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 夢の中、俺は5、6歳くらいの小さな子供になっていた。


 そして俺の目の前で、やはり5、6歳くらいの見知らぬ女の子が泣いていた。
 「こらっ、省太!!」
 背後で怒鳴り声がして振り向くと、そこにはお袋が立っていた。その姿は俺と同様に少し若くなっている。
 「男の子が女の子を泣かせたら駄目じゃないのっ」
 「わ、わざとじゃないもんっ」
 思わず小学生みたいな言い訳をする。だいたいこいつは夢の中だし、そもそも女の子がなぜ泣いているのかすら俺には判らない。
 にもかかわらず、お袋は俺をにらみつけながら、
 「そんな言い訳する子はこうよ」
 そう言って、大きな鋏を持ったかと思うと――

 バチンッ!!

 俺の股間で大きな音がした。
 すると俺の身体は、急速に成長を始めた。
 高くなる身長。しかし身体は細く丸みを帯び始め、胸には2つの膨らみが……
 そして服の方も鮮やかな黄色のワンピースへと姿を変える。
 「え? なんで? どうしてえっ!?」
 驚き、上げる悲鳴もキンキンに高い女の子の声だ。
 「省太の男の子は切り取っちゃったからね、今日からあなたは女の子よ」
 そう言ってお袋が摘み上げたのは俺の大事な部分だった。ただし大きさはお子様サイズのままだ。
 「か、返して、俺を男に戻してくれっ!!」
 慌てて俺はお袋に駆け寄ったが、その目の前で俺の大事な部分が形を崩し、風に流されてサラサラと……

 「うわああぁぁぁ―――っ!!」

 絶叫とともにベッドから起き上がり、俺はそれが夢である事を思い出しホッと胸を撫で下ろした。
 ……が、その胸には2つの丸い膨らみがあり、ピンクの布地を押し上げていた。
 そっと手を胸にあてると、そこから感じる確かな重量感。そして胸から感じる持ち上げられる感触……
 「これは……夢じゃないんだよな。はああ――っ、いつになったら男に戻れるんだろう?」
 ネグリジェに包まれた自分の身体を眺めながら、俺は盛大な溜息を吐いた。



乙女くん(後編)


作:ライターマン


 俺の名前は松井省太(まつい・しょうた)、16歳のごく平凡な高校2年生。
 単身赴任中の親父とブティック経営のお袋との間に生まれた1人息子で、どこにでもいるごく普通の人間。
 …………だった。ついこの間までは


 ある日、目が覚めてみると俺の身体は女の子になっていた。
 これは学校で数年おきに起きている現象らしく、女の子になった男子は「乙女くん」と呼ばれている。
 「女の子でいる間は乙女らしく」しなければいけないので、こう呼ばれているらしい。
 そして今年は、俺がその「乙女くん」になってしまった……という訳である。


 言い伝え(?)によると「乙女くん」には次の3つのタブーが存在し、破ればペナルティが課せられる。 

  1. 乙女は自分が女であることを隠してはならない
  2. 乙女は男子の前で下着を見せてはならない
  3. 乙女は女性の秘密を男子に明かしてはならない

 「女言葉以外喋るな」とか「内股で歩け」なんてのがなかったのは、不幸中の幸いというべきだろうか? もしそうだったら絶対学校を休んでいただろうな。
 ところが俺の身体が女の子になった最初の日、俺は「乙女くん」やタブーの事をまったく知らず、女になった身体を隠し、男の格好で学校へ行って第1のタブーを破ってしまった。
 その結果、最初は比較的男の時と同じだった身体つきがものの見事にナイスバディと化し、男の時の服が全て入らなくなってしまったのだ。
 このタブーを全て破ったり、1つを破り続けたりしたら、その時は……

 「『乙女くん』の『くん』が取れるだけよ。そしたらこれからもずっと女の子だし、彼氏作って結婚して子供を産んで、なんてのもできるわよ」

 お袋……事も無げにそんなこと言わないでくれ。そんなだから昨夜みたいな夢を見るんだぞ。




 「1、2、3、4――」

 グラウンドの一角、男性の体育教師の号令で男子が準備運動を行なっている。そしてその中で俺も足を広げて身体を前に折り曲げる。
 今日の授業は1時限目が体育であり、男子は外でサッカーをやることになっていた。
 俺の身体は女の子になってしまっているが、体育は男子の方を受け続けていた。
 しかし……体操服は第1のタブーを破らないために女子用の物を身に着けている。
 そう、今の俺は、首や袖口が赤い体操服に下はブルマという姿である。
 これが男子の間では目立つこと目立つこと……まあ当たり前か。
 できりゃあ準備運動は1番後ろの方で目立たないようにやりたかったんだが、いつの間にか中心部へ移動していた……というか、男子が俺を取り囲んでいるような感じで移動してきた気がするぞ。


 「5、6、7、8」

 上半身を大きく後ろにそらす。と、ぶら下がっていた重量物がずっしりと胸にのしかかる。
 この乳房というやつ、揺れるし重いし……見てるだけの時は嬉しい代物だったが、自分の身体に備わっているとなんとも邪魔な存在だった。
 ブラジャーで固定されているといってもこの大きさじゃやっぱり揺れるし、乳房やその周囲から感じるブラジャーの感触が俺をときどき変な気分にさせる。
 周りの男子の視線がいっせいに俺の胸の膨らみに集中する。
 ばか、そんなことするな!! 恥ずかしいじゃないか!! 胸がドキドキしてなんだか妙な気分に……
 などと考えていたのが悪かったのだろう。身体がバランスを崩してグラリと傾いた。
 「うわっ!!」
 小さく叫びながら俺は尻餅をついた。
 「「だ、大丈夫か!?」」
 駆け寄ろうとするクラスの男子の目が血走っている。貞操の危機、という言葉が頭に浮かんだその瞬間……

 ピピィ―――ッ!!

