戻る

 朝日の差し込む病室。
 疲れきった感覚で目を覚ましたいずみ。
 これが普通の出産後なのかはわからない。
 こればかりは生粋の女でも経験者が限られてくる。
 ましてや本来は男。わかるはずもなかった。

 隣に目を移すと、お腹を痛めて産んだわが子がすやすやと眠っている。
(私の…赤ちゃん。夢じゃあ…なかったんだ)
 自分が一人の命を世に送り出したことに改めて感動する。
 固く握られた小さな拳を愛しげになでる。
 それで目を覚ましてしまったか、赤ん坊はいきなりぐずりだす。
「あ…あら?」
 慌てるいずみが最初に思いついたのは、自分の胸を赤ん坊に差し出すことであった。
 躊躇いなく胸をさらけ出し子供を抱え上げる。
 それが正解だったらしく力強く胸に吸い付く生まれたての赤ん坊。
 意外に強いその吸う力。そのために
(ああ。私は母親なんだ。この子の母親なんだ。この子は私が守らないと)
 母性本能が強烈に刺激された。
 しかし決意したときに皮肉にも待ち望んでいた元の、男の姿へと変貌が始まった。
「ううっ」
 苦悶の声を上げる。なんとか赤ん坊はベビーベッドに戻したが、体の変化は止まらない。
 白い肌が浅黒く。
 肩幅が広がり逞しく。今しがた赤ん坊に乳を飲ませていた胸がまっ平らに。
 ふっくらとしていた頬はこけて精悍さを取り戻す。
 赤ん坊を世に送り出した股間も変化する。

 泉は男へと戻った。
 『子宝の湯』の魔力を消すために出産までした。
 だから喜びもひとしおのはずなのに、何故か浮かない表情をしていた。

 まるで大事なものを失ったかのような……


湯の街奇談
最終話

作:城弾

「おめでとう。やっと戻れたな」
 病室で男と女から男同士に戻った翔が微笑む。だが泉は答えない。呆然としているだけだ。
「どうした? 嬉しくないのか?」
 父親に言われて初めて「あ…ああ」と返事を返した。
「嬉しいよ。ただ…ずっと女だったから戻りきれていないと言うか……」
「なぁに。わしの経験から言ってもすぐに元通りだ。なぁ」
 話を振られた翔は頷くことで同意を示した。

「男に戻れた」と言うより「女でなくなってしまった」と言う思いが去来していた。
 むろん尽力してくれた翔たちの前で、そんなことは口が裂けてもいえなかった。

 おとなしくしていた赤ん坊が唐突にまた泣き出した。
「あっ」
 泉は半ば本能的に赤ん坊を抱きかかえてあやそうとした。
 だがそれを行ったのは「父親」の翔だった。
「おお。よしよし。オムツか? それとも腹が減ったか?」
 「母親」として既に一人を出産して、「父親」として娘を育てているだけのことはある。
 慣れた手つきであやし、オムツの状態を確認する。
「あ…あの…」
 何かひどい喪失感がさらに強くなる泉。大事なものが奪われた。
 それに追い討ちをかける翔の言葉。
「泉。この子は俺が育てるよ。お前は東京でやり直せ。せっかく元に戻れたんだ。こんな田舎でくすぶってる必要はない」
「いや…待ってくれ。翔。お前にだけ子育てをさせるわけには」
「子持ちで東京に帰るのか? やっていけるのか?」
 ずしりと重い言葉だった。正鵠を射ているからなのは間違いない。
「だけど…」
「オレのことなら心配するな」
 厳しい表情から優しい表情に。
(ああ。これだ。この顔。何度この顔に勇気付けられたか)
 生粋の女なら自分が子を宿す存在と知ったときから、少しずつだが「覚悟」は出来ていただろう。
 それでも初めてのお産で不安になる。
 ましてや泉は男として生を受け、二十年以上も生きてきたのだ。
 それがいきなり女に。さらに妊婦である。心細さは本当の女になんら負けていない。
 そんなときにこの翔の微笑みは力強く、そして頼りになった。
 何の根拠もない。ただその笑顔だけで心が安らいだ。
(これが…惚れるってことなのかも)
 身も、そして心も女になっていたいずみは素直にそう感じた。

