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 新女性社会適応施設概要

 新生女子は、社会適応施設に強制的に収容される。認定されるまで外界からの接触を一切遮断し、四人ごとに共同生活を送る。各組に一人、同年代の女子指導官を配置し、すべての面からの女性化をはかる。

 

 


友人

           アサリ


 

 

上を見上げると、天井があった。いつもそこにあるものなのに、改めて見てみると不思議だ。

結局何も起きなかった。腹の痛みも治まった。夕食の刺身があたったのだろうか。いま夜中の2時だ。星空と、電灯の明りだけが孤独な、沈黙した住宅街だ。あいつのことを考えた。いまごろどうしているのだろうか。あいつは、私のことを信じていたのだろうか…と。

私はケータイを取り出した。しかし、指が動かなかった。恐怖からだろうか…、いつのまにか電源を切っていた。

明日から夏休みだ。窓を開けた。涼しい風が吹き込む。

さっそく予備校が始まるなぁ、夜空を前にそう思った。

「君らには浪人という立場はない。あと半年ですべての勝負しなければならないという点で、実は浪人があったときより厳しいということを自覚しなければならない」

予備校のクーラーのきいた教室で、講師の熱弁を聞いていた。予備校も少子化のため浪人0時代になってアイディンティティーを保つのが大変だ。頭の悪い私は、予備校なんて行かなくてもよかったんだが、親の懇願のため必然的にいくはめになってしまった。カーテンが閉めきられ、いつも教室は夜だ。時計を見た。今午前10時。薬を飲んでからあと数時間で24時間だ。

授業が終わって廊下を歩いていると、私の名前を誰かが呼んだ。背の低い、眼鏡をかけた男が立っていた。偏差値70、性転換法除外男だった。

「やっぱり君は平気だったんだ」にこにこと笑っている。

「おまえはいいな。最初から除外されていて」

「別に女になってもよかったんだ。女子大の受験が可能になるからね。でもその分勉強時間が減るのはご免だから、結果的にはよかったよ。でも、女にされた奴らは、無試験で各女子大に入れるらしいよ」

「詳しいな」

「俺、除外されたから、即下校できただろ。でもどんな風か知りたかったから、こっそり閉鎖中の図書室に忍び込んで様子をうかがってたんだ。カーテンのかかった保健室から五人ずつ出てくるだろ。その五人のうち必ず一人が、校門の所で先生に呼びとめられてどこかに連れて行かれるのを見たんだ。君たちの組では、山田が呼びとめられていた」

私の心はどきりとした。真ん中の薬を飲んだのは、あの影の薄い奴…そう山田って名前だった。

「昨日君と一緒に出てきた他の四人に連絡をとってみたんだ。三人はなんの変化もなかったて言ってたし、山田には連絡がつかなかった。君にも電話したけどつながらなかったんだ。これで証明された。呼びとめられた奴は、女になる奴だったんだ」

「うちのクラスで他にだれが呼びとめられていた?」私は息を飲んだ。

「あぁ、えーと…。下澤だろ、川崎だろ…あと」

あいつの名前が言われた。望み通りになったのだ。あいつは今ごろ女になったのだろうか。私を信じて真ん中の薬を飲んだのだ。心にポッカリと穴の開いたような気がした。虚無感だけの残る勝利だった。

夏の太陽は、今の私にはあまりにも激しすぎた。

 

「うーん、なかなか美味だった。また何かおごってくださいね」

「ああ、一儲けしたらおごってやるよ」

二人の男が夏の日差しが溢れる廊下を闊歩していた。外からは若い女の掛声が響いてくる。その二人の先にいた四人の夏の制服を着た少女たちが、ぱっと道を開け、澄んだ声で言った。

「こんにちは」

二人の男はニヤニヤしながら通りすぎた。

「見ましたか?」男は横目で楽しそうに話している少女たちを伺う。「1ヶ月前まで男だったなんて信じられませんね」

「あれはAクラスの連中だろ?もう世間に出しても誰も疑わないなぁ。中にはまだ女であることを認めない連中もいるみたいだけどな…」

二人は廊下の奥の、白いドアの前に立った。ノブに手をかけると、すっと開いた。

「おい、また鍵をかけ忘れたのか。しっかりしろよ…」その男は部屋に入ると顔色が変わった。もう一人も後ろから入り、唖然とした。そして急いで実験机の上に置いてあるトランクに駆け寄った。その蓋には「TS003」と刻まれていた。

