戻る


「昼休み」
(第3回)
作:こうけい






第1回の内容はこちら
第2回の内容はこちらをごらん下さい。


主な人物紹介

岡部 勝
男子。淑子のもとの姿で、今はもうどこにもいない存在。帰宅部。

岡部 淑子
女子。現在の主人公。ある日の昼休み、勝が突然変身した姿。バレー部。

大原 理絵
女子。淑子の同級生で、クラスの女子のリーダー格。よく淑子をいじめている。バレー部。

藤野 真由美
女子。淑子の同級生で、理絵といっしょに行動することが多い。バレー部。

坂井 晶
女子。淑子の同級生で、理絵とはわりと仲がいい。演劇部。

棚橋 健也
男子。淑子の同級生で、男子のいじめっ子のリーダー格。バスケ部。

松村 諭
男子。淑子の同級生で、健也といっしょにいじめをすることが多い。バスケ部。

間宮 基晴
男子。淑子の同級生で、おとなしい。帰宅部。


14 喪失

淑子が女子になって2日目。1時間目の授業は英語だった。
「えー、まずは前回の小テストを返す。番号順に出てくるように。相原恵津子、90点。赤坂悠太、60点…」
先生が生徒の名前と点数を呼び上げながら、答案を渡していく。
(ぼくの点数はいったい…?)
男子だったときの勝は、英語はそれなりに得意なほう。自分の知らない“淑子”が受けたテストの結果を、淑子は興味津々で待っていた。
「大原理絵、100点。岡部淑子、30点」
(えっ…!?そんな?)
淑子は唖然としながら答案を受け取る。
目を通してみると、確かに10問中マルは3問だけ。勝だったら間違えないはずの簡単な単語のつづりも間違っていた。
「ノーパンさん、相変わらずね」
理絵が、100点を見せびらかしながら話しかけてきた。
「そんなばかな…。ぼく…あたしはもっとできるはずなのに…」
「へえ、負けん気が出てきたのね。だったらせいぜいがんばって」
理絵は軽蔑のまなざしを向ける。
しかし、淑子は心の底では自信を持っていた。
(今度はぼくの、勝の力でもっといい点をとって、先生や大原を見返してやるぞ!)
「えー、では、教科書の40ページから…」
授業が始まってしばらくすると、淑子は不思議なことに気づいた。
(…ん…なんだか、思うように頭が働かないな…)
勝だったときに比べて、どうしても授業に集中できないのだ。
先生の言葉も、教科書の文字も、思うように頭に入ってこない。今日は生理痛も落ち着いているというのに。
勝ならば理解できたことがわからないまま、授業がどんどん先に進んでいく。
(どうして?淑子になったばかりの昨日の午後だって、こんなことなかったのに…)
「では今日も、最後に10分で小テストを行なう。今日やったところの単語だから、全問正解で当然だぞ」
テスト用紙を前に、淑子は焦った。
授業に集中できなかったせいで、まるで単語が浮かび上がってこない。
『ノーパンさん、相変わらずね』
理絵の言葉が頭にちらついて離れない。
いい加減にアルファベットを並べているうちに、時間切れ。これでは今回も到底よい点数は無理だ。
(大原の言う通り、淑子は英語が不得意…。
もとの勝の実力だったら、こんなことはなかったのに…。
ということは、ぼくは頭のつくりまで、だんだんと淑子に近づいてる…!?
まさか、そんな…)

「おいおもらし女、小テストどうだ?」
休み時間。健也が話しかけてきた。
「もっとできるはずだって、言ってたはずよね」
理絵も追いうちをかける。
しかし、淑子は黙ってうつむいているだけだった。
「あーあ、やっぱりだめだったみたいね」
「…次は、数学だから、絶対できるはずよ!」
とっさに、むきになって反論する淑子。
「だったらなー、授業のとき、自分から手を挙げて、黒板で問題解いてみろよ」
「うん、やるわよ!」
「でもね、淑子って数学も得意じゃなかったでしょ。できなかったときの罰も必要よねえ、棚橋くん」
理絵が冷ややかに言う。
「そうだな。えーと、数学の次は調理実習だよな。うちの班の食材と用具を運ぶの、おもらし女ひとりにやってもらおうか」
3・4時間目は家庭科で、淑子、理絵、真由美、晶、健也、諭、基晴の7人が同じ班になっている。
今日の家庭科は、班ごとの調理実習。このとき、直前の20分ある休み時間に、班全員で家庭科準備室から家庭科室に食材と用具を運ばないといけない。
「うん、あれ面倒なのよね。あれがなかったら、長い休み時間、目いっぱい遊べるのに!」
真由美が横から口をはさんできた。
「だったらノーパンさん、それに決まりでいい?」
「いいわよ!あたしだってやるときはやるんだから」
こうして淑子は売られたケンカを買った。

