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「先生、ちょっとこれを見てもらえますか?」

とある研究室で、白衣の若者が白髪の老人に数枚のレポート用紙を手渡した。老人は雑にめくった。

「このまえの実地調査の結果であろう。あとでゆっくり見させてもらうよ」

「いえ先生、捕獲固体の性別に注目して下さい」

老人は再びレポートに目を落とす。

「♂♂♀♂♀♀♂♂♀♂…、なにか問題が?」

「固体の発生月日と照らし合わせて見てください。2004年3月以降発生した固体の性別と…」

老人はポケットから老眼鏡を取り出し、その紙を凝視した。

「♂♂♀♂♂♂♂♂♂♂♂♂……これは」

「その幼生だけではありません。他の調査団がその周辺で調査した哺乳類、爬虫類、鳥類等でも同様の反応がみられるのです」

「つまり…」老人は眼鏡をたたんだ。「極端な性別バランスの歪みは偶然ではない…と」

「そう考えるのが適当だと思います」

 

 


友人

           アサリ


 

 

その出来事は『○△渓谷周辺の生物に異変』という見出しで新聞にでて、ワイドショーや週刊誌でも数日間取り上げられていた事が、私の幼少の記憶の一部に残っている。しかし、すぐにそのニュースは凋落し、年金やら戦争やらの記事が新聞をうめた。再びこのニュースが取り上げられるのは、数年後のことである。

数年後…

 米研究所でラット成体での雄から雌への性転換に成功、という小さな見だしの横に、巨大な文字で、○△渓谷周辺の市町村で新生児の男女比に異変、女児激減、20対1から30対1の割合に、という凄まじい見出しが新聞の一面をうめていた。このころ中学生だった私には、この二つの事件が、自分の人生をどう変えていくかなど、想像も出来なかった。

そして再び数年後、

「……と言うことですが、人間が性別を変化させることに危険性はないのでしょうか?」

「確かに男女の差、というのは多大なものがあります。肉体的なものから精神的なものまで。しかし数年前に開発された薬品を使用する事により、ほんの数ヶ月で男性体から完全な女性体…つまり生殖機能をもったと言う意味ですが…の変換が可能になるわけです。その事実に対して、危険性…という観点からみると、皆無とまではいきませんが、他国の成功例を見る限りではほぼ無害だといってもいいと思います」

「では、もう一度本国会で審議される新法案の抜粋を見てみましょう。満十七歳の男子5%に対し、適性検査の後、女子への性別変化の義務を課す。男子5%の選択は、公正かつ平等に行なわれなければならない。女子へと変換した者は、数ヶ月の訓練期間の後、一般女性と同等の権利が与えられる。このような法案を出す意向はなんなのでしょう?」

「新生児の男女差の偏りによるものです。この問題は日本では数年前、○△渓谷周辺で発生したものなのですが、実は同様の傾向が世界各地でみられたわけですね。この世界地図を見てください。」

などと言う会話がテレビでは永遠と繰り返されていた。そんな中で、私は高校の入学式を向かえた。壇上に掲げられたデカイ日の丸、真新しい制服、いま考えるとおかしいぐらい校則に従順だった。つまらない校長の話を、パイプ椅子からずり落ちそうになりながら聞いているとき、私の背中を叩く者があった。それが私とあいつの出会いだった。

「なあ、おまえさぁ、新人戦のとき俺と戦ったよな、第3試合で」

そいつの顔を見たとき、私は流れ込む様に敗北の記憶が甦ってきた。テニス部の最後の夏、シングルで3回戦まで勝ち進んだ私の相手がこいつだった。ただ負けたのなら忘れてもいよう。しかし、ミクロメーターほどの差で負けたのだ。あのときの爽やかなこいつの顔を、忘れるわけがなかった。

「またテニス部はいるのか?」小声で尋ねてくる。私は振り返りもせず言った。

「もう負けねーぞ」

これが私とあいつの友情の始まりだった。あっという間に高校生活の時間は流れて行った。テニス部では私とあいつの力は拮抗していたが、勉学においてはかなう相手ではなかった。あいつがずば抜けて頭がいい訳ではない。私がずば抜けて悪いのだ。偏差値では30代を徘徊していた。それでも楽しい高校生活だったと思う。性格も嗜好もまるで違う二人だったが、なぜか不思議と引かれていた。これが親友、腹心の友というやつかもしれない、と思ったりもした。