「おまえが出しておいたのか?」

もう一人が首を振った。振るえる手でトランクを開ける。中には一つ一つパックに入ったオレンジ色の丸薬が入っていた。急いで数を数えた。

「な…い。一つ足りません」

「よく探して見ろ、落ちているかもしれん」

二人は血相を変えて紛失した一つの薬を探しまわった。しかしどこにも見当たらない。一人の男が茫洋として言う。

「明日の朝刊の見出しが目に浮かぶ様です。『杜撰な管理体制。性転換薬盗難。鍵をかけずに外出の研究員』…、あぁ、お仕舞いだ」

「まて…落ちつけ…落ちつけ。い…隠蔽してしまうのはどうだ」

「でももし被害者が出たら…、俺たち執行猶予じゃすみませんよ」

「よし!!」男は意を決したように昂然と立った。そして手袋をし、机からハンマーとドリルと針金を取り出した。そして入り口のドアの方へ歩いていく。

「な…なにをするんですか」

「押し入られたようにするんだ。おまえはTS薬を入れとかなきゃならなかった金庫を粉砕しろ」

約1時間後、110番通報が行なわれた。しかしこの偽装工作が、どれだけ捜査を攪乱した事か…。

その事件は、始業式の前日、8月最後の朝刊に掲載された。

そして新学期が始まった。これほど重い登校は今だかつてなかった。まだ暑い日差しの中で、汗をたらしながら歩いていた。足が自然と学校ではない方向へ向かう。気が付いたら緑色の貯水池の前にいた。しばらく空を見ていた。女になったあいつの姿を思い浮かべた。なんて言うだろうか。

私は必死にいい訳を考えていた。すると学校の方からチャイムが聞こえた。どうせ最初は始業式だ。次のチャイムが鳴ったら学校に行くことにした。

時間はすぐに経ってしまった。ゆっくりと重い腰を上げた。

教室のドアを開ける。ホームルームをしていた。先生が「遅いぞ!」と声を荒げる。私は一礼して自分の席についた。そして敵陣を覗き込むように、あいつの席を見た。

「ない…」

あいつの席がなくなっていた。いや、始めから何もなかったように、一つ前に詰めてある。他の女になったと思われる三人の席をみた。みんな同じだ。粛清されている。

「ねぇ、女になってなかったんだ」隣りの女子が声をひそめて言った。「来ないから、期待しちゃった」

「なぁ…、男子四人いなくなってないか?」

「知らないの?その…女の子になっちゃった男の子は、どっかに隔離されるんだって」

「隔離!?」私の声に、全員がいっせいに振りかえった。私は縮こまった。先生は咳払いをして話を進める。私は目を青い空に向けた。

なんなのだろう、この気持ちは。私は安堵した。しかし一方で、この空の様に青すぎた。もうあいつに会うことはない。私の罪を知る者もいない。そして謝る事も出来ない。私はついに自分の心を敵に回してしまったのだ。

「この煩悶と共に私は生きていくのか」蝉の微かな声が私にこたえた。

その日からさっそく塾が始まる。しかし頭の中は学校の事でいっぱいだった。忘却しようとしても、一向にこびり付いて削ぎ落とせない。そして一番の苦しみは、私が恋していた山下さんを前にした時だった。本来の目的はここにあったのだ。しかし、まるで何事もなかったかのように友人たちと廊下を歩く彼女の姿を見たとき、もはや彼女に対する思いが変わっている事に気が付いた。なんで自分はあんなただの女のためにこんな事をしてしまったのか、己に詰問していた。

そして私は塾の教室に入った。しかし、いつも座る席には髪を後ろで束ねた夏服の女子が座っていた。私は仕方がないからその後ろに座った。ぼんやりと、前の女の髪を見ていた。頭皮から軽やかな髪が何万本も伸び、青色のバンドで束ねられている。艶やかな色、流れ、そして白い首が夏服のベストの中に入っていく。

彼女の手が突然こっちに伸びた。袖を捲ったブラウスから伸びる細い腕が、私に前から配られたプリントを渡した。いつのまにか教壇には講師が立っている。そして私はこのとき初めて彼女の顔を見た。

ひとめぼれだった。

 

私は毎日彼女の後ろの席に座り、話しかけるチャンスをうかがっていた。そして数日たって、私は決心を決めた。

「なぁ」私はつばを飲んだ「ノート見せてくれないかなぁ。前回寝ちゃってさぁ」

今日は結ばれていない髪がさらりと動き、黒い瞳が私を見た。彼女の表情に意表をつかれた。最初の一瞬だけだったが、なんだったのだろうか、あの表情は…。すぐにただのごくありふれた女子高生の顔になった。

