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 彼女はエプロンを身につけていた。
 両肩からはほっそりとした白い腕。
 腰からはむっちりとした太ももとムダ毛一つないすねが伸びる。

 漢の浪漫(とされる)『裸エプロン』……を、期待してはいけない。

 パックから取り出し、流し台で水を切った豆腐を手にコンロに向かった彼女の後姿は、桃のような尻……ではなく化繊でできた毛玉だらけの水色の短パンと黒のタンクトップ。
 この格好に萌えられる者などまずいないだろう。
 止めに『萌えられるものなら萌えてみやがれ』と言わんばかりにポリポリと尻を掻いていた。
 まあ、後頭部で根元から無造作に適当な紐で縛ったポニーテールが尻の辺りまで垂れ下がり、うなじが露出した姿は男にとってはそそられるのかも知れない。
 第一、彼女の端整な顔立ちはいささか地味だが『美人』と表現して差し支えない物だった。


 豆腐をわし掴みにして握り潰し、豆板醤に火が通って香ばしい香りが立つ灼熱の中華鍋の中にぼとぼとと落とす。

『どうせ混ぜているうちに豆腐は原形とどめなくなる』と、あいつは言っていた。

 あいつの変化に始めは戸惑っていたが、この大雑把だが合理的な調理法と、機能性のみを追及した服装は、彼女が私こと『七瀬美雪』の恋人である事を納得させるには充分であった。

 名前で判ると思うが、私は女である。
 生まれた時からかれこれ17年、一日たりとも欠かさず身も心も女をやってきた。
 そんな私の恋人が、目の前で激しく中華鍋を揺らして麻婆豆腐を作っている彼女なのである。

 あいつは他の男子と違い、色恋に淡白だった。
『客観的に見て、女、女、と、がっついた態度は見苦しい』との事だ。
 蓼食う虫も好き好きと言うし、素の俺でもいいと言う物好きがいたら、そいつを大事にするよ……等と言っていた。

 そして、私がその物好きだった。

 くれぐれも言っておくが、私達は『ネコ』とか『タチ』という、いわゆる『百合』な関係ではない。
 まあ、お互い『猫』は好きだ。
 普段はぶっきらぼうで近寄りがたい雰囲気のあいつが、道端で見つけた猫を撫でる時はとても優しい顔を見せる。そこに私は惹かれたのだ。


 私の恋人。
『相原誠』17歳。

 (元)野球部員。

 つい数時間前まで男……だった彼女。









甲子園の魔物
作:OLSON


 母から取り次がれた、『相原』という女性からの電話。
 誠の母親か、それとも姉妹か? とも思ったが……。

「美雪、これから暇か?」

 彼女はいきなり、なれなれしくそう切り出してきた。
 私が戸惑っていたら……。

「俺だ、って言っても判らないか」

 少なくとも、フィクションの世界以外で『俺』という一人称の女性に心当たりはない。

「誠だ、相原誠、お前の彼氏」

 確かに、『相原誠』は私が付き合っている恋人、つまりは彼氏だ。
 だが、どう聞いてもこの声は女性のそれだ。したがって『彼氏』ではありえない。
 どんな声色を使ったとしても、誠の野太い声がこんなソプラノになりはしないだろう。

「いやー、なんか良く判らないけど女になっちまってさ」

 そんな事が現実に起こらない限りは。
 信じがたい話に戸惑う私に、彼女は私達しか知らない筈の話をして見せた。
 その中でも極めつけである『初めての出会い』。

 ある日、校舎裏を歩いていたら、体育館に備品を搬入していたトラックが発車した。
 そのトラックの向こう側にあいつがいた。
 股間のジッパーを開け、(おそらくは)標準サイズのアレを取り出して、トラックの陰でタイヤに照準を合わせて用を足している真っ最中だったあいつが。

 私は短き青春の日々を送りつつ、少女漫画のような出会いを期待していた。
 だが、現実が一つの物語だとしたら、私はギャグマンガの世界の住人らしい。

 そんな事があったから同じクラスであるあいつを妙に意識してしまい、周りから誤解され変な噂が立ってしまった。
 誤解を解こうとしたのだが、それは火に油を注ぐ行為だった。
 なぜなら、理由を話そうとすればあいつのアレを見てしまった話をしなければならなくなる。アレが脳裏に浮かんで赤面し、沈黙してしまうのだから説得力など無かった。
 そうこうしているうちにあいつと言葉を交わすようになり、それがきっかけで親しくなり今に至る。
 野球部のマネージャーになったのも、少しでも長く一緒に居たいからだった。