あの日までは…だが。

あれはやたらと熱い5月の文化祭の日、私はテニス部のテントの下、やきそばを売っていた。ソースの匂いにまみれながら、次から次へと買いに来る客に売りつけていた。クラスメイトがやってきた。安くしろとしつこくねだる。「量を増やしてやるから」と言ってパックに麺を詰めているとき、遠くのある一点を凝視した。あいつだった。さぼっているわけではない。あいつは午後からだ。そうではない。女を連れていた。地球の半分は女だ。いや違う。ただの女ではない。あいつは…

「はやくしてくれよ」その声で私は自我を取り戻した。見間違いさ…そう思うことにした。もしくは、ただ偶然一緒にいただけだ…と。

午後になった。私は午後からなのにまだ来ないあいつを呼びに行くことになった。立錐の余地もない中庭を抜けて、張り紙の揺れる校舎の中を探した。寸劇のチラシを無理やり渡されたとき、人ごみの先にあいつの後姿を見つけた。私はあいつの名前を呼んだ。こっちを向く。そしてその後ろには、人ごみに隠れて見えなかったあの女がいた。肩までかかる髪、楽しそうな笑顔、あいつがこっちに来る。

「なんだよ」

「午後から当番だろ、早く来いよ」

「あ、わりー、忘れてた。」あいつはそう言うとあの女の方に歩いて行った。なにか話している。そして、彼女は彼に何かを言った。小さな口が動く。「がんばってね」と。

あいつが私の方へ戻ってくる。雑踏の中、私は思いきって口を開いた。

「最近よく山下さんと一緒にいるなぁ」それとなく言ったつもりだった。

「俺たち、付き合ってんだ。じゃ」

そう言い残すと、あいつは階段のほうへ消えていった。私の心は理性を失った。その言葉が私のすべてを消し去った。歯を噛み締めた。なにかが止まらず爆発しそうだった。私は校舎を飛び出し自転車で公道に出た。ペダルをひたすらこいだ。思想が沸点を越え、断片的な記憶が飛び交う。後ろの席からぼんやりと彼女を見ていたこと。彼女の声、顔、行動…そして私が一度も見たこともないようなあいつとの応対。私は土手に自転車を乗り捨て、川原に転がり込んだ。

陽光で水面が輝いている。なぜか悔しかった。しかし私はあいつに勝てなかった。勉強もできるし、見た目だってあいつのほうがいい。雲泥の差だ…。空がひたすら青かった。すべてが消失して行く様に、ただひたすら青かった。

そんな日に、あの法案が衆参両議院を通過した。しかし今の私にとって、まったくどうでもいいことだった。

雨季に入り、男女比率矯正法…みんなは性転換法と呼んでいたが…の噂が広まった。めちゃくちゃなものから的を射たものまで、巷は噂の劫火に焼かれていた。桟敷で見ている女子はいいが、男子にはもはや他人事ではなかった。授業では環境ホルモンやら生殖やらの講義が埋め尽くした。「今では10歳以下の男女比が20対1 その上男女双方の2割は生殖障害児である」この台詞は耳にたこができるほど聞かされた。しかしまったくいい迷惑だ。なんで原因不明の環境異変の修正の役目を、この学年から負わなきゃならないんだ…。

そして私とあいつの関係は、無愛想のなかに親しみがあったものから、ただの無愛想へと変わっていった様な気がする。そして放課後、私はワックスを取りに一人で1階の廊下を歩いていた。校庭は雨で濡れている。ポケットから鍵を出し、会議室の横の倉庫のドアを開けた。異様に高い湿度、なめくじの怪物が出てきそうだ。