2時間目の数学は、勝の一番の得意科目だった。
(きっとできるはずだよ。そうじゃなきゃ、ぼくは…)
淑子はそう思いながら、何度も教科書を読み直す。
「次、3番の問題、解ける人はいますか」
先生が言うと、淑子は勢いよく手を挙げた。
(この問題の解き方なら知ってるし、教科書でも見たぞ)
「あら、岡部さんが手を挙げるなんて珍しいわね…。じゃ、岡部さん解いてくれる?」
意表を突かれた表情の先生を横目で見ながら、淑子は自信満々で黒板の前に立つ。しかし、その自信もチョークを持つまでだった。
(…ん?あれ?あれれれれ???)
なんと、ついさっきまでははっきりと頭に浮かんでいた解法が、もやに包まれたように消えてしまった。
(どうしたんだ?教科書で読んだのに?解き方が出てこない!)
チョークは黒板を前にして、ピクリとも動かなかった。
「やっぱり、岡部さんには無理かしら?」
「…ごめんなさい。解き方が急に頭から消えちゃって…」
「だったら先生が解きますから、横で見ててください」
先生の解法は教科書どおりのはず。なのに、淑子には思い出すことも、あらためて理解することもできなくなっていた。
(やっぱり…ぼくの頭のつくりは淑子になっていってるんだ…。
淑子って勉強があまり得意でないみたいだし…。
つらいよ…)
中の上くらいの成績を維持していた勝時代のことを思い出すと、淑子にやるせない悔しさがこみあげてきた。
「無茶なことはしなくていいのよ!ノーパンさん」
理絵のヤジが飛ぶと、まわりから拍手がわいた。
(これからは成績のこともいじめの種にされるのか…)

「それじゃ約束どおり、食材と用具の準備、お願いね」
「言っとくけど、途中でおもらしなんかするんじゃないぞ!」
「…うん、わかった…」
「そうだ、あたし、淑子がちゃんと準備するかどうか見張ってるから」
「あっ、ありがとね、晶」
「ほら、淑子、もっと早足で!」
淑子の監視役を買って出た晶が、うつむき加減の淑子を家庭科準備室へと急かす。

両手いっぱいに食材と用具を抱えて、家庭科室と隣の準備室の間の往復を繰り返す淑子。家庭科室で、じっと見張る晶。
そのとき、不意に扉が開いて、同じ班の基晴が入ってきた。
「あっ、間宮くん?まだ早いわよ」
「ぼく…手伝ってもいいかな」
「だーめ。これは淑子の罰ゲームなんだから。あんたは時間までどこか行ってれば」
「そう…」
晶の気に押されるように、基晴は家庭科室を出ていった。


15 克服

3時間目の授業が始まった。
男子だったころの勝は、家庭科では調理実習がいちばん苦手だった。
授業ではじめて包丁を使ったときに、指に切り傷をつくったのがトラウマになっているのだ。
それ以来、またケガをするのではという恐怖感に襲われて、包丁を手に持つことがほとんどできず、授業でも包丁を持たずにすむ料理ばかりを担当していた。