 その笑顔がここにある。
「後はオレに任せて、お前は自由になれ」と言っている。
 けれど「自由」と言うより「糸の切れた凧」のような気がした。
 だからつい口走ってしまった。

「その子は俺の子だ」

 気まずい沈黙が支配する。廊下を行き来するワゴンの器具のカチャカチャと言う金属音がやたらに響いて聞こえる。

「ああ。そしてオレの子でもある」

 翔の答えは実に当たり前の答えだった。
 泉に親権があるなら「父親」である翔にもある。
 そしてもう泉は母親ではない。

「舞に弟が出来たか」
 わざとらしく言う翔。
 それは非情に見えるが彼なりの優しさだ。
 子供を取り上げなければ決心が鈍る…と。
 それを理解できたから泉はもう何も言わなかった。

 検査の結果で泉の肉体は完全に男に戻ったと判明。ただ長い髪だけは名残として残っていたが。
「出産直後だけに疲労はあるでしょうが帰宅には差し障りありません。二、三日静養されるのがよいかと」
「そうですか」
 なんとなく元気のない泉。

 温子の運転で実家へと戻ることになったが、途中で買い物をする必要が出来て立ち寄った。
「温子。その…ちょっと待っててくれ」
 店内に入った途端に泉がもじもじしだした。
「おね…お兄ちゃん。お手洗いなら早く行きなよ」
 言われて早足でトイレへと。だが
「お兄ちゃん。もう違う。そっちは女子」
「あっ」
 何の疑念も抱かず女子トイレに行きかけた。照れ笑いを浮かべながら男子用に。

 ところがズボンのジッパーを下ろした時点で困ってしまった。
「自分のもの」がどうにもグロテスクに感じる。触ることが出来ない。
(なんで? 男なのに)
 しかしどうしてもダメ。とうとう立って用を足すのは諦めて個室で座ってしまう。
 ここでやっとほっとした。
(今朝まで女だったからなぁ。むしろ良く言葉遣いなんかが戻ったものだ)
 妙なところで実感してしまう泉。
(これから男に戻らないといけないけど…なんでだろう。まるで女になった時のようにやるせない気持ちに…元に戻ったはずなのに)
 用を済ませて洗面台に。鏡に映る女の名残の長い髪。それを見ていたらなんとなく泣けてきた。

「ただいま」
 前日に出産を終えた人間だが、魔力が解けて男の肉体に戻ったので何の支障もなく活動できた。
 兄妹は実家である旅館へと戻ってきた。
「泉…さん?」
 きょとんとしている従業員たち。
 面影はあるし、長い髪もそのまま。だが…男の姿なのがどうしても実感がわかない。
 昔を知らないわけではない。しかし一年半以上は女のいずみとともに働いていたのである。妊婦姿も見ている。
 それが元に戻っただけとは言えど、どうにも同一人物と認識は難しかった。
「おかげ様で元に戻れました」
 もちろんみんな事情は知っている。とは言えどこの姿をいきなり見せ付けられれば混乱もする。
 だからそれを一言で説明してのけた。
「あ…ああ。そうでした。と、言うことは」
「無事に産んだんですね?」
「よかった」
 彼らにしてみれば何の悪気もない。むしろ出産に対する祝福の気持ちから出た。
 だから泉が涙を流したのは意外だったのである。
「い…泉さん?」
 激しくうろたえる従業員たち。温子も同様である。
 その空気を察してか涙を拭うと
「ごめんなさい。みっともないところを見せちゃって…」
気丈に振舞った。
「い…いえ」
 それくらいしかいえない。
「あ……それじゃ赤ん坊の寝床を用意しないといけないですね」
 その場の空気をごまかそうとした一言が、逆にとどめだった。
「いないんだ…赤ちゃんはここには…」
「え?」
 怪訝な表情になる従業員たち。兄の代わりに妹が説明する。
「お兄ちゃんが東京に出るために子連れじゃダメだからって、翔さんが引き取って…」
「う…うう……」
 男泣き…ではない。肉体こそ男だが両手で顔を覆って泣くその姿は女にしか見えない泉だった。