 ホイッスルが鳴り響き、男子どもの動きがぴたりと止まった。
 「お前ら何やっとる!! さっさと自分の位置へ戻れっ!!」
 男性教師の一喝で全員が元の位置へと戻る。俺はこの時、無骨で粗暴そうなこの教師を初めて尊敬した。…………股間をもっこり膨らませてなきゃもっとよかったんだが。
 「ふうっ……松井、お前今から女子のところへ行ってこい」
 男性教師が溜息を吐きながら言うと、男子の間からブーイングが起こる。
 「で、でも俺は男……」
 「お前がいると授業にならないんだよ。お前もここで襲われたくはないだろう?」
 言われて俺は周りを見回す。
 ブーイングは収まり男どもの表情に冷静さが戻っているものの、ほぼ全員が俺の方を見て俺と視線が合うと慌てて目を逸らせていた。
 確かにこの姿は刺激的過ぎる。このまま目の前でこの姿をさらし続けていると、いつ理性のたがが外れてもおかしくないかも知れない。俺も男だからそのことは理解できた。
 「さあ、早く行け!!」「……わ、わかりました」
 男性教師に促されて、多少戸惑いつつも俺は女子のいる体育館へと歩き出した。



 「あら、やっぱりこっちにきたのね」ブルマーにリボン……ううっ、恥ずかしいよお
(illust by MONDO)
 体育館に入ってきた俺を見つけた女性の体育教師は、俺に近づくと微笑みながら声をかけてきた。
 そして俺の前に女子を集めて言った。
 「松井さんは今日からしばらくこちらで体育の授業を受けることになりました。みなさんよろしくお願いしますね」
 教師の言葉に女子たちは「はーい」と明るい返事が返ってくる。いやな顔をされなかったことに、とりあえず俺はホッとした。
 女子は器械運動をやっていたらしく、あちこちにマットや跳び箱が置いてある。
 「じゃあ松井さんはマット運動の方に……と、その前に髪をまとめないと危ないわね」
 そう言って女性教師は腰のあたりまで伸びた俺の髪を見た。
 確かにこのままマットの上を転がったりすると、ばらばらになった髪が絡んだりして危ないかもしれない。
 すると女子の大家さんが手を上げる。
 「あ、ちょっと待ってもらえますか?」
 そう言って体育館の中にある更衣室へと走っていく。女子は体育の授業ではたいていそこで着替えている。
 俺は走っていく大家さんの後ろ姿を見て少し嫌な予感がした。大家さんも髪は少し長い方であり、彼女はその髪を……
 「はい、これ予備のリボン。これで髪をまとめましょうね」
 予感的中。大家さんが手にしていたのは彼女がしているのとは別色の2本のリボンだった。
 後ずさりする俺だったが、女性教師は俺の両肩をしっかりと掴みにこやかに言った。
 「いいわね、じゃあお願いするわ」
 「ちょ、ちょっとそれは……」「はい、結んであげるからちょっとじっとしててね」
 抵抗する間もあらばこそ……
 3分後、髪をリボンにより頭の両側にまとめられた俺の姿がそこにあった。
 「「「キャーッ、かわいい――っ!!」」」
 女子たちのはしゃぐ声に、俺は恥ずかしくなって顔を赤くしながら身をよじった。



 「ふうっ、器械運動といっても結構疲れるよな」
 体育の後、着替えが終わった俺は更衣室を出ると自分の教室へと向かった。
 ……誰だ、「女の子と着替えなんて羨ましい」なんて思った奴は? 違う違う、そんなこと女子が許す筈がないだろうが。
 学校側の配慮で、俺が男に戻るまでの間は教職員専用の更衣室を使わせてもらうことになっているのだ。
 今回始めて女子と一緒に体育をしたわけだが、周りがすべて女の子、という状況で受ける授業は想像以上に緊張するものだった。これ以上着替えまで一緒だったら……
 「おっと、のんびりしていると授業が始まっちまう」
 俺は呟きながら歩く速度を早めた。教職員専用の更衣室というのは教室から見て体育館とは反対の離れた場所にあるもんだから、移動に時間がかかってしまったのである。
 なるべく急いで移動して着替えたつもりだったが、次の授業までもうあまり時間がなかった。
 ちなみにさっきのリボンは体操服と一緒にバックの中に入っているが、更衣室まで移動する間に男子の何人かに目撃されてしまった。ううっ、恥ずかしい。
 教室まであと少し。しかし、
 「し……しまった」
 (なんということだ。こんなときに……)
 突然のピンチにどうしようかと考えていたとき、クラスメイトの中村さんが声をかけてきた。


 「どうしたの? モジモジして」
 「い、いや……その」
 俺が顔を赤らめてさらにモジモジしていると、中村さんは声をひそめて耳元で囁いた。
 「もしかして……トイレ?」
 俺は顔を赤くしたまま小さく頷く。
 すると中村さんは首を傾げながら再び訊ねてきた。
 「でもトイレならすぐ目の前じゃない?」
 彼女の言うとおり4、5メートル前にトイレの入り口は存在していた。しかし……
 「俺が入ると……みんな驚くから」
 そう、この身体になって初めてトイレに入った時、中に入っていた男子は俺の姿を見ると慌てふためき、トイレの中は大騒ぎになった。
 まあ確かに男子トイレに女子(見かけだけだが)が入ってきたら普通は驚くだろう。
 以来、俺は更衣室の隣にある教職員用のトイレを使わせてもらうことになったのだが……
 「でも早くしないと間に合わないわよ」
 中村さんはそう言って戸惑う俺の手を引っ張ってトイレの扉に手をかける。
 「あ、あのっ、そこは女子トイレ……」
 「そうよ当たり前じゃない。さ、早く早く」
 と中村さんは俺を強引に個室の中に押し込んだ。
 (男の俺が女子トイレに入って用を足すなんて……)
 呆然となった俺だったが、こうなっては仕方ない。
 俺は顔を赤らめ、溜息を吐きながら自分のスカートを持ち上げた。




