げるとまるで、狙っているぞ、といわんばかりに雲が僕の頭上に低く渦巻いていた。
その時、灰色に渦巻く雲の一端がチカッと光った。
「!」

目を覚ますと僕は黄色の海の中にいた。これは?
「?」
目の前に誰か立っている。白衣だろうか?
僕の目には黄色く映るが目の前の男は白衣を着ているらしい。つまり、僕は病院にいるらしい。僕が外の様子を窺っていると医師と目が合い、彼は落ち着いた様子で看護婦に何か話していた。

数分後、僕は黄色い液体で満たされた水槽から出され、ベッドの上にいた。まだ頭がぼうっとしてなにがなんだか分からない。
「裕紀君、裕紀君。自分の名前は分かりますか?」
名前を呼ばれて僕がようやく意識がはっきりする。気付くと両親が僕の顔を覗き込んでいた。
「んわっ!」
思わず仰け反る。背後で医師の冷静な声が聞こえた。
「どうやら意識が戻ったようだね。ここがどこか判るかい?」
「え?」
周りを見渡すとまず両親が目の前に、医師と看護婦が背後に、ここは個室で僕は水色のバスローブのようなものを着せられていた。
「ここは、病院ですか?」
医師が頷く。
「正確には国立中央病院だよ。世界一の医療設備を持った病院さ」
医師の口調はどこか自慢げだ。今まで医者と言う人間に偏見を持っていたがこの医師はどこか親しみやすい。
「なぜ君がここへ運ばれてきたか分かるかい。ここはね、世界でまだ二つしかないES細胞槽の皮膚培養装置があるからだよ。君は落雷による大火傷を負っていたからね」
「あっ」
言われて思い出す。僕は雨の中を歩いていて、突然光に包まれたかと思うと……。
「知っているかもしれないけれど、人間というのは皮膚の三分の一が焼けてしまうと皮膚呼吸が出来なくなり死に至る。そういう意味では君はまだ幸運だったといえる」
「?」
そういう意味ではって僕は助かったんじゃないのか?
「あの、どういう意味ですか」
医師に訊いてから両親のほうにも顔を向ける。親父はなぜか、にやけていたが、母さんはちょっと困惑した様子だった。
「順を追って説明するからよく聞いてくれ。君は女の子になってしまったんだ!」
僕は、いきなり核心に入った説明に戸惑う。
「はあ?」
「すまない。ちょっと興奮してしまってね。何しろ珍しい、というか世界初の症例だからね。男としての本能と研究者としての理性が火花を散らしてるのさ。立花君、鏡を」
看護婦が前もって用意していてらしい大きめの手鏡を僕に向けた。見ると可愛い女の子が目の前でキョトンとしていた。透き通るような、桜の花びらを想い起こさせるほの薄く紅潮した肌、黒真珠のような輝きを蓄えた黒い瞳、卵形に可愛く整えられた容姿。両親の前だというのに、僕は目の前の彼女に惹かれ、食い入るように鏡を見つめていた。
ん?鏡って?
(君は女の子になってしまったんだ)
医師の言葉を反芻する。両親の顔を見て、医師を見て、最後に自分の姿を見て、絶叫した。
「な!な?なんで」
思わず声が裏返る。というより、もともとの声が高くなっていた。
見下ろしたとき、バスローブの隙間から胸の谷間が見えた。白く、柔らかな果実のような乳房。入院期間に伸びたのか、培養層の中で育ったのかいつの間にか髪は長く、繊細さを帯びて僕の肩に垂れ下がっていた。
「ど、どういうこと?」
僕はベッドから乗り出して医師に詰め寄った。ちゃんと説明してくれなければ分からない。
「落ち着いて聞くんだ。裕紀君。君はさっきも言ったとおりひどい火傷でね。皮膚が生成するまでの間、約一ヶ月、君は培養層で眠っていたんだ。その培養層というのが少々特殊でね。ES細胞によって皮膚を形成する特殊な培養装置なんだよ。皮膚だけじゃない、ちぎれた腕や失った半身さえ再生できる最新の医療装置さ。独逸と日本にしかない。ES細胞と言うのがどのようなものかは知ってるかい?」
「知らないよ。そんなの!」
「この細胞は生物がその身を構成する上で自在に形を変えてしまう、高い適応力を持った細胞なんだ。生まれ変わる細胞と表現したら分かりやすいかな。何度も言うとおり君の火傷は全身を黒焦げにしてしまったから一から再生しなおしたんだよ。ところが、予想外のことが起きた。このES細胞がとんでもない変化をしてしまったんだ。つまり、君の身体を女性の肉体に転換してしまった。なぜそうなったのか解明の途中だが、おそらく雷が関係しているんだろうね」
「先生、お水です」
話しつかれた医師を気遣って看護婦が水を差し出し、話の腰をぽっきり折ってくれた。
「説明を続けよう。人間の脳は記憶やその他の神経伝達など、すべて電波によるやり取りで行っている。本能も然りだ。人間の脳は一昔前まで三〇%しか覚醒されておらず、一〇〇%目覚めれば超能力が使えるなどととんでもない憶測を立てる連中がいた。ところが、君も知っての通り、三〇%は理性のために、残りの七〇%生体管理、つまり我々が今在る姿を保つために使われていることが分かったんだ。皮膚が呼吸しているのと同じ、あるいは髪や爪が意図せず伸びるのと同じように。ところが、君の脳は雷の強い電気ショックを受けたせいで誤作動を引き起こしてしまったらしい。すなわち、自分は女性として存在しているのだ、とね。再生の過程を観察するうちに、君が女性として変化しているのに気付いた僕は、ご両親に連絡して然るべき処置をとってもらった。これからの君が不自由しないようにね」
医師が、ずり下がった眼鏡を人差し指で押し上げ、両親に鋭い視線を送った。
「さあ、裕紀君を安心させてあげてください。御父さん!」
「うむ、裕紀、よく聞け」
ごくり、僕は知らないうちに口のなかに溜まっていた唾を飲み下す。
「裕紀、お前の名前は今日から前田由紀だ!」
沈黙。父が叫んだ姿勢のまま凍結する。
「は?」
「由紀、可愛いよ。良くぞここまで立派に育ってくれた」
「ちょっと待て、然るべき処置って名前を変えただけ?男に戻してくれないの?」
「「何で戻す必要があるんだね?」」
父と、医師の声が見事に重なる。どうやらこの医師に親しみやすさを感じたのは親父と性格が類似しているからだろう。
「父さんはな、正直言ってお前を生んで後悔していたんだ。父さん、あまり収入良くないだろう?お前の養育費が高くってなあ、お前を日本においてハワイに逃亡しようか考えて痛んだよ。だが、父さん頑張るぞ。可愛い由紀のためだ。これからは一生父さんが守ってやるぞ」
「御父さん、及ばずながら私もお手伝いいたします」
僕の肩越しに意思がしゃしゃり出てくる。親父は威厳のある顔つきで言った。
「先生もああ言ってくれとる。感謝しなさい」
「はあ、どうも……って、息子を捨てるつもりだったのか!」
僕は親父に怒って殴りかかった。華奢な手がポカポカと迫力のない音を立てる。マッサージしてるんじゃないんだぞ。
「ひどいじゃないかぁ。戻せよ、ボクの身体。もうやだぁ」
声帯まで変化したおかげで言葉のニュアンスが変わり、『僕』が『ボク』になる。
「あっはっは、可愛いなあ、由紀は。そんなに暴れるとローブがはだけちゃううぞ」
親父が僕の胸を覗き込みながら、にっこり笑う。
「きゃぁん!止めてよぉ。どうしてこんなことに……」
「もう一度説明しようか?」
背後で医師がそう言っていたが僕は無視して親父に枕を投げつけた。しかし、ようやく意識が回復したばかりの僕の身体は暗転し、僕は再び意識を失ってしまった。
僕は、これからどうなってしまうんだろう?なんて心配は目覚めてから考えることにした。今は、何も考えられない。これが夢であることを祈るばかりだった。


