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光と闇の間
―グランドF 第二章―

作:TOISAN



 モニターに映った女性には見覚えがあった。
 中央警察の警部補、姉の殺人事件の担当だったが、彼女には姉の持ち物を散々ひっくり返えされた印象しか残っていなかった。
 僕は寝る前に着替えたままのワンピース姿でドアを開けた。
 僕のことを知る人に女性に替わってしまった姿を見られるのは恥かしかったが、この時はこの姿を見せてやりたいと思っていた。警察の無力が僕をこうさせたのだという恨みを込めて。
 しかし彼女は意外にも僕を一瞥しただけで驚きもせず部屋に入ってきた。
「可愛いわね。しかも亡くなったお姉さんにそっくり。」
 皮肉だろうか、逆に彼女は僕よりも背が高く身長は180センチはあるだろう。それにがっしりした体格、赤いTシャツに黒い皮のジャケット紺のジーンズ。
 彼女はスカートなんか履かないのかもしれない。
「いきなりだけどこの男知ってる?」
 彼女は写真を差し出した。
 それは昨日、僕が射殺した姉を殺した犯人ドクだった。
「好みじゃないわね。」
 僕は写真を返すと言った。
「ドミニク・ルード、通称ドク、汚い仕事はなんでもする男。」
 彼女はチラリと僕の顔を見て続けた。
「昨日の午後、どこに居たの?」
 何か掴まれたのだろうか。
「お家でお掃除、洗濯かしらね。」
 ちょっとおどけて言った。
 彼女は表情を変えず話しを続けた。
「この男はあなたのお姉さんが殺された事件の容疑者よ。」
「逮捕したの?」
 僕は少し驚いたふうにして白々しく訊ねた。
「いいえ、実はこの男はある組織の下で働いていたの。我々はその組織の尻尾を掴むため、彼を逮捕せずマークしていた。」
 背中に冷や汗が流れた。ドクは泳がされていたのか。
「ところが昨日、見知らぬ少女が拳銃を下げてドクのアジトに入って行き、やがて青ざめた顔で出て来たわ。後にはドクと仲間の死体が転がっていた。」
 ちくしょう、よりにもよって僕は警察の目の前で西部劇を演じていた。
 彼女の目には怒りが宿っていた。
「水の泡だわ、復讐に燃えたどこかのバカの為に。」
 彼女は僕をきつく見据えていた。
 しかしそんな視線にさらされて、僕の心の中でも怒りがこみ上げて来た。
 さっさとドクを逮捕して死刑にでもしてくれれば、僕はこんな姿になることもなく、まして人殺しにならなくても良かったんだ。
「逮捕したら?」
 僕は開き直りを込めて言った。
「ええ、正当防衛なんて言い出す前に牢屋へぶち込むつもりだったわ、昨日まではね。」
 彼女はニヤリとすると話を続けた。
「ところが今日になって、組織の連中がその少女を探し始めた情報を掴んだの。」
「報復?」
「フフッ、ドクは組織のいろいろと手を染めていたようだけどしょせん雇われの下っぱだわ。そんなハイエナが死んでも組織は動かない。」
 彼女はジャケットから煙草を取り出すとオイルライターで火をつけた。
「組織は彼女に興味を持ったみたいね。生きて連れてくるという条件らしいし。」
 何故僕が?しかしそれは姉の事と関係がある可能性が高いと思った。
「明日には組織がその少女の居場所を掴むはず。」
 自ら吐き出した煙の行方を眺めながら彼女は分かったことのように言った。
「そこで私からあなたにプレゼントがあるの。」
 彼女はそう言うとさっき煙草に火をつけたオイルライターを差し出した。
「私、未成年だけど?」
「持っておいて。あなたの為だわ。」
 彼女は語調を強めて言った。強制とも取れた。
 それでおおよそ想像がついた。位置確認の電波でも出るのだろうか、それとも盗聴マイクか。
 彼女はそれを押し付けると玄関の扉を開けた。
 そして向き直って言った。
「それから彼女に言っておいて、あんな玩具じゃ駄目だって。」
 彼女はそう言うとジャケットを広げて脇の拳銃を見せた。
 38口径だろうか、鈍く光る大柄なオートマチックが見えた。
 およそ女性には不釣合いな代物だ。
 彼女は踵を返すと部屋を出て行った。

 今度は僕が泳がされる番なのか。
 ジェムの組織が僕を狙っている。しかも何かに関心を持って。
 姉に関係することの可能性が濃厚だった。奴らの狙いが分かれば、姉の目的も分かるに違いない。
 そして警察が狙うジェムの組織、奴らはいったい何を。
 僕の想像はさらに広がり、興奮の中でその夜は眠れそうに無かった。