淑子たちの班がつくるのは、ソースも手製のブラウンシチュー。
男子3人がソースに使うルーを小麦粉からつくっている間、女子4人は野菜の下ごしらえを担当する。
「ほうら、ノーパンさん、あとは頼んだわよ」
水洗いして皮をむいたジャガイモを丸ごと淑子に手渡すと、理絵たちはニンジンの皮むきに移る。野菜を切るのが淑子の担当なのだ。
(勝だったら、ルーづくりのはずなのに…。やっぱり、指が痛くなってきた…)
淑子はかつての勝のように、包丁を見ただけで指のあちこちに痛みを覚えた。
でも、ここで野菜を切らなければ理絵たちにますますいじめられる。淑子は思いきって包丁の柄を握ってみた。
(あれ?なんともない…)
不思議なことに、淑子がたった今まで抱いていた包丁への恐怖感が、嘘のようにすうっと引いていく。それどころか、包丁を自在に動かせそうだという自信まで湧いてきた。
(これも、頭のつくりが淑子になったからかな…?)
頭の淑子化は、悪いことばかりではなかったのだ。
淑子は手際よくジャガイモの面取りをして、きれいな角切りに刻んでいった。タタタンと小気味よく動く包丁に、淑子自身も驚く。
(すごい、ぼくがこんなことできるなんて…。淑子って料理のセンスがあるんだ!
これなら、家の食事の手伝いだって…)
「次はこれね!」
晶が、皮をむいたニンジンを淑子に渡す。
淑子はニンジンを輪切りにしたあと、細かく包丁を入れて花や動物の形に仕上げていった。
「岡部さん、包丁の使い方が上手ですね」
横を通りかかった先生がほめてくれると、淑子は笑顔をみせた。

具もソースも無事にできあがり、シチューの煮込みに入る。
淑子の適確な指図のおかげで、ソースの味つけや火加減もバッチリだ。
「さすがね淑子。こればかりは負けるわ。あたしはどうしても苦手でさー」
素直に感動する晶。
その一方で、健也や理絵はこの状況がどうも気に入らなかった。
「…大原、おもらし女に、なにか一発恥をかかせてやりたいな」
「ええ…。そうね、これなんてどう?」
理絵の手には、塩の小ビンが握られていた。

「それじゃ、最後の味見をお願いね、ノーパンさん」
「うん。…もうちょっと味が濃くてもいいかな。塩、とってくれる?」
脇にいた基晴が、淑子にビンを渡す。
淑子は、仕上げに塩をひと振り…。
ドババッ!
ひとビンまるごとの塩が、シチューにふりかかる。塩のビンについているはずの中ぶたが、なぜか消えていた。
「こんなの食べられないわよ!」
「おもらし女、塩までもらしやがって!」
「ノーパンさんが全部食べてよね」
「そうだそうだ、責任とれよ」
口々に淑子を非難する理絵たち。
(きっと大原がやったんだ…。証拠はないけど…)

先生の試食が終われば、あとは班員みんなで料理を食べるという楽しい時間が待っている。
しかし、淑子の班のテーブルでシチューを食べているのは、淑子ただひとり。
ほかの班員は、席を離れて別の班の料理を食べさせてもらっている。
けれども、基晴だけは後ろめたそうな顔をしていた。
「ぼく、やっぱりあのシチュー食べるよ」
そう言うと基晴は席を立つ。
「おもらし女の失敗作なんて食うんじゃねえぞ」
「ううん、ぼくがビンのふたを確かめなかったのが悪いんだから…」
基晴は淑子のテーブルの向かいで、皿にシチューを盛る。
淑子は食べる手を止めて、上目でじっと様子をながめていた。
(基晴って…)
「おい基晴、そのシチューを食べたらな、おめえもおもらし女と同類になるぞ」
「いよっ、おもらし男の基晴くん!…って呼ばれてもいいのか?」
「………わかったよ」
健也や諭の勢いに押された基晴は、シチューに口をつけることなくテーブルを後にした。淑子は、また無言で食べ始める。

「でも、間宮くんって変わってるわね」
晶が理絵に話しかけてくる。
「あたし、さっき淑子の準備見張ってたらさ、あの子が手伝いたいって家庭科室に入ってきたのよ」
「で、晶は当然断ったんでしょ?」
「あたりまえよ。淑子にやらせなきゃ意味ないじゃないの」
「そうよねえ」

結局、淑子はふたり分のシチューを食べるのが限界だった。
ふたり分を食べたところで塩からさを我慢できなくなっただけでなく、勝だったときよりも胃袋が小さくなっていたせいでもある。
余ったシチューは生ごみとして捨てるしかなかった。
(淑子の得意科目だってのに、先生にも減点されるなんて…!)
ごみ袋の中に浮かぶ、花の形のニンジンを見つめながら、淑子は無念さを募らせるのだった。

(のどが、かわいたな…)
淑子は家庭科室の水道で、コップに何杯も水を飲んだ。
(これで、今日のお昼はおなかいっぱいだな…)