 夜になる。忙しい幸太郎達も時間を作りささやかな宴を。
「それじゃ、泉が無事に男に戻れたことに、乾杯」
「かんぱ〜い」
 両親と妹。そして本人の家族水入らずの宴だった。
「泉。お疲れ様」
「母さん」
 母自らがビールをついでくれる。
「どう? おなかを痛めて子供を産んだ気持ちは?」
 冗談めかした軽い調子。
「なんだか…ぽっかり穴が開いたみたいだった。十ヶ月も一緒だったのにいなくなって…」
 しんみりした口調で言うと、泉はその思いを飲み干すようにグラスを空けた。
「温子を産んだ後は私もだったわ。おなかが大きくてあんなに大変だったのに。いざ生まれてしまうとそんな感じ」
「あたしがおなかにいるときはどんな感じだったの?」
 温子が尋ねる。アルコールは摂ってないが充分にハイテンションだ。
「そうねぇ。『あたしは女なんだなぁ』と実感してたわ」
「なにそれ?」
「あなたもいつか子供を産むと思うけど、その時にはわかるわよ。出産と言う女にしか出来ないことをすれば、いやと言うほど女としての自覚を持つわ」
「そうなんだよね。あた…俺も最後のほうじゃ、生まれた時から女だった気すらしてきて」
 冗談で話をあわせているわけではない、真剣な泉の表情。
「泉…」
「男に戻る喜びよりも、女でいられなくなってしまう不安の方があったのは正直なところ」
 心情を吐露した。沈黙がその場に舞い降りる。
「わしもそうだったよ」
 一人で杯を重ねていた幸太郎が割って入る。
「父さんは…女でいたいと思わなかった?」
 自分と同じ境遇に陥った経験者に、疑問をストレートにぶつける。
「思わなかったなぁ。お前を生んですぐに義朗は死んでしまったし。女でいる意味がなかったしな」
「女で…いる意味?」
 泉の鸚鵡返しの言葉に幸太郎は頬を赤らめた。酒のせいではないだろう。
「いや…はははは。『愛する男』を失ったのに、どうしてわざわざ女になりに行く必要がある?」
 照れ隠しかぐいっと杯を大仰な仕草で空ける。母と妹が父に構う間に泉の思考はぐるぐる回りだす。
(けど…俺の相手は…生きている。そして俺は…ううん。あたしは彼を…)
 体は確かに男の肉体に戻った。
 だがこの経験は頭の中身をすっかり女のそれにしていた。
(のもう。酔いでもしないと危ない考えに飲み込まれそうだ)
 その場は酒に逃げた泉だが…

 男の体に戻ったために仲居が出来なくなった。
 しかし男に戻ったのだから再び東京へ出て、仕事を探すことになるはずだった。
 だから別の仕事についても半端なので英気を養う意味で、そして男に戻ったといえど出産後の体を癒すためにのんびりとしていることになった。

 泉は今あてもなく散歩していた。
 戻ってきて早々に子宝の湯の魔力に囚われ、女として過ごしてそして出産。
 目の回るような毎日に故郷をゆっくり見直す暇もなかった。
(ここも変わったな…僅かな間に)
 そう。町は変わっていく。そして人も変わって行く。
 あれほど男に戻ることを願っていたのに、あの『一夜』からはそれがなくなった。
 それどころか『女でなくなったこと』に寂しさすら感じている。
 それは自覚こそないものの心の奥底に眠っていた。