 夜明け前、僕は思い出してガールフレンドのミユにメールを送った。
 今までの一部始終、二人の男を殺したこと、そして僕の身辺が危険になったので近づくことはもちろん電話もかけて来ないように書いた。
 メールを書き終えると送信して僕はため息をついた。
 僕が女性になってしまい、さらに人を殺してどんどん深みにはまって行くのを彼女はどう思っているのだろうか。
 彼女はどこまでも想いを貫くと言ったが、彼女の立場を思えばいっそ別れてくれた方が良いと思っていた。
 しかしその一方で、僕は今でも彼女のことを心の拠り所とし、その言葉を信じたい気持ちも持っていた。
 身体は女性になったが、僕はまだ彼女を愛しているのかもしれない。
 でもその愛とはいったい・・・。
 次第に明るくなる窓の前で、いつしか僕はまどろんでいた。

 夜が明けビルの隙間から日が差し込むと、僕は窓から周囲の道路を見渡した。
 ゴミ箱が倒されて散乱した中身を野良犬が漁っている以外、特に異常は無いようだが、どこかで警察と、それからひょっとしてジェムの手下が見張っているかも知れなかった。
 朝食を取りお決まりの薬を飲んだ後、僕は何かが動き出すことを願って出掛けることにした。
 そして出掛けるにあたって、奴らが警戒しないよう僕は少し女の子らしい格好をすることにした。
 ドレッサーの前に座るといつもより時間をかけてメイクしてみた。
 それから姉の服の中から白いブラウスにグレーのロングのスカートを選ぶとそれを身に着け、すっかり長くなった髪を後ろに束ねてみた。
 鏡に映る自分の姿に姉の面影がダブって、彼女もよくこんな格好よくしてたなと一瞬感傷的になったが、今はそんな気分に浸っている時ではないとすぐに自分に言い聞かせた。
 最後に僕は引き出しに仕舞っていたドクの部下から奪った38口径のリボルバーを皮製の手提げカバンに入れると、クリーム色のパンプスを履いて街に出掛けた。

 僕はまず人通りの多い通りを歩き、目立つように道路に面したカフェで休んだりした。
 時々後ろを見る為にショーウィンドウを覗いたりしたが、特につけられている様子は無かった。
 そしてもしつけているなら襲いやすそうな路地裏を歩いたりしてみたが、特に異常もなく時が過ぎていく。
 今日ははずれだろうかなどと思いつつ、昼は公園のベンチで後悔しながらホットドックのケチャップをブラウスに飛ばさぬよう食べた。
 午後は姉が眠る墓地を訪れた。
 新しい花を供えつつ、しかし常に周囲の様子をうかがっていた。
 やはり何事も起こらなかった。
 そうして一日を過ごしたが、特に変わった様子も無く夕方には部屋にたどり着いた。

 しかしドアのノブに手を掛けて僕の身体に緊張が走った。
 部屋の鍵が開いていた。
 後ろに下がろうとした次の瞬間、扉が開き延びてきた大きな手に捕まえられ、僕は部屋の中に引きずり込まれた。
 部屋の明かりが点けられ、見ると女と男が部屋の中に居た。
 二人とも黒っぽい服を着ていた。部屋は荒らされ、引出しの中身が床に散乱していた。
 僕の前に立つ女は少し歳をとっているのか顔に生気がなく、痩せた身体に黒いスーツを着て色気も何も無いまるでカラスのような女だった。
 男は逆に2メートルはありそうな大男だった。
「あなたね、ユカリの弟って。」
 僕は黙っていた。
「ユカリは私達を裏切って大切なものを隠したのよ。ここには無いと思ったけど一応探させてもらったわ。」
 だったらなぜすぐに探しに来なかったのかが分からなかった。
「あなた、ユカリから何か聞いたり預かったりしてない?」
「知らないね。」
 僕は女を睨みながら言った。しかしそれは本当のことだった。
 次の瞬間、僕を引っ張り込んだ大男の手が動いて、僕は部屋の壁に叩きつけられていた。
 そして男の方に向き直ろうとした途端、腹部に固いものが食い込んできた。
 息が出来ずに身体を折って倒れ込んだ僕は、立ち上がる間も与えられずさらに体中を執拗に蹴り続けられた。
「可愛くないわ、女の子になったのなら女の子らしくしなさいよ。」
 どれくらい痛めつけられたのか、遠のいた意識が戻ると、僕は顔を女に踏みつけられていた。
 力はさらに強められ、踏みにじられ、顔が歪められていく。
「ユカリにそっくりだわ、こうしていると思い出すぐらいに。」
 思い出すとは、いったい何を。
 起き上がろうとしたが、もう身体は言う事を聞かなかった。
 痛みと乱れた呼吸で声すら出せないでいた。
 奴らも僕が姉の秘密を知っているとは思っていないと感じていた。
 もしそうなら、とっくに調べに来たはずだ。
 奴らはただ僕に恐怖を植え付けて服従させようとしていると思った。
 事実、僕の心は恐怖に打ち震えていた。このままでは殺されるかもしれない。
 そして今にも押しつぶされそうな心の中で、ただ復讐という言葉だけを叫んでいた。
 姉を拷問にかけたのは奴らなのだ。復讐の炎を消してはならない。
 やがて女は足をどけると、男に合図した。
 男は僕の口に薬品を含んだ布の当てた。
 必死でもがいたが今の僕では男にされるがままになるよりなかった。
 どこかに連れて行くんだな。
 僕は薄れる意識の中で思った。
 視野の片隅に拳銃を入れたバッグが見えた。
 胸の下着の隙間に入れたライターのことを思った。