 「……であるからして、この部分の訳は――」
 ぎりぎりで授業開始に間に合って英語の授業を受けること30分。俺の頭の中は煮込みすぎたラーメンのような状態になっていた。
 暑い、とにかく暑い。まったく梅雨明けもしてないのになんつー暑さだ。
 公立高校の教室にエアコンなんて物は存在しない。それにさっきの体育で身体を動かしたこととトイレでの行為が、俺の体温を上昇させている感じだ。
 さらにスカートの中の熱気が追い討ちをかける。このスカートというやつは体温と周囲の熱気を溜め込んで中はサウナのような感じになっていた。
 周囲の女子を見るとやはり同様のようで、かなり暑そうな表情をしている。そして何人かがスカートの裾を持ち上げてパタパタと揺らしていた。
 俺も試しに左手を机の下に潜り込ませ、そっとスカートを持ち上げる。すると持ち上げた場所から下が少しだけ涼しくなったような気がした。
 さらに持ち上げてパタパタとする。こもっていた空気が少し追い出されてさらに涼しくなった。
 (あ、いいかも知れない)
 さらにもう少し……とそのとき、前の方でガタンッ!! と大きな音がした。
 音の起きた場所を見てみると、そこには井口が椅子から前のめりに倒れていた。
 手に消しゴムを持っていたので落ちていたそいつを拾おうとしていたのだろう。そして赤くなった奴の視線は捲り上げた俺のスカートの中の股間へと……
 「……っ!!」
 俺は顔を真っ赤にして大慌てでスカートを押さえつけた。



 その日の夕方――

 玉葱の皮をむきながら学校での出来事を話し終えると、晩飯の準備をしていたお袋は鍋に水を入れながらしばらく笑い続けていた。
 「そ、そんなに笑うなよ」「だってぇ……井口君も災難だったわよね。悪いのは省太なのに」
 そう言ってお袋は再び笑い出す。
 俺は顔が赤くなるのを止められなかった。あの時、呆然として「み、緑のしましまパン……」と呟いた井口を、俺は力の限りに蹴り飛ばしたのだ。
 包丁で玉葱を2つに切りながら俺は何とか弁解しようとする。
 「こ、故意で見せたわけじゃないっ!! あ、あのさ……これって事故みたいなもんだから第2のタブーには……」
 「もっちろんっ、アウトに決まってるじゃない」「ううっ!!」
 お袋はにこやかに断言し、俺はがっくりと項垂れた。


 「てことはやっぱりペナルティが? 今のところはどこも変わってないようだけど……」
 「そうでもないわよ」「えっ!?」
 俺は驚いてお袋の方を見た。
 「省太は今何をやってるのかな?」
 「何をって、晩飯の支度の手伝い……って何で俺がこんな事してんだよっ!?」
 そのときになって、ようやく俺は自分が置かれた状況に気がついた。
 そう、俺は晩飯のシチューを作るお袋を手伝い、玉葱や人参を切り刻んでいた。
 お袋の「ちょっと作るの手伝ってくれない?」という言葉に、俺は素直に応じたのだが……今までこんな事をしたことは1度もないはずだった。
 しかもフリルつきの白いエプロンを着け、髪は例のリボンでまとめている。お袋につけさせられたんじゃない、自分でやったのだ。
 「男に下着を見られるという乙女にあるまじき行為をしたから、仕草や動作が女の子らしくなるように矯正される……そんなところね。帰ってきたとき、内股気味で仕草が女の子っぽかったから、そうじゃないかと思ったのよ」
 そ、そうだったのか……
 「夢だったのよね。娘と一緒にお料理やお買い物をするのって。これで省太も本物の乙女に一歩近づいたわ」
 お袋の言葉に俺の顔は真っ青になった。




 「はあぁぁ―――っ」
 渡り廊下から外を眺めながら俺は盛大な溜息を吐いた。
 あの日以来、言葉遣いは相変わらずだが、俺の行動に女性的な部分がずいぶん混じるようになってきた。
 気がつくと毎朝の洗顔やブラッシングに熱中したりとか、内股で歩いていたりして慌てたりなんてのはしょっちゅうで、最近は会話や昼食も女子と一緒にすることが多くなった。
 女子は女子で最近は女の子姿の俺に違和感を覚えなくなったらしく、よく話し掛けるようになり、逆に男子の方は俺が声をかけると慌てるような始末である。
 今日なんか体育の授業のときに他の女子と話しているうちに一緒に更衣室にまで入ってしまい、大慌てで外に飛び出したのだ。
 謝る俺に対して女子たちは笑いながら、「気にしないで、それより来週からは一緒に着替えましょうね」と言った。
 ……冗談じゃない。来週から体育の授業は男女ともに水泳になるのだ!!
 その着替えを一緒にするということは……そんなことは俺にはできない。逆に平気でできるくらいに女の子に馴染んでいたとしたら、そっちの方が俺にとっては怖い。