後書き
中途半端な終わり方でごめんなさい。人生初のTSモノです。続きを書こうと思ったんですが妙案が出ないし、皆さんの好きな展開が分からないので、とりあえず続編の書ける終わり方にしました。おかげでオチが弱くなってしまいましたけどTSシーンさえ書ければいいや。
TSという言葉は三日前に知りました。構想自体は以前から持ってましたけどね。で、続編なのですが(書くのでしょうか?)皆さんの要望があれば仰ってください。筆者としては以下の三通りを構想してるのですが。

  1. ひとつ、少女漫画風ほのぼの学園モノ。
    親父のセクハラにとうとう癇癪を起こしたボクは親友の北見に相談する。最初は僕の変わりように驚いていた北見だが、事情を知って北見と同棲することに。そうこうしているうちにとうとう夏休みは明けボクは女子高生として高校へ通うことに。学園の男子たちの魔の手が迫る。北見は由紀を護るため孤軍奮闘の戦いを繰り広げる?
  2. 二つ、ボクの変身は仕組まれたものだった。変態医師の魔の手が迫る。暴走する変態医師とセクハラ親父、人類皆女性化計画を企てる二人、このままでは人類の存続が危うい。
    ボクは変態二人の野望を打ち砕くことが出来るのか。(スケールがでかくなりそうなので多分か書くまい)
  3. 三つ、女の姿で生き返ったボクを待ち受けていたのは謎の組織だった。ナイト由紀の称号を与えられ相棒のスーパーカー、ナイト2003(愛称キッド)に乗り悪党を打ち倒す。
    言葉を話し、空を跳ぶ車を駆使して壮絶なバトルを繰り広げる王道パクリ物語。


戻る

□ 感想はこちらに □