16 確認

昼休みになった。勝が淑子になってから、まる1日が過ぎたことになる。
どうすればもとの勝に戻れるのか。淑子には、ひとつだけ思い当たることがあった。
自分の机のラベルだ。
そもそも、変身してしまったきっかけは、健也が机のラベルを貼り替えたことだ。
だから、あのときと同じ昼休みに、逆のことをやれば、もしかしたら…?と思ったのだ。

「ねえ棚橋くん」
「なんだよ、おもらし女」
「このラベルに“岡部勝”って書いて、あたしの机に貼ってくれる?」
淑子の手には、フェルトペンと男子用の青いラベルがあった。
「は?なんのつもりだ?」
「…今朝のテレビでやってた、おもらししなくなるおまじないなの」
「そんなの知らねえぞ」
「別にいいでしょう。男子が知らなくても、女子はおまじないが大好きなんだから」
「じゃ、なんで俺に頼む?」
「これってね、いじめっ子の男子に貼ってもらわないとね、効き目がないっていうのよ」
淑子は出まかせを言って健也をまるめこもうとした。
「…なんだそりゃ?」
「棚橋くんも、女の子におもらしなんかされたくないでしょ。だから、ね?」
「…ま、おめえがおもらししなくなれば、その分クラスは平和になるけどな」
「それじゃ、お願い」
「わかったよ、やればいいんだろ」
健也は、青いラベルにフェルトペンで“岡部勝”と書く。
「これでいいのか?」
“岡部淑子”の赤いラベルの上に、青いラベルが重ね貼りされる。
しかし、淑子の体にも、周囲にも、なんの変化も起こらなかった。
(もしかしたらって思ってたけど、やっぱり無理だったか…)
淑子も心の底では、こんなことをしてもだめだと悟っていたのだ。もっと別の奇跡でも起きない限り、もとの勝には戻れまい。

「ノーパンさんも棚橋くんも、なにバカなことやってるの!」
「あっ、理絵?」
「午後は公会堂で音楽鑑賞会でしょう。さあ、早く出るわよ」
言いながら、理絵は淑子の机の青いラベルをはがす。淑子たちは足早に教室を出た。


17 臨界

午後は、校外授業の音楽鑑賞会だった。市内のいくつかの中学の1年生が公会堂に集まって、プロのオーケストラの演奏を聴くのだ。
学校から公会堂までは電車で3駅、10分の距離があるので、生徒たちは電車で集団移動することになっている。
2列縦隊に並んで最寄り駅へと歩く途中、淑子は小用をもよおしてきたような気がした。
(さっきたくさん水を飲んだせいかな…。トイレ行きたいな)
でも、列を途中で抜けるわけにはいかない。それに、このときはまだ、どうしても我慢できないほどではなかった。
(まあ、後で行けばいいか)
駅の改札をくぐり、一般の客に迷惑をかけないようにクラスごとに乗る車両を分けて、ホームに2列で整列する。
急いで駅のトイレへ…と思ったところで、ちょうど電車がやってきた。
電車は通勤型なので、トイレはない。
電車を降りてから公会堂のホールに入るまでも、トイレに行くひまはなかった。

開演前、淑子がトイレに立とうとすると、理絵が寄ってきた。
「ノーパンさん。調理実習のときは、しょっぱいシチューでのどかわいてたいへんだったでしょ。
あたしからの、せめてものねぎらいよ。これ飲んでくれる?」
そう言って、理絵は缶コーヒーを淑子に手渡す。
ひんやりと冷たい缶を手にして、淑子は対応に困った。今こんなのを飲んだら、後が…。
「早く飲まないと始まっちゃうわよ、ほら」
理絵は缶を取り上げると、自分でプルタブを開けて淑子に戻した。理絵の気迫に押された淑子は、コーヒーを飲むしかなかった。
そして、飲み終えると同時に開演のブザーが鳴る。もうトイレには行けない。
(弱ったな…。だんだん限界が近づいてきたよ…)

「真由美、もうすぐノーパンさんがおもしろいことになるわよ」
「うん、今にも出そうな顔じゃない」
「コーヒーって飲むとおしっこ出やすくなるのよね。ママから聞いたわ」
「そうなんだー、やるわね理絵」