 足に任せて歩いていたら公園に出た。そこに一人の青年の姿が。
(アレは?)
 泉は急ぎ足で近寄って見る。それは翔だった。仕事で用事を済ませた後で一服していたのだ。
「泉?」
 気配に気がついて振り返る。
「よ…よぉ」
 ちょっと前までは男女の仲だった二人。気まずい感じで挨拶を。

「元気か?」
 泉が尋ねたのは翔ではなく赤ん坊のこと。
「ああ。よく(ミルクを)飲むし、よく泣くし、よく眠る。元気だ」
 翔もそこはわかっている。踏まえた上での返事だ。
「今日もオフクロに面倒を見てもらっているよ」
 子連れじゃ仕事になるはずもない。
「オレが…面倒見ようか?」
「……お前は男に戻ったんだぞ」
「わかってるよ。けどさ。オレはなんと言っても『産みの親』だぜ。不思議じゃないだろ」
 沈黙が訪れる。
「中途半端はよせ。男のお前に母親が務まるか」
「お…お前だって男だし」
「ああ。だからオフクロの助けが要るな。しかしお前は東京に行くんだろう。子連れでどうする?」
「そ…それは…」
 何も反論できない。まして「自分が女になって産んだ子供」なんて説明が通じるはずもない。
「泉。お前は東京に戻れ。赤ん坊のことは忘れろ。そして自分の夢のために自由になれ」
「翔。お前はどうするんだよ?」
 そうだ。彼もまた女のときに産んだ子供がいる。
「オレはもう既に一人いたからな。だったらもう一人増えても状況は変わらん。幸いこの町では昔からこのてのことが起きているから対応出来ている」
「対応?」
「考えても見ろ。子供の戸籍はどうなる」
「あっ?」
 いっぱいいっぱいでそこまで考える余裕はなかったが指摘されると納得。
「それに男に戻れずにそのまま過ごした人間も過去にはいるらしい。そういう人たちは戸籍上も女だったことになって男との結婚が可能になっている。オレにとってはこの街で生きていくのが一番いいんだ。だが泉。お前は自由になれ。オレの分までな」
「翔……」
 なんだか胸が熱くなる泉。
(どうしてあたし…オレ、「面倒見ようか?」なんて口走ったんだ?)
 疑問が頭をよぎる。
(ひょっとして…あの頃に戻りたいのかな…)
 「夫婦」として過ごした一年近く。
 自分を男に戻すためにトラウマを克服してくれた翔。
 経験があるためか妊婦の自分に優しい翔。
 そして…嫌われる覚悟で東京にもどれと告げている翔。
(翔の思いに応えるためには…)
 泉は黙ってその場を立ち去ろうとした。それを背後から翔が抱きとめる。
「あっ」
 まるで愛しい女を逃すまいとしているかのように、両手で泉の平らな胸元を抱きしめる。
「しょ…翔?」
 自分でも頬が熱くなっているのがわかる。少女のように恥じらい、赤くなっているのがわかる。
「…固いよな……こうして抱きしめても、もう柔らかい感触じゃないし、いい匂いもしない。泉は…男に戻った。これでいいんだ。お互いこれがいいんだ…」
 翔は低い声でまるで自分に言い聞かせるようにつぶやく。そしてそっと戒めを解く。
「すまなかったな。変なまねして」
「う…ううん」
 視線をそらしているのは怒りではない。恥ずかしさゆえだ。
(なんだろう…今じゃ男同士なのに…ドキドキする…)
 だが言葉を交わすことなく、翔はどこかへと立ち去って行った。