 「よっ、どうしたんだ? たそがれちゃって」
 横から声がして振り向くと、そこには井口の姿があった。俺は思わず半歩下がってスカートを押さえた。
 「な、何なんだよその反応は? あの時は覗くつもりなんかなかったんだからな」
 「あっ……そ、その……ごめん」
 傷ついたような表情の井口に、俺は慌てて頭を下げて謝った。すると井口の表情が和らいだ。
 「いいさ、それにしても俺と一緒にグラビアアイドルの写真を見ていたお前がずいぶんと女の子らしくなったもんだな」
 「い、言わないでくれ。今それで悩んでんだからさ」
 俺は思わず顔が赤くなりながら言うと、井口がうんうんと頷いた。
 「そうか、そうだよな。……そうだ、気分転換に明日の休みに映画を見に行かないか? ほら、話題のやつで面白そうだと話をしてたのがあったろ?」
 「ああ、あのアイドルグループの1人が出るという?」「……いや、洋画のスパイ物なんだけど」
 うっ、しまった!! 今日の昼休みに女子とそのアイドルグループの話題で盛り上がってたものだから、ついそっちの方を想像してしまった。
 「アイドルが出るほうがよかったかな?」「い、いや、そんなことない!! スパイ物でいい、ぜひ見よう!!」
 俺が首を振りながらそう言うと井口はぷっと吹き出した。
 「じゃあ明日の10時に駅前の時計のところで」
 そう言って井口は去っていった。



 そして翌日――
 「ご、ごめん、待った?」
 俺の姿を見つけて駆け寄ってきた井口は、少し息を切らせながら頭を下げる。
 「いや、俺もついさっき来たばかりさ」
 そう言って俺は微笑みながら井口の肩に手を置いた。……本当は20分ほど待ったんだが。
 ポロシャツにジーンズ姿の井口は、そんな俺を見てなんだか落ち着かない様子だった。
 「あの……この格好、どこか変かな?」
 不安になって俺は訊ねてみた。今の俺は夏物のワンピースを着ているのだが、胸元の飾りや短い裾が気になってしょうがない。ちなみに肩から下げてるポシェットも含めて全てお袋の見立てだ。
 井口が慌てて首を横に振る。
 「い、いや、そんなことない。すごく可愛いよ」
 (可愛い? 可愛いっ!? 俺が?)
 急に心臓がドキドキして顔が赤くなる。何をやってるんだ俺は?
 「じゃあいこうか?」「あ、ああ」
 俺の動揺に気付かなかったのか井口が映画館に向かって歩き出したので、俺は慌てて後をついていった。




 「松井さん」
 週明け、昼休みに俺は女子の城島さんに呼び止められた。
 最近クラスの間で俺の呼び名が「松井君」、「省太」から「松井さん」に変わってきた。最初は抵抗あったが、いい加減こう呼ばれるのにも慣れてきた。
 「ねえ松井さん。あなた土曜日に井口君とデートしたでしょ?」
 「デート? 井口と? 馬鹿な、俺が男とそんなことするかよ」
 俺は即座に否定したが城島さんはさらに言葉を続けた。
 「でもあたし、あなたと井口君が商店街を並んで歩いてるのを見たのよ」
 冗談じゃない。あの時俺たちは映画を見て、商店街歩いて、ファミレスで食事をしただけだ。そりゃあ色々とおしゃべりするのは楽しかったし、遅れたお詫びということで全部井口の奢りってことに……
 で、でえとみたいじゃねえか。
 俺の顔から血の気が引き、すぐに逆流して顔が真っ赤になった。
 「あ、あの、あれは違うの。あれはただ一緒に出かけて……とにかく違うの。あたしと井口君とは恋人でも何でもないのよ!!」
 って、なんで女言葉になってんだよ!? パニックしまくりじゃねえか。
 俺は顔を赤くしたまま「違う、とにかく違うんだ」と喚きながらその場を走り去った。



 「あー、やっぱりここにいたか」
 校舎近くの雑木林で佇んでいた俺は背後からの声に振り返った。
 「……井口」
 「去年同じクラスの女子に交際を申し込んで断られたときもここで泣いてよな」
 古傷を抉られて俺は井口を睨みつける。
 「あのな……だいたいお前のせいで変な誤解をされてるんだぞ」
 「そ、それは違うんじゃないか?」
 「いーや、お前のせいだ」
 そう言って俺がプイッと横を向くと、井口は少し困ったような顔をした。
 「うーん、そう言われても……そうだ、実は親戚がやってるレストランで今『デザート祭り』って企画をやっているんだけど」
 「えっ?」
 「新作を含めたアイスやパフェなんかが今だと格安なんだ」
 「本当!?」
 「うん、ぜひ来てくれって言われてたんだけど、放課後に行ってみる?」
 「……お前の奢りなんだろうな?」
 「も、もちろん。じゃあ俺は先に教室に戻ってるから、お前も休み時間が終わるまでには戻ってこいよ」
 そう言って手を振りながら去っていく井口の姿に、俺もにこやかに手を振り……
 「って、何で俺が甘いものにつられてニコニコしてるんだよ?」
 俺は落ち込んで木にもたれかかり、がっくりと項垂れた。




 そして……ついに「その時」が来てしまった!!
 え、とうとう本物の女の子に? 違う違う、まだタブーも破ってないのにそんなことになってたまるか!! まあ、できれば避けたかった事には違いないのだが……