 わざわざ悪戯のために、知り合いの女性にこんな間抜けで恥ずかしい話をするとは思えないので、とりあえず信じて誠のアパートに行ってみる事にした。


 誠は一人暮らしをしている。

 私達が通う高校の野球部は、県内でもトップクラスの実力を持っていた。
 誠は幼なじみの親友と二人で、この野球部に入る為にはるばる北海道から津軽海峡を渡ってきたのだ。

『雪国では冬には筋トレぐらいしかできないから限界がある』との事だ。

 野球部員だったから頭は丸刈りである。
 もし、『彼女』の言うとおり『相原誠』が女になったとしたら……。
 エイリアン3のリプリーや、G・Iジェ−ンのオニール大尉のようになっているのだろうか?
 等と考えていたら、ドアをあけて出てきた『彼女』は、冒頭で描写した通りのラフな格好であった。
 タンクトップは(悔しいが私のより大きそうな)ふたつの膨らみで押し上げられ、それぞれの膨らみの先端では小さな突起がつん、と自己主張していた。
 そして、歩みを進めるたびに揺れるソレは彼女がノーブラであることを如実に物語っていた。

「話すと長くなる。とりあえず飯にしよう」

 彼女はそう言ってキッチンに向かい、挽肉を炒め始めた。
 今日は日曜。10時頃まで寝ていてそろそろ朝食兼昼食にしようと思っていた時に呼び出されたのでありがたかった。

 誠は私が遊びに行くとよく料理を作ってくれた。
『金欠なので外食はできない』等と言っていたが、誠は男なのに私よりも料理が上手だった。それを自慢したかったのかもしれない。

 誠は道産子だが両親は関西人であり、家庭料理の味付けも関西風だったらしい。
 その為、外食やコンビニ弁当の味付けがどうしても受け付けられず自炊を余儀なくされた。
 今こうして、私の食欲を満たしてゆく挽肉がカリカリでC○○kD○のタレを使わずに辛味と酸味と甘味の絶妙な塩梅の調和を奏でる麻婆豆腐はその賜物であった。
 色々と聞くべきことはあったのだが、空腹の私にとって突如漂ってきた豆板醤の刺激的な香りは思考を停止させるには充分すぎる破壊力を持っていた。
 この味、大雑把な調理法、機能性のみを追及したラフな服装、そして言動は、彼女が誠であることを如実に物語っていた。


「…何で、女になっちゃったの?」

 空腹を満たし、ようやく質問する事ができた。

「判らん。朝にやつらと電話でひと悶着した後で、急に体中が痛くなって気絶した。で、気が付いたらこの有様だ」

 そう言って胸を持ち上げて見せた。

『やつら』……誠がついこの前まで所属していた野球部の部員達を、誠は吐き捨てるようにこう呼んでいた。
 ある事情で誠は退部した。だが、ピッチャーとしての実力は相当な物だったため、部員達は戻ってくるようにしつこく言い寄っているのだ。

「この有様って……」
「下の方も無くなってて、その、現物は見たことなかったんだがエロ本や保健体育で得た知識の通りで、男物のトランクスではどうも具合が悪くて……それに、動くたびに胸が揺れて……その……乳首がすれて痛いんだ」

 これまでは平然としていたのだが、さすがにこういう話は恥ずかしいのか顔を赤らめて言った。

「……で、下着を貸してほしい、と?」
「いや、自分で買うよ。お前だって嫌だろ? そういうの」

 まあ、確かにその通りなんだけど、何でそんなに落ち着いてるかな?

「下着の買い方やらつけ方やら、その他もろもろ教えてほしくてな」
「……あのさ、なんでそんなに落ち着いてるわけ? 女になっちゃったんだよ!?」

 私の方が逆に焦れてまくし立ててしまった。

 だが、誠は冷静だった。

「それだけのことだろ?」
「……それだけって……」
「別にイリオモテヤマネコやトキみたいにペットとして飼ったら問題あるような絶滅危惧種って訳じゃあるまいし、人間の女なんていくらでもいるだろ」
「いや、そういう問題じゃないでしょ……」