淑子はトイレのことで上の空。せっかくのクラシック音楽も耳に入らない。
そして、終演後はトイレに直行。しかし、女子トイレには長蛇の列ができていた。
「あっノーパンさん。うちの学校、みんな整列してるわよ、早く」
「あたし、トイレなんだけど…」
「電車、乗り遅れてもいいの!?」
淑子はいやおうなく理絵に引っ張られた。

「ほかのお客さんの邪魔になるなよ。すぐ降りるんだから、座らないで立ってろ」
注意する先生の声を背に、淑子たちは電車に乗り込む。
車内は吊革が全部埋まるくらいに混んでいた。
(あと10分の辛抱だ。駅に降りたら、すぐにトイレに駆け込もう!)
(あと2駅…、あと1駅…、もうすぐだ!)
そのとき、電車が急ブレーキをかけた。ガクンとショックが車内に伝わる。
男子の勝の体だったら、これでもなんとか我慢がきいたかもしれない。
しかし、女子の淑子には…。

「きゃーっ!」
「おい、混んでるのに詰めるなよ!」
「なに!?一体なんなの!?」
「もらしたの!また淑子よ!」
「えっ、おもらし女がまたかよー?」

怒号、悲鳴とともに、淑子のまわりから人が引いていく。
淑子の股間からは、暖かい液体がとめどもなく滴り落ちていた。
真下の床には水たまりができて、電車が動き出すと後ろへとツツーッ…。

今日は大きいのがいっしょに出なかっただけ、昨日よりましだろうか。
いや、電車の中という公共の場なだけに、やはり今日のほうが悲惨だろう。

(もう、いじめられたっていいや…。
どうせ、勝になんて戻れないんだ…。
なるようになればいいわ…なるがままに…。
あるがままの、あたしに…淑子に…)

自分の意思では止めることができない液体が、股間から脚へと流れていくのを感じながら、淑子の心の中でなにかがふっきれていた。
もう、目からは、流れ出るものはなかった。


18 開眼

放課後、バレー部に向かう理絵を、淑子が廊下で呼び止める。
「ねえ、理絵…」
「なによ、ノーパンさん」
「あたしね、これ買ってきたの」
淑子の手には、成人用の紙オムツがあった。
「あたし、おもらししちゃって、まわりに迷惑かけるでしょ?だから、これからはこれをつけることにしたの」
「は?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする理絵。
「今すぐトイレに行って、つけようかと思うの。理絵、つきあってくれる?」
「ちょっと、ま、待ってよ、ノーパンさん」
「どうして止めるの?理絵だって、このほうが安心できるでしょ?」
「で、でも、紙オムツはくと、ブルマの形がくずれて、先輩たちに変に思われちゃうでしょ、だから…んーっ、とにかく、部活行こう、早く」
あわてて制止する理絵に押されて、淑子も部室に同行した。
ついさっきまでの理絵だったら、間違いなく紙オムツをつけさせていただろうに。

さすがの理絵も、車内おもらしを実際に見たら引いてしまって、淑子に同情の念が入った、というのもある。
だがそれ以上に、理絵には淑子の雰囲気が変わったように感じた。
あれより前の淑子は、理絵にとっては無防備に見えていじめがいがあったのに、今の彼女はどことなくガードが固くていじめようがないのだ。

淑子は完全にバレー部にとけこんでいた。
「オッス!」のあいさつも難なくこなし、球拾いのときも積極的に動く。
「理絵ー、今日のノーパンさん、なんだかえらく調子良くない?あたし気に入らないな。一発お見舞いしてやれば?」
淑子の球拾いを見ていた真由美が、不平をこぼす。
「ごめん、真由美。あたし、ちょっとそんな気分じゃないの」
「どうしちゃったのよ、理絵…」