「いいけど、字、汚いよ」その軽やかな声に私は虜になった。いつも白紙のノートに、私は彼女の細い繊細な字から読み取り、書き取っていった。

それから、私と彼女は、なんとなく話すようになった。廊下で、教室で、自習室で…

「だからここは、縦が反応速度で横が基質濃度でしょ。基質と酵素が結合すると考えて…」

私は談話室のテーブルで、ぼんやりとテキストの上をなぞる彼女の指を見ていた。女らしい仕草、振る舞い、私の心は春の真っ只中にいる様だった。
「…くん?聞いてる?」

私はばっと顔を上げた。彼女が怪訝そうにこっちを見ている。私は目を反らす様に時計を見た。もう10時を回っている。生徒の姿も閑散としてきた。

「今日はこのへんにして帰ろうか」彼女がノートをしまいはじめた。私はすかさず言った。

「遅いだろ?送っていくよ」

私たちは自転車を転がしながら、夜の住宅地を歩いて行った。隣りには華奢な彼女が、制服のスカートを揺らしながら歩いている。あまり言葉は交わさなかった。たまに犬の鳴き声がする。

彼女の革靴が止まった。私も自転車を止めた。二人の前にあるフェンスの先には、市営のテニスコートが闇に沈んでいた。

「あたし、テニス部だったの」彼女が言った。「けっこう強かったんだ」

その語り口には、なにか寂しげなものがあった。

「俺もそうだった」私は言った。

「ほんとに?ねぇ、あさって日曜勝負してみない?」

「あさってって…。君と?」

「そう。いいじゃない、たまには息抜きも」彼女が微笑む。「じゃ、ここまででいいわ。家、すぐそばだから。ありがと」

そう言うと、彼女は住宅地の闇の中に消えていった。街灯の光が届かぬ所まで行ってしまい、そして足音も聞こえなくなった。私はテニスコートの方を振りかえった。彼女がコートを見ているときの雰囲気、どこか寂しげだった。そして私は、久しぶりに自分の卑怯さを思い出した。あいつは今ごろなにをしているのだろうか、私を恨んでいるのだろうか…

自転車に飛び乗って、過去を振りきった。

 

日曜の朝9時だった。私は使い古したラケットを持って市営コートに立っていた。ただのジャージ姿で待っていた彼女を見て、すこしがっかりした。私はあいつとの試合以降、ラケットを握った事もコートに立ったことも、テニスという文字を発音したこともなかった。

もう一度彼女を見た。髪を短く結び、体の割に大きなラケットの素振りをしていた。あんな華奢な体で平気なのだろうか…、どっちにしろ、女子相手に本気になることもない。

「じゃ、始めようか」

その言葉のあと、私は彼女の表情が変わるのを見た。サーブが放たれた。しかし私は反応できなかった。ネットの先にいる彼女に、あいつの姿を写したからだ。

「どうしたの?」彼女が叫ぶ。

「ごめん、気が飛んでた」

「しっかりしてよ」

私は頭を振り、しっかりと前を見据えた。あれはもう過去の話だ。私は球を出きるだけ弱く彼女に返し、ラリーが続くようにしたかった。しかし、そんな甘い気持ちで戦える相手ではないことを悟った。

自分の実力が下がったこともあるだろう。しかし、彼女は相当の実力者だ。どこに打っても軽やかに返してくる。そして彼女の球をラケットで受けるときの衝撃。

いつのまにか本気になっていた。汗が流れ、球を必死に目で追う。私は誰と戦っているのだ?あいつか?私がだました友人か?もう球しか認識できない。違う、あいつじゃない。この恨みに満ちた球、猛獣のような…、そうだ、あの時の私自身だ。

私は気が付いたら負けていた。

このとき、汗まみれになっている彼女を見た。ここまで聞こえるぐらいにぜーぜー言っている。なんで、あんなに必死になっているんだ。私は彼女のところに駆け寄った。

彼女は切れ切れにこう言った。

「私が女だからって、手を抜かなかった?」

私は首を振り、彼女をコートの脇のベンチに座らせた。私もその横に座って息を整えた。横目で彼女をうかがった。髪が垂れ、表情は分らない。泣いている様にも見えた。いや、そんなわけはない。勝って泣く理由がない。

「ジュースおごるよ。なにがいい?」私は立ちあがった。

「なんでもいい」彼女は俯いたまま言った。

私は入り口の所にあった自販機で、スポーツドリンクを二つ買った。ベンチに戻ると、彼女はタオルで顔を拭き、乱れた髪を整えていた。

「これでいい?」私は冷たい缶を渡した。彼女は礼を言って受け取った。

私はプシュッと言わせてフタを開けた。美しい秋晴れの空だ。無言でちょびちょびと飲みながら、疲労のあとの空白を楽しんでいた。

突然、誰かが私の名前を呼んだ。振りかえるとフェンス越しに偏差値70除外男が立っていた。私はジュースを置いてそいつのところに行った。

彼女は、私が見ていないのを確認すると、自分のバックから何かを取り出した。ティシュに包まれていた。もう片方の手で私の半分ぐら残っているジュース缶を引き寄せた。そして、ティシュの中に彼女の細い指が入りなにかをつまみ出そうとしたとき、私がベンチに戻ってきた。