 「えっと……お、遅くなりました」どうだこの脚線美……じゃねえっ!!
(illust by MONDO)
 俺が到着した頃には既に全員がその場にそろっていた。
 ここは学校のプールサイド。そして俺は紺色の生地のスクール水着に身を包んでいた。
 そう、とうとう俺のクラスでも水泳の授業が始まったのである。
 俺がプールに姿をあらわすと、女子だけでなく反対側のプールサイドにいる男子からも歓声が上がる。
 みるみるうちに俺の顔が赤くなる。
 ああ……俺がよりにもよって女の子用の水着を着て注目の的になろうとは。
 大体この水着ってのは身体にフィットしすぎてラインが丸見えなのだ。
 これって第2のタブーに引っかかるんじゃないか? と思ったが、それは心配しなくていいらしい。
 恥ずかしい限りなのだが、今は我慢するしかない。
 それに今週いっぱいで俺が女の子になってから1ヶ月が経つ。
 このままタブーを破らなければ、その頃には元に戻ってるはずだ。それなら今の立場をちょっとは楽しんでもいいかも知れない。
 ……鏡に映った自分の水着姿、というのは刺激が強すぎたが。(もちろん更衣室はみんなとは別だ)
 俺が女子たちの最後尾へ移動しようとすると、背後から女性教師が声をかけた。
 「松井さん、キャップ」
 おっといけない。
 俺は手に持っていたスイムキャップを頭に被ろうとする。……が、髪の毛がなかなかキャップの中に入らない。
 すると「あたしがやってあげる」と佐々木さんが近寄ってきて、髪をまとめてスイムキャップへ入れるとそのまま俺の頭に被せる。
 へえ、そうやればいいんだ。俺は感心しながらスイムキャップを耳元まで下げた。
 「あ、今日はここ空いてるからここにいたら?」
 そう言って佐々木さんが自分の隣のスペースを指差した。
 (うーん……まあ男に戻ったらこんな事なんてもうない訳だし、この際だからいいかな?)
 俺は頷いて空いているスペースに立つと女子たちと一緒に準備運動を開始した。



 「えーっ、本当!?」
 「うん、そうそう。それでね……」
 授業が終わって放課後、俺はクラスの女子とのおしゃべりに興じていて、そんな俺たちを何人かの男子が遠巻きに見ていた。
 他愛もない話題ばかりだが、こうやって女子たちと心が和む。逆に男子の中に入り込むと、向けられる視線が俺を妙にそわそわさせる。(もちろん例外もあるが)
 それだけじゃない。甘いものに目がなくなり、綺麗な洋服が飾られたりしているとつい見入ってしまう自分がいた。
 これもペナルティの影響だろうか?
 そのせいで最近はこんな風に女子と一緒に行動することがほとんどである。
 「最近の松井って女子の中に混じっても全然違和感ないんだよな」
 昼休みに井口が言った一言がちょっと心に引っ掛かる。
 しかしこれも俺が男に戻れば、こうした傾向も消えて嗜好や行動の全てが元に戻るに違いない。うん、そうだとも。


 「ねえ、その『デザート祭り』っていつまでなの?」
 俺が以前行ったレストランの企画のことを話すと、長谷川さんが興味津々といった感じで訊ねてきた。
 「ええっと……あ、確かそれって今日までだったと思う」
 「そうなの? じゃあ今からそこに行かない?」
 その言葉に俺は頷いた。この前、店の手伝いをしてもらった小遣いがまだ残っているから金銭的には全く問題ないし、もう一度女の子としてあそこのパフェを食べてみたかった。
 周囲の女子も「賛成」と言って頷いていたのだが……
 「ごめんなさい……あたしは遠慮するわ」
 ただ一人、野茂さんだけは首を横に振った。その顔色が心なしか青い。
 「どうしたんだ? 何か病気でも?」
 俺は心配して声をかけるが、彼女は硬い表情ながら微笑んで首を横に振った。
 「大丈夫よ、そんなのじゃないから。ただその……始まっちゃったのよ……『あれ』が」
 始まった? 「あれ」? 訳が解からずに首を捻る。が、そのとき頭の中にあるキーワードが浮かび、俺は大きく頷きながら両手をポンと打ち合わせた。
 「ああそうか。生理なんだ」

 ピシッ!!

 その瞬間、周囲の空気が音を立てて凍りついた。



 「ごめん、本っ当にごめんっ!! 俺が悪かった!!」
 教室から少し離れた渡り廊下で、俺は女子全員を前に両手を合わせて謝りまくった。
 人前で女の子が生理中なのを喋ってしまうなんて。そばには男子もいて当然そのことを聞いていたりしているわけで……
 いやもう何たる大失態。先程までの和やかな雰囲気は完全に消え、全員が刺々しい視線を俺に向けていた。
 「もう信じられないっ」
 「あなた本当に女の子なの?」
 女の子じゃない、俺は本当は男なんだ、という言葉を俺は慌てて飲み込んだ。そんな事をしたら火に油を注ぐようなもんだ。
 とにかく謝り倒して、必要であればレストランでの支払い全額が俺持ちになっても機嫌を直してもらわないと。
 「あなたも1度生理になってみるといいんだわ。そうしたら女の子がどれだけ大変かが解かるわよ」
 そんな無茶な……と思ったそのとき、

 ズクンッ!!