 それからは翔に逢うこともなく、東京へ戻るための準備を急いでいた。
 仮住まいも決めて、そこから再び就職活動をすることになる。

 ある日の夜。
 既に東京へ行く日取りも決定して後はもう戻るだけとなったそんな時。
 泉は眠れない夜を過ごしていた。
 未だ長いままの髪…どうしても切れない髪。
 切ると「あの頃」まで切ってしまいそうで…
 それを弄びながら悶々としていた。

 ふと起き上がると鏡に向かう。
 そして名残で残っていた化粧品の引き出しから口紅を取り出して、薄い唇を赤く彩った。
 長い髪と相俟って女のように見えなくもない。
(やっぱり…自分にウソはつけない…)
 泉は決心を…いや。自分の気持ちを確認した。

 翌日。
 両親と妹の前で決意を告げる。
「本気……なんだな」
 幸太郎が尋ねる。静かな口調。怒りも何もない。ただ事実を受け止めている。
「このままだと一生後悔すると思う。とうさん。かあさん。温子。許して欲しい」
「泉。あなたの人生よ。私たちに気がねなんてしなくていいわ」
 優しく母が言う。
「そうね。なんかそっちの方がよかった気がするし。最近、元気なかったもんね」
 明るい口調で妹が続く。
「ふぅ」
 幸太郎がため息をつく。
「やっぱりこうなったか。相手が良過ぎたなぁ」
 口調こそため息だが勢いよく立ち上がる。
「覚悟があるなら来なさい」
 泉の顔が輝く。
「はい」

 二日後。
 仕事で駅前に来た翔は、それが片付くとふと走る上り列車を見た。
(アイツ…もう東京に帰ったかな? それでいいんだ。忘れよう。あの時のことは。と、言っても赤ん坊の顔を見れば思い出さずにいられないが…名前、どうするかな?)
 そんなことを考えつつほうけていたら目の前に見覚えのある車が。
(これは? 泉の妹さんの車? まさか)
 そのまさかだった。まずは温子が降りてきた。
「いたいたーっ。ほら。お姉ちゃん」
(お姉ちゃん?)
 温子に続いて降りてきた女性…綺麗な服を着てメイクもきっちり決め、長い髪も美しく処理したその女を見て翔は思わず叫ぶ。
「いずみ!?」
「翔…会いたかった」
 駆け寄るいずみを一喝する翔。
「バ……バカ野郎! せっかく戻れたのにまた魔力に」
「違うわ。自分の意思よ」
 強い口調でそれを強調するいずみ。
「どうして…あんなに苦労して男に戻れたのに何で?」
 翔が自然と詰る口調になるのは仕方のないことだろう。
「それも違う。あたしは…あの日から女になっていたのよ。翔。あなたが抱いてくれた日から」
 肉体的な変化だけならまだ心は男のままだった。
 しかし男性を受け入れ、子を宿し、そして男に愛される日々がいずみを「オンナ」にしたのである。
「あれからずっと考えてた。男として東京に行くのが幸せなのか。それともまた女になってあなたのそばにいるのが幸せなのか」
「その答えがこれか」
 翔の言葉にいずみは言葉でなく抱擁で返事した。
「だって…もうあなたなしじゃ生きていけそうにないもの」
 その華奢な体を翔が抱きしめる。
「バカやろう…せっかく思いを振り切ったのに…また女になってくるなんて…この気持ちが止まらないじゃないか」
 残っていた思い。それが一気に炎上する。
 いずみの細い顎を持ち上げると、その柔らかい唇に荒々しく唇を重ねた。
 一分もそうしていただろうか。もはやいずみには男の部分がまるでないのは、その陶酔した表情でわかる。
 見詰め合う二人。男は女に尋ねた。
「……後悔しないか?」
 女は男に笑顔で返した。
「するわけがないわ。いま最高に幸せなんですもの」
 二人は再び口付けをかわした。