 そういう問題じゃないし、人間の女をペットとして飼ったらそれはそれで大問題だ。 いや、男でもやっぱり問題なのだが。

「生活だって人間関係だって変わっちゃうんだよ?」

 だが、誠は相変わらず冷静にこう言うのだ。

「大して変わらんだろ」

 ……と。

「服はダボダボだから体型が多少変わっても問題ないし」

 元々おしゃれに興味がない上に、経済的に余裕がないからあまり服を買う事はないらしい。
 年中通して上半身は今みたいにTシャツかタンクトップ、気温に合わせてセーターや半纏を着込むだけであった。そんな誠に身なりを云々言うのは愚かな事である。
 こう言った服装なら巨乳……いや、牛並みの爆乳にでもならない限り、デザイン的にはともかく物理的には問題無く着られるだろう。
 それに、かつては太っていたので急に太った時の事を考えて服のサイズは余裕を取って選ぶ事にしているそうだ。
 だが、その結果ベルトを引き締めたズボンは、土方のおじさんが穿くニッカポッカ、もしくは昔の不良が穿く『ボンタン』という変形ズボンのようになっていた。
 確かにあれならヒップが大きくなっても問題無く穿けるだろう。

 私は年頃の女なのに化粧とかファッションにあまり興味が無い変わり者だったため、誠とは妙に気が合った。
『似た物夫婦』……等とからかわれたものだ。
 本人がおしゃれに興味を持たない以上、生理現象や下着の問題を除けば、これまでと変わらない生活ができそうだ。

「近所づきあいだって大してなかったし」

 ……確かに。今はそんなものか。

「でも、両親はどうするの?」
「見ての通り一人暮らしだからしばらくは大丈夫だ。元々訳判らないうちにこうなっちまったんだ。また訳判らないうちに元に戻るかも知れん。どうしても電話したり会わなきゃならなくなった時でもそのままなら、その時は正直に言うさ。嘘なんてついてもすぐにばれるだろうし、嘘つき続けるのは疲れるし」
「はあ……隠し事の無いオープンな家庭だこと」
「みんな喜ぶんじゃないか? 親は女の子が欲しかったって言ってたし、弟もお姉ちゃんが欲しいって言ってたからな。妹や弟ならあの年でも頑張れば何とかなるだろうけど、お姉ちゃんを作るのは無理だからな」

 ……高齢出産かい! って、私と結婚すれば私が義姉さんになるんだけど……。

 だが、誠はその点を突っ込まない。そこに考えが至らないのか、女同士になってしまったから速攻でその考えは捨てたのか、はたまた、あくまでも血の繋がった姉弟にこだわっているのか……?

「……学校はどうするの?」
「どうするって、行くだろ。性別が変わったからって休むわけいかんだろ? 別に校則には引っ掛からないだろうし」

 確かに、留学生を多く受け入れるため頭髪に関する校則は撤廃されていた。
 第一、『性転換禁止』『男子生徒のセーラー服並びにスクール水着、ランジェリーの着用禁止』『女生徒の学ラン着用禁止』なんて校則もない。(あってたまるか)

「別人の女のフリしたってどうせボロが出てばれるだろうし、演技やら転校やら戸籍やらの手続きが面倒臭い」

 ……面倒臭いって、そりゃあ、確かに面倒なんだろうけど。

「それにしても……言っては何だけど、今の誠、美人だよ? それなのに男言葉ってやっぱり変よ」

 美人と言われて、これまで平然としていた誠もさすがに動揺したようだ。
 拒絶、戸惑い、そして……わずかながらの喜び。
 これらの感情が入り混じった何とも奇妙な表情で照れていた。

 ……可愛い。

「変って言われても、周りはどう思うか知らんが俺にとってはこれが普通だ。今更変えられるか」

 誠は赤面しながらもぶっきらぼうに言った。

「女なのに自分のこと『俺』って呼んで違和感感じない?」
「別に。そもそも、俺達が日本語じゃなくって、女性形の単語や文法が無い言語を母国語にしてたらどうなる? 育ってきた文化の問題であって、肉体は関係ないよ」

 ……言われてみればそうかもしれない。
 男の精神と女の精神って、一体何なんだろう……?