 俺の身体に異変が起きた。
 「い……痛たたた」
 「ど、どうしたの?」
 俺の様子に今まで怒っていた石井さんが心配そうに近づいてきて訊ねた。
 「いや、急に……お腹が……痛たた」
 「お腹ってどの辺?」「この辺……なんか……溜まってるような」
 すると石井さんは1、2歩下がり「ま、まさか……」と呟いた。他の女子も急にそわそわした感じになって「もしかして」「本当に?」と小声で囁きあっていた。
 「あの……」
 「と、とにかくトイレに行きましょう。……誰か、座布団持ってない?」「あ、あたし取って来る」
 「え? あの、一体?」「いいから早く」
 俺は女子たちに囲まれながらトイレへと連れて行かれた。



 「……た、ただいま」
 いつもより長い時間をかけて俺はようやく家に帰り着いた。
 「どうしたの? 元気がないわね」「……うん」
 既に店を閉めて晩飯の準備をしていたお袋が声をかけるが、俺は青白い顔のまま返事にも力が入らなかった。
 (まさか……まさか本当に生理が始まってしまうなんて)
 そう、俺の身に起きたのはまさにその生理だった!!
 トイレの中でパニックに陥った俺を女子たちはなだめ、ナプキンを用意して処置の仕方を教えてくれた。
 おかげで俺の大失態についてはうやむやになった(逆に「大変よね」と同情までされた)のはよかったと言えるのかもしれないけど、俺にとってはもうそれどころではなかった。


 「もしかして……始まったの?」
 お袋の声に俺の身体は一瞬硬直し、ゆっくりとお袋の方を見ながら頷いた。
 するとお袋は、
 「そう……それじゃつらいだろうから部屋で休んでなさい。ご飯ができたら呼んで上げるから」
 と言った。
 俺はちょっと意外だった。てっきり「あなたも一人前の女性になったのね」なんてはしゃぐと思ったんだが……
 少し疑問に感じながらも、俺はお袋に言われたとおりに自分の部屋に戻るために歩き出した。
 「さあ、お赤飯の用意をしなくちゃ」
 ……やっぱりお袋はお袋だったようだ。俺はがっくりと項垂れながら部屋へ戻っていった。


 「……御馳走様でした」
 晩飯を食べ終わった俺は手を合わせる。美味しかったことは美味しかったのだが、出されたお赤飯はすごく複雑な味がした。
 食器を片付けて洗い終わると、お袋が「話がある」と言って俺を椅子に座らせた。
 「何だよ、話って?」
 「省太、あなた誰かが生理中だという事を人前で話したでしょ?」
 「ど、ど、どうしてそれを!!?」
 驚いて俺はお袋に訊ねたが、お袋はそれに答えずに再び俺に質問した。
 「省太、あなた第3のタブーのこと覚えてる?」
 「ああもちろん。『乙女は女性の秘密を……』」
 そのとき、俺の脳内で閃光が走った。
 「お、お袋……ま、まさか……女性の秘密って……」
 「そう、女性にとって生理中だという最大の秘密を明かしてしまうとペナルティとして自分自身がその苦しみを味わうことになる。あなたに生理が訪れたということはそういうことなのよ」
 「つ、つ、つ、つまり……」
 声が震えてなかなかまともに喋れない。
 「つまりあなたは3つのタブー全てを破ったことになるの。だからもう男に戻ることはないのよ」

 ガーンッ!!

 「あなたはもう本物の女の子よ。明日も明後日も、これからもずうっと」
 「そ……そんな……そんな」
 お袋の言葉に俺は呆然となって呟いた。


 「そう気を落とさないで。女の子もそう悪いもんじゃないから早く馴染んだ方がいいわよ。きれいな服着ておしゃれして、あなたも楽しんでたんじゃない?」
 「そ、そんなことあるか!! お、俺は男だ。身体が急に女の子になったからといって馴染めるわけがないだろ!!」
 だが、お袋は自信たっぷりに言い放った。
 「そうでもないわよ。あたしだってそうだったんだから。経験者が言うんだから間違いないって」
 「…………へっ!?」
 「24年前はあたしが『乙女くん』で、やっぱりタブー破って戻れなくなったのよ。その時はそりゃあショックだったし、最初の1年くらいは恥ずかしくて抵抗あったわ。でもじきに慣れてお父さんと知り合って結婚して……今ではこうなってよかったと思ってるわ」
 「そ、それってつまり……お袋って……男?」
 「男がお前を産める訳ないでしょ? あたしは正真正銘の女性、そしてお前もね。学校にはあたしが話をしておくから心配しないで。夏休みに入ったら本格的に女の子のレッスンをしましょうね」
 そう言ってにこやかに微笑むお袋。俺は思わず頭を抱えながらうめく。

 「そんな……お袋が男だった? ……俺が正真正銘の女? ……もう男に戻れない? …………う、嘘だあぁぁぁ―――っ!!」

 絶叫が家の中に響きわたった。



 そして終業式の日――

 「やっぱりここだったか」
 終業式が終わって例の雑木林で佇んでいた俺は、声のした方を振り向いた。
 「……井口」
 「みんな心配してたぞ」「うん、でも今は……」
 井口に答えようとした俺だったが、その言葉は呟くように小さく、そして途中で消えていった。
 そんな俺に井口が躊躇いながらも訊ねてきた。
 「さっき先生が言ってたこと……本当なのか? その……男に戻れないって」「……うん」
 俺は井口に向かってゆっくりと頷いた。


 あれから1週間がめまぐるしく過ぎていった。
 お袋の言ったとおり、俺の身体は1ヶ月を過ぎて終業式を向かえた今でも女の子のままである。
 病院で診察を受けて俺の身体が紛れもなく女性であることを確認すると、お袋は戸籍の性別変更を届け出ると同時に学校に連絡した。
 俺にとってショックだったのは、俺を診察した女医さん、そして役所で俺たちの応対をした女性職員(2人とも美人だったのだが)も、それぞれ12年前、8年前の「乙女くん」だった事である。
 どうやら「乙女くん」に選ばれると男に戻れない事の方が多いらしい。
 2人ともお袋の事を「先輩」と読んで親しげに話してくる。特に女性職員の方は婚約中という事で幸せいっぱいと言う感じなのだが、いずれ俺もああなってしまうんじゃないかと思うと複雑な気分だった。
 学校が終業式の日である今日まで俺が男に戻れない事を伏せていたのは、事実かどうかを確認するためと夏休みを挟む事によりショックが和らぐことを期待したためらしい。
 それでも担任がこの事を告げると、教室ではちょっとした騒ぎになった。
 俺は教室を飛び出しここで気持ちが落ち着くのを待っていた、という訳である。