今日も2・3年対1年の練習試合が行われた。
しかし、淑子は昨日の彼女とはまるで違っていた。
レシーブやアタックを確実に決める淑子に、1年生だけでなく上級生も注目する。
試合は1年の優勢で進み、とうとうマッチポイントに。理絵のあげたトスを、淑子は強烈なアタックで上級生側コートのエンドラインぎりぎりに落とす。1年生チームの練習試合初勝利だ。
主将が、対戦相手の淑子に手を差し出した。
「岡部、今日はとてもよかったぞ」
「オッス、ありがとうございます。でも、まだまだこれからです」
「よし、これからもがんばれ!」
淑子は、あれほど怖かった主将とごく自然に握手を交わしていた。
「淑子、すごーい!」
「いつの間に上達したの?」
「もう、ノーパンさんなんて呼べないわね」
ほかの1年生部員たちも淑子を絶賛した。真由美ひとりを除いて。
(ほんと、いい汗かいたわ。あたしの体の記憶がよみがえってきたみたい…)
淑子は、ささやかな充足感に浸っていた。

「淑子、いっしょに帰ろう」
部室を出たところで、理絵が声をかけてきた。
「…また呼び方変わったわね?今は仲良くしといて、明日の朝はまたいじめるわけ?」
「とんでもない。あたしね、もうあなたをいじめるのやめたの」
「………」
淑子が態度を決めかねていると、真由美も部室から出てくる。
「理絵、いったいどういう風の吹き回しなの?ノーパンさんと仲良くするなんて」
「だって、淑子の雰囲気、変わってない?もういじめる気にはならないわ」
「うーん、そんな気はするけど…でも、なんか納得いかないな。あたし、先に帰るわよ。バイバイ!」
真由美は不機嫌そうに立ち去っていった。
理絵と真由美の意見が分かれたのを見て、淑子は理絵が本気だと悟った。
「…理絵、帰ろう。いっしょに」
「うん、ありがとう淑子」

「それにしても、試合すごかったわねー。あれなら淑子、将来は主将かもよ」
「まぐれよまぐれ。今日はたまたま調子がよかっただけなの」
「謙遜しないでいいから」
「ありがとう。…それよりも理絵、今日もおもらししちゃってごめんね」
「…えっ?」
理絵の違和感は、確信に変わった。
(自分から素直に謝ってくるなんて…。やっぱり、淑子の雰囲気変わってる。
…塩のこと、白状しよう)
「過ぎたことはもういいのよ。それより、こっちこそごめんなさい、淑子」
理絵は制服のポケットから塩のビンの中ぶたを取り出した。
「このふたね、あたしが外したの。調理実習を台無しにしたの、あたしのせいなのよ」
「…そうだったの?」
「本当にごめんなさい。おもらしももとはあれが原因でしょ」
「理絵、もういいわよ。怒ってないから」
「ほ、本当…?」
「あたしがふたを確認しなかったのが悪いんだから。おもらしだって、トイレに行くって言いきれなかったあたしが悪いの」
もう、理絵と淑子はいじめっ子といじめられっ子ではなかった。

この夜、淑子は夕食を手伝うというよりは、ほとんどの料理を自力でつくってしまい、両親を驚かせた。
夕食後は部屋に戻るなり、昨日は手もつけなかった刺繍の続きに取りかかる。刺繍に夢中になっているうちに、いつの間にか寝る時間になってしまう。

(あたし、なんだか忘れかけてた自分を取り戻せたような気がする…。
明日はもっと楽しくなりそう…)
淑子は、昨日とはうって変わって安らかに眠りについた。


19 変心

「おはよう、真由美」
「あっ、淑子、おはよう」
「もうノーパンさんって言わないのね」
「うん。家に帰ってから理絵と電話で話して、納得したの。昨日はごめんね」
翌日登校した淑子は、クラスメイトと自然に会話を交わす。

「あの、お、おはよ…」
「おっはよー!淑子」
基晴も淑子に声をかけようとするが、晶にさえぎられた。
「晶、おはよう」
「淑子、昨日の練習試合すごかったねー。あたし、練習さぼってステージ脇で見てたの」
「ありがとう、晶。これからもがんばるわよ。でも練習さぼっちゃだめよ」
「わかってるわよ、あははは」
「それと、間宮くんもおはよう。…あれ、いないか」
基晴の引っ込み思案なところは相変わらずだ。
(間宮くんって、優柔不断なとこさえなかったら…)
淑子は、自分の前にしばしば現れる基晴が、さすがに気になるようだった。

「よっ、おもらし女。社会の宿題はやってきたか?」
「その呼び方、淑子に失礼だからやめてくれる?」
健也が淑子の席に近づくと、理絵も寄ってきた。
「おいおい大原、どうしたんだ?おめえ、あいつを率先していじめてたろ?」
「やめたのよ。淑子をいじめても、もう楽しくないから」
「…そうかよ、ちぇっ…」