「トイレとか、体育の着替えはどうするのよ?」
「どうするって、さすがに立ちションはできないから大の時みたいに個室に行くさ、面倒だけど仕方ないよ。着替えは、いくらなんでも二人っきりにでもならない限り襲うような度胸のあるやつなんていないって」

「……そうかもしれないけどさ。やっぱり驚くでしょ」
「周りの人がどうしても嫌だっていうならその時考える。そんなに気にする必要はないと思うがな。トイレだってさ、別に覗く趣味はないし、出る物は一緒、別にプルトニウムや中性子を排泄するわけじゃないんだし」
「……あんたは原子炉か」
「体育の授業はまずいか。中身が俺とはいえ、目と鼻の先で本物の女体が飛んだり跳ねたりするわけだからな。襲うのは我慢できても立っちまうのは理性で完全にコントロールするのは困難だ。前かがみになってたら授業どころじゃないしなー」

 誠は腕組みして考え込む。

 アレが元気になるのはHな事考えてる時だけとは限らず、完全にコントロールできる物ではないと誠は言っていた。だから前かがみになったりズボンのポケットに不自然な感じで手を突っ込んでいる男をむやみやたらにスケベだと思ってはいけないそうだ。
 そうなのだ、下手な男より体力がある女はいくらでも居るのだから、スポーツのクラス分けは性別ではなく純粋に体力や実力そのもので分けるべきだと思っていたが、男のアレの問題があったのだ。

「……体育の先生や他の女子とも相談してみましょ?」

 しかし、こういう『元男だけど性転換した可愛い女の子』というのは『萌える』らしいから他の男子……いや、女子からも狙われるかもしれない。
 ……とも思ったが、私はそうならない。そういう属性がないからか?
 いや、『女になった事に戸惑ったり、順応しつつある自分に気付きうろたえる仕草』が『萌える』のであって、こうも超然とされては『萌えない』のだろう。

 ……何だか、本当に、本人さえ気にしなければこのままでもどうにかなるような気がしてきた。

「男にできて女にできないことなんて立ちションくらいだ。何とかなるよ」

 そう言って笑う誠を見ると、本当にそう思えてきた。

 そうなのだ。男にできて女にできない事は他にも色々ありそうだが、それらは全て社会が作り出した『ジェンダー』による物であり、本人の資質次第であって物理的に女にできない事など無いのかもしれない。

 社会に受け入れられるのか? という問題があるが、誠は元々こういった突飛な思考回路の持ち主だった。それに比べれば性別が変わる事など些細な問題であった。

 ……つまり、誠は元々社会に受け入れられがたい存在という事になる。将来が不安だ。


「でも、野球はどうするの? 甲子園、幼なじみの彼と行くのが夢だったんでしょう?」

 口にしてから後悔した。誠はたちまち不機嫌な顔になる。

「……あんな所」

 吐き捨てるように言い放った。

 誠に野球の話は禁句だった。
 退部した理由……それが、幼なじみの親友だった。

 夢を叶えるために誠と彼の二人でここの野球部に入った。だが、彼は軽度ながら心臓に先天的な障害があった事が判明した。
 実力そのものは誠よりも高かったし、医師も問題無いと言っていたのだが顧問が万一の事を考えて選手から外した。責任問題を考えると仕方ないのだろう。
 そして彼は私と共にマネージャーとして部を支える事になった。
 でも、そんな事でわだかまりを作る事も無く二人は親友同士だった。
 そんな二人を私は尊敬していた。

 だが、彼は親の都合により急遽北海道に戻る事になった。残念に思っていたが、彼は転校先の野球部に入部し、そこでは選手扱いしてもらえるそうだ。
 誠は、甲子園で彼と対戦する事を何よりも楽しみにしていた。

 そしてある日、地区大会に勝利し、甲子園も夢じゃない……と部が沸いていた時だった。

「こんな物!」

 誠は鬼のような形相で、部室に飾られていたトロフィーを片っ端から床に叩き付け粉々にしていた。

 他の部員に羽交い絞めにされた誠はこう叫んでいた。

「タバコ吸おうが酒飲もうが万引きしようが暴力沙汰起こそうが障害があろうが性別がどうだろうが強いやつは強いし、どんなに品行方正でも弱いやつは弱い。これが現実だ! そんなどうでもいいことに事にこだわって実力がある選手を締め出す大会なんかに勝って何喜んでるんだ!」

 誠はそう言って暴れていた。

 幼なじみの親友は、先輩の万引きや喫煙等の『不祥事』と見なされる行為を目撃していたため、口封じの為にリンチを受けていた。
 他の部員や、顧問の教師まで総出で……である。
 ある部員が口を滑らせた結果、真相を知った誠は激怒した。