たった一つのはだか電球を点けた。ペンキの臭いが充満している。

目を凝らしながら奥へ奥へと進んだ。そして棚の上にワックスを見付けたとき、壁の向こうから話し声がするのが聞こえた。じとっとした壁に耳をつけた。

「……からは規則性のないように、との通達が来ていますが、把握が面倒ですよね。終了した生徒との接触がなければ、すべて同じ場所にアタリを置いてしまっていいんじゃないですか?」教頭の声だ。

「うーん…では分りやすく、真中、3番目をアタリにしましょうか…」

なんの話なのか、そのときの私には見当もつかなかった。ただ、3番目がアタリという言葉が脳裏に染込んだ。何事もなかったように私はワックスを持って部屋をあとにした。

しかしその言葉の持つ大きさを、私は数週間後のホームルームで知る事になる。その日、性転換法施行者の選別方法と日程が説明されたのだ。日時は終業式の後、つまり1週間後、方法は単純明解、出席番号順に五人ずつに分け、五人は部屋に入り、そこに置いてある5個の薬のどれかを飲む。一つだけアタリ…つまり性転換薬なのだ。効果は二十四時間以内に現れる。

女子はニヤニヤ笑っていたが、男子の顔は青ざめていた。そして最後に選抜を除外されるメンバーが発表された。運動面と学力面で非常に優秀なものは免除されるらしい。いつも偏差値70以上の秀才と、柔道で国体まで出た男が除外された。「女だって頭のいい奴もいるじゃないか」とか「女子柔道もあるぞ!!」というブーイングが澎湃していたが、二人の耳には届いていなかったに違いない。

「もし自主的に希望する者がいたら前日までに申し出る様に」という捨て台詞とともに、担任は教壇から姿を消した。無政府状態の教室で誰かが私の肩を叩いた。

あいつだった。

「なぁ、今日放課後3セットマッチで勝負しないか。最後になるかもしれないだろ?」あいつの顔は真剣だった。受験で二人とも部活を引退してからは、一度も勝負をしてなかった。私は睥睨しながら頷いた。

数日ぶりの快晴、コートを陽光が照りつける。後輩に話をしたらすぐ一面をあけてくれた。一つのネットの先にいるかつての友を見た。自分が愚かなのはわかっていた。しかし、それを認めるほど、人間はできていなかった。ラケットを握り締めた。猛獣のように私は球を放った。

なまっていた体が唸る。無駄な動きが多すぎる。分っている、分っているが、これが合法的にあいつに怒りをぶつける唯一の手段だ。神のように煌くあいつへの、悪魔の嫉妬だ。

力で1セットをもぎ取った。しかし次はあいつに取られた。3セット目、私と同様にあいつも疲弊していた。デュースが続いた。狂った猛獣はただ球を追った。これだけは、これだけはあいつに勝ちたい。あいつに1ポイント取られた。あいつのサーブだ。球を空に上げる。そのときだった。

「がんばって!!」という女の声がコートに響いた。多くの歓声の中で、その声だけが聞こえた。彼女の…、山下さんの声だった。風が吹いた。球が一直線に私のコートに突き刺さった。笛が鳴った。私は負けた。あいつのところに、彼女が走り寄って行く。私に纏わりつくのは汗だけだった。

あいつは彼女を離して、コートの真ん中まできた。あぁ、あのときの笑顔だ。私も歩み寄って行った。ネットを挟んで二人は握手した。

「いい試合だった」あいつが言う。握っていた手を放す。彼女のところに帰ろうとするあいつの肩に、私は手を回した。そして耳元で言った。

「会議室で聞いたんだ。5個ある薬のうち、真中の一つは絶対安全らしい」

あいつが唖然と私を見る。私は目を合わせず、その先にいる彼女を見た。

「付き合ってる奴がいるのに、女になるわけにはいかないだろ?」

私は今までに一度もないぐらいの至福の微笑みを浮かべた。あいつの目にはどう写ったのだろうか。少なくとも私には満足感しかなかった。

「今度は負けないぞ」私はそういい、コートを後にした。

 

曇り空の終業式だった。蒸し暑く、私たちの学年の男子の中には不思議な空気が流れていた。いつもは騒々しい校長の挨拶の間も、しんと静まり返っていた。あと数時間後、5分の1の確立で女になるかもしれないのだ。無理もない。私はあいつのほうを見た。ぴんと背筋を伸ばし立っている。昨夜は彼女とどう過ごしたのだろうか…。まぁいい。どっちにしろ終焉だ。