淑子は、もうクラスでもいじめられることはなかった。
彼女自身の態度が、昨日とはうって変わっていたからだ。地に足がついてきた、とでもいうのか。
その上、理絵が淑子いじめを許さなかったのだ。女子リーダー格の理絵の意見なだけに、みんな素直に従った。淑子が2日連続でおもらしした翌日だというのに、だれもそのことを話題にしなかったほどである。
おかげで、淑子は安心して授業に臨むことができた。もっとも、淑子の授業での態度はいまいちだったが、それでもいじめのタネにはならなかった。

いきおい、いじめっ子の男子たちのはけ口は、別の生徒、それも男子に向かう。
「おい、基晴が大から出てきたぜ」
2時間目の後の休み時間、諭が健也に報告する。
「よし、あいつは大便野郎だ!」
「おっ、戻ってきたぞ。おーい、大便野郎の基晴くーん!」
基晴は顔を真っ赤にして健也に突っかかってくるが、あっさりと押え込まれてしまう。
そこに口をはさんだのは、淑子だった。
「やめなさいよ!間宮くんがかわいそうでしょう」
「おもら…岡部、よけいなお世話だ!」
「なあ、基晴?」
諭が基晴の肩を叩く。
「…う、うん…。岡部さんには関係ないことだよ…」
「そんな、間宮くん…」

3時間目の授業。先生が、基晴を指名する。
「間宮、答えてみろ!」
「ぼ、ぼくは…全身がうんこでできています!」
教室は大爆笑、先生は唖然とする。
「よし、よく言った!それでこそ男だぞ、基晴!」
健也と諭が、自分たちの席でガッツポーズをとっていた。

もう見ても立ってもいられなくなった淑子は、休み時間になるやいなや、基晴の席に向かう。
「ねえ間宮くん、あれって棚橋くんと松村くんに言えって言われたんでしょ?」
「な、なに?岡部さん」
「全身がうんこの話よ!そうなんでしょう?」
「…うん…」
「やっぱり。本当はあんなこと言いたくなかったんでしょ?はっきり、嫌だっていわなくちゃだめよ」
「だ、だけど、ぼくだって棚橋くんたちと仲良くなりたいんだ」
「ああいうのは仲良くなるっていわないわよ」
「…だって、だって…」
「…間宮くんってはっきりしないのね!」
淑子は立ち去った。

「理絵、間宮くんをなんとかしてあげられないかなあ?」
「でもね、あたし、今日の淑子ってちょっと変だと思う」
「どういうこと?」
「確かにいじめられそうな感じはしなくなったけど、その逆の方向に行きすぎてるって感じよ。
今の淑子の態度って、間宮くんに肩入れしすぎてる。うまく言えないんだけど、反動がきたときのことを考えると怖いのよね。
もうちょっと、放っておいてあげたら?棚橋くんたちだって、そのうち飽きるでしょ」
「反動って?」
「だから、うまく言えないのよ。なんだか、すごくいやなことが起きそうな予感がするの」
そのとき、4時間目の授業開始のチャイムが鳴った。

淑子は、授業も上の空で思いをめぐらせる。
(理絵はああ言うけど、どうしてなのかな…あたし、間宮くんがいじめられているのを見ると我慢ができないのよね…。
あたしも昨日までいじめられっ子だったから?ううん、それだけじゃない。
とにかく、あの子は衝動的にかばいたくなるの…)


20 再現

昼休みになっても、基晴は自分の席から動こうとしなかった。
顔色は蒼く、額には脂汗がにじんでいる。なにかを我慢しているようだった。
(間宮くん、大丈夫かしら?…もしかしたら?)
ピンときた淑子は、健也に話しかけてみる。
「間宮くんの顔色が変なんだけど、心当たりある?」
「ああ。さっきな、下剤を飲ませたのさ」
淑子の思ったとおり、健也のしわざだった。
「ひどい!そこまでするの?」
「あいつがそうしていいって言ったんだぜ」
「えっ?」
「俺が、我慢すればいじめをやめてやるって言ったら、あっさり飲みやがった」