『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』

 スポーツマンである彼らはそんな言葉を盲信していた。
 だから、障害がある彼に対し何の罪悪感も抱く事はなくリンチを敢行したそうだ。

 だが、部の戦力である誠には動揺を与えない為にひた隠しにされていたらしい。
 親友である彼も、部の意思と、親友である自分自身の意思で黙っていた。
 そして、北海道に帰っていった。
 本当に親の都合なのか、部の連中から離れる為なのか、それとも心臓の問題を気にせず選手扱いしてくれるチームを探してなのか? 理由は解らない。
 だが、そんな事も知らず、気付く事もなく練習を続け、勝利に喜んでいた自分自身が情けなく、恥ずかしく、悔しく、そして許せなかったようだ。

 私も気付く事かできなかったから同罪だった。
 こんな人達が甲子園に行くなんて許せないと思った。だが、親友であり、被害者である彼は沈黙を保ち、他ならぬ誠が隠ぺい工作を行う事になった。
 事実が表沙汰になれば連帯責任により廃部はまぬがれないだろう。
 その結果、逆恨みした部員や顧問の教師による報復は失う物が無くなっているため想像を絶する激しいものになるに違いない。
 真相を知ってしまった私も、その標的になってもおかしくはない。私を守る為には、結局そうするしかなかった。
 互いに弱みを握り合い、脅迫しあう事でどうにか秩序を維持しているのが現状だったのだ。

 更に、故郷に戻っていった親友が入った野球部は、先輩が起こした暴力沙汰と言う不祥事で活動停止の処分を受けていたらしい。
 不良に絡まれた友人を守ろうとした、その結果なのだそうだ。

 そんなこんなで、誠はスポーツマンと言う人種に絶望し、激しく嫌悪していた。


「戻ってこいってしつこくてな。いい加減うんざりして、わざと大怪我して野球できない体になってやろうかと考えたんだが、あんなやつらの為に治らない怪我してやるなんて馬鹿馬鹿しい。その願いを神様か何かがこんな形で叶えてくれたのかもな」

 誠はそう言って自嘲した。

 確かに、野球ができない体……部員達の価値観なら甲子園に行けない体になれば諦めるしかないだろう。ひじを壊すか、膝を壊すか……さすがに、女になるとは誰も予想できなかっただろうが。


 誠がここまで超然としていられる理由が判ったような気がした。

 突然性別が変わって何故困るのか? それは社会に受け入れられるかどうか? という問題があるからだ。

 だが、誠はあの一件で沢山の人間を敵に回した。
 もう嫌われる事を恐れたりはしない。
 受け入れられなくても構わない、拒絶されるならこっちから切り捨ててやる、孤立するなら一人で生きてやる。そんな考えを抱いているのかも知れない。

 重苦しい雰囲気を変えるために更なる話題を振る。

「でも、私達の事はどうするのよ?」

 口にしてから、問題の重さを改めて痛感した。
 そうなのだ、私達は女同士になってしまったのだ。
 この事を何よりも優先して考えて欲しかった。

 私達は、恋人同士なのだから。

 だが、誠はこれにも平然とこう答えるのだ。

「それだって別に変わらないだろ」

 ……と。

「変わらなくないじゃない! 女になっちゃったんだよ!」
「……だから?」
「だからって……」
「俺は俺……!?」

 誠は自分の胸に手をあて、力強く何かを宣言しようとしたのだが掌と自分の胸に走る柔らかい感触に一瞬うろたえた。
 そして、咳払いを一つした後、宣言を再会した。

「俺は俺だ。付いてる物がちと変わったがな。それだけの事だ。友人にしても家族にしても、別にSEXするような関係でもない限り問題はないだろう」

「なっ……!」

 あまりにも直球な答えに絶句した。

「……その、お前とそういう事したくなかった訳じゃないんだが、こうして飯喰ったり話したり遊んだりするのが楽しいからな。こうする分にはアレは無くても問題ないだろ」

 少し顔を赤らめながらも、真剣な目でそう言った。

「男と女でも友情は成立するだろうし、同性でも恋人になれるやつはいるだろうし。性別が変わったくらいで離れていくなら、そいつとの絆はその程度だった。ってことさ」
 そう言って力強い笑みを浮かべた。