 「えっと、その……なんと言ったら……」
 「いいよ、何も言わなくても」
 あまり感情のこもらない声で返事をすると井口は黙って下を向いた。
 こいつが俺を心配してくれているのは解かっている。だけど今の俺はそれに応えるだけの余裕がなかった。
 今まで男として生きてきた俺の人生が壊され、これからは女の子として生きていかなければならないのだから。


 俺の側でしばらく黙っていた井口が再び口を開いた。
 「あ、あのさ……明日どっか出かけないか? 映画とかゲームセンターとか」
 「……それ、デートのつもりか?」
 俺がジト目で見ると
 井口は慌てて首を横に振る。
 「そ、そんなつもりはないっ!! きょ、去年だって一緒に行ったじゃないか」
 俺は首を捻りながら思い出してみる。確かに夏休みに入ってすぐに俺たちは一緒に映画を見に行って昼飯食った後にゲームセンターで遊んでたっけ。
 「そういえば……そうだな」
 「だろ? 松井は松井……なんだからさ。女になった……からといって……気にするなよ」
 「それはまあ確かに」
 言われてそのとおりだと思い俺は頷いた。多少言葉に詰まっているのが気にはなるが……
 「じゃ映画の件はOKだな? 他にもいろいろやろうぜ、せっかくの夏休みなんだからさ。海に行ったり花火を見たりとか」
 嬉しそうに言う井口。
 俺の方も少し気が楽になったのだが、頭の中に一瞬、ビキニを着けて井口と一緒に泳いでいたりとか浴衣を着て井口の横に立って花火を見ている自分のイメージが浮かび俺は慌てた。
 (なに考えてんだ。それじゃまるでデートじゃないか。でも海や花火は去年も一緒に見に行ったから別に……いやしかし根本的に何か違うような……)
 少しのあいだ悩んでいた俺だったが、首を何度か横に振ってその考えを振り払った。さっき井口が言ってたように男でも女でも俺は俺なのだ。それでいいじゃないか。


 俺は井口に近づくと微笑みながら言った。
 「一緒に出かけるのはいいが、それってもちろんお前の奢りだよな?」
 「ええっ!? いくら何でも全部というのは……」
 「ははは、冗談だよ、冗談」
 「そうか、冗談か。……よかった」
 井口の顔が安堵に緩む。恐らく俺が冗談を言えるようになったのを喜んでいるのだろう……たぶん。
 「じゃあ行こうか?」「うん」
 俺と井口は校舎へ向かって歩いていった。

(おわり)


おことわり

この物語はフィクションです。劇中に出てくる人物、団体は全て架空の物で実在の物とは何の関係もありません。














































 洗濯物を干し、掃除機をかけ始めた頃、家の電話機が鳴って俺は慌てて受話器を取った。
 「はいもしもし、井口ですが……」
 あれから二十数年、俺は結婚して姓が変わっていた。
 井口ってあの井口なのかって? あ、ああそうだよ。いや、最初はただの友達のはずだったんだが……まあその……なりゆきってやつでな。
 最初は戸惑っていた女の子としての人生も時間が過ぎるにしたがって次第に慣れていった。
 それとともにあいつとの関係も友人から親友、そして恋人から夫婦へと少しずつ変化していった。
 え? 最初からラブラブだったって? そ、そ、そ……そうだったかなあ?


 「ああ、これは先生。いつも息子がお世話になっております」
 電話は高校に通う息子の担任からだった。
 型通りの挨拶をした後、俺は少し不安になった。今朝の息子の様子は何か変だった。いつもと違う、でもどこかで見たような……
 何か病気でも? あるいは学校で騒ぎを起こしたとか……
 答えは衝撃とともに電話の向こうの担任から告げられた。
 「なんですって!? は、はい、わかりました。すぐ準備してそちらに向かいます」



 「お、お袋っ、大変だ!! 保志(やすし)が……」
 「こら美沙都(みさと)、男みたいな言葉遣いはやめなさいと何度言ったらわかるの?」
 開店前の店へ飛び込んできた俺をお袋が困ったような顔で嗜める。
 あ、保志ってのは俺の息子の名前、そして美沙都は今の俺の名前だ。
 身体も名前もずいぶんと女らしくなってしまったものだが、言葉遣いだけは以前と変わる事がなかった。
 いちおう人前では注意してるつもりだが、今のように慌てたり興奮しているとつい男の頃の口調に戻ってしまう。まあ、いまさらという気もするんだが……