ホームルームに戻って通信簿が配られ、担任は「男子以外は下校」と告げた。女子たちがケラケラと笑いながら鞄を持って去っていく。「そう緊張するなって。女だって楽しいよ」隣りの女子が私の肩を叩いて去って行った。

男だけが残された。除外者を除いた20人。この中から4人が明日には女になる。空気はひどく張り詰めていた。

1組から順に呼ばれて行く。前のクラスが終わり、私たちは鞄を持って廊下に並んだ。死者の行列の様に寡黙だ。下駄箱で靴を履かされた後1階の保健室の前に並ばされた。看護婦が再度聞かされた説明を繰り返す。

「机の上に五つ丸薬が置いてあります。指示をされたら、置いてある水ですぐにそれを飲んでください。ちゃんと飲んだか各自確認しますので、ズルはしないように」

最初の五人が入った。次は私たちの組だった。そしてその次はあいつの入っている組だ。保健室のドアにはカーテンがかけられ、中の様子は伺えなかった。小学校のころの、判子注射を思い出した。

「では次、6番から10番までの人」

中に入って行った。嫌な薬品の臭い。もう前の奴らの姿はなかった。室内には机が五つ並べてあり、各自トレイの上にオレンジ色の丸薬が置かれていた。そしてその前には看護婦が座っている。

「では選んでください。指示があるまでは飲まない様に」

誰も動き出さなかった。だから私が最初に足を踏み出した。真ん中以外ならすべて平気なのだ。一番端のトレイの上に立った。銀色のトレイに自分の顔が映っている。悪魔の顔だろうか。いや、勝者の顔だ。

私に続き、一人二人とトレイの前に立っていった。真ん中のトレイには、クラスでも存在感の薄い奴が立った。女になった姿を想像して、心の中で嘲笑した。そしてすべてが埋まった。目の前の看護婦が水を渡した。

「では口を開けて下さい」

言われた通りに従った。その口の中に丸薬が入れられる。隣りの奴はくすぶってなかなか口を開けなかったが、最後には開けた。

「では飲んでください」

私はすぐに飲み干した。別に味はない。その後、もう一度口を開けさせられ、舌を上げて口内に残っていないかの確認が行なわれた。全員の確認が終了したらしい。

「二十四時間以内になんらかの様態の変化が現れたときは、隠さずにすぐに連絡を下さい。以上で終了します。すぐに下校して下さい」

そのまま裏口から外に出された。風が気持ちいい。しかしまだ安堵できる奴はいなかった。まるで後1週間の命、と宣告された様にとぼとぼと歩いていく。私は面白半分で真ん中の薬を飲んだ影の薄い奴に声をかけた。ゾンビのような顔で振り向いた。その様子を見ると、さすがに何も言えなくなった。

私は校舎に振り向いた。あいつをまっていようか、そう思った。しかし、馬鹿馬鹿しくなって止めた。「さらば、我が友よ」

気取った事を呟いて校舎を後にした。

家の夕食は刺身だった。家族はみんな興味本位でその事を聞いた。独立した姉からまで電話がかかってきた。私はうるさいのですぐに部屋に閉じこもった。ぼんやりと椅子にもたれながら外を見ていた。

ガラスに反射する自分の姿を見ながら、本当に自分は安心していられるのだろうか、と思った。真ん中がアタリといっても、実際に行なわれる1ヶ月近く前の情報だ。信憑性があるのだろうか。

そのときだった。私は腹痛を覚えた。まさか…と思った。変な感じがする。私はベッドに飛び込んだ。異常な恐怖に襲われた。冷や汗がたれる。腹がぎゅるぎゅる言う。必死に眠ろうと努力した。これは夢だ、なにかの間違いだ…と考えながら。しかし想像力が恐怖を助長する。

ベッドのなかで私は初めてあいつにした事を後悔した。自分に害がおよんで、始めて罪を自覚したのだ。

私はいつのまにか眠りに落ちていた。

 

つづく…

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