淑子は憤激しながら、基晴の席へ向かった。
「間宮くん!なんてことしたの!?」
「…放課後まで我慢すれば、大便野郎って呼ぶのをやめてやるって、棚橋くんが言うんだよ」
「無茶なこと言わないで、トイレ行きなさいよ!入り口まではついてってあげるから」
そのとき、健也の罵り声が飛ぶ。
「おい基晴、行くんじゃねえぞ!約束破るやつは、一生大便野郎だからな!」
震え上がった基晴は、かたくなに座席を立とうとしなかった。
「間宮くん、あなたがいけないのは、態度がはっきりしなくて、要領が悪すぎるところよ」
「でも、ぼくだって学校で大をするの、本当は嫌だし…」
「それよそれ。女子はね、大とか小とか気にしないんだから。
男子だって、つまらないことで意地張らなくてもいいでしょ」
「…おもらしする岡部さんには、言われたくないよ」
(!!!!!)
『おもらしする岡部さん』。まさか基晴から聞くとは思わなかった言葉を耳にして、淑子の頭の中で、なにかが弾けた。

(間宮くんなんて、間宮くんなんて、間宮くんなんて、もう知らない!
あたしのことわかってくれない間宮くんなんて、男子でいてほしくない!あんな子は、女子になっちゃえばいいのよ!!
女子になったら…、思いっきりいじめてやるんだから!いじめていじめていじめぬいて、復讐してやるんだわ!
そう、あたしの本当の気持ちが通じるまで!)
淑子は目を閉じて、そう繰り返し念じた。

「わわっ!!」
唐突に、基晴が叫び声をあげた。
基晴の体は、青白い光と熱を発しはじめ、その中で、服装と体が変化をとげていく。
「あ、熱い、熱いよ!助けてーっ!」
学生服の布地が、まるでゴムのように奇妙に伸び縮みする。色は黒から紺に変わり、そして女子用のセーラー服の形へと落ち着いていく。胸元には、エンジ色のスカーフが浮かび上がってきた。
「あああっ!胸が苦しいっ!だれか、助けて!」
しかし、クラスメイトはどうすることもできない。悲鳴をあげて苦しむ基晴を、ただ見守るしかなかった。

光を帯びた基晴は、全身がひとまわりほど縮んできた。一方、胸は、セーラー服の上からでもふたつのふくらみがわかるほどに大きくなっていく。
筋肉がとれて細くなる腕と脚、丸みを帯びる肩、ふくよかさを増す顔つき。
両目の手前には2枚の丸いガラスが浮かび上がる。それと両耳、鼻を結ぶように銀色の筋が走り、縁なしのメガネを形づくった。
急速に伸びた髪の毛は、命があるかのように動き、自ら三つ編みに結われていく。
「ああ、あああ、ああああっ!!声がーっ!!」
叫び声がどんどん高くなっていくのが、いっそう悲痛感を増す。
光と熱が衰える中、基晴の変身は下腹部へと移っていった。
「うわああ、痛いよ、今度はおなかが!!」
体の内部でも、大きな転換が進んでいるのだ。
ズボンから形を変えたスカートの、前に突き出ていたふくらみがスーッと消えていく。そして、後ろのほうは風船のように大きくなる。
「ひっ!」
基晴が一瞬、目をむいたかと思うと、液体がぴゅっと弾ける音とともに、周囲に奇妙なにおいが漂いはじめた。
下腹部の激しい変化に、我慢がついていけなかったのである…。

(こ、これは…)
理絵は、淑子の態度と基晴の変身を見ながら、自分の悪い予感が的中したことを悟った。
それと同時に、以前の記憶がよみがえってきた。
(岡部くん…?)

股間の前と後ろから異なった色の液体を垂らしながら、呆然と立ちすくむ基晴の姿は、メガネと三つ編みの似つかわしい女子生徒に変わっていた。
2日前の昼休み、勝が淑子に変身したときと、ほとんど同じ光景だった。




(作者からのメッセージ)
みなさん、お待たせしました!『昼休み』第3回です。
勝くんに続いて、基晴くんまでもが女子に変身!ふたりとクラスメイトたちの運命はどうなるのでしょうか!?
急転回を迎えたストーリーは、いよいよ次回で完結します。
第2回を書いてからペースが上がってきましたので、一気に4月中には完結の予定です。
ご期待ください!




戻る

□ 感想はこちらに □