 「で、保志がどうしたの?」
 お袋の言葉に俺は我に返った。
 「そうそう、学校から連絡があって。保志が……その……女の子になったって」
 「おやまあ、それじゃ保志が今回の『乙女くん』なのかい?」
 お袋は驚きながらも笑みの混じった表情で訊ねてきた。
 そう、息子の保志が通う高校は俺の母校、つまり「乙女くん」の伝説があるあの学校なのだ。
 それにしてもお袋や俺だけでなく息子まで「乙女くん」になるとは……
 とまあそんな事より今はやるべきことがあったんだ。
 「じゃあ今から学校に行くからセーラー服とブラとショーツをもらっていくよ」
 「いいわよ。ああ、ブラはサイズ別にいくつか持っていったほうがいいわよ。ところで美沙都、あんたどっちがいい?」
 「どっちって?」
 「保志の事よ。無事に男に戻ってほしい? それとも?」
 お袋の問い掛けに俺は首を捻りながら考えこんだ。
 うちには男の保志しか生まれてこなかったので女の子が欲しい、と考えた事があるのは事実なんだが……
 「うーん、俺は今では女のままでよかったと思うし、いろいろきれいな服を着せたり母娘の会話ってのもやってみたいんだけど……やっぱり男に戻った方がいいんじゃない? 色々と大変だし」



 「おばあちゃんいる? あ、やっぱり母さんもいたんだ」
 不意に店の入り口から声がしたので振り向くとそこには一人の女の子が立っていた。
 その女の子は男子用の夏服に身を包み、戸惑いと恥ずかしさの混じった表情で立っていた。
 「……保志?」
 身体は女の子になっていても、その顔立ちは見間違えようがない。息子の名前を呼ぶとその女の子ははっきりと頷いた。
 俺は恐る恐る近づくと、

 「か、可愛いっ!!」

 女の子になった息子をギュッと抱きしめた。


 「か、母さん? ちょっと離してよ」
 「ほんと『あの時』は自分も嫌がっていたのに、同じ事をするなんてねえ」
 息子の戸惑う声とお袋の笑い声に、俺は少し顔を赤らめながら抱きしめていた息子を解放した。
 うーん、それにしても可愛い。いっそこのまま……と浮かんだ考えを俺は慌てて振り払った。
 「そ、それにしてもここに直接来るなんてどうしたの?」
 「うん、女の子になったのに気がついたのは目が覚めたときなんだけど、誤魔化して学校に行ったら教室で急にこんな身体つきになって。それでみんなの注目を浴びちゃって……」
 そ、それは確かに注目を浴びまくるだろうな。
 「保健室に避難したけど、みんな押しかけてきちゃって。母さんがすぐに来るって先生が言ってたけど、もう待てなくなったんだ。で、どうせおばあちゃんの店で着替えを選んでるだろうなって思って」
 ここまで直接来たわけか。……ん? ちょっと待てっ!!
 「保志、お前そのブラジャーは?」
 俺は息子の胸の部分、ワイシャツの隙間から見えるブラジャーを指差して言った。どうやらワイシャツの第1と第2ボタンは体型が変わった際に吹っ飛んだらしい。
 息子はワイシャツの隙間から指を突っ込み、自分の胸を覗き込みながら言った。
 「ああこれ? お婆ちゃんの店まで行くって言ったら、保健室の先生が『今は女の子なんだからブラジャーをしないと』って言ってこれを着けてくれたんだ。学校が終わったら着替えるつもりで持ってきた物らしいよ」
 「学校が終わったらって……」
 俺は息子の胸を包んでる真っ赤でレースの飾りのあるブラジャーを再び見た。あの先生、学校が終わったら何をするつもりだったんだ?
 「ちょっと派手じゃないかって思ったんだけど、先生が『女の子はみんなこのくらいのを着けてる』って……」
 違う、それは絶対に違うぞ息子よ。


 「でもその格好じゃ途中で男の人にそのブラジャーを見られたんじゃないのかい?」
 お袋の言葉に息子が頷く。
 「なるべく人通りの少ないところを通ってきたんだけど、それでも何人かには。おかげでもう恥ずかしくて恥ずかしくて」
 「という事は第2のタブーも……」
 顔を赤らめながら恥ずかしそうに身をよじる息子の姿はもうすっかり女の子のように見える。俺はそんな息子の姿を呆然としながら見ていた。


 「まあとにかく今は着替えましょうね。試着室で着替える? それとも家の中で?」
 お袋が息子に声をかける。
 「じゃあ家の中で着替えるよ」
 と勝手知ったる息子は店の奥へ通じる扉へと歩いていく。
 「あ、そうそう、腹痛の薬ってない? 少し前からお腹が痛くなって」
 息子の言葉に俺も扉をくぐろうとする。確か薬箱は台所にあったはずだ。
 そんな俺たちをお袋が呼び止めた。
 「ちょっと待って。保志、お腹が痛いってどのあたりなの?」
 「うーん、このあたり……かな?」
 そう言って下腹部に手を当てた息子に、俺ははっとなった。
 「それって!? 保志、まさかとは思うけど……学校でみんなと生理の話とかした?」
 「うん、したよ。保健室に入った後すぐに女子たちが入ってきて、そのときに『あたし今生理中なんだけど、女の子は生理が大変よ』なんて話から盛り上がっちゃって」
 「で、その話を男子には?」
 「それが、そのあと入れ替わりに入ってきた男子たちと馬鹿話しているときに……つい」
 頬を掻きながら気まずそうに話す息子と硬直して何もいえない俺。その背後ではお袋が爆笑を必死でこらえていた。
 「くっくく……これはタブー破りの最短記録かもね」
 そんな俺とお袋の様子を息子は何がなんだか解からない、といった感じで見つめていた。


 息子よ……いや娘よ、おまえというやつは……

(おまけのおわり)



あとがき
 どうも、ライターマンです。

 学校に伝わる「乙女くん」の物語、いかがだったでしょうか?
 まあ大方の予想どうりじゃないかとは思いますが(笑)。
 それにしても三代にわたって「乙女くん」になってしまった主人公たち、もしかして「乙女君」になりやすい体質なんでしょうか?(爆)

 それではまた。


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