彼女は慌ててそれを握り隠すとポケットに隠してしまった。私はとくに何も感じなかった。

「これからどうする?」私は尋ねた。「なんか食う?負けたからおごってもいいけど…」

彼女のつんととがった顎が、こくりと頷いた。

私たちは駅前のファーストフード店に入った。ハンバーガーとコーラのカップの乗せられたトレイを持って、四人がけの椅子に向かい合って座った。時間のせいか店内は閑散としている。

なにか話そう、そう思った。しかし、彼女の様子がなにか変だ。とにかくなんでもいい、話しをしよう。

「さっきの人だれ?」彼女の口が、私の口の寸分先をいった。

「え、あぁ、あいつ。同級生だよ、学校の。頭よくて、性転換法も免除されたんだ」

「性転換法?」彼女が目にかかる髪を払いのけた。その先の黒い瞳が、私を凝視していた。「ねぇ、性転換法って、どうやって行なわれたの?」

私はその話をしたくなかった。算段をつけて切り上げたかった。

「ニュースや新聞に書いてある通りだよ。5個ある薬の中からみんな1個取る」

「それからどうしたの」尋問の様に彼女は続けた。

私は目を窓の外へ反らした。欄干に2匹の鳩がとまっていた。首を曲げ、毛繕いをしている。にょき、と首を上げたとき、私と目があった。あの鳩の瞳、私の心を見透かしている様だった。

バサバサと飛び立った。

「俺…」私は唇をかんだ。自分がずっと心の奥に閉まっていたものが溢れ出した。「実は知ってたんだ。どれが性転換の薬か。真ん中だって教頭が言ってたのを、盗み聞きした。それで…、親友がいた。俺よりずっと優秀で、なんでも出来た。そして、俺と同じ奴が好きだった。それで…、あいつに言ったんだ。『真ん中が安全だって』」

私は苦笑した。そして立ちあがった。

「トイレ行ってくる」彼女の指がぎゅっと握られているのを、私は一瞬見た。そのままトイレに逃避した。

私が見えなくなると、彼女はジャージのポケットに手を入れ、ティシュのかたまりを取り出した。そしてその中から、小さなオレンジ色のモノをつまみ出した。彼女の黒い瞳はしばらくそれを見ていた。

腕を伸ばして私のコーラのカップの蓋を外した。そしてそのオレンジ色のものを入れ、元通り蓋を閉じた。彼女の顔には悲しげな微笑が浮かんでいた。

私はトイレに立ちながら、なんであんなことを彼女に話してしまったのかを考えた。懺悔のつもりか?自分は愚かだ。でもどうせなら、この愚かさのすべてを彼女に話そう。なぜなら私は彼女を愛しているからだ。

手を洗って席に戻った。彼女は同じような姿勢で座っていた。

「それからどうしたの?」

「知らない。たぶん女になったんだと思う」

「その友達にしたことを、後悔していないの?」彼女は問うた。

私は逃げの笑いを浮かべずに言った。

「してるさ。信じられないぐらい」

私はコーラに手を伸ばした。それと同時に彼女は立ちあがると、私の前を突っ切ってナプキンを取ろうと手を伸ばした。そしてその肘で、私のコーラのカップを突き飛ばした。床に落ち、細かい氷が涙の様に飛び散った。

私は唖然としていた。彼女は無言のまま、手に山のように握られたナプキンで、床に飛び散ったコーラを吸い取って行った。

 

私と彼女は店を出て、住宅地の中を歩いていた。あれから彼女は口をきいていなかった。

「あたしあるんだ…」か細い声で彼女が言った。「あたし、友達にだまされたことが。信じてたんだけど、すべてが分ったときにはもう遅すぎた」

私は振り向きもせず歩く速度も落とさなかった。つぎになんて言葉が来ようとも、私は覚悟していた。

「あたしもその人と同じように復讐しようかと思った。でもそうしたら、あたしもその人と同じになってしまう。それに、もしその人が改心していたら、その気持ちまでダメにしてしまう。そう思ったの」

なんてことのない住宅地の角に来て、私は彼女にこう尋ねた。

「俺たち恋人か?友人か?それともただのクラスメイトか?」

しばらくの沈黙のあと、彼女は真面目な顔で、私に向かって言った。

「友人じゃない?」

本当ならここでショックを受けるべきなのだろう。しかし私に落胆はなかった。いや、むしろ嬉しかった。

失ったものを取り戻したように思えた。

 

終わり

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