「どう、お目覚めは?」
 どれだけ時間が経ったのだろう、僕は暗いビルの一室で転がされていた。
 僕は何も答えず目の前にいるカラス女を見つめていた。
 まだ体中に痛みがあって容易に起き上がれないでいた。
「あなたに会わせたい人が居るわ。ついて来なさい。」
 さっき僕を散々打ちのめした男が僕を引きずるようにして部屋から出させた。
 何も置かれていない廊下を経てエレベーターで地下の機械室に下り、鉄の扉を開けるとそこはモニタールームだった。
 女はコンソールに向かった男に何か指示すると、目の前のモニターに部屋の一つが映し出された。
 部屋のテーブルに腰掛けた男女、その顔を見た時、僕は思わず声を上げた。
 モニターに映し出されていたのは5年前に失踪した父と母だった。
 二人とも一層年老いているように見受けられたが病気などではなさそうだった。
 あまりいい思い出が無い両親ではあったが、こうして生きていると知ると僕の心は動揺した。
 そして何故姉がジェムに協力したか理解出来た。
 姉は両親を助けたい一心で奴らに加担したのだ。
「私たちが欲しいのはあの男が開発したもの。」
 女はモニターを眺めながら言った。
「ユカリはかつてのあの男の研究室から、その完成品を運び出すことに成功したわ。しかし私たちに渡す前に仲間から逃げ出しそれを隠した。」
 女が写真を見せた。見たところ黒いピンポン玉だった。
「黒い円形の物体、直径5センチ。15センチ四方の金属製のケースに入ってる。」
 女が続けた。
「詳しくは知らなくともいいわ。知らない方が身のためよ。」
   こんなものの為に姉が死んだのか。
「あの男にここでそれを作らせる為に来てもらったんだけど、設備が不十分で今のところ完成出来ない。そこで一先ず完成品を手に入れるつもりだったのよ。」
 姉はそれを盗み出し、しかし結末を恐れて隠したのだろうか。
「あなたはユカリが隠したそれを探すこと。猶予は2日。見つけたらあの夫婦もあなたも開放してあげるわ。」
 カラス女が笑みを浮かべて言った。
「もし見つけられなかったり、また警察にでも連絡したりしたら、あの二人もそしてあなたもユカリのようになるわ。」

  僕は目隠しをされ車から降ろされると、車はそのまま走り去っていた。
 僕は自宅の前に立っていた。
 部屋は荒らされたままの酷い状態だったが、僕はベッドに倒れこむと今日あった出来事を思い返していた。
 こうして僕を釈放したのは、散々痛い目に遭わせてさらに僕の両親を捕らえてある以上、僕が言いなりになると計算したのだろう。
 例の物体の写真を見た。
 姉はどこに隠したのだろうか?
 どこか見知らぬ空き地にでも埋めたり、また川の中にでも捨てたのならもう探し出すのは不可能だった。
 しかし万が一の為に後に残された者が気付くような場所だとするなならどうだろう。
 後に残された者、それは僕しかいない。
 僕が探し出せる可能性があるとするならそれだったし、奴らの狙いも同じだった。