 時は流れ、ある家の居間にて。
 品のいい中年女性が語りを終えたところである。
「これがおとうさんとおかあさんの馴れ初めよ」
 その女性はいずみ。佐伯いずみ。年齢を重ねたにもかかわらず若々しく、そして可愛らしかった。
「何度聞いても感動するわね」
 長女・舞。実際には翔が女のときに産んだ子であるが、いずみの戸籍を女性に変更した際に舞もいずみが産んだ子として記録をされていた。
 この湯の街は昔からこの手のことが発生するため、特別に融通の利く役所なのである。
「バカアニキ。ある意味、主役なのにこの場にいないなんて」
 次女。愛。いずみの初産である長男・飛鳥から三年後に生まれた子供である。
 この出産の時にはいずみが男に戻ってしまうと言う笑い話があった。
 三年ではまだ定着できないと判断して次の子は四年後。八歳の三女・凪。
「おとうさんも女だったことがあるの?」
 あどけない口調で尋ねる。この子を産んだ時にはもう男にはならなかった。
 そのときは心底ほっとしたいずみである。
「はは。それはもういいじゃないか」
 さすがに老けたがそれでも男ぶりは衰えていない翔。
 照れながらも思い出話に耳を傾けていた。
 この日は二人の結婚記念日だった。
「赤ちゃん生まれるの?」
 四歳の四女。幸佳(さちか)が、弟ないし妹の誕生を待ちわびている。
「もうちょっとまってね」
 笑顔で優しく微笑むいずみはすっかり母の貫禄に満ち溢れていた。
 「子はかすがい」と言うが特殊なケースであろう。
 性別の壁を乗り越えて結ばれて、こうして子沢山な一家になったのだから。

 さすがに最後の出産になるであろうその大きなお腹をいとしそうになでるいずみ。
 それに対して翔が尋ねる。
「なぁ。後悔してないか。俺と一緒の人生で」
 ある意味ではいずみを女にしてしまったのは自分と言う思いがあって、それがこの言葉を言わせた。
 だからいずみはいつもそれを振り切らせるためにこういう。

「後悔なんてするはずないわ。優しい旦那さまと可愛い子供たちに囲まれて、最高に幸せ」



湯の街奇談・完結


 大変長らくお待たせいたしました。「湯の町奇談」の完結編です。

 本当はコメディのつもりではじめたらシリアスになっちゃって…悪戦苦闘の執筆でした。
 ただこのラストだけは決まってました。

 もう男性を受け入れて、出産までしちゃったら女が基本になっちゃうんではないかと思って。
(いえ。ある人とそういうメールのやり取りがあって)

 ちなみにいずみがこうなったのは他にもちょっと下世話な理由がありまして。
 ええ。翔も女だったことがあるので、男じゃわからないところまで気がついて、いずみはいろんな意味で「気持ちよかった」んじゃないかと。

 翔が甘いくらい優しいのはやはりその過去によるところが。

 幸太郎がもう一度女にならなかったのは本編で語っている通り相手が既に死亡していたから。
 翔の場合は相手が行きずりの男で愛しようがなかったと言うか。
 いずみはいい思いだけしちゃったので女になっちゃったのです。

 途中でBLチックな描写がありますが、あれは翔がいずみに未練を持っているのを示したかったのです。
 だって苦労して男に戻したのにその努力を水泡に帰すような真似されたら怒るだろうから。
 受け入れる場面を不自然にしないためには、未練を残しているのを見せないといけなかったので。
 泉が男のままで口紅をつける場面もそれ。

 たぶん展開から女に「戻らないと」不自然で、逆に言えばラストはみえみえ。
 それならと「意表をつく」のではなく、むしろ「見たいラストに近づいている」と言う感じで進行しました。

 余談ですが両親揃って「子宝の湯」経験者の上に、いずみは安産のために何度もつかっているので娘たちは美人ぞろいです。

 城弾作品としては異例のシリアスでしたが、楽しんでいただけたでしょうか?

 ご愛読に感謝いたします。

城弾

戻る

□ 感想はこちらに □