 何と言うか、『男らしさ』や『女らしさ』を通り越して、『誠らしい』と思った。
 男であるとか女である事を抜きにして、私が好きになった『相原誠』という一人の人間。

 私は誠の隣に座って、こう答えた。

「そして、私はここで、こうして誠のそばにいる……か」

 誠のほっそりとした右手が私の右肩に乗り、引き寄せられた。

「そう言うこと。こんな俺でも、そばに居てくれるか?」
「……うん」

 そう言って、互いに身を寄せ、顔が近づいていく。
 これはファーストキスだ。
 女同士だけど、誠に捧げるのだから問題は無い。

 ……まあ、麻婆豆腐を食べた直後のため、相当にニラ臭いのは御免こうむりたかったのだが……。

 そして、唇が触れ合う……まさに、その瞬間。

 誠の顔色が変わった。


「どうしたの?」
「……何だ? この感覚……!?」

 誠は下腹部に手を当てた。

「誠!?」

 誠は何も言わず、トイレに駆け込んだ。
 珍しく慌てているのか、ドアを閉めることも忘れて短パンとトランクスを下ろし、便器に座り込んだ。
 思わず見てしまった彼女の股間はちゃんと『女の子』だった。

 そして彼女の思考回路がビジーになり、数分間のフリーズの後、どうにか再起動した彼女は恐る恐る股間に手をやり、その手を見て……。

「なんじゃこりゃぁ!」

 と、血に塗れた手を見て、一昔前の刑事ドラマの殉職シーンを再現してみせた。
 体張ってはいるが直球過ぎて笑えないギャグに硬直していたら、誠は下ろした短パンに足を取られて見事に転んだ。

 それからの取り乱し方は壮絶だった。
 どうやら、これまでの超然とした態度そのものが誠なりの現実逃避だったらしい。
 女になったという現状をきちんと認識した上で、あくまでも『相原誠』と言う人間として順応していく自分を演じていたようだ。
 だが、突如自分の体に発生した未知の生理現象は、そんな即席のペルソナを吹き飛ばしてしまった。
 体から流れ出る血は本物の女でも初めはショッキングな代物だ。まして男ならその破壊力は想像を絶する物があるだろう。

 私は、錯乱して「俺は死にたくねぇよ。なんで死ぬんだよぉ」とうめきながら震える彼女を抱きしめ、なだめ、説明しながらも呑気に『赤飯炊いてやるか……』等と考えていた。
 誠が演じていたペルソナの超然とした落ち着きが伝染ったようだ。

 こうして、ようやく正気(?)に帰った彼女は読者の皆さんが期待するような『萌え萌え』の戸惑いを見せる事になるのだが、それは別の物語である。

 あまりにもありがちなので書いても仕方はないだろう。


 しかし、私は思うのだ。
 誠を女にしたのは何者だったのか?

 別に、小学生くらいの少女に出会って名刺を貰った覚えもなく、全身銀色のコスチュームに身を包んだ怪しげな男に光線銃で撃たれた訳でもないらしい。(何故そんな質問をしたのか私自身よく判らないのだが)

『甲子園には魔物がいる』

 ……らしい。

 本当なのかもしれない。

『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』

 甲子園に立つ高校球児の影には……そんな幻想にとらわれて不健全な行為を行い、隠蔽してでも出場しようとした者の執念。隠蔽の為に迫害を受け、泣き寝入りを強要された者の恨み。そして理不尽な理由で出場できなかった本当に実力のある者の怒り。これらのドロドロした感情が込められているのかもしれない。
 日本中からそれらの感情が集結し、渦巻いている甲子園には魔物が発生してもおかしくはないだろう。
 性転換ぐらいは平然と行えるような強大な力を持った魔物が。





あとがき

 このHPではよくある『女になってしまったため、これまで打ち込んできたスポーツができなくなる』お話ですが少々ダークなお話です。
 スポーツマンの皆様、並びにスポ根物が好きな人にとっては不愉快な内容ですみません。
 スポーツに対してかなり荒んだ描き方をしていますが、ある程度はノンフィクションだったりします。

『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』

 この言葉をどう認識しているかによって、その人の人間性はある程度見抜けると思います。

 更に、TSでの萌えを根底から否定する発言のオンパレード……他の皆様の作品を否定するつもりはありませんよ?
 あくまでも、TSという状況に対する私なりの考えの一つです。

 最後の方にある

「なんじゃこりゃぁ!」

 の『太陽にほ○ろ!』のジーパン殉職シーンのネタを真っ先に思いつき、いかにしてこの台詞を吐かせるか考えてるうちにこんなふうになってしまいました。ダメダメですね……。

 他の作品で野球少年に降りかかるTSも、案外『甲子園の魔物』の仕業かもしれませんね。

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