 傷に薬を塗り、腫れた顔を冷やしていると携帯電話が鳴った。相手は女警部補だった。
「フフフッ、大丈夫?でも大収穫だったわ。」
 多分、モニターの向こうで僕の冒険をワクワクしながら聴いていたに違いなかった。
「私はどこに攫われてたの?警部補。」
「あなたが連れ込まれたのは第二埠頭の倉庫。」
 グランドF西地区の海岸沿いには多くの倉庫が立ち並んでいた。
 彼女も例の黒い玉が気になっているようだった。
「明日、極秘に研究所を捜査してあれについて調べるつもりよ。」
「あれがスーパーボールだってことが分かったら教えて欲しいわ。」
「フフッ、いいわ、とにかくあなたは連中に言われた通り探し始めてね。今後も私があなたを遠隔から護衛することになったし。で、当てはあるの?」
 引き続き泳げと言われた気がした。
「とにかく研究所と倉庫の線上を探してみるつもり。」
「気をつけてね。彼らはもう襲って来ることは無いと思うけど、常に監視はしているはず。それにその黒い玉は何だか危険な気がする。」
 僕は礼を言った後、彼女に黒い玉のを画像を送ると一つだけ依頼をした。
「わかったわ、ライターを忘れないようにね。」
 電話は切れた。
 彼女の口調は妙に優しかった。

 その後、メールをチェックするとミユから返事が届いていた。
 メールにはただ、死なないで、私は待っています、とだけあった。
 その短さが僕の心を締め付けた。余計はことは言うまいとしているのだろう。
 彼女の気持ちが痛いほど分かった。
 今日、僕は死ぬかもしれないという恐怖の中で、自分の本当の気持ちをはっきり自覚していた。
 もう一度、彼女に会いたいと思った。
 そして、もし生きて帰ることが出来るのなら、僕は彼女に自分の気持ちを打ち明けるつもりでいた。
 こんな身体になってしまった僕でも受け入れてくれるなら、どこか遠くの街で一緒に暮らそうと。

 僕は気を取り直して地図を取り出すと父の研究所と第二埠頭の間に線を引いてみた。
 連中の話では、姉は研究所で盗んだ物を運ぶ途中に仲間から逃げ出し、再び仲間に見つかる僅か30分の間に物をどこかに隠していた。
 多分、運ぶ先は第二埠頭の倉庫だっただろう。
 乗り物には乗っていなかったので行動範囲は知れていた。
 ふと線から少し離れたところに、僕は知っている地名を見つけた。
 ボールペンでそこに印をつけると僕はベッドに横になった

 翌朝、鏡の前に立った僕の顔は腫れこそ引いたものの、ますます痣が濃くなっていた。
 こんな顔で外に出掛けねばならないと思うとちょっと憂鬱だった。
 女性がこんな顔で出歩くとただ事には見えないだろう。
 僕は出来るだけ男っぽい格好をして、サングラスをかけると人目につかない道を選んでまずは姉が殺されたビルへと向かった。
 またあの男に会って話を聞きたかった。
 ビルの入口まで来ると、一人の男が立っていた。
 一見浮浪者のようだが、その鋭い目つきには見覚えがあった。
 ビルの闇の中では気付かなかったが、顔の張りから歳はまだ30歳代だろうか、身体は意外と大きく、体中の筋肉が盛り上がって逞しく浮浪者とは次元の違う姿だった。
「フフフッ、派手にやられたようだな、ねぇちゃん。」
 彼は僕の体験したことをすべて知っているかのようだった。
「ジェムについて知りたいの。あなたが知ってるすべて。」
「止めとけ、あれはただのギャングじゃないぜ。」
 僕は黙ってバッグから札束を取り出した。
 男は呆れたような表情を作った後、ゆっくり話し始めた。
「グランドF西地区のドン、ウォンが病気で倒れた後、突然表舞台に出てきたのがジェムだ。ウォンの愛人の一人という噂だが定かではない。生れ、育ち、そしてそれまで何をやっていたのか、とにかく謎の多い女だ。」
 ウォンは30歳台中頃の若さで死んだと聞いていた。
「ウォンの死後、ジェムが組織を掌握していた。そして1年もしないうちに一人の男を組織に抱き込んだ。その男の名はボリス、正体は国際的な軍事兵器のバイヤーだ。」
 男は煙草に火をつけた。
「ジェムとボリスはデキているという話もある。そしてジェムは積極的にそのビジネスに参加した。組織の資金をつぎ込んでな。」
 男は美味そうに煙を吐き出した。
「その潤沢な資金とそれまで培った裏の政治力をバックに、ジェム達は他の連中が扱えないような兵器を売買した。航空機、車両、船舶と大物ばかりだ。その中でもヒットしたのが巡航ミサイル。世界中の軍関係者が飛びついた。」
 僕は驚いた。あんなものが商売されているのか。
「そして今、奴らはさらに凄いものを出そうとしているらしいという噂だ。まだ販売はしていないようだが、すでにオーダーを取り始めているらしい。」
 あの黒い玉と関係がありそうな話だった。
 男は煙草を捨てた。
 僕は札束を地面に置くと、昨夜地図にマークした場所へ向